MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/04/20
多岐川恭「みれんな刑事」(講談社'64)

多岐川氏は'58年発表の『落ちる』にて直木賞、同年の『濡れた心』で江戸川乱歩賞を受賞し、その後数年は旺盛な執筆活動に入っている。本書は、そんな乗った時期に執筆された長編。ひねくれた刑事を主人公とする風俗ハードボイルド。

都内のトルコ風呂で入浴中だった男性が首を絞められて殺された。その店にはその日、男の他に幾人かの客と謎めいた女性、更にアベックなどがいたが、店の特殊性もあり皆行方をくらませてしまう。捜査にあたる刑事、曽我が自宅に帰ってきたところ、内縁の妻である八千子の姿が見えない。どうやら家出をしてしまっているらしい。トルコ風呂にいた他の客の行方を追う曽我は、この事件そのものと八千子がどうやら関係があるらしいことに気付き、事件の捜査の傍ら彼女の行方を追う。次々と容疑者が発見されて疑いを晴らしていく。当日トルコ風呂にいた女性客というのが八千子だったと確信を持つ曽我は事件にかこつけ、相棒の原田の出し抜いて、行方不明の妻の身柄を押さえようと奮戦する。しかし調べれば調べるほど、八千子の行動に怪しい部分を発見、妻のことを何も知らなかった自分に否応なく向かい合わざるを得なくなってしまう。果たして彼女は事件と関わりがあるのか?

時代、風俗、未練たらしい、そして一応ハードボイルド
本当に多岐川恭は器用な作家だと思う。本格やユーモアミステリはもちろんだが、ハードボイルドにおいてもいくつものパターンを書きこなしている。本書、出来は良いとはちょっと言い難い気もするが、例えば『虹に消える』などのハードボイルドとしての代表作品とは、どことなく近いながらも全く異なる味わいを持つ。とても奇妙なハードボイルド。
本来腕利きであろう刑事である主人公の曽我。女房に失踪されてからの彼のめそめそだめだめぶりに決して心地よさはないながら、そこが本書の眼目となる。トルコ風呂にて殺された男の犯人探しにかこつけて、自分の女房に未練たっぷり。調べていくうちに、曽我の知らなかった女房の素顔が次々と明らかになっていくにも関わらず、未練だけはたらたらと残る。ああ、思い切りの悪い。最終的に到達する謎についても、あまり快感はなく、ひたすら未練だけが垂れ流される。 変てこな作品である。
他の登場人物にしろ、救いのあるキャラクタがほとんど登場しない。曽我に対して抜け駆けを図ろうとし、隙あらば八千子をモノにせんと張り切る同僚の原田。将来クリーニング屋を開くための資金を、恋人のオフロ勤めで捻出しようとする男。稼ぎをオフロムスメに頼り、のんべんだらりと暮らす親。ネタバレなので挙げられない人物を含めれば、大抵の人物が「人間のクズ」である。ここまで徹底しているところをみると、それもわざとなのかもしれないが、なんだかどんよりとした気分になってしまうのだ。いいのか、それで。

どうでもいいけれど注:本書からしかデータがないのだが、どうやらこの時代の「トルコ風呂」は現在の「ソー○ランド」の原型ではあるのだが、かなりシステム的に異なっているようだ。当初はそれが違和感ばりばりだったが、理解できればなんのことはない……かな? つまり、個室の風呂があって水着の女性が身体を洗ったりしてくれるのが基本サービス。通いつめてお金を余計に支払うことで、それ以上の行為も可能は可能。ただ「個室の風呂」という要素を利用する客もいるようで、例えば女性が一人で入りにきたり、カップルがホテルがわりに利用したりという使い方もあったらしい。なので、トルコ風呂にて殺人事件が発生するのだが、普通の男性客だけでなく、トルコ嬢のヒモ、支配人、女性客にカップルと容疑者の素性がさまざまなのがポイントとなる。

多岐川作品の主人公の人生を投げたようなニヒルさは、主人公の曽我よりもむしろ女房の八千子の方にみられる(ほとんど登場しないが)ようにも思える。結局、一人の女に惚れぬいた男のダメダメぶりが書きたかったのだろうか。読んでいてもあまり楽しくないので、マニア以外に読む必要のない作品ではある。


02/04/19
結城昌治「温情判事」(角川文庫'81)

後の直木賞作家、結城昌治が『ひげのある男たち』にて長編デビューを果たしたのが'59年。本書は'58年から'60年にかけての、文字通り「デビュー前後」に発表された短編を収録した初期作品集。短編デビュー作品である『寒中水泳』が掲載されているあたりも嬉しい。

