MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/03/31
多岐川恭「死体の喜劇」(新潮社'60)

あとがきによれば'59年後半に執筆された短編ばかりを集めた短編集らしい。『落ちる』収録作を別格とすると、多岐川氏の短編集はかなり各巻ごとに内容が異なっており、常に新しい魅力と出会うことが出来る。本書も傑作が揃う。

会社を経営する男が寝室でガス中毒死していた。自殺は考えられず、遊びに来ていた友人も妻もその部屋に近づいた形跡は全くない 『井戸のある家』
半年前に情夫と失踪した妻を捜して、男は執念深くその行跡を追う。ヤクザに重傷を負わせ警察に追われながらも逃げる二人を追って男は着々と迫っていく 『きずな』
妻を置いて温泉宿に泊まった男は一人旅の人妻と懇ろになる。彼女と一緒だった女性が夫を殺して逃亡した容疑で警察の訪問を受けたが宿を出た後だった 『二夜の女』
少年視点もの。森の中でチューバを練習する不器用なおじさん。時計屋で強盗殺人が発生、おじさんの奥さんが現場から無くなった指輪をこっそり返そうとして捕まった 『チューバを吹く男』
作家志望で実業家の妻に養われている男は、自宅から見える浮き世離れした奇妙な浮浪者に興味を持ち接触を図るが妻はそのことが気に入らない 『奇妙なさすらい』
裏の世界に繋がる法律事務所を経営する直江。彼のもとには色々な人種が相談を持ち掛けてくる。給食の質の問題、新規事業への出資依頼、そして密輸の片棒を担ぐ依頼まで 『わるい日』
いい加減な性格の娘の内縁の夫を計画的に殺害した父親。娘と共に死体をトランク詰めにした彼は、運送屋をしている男のトラックにトランクを放り込むが…… 『死体の喜劇』以上七編。

多岐川恭、ミステリの創作に迷いがあった時期らしけれど、出来は良し
作者による「あとがき」に印象が残った。この作品集を自身で分析して「ナゾ解きは二篇だけ、残りは「変格」」と断じ、本格推理小説の創作の困難さや限界を説いている。自分は読者におもしろい小説を提供したいのだ、その為には本格推理小説にはこだわらない。「出来損ないを覚悟して型を破ろうとする模索も試みられていいだろう」と結んでいる。これこそ、多岐川恭が著した、長短編の指向を自ら明確に宣言したものに他ならない。「本格」も「変格」もいずれも生き残っている現在、何が正しかったのか、簡単に結論づけることは出来ないが、少なくとも多岐川恭という一人の作家が、現在再評価されているのは「変格」の面白さを知り尽くし、見事に実践していた点にあると思う。多岐川氏自身にとり、賢明な選択だったといえよう。

さて、作品集。二作の本格作品は展開が推理小説の王道に過ぎ、事件・捜査・解決の三段階があまりに整然としてしまっている。『チューバ…』など珍しい子供視点ものであり、後半に得られる叙情などは捨てがたいが、短編で語られるエピソード量による限界があるように思えた。残りの作品の方に妙味。特に『死体の喜劇』の人間関係を含めたコミカルな展開、『奇妙なさすらい』の意表を突く展開と破滅を回避してしみじみとしたラストに持ってくる語りの巧さ、そして『わるい日』のコンゲーム的な展開とちょっとクールなキャラクタなど、味わい深く面白く読める作品が並んだ。また『きずな』はサイコスリラーのはしりのような主人公の姿が不気味で、こちらは上記とは別の一種の恐怖小説的な趣があって、バランスが今一つながらも捨てがたい一品。

一年ほど前に土田裕之さんがダブりを譲って下さいましたので入手出来ました。多謝します。本書は新書・文庫化されておりません。本書のいくつかの作品については、そのレベルからして今後何らかの形で再評価されることも望みたいものです。


02/03/30
服部まゆみ「この闇と光」(角川文庫'01)

'87年に『時のアラベスク』にて第7回横溝正史賞を受賞した服部まゆみさんの七冊目となる長編作品。'98年に刊行され第120回の直木賞候補作品にも選ばれた。(この時の受賞作は宮部みゆきさんの『理由』。相手が強かったか)

『レイア1』:森の中の別荘で育つ盲目のレイア姫。幼い頃に母を喪ったと聞かされ、二階から降りることを禁じられた生活の中、彼女に辛くあたる侍女ダフネの世話を受けないと何も出来ないレイアだったが、唯一の楽しみは父と過ごすこと。父は追放された国王で、時々国民を慰撫するために城下に出かけて行く。階下からはレイアには分からない言葉を喋る兵士がいるのだという。父はレイアを「光の娘」限りなく優しく接してくれて、目の見えないレイアに沢山のプレゼントをした。幽閉された別荘の中で成長するレイアは文字の書き方を教えられ、世界の様々な書物を読むことが出来た。しかし、十三歳になったレイアの元に姿を消していたダフネが現れ、「暴動が起きた」と外の世界にレイアを連れ出す。そしてレイアは墓地の中に置き去りにされて「母親」と邂逅する――。

