MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/04/30
北川歩実「もう一人の私」(集英社'00)

長編書き下ろし中心の発表形態を取っている北川氏にとって、デビューより五年がかりで初刊行となった短編集。'96年から'99年にかけて『小説すばる』誌に発表された作品がまとめられている。

借金目的で久しぶりに叔母宅を訪問した男は、自分そっくりの従兄弟が事故によって意識のない寝たきり状態となっていたことを知らされる。その叔母から男は意外なことを頼まれる。 『分身』
中学三年生の少年は因縁をつけてきた若い男に「お前は過去に病院で俺と取り違えられ、実の両親は別にいる」と聞かされる。そしてその男の家庭環境は最悪だった。 少年は今の生活を守る代わりにある依頼を引き受けさせられる。 『渡された殺意』
冴えない独身物理学者、塩谷のもとに突如やって来た女性は、塩谷を名乗る人物によって結婚詐欺にあったのだと騒ぐ。特に明日にある友人との集まりにて恥をかくのを異常に恐れる彼女に対し、塩谷はある提案をする。 『婚約者』
中学二年の少年が塾講師のIDを借り「十四郎」の名でパソコン通信を開始、電脳上で「月世界」と名乗る29歳のOLと恋愛関係に陥るが、実際に会ってくれといわれ困惑。塾講師に代わりになって貰うことにする。 『月の輝く夜』
難病にかかって寝たきりになった亜矢は自分の冷凍保存を希望していた。その双子の妹、由記の夫、武はかつて亜矢と恋人関係にあり、怪しい宗教団体に所属する菅原にすがってその夢を叶えるべく奔走する。 『冷たい夜明け』
コンビニエンスストアのアルバイトの二十歳近く年下の女性にストーカー行為を働く、四十歳の大学助手。彼は二十歳の時の天才的な研究業績があったが、最近は彼女のことばかり考えているためか、全く仕事が捗らない。 『閃光』
大学のコンパにて酔っぱらって交わされた初体験談義。酔い潰れた俺と童貞の中道。その中道はどうやら俺に同性愛的好意を持つらしい。しかし、俺の初体験には最近急死した女性アイドルにまつわる秘密があった。 『ささやかな嘘』
教材販売会社の営業の吉岡は最近仕事に疲れていた。しかし会社で参加した自己啓発セミナーにおいて、同僚が急死したことを巡る事件があって退職に踏み切れない。そしてその同僚の急死を問いつめる怪文書が社長の元に届いた。 『鎖』
一夜限りの遊びのつもりで付き合った女性のマンションを再び訪れた淳也は、その女性、芝草理奈が他殺死体となっているのを発見する。別の女性との結婚が決まっている淳也は、スキャンダルを恐れ、自分がかつて替玉を務めたことのある男を呼びだし、アリバイ確保を試みる。 『替玉』 以上九編。

自分探し、アイデンティティ崩壊、人間という生き物の謎。北川ミステリのエッセンスが籠もった秀作集
聞き囓りなのでそれが真実なのかを自分で確かめることはできないのだが、数学や理化学、物理学、医学といった俗に「理系」といわれている学問を究極にまで突き詰めていくと、その学問固有の問題から徐々にフィールドが哲学的な命題へと移行していく、らしい。それらの学問たちが形作る直線が、遙か遠くで一致する。その消失点、ヴァニッシングポイント周辺に北川ミステリのエッセンスが存在している。
「自分は誰?」という不安。他人による自分の入れ替わりによる不安、自分自身の内なる衝動への不安、自分が死ぬことの不安。人間が持つ不安と、それらに対する科学的なアプローチ、ないし精神医学や電脳世界に潜む罠とが合わさる。 読者もその不安を物語の登場人物と共に味わい、「どういうことなんだよ、早く説明してくれよ」という不安感に駆られることはまず間違いない。そしてその不安感こそが、北川ミステリの持ち味だといえよう。この不安感は好むと好まざるに関わらず、手に取った読者が人間である限り根元的に持っている感覚だけに、万人に同じような印象を与えることができるから。

北川ミステリの味わいとは微妙に異なるのだが、本書収録の『鎖』という作品、サラリーマンものミステリとして出色の出来映えだと思う。特に営業という業務に携わる(俺だ)者にとっては、展開によるスリルと単純ながら見事な反転の構図に唖然とさせられる。ただ、これは読者たる自分の立場が色濃く影響した意見という可能性もちょっとあるかも。もうひとつ『替玉』も、見事。ありそうもない話に不思議な説得性を造り上げている想像力がすばらしい。

長編もどちらかといえば、二段組など活字が詰まって見た目はとにかく中身は大作という作品が多い北川氏。短編の名手とまではいえないが、その作品傾向をちょっと味わうにはこのような短編集があることは有り難い。ただ、いくつか北川作品を読まれた後に手に取られた方が味わいが深いと思う。


02/04/29
戸梶圭太「the TWELVE FORCES 〜海と大地をてなずけた偉大なる俺たちの優雅な暮らしぶりに嫉妬しろ!〜」(角川書店'00)

『〜海と〜』の部分、長いのだが背表紙から奥付まで全てに記載されており、副題ではなく正式題名の一部であると判断した。……しかしやっぱり長いな。
戸梶氏は'98年に『闇の楽園』にて第3回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビュー。翌年の2000年、2001年と氏は四作品ずつ新作長編を刊行、多作なところを見せている。本作は第六長編にあたる。

