MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/04/10
山田正紀「24時間の男 ―一千億円を盗め」(祥伝社NON NOVEL'88)

副題は「長編超冒険小説」とある山田正紀氏のノンシリーズ作品。気のせいかあまり話題に上ることのない気がするし、文庫化もされていない。『小説NON』誌に'88年に連載された同題の作品がノベルスにて刊行されたもの。

榊周助は、パソコンショップ経営の表の顔の裏側で、コンピュータハッカーとして一流の腕を持ち銀行のネットワークに侵入して利子の差額を操作したり、最新式の金庫を破ったりと、相棒の情報収集の専門家、原田と共に泥棒稼業を慎重かつ大胆に営んでいた。そんな榊に対し、東京でも名の知られた悪人、諸岡兄弟が超ハイテク警備ビルのなかに納まった一千億円の企業秘密の奪取を依頼してくる。榊は彼らからの依頼は断り、秘密裏に自分たちの手でその企業秘密を盗み出すことを計画する。そのビルには通常の警備員や最新式の金庫の他、網膜による個別管理システムが装備されていた。原田は、自らのアリバイを特に諸岡兄弟から守るために、わざと傷害事件を起こして小菅の拘置所に入所、そこから脱走したうえで24時間後に再び拘置所に舞い戻るという奇想天外な行動をとった。途中まで順調に進んだプランも、原田が不慮の交通事故に遭い、重要なハイテクビルの警備情報と道具が榊の手に渡らない事態が発生。更に榊は盗難車に乗り込もうとしたかどで警察に連行されそうになる。行きずりの謎の美少女、れい子の助けを得て脱出した榊は、彼女を相棒に改めてビルに忍び込むことを決意する。

山田正紀流ルパン三世! これまた埋もれさせるのは勿体ない。誰か盗み出せ!
既にこの世には百冊以上の山田正紀氏の著作が存在する。現在も旺盛な執筆活動を続けている山田正紀の著作として初期のSF作品や伝奇作品、それと現在のワークフィールドであるミステリ作品に光が当てられることが多い。しかし、既に百冊以上が世に出ている氏の作品群は更に多彩であり、本書のような犯罪冒険小説もいくつか存在している。そして個人的に読んだ範囲では山田冒険小説全てが実に面白い。その物語の波瀾万丈な部分は当然として、そもそもの着想や登場人物の配置、クライマックスの作り方など常に絶妙。そしてもちろん、本書も「超冒険小説」。その例外であるはずがない。
難攻不落の防護システムに守られた一千億円の宝物を盗み出す……。筋書きだけでわくわくするものがある。怪盗もの、と呼ぶようなレトロな雰囲気や高尚な泥棒哲学こそないが、さまざまなハイテク機器が登場し、悪人が獲物を狙って跳梁跋扈する「泥棒小説」というべき内容。またこれに加えて当初の目論見が事故によって外れてしまった挙げ句、主人公の機知と代用品で次々と障害を乗り越えていく様子は「手に汗握る」という形容詞がまことに相応しい。
発表から十年以上経過してから手に取った私にとって驚きなのは、描かれている警備システムに時代の古さを感じさせないこと。すなわち、1980年代後半に山田氏が想像した(多少の開発方向は既にあったとはいえ)防護システムが二十一世紀の現在の科学的水準からみても、全く妥当で違和感がないのだ。これはつまり「時代がようやく山田正紀に追いついた」ということなのか。

ラストの皮肉が効きつつも、どこか爽やかささえ漂うオチもいい感じ。どうして本書がノベルスで刊行されたまま、文庫にもされないで放っておかれているのだろう? 世の中にはまだまだ不思議なことがいくつもあるものだ。


02/04/09
戸板康二「浪子のハンカチ」(河出文庫'88)

もとは角川書店の『野性時代』誌に'76年から'78年の間に掲載された短編が、'79年に単行本として刊行されたもの。明治大正の文学作品八編を選び、そのパロディを試みたもの、ということなのだが同時に立派なミステリになっているあたりの凄さがひしひしと感じられる。

女子大生武田久子の祖母は「不如帰」のモデルとなった女性と友人関係にあったという。久子はそのモデルを卒論テーマにしようと考えた。 『浪子のハンカチ』(徳富蘆花『不如帰』)
日本通の外国人によるイベントで演じられた「婦系図」。彼らの食事会でその女優を招いて「婦系図」における疑問について推理が凝らされる。 『酒井妙子のリボン』(泉鏡花『婦系図』)
人間心理と容貌との関係性を研究した教え子が、松山で教鞭を取ることになる。そこには「坊ちゃん」さながらの特徴ある教師たちがいた。 『「坊ちゃん」の教訓』(夏目漱石『坊ちゃん』)
「雁」の演出に悩む劇作家が「雁」に登場する女中のモデルと知り合いだったという女性のところに話を聞きに行く。 『お玉の家にいた女』(森鴎外『雁』)
熱海の名所「お宮の松」。かつて熱海で旅館を営んでいた祖父が自殺した原因を調べていた青年は、観光地での広告競争が根底にあったのでは、と疑った。 『お宮の松』(尾崎紅葉『金色夜叉』)
「父帰る」を演ずることになった劇団。あまり目立つことのない母親役の心理状態について、演ずることになった女性が深く考える。 『テーブル稽古』(菊池寛『父帰る』)
大学で文学を教える教授に目に留まった女子学生が一人。彼女は大学祭で「たけくらべ」に登場する美登利に扮することになった。 『大学祭の美登利』(樋口一葉『たけくらべ』)
出版社の編集部長に憧れる吉江とも子。しかしその部長、「痴人の愛」のナオミのモデルだと自称するバーのマダムといい仲らしい。 『モデル考』(谷崎潤一郎『痴人の愛』)以上八編。