崩壊を予感させるファンタジー世界が反転する時、物語はミステリへと変幻する
幽閉された王女の元に通う心優しいが不幸な境遇にある元国王、王女に辛くあたる侍女、盲目で純粋、臆病だが好奇心旺盛の王女……本書の前半をなぞると、なんだか乙女チックなファンタジーの筋書きをそのまま描いているかのようだ。王女レイア姫(「スターウォーズ」?)の視点で(盲目なので立場で)描かれる世界は、彼女の成長と学習に従い少しずつ描写に変化が付き始める。父王の愛情に甘えるレイア。学習するに連れ高い分析能力や思索能力を手に入れるレイア。大人になるに従って身体の変化に戸惑うレイア……。 成長と変化はファンタジーの王道。しかし単なるファンタジーと片づけられない戸惑いが、読者の方にも広がるはず。ところどころに奇妙なガジェットが挿入されるのだ。我々が見聞きするのと同じおとぎ話。カセットテープ? CD?? 母親と一緒だった頃にテレビ??? いったいこれはどういう世界なのだ????
レイア姫の脱出により、この世界は崩れて物語はファンタジーから一気にミステリーへと変化を遂げる。ここから先は少しでも触れると内容に関わるので書けない。ただまさに闇から光への反転があり、それでいて解決されたような未解決のような不幸なようなハッピーのような……と、物語全体から受ける印象は両極端のコントラストから、どことなく曖昧模糊な雰囲気へと変化していく。

現在まで刊行された服部作品の中でもかなり高い評価を受けている。登場人物に一般人ではなく芸術関連(画家、作家、写真家etc……)を多用する服部さん自身は彫刻家。無から有を創り出す普通の作家と違い、元の主題(例えば本書ではヘッセの『デミアン』)を切っ先鋭い彫刻刀で削りだして、別の意味での魅力ある形を創造していく。服部作品から感じられる手触りや、どことなく現実から遊離したかのような感覚は、このあたりから出ているのかもしれない。


02/03/29
皆川博子「薔薇忌」(集英社文庫'93)

本書は、'90年に実業之日本社から刊行された幻想文学を中心とした作品集を文庫化しあたもので、第3回柴田連三郎賞を受賞している。本文庫の他にも'95年に大活字本も刊行されいている模様。

劇団の制作に携わる女性。公演のはねた劇場に一人居残っていると年若いバイトの学生が近寄って彼女がかつて女優だった頃のことを聞き出し始める。 『薔薇忌』
老歌舞伎役者のインタビューを命ぜられた若い女性記者。機嫌の悪い役者の周囲をうろうろしているうちに一人の裏方が目につき、気になる。彼は桶に水を張って祈る人を見詰めていた姉の話を始める。 『祷鬼』(祷は旧字)
美貌を持ちながら眠りの度に深い官能を覚える体質ゆえに現実には不感症の女性。彼女のもとにかつて彼女の家で働いていた女性が唐突に訪問してくる。芝居の小道具を制作する彼女の家には、若くて腕の良い職人がいた。 『紅地獄』
謎めいた行動を残して死んだ母。母には三人のパトロンがいたらしい。独自の舞踊を趣味とする女性はその三人から、母の壮絶な踊りの記録を見せてもらう。 『桔梗合戦』
舞台に合わせて演奏するピアノ弾き。演奏中の彼の脳裏には、子供に蜘蛛同士を戦わせることを教えた旅回りの芸人の子供の思いでが去来する。 『化粧坂』
カリスマ的魅力を持った男性を見出し、タレントとして育て上げた男。彼は組織の論理によってその男を失ったが、自ら力をつけ、中年となったその男を復活させるためのリサイタルを目論む。 『化鳥』
八十になる老女優。彼女はその年に急に引っ越しを決めた。十以上年下のかつてのパートナーが彼女のもとを訪れ、気むずかしい彼女の年若い二人の役者への恋の告白を聞き出す。 『翡翠忌』以上七編。

他人を演ずるという仮面の下に覗く、濃密な心の闇、人間の哀しさ、そして怖さ
主に芝居の世界や、その周辺に生きる人々を登場人物とした幻想的な内容の短編集。ときに彼岸と此方の境界線が曖昧となる皆川世界は、実にて虚を演じる芝居の世界と相通じるものが多く好適な取り合わせといえる。 また何かを演ずるという行為は、その何かを引き寄せたり、別の何かに魅入られたりする可能性を持つ。これもまた「この世ならぬもの」がごく自然に内在する世界を描く際の触媒となる。その世界をこれ以上なく美しく、濃艶に描く文章の妙。目映い光と心の吸い込まれるような闇とのコントラストを読者の心に描く微妙なタッチ。どうでもよいような小さなエピソードが奇妙にリアルであり、それが老若男女誰の独白であろうとも、完全に作者自身が自分自身のなかに取り込んでしまっている包容力には、空恐ろしささえ感じさせる。また、それを活字に並べ替える文章力もまた。
これはこれで物凄い傑作が集まっていることは事実。つまり本書は確かにスゴイのだが、更に強烈な印象が残る作品が、この後にもっともっと執筆されている。ただ(皆川作品に対する感情は個人の嗜好が色濃く反映すること割り引いて考えて頂きたいながら)、まだシバレン賞を受賞したこの段階でさえ、皆川文学はまだまだ発展途上だったのではないか、と考えたくなる。凡百の幻想小説もどきに比べれば、そりゃもう深みが違うことはもちろんであり、作品が覗かせてくれる深淵は底なし沼のように深い。この段階で既に底なしの沼のような深みは、作品を重ねるごとに鮮やかな闇、全てを吸い込み、全てを手に入れた闇へと常に変化を続けているように感じられる。

本書はもちろん皆川さんの代表作品集として数えられるし、そう呼ぶ人を否定するつもりは毛頭ない。ただ、これが皆川文学の最高傑作かといえば私はそうではないと考えている。言いたかないが、皆川博子さんは現在、相当のご高齢でもある。それでもお世辞抜きに物語を積み重ねるごとに一歩一歩高みへと上り詰めようとしている……本気でそう思っている。なので、皆川幻想文学における最高峰は、きっといつになるか分からないが、未来にいつか書かれる作品が獲得するに違いない。 決まっている。


