MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/05/20
村瀬継弥「水野先生と三百年密室」(立風書房'97)

それまでも短編発表があった村瀬氏だが、本格デビューは'95年の『藤田先生のミステリアスな一年』で鮎川哲也賞佳作を獲得してから。その後、本書の発表こそあったが、現在はアンソロジーなどに収録される「藤田先生もの」の短編中心に発表がうつっているように感じられる。

大学を卒業後、教師になるという熱意こそもちながら就職に失敗していた私、水野は塾講師として生活していた。そんな時に香川県丸亀市にある私立女子高校の臨時採用試験をダメもとで受けたところ、激しい倍率にもかかわらずなぜか通ってしまい、教師となることが決まった。面接時に探偵のまねごとをして放火魔を捕まえたことがある、というのが効いたらしい。その学校では少し前に生活指導の教師が何者かに刺されて学校内で殺されるというショッキングな事件が起きており、未だ犯人が不明なのだ。そして犯人とおぼしき「裏山に逃げ込んだセーラー服姿の人物」は、どうやら、いきなり担任とさせられることとなった一年六組にいると思われていたのだ。理事長から犯人探しを命ぜられた水野は、生徒のなかから犯人を出すことに反発、とにかく生徒全員を無実と信じ、彼女たちの瞳に明るさを取り戻そうと決意する。バレーボール大会、合唱大会などの貴重な経験を受け、彼女たちは徐徐に元気になっていく。一方水野は水野で事件が他の先生によって引き起こされたのではないか、と疑いを持っていた。

新米教育者の成長物語といくつかの本格パズラーと
地方の女子校に赴任した新米教師がいきなり直面させられるのは「クラスのなかに殺人者がいる」と目される生徒たち。殺人者というのは極端だが、このおどおどと元気のないクラスをどう盛り上げるか。一つは生徒が元気になるイベントをこなすこと、そしてもう一つは真犯人を「クラスの外」から見つけだすこと。 素人探偵役たる人物が、実際に徹底的な推理を行うにあたって、これほど分かりやすい動機もないだろう。単なる興味や好奇心でなく、自分の守りたいものの為に推理するのだから。ただ、この結果、推理の方向性に危険な徴候が見え隠れする。本命と目されている部分に目をつむり、穴を狙って推理することになり、本来疑うべきでない人物(同僚とか)を疑いの目で見、確証もないのにそれを他人に話してしまう……というどこか居心地の悪い展開となってしまっている。
設定されているミステリの「謎」及びその「解決」については、一定のレベルにあり、特にメインの殺人事件の謎解きは、意外性もあってスリリング。一方、題名にも使用されている三百年密室――結婚前日に婿に対して行われる蔵で一夜を過ごす儀式。不実な男は外傷のない死体となって翌朝に発見される――の方は、ある突飛な解決の為にわざわざ適合する舞台を強引に作っているのが透けて見えてしまうので、ちょっと興が冷めるか。
また、ちょっと意外だったのは、東京にいる推理仲間の存在。時々水野は彼に電話を掛けて事態について相談をしているのだが、彼の助言がいつも的はずれ。安楽椅子探偵を彷彿させる設定でありながら、水野が落ち込むようなことしか言わない彼が物語上に存在する意義って一体?
等々、細かい気になる点は他にも実はあるのだが、全体を通じての雰囲気、謎解きの整合性などには問題なく、むしろ爽快感がある。生徒たちも生き生きしており、学校の雰囲気表現などは、教師の経験が生きており、非常に上手といえるだろう。

生徒と水野先生の心の交流、特に新米教師であった水野先生が、教育熱心で暖かな心を持つ教師として成長していく様子はなかなか楽しく読めた。 この暖かみは日常の謎系統のものだが、殺人事件が起きているしなぁ。なんというか、懸命さは感じられるのだが、どこか垢抜けない。そんな印象。


02/05/19
戸梶圭太「闇の楽園」(新潮社'99)

ようやく辿り着いた、第3回新潮ミステリー倶楽部賞受賞した戸梶圭太氏のデビュー作品。この時は『ぶつかる夢ふたつ』と、なにか今振り返るとホントに戸梶圭太? という題名で投稿されていた。またこの年は同賞から、島田荘司特別賞として響堂新が、高見浩特別賞として沢木冬吾がデビューしている。戸梶氏は前年も『血痕の街』という作品で最終候補に残っているのだが、こちらは何らかのかたちで刊行されているのだろうか?

通信機器の設立会社に勤務する青柳敏郎は、ノルマを達成できない自分に嫌気がさして会社を辞めて無職となっていた。そんなある日、偶然手に取った公募ガイドにて長野県の坂巻町にて町おこしの企画募集が行われていることを知る。青柳のなかに、あるテーマパーク構想が閃き、夢中になって応募する。 一方、その坂巻町は藤咲町長が中心となりテーマパークを中心とする町おこしムードが盛り上がっていたが、それを快く思わぬ人物がいた。祖父の代からの大資産を派手に蕩尽するだけが才能の馬鹿男で町会議員の君塚である。君塚は、東京にて行った麻薬入り乱交パーティの現場を、ハイテクバイオベンチャー社長と名乗る剣崎という男に押さえられてしまっており、そのテーマパークの予定地に不法投棄をさせていたのだ。 さらにもう一方、新興カルト教団『真道学院』と名乗る集団がその土地を狙っていた。洗脳で若者を次々と仲間に引き入れている彼らは、聖地を建設すべく調査を開始していた。乗り込んできていたのは、丸尾という自衛隊あがりの重要幹部。丸尾は各種の手をつくし、まずは君塚が所有する、町の半分にも及ぶ土地を買い占めようと画策する。

