MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/05/10
佐藤友哉「水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪」(講談社ノベルス'02)

フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』にて第21回メフィスト賞を受賞、第二作『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』と、独特の「鏡家サーガ」を構築しつつある佐藤氏の三作目。題名の通り、鏡家七人兄弟の次男、鏡創士の事件。

僕は高校卒業の後、一人暮らしをしているフリーター。携帯電話のバッテリーのシール貼りが仕事。内向的な性格で、少し前に彼女と別れてからは、メル友の女子高生”紘子”とのコミュニケーションが唯一の楽しみの暮らしを送っている。
北海道の片田舎にある屋敷。この家族は長女の梢の監視下で幽閉されたまま暮らしていた。研究期間に務めていた長女が「壊れ」、母親を殺してから、一家は皆、彼女を「壊した」贖罪のために彼女に殺されるのを狂気が支配する館の内部でひっそりと待っていた。
小学校四年生の僕は、同級生の伽耶子を傷つけるものから守ることが一番大事。なぜなら彼女はとても繊細で人一倍傷つきやすかったから。一緒に遊んでいた彼女のお兄ちゃんがいなくなってから、彼女は僕の目に見えないものがみえるようだ。そして今日も彼女を慕ってついてきた子猫が、高校生の乗った自転車にひかれて瀕死の重傷を負ってしまう。

佐藤友哉って怖ぇぇぇぇぇっ!! 生み出した壊れた世界を平然と沈めていく恐ろしい手腕
本書をもって佐藤作品を都合三作、遠くで繋がったシリーズものといってもいいだろう。鏡家の人間が登場する北海道は札幌近郊シリーズ。毎回困らせられ、途轍もなく魅力を感じるのは、鬱や躁の傾向こそ多少あれど、ごくごく普通に人々が暮らす日常風景が、実は既に壊れていること。 作者が若いせいか、学生やフリーターなどいきいきと動く登場人物のほとんどが十代、せいぜい二十代前半。生き生きと……という形容詞は似合わないが、どこにでもいそうな彼らの日常が、これまたありそうなエピソードと共に描かれる。それが、どうだ。一皮剥くと必ず(少なくとも私の)常識を越えた部分がどこか、これまた普通に壊されている。「今のこの世代って、既にこんなに壊れているなんてことはないよな?」と、ふと心配してしまうくらい、皆均等に「どこかが」壊れている。
いわゆる電波系の、傍からみて明らかに他の人物と異なる奇行があるわけでなく、かえって見た目、ある角度からの視点に対しては「非常に良い子」だったりする彼ら。人に優しく、なにごとにも一生懸命、ちょっと気の弱いところがあったり、自分に自信がなかったり。読者は自らの常識の範囲で彼らを捉え、頭の中に再構築しようとするはず。しかし、その構築された「像」は、作者によってあっさり壊されてしまう。 実は壊れていることそのものよりも、それを自覚していないことに真の怖さが内包されているのだが。 まず、こういった登場人物をいとも簡単に生み出していく佐藤友哉が怖い。
そして本書はミステリでもある。そのミステリの仕掛けがまた文体、世界との奇妙なマッチングをみせている。登場人物の壊れ方に目が眩まされたこちらの負け、ということになるのだろうか。三つの物語は終盤に至るまでその接点が見えない。登場人物の圧倒的な迫力が、物語を圧している。ミステリ以前に不気味な迫力があり、謎解きモードに頭が切り替わらない。そこで、やられる。登場人物のみならず、信じていた世界が反転し、音を立てて崩壊していく。こんなことをあっさりやってのける佐藤友哉が怖い。
設定の突飛さは強烈で常識的な読者には受けないかもしれないが、若書き特有の文章の青臭さも見えない。そしてミステリとしての落としどころをよく知っている。知らず、不思議と引き込まれていく。

個人的に思うに舞城王太郎氏とメフィスト賞でのデビュー時期が近かったこともあり、本来佐藤氏に向かうべき注目も、舞城氏に多くかっさらわれたという側面があるように思う。舞城氏は確かに注目すべきミステリ作家ではあるが、佐藤友哉もそれと対抗するだけの世界を造り始めている……。ただ、多少読者を選ぶ可能性はある。それもまた、舞城氏と同じ。


02/05/09
海渡英佑「トラブル・ハニムーン」(徳間文庫'88)

双葉社のフタバノベルスより'85年に刊行された同題の連作短編集の文庫化。'83年『小説推理』誌上に「裏窓コンビ奮戦記・引き裂かれた写真」という題名で連載が開始され、隔月連載の末、'85年に終了した作品が改題された。