才能がありながら画商を営み、金に意地汚かった美術学校の同級生ミノルが水死した。その美貌の妹、ユキを巡って会社員兼画家である「ぼく」と、美術評論家の二郎、新進画家の伍平は互いに相手がミノルを殺したのではないかと疑い、それぞれが捜査を開始した。 『寒中水泳』
見事に銀行から現金を盗み出した泥棒グループ。そのボス格の男は金庫に金をしまい込み、五年間は僅かずつしか仲間に手渡さない。事件から三年が経過し、それぞれ金が入り用になってきた頃、そのボスが何者かに殴られ昏倒する事件が発生した。共犯者が集まり相談が始まった。 『長すぎたお預け』
気が付くと自分の死体が目の前に。どうやら自分は何者かに殺され幽霊になってしまったらしい。しかし死者の掟では自分がどのような生涯を遂げたのか書類提出しなければ成仏できないという。つまり犯人を捜す必要があるということだ。 『幽霊はまだ眠れない』
精神病院に入院措置が取られていた巨体を持つ殺人犯が脱走した。特徴は坊主頭。恋人とのデートからの帰り、自宅へ向かう山道の途中でOLは何者かが背後をつけてくることを感じた。 『坊主頭』
成金社長が若く美しい後妻をパーティにて社員に披露したところ、一人の男は衝撃を受けた。かつて男がちんぴらまがいの行為をしていた頃、兄貴分が交際していた女性だったのだ。男は彼女の過去をネタに脅迫を開始する。 『危険な果実』
罪を犯した犯罪者に対してその改悛の情を大いに認め、他の裁判官に比べて遙かに甘い罰のみを与えることで「温情判事」と揶揄される男。彼の妻が突然何者かに扼殺された。男は出入りしていた書生格の若者を疑うが……。 『温情判事』

デビュー作品発表の端緒から、結城昌治は実に器用なミステリ作家であったか、という証明書
結城昌治作品はいくつか読んでいるのだが、代表作がたくさんあるうえ長編中心で来たため、デビュー作品『寒中水泳』に触れることがなぜかこれまでなかった。しかし改めて本作にあたれたことは幸いと感じる。本格ミステリ、時代物、ショートショート、スパイ小説、ハードボイルド……と、様々な世界を後に描き出す結城昌治という作家のエッセンス、ないし才能の片鱗は、この初期作品集で十二分に堪能出来たから。
『寒中水泳』は題名からは想像しづらいが、WHO DONE IT? の青春ミステリ。被害者を含めた登場人物が皆個性的であり、冒頭に描かれる鳥かごを小道具に使うあたりのセンスも憎い。新人が書いたとは思えない技巧が作品全体に散りばめられている。見事。
『長すぎたお預け』は章毎に語り手をずらしてしまう構成、『幽霊はまだ眠れない』は、まさに探偵役を幽霊にしてしまうという、当時にしては珍しい奇想が特徴。また意図的に物語を中断にて終わらせて、読者の想像力を否応なしにかき立てる『坊主頭』も上手い。『危険な果実』はサスペンスを孕んだ悪女もの、表題作の『温情判事』は、社会派風人間ドラマ。ちなみに収集されている短編の主題や目の付け所がそれぞれ「あれ?」というくらいに変化に富んでおり、異なる作家が描いたのではないか、という程のバリエーションなのだ。しかも、文章等の瑕疵があったりすることと現在では不穏当な表現が存在することを除けば、ミステリとしての平均水準を遙かに超えている。つまり、面白いということ。

調べていないので、現在、結城昌治の短編がどれくらい入手できるものなのかは分からない。ただ、現在となっては何かと長編でばかり取り上げられることの多い結城氏、短編もスゴイということを気付かせてくれたことは、個人的には貴重な収穫。見逃せない。


02/04/18
小林信彦「変人十二面相」(角川文庫'83)

一応はジュヴナイルに分類されるべき作品。当初は学習雑誌『中三時代』に第一章から第四章までが掲載され、その後は舞台を『バラエティ』誌に移して続けられたという。

小学校二年生の水沢ミキ。一見悪ガキ風の服装と性格を持ちながら、実は非常に高いIQを持っている。そんな彼女が劇画ストーリー作家の父親を冷静に観察。野球漫画を描きつつ、実は野球嫌いだった父親が編集者や作画家、出版社社長らの熱烈、そしてちょっと変てこなプロ野球ファンと交わり、ぐいぐいとプロ野球世界にのめりこんで行く姿が当時の時局と共に描かれる。
『引っ越し』『風邪の神』『野球の季節』『母の日と野球狂たち』『忌み言葉』『知的夏休み』『夏の果て』『地震の巣』『長島ショック』『暗い性格』『歳末多忙』『TOKIOグラフティ』以上、十二章。

