MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/07/10
近藤史恵「猿若町捕物帳 巴之丞鹿の子」(幻冬舎文庫'01)

どのような経緯は不明ながら、幻冬舎文庫にて書き下ろし刊行することになった近藤史恵さんの新シリーズ。近藤さんの時代小説は初の試みながら、元もと歌舞伎を舞台にした作品が多く、その筆力は安定しており安心して読める。

玉島千陰は父親から同心の株を譲られて独立したまだ若い同心。彼は手下の八百吉から大川から二人目の死者が出たと聞いて不機嫌となっていた。一人目は三日前、扇屋の娘でお浜。そして今度は棒手振の娘お弓が犠牲となった。被害者に共通しているのは地味な帯締めで首が絞められていたこと。その帯締めは水木巴之丞という人気の女形が舞台で締めているもので、巷の若い女性では密かに人気が出ていたもので、直接の手掛かりとしては薄かった。
矢場に勤めるお袖は、母親と二人暮らし。父親は大店の主人で奉公人だった母親を身籠らせて放り出していたが、自分の実の息子のあまりの放蕩ぶりに堪りかね、最近はお袖を引き取って店の番頭格と結婚させて跡継ぎにしようと画策していた。お袖はそんな遣り口が気に入らない。またお袖はちょっと奇妙なところもあった。雨宿りで一緒になった侍が、鼻緒を結ってくれている途中、衝動的に彼の肩を蹴ったのだ。その侍は当惑し、そしてお袖のことを追い回し始める。

初の近藤時代作品は、時代を移して繰り広げられる作者独特の恋物語ミステリ
近藤作品はミステリであっても、そうでない作品であっても、必ずといっていいほど「一風変わった恋」が描かれることが多い。単なる男女の気持ちのすれ違いから、社会通念上許されざる恋、一種のインセスト、同性愛といったところまで幅広い「愛の形」が物語の底流を形作っている。それがミステリの動機やトリックとして使われることもあるし、単に物語そのものの一エピソードに終わる場合もある。ただ、その「一風変わった恋」の部分、常にそれだけでも結構読ませるものがあるのだ。
純粋にミステリとしてみた場合は、それが邪魔に思える方もいるだろう。しかし近藤ミステリに魅せられる人々は、その「一風変わった恋」が生み出す世界に酔うことを楽しみにしているのではないか。
本書も、主筋である連続殺人事件とは完全に段落が分けられる形で、矢場に勤める蓮っ葉な、しかし玉の輿が降りかかりつつあるサドっけのある女性と、彼女の不思議な正確に惹かれるマゾっけのある若い侍との一風変わった恋物語が描かれる。感情移入はできないけれど、奇妙に彼らの行く末が気になる。本作の場合、これがどのように主筋と交わるのか、そして交わらないのかはここでは触れない。
一方の連続殺人は本格というよりもサスペンス・ハードボイルドの手法に近い味わい。 ただ江戸時代を舞台にしていて、科学的な捜査方法が取り入れられないばかりに手掛かりが少なくなり、それが本格ミステリになりづらい土壌となっている気もする。最終的な事件の真相も、どこかハードボイルド作家が好みそうなものである。

一応、シリーズものの第一作として発表された以上、続編がいずれ出るのであろう。しかし個人的にはシリーズ探偵としてみた時に、この探偵役に対する魅力はあまり感じなかった。どちらかといえば単発作品として楽しみたいくらい。(近藤作品には他に魅力的なシリーズがあることでもあるし)。ただ、近藤史恵という作家が執筆したという時点で「ああ、また読んでおきたいな」となぜだか思わせるし、必ず物語の内部に魅力的な何かが存在している。 不思議な作家である。


02/07/09
鮎川哲也(監修)芦辺 拓(編)「本格推理マガジン 少年探偵王」(光文社文庫'02)

文庫形式の「雑誌」という触れ込みにて、一般には入手が困難な名作の復刻を中心にした編集がファンを喜ばせる「本格推理マガジン」。順調な(?)刊行がなされており、本作が五冊目、鮎川哲也氏が監修で、実質の編集を芦辺拓氏が担当するようになって二冊目の作品。副題は「ぼくらの推理/冒険物語」。

少年探偵団最年少の井上くんとその妹ルミちゃんがちんどん屋のピエロについていくと、謎の屋敷に入っていった……。 江戸川乱歩『まようやしき』
たけしくんときみこちゃんは小学生。隣に住む林さんが時々不思議な手品をしてくれる。林さんの手品に誘われて屋敷に遊びにいったところ……。 江戸川乱歩『ふしぎな人/名たんていと二十めんそう』
少年探偵団のポケット小僧があやしい洋館を発見。なかをみるとかわいい女の子が助けを求めている……。 江戸川乱歩『かいじん二十めんそう』
警視庁の元警部の娘、斎藤玲子が家の近所の林の中を歩いていると謎の乞食めいた人物から蝙蝠館と呼ばれる屋敷への道を尋ねられる。蝙蝠館は化物屋敷とも呼ばれる無人の洋館。怯えながら教えた玲子は逃げるようにその場を去るが、今度は黒マントに黒い帽子、黒眼鏡の男に呼び止められる。彼は乞食を追っているらしい。玲子は家に帰ってそのことを家族に話すが、弟の敏夫少年は興味をかき立てられる。夜中、無人のはずの蝙蝠館に灯りがついているのを見た敏夫は、探検に出かけるが悲鳴と人の倒れる音を聞き慌てて逃げ出した。父親の斎藤元警部と共に館に引き返した敏夫は、乞食めいた人物が首に蝙蝠の歯形を付けて殺されているのを発見する。 高木彬光『吸血魔』
山岡氏は「空気人間」を名乗る人物からフェニキアの壷の盗難予告を受け取る。探偵の警備のもと、密室内部で大きな箱に入れて宝を守っていた山岡氏。予告時間を過ぎて探偵が扉を開けると山岡氏は昏倒させられており、壷は姿を消していた。 鮎川哲也『空気人間』
大きな洋館、富士見荘。売りに出されると決まったこの館の三階に呪われた部屋があるといい、宿泊した人物が部屋から謎の転落死を遂げるという事件が起きていた。 鮎川哲也『呪いの家』
小樽市で発生した絵画詐欺事件。その重要容疑者はその時間に札幌に居たと主張する。そのアリバイは時計塔と共に撮された写真が照明しているという。 鮎川哲也『時計塔』
狼人間と名乗る男が二人の人物を刺し殺し、部屋を密室にして逃走した。探偵ビリーパックはその謎を立ちどころに解明するが、別の宝石商のところに殺人予告状が送られてきた。 河島光広『ビリーパック 恐怖の狼人間』(漫画) 各作家ごとに関係諸氏による解題、及び芦辺氏による序とあとがき付き。