大学講師の阪東重夫は骨折療養中、自慢の一眼レフの望遠レンズで隣のマンションの美女を眺めていた。そんな重夫にお灸を据えるのが彼の婚約者、理沙子。彼女はその美女が実は友人で、彼女の頼みを重夫に聞いて欲しいという。彼女の部屋に何者かが入り込んでいる可能性があるというのだ。 『引き裂かれた写真』
新婚旅行はパリに出た重夫と理沙子。そこで出会った女性も新婚旅行中ながら困惑していた。夫が急に何者かの呼び出しを受けて失踪してしまったのだという。 『パリの災難』
夫婦共同で「トラブル・コンサルタント」を開業した二人。最初の事件はお守り代わりのペンダントを友人に取られてしまったかもしれない、という女性の相談。 『取られた鳥』
開店休業の「トラブル・コンサルタント」にやってきた色男。再婚した若妻が一人で家にいると、怪談めいた奇妙な現象が家に起きるのだという。 『赤い恐怖』
重夫の大学の卒業生という女性、彼女が結婚した相手が急に不審な態度を取りだしたのだという。その夫があるアパートにいると言われて訪れたところ、夫の影は見えたが家の中には別人がいた。 『カーテンの影』
夫の旧友で元華族の出、という男のマンションで開催されたパーティに出席した二人。代々伝わるダイヤモンドの豪奢なペンダントを使った婚約披露の場となるはずが、夫の元秘書が現れ場を邪魔していく。 『知らなすぎた女』
重夫の友人のテレビ局プロデューサー。彼の知るタレントが全く身に覚えのない落ち目の女性タレントから子供ができたとつきまとわれて困っているのだという。そのタレントと彼女との間は潔白。彼女はいったい何を考えているのか。 『最後の告白』以上七編。

映画と海外ミステリをカップリングさせた洒落た世界を80年代の東京に蘇らせた
ハネムーンでなくて、ハニムーン。本文を読んでいると「ヴィデオ」だとか「ミステリィ」だとか、外来語を英語の実際の発音に合わせた言葉に変換しているので、ちょっとヒネった題名に「む?」となるかもしれないが、このこと自体に深い意味はない。ただ、ミステリ、いやフィクションのエンターテインメント小説としての洒落た雰囲気を出そうとしていることが、まずこういう点から伺える。
次に個々の短編の題名に目をつけて頂きたい。ぱっと見には分かりにくいかもしれないが、全てヒッチコックの映画の題名をうまくもじって付けられたものだ。< 名作映画、特にヒッチコックの引用、海外ミステリ作品の引用、これらの影響を受けた主人公たちの台詞まわしや行動などに、どこか嫌みなく気取ったところがあり、全体の雰囲気作りに役立っている。短編の題名はぱっと見br> 内容は、というとおしどり夫婦探偵(とはいっても二人とも活発だが)の、謎解き譚。探偵や弁護士を雇うほどには深刻ではないけれど、ちょっとしたトラブルを解決するというふれこみのトラブル・コンサルタント事務所を開業した彼らに持ち込まれる謎の数々。ちょっとした冒険や、簡単な推理の果てに依頼者は納得して去っていくが、その後に夫が妻に「事件の別の姿」を必ず語ってみせるという形式が面白い。つまり、一旦着地したロジックが、もう一ひねりされるという快感が味わえるのだ。
婚約者だった二人は、共同作業を得て、幸福なハッピーエンドを迎えるという連作短編集ならではの全体的な話の流れというのも、うまく着地している。このあたりの構成は素直に嬉しい。

海渡英佑は今となっては省みられにくい作家の一人。せいぜい乱歩賞受賞の『伯林―一八八八年』くらいしか取り上げられないのだが、実はそんな歴史ミステリの系譜以外にもこのようなユーモア・ミステリも多数著している。もうほんの少しだけでも注目度が上がって欲しい作家だと思う。


02/05/08
鯨統一郎「鬼のすべて」(文藝春秋'01)

'98年『邪馬台国はどこですか』でデビュー、歴史や民俗学に関する該博な知識と、その常識をうち破る説をミステリに仕立てることで独特の地位を築いた鯨氏。現在はそれらのジャンルから離れた純粋ミステリからSFまで広い作風を展開しているが、本作はどちらかといえば、鯨氏の「本流」に近い作品といえるだろう。八冊目となる単行本。

警視庁捜査一課に所属する刑事、渡辺みさと。彼女はオフの日に待ち合わせしていた年上の友人、若江世依子と未来公園の中央広場で待ち合わせしていた。海水浴場で世依子が溺れかけていたのをみさとが救ったことから友人関係が続いていた。待ち合わせの十二時、未来公園のからくり時計の中から、二本の角を生やし、鬼に擬せられた世依子の首が現れた……。
捜査会議にて私情を挟み込むみさとを本部長の堂間は捜査から外すよう指示したが、しかしキャリアの酒匂川元子の取りなしによって何とか捜査陣に加えてもらう。みさとはその晩泊まりにいった元子の部屋で、「鬼を消す」といって五年前に警察を辞めて姿を消した「ハルアキ」という人物の話を聞かされる。そして翌日、「鬼」を名乗る人物からの犯行声明がマスコミに到着した。

