MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/06/10
真木武志「ヴィーナスの命題」(角川書店'00)

第20回横溝正史賞の最終候補作品にして、内田康夫、宮部みゆきといった選考委員が最低点を付けたにかかわらず、同じく選考委員の綾辻行人の絶賛を受けて刊行に結びついた作品。事実、刊行直後は賛否両論渦巻いた記憶がある。個人的にはずっと気になっていた作品で、入手を逸していたもの。

学園祭へ向けた準備にて賑わう県内有数の進学高校である成箕中央高校にて、月曜日の朝にその事件は発見された。二年生の黛岳彦が教室の窓から転落死していたのが発見されたのだ。事件は自殺として処理されたが、彼を長い間ライバル視していた乃木由也らは、彼の死を自殺と単純には考えていなかった。黛の元彼女で、現在はアイドル女子高生として活躍を開始しつつある柳瀬さとみ、さとみと親同士の再婚によって姉弟となる予定の公文覚、死体の第一発見者で有力者の息子である高槻護、由也と同じ科学部所属の益子巧、自称「天才」の生意気少年、牧永悠宇太。そして彼ら全員と関わりを持ち、どこか予言者めいた言動とカリスマ性を持つ科学部の三年生、蓑田しのぶ……。続けて発生した公文の父親が巻き込まれた交通事故、そして公文自身の飛び降り事件など、彼らの思惑が交錯し、一週間のうちに発生する様々な事象。そして彼らの隠された中学時代……。それぞれの立場から「自分の物語」を求めて、互いに協力・牽制・説得・聞き込みを行いながらその真相を探ろうとする。

「青春小説」の罠に「本格ミステリ」の罠。でも再読を求めるのは読者に対して不親切では
多くの人が辟易したであろうことは、その読みにくさにある。特に少なからぬ特徴ある高校生を設定しつつ、彼らの感受性が根本的に酷似してしまっており、ころころ変化する三人称の視点と指示語を多用する文章が、読者を撥ねつける。(エンタテインメント作品が読者に再読を求めるのは、今時間違いだろう)。それでいて一部からはその中身については高い評価がされている。 その理由について考えてみた。
まず、本格ミステリとして優れている――という説。結局のところ、高校生の飛び降り事件について、自殺と思われていたが実は他殺なのでは? という疑いを主人公らが持つところから物語ははじまる。ただ、登場人物自身にとっての物語性を求める複数の(しかも頭の良い)関係者がそれぞれ三人称的に個々にその事件を捉えるという、多少まどろっこしい観察が加わるため、事件の真相は解決部分に至るまで非常にややこしい。特に、物語を創ろうとする彼らの信念、思想が複雑に絡むため、読者を代行する観察者としてはアンフェアな構造・記述を許容する結果となっていることが気にかかる。逆説的にいえば、それが同じ対象に向けていくつもの論理を構築するための拠り所となっており、綾辻氏が例示している『匣の中の失楽』における複数の探偵による推理のあやふやさ……という点に類似をみる。観察者の立場の変化により、真相がまた変化する無常。ここまでくればこの手のミステリに対する「読者の好み」で徹底的に評価が分化すると考えられる。ミステリ的に評価する方は、恐らくこのタイプのミステリへの適性が高いのではないか。
一方、こういった現実性のない高校生による青春小説として優れている――という説。進学校におけるエキセントリックな人々による「青さ」溢れる無常観、人生観。一人一人をみれば「絶対にこんなヤツいないよ」というツッコミが成り立つのだが、個別の彼らの考えや、激情、世代批判などを眺めていると、部分部分はかつて自分が青かった頃に感じた世の中や、自分自身に対する様々な感情、理屈との共通点を見出す人も多いだろう。これらの共通点に過剰に反応できる(ある意味エキセントリックなセンスを持つ)方にとっては、彼らの物語は人ごとではなく、自分自身の若かりし頃が重なり合って共鳴するに違いない。当時、その世代という「現在形」でしか普通は考え得ない論理を、後々再現できる作者のセンスは素直に凄いと思う。ただその思い入れが多少過剰気味で、やっぱりちょっと「青い」のが、却って私には辛い部分ではあった。

「本格ミステリ」「青春小説」という二つの命題がべっとりと絡み合ったのが本作。結果的にリドルストーリーじみた読後感が特徴なのだが、それが狙いというより、文章構成力の配慮不足によって成り立っているのは問題。文章の一文一文を取り上げると、凝った形容詞など悪い印象はないのだが、もう少し「読者」を視野に入れた構成が望まれる。 個人的評価としては、「青春ミステリ」の傑作になり損なった実験作、という印象から最後まで離れられなかった。スピリットと思い入れだけではエンターテインメント小説としては、まだまだ不十分だということ。


02/06/09
樋口有介「刺青(タトゥー)白書」(講談社'00)

テレビドラマ化もされた樋口氏の人気シリーズ、柚木草平ものの『誰もわたしを愛さない』に続く五冊目にあたる長編。

CMを中心に活躍する二十一歳のアイドルが一人暮らしのマンションにて殺害された。喉へのナイフの一撃が死因とされたが、死体は全裸で後ろ手にテープで固定されたうえ、全身にも多数の刃傷がみられた。オートロックで完全防護されている環境上、アイドルの男関係による痴情のもつれが原因と推定され、捜査が進められるものの関係者が浮かび上がらない。
度の強いメガネをかけ、ひょろ長い手足に野暮ったい服装で冷泉女子大に通う三浦鈴女(すずめ)は、中学時代と全く変わらないと友人たちに揶揄される。彼女は銀座で中学時代の友人、伊東牧穂と左近万作と偶然出会う。中学時代目立たなかった牧穂は民放アナウンサーとしての就職が決定したといい、中学時代野球部のエースで鈴女も仄かな憧れを抱いていた万作は、不良っぽい服装で固めていた。翌日、鈴女は牧穂が隅田川にて溺死体で発見されたことを知る。また、先日殺されたCMタレントもまた、鈴女の中学の同級生、小筆真弓だった。雑誌の編集長である鈴女の父親は、事件専門のフリーライター柚木草平に事件の調査記事を依頼する。