02/03/28
島田荘司「最後のディナー」(原書房'99)

CDジャケットサイズ、厚み一センチ。'99年暮れ、そのままクリスマスプレゼントに使えるとも話題となった短編集。原書房からそれまで刊行された同人誌系ムック『石岡和己の事件簿』『ちっぱーみたらいくん』に掲載された二編に『大根奇聞』が書き下ろしで加わって単行本化された。2002年には「御手洗潔の奇蹟」と副題がついて講談社ノベルス入り。

龍臥亭事件で女子高生だった犬坊里美が、広島の大学から転入試験をクリアして横浜の女子大に転校してきた。石岡は戸惑いつつも素直に喜ぶ。 『里美上京』
里美の大学のミス研顧問の先生。彼から親子二代にわたっての疑問となっている天保時代に鹿児島での大飢饉に根ざしたエピソードの謎解きを依頼される石岡。全て創作という結論を出した石岡だったが、念のため海外にいる御手洗にそのことを話す。 『大根奇聞』
里美によって死ぬより嫌いな英会話の学校に入学させられた石岡。最も初心者のクラスで知り合った老人はキリスト教徒でありながら石岡同様、全く英語がダメだった。 『最後のディナー』以上三編。費用効率悪し。

石岡和己に萎え、島田荘司に萎える
石岡和己、四十代後半。中年男の鬱々ぶりがみっともなく痛痛しい。 そりゃ鬱の人間を物語に登場させる必要もあるだろうし、他にもそういったミステリもある。しかし石岡和己はイタイ。ましてや本書は一応はミステリでありエンターテインメントを志しているはず。それが「島田荘司」というブランドがついた登場人物の背景を描いた設定集、ないしちょっといいエピソードを集めた物語としかいえないのは何か情けない気がする。さすがに文章は読みやすいし(但し里美に影響された石岡のしゃべり方の鬱陶しさは除く)、エピソードもヒネリはあるのだが、従来の、そして最近の島田荘司が好んで使う「手法」というものをテーマを変えて当てはめただけ、という印象の方が強い。

『里美上京』はそのまんま、『龍臥亭事件』の犬坊里美が上京したというだけの話。
『大根奇聞』はとある科学的情報と歴史的な挿話を結びつけた情報収集力と構想力にのみみるべきところはあるが、ミステリとしてのカタルシスというよりも、科学をテーマにした教育番組を見せられて「ほう」と感心するものにその感慨は近い。
『最後のディナー』は悲惨な生活を送ってきた老人の物語を石岡が引き出す構成。日本におけるホームレスの実態が物語に関わってくるが、扱いがちょっと中途半端な気がする。また、関係者を引っぱり出して告白させるパターンの相変わらずさや、老人が試みたことのすけすけ加減が慣れた読者には辛いかも。誰の写真を欲しがるか、という締めくくりにはちょっと意表を突かれたが。

一応、抜けていたので読んではみたが、ミステリ、エンターテインメントを打ち出す島田荘司、という定規を当てるには目盛りはもっと高いところにあって良いはず。やはり中途半端な印象は拭えない。 キャラ萌え読者専用。 以上。


02/03/27
藤村正太「コンピューター殺人事件」(講談社文庫'78)

孤独なアスファルト』にて第9回江戸川乱歩賞を受賞した藤村氏は元々は川島郁夫名義にて中短編の推理小説を発表していた経歴でも知られる。本書は'71年に「乱歩賞作家競作シリーズ」の一冊として刊行された作品。第25回の推理作家協会賞の候補作にも選出された。(その年は受賞作品なし)

コンピューター導入により経営の近代化に取り組む新都梱包運輸。新しい物流システムの導入により、競争力を高める計画となっていたが、その裏では職人的作業者や中間管理職の切り捨てが前提となっていた。その電算機室にてボヤが発生、なかでコンピューター導入反対を叫んでいた古参管理職が死体となって発見された。当初は事故と見られた事件は、現場から遠く離れた地点から遺留品が発見されたため殺人事件へと発展、外部からコンサルタントとして招かれている江幡は、謎の電話呼び出しを受けていたためアリバイ不成立であった。しかも江幡はコンピューター室で働く有坂の妻と不倫中で、激戦が続くコンサルタント業界におけるクライアント裏切りがその動機ではないかと噂された。自らへの疑いを晴らすため、やむなく江幡は自ら犯人捜索に乗り出し、コンピューター導入反対を標榜する専務一派や、同じく導入に反対している労働組合の幹部の仕業ではないかと目星をつけていくのだが……。

社会派+本格ミステリ。古びる宿命の「社会派」部分が本格ミステリの足を引っ張る……
最初に記しておくが、本書は藤村正太名義では傑作とされる部類の作品である。事実、推理作家協会賞の候補作に堂堂と名を連ねている。当時の世評も高かったのだろう。創造性溢れる新規のアイデアを用いた複数のアリバイトリック、つまり本格ミステリ部分と、合理化の名のもとに導入されるコンピュータという名の「怪物」(当時は恐らくそういう存在だったのだと思う)と、それによって職を奪われる人々との確執という社会派的部分の双方が絡み合って紡がれる物語。 本書の主人公は、「自らに降りかかる火の粉は自分で払う」ために、捜査と推理を行って真犯人にたどり着く……。物語のプロットを取り出して、一つ一つを眺めるになかなか良いものを持っている作品だと思う。
話は変わるが、俗にいう「社会派」なる作品群にはどうしても有効期限があると私は考える。知的遊戯的側面の強い本格ミステリに対し、その時代の時事問題の告発を主眼に置いた社会派は、時の経過と共にその訴えるところの部分が風化していく可能性が高い。資本主義や公害といった国家や企業の告発はもちろん、世代の断絶や、共同体の変化といった比較的身近な話題であっても、その時代という背景の色が濃く反映されている。従って、数年程度ならとにかく、本書のように発表から30年以上の時をおいて読むとその時代と共に、告発すべき対象もまた過去の存在となってしまい、その部分に感心こそすれ、感動は求め得なくなってしまうのが実際のところだろう。また、別の意味では古い日本が抱えていた極端な男尊女卑思想が当たり前のように描かれているのも、現代人にとしては引っかかる。
トリックは本当に良いと思う。大きく分けて二種類あるうち感心したのは特定地域の事情を利用した松本清張ばりの誤認トリック。(もう片方は凝りすぎの印象が……) また真犯人の深層心理が犯罪の方法に影響を与えたという部分も、本書ならではの独特の説得力があり評価したい。