戸梶圭太は最初から戸梶節だった! 長野県の田舎町を舞台に繰り広げられる狂気と勢いの大祝祭!
最近出た本書の文庫版の帯だったかに、「デビュー作から戸梶は凄かった」といった(うーむ、微妙に違う気もするが)コピーが踊っていたように記憶している。あの戸梶圭太のデビュー作品は、確かに今後の戸梶テイストを十分に予感させる勢いと激しさと馬鹿馬鹿しさ(いい意味での)を兼ね備えた複層構造となっている。梗概でも明らかにした通り、舞台こそ長野県の郊外、坂巻村とほぼ共通しているのだが、そこに「テーマパーク建設」「秘密の産廃処理場」そいて「新興カルト宗教の聖地建設」の三大勢力の三つ巴の争いで物語が進むのだ。つまり戸梶テイストの重要な役割を持つ、比喩的な意味での「バトル」が、三者の間に繰り広げられるわけだ。戸梶作品は決して暴力を否定していないし、それに加えて経済的、精神的、そのほかありとあらゆる卑劣な手を使っても「勝ったもん勝ち」という、ゲーム的な世界を創り上げているのが特徴だと考えている。その意味ではデビュー作も、そのような構造を持っていることにはうれしくなってくる。だって、面白いんだもん、こいつら(登場人物たちね)。
巻末に付記されている選評でも言われていることだが、「ミステリーとしての味わい」は薄い。トリックや謎というよりも物語の結末への興味で読ませる作品だけに、その薄さを責められても仕方ないだろう。それにも関わらず島田荘司氏をはじめとする選考委員が本作を受賞させた点はちょっと興味深い。ただ、かなりの数の登場人物、そしてエピソードを出しながら、それを伏線として使って最後のカタルシス部分で結実させる手法は、ミステリ的といえなくもない。
ただ、読み終えた後に「ちょっと御行儀が良いな」と思ってしまう部分もある。投稿作品ゆえ、選考委員の目を意識している部分があるのだろう。登場人物に意味なくぶっ飛んだ人物がおらず、それなりの裏付けを無理に作っていたりちょっぴり勿体ない。(それでもお坊ちゃん町会議員、君塚の東京御乱行あたりはいい味出している) 文庫版ではちゃめちゃに書き換えられたり……してないよね、たぶん。

最近の戸梶人気の裏側で、まだ文庫化された作品が少ない点が気になっていたところ、ようやく少しずつ数が揃いだしてきている。たぶん幻冬舎文庫のシリーズよりこちらの方が「一般向け戸梶」かと思われる。これで気に入るならば、他に手を出しても大きなヤケドを負うことなないだろう。


02/05/18
我孫子武丸・牧野修・田中啓文「三人のゴーストハンター 【国枝特殊警備ファイル】」(集英社'01)

今をときめく邪悪・異形・お笑い? の関西系ミステリ・ホラー作家三人が、京フェスで知り合い、仕事を通じて付き合いを広げることにより合作のアイデアが生まれたという異色の連作ホラー。『小説すばる』誌で三人交互に連載された作品に、マルチエンディングの結末部分が書き下ろしで加えられている。

国枝警備保障は怪異現象としか考えられない事態を一般警備会社から引き継いで警備を行う会社。社長の国枝以下、元オカルトアイドルの橘小百合、お祓いが本職の破戒坊主・洞蛙坊、電波系超美少年でバイセクシャルの比嘉薫、工学博士で非科学的な事柄を一切認めない山県匡彦の五人で成り立つ。彼らは四年前、テレビ番組の収録で訪れた「幽霊屋敷」にて発生した惨劇で親しい者を喪うか、身体の一部を奪われて瀕死・記憶喪失となった経験を持っており、そこで起きた怪異を解明するために、仕事を同じくして寄り添っていた……。
軍事機密を研究する企業の泊まり込み社員を襲う女性の幽霊。 『熱キ血汐ニ……』田中
企業のセクハラ男を襲う、獣の姿をした謎の化け物。 『獣日和』牧野
インテリジェントビルに現れる火の玉と、警備員を追いつめる謎の女。 『楕円形の墓標』我孫子
老人ホームの隣にある水族館では人の顔の浮き出た魚が夜に蠢く。 『常世の水槽』田中
病院の一室を占領する人面の鳥は、退院間近の患者を襲う。 『鳥迷宮』牧野
事故で死亡したデュオの片割れの幻影に怯えるアイドルのコンサート。 『呪われた偶像』我孫子
美術館に運ばれた謎めいた女の絵。その絵が「足りない」と訴える。 『血まみれの貴婦人』田中
修司のいるマンションの外は危険な場所。比嘉は葛の化け物に襲われる。 『葛千夜』牧野
ホテルの一室で発生する人体発火現象。開かずの間の謎を解く山県。 『ハネムーン・スイート』我孫子
そして、彼らにとっての「最後の事件」……。『洞蛙坊の最期』田中、『虫籠ノ閨』牧野、『真実のありか』我孫子。 以上、九編+三編による連作短編集。

