MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

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−著者順全部索引− 


02/07/20
笠井 潔「探偵小説論序説」(光文社'02)

'93年から'95年にかけて光文社刊行の『EQ』誌に連載されてきた「探偵小説の構造1〜10」に、'89年、'91年に『シコウシテ』『オルガン』誌に掲載された論文の題名を変更、「現象学的小説論へ」という付論として加えた評論集。タイミング的には『オイディプス症候群』と同時期に刊行されている点も注目すべきか。

  序・形式論: 本論によれば「第三の波の高揚によって、探偵小説形式の新たな創造性と生命力が新たな事実として証明されたからこそ、形式の形式論的な意味は厳格に問い直されなければならない」 とあり、これが本書にて笠井氏が論証しようとしているころ、と考えて差し支えないだろう。 本書の目的は、探偵小説の形式性に着目し、その構成要素を一つ一つ洗い直してその意義について考える、というもの。笠井氏の言葉を借りれば「高度に形式化した探偵小説のパターン」を、項目別に洗い直し、近代文学と探偵小説を対比して、探偵小説が「メタ近代小説」である点を論証するのだという。確かに探偵小説には(少なくとも「王道」と呼ばれる本格ミステリ指向の作品においては)そのジャンル固有の要素が含まれていることは事実だろう。それを分解する意義も分かる。

  1・世界論: 探偵小説の形式の積み重ねを伝統芸能である歌舞伎との対比にて浮かばせる。様式という枠組みのなかにオリジナリティを加えて、新しい創造物を生み出すのが探偵小説。一方で、近代小説はその枠組みを否定していること(無制約、そして自由)が前提で、互いに相容れない――はずなのだが、笠井氏の主張によれば、近代小説には無自覚な部分に薄いながらも実は枠組みが存在しているのだという。近代小説の自意識は、制約のある探偵小説を下流に位置づけているが、探偵小説はまた「近代小説の総体を裏返しにしかねない奇怪な形式」である。

……個人的には探偵小説の範囲というか、定義によって異なってくるケースが増えてくるとも思うが、いわゆる「王道」を指すのであれば了解できる。ただ「第三の波」以降の拡散していくミステリ群は、この笠井氏の理論でさえも破壊しつつあるようにも思う。

  2・役柄論: 探偵小説の持つ特性の一つ、「犯人−被害者−探偵」の図式について。オーデンという人物の言葉から、最初から運命によって行動の決まるギリシャ神話と、役柄が最初から決まっている探偵小説との類似性についてまず考える。確かに探偵小説では、事件を発生させる「犯人」、殺される「被害者」は、それ以上の性格を持つことは叶わない。ただ「運命」で片づけられるギリシャ悲劇と、その役柄の持つ意味は果たして同一視されるべきものなのだろうか。また、神話的世界における「謎−解明−犠牲」「混乱−儀礼−秩序」と同じ形式性を持つがゆえに探偵小説が、人々を熱狂させるのだという。

……とはいっても、神話との構造の同一性は探偵小説が特権的に保有するものというより、娯楽・エンターテインメントとして成功するための「基礎構造」である、という方がすっきりする。その意味ではこの神話の構造は、人気を博するための条件として論に加えるべきだったのではないか、とも思うのだが。→そうすれば、探偵小説が長年人気を保つ理由になるのではないか。

また笠井氏はヴァン・ダインの記述者を例に、探偵小説は人間の内面の記述を行わない=内面性が剥奪されているという側面があることを示そうとする。

……この部分で旧い探偵小説であるヴァン・ダインをなぜ論の構成に使うのだろう?。例が古すぎ、普遍性を欠いているために、本来笠井氏が「探偵小説」として定義している作品に敷衍して、登場人物の人間性を否定するのはちょっと暴論では。

  3・群衆論: 群衆とは第一次世界大戦後に唐突に社会の変化に伴って発生した概念である。彼らは内面性や精神性が剥奪されている。探偵小説という形式において、探偵、そして犯人も群衆の人として内面が剥奪されている。ポーが『マリー・ロジェの謎』において発明したように、探偵小説における犯人は群衆のなかに隠れている。従って、群衆という概念の存在が探偵小説には必要不可欠である。

……要約がうまくいかないということは理解出来ていないということかも。ポオが「作品構成の原理からして、主要人物には内面性が前提的に剥奪されざるをえないという異様な小説形式を発明した」ということになっている。私のような凡人は、「謎−解決を「物語」として構成するためには、探偵と犯人の内面性を剥奪せざるを得ない」という考えで問題ないように思えるのだが。笠井氏はこれを「群衆」の発生から逆算を行っている。かなり強引ながら、魅力的な論展開ではある。

 4・動機論: ヘイクラフトは「探偵という職業が出現することで探偵小説が発生した」と述べた。しかし市民社会の成立=探偵小説の成立には無視できない難点がある。探偵小説は近代的な警察組織や裁判制度を肯定的ではなく、否定的に前提にしている。近代社会を象徴する三つの事柄を探偵小説的に解釈すれば、私有財産制=被害者、法の支配=警視総監として、思想の自由=探偵、であるが、探偵小説が構造的に成り立つためには「犯人」の存在が必要である。「モルグ街の殺人」において、それは南洋からやってきた動物として描かれた。つまり、犯罪の発生は「内部」と「外部」の接触にあり、それは西欧植民地文化にその起源を求めることができる。だいぶ端折ったがこんな感じか。

……論としては通じているのだが、本パート、なんというか強引だな、という印象。歴史にこだわらずとも、近代社会は人々に安定をもたらし、安定を破壊する者が犯人であり、安定を回復する者が探偵である。近代社会の安定を壊す者として「外部から来る者」が無視できない比重を占めること、内部の幻想性を維持するためには敵を外部に作ることが望ましいことは理解できるが、果たして探偵小説の一般論として断言するのはちょっと憚られるのではないか。

  5・探偵論: 3章にて「探偵は群衆に由来する」という前提があるのであれば、完成された探偵は「労働力という商品」となる。小説という商品を生み出す作家活動もプロレタリアであり、作者の影たる探偵もプロレタリア性を持つ。作者の真実を読者の真実と一致させるための文学は「作者−読者」の二項性に収斂するが、探偵小説の三項図式は「作者−作品−読者」に転化される。探偵小説は深層で犯人(作者)が制作した屍体(作品)に隠された意味を探偵(読者)が解読する構造を持ちつつ、表層では探偵が謎を発見し、むしろ創造する逆過程を持っている。探偵キャラクターはそういう特権性を持ち、近代文学に挑戦する。