「鬼」にまつわる命題にはとてつもなく深い味があり、それ以外は引っかかりまくる……
古代史、歴史を想像力と大胆な仮定で再構築する鯨氏の作品は、それが安楽椅子探偵のようなミステリ仕立てであっても結局のところは、誰もが知る世界・常識・歴史・知識を数々の仮説によって変貌させるファンタジーとしての楽しみに満ちている。『九つの殺人メルヘン』といった日常の謎系統の作品でもそうなのだが、鯨氏の作品は、どこかテンポがのんびりとしていた方が、その描かれる世界と相応しい。
それを敢えて「連続猟奇殺人」を、独特の常識の再構築と絡めた本書、物語のスピードと描かれ方のミスマッチが著しい。……というのも、捜査する警察サイドに主人公側が組み込まれているのだけれど、それと発生している猟奇殺人とのノリというか、現実感に大きな違和感があるのだ。警察を出すのであれば、ミステリファンを最低限納得させるだけの緊張感が必要だと思うのだが、テンポのずれが引っかかってしょうがない。私情挟みまくりの捜査員、のんびりした捜査テンポ、どこかずれた捜査方針。結局のところ、警察小説と探偵小説のミスマッチを見せつけられている気分にさせられてしまう。
もちろん主題である「鬼」に関する部分の深い考察や、歴史的事実および文献とのすりあわせ、さらに導き出される大胆な結論に対する面白さは十二分にある。「鬼」、なるほど、なるほどねぇ。こう来ますか。特に人々の罪悪感から、という解釈は秀逸でこの部分に文句はつけられない。いや、これまでの鯨作品のなかでも、上位にくる面白さといっていいだろう。
それだけに、物語と謎解きのミスマッチが勿体なく思えて仕方ない。

ということで、「猟奇殺人に対するミステリ」を期待する人には向かず、これまでの鯨作品の「新解釈の面白さ」を求める人には楽しめる、という両極端に振れる作品内容という印象。いろいろ作品の方向性を試すのは悪いことではないのだが……。やはり鯨式テーマには安楽椅子探偵の方が似合うという結論になってしまうか。


02/05/07
飛鳥部勝則「バベル消滅」(角川文庫'01)

第9回鮎川哲也賞を『殉教カテリナ車輪』にて受賞してデビューした飛鳥部氏が翌'99年に受賞後はじめて発表した長編。元本も角川書店より刊行されている。氏の作品には「あとがき」があるが、本書には当初のあとがきに加えて文庫版のあとがきも付け加えられている。解説は井上雅彦氏。

新潟の離島。島起こしの名目で建てられた版画館で警備の仕事をしている風見国彦は、日々の仕事に退屈しきっていた。そんな時期に毎日毎日一定時間、一枚の版画を眺めにやってくる謎めいた少女が現れる。学校の制服姿の彼女が眺めるのは『バベル崩壊』という版画。意味不明の言葉を呟く彼女と一向にコミュニケーションが取れなかった国彦だが、少しずつ会話が噛み合いだした……。
その島の中学校に赴任している教師、田村正義。彼は荒れる生徒に頭を悩ませており半ばノイローゼ気味だった。いらいらしながらの職員会議の後、出席しなかった美術教師の伊庭に嫌みをいうため美術準備室に向かった彼は、そこで後頭部を割られて死体となっている伊庭を発見する。現場にはバベルの塔をモチーフにした巨大な絵が残されていた。

意外? といったら失礼か。蘊蓄や観念に丹念に隠蔽された本格パズラー
飛鳥部氏は絵描きでもある。まだ冊数が重ねられていないので他の作品は不明だが、本作はデビュー作品に続いて自作の「絵」が冒頭にカラーで挿入され、作品の内部でもその絵が重要なモチーフとなって組み合わさる。本書の場合もそう。「バベル消滅」。なぜバベルの塔なのか分からないままに、謎めいた少女が旧約聖書を口ずさみ、人が死んだ現場でバベルの塔のモチーフを探偵小説マニアの教師が次々と発見する。新潟の離島の中学校で連続発生する殺人事件とバベルの塔など、どう考えてもミスマッチ。病んだ学校と病んだ教師、謎めいたというよりも現実離れした少女、更にバベルの塔に関する様々な蘊蓄……。前半部は読んでいてかなり辛い。どうも作者の観念論に付き合わされているような印象が強すぎる。
ところがところが。
物語を語る人物の視点が段落ごとに変化し、関係者の集まる陶芸教室が始まり、少女が何者かに刺されるに至って(勘の鈍い私は特に)ようやく、これが道具立てを揃えた端正な本格ミステリであったことに気付かされるのだ。フェアな記述に隠された読者への罠。何気ない部分に記されている伏線。人物たちの台詞の一つ一つの真の意味……。作者の描く狂気や思い入れに付き合わされている気分で前半を読み飛ばした読者は、必ず後半にて吹き飛ばされることになる。
少女と警備員二人の心の交流が独特の暖かみを作品内に加えてくれることも有り難い。この部分は、人により強烈に印象に残るはず。登場人物のほとんどが心に持つ陰鬱さをこのエピソードが晴らしてくれ、最終的な読後感はなぜか爽やかなものとなっている。

とはいえ読み終えてみて、作品バランスとしてはちょっとどうかな、と思える部分もやはりある。ただ、思いも寄らないかたちで、実は作者から挑戦されていたのだ、と気付かされるラストから(バランスとしては辛いながらも)、「ああ作者にしてやられた」、というミステリ特有の幸福感が味わうことができた。特に本格パズラーが好きな方は、騙されたと思って読んでみて欲しい。


02/05/06
手塚治虫「手塚治虫小説集」(ちくま文庫'01)