ホラーテイストと遊び心満点。今をときめく三人のノリが結実したエンターテインメント
サイコスリラーの傑作『殺戮に至る病』や『腐食の街』『屍鑞の街』といった近未来サイコサイバーSFを生み出す、ミステリもサイコもどっちもOK、我孫子武丸。『スイート・リトル・ベイビー』による日本ホラー小説大賞佳作受賞以降、ジャパニーズホラー小説シーンをリードする電波系の達人、牧野修。そして『水霊 ミズチ』よりYAからホラー分野に軸足を移し、『異形家の食卓』で筒井康隆の絶賛を受けた地口の帝王、田中啓文
いやはや、実に楽しい。三人寄れば文殊の知恵というが、これは漫才師三人が飲み屋で超超超超イイ感じでへべれけになりながらも、互いにボケとツッコミを繰り返す様をとなりのテーブルから眺めているような……。その場の思いつきや壊れかかった支離滅裂な発想を大まじめに文章化するのが三人のすごさで、当然強烈なハイテンションめちゃくちゃな面白さを内包している。そしてもちろん、現代的ホラーファンタジーのセンスもまた満ちあふれている。
本書には三人の主要登場人物があり、繰り返しになるがその一人一人の物語を、田中、牧野、我孫子にて分担している。性欲食欲等、快楽を求める欲望と煩悩の固まりの坊主、洞蛙坊を田中が、繊細なセンスと図太い神経と類い希な美貌を持ち、対象を愛し抜くことで飼い慣らす比嘉を牧野が、怪異現象に対してもびくともせず、論理的科学的な解決をつける山県を我孫子が、それぞれ執筆している。そして三人が三人とも自分の作風をしっかりと維持している(我孫子はミステリ、牧野は電波、田中はめちゃくちゃと地口) にも関わらず、作品集全体から受ける印象では不思議な統一感が出ている点にも注目したい。自ら操る登場人物以外、つまり共通キャラクタの性格付けや背景となる設定が強固に守られているからか。
またこれもゲーム感覚が面白いのだが、九つの物語が終了した後にマルチエンディングが残されている。唐突に読者につきつけられる「性格占い」の結果選ばれる物語。メインの視点を与えられるキャラクタによってそれぞれ異なるラストを迎える。そしてそれもまた、それぞれが田中的、牧野的、そして我孫子的なエンディングなのが面白い。(個人的に一番フィットするのは幻想と破滅のミクスチュアが強烈な比嘉のラスト) これまで発生した事件、語られなかった四年前の幽霊屋敷での出来事、そしてその邪悪の根元についてさえ、三人異なった解釈を物語中を綴っており、読み比べてみるとそれぞれの個性が強く感じられる。

人に仇為すバケモノ、そして特殊能力を持つ人間によるそれの退治、という図式は古典中の古典にもみられる普遍的な物語図。それに作者三人の名前をみれば、いかにもゲーム的、漫画的な内容を想像させられるのだが、そこは皆さんプロ、しっかりホラーとして押さえるべきところは押さえている感。刊行当時すぐに読まなかったことが悔やまれる。三人の作家の誰かが好きであれば、読んで損はない一冊。


02/05/17
半村 良「どぶどろ」(扶桑社文庫'01)

扶桑社文庫にて刊行されつつある「昭和ミステリ秘宝」時代篇にあたる一冊。半村氏はSFないし伝奇畑の作家である、という認識を個人的には持っていたが、このようなストレートな歴史ミステリも手掛けていたのか。

江戸時代。江戸の街に住む庶民たちは様々なしがらみや悩みを持ちながら、日々精一杯の暮らしをしている。短編『いも虫』『あまったれ』『役たたず』『くろうと』『ぐず』『おこもさん』『おまんま』にて描写される彼らの日常の断片。老舗の莨問屋の伊勢屋に奉公する若き手代、源吉。その伊勢屋に長く努め四十過ぎての女房をあてがわれた清吉。惚れた女と一緒になるため家を継ぐのを放棄した医者、渡辺順庵。卸の叶屋の身代を潰しかけ、花魁を身請けして家を出た小六。その花魁、延川の今の恋人、宇三郎は、小六と橋を隔てて夜鷹の蕎麦を茹でている。手堅い商売をしていた西海屋の主人の座を弟に譲ってうらぶれた敬助。担ぎ屋の浜吉は、評判の女板前、お梅とは幼馴染み。その浜吉の妹、おきのは喜太郎という職人の元に嫁に行くことが決まった。盲人の金貸しの取り立てを任されている伊三郎、そして榎。……そして顔の広い小間物屋、本所の源助。彼らにまつわるエピソードが切れ切れに語られた後、山東京伝の弟子で、本人の自覚抜きに周囲からは岡っ引きと思われている男、町屋敷の平吉、ないし、この字の平吉による中編『どぶどろ』へと進む。夜鷹の蕎麦屋を営む老人、小六が何者かに殺された。その報が世間にまだ回らぬうちに、平吉は主人の岩瀬伝左衛門から「累の及ばぬよう」金子を八丁堀同心に渡すよう言付かる。平吉は主人や、師匠の山東京伝を裏切る可能性に怯えながらも、この事件に首をつっこんでいく。