恐らく作者はそのままでは無味乾燥になる、としてSMや不倫などを作中に盛り込んだのだろうが、それだけは完全に裏目。それが無ければもう少し後の評価が高かったかもしれない。ミステリ部分のトリックは見られるので歴史に埋もれて欲しいとまでは思わないが、無理に歴史から引っ張り出すことはない、そういった微妙なレベルの作品。


02/03/26
北森 鴻「孔雀狂想曲」(講談社'01)

連作短編が得意の北森氏と『狐罠』にて書画骨董の世界を描いた北森氏。その両方のフィールドを一つにまとめた連作短編集。下北沢にて骨董店『雅蘭堂』を営む店主、越名集治を主人公兼探偵役とする作品。『小説すばる』誌に連載されていた作品の単行本化。

店先に飾ったジッポーに気が惹かれている老人。後に訪れたその孫娘がそのジッポーを万引き未遂をし、老人が従軍記者時代にベトナム人に贈ったものと知れる。老人はスパイの手引きをさせられていたことを悔いていた。 『ベトナム・ジッポー・1967』
抱き合わせ販売で仕入れた壊れたカメラ。そんなカメラも様々な利用価値があり購入する人がいる。幾人かの客のあと、雅蘭堂を訪れたのは刑事だった。 『ジャンクカメラ・キッズ』
旧家が秘蔵の宝を開陳、古物商に販売する蔵開き。兄の指示にて金沢に赴いた越名は観光客に偽友禅を紹介する詐欺を働く女性を通じ、業界でも噂の多い男と直接コンタクト。蔵開きにはその男と、美術評論家がやってきたが何かが仕組まれている臭いがする。 『古九谷焼幻化』
雅蘭堂から販売された鉱物標本。その売り先を嗅ぎ回ろうとする男がいた。そのなかに顔料材料があったことから最近盗難にあった絵と関連に越名は気付く。そしてその男が死体で発見された。 『孔雀狂想曲』
身寄りのない叔母から姪への遺産として贈られた切り子細工。金満家だった祖父が姪の両親に対して行った大人げない行為から発した親戚間の断絶。祖父の誕生パーティでの毒物騒ぎの真相とは。 『キリコ・キリコ』
画家としても名を馳せた作家の遺した絵。それには対になる別の絵があるという。それを探せと依頼を受けた越名は、探偵のようにその絵の来歴について調べ始める。 『幻・風景』
江戸時代の根付けを精巧に偽造する職人。趣向を凝らした細工に架空の細工師の銘を掘る。その作品はある蒐集家の元に全て集まっていた。蒐集家は根付けを越名に見せた。細工師は越名に遺恨があり、越名は越名でその根付けに微妙な違和感を覚えていた。 『根付け供養』
市に出展され越名を魅了したビスクドール。焼け焦げという瑕から相場で競りは落ち着くかにみえたが、ある男が一気に値を三倍に釣り上げた。その客師の裏には悪名高い蒐集家がいることを越名は知る。そしてその蒐集家と情報を教えてくれた男とが三百体のビスクドールと共に焼死した。 『人形転生』以上八編。

生き馬の目を抜く古物の世界と玄人好みのミステリのベストマッチ
一編一編のクオリティが非常に高い。高すぎて一読しただけではその凄さに気付きづらいほどに高い。 大人のための本格ミステリといった趣きが万人受けするものなのかは少し疑問ながら、ミステリファン度が高ければ高いほどに本書は高く評価されるのではないか。
骨董品の世界そのものが、既に「騙し騙され」が日常茶飯事の世界である点。業界に蠢く人々がみな様々な悪知恵を働かせ、フェアとアンフェアとの境界線を渡り歩く。他人を欺く仕掛けや、目利きが試される場面など日常茶飯事。これってそのまま本格ミステリの作家と読者の関係にも当てはめられそうである。現実を描いた場面が即ちミステリ。素晴らしい。
更に扱われる古物。これが単なる「モノ」としての存在から一歩上にある点も興味深い。つまり必ず扱われる品物には故事来歴がつきまとう。その「モノ」の個性が物語を引っ張り、支配する。(本書で扱われる古物が各短編ごとに変えてある点もすごい) その個性ゆえに人々は惹かれ、所有欲が刺激され、欲得の道具と見なす。実はミステリとしての構造だけを引っ張り出すと、それほどまでに物凄いトリックが使用されているものはない。にも関わらず、真相が見透かせる作品など一つもない。古物にまつわる「思い」が強く目くらましになっているのがその最大の理由だろう。もちろん、北森氏の繊細かつ大胆な職人芸的な作風と。