鶉山晴男ことハリー、三十二歳、救急救命士。しかし彼には病院勤務の経験はなく、学術調査隊や山岳パーティなど危険地帯へ行くグループに「医者」として随行することを専門としていた。その経験の末、彼は自ら冒険を企画、実行、いっぱしの冒険家となっていた。ある日、ハリーは冒険のスポンサーとなっていた米国人の大富豪、ランドルフ氏からの呼び出しを受ける。極端な日本趣味を持つランドルフ氏はハリーに対して、ブラジルの奥地であるプロジェクトに参加するよう要請をする。ハリーに断れるはずもなく、アラブ系米国人の内気な写真家、アジスと共に自家用ジェットでブラジルに飛ぶ。彼らは先にそのプロジェクトに参加しながらドロップアウトした前任者たちの交代要員だった。サイモンというカウボーイ風ガンマンと、アパッチというインディアン風戦士という二人の傭兵に迎えられた二人は、マフィアとの銃撃戦をくぐり抜け、ロシア人学者、ワリーニャが統括するプロジェクトの現場に到着する。そこにあったのは緑色の巨大なゼリーと見まごう謎の物質であった。ワリーニャは彼らにその物質の来歴の説明を始める。それは……。

戸梶圭太は世界をも救うのか。アイデアよりも「ノリ」が驚天動地のSF巨編
地球環境汚染という問題は、そのテーマが大きすぎること、そして人間個人の問題として取り扱うには手に余ることもあるのだろうか、ミステリ系のエンターテインメントよりも、それこそ『ゴジラ』の昔からSFとの親和性が高い。私の狭い見識では梶尾真治の『エマノン』シリーズや、岩本高雄の『星(ほしむし)虫』あたりの、どちらかといえばリリカルな雰囲気によってシリアスな環境汚染問題を柔らかに告発する系統の作品が思い浮かぶ。しかし、それを戸梶圭太という希代のエンターテイナーの手によって創り出されるとそれは、どうなるか。
もちろん、本書がその答えである。予想通り、いや予想を超えたハイテンションにて物語が突き進む。ただ、地球の危機という現象そのものは物語の中盤以降に激しくなるものの、どちらかといえばこのハイテンションは個性的に過ぎる登場人物によってもたらされているものといえるだろう。イカレた冒険野郎兼救命士、イカレた傭兵野郎、イカレたSM愛好家兼ミュージシャン、イカレた女王様崇拝M美少年たち、その他、イカレた趣味嗜好を隠さない様々なジャンルの博士たち。そして彼らを率いるイカレて歪んだ日本愛好家、大富豪のランドルフ。 彼らがその能力と、国家予算並みの金と、イカレた感覚にて、最高に「イカレた謎の物体」を相手に繰り広げるパフォーマンスの数々。謎の物質は地球を救う救世主なのか、はたまた単なる巨大なスライムなのか。まさに怒濤、まさにノンストップ。冒険小説のノリ戸梶圭太のノリという近いようでいて本質的には異質な「勢い」が二つにまとまった時、物語は奔流と化して読者を飲み込み、叫喚の世界へと連れ去っていく。深刻に考えず、ノリと共に読みましょう。

面白い、少なくとも私は面白いと思える戸梶作品ではあるが、確実に読者を選ぶ。恐らく良識のある読書家にとって、この文章はノイズに満ちた毒々しいものにしか見えないだろうし、シャレの分からない現実主義者には、この途方もない世界は理解しがたいアホらしいものに映る可能性の方が高い。一方、周波数が戸梶圭太と合う世界の住人には、体内麻薬を分泌させまくるドーパミンとなって襲いかかるはず。戸梶圭太の最初の一冊を読むときは、このあたりの警告(一応、上記は警告ね)を理解したうえで、ね。ヨロシク。


02/04/28
多岐川恭「墓場への持参金」(光文社文庫'85)

'65年に光文社のカッパノベルスより刊行され、第19回日本推理作家協会賞にもノミネートされた長編作品。ただその割に近年の多岐川恭復刻のラインナップには入っておらず、この光文社文庫版が現段階では最新版となる。但し、光文社の電子書店でも入手可能。(ちょっと高い気もするけれど)

若い頃船員で世界を旅した小串夏次郎は、習い覚えたハムの製造から会社を興し、今やスーパーマーケットや建設業などの事業を経営する身分となっていた。しかし最近、食中毒事件を起こしたり、職人の質が下がったりと事業の業績が思わしくなかった。彼は一計を案じ、自ら自分の葬式を出して裸一貫やり直そうと計画する。小串は生きたまま棺桶に入り、葬式を行って火葬場にまで運ばれた。混雑する火葬場にて親族が柩の蓋を開けたところ、そこには全く見知らぬ老婆の死体が。その老婆の代わりに焼かれた柩から出た骨を分析した警察は、その死体の頭蓋骨に強烈に殴られた後を発見する。「焼かれる前の殺人事件」として捜査された結果、小串と決して仲の良くない弁護士、魚川が、棺に入る直前の彼と二人きりであったこと、更に魚川の指紋と小串と同じAB型の血液が付着した凶器と思われる置物が発見されたことから容疑者として逮捕される。東京レポート社の嘱託新聞記者、野路は、旧知である小串家の長男の春海を訪問するが、小串の家庭環境や経済状況に不自然な点があることを知り、小串が魚川に本当に殺されたのかどうかの不審を覚える。それは捜査を担当してきた刑事、榊らも実は同様であった。