宮部みゆき以前。江戸に生きる人々の日常をかくも暖かく、強く、そして真摯に捉えるミステリがあった……
本文庫には、その宮部みゆきさんの解説、というかエッセイが寄せられている。「昭和ミステリ秘宝」は巻末に日下三蔵、杉江松恋両氏による解題がつくことが普通(本書も日下氏による解説がつく)なのだが、加えて大物作家の寄稿というのは珍しい。裏を返せば国民的ベストセラー作家たる宮部さんが、本書についてどうしても語りたいことがある、ということだろう。
そう、そんな宮部さんの思い入れもむべなるかな。聞けば近作であるぼんくら』は、この『どぶどろ』へのオマージュとして創られた作品だとのこと。同じく江戸時代を舞台にしたミステリ(捕物帖でなく)でありながら、その二作は似ており、そして違っている。
市井の人々の貧しくも平和な生活が描かれ、一方で大きな流れに巻き込まれることによりその平和が奪われる人々の無力を描く点で両者は共通する。そしてそれほど力を持たない主人公が、その「流れ」すなわち謎、陰謀を暴こうと奮戦する物語も似ている。もちろん、最初に短編小説群を置いておきながら、最後の中編で事態の底流となっている陰謀全てを解き明かすという作品構成も同じ。
その一方で、半村氏と宮部氏の特徴もまた両者でよく出ている。同じ「時代ミステリ」に属しながら、半村氏の作風は、一種「ハードボイルド」風の展開を通じて、狭い自分自身の世界から、不快な結末を迎えようとも人生の一歩を自分自身で踏み出す、主人公の成長物語。宮部氏の場合は、井筒平四郎という町役人による、どちらかといえば「謎解き」風の展開。こちらは一人の成長よりも、人々の人情に重きが置かれている。そして、どちらも大きな、しかも汚い事件や悲惨な運命を描きながらも、どこか暖かい目線で登場人物を描いている。ただ、宮部作品の優しさを母性とするならば、この『どぶどろ』に溢れているのは父性としての厳しさを含む優しさ。 人生は厳しい。世の中は甘くない。生きていくためには辛い思いをすることもある。それでもしっかりと目を開き、そして前を向いて自分の脚でしっかり歩いてゆけ。そういうことを「父」なる作者、つまり半村氏は伝えようとしているかのようだ。主人公の平吉は、自分で歩き、自分で考えることを覚え、紛れもなく自分自身の感情を世の中に対して抱くようになる。清々しいとはいえないが、心の底に刻み込まれるラストシーンなど、その半村氏の姿勢が良く出ているように思う。

昭和ミステリ秘宝のシリーズで復刻される作品は、ミステリマニアの目からすれば「ああ、あの」と題名を聞いただけで、読んだことがなくとも頷けるケースが多かった。そんななか、半村氏の『どぶどろ』は、少し浮いているように思えた。長年のミステリファンの間でも、それほど読まれている作品とは思えない。それでも「秘宝」の名に恥じない名作といえる作品だった。編者の慧眼に感服。


02/05/16
舞城王太郎「世界は密室でできている。 THE WORLD IS MADE OUT OF CLOSED ROOMS」(講談社ノベルス'02)

講談社ノベルスの15周年記念として企画されたのは「密室本」。2002年現在も順調に刊行中で、これまでにメフィスト賞を受賞してデビューした作家が、それぞれ「密室」テーマで競作をする形式となっている。(ちなみに本サイトにてこの企画本を取り上げるのは、この舞城作品が初めてなのだ)。

福井県の田舎町に住む僕、この西村友紀夫十三歳、ルンババこと番場潤二郎十二歳は、家出癖のあったルンババの十九歳の姉、涼子が家の屋上から飛び降りることを止めることができなかったことに深いショックを受けていた。それから数年。中学三年生になった僕は生まれて初めて福井県を出て、修学旅行で東京へと向かう。都庁舎見学の最中、僕は「ホンモノの不倫」を目撃、その痴話喧嘩のあまりの激しさ(特に女性側がふるう暴力)を止めに入ったところ、その女性、井上ツバキの拳をモロに食らって昏倒してしまう。なぜかそのまま井上ツバキの埼玉の自宅に連れ込まれた僕は、彼女の理不尽な行為に戸惑いつつも、その女子高生の妹、井上エノキの無免許運転に送られてなんとか旅館に戻る。が、ルンババもまた僕を追って入れ違いで井上邸に乗り込んでいた。井上姉妹と知り合いになった僕とルンババ。ルンババはいつの間にか「名探偵」となっており、警察からの依頼で奇怪な事件を解き明かすようになっていたが、僕との関係は相変わらず。そんなある日、不倫相手にストーカー行為を働かれて困っているという井上ツバキが、エノキと二人福井に向かうという一方的な電話を掛けてきた。

ミステリを振りかけた、舞城流「青春」ストーリー
世の中には「青春ミステリ」という言葉がある。つまり「青春小説」+「ミステリ」を指すもの。しかしこの場合、あくまで「青春小説」は「ミステリ」と同列ではなく、「青春小説的な要素を持ったミステリ」として使用される。(と私は解釈している)。
舞城氏のこの作品も「僕」と「ルンババ」の十二歳から十九歳に至る、波乱の人生を切り取りながら、そこかしこに(唐突に)登場する密室をバッタバッタとルンババが解き明かしていくストーリー。しかし、これって「青春ミステリ」と一般的に呼ばれる作品とはひと味異なる。と、いうのは、どうも「青春小説」の方が主で「ミステリ」が従なのだ。彼らの十二歳の喪失、経験、成長、何かの獲得――といったメインストーリーのなかに、いくつもの密室が登場する、といった趣。その密室(いや舞城氏の場合、密室そのものの珍奇さよりも、その解決の超めちゃくちゃ加減に味があるのだが)が、現れてはあっという間に解決されていくが、それはこの物語におけるルンババという少年を語るための形容詞にしか過ぎないように感じられる。そして、いろいろなめちゃくちゃな行動が目立てど、最終的に物語における成長を遂げた彼らの姿は清々しく、実に美しい。 これは「青春ミステリ」ではなく、聞いたことないけど「ミステリ青春」と名付けたい。語感悪いぞ。
その「密室」については、その設定、解決ともにあほらしいくらいに壊れている。犯人も名探偵も壊れている。何というか、飲み屋でミステリファンがべろんべろんに酔っぱらいながら作った密室と解決を聞かされているようで、舞城氏の繰り出す勢いある文体という魔術で酔わされている状況の中でのみ、有効。マジメな構造の本格ミステリでは、舞城氏の密室ネタは(読者に怒られるので)ちょっと使えまい。これを使える世界を構築している点にすごさがある。ヘタウマ系のイラストもいい感じ。