「近世文学」の「文芸ミステリ」と聞いてビビっていた人、読み逃すのはもったいない
「中世文学」の名作のパスティーシュ、ないし物語の下敷きに利用したミステリ、というのが恐らく本書の正しい表現であり、本作解説等にて使用されているパロディという用語はあまりしっくりと来ない。ただいずれにせよ、現代のミステリしか知らないミステリ読者(自分基準で申し訳ないが、過去に日本の名作を網羅的にこなしてきた方で、現在ミステリ読みという方は相当に少数派であろう)にとっては、文学の名作のパスティシュという響きはかなりハードルの高いものとして受け取るケースが多いのではないか。
ハッキリいって、本書に関してはそれは杞憂です。

さすがは戸板康二、物語ひとつひとつが大人のエンターテインメントとしてまずきっちり立っている。そこに小道具や背景や、劇中劇などの形式でそれらの「中世文学」の名作を絡める形にしてあるのだ。つまり、普通に読むだけでも、小粋なミステリとして十二分に楽しめるということ。扱われているテーマはミステリらしく、自殺した祖父の死因を後世の孫が辿るものから、いわゆる男女関係の微妙な機微を鮮やかに反転させてみたり。殺人事件−トリックという括りでしかミステリを眺められない方にはつまらないかもしれないながら、キレのあるサプライズや物語の反転は随所に仕込まれており飽きさせない。また、中村雅楽シリーズのワトソン役の竹野記者が登場したりと楽屋落ち的な興味も存在する。単純に表現すれば「バリエーションが豊富」ということながら、作品ごとの持つ色の濃淡の付け方が巧く、それでいて一つの短編集としての色相に統一感が存在する。 いや、とにかく、巧いのだ。

今となっては、上記の物語のほとんどが読まれていないというのが実状だろう。そんなことまで見通したのか、原典の重要な部分の粗筋は物語中で説明される。なので若い頃に文学にかぶれていなくとも全く大丈夫。ミステリとして、単純に楽しめば良いのではないかと思う。ただ、もちろん原典を知っている方にはそれなりの別の興趣もありそうだし、それは本読みのまた特権だろう。そんな特権がなくとも面白い。これだけは何度も言っておきたい。


02/04/08
山田風太郎「太陽黒点」(廣済堂文庫'98)

廣済堂文庫より刊行された「山田風太郎傑作大全」24。本シリーズが刊行されたなかで最も登場の望まれていたミステリ作品であり、その登場時に悲鳴と怒号が飛び交ったこともまた有名。なぜなら、解説は勿論、帯、カバー、新刊時の栞にいたるまでネタバレが掲載されていたというとんでもないシロモノだったから。

死刑執行一年前。学資をアルバイトで稼ぎながら大学に通う鏑木明と、似た境遇にある土岐容子とは清潔な恋人同士であった。明は小さな建設会社で運転手のアルバイトをしていた。鉄棒の設置のために他二人の作業員と共に仁科教授の邸宅を訪れたところ、仁科夫人の妹、杉麻子の誕生日を祝うバベキュウパーティの真っ最中。そこに偶然いた容子に紹介してもらい仲間に入れて貰った明は、そこで驕慢な女性、多賀恵美子と知り合う。恵美子の気まぐれから彼女と交際を開始した明は、最初はブルジョワを打倒することを目標としていたが、いつの間にかずるずると彼女の魅力の虜となる。容子や作業員の山瀬から借金を繰り返し、遊び惚ける明に容子は気が気でならない。そして山瀬の誘いでコールガールと関係しそうになった明は、そこを飛び出した勢いで強引に容子と関係を結ぶ。しかし、一向に明の態度は改められず、居心地の悪くなった容子は明に知られないよう引っ越すことを決意する。山瀬の紹介で入ったアパートには、建設会社で働く小田切少年がいたが、その他の住人は水商売が多く、なかでも関光代は夜な夜な男を引っ張り込み、隣室に住む容子と小田切少年を悩ませていた。

ああ、本当に良かった。ネタバレを知らずに本書が手に取れて……。
この廣済堂文庫で『太陽黒点』を読んだ方の多くが「本書はネタバレを知らないまま読みたかった……」と呟いているのをよく耳にした。そして読了した後、その気持ちは非常によく理解できた。MYSCON3の深夜企画において「山田風太郎追悼」を日下三蔵氏とストラングル成田氏によるレビューを聞き「ネタバレを知らない今のうちに早く読まねば」と焦って読んで大正解。 ありがとうございました。