男と女のことなんて、他人からは分からない。そして人が抱える事情もまた誰も分かってあげられない……
柚木草平が好きである。 男の嫌らしさを感じさせず(これ超重要)、女性に対してこれくらいの口説き文句がぽんぽん吐ける中年になりたいもの。いや、それではただの軽薄オヤジか。ダメか。
三人称が使用され、どちらかといえば柚木が脇役(探偵役は譲らないが)となっている本作、以前の柚木に比べ、会話の軽妙さは同じなのに、どこか口説きの才能だけが突き抜けたというか世辞が上手くなったというか、立ち回りが小狡くなったように思える。これまでの作品であれば、事件関係者が一人残らず「いい女」というトンデモ設定に近く、それでいて魅力的なシチュエーションゆえ、女性に対して調子の良い柚木が大活躍するケースがほとんど。それが、本作の柚木を見ていると、事件関係者が「女」だったら、取り敢えず口説いとけ、という風に「美人に対する無条件の愛」を「捜査の道具」に変化させているような気がしないでもない。彼の口説きという才能を真剣に仕事に応用させることを決意したとでもいえばいいのか。何か寂しいような。
さて。本書はそんな柚木の一人称ではなく、女子大生で初登場の人物、三浦鈴女の視点によっても物語の部分が綴られている。但し、形式はハードボイルドから離れても、隠された事件の構図を探り出すという図は未だそれに近い。彼女の目を通して出会う人々の(二十一歳)という年齢が一つのキーポイント。中学時代の同級生が次々と変死を遂げる事件。卒業して六年の日々が流れていても、その鍵はやはり中学校時代にあって。人によって六年も経過した事実は、別の人にとってはまだ六年しか経過していないということだったりする。なんというか中学生には抗えない大人の齎した不幸な事件が裏側にあるのが実に痛痛しい。それでいて、サイドストーリー的には、鈴女の不器用な恋が描かれているあたりで、なんとか危うく作品のエンターテインメント的なバランスを舵取りしている感。
また、近年の樋口作品には珍しく、新本格ミステリばりの趣向が作品内に凝らされている。そうい心構えがなかっただけに、明かされた時には「おっ?」と唸らされてしまった。とはいえ、その趣向が、作品そのものが持つテーマとマッチしており、もの悲しさを際だてるのに大きな効果を発揮しているのだが。

読みやすい文体と、軽ハードボイルド的な趣向が特徴だった柚木草平シリーズが変革期を迎えつつあるのか。和田誠氏による装幀が、どこか青春ミステリの嚆矢でもあった小峰元作品(いや栗本薫の「ぼくら」シリーズか)を想起させる。いつだって、青春ミステリの裏側には、ひとことでは語れない哀しい事情が隠されてる。


02/06/08
霧舎 巧「ラグナロク洞」(講談社ノベルス'00)

「ラグナロク洞《あかずの扉》研究会 影郎沼へ」が正式題名。第12回メフィスト賞受賞の霧舎氏は「館もの」「孤島もの」と打ち出し、変形ながら「嵐の山荘もの」を持ってきた。もちろんその題名の通り、《あかずの扉》研究会シリーズの三作目でもある。

《あかずの扉》研究会に所属する鳴海雄一郎と二本松翔は、閉鎖的な山村、影郎村を訪れる。村の入り口に建築されているのは合掌造りでありながら教会風の建物。翔の目の前にその十字架が落下する。どうやらそれは「結婚式場」なのだという。彼らは沼で溺れた八十島という青年を助けようとした結果、落盤事故に巻き込まれて、数人の村人と共に洞窟のなかに閉じこめられてしまう。その洞窟は、「影郎様」と呼ばれる神様を祀るためのもののはずが、奥の方には寝室が備え付けられており、実はホテルとして利用される予定となっていたのだ。しかし地上に出るためのエレベーターから、血まみれの女性死体が降りてきた挙げ句に故障し、外への行き来は遮断された。さらに頑丈な扉で塞がれた密室内部で、村人の一人が殺害される。彼らが次々ダイイング・メッセージを残していくのだが、犯人解明の役には立たない。彼らを襲う犯人の正体、そしてダイイング・メッセージと、連続殺人のミッシングリンクの意味は?

本格の骨組みは抜群に面白いのに、緊張感の無さが、かえって物語を壊す……
閉じられた洞窟という密室の更に内部に存在する二重の密室。被害者が残す意味不明のダイイング・メッセージ。奇妙な閉鎖空間内部の連続殺人。謎めいた村の持つ秘密、彼らが祀る「影郎様」とは? こうやって本書に込められた本格ミステリとしてのポイントを挙げていけばいくほど、そのスピリッツの高さは感じられる。またこれらに対する論理の積み重ね(積み重ねというより、小出しの印象もある)による解決付けなども、ポイントポイントに目を見張るものがある。本格ミステリの根っこにある面白さというものを作者はよく知っている。
本作にいくつか仕掛けられている「?」においては「影郎村」の持つ秘密に関する部分や、殺人者の動機の部分などのインパクトが超強烈。作者がイメージしているだろう「横溝!」といった雰囲気は全く出せていないにもかかわらず、ここまで徹底し、読者の目の前に平然と晒しながら、ラスト近くに悠々と種明かしをしていく。発想がユニーク。
また本作前半部にて、名探偵・鳴海雄一郎が「ダイイング・メッセージに関する講義」を行っており、その部分がまた興味深い内容となっている。様々なダイイングメッセージの例を挙げ、分類した挙げ句「息を引き取りつつある人間は、犯人を言い残そうとする前に助けを呼ぶものだ」とか「ダイイング・メッセージをメインのトリックとするミステリは、そのパイオニアであるクイーン以外は許されない「手抜き」だ」など、刺激的な言説が登場する。暗号、ダイイング・メッセージといったガジェットをミステリにて使うケースは現在でも散見されるが、それが作者の独りよがりの解釈による場合はほぼ百%読者も引いてしまう状況を冷静に分析しているといえよう。そう、作者はミステリをよく知っている。