クールな主人公と突飛な考えを持つ人々。奇妙な事件、社会派的背景。これまた多岐川ワールド
実際に「生前葬」という行為そのものは存在する。(ちなみにこれを執筆している段階でgoogleで「生前葬」の検索をかけたところ1000件近いヒットがあった)。 つまり、生きているうちに何らかの人生の区切りをつけ、まさに「生まれ変わる」ための儀式を行うということ。気持ちとしては理解できるけれど、それにかかる費用がもったいない、というのは私が凡人である証拠か。
その「生前葬」にて”故人”が手違いで焼かれてしまう……というのが発端。当然、ミステリ的に慣れた視点で捉えると、実は生きていて遺族の様子を観察する云云という展開を想像するのだが、少なくともこの作品は違った。多岐川恭が常にヒネった物語構成を心がけているということの証明かもしれない。主人公は新聞記者。”故人”が生前葬を希望するに至るまでの過程――食中毒の発生、多額の借金、不動産取引詐欺、株取引の失敗――の方に疑問を持ち、こちらの検討が中心となる。当然、事件や事故裏があり、関係者は怪しく、中盤では第二、第三の殺人まで発生してしまうのだ。ここらあたりの詐欺、脅迫が中心となる経済犯罪に関しては、多岐川作品には珍しく精緻な内容を持っているように感じられる。法律を逆手に取って悪辣な仕事を行う人々の姿が徐徐に浮き彫りになっていく。
但し、いくらこの経済犯罪が見事に行われていようと、それで終わらないのが多岐川ミステリ。明らかになった事実から、今度は小串夏次郎という最初の被害者に対する疑問が膨れてくる。また新聞記者の野路と、刑事の榊の両面から事件を追うことで、余計な捜査を省いてテンポ良く進むよう配慮されているのも心憎い。中途に挟まれるちょっとしたロマンス(?)なども、隠し味としていい感じである。(そしてそれにこんな意味があろうとは)
冒頭こそ「生前葬」という行為の奇異さがちょっと鼻につくが、残りは地に足のついたミステリとして展開する。渋めの面白みに満ちている。

あくまで想像だが、本書が推理作家協会賞の候補として選ばれた背景は、多岐川恭の「ひねったミステリ」に対する試みと、冷徹な判断と仁義無き戦いが強いられる金融の世界を舞台にしたコン・ゲーム(といっても暴く立場だが)とのマッチングが評価されたのではないだろうか。(ちなみに、この年の受賞は中島河太郎『推理小説展望』) つまり、多岐川長編では「らしさ」、つまりちょっと世捨て人っぽい主人公が表に出過ぎるきらいがあるが、それが適度に抑えられているのが、この作品の特徴ともいえる。現在読める多岐川作品が尽き、次を捜しているという方には比較的オススメできそう。


02/04/27
恩田 陸「puzzle」(祥伝社文庫'00)

祥伝社文庫15周年記念特別書き下ろしにて最初に刊行されたのが21冊。そのうち「無人島」というテーマ競作にて発表された4冊のうちの一作。『象と耳鳴り』にも登場した関根春が探偵役として登場する。他は西澤保彦『なつこ、孤島に囚われ。』近藤史恵『この島のいちばん高いところ』歌野晶午『生存者、一名』。

どこかの海に浮かぶ廃墟の島、鼎島。石炭の産出により、かつては多くの人が暮らしていたが現在は誰も住まない無人島となったこの島は、企業所有地にも関わらず、自ら漁船をチャーターして探検に訪れる好事家も多かった。若手検事である関根春は同期の検事、黒田志土に誘われてこの島にやってきた。八月の終わりに、この島で三人の変死体――元学校の体育館に餓死死体、元高層アパートの”屋上”にあった墜落死体、そして元映画館の座席に腰掛けていた感電死体――が発見されており、事件となっていたが、その真相は不明。関根は黒田から、彼らが一見全く意味を為さなそうな文章が記載されたコピーを手にしていたと聞かされる。「さまよえるオランダ人」「スタンリー・キューブリックの新作映画製作予告」「昭和の元号制定にまつわるミススクープ事件」「ボストン・ブラウン・ブレッドの作り方」「二万五千分の一の地形図はこうして作られる」……果たして、このコピー、そして死体の意味とは何なのか?

ああ、もったいないもったいない。長編を支えるネタを中編で発表してしまうことに異議あり
上記あらすじで分かりやすいように記述したつもりだが、改めて記しておく。一見無関係、死因の異なる三人の男がごく近い死亡推定時刻の間に、通常は誰も立ち寄ろうとしない無人島で死んでいた。一人(A)は餓死、一人(B)は墜落死、一人(C)は感電死。どうしてAは数ヶ月も絶食した挙げ句、他の二人と同時期に死ぬことが出来たのか。Bはどうやって他に高いところのない高層アパートのてっぺんで墜落死を遂げることが出来たのか。Cの周囲には感電痕がないのに、古い映画館のなかで感電死出来たのか。一つのみならず、複数の「不可能・不可解事件」が並ぶ。更に彼らに付随する、脈絡のない文章が記載されたコピーの持つ秘密も加わって、中盤までの間にあっという間に「謎また謎」の虜にされてしまう作品。また恩田さんの手慣れた文章術や作品の語り方の巧さとが相まって、この導入だけで作品の魅力にどっぷりと嵌ることができる。