私もそのネタバレの片棒を担ぐ愚を犯すことだけはいやなので、以下ネタバレ(の可能性があるので)反転。読了した方のみ見るようにしてて下さい。
本書は終盤ぎりぎりまで青春小説の形式をとりながら、その実は若者たちが自ら選んだ行動のはずが、ある意志によって操られていたという、本書におけるネタバレ単語としては「遠隔操作」、現代ミステリ的には「操り」と呼ばれるテクニックがそのメインテーマとなっている。他の類似作品の成立年代の検証は私の浅薄な知識では出来ないのだが、少なくとも風太郎が本書を刊行した段階できちんとその意図をもって成立させた長編はほとんどなかったであろうことは想像に難くない。
ただ、確実に本書の前に刊行された作品として江戸川乱歩による「赤い部屋」という短編がある。これはいわゆる「プロパビリティの犯罪」を描いた作品で、悪意をもった仕掛けを第三者に対して行うが、確実なものは何一つなく、あくまで事件が起きるよう仕向けるに留めた犯罪がテーマである。これは一つの結果のみを求めるものであるが、いわゆる「操り」の原点だと考える。
本書は最後に犯罪者の告白の形にてその仕掛けが明かされるのだが、結局のところ「プロパビリティの犯罪」を芸術作品のように積み重ねることによって齎されたもの。単なる思いつきでなく、犯罪者が空想するある結末に向かってシナリオを描く壮大な構想力に至っては風太郎のオリジナルであることはもちろんなのだが。
更に、その「方法」だけが本作品を傑作たらしてめている訳ではない。その作為を行った人物そのものの意外性、更にその人物が持っていた、この時代ならではの動機の凄まじさもまた素晴らしい。この作品の成立年代を思う時、それらが不気味なまでの説得性をもって読者に迫る。更に青春小説部分で伏線を伏線ともちらりとも思わせないテクニックもまた注目すべき。そういった全ての点が満たされて、この傑作ミステリが存在する。やはり最初は知らずに読みたいですよね、やっぱり。
(以上ネタバレ終わり) ああ、風太郎恐るべし。

さてさてさて。
 本書のネタを未だ知らないアナタ、誰かに知らされて悔しい思いをする前に急いで読みましょう。明日読む本を変更する価値が本書には間違いなく存在します。 (上記を反転するのはあくまで読み終わってから)


02/04/07
稲見一良「帖の紐 稲見一良エッセイ集」(中央公論社'96)

癌との闘病生活のなかで執筆した『ダック・コール』が'91年山本周五郎賞を受賞。その渋い大人の魅力溢れる稲見氏の冒険小説は未だファンの心を掴んで離さない。'94年に惜しまれつつも他界された氏がかつて産経新聞に連載していたエッセイをまとめた随筆集。本書が氏の最後の単行本となった。

「焚火」「春場所に思う」「ジャズと大根」「ほたるぶくろ」「ぴしとしていたい」「軽いオスカー」「鷲の翼に乗って」「痩せ我慢の美学」「足もとの花」「遊ぶ子供の声聞けば」「土を知らないペット」「色の名前」「くたばれペットブーム」「新しい万年筆」「恐怖劇レンタル家族」「母は強し」「片仮名表記」「男を張る」「氷の旗、馬の水」「夏行く」「ボガートのコート」「小説を聴く」「血を吐く」「二つのイシ」「暴発」「娘と自転車」「夕焼けを眺める」「アテネの焼き栗」「群れる」「音とにおいの暴力」「男の帽子」「アオタをきる」「世の中甘くなった」「盲導犬を思う」「洋服を新誂する」「聖夜の贈りもの」「憎まれ口世に憚る」「CM嫌い」「嫌いな顔」「わが愛読書」「リーダーシップ」「男を下げる」「ハードボイルド」「注文の多い店」「予知能力」「がんの告知」「12連発の散弾銃」「耳ざわりな声」「会社の悪口を言う」「シンミナトンコール!」「『ひらり』賛」「走る人」「丈夫がいい」「恥を知れ」「狩って食う」「ナイフの話」「石の鳥」「赤帽の話」「オン・エニー・サンデー」「再びオン・エニー・サンデー」「ダック・デコイ」「盗みの愉悦」「毎日が祭りだった」「ある小説家の日々」 以上64編。

「人生」を人よりじっくり見詰める大人だけが持ちうる、鋭く優しいこだわりの視点
一編一編はごくごく短いエッセイ。隙間の多い段組に小さくはない活字で書かれたせいぜい3ページほどの文章。しかし、これが泣けるのだ。稲見氏が感動していようが、怒っていようが、喜んでいようが、それがどんな情動であるに関わらず、泣けてくるのだ。
それは読者に分かっているから。稲見氏がもうこの世に居らず、このエッセイが真の遺稿であることを知っているから。

周知の通り、稲見氏はガンを患いながらの執筆活動を行い十数度の入退院を繰り返し、病床で万年筆を握りながらいくつかの「不朽の名作」を著した。そんな状況で一年半にわたって執筆されたエッセイで、この連載が終了してから一年ほど後に、稲見氏は天に還られることとなる……。

