MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/06/30
愛川 晶「根津愛(代理)探偵事務所」(原書房'00)

愛川氏の現在はメインとなるシリーズ探偵、代理探偵・根津愛もの、初の短編集。『創元推理』誌やアンソロジーに発表されていた作品に書き下ろし、および周辺コメントを配して単行本化している。ちなみに表紙に使われている写真の女性は、どうやらWEBサイト「根津愛探偵事務所」を運営されている【実在】根津愛さんとのこと。

根津父の事件。警察署にかかってきた電話を若き頃の桐野が受けた。無関係なことを喋りつつ、実は強盗に襲われているというメッセージ。その女性と思われる死体がマンションにて発見された。現場に残された本格的なカレー。アリバイ証言が食い違うなか、根津はカレーを味見して犯人を指摘する。 『カレーライスは知っていた』
仙台一帯を停電が襲った翌日、バーを経営する女性が殺害されているのが発見された。寒がりで知られるその女性は、手足にちぐはぐな手袋やスリッパなどが犯人によって着せられていた。現場には結婚を反故にした慰謝料として一千万円を支払うという念書が三人分。どうやら三人のなかに犯人がいるらしいのだが……。 『だって、冷え性なんだモン!』
愛の通う女子高への通学路に、交通量が多く危険だが、近道となる橋があった。ある日、中年男性の運転する車が生徒と接触してから、一旦生徒通行止めが決められたが、暫くしてなし崩しに通学路として復活。ある冬の日、凍結した橋の上に「スケートおじさん」が現れた。 『スケートおじさん』
詐欺師に引っかかり消費者金融に多額の借金を負ったわたしは、腐れ縁の親友で、自己中心的な金持ち娘から百万円を借りる。返済に息詰まったわたしは彼女の持つダイヤモンドの原石を詐取しようとジルコニアを用意して彼女のマンションを訪問。すり替えには成功しかかるが、彼女の追及をかわすため、一旦ダイヤを粉末マッシュポテトの箱に隠してしらばくれる。 『コロッケの密室』
桐野の昔からの知り合いの警察官が、婚約者を賭けて別の友人と「脱出劇」を行うのだという。立ち会い人に指名された桐野は愛を伴って彼の新居へと向かう。その家は赤と白に塗り分けられており、一部屋だけ飛び出た奇妙なつくりとなっていたうえ、彼は妙な宗教にかぶれてしまっていた。 『死への密室』以上の五編に「根津愛の独白」や「愛川晶より根津愛へ」や「根津信三によるあとがき」などが挟まる構造。

短編の本格ミステリとしては水準以上のレベル。だけどどこか内輪ノリに腰が引ける……
本格ミステリ、特に密室ものの佳品が揃う短編集。しかもほとんどに「作者からの挑戦状」がつく、本格ミステリのど真ん中ストレートな作品群。題名の奇抜さ――『カレーライス』だとか『冷え性』だとか『コロッケ』とか――の割に、作品は日常の謎だけに逃げないで、シリアスな殺人事件が絡む。事件そのものの見た目も派手で、かなり奇抜な印象を持つが、これがきっちり論理のアクロバットにて美しい必然性のもとで解決されていく。 それが単なる派手なアクロバットだけでなく、その論理のきっかけとなる部分に至るまで配慮され、かつ鮮やかなのが素晴らしく、特に題名を上記した前三編のレベルは相当に高い。伏線の引き方の細やかさや、回収率といったあたりも特筆すべきものがある。いわゆる「美しい本格ミステリ」といって良かろう。また『死への密室』はいわゆる密室のための密室になっており、物語の諸要件が密室に対して奉仕した作り。個人的にはこちらのタイプの評価は高くないのだが、密室らしい密室がお好きという向きには評価されるのではないだろうか。総じて読み応え、そして何より考え応えを読者に与えてくれる。

ここからは苦言。
以前から「根津愛」のシリーズ作品を読んで感じていたことではあるが、登場人物の桐野義太や周辺人物よりも、作者の愛川氏の方に強い「根津愛萌え」があるように思えてならない。同じ現代作家の描く美少女探偵、例えば二階堂蘭子や西之園萌絵、高瀬千帆といったあたりは、少なくとも作者からは距離があり、良くも悪くも登場人物は作者が提供するけれど「読者のもの」というスタンスがあるのだが、根津愛に関してだけはどうしても「作者の大切な宝物」という印象を受けるのだ。実在する根津愛さんに関するエピソードを本書に限らず愛川氏が頻繁に取り上げること、本書だと「ねこまんが」の扱い、美化というより賛美するかのようなサブストーリー群。作者は、【実在】根津愛に捧げる物語を書いていて、読者は単にそのおこぼれに与っているだけ――超極論だが――とまで個人的には感じてしまう。仮に「キャラ萌え」で根津愛シリーズを読もうとしても、根津愛ちゃんに届く前に読者にとっては「作者」という厚い壁が待っていることになる。どっちにしても、【作中】根津愛に対する方向性なりをもう少し考えないと、大化けはないのではないか。

……と、苦言を書いたが本格ミステリ短編集として、特に「がちがちの本格原理主義者」であれば絶対に押さえる必要のある作品だろう。美しい伏線、美しい手がかり、美しい解決に完璧に割り切れる答え。本格ミステリの定義がどうあろうと、本書がその全ての定義における様式美に則っていることは間違いない。アンフェアぎりぎりの記述もあるが、それもまた「本格」を成立させるための儀式の一つと割り切って、作者からの挑戦状と戦って欲しい。


02/06/29
戸梶圭太「なぎら☆ツイスター」(角川書店'01)

第3回新潮ミステリー倶楽部賞を『闇の楽園』にて受賞後、超のつくハイペースで作品刊行を続けている戸梶氏の七冊目(デビュー三年目にして)の作品。第55回日本推理作家協会賞長編部門の候補作品にもなった、現在までの戸梶氏の代表作品の一つ。