手塚治虫という漫画界のみならず、日本文化の一つを象徴する巨星が没してから相当な年月が経過しているが、識者によれば手塚作品の何らかの形(再編集や未発表など)での「新作」は未だに月に一冊ペースで刊行されているのだという。本書はオリジナル編集による一冊で、漫画家、手塚治虫の活字による業績をまとめたもの。 少年誌やSF誌等に発表された作品と、手塚氏自身の手によるシナリオがまとめられている。

I ショートショート
『傍のあいつ』『あの世の終り』『ハッピー モルモット』『姿なき怪事件』『妖蕈譚』『七日目』『ガリバー旅行記』『ナスカは宇宙人基地ではない』
II シナリオ
アトムの原型となるロボットの設計図が盗まれた。その設計図を取り返すべくある国に乗り込んだアトムは、魅力的な少女ロボットと出会い、基地潜入の手引きを受ける。 『アトムの初恋』
劇場公開した同題アニメのプロット。クレオパトラが絶世の美女でも悪女でなく、大国ローマに対して献身的に身を挺する愛国女性だったという噂は真相なのか。未来から確かめにきた三人は、その真実に迫る。 『クレオパトラ』
発掘された謎の古文書には紀元前の日本の秘められた歴史が記されていた。侵略者「足長族」の巫女、そして被征服者の「手長族」の若者との悲恋、そして二つの一族の行く末は? 「『太陽の石』
『三つ目がとおる』のオリジナル作品。額に絆創膏を貼り付けた写楽保介はいつものらりくらりとしていじめられても気にも留めない性格。そんな彼を見ていらいらするのは男勝りの和登千代子。そんな保介は額の絆創膏を取ると不思議な力を発揮する。 『悪魔島のプリンス とおる』
III ジュブナイル
東京の奥地で不思議な幽霊が目撃される。大地主殿町氏はその真相解明を探偵、関俊介に依頼する。その幽霊は蟻人と呼ばれる地底人だった。彼らのボス、女王ナータは東京の地底への進出を目論み、春島章少年に対して奇怪な要求を突きつけてくる。 『蟻人境』
IV ファンタジー
宇宙飛行士の有島は宇宙でエンゼルヘアーと思われる不思議な羽を手に入れ、弟の定男少年に渡す。ところが”妖精”が現れ、それを返して欲しいと頼んできた。ある事情からその羽を捨てなければならなくなった彼ら。そして羽はコマイヌ氏の支配下の街に暮らすカズオ少年の手に渡る。その羽を使うと空を自由に飛ぶことができることが分かり、カズオ少年は近所に住む恵まれない人々に貸し与えるが、その噂はコマイヌ氏の耳にも届いてしまう。『羽と星くず』

活字になっても手塚治虫は手塚治虫。メディアが変われど、その存在の大きさは不滅なのだ
手塚治虫は「マンガの神様」である。 ことマンガに関しては有名な子供向け作品に限らず、大人向け作品でも非常に評価が高いということは、私がわざわざ説明するまでもなく、皆さん自明のことであろう。そんな手塚氏が遺してくれた漫画以外の遺産のうち、活字という形で発表された作品が集められているのが本書。
冒頭にいくつか収録されているショート・ショートを通読した印象でいえば、「活字の手塚治虫」というのは「決して神様レベルには至らないけれど、手堅い仕事をする専業作家レベル」だな……、というものだった。(おなじみ、ヒョウタンツギをホラーのネタに仕上げた『妖蕈譚』あたりがお気に入り)。また、リドルストーリーで終わらせた方が印象が強くなると思われる作品にも、蛇足の科学的解釈が付されているケースが多く、作家は作家でもSF作家の系列のように感じられた。それが次のシナリオのパートに入ると、俄然手塚治虫らしく、いや手塚治虫でしか描けない世界がイメージされるようになる。というか、既に小説を読んでいる気が全くしないのだ。続くジュヴナイルの『蟻人境』であっても、ファンタジーの『羽と星くず』であっても、文章を読みつつもすぐに「手塚マンガ」に情景が頭のなかで置換されてしまう。 手塚治虫と一緒に育った、と豪語するにはちょっと若い世代に属する私でさえそうなのだから、手塚治虫に造詣の深い方ならなおさらであろう。それが心地よくもあり、邪魔な一瞬もある。神様の小説は、いろんな意味で楽しく、それでいてちょっと難しい。
もちろん、ストーリーの部分(シナリオはもちろんアニメ化を意識したものだけにちょっと異なるが)は、手塚治虫らしい波瀾万丈に富んだ内容。個人的な印象ながら、手塚作品というのは単純に愛と冒険だけでない「怖さ」が内包されているように思っているのだが、本書に収録されている作品からも似た印象を受けた。これももちろん手塚作品が年齢層を越えて愛読され続けている魅力の一つだろう。

超代表作に関してはそれなりに読んではきていると思うが、手塚治虫の漫画の全貌は私ごときには捉えることは出来ない。その有り余る才能、そしてイマジネーションが余技で小説に向けられたという感じか。世代を問わず、読む価値がある作品。特に『蟻人境』は(荒唐無稽な)昔日の探偵小説がお好きの方なら目を通すべき。