万引き未遂事件から店に居着いてしまった女子高生アルバイト安積と主人公との掛け合いが、作者が考えているほど物語の緩衝材としての効果が発揮できていない点だけはちょっとした瑕疵か。店主が彼女が必要だと心の底から感じているエピソードが描かれないため、雇い主による従業員への単なる言葉イジメに見えてしまう。

繰り返しになるが玄人好みの一冊。出来れば「何かを蒐集する情熱」を持った経験のある大人に読んで貰いたい気がする。読み手としての深さ浅さを問われるような作品。特に『古九谷焼幻化』は起伏に富んだ物語の味わいと騙し騙されの妙味が融合する傑作。この世界ならこういう話も十二分にあり得ると思わせるところが北森氏の凄さだろう。


02/03/25
西澤保彦「異邦人 fusion」(集英社'01)

デビュー当初は独自のSF設定を凝らした単発ミステリの印象が強かった西澤氏も、現在では数種類の人気シリーズを抱えてどうしてもそちら中心の創作活動を行っているように感じられる。SF色そのものはシリーズものでもみられるにしろ、一冊限りで創り上げられる作品世界も独特の味わいがある。本書は久々の単発作品。書き下ろし。

二十世紀最後の日、即ち大晦日。大学の助教授で独身の永広影二は実家に向かうため、羽田空港にいた。着ているのは二十年以上前に姉から貰ったセーター。しかし彼は鏡で見た自分に既視感を覚える。空港から実家に電話を掛けたところ、姉からかつての同棲相手、月鎮季里子が作家になっているので著作を購入して来て欲しいと頼まれる。姉はレズビアンで高校を卒業してすぐに実家を失踪して一人暮らしをしていたのだ。その本、『アニスの実の酒』は作者と姉がモデルとなっている小説。飛行機に乗り込んだ永広は着陸の際に眩暈を覚える。目的地である竹廻空港に到着した彼は、自分が二十三年前の世界にタイムスリップしていることに気付く。ほとんどのお金が消失し、事態に混乱したまま実家に向かう永広。そこで彼は謎の殺人事件にて死亡した父親と対面する。そして十七歳の自分とも。永広は「足跡のない殺人」にて死んだ父親が、その事件に巻き込まれないよう行動することを決意、一人暮らしをしている姉の元を訪ねていくが、そこにいたのは十四歳の月鎮季里子だった。

ジェンダーとノスタルジアと、そしてSFミステリと。西澤氏の創作テーマの真髄が籠もる意欲作
近年の西澤作品における特徴は、チョーモンインシリーズにおけるSF設定と本格ミステリとの融合、タック&タカチシリーズにおける本格ミステリと青春小説の融合(これには異論もあろうが、シリーズ全体を見渡した時にそのような側面があることは否定できない)、そして、賛否両論なつこシリーズにおけるジェンダー論とミステリとの融合(これにはもっと色々な側面があるように思えるが、それはもう少し作品が重ねられてから)と、思想や主題のしっかりした別テーマをミステリ以外に掲げている点にあると考えている。
本書では世紀末の大晦日から二十三年前へのタイムスリップにより、青春時代を過ごした故郷への時間の旅を主人公は経験する。それだけで「SF」と「ノスタルジー」という点をクリアしており、更に真性レスビアンで血の繋がらない姉に対する密やかな思慕が加わって「ジェンダー」問題についても深い洞察が加わる。実にさりげなくも見事に近年の西澤文学の集大成的テーマが込められている。
西澤氏の単発作品における主人公は、しばしば極端に内向的性格を持つケースがあるが、本書もまたそのパターン。彼が家族のことを思い、今まで思考停止していた事柄について敢えて考え、彼らのありのままを理解すること。主題はミステリというよりも、どこか私小説めいた告白的物語。こういった作品に付き物のある種の痛さもあまりなく、相応に主人公にとり深刻な主題がさらりと描かれるのは、ナビゲーター役の月鎮季里子の設定が良いからか。ミステリ的には「犯人の足跡のない殺人死体」がポイントだろうが、これは注意深い読者ならば、中途で予想がつくだろう。特筆すべきは、悲惨さを予感させる設定が反転して、実に爽やかで後味の良い物語の締めくくりへと向かう点にあるように思う。本書における最大のサプライズを私はここに見た。

いうまでもなく、過去へのタイムスリップは作者の経験が色濃く反映され、その結果、自伝的部分というのが出てしまうのは致し方ないこと。それが読者への共感を得られるかはとにかく、特定の世代や場所に育った人にとってツボに入ることは間違いない。ちなみに私は桜井京介と同級生ゆえ(笑)、篠田真由美作品で偶にツボに出会ったりする。微妙に作者とは世代が異なるため、共感とはちょっと異なるのだが、作品全体を覆うノスタルジックな雰囲気はとても感じが良かった。

裏を返せば、ミステリの大どんでん返しを期待するだけの読者にとっては不向きな作品かもしれない。それでも近年の西澤作品を読み続けている者にとっては、西澤作品の方向性を示す意味で納得の行く完成度を味わうことが出来るはずである。


02/03/24
小林信彦「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」(文藝春秋'78)

あの女性向け雑誌『クロワッサン』に'77年から翌年にかけて12回にわたって連載された作品。明治時代に大ヒットした村井弦斎の『食道楽』という作品の現代版を編集から要請されて執筆したものだという。'80年に文春文庫からも刊行されているが、いずれも絶版。