東京のインテリやくざ、桜井は滋野という後輩と共に、群馬県の那木良(なぎら)という田舎町にシーマに乗ってやってきた。那木良に先に来ていた、江藤と篠原が一千万円を持ったままフケたのだ。その金は、最近事故を起こして悪評が高い日東化工の工場をこの地に設立するため、地元やくざの室田一家を通じて土地を買収するための資金。江藤は桜井の舎弟で、桜井はボスに江藤を連れ戻すか、一千万円の返済をするかを迫られており、その期限まで五日しかない。どちらにしても経歴にキズがつく――桜井らはまず室田一家に挨拶に出向くが、彼らのあまりの田舎やくざぶりに笑いを堪えるのに必死。さらに時代遅れのファッションに身を固めた、室田組長の勘違いわがまま跡取り息子、迅が桜井たちに興味を示し、手伝おうと言い出す。もともと桜井らに好意を持たない、迅のお守り役、宮間などは切れないよう自制するのに必死。いずれにせよ、桜井たちは江藤らが宿泊していたホテルに乗り込んで、彼らの残した足跡をたどり始める。

きっちり意外性のミステリが(珍しく)絡む戸梶流ノリノリやくざストーリー!
戸梶圭太の作品構成テクニックの重要な部分を占めるものに「同時進行」にて複数視点から物語を立体化する、というものがある。デビュー作からその構成を使用していたが、本作あたりくると完全にテクニックを手の内としたうえで、更に読者に与える効果をもきっちり計算した不敵さが感じられて頼もしい。何といっても、これまでの戸梶作品にみられなかった「いわゆるミステリ的なトリック」が本作では使用されているのだ。(あ、叙述トリックではないからね) その核となるのは、意外や意外、WHO DONE IT? なのだ。 ヤクザの一千万円を持ち逃げしたのは誰? 追いかけてきた幹部格のヤクザを刺し殺したのは誰? 身代金を要求しているのは誰? 最後の最後、予期せぬ人物が現れて、それまでの謎が回収される。さすがに名探偵が登場することはないし、本格ミステリとまではさすがにいえないが十二分にミステリ的な興趣を味わわせてくれる。 戸梶氏独特の物語形態の宿命ゆえ、数多くの登場人物がところ狭しと暴れ回るが、物語が進むにつれて彼らの一部が少しずつ「処分」されてしまう。そんな訳で当初は名字で表現されるだけで、ひとりひとりのイメージが湧きづらかった登場人物たちも中盤以降に気付くとスッキリ。ヤクザvs暴走族vs一般人の微妙な「強者→弱者」のヒエラルキーが、物語に独特の痛快感を付与するのに役立っている。古いヤクザ世界や極道的世界観、それに寂れゆく田舎町を徹底的に諧謔して表現するのも、どこかタブーに触れるような独特の魅力に繋がっている。普通の作家ではこういう風に書かないし、書けない。
もう一つ、本書にて初めて気付いたことは、戸梶氏の文章テクニックだ。部分誉めに聞こえるかもしれないが、「醜いもの」「臭いもの」「汚いもの」「痛いもの」「情けないもの」を表現させると天下一品。 また「田舎的なもの」を嘲笑う文章は、本書の笑い部分のキモでもあるが、氏の他作品においてもそれはスパイスとして上手に使われている。実際、誰もが田舎で目撃する当たり前の風景が、戸梶氏の手にかかると、強烈な毒を含む抱腹絶倒のユーモアへと転ずるのだ。その一方で「美しいもの」「魅力的なもの」を描いた時に、どうもフェチっぽくなってしまうのは戸梶氏の感性故なのか。(それはそれでいいんだけど)。

なるほど、戸梶圭太という作家の持ち味はそのままに、ミステリ的要素もそれなりにあって……と、昨年刊行された戸梶作品が多かったに関わらず、本書が協会賞候補として取り上げられた理由が、何となくみえる。簡単にいえば、戸梶作品のなかでも(一般的にはどうか知らないが)完成度が高い。どれを読んでも似た味わいがある気もするが、機会があれば「戸梶作品がどんなものなのか」は新鮮なうちに知っておく価値があると思う。(好みに合わない人は、徹底的に合わないだろうけどね)。


02/06/28
瀬川ことび「お葬式」(角川ホラー文庫'99)

'99年、第6回日本ホラー小説大賞短編賞にて佳作を受賞した表題作品に、書き下ろしの短編が加わって刊行されたもの。本文庫がオリジナル。この回のホラー小説大賞は、あの岩井志麻子さんが『ぼっけえ、きょうてえ』にて大賞を受賞するなど、総じてレベルが高かった。瀬川氏は「瀬川貴次」の別名によるライトノベルスの著作も多いらしい。

どこにでもいるフツーの女子高生の”あたし”の父親は、会社に人生を捧げた挙げ句入院していた。その父が危篤となり、学校から駆けつけるあたり。母と兄、そしてあたしの前で父は息を引き取る。葬儀の段取りを決める段になり、母は「うちには先祖伝来の葬い方がございます」と葬儀社の人を追い返し、家族で準備に取りかかることになる。 『お葬式』
学会とロックバンドのコンサート関係の客にてごった返すホテルのフロント。新米の杉野はあたふたと業務をこなしていた。老婆がエレベーターに乗ったまま、降りずに上下しているという客からのクレームに対応、老婆を説得するが彼女はにこにこしたまま降りてこない。しかも杉野の目の前で老婆は消え失せてしまった。慌てて報告する杉野に対し、先輩フロントマンがホテルにまつわる様々な怪談を聞かせてくれる。 『ホテルエクセレントの怪談』
一人暮らしの直人のもとにはしばらく前から無言電話がよくかかってきていた。電話番号を変えても留守番電話に変えても、それは止まない。あまり気にしなくなった直人の元にバイト先で一緒の女の子が訪ねてくる。迎え入れた彼女は顔面が半分崩れており、眼球が露出していた。「たぶん、わたし もう死んでいるんだと思う」 『十二月のゾンビ』
婚約者の浮気に逆上して絞め殺してしまった男は、死体を山奥に捨てにいった帰り道、事故にて崖下に自動車を墜落させてしまう。運良く生き残ったものの、彼は混乱したまま現場を離れようとやっきとなっていた。女が追ってきているような錯覚に襲われた彼は、明かりを見つけて駆け寄っていく。 『萩の寺』
ロシアの原発にて何やら事故が起きたらしい。学生の”おれ”はいつも通り四時限目の授業の為に登校した。文芸部室で「チャイナシンドローム」の話を女子学生から聞いたおれは、心の奥底にあるパニックを楽しみ、他の学生にその気持ちを伝播させることに心を砕く。 『心地よくざわめくところ』 以上五編。