02/05/05
別役 実「探偵X氏の事件」(王国社'86)

別役氏は劇作家。'37年に中国で生まれる。早大を中退し'66年に「早稲田小劇場」を結成、'86年に『マッチ売りの少女』『赤い鳥のいる風景』で岸田国士戯曲賞を受賞している。戯曲はもちろん童話や評論などの著作多数。本書は東京新聞(他)の日曜版に'82年から'85年にかけて連載された作品に書き下ろしを加えてまとめられたもの。

「探偵X氏の肖像」*「過失傷害事件」「S夫人誘拐事件」「金魚盗難事件」「死体盗難事件」「六連続殺人事件」「耳事件」「ワニ事件」「ホテル・ハイデルコート事件」「予言殺人事件」「大量殺人未遂事件」「さより事件」「密室殺人事件」「エントツ事件」「穴事件」「煙草屋盗難事件」「鉄橋事件」「エントツ男事件」「水虫スパイ事件」「めちゃくちゃ殺人事件」「雌豚輸送事件」「植木鉢墜落事件」「時計屋事件」「夢泥棒事件」「結婚式殺人事件」「落とした切符事件」「お魚盗難事件」「鳩の餌事件」「ヘソクリ事件」「真犯人殺人事件」「本塁憤死事件」「正当防衛殺人事件」「サイレン事件」「はげ頭連続殺人事件」「花婿失踪事件」「爆弾事件」「四トン半事件」「タックル事件」「パセリ泥棒事件」「指輪紛失事件」「恐竜護衛事件」「ハイキング事件」「市会議員誘拐事件」「サンタルチア事件」「セント・グレゴリオ病院事件」「尾行事件」「銀行襲撃事件」「動物園事件」「ヒパパタマス・アレルギー事件」「自首事件」「電話殺人事件」*「探偵X氏の解剖学的考察」以上、五十にのぼるX氏によるスーパーな事件簿

ショートショートにして本格ミステリにして見事なバカミスにして強烈なブラックユーモア
 すごいすごい。こんなミステリがこの世にあったのか!

上記の通り、ショートショートの作品。どこか西洋の小都市をイメージする街に住む唯一の探偵X氏。仕事がないと自分で事件を引き起こすX氏もとんでもないが、その頼りにならず(むしろ迷惑な)X氏に事件の依頼をする市民もとんでもない人が多いのが特徴。そもそもX氏は探偵だが、事件によっては全く解決出来ていないし、推理より偶然に頼ることが多い。それに優しい語り口に似合わずX氏は市民から愛されていなかったりする設定も意表を突く。また、どこに「オチ」を付けるのかについても各作品で変えており、これだけ作品がありながらワン・パターンで笑いを取ろうとしていないところが凄い。また笑いにはブラックな感覚が横溢していながらも、それは「悪意」とは異なる点も好感。これらのプラスの要素が程良くミクスチュアされた結果、読者としては全く飽きることなく最初から最後まで一気読みさせられてしまう
個人的には、野球の最中守備側が弾いたボールの行方をランナーがホームインするまでに捜さなければならない『本塁憤死事件』や、人を殺してみたいという欲望を叶えさせるという依頼の解決方法の結果が面白い『正当防衛殺人事件』など多数がツボ。
ああ、それから言っておかなければならないのはやっぱり「バカミス」真っ青のトリック群。普通の作家が短編ミステリで使ったら袋叩きに合いそうなネタがちりばめられている。普通に伏線を張っていたら読者も気付くレベルの話ばかり。しかし、本書は量と勢いで読者の思考を停止させるという荒技を使っているため、そんなこと気にするヒマもなく、それがまた堪らないほど面白く思えてくるのだからどうしようもない。考えようによれば、これもまた立派なレッドへリングかも。

以前から存在は知っていたものの、漂泊旦那さんのレビューでとても読みたくなった。運良く某所にて購入することが出来たもの。一部のネット書店では「お取り寄せ」になっているようだが現在は絶版。図書館などで探された方が早いかと思う。


02/05/04
倉阪鬼一郎「十三の黒い椅子」(講談社'01)

講談社『メフィスト』に'00年から翌年にかけて連載された作品。本にまつわる話だけに「単行本になってから読みたい」という読者が多かったという、倉阪鬼一郎初の連載長編作品。

うーーーーーーーむ。非常に要約の困難なメタ構造を持つ作品。
赤池朗馬の編著、書き下ろしホラーミステリー・アンソロジー『十三の黒い椅子』。「十三番目の黒い椅子」は読者のために空けてあるという、十二人の作家による「椅子」をテーマにしたアンソロジーである。作者の赤池朗馬の本職は詩人。謎の多い作家で、本書発表前に急逝したという杉下ゆかりの『椅子と駱駝の物語』という作品で幕を開ける……。このアンソロジーの一編一編に挟まれる形で、雑誌に連載されているという赤池朗馬の日記、そして執筆者の一人である作家、南光一が管理するインターネット上の掲示板でのファンや匿名発言者を含む関係者のやりとりなどが挟まれる。これらから類推するに執筆した作家陣の間には、確執や秘密が存在していることが伺われる。そして、執筆者の一人、畑中圭之輔が何者かに刺されて死亡、また、さらに別の執筆者であるネロがまた失踪する……。