ところが。なんとも勿体ない。
中編というトータル長さの制限が存在する哀しさ、この一渡り物語の謎を語り終えた段階で、作品の盛り上がりは既に頂点を越え始めている。つまり、この後はもう謎解きが開始されてしまうのだ。分かりやすく例えるならば、一般のミステリの流れを「起承転結」とすると、本作は「起」の後にあるはずの「承」と「転」をすっ飛ばして、いきなり「結」に向かう。つまり「起」−「結」にて終了してしまう作品なのだ。
嗚呼。その「結」も、変に逃げず、真っ向勝負の納得いくものだけに余計に何とも勿体ないこと。本書に伏線やちょっとしたレッドへリングや、エピソードをちょいちょいと組み合わせれば、すぐに長編ミステリが一本仕上げられるはず。複数のトリック・アイデアが本作にて浪費されている。才能が有り余っているゆえなのか。

いくら恩田さんが「物語の天才」とはいっても、このアイデアはじっくりと長編にて楽しみたかった。紙幅が足りないばかりに書き込み不足と感じられる点が多く、消化不良になってしまった印象。超高級素材を使用した御馳走を急に食して、お腹がびっくりして味わうことが出来ない……というタイプの作品。 もったいなやもったいなや。


02/04/26
二階堂黎人「クロへの長い道」(双葉社'99)

二階堂氏が持つシリーズキャラクタのうち「ボクちゃん探偵シリーズ」と称ばれる作品の第二短編集。一作目の『私が捜した少年』を読まれた方なら御存知、身長1m10cm、体重19kg。年齢、5歳、きんぽうげ幼稚園に通う孤独な私立探偵、渋柿信介が活躍する。 『小説推理』誌に'96年から'99年にかけて掲載された作品がまとめられている。

公園でリコちゃんとままごとをして遊んでいた信介は、友だちの鈴木あきら宅に縞模様の宅配便トラックが停車しているのを目にする。リコちゃんに命ぜられ、あきらくんを誘いにいった信介は、険しい顔つきをしたあきらママに「今、いない」と追い返されてしまう。そのあきらママは何故かその目つきの悪い宅配便車に乗って出かけてしまう。 『縞模様の宅配便』
園児仲間のイクコちゃんが飼っていた犬のクロが、一週間前にパパに追い出されて行方不明になっているという。イクコちゃん宅には代わりにやって来たピンク色したピートという犬がいる。信介はクロの母親のマリアンヌという犬を尾行し、クロの行方を突き止めようとするが、幼児故に様々な邪魔が行く手に立ちはだかる。 『クロへの長い道』
幼児番組に出演した信介親子は収録がはねた後、テレビ局のスタジオで掃除婦の死体と出会う。パニックに陥った局関係者を制して担当ディレクターと連絡を取ったところ、別番組に使用する二個のダイヤモンドを嵌め込み、密封されていたはずのカラスの像が盗難されるという事件も併せて発生したことが判明する。 『カラスの鍵』
ユウちゃんからの依頼で逃げ出したイグアナの捜索を行う信介。その過程で知り合った子供たちと公民館を訪れた信介は《学童》と呼ばれるグループ活動を指導していた若者が死体で発見された現場に出くわす。何者かに後頭部を殴られた彼は熱血漢で、八百屋だった。 『八百屋の死にざま』以上四編。

「幼児」「ハードボイルド」というコードを繋いで「コメディ」にも「本格ミステリ」にも変ずる巧さ
「幼児」が本気で演ずる「ハードボイルド」……というだけで、十二分にコメディ的な要素を持っている作品である。その気取った言い回しや台詞と、それを発言する「5歳児」とのギャップ、真面目に語られる幼児ならではの心の悩み(甘いものが制限されているとか)、また大人世界を幼児によるモノサシで計ることで現れる奇妙な描写などなど、爆笑するオチとはちょっと雰囲気は異なるが、唇の端っこで「にやり」とさせられるシーンが多数ある。(個人的にはシンちゃんが、ステディのリコちゃんのことを「怖い女」と表現したあたりがツボ) そのシンちゃんに、ハンサムな刑事である父親・ケン一と、元アイドルのルックスを持ち好奇心旺盛な運転マニアの母親・ルル子という個性的な両親が絡む。 (もちろん本来二人はカタカナ混じりの名前ではないのだろうが、難しい漢字は分からないのよ、シンちゃんには)まず読んでいる時間が楽しい。
その一方で、刑事である父親が巻き込めることから、誘拐や殺人など幼稚園児が解決するには血腥い事件が次々と登場する。簡単に回答が得られるようなタイプではなく、どこかしら作為の臭いの漂うミステリに登場するに相応しい事件。それらに対して、(多少無理無理な設定がありながらも)本書はあくまで「本格ミステリ」でもあるのだ。伏線や手掛かりがあって、論理的な解決が用意されている。もちろんシンちゃんが直接名探偵役となることはなく、「名探偵コナン」(←これともちょっと違うか) よろしく幼稚園児ならではの表現で父親で刑事のケン一に事件解決のためのドンピシャの示唆を与えていく。(くりかえすが多少無理無理であっても)謎が論理で解かれる快感もまた、この「ボクちゃんシリーズ」の楽しみである。

二階堂氏の執筆姿勢が、本来コメディである本作品に対しても自然と「不可能的興味」「その論理的解決」を埋め込んでしまうのかもしれない。ただ、あとがきによれば「執筆するのが楽しい」そうなので、是非とも今後も続きを書き続けていって頂きたいように思う。「読了するのも楽しい」作品だから。


02/04/25
森 博嗣「スカイ・クロラ」(中央公論社'01)