……探偵小説における探偵の位置づけ、そして意義。私が漠然と感じている探偵観とは微妙に異なる気もするのだが、ここに至り、探偵の内面は必要ないという笠井氏の理論が繋がったという印象。

  6・推理論: 探偵小説の「論理」とは何か、という問いに対する答えは少ない。ホームズやポオの手法を分析すると「観察−推理−実験」の実験的論理学の手法が取られている。しかし一方で探偵は無根拠に物語を発明し、それを推理として提出、作者がそれを保証する、という性格をも持つ。

……探偵が行う「推理」なるものの「論理」について様々な角度から考察を行っており、非常に興味深い。なぜ名探偵は唯一無二の回答にたどり着けるのか? 語られていない物語がある可能性はないのか? といったあたりの素朴な疑問に対する回答も存在する。

  7・物語論: 探偵小説に限らず近代小説一般には時系列で発生した事柄が綴られる「ストーリー」とそれを読者に対し提供する技巧としての「プロット」が存在する。探偵小説の結末はストーリーがプロットに追いつかれ、逆転される。そこで物語が終了する。

……だんだん要約がいい加減になってきた。事件「モノ」を時系列で発生順に並べても探偵小説にはなり得ない。そこには読者=探偵に対する見せ方の技巧(カタリ)があって、その時系列を別の観点から追い求める……ということ。この部分だけならそれほど難しくないのだが、先人の言葉を通じて近代小説との比較を実施するため回り道を余儀なくされている印象。

  8・読者論: 小説を読むという行為は作者の思考を読者が私化する経験である。本の印刷技術によって作者は匿名の多数の読者への効果を考えて創作するようになる。探偵小説の場合、読者は探偵に感情移入しても、未知の領域(謎)がある以上、作者とは一体化できない。現片を断片化しそれをモザイク的に表現する象徴主義芸術に似た構造を探偵小説は持ちながら、最終的にそのモザイクを統一した物語が最終的な勝利をするという特異な形態を持つ。

……読書という行為を哲学的に捉えるとこのように表現されていくのか、という点に素直に驚きを感じた。表現方式が哲学的なので何度も読み直すことになったが、探偵小説読者の実感(つまり作品と読者との距離)を綺麗に表現していると感じる章。

  9・象徴論: 探偵小説は「一度しか読めない」という読書体験の特権的システムを有する。その反面優れた探偵小説はそのカタルシスの意味を確認するために再読を要するという異様な体験が、探偵小説読書の魅力となっている。また探偵小説のトリックは、その現象を一面的に捉えても意味はない。トリックの裏側には心理的な意味合いが多く含まれており、その心理的意味合いはまた、特有の社会性をも内包する。

……ここでは二つの事柄、探偵小説読書の方法論、そして探偵小説特有の技巧であるトリック論が述べられる。「優れた小説は再読に耐える」という警句への疑問は興味深い。また読み捨てと揶揄される探偵小説のその「読み捨て」に対する微妙な意味合いについて、真っ向から論じている文章を初めて目にした。トリック論はこれまで笠井氏が述べてきた各種の探偵小説論に通ずるところがあり、理解しやすい。

  10・叙述論: 前半部は残念ながら理解できなかった。「「探偵が事実を構成する際に語るファーブラ」の必然性において反文学たらざるをえない探偵小説は、「解決に対する多かれ少なかれラディカルな処理」を共通点とする反−探偵小説において逆説的にもポストモダンな前衛文学に変身する」

……うーむ。言葉が空疎に頭の中を空回り。
後半部は『アクロイド殺人事件』を取り上げ、探偵小説におけるメタと近代文学におけるメタフィクションとの近似部分と差異部分を論じる。
……文学論争的部分を差し引いて、単純に叙述ミステリの持つ本質的構造性を論じた部分として私自身は興味深く読めた。単なる叙述の技巧だけでなく、その裏側、社会性や事物にまだ思索を深めることで、作品は傑作へと変ずるのだろう。

  フク的所感: 探偵小説の形式的な部分を問い直し、分析し、その要素一つ一つについて論考を加えるといったベースとなる試みについては、素直に賛意を表明したい。項目分けにしても異論はないし、寧ろ優れた分割方法かと思う。その一方で論証された個々の結論そのものについては上記の通り、首肯できるもの、理解できるもの、ちょっと異論があるものと様々。特に個々の要素について、ミステリ読みとしても単純に看過しがちな部分に様々な意味合い、歴史があり、その本質が「探偵小説」という作品にとって重要な意味合いがあることに気付かせてくれたことには素直に感謝したい。

ただ、本書を通じての最大の違和感というか、不思議なのは、各論にて引用されて実地検分される対象の探偵小説作品が個々に異なっていることだ。ポオの作品を取り上げることが多い一方で、ホームズ譚やヴァン・ダイン作品等も顔を出す。――古典的探偵小説という共通性はあるものの、論理の構築のための必要事例を恣意的に取り出している(実際にそうであってもなくても)印象をどうしても受ける。また、発生から百年継続する探偵小説には様々な例外があるし、その一方でその百年以上の間も脈々と続く、それこそ伝統的な形式が存在している。その形式は、古典探偵小説からではなく、寧ろ近年の作品から取り出されるべきで、その誕生の経緯にのみ古典作品の引用が許されると思うのだ。長年の計時変化に耐えた要素のみを取り上げて分析することにこそ価値と、そして魅力を感じるのだが。(ただ、笠井氏の場合は探偵小説に対する近代文学サイド等からの偏見や悪意に対抗するという役割をもまた背負っており、その結果として氏の論点が私の興味からズレざるを得なかった側面があるとも理解している)。

本書については恐らく、樋口さん@UNDER GROUND精読・笠井潔『探偵小説論序説』が最もWEB上では徹底した解体を行っており、そちらは本書を紐解くためのテキストとして必読。得られた感慨や結論は同じではないでしょうが「要約」部分の適切さは、本書理解の大変助けになりました。多謝いたします。ついでに中断しているところをラストまでやって頂けると嬉しいのですが……。

後半部の「付論」にあたる部分は、元が思想系雑誌に発表されたこともあって、理解するには哲学用語の解釈や、これまで行われてきた論争の歴史的な部分等についての知識が必要なのではないかと思われる。通読したものの、これらの哲学主体の論文についてコメントは小生には無理なので、こちらの概要及び所感はパスということで。