たぐいまれな美貌と非の打ち所のないスタイルを持ちながら、やることなすことドジばかり。<阿修羅姫>とも<こわし屋>とも呼ばれた敏子は、溺れかけている二階堂秋彦を命がけで救い、彼と結婚した。秋彦は、北国、網走、さすらい、流氷、日活映画と料理を愛するさすらい人。日々ふらりと旅に出掛けて冒険をして帰ってくるのだが、その職業は謎に包まれている。そんな二人と料理が絡む十二の物語。
神戸のレストランで麻薬取引に絡んでコックが殺された。秋彦は敏子を連れてそのレストランに向かう。敏子はコックの代役を要請されパニックに陥っていた。 『夜霧に消えた東坡肉(トオンプオロウ)』
秋彦の祖母は誕生日にババロアとシャーベットを食べないと死んでしまうと信じ込んでいた。旅に出た秋彦の代わりに敏子が挑戦するのだが……。 『ババロアばあさん』
出雲に飛行機で向かった敏子の隣には南雲という老人が坐っていた。彼はシャリアピン道を極めたその世界では超有名なコック。出雲市内のホテルに意気揚揚と向かう二階堂夫妻だったが。 『一品料理のシャリアピン』
秋彦の友人がくれた大量のアボガドを持て余した敏子。出入りの酒屋の若旦那を実験材料に種々の料理を試して食させ、苦悶の地獄を体験させる。 『アボガドの街角』
敏子に気のある若旦那は浅草の泥鰌鍋に敏子を誘う。天真爛漫な彼女は当然ついて行き、若旦那のどうしようもない一人相撲が始まる。 『どぜう相手のドジリーヌ』
美食の限りを尽くした秋彦が肥満に悩み始めた。敏子は手当たり次第にダイエット本を購入し、秋彦に片っ端から試させはじめる。 『ダイエット・ビスケット』
知る人ぞしる中華の名店。主人の誕生パーティに招かれた夫妻は、特製の麺を頂くかわりに殺人未遂事件に巻き込まれてしまう。 『麺から出た面倒(トラブル)』
クリスマスが近づき、句会で知り合った夫妻に七面鳥の料理法を習いに出向いた敏子。クランベリー・ソースが必要になって必死で探し求めるのだが……。 『しちめんどくさい七面鳥』
夫婦の出身により雑煮の味が異なることで離婚の危機にあるヤクザ夫婦を救うため、敏子は様々な知り合いに理想の雑煮について語ってもらうのだが。 『雑煮とスーパーマン』
米国かぶれの二代目が和菓子屋を継ぎたがらない。敏子はその店で和菓子をご馳走になるうちに職人の勝負に巻き込まれそうになる。 『餅は餅屋の春の宵』
週刊誌の取材に応える二階堂秋彦。東京でのうなぎ屋というテーマにするすると応えた彼は欲望に負けて敏子を伴ってうなぎ屋へと向かう。 『玄人うなぎ』
とうとう秋彦が定職につくことになった。関係者と六本木でお祝いする彼らの前に謎のウェイターが立ちふさがる。しかしそれは旦那刑事の変装であった。 『スモーガスボードで終幕(フィナーレ)』以上十二編。

活劇好きと食道楽(グルメ)には堪らない。冒険と謎と美食が奏でる三重奏
その村井弦斎の『食道楽』とやらがどういうものなのかは分からないが、本書を簡単にまとめるならばそれぞれの作品で一つ「食」に関するテーマを取り上げ、面白可笑しい物語によってその調理法、名店、蘊蓄を楽しむ……というもの。ただ、主人公のドジリーヌこと大ボケ主婦の二階堂敏子、その夫で職業<さすらい人>の二階堂秋彦らのキャラクタが強烈すぎてしばしば「食」が霞んでしまうのが難点か。
ただ、人間の食べ物は伝統にこだわればこだわる程に大きな変化はないもので、本書に登場する名店が実際にまだあるのかどうかはとにかく「美味そうそうなものは美味そうにみえる」という点ではまったく時を隔てない。日本人の食生活は日々向上しているのは事実ながら、本当に最上のものは今も昔も一様に滅多に口に出来ないというのは恐らく変わっていないのだろう。また、唐突に挿入される「食」に関する蘊蓄も、それが目的だとハッキリしている分、嫌味がない。
<さすらい人>と<ドジリーヌ>という特異なキャラクタの役割分担がきっちり機能しており、それらから醸し出される異様なまでのテンションをもったユーモアがきっちり物語を支配している……のは中盤まで。そこから後半にかけては「料理」にかかる比重が重くなる感。これは読者として本書に何を求めるかによって評価が上がりも下がりもするポイントではある。
ミステリファンとしてちょっと見逃せないのは『麺から出た面倒』における中華料理屋の密室であろう。横浜中華街の花火という設定を見事に活かした毒殺未遂のバカトリックは古今東西見渡しても本作にしか登場することはあるまい。 犯人の実行する姿を想像するに抱腹絶倒なのだが……。(成田さんのリストにも入っている。……けど題名が違うようですが。)

特徴的な題名がなんともいい感じで、小林氏の絶版作品につきまとう時代がかった部分も本書においてはマイナスではない。ユーモアの降りかかり具合も自分的には丁度良い感じでGOOD。早速、今晩のおかずは無理して東坡肉にしてみました。はい。ごちそうさま。


02/03/23
浅暮三文「左眼を忘れた男 I wanna see you」(講談社ノベルス'02)

ダブ(エ)ストン街道』にて第8回メフィスト賞を受賞後、『カニスの血を嗣ぐ』など独特の世界を紡ぎ出す筆力を武器に着々と実績を重ねる浅暮氏の待望の新作。(本サイトの掲示板にて本書は刊行予告をして頂きました)