ごくフツーの若者のごくフツーの日常感覚が、ごく軽快に描かれる。その感覚のまま描かれる「異質」のもの……
刊行時に機会がなくてなかなか手に取ることがなかった現代ホラー作家の一人、瀬川氏。デビューより数年、気付けば「ユーモアホラー」ないし「青春ホラー」という独特の形容詞が作品に付けられているようだ。そういった先入観を廃して読んだつもりなのだが、あまりにもその形容詞が言い得て妙過ぎ。先入観と読後感が完全に一致してしまった。結局、その「ちょっと軽め」というイメージが瀬川ホラーの本質なのだから仕方ない。
とにかく物語が気持ちよく軽い。ライトノベルス出身だから、ということはなかろうが(それをいうなら牧野修氏だってそうだ)、若者の微妙な心の動きだとか、ちょっとした恋心だとか、逆に文学的から遠ざかる→漫画的? な物語の装飾といったところからにじみ出る「軽さ」が、絶妙に巧い。幻想小説系の作家には、自分のイメージを正確に表現したいがために、一般には難しい単語を使用したがる向きもあるが、瀬川氏の場合、逆に分かりやすいように分かりやすいように表現を簡素化しているのではないか。 でないと「カマボコを逆さまにした口の形」なんて言葉は出てこないだろう。(そして、この単語が実際に出てきたとき、めちゃめちゃ怖かった――)。
また、物語において主人公らを配置するレベル――うまく言葉で表現できないが――が、独特なのだ。怪異が目の前に発生した時、それに恐怖する人々、信じることが出来ない人々がホラー小説世界では一般人として普遍的に存在するのが普通。時に怪異を操り、怪異を既に知り、戦ったりする人々が頂点に立っていたりすることもまた普通。本書で特徴的なのは、その怪異と、一般人のはずの登場人物を等位に配置しているということ。いずれにせよ、恐怖に対するスタンスが独特で、それがまた奇妙な魅力に繋がっている。

今まで手に取らなかったことをちょっと後悔。自分テイストにも結構合うではないか。ホラー短編における独特のオリジナリティを発揮できる作家がまだ居たのか、という事実にショック。これからおいおい追いかけます。


02/06/27
夢野久作「骸骨の黒穂」(角川文庫'80)

角川文庫で合計『ドグラ・マグラ』の上下を別に十冊刊行された最後の一冊。全集もある作家ということもあり、テキスト的に本書でしか読めない作品はないのだが、本書そのものは角川夢野収集においてはキキメである。

明治二十年頃のこと、筑豊は直方に藤六という老爺が経営する小さな居酒屋があった。藤六は仏性の性格と思われ、店に来る乞食に必ず施しをしてやっていた。その藤六がぽっくりと逝き、近所の人が店を改めると仏壇からしゃれこうべとそれに供えられた麦の黒穂が出てきた。通夜の最中、その藤六の甥と名乗る若者が現れ、号泣する。 『骸骨の黒穂』
東京で新聞記者の特権を利用して悪いことを繰り返した挙げ句、近在に居られなくなった吾輩は、九州の場末の新聞社にやって来た。編集長たる山羊鬚の男は威厳がないこと著しかったが、吾輩に対して記事を何か取ってくるよう命じた。 『山羊鬚編集長』
医者の跡取りとして村一番のインテリできた真面目一方の青年。彼は村一番の美女と婚礼を行っていた。そこに暫く行方不明になっていた精神に障害があって唖の娘が、妊娠した姿で突如現れ、青年に縋り付いた。 『笑う唖女』
悪評高い村一番の富豪老夫婦。彼らには頭が弱いが美しい娘がいた。村で唯一彼女に興味を示さなかった堅物の若者が婿養子に取られて彼らと生活を始めるが、吝嗇な老夫婦は彼の唯一の趣味であるラジオを取り上げたばかりか、娘にも手を出させなかった。そんな夫婦が何者かに殺された。 『巡査辞職』
東西の国家規模での諜報戦はエスカレートを極めていき秘密文書の暗号化では追いつかなくなって来ていた。その究極ともいえるのが、人間の脳味噌に直接記録して情報をやりとりするという「人間レコード」である。 『人間レコード』
材木屋で働く芝居キチガイの青年。全く取り柄がなかったが、常に自分が芝居に立つことを夢見ていた。そんな青年が、結婚詐欺師が女の子を騙す場面を目撃。その娘の親や警察に駆け込んでも相手にされない彼は、遂にその逢い引き現場に女装姿で登場し、詐欺師と対決する。 『芝居狂冒険』
鉄鋼工場の休み時間、芝居のワンシーンをパントマイムするのが流行った。工員三人組がある日、その流行りの一環だろうと、男が別の男に襲われる場面を眺めていたところ、それは給料十二万円也を強奪するホンモノの強盗であった。どうやらその犯人は工員の中にいるらしい。 『オンチ』以上七編。

現在では決して発表されない視点から生々しく描かれる、夢野的探偵小説世界
カバーにおける内容紹介によれば、本書は夢野作品においても「アウトロー」を主題にした短編を集めた作品集なのだという。夢野氏のアウトロー小説といえば、まず思い出されるのは『犬神博士』だろうが、本書もまた独特の「アウトロー」が題材となっている。夢野氏に限ったこととは言い切れないながら、山に住む人々や乞食、精神障害を持つ人々など「アウトロー」が、少なくとも戦前のこの時期、日本においてはこのように認識されていたのか、という紛れもない事実が否応なく確認させられる。表現的に現代的では使用出来ない用語が存在する部分は致し方ない。しかし、作品の本質を見誤ってはならない。 彼らを通じて描く人間像に、夢野の人間観が色濃く反映されているのだ。
……とはいえ、収録作品はどちらかといえば「探偵小説」的な味わいが濃い。確かに「アウトロー」も登場するし、その物語の関わり方は小さなものとはいえない。だが、どうも少なくとも本書収録作品にいてる夢野氏は、いわゆる「ミステリ」及び「エンターテインメント」に近いものを生み出そうとしていたのでは、というのが正直な印象なのだ。人間の多面性をいろいろな形で示した一種の「罪と罰」ともいえる表題作のみ、文学的にみても相応しい解釈が出来そうなのだが、(事実、本書の解説を担当した文学者は、表題作に多くの言葉を費やしている) 他の作品は文学とは異なるモノサシにてその価値を量るのが相応しいように感じる。
有名な短編『巡査辞職』、社会派の走りのような動機と結末が皮肉を感じさせる『笑う唖女』、連作短編にて仕掛けの多い『山羊鬚編集長』、そして一応のアウトローたる「赤」がホッポリ出されて陰謀につぐ陰謀にて息つく暇のない『オンチ』と、ミステリ的興趣に溢れている。
もう一方は、、飄逸、洒脱で滑稽な人々の人間関係を面白可笑しく描くいわゆるエンターテインメント小説の系統。こちらは突飛な人間を設定した『人間レコード』や、一応サスペンス仕立てながら主人公の行動が滅法面白い『芝居狂冒険』あたりにその楽しさが色濃く出ている。