知っているのになんでこんなに物語に緊張感がないのだろう?  冒頭から凄惨な殺人死体が登場、よく分からない人物と一緒に閉鎖空間に閉じこめられる。更に連続して無惨な殺人事件が起きている。救助の目途も立たない。常人ならば正気を保つのさえ困難な状況。……それなのに、現場を覆うこののほほんとした雰囲気はなんなのだ? B級スプラッタ映画で友人がばんばん殺されているなか、深夜の湖に一人で泳ぎに出てくる女性と同じくらい不自然。しかも全員がそうなのだから始末が悪い。せっかくの本格トリックがありながら、現場の描写がついてきておらず、場面が想像しづらいことが一つ、それを補うために語り手視点や会話を使って場面描写を繋ぐため、更に分かりにくくなってしまっている点が一つ。シリーズ登場人物のそれほど意味のあるとは思えないエピソードの挿入、や、語り手自身の恋心など、読者にとってはあまり重要とは思えないパートも多い。(少なくとも「カケルくんの恋が成就するか」なんて視点で霧舎作品を手に取る読者などいない)。私情を挟みまくるワトソンなんて格好悪い以外の何者でもないのに……。結局作品内にて全く「恐怖」が描けてないということが、不自然さの最大の理由かと。

そういった小説として最低限は必要な実力の部分において、マイナス面がまだまだ目立つ。(2000年の作品を今さら読んでおいて言うのもなんだが)。とはいえ、徐々にミステリ作品としてはこなれつつあるし、本格ミステリに関するスピリットはホンモノだと思うので、いずれ傑作をものにしてもおかしくない雰囲気が徐々に漂いはじめたように感じる。とはいえ、いつまで追いかければ、その「傑作」にたどりつくのだろう。


02/06/07
石持浅海「アイルランドの薔薇」(光文社カッパノベルス'02)

本書もカッパノベルスのエンターテインメント小説登竜門、カッパ・ワン第一期のうち一冊。石持氏も『本格推理』出身で、本書が初長編。本書の推薦辞を引き受けている西澤保彦氏が「この作品は面白いです!」とMYSCON3にて宣伝されていたことを読み終えてから思い出した。なるほど、そう言いたくなる気持ち、よく分かる。

一九九四年、北アイルランドのナショナリスト二大勢力が揃って停戦を発表、二大勢力であるIRAとNCFの首領が英国政府との交渉を開始した。その和平交渉を快く思わないNCFナンバー2のダグラスは爆弾作りの名人、スティーブンに要人暗殺を持ちかける。首尾良く成功したかにみえたが犠牲になったのは一般家庭の家族であった――。それから三年。ベルファストのNCF指導部では、再度の平和交渉に臨む前にある計画を実行に移そうとしていた。それは和平の反対派であるダグラスを、プロの『殺し屋』に依頼し、事故に見せかけて除くこと。ダグラスを含む三人は、南のスライゴーという都市の「レイクサイド」という宿屋へと向かう。二人の科学者、会計士、オーストラリアのセールスマン、米国から来た女子大生と若い女性の二人組。様々な人々が集うなか、ダグラスは早朝、火掻き棒にて頭を殴られたうえ、建物から外に落とされて殺されてしまう。砕けた両膝はNCFの伝統的な裏切り者に対する措置を思わせる。政治的背景から警察への通報を止めた彼らは、真犯人を自らの手で発見する必要に迫られる。果たして犯人は誰か、そして『殺し屋』は。日本人科学者「フジ」こと黒川富士雄の推理は。

まだまだ日本の本格ミステリにも出来ることがたくさんあるのだ、ということ。
例えば冒険小説、そしてもちろんスパイスリラーといったミステリエンターテインメントでも本格パズラーと対極にある作品群において、「国際情勢」というのは常識中の常識といってもいいくらい物語の背景、緊迫感を語るのに必要不可欠の小道具である。政治的な緊張、無関係な人々が命を奪い合う世界。知勇を尽くした男の戦いを描くのに、その背景には冷戦だとか、国家間の争いだとかを設定することで、さまざまな感情を呼び起こすことが可能になる。本作はその題名の通り、アイルランド紛争がその下敷きとなるテーマとなっている。(個人的には同紛争を取り上げた作品でもっとも印象に残っているのはJ・ヒギンズの『死にゆく者への祈り』かな)。 本格ミステリという枠組みのなかで、しかも国産作品で北アイルランド問題を取り上げた作品は初めてではないか。

さて、最近の本格ミステリにて多く取り上げられるのが「宗教がらみ」の事件である。最初からそれと分かるように臭わせるもの、驚天動地のトリックの裏側に宗教を配すもの。それなりに面白くはあるものの、安易に取り上げすぎのような傾向さえ感じられる。この時代の現実という側面も確かにあるだろうが、「作中でのルール作り」という現実性に対する疑問の答えとして安易に使用されすぎている部分もあるのではないか。例えば密室にしろ、館にしろ、連続殺人にしろ、宗教を理由にするのは簡単。(物語内部でそれなりの伏線が必要であるのは勿論だが)。そういった状況下において、本作のように嵐の山荘ケースを構成するために「政治的背景」を持ち込んだ作品が現れると、なにか凄く新鮮な設定のように感じられるのだ。
作品の魅力はその設定だけにとどまらない。曰くありげな登場人物が集まったり、政治的な思惑、しきたりが事件を複雑化させていたりというあたりの説得性が高いことはもちろんだが、加えて本来の「ミステリ」としての意外性でも十分に読ませてくれる。「嵐の山荘」ケースならではの推理合戦に、登場人物同士の葛藤、単に殺人事件の犯人を捜すだけでなく、読者には「殺し屋」を捜す楽しみさえもついてくる。(こっちはちょっと伏せるには登場人物が少なすぎたか) 個別の事件――解決については、物理トリックではなく、登場するさまざまな要素を的確にちりばめた論理的なアクロバットにて帰結させている。背景だけでなく、その論理的な筋道が非常にすっきりしていて、ミステリとしての読後感もスバラシイ。

分量的にも多すぎず、少なすぎず。本来の、そしてこれからの本格ミステリ長編は「こうあるべきだ!」という主張を新人のこんな作品から感じることができるとは望外の幸せ。 カッパワンデビューの四作品、それぞれに一定レベルにあって面白く読むことができたが、トータルのポイントでいえば、個人的には本作を最も上位に推す。


02/06/06
都筑道夫「悪夢録画機」(光風社出版'91)