02/07/19
連城三紀彦「白光」(朝日新聞社'02)

戻り川心中』にて『幻影城』誌デビュー、ミステリ出身でありながら、現在は恋愛小説など他ジャンル作品の人気が高い多い大ベテラン連城氏によるミステリ新作。本作は『小説トリッパー』誌に'98年から'00年にかけて連載された作品がまとめられたもの。

七十過ぎになり痴呆が始まったらしいお祖父ちゃん。お祖母ちゃんは亡くなっており、祖父は南の国での戦争経験のことをよく口にする。彼の最初の妻は出征直前、娘をさして「この子はあなたの娘ではありません」……といったのだという。残酷な裏切り。しかしその先妻と娘は共々に空襲にて亡くなっていた。後妻であるお祖母ちゃんとの間には息子の立介がおり、聡子はその立介と結婚し、現在はお祖父ちゃんとも同居している。二人には娘の佳代がいる。また聡子には妹の幸子がいて、彼女は娘の直子を週に一度、聡子に預けてカルチャーセンターに通っていた。直子の夫は実直な武彦。ただ直子はそのカルチャーセンターを隠れ蓑に、大学生と情事を楽しんでいた。身体が武器の幸子は、その大学生以外にも浮気相手がいるようだ。そんなある夏の日、直子をお祖父ちゃんに任せて佳代を歯医者に連れて行った聡子。帰ってきてみると直子の姿が見あたらない。結局、直子は池を作るために掘ってあった庭の穴から死体となって発見された……

蘊蓄なし、名探偵なし。テキストと人間心理、そしてプロットだけでもミステリはこれほどのことができる
いまや、いわゆる「本格ミステリ」の一群からは、完全に自身のスタンスを離れたところにおきながら、さらに方法論も全く異なっているにも関わらず、読了後に得られる感慨はその本格ミステリとどこか似通っている。 そしてミステリ以外の部分から発する「人間の持つ感情の奥深さ」といったものは、巧者・連城三紀彦ならではの鮮烈さを帯びる。何というか、市井の人間たちが心に隠していて普段は決して露わにしない、いや持っていても本人の自覚さえない感情の襞を赤裸々としかいえない形で読者の前に提示する。
いわゆるミステリの定型からは完全に外れた作品。似ているのは冒頭に事件、一般家庭における幼女殺人事件が発生するところまで。物語の内部で経過する時間、それが細切れに登場人物の視点、そして独白にて綴られていく。素人名探偵が出るわけでなし、警察捜査によって犯人が絞られてくるわけでもない。ただひたすらに関係者が事件のことを考え、その言葉の端端から相手や自分との関係を見つめ直し、隠していた事実を告白し、嘘をついて誰かを庇い、自分にとっての真実を造り、自ら警察に赴いていく。 いつしか何の罪もなく殺された少女の存在は、何の罪もなく殺されたかわいそうな被害者という地位を剥奪され、彼ら一人一人にとっての「爆弾的存在」であることが明らかにされていく……(とはいってもその女の子に罪はない)。
祖父、息子、その妻、妻の妹、妻の妹の夫、妻の妹の愛人。平穏に暮らしていた筈の五人それぞれが、心の闇を持ち、それが一つ一つ明らかになるたびに事件の見え方は次々と目まぐるしく反転する。まるで一つの手掛かりから真相が反転する本格ミステリの手法のごとく。そして、本書における謎のポイントが「誰が実際に幼女を殺したのか」という肝心な部分に続いて、誰が誰を本当に愛していたのかという家族の謎がまた加わっていく。語りの構造の特殊性ゆえに、読者は真相を目の前にしながらどこか信じられない。膜一枚隔てて舞台を眺める掻痒感を演出するテクニックがまたものすごい。関係者にとっての真実が、実際の真実とは限らないところに人間の深い罪、そして罰がある。
崩壊する家族関係像なんて今に始まったテーマではないのに。考えれば考えるほど、そして読了後本書の内容を反芻すればするほど、連城三紀彦の凄さを感じずにはいられない。初期連城ミステリの傑作群に連なり、かつ人間の情が更に深く込められた、怖ささえ備えた作品である。

新刊で連城作品を読むのは久々。本書もずっと前にある出来事があった時に、そのことに関して取り交わしていたメールのなかである方(『想師』のケースとは別)に、薦められていたもの。半年越しでようやく手に取ることができて、これは凄い作品と納得した次第。現在の日本で「この世界」をミステリに転化し、かつ大いなる感慨をもたらしてくれるのは他数名の大物しか思いつかない。今年の収穫。


02/07/18
芦辺 拓「メトロポリスに死の罠を」(双葉社'02)

『小説推理』誌に'01年4月より12月まで連載されていた作品を単行本化したもの。芦辺氏のあとがきによれば、氏にとって初の連載作品なのだという。連作推理小説『死体の冷めないうちに』にて活躍した《自治警特捜》の面々が再び登場している。

「仮想現実の暗殺者」事件にて逮捕されたはずの”知性を備えた野獣”こと小野瀬一雄が、彼を信奉する美少年、御子柴悟と共に再び、新地方自治のシンボルである大阪市の長、惟康知事と大阪市独自の警察組織であり、知事直属の自治体警察局に大して戦いを挑むことを決意していた……。
自治警の支倉捜査官は、惟康知事に呼び出され、市民団体〈ムラサキツユクサは眠らない〉のメンバーと引き合わされる。彼らは原子力廃棄物の危険な投棄方法を監視するためのNGOで、核物質を搭載した列車がローカル線を通過するのでその監視を手伝って欲しいのだという。当日の夜、線路沿いに沿ったボランティアから厳重装備の核物質輸送列車の通過が報告されたが、ある地点でその報告が途切れた。輸送列車はある地点を通過した後、閃光を残して消え去ったという。その線路には支線はなく奇妙な事態に関係者は首を傾げる。一方、自治警特捜に核物質輸送に関する内部告発を行いたいという電話が入り、支倉捜査官が待ち合わせ場所に向かう。隣り合うロビーの電話ボックスにて支倉に情報提供をしようとした人物は、悲鳴と共に電話ボックスから消え失せてしまった。核物質に関する無責任な噂が飛び交うなか、核物質を積んだと思しき列車ジャックが発生、その要求により、大阪環状線の内側と外側とが遮断されてしまった。