プラスチックカバーの下に浮かぶ青空の美しさから「ジャケ買い」する人もあったという森博嗣の書き下ろし作品。ノンシリーズ(今後シリーズが執筆される可能性はあるが)のファンタジー。作者曰く「ミステリィ」ではない、とのことだが、個人的にはそう断定も出来ない印象。

(あらすじを表現するのが非常に困難な作品である)
その基地に配属になったカンナミ ユーヒチ(函南優一)は、戦闘機のパイロット。小さな身体と見事なテクニックを持つ少年である。世界はユーヒチらが所属する戦闘法人と宗教法人があり、戦闘法人は会社組織として基地を運営、基地は指令に従って敵と戦闘を繰り返す。その基地は小隊長としてクサナギ スイト(草薙水素)という元パイロットの女性が取り仕切っており、他同室のトキノをはじめとしてパイロットが三人、そして優秀な整備士ユーヒチなどがいた。彼らが扱うのは「散香」という名を持つプロペラ戦闘機。ユーヒチの乗機はかつてクリタというパイロットが使用していたらしいのだが、彼はユーヒチが基地に赴任する前に消えていた。死んだのか、配置換えになったのか。彼に関することとなると、関係者の口は一様に重く閉ざされてしまう。そんななか、ユーヒチは淡淡と出撃し、着実に実績を上げて基地でのエースの地位を確立していった。

森博嗣という作家は、本来こちらのフィールドから立つべきだったのではないか
各章の冒頭にサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』からの引用がされており、印象的である。(サリンジャーといえば『ライ麦畑で捕まえて』。少年のモラトリアムを描いた世界的ベストセラー小説である。『ナイン・ストーリーズ』は短編集で十年以上前に読んだことは覚えているが、内容が思い出せない……。)本書は、このモラトリアムの一時期しか見ることの出来ない「何か」を森博嗣なりに表現した作品というのが、通じての印象である。
森博嗣という作家はデビュー当初、特に「理系ミステリ」(氏の表現によればミステリィ)作家と呼ばれた。その登場する人物の論理性に加え、どこか希薄な生活感覚や、技術や学術、さらに趣味的世界にのめり込む人々が多数登場することなどから、そのような呼ばれ方をしたのではないかと推察する。たまたま、ミステリという形で森博嗣は世に出、自ら公言しているようにビジネスとしてそのミステリの世界での執筆活動を継続している。
本書はその「ミステリ」による森氏の呪縛が解き放たれた作品――であり、また氏のサイトに掲載される日記でも明らかな氏自身の興味と執筆された物語世界とが重なる作品と位置づけられると考える。その結果、ミステリにおける論理性や伏線、トリックといった「必要事項」が省かれ、後に残る「森博嗣の世界観」のみで作品が構成されている。 つまり、従来のシリーズ作品でも登場人物の行動や思考の端端に見られ、作品の色をなしてきた森氏独特の一種の無常観が、本書では完全に主題と化しているのだ。
そして、それが綺麗に嵌っている。ぴたりと。人を殺すこと。自分が死ぬかもしれないこと。生きているという意味。死ぬことの意味。人間関係そのものの意義。従来、人々が当たり前のように「人間が生きる限り、もっとも大切な哲学的命題」として考えている事柄を作品内でしっかり描いている。しかし、森氏は逆説的にそれらをどんどん透明で希薄なものと見なしてしまうのだ。その結果、作品そのものも存在感はあるのに、表紙のプラスチックカバーのような透明感に包まれた読後感。
作品世界の持つ「秘密」というのが緩やかに解体される意味でのミステリ味はあるものの、それは主題からして大きな意味合いがあるとは思えない。ただ、森博嗣の趣味、文章、作品構築方法、登場人物設定などが、ミステリとはいえない本作の方により相応しいように感じられてならない。森博嗣作品世界の本来持つ独特の魅力が遺憾なく発揮された作品といえよう。

なぜかこの『スカイ・クロラ』には公式ページまである。また、個人的には、新谷かおるの漫画『エリア88』にてところどころに感じた、戦闘機乗りの無常観といった部分と共通する感覚があるように思う。思えばあの作品に登場するパイロットたちもまた「傭兵」だった――。


02/04/24
都筑道夫「銀河盗賊ビリイ・アレグロ」(集英社文庫'83)

'79年から'80年にかけて『奇想天外』誌に掲載された作品が同社より翌年ハードカバー版が刊行された連作短編集。その表紙イラストを手掛けたのが大友克洋で、二年後に刊行された本文庫版にも同じイラストが使用されている。

ファタール・アルダートにあるインチキ臭い酒場でかつての脱獄仲間、ダキニと出会ったビリイはいつの間にかファタール王家の秘宝“ムアラの夜光珠”を盗み出す賭けをしてしまう。しかしその宝玉は、戦闘的で美しい王女の臍飾りとなっているという。 『双頭の毒蛇』
アンドロイド製造業者、ザカリイ・ロイドから、彼が娘にプレゼントした特製アンドロイド“シーザー”を盗み出すという依頼を受けた。彼女はシーザーに惚れて駆け落ちしたのだという。シーザーにはアンドロイドとして規格外の機能が備わっているという。 『アンドロイド・ロイド』
市民・観光客を問わず覆面で顔を隠せ、という条例が敷かれた独立都市、アゴンクワナ。ビリイへの依頼は市長の覆面とを盗み出し、顔写真を撮影すること。依頼者は市長が何者かと入れ替わっているという疑いを持っているのだという。 『覆面条例』
趣味の悪い成金、ヴィゴット・シュルギはビリイを含めて六人もの泥棒を招待する。彼は泥棒たちに自らの屋敷内の秘宝を探させるというゲームを持ちかける。ただもちろん、屋敷には相当に手強い盗難防止装置がセットされていた。 『野獣協定』
日本の古代伝説を題材とする芝居の出演者としてビリイは突然、俳優としてのスカウトを受ける。ただ稽古の最中に不穏な事件が次々と発生、ビリイは何者かに監視されている気配に気付く。 『メイド・イン・ジャパン』
ビリイは突然、幻覚の中にいるような街に放り込まれ、奇妙な戦いを強いられる。その仕掛けを施した人物が高給と引き替えに出してきた依頼は『顔のなかの顔』を盗めというものだった。 『顔のない道化師』以上、六編。