稲見氏の残した決して多いとはいえない物語が、「氏の生命の証」、つまり氏が力一杯生きてきた人生を誰かの心に刻みつけるための作業とするならば、このエッセイは「氏の信念の証」、そう、稲見氏の晩年の人生観、様々な事柄についての良心を誰ともなしに語って聞かせるための作業、といった趣きを感じる。氏にはそんな気などさらさらなかったと思うのだけれど、父親が息子に語り聞かせているようなイメージがどうしてもつきまとうのだ。
繰り返しになるが、この一年半の連載の最中にも氏は何度も入退院を繰り返し、その死にかけた経験でさえも大袈裟でなく、むしろ淡々と語られる。そのような状態ゆえに、実際にフィールドで経験した話よりも、どうしても思い出話や、自らの近況、そしてテレビなどを観て感動した話などについて話題が偏っていることは仕方ない。しかし人は年を重ねるにつれ、行動力は衰え、日々の繰り返しの毎日になることは稲見氏でなくても同じ。それでいて自分の余命が長くないことを知りつつ、どうしてここまで泰然と出来るのだろう。実際には煩悶も苦しみもあったのだと推測する。しかし、それを少なくとも紙の上では一切と見せない。これが真の男のダンディズムというものなのか。

格好いいオヤジに、爺にいつか自分もなりたいと思う。もしかしたらそのヒントは本書の中にあるかもしれない。不良熟年よ、永遠なれ。


02/04/06
歌野晶午「世界の終わり、あるいは始まり」(角川書店'02)

十数年前、'88年に島田荘司氏の推挽を受けてデビューした歌野氏は「館ミステリ」を得意とする「新本格」の代表作家の一人であった。それがここ数年、シリーズ探偵を用いない意欲作を打ち出して作品の幅が大いに拡がり、その独特の趣向に目の離せない作家となりつつある。本書は書き下ろし。

埼玉県を中心に小学校低学年の子供を狙った連続誘拐殺人事件が三件発生していた。子供が攫われ、その親の元に電子メールにて脅迫状が届く。発信元は子供が所持する携帯電話。身代金は百万円単位と低額ながら、その受け渡し前に子供は短銃にて射殺されている……といった共通点があった。
食品会社に勤務する富樫修は妻の秀美、小学校六年生の息子、雄介と小学校一年生の娘、菜穂の四人家族。その誘拐事件の最初の被害者は、雄介や秀美と仲良くしていた少年だった。人ごととしてテレビインタビューに応えた秀美を雄介は非難する。そんな折り、たまたま息子の部屋に入った修は、部屋の中で名刺を見つける。息子と名刺との組み合わせを疑問に思う雄介。そしてその名前は、それから発生した四件目の誘拐殺人事件の被害者の父親の名前と一致していた。さりげなく雄介に問いかける修だったが、雄介は被害者との接点などないという。息子への疑いを捨てきれない修は、息子の不在時に部屋を捜索、メールアドレス入りの他の被害者の親の名刺や、事件にて使用されたものと同じ塗料、そしてあろうことか短銃を発見してしまう。息子が連続誘拐殺人事件の犯人? 家族のこと、自分のことを考え、修は深い悩みにとらわれる……。

後味の悪い話にも逃げ出さない作家、歌野晶午。彼にしか創れない「絶望」がここに
本書、ミステリエンターテインメントに属することは間違いないのだが、戸惑いが先に立つ。まだまだあどけない子供だと思っていた小学生の息子が残虐な連続誘拐殺人犯人ではないか、と疑う父親を主人公とするサスペンス、あるいはパニック小説ともいえるような。ある方法論を応用することで作品内に少なくないサプライズがあり、個別のエピソードでは本格ミステリさながらの論理が飛び交う場面もある。ただ優れた本格ミステリの書き手という表の歌野晶午とは別に、『正月十一日、鏡殺し』という後味の悪い、しかし傑作の短編集を著した、「裏の」歌野晶午の持ち味が発揮されたという感が強い。
本書における本格ミステリのテクニックも、この場合は現代の犯罪が引き起こす「痛み」を抉りだすための手段に過ぎないように思われる。トリックのための設定ではなく、設定のためのトリック。通常のフィクショナルなミステリとは、手段と結果が逆になっている。犯罪実行者でなく、犯罪被害者でもない人間にこそ実は強烈な「痛み」が存在するということが、本書の主眼。そしてこのような視点で「事件」をフィクションのミステリとする作品はそう見あたらない。どう書いても本書の内容に触れそうなので深くは書かないが、主人公の立場と視点を設定した段階で本書が少なくともあるレベルの話題作となることは間違いなかったのではないか。他に類する作品を思い浮かべることが出来ない独自の世界がここにある。
本書のラスト? これは「世界の始まり」なんかではない。やっぱり「世界は終わり」その「終わりの始まり」なのである。希望というものが「救い」に繋がるなどとは決まっていることではないのだから。しかし、本書に限らず少年犯罪をテーマにした作品の後味にはどうしても苦いものが多くなる。恐らく犯罪に対する「覚悟」が中途半端だったり、現行の法律のなかでの逃げ道を考えていたりする部分がどうしてもクローズアップされるからだろう。