少年探偵小説にどこか似た、スピード重視の展開の妙と、正義の味方vs悪魔の手先の絶対的構図
自ら創作した名探偵・森江春策をこよなく愛する(と思われる)芦辺氏にとって、この「自治警特捜」シリーズは、離れた二番手に属するシリーズものにあたる。しかし、この「自治警特捜」、森江春策ものでは実現出来なかった趣向がいくつもあるため、今後こちらのシリーズも着々と書き続けられるのでは、と予感している。
まず「警察小説」であること。弁護士にして私立探偵である森江は(助手含め協力を仰ぐことはあるけれど)基本的に一匹狼。ところが、自治警には支倉をはじめ、魅力的な面々がずらりと揃う。往年の刑事ドラマを想像してもらえばいい。一人一人に得意分野があり、それを活かして智恵を集めて犯人と対決する。チームワークの勝利、という臭い言葉がよく似合う。
そして「政治小説」であること。ポリティカルフィクションと格好良く言い換えるには至らないまでも、現在の政府−地方自治体が抱える諸問題に対する芦辺氏の問題提起は感じられる。実際、現在の日本は様々なレベルで、色々な矛盾を抱えており、このシリーズでは地方行政のトップが物語に絡むこともあってその点を鋭く抉り出すシーンが多くみられる。私も子供ではない(というか汚れた大人)ので、芦辺氏の全ての主張に無条件に是を唱えることは出来ないが、それでも「はっ」と思わせられる意見が点在している。またそれが大きな枠のなかでトリックとも絡む。
さらに「アクション小説」でもあること。トリックとその解明が中心となる森江シリーズに比べ、本作は壮大な虚構が物語に仕組まれており、それを舞台に自治警メンバーが暴れ回る。銃は乱射され、ヘリコプターは転げ回り、電車は走り回り、ビルは破壊される。良い意味でB級っぽさ溢れるアクションシーンに単純に興奮させられるのだ。
そして「古き良き時代の探偵小説」であること。この場合は乱歩や甲賀が好んで描いた「悪の天才」と「正義の味方」との知恵比べの面白さを作品が持つことを指す。激しい場面転換、あっと驚くような大がかりな仕掛け、人々を煙に巻くような逃走(ないしは危機からの脱出)等々、小説が大衆の娯楽だった時代の探偵小説が持つ面白さと、非常に近しい面白さが本作にはある。その分、ちょっと展開が慌ただしいようにも思えるが、やっぱり探偵小説はこうでなくては。

ということで、従来の芦辺作品には薄かった大衆エンターテインメント要素がぎっしり詰まった長編作品。語弊があるかもしれないがこの「胡散臭さ」が作品最大の魅力へと繋がっている。誇り高いB級エンターテインメント。分かりやすい面白さがあるので、どんな方が読んでまず損はないのではないか。


02/07/17
灰崎 抗「想師」(学習研究社'02)

'01年に第一回が設けられたムー伝奇ノベル大賞にて優秀賞を受賞した作品。灰崎氏は本書が初の単行本となるが、ネット上では「狂気太郎」のハンドルにて既に活躍されており、創作の方にて既に活躍されている。(私は某掲示板にてニアミスしたことがあったかと)。

草薙遼は「想師」と呼ばれる能力を持つ男。昏い過去を背負う彼は、師匠たる天承という老人に救われ、修行を重ねてきた。彼らは「転視」という能力を使い、意識を身体から解放、現実世界を自分の想念世界に変更して、その内部にて干渉することによって様々な問題を解決することができた。その日、草薙は西村と名乗る男の依頼で、江島組という暴力団組長らの殺害を依頼された。地上げに抵抗した彼の娘が辱めを受けた挙げ句殺されたことに対する復讐なのだという。軽く視点をずらす「旋視」によって、彼の言うことが嘘ではないことを確認した草薙は、現地を調査したうえで「転視」に入る。彼はその世界では固い皮膚を持つ伝説のガーゴイルに似た怪物となる。そして、江島組に殺された幽霊に案内された転視世界で草薙は、一匹の針鼠、、赤く燃える岩、そして腐ったダチョウの卵を完膚無きにまで叩き壊す。現実世界では、江島組組長とその二人のボディガードが謎の惨死を遂げているという結果となるのだ。草薙は「転視世界」から現実に戻る途中、体長四、五十メートルはあろうかと思われるティラノサウルスのような怪物とすれ違う。草薙などより遙かに巨大な力を持った想師の存在を感じた草薙は、百数十名の死者を出したビル崩壊テロ事件が現実にも発生していたことを知る。その怪物こそが伝説の悪魔の想師「九鬼凍人」であった。

とんでもなく大量多様な妄想の群と、一貫したアクションエンターテインメントの絶妙の融合
いわゆる超能力と呼ばれる能力は、現実に実際に存在するかどうかはとにかく、ある程度の定型が既に世の中に共通認識として存在しているように思う。テレパシー、千里眼、サイコキネシス、テレポーテーション、透視、未来予言……。その単語を持ち出すことによって、読者は「ああ、あれか」ということを詳細な説明なしに理解することができる。
一方、小説の世界においてはこれらの枠内に入りきれない「人間の新しい能力」がしばしば登場する。電脳空間を行き来するとか、匂いが目に見えるとか、細かい例を挙げなくとも思い当たる作品はいくつもあるだろう。本作もそういった従来に存在しなかった新しい能力を登場させた作品である。一口でいえば「実際の世の中を自分のイマジネーションのなかで再構築して、そのイマジネーションの方に直接干渉することで、実際の世の中の方にも影響を与える」(どこが一口や)というもの。まず凄いのがこの設定を創り上げたこと。しかも、その「自分のイマジネーション」というのが一定しておらず、ゲーム板だったり、ジャングルであったり、宇宙であったり、火山であったりするうえ、その対象がまたそれに併せて変形している。つまり数限りないイマジネーション=妄想が作品内部に横溢しているのだ。現実の世の中を何かに喩える……これがここまで世界を拡げていくとは、正直驚いた。
そしてもう一つ凄いのが、この想像力をそのまま「伝奇小説」にぶつけてきていること。自分のなかで伝奇の定義が今ひとつ固まっていないので、この言葉を使用することは憚られないでもないのだが、古くは国枝史郎、そして現在は夢枕獏、菊池秀行らが創り上げた、人知を越えた「力」を持つ人間による謎と戦いの物語とでもいえば良いのか。そこに真っ正面から切り込んできている。主人公とその仲間による絶対的存在との無謀にみえる戦い。人類平和などの綺麗事はない。しかしいつしか無私の戦いを挑む主人公の姿には不思議な感動を覚える。幻想小説、SFとしてでも相当な力量を持つであろう作者のイマジネーションが、あえて伝奇というジャンルにぶつけられた点に価値がある。
読者は、立ち並ぶ妄想の群れに彷徨いつつも、激しい戦いが繰り広げられるのに息を呑む……という展開の連続に痺れる。そして作品の裏側に隠された作者の微妙な暴力衝動の匂いに怯え、作内での正義が行われる快感を味わい、悪が倒れることに喝采し、垣間見える人間の弱さに胸を打たれるのだ。それほど多くない登場人物を効果的に配して無駄が無く、二転三転しつつもすっきりとしたストーリーとなっている。底流にある「必殺仕事人」風でいて「何でも屋」的な職業設定もいい味を出している。