ジュヴナイルなのに「プロ野球」に偏りすぎ。評価が難しい……
てっきり『超人探偵』等に類するミステリ系列の作品かと思いきや、題名に偽りあり(と思う)、実のところは「家庭諧謔小説」ジュヴナイル。 ずっと先の人々が読んで、「あの頃、どんな事件があったのだろうか?」と懐かしめるような作品とした、という趣旨のことがあとがきに書かれている。恐らく現在の我々はその「ずっと先の人々」にあたるはず。そして本書を読んで当時を懐かしめたのか、というと「そうでもない」という印象が強い。私自身、作中の語り手であるユミちゃん(小学校二年生)よりも、刊行当時は年齢が上であり、まさに小林氏が対象として考えていた世代であるにも関わらず、だ。
その原因というか理由の一つは本書の内容が「プロ野球」に傾き過ぎていることにあるだろう。長島、江川、王、衣笠、田淵。国民の全てがどこかの球団の”熱烈なファン”であることを義務づけられ、プロ野球をよく知らない、などと言える雰囲気のない時代。そして恐らくそんな時代が確かにあった。執筆者としてその年の勝負の行く末に盛り上がる気持ちは理解できるが、二十年以上前の一年一年のプロ野球がどうだったか、などということをいくらユーモア混じりに記録していても物語というよりは個人的な日記を見せつけられている気分にさせられる。終盤でかつての東京を懐かしむシーンや、ジョン・レノン暗殺などの野球と無縁の事柄に関する記述は時代の風を強く感じさせてくれるだけに、内容の偏りがイタイ作品集。 恐らく復刻されることはないのではないかと思われる。

プロ野球に対する国民の態度だけではないが、個人の価値観が多いに変遷している。恐らく今後も本書に描かれていた頃のような全国民がプロ野球ファンという状況には、まずならないだろう。なので過半の若い世代にとって本書が面白がられる可能性は薄いように思う。ただ、当時から現在までずっとプロ野球の熱心なファン、という方にとってはもしかすると目茶苦茶面白い可能性もある。


02/04/17
皆川博子「虹の悲劇」(徳間文庫'87)

まだ皆川博子さんがその才能の全てを開花させ、あらゆるジャンルの語り部として認識される少し前に発表された一連のミステリ作品のうちの一冊。後に出る『霧の悲劇』と対を成している。本書は'82年にトクマノベルスより刊行された作品の文庫化。

くんち祭で知られる長崎諏訪神社の祭礼の最中、事故が発生した。東栄ツーリストによって組まれたツアーにて石段で将棋倒しになった満員の群衆によって多数の怪我人が発生したのだ。ツアーコンダクターの原倫介はお詫びに駆け回るも、運悪く死亡してしまった一人の老人、斎田栄吉のことが気に掛かっていた。彼は長崎に到着した直後から、何者かに脅えてツアーの途中で東京に帰りたいと言い出していたのだ。原は彼の一人息子、玉雄に彼が殺されたのではないかという大胆な仮説を話す。
一方、佐世保にてビューティサロンを経営する古鳥利恵は人々の中傷に悩まされていた。同じ市内で同業だったビューティ・トキに悪い噂が流れ、その経営者だった太田登喜子が自殺してしまった原因が彼女に跳ね返ってきていたからだ。ノイローゼ気味の利恵は一時的に佐世保を離れるべく飛行機を手配、彼女の姪の白坂蓉子によって自家用車で空港に送ってもらう予定となっていた。利恵は登喜子の事件を仕組んだのが蓉子であり、彼女が登喜子に対して殺意を抱いていることを知らなかった。

軽めのサスペンスに見せかけつつも、主題が重い。皆川博子らしい方向性を感じさせるミステリ
冒頭が長崎のお祭りである。熱気溢れる祭礼の描写、そして東京から旅をしてきた人間が事故に遭って命を喪い、更にツアコンが遺族と共に日本中を飛び回ってその謎に迫る――どことなく旅情ミステリを思わせるものがあるではないか。
一方、ある事件から夫や親戚に深い怨みを抱くようになった平凡な主婦が実行していく殺人事件。震えながら殺したはずの人物が、発見された時には別の人物とすり替わっている不思議。殺したはずの相手が実は生きているのか、それとも別の人間の意図が背後に存在するのか、日常よりほんの少し下側で繰り広げられるサスペンス性が豊かな物語。――登場人物が家庭関係であることもあり、こちらはどこか昼過ぎのサスペンスドラマを思わせるものがある
それでいて物語が進むにつれ、二つの物語は当然、そして意外な部分から徐々に融合し、そして裏側に戦争やそれに付随する様々な場所でおきていた日本人の罪が暴かれていく構成となっていく。実はあまりにも重厚なテーマを孕みながらも、導入や展開が実にサラリ。 読み終わってみれば、心の底にいくつもの錘が沈められていることに気付く。怖いくらいの皆川さんの構成の妙、そして創造の妙。軽く読ませてしっかり味わわせる。本作品が発表当時にあまり話題に上っていないことが信じられないほどの完成度を持っている。皆川ミステリは昔からすごかったのだ。

恐らくこの感覚は『死の泉』あたりに通ずるものがあるのだろうが、まだそちらに手を出せていない以上言及出来ないのは残念。ただ逆に成立年代はこちらの方が早いわけだし、順番に読んでいると思えば別にそれはそれで構わないのかも。凄いミステリを読ませて頂きました。 はい。しかし、このあたりの作品が現在入手できないという事態はおかしいよな……。