山崎豊が気付いた時、何も分からなかった。自分が固いものに寝かされ点滴を打たれていることは分かるのだが、指一本さえも身体の自由度が効かないのだ。看護婦や医師らの話によれば、自分は会社の帰りに美術館に寄った後、何者かに後頭部を思い切り殴られ意識を喪っていたらしい。左の目は失われており、全く身体を動かすことの出来ない勇作は植物人間だと決めつけられているらしい。勇作の眼球は四日程度であれば、再度の手術にて元を戻すことが可能のようだった。しかし幼い頃から謎の第六感を有していた勇作は、失われたはずの左の眼球が見詰める景色を意識することが出来た。果たして誰が自分をこんな目に遭わせたのか。果たして何が目的だったのか。山崎の左目玉は見つかること無いまま、現場近くに野ざらしにされているようだ。様々な方法で自らの意志を外部に伝えようとするが、身体のほとんどの個所は機能を失ってしまっている。山崎は自力で動けず限られた範囲しかみることが出来ない「左眼」を通じて犯人の行方を追うことを決意する。しかし目玉は自分の力で転がらないため、その見える範囲は限られていた。山崎の脳裏に浮かぶ渦巻きの紋様は何を示しているのか。 山崎は退院できるのか?

左目太郎の終わりなき旅路。世界史上初、眼球ハードボイルド
もしくは目ん玉ファンタジーか。水木しげる御大が生み出した偉大な目玉は手足が生えていたが、浅暮三文生み出す活字世界でもっとも存在感のある目玉は、うずらの卵と間違えられかねない(?)まん丸の玉。そして主人公にさえ与り知らないある意志をもってこの世を流離う(さすらう)ハードボイルド目玉なのだ。(今気付いたが露出部分よりも眼球ってのは相当に大きいような気がするぞ)しかし、そういうことは気にしなくていい。現実感覚に沿ったリアルな描写が本書の眼目ではない。病床にありながら、床を転がり、動物や子供に弄ばれ、弾け、落ち、飛び、水に漂う。そんな球体の運動を想像豊かに描写。そしてその玉が追うのは渦巻き状の記号に端を発する「古い記憶」である。
目玉の持ち主は病院で意志を持つ植物人間の状態。果たして誰が彼をこのような目に遭わせたのか。目ん玉が飛び出すほどに後頭部を打ち据えたのはなぜなのか。なぜ彼は裸足だったのか。そして彼は自分の身体を自分の意志で動かせるようになるのだろうか。 様々な謎はある。謎はあるんだけれど、目玉は転がりつつ事象を観察するのみである。徐々にそれが明らかにされる様子はミステリ手法に則っているとは言い難い。ただその結果、今までに誰も経験したことのない不思議な物語空間が頁の隙間を満たしている。
その記号の変化を辿って「記憶」の中身が徐々に浮き出てくる様は、凝りすぎてしまっている分、ちょっと分かりづらい気もする。しかし、この視覚と想像力だけの世界のなかではこのような遊び心もまた楽しいとみるべきだろう。

かつてミステリの奇才、多岐川恭は病床にあるほとんど身体不随の老人を探偵役に据えた『おやじに捧げる葬送曲』という一風変わった本格ミステリを生み出した。浅暮三文は身体付随の人物を主人公に据えたハードボイルドを生み出した。これもまた現代の奇才のなせる業といえるのではないだろうか。


02/03/22
黒田研二「今日を忘れた明日の僕へ」(原書房ミステリー・リーグ'02)

第16回メフィスト賞を『ウェディング・ドレス』にて受賞後、ずっと講談社ノベルスを中心に活躍してきたMYSCON2のゲストでもある黒田研二氏の初ハードカバー。原書房の叢書「ミステリー・リーグ」のために書き下ろされた長編。

一ノ瀬勇作は目が覚めたとき、奇妙な違和感を覚えた。確かに自分の家、自分の妻が側にいる。しかし何かが違う……。勇作は自分が三月三十一日以前の記憶こそあるものの、その後の記憶がないことを妻からシラされる。彼は大事故に遭ってそれから一日の出来事をその晩眠ることによって全て忘れてしまうという前向性健忘症を患っていたのだ。現在はそれから四ヶ月あまりが過ぎた夏の日。彼は事故の後、毎日毎日丁寧な日記を付けて忘れてしまうことに備えようとしていたという。妻の友人が事故死し、自分の親友の尚人が行方不明になっていたりと身辺は大いに変化しており、勇作は自分の怪我のために妻を働かせていることにも気付く。事態を把握しきれない勇作は、昔から行きつけの喫茶店に向かう。そこで雑誌社に勤務するという美女に声を掛けられる。田口と名乗る彼女は勇作をずっと取材しているというが、当然彼女のことを覚えていない。勇作宅に原稿を忘れたという彼女を勇作は冷たくあしらい、自宅に勝手に向かわせる。その喫茶店のテレビでは、行方不明の尚人が死体となって発見されたニュースが流れた。