舞城氏の三作目。独特の文体とリズム、さらには氏ならではのミステリ的アプローチも健在ながら、三作のうちもっとも読みやすい。 恐らく理由は「青春小説」であり、前二作が特殊な人間の私小説のような物語とはちょっと立ち位置を異にするからであろう。テイストに合う合わないはあろうが、一気に読めてしまう点はこれまでの作品と同じ。このパワー、侮り難い。


02/05/15
多岐川恭「悪人の眺め」(角川小説新書'61)

小説における新書が、いわゆるノベルス形態を取る以前、新書は小説であっても現在におけるいわゆる学術系の新書と同じ版式であった。この角川小説新書もそういったノベルス以前の新書形式。本書は直木賞を受賞するなど一躍、時の人となった時期に刊行された多岐川氏の第五短編集にあたり、後に文庫化等はされていない。

元憲兵曹長で現在は新聞社の守衛をしている川原三造は、毎日人の様子を見ただけでその人物がどのようなことを考えているのか推定する技能と、人を怯えさせる鋭い目線を持っていた。ある日の退勤時刻にいつものように社員の様子を観察していたところ、社長からアリバイを偽造してくれるように依頼を受ける。社員の傷害事件の容疑者になりかかっているというのだ。 『悪人の眺め』
小心な役人である夫が、建設会社の汚職に巻き込まれそうになっていることが妻の私にはよく分かっていた。警察の捜査を受けるにあたって陥落寸前の精神状態にある夫を見、妻は嫁入り前の娘や今後の自分の置かれる立場を慮って、悪魔のような計画を立てるが……。 『罪ある追憶』
妻と別れて温泉に一人で静養に来ていた名和は、風呂から出てきた二人組の女性に目を留める。決して美しくなかった片方の女性に、どこかに惹かれるものを感じる。翌朝、もう一人の女性が広島で夫を殺害して逃亡している女性だと警察が宿屋を訪問するが、その女性は宿を既に後にしていた。 『二夜の女』
取り柄のないアナウンサーだった結城は、人気番組で当たり役を取って以来、スケジュールに追われる生活となってノイローゼ気味になっていた。妻は上役に相談、結城に休養を取らせてくれるよう頼み込む。その日も放送をしくじりかけた結城はその申し出を涙ながらに飲むが、さらに追い打ちが待っていた。 『死が追ってくる!!』
有力者の息子が「先生」の事務所を訪れ、強盗のまねごとをした馬鹿息子のアリバイを作って欲しいという依頼をしていく。事務所の面々はその息子の馬鹿さ加減にあきれながらも協力するのだが……。 『アリバイがいっぱい』以上、五作品。

人間の様々な人生を冷めた視線で捉えているようでいて、皮肉に突き落とす――
多岐川恭の初期短編は『落ちる』に収録された作品と、その周辺で現在も読める作品を御覧になった方はおわかりの通り、めっぽう面白い。確かに繰り返し復刻されるそれらの作品は別格かもしれないが、その時期に執筆された他の短編にしろ、それまでの作家では見られない多岐川氏らしい工夫と視点が凝らされていて、十二分に現在でも鑑賞に堪えうるのだ。本書もそんな現在では日の目を見られない作品が収録されているのだが、いかにも多岐川氏の作品群に登場する、人生を冷め切った視線で眺める冷静なキャラクタや、欲得に捉えられて道を誤る人々が淡淡とした筆致で描かれており、四十年が経過した今でも面白く読めることこの上ない。
本書では中編『悪人の眺め』が、多岐川らしさを感じるうえではもっとも適している。元憲兵という強面、それでいて守衛という職業を通して、冷静に人間を観察する男が探偵役。ちょっとした服装や仕草の変化から、相手の考えることを鋭敏に読みとる力はホームズ的であり、その対象を容赦なく脅しすかして、自らの興味を埋めようとする探偵像はあまり類することのできないオリジナリティがある。ハードボイルド的な味わいを持ちながら、その生き方に共感を得ることはちょっと難しい。題名通り、主人公が決して善意の人ではなく「悪人」だから、か。悪人を自認する男が、悪人の犯罪を暴く正統派ミステリなんて、他ではそうそうないのではなかろうか。
『罪ある追憶』や『二夜の女』で描かれるロマンティシズムとミステリの融合の味わいもまた深い。凡庸な人間が持ち上げられることによって苦しむ姿と、その妻の行動を描いた『死が追ってくる!!』は、流行の職業、華やかなマスコミ世界の裏側……という凡庸で薄っぺらい世界が、真相が語られることによって一変してしまうあたりに凄みさえ感じる。『アリバイがいっぱい』は、ユーモアミステリ風に仕上げてはあるが、あまり成功していないかも。ただ後の『KK探偵局シリーズ』に通じるものがある。

多岐川作品を古書で収集しだしてから数年になるが、こうやって少しずつ読めば読むほど、その味わいにはまる。それほど華やかな作家ではないが「何か新しいことをやってみよう」という気概が、作品それぞれから感じられる。古くて新しい感覚に満ちており、そのパワーは時を経た我々のような読者でも味わうことができるのだ。


02/05/14
結城昌治「犯行以後」(角川文庫'81)

温情判事』に続く角川文庫における結城昌治の初期短編集その二。前作では'59、'60年のデビュー直後二年の作品が収められていたが、本書はその後のさらに二年、つまり'61、'62年に雑誌発表された作品による短編集となっている。