知らない時代、知らない世界、はじめて読むのに、どこか懐かしい……
話は変わるがいわゆる子供向け、特に幼児向けのビデオについてこのような解説がついているのを目にしたことがある。「興味が移り変わりやすいお子さま向けに、一つ一つの場面は三分以内にまとめてあります」 確かに個人差があるとはいえ、子供が一つのものごとに集中していられる時間は短い。エピソードに時間をかけていては、ガマンできずに本を放り出し、どこか別のものに興味がうつる。本書収録作品に限らず、当時から少年少女向け探偵小説を執筆していた人々は、そのことを良く知っている。つまり、場面の切り替えが乱暴なくらいに早いのだ。探偵に追われる犯人は、一瞬にして変装をし、探偵はまた一瞬で見分け、犯人は「いつ準備してんねん」といった奇想天外な逃走を開始し、探偵も「どこから用意してんねん」といった手段にて追いかける。追いついた犯人は実は人形で……といったとにかくパンの早い場面展開。物語やトリックの整合性や現実性というのは、この物語展開を進めるにあたってある程度犠牲にされるという暗黙の了解(ま、大人にとっての、だが)が存在する。抜け穴OK、秘密機械もOK、無理目の変装もOK。ただ、筋書きが波瀾万丈に富んでいること。本書収録作品は対象年齢に差があるとはいえ、上記の条件を楽々にクリアするものばかり。(鮎川氏の作品は「本格テイスト」がきついので、多少趣が異なるかもしれないが)。
この展開の早さは、独特のドライブ感覚に繋がっているのだ。通常のミステリを読む気持ちで本書にあたると十分に楽しむ以前に、細かな引っかかりがのど元にずっと刺さった状態になる。大人が少年少女向け探偵小説を読む際の「大人の」心構えとしては、とにかくおおらかな気持ちで、純粋に場面を追うことが必要となろう。その結果、子供世代、少年世代の主人公たちと感情は一体化し、犯人の卑劣さに憤り、自らの危機に汗し、探偵の解決に拍手を素直に送ることが出来るようになる。特に全ての作品に共通していることなのだが、犯人が「いかにも悪人」なのは一つポイントかもしれない。子供たちが最初に覚えるべきは、単純な正義vs悪の構図。一段階上の小難しい設定は、大人になってから知ればよろしい。ひたすらに読み、ひたすらに興奮し、最後に暖かくなる。これでいいのでは。

本書のような「少年少女向け探偵小説」については、現在の手に取る世代は二種類に大別されるのではないかと思う。探偵小説を雑誌リアルタイムで読むことができた世代と、単行本(ポプラ社とか)でしか読むことが出来なかった世代と。そして私も後者に入る。その私が子供の頃、既に探偵小説を連載する少年誌はなく「次月をお楽しみに」という読み方を残念ながらすることが出来なかった。本書を一気に読むと、その当時はなかった感慨を、ようやく今になって得られたように思う。収録された作品はテキスト的にも貴重なものなのだけれど、少年ものを実際に「読む」にあたっては、そんなことは全く関係ない。面白いかどうか、ですよね。

乱歩以外の探偵小説作家の少年もの作品は現在ほとんど入手できないのが現状。今回はビッグネームに集中して取り上げられた(それでも入手しづらいテキストをそろえて頂いたことには感謝)印象だが、続編は本格的に内容本意で構成された「少年探偵王2」がいつか刊行されることを期待。


02/07/08
城戸 禮「拳銃街を行く三四郎」(春陽文庫'80)

言わずとしれた城戸氏の「三四郎シリーズ」一冊だが、元版は'67年に刊行された『拳銃街を行く男』であり、本書は内容はそのままに改題された作品。私は何も知らず「けんじゅう、まちをいく」と読んでいたが、実は「けんじゅうがいをいく」と読ませるものであった。しかし「拳銃街」ってどこかいな。

津島市から青島市へと街のダニやオオカミどもを蹴散らして移動する三四郎。彼が次に向かったのは、狭間市。早速『初音』という旅館に泊まった三四郎は、いちゃもんをつけて暴れるチンピラを叩きのめして修理代金を弁償させた。そのまま彼らと一緒に大須賀組に乗り込んだうえで、用心棒に自分を雇わないかと提案するが、金額が小さいからと話を断って帰ってきた。その街は件の大須賀組と渕上組とが勢力争いをしていたが、独自の資金源を持つという渕上組が一歩争いをリードしていた。三四郎はその渕上組が経営する街場のバーに出かけ、バーテンの木島に気に入られ、地下の賭博場への入場が許される。そこで男気を感じる戸田新吉という男と出会い、三四郎は共感を覚える。賭博場で素人相手のイカサマを咎めた三四郎は一触即発の危機に立ち、数人を吹っ飛ばしたところで店主のカツミがその争いを止める。カツミは色っぽい女性で大物パトロンがついていたが、その三四郎の振るまいを見るにつれ一目で気に入ってしまい、彼を高額の報酬をもって用心棒として雇い入れる。