02/04/16
五十嵐貴久「リカ」(幻冬舎'02)

昨年(募集開始は2000年)新潮社と幻冬舎による共催にて開始されたホラーサスペンス大賞。第1回の受賞作は『そして粛正の扉を』であり、本書はその第2回の大賞受賞作品にあたる。投稿時の題名は「黒髪の沼」。

印刷会社の管理職である本間は、妻と一人娘との三人暮らしでそれなりに幸福な生活を送っていた。そんな本間が後輩からの紹介で「出会い系サイト」の存在を教えてもらい、まだ見ぬ女性とのメール交換に嵌り出す。当初は失敗が続いた本間も「ウソ」のツボを押さえることで、そこそこの好成績をあげるようになっていた。いつしかその熱も冷めかかっていた本間だったが、昇進内定を期に一人だけ会って交際してみたいと選んだのは内気な看護婦、リカ。当初のメール交換は順調なものだったが、携帯電話の番号を教え、会う約束をした時から彼女が徐々に偏執的になってきた。一日に数十通のメールが届き、日がな携帯電話が鳴らされ、留守番電話は容量一杯にまで彼女のメッセージで埋まった。さすがに嫌気がさした本間は思いきって携帯を壊して彼女との縁を切った。……そのはずだったが、リカのストーキング行為はまだ端を発したばかりだったのだ。

あなたにつきまとうストーカーが、神出鬼没で不死身でしかも醜かったとしたら?
「恐るべき心の闇」「衝撃のノンストップホラー」という帯の惹句はちょっと違うように思う。(ワタクシ的にはこの単語は使用できない)。恐らく本書を「ホラー」としてしまうことには、ホラー原理主義者ならずともちょっと抵抗ある方が多いのではないだろうか。私なら「超絶ストーカーサスペンス」というあたりに落ち着けてしまうところ。超自然的な恐怖というよりも、サスペンス部分を前面に押し出しているのが特徴だと感じる。ホラーサスペンス大賞だけに、一概に否定しているわけではないのだけれど。
都市伝説である「口裂け女」と名作「13日の金曜日」を人々が恐ろしく感じる部分を抽出したのが本書のエッセンスに近い。理不尽に追いかけられること、追いつかれると身の破滅であること、そして倒しても倒しても蘇ること……。当初の出会い系サイトの導入が上手いため(個人的に経験はないのだが、なるほどと思わせられる部分多数)すんなりと進んでしまうのだが、リカが本性を剥き出してからの、理不尽な怖さが強烈。ある意味パターンに嵌っているため、先の展開が恐らく誰にでも読めるはずで、事実その通りに進んで意外性は少ない。しかし、その意外性の無さを上回る恐怖をリカは振りまく。とにかくおぞましいのだ。がさがさの皮膚、土気色の顔色、瞼の中が全部黒目で、口臭が死臭の女。あー、やだやだ。関わりたくないねぇ。

誰にでもわかりやすい怖さという点で、大衆文学っぽいチープさが漂うのだが、それでいてしっかりと手熟れの読者にも怖さを感じさせるツボを知っている。文章も読みやすく、大賞受賞というのもまま納得。恐らく映像化された時に特殊メイクなんかを上手く使われた日には、夢に見るかもしれない。一ついうならば、私がホラーから求める「怖さ」とは質がちょっと異なる。ただ、こちらの方が一般的に受けるだろうことは想像に難くない。


02/04/15
鷹見緋沙子「不倫夫人殺人事件」(トクマノベルス'86)

現在は「覆面作家」としての「覆面」が剥がれてしまい、その名前での作品発表はとうに無くなってしまった複数作家によるハウスネーム、鷹見緋沙子。文庫化されていない後期作品が四作あるうちの一冊。この四作の実作者はO氏。

名門の菓子製造業、原木屋は「二千万円を払わなければ、商品に毒物を混入する」という脅迫を受けていた。実際に世の中では、怪人と名乗る人物がそのような事件を起こしていたが、体面を重んじる社長は警察に知らせず、賊に金を支払うことを選んだ。埼玉県の山中で受け渡しは完了した……。
同じ埼玉県に住む主婦、千津子は高校時代の同級生、雪子にしばしば呼び出され、東京で会っていた。千津子は当初は無邪気に都会に出ることを喜んでいたが、実は雪子が千津子と会うことを隠れ蓑に若い男と不倫を重ねていることを知る。学生時代は容姿や立ち回りで雪子に勝っていると自負していた千津子だったが、雪子は貿易会社社長と結婚し、金回りも良く若々しい容姿を保っていた。そんな雪子に対する嫉妬に加え、覗き見た相手の男性に一目惚れしてしまった千津子は、彼らの行き先を付け回すようになる。