本書を読み終えても本格ミステリを読み通した時に得られる充足感を覚えるのは正直難しいと言わざるを得ない。しかしこの独特の世界観は、底なし沼の深さを調べたくなるような人間の好奇心をいたく刺激する。 読んでみてどう感じるのかは貴方次第。


02/04/05
氷川 透「人魚とミノタウロス」(講談社ノベルス'02)

真っ暗な夜明け』にて第15回メフィスト賞を受賞後、講談社ノベルスを中心に活躍する氷川氏。シリーズ探偵ともいえる、作家志望の名探偵「氷川透」を探偵役とする四作目。

小説家であり、名探偵である自分の実存に悩む氷川透は、新宿で偶然高校時代に多大なる思想的影響を受けた友人、生田瞬と再会する。現在は精神科医だという生田は、氷川を自分の勤務する調布厚生病院へ招待してくれるという。当日、病院に向かった氷川だったが、病院にて火事が発生、面談室の中で黒こげになった死体が発見されるという事件に出くわす。そしてその判別不明の死体はどうやら、その部屋にいた生田その人らしい。氷川は前の事件にて知り合った刑事らと再会、事件の真相を探ろうとするが、親友の死を前にしてなかなかキレが戻らない。放火があった時のアリバイを確認してみるも、現場に出入り出来たであろう人物は存在しなかった。性同一性障害をもった女子高生と知り合ったことで氷川は自分を取り戻し、推理を開始する。しかし警察が監視するなか、更に看護婦が焼殺される事件が発生してしまう。

物語の論理、本格ミステリとしての論理。身近に事件に直面すれば名探偵こそ大いに悩む。
氷川作品は、探偵が探偵であることに悩みを持つ点において、法月綸太郎の中期作品とコンセプトを同じくしている。思うにこの設定はたまたまそうなった、というものではなく探偵小説的諸問題について作品上で語るうえでの技巧として、わざと似た設定を作りつつあるようにみえる。 また比較的、これまでの作品、つまり氷川透が経験してきた事件への言及や、登場人物の重なりも特徴。これは探偵役が長編一作品ごとに精神的肉体的にリセットされず、前作の疲れや考え方を次作へ引き取っていくことに繋がっている。全体を通して俯瞰すれば、「氷川透」という人物の経験を通じて、作者である氷川透氏の探偵小説論になっていく……のかもしれない。(人間的成長を描いた青春小説の可能性もあるが)いずれにせよ、この段階で決めつけられるものではないだろうが予感はある。

前振りが思わず長くなったが、本作もこれまでの作品同様、純粋な論理による事件解決を主眼においた本格パズラー。 これまでの氷川氏の作品におけるパズラー部分は「誰がそれを行うことが可能だったか」の検討が中心となっているように感じられていたが、本作もその作風を踏襲している。解決に繋がるヒントや手掛かりも事前に十二分に各所に鏤められており、真っ正面から作者対読者の対決が出来る作品である。解決部分にて二重三重の丁寧な論証にて築き上げられたパズルの城の美しさに目を見張るはず。大黒柱ではないが、外壁に張られた「意外な動機」の装飾がまた上手い。
ただ前述の通り、「名探偵にとって身近な人物の死があった時にそう都合良く推理する気になれるか」(ニュアンスはちょっと異なるかもしれない)という問題について向かい合った部分に、より作品としての新しさがあるように思えた。(このあたりには「主張」と「伏線」が不可分になっている巧さもある)

だんだん肩の力が抜けてきて物語と主張、更にミステリとしてのエンタテインメント性とのバランスが取れてきている感。 デビューより都合四作品を追いかけているが、今後も持ち味であるシャープな論理の切れ味を磨いていって欲しい作家である。


02/04/04
芦辺 拓「赤死病の館の殺人」(カッパノベルス'01)

芦辺作品にてメインとなるシリーズ探偵、森江春策もの。しかし彼が活躍する作品は圧倒的に長編が多く、短編集はこれまで『探偵宣言 森江春策の事件簿』しか出ていない。本書は氏が「もっとも探偵小説の醍醐味を満喫出来る」という中編四作にて編まれている。表題作は書き下ろし、他は雑誌やアンソロジーに発表されたことのある作品。

森江の助手である新島ともかが道に迷ってたどり着いたのは奇妙な構造の館。一夜の宿を求めた彼女はいきなり「お待ちしておりました」と”お嬢さま”なる人物と間違えられて歓待される。そこに本物のお嬢さまが登場する。彼女は病気療養中の祖父を見舞いに来たのだという。七色に塗られた特殊な構造の部屋に案内されるともかは、夜中に不気味な人影が自分の側を通り抜けて行くのを目撃する。 『赤死病の館の殺人』
その別荘には殺人事件犯人の少年と両親、彼の冤罪を主張する弁護士とそのキャンペーンを張った女性キャスターが宿泊していた。マスコミ対策もあってアルバイトの学生が建物の共通部分で頑張っていたのだが、ジョーカーの仮面を被った人物が現れ、不可解な動きをした後に弁護士を殺害する。 『疾駆するジョーカー』
田舎の警察署にやってくるキャリア警部。出迎えでてんやわんやのその警察署の所管で殺人事件が発生した。現場はハイキングコースの崖の上。知り合った新聞記者と共に森江春策も現場に赴く。 『深津警部の不吉な赴任』
狷介な性格から嫌われている大学教授。彼のもとに謎の脅迫状が届けられるが、博士は意に介さず警察の介入を拒否する。ところが離れにある別室で、数人の刑事が監視するなか博士は殺されてしまう。 『密室の鬼』以上四編の中編集。