版元がエンタメに必ずしも強くない学研、ちょっと怪しげでさえあるムー伝奇大賞優秀作という肩書き、ハードカバー税別1,700円という価格と、気軽に手に取るにはハードルがちと高い。だが、その高いハードルを越えた後に激しい興奮が待ち受けている。 かくいう私もある方に強く薦められるまで手に取るつもりはなかった作品。感謝してますよん。>ある方


02/07/16
柳 広司「はじまりの島」(朝日新聞社'02)

昨年、まさに彗星のごときデビューを飾り、作品ごとに特異な舞台設定を決めてくれる柳氏の四冊目。『贋作「坊っちゃん」殺人事件』により第12回朝日新人文学賞を受賞しているが、その縁か、本作も朝日新聞社からの書き下ろし刊行である。

『種の起源』を発表したダーウィンは世の中にセンセーションを巻き起こした。彼がどこでそのような着想を得るに至ったのか? 教会は三十年前に彼が英国所属のビーグル号に乗船し、五年をかけて世界一周を果たしていることを知り、当時ダーウィンと共に乗船していた画家のアール氏からその当時の話を聞き出そうとする。既に盲目のアール氏は、若き日のダーウィンがガラパゴス諸島のある島で遭遇した奇怪な殺人事件の話を始めた……。
ビーグル号は船長フィッツロイ氏の指導の元、南米大陸を測量しつつ長期間にわたる航海を進めていた。若きダーウィンは博物学者として船に乗り込んでおり、その土地土地の不思議な発見や生物などについて尽きる事なき興味でもって研究を続けていた。またちょっと変わってこそいたが、人懐っこい性格から船乗りからは可愛がられた。彼らは太平洋に浮かぶガラパゴス諸島に到着する。岩で覆われたその島は悪魔の島を思わせた。食料調達を終えた彼らは、諸島を離れる直前小さな島に上陸することにした。希望者であるダーウィンやアール氏をはじめ、士官候補生のキング、神父、料理人、そして以前の航海で未開のフエゴ族から航海に連れ出し、すっかり文化的生活に馴染んだ、ジェイミー、フェギア、ヨークミンスターの三人。更に船長とその秘書までがその島に残ると言い出した。その島には数年前、銛打ちの大男が船長を刺し殺して逃げ込んだという伝説があった。そしてその最初の晩から奇怪な殺人事件が発生する。

登場人物、舞台設定の妙、その設定から導き出されるミステリの妙、そして再び舞台に返る物語の妙。絶品にして絶妙!
何から語れば良いのだろう。私のなかでの、2002年本格ミステリ新刊の現段階ベストクラスであることは間違いない。上質な本格ミステリであることはもちろん、様々な感慨を呼び起こしてくれる作品。いや、様々な感慨を呼び起こすからこそ上質な「本格ミステリ」であるのだろうか。
ガラパゴス諸島に上陸したダーウィンが巻き込まれる不可解な連続殺人事件。それは本格ミステリとしての定型「孤島の連続殺人」でもあるが、そんなことさえ感じさせない豊穣な物語性がまず存在する。ガラパゴス諸島だけでも奇想だし、ダーウィンが探偵役というのも奇想。十九世紀という舞台設定と、植民地時代、探検という背景が物語内部で実にしっくりと醸成されており、すらすらと読まされる。まず柳氏は、このようなレベルの高い歴史フィクションを描ける作家なのだ。さらにこんな特異な世界設定のみに止まらず、発生する殺人事件の奇妙さも本格ミステリ的としての王道を貫いており、これまた凄い。見えない殺人、遠隔同時殺人、アリバイの存在、動機の不存在……探偵ダーウィンとワトソン役アール氏の困惑は、そのまま読者の困惑へと繋がっている。
そして本作を傑作たらしめているのは、これら事件解決の論理が、それまで物語にて語られた様々な事象と密接にリンクしている点にある。この部分が半端でなく凄い。ガラパゴス諸島特有の理由、未開部族の習慣や考え方、船員たちの人間関係、ダーウィンの持つ博物学知識と、その先見性……時代ならではの文化だとか地域性だとか、作品の流れから必然的に語られていたと思われたエピソードが本当に絡まり合うようにして事件が起きていたのだ。読了後に改めて読み返すとちょっとした説明や、人物紹介のエピソードに近い部分に細かなレッドへリングと伏線が仕掛けられていることや、かなりあからさまに真相を述べているにかかわらず、読んでいる間は全く気付かせないテクニック等々、作者の心遣いの細やかさに舌を巻く。大技と小技の絡み合いも実に見事。作品の良さを伝えようにも、100%が表現できない自分の言葉足らずがもどかしい。とにかく、これだけの設定を用いながら過不足が存在しない。割り切れるミステリ。 それだけで本当に凄いことではないか。

純然たる本格。それでいて狭義の本格ミステリ愛好者に限らず、広い範囲の方に是非とも読んで頂きたいと思える作品。 涙も笑いもないけれど、ミステリ特有の要素を全て満たしたうえで、更に歴史文学の深い香気が作品から立ち上る。柳氏はデビュー二年目でしかなく、著作が現在のところハードカバー版ばかりと敷居がちょっと高いが、それを乗り越えて手に取る価値は作品に十分過ぎるほどに存在する。


02/07/15
倉阪鬼一郎「青い館の崩壊 ブルー・ローズ殺人事件」(講談社ノベルス'02)