都筑道夫氏の作品は、その人気もあってノベルス、単行本の過半が、少なくとも一度は文庫の形で刊行されることが多い。とはいえ膨大な量がある都筑氏のこと、その洩れもいくつかある。本書はその例外の一冊で、現在のところソフトカバーの本書でしか読むことが出来ない。

 《深夜の恐怖劇の時間》
滋賀県の小都市に商用で相棒の親戚宅に滞在した男。日本家屋の庭に裸の女の姿が見えたような気がしたが、友人に一笑に付される。 『水からくり』
老人が話す翻訳小説。年若い貧乏貴族の息子が、軍人の慰安に来ていた老手品師を野次る。彼は特別な芸だ、といわれ自分の十年後の姿を老人から見せられる。 『翻訳小説』
祖父、父と役者だった骨董屋の話。昔の劇場にはよく幽霊が出るといわれていた。祖父が出会った幽霊は手洗いに入っていた女性だった。 『つくり雨』
カメラマンが語る雪達磨嫌いの男の話。市民ホールにてカメラ講習を請け負った男が、雪達磨に息子が殺されたという母親の話を聞かされる。 『雪達磨』
友人の体験談を語るサラリーマン。 小説を執筆しようと友人宅の離れを借りた男。友人には美しい妹がいたが、その離れには幽霊が出るといわれていた。 『首人形』

 《奇妙なショート・ドラマの時間》
『悪夢』『年賀状』『花だより』『南の風』『思い出旅行』『けむりの箱』『シェークスピアを読む夫』『赤いハンカチ』『殺人代行業』『影絵』『見かえり坂』『鉛の兵隊』

 《ふしぎな時代劇の時間》
その裸体を拝むためには千両積む必要があるという常磐津の女師匠。金のある男を誑かし、後で悪口を言っていた彼女が何者かに同時に絞殺・刺殺・毒殺された。隠し金の在処を探しにしゃしゃり出たのは、元武士で現在は駆け出しの戯作者。 『湯もじ千両』
主筋が相次いで変死した彦坂家の下屋敷には幽霊が出るという噂。彦坂家次男の友人三人が、その幽霊を見届けようと屋敷で寝ずの晩を行うことになった。 『ばけもの屋敷』
もどり駕籠で女の客を確かに乗せた籠掻き二人。やけに軽いと思ったら駕籠の中には誰もいない。すわ幽霊か。うわさ話は街を駆けめぐり、幽霊が見たいという風変わりな男が彼らのもとにやってきた。 『もどり駕籠』
借金の取り立てに追われる貧乏御家人。借金を断られた帰り道、豪雨のなかで思わず中年の町人を辻斬りし、金品を奪ってしまう。 『本所割下水』
横浜の居留地で、外国人にうまく取り入っている旧知の多吉と出会った三次。三次の妹は多吉に弄ばれたという過去があった。 『開化横浜図絵』
櫓下の幇間が、山東京伝から預かったジアマンのフラソコ(ジャーマンのフラスコ)が消えてしまったと泡喰って報告にやってきた。 『うえすけ始末』

これもまた一つの職人芸。執筆分野を問わず、アベレージがクリアされているという絶技
御覧の通り、大きく三つのパートに分かれた構造となっている。最初のパートは「深夜の恐怖劇」という題名がとられているが、その実は『深夜倶楽部』という作品集に収録されている短編の系列で、怪談を語り合うイベントにて、ある人物が自ら経験した奇妙な話を語る……という形式が取られている。『雪達磨』『首人形』あたりの、シビアで残酷な結末はズシリと胸に突き刺さる。
次の「ショート・ドラマの時間」は、もちろんショート・ショート。都筑氏にはその軽妙な文体を遺憾なく発揮したショート・ショート作品群が数多くある。本書に収録されている作品もテーマに縛られずに、意外なオチや奇妙な味を狙っているもので、印象はバラバラ。それが却ってオチの見えない微妙な緊張感を創り出しているともいえよう。ごく短いなかに主人公の時間と生活をきっちり詰め込み、その奇妙さを際だたせている『鉛の兵隊』、ありがちなオチを、視点をある登場人物に持たせることで奇妙なドラマに仕上げた『殺人代行業』など、小粒でもピリッとした辛みを持つ作品があり、このあたり「名手」の名に恥じない。
そして最後の「ふしぎな時代劇」というのは一見捕物帖風でやっぱり本格推理風の捕物帖もあるにはあるが、目立つのは江戸時代ならではの「怪異」を作品内に挿入したもの。江戸時代風ホーンテッドマンションが不気味さを引き立てる『ばけもの屋敷』、辻駕籠に乗った女性の幽霊から生き霊へ、そしてまた、という展開がみごとな『もどり駕籠』等。都筑氏の奏でる「怖さ」は、現代ものよりも時代ものの方がより強烈な気がする。

文庫では読めない本……となると、文庫にも出来ない駄作だ、とか運悪く埋もれた傑作だ、などと両極端に評価が振れることが一般的には多いように思われる。少なくとも本作に関しては、特にそのようなことはなく、いわゆる都筑道夫の平均点的作品が集っているという印象。 必読! という極端な名作が収録されているワケではないが、どうしようもない駄作も全く含まれていない。これまた職人芸、ということなのだろう。


02/06/05
飛鳥部勝則「砂漠の薔薇」(光文社カッパノベルス'00)

殉教カテリナ車輪』にて第9回鮎川哲也賞を受賞、図像解釈学ミステリが話題となった飛鳥部氏は続く作品でも自らの絵を使用し、芸術と本格ミステリとの特異なブレンドを作品の特徴としてきた。本書も巻頭数ページがカラー絵として割かれており、作風に磨きがかかってきたように思われる。そして本格ミステリとしても。