「ちょっと煙草を買ってくる」といったまま姿を消した容太郎。夫を愛し抜いていた妻の和枝が各方面で大騒ぎをすれど、一年以上彼の行方は知れなかった。 『死ぬほど愛して』
「子供を産む」と言い張る愛人に困った男は、身許を隠していることを幸い相手を殺害してしまう。完全犯罪の筈だったが、現場近くでどこかで見た男に反射的に会釈してしまったことを深く後悔することになる。 『犯行以後』
妻が温和しいことをいいことに若い愛人を作っていた中年男。月の手当てを持参し、家に戻るが、その晩、その愛人が殺される。現場に残されたライターをネタに彼女の若い恋人から脅迫を受ける羽目に陥る。 『キリンの幸福』
元もと浮気性の夫の素行は結婚後大人しくなっていたが、最近愛人ができたらしいと同僚の妻から告げられた芳江。夫の素行調査を探偵会社に頼んだところ、バーに勤める女性の家に出入りしていることがハッキリしてショックを受ける。 『もつれ』
役所を退職した六十過ぎの三人の司法書士事務所に保険の勧誘にきた若き未亡人。彼らは彼女に老いらくの恋を感じ、互いを受取人として生命保険に加入する。三人の目に見えないせめぎあいが開始される。 『三じじい』
白タクアルバイトがばれ、お抱え運転手をクビにされた男。簡易宿泊所で知り合った二人組を誘って元主人の娘を誘拐し身代金を要求する計画を立てる。誘拐こそあっさり実行できたが、二人組の行動に男はじわじわと後悔し始める。 『死んでから笑え』 以上六作品。

倒叙風、サスペンス風、奇妙な味わい……才人の試行錯誤が変幻自在を生み出している
この角川文庫の初期短編集の編者、郷原宏氏が解説に書いているのだが、この二冊の短編集を編むベースとなった結城氏の単行本未収録の短編群は、実に五十二編にものぼるのだという。そのなかから精選された作品集だけに、面白くないはずがない。事実、多少の「時代」(例えば、甲斐性のある男は愛人の一人くらいもって当然という価値観)がかった部分はあろうとも、その根本に流れる様々な事柄、夫婦間の愛情であるとか、犯罪者の心理であるとかについては、現在、そして未来も一貫するであろう人間本来の感情の動きがベースとなっており、まったく違和感なく読むことができる。またこの時期、推理作家としてデビューした結城氏がもっとも精力的に創作を行い、自らの方向性を模索していたという。その意味では、いろいろと異なる味付けの作品が多く発表されていた時期と重なるともいえるだろう。
そして、そのちょっと皮肉な視点、そして皮肉なオチがまた結城作品の魅力のひとつ。本書収録の作品はそれが冴えに冴えている。 特に冒頭の『死ぬほど愛して』は、個人的ツボ。なぜ夫は愛する妻の元から急にいなくなったのか。内気なはずの夫が躁状態にまで家の中で振る舞っていたのはなぜか。オチに至れば、膝をたたくし、また皮肉の効いたラストにニヤリとさせられるという逸品。他の作品は、「夫婦」という家族形態が、まさに人の数だけその中身がある……というような印象。また、三人の爺さん同士の醜い争いを描いた『三じじい』(この題名は今は使えんだろうな) では、そこはかとない上質のユーモアが作品に満ちており興味深く読めた。
あと細かいことでいえば、何気ないふうでありながら、題名の付け方が絶妙に上手いのもポイント。 一つ一つの作品を読み終えた後で、題名を反芻すれば、これまた「なるほど、そういう意味だったのか」と唸らせられるものが多かった。まさに味読に耐える作品集である。

本書そのものを捜すのはそりゃそれなりに難しいだろうが、結城作品は微妙に古書価がついたりつかなかったりなので、ネット古書店で丁寧に検索すればプレミアを付けなくとも入手できるかと。昭和三十年代のミステリの再評価が盛んな昨今、結城昌治ももっと注目されていいように思う。


02/05/13
柳 広司「饗宴(シュンポシオン) ソクラテス最後の事件」(原書房ミステリーリーグ'01)

柳氏は'01年に『黄金の灰』という作品にてデビュー、そのまま本書を含めその年に三冊を刊行した。その第二作『贋作「坊っちゃん」殺人事件』により第12回朝日新人文学賞を受賞している。本書は「本格ミステリベスト10」の2002年度版にて18位にランクイン。他の二作を推す投票者もいたことから、仮に票がまとまっていればさらに上位に食い込んだ可能性もあった。

一八九一年、エジプトにて大量のパピルス文書が発掘された。アリストテレスの写本を含むギリシャの名著に混じり、《クリトン文書》と後に呼ばれる一群のパピルスもあった。それは老年に達したクリトンが、かつてアテナイで発生した奇怪な殺人事件の顛末を物語るというものだった。
クリトンは友人のソクラテスと共に、悲劇作家アガトンの家で行われるパーティに出席しようと市場を横切ろうとしていた。市場ではカラスに売り物を攫われた老婆が大騒ぎしている間に、裁判の予定を公知する訴訟板のロウで書かれた文字が溶けて読めなくなっていたのだ。しかし、その謎をソクラテスはあっさり解き明かす。パーティに出ていたのは、喜劇作家のアリストパネス、粋人パウサニウス、在留外国人の老医者エリュクシマコスと、その弟子志願の若者ポロスら。彼らは近年他国にて蔓延しているホムンクルスを作り出そうとする謎の組織、ピュタゴラス教団のうわさ話などをする。その翌朝、両手にりんごをいっぱい抱えたポロスが市場で誰にも触れられずに倒れ、死亡するのをクリトンらは目撃。毒を呷った様子が全くなかったにも関わらず、彼は毒殺されていた。そしてその後よりアテナイの周辺にて、奇怪な死に方をする者が次々と発生するようになる。