新世代による「新本格ミステリ」は遂にここまでやって来た
メフィスト賞にて第15回以降の受賞者が既に多数世に出てきているが、新本格の第三世代とも第四世代ともいうべき彼らのなかでも黒田氏の存在はぐいぐいと突き抜け始めているように思えてならない。というのも現在、島田荘司、岡嶋二人以降の「新本格ミステリ」の影響を明らか受け、ミステリとしての部分(とんでもない館だとか、凝ったトリックだとか、壊れた登場人物だとか)を拡大させた作品は毎月多数が刊行されている。ただ、その存在感というかミステリとしての迫力を持った作品となると、それなりのベテランが著すことがまだ多い。デビュー作品のスマッシュヒットはあれど、安易なシリーズ化によって徐々にスケールが小さくなる作家のなんと多いことか。ミステリ的縮小再生産の傾向が見えつつあるともいえるだろう。黒田氏はそんななか、ミステリとして王道を歩みつつ、毎回着実にミステリ作品のレベルを引き上げ、物語の新境地を開拓、「新本格の拡大再生産」のモードに入っている。既に予感はあった。しかし本書はそれを証明する一冊になりうる作品。
本書の設定は奇抜である。一日分の記憶しか蓄積出来ない男による過去の事件の推理。恐らく普通の作家であれば、この設定を創り出した瞬間にガッツポーズを決めるに違いない。これだけでとんでもないミステリが出来上がる。しかし黒田氏のサービス精神はその設定のみに寄りかかって停止していない。細やかな言葉の表現や、会話、日記の文章のなかに様々な嘘をちりばめ、それが細やかな謎解きに変換する。最初にガツンと世界を崩しておきながら、その世界に慣れた段階で更に読者の立ち位置に落とし穴を仕掛ける。記憶喪失者による「自分探し」という島田荘司氏の某作品をはじめとするミステリ世界での定番中の定番をこのようにひっくり返す度胸と、その度胸に見合ったアイデアには正直、胆を潰した。

今年の収穫。WEB日記を拝見している限りでは、なかなかユーモラスな毎日を送っていらっしゃるようにしか見えないながら、その裏でこれだけのアイデアを温めていたとは。(ブレインの存在も見逃せないけれど) ところで、またMYSCONに遊びに来てください。


02/03/21
斎藤 肇「たったひとつの 浦川氏の事件簿」(原書房ミステリー・リーグ'01)

斎藤氏はショート・ショート出身で講談社より『思い通りのエンドマーク』をはじめとする三部作を刊行し、話題となった。ミステリを数作刊行の後、しばらくミステリからは遠ざかっていた。元NIFTYのFSUIRIのシスオペとしても知られている。

少年が心の底に抱いていた友人に対する殺人衝動をその男はインターネットでの書き込み一つで言い当てていく。 『たったひとつの事件』
無名作家がタレントの女性と一緒に洞窟に閉じ込められる。が、女性はいつの間にか脱出、しかも殺人事件の被害者となっていた。 『恥ずかしい事件』
知り合いが山中に投棄した冷蔵庫を取りに行かせると中から心当たりのない死体が。このままでは容疑者にされてしまう。 『はじめての事件』
男と女の二重人格を使い分けて暮らす人物の元を訪れる二重人格を持つという女性。その女性が行方不明になったと探偵が捜索に訪れる。 『壁の中の事件』
お宮坂の途中にある玄庵さんの別荘に旗が揚がると『頃合の会』が開催される。近所の人のちょっとした話を玄庵さんが聞き出していく集まりだ。 『どうでもよい事件』
山中に呼び出された格闘家、瓜生。彼は先だってある金持ちが主催したサバイバルゲームでぎりぎりのところまで生き残っていた男だった。 『閉ざされた夜の事件』
ファンタジックな妖精世界を描いた文章にて綴られた切ない男女の出会いと別れ。果たしてこの文章の示す真の意味とは。 『すれ違う世界の事件』
弁護士事務所に勤務する浦川氏は奇妙な殺人事件の犯人の弁護に立たされていた。犯人は偶然相手を刺したというのだが、相手は彼を恨み抜いていた人物だった。 『浦川氏のための事件』以上八編による連作短編集。

正真正銘のなんじゃこりゃ? ミステリの常識を逆手にとってぐるぐるぐる
「作品の並んだ順番に読むことをお勧めいたします」ということで、順番に読む。最初の作品、『はじめての事件』はたった一行の書き込みから相手の心理を洞察していく純粋推理もの。とはいえ、実際に発生した殺人事件がこの時点ではどんなものか分からないようになっており、この一つの殺人事件を巡る周囲の狂騒をミステリ仕立てにした連作短編集だろう、とまず思う。
そして次の『恥ずかしい事件』は人間消失が主題となってやはり裏で殺人事件が起きているのだが、どうも第一作との繋がりがおかしい。『はじめての事件』ではどうも浦川氏は赤ん坊のようだし、『壁の中の事件』での浦川氏は本当の探偵、そして『どうでもよい事件』の浦川氏はご隠居さんである。どの場面でも殺人事件を匂わす記述はあるものの、核心には触れてこないし、浦川氏を軸にしたミステリなのか、と錯視させられる……。
一応短編集、とはいえ(言い方が悪いが)ひとつひとつの短編にて解かれる謎はそれほど大きなものではない。「謎解き」というよりも、唐突感さえ覚える「謎そのものの在り方」に意外性があるくらいで、どちらかというと変幻自在な探偵役浦川氏のキャラクタが毎作品ごとに変化している点が目に付く。また物語も第三者視点や叙述、メタなどミステリで使われる形式を様々に網羅、趣向が凝っている。しかし、結局これはどういうことなのだ? 捉えどころがないというか。ミステリ好きであればあるほど、斎藤氏の目論みが見えないことに焦りを感じるはず。短編それぞれの解かれた謎の後にほんの少し残される澱のようなしこり。そのしこりが回収される最終話がやはり最大の見物である。そして。

……そうか、そういうことか……。考えてみれば簡単なことなのだが、ちょっと思いつきづらいものがある。繰り返すがミステリマニアであればあるほど、推理を深めれば深めるほどにこの展開は予想を大きく裏切るのではないだろうか。ミステリであるからには謎がある。しかしこの連作短編集に仕掛けられた謎は、思い切ってひねくれたところにあり、その謎自体がまた謎(わかりにくい)。形容するに「謎の連作短編集」。読んで、驚け。