企業恐喝と不倫奥様とのミッシングリンク……というほどのものでもないか
絵に描いたような通俗サスペンス。片や、企業脅迫をしたチンピラ悪人二人、片や同級生の不倫をみて不倫願望を募らせる人妻。二つの物語も、チンピラの片割れが不倫相手のところで「物語の意外な融合」というラインは消える。「企業脅迫」も、グリコ森永事件の模倣犯人という設定に新味は乏しく、加えてお金の受け渡しのシーンも疑問の方が残る稚拙な方法である。警察が来ていたら、この程度で逃げ切れるとでも思っているのだろうか。またここで起きる偶然は許せるが、その上に偶然を重ねたのではちょっとしらけるなぁ。
さらに、なぜチンピラが同級生の方に不倫を仕掛けたか、という部分には一定の説得力はあるものの、その迂遠、かつ発覚した場合にあまりに危険なやり方も奇妙。エロ描写を加えたいばかりにわざわざ創られた設定なのかも、と勘ぐってしまう。(そしてその通りだという可能性もある)
「企業相手の脅迫」という知能犯的存在であるべきところに、男性的魅力のみを利用する結婚詐欺師をはめ込んでしまった登場人物の資質のミスマッチ。結局、物語上でたまたまうまくいくものの、いかにも浅薄な計画と、行き当たりばったりのその実行。なんのかんので非常に薄っぺらいサスペンスミステリになっているというのが総括の印象である。
エロ描写はそれほど重厚だとも思わないが、それでも他の描写に比べれば力の入り方はこちらに強くかかっている。あと、気になるのは、なんつーか一応女性作家名義で書いている割に、底に男性による侮蔑的女性観が潜んでいるようにみえるところも読んでいて辛かった。

鷹見緋沙子は全員異なる名義で書かれた初期三作、更に文庫化されている残り二冊を読んでおけば良い、ということを確信させてくれる一冊。あとは『姿なき謀殺者』にて鷹見コンプリートなので、私は読むけれど、他人に勧めることはまずありません。


02/04/14
高城 高「微かなる弔鐘」(光文社'59)

高城氏は'55年、旧『宝石』誌の新人賞応募作『X橋付近』を19歳の若さにて受賞、デビューを飾る。この後、'70年にかけて長編一つと短編三十余を発表後、本業の新聞記者業に専念するために筆を断って現在に至っている。大藪春彦、河野典生らが登場した日本のハードボイルド草創期の、特に最初期に活躍した知る人ぞ知るハードボイルド作家である。(最近、高城氏の消息が掲示板にて話題になりました)

大学のフェンシングの試合で折れた剣先が身体に刺さり、対戦相手が死亡する事故が発生した。被害者とその元恋人、加害者らの間にはそれまでどんなことがあったのか、カットバックされる……。 『賭ける』
密漁船が釧路沖で沈没する事故があった。船長の兄だけ死体が発見されない。その行方を追った弟もまた釧路の街で消息を絶った。幼い頃から彼らと親しかった私は彼らを追って釧路にやって来た。 『淋しい草原に』
米国人のパン助として暮らす女。彼女は全ての絶望に慣れきっていた。彼女に昔から惚れていたバーテンが一緒に逃げ出そうと彼女を誘うのだが、彼の暮らすアパートで火災が発生し、焼死体となって発見された。 『ラ・クカラチャ』
小さな街での夜の街でのバーの経営者やバーテンらによる勢力争い。思惑を持つ彼らがバーに集まり賭博をしていたところ、一人が毒を飲んで死亡、更に一人がアイスピックで刺殺される事件が発生した。 『黒いエース』
占領下の国後島にスパイとして潜入、仲間を殺した挙げ句ソ連に捕まり収容所暮らしをしてきた男。かつての妻の姿を追って彼は釧路の街にやってきた。彼が動き始めたことで後ろ暗い過去を持つ男たちが再び蠢き始める。 『暗い海深い霧』
岸壁で発見された派手な身なりの女の死体。彼女は女給で二人の男が言い寄っており、うち一人が逮捕された。スクープをものにした新聞記者はまだ何か納得いかないものを感じ、独自に調べを進める。 『微かなる弔鐘』以上六編。