古代特有の事情と舞台を使ったミステリでありながら、現代日本や探偵小説の命題をも鋭く抉る快作
昨年デビュー、三冊が上梓されたものの刊行形態はハードカバーばかり……という柳広司氏。どうも敷居が高くて、多少の評判になってもなかなか手が出なかった。ようやく手にしてみて、乗り遅れたことに後悔。とてつもなく凄いミステリ作家がデビューしていたことに昨年のうちに気づいていなかった自分に。
歴史的な人物を登場人物に取り込み、その舞台を演出し、その時代風俗や、人物の個性などを活かしてトリックに仕立てたミステリは、捕物帖を除いてもそれこそ数十年前から執筆されてきている。海渡英祐、山田風太郎、島田荘司、最近では鯨統一郎なんかもその系譜か。しかし、寡聞にしてこれほど昔、ギリシア文明を舞台にした作品は思いつかない。ちょっと想像力を働かせれば、それがどれほど困難なことは想像がつくだろう。限られた文献、少ない資料、それでいて多くの研究が世界中でなされてきた有名人を主人公とするのだ。どれほどの準備が必要なのだろうか。それをやってのけただけで、文学者として尊敬に値する。
そして、その舞台のみが本書の価値にはあらず。 逆説的にいえば本格ミステリとして、トリックだけを取り出すならば、古来からある基本的なものの焼き直しの印象もある。ただそのトリック群が古代ギリシャという舞台と関連づけられて、全く別の味わいに変質させることに成功している点がポイントだろう。特に衆人環視の中の毒殺トリックはこの時代でしか成立しないもので面白い。それに加えて柳氏はその先、現代の探偵小説のあり方や、名探偵のあり方にまでどうやら一石を投じようとしている気がする。「論理」の持つ重み、そして現象との関連づけから独自の名探偵論が感じられるし、ソクラテスともう一人との謎解き合戦における考え方の差異を通じて、名探偵の立場といった問題にも言及しているように思える。さりげなく流すと気づかないかもしれないが、ミステリマニアであればあるほど、本書から読みとれるものは多いのではないだろうか。
またこのギリシャという時代を鏡として、新興宗教の問題であるとか、人々の価値観であるとかの設定背景には現代の日本が抱える諸問題と重なる部分が見える。恐らく意図的なものなのだろうが、このミステリの流れや結末からは、現代日本に対する皮肉のような印象を受ける。それがまた押しつけがましくないのに、物語を現代読者に読み物として提供する意義を付け加えている。

とにかく世界に引きずり込むのが上手い。本書はデビュー作でもなんでもないのだが、柳氏のミステリに関するセンスをひしひしと感じ取ることができた。一渡り現代本格を語ろうとするならこの作品は避けて通れまい。個人的にはスマッシュヒット的な快感を覚えることができた。快作と呼ぶに相応しい一品。


02/05/12
古処誠二「ルール」(集英社'02)

UNKNOWN』にて第14回メフィスト賞を受賞、その後も講談社ノベルスから作品を刊行してきた古処氏の第四長編は、集英社のハードカバー。書き下ろし。

第二次世界大戦……いや、日本にとっては大東亜戦争か。その末期、既に米軍が沖縄に上陸を果たした頃、遠くフィリピン島では補給が絶たれ久しい日本軍が最後の抗戦を試みていた。弾薬、食料が極端に不足し、寄せ集めの軍備と人員、そして現地調達せざるを得ない食料をもって、圧倒的な物量を誇る連合軍に捨て身の突撃を繰り返す毎日。傷つき、死んでいくのは少尉以下下等兵たち。満足な治療を受けるべくもなく、すぐさま前線に送られて若い命を散らしていた。
そんな時期、知らず自部隊を囮に使われ自分を除いて全滅の憂き目にあった経験のある鳴神中尉は、和泉大尉より、弾薬輸送を行う小部隊の指揮を執るよう命令を受けた。山中を突破し、北部の村へとするその旅程は決して困難なものではないはずだったが、それは健康な者にとってのこと。部隊は既に消耗しきっていた。荷物を背負って山中に入った和泉や鳴神らとその部下は、生き残りの重機部隊が偶然、米軍の偵察機を撃墜する場面に出くわす。和泉の指示により、鳴神の部隊は緊急脱出した米軍パイロット、オースティンを捕虜として再び行軍を開始した。少ない食料、険しい道、そしてフィリピンゲリラによる襲撃。しかし、彼らの前に立ちはだかる最大の敵は「飢え」であった……。

戦争を全く知らない世代が描く、大東亜戦争終焉間近の帝国陸軍を襲った悲劇……
最初にきちんと明確にしておくべきだろう。本書はミステリに分類されるべき作品ではない。
これまでもリアルな自衛隊像をミステリとして作品内に吸収してきた古処氏が描く、フィクションであってフィクションでない、戦争文学と呼ぶべき作品である。
絶望的な状況で絶望的な戦いを強いられた、ある時期、ある場所にいた複数の日本人たちが経験した、記録としては残り得ない歴史。 ――物語は単純ともいえる。理不尽な状況下で繰り広げられる、寄せ集めの非職業軍人たちによる、人間として生きるためのルールの境界線上の物語。言い換えれば、食べるものがなくなった時に、人間はどうなるか、ということ。
飽食の現代においては想像もつかない、いや下手をすればホラー小説で描かれるケースがあるくらいの「地獄」が延延と描かれる。そう、延延と、食べ物の話が続く。但し、物語の本質はその飢えではない。それほど極限の状況下で、人はなぜ生き延びようとするのか、どうして生きているのか、何のために生きるのか。そして生きるためにどこまでが許されるのか。人間という外観を削ぎ落としていった果てに、肉体以外の何が残るのか。本書は、そういった様々な問いを平和ボケした現代人に突きつける役割を担う。
好んで戦争文学を読むことはしてきていないが、昭和三十年代から四十年代にかけては、こういった戦争当時の出来事を主題や隠し味にしたミステリが執筆されてきている。ただ、その作者は例外なく戦争経験者であった。その意味で、戦争を知らない同世代の古処氏がこのような作品をしたためたことには、正直、激しく驚かされた。