美術館付属の喫茶店でアルバイトをする女子高生、奥本美奈。彼女は常連の客で謎めいた女性画家、明石尚子にモデルになって欲しいと依頼される。謎めいた彼女の言動に戸惑いつつもも彼女に付き合う美奈。その明石のアトリエの横にある不気味な屋敷があった。以前、その屋敷からは首が切断された女子高生の死体が発見されていた。その死体は奥本美奈の同級生、竹中真利子のものと思われたが全身に殴打の後があり、さらに死体の指が全て切断されてるという状況だった。時を同じくして、同級生の小野麻代もまた失踪していた。尚子と付き合ううちに、その死体の発見者が他ならぬ彼女であったことを美奈は知る。また、美奈の周囲を槍と名乗る探偵が登場、彼は本職は看板屋なのだが小野麻代の親戚であり、彼女を捜して探偵のようなことをしているという。そして現在、その屋敷は謎めいた男、州ノ木正吾が引っ越してきて住み着いている。彼は近所との接触を慎重に避け、深夜に何か布に包んだものを庭の隅に埋めたりしている。正面からその男にぶつかった尚子と美奈は、その州ノ木がそれなりに知られた彫刻家であることを確認するが、美奈は彼の家の中で失踪した小野麻代の携帯電話を発見してしまう。

きっちり書かれた伏線がこれだけあからさまなのに、真相を見抜けないなんて……
歴史的に重要な価値のある作品には「死」をモチーフとしたものが相当量存在する。それも隠喩、暗喩というよりも、そのものズバリの頭蓋骨や腐れゆく死体、切断された生首が赤裸々に描かれ、それでいてきちんと高評価されているというもの。ノベルス版にもかかわらず、本作でも飛鳥部氏は冒頭に自身の作品を含む絵画を掲載したグラビアページを用意してきた。本作も図象学ミステリなのか? と思ってしまったら読者の負け。 作者は意外な形で落とし穴を仕掛けている。
もちろん絵画を中心とした蘊蓄部分は健在、しかし作者がよく取り上げる「芸術家」の存在理由といった主題は今回どうも影が薄いように感じられる。恐らく語り手を、少し変わった性格を持つ女子高生に振ったことと無縁ではない。これも読みやすさを狙ったものか? と思いこんでしまったらまた読者の負け。執拗に取り上げられる首切りテーマ、登場するエキセントリックな芸術家たち。美術の「香り」だけでなく、作品の「芯」が美術にあり、物語という活字の形態を持つとはいえ、どこか飛鳥部氏の作品には美しさを伴う。そしてもう一つは、かたくなまでの本格ミステリへのこだわりがまた存在する。
細かな登場人物の行動や、明らかな伏線文章まで。読者が想像していた部分、そして全く想像していなかった部分にまで、最終的にトリックに奉仕する役割を担う。 このがちがちの「本格っぽさ」もまた、飛鳥部作品の特質として取り上げられる部分だろう。特に最終的なトリックの回収率が毎回高い点にも注目したい。全く気づかなかった伏線を後から後から指摘され、頷いたり感嘆したりと読み終わるまでその興奮がとぎれることがない。よく出来た作品である。

作品を最後まで読んで驚き、そしてどこか薄いヴェールがかけられたような美しさに感嘆し、そして唐突に割り込んでくる「現代」に何ともいえない恐ろしさを感じる。ミステリと蘊蓄、ミステリと登場人物との関係など、知らずミステリの黄金律を飛鳥部氏は実現してしまっている。美しさと驚き、そして独特の価値観を兼ね備えた本作、このバランス感覚が不思議で、そしてミステリならではの味わいを増幅している感。


02/06/04
加賀美雅之「双月城の惨劇」(光文社カッパノベルス'02)

本書もカッパノベルスのエンターテインメント小説登竜門、カッパ・ワン第一期のうち一冊。加賀美氏も『本格推理』出身で、本書が書き下ろしの初長編にあたる。推薦辞を同系統の『人狼城の恐怖』を執筆した二階堂黎人氏が引き受けているのも興味深い。

一九二〇年代。米国出身のパトリック・スミスは叔父でありパリ警察予審判事であるシャルル・ベルトランが解決した数々の事件を小説にしていた。そのスミスに恩師であるノイヴァンシュタイン博士より手紙を受け取る。彼が精神科の医師として滞在するドイツにある『双月城』にて奇妙な毒殺未遂事件が発生しており、ベルトランの出馬を乞うものであった。現在、若く美しい双子姉妹、カレンとマリアが当主として君臨するこの城にはロケハン中のハリウッドの人気俳優、ラインハルトらが滞在。そのラインハルトの出自がこの城の使用人だったことから事件の匂いがするというのだ。ベルトランに先駆けてスミスが到着したその夜、マリアがラインハルトの子供を身籠っていると衝撃の告白がありカレンが激昂する一幕が。そしてその晩、城にそびえる二つの塔のうちの一つ「満月の塔」の内部で、マリアと思われる惨殺死体が発見された。現場は密室となっていたうえ、死体は首と両手首が切断され、さらにその首と手首は燃やされて炭化。城はパニックに陥る。そんな折りベルトランが城に到着、彼は戦時中から互いをライバルと目するドイツ警察の雄、フォン・ストロハイム男爵と同道していた。互いに事件を解決すべく捜査を開始する彼らを嘲笑うかのように、第二の殺人がもう一つ存在する「新月の塔」にて発生する。

新本格懐古主義? 現代日本に蘇る黄金期の英米本格ミステリ……。
確か霧舎巧氏もデビュー作発表時に同様の趣旨のことを述べていたと思うのだが、加賀美氏も「自分で読みたいと思うミステリ」を書いたのだという。彼らがいうのは、綾辻、有栖川、我孫子……といった各氏が次々とパズラー系の作品を発表していた'89年から90年代の前半頃の興奮を自らの手で再現したい、ということ。いわゆる「新本格ミステリ」の原点への回帰である。現在と少し状況が違って、当時の「新本格ミステリ」ムーヴメントも、加賀美氏のいうような「自分で読みたいと思うミステリ」を書きたかったという心意気から勃興した部分は少なくない。その「読みたいミステリ」とはどんなものだったのか。当時当たり前だが「新本格ミステリ」という作品群が出来る前の状況下で、彼らに影響を与えたのは、主に英米の黄金期の古典本格探偵小説群ということがいえる。様々な形式はあれど、海外の本格探偵小説の香りを、現代日本に蘇らせたのが最初期の「新本格ミステリ」だといえよう。ただそれから十年が経過する。 例えば、霧舎氏もそうだし、他の最近デビューした、そのフォロワーともいえる世代が「自分で読みたいミステリ」という場合の「ミステリ」は、英米の作品ではなく、いわゆる最初期の「新本格ミステリ」の傑作群を指しているように思える。事実、それらフォロワー作品から漂う雰囲気は「新本格」によってスポイルされており、英米の香りを感じることは少ない。
さて、ここで加賀美氏がいう「自分で読みたいミステリ」というのは彼ら新本格フォロワーとは異なる気がしてならない。気付けば後発作家が陥りがちな、いわゆる二番煎じとしての「新本格を模倣した新本格ミステリ紛い」を読みたいのではなく、あくまで「英米の黄金時代の探偵小説の影響を受けた国産ミステリ」を読みたかったということではないか。