戦前作家にも関わらず、現代でも読まれ続ける異色作家は他にも幾人か存在するが、特に夢野久作のセンスというのは、実は非常に現代的であったのではないか――ということに改めて気付かされた。 個人的には言語のセンスなどについてもスバラシイ(カタカナは夢野を意識してみた)と考えている。『ドグラ・マグラ』にて挫折した向きも、短編や他の長編にもまた現代読者が読む価値のある作品があることに是非とも気付いて欲しい作家である。教養文庫でも角川ホラー文庫でも、手に入るところから読んでみて。


02/06/26
稲見一良「花見川のハック」(角川書店'94)

1994年の2月に稲見氏は惜しまれつつ他界されてしまっているのだが、本書はその直前までに『野性時代』等の雑誌発表されていた短編をまとめた作品集。氏の数少ない著作のなかで、小説では唯一文庫化されておらず入手が困難だったのだが2002年になって唐突に角川文庫より刊行され、ファンを喜ばせている。私自身は以前に入手したハードカバー版にて読了。

散歩道で何の気なしに拾った石が動物のように見えてくる――まえがきにかえて。 『石の鳥獣』
両親がおらず不遇の少年は西部劇が好きでお金もないのに映画館に通っていた。事情を知った支配人が彼がいつでも映画を見られるように取りはからう。しかしその映画館に都市開発の波が押し寄せる。 『オクラホマ・キッド』
ヤクザ絡みの水商売の女性は隣家の暴力団関係者一家が抗争で皆殺しになる物音を聞く。襲撃者が隣人の優秀な猟犬を撃とうとするのを見て、反射的に自らの猟銃の引き金を引く。 『マリヤ』
誇り高い祖母から様々なことを学んだ孤高の少年ハック。彼は花見川のそばに秘密基地を作り、そこから味わう自然を楽しんでいた。 『花見川のハック』
腕は良いが部愛想な少年修理工が陰湿な苛めに耐えかね、辞表を叩き付けて会社を去る。行く先のない彼は、療養所から逃げ出してきた車椅子の少年と知り合い、二人して当てのない旅に出る。 『不良の旅立ち』
癌で余命幾ばくもない老人が夫婦で山に暮らす。老人にはかつて人を殺して服役していたという前歴があった。 『花の下にて』
父親の野鳥の猟に同道し、様々な自然の掟や猟のいろはを習う十歳の少年。 『煙』
八百長試合を控えたボクサーの青年は、試合前日ボクシング映画を見て興奮を抑えられず試合に勝ってしまう。 『栄光何するものぞ』
存在感のある父親の元を飛び出し、ハーレーに跨って一人旅をする青年。行く先々で人々や自然や、悪い出来事と触れあって、人間的に成長していく。 『曠野』
東京へ飛び出してきた少年を拾ってくれたのは靴磨きの組織を持つ老人。老人はそんな少年たちに慕われていたが、ヤクザからの怪我がもとで死んでしまう。 『シュー・シャイン』
無骨な青年は、密かに愛する女性のために地蔵に対して願をかけていた。 『男結び』
稲見氏が自らの境遇を病床にて詠った「詩」。 『鳥』 以上、まえがき含め十二編の宝石。

少年たちは大人の背中を見ている。彼らが誇り高き生き方を選べるようにするのは大人の責任
厳しいことをいえば、稲見一良の他の短編集に比べると「遺作」となってしまったが故に、稲見氏の意志の断片が寄せ集められた……という印象で、短編集としての統一感は他の作品集に一歩譲る感。短編そのものも、どこかアンバランスというか、尻切れトンボ的な結末を迎えるものも少なくなく、中盤の盛り上がりに比べるとラストがすとんと切られてしまうような印象の作品がみられる。それでも、稲見氏の「生き様」の断片が、短いなかにもぎっしり込められており、稲見氏にしか創れない世界が万華鏡のように繰り広げられている点は他の作品集と同じ。物語としての完成度が低い作品であっても、メッセージの完成度は究極までに高く、鋭く我々の心を突き刺し、震わせる。
本書にて特徴的なのは、常に人間は誰かを「手本」にして生きているということを執拗に描いていることだろう。ようやく自分の意志を持ちだした少年が主人公となる『オクラホマ・キッド』『花見川のハック』『煙』。彼らは、その場面場面毎に本能的に自分の「師」となる人物と行動し、彼らの行動を学んだり、模倣したりすることで少しずつ成長する。続いて『不良の旅立ち』『栄光何するものぞ』『曠野』『シュー・シャイン』といったところでは、少年期も終わりにさしかかり、自らの力で人生を切り開かなければならなくなった少年たちが描かれる。彼らは半分自分の美学を身につけており、そしてまた様々な局面から人生を学んでいく。その過程が、青臭くも心地よくすっきりとしたエピソードと共に語られる。読者は共に悔しがり、共に喜び、共に考えることで、彼らと時間を共有する。そうして大人になった、かつての子供たちは、今度は教える立場となって子供たち、少年たちの前に登場してまたその背中をもって様々なことを示していく。そして、その人生の終幕は幸福なものとは限らない。『マリヤ』『花の下にて』、そして『鳥』。しかし、ただ本人はその自らの生き方に満足して人生の終わりに近づいて行くのだ。登場人物の不思議な輪廻。人は自分のためだけに生きるのではない、ということか。

「格好良い」という言葉を外観だけに当てはめるのは浅薄なこと。真の格好良さは、「自分自身を偽らない生き方」「常に胸を張った人生」が出来ている人物が、自然と身に備える風格含めて評価すべきものだろう。稲見一良氏は、こういった「人間としての誇り」を表現し続けることが出来た希有な作家だったのだ。 はぁ。もう読んでない著作が残り一冊になっちゃったよ。


02/06/25
芦辺 拓「名探偵Z 不可能推理」(ハルキノベルス'02)