帯で半分隠されているが、本書のカバーは一面に鈍い銀色の塗料が塗られたシンプルなもの。そして、そのカバーと直面した時にぼんやりと自分の顔の輪郭が浮き上がる。映し出された貴方、つまり「人間そのもの」が、本書の奥底にある真の主人公なのだ、という遠回しの暗示のように思えてならない。ミステリファンが好んで手に取る必要などないかもしれない。ただ、手に取った以上は逃げ出さず、きっちり最後まで読むこと。


02/05/11
黒川博行「国境」(講談社'01)

『小説現代』誌上に'98年10月より'00年9月のおよそ二年間にわたり連載されていた力作。『2002このミス』でも得点はあるもののランク外だった刊行が10月30日と各種ベスト10的には最悪のタイミングことが理由だろう。時期さえずれていればもっと上位にきていただろうことは想像に難くない。

建設コンサルタントの二宮と二蝶会に所属するヤクザ、桑村は朝鮮語を操る在日三世の柳井と共に北朝鮮、平壌への観光ツアーに参加していた。平壌に逃げた趙成根という詐欺師を追うためである。趙は二宮に中古建設機械の斡旋を頼み、代金と手数料を決済しないまま姿を消しており、二宮は暴力団系の業者から代金を肩代わりするよう脅されていた。一方、二蝶会の若頭、嶋田は、趙が持ってきた元山にカジノを建設するという投資話に三千万円投資していたが、これが全くのイカサマであることが分かり、桑村にケジメをつけるよう指示していたのだ。桑村は対立組織の真湊会の尼崎事務所に一人でトラックで突っ込んで暴れたという名うての暴力男。趙は平壌市内のホテルに潜伏していると思われたが、彼らは市内に入ると「ガイド」という名の監視をつけられ、思うように行動ができない。独裁国北朝鮮の内情を身をもって知る二宮と桑村。柳井が事前に確保していた協力者と危険を冒しながら接触した彼らだったが、踏み込む直前に趙に逃げられてしまう。北朝鮮の経済特区に彼が逃げ込んだと知るが、ツアーの関係もあって二人は一時帰国せざるを得ない。しかし趙の身柄は押さえなければならないため、帰国後次なる潜入方法について検討を開始した。

追う者と追われる者、騙す者、騙される者のエンターテインメント+お隣の謎の国、北朝鮮
ハードボイルドと呼ばれる作品群の基本中の基本、それは「人捜し」にある。ただハードボイルド以外の形態でこれをやろうとすると、どうしても「お使い」になってしまい単調な内容になる恐れが高い。本書はハードボイルドというより冒険小説的な要素が強い作品だが、その「人捜し」を痺れるエンターテインメントに昇華させている。
複雑な経済犯罪を隠れ蓑とし、逃げる者の正体を徹底的に隠した複雑構造だけでも注目すべきだが、やはり本書を最高のエンターテインメントたらしめているのは、その舞台設定の妙だろう。何せ、追われる者が逃げ込むところが北朝鮮なのだ。
語弊を恐れず書いてしまおう。現在いくつかのメディアによって報道される情報を信ずるならば、このお隣の国は三文芝居を強要されているようにみえる。自分の住むその国が「理想国家」であることに、懐疑を持ちながら演ずる人、演ずるうちに信じ込む人、真実を知りながら演じさせる人によって構成される国家。その役柄を上手に演ずることのできなかった人間は、仮借ない退場を命ぜられ、一生舞台に戻ることはない。そしてその役者たちは、一部を除いて世界的にもまれに見るほどの貧しい暮らしを余儀なくされている……。
そんな国に忍び込む日本人二人の無謀なる冒険が醸し出す強烈な緊張感が堪らない。 一歩間違えると死よりも過酷な運命が待ち受けるなか、半端者の一般人と、強面ヤクザの二人組が様々な人々の協力を得て行う二度の大冒険劇。何よりハードカバーの見開き二ページを埋め尽くす半端でない参考文献の数々によって創り上げられたリアルな描写は、半端な想像力を軽く凌駕してしまう強烈な印象を読者に残す。最初は観光客として、そして二度目は中国からの越境することによって二人の目を通して描かれる世界は、日本のほんの隣にある光景とは信じがたいものがある。
もちろん、事件の背景となる詐欺のやり口や、リアルな日本の裏社会の描写においてもいくつも見るべき点はあるし、こちらがしっかりしているからこそ冒険が生きてくる。とはいえ、やはり今時の「命がけ」を描ききったトータルの構想力と、それを実現する筆力にこそ拍手すべき作品だろう。

また、ぶっきらぼうでいて暖かみのある後日譚もいい感じ。重量級の作品ながら一気読みが保証できる作品に出会った。黒川作品特有の関西弁もまたいい味出しているのだ、これが。北朝鮮に絡むいくつもの事件が新聞を賑わす昨今だが、このような形で知っておくのも悪くはないのではないか。冒険小説好きなら必読