華麗なスペースオペラであり、設定抜群の冒険小説であり、意外性炸裂のミステリである。爽快、そして驚倒の傑作。
宇宙を股にかけて活躍する知名度抜群の銀河盗賊、ビリイ・アレグロ・ラトロデクトス・ナルセと第一話にてパートナーとなるテレパシーを使う謎の老蛇、ダイジャのコンビが、それぞれの作品にて「特徴ある何か」を盗み出す、というのが基本ストーリー。宇宙船が飛び交い、未知なる惑星が舞台となり、様々な形状を持つ宇宙人が登場するあたりの舞台設定はスペースオペラのそれ。(映画「スター・ウォーズ」における世界観に近いように感じる) もちろん「銀河盗賊」の名前に偽りなく、鮮やかに華麗に目標をかっさらうビリイの姿は単純にかっこいい。 ただ、さすがは都筑道夫、そんなところで物語を満足させてしまわない。
まずそれぞれの舞台設定の巧さ。世界観を導入する冒頭作品はとにかく、全ての市民が顔を仮面で隠した都市だとか、盗難防止装置で武装された館に招待される六人の大泥棒だとか、都市そのものが一つの舞台めいた空間になっているとか。基本設定の面白さに加え、ビリイ・アレグロが活躍する舞台の設定も、大いにヒネリが効いている。そしてそこにラブロマンスがあり、競争があり、抜け駆けがあり、派手な戦いがある。冒険、というか活劇的にすいすいと物語が進んでいく。
更に、それぞれにミステリの手法が仕込まれている点も興味深い。単に「盗む」という行為だけでも興味深いのに、その「盗む」という行為の裏にまた別の人物の思惑や、計画が秘められている。普通に読んでいるだけで十二分にわくわくするのに、最後にサプライズが、しかも自然なかたちで加えられているのだ。
そしてこれだけ多くの要素が作品内に込められていながら、淀みやひっかかりが全くない。そつがない、というか実にスムースに読める。実はこの点がもっとも凄いのかもしれない。これだけのことを苦もなくやってのける……てのは天才の所業といってもオーバーじゃないだろう。

そして本書のラストでは、連作短編集の締めくくりに相応しい驚天動地(といっても大袈裟じゃないかも)の物語における秘密が明かされる。ビリイ・アレグロとは一体何者なのか。本書の続きはもう読めないとも、いくらでも読めるともいう。都筑道夫という作家が、本当に乗りに乗っていた時代の作品ということになるのだろうか。丹念に古書店を回れば、比較的簡単に見つかる今のうちに見つけて、読んでおくべき本。


02/04/23
ホラー・アンソロジー「さむけ」(祥伝社文庫'99)

ホラーのアンソロジーというのは聞くところによれば、文庫のなかでもかなり安定した売れ行きを示すという。怖さを求める好奇心と、当たりはずれが少なく様々な作家が読めるアンソロジーの特長がよくマッチしているからだろうか。本書は『小説NON』誌に掲載された作品を中心に、井上雅彦、釣巻礼公両氏の書き下ろしを加えたアンソロジー。祥伝社文庫にはこの系列のアンソロジーがいくつか他にも存在する。

小説家志望の男が同人仲間から引き受けた留守番のアルバイト。青山の高級アパートの内部に隠された秘密とは。 高橋克彦『さむけ』
精神的に不安定な妻のために買った住宅。劣悪な仕事環境にも疲れ果てた夫はそこに居るはずのない子供を目撃する。 京極夏彦『厭な子供』
近郊のベッドタウンでは成功者となるために「そば打ち」の会に模せられて、ある儀式が秘密裏に行われている。 倉阪鬼一郎『天使の指』
引っ越してきた一家は、愛犬家の男が家の前に犬の糞を放置することを注意したところ、逆ギレされて……。 多島斗志之『犬の糞』
博物館にて頭を打った少女が目を覚ますと閉館された後だった。彼女を襲う火蜥蜴の幻想、そして蝋人形。 井上雅彦『火蜥蜴(サラマンドラ)』
妻をバラバラ死体にして埋めた男は自首してきたものの、緘黙していた。その犯行動機が定年間際の刑事によって引き出される。 新津きよみ『頼まれた男』
銀座のクラブの女性が、男の元を訪れ「子供が欲しいのでセックスをしてくれ」と言い出す。優秀な遺伝子のみを求める彼女は……。 山田宗樹『蟷螂の気持ち』
旧家に嫁いできた主婦は、家のしきたりに辟易していたが義母の痴呆をきっかけにまず古井戸を埋めようと業者を呼ぶ。 釣巻礼公『井戸の中』
突如オヤジ狩りに出会った中年男は、実は子供の頃からいじめられる体質だった。そんな彼も一度だけ反抗しようとしたことがあった……。 夢枕 獏『もののけ街』以上、九作品。