なぜ最初に刊行された当時、本書が「三四郎シリーズ」として扱われなかったか。
城戸禮の「三四郎シリーズ」のうち、特に「○○刑事三四郎」以外の作品の設定は、読み出すまで一切予断を許さない。竜崎三四郎という稀代のキャラクタの性格と、その無類な強さ、タフネスぶりは全て一定なのだが、その置かれている状態は実に様々。最も多いのはもちろん「刑事」なのだが、学生であったり新入社員であったりとするケースもままある。(一説によれば、もともと三四郎シリーズでなかった作品を無理矢理三四郎ものに変更したからという……)さて、そんな三四郎シリーズに連なる本書、元は三四郎と冠されていなかったクチ。本作におけるその三四郎の職業は、なんというか一匹狼のヤクザのようなもの……である。
街の平和を取り戻すため? という風でもなく地元ヤクザを手玉にとって好き勝手しながら一応の働きを見せる三四郎。いくら普段の行動が、一本気で男らしいといっても何となく違和感がある。ヤクザの情婦のボディガードを引き受け、自分の腕を高く買ってくれるヤクザに雇われる。ああ、あの単純正義の味方、三四郎はいずこへ??  そう思わせるのが本書の狙い。城戸禮氏がこのような手を使ってくるとは。(あとは本書を実際に読んでのお楽しみ)。
こういう表現がネタバレになる可能性も否定できないが、本書は三四郎シリーズには珍しく、ミステリ的な趣向が入っている。多少唐突な気もするし、現在の基準からすればアンフェアな部分もある。ただ、意外なことにきっちり前半部にその伏線も引かれている。何よりも「三四郎シリーズ」という壮大な自分のシリーズをそのままミスディレクションに使用しているのが憎い。やるなぁ。

もちろん「悪は滅び、正義は勝つ」。明朗小説の王道を外れている訳ではありません。ただ春陽文庫版が書店に並んでいない現在、本書をわざわざ捜し出して読む、というのはかなり酔狂。興味が出た向きは、青樹社のノベルスなり見つけやすいところから入れば良いでしょう。(ある意味、全部中身は似ているし)。 そのうえで、三四郎シリーズは自分なりの楽しみ方を見つける作品のように思います。


02/07/07
森巣 博「ジゴクラク」(カッパノベルス'02)

森巣氏は雑誌編集者等の経歴があるが二十年以上昔から「国際博奕打ち」となり、現在はオーストラリアに本拠を構え世界各国を転戦しているのだという。本書以外にも(恐らくギャンブルノンフィクション関係?)の著書が数冊あるという。

'91年のこと、博奕を生業とする「わたし」は地元オーストラリアの賭場にて行った不始末を片づけるため、子供の頃から持っていたゴルフの会員権を売却するため、日本に戻ってきていた。その間、赤坂の非合法賭博場「カケバコ」にてバカラを打っていた私は、年若い少女、舞ちゃんと知り合う。明らかに良い育ちと分かる振る舞いながら、毎日十万円ずつを持参し、その勝負が溶けると帰るという毎日。「わたし」は舞ちゃんが溶けることを知るため、逆張りを仕掛けてそれなりに儲けさせてもらっていた。その舞ちゃんの負け分が一千万円近くに達した頃、「わたし」は舞ちゃんから協力要請を受ける。最後の勝負というその戦いに適切なアドバイスを送る「わたし」は、その代償として舞ちゃんの固い身体をも開かせるが……。その後しばらく「わたし」は「カケバコ」に通うが舞ちゃんは現れない。シドニーに帰る前日、連絡を受けて舞ちゃんと会った私は、彼女を一年後にオーストラリアの公認賭博場へ連れて行くことを約束した。

真剣なギャンブル特有の「瞬間の快感」を余すところなく描く無頼派エンターテインメント
上に「エンターテインメント」と書いたが、本書はあくまでギャンブル小説でミステリに類する作品ではない。メインはバカラという世界でメジャーながら、日本ではあまり馴染みの薄いギャンブル。作者を投影したと思しき四十過ぎの無頼の博打打ちと、十八歳でこの世界にのめり込み始めた育ちの良いお嬢様とが組んで「快楽を追求する」物語
麻雀、競馬、パチンコ……なんでも構わない。ギャンブルで勝負し、そして「勝った」経験のある方であれば、勝ちの瞬間と同じくらい、その勝負の時間にどきどきしたことがお有りだろう。本書は、その「どきどき感」を表現するのに独特の生々しさがあり、そこが魅力となっている。 私もバカラ賭博はやったことがないが、本書ではその緊張感を共有することが出来たように思う。また、エピソードにて登場する(恐らく事実に近いであろう)賭博に興じる政治家や官僚の姿などは、下手な社会派小説を越えて読者に強烈な問題意識を訴えて来る。
バカラはもちろん、ブラックジャック等についても、素人はなかなか知ることのない(そして賭博の世界では常識的な)セオリーが掲載されており、その部分は今後参考になるかもしれない……が、最近個人的にはあまりギャンブルしないからなぁ。ついでに本書のような数百万から数千万円が飛び交うハイブロウな戦いを見せられると、かえってせこい賭博なんてやりたくなくなるし。少なくとも、そこらの庶民が楽しめそうな世界ではない。基本的にお金持ち、ないし特権階級が興じる賭博を扱う世界。(だから、特権意識を振りかざしたがる政治家や官僚が、この世界に群がるのかもしれない)。