'95年から'00年にかけ『創元推理』『メフィスト』『別冊シャレード』に掲載されてきた芦辺拓氏随一の怪作「名探偵Z」のシリーズが、遂に一冊にまとめられて刊行。五編の書き下ろしが加わって総数十八編もの作品が楽しめるお得な短編集となっている。

巨大な遺産を引き継いだ探偵小説作家が一番風呂に入り心臟麻痺を起こした。 『一番風呂殺人事件』
地質学の教授が研究中の洞窟の岩壁に顔面を打ち付けたまま、事切れていた。 『呪いの北枕』
女子大生が住むアパート。彼女を除く住人26人がある日を境に姿を消した。 『26人消失す』
Q市郊外に突如現れた観光名所、五戸内にて発見された死体。この地の秘密とは。 『ご当地の殺人』
好感度ナンバーワンの女優が屋外で殺された。が、すっぴん故、身許がなかなか割れなかった。 『おしゃべりな指』
Q市きっての大富豪、左右田氏は何者もいない空間で左半身が襲われるという。 『左右田氏の悲劇』
謎の研究を進める博士と助手たちが、首が引き千切られるようにして殺された。 『怪物質オバハニウム』
航空ダイヤが乱れるというニュースが流れる日、乙名探偵は仙波警部らを駅に呼び出す。 『殺意は鉄路を駆ける』
偏屈者で知られる老人が、天井のシャンデリアに突き刺さったような奇態で死んでいた。 『天邪鬼な墜落』
売れなくなった女優が芸能界カムバックを狙ううちに、密室内部で忽然と姿を消してしまった。 『カムバック女優失踪』
電車のガード下でネクタイにて強烈な力で首を絞められる研究者たち。彼らは皆、鰓井教授の門下だった。 『鰓井教授の情熱』
不気味な怪物の出現を綴った行方不明者の手記。警部一行は真偽を確かめるためQ市の秘境へと赴く。 『史上最凶の暗号』
高級住宅に住む芸能人夫妻。彼らのところに様々な手段で大量に「猫を返せ」という脅迫文が届いた。 『少女怪盗Ψ登場』
探偵小説作家・芦辺拓が「名探偵Z」の刊行を記念しサイン会を実施。客は来ないが別の人々が来た。 『メタx2な白昼夢』
Q市を襲った突然の停電。その翌日、警部らは「裏返し」になった人間の死体と対面する。 『ごく個人的な動機』
Q市を襲う空前絶後の猟奇殺人事件。大量、多種の人体の一部が次々とゴミ捨て場から発見される。 『人にして獣なるものの殺戮』
Q市郊外の伝説の館。最後の当主が行方不明となり、遺産を求めて屋敷に立ち入る人が皆蒸発してしまう。 『黄金宮殿の密室』
Q市、いや日本が大戦争に巻き込まれ焦土と化した。乙名探偵は、戦争の原因は名探偵にあると言い出す。 『とても社会派な犯罪』

バカミスあり、本格あり、メタあり……なんでもありの「名探偵」ファンタジー
姓は乙名(おとな)、名は探偵(とるただ)。本名に「探偵」の二文字を抱き、マスコミの誤植と並べ替えの結果「名探偵Z」と呼ばれることになる男。 『保瀬警部最大の事件』でも舞台となったQ市を舞台に、仙波警部、円田刑事が奇怪な事件に取り組むと、どこからともなく「これは他殺です」のキャッチフレーズと共に現れる神出鬼没、迷惑千万の迷探偵。対するは非常識な犯罪者による非常識な事件から、未だまだ発生していないやっぱり非常識な事件まで。架空都市Q市は毎日が壊滅の危機。壮大な迷探偵ファンタジー ――というのが本書をひとことで表現したときの個人的イメージ。
カミのシュロック・オルメス探偵ものへのオマージュということになっているが、小生は浅学故そちらには触れたことがない。ただ確か「名探偵もの」のパロディとして先に世に出た、小林信彦氏、東野圭吾氏らの諸作を評する際も同様にオルメスの名前が挙がっていたことを記憶している。それら国産作品と比した場合の本書の印象は「バラエティ豊か」とでもいえばいいのか。名探偵パロディの本筋ともいえるトリックやアリバイトリックのパロディがまずある。本末転倒や逆説、小さなネタでここまで膨らませるか、という極端トリック。だが、それだけに留まらないし、さらに激しく逸脱した作品がまた多いのだ。 冒頭こそ伝統的な本格ミステリや、サイコミステリの様相を呈しながら、どこからかぶっ飛んだ解釈にて強引に物語を昇華させてしまうSF系や、トンデモ科学技術系統の回答による破壊。名探偵の存在をおちょくるだけでなく、存在そのものを消し飛ばしたり、更に一枚上のレベルに展開させてしまう豪快さ……等々、ありとあらゆる形で、「普通のミステリ」を解体し、おちょくり、潰しまくる。その度合いの激しさには、痛快というよりも唖然とさせられる。「ここまでやってもいいの?」という逸脱に対しては、ちょっと難しいが「面白がる」余裕が読者に必要となろう。
作者がどこまで狙っているのか判然としないが「ギャグ」という意味では読者とのボタンの掛け違えがあるように感じた。ミステリにおけるユーモアはあくまで登場人物の行動のみによって示されるのが最上と思うので、言動や感情の内的表現にて「受け」を狙いに行ってしまうとどうしても鼻につく。本書の場合は、それらの表面的行動以前、プロットの段階での目茶苦茶さが魅力なので、無理にキャラクタ全部を漫画的にしなくとも……と、何だか勿体ない気がした。

「ユーモアミステリ」を期待して読むより「トンデモミステリ」と最初から踏まえておいて読んだ方が、読者にとっては幸福かも。懐の深さも要求されることでもあるし、ある程度ミステリのパターンを知ったうえで手に取った方が、より面白いことは間違いない作品。


02/06/24
松本清張「張込み」(新潮文庫'65)

現在でも本新潮文庫を中心に、多くの著作が文庫で手に入る松本清張氏。本書はその新潮文庫にて再編成された清張の推理小説短編集としての第一冊目であり、それなりの代表作品が収録されている(のだと思う)。