やっぱりホラーは短編が一番キレる。短いなかにぶちこまれる「さむけ」の数々。
「京極夏彦」「倉阪鬼一郎」といったビッグネームが並ぶのを本屋で見た時に購入したまま、長い間積ん読として晒されていた作品をようやく手に取ることが出来た。そして読了して初めて、本書の題名である「さむけ」という言葉の持つ強烈なイメージに震えることになった。そりゃ風邪を引いた時の悪寒も「さむけ」と表現されるものだが、本書における「さむけ」は、考えてみりゃ「自分の意志では抑えられないほどの恐怖を味わった」時にのみ発生する身体現象を指しているのだから。
元もとサイコサスペンス系の新津さん、推理畑の山田氏、どちらかといえば冒険小説畑の多島氏(現在違っていたらごめんなさい)といった方々による作品は、どちらかといえば特殊な人間関係が齎す恐怖というイメージで統一できる。男女の歪んだ愛がベースとなる『頼まれた男』『蟷螂の気持ち』の二作、新興住宅地にありがちな人間関係の不和が引き起こす破綻度合いが素晴らしい『犬の糞』。SUPERNATURALが絡まずとも、一定の恐怖は喚起できる。
とはいえ、残りの超自然的現象を加えた諸作品に、個人的にはより強い怖さを覚えた。サイコ系の人物同士の暗闘を意外なオチで包んだ表題作でもある『さむけ』、京極夏彦の新境地とも騒がれただけのことはある『厭な子供』……妖怪を恐怖する人々の気持ちを裏返したかのよう。 更に『火蜥蜴』の幻想的な美しさに隠された執念と狂気(ただ、この作品は中編向けだったのではないか) 作者には失礼ながら意外な拾いモノと感じたのは『井戸の中』。地方の旧家にまつわる家訓と新参者の嫁という図式は、ある意味平凡ながら、その扱いに巧さがある。特に地面を這い回る老婆の描写は秀逸。

何を怖がるか――という事柄ばかりは個人差が非常に大きいため、「ホラーの決定版」なんて表現は眉唾だと思っていい。ただ、そのツボが分からないうちは、こういったホラーアンソロジーは、どこかしら微妙な個人的差異を作品数によって約してしまうので万人向けといえるだろう。 本書はそれぞれ個別作品の出来も良く、気軽に手に取るにはお勧め。(異形コレクションが分厚すぎるという向きには特に)


02/04/22
海渡英祐「出囃子が死を招く」(光文社文庫'92)

伯林―一八八八年』にて第13回江戸川乱歩賞を受賞した海渡氏が約十五年ぶりに書き下ろした推理小説というのがふれこみ。(ただ、少し調べてみたところ、80年代にも海渡氏は短編集が中心ながらいくつもの新作ミステリを発表しており、この記述は間違いか、何か特殊な前提があるのではないかと思われる)。

明治時代中期。自由民権運動と新政府との争いが深刻さをみせていた時代。まだ若い新聞記者の奥田信治は、開場したばかりの「浅草十二階」の取材の最中、同業で同年代の新聞記者、石原邦夫と出会う。若い者同士でそのまま記者同士の寄り合いに出たところ、邦夫の父親でフランス公使館に勤めていた康之助が事故で亡くなったとの報せを受け取った。成り行きで悔やみに石原家を訪れた奥田は、邦夫の妹、香代と運命の出逢いをする。崖から落ちて亡くなったという康之助は高所恐怖症だったといい、奥田は邦夫と共にその死に不審を覚える。香代からやもめだった康之助の愛人を捜し出して欲しいという依頼を受けた奥田は、簡単な調査でお芳というその女性を見つけ、香代と引き合わせる。一方、邦夫は実は従姉妹で伊沢美恵という女性と結婚を誓っていながら、大規模な商家である伊沢家の事情から叶わずにいた。その美恵が伊沢家にて何者かに襲われる事件が発生、続いて美恵の養父が密室内で殺される事件が発生した。

時代設定の妙と現代ミステリの妙。出世作同様の構造が冴える海渡氏らしい一作
乱歩賞受賞の出世作品(デビュー作品は別)『伯林―一八八八年』では、森鴎外を探偵役に抜擢するというこれまでにない構想が高く評価された海渡氏。その後しばらくの創作活動では、本格ミステリをベースにした作品群や競馬に題材をとったミステリ、さらにユーモアミステリや、真っ向から歴史に挑んだミステリなど多彩な作品群を世に問うてきた。デビューから二十年以上経過した80年代にも『次郎長開化事件簿』や、『辰五郎維新事件帖』など歴史に舞台を求めた作品も相変わらずいくつか著しており、本書も海渡氏のそういった系列のなかの一作品として位置づけられそうだ。
本作で取り上げられた時代は、明治中期。乱歩の『押絵と旅する男』の舞台ともなる浅草十二階オープンというタイミングに加え、牛鍋といった洋風食文化の流入や洋装への変化など「ハイカラ」という言葉が実によく似合う。この時代設定が、作品に絶妙の味わいを加える。江戸時代より洋風化が進んだこの時期はを舞台としたことで、現代読者にも違和感が少ない環境と感覚に登場人物を置くことが出来ていることが一つ、その一方で指紋やアリバイ調査といった科学捜査が確立されていなかった時代であることが一つ。つまり、ミステリのトリックにおいて作者の自由度が比較的高いところがポイント。
とはいっても、トリック部分がアンフェアだったりすることは全くなく、この設定下でも敢えて読者に対してフェアなミステリを心がけている点は嬉しい。密室の心理トリックは面白いし、犯人がそれを作った動機も納得がいく。(ただ捜査の時に関係者が「ドア」など外来語を頻繁に使う点はちょっと違和感がある) 関係者の複雑な家庭環境が本気で複雑な点は御愛敬として、解決されてみると、人間関係、動機、時代、そしてトリックに一本不思議と筋が通ったしっかりとしたミステリであることがわかり、そこにまた感心する。特に被害者の一家には、この時代ならではの問題がいくつも絡み合っているから。また、注目頂きたいのはこのラスト。賛否あろうが無理にそうすべきではなくとも悲劇に繋げてしまう結末は、明治という時代人の気質を最大限に表現しているといえるのではないか。そこまで時代にどっぷりと浸っているのが海渡+時代ミステリの最大の凄さであろう。