ただ「美少女が性の悦びに目覚める」というエロ系作品では「典型ストーリー」の描写も相当部分が割かれて登場する。ギャンブルのシーン同様、かなり生々しく描かれており、高尚な小説とは言い難いことも事実。ノベルスにエロを求める読者へのニーズをも考慮した結果なのか、ギャンブルにて得られる快楽物質が、セックスのそれと非常に似つかわしいことを表現したかったのか、そのあたりはこのシーンをどう読みとるか、読者のセンスにかかってこよう。

本書の題名は「ジゴクラク」だが、私にいわせれば本書の物語は「ゴクラク」である。主人公サイドが誰も地獄に落ちてない。繰り返すがミステリ的興趣はゼロなので、ギャンブル小説に興味がある方が読まれれば良いのではないでしょうか。


02/07/06
恩田 陸「黒と茶の幻想」(講談社'01)

講談社『メフィスト』誌に'00年5月から翌年9月にわたって掲載されていた作品の単行本化。600頁を超える大作となっており、現段階では最も長い作品となるか。『アレキサンドリア四重奏』という大河恋愛小説が下敷きらしいが、その作品は読んだことがないので何とも。

学生時代によくつるんでいた四人組。彰彦、蒔生、利枝子、節子は、皆それぞれに事情はありながらそれぞれの分野にてしっかり働き、結婚して子供もいる三十代の後半。そんな彼らが、彰彦の提案で「非日常」そして「安楽椅子探偵紀行」をテーマに屋久島(作中ではY島)に旅にやってきた。蒔生と利枝子はかつて似たもの同士として長期間交際していたが、利枝子の親友で女優の憂理が絡んだ三角関係によって二人は別れてしまった。その憂理は現在は行方が分からない。現在、蒔生は結婚し子供もいたものの、つい最近離婚したという。そんな彼に利枝子は心穏やかではない。久々の再会、そしてTPOを気にせずとも良い心やすい関係、完全に日常と切り離されて流れる時間、そして雄大なY島の自然。皆この旅行を素晴らしいものと喜ぶが、それぞれが抱える長い期間にわたる謎、気付かず持っていたトラウマ、当時は語ることができなかった隠された人間関係なども、徐々に明らかになっていく。彼らは滞在最終日前にY島名物のJ杉、そして「三顧の桜」と呼ばれる名所を登山にて訪問するために、山歩きで身体慣らしを開始する。四つの章が四人それぞれの一人称によって順番に綴られる。十数年が経過したからこそ、同じ時を共有したからこそ、明かすことのできる、明かさざるをえない秘密。

無数の小さな「謎」「解明」を繰り返しにて、心の奥底の「人生の澱」が浮かび上がって溶けていく。人生の中間決算、リフレッシュの旅路
四人の人間が細かい事象や話し合いの積み重ねから、過去にあった一人一人の人生における重大な問題について振り返る……という設定は、『ネバーランド』でもみられたもの。少年たち、休暇中の寮、という設定が、中年の男女、そして旅という設定に置き換えただけで、何か異なる重みが物語から発せられるようになっている感。
日本人の平均余命が七十後半から八十という現在、本書に登場する人物たちの「三十八」という年齢が、ちょうど一生の折り返し点にあたるということと無関係ではあるまい。十代の少年たちの人生を二度繰り返すだけの年月。自分自身で決めた人生の選択が、自分自身の人生そのものにきっちり跳ね返り、ある程度の結果が出ているだけの時間。社会的、家庭的にも責任が求められる彼らが、ふっ、と人生のレール、定型の毎日を離脱して飛び込む数日間。当たり前のようでいてこれほど「非日常」という設定が綺麗にはまる年代を等身大として描けるのは、恩田陸さん自身がその年齢と同世代であることと無関係ではないだろう。
そして、その手法が心憎い。「ミステリとしてまとまりがない」という意見もあろうが、これまでの恩田作品を読んできている方であれば、単純にミステリの評価軸で作品を測れないなど自明のこと。作品内に登場するさまざまな謎――毎晩、二つ石を二階から落とす夫婦、走行中の新幹線から見たホームに佇む老婆が次の駅のホームにいた、学校の机を持ち出し「9」の字を校庭に描いた事件、馬をみると怯える子供、火のないところで連続ボヤ事件、盗まれた十七枚の表札、他いろいろ――は、物語というよりも彼ら四人の性格や旅の性質を暗示する修飾部分に過ぎない。(そしてその修飾部分は、だからこそ、という面白さがある) こういった些細な、そして不思議な謎を検討することによって、自分の、そして仲間の持つ過去現在の大きな疑問やわだかまりを「告白しあえる雰囲気」を創り出しているところに、卓越した技巧を感じる。ちなみにそれらの小ネタクラスの謎については、美しい回答があるものと何となくうやむやになって話題から消え去るものがあるあたりも、そのポイントを補強しているように思う。また、五番目の登場人物となる憂理、六番目の登場人物で彰彦の姉、紫織という女性たちの存在も、極端な描き方こそされているが、これだけの人生を積み重ねるなかには、どこか似た人物とも巡り会うこともあるはず。なので、登場人物の謎の核心に触れる彼女らに対して、恩田さんはどこか突き放している。
他にも小説の巧さについては目に付く部分も多い。例えば、節子の男性中心主義を振りかざす義父だとか、蒔生の無責任とも思える離婚だとか、ある程度人生を重ねて経験するさりげないエピソードもまた心憎い。内心ではとにかく、仲間であってもプライバシーは完全にさらけ出さない大人の配慮とかもそう。そういった「いわゆる日常」から離れた、心のリフレッシュ、が隠された本書のテーマ。 人間なんてちっぽけな存在とさりげなく主張する「大自然」の巧みな描写もまた気持ちよい。ミステリを読了した時に味わう謎解きのカタルシスを得ることよりも、良い物語を得た時の、どこかまったりほんわかした気持ちを大切にした小説だといえるだろう。