その結果、ゴシック建築の中世の城郭内部で発生する騎士の伝説に見立てた首切り密室殺人……をはじめとするものものしい作品が出来た。二階堂黎人氏の解説によれば、元もとカーのアンリ・バンコランもののパロディのつもりだったのだという。さにあらん。物理的トリックを中心とした構成、名探偵が「さて」と謎を解き明かす典型。それもまたスピリッツとして良し。伏線となる部分が文中から浮いて、みえみえになってしまっている構成は多少気にかかるが、そこが伏線だと分かっていても真相がそう簡単に見抜けないので別に構わないのではないか。偶然の要素の強いトリックであればあるこそ、この豪奢な道具立てが生きてくる。このトリック、実際に実行するにはあまりにも不確定要素が多すぎるけれど、この「世界」のなかであれば問題ないし、奇妙な説得力さえ持ってくるから不思議である。ミステリには古典の世界でしかできないこともある、ということか。

作品としては、今となっては好みが分かれるかな、という印象。今時お城も密室もないだろ、という夢のない読者は手にとる必要はない。逆に、遊び心こそミステリ、と割り切って豪華なトリックの群れに淫することのできるファンにはたまらない贈り物だといえよう。


02/06/03
山田正紀「まだ、名もない悪夢。」(徳間書店'89)

山田正紀氏の十一番目に刊行されたホラー系統の短編集。一応連作の形式は取っているものの、それぞれが独立した「テレビ番組」特に低予算の深夜ドラマ風の作りを取っているため短編それぞれの独立性は高い。実際「小説奇想天外」「野生時代」「問題小説」など発表のされ方も様々だったらしい。本ハードカバーのみで文庫化等はされていない。

深夜番組の企画を任されたプロデューサーは依頼をしたシナリオライターの家に督促に向かう。彼は原稿を仕上げられないばかりか、レンタルビデオ店で事件を起こしたのだという。 『前夜』
親友三人組の一人が胃潰瘍から亡くなった。入院中に二人が彼に渡したメロンを彼の細君が持って帰って欲しいという。 一夜『メロン』
二十数年ぶりの小学校の同窓会。アルバムと共に見つかった赤い傘は少年時代の甘美な恋い、そして禁断の思い出を呼び戻す。 二夜『忘れ傘』
近所に老人ホーム建築の計画が持ち上がり、平穏な暮らしを送っていた住民は建設賛成派と反対派に別れ、醜い争いを。 三夜『妖老院へようこそ』
失踪してしまった部下の女性が飼っていた犬を引き取った上司。家族に受け入れられるその犬が、彼にはどうも気に入らない。 四夜『犬の穴』
ぼけてしまった父親の名誉を取り戻すために自ら実験的な冷凍睡眠を志願した男。その睡眠の最中に彼らが経験したのは。 五夜『冷凍睡眠の悪夢』
占いを信じていた政治家が健康上の理由で閣僚を辞任。事件を追った週刊誌記者は彼の頼った観相術者が自殺していたと知る。 六夜『顔』
引っ越してきたマンションでゴミ捨て場のルールを軽い気持ちで無視した男。彼は管理人にいわれたという隣人から苦情を受ける。 七夜『管理人』
ヒモのような状態で暮らしてきた売れないシナリオライターが、彼女と喧嘩別れ。過去に訪れた鄙びた温泉へ足を伸ばす。 八夜『露天風呂』
深夜、会社の飲み会からご機嫌で帰宅しようとしていた木村は、不機嫌なタクシー運転手によって途中下車させられる。ただラジオで放送していたナイターの結果が気になって仕方がない。 九夜『代打はヒットを打ったか?』
中年夫婦のもとを訪れ、将来への備えを訴える二人の女性勧誘員。何かの勧誘と思われたが妻はにこやかに彼女らと応対していた。 十夜『訪問販売』
スーパーにて宣伝販売のパートに出た奈美子は、横暴な客に対してもにこやかに応対できる先輩に、その秘訣を尋ねる。 十一夜『宣伝販売』
子供のことで悩みがあるという友人が不自然な死に方をした。彼が言い残した「通信販売」という言葉が引っ掛かるわたしは彼の遺した子供を訪ねる。 十二夜『通信販売』
プロデューサーが最終通告をしにシナリオライター宅に向かったところ、彼の精神状態は明らかにおかしくなっているように思われた……。 『十三夜』  以上、『前夜』と『十三夜』に挟まれた十二の物語。

ターゲットは三十代後半から四十代前半? 人生を折り返しつつある人々の共感と叫喚を呼ぶ悪夢
定年までのポストだとか、同僚との出世競争だとかにちょっと先が見えてきて、それでも日々の仕事やノルマに追いまくられ、多忙なサラリーマン。結婚して子供もある程度大きくなり、家族や妻との関係を久しぶりに反芻してみる中年男性。人生八十年の折り返し地点に立ち、まだ経験したことはないが、自分にも確実に訪れる老後の生活に漠然とした不安を抱く人々……。
本書にて綴られる、十三の悪夢の主人公たちはおおよそ上記の年代、つまり三十代後半から四十代前半までの人々である。彼らが経験する「悪夢」というのが本書のテーマ。特に世代論的主張が込められているものでもないが、この世代ならではの持つ悩みだとか、状況だとかの活かし方が非常に上手い。単発の作品でのネタならとにかく、短編集全てのモチーフが中年の悪夢というものは、他にちょっと思いつかない。それでいて、「深夜テレビ向けドラマ」である、という設定が「枠」として存在しているものの、それぞれの作品における趣向そのものは豊かなバリエーションにて描かれているあたり、上手い。
一つ一つの内容は、「悪夢」から連想されるホラー系統ではなく、SFがかったオチを伴うブラックユーモア、ないし悪意あるショートショートの系統。 ただ、それぞれのラストにて消費される悪夢の量が半端ではないので、読み終わった後にじんわりと心に染みいる「厭な感覚」というのがまた強烈。特に読者がこの世代に近ければ近いほど、どんぴしゃなら尚更に、この「厭な感覚」をより強く味わうことになるだろう。
個人的には少年時代の甘美な思い出を、美しくない原色に変換させてしまうラストが見事な「忘れ傘」、こちらも少年時代の思い出が一転して見えてくる醜い現実を、湯気で包んだかのような「露天風呂」あたりの感覚が好み。少年時代との時間的距離が一定以上空かないと、このような物語は成立しないのだろう。