いったい何回読者をひっくり返せば気が済むのか? 闇に溶けゆく超異色のメタミステリ
最初に断っておくが、一度通読しただけでは本書の仕組みの奥深いところまで見通すことはかなり困難な作品である。そして一度しか通読していない私の書く以下の文章が実は的はずれであったとしても、まぁ笑い飛ばして頂きたい。なおネタバレに近い箇所は白抜きしているので、先入観を持ちたくない方はそのままどうぞ。
まず、試みが面白い。架空のホラーミステリー・アンソロジー。意図的に文体を変えてはいるものの、これまで多数の作品を著してきた倉阪鬼一郎の影がちらつく点はとにかくとして、よくもまぁ、十二もの掌編を創り上げたもの。(ただ、その同一作者の影がちらつく、というのはメタミステリとしての本書にとっては重要な伏線でもある)
そしてその間に挟まれた独白調の赤池朗馬の日記、そして架空の掲示板のやりとり。この二点は倉阪氏が自ら発表している日記と、某幻想的掲示板がベースになっていることは間違いなく、実に「ありそう」な内容でなぜか読ませるものがある。(アンソロジー寄稿者の一人である櫻居清志郎というのもなにやら暗示的ですな)  赤池朗馬の日記が終了後は「鍵のある日記」に代わり、さらに関係者の対談記録と続いていく。実際の地の文となる文章、つまり第三者による客観的描写が中盤までほとんどないに関わらず、このアンソロジーの裏で確実に事件は発生し、関係者に死が訪れている。インターネットというツールを小道具として、実に効果的に扱っているといえるだろう。ナマの迫力、というと怒られるか。一方、個々のアンソロジー作品は様々ながら、根本的にはクラサカイズムにて統一されており、椅子というよりもそちらでの統一感による効果が大きいように思う。

さて。本書がメタミステリである……という点までは明かしてしまって差し支えないだろう。だが、その方法論として「言葉に対する徹底的なこだわり」が採用されていることによって、すさまじいまでの迫力が作品から立ち上る。視点、そして物語の存在が変化するたびに明かされる、そのための伏線。暗号であり、文章中のちょっとした表現であったり。物語を構成する全ての文章の内部に仕掛けられた巧妙な罠、そして暗号の深さは、空恐ろしささえ感じる。
何度も何度も作者を登場させ、そしてその作者から特権的地位を奪い続ける。この部分はホラーとして受け取れなくもないが、私にはなんというか、上澄みを掬い取っていく作業のように思える。最後に残されるのは沈殿し、底に溜まった「何か」。最終的に倉阪氏が目指したミステリにおける地平は、最後のメタレベルの作中作作者と、大学ミス研のインタビューにて交わされている部分にある。それでいて最後に物語は闇の中へと消えていく。今まで読んできたミステリでは体験したことのない奇妙な余韻だけがそこに残されている。 

倉阪氏は、作家自らが運営するインターネット上の電子出版、e-NOVELSからの執筆依頼に対して「本」という形式に対するこだわりから依頼を断ったという。そのこだわりが炸裂したかのような作品。つまり「本」という形式抜きには本書は成立し得ない。「ホラーアンソロジー」という設定で「ホラーミステリー」という部分が目に付きがちだが、これは倉阪ミステリの新境地といえよう。ただ、毎度毎度この形式をやってしまうわけにはいかないところが難点かもしれない。


02/05/03
近藤史恵「この島でいちばん高いところ」(祥伝社文庫'00)

祥伝社が企画した「400円文庫」の第一弾として二十一冊刊行されたうちの一冊。テーマ競作「無人島」に属するもので、他三氏、つまり西澤保彦、歌野晶午、恩田陸作品を全て読了したので、仕上げの意味で手に取った。

夏休みに二泊三日の海水浴に出かけたどこにでもいる女子高生、葛葉、里美、潤子(ユンジャ)、桃子、聖の仲良し五人組。初日に海水浴場のひどさを民宿にて嘆いていたところ、地元民だけが泳ぎに行くという無人島を紹介される。釣り人と共に一日一往復の船に乗って訪れた無人島で無邪気に躁ぐ五人組は、昼寝をしているうちに帰りの船を逃してしまう。仕方なく野宿を決め込む五人だったが、無人のはずの島には別の男が潜んでいた。そして次の日の早朝、散歩に出た聖が戻らなくなってしまう。