本書を読み終えて、全ての日常から離れて昔の仲間と旅をしたいな、と読者にふっと思わせることが出来れば、それで本書の狙いは達成できたのではないか。もちろん、私もそう思ったクチである。大作なのにそう感じさせない小説の巧さ。一冊だけで物語を紡ぎきり、「続き」などなくとも満足できる作品となっている。誰が読んでもそれなりに楽しめるはずだが、特に繰り返しの多い毎日に閉塞感を覚えている人にオススメしたい一冊。


02/07/05
霞 流一「フォート探偵団ファイル(1) 牙王城の殺劇」(富士見ミステリー文庫'02)

超のつくほどがちがちの本格ミステリのプロットを持ちながら、独特のギャグ感覚にてそれを覆う特異なセンスの持ち主、霞氏。氏の著作はこれまでもタヌキ、キツネ、馬、カニ……と動物尽くしである点も特徴であったが、ヤングアダルトのミステリ叢書の一冊として発表された本作、やっぱり同じ趣向が凝らされていた。今回の題目は……「ワニづくし」

桃森高校の非公認クラブ「フォート探偵団」。動物病院院長を父に持つ、刃狩紋太郎、通称「ドク」と、新聞記者の一族の末裔であることを誇りに思う取材魔、翔天隼人(通称「ハヤト」)、ネット検索に命を賭ける情報魔、十文字飛美子の三人が部員で、彼らは俗にいう「フォート現象」つまりUFOだとかUMAだとか世界に起きる怪奇現象を解き明かすことを目的とした集団である。通称「センセ」と呼ばれる迷惑体育教師の王鹿丸雄が押し掛け顧問を務めている。刃狩動物病院に依頼の来た「コビトワニ失踪事件」はドクに押しつけられ、探偵団の面々はワニ関連の事業で富を築いた阿賀島伝龍が奥多摩に建設さした《牙王城》へと向かう。六十二匹のワニが飼われているという現地は巨大な敷地に巨大な天守閣が聳える異常な構造。コビトワニの失踪事件を面々が捜査を開始した直後、雪が閉ざしたその館の内部で、財閥跡目争いに端を発すると思われる連続殺人事件が勃発した。

手を抜かない、気を抜かない。誰が相手でも霞流一は全力投球!
霞流一作品をこれまで読まれた方であればお気づきであろうが、氏の作品には一貫して「大量のトリック」「その結果としての奇妙な状況」「動物づくし」「ウケようとウケなかろうと注入されるは関係ない大量のギャグ」……といった特徴がみられる。そして明らかにヤングアダルト系の読者を想定されて発表された本書においても、霞氏はこれまで同様、その全力投球を貫き通している。溢れるほどの大量のトリックが――終盤までにこの厚み数mm、かつ活字が大きめ、イラスト入りの文庫であっても――これだけのものが描かれている。(ネタバレは書いていないが、列記すると興趣が削がれるという方もいると思うので反転) (ここから)・強力で曲げられた鉄格子 ・消えたコビトワニ ・消える天守閣 ・目撃されたゾンビ集団 ・雪の上の足跡のない殺人 ・切断された死体  ・UFOや駕籠を担ぐ騎士の亡霊(ここまで) ……他にもプロローグにおけるUFO撮影ビデオの解析など、細かいミステリ的興趣が様々なところに凝らされている。もちろん、その全てをラストにおいてきっちり回収しているのは当たり前。ラスト近辺にてばたばたばたとジェットコースター的回収をするのも、霞作品であれば御愛敬。 ただ、珍しく気になったのは(これはネタバレ)首切り雪密室の主要トリックになる部分、死体を天守閣のソーラー屋根をコントロールして転がす……というものだが、死体なんかが転がれば、ソーラー屋根の表面は絶対に割れます。ボロボロになります。ソーラーの破片がボロボロと雪の上に落ちるはずなのです。細かいことだけど。(ここまで)
確かにキャラクタ造形はアニメ系のイラストが入っていることもあってヤングアダルト的……ともいえることは間違いない。が、もともと霞氏の作品に登場するキャラクタが漫画的だったということもあり、これまでの作品世界との違和感はそれほどなかったりする。そして彼らが《牙王城》にて食する「貝料理」……。霞氏の「裏」技術として非常に優れたものがある「食べ物描写」が本書においても炸裂! ああ、アワビ食いてえ。

元もとのヤングアダルト読者が本書をどのように捉えるかちょっと想像しづらいのだが、少なくとも霞作品をこれまで読み込まれた方ならそれなりの満足が得られることは間違いない。(イラストがダメな場合は仕方ないけど)。物語そのものの持つ複雑さは多少控えめになっており、霞氏が醸し出す一種の「バカミス」の世界を堪能するには、比較的入りやすい方の一冊になるか。


02/07/04
都筑道夫「猫の目が変わるように」(集英社文庫'82)

'77年に立風書房より刊行された作品がオリジナル。簡単にいえば、都筑道夫唯一のポルノ小説集。但し当時は匿名にて発表されていたとのことで、本書の文庫解説でも「千葉順一郎」という名の筆名にて、あたかも別人のように振る舞って遊んでいる。(解説=あとがきによれば、本書収録の十作品のうち九作まで千葉氏が執筆したんだそうだ。全て都筑氏によるものなので、少なくとも嘘とはいえない)。

