MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/08/10
高原弘吉「消えた超人〈黄金球場〉」(春陽文庫'75)

高原弘吉氏が本格的に世に出てきたのは'62年に第1回オール讀物推理小説新人賞を受賞した『あるスカウトの死』という作品である。内容はプロ野球スカウト合戦を扱ったものであり、他にも高原氏にはプロ野球界を扱った著作がいくつかあり、本書もその一つ。オリジナルは'65年に刊行されている。

新興財閥の二人の巨頭、富野一郎と金成二郎が乗り合わせた自動車の交通事故により揃って死亡した。互いに良きライバルで、熱心なプロ野球ファンと思われていた二人は過去にある申し合わせを行っていた。功なり名を遂げた現在、自分の、それもとびきりのプロ野球球団を作ろうとしていたのだ。富野は熊本の奥地に「野球道場」を建設、剣法を嗜み忽然と姿を消した謎の強打者、丸目徹身を師とし、孤児院からめぼしい子供を集めて山中にて厳しいトレーニングにて鍛え上げさせていた。一方の金成は信州の山奥に「野球教室」を設営、こちらは平賀敏明という超絶変化球投手と先進的な理論に球界を追われた整体師の園山を揃え、破格の条件の求人により中卒の子供らを集め、特殊な筋力トレーニングを積ませていた。パトロンを喪った指導者は状況の打破を考えて上京。優勝決定戦に燃えるスターズ戦にて教え子の一人、八郎の外野席からバックネットに届くダイレクトの投球を見せる。それに気付いた記者やトップ屋が「超人選手」の存在を探し回るが、彼らは容易にはつかまらない。いくつかの曲折を経て「野球道場」、「野球教室」はそのままプロ球団と契約、そのとてつもない実力を発揮しはじめた。

日本球界の三十年後を1960年代に既に予言した超絶傑作、ないしは小説版『アストロ球団』
とにかく痛快。三十年前のプロ野球。海の物とも山の物とも分からない新人に高額の契約金を支払い、非科学的な根性重視のトレーニングによってその才能を伸ばすどころか壊してしまう……。数十年経過した現在にもどこか通じるプロ野球の非常識な世界。そこに目を付けた大富豪が英才教育にて「理想の」プロ野球チームを作ってしまう……というお話。その過程は後から徐々に明らかになるのだが、山に隠れて修行してきた彼らが平穏だったプロ野球界に与える波紋がめちゃくちゃに面白い。もう一つ、彼らの能力の高さ、そして戦法もまたすさまじい。木こり&剣法の修行から反射神経を極限まで鍛え、ホームランからファウルまで思う通りにバッティングをする野球道場。そして、筋力の研究から生み出された究極の投手力と超絶の走力から、ストライクすべてをファウルにする四球戦法によって確実な勝利をモノにする野球教室。例えば人間の反射神経では投手がボールを投げてから捕手が捕球後、二塁送球するまでの時間が示され、それよりも早く一塁から二塁に到達すれば良いのだ……とか(一応)科学的な論証があるため、荒唐無稽だけに止まらない点もまた良し。
物語的にも登場人物のテンションがやたら高く、高原氏得意のプロ野球界の情報戦なども交えられており、緊迫感を孕んで進む。ただ肝心なところがお間抜けだったりするのもまた楽しい。彼らの存在をすっぱ抜くため色仕掛けで迫る女性を返り討ちにしたり、練習試合を錘入りのボールでカムフラージュしたり。一つ一つのエピソードが想像を絶する展開にて乗り越えられていく。中身が詰まってそれぞれが濃い。
当時は日本人が米国人に吾して野球で戦うなんて夢のまた夢。しかし現代は違う。例えばイチロー、野茂、そして佐々木あたりのメジャーリーグでの活躍も現在では珍しい出来事ではない。本書の世界は彼ら野球エリートを予言している……というのは言い過ぎか。めちゃくちゃなようでいて「ん?」と思わせるぎりぎりの説得性が野球エンターテインメントの可能性をここまで高めている。

譲って下さったよしだまさしさんに多謝。でもって、たぶんこの内容はよしださん好みだと思いまっせ。めちゃくちゃ面白いので見かけたら間違いなく「買い」。あの狙撃者のメロディー』を著した高原弘吉氏の、高いテンション爆裂といった感じ。読んで、読んで。


02/08/09
乙 一「天帝妖狐」(集英社文庫'01)

夏と花火と私の死体』にて第6回ジャンプ小説ノンフィクション大賞を受賞、十代で既に関係者を瞠目させるセンスを持っていた乙氏の第二作品集にあたる。'98年にジャンプジェイブックスという叢書から刊行されていた本が文庫化されたもの。

”ぼく”こと上村は高校生。学校での喫煙はもちろん御法度だったが、子供の頃から煙草が習慣となっていた彼は入学早々、校内の安全な喫煙場所を物色する。剣道部室の裏にあるトイレのただ一つの個室が最終的にお気に入りの場所となった。2年となったある日、その個室のタイルの壁に「ラクガキスルベカラズ」と書かれていることに気付く。更にそれに反応して、イニシャル付きの落書きがいくつか。いつしか数人の匿名者の伝言板と化して、ぼくは彼らのメッセージを楽しむようになっていた。そんななか、落書きが予告する事件が起き始める……。 『A MASKED BALL』
下宿屋の娘、杏子はその男を見た瞬間、禍々しい障気を感じて関わるのを避けようと思った。が、彼が道ばたに行き倒れるのをみて放っておくことが出来ず、自宅に連れて帰る。その男、夜木は二十代と思われたが、全身を包帯でぐるぐる巻きにしており、決して素顔を見せようとはしなかった。不気味な雰囲気を持つ夜木に家族は怯えるが、行く当てのない彼に対し杏子は何かと世話を焼くようになり、少しずつ夜木の心も開かれていくのだが……。 『天帝妖狐』以上、二編。