無人島の少女たちを襲う謎の影。緊張感と、そして後味悪さを伴う生き残りサスペンス
本書のカバー、内容紹介にはこう書いてある。「――理不尽な体験を通し、少女から大人に変わる瞬間を瑞々しい感性で描く傑作ミステリー――」  傑作かどうかの判断は個人差があるので触れない。「理不尽な体験」も確かにそう。女子高生たちが謎の殺人鬼と立ち向かわなければならない環境が「理不尽な体験」でなくて何であろう。ここまではいい。「少女から大人に変わる瞬間」と、「瑞々しい感性」……これって違うよ。
別に近藤さんが「瑞々しい感性」を持たないというつもりはない。本書における女子高生の描写には、その時期をくぐり抜けてきた女性でしか描けない「ある種のリアルな雰囲気」というのが確かにある。だが、それはミステリを構成するための道具であり、強調されるべきはミステリとしての内容であろう。事実、中盤までのサスペンスフルな展開には読者を引き込む力が大きく感じられる。
「少女から大人に変わる瞬間」というフレーズはエピローグに確かに存在する。がしかし、これは登場人物が過去を整理するために、無理にノスタルジックに処理した結果表現であり、私一人でなく多くの読者の共感を得るに至っていないと感じる。本書はあくまでサスペンスを主体としたサバイバルゲームが描かれたミステリであり、その解決過程の後味悪さは果たしてそれが本書における設定における唯一の正解なのだったとしても、ミステリ・エンターテインメントとしては「いけないこと」のように思えてならない。少なくとも男性読者にとっては救いがない。「少女が大人に変わる」……ということが男性にとって理解できないくらい大きな転換点となる……にしろ、それをこのようなミステリ形態にて発表することに疑問符が浮かんで消えない。

女性が本書を読んで頷けるものなのかどうか。男性としては犯人の描かれ方に不自然さを覚えてならなかった。数ある近藤作品はミステリとしてもエンターテインメントとしても楽しめる作品が多いなか、本書についてはその評価をもっとも低い部類にせざるを得ない。


02/05/02
西澤保彦「なつこ、孤島に囚われ。」(祥伝社文庫'00)

祥伝社が企画した「400円文庫」の第一弾として二十一冊刊行されたうちの一冊。括りとしてはテーマ競作「無人島」に属すると同時に西澤氏が新しく立ち上げた「なつこシリーズ」のパイロット版にあたる。本書の続きが『両性具有迷宮』にあたる。

異端百合族小説作家の“わたし”こと森奈津子は、倉阪鬼一郎や牧野修との飲み会の帰り、謎のグラマー美女に拉致され、彼女に不謹慎な振る舞いを仕掛けられているうちに気を失い、気付くと南の島の無人島に軟禁されていた。とはいえ建物の住み心地快適、ビール飲み放題、蟹食べ放題の生活に一瞬で溶け込み、創作意欲が湧きまくって優雅な生活をエンジョイしてしまう。奈津子的に〈ユリ島〉と名付けられたその無人島の向かいには〈アニキ島〉とこれまた勝手に名付けられた島があった。その島にもどうやら男性がいる様子で、奈津子はときどきその島を双眼鏡で観察しては、一人で妖しい妄想を膨らませていた。一週間後、その〈アニキ島〉に警察がやってきて、奈津子の甘美な別荘生活も終わりを告げる。

なつこワールドへの玄関口。その後を読むか読まないかを判別する踏み絵的存在
西澤氏の意図がどうあったにしろ、本書の刊行当時、評価は本気で賛否両論を分けた。広い人気を誇る西澤作品には珍しく「否」の方が優勢だったように思う。その「否」と主張される立脚点は主に二つ。一つは、森奈津子の文体と文型と本人とを模写した特殊文体を使用していたこと、もう一つはミステリとしての奥行きの無さだった。
まずミステリ部分を検証するに、確かに「作品内事実」が後から後から追加されるため、推理そのものの数は並べられていても、常に決め手に欠けて面白みが薄い。また犯人からの手紙で膜を、おっと幕を降ろしてしまうのは現在のミステリ界ではもはや禁じ手だろう。それに最後の手紙でしか分からない事実を明かされてもなぁ……というため息も出る。逆算するに、ミステリ的な興趣を読者に与えられるとは、作者も期待していないということと受け取るべきなのではないか。
すると本作の意義はもう一つの「否」に移る……と。従来なかったポルノ的描写、特に微に入り細に入り細かく描写される部分に「否」の反応があるように思う。しかし、思うにこれが本書の一つの眼目なのだ。つまり特殊な百合感覚、そして超越したジェンダー理論が闊歩する「なつこワールド」を西澤氏が描くにあたり、その世界を説明する必要性があったということではないか。『両性具有迷宮』にて展開されるジェンダー論は、この描写抜きには語れない(こともないが語りやすい)だろうし、西澤氏が師匠と崇める森奈津子さんの存在は、まさにこんな感じであることでもあるし。
今後の「なつこシリーズ」では、このような描写は引き続き描かれることになるだろう。本書はその世界に入るための踏み絵だと考えると、一番しっくりくるように思うのだ。

現在のところ「これが西澤保彦」ではないが「これも西澤保彦」である。そして将来「これも西澤保彦」の本作品が「これこそ西澤保彦」に変化しない保証はない……。そう考えるとちょっとコワイですけど。結局、入手しやすい四百円文庫にて刊行されたことが、騒動の一つのきっかけとなったようにも思うわけで。これしか読んでいない、という方は他の作品も読むように。


02/05/01
笠井 潔「三匹の猿 私立探偵飛鳥井の事件簿」(講談社文庫'99)

'95年に『海燕』誌に二ヶ月に分けられて発表された作品が同年にベネッセより単行本化された作品が元。笠井氏は本書(というか飛鳥井シリーズ)によって、氏の提唱する「ハードボイルドの理想型」を律儀に実現しようと目論んだのではないかと言われている。'96年に刊行された『道 ジェルミソーナ』も同シリーズである。