スナックで飲んでいた大学生が安全な宿を求めてきた女にホテルを紹介。そしてやはり関係を持つ。 『海からきた女』
セックス恐怖症になってしまった女性のために「実演」して欲しいという依頼を実紀は達彦から頼まれる。 『ブルーフィルム』
会社員の夫が連れてきた先輩の男性。夫の借金の肩代わりを理由に妻はその男に身を任せる。 『起された女』
トルコ風呂に務める女性が恋人という真吉は彼女との同棲を希望していたが、別に年上の女のヒモもやっていた。 『同棲志願』
親友の彼氏に強引に犯された信代は、その復讐のために親友と彼氏との仲を壊すべく画策を開始する。 『裸の裏切り』
新宿で有名な「孕みてえジェーン」と渾名される女性。男は彼女が事情があってお金に困っていると聞き、彼女と一夜を共にする。 『孕みてえジェーン』
スナックで働きながら同棲している男の面倒をみる女。彼女がお金のために他の男と寝て男性観が徐々に変化していく。 『女の中を流れる川』
有閑マダムは整った顔立ちの純情そうな電気屋の配達少年を誘惑する。経験少なに見えたその少年は実は同様の経験が豊富だった。 『小鳥の騒ぐ日』
昼間からアパートでいちゃつく同棲男女。男は隣に住む高慢な女性が気になる。同棲を解消された男は腹いせに隣に押し入るが……。 『霜降橋界隈』
三代続いた由緒正しい若きスリ。彼が仕事を頼まれスリ取った封筒は空っぽだった。彼の上を行って中身を見たと思われる外国人女性から秘密を聞き出すため、雇い主の娘と彼はある作戦を立てる。 『罪な指』 以上十編。

都筑道夫が執筆した、という一点のみに価値が求められるポルノ小説集
都筑道夫という作家は、いうまでもなく本格推理から恐怖小説、伝奇小説、SF、ショートショートから時代物に至るまで、世の中の「エンターテインメント小説」として括れる範囲の作品ならば、全てに対してその才能を発揮してきた。 現代のように棲み分け? がハッキリしている場合、ミステリ作家が徐々に歴史物に手を染めていくケースだとか、時代物とSFとミステリを同時に発表して全てがベストセラーになるだとかの一部の例外を除くと、一人の作家がモノにできるジャンルは一から二ジャンル、才能があって発表の場が恵まれている作家であっても、せいぜい三つのジャンルの物語を描くのがせいぜいではないだろうか。
話は違うが、都筑道夫氏は星新一氏でも鮎川哲也氏でもない。なので別に濡れ場の描写は厭うことはない。特にハードボイルド系統の作品においては、現代ものSF風問わず、主人公と美女が出会い、そのまま男女の絡みとなっていくシーンを描くケースはままあったし、長編作品においてもエロティックな挿入シーンを巧みに織り込む場合も多かった。そんな氏が余興? で放つ「ポルノ」をメインに据えた小説集が本作。
さて、気になる内容だが都筑道夫作品と知ったうえで読めば、他のエロ専業作家の筆とは到底思えず、やはり都筑道夫の濡れ場にしか見えない……というのがその印象。いわゆる既成のポルノ作家の作風を真似るでなく、特に氏が自分以外の作者を装ったりするでもない。特に会話文に都筑氏ならではの独特な「センス」が覗いてしまうがために、皮肉なことにかえってポルノ臭くない洒落た文章になってしまっている。物語そのものはどちらかといえばシンプル。短編ということもあって、登場人物が深みをもって描かれているとも言い難い。それでも読ませるのは、そういった一種「典型」の物語をうまく利用して、都筑流のウィットを加えているからだろう。ある程度下卑たところがあるのが「エロ小説」だとすると、濡れ場中心なのにどこかお洒落な本作は、あくまで「ポルノ小説」ということになるのかもしれない。 但し最後の『罪な指』に関しては、若き男性スリの物語で、多少毛色が異なる感。中身は結局ポルノだけれど、都筑流スラップスティックストーリーと通ずるものがあって、それなりに読ませる内容であった。

通常の文庫サイズの器に短編が十編も詰め込まれており、物語そのものに別の趣向、つまりミステリやSFといった趣向はあまり凝らされていない(皆無ではないが)印象。一般読者向け……というよりも、特に今となっては都筑道夫ファンがセンセーの作風の広さに感心するためにある作品集という位置づけで良さそうな気がする。


02/07/03
山村正夫 大谷羊太郎「セクシー・ギャル殺人事件」(サンケイノベルス'85)

日本推理作家協会賞受賞の日本推理作家協会理事長(当時)と、江戸川乱歩賞受賞の日本推理作家協会常任理事(当時)の二人が送る、いわゆる「犯人当て」のミステリークイズ小説集。サンケイ出版(当時)の『MR. DANDY』という雑誌に連載されたものがまとめられたものらしい。実力派の二人が集まって……。