不格好、無骨。言い様はいろいろあるが、底に流れる真摯な視線と穏やかな慕情は隠せない
果たしてこの喩えが適当なのかどうか分からないが……。競馬の世界における競走馬の生き残り競争は激しい。特に牡馬の場合は、成績が悪ければ(途中で地方競馬を経由したとしても)希に乗馬に供用されることを除けば、ほぼ全てがコンビーフである。そんななか、ごくごく希に皐月賞などGIレース前に骨折してしまい無冠のまま引退しながら、そのまま種牡馬入りする馬も存在する。(頭のなかにすっと浮かんだのはフジキセキ。古くてすみませんね) そういった目に見える実績が少なくとも記憶に残るスピードと血統ゆえ、後世にその血筋を伝える重責が与えられるのだ。
高城高氏の本書を読んで、そんな無名、だけど優秀な駿馬といった印象を受けた。一部のアンソロジーも含め、高城氏の作品を今簡単に目にすることは出来ない。執筆期間も決して長くなく、作品数も少ない。もともと著書など二冊しかない。それでいて氏が活躍した時代から三十年が経過する今でも、高城作品を賛美する人は多い。華やかな受賞歴もなく、せいぜい推理作家協会賞の候補に上がったことくらい。それでも残された僅かな作品が雄大に言葉を語る。高城氏は国産ハードボイルド黎明期を語るのに、決して欠くことのできない作家なのである、と。
前置きが長くなった。本書は作者の発表順に並べられた初期短編集という位置づけである。冒頭の『賭ける』など文体が硬く読みづらいし、短編の割に登場人物が多いうえ物語を語る視線の変化が激しく、単純に作品採点するならばかなり辛い点となるだろう。二作目以降から、文章上の瑕疵はぐんと解消され、作者の筆はさまざまな世界へと飛ぶ。それら物語の主題は青春ものであったり、スパイものであったり、本格ミステリ指向なのかと見まがう作品もあるなど、一見多様にみえる。それでも、作品の隙間から漂ってくる作者の想いが伝わってくる点、どうも似通っているように感じられるのだ。
終戦期の傷跡が色濃く残る街で閉塞した気分のなか生きる男女、裏街で消息を絶った男や女、破滅へとつながる冒険を、危険を知りながら敢えて挑戦する人々。仙台や釧路といった作者が手の内に入れている街の雰囲気と、戦争の記憶がまだ生々しく残る時代、そしてそんななかで生活する人々。高城氏は彼らと共に考え、そして生きてきた。彼らと同化しつつ、冷静に物事を捉える氏の視線が物語をがっちり捕まえ、そして離さない。 その結果、生々しいその時代、生々しいその登場人物の想いが、我々後世の読者にもストレートに伝わってくるように感じられるのだ。

現在、一般的にいわれている「ハードボイルドの定義」と比して、それに入らない点の方が遙かに多い。暴力もセックスも臭わす程度で具体的な描写はほとんどなく、物語を語る視点も一人称ではない。ただ人生に対して真摯に取り組む(ないしは取り組むように変化していく)男と女の姿がそこかしこに描かれている。作品中の人物のものではなくとも、作者自身の作品への取り組み姿勢が現在に至るハードボイルドのそれと通底するものがあるように思う。現在の誰にも受け入れられるものではないとは思うが、刊行以来入手できない状況が続いているという点には、どこか寂しいものがある。


02/04/13
黒川博行「左手首」(新潮社'02)

本書は黒川氏が『小説新潮』誌に'97年から'01年にかけて掲載した(恐らく同系列の)作品をまとめた短編集。しかし、本叢書たる「新潮エンタテインメント倶楽部SS」は作家、作品内容ともバリエーションが多いが、どういう基準で刊行が決められているのだろう?? (ちょっとした疑問)

高級自動車の盗みを専門にしている若者たちが、一攫千金を夢見て山奥で行われている秘密賭博の会場を襲う計画を立てる。 『内会』
ファッションヘルスのオーナーになるべく金策に奔走する男が、マルチ商法で儲けている夫婦の家に盗みに入る計画を立てる。 『徒花』
美人局で小金を稼ぐ若者カップルは、チンピラヤクザに逆に脅されて興奮のあまり消火器で殴りつけて殺してしまう。 『左手首』
年上女房との生活に辟易している廃棄物処理のトラック運転手。違法処分場の告発をネタに政治家秘書を装った詐欺を計画する。 『淡雪』
ホスト上がりの占い師が、顧客の取引に穴を開けた証券外務員の女の相談を受け、株券詐欺を計画するが。 『帳尻』
保険屋と解体業者が組んで行う詐欺すれすれの事故車販売。その悪徳保険屋の車が発見され、中に血溜まりがあったことから警察の捜査が入る。 『解体』
賭博クラブの摘発を装って売上を盗む元警察官らのグループ。その日もいつも通りうまくいくはずだったが、血迷った客がある行動を……。 『冬桜』以上、七編。