強盗の実行犯を追って九州へ向かった刑事。犯人の元愛人が後妻となって暮らす家を見張り続ける。慎ましく平穏にみえる彼女の暮らしの僅かな変化を刑事は見逃さなかった。 『張込み』
劇団員の男に映画出演の声がかかる。男は強烈な上昇志向を持っていたが、過去に犯した一つの犯罪にて顔を目撃されていたことが唯一の気がかりだった。 『顔』
偶然に強盗の電話の声を聞いた交換手。後に彼女は結婚して家庭に入るが、旦那の仕事仲間の声を電話で聞いた時に、強盗の声と同じであることを確信する。 『声』
連載小説が面白いから、と地方紙をわざわざ取り寄せた女性。彼女は別の目的を達すると購読を止めた。その小説の作家が彼女の行動に興味を感じて調べると……。 『地方紙を買う女』
地味な印刷職人が仕事で成功し、妻に隠れて妾を囲って八年。しかし仕事が左前になり養うことが出来なくなると愛人は豹変、子供を本宅に置いて失踪する。 『鬼畜』
失業した夫のために保険の外交員として頑張る婦人。彼女や子供に対し暴力をふるう夫を、衝動的に殴り殺した妻は熱心な世論がつき執行猶予の判決。しかしこの事件の裏側には……。 『一年半待て』
都落ちした新聞記者。四国の地方新聞にて地元の市役所の腐敗を取材するうちに筋の通った役人と知り合う。その役人が事故で死亡、裏に蠢く利権と陰謀を記者は看破する。 『投影』
戦後、左寄りの学説が受けて教科書や参考書に執筆して富を稼いだ若き学者。不遇を囲った恩師の就職活動を冷ややかにみていたが、検定の変化に伴い我が身も怪しくなってきた。 『カルネアデスの舟板』以上八編。

松本清張という作家が、これほどまでに人々の支持を受けたという意味が見えてくる
後世、人々は「松本清張」という巨星を評して、それまでの探偵小説から荒唐無稽さを廃し、犯罪に至る動機を重視して、推理小説を大人の読み物として確立した……という評価を与えている。これまで私の狭い読書経験のなかで読んだ長編作品では、そういったコメントも頷ける部分は多々あるにしろ、それとは別に「意外と」考え抜かれた本格ミステリとしてのトリック、プロットという部分も生きており、単なる「社会派推理小説」と一口で片づけられる作家ではない、という印象が強い。果たして短編でも同様の傾向がみえるものか。最近の文庫に慣れた身に、小さな活字は辛いが楽しみに読み進めた。
第一印象は「重い……」ということだ。とにかく、登場する人物に対するディテールが徹底している。その職業、経歴、家族構成はまず当然のように描かれるのだが、特に印象深いのは世の中に対する姿勢だろう。自分勝手か、反社会的か、迎合主義か。そういったそれぞれの人間の姿勢をしっかり描いた後に、その立場だからこそ陥ってしまう犯罪風景が描かれる。凄いのは、仮に犯罪に至らなかったとしても、これだけ詳細に人生を描かれていると、物語に面白さが染み出してくるのだ。一般小説的な意味合いとして松本氏は、平凡な人生にもそこそこドラマがあり、そのドラマを効果的に描き出す、というのが実に上手い。
その結果として発生する事件にはあまり無理矢理なトリックは少ない。(『投影』だけ大トリックが弄されているが) 犯罪者は犯罪を隠そうとし、出来る限り自然にばれないように実行しようとする、という人間として当たり前の反応を清張は描く。(もちろん、小説たるもの、その事件に対する光の当て方は、個々に異なる)。 小説である以上、皮肉な結末、哀しい結末ないし、ちょっと暖かみのある結末がつけられるが、それだけでは物語が閉じず、それ以上の余韻を読者の心に残す。この技は一朝一夕の経験、そして探偵小説のみに特化した才能からはなかなか生まれてこないのではないか。ただ現代基準のミステリとしては、「読み応えがあるがミステリとしては小味」という評価となってしまうかもしれない。しかし、そのオリジナルが松本清張。推理小説なのに「読み応えがある」ということに重きを置いたのは革新的な仕事だったのではないか。
。 物語は昭和二十年代からせいぜい三十年代冒頭が舞台。同じ日本が舞台とはいえ、今となっては何かドキュメンタリーを眺めているかのような気分になる。電話は交換機を通じて、ごく一部の限られたところにしかなく、他人との待ち合わせにハガキや電報を使用し、もちろん新幹線などないので、東京から各地には移動だけでまる一日かけて汽車を使って移動しなければならない。そういったかつての日本の姿を思い浮かべながら読むのが吉。

松本清張という作品が織りなす山脈はそんな簡単に踏破できるものではない。 その山脈の中のちょっとした岩を取り上げてこんなことをいうのは気が引けるが、少なくとも現代基準においても「ものすごい実力を持った作家」であることは、間違いない。文学者としての顔の延長上に、推理小説があった、というべきなのか。ふむ。


02/06/23
横山秀夫「陰の季節」(文藝春秋'98)

横山氏は表題作にあたる「陰の季節」にて、'95年に第5回松本清張賞を受賞。それ以前にサントリーミステリー大賞佳作に残った作品もあるが、この次の作品にあたる『動機』にて、推理作家協会賞を受賞する実力派作家。表題作は上川隆也主演でドラマ化もされている。また本書には文春文庫版もある。

D県警本部の警務課に所属する二渡真治警視はエリート畑を歩んできた人事のプロ。異動の中身が確定し押し迫ったところで不祥事の糊塗のため組み替えに大わらわになっていた。そんな彼に更に厄介な問題が持ちかけられる。天下りポストに収まっていた尾坂部という大物OBが止めないと言っているのだという。刑事部長を務めるなど警察の王道を通り、慕う者も多い人物がなぜそのようなことを言い出すのか。二渡はその真意を探るよう命ぜられる。 『陰の季節』
新堂隆義は順当に出世してきたが途中で身体を壊したため、現在は警務部監察課に所属していた。警察の内部監査が主な仕事。彼は、所轄の警察署の生活安全課長がスナックのママと出来ている――との密告状を受け取る。彼の仕事はその密告が事実かどうかを確認するだけでなく、彼の勘では署内と思われるその密告者の存在を探し出すことにもあった。 『地の声』
D県警警務課の七尾友子係長は、機動鑑識班の婦警、平野瑞穂が無断欠勤していると知らされる。昨日、彼女の作成した似顔絵によってひったくり犯が逮捕され、得意の絶頂にあったはずの彼女に何が起きたのか。寮から普通に出勤した彼女の周辺を友子は探る。寮の部屋には彼女がつけない筈の香水の匂いが漂っていた。 『黒い線』
D県警警務部秘書課に勤める柘植正樹は警部にして課長補佐。県警の『議会対策』が任務である。議会にて提出され、県警本部長が回答する必要がある質問について事前に情報を収集するのが主な仕事。彼は親しい県議から、鵜飼という保守系議員が「警察に対して爆弾質問を投げる」という噂を聞き、本人に確かめる。けんもほろろに扱われる柘植は、爆弾の中身を鵜飼から聞き出すことが出来ず焦る。 『鞄』 以上、中編四編。