SFにて山田氏が残した功績は大きく、ミステリを発表の主流としてしまった現代に至っても氏の根強いファンは未だに多い。それでいて氏の初期SF長編以外が、何らかの形で蘇るということも余り聞かない。時々思い出したように手に取っているが、結果的に文庫化されることなく終わったハードカバーであっても、山田氏の作品には見逃せないものは多い。ちなみに本書は、中年限定で探して読むべき本。


02/06/02
福永武彦「加田伶太郎全集」(扶桑社文庫'01)

昭和三十年代。ミステリマニアとしても知られていた文学者である福永武彦氏は、覆面作家「加田伶太郎」として本格推理小説を短編にて発表していた。加田名義による探偵小説全て、それに船田学名義にて執筆した未完のSF作品第一部、そして二度にわたって刊行された「加田伶太郎全集」等に寄せられた他の作家の文章などが集められた、まさに全集の「完全版」となるのが本書。

古典文学専攻の大学教授、伊丹英典氏が探偵役、ワトソン役に伊丹氏を公私にサポートする久木助手を据えた探偵小説群。
船上を旅する四人組。帰国する大学教授が、古い洋館にて発生した脅迫状による予告密室殺人で「完全犯罪」として迷宮入りした事件の謎を解く。 『完全犯罪』
無実の殺人罪で服役していた不動産会社員の父親が、その罠に嵌めた社長と悪徳弁護士と話し合うべく自宅に乗り込んだところ、再び奇妙な事件が。 『幽霊事件』
主人を喪った名門一家。奥さんに色目を使い、成り上がろうとしていた執事が温室内で殺害された。密室殺人事件に伊丹氏が挑む。 『温室事件』
一人旅に出た久木の友人が伊豆方面で消息を絶ってしまった。心配した兄は伊丹氏に捜査を依頼するが手掛かりがあまりに少ない。 『失踪事件』
中学校のPTA会長が、身に覚えある中学校長の妻との不倫、そして身に覚えのない不正経理の謎の脅迫電話を受け取る。一方校長にも同様に脅迫電話が。 『電話事件』
破格の条件で図書整理のアルバイトに出向いた私の雇い主は催眠術に凝った主人。実の母を亡くし、継母と折り合わない娘は催眠術の実験台とされていた。 『眠りの誘惑』
湖畔のリゾートホテルに出向いた伊丹氏。新婚夫婦や推理マニアの子供達に囲まれた平穏な休日。しかし新婚夫婦にまつわるトラブルから事件が。 『湖畔事件』
赤い色を病的に怖がる女優が、発作的に病院から飛び降り自殺した。医師の友人から依頼を受けた伊丹氏は映画業界にまつわるしがらみから事件を推理。 『赤い靴』
夏の浜辺で海水浴を楽しむ少年たちに、アベックの男性が西瓜割りをしないかと誘いをかける。しかしその西瓜とは……。 『女か西瓜か(A riddle story)』
クリスマスイブ。子供を寝かしつけたねえやは、サンタクロースの扮装をした彼氏を引き入れるべく勝手口を開けておく。 『サンタクロースの贈り物(A X'mas story)』
太陽系を着々と我が物にしつつある地球人。しかし木星探索に飛ばした無人宇宙船は次々と消息を絶った。遂に五人の優秀な宇宙飛行士が有人飛行に乗り出すことが決定する。小惑星帯に隠された秘密とは。 『地球を遠く離れて』
これらに福永武彦が加田伶太郎の話をする『素人探偵誕生記』や、対談形式で同様の趣向の『作者を捜す三人の物語』 等、数々のエッセイが付け加えられている。

どこかオーソドックスでどこか懐かしく、そしてとても洒落ている。純然たる本格指向の探偵小説
推理小説、すなわちミステリというのは「遊び心」が多ければ多いほどに楽しい。
私は幸福なことに、昭和二十年代から三十年代にかけてのミステリ不遇の時代というものをリアルタイムで経験していない。そんな時期に主に海外ミステリに嵌っていた福永氏が、編集者の誘いに乗って自分で書いてしまった……というのが発端。ある意味、純文学者の余技、そしてその余技だからこそ遊びがある。本書収録された短編を俯瞰すると、密室殺人事件へのこだわり、探偵小説としての形式へのこだわりはもちろん、様々なシチュエーションを「トリック」のために案出している面白さなど、洒落た趣向に満ちた内容であることが分かる。もちろん、一編一編は本格ミステリとして吟味されたフェアプレイの精神が横溢しているし、それでいてこの凝った設定もまた海外の黄金時代からこの時代までに発表された、ちょっと変格がかった数々のミステリの精神を想起させる。
何よりも強調しておきたいのは、本書が現代の本格ミステリを愛する読者にも、きっと受け入れられるであろうということ。なぜなら、この遊び心として自分好みの新しい本格ミステリを創ろうと決心した経緯、これがいわゆる新本格第一期のミステリ作家たちと非常に似た動機だから。泥臭い社会派的要素を廃し、純然たる活字によるパズラーが心がけられている。もちろん、文章そのものが文学をメシのタネとしている作者によるものであるので、現在に至っても読みやすいし、同時にミステリとして、および遊び心として必要なもの以外を思い切って捨象していることもあって、短さのわりに内容が詰まっている点も好印象。
個別作品では意気込みが先行している感のある『完全犯罪』はトリックが綺麗なかわりにがちがちの本格の宿命か、ちょっとかしこまりすぎているので、後に出た『温室事件』『失踪事件』あたりの試みの新しさが似合う作品が好み。船田学(フクナガダのアナグラム)名義のSF、『地球を遠く離れて』のセンスオブワンダーも結構いけていると感じた。