互いに何人ものライバルのいた新婚夫婦。婦人がコトの最中青酸カリにて殺された! 『ハネムーン殺人事件』
学生時代の出来事でヤクザに脅される主婦二人。刑務所を出たそのヤクザが殺された! 『雪に消えたアリバイ』
不幸の続く青山家には車が突っ込み、火事が起き、主人が誰かに殺された! 『呪われた部屋』
ゴム会社社長が毎晩愛玩していた数百万円する精巧なダッチワイフが盗まれた! 『ダッチワイフ誘拐』
以下、似たような話ばっかりなので、梗概を書いても仕方ないので題名だけにする。だって、題名と中身に寸分の違いも見当たらないのだもの。 『熱帯夜に消えた女』 『消えた夕刊の謎を追え』 『悪夢のスキー・ロッジ』 『ゴルフ・コンペ謀殺事件』 『闇の中の殺意』 『偽装殺人未遂事件』 『ホステス殺害事件』 『美女”破れ傘”の遺言』 『凶器はどこに!』 『真夜中の女子大生寮』 『二枚目スターの死』 『新妻は知っていた!』 『愛人バンク殺人事件』 『三人の容疑者』 『死体が美女を襲った』 『エロ祈祷師は死んだ』 『山荘雷雨殺人事件』 『復讐鬼はレイプする』 『怪電話の男を探せ!』 『悲しき再会』 『女は二度叫んだ』 『早撃ちジョーを割り出せ』 『リゾートホテル殺人事件』 『清純派タレントの秘密』 『闇の夜の侵入者』 『血ぬられた儀式』 以上三十編。執筆はおおよそ半々。

いくらなんでも、こりゃひどい……。間違っても探さないで。このまま闇に葬って。
本当にいろんな意味で考えさせられるミステリ・クイズ本である。
少なくとも本書は女子供や良識派が手に取るものではない。そのセックス方面に無理矢理に偏らせた物語作りは呆れるのを通り越して、奇妙に感心してしまう。よくぞこんなに意味ないセックスシーンを物語に絡ませられるもんだ。 その取り上げ方もいかにも下劣、扇情的で美しさが無く、読んでいるこちらが哀しくなってくる。ただ、こんな物語であっても、ミステリ的に考え抜かれた高度な内容のクイズででもあれば救われよう。しかし、当然というかなんというか、そちらもダメダメなのだ。三人の容疑者を並べてのフーダニット。鑑識が明かす事件の実行時間にアリバイのない人物を捜せとか、ウソを付いている人物を捜せとか、の単純な形式ばかり。日本語が読めれば、ハッキリいって誰にでも解ける。 誰にでも解けるので、ついワタクシも真面目に挑戦しましたよ、全て。全部で30問。ギブアップしたのがたったの1問。引っかかったのが1問。つまり、残り28問が全部、正解だー。 ミステリクイズ本で、こんなに高い正答率を残した本は、恥ずかしながら今まで記憶にない。ま、そういう点、つまり「名探偵になった気分」を味わうのならいいのかもしれない。
……が、まぁ、本書のもとになった雑誌、どう考えてもミステリ読者を想定したものではないので、連載当時はそれで良かったのかもしれない。しかし、大谷、山村両氏というビッグネームを揃えておいて、小学生レベル以下のワンパターンで工夫のないクイズというのは、やっぱりどうかと思うのだよなぁ。

ハッキリいいまして、誰にもお勧めすることはありません。ゲテミスや駄作が好きな、ごくごく一部の好事家のみが密かに「くふくふくふくふ」(変な形容詞)にて楽しめば良いのではないかと。


02/07/02
高野和明「13階段」(講談社'01)

今年の乱歩賞受賞作が決まったところで半歩遅れで去年の作品。本書は第47回江戸川乱歩賞受賞作品。高野氏は1964年生。'85年に岡本喜八氏に弟子入り。これまで映画・テレビ関係の仕事に携わり脚本などを手掛けてきたという経歴の持ち主。

千葉県中湊郡にて起きた保護司夫妻強盗殺人事件。宇津木夫妻は惨殺されており、現場近くでバイク事故を起こして昏倒していた樹原亮という青年の所持品から、宇津木耕平名義のキャッシュカードが発見された。樹原は逮捕され、犯行は間違いないとみられたため起訴されたのだが、彼は事故のショックで逆行性健忘にかかっており事件のことを覚えていないという。結局、樹原には死刑判決が下され、何度目かの再審請求も却下。執行を待つ身となっていた――。
一方、松山刑務所の刑務官だった南郷は、弁護士事務所を通じての依頼で樹原の無実を晴らす証拠探しを開始。巨額の成功報酬を約束された彼は、仕事のパートナーに三上純一という青年を選ぶ。三上は傷害致死により懲役刑を受け、つい先頃出所したばかり。彼は犯罪加害者が社会的に受ける制裁の厳しさに怯え、かつ巨額の賠償請求に応じざるを得なかった両親のためにも、熱心に南郷を手伝う。果たして、樹原が思い出した「現場近くの階段」とは何なのか。執行まで残された期間はたったの三ヶ月。徹底的に捜索された現場を再び二人は調べ始める。

二十一世紀の社会派ミステリ。矛盾に満ちた日本の「罪と罰」……刑事事件裁判・死刑制度への怒りと疑問
「日本の死刑制度」という何重かの意味での暗部を様々な角度から描いた作品。ここ十年間「特殊な職業」を背景とすることが主流だった乱歩賞が、昨年の『脳男』にてちょっと風向きを変えたように思っていたが、本書でまた元の流れに戻った感。職業でこそないながら、舞台だけでなく物語全体が「特殊な知識」によって描かれているという意味で、これまでの受賞作品から受ける緊張感と本書のそれはかなり近い。
ただ、その「死刑制度」に向ける視線の厳しさは特筆すべきものアリ。人を故殺させたため服役経験のある若者と、法の下、裁かれて死刑決定の囚人の命を奪った刑務官。「人による人の死」に対する特別な思い入れを持つ二人のタッグに加え、赤裸々で悲惨な境遇を余儀なくされる犯罪被害者、加害者の姿が生々しく描写される。彼らの想いが複合され立体化して現れる「死刑制度」という化け物。作者は様々な立場の様々な人々の、それぞれの主張について淡淡と丁寧に描きつつ、特定の主張が突出しないよう配慮をしている。 実はこの点が本書において最も苦労された点ではないか。そこから何を感じ取るか、読者の経験や境遇によって様々なものとなろう。
「期限付きサスペンス」という意味では、主人公たちの利害が薄いため、締切時間に対する緊張感を醸し出すことにはあまり成功しているとはいえないか。(以下多少ネタバレ反転)また、「階段を上った記憶が蘇った」という漠然とした手掛かりでは、人が動き出すには条件が希薄な気がするし、遺族が通常では入手し得ない巨額の遺産を受け取ったことに対し、その入手方法について当時の警察が追及していないというのも、ちょっと甘い気がする。(三上の記憶が喪われている以上、指示・手引きをした共犯がいるのではないか、と警察が疑わなかったのだろうか?)(ここまで)