長期間米国に滞在し、三年前に帰国してきた飛鳥井。彼は英語を喋る私立探偵事務所として維持されてきた巽探偵事務所をただ一人で切り盛りしていた。普段は依頼人の滅多に来ない事務所を久々に訪れてきたのは十七歳の女子高校生。田之倉有美と名乗る少女は、自分の父親を捜し出して欲しいと飛鳥井に依頼する。彼女は未婚の母、千鶴に育てられたが、父親に関する情報は家の中ではタブーなのだという。欲得抜きで本件を引き受けた飛鳥井は千鶴の学生時代の親友たちを調べ、追跡調査を開始する。千鶴が所属していた文学研究会を構成していた主要メンバーには、現在は人気作詞家となっている長谷部、学生運動の末に自殺した桝本、そして『三匹の猿』という作品で作家デビューした中条という男。その中条と千鶴が一時期同棲していたことを飛鳥井は突き止める。数日後に事務所を訪問するといった依頼人が現れないまま、飛鳥井は別の調査に時間を取られていたが、それが一段落した頃、田之倉千鶴が巽探偵事務所に現れる。飛鳥井は有美が事務所訪問後に行方不明になっていると聞かされ、清里周辺にて発見された若い女性の猟奇殺人死体が彼女である可能性を検討し始めた。

ハードボイルドの笠井流実験作品……のはずなのだが、本格ミステリとしての興趣強し
別に知り合いだからということはないが、率直にいって本文庫の千街解説は、本書の意義をかなり的確に把握してしまっているように思える。つまり、笠井潔というミステリ界きっての論客が、ハードボイルド小説を自ら執筆するに至った理由であるとか、ハードボイルドの歴史的道標作品との対比であるとか、この作品に込められた作品上の技巧であるとか。そして本書からなぜ本格ミステリとしての面白みが発されているのか。そのあたりを繰り返しても意味はないし、一部私なりに千街氏とは異なった見方をしたい部分があるのでそちらを中心に述べてみる。

本書が私立探偵小説であり、笠井流ハードボイルドである点までは異論はない。同じ解説からの抜粋になるが、笠井氏が本書を執筆するにあたって以下のことを意識したのだという。すなわち「暴力沙汰を好まない、反権力を標榜しない、警句を吐かない」の三点である。日本型のハードボイルドの形態からの脱コード宣言とも受け取れる。
ただ本書、非常に狭義の個人的ハードボイルド観に照らすに、上記三点がないという理由以外の点から「ハードボイルド」としての物足りなさを覚えるのだ。逆に「本格ミステリ」として、その試み、意外性とともに高い評価を付けることが出来るにも関わらず。
それは主人公、飛鳥井があまりに透明であることに起因している。確かに飛鳥井はそれなりの過去を持ち、いろいろと独特の特徴を持っている。直接ではないが一人称で彼の心理に従って地の文が書かれており、その心象についても多くの表現がある。それでいてハードボイルドの主人公において必須と(私は)考える主人公が自らの人生と真摯に向かい合う気持ちが感じられない。 だから透明。
これは意図的に為されていることだろうが、家族愛、男同士の友情、美人秘書とのラブラブなどの諸要素は省かれている。その一方で、弱きものへの慈しみ、汚きものへの反発(反”権力”とは限らず)、悪に対する素朴な怒りといった人間的な感情という要素までが省かれてしまっているのではないか。この結果、事件から関係者、そして自分自身に対してさえ等距離を保つ「飛鳥井」という人物が出来てしまっている。これでは、まず読者の感情移入は望めないし、どこか浮世離れした「私立探偵」という記号が物語の語り手となり、「ハードボイルド」作品を読んだ時に素朴に味わえるひとときの感動を得ることが出来なかった。

一方で前述の通り、本書は本格ミステリとしては非常に優れていると感じられる。何より一人称でいてラストまで事件の意外な真相を隠し通す手法、これはこれまでにない新しさを感じる。叙述トリックとWHO DONE IT? の絶妙なる融合及び変形とでも呼べばよいのか。加えて、複数の猟奇殺人死体、複雑な家庭環境、隠された過去の秘密、「三匹の猿」の見立て……等々、実は作品内部にいわゆる本格ミステリにおいて多用されるコードが数多く見え隠れしている。これがミスディレクションや、レッドへリングとなって読者を(そして探偵を)惑わせる。実は私立探偵が得た情報に伏線や手がかりがありながら、最後に次々と明かしていく(探偵が気付いていく)やり方も本格ミステリの解決部分によく似ている。そして、その二転三転する事件の図式から得られるサプライズは、本来「本格ミステリ」に期待するそれとまるで同じなのだ。穿った見方が許されるならば、本書は「ハードボイルド形態を利用して本格ミステリが成り立つのか」という課題への挑戦のように思えるくらいである。

正直、刊行直後にそれほどに話題に上った記憶がない。ただ、内容的には様々な要素を内包していることは事実であり「もっと注目されるべき小説」という千街解説の結びについては私も全面的に首肯する。 正直、もっと多くの方の意見が知りたい気がしてならない。