御存知、「本格ミステリ」と「探偵小説」のエッセンスのミクスチュア
現代に刊行されるミステリ作品として、読者の好き嫌いが分かれそうなポイントになるが、導入から展開にかけてに古い時代の「探偵小説のエッセンス」が、多かれ少なかれ意識的に取り入れられているように感じられる。奇妙な館に謎の執事、仮面の男、一人二役、怪しげなロボット……。それは物語の構造にある場合もあるし、一定の役割を果たす小道具の場合もある。いずれにせよ、ミステリが「わくわくするフィクション」であることを毎度のことながらきっちり認識させてくれる。ただトリックもまた探偵小説がかりなので、広く読み込んでいる読者にとってはどこかで見た……という印象があるものであることは否めない。ただ、それを含めて「現代に蘇る探偵小説」として楽しむのが芦辺作品の(特に森江春策ものの)読み方ではないだろうか。
本書においては特に動機については厳しく現代社会を見据える氏ならではの特長が現れている感。例えば『疾駆するジョーカー』に関しては、不可能犯罪そのものは注意深い読者ならばある部分から答えが類推できるトリックではあるのだが、従来の芦辺作品の流れを知る読者にとってはこの動機は「お、意外!」と受け取るに違いない。また『赤死病の館の殺人』は題名も含めたミスリーディングと館の構造が、意外な動機とマッチングしているところにプロの手際を感じる。ただ、この作品に関しては一つ気になるところがある。(ネタバレ反転)コンタクトレンズを嵌めたことのない人物が、知らない間とはいえコンタクトを嵌めさせられたら、目茶苦茶ひどいゴロゴロ感に襲われるので気付かないはずがない、と思うのだ。

いずれにせよ芦辺作品らしく、また森江春策ものらしい展開を堪能出来た。探偵小説をこよなく愛するプロの手腕を心ゆくまで堪能されてはいかが?  (最後に。本書巻末にあるイラストはかえって読者のイメージ喚起のためには妨げになる気がするのだが……)


02/04/03
高里椎奈「銀の檻を溶かして 薬屋探偵妖綺談」(講談社ノベルス'99)

'99年、第11回メフィスト賞を受賞した作品。この後、高里さんはこの薬屋探偵シリーズをコンスタントに発表、『黄色い目をした猫の幸せ』『悪魔と詐欺師』『金糸雀が啼く夜』『緑陰の雨 灼けた月』『白兎が歌った蜃気楼』……と作品を重ねている。最近では講談社ノベルスの企画での密室本も発表した。

街の一角に建つ「深山木薬店」。この店には三人の少年(美貌と抜群の頭脳を誇る家主、深山木秋、長身痩躯、穏やかな性格の座木、小さくて元気で彼らの弟分であるリベザル)が住んでいるが、彼らは実は数百年の時を生きる妖怪だった。店では薬も販売しているものの、彼らの副業(事実上の本業)は、この世の中におきる妖怪絡みの事件を探偵すること。ある日、焦燥した面もちで彼らを訪ねてきた男は、不動産屋の社員で、うっかりと悪魔と契約してしまったのだという。また続いて別の依頼人も訪ねてくる。雪の下で暴行死体となって発見された息子の幽霊を慰めて欲しいという女性。三人は早速彼らのために動き始めるが、どうやらその二つの事件は非常に近いものであるらしい。

女性が描いた女性のための美少年ズが活躍。いわゆるキャラ萌え、一応ミステリー
偏見で言っていることなので、本気で受け取らないで欲しいのだが、いわゆるヤングアダルト系の小説の方が、現実に即したミステリを創作するより容易である。なぜなら、現実の事象に縛られる必要が薄く、作者の頭のなかの世界だけで物語を構成することができるから。歴史や科学、現実の警察制度や捜査方法などについて、いわゆる厳密な考証は不要なケースが多い。 また物語の現実と重なる部分もファンタジーとして逃げることがいつでも可能……。何がいいたかったかというと、なんとなく本書はそのヤングアダルトの利点を喰って作られたミステリ、という風に感じられた、ということ。いわゆる美味しいトコどり。ミステリとしてはそこそこのネタを内包しているに関わらず、世界観のせいか伏線の入れ方が今一つ上手でなく、かえってその気軽に制作できるヤングアダルトの「軽さ」が、より強調されてしまっているかも。
だが、本書を受賞作としたメフィスト賞の選考者は(あくまである意味での)慧眼の持ち主。受賞時より時が経過してこその話になるが、あるファン層(キャラ萌え系?)に対しては思い切りツボを突いている模様で、出版するたびに一定数の販売を確保し、次々と続編が刊行されている。商売的にはアリなのだろう。 逆に幅広いミステリファンがついているとは言い難く、入り口が狭いが奥行きが広いというタイプのシリーズとなっているように感じられる。