世に捕物帖は多数存在し、探偵小説の登場以来、その時々の現代を描いてきた作品もまた多数存在する。その意味で、探偵小説勃興前の明治期というのは、あらゆるミステリの系譜にとっての設定の穴場といえるのではないだろうか。 ま、そんな意義抜きでも興味深く読める作品ではあるのだが。


02/04/21
今邑 彩「翼ある蛇」(角川ホラー文庫'00)

元もと鮎川哲也賞の前身である「鮎川哲也と13の謎」にて13番目の椅子を射止めてデビューした今邑さん。デビュー後は本格ミステリ系統の佳作を多く発表しているのだが、近年はホラーにその活躍の場を移している感がある。本書は『蛇神』と世界を同じくする続編として発表された作品だが、独立して読む分に支障はない。(事実、小生も本書から読み出したことだし)

学術系の出版社に勤務する喜屋武蛍子は沖縄出身で、亡くなった姉の遺した姉弟、大学生の火呂と高校生の豪を引き取って東京で生活していた。蛍子のもとに、英文学翻訳家で人気コラムニストである沢地逸子から、自分のサイトに掲載したエッセイをまとめて本にしたい、という依頼が届いた。売れる本ができる、と喜んだのも束の間、沢地のページは神話や昔話を太母神信仰に強引に結びつける論説が中心で一歩間違えるとトンデモ系の内容であった。その掲示板も盛んに書き込みがなされていたが、真名子と名乗る人物による「明日、母なる神に生け贄を捧げる儀式を行う」という浮き上がった内容のものが目に付いた。その翌日、都内で大学生が四肢をバラバラにされた挙げ句、心臟が抜き取られ、代わりに黄色のゴムボールがはめ込まれているという猟奇殺人死体となって発見された。蛍子は姪の火呂の最近の行動に落ち着きがないことを気にかけていたが、彼女はこのサイトにアクセスしている記録があった。蛍子の当夜のアリバイも宿泊先と聞いていた彼女の親友、祥子の証言により嘘が発覚。しかし火呂は葛原八重なる人物を求めて和歌山にいたと主張した。

目指したのは伝奇? サスペンス? それともミステリ?
現在のホラー作品(そしてエンターテインメント系の小説全て)の傾向を俯瞰して考えるに、当たり前のように使用される手法として「ジャンルミックス」がある。つまり、ホラー+ミステリ、ファンタジー+伝奇、SF+サスペンス等々。従来(といっても大昔)は別々の分野と考えられていた各エンターテインメントの様式、方式といったものは今や様々に融合し、その細分化を拒みつつある。
翻って本書をみた時、確かに「ホラー」「サスペンス」「伝奇」そして「ミステリ」の各要素が内部に存在していることに気付く。つまり、謎の猟奇殺人鬼が跋扈する「サスペンス」要素、その存在理由の不可思議性が「ホラー」要素、延延と内部展開される理論と神話性、伝説性といったところが喚起する「伝奇」要素、最後まで殺人鬼の正体を読者から隠す「ミステリ」要素。これだけの要素が作品内部にありながら、本書は「ジャンルミックス」として成功しているようには、残念ながら見えない。
その原因は、それぞれの構造があまりにも独立してしまっているのが主因。作品全体として四つの要素が混在しているのは事実なのに、その文章を解体してみるに、「ここはホラー」「ここはミステリ」とどうも段落毎に分かれてしまっており、互いの融合度に物足りなさを感じてしまうのだ。結果、それぞれのジャンルによる手法を並べることで物語にしているという印象が強く残る。伝奇は伝奇、ミステリはミステリで完結してしまっていて「ジャンルミックス」特有の渾然一体となった不安が感じられない。 個々のテーマには魅力があるため、その構造に起因する問題がいかにも残念。
特に、作品内人物の論文の形式で延延と描かれる神話や寓話の太母神、そして蛇への強引な関連づけの部分はもっとスッキリして欲しい。先に結論ありきで仮定や仮説のラッシュで結末に結びつけるこの論文が、作品内部でもフィクション扱いであるのは、トンデモ論文特有の面白ささえも自己否定することになってしまい、却って読者の興を削いでしまうことに気付いて欲しかった。

否定的な論評になってしまったが、指摘した各ジャンルそれぞれの内容、特に「ミステリ」要素などは伏線の引き方も上手く、意外性を狙ってよく考えられていることが分かる。ただ全体を通じてみた時にはやっぱり散漫な印象が強く残る。「蛇足」として作者も書いている通り、物語の方が拡がりすぎて作者の手に余ってしまった――か。