とはいっても、全編を貫く死刑制度、殺人という行為、その罪と罰に関する徹底的な問いかけからの緊張感は、誰にでも感じられるはず。本作だけを取り上げるならばいわゆる「社会派ミステリ」になろうが、今後どのような方向性の創作を続けていくのかは興味深いところ。二作目にてミステリ作家としての可能性が試されよう。


02/07/01
香山 滋「ゴジラ、東京にあらわる」(フォア文庫'97)

香山氏の没後に刊行されたジュヴナイル。'55年に島村出版から刊行された『ゴジラ――東京編・大阪編』のうち「東京編」が底本となっており、一部は現代的な表記に変更されているものの、基本的にはオリジナルの雰囲気を味わえる。元もとはラジオ放送のシナリオを一般向けに小説化した『怪獣ゴジラ』をジュヴナイルに改めたもの。本書の解説をしっかり竹内博氏が務めているあたりの渋さも良い。

横浜から沖縄に向け太平洋上を航行する貨物船 栄光丸。一ヶ月もの平穏な航海を続けていた同船を謎の光と衝撃が襲った。船は傾き、甲板は火に包まれる。栄光丸はSOSを発信しながら海に没してゆく。
一方、日本一の古生物学者、山根博士の娘、恵美子は信州に疎開中に仲良くなった森田新吉少年と音楽を聴きに行く約束があり、高校を出たばかりの彼が勤める「東京湾水難救済会」へと赴いた。しかし、再会を喜んだのも束の間、本社の船からSOSが入ったという報せが入る。海上保安庁の船が、現場と思われる海域へ急行するが、その船も現場海域近くで行方不明になてしまう。家族やマスコミらで騒然とする保安庁に三人の生存者がいるという連絡が入る。彼らは現場付近の大戸島に向かうという。大戸島出身の新吉は急遽、島に帰るが、漁業を中心にて生活を立てる島の人々にも犠牲者がいるという。付近の海域では魚が一匹も取れなくなり、不気味なほうき星が空を飛んでいく。東京を震撼させる巨大怪獣「ゴジラ」は、こうしてその姿を少しずつ現し始めたのであった。

国産生物ホラーの嚆矢。オリジナルの持つ凄さ、衝撃がジュヴナイルにきっちり内包されている
日本人たる者、「ゴジラ」がどのような怪獣か物心ついた時から知っているのが普通。放射能とかオリジナルストーリーを仮に知らなかったとしても、その「姿」を知らないという人はまずいないのではないか。そう、誰もが姿を知っているゴジラを活字で読む。ゴジラの姿は知っている。映画のストーリーも知っている人は多い。しかし、活字にて自分の想像力が付加されることで、また新たな感慨を得ることが出来る。特に前半部の「何が起きているのか」を正確に読者に知らせないまま、徹底的に「怯える人々」の様子を描く部分、これは紛れもなくsupernaturalとそれが齎す恐怖を描く「ホラー小説」の手法。 そして実際、ネタ、さらにオチまでが分かっているにも関わらず、登場人物たちの恐怖が読者に伝染してくるのだ。
一方で本書はそれまで発表されてきた「得体のしれない生物」が登場する怪奇小説、秘境小説にはなかった特徴がみられる。芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーの存在がそれだ。つまり、人智を越えた謎の生物に対して鉄槌を下すのが、既に人類が所有している火器でも、自然による鉄槌(雷とか)でも、降臨した神様やその使徒でもなく、芹沢博士個人の超人的頭脳が開発した一個の化学兵器なのだ。実際に世の中に存在していないにも関わらず、原理的にも非常に分かりやすい形で登場する架空の兵器。人類の起こした水爆実験による自然サイドの反乱=「ゴジラ」 vs 人類の発明した超破壊兵器。この壮大なテーマ性はどうだろう。単なる怪獣vs人間といった矮小化された物語に留まるではなく、人間とその所業を見詰め、熟考した結果としての疑問。怪奇小説と科学空想小説、秘境小説というこれまでの国産小説固有の枠組みは、ホラーとSFの融合という世界的に通用する形にまで拡がった。つまり『ゴジラ』は、日本産の生物SFホラー小説としての第一歩を記すに至った、ということなのである。
 あ、本書(少年物)オリジナルエピソードとして「東京ゴジラ団」なる集団が登場する。 が、ちょっと藪蛇、かつ無意味かな。

一般向け『怪獣ゴジラ』も所有しているはず(出てこない)なので、実はそちらにて行いたい論評だった……。映画スチールを表紙だけに使用するにとどめて、挿し絵そのものはPOPな現代風に変更した結果、却って読者の想像力を煽る構成になっている点など好感。(これがイラストでなく写真であれば、単に映画をなぞるだけの詰まらないものになってしまう)。『ゴジラ』は偉大だが、それを生み出した香山滋の奇想はもっと偉大だといえるのではないか。 あと本書を刊行したフォア文庫に拍手。(フォア文庫はポプラ文庫や青い鳥文庫等と同じ版型)。