繰り返すが、ミステリの部分はかなり強引さはあるものの相応の努力は感じられる。 ただ解決編にいきなり事件をアクロバットさせるのではなく、きちんと伏線を張っておいてもらえれば、もっときちんと本格ミステリとして認められたのに。その点、残念。作品の構造の作り方がミステリではない故だろう。
きちんと評価するためには、ミステリとしてだけでなく、そのヤングアダルト作品として見た場合の作品レベルをもまたチェックする必要があるのだろうが、この点は経験不足なのでどうとも言いづらい。結局のところ、シリーズのなかの一つを取り出して読んだ時に嵌る読者向け、ということか。

個人的メフィスト賞クエストは、一冊積み上げる間に三人くらいがデビューを果たしてしまうので、なんか永遠に追いつかないのではないか、という危惧が湧く。新しい血が流れ込むのもいいことなのだが、初期の受賞者にも続きの作品が読みたい方がごろごろいるので、この状況は歓迎すべきなのか否なのか……。


02/04/02
戸梶圭太「湾岸リベンジャー」(祥伝社'01)

『闇の楽園』にて第3回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞後、その漫画的とも現代的ともいえる感覚と、コンスタントな執筆ペースにより着実にファンを増やしつつある戸梶圭太氏。本書は氏の八作目にあたる書き下ろし作品。(しかしこの間デビューからたったの二年半。どういう執筆ペースなのだ一体)

シナリオライターの繁美と二人きりの結婚生活を送っていた元ラリー・ドライバーで、現在は乳業会社の営業マンである野島。土曜日の湾岸高速にて発生した大規模な交通事故に妻が巻き込まれたという、突然の知らせに病院に駆け込んだ野島は、被害者の惨状に呆然とする。そして妻も死亡。失意の日々を送る野島に対し、同じ事故で孫を亡くした美濃部と名乗る宝石会社社長がコンタクトを取ってくる。謎の女性、高梨の案内で美濃部の豪邸を訪れた野島は、事故の影には湾岸高速を根城にする”走り屋”の存在があることを知らされ、彼らへの復讐を決意した。野島は美濃部の財力を背景に、事件を起こした”走り屋”を捜索すべく、自ら”走り屋”となる。ただ、妻を亡くしたばかりのはずの野島の周囲には妻の妹の頼子が野島にまといつき、高梨に対してのぼせ上がる自分に気付いてしまう。一方の冷酷非情、気分屋ながら腕は抜群の走り屋、灰原。そしてバトルは開始された!

目には目を! の復讐譚だと思うでしょ? だけどね、戸梶圭太は登場人物全員に公平に意地悪なのだった
戸梶圭太といえば、現代的なドライさとノリのいい軽快な物語運びと破壊的なキャラクタとスピーディな物語展開が特徴だといえるだろう。(たぶんね) そういう戸梶作品群のなかにあって、本書の導入部分はちょっと毛色た異なってみえるかもしれない。 「妻を理不尽で殺人に近い交通事故で亡くした夫が、同じく孫を殺された大富豪と手を組み、その事故を起こした走り屋をを探し出して復讐を遂げようと目論む……」という、ある意味ではウェット、そしてクライムストーリーやハードボイルドとしては正統派ともいえる導入なのだ。
妻を失い気も狂わんばかりに悲嘆にくれ、失意のどん底にある主人公。このようなシチュエーションであればそのウェットも当然……と納得して読み出す。しかし、やっぱり本書は戸梶圭太、そんな一筋縄ではいくはずはなかった。……おいおい、そんなことしていいんか??
敵のことを知るために自らも”走り屋”となる主人公。しかーし、彼の血も偽装だけでは済まない真実の車オタク。改造した車に魅せられ、愛する妻の裏切りを知り、美女とラブシーンを繰り広げるにあたって、脳味噌から復讐はどこかへ行ってしまう。愛車にこだわり、新しい女を捜すことに血道をあげる。パトロンに復讐はやめたと切り出したくて仕方ない。 そんなハードボイルド、ねーよ。
車は疾走、美女は脱ぎ、狂気が渦巻き、ヤクザは暴れて、音楽が響く。正直者はバカをみて、人は明るく死んでいく。……もしかしてこれってノワール? 少なくとも戸梶節が炸裂していることは間違いないんだが。しかし、おもしれー。

ホントかウソかは分からないが、戸梶圭太ファンの女性、しかも若い女性が増えてきているという。通常のミステリの流れのなかからは分岐して産まれたとは思えないその個性が、どうも一種のフェロモンを発しているらしい。しかし、戸梶氏は「ぶち切れて怒りまくり」の人物を描かせると天下一品だなぁ。結論。めちゃくちゃを許容できる人にとっては果てしなくオモシロイ作品。


02/04/01
筒井康隆「日本列島七曲り」(徳間書店'71)