倉阪氏の出世作となった『赤い額縁』、更に『白い館の惨劇』と続くゴーストハンター&黒川の吸血鬼コンビが探偵役をつとめるシリーズの三作目。(実際は彼らは『百鬼譚の夜』にも登場しているが)。句集も含めての、倉阪氏の三十冊目の著書にあたる。

いい加減に執筆した本が濡れ手に粟のヒットを記録したゴーストハンターは、下町の高級マンションへと引越をした。お祝いに駆けつけた黒川に、彼は「五万枚のミステリ」を書くとぶちあげる。一方、古書蒐集が趣味の黒川が持参していた本は青蓮寺祟という著者のマイナー本『青い館の追憶』。その聞き慣れない版元が同じ町にあるのだという。またそのマンションの隣には築五十年は経とうかという古ぼけたマンションがあった。青っぽいその建物の外壁は歪み、奇妙な装飾にて飾られていた。ゴーストハンターはその建物が、同業の怪談蒐集家が執筆した怪奇マンションの話とそっくりであることに気付いていた。翌日、いきなり五万枚ミステリの執筆に行き詰まったゴーストハンターは、このマンションを観察してそれをそのまま小説にしようと無謀な目論みを持っていたのだ。隣のマンション「ブルー・ローズ」の様子を確認しようとした彼はエントランスであっさり管理人に阻まれるが、一応住人の名前が埋まった郵便受けから何か奇妙な印象を受ける。そして『青い館の追憶』。これは閉ざされた氷でできた国をテーマにした幻想小説ともミステリともつかない、奇妙で出来の悪い作品であった。

相変わらずの「テキスト」への徹底的なこだわり。ホラー=ミステリから、ホラー>ミステリへの転換?
謎の館と怪しげな住人 → その館の謎を解くと思しき秘密テキスト → テキストには訳の分からない記述 → 隠された暗号、そして解読 → 館の存在を再解釈 → 真相への模索、そして到達 → (カタルシス)。特に間に謎のテキストを挟んで、その解釈によって物語世界を一変させる手法は、倉阪氏にとって自家薬籠中のテクニック。作品に隠された暗号というのは、正々堂々手掛かりを読者の前に晒しているという意味では、本格ミステリの一支店だといえる。
作中作は悪くない。氷の国が舞台、氷の女王の消失と七人の賢者による推理。舞台特有のルールと冷たい煌めきを持った美しさは、どこか幻想ミステリを思わせる内容。天城一氏が特異な設定を用いて不可能犯罪を描いたある有名な作品の別ヴァージョンとしても読むことが出来る。ただ、読んでいての引っかかりがいくつかあったのだが、きちんと主人公たちがその矛盾に突っ込みを入れているため、変てこな物語というだけに止まらず、きちんと伏線の存在を臭わせているのも良し。
ただ館の外観の描写と、中に住むと思われる人物の描写が頻繁、かつ丁寧に過ぎるため、この館がおおよそどのようなものなのかが中盤にならずとも読者には分かってしまうのではないか。個人的には冒頭に持ってくるか、この部分の描写もまた別テキストの一部(メタ的な存在)と読者に誤解させることで、もう一段困惑度の高いミステリになり得たのではないか、とも感じた。この点については、倉阪氏がわざとホラーテイストを従来の自分のミステリに対して多めに加えたゆえ、という受け取り方も出来るのだが。講談社ノベルスの現在の中心読者層を考慮した場合、その方針だとすると裏目に出る危惧を感じないでもない。
そして根っこのところでは他の倉阪ミステリ作品や倉阪ホラー作品との根底部分での類似が感じられ、人によっては同じパターンと感じられる人もいるかもしれない。つまるところ倉阪作品、特にミステリの多くはあくまでメタ的手法を援用した「テキスト」のミステリであり、心理トリックや物理トリック中心の現在のミステリ界の状況下では異端とならざるを得ないということ。こういう喩えは失礼にあたるのかもしれないが、本格ミステリのジャンルでいえば折原一氏が徹底的な叙述トリックを追求して止まないように、倉阪氏も特にミステリジャンルの作品を今後も発表していくのであれば、テキストミステリの新しい地平を常に意識した作品を自覚的に生みだし続けて頂きたいように思う。

ツボに入る人にとっては傑作にもなりうる作品。その一方で、テキストのミステリに慣れない人にとっては困惑を生む可能性も。クラサカワールドの入門書……にはちょっとならないか。リピーター向けでしょう。


02/07/14
有栖川有栖「まほろ市の殺人 冬 蜃気楼に手を振る」(祥伝社400円文庫'02)

架空の都市「真幌市」を設定し、その春夏秋冬に発生する奇妙な殺人事件を四人の作家が競作という形で発表する祥伝社400円文庫ならではの企画「幻想都市の四季」のうちの一冊。「春」を倉知淳、「夏」を我孫子武丸、「秋」を麻耶雄嵩、「冬」を有栖川有栖の各氏が担当している。

真幌市の沖合の海では、冬になると原因はハッキリしていないながら蜃気楼が現れる。満彦は五歳の頃、美しかった母に連れられて初めて兄弟三人でそれを見た。母は蜃気楼に手を振ると幻の町に連れて行かれる、と彼らに諭したが、その直後こっそり兄の浩和が蜃気楼に手を振っているのを見てしまう。そしてそれから一週間も経たないうちに浩和は事故で命を喪ってしまう。――それから二十五年。満彦は痴呆が始まり老人ホームにいる母親を、弟の史彰と見舞った後、「檸檬樹」というスナックで飲んでいた。満彦はしがないサラリーマン、史彰は女性のヒモのような暮らしをするろくでなし。「檸檬樹」を出た満彦は泥酔した史彰を車に乗せて家路についた。その途中、バイク事故を発見、被害者は事切れていた。警察に連絡しようと満彦が何気なく拾った鞄の中身は三千万円の現金。彼は通報を止めて鞄を持ち去ってそのまま家に帰り着いた。その金を返そうと強硬に主張する史彰を、満彦は手に掛けてしまう……。