小悪は大悪に駆逐される……。決して読後感はよくないが「犯罪行為のリアル」が奇妙に人を引き付ける
帯には「喰うか、喰われるか! 命を賭した丁々発止の化かし合い。最後に笑うのは誰か? 関西裏社会に炸裂する7つのノワール。」とあった。確かに喰えなければ喰われてしまう計画が並び、犯罪の基本は化かし合いであり、最後に誰が笑うのかは本書の興趣の巨きい部分を占めるし、すべて関西人が登場する関西での物語である。ただ、これはノワールとはいえないんじゃないのかな。成功するしない、暴力の有無は別にして、ほとんどが基本的には「詐欺」を扱った物語であり、人間の暗部を抉ったとか、そのようなタイプと思わない方が良いと感じる。登場するのがすべからく悪人であり、彼ら同士の争いが主眼。つまり「丁々発止の化かし合い」が面白さに繋がっている
中身については、それぞれが独立した短編となっており、既に何らかの悪事を犯し、悪事が醸し出す罪悪感について麻痺した人々が主人公を務める。彼らが日常的に行っている少額を稼ぐ悪事のリアルな実体が描かれ、単純な金銭欲やその他の理由によって、それよりも大きなヤマに挑戦、そして小さな齟齬によって破滅していく……というのが基本的な形式。特に、小悪人がホンモノの悪人によって捕まってしまうあたりで物語が結末を迎えてしまうため、その後の更なる破滅が読者の心のなかだけで進められる点が後味の悪さに繋がっている。 ただ、これは作者にももとからそうした狙いがあったのだ、と感じられるのだけれど。
自動車泥棒とその販売形態、保険にまつわる詐欺、占い師のやり口等々、比較的ありそうな犯罪事例がそれぞれの作品に潜む。その奇妙な親近感(?)が、読者の心を引き込むのに大いに役立っている。結局、小者の犯罪ゆえに大それたものではないのだが、自分が被害者であれば激怒じゃ済まないよな、きっと。黒川作品では、実際に行われている、ないし行われていそうな犯罪がしばしば登場するのだが、いったいどこからこんなリアルを拾い上げてくるのだろう。毎回感心させられる。そのリアルさに加えて、善人も悪人も固有の人間味を付加されて描かれる登場人物が、黒川作品の魅力を形作っている。

分不相応な悪事を器の小さな悪人が引き起こそうとした結果起きる悲劇。悪人は悪人なりの結末を迎えるゆがんだ「勧善懲悪」。読み終わってすっきりさわやか、というわけにはいかない作品であるが、黒川作品ならではの独特の味わいは健在であると確認できた。


02/04/12
芦辺 拓「グラン・ギニョール城」(原書房ミステリー・リーグ'01)

原書房における本格ミステリ書き下ろし専門の叢書「ミステリー・リーグ」の一冊として刊行された作品。一見、無関係そうに見えつつも、森江春策が活躍する長編作品。

1930年代のこと、中世の城址《アンデルナット城》が米国の大富豪、シド・ソーンヒル氏によって買い取られ、城を丸ごと米国に移設することとなった。この城の前の城主は、最愛の息子を誘拐事件によって亡くし、その悲嘆にくれたまま死亡していた。移設前夜、現地で最後のパーティが開催された。新城主とその息子や姪、前城主の知人だという元軍人や弁護士らに加え、高名な素人探偵、ナイジェルソープも呼ばれている。訪問客は不謹慎にもこの城にまつわる話から、城を《グラン・ギニョール城》と揶揄したが、まさかそこで自分たちが主人公となった惨劇の幕が上がることなど誰も予想だにしていなかった。美貌の写真家や、謎の中国人を交え、グラン・ギニョール劇が始まった……。
一方、関空特急の車両内で倒れた男と行き会った森江春策。彼が最後に残した言葉「グラン・ギニョール城の謎を解いて」という言葉と、男が所持していた幻の探偵雑誌「ミステリーリーグ」について調べ始めたところ、《グラン・ギニョール城》と題された覆面作家の作品と出会うこととなった。

先行作品へのオマージュの衣を何重にも纏いつつ、実は新しいステージに踏み出しているのが芦辺流
作者は、あとがきにて「英米の本格ミステリ作品への感謝とオマージュを込めて着想した」と述べている。外国が舞台で、登場人物ももちろん様々な国籍と職業、年代の外国人。この個性的な人物たちが怪しげな古城のなか、暗い思惑や過去の呪縛などを交錯させつつ不可能犯罪と遭遇する。表面的な物語運びももちろん、その周辺のエピソードから過去に犯された犯罪、さらにそのトリックに至るまでどこか懐かしさを感じさせる、いかにもな「探偵小説」の形式に則った物語である。これだけで終わるのであれば、単なる古色蒼然たるノスタルジーであり、探偵小説的世界を再現させたマニア向けの特殊小説という位置づけで終わる可能性もあった。
しかし、本書は半ば強引ながら、この中世世界を森江春策が生きる現代世界と繋げることによって、「本格ミステリ」としての付加価値を大いに加えている。 これ以上を内容に触れないように説明するのは困難なのだが、《グラン・ギニョール城》の世界と森江春策の世界とを繋げる接着剤として、久生十蘭のある短編を持ち込んでいる点に特に深い感銘を受けた。極端な話、作者の述べている英米本格ミステリへのオマージュというよりも、むしろその久生作品に向けられた大いなるオマージュという感覚の方が、個人的にはしっくりくる。その久生作品に包まれた世界観のなかで英米ミステリの衣を借り、更にその内側にある特定作家へのこだわりが存在する。この結果、一歩間違えれば噴飯モノと背中合わせのトリックが、それらのオマージュの衣に包まれることで虚構世界(フィクション)なりの奇妙な説得性が加えられたといえる。虚構だから何をしても良いのではなく、虚構だからこその非日常の接合性にこだわった作品構成に好感。特に酸鼻を極めるプロローグが現実へと反転する際の巧妙さに圧倒された。先行作品を下敷きにして、きっちり自分の世界を新たに創り上げる。これはミステリ作家の特権といっていいかもしれない。