今や大御所である筒井康隆氏であるが、デビューは主宰したSF同人誌「NULL」に掲載された作品が江戸川乱歩に認められたというのがきっかけだという。その後の活躍は周知の通り。本書は'70年から'71年にかけて氏が『問題小説』誌等に発表した短編が集められた作品集。後に『社長秘書忍法帖』が割愛された新装版も刊行されている模様。

近所に遊びに行った息子が、その家のオヤジに誘拐された。弱みのあるおれは要求の十八万円を用意すべく、近所の医者の娘を誘拐することにする。 『誘拐横丁』
同じ土地を巡る争いから、同じ敷地に二軒の家が重なって立てられた。双方の家族は互いのことを無視しあいながら生活をしているが……。 『融合家族』
お風呂で気持ちイイことをするぼく。それはお湯を張ったお風呂の栓を抜いて、そこに微妙な距離でお尻の穴を近づけること。しかし、あるものが挟まった。 『陰悩録』
真面目で通してきた新郎新婦。結婚後、鬱積した性的欲望を互いにぶつけ合った翌日、遠浅の海から何本もの潜望鏡が覗いていることに気付く。幻覚? 『奇ッ怪陋劣潜望鏡』
高校生の益夫はガールフレンドのしのぶを思い浮かべてマスターベーション。しかしその恍惚の瞬間、彼の身体は一家団欒中のしのぶ宅へとテレポートしてしまう。 『郵性省』
大阪に戻る新幹線に間に合わないと判断したおれは、飛行機で帰阪することにする。その飛行機が日本赤軍にハイジャックされたが、乗客はなぜか大喜び。 『日本列島七曲り』
お婆さんが川で洗濯をしていると川の上流から巨きな尻がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。その尻は妊娠していました。 『桃太郎輪廻』
甲府城を救うために進軍する近藤勇と土方歳三。近藤は土方の恋人で、宴会が大好き。いつの間にか軍資金は遊興費に使われて。 『わが名はイサミ』
最新家電の設計図を巡って同じ会社に所属する社員、秘書、労組の三人の産業スパイ養成学校の同窓が忍法を駆使した争いを開始する。 『社長秘書忍法帖』
ホテルの従業員が発見した建物構造の不審部分。VIPルームの覗き穴に通じていたそこから眺めた部屋は時の流れが歪んでいた。 『公害浦島覗機関(たいむすりっぷのぞきからくり)』
金融会社を運営する若い社長と二人の秘書。彼女らは女性二人で働くことによるストレスを社長にぶつけてくる為、彼は困惑する。 『ふたりの秘書』
テレビ評論家はテレビを見続けることから下半身が麻痺。治療中に更に悪化して生活全てがテレビを通じての出来事のように考え始める。 『テレビ譫妄症』以上、十編。

このナンセンス、開き直った馬鹿さ加減も全て才能のうちか。すげーわ、これ。
'95年に筒井氏が教科書に掲載された作品の差別的表現が糾弾されたことから断筆宣言をしたことは記憶に新しい。(現在は解除) 筒井氏の文学は「表現」の自主規制を突き抜けたところに存在することを、浅学な小生はようやく本書を読んで確認した次第。そりゃ、筒井作品の一つの魅力である過激表現を殺されるのなら筆を断ちたくもなりますな。強烈なナンセンス、意味のないエロ、シンボライズないし、カリカチュアライズの極致の文学。この創作姿勢は、筒井の書くものはよう訳分からん、という人と熱狂的なフォロワーと両方を創り出したことだろう。
めちゃくちゃなのである。 ――何がめちゃくちゃなのかというと難しい。日本人の常識というものの一部を壊して、そこから狂的な物語を作っている……というあたりになるのだろうか。いや、性的なあほらしい思いつきや、鼻毛を抜きながら脳裏に走ったパロディ等々をそのまま物語に昇華させているといえばいいのか。個人的には式貴士氏が好んで描いたエロという事象を突き抜けさせた作品の原点を筒井氏にみることが出来るように感じた。だって、マスターベーションでイク瞬間にテレポートなんて他に誰が思いつく? 近藤勇と土方歳三がホモ仲間で宴会マニアだったとか、お風呂の栓を抜いてそこにお尻を近づけると吸い取られるようで気持ちがいいとか。誰も活字にしようとしないような妄想を、物語にして提供してしまう「独創性」という名前の勇気。単なる思いつきを膨らませていく奇妙といっていい構想力。いやいや、ヘンな作品である。しかし、そのヘンさが筒井康隆の大きな魅力。既に取り憑かれた読者が何万人もいるのだろうが、また一人ここに増えそうな気配を自分で感じてしまう。

以前にDASACONのオークションにて「これでしか『社長秘書忍法帖』は読めません!」という煽りに惹かれてまんまと落札してしまったもの。やはり忍法帖好きとしては押さえておきたいと思ったものだが、押さえる必要があるかは疑問。だってめちゃくちゃやもん。いやしかしナンセンスという点では本家忍法帖とも精神は同じかもしれない。リアルの衣をまとうか、景気良く脱ぎ捨てるかだけで、さ。