確かに、この「ある意味での剛腕」もまた有栖川有栖氏の持ち味だよな……
例えば蜃気楼。そしてその蜃気楼をベースにしたどこかノスタルジックで哀しさが漂う主人公の経験。このあたりの幻想やペーソス漂う導入というのは、特に有栖川氏の短編作品(で、トリックが重視されていないもの)にてよく見られる方法である。その部分だけ取り出すとなかなかに良い表現がされており、導入にて読者を上手に物語に引き込む。
一方で、有栖川氏がこのような幻想的光景を書き出すというのは、どこか無自覚のうちにトリックが弱いことをフォローする意図が働いているようにみえる。本作、中盤までは完全な倒叙形式のミステリにみえる。主人公は出来心で大金を持ち逃げし、それをたしなめた弟を殺す、弱い心の持ち主。彼が怯えながらも完全犯罪を企図し、そして半ば上手く行きそうになったところで皮肉な偶発事件によって大金が手に出来なくなりそうになる……。偶然が要素に入るだけに本格ミステリ作家のリーダー格としてはこれだけで作品を終えることはできない。そこに弟そっくりの謎の人物をかけた奇妙な出来事が絡められ、その真相が物語のポイントとなるのだが……。
……。強引。その殺したはずの弟そっくりの男の存在がとにかく強引。考えようによってはかなりキツイ。このトリックそのものは確かに伏線らしき部分もあるし「アリ」だとは思える。ただ、いくら論理的に割り切れるトリックであっても、例えばこれは「全て夢のなかの出来事でした!」ということを、一生懸命伏線を引いて論理でまとめたものと、そう変わらないのではないか。多少の変奏をさせているとはいえ、大元がそもそも禁じ手のように思えるのだが……。これを成り立たせ発表してしまう有栖川氏の剛腕、なんとも。  (もしも本作が新人の投稿作品であったとしたら有栖川氏はどんな選評を書くのだろうか?)

いろいろな読み方、楽しみ方がこの「まほろ市」シリーズにはありそうだが、私の場合はオーソドックスに春夏秋冬順番に読み、それぞれを比較したことになる。人によっていろいろあるとは思うが、あくまで個人的感覚を正直に表現した序列は「秋>夏>>>春=冬」。連作でなく、競作ゆえに四人の合作という意識は薄いとは思うが、もう少し登場人物や風物のリンクが多くても良かったように思う。試み自体は面白いので「まほろ市の二年目の四季」なんて来年やってくれても面白い。全部買いまっせ。


02/07/13
麻耶雄嵩「まほろ市の殺人 秋 闇雲A子と憂鬱刑事」(祥伝社400円文庫'02)

架空の都市「真幌市」を設定し、その春夏秋冬に発生する奇妙な殺人事件を四人の作家が競作という形で発表する祥伝社400円文庫ならではの企画「幻想都市の四季」のうちの一冊。「春」を倉知淳、「夏」を我孫子武丸、「秋」を麻耶雄嵩、「冬」を有栖川有栖の各氏が担当している。

非番の刑事、天城憂の車に強引に乗り込んできたのは真幌市在住の有名なミステリー作家、闇雲A子。素人探偵としても知られる彼女は、この春から十一件もの連続して殺人を犯している”真幌キラー”と思われる人物を追っていたのだ。しかし天城がぼやぼやしてしまううちに人物は消えてしまう。助手の見処少年と共に天城を責めるA子。そしてA子は、真幌警察に対し天城をパートナーとするよう正式に要請する。A子を持て余していた課長は天城を差し出し、彼はその名前から「メランコ刑事」と迷惑な渾名を彼女から頂戴する。さて、その真幌キラー。殺害方法も対象者もバラバラ。半月ごとに事件は発生しており、被害者の左耳が焼かれ、そして意味ありげな小物(犬のぬいぐるみ、闘牛の置物、ジオラマ模型、麻雀パイ……)が置かれていた。近県を襲った怪盗ビーチャム以来の大事件にマスコミは狂騒、当然A子も「対決宣言」を出すに至っていた。見処少年と姪っ子の縁珠代を従えたA子は、いくつもの仮説を滔滔と天城に披露する。ただ、A子が天城を選んだ理由は先日の事件だけが理由ではなく、彼が「隠れ名探偵」として署内でも知られた存在だったからだった。

中編なのに、下手な長編一本を軽く越える充足感。中身の詰まったサイコミステリ
読了して、恐らくこれまで読んできた祥伝社400円文庫のなかでは、最も感銘を受けた作品ベスト3に入ることを確信した。歯切れ良くテンポを持った文章、サプライズの狙い、トリックの大きさ、麻耶作品らしい登場人物や各種設定等々、この少ない枚数のなかに、美しいまでに見事な自らの世界を構築している。いわゆる「新本格ミステリ」のムーヴメントのなかで、最初の異端児として指名された麻耶氏が、才能と経験とセンスとを綺麗に中編作品にまとめた傑作といって良かろう。
確かに、本格ミステリを読み付けない方にまで進めようとは思わない。我々が「麻耶氏らしいセンス」とニヤリとさせられる部分は、恐らく一般には非現実の度合いが高すぎて受け入れられづらいことも容易に想像できるから。しかしまた、このぎりぎりで設定される非現実度合いのバランスというのが麻耶氏の魅力なのは、ある程度、麻耶作品がどんなものかを知る方であれば周知のことだろう。後、微妙に入った「鬱」っぽさとか。
闇雲A子、メランコ探偵、怪盗ビーチャム……といったネーミングの妙(そしてこれはまた弱点でもあるが)。中編の枠しかないのに十人以上の連続殺人を扱ってしまう剛胆。決して多くない登場人物にきっちりと「探偵」「ワトソン役」「被害者」「犯人」の役割分担を配したうえで、その部分に驚き(トリック)を配する構想力。遺留品の意味に驚き、事件と事件の交錯に驚き、推理の過程に驚く。本格ミステリとしての作法を(一応)外すことなく、自分の独自世界を創り上げ、かつ中編という長さをきっちり使い切っている。

短編のキレと長編の世界観の面白さの両方を上手にまとめた感。ただちょっと気になるのは本作が麻耶初体験というレベルだと、文体やネーミングセンスという表面上の壁を乗り越えられないかも、という点。このシリーズ、ちなみに春夏秋冬続けて読む必要が、残念なくらいにまっっったくないので、本作だけだとか、気になる作品のつまみ読みでも全然構わない。


02/07/12
我孫子武丸「まほろ市の殺人 夏 夏に散る花」(祥伝社400円文庫'02)

架空の都市「真幌市」を設定し、その春夏秋冬に発生する奇妙な殺人事件を四人の作家が競作という形で発表する祥伝社400円文庫ならではの企画「幻想都市の四季」のうちの一冊。「春」を倉知淳、「夏」を我孫子武丸、「秋」を麻耶雄嵩、「冬」を有栖川有栖の各氏が担当している。