「警察」という機構の裏側に焦点を当てた新しいタイプの警察小説
松本清張賞を受賞した作品を中心に刊行された一作目が本書。そして第二作目がいきなり推理作家協会賞を受賞してしまう。横山秀夫。それほどインパクトのある筆名ではないが、ハードボイルド・冒険小説のリーグのみならず、本格ミステリサイドからも高い評価を受けている作家である。縁無くて今まで手にとって来なかったのだが、その高評価の理由は読み出してすぐに理解できた。
基本的には警察小説である。ただ、通常の警察小説における主人公が、例えば捜査一課に所属するという共通項を持った刑事たち(「太陽にほえろ」とか)だとすると、本書の主人公は、警察という機構そのものである。もちろん、二渡という挫折したエリート警視が物語の底流を支えており、表向きは各作品に主人公格の人物が登場する。しかし、圧倒的なディティール、存在感を示すのは、彼らよりも組織としての警察なのだ。警察といえど役所、そして一種の会社に近い組織構造を持っている以上、内部的に雑用に近いことをこなす部門があり、対外的な折衝を業務とする部門があり、もちろん人事を司る部門がある。それぞれに警察としての特殊性こそあるものの、「巨大な会社」にイメージは近い。大会社を舞台にするサラリーマン小説と、ハードボイルドにて描かれる警察小説との希有な融合。従来からあるミステリにごく近いところに、こんな前人未踏の設定が残っていたのかと、本気で唸らされる。
そしてその設定だけにとどまらない。個々の作品をみても「警察」ならではの「謎」「不可解な行動」があり、それを必死になって「解明しようとする人物」がおり、それぞれ「手掛かり」から、その「真意」を解きほぐしていく「過程」がある。組織ならではの権謀術数、立場ならではの行動原理など、明かされてみれば納得できる理由が存在する。ただ、そこに現実的ならではの寂しさをもまた伴っているのも特徴。警察の腐敗等を告発する意図がないだけに、却って組織に潰される個人の姿が痛痛しく表現されている気がする。

作者紹介での経歴では、新聞社勤務後、フリーライターとなっており、何らかの警察関係者だったのかどうかは分からない。しかし、組織たる存在には表舞台だけでなく裏方役の人々がたくさん存在していることをよく知っている。そんな裏方の持つ論理をよく知っている。裏方、表舞台共通の組織、特に警察の論理というものもよく知っている。とにかく、これまで多くの作家がチャレンジしてきた警察小説に、より深くしっかりと根っこを張っている印象。文章もプロットも完成されており、きっかけ一つで大ブレイクする可能性が高い。


02/06/22
横溝正史「悪魔の降誕祭」(角川文庫'74)

黒背の角川文庫にて古くに刊行された作品で表題作の他、後に角川ミニ文庫入りした『女怪』、中編『霧の山荘』が収録された金田一ものの作品集。順に、'58年、'50年、'58年の作品。

金田一耕助の事務所に”小山順子”を名乗ってかかってきた電話。等々力警部との用件を終えて事務所に戻ってきた金田一を迎えたのはその女性の毒殺死体であった。彼女はジャズシンガー関口たまきのマネージャーだと判明。金田一は米国帰りのその歌手を巡って奇妙な人間関係が形成されていることを知る。 『悪魔の降誕祭』
伊豆の鄙びた温泉に滞在する金田一耕助。彼は旅館のおかみから「狸穴の行者」と呼ばれる予言者の修道場が近くにあることを聞かされる。更にその近くの墓に金田一が恋慕するマダムの元夫が眠っていると知る。その墓では最近、墓荒らしが横行。しかも埋葬の新旧関係なく墓が掘り起こされるのだという。金田一らが、その墓を見に行くと、何やら箱を抱えた噂の狸穴の行者とすれ違う。 『女怪』
高原のホテルで静養中の金田一耕助。彼の元を美人編集者が訪問する。近くの別荘地に滞在する彼女の伯母で戦前の映画の大スター紅葉照子が、当地で謎の人物と出会い、それがどうやら過去の犯罪に関係しているらしくて心配なのだという。霧のなか、その別荘地に向かった金田一。案内のアロハの男に連れられ訪れた別荘は鍵が閉まっており、なかには血溜まりのなかに横たわる女性死体が見えた。 『霧の山荘』以上三編。

横溝正史戦後作品の、金田一耕助ものの、良くも悪くも水準作品群か
特に戦前から戦後すぐの作品や、いわゆる横溝正史の代表作と呼ばれるような作品群には、いくつかのモチーフが好んで用いられる。舞台的には、孤島や山奥にある因習に満ちた村だとか、古びた屋敷だとか、先祖代々の因縁だとか、一族同士、村人同士の血を血で洗う歴史だとか。人物的には、美しい未亡人だとか、傷痍軍人だとか、双子だとか、謎の老婆だとか。小道具的には、サーカス、墓、道化師、奇術、占い、仮面、髑髏、黒眼鏡……。その他、身体的、精神的に恵まれない境遇にある人なども頻繁に登場する。不気味なもの、気味の悪いもの、説明がつかないものへの昏い憧憬といったものが作品内に溢れることが多い。その多寡により、いわゆる「正史らしさ」が強く出たり、薄かったりするように考えている。
本書には三つの作品が登場する。そのうち『女怪』のみ昭和二十年代、残り二作は昭和三十年代の作品である。いずれにしても横溝氏の働き盛り? の時期に著されたもの。それでいて、三作品それぞれで金田一耕助という魅力的な探偵が活躍するに関わらず、どこか味わいが異なっているように感じられるのだ。 まず表題作『悪魔の降誕祭』。この作品は金田一耕助探偵事務所内部での大胆不敵な殺人事件にて幕が開き、複雑な家族関係を持つジャズシンガーの邸宅でのクリスマスパーティの惨劇へと舞台を移すもの。どちらかといえば、現代風俗を中心に都会中心に話が進む。一方『女怪』は、田舎で静養中の金田一耕助と謎の予言者、金田一耕助の恋……といった事柄が、後の回想としてパラに描かれるいかにもな探偵小説。どこか倒錯した恋愛感情、意外かつ強引などんでん返しなど、推理小説としての実証性を要求される前の、古き良き時代の正統派探偵小説。そして『霧の山荘』とは、こちらも静養中の金田一耕助の元を訪れる謎の美女、霧立ちこめる別荘地に紛れ込んだ金田一の前に現れる死体、そしてその消失……。
私的評価に従えば『女怪』『霧の山荘』『悪魔の降誕祭』の順に良さを感じた。結局上記した横溝正史らしさが色濃く感じられる作品ほど、好みに合うということらしい。都会の光の影になる暗闇を描くのが乱歩だとすれば、正史は田舎の本当の暗闇を暗闇として描く作家だといえる。 だからというわけではないが、都会の華やかさに正史が挑むと、作品内容とは別にどこかしらじらしたものが出てしまうように感じてしまう。それはそれで良いというファンも多いとは思うが、やはり横溝正史には横溝正史にしか表現出来ない世界を描いた方が事実、面白い。