ちらりと聞いたところによれば、昭和ミステリ秘宝でも初期に刊行された、この『加田伶太郎全集』に重版がかかったおかげでこのシリーズが延命したというハナシ。伊達や酔狂で本書が復刻刊行されたのではなく、国産探偵小説の歴史を語る上で欠くことの出来ない作品である点がきっちり評価された結果だといえよう。


02/06/01
芦辺 拓「名探偵博覧会 真説ルパン対ホームズ」(原書房'00)

書き下ろし中編となる表題作を加え、これまでに芦辺氏が各誌に発表してきた、いわゆる「名探偵」パスティシュを集めて単行本化したという異色の短編集。

1900年、パリにて行われた万国博覧会。そのなかでも人気を博したムッシュ川上一座による日本公演の最中、ヒロインの貞奴の頸にかけられていた米国富豪からのプレゼントという豪華な首飾りが、舞台に上がった人物から盗まれた。犯人の名は駆け出しの泥棒紳士、ルパン。だがルパンの与り知らないところでさらに第二、第三の日本関係者を狙った盗難が発生してしまう。遂にパリ警察は、ホームズの渡仏を要請した。『真説ルパン対ホームズ』
戦前のニューヨークにてパルプマガジン、最近は高級雑誌に進出して成功を収めていた雑誌界の《大君》が殺された。執筆させていた覆面作家の仕事部屋にて死体にて発見された彼を巡り、名探偵ファイロ・ヴァンスの出馬が要請される。容疑者はその覆面作家と思われたが……。 『大君殺人事件 またはポーランド鉛硝子の謎』
二次大戦直前の西海岸のホテルにて娼婦と、ハラキリをしたと思われる謎の日本人の変死体が発見された。ホノルル市警のチャーリー・チャンらがその捜査にあたるが、私立探偵や有名な老人がやってくる。 『《ホテル・ミカド》の殺人〔改訂版〕』
ある男が幼時に体験した不思議な話。それは決して人を殺さないはずの怪人二十面相が人を殺した容疑で逮捕された……というもの。明智小五郎がその事件の謎を解く。 『黄昏の怪人たち』
星影龍三、鬼貫警部と二人の名探偵と仕事を共にした田所警部。彼が語る二人の名探偵の語られざる「失敗」事件……。 『田所警部に花束を』
出張先から戻ったビジネスマンが書斎で殺された。この平凡な事件が名探偵としての人格がころころ変わる男によって語られる。 『七つの心を持つ探偵』
「黒岩涙香が訳出して翻案した戦前の海外の推理小説」といった文体にて書かれた探偵譚。 『探偵奇譚 空中の賊』
名探偵・森江春策が「星々森人」と名乗る人物の依頼に従って訪れた街は異界へと変貌した。そのなかで森江は百六十年前のあの密室について検証し、その不可思議な点について指摘する。 『百六十年の密室――新・モルグ街の殺人』

作者が楽しく楽しく執筆しただろう雰囲気が、読者側にも伝わる好パスティーシュ集
楽しい、実に楽しい。
今現在、ミステリを好んで読んでいるという人は、「過去の履歴」とも呼べるミステリに関する原体験、それに連なる読書遍歴のようなものをたいてい持っている。恵まれたこれまでの日本の出版環境によって、ミステリは日本作品、海外作品、数多くの作品が「ジュヴナイル」「古典の名作」という形をもって人々の心に浸透している。そんな作品群を意識した作品。この部分に触れられるということは、理屈抜きに「ミステリの面白さ」の原点を確認させられる作業でもある。どこか懐かしく、そして理屈抜きで楽しい時間を本作は提供してくれている。
(ネタバレを恐れるため、わざと順不同にしています)明智小五郎、アルセーヌ・ルパン、鬼貫警部、怪人二十面相、金田一耕助、クイーン、サム・スペード、シャーロック・ホームズ、チャーリー・チャン、ファイロ・ヴァンス、星影龍三、ヴァン・ドゥーゼン……そして森江春策。かつて我々の心をふるわせたことのある「名探偵」の知られざる、語られざる事件簿。パスティシュと呼ばれるこういった形式の作品は、シャーロキアンたちが創った数々のホームズ譚をはじめ、世の中に多く存在している。ただ、これだけ広範な時代、作家、作品を一人で創り上げるという作家はそういないのではないか。
一部の海外作品は未読(とはいえ私も基本程度は読んでいる)なので、残念ながらあまりつっこめない。なので私個人の印象では明智小五郎vs怪人二十面相について、あるスパイスを振りかけることで「この手があったか」と唸らされた『黄昏の怪人たち』と、数々の名探偵が登場する『《ホテル・ミカド》の殺人〔改訂版〕』との印象が強い。というのも、両作品に共通して、徹底的な精読によって発見された、作者でさえも忘れてしまっているかもしれないようなちょっとした一文から物語を創り上げているすごさがあるのだ。一種ミステリ研究者・病的なマニアによる分析に近い仕事なのだが、そこからこれだけの物語を「実際に執筆してしまう」というのは、芦辺氏ならではの業績であるといえよう。この視点からすれば、モルグ街の殺人を百六十年後に再検討する『百六十年の密室――新・モルグ街の殺人』なども、本格ミステリ作家にしか出来ない仕事として評価されるべきだろう。特にこれはたまたま物語の形式が取られているが、ミステリのルーツともいえる古典に対する徹底的論考は、森江春策の手柄話としてよりも、評論として発表されてもおかしくなかったほどの出来映えである。

国産専門のミステリサイトを運営している関係上、海外作品に手が出せなくなって久しいのだが、そんな私であっても楽しめた。ある一定の年齢以上のミステリファンであれば、充実した時間をもてることは確実。 ――ちょっとだけ気になるのは、島田荘司氏以降しか知らないといった若い年齢層にとっては、本書は理解出来ないかもしれないこと。その意味では読者を(いや、年齢層を)選ぶともいえるかもしれない。