いわゆる「新本格」のなかでも芦辺氏は比較的クラシカルなスタイルを貫いているように思える。そんな芦辺氏の方向性が結実した作品。人により、世界観が合う、合わないはもちろんあるだろうが、本書は芦辺ミステリの一つの到達点でもある。特に深読みすればするだけ味わいが深まる傑作


02/04/11
西澤保彦「黄金(きん)色の祈り」(文藝春秋'99)

MYSCON3でゲストとして来て下さった西澤さんの著作のうち個人的読み残しの一冊。多数のシリーズキャラが登場する西澤作品群のうち、ノンシリーズ、かつ非SF作品、そしてハードカバーでの出版という意味だけなら『猟死の果て』に続く系列といえるが、どちらかといえば、それ以降のある系列(ノスタルジー?)の西澤作品の原点としての意味合いが強い。

移転し取り壊しが決まっていた第一中学校の旧校舎。この天井裏から白骨化した変死体が解体業者によって発見された。死体の傍らには楽器ケースに入ったアルト・サキソフォンが置かれていた。後にその死体が同校出身の大学生、松元幸一のものであると判明する……。
主人公の”僕”が中学生だった頃から物語は始まる。ブラスバンド部に籍を置く僕はテューバ、そして二年からトランペットの担当となる。男子の同級生は僕を入れて三人。見事な音楽的才能を持ちながらエキセントリックな性格を持つ幸一、当たり障りがなく人と上手くとけ込める才能を持つ豊だ。そんな折り、部室から同級生が個人購入した高価なアルト・サックスが紛失してしまう事件が発生した。僕は上級の女性部員から、幸一が疑われていると聞かされる。結局犯人は見つからないまま時は過ぎ、同級生三人は別々の高校に進学。僕は高校ブラスバンド部にも所属したが、徐々に自分の才能の無さに気付きはじめ、そこから逃避するようになる。そしてたまたま僕の高校に幸一がやってきた日、同じようにアルト・サックスの盗難事件が発生する……。

読んでいて確かに心が痛む……作者の捨て身の告白、いやしかし、狙いはやはりミステリなのか??
まずとにかく「イタイ(痛い)」小説である。青春時代に恐らくほとんどの人間が持つであろう根拠のない自信、怠惰を求める自分に対する言い訳、格好良さの勘違い、傷つくことへの恐れ、責任の転嫁、そういったネガティブな感情モロモロ。年を取るにつれて「忘れてしまいたい」と切実に思い、実際に半ば上手に忘れていた青臭かった自分自身の過去が、主人公の描写を通じて次々と頭のなかに浮かんでくる。 実際の体験の部分にて作者自身の全ての過去がさらけ出されたとは考えていないが、少なくともこれらネガティブな感情という部分は、実際に味わった経験を持った者にしか分からない生々しさがある。そして多くの読者が多少なりともその経験を持っている。
一読するにこの痛さを描く一種の私小説的青春小説にミステリ風味を加えた――と受け取るのが一般的な反応となるか。それに、単純に西澤氏の経歴を聞く限り、詳細はともかくアウトラインは氏のものに限りなく近い。しかし、個人的にはこの捨て身の痛さもまた、ミステリ作家西澤保彦によるテクニックなのではないか、と類推する。つまりこの「痛さ」を毒々しく読者に植え付けていく作業が、(作者にとっては)肝心のミステリ部分の手がかりを埋没させるという意味合いを持っているということ。ただ、あまりにこの「痛さ」がリアルに過ぎたために、その意図以上に青春小説としての側面が一人歩きしてしまった、ということではないだろうか。
この「痛さ」を真っ向から描くことは、語弊を恐れず書くならば、実は作家の仕事として大したことではない。経験をそのまま活字にすればいい。しかし、主人公の「痛い」心情、心の動きをミステリの世界にきっちり溶け込ませる、というのがミステリ作家としての仕事。そしてそれが機能しているように思うのだ。

発表から三年近く経過、西澤保彦氏はタック&タカチシリーズという青春本格ミステリの金字塔を打ち立てつつある感がある。そちらが切なく美しい表の青春ミステリであるとするならば、醜くて恥ずかしい「裏」青春ミステリがこちらにあたり、それが「モノ」になっている。『異邦人 fusion』然り、『夏の夜会』然り。
発表された当時、あまりにも「痛さ」がWEB書評等でも強調され過ぎていたため、読む機会を失ったまま現在に至っていた。しかし、もしかすると時間を置いた今読んだことで、刊行されてすぐに読了した方々とは異なる感慨を抱いている部分があるかもしれない。しかしこのラスト、どこか背筋を凍らされるものがありますな。