本書は、横溝作品らしい「雰囲気」「トリック」「物語」を全て兼ね備えてはいるが、それでも抜けた作品を多く持つ横溝氏のなかにあってはあくまで水準作に過ぎない。ある程度の代表作をきっちり読んだファンが、次段階に手に取るべき作品ではないだろうか。


02/06/21
平石貴樹「サロメの夢は血の夢」(南雲堂'02)

誰もがポオを愛していた』等で活躍する、あの名探偵・ニッキを生み出した平石貴樹氏の久々の新刊だというのに、なんであまりWEB上での反応が見られないのだろう?

妻の出身である宮島一族の会社を乗っ取る形で『シールド・エンタプライズ』社を大きく飛躍させた社長、土居楯雄。彼の死体が迎えに来た運転手によって発見された。死体は首のみが残されており、現場にはビアズリーによる「サロメ」の絵が残されていた。妻に死なれてから女性関係の派手であった土居社長は、ひどい派閥争いが発生している社業においても、息子娘の結婚話を無理強いする家族からも、かなり恨まれている様子。関係者が現場の中野に向かうなか、サロメの絵が切り取られていたと思しき美術全集から、別の絵が切り取られていることが判明した。その絵は水の中に浮かぶ女性を「オフェーリア」のモチーフによってミレーが描いたもの。果たして、土居社長の娘である帆奈美が行方不明となり、別荘のある軽井沢にて「オフェーリア」の絵さながらに死体となって発見された。但し死因は自殺とみられ、土居社長殺害に使用された凶器も発見された。覚悟の自殺として処理されそうな事件に対し『シールド・エンタプライズ』社を担当する、車椅子に乗った美貌の弁護士、山崎千鶴は、事件が連続殺人だったらいいのに、と不謹慎なことを考える。

特異な手法を用いつつも、その根本はやはり「本格探偵小説」のスピリッツ
平石貴樹氏の描くミステリというのは、いわゆる古式に則ったがちがちの「本格探偵小説」といったイメージがあった。本作は帯や緒言に『「内的告白」の手法を用いた探偵小説』という言葉があり、戸惑いつつ手に取ったことはまた事実。その戸惑いは、叙述トリックへの懸念ともいうべきものであったが、読了後の印象はなかなか複雑な印象である。ちなみに、作者の冒頭の言葉によれば「以下の物語ではいわゆる「内的独白」の方法を試みて、登場人物たち各人が見聞きしたり心に思ったりしたことを、適宜そのまま記している」のだそうだ。
まず手法について。手法そのものは純文学等ではよく試みられているもの。つまり、三人称を廃し、一切が登場人物誰かの「視点」によって情景が描かれ、更に登場人物の心情が付随する。口に出したもの、出さなかったもの。一見、作者の干渉する余地はないようにみえるが、彼らをどのような順番にて、どのような場面で登場させるか、という部分をしっかりコントロールして物語が冗長になることを極力抑えている。また、意図的に状況描写を外したり、その語っている人物を錯覚させるような前例ある叙述トリックは使用されていない。あくまで、手法は手法。その骨法にあるのは探偵小説的な事件である。
そして事件。ビアズリーのサロメを模した首だけの死体。オフィーリアを模して、川に花と共に流される死体。それぞれ探偵小説的美的感覚に溢れている。颯爽と登場する車椅子の美人弁護士。推理の手法はオーソドックス。読者に対するヒントは十分のはずなのに、きちんとアクロバティックな解決をも実現させている。事件の見た目の派手さの割に、中身はロジックの本格であるところもポイントか。何よりも、真犯人が明らかにされた後に、必ずもう一度ページを捲らせる力が本書にはある。(だって、犯人が場面場面でどんな心情をもっていたか気になるではないですか)。 そこでもう一度「やられた」という感覚を味わうことになる。だって、書いているんだよ。書いているのに、なぜ全くその不自然さに気付かない? <自分 ……ということを後から分析すると、真犯人を知らないという共通項を持った犯人以外の登場人物の心情、発言がそのままミスリーディングになっていること、他の登場人物も、事件に直接関わらない部分でいろいろと秘密を持っていて、その心情描写が十分に怪しいこと等々。木を隠すのは森の中、というが、それを小説手法にて実行してしまっているのが本作といえる。
更に事件の背景にある動機……が、切実でまた哀しい。こちらの動機部分の印象が強烈に過ぎるため、犯罪方法そのものに不可解な部分があることを大いなる感情が覆い隠してしまう。また探偵役も色々人生に背負っているものがあって、本筋とは関係ない部分にて独特の質感を物語に加えている。深い。

あの更科ニッキも、ちょい役にて登場。シリーズを読み続けている読者に対するサービスを忘れていない点は素直に嬉しい。地味ながら、今年末までには「本格ミステリ」としての一定の評価を得ることは間違いない。独自の手法たる「内的告白」を仮に使用しなかったとしても、それなりのレベルの本格ミステリとして完成したであろうに……。平石氏の遊び心が単純を許さなかったのか。試み、物語、ミステリの三つの要素がうまく揃った佳作