真幌市在住の新人作家、君村義一。最初の著書が出た後、二冊目が書けないまま執筆に行き詰まった君村のもとに一通のファンレターが届く。差出人は四方田みずきと名乗る女性で、住所も同じ真幌市内。丁寧な手紙に感激した君村は、彼女に興味を持ち、やがて電子メールをやり取りする間柄となる。そして遂に君村は真幌市内のホテルラウンジで、二人連れでやってきたみずきと会うことに成功するが、サインのやり取りなどをした後、彼女らはそそくさと帰ってしまう。却って想いを募らせる君村は思い切ってメールでデートに誘うのだが、素っ気ないやり取りの後、彼女からのメールは途絶えてしまう。彼は友人の小山田に相談、彼女の住所を実際に訪問してみることを決めた。二人が彼女の住む月幌町を訪れると、あっさり目的の彼女と出会うことが出来、携帯電話の番号まで教えてもらえたのだが……。

我孫子作品の持つ「柔らかさ」と「硬さ」とが残酷な二重奏を奏でている……
周知の通り、我孫子氏の作品群は(中道的作品もあるとはいえ)まるで二人の「我孫子武丸」がいるのではないか、というくらいに二つに大別される。一つはいわゆる「ほんわか系」であり、人形の鞠小路鞠夫が探偵役を務める「人形シリーズ」等が代表作。一方、もう一つは「ハード系」で、死体ぐちゃぐちゃ、サイコで残虐な世界が繰り広げられる『殺戮に至る病』や『○○の街』シリーズ等が代表となる。そこらのミステリファンではない一般人に、作者名を伏せて二つの作品を読ませ、著者は同一人物なんだと力説してもきっと信じてもらえないだろう。
前置きが長くなったが、その二人の我孫子武丸が合作しているような趣を持つのが本作。即ち前半は、一人よがりの駆け出し作家のイタイ恋。この片想いはイタイ。読み進めたくなくなるくらいにイタイ。ただ、なぜか主人公の望みが成就して……までは良い。これは「ほんわか系」を書く我孫子氏が書いている。
どうも、そこから「ハード系」の我孫子氏がバトンを引き受ける。もちろん何があるのかは書けないが、伏線に導かれた真相だけでなく、それが引き起こす事態、そして幕引きの後味の悪さが「ハード系」我孫子氏の真骨頂。
ただそれでいて、読んでいて胸が悪い、という気分にはあまりならない。どちらかといえば「あ、やられた!」と思っているうちにその場面に突入してしまい、ジェットコースター的に物語が展開してしまうため、気分悪くなるヒマがないという感じなのだが。

良くも悪くもこれまでの我孫子氏の作品系統に則ったストレートな作品。 中編という長さに合う物語を我孫子氏が自分のストックのなかから選んだ、という印象か。ちなみに四作品のうちでは一番「真幌」という街に対して特別な意識を置いていないかな。


02/07/11
倉知 淳「まほろ市の殺人 春 無節操な殺人」(祥伝社400円文庫'02)

架空の都市「真幌市」を設定し、その春夏秋冬に発生する奇妙な殺人事件を四人の作家が競作という形で発表する祥伝社400円文庫ならではの企画「幻想都市の四季」のうちの一冊。「春」を倉知淳、「夏」を我孫子武丸、「秋」を麻耶雄嵩、「冬」を有栖川有栖の各氏が担当している。

喫茶店「クルツ」の常連の学生、「僕」こと湯浅には、美波という仲の良い彼女がいる。五月中旬のある朝、美波は「幽霊の痴漢にお尻を触られた」と憤っていた。前日は、真幌名物の大風が吹き荒れており、一人暮らしの女五人でカラオケボックスで大騒ぎしてその不安を紛らわそうとした帰り道のことだそうだ。その美波の携帯に彼女の友人のカノコから連絡が入る。「人を殺したかもしれない……」彼女は言う。彼女の家の七階のベランダに侵入者があり、思わずモップで突いたところ落下していったというのだ。しかし、ある筈の死体が見あたらない。警察に一応連絡するも取り合ってくれなかった……のだが、翌日、警察が大挙して押し掛けてくる。彼女が落としたという死体の男は、前日の晩、バラバラにされて真幌川に捨てられていたというのだ。

のほほんとした雰囲気に奇妙な謎、あいまいな解決……でも本格ミステリとしてどこか寂しい
「お尻をなでる幽霊の手」「ベランダから突き落とした男の死体がない」「その男はその時間に既に死んでいた」……本書の中心となる謎。これに「お尻をなでた幽霊の手」だとか「事件直後に撮影された心霊写真」だとか、いくつかの補助的な謎が絡まる。「発端の奇妙な謎」→「素人探偵の決意」→「証拠集め」→「謎の解釈」と、きっちり段階を踏んで謎が解明される、教科書的、オーソドックスな本格ミステリ……という構造を本作は持つ。
ただ、どうも中編という長さを作者が持てあましたようにみえてならない。個々に取り出して行くとそのことがよく分かる。まず回りくどい話運びや文体は「長編」の青春ミステリ向き。検証しない半ば空想に近い解決は、「短編」の本格ミステリならば許されるが、警察も曲がりなりにも登場していることだし、中編以上ならもう少ししっかり検証して欲しい。特に犯人バラバラ死体の首と腕最後に処分するのが面倒くさくなったから、という理由は短編中編長編問わず「ここが大事なんじゃないの?」と首を傾げたくなる。本格ミステリを執筆している作家の方々が、いかに合理的理由でもって犯人の行動を規定していこうかと頭を悩ましているなかで、検証されないとはいえやっぱりちょっと何だよなぁ。
結局のところ、もう少し人間関係の綾を付け、論証を緻密に行うなりして長編にまで持っていくか、謎の一部を用いて短編にてスッキリ仕上げるか、どっちかにすべきアイデアだったように思えてならない。

作品そのものは倉知氏らしさが全体から滲み出ているとはいえ、本格ミステリ大賞受賞後第一作として、読者がもっと高い水準の作品を求めることが間違いではないだろう。次作が何になるのかは残念ながら分からないのだが、本格ミステリ大賞受賞後第二作として大いに期待して待ちたい。 それくらい勲章ってのは重いものだと思う。