端端に感じる天然のセンス。ホラーと日常との微妙なバランス感覚は天性なのか。乙一、スゴイ。
乙一がスゴイ……というのは氏のデビュー直後からさんざん語り尽くされた言葉のような気がする。それでも敢えてスゴイと言いたくなるような独特のセンスと文章力、更にもたらされるイメージの凄さといったものを読むたびに感じさせてくれる。その源泉は果たしてどこにあるのだろう?
まずは、ごく真っ当な若者が日常的に使いそうな、平易な言葉によって世界が成り立っていること。イメージした世界を正確に記述する的確な語彙よりも、曖昧なものは曖昧なまま語ろうとする日本語。書物に対する鯱張った気持ちはそこになく、読者はあたかも友人と会話を楽しんでいるかのように物語り世界に入り込むことが出来るのだ。その結果として物語上にて変質した世界は、そのまま読者の日常世界を壊してしまう。
もう一つは漫画的……マンガと片仮名で書くのではなく、あくまでどこか「漫画」と漢字で表記したくなるような世界にあるのではないか。『ガロ』系とまでは言わないが、子供の視点で描かれながらどこかオトナだけが理解しうるシュールさを兼ね備えた絵的な世界。文章で想像力を喚起するのではなく、文章がそのまま「絵」となりするりと脳に入り込んでくる。
そしてそれらが努力の結果でなく、乙一という作家の持つ天分として発揮されている点が最も重要なポイントだろう。そのため、肩に力が入っておらず、ホラー小説特有のあざとさが全く感じられない。さっぱりとしていて、それでいて恐怖感が煽られる。短い作品集なのに、奇妙に心に残るのだ。近作の題名ではないが「暗黒童話作家」という印象。既存のジャンルで括れる作家ではない。
作品それぞれに触れていない評となったが、なんかそれでもいいや。先入観なしに読んで身体で味わって欲しいし。

本書は近年に刊行されていたにもかかわらず、一部のマニアのなかで長い間入手困難作とされて捜す人の多かった作品(漫画のノベライズがメインの叢書における「オリジナル作品」という点が効いていたか)。何はともあれ、このような形で広く人々の目にとまるようになるのは素晴らしいこと。作品そのものが短いので一冊というにはちょっと食い足りない気もするけれど、冗長に過ぎず腹八分目というのが乙一を楽しむためのそもそも秘訣なのかもしれない。お腹の足りない部分は、読者が想像力で勝手に満たしていけばいい。


02/08/08
北川歩実「お喋り鳥の呪縛」(徳間書店'02)

人間の錯覚やアイデンティティに絡む傑作ミステリを多く著し、独特の地位を築き上げた北川歩実氏、久々の刊行となる書き下ろし長編。北川氏にとって十一冊目の単行本にあたる。'95年のデビューより現在まで覆面作家を貫き通しているあたりも、今更ながら注目すべきかもしれない。

乙矢塾が母体となっている乙矢言語教育研究所は「言葉の力」をテーマとする私設研究所であり、そこでの実験の一環として言語を喋る鳥たちに対する研究が行われていた。そこにいるのは人間の言葉をあたかも理解しているかのように喋る天才オウム、パル。フリーライターの倉橋は、妹の良美が交通事故に遭い、意識不明の重体となった直後、嶋野という女性プロデューサーの訪問を受ける。倉橋が良美と合作して賞に応募していたシナリオをドラマ化したいというのだ。そのシナリオは、乙矢研究所でアルバイトをしていた良美がその経験から発語障害を持つ子供とオウムとの交流を主題として描き、倉橋がサポートしたもの。賞そのものは一次選考で落ちていたが、隠れた鳥マニアの人気俳優、柳修輔の琴線に触れているのだという。妹の願いを叶えたいと話に乗る倉橋だったが、研究を公にしたくない研究所がドラマ化を快く思わず、パルの貸し出しを拒んだあたりから傷害事件が発生。乙矢研究所と倉橋の周辺で次々と殺人事件が発生する。

人間のアイデンティティを問いつつ、今回はサスペンスに重きが置かれたか?
人間の言葉をあたかも理解しているかのように喋るオウム、正しい言葉の力によって人間に刷り込まれた本能を矯正する研究……といったあたり、これまで北川氏が打ち出してきた「科学的」かつ「人間の根元的存在」を問うテーマに沿った主題が本作にも持ち込まれているように思える。ただ、後者はとにかくとして前者についてはあまり突っ込んだ主題やエピソードとならず、単に登場人物を翻弄するための「狂言回し」的な役割になっている。既にこの点だけで、どこかこれまでの作品とは異なる印象を受ける。というか、何か勿体ないような……
その異なる点について考えてみた。これまでの北川作品では「知能を持った猿」だとか「人間の同一性」だとか「過激なダイエット」だとか「天才児教育」だとか、作品ごとにかなり取り上げるテーマがハッキリしており、そのキーワードを除くと作品が語れないほど表側に主題が滲み出ていた。翻って本作は、その「主題」となる部分が確実に存在こそするもののサスペンスの陰に隠れてしまい自己主張がほとんどない。
そのかわりメインになるのはサスペンス。登場する人物それぞれは一見マトモなようにみえて、その実意外な狂気を内面に隠し持っていることが多いことは、どちらかといえば裏側の北川作品の特徴でもあったのだが、そちらが本作では表側に来る。「喋るオウム」が出演するドラマ、そして研究に投資する富豪の財産を巡って次々と傷害事件・殺人事件が発生、複数の登場人物が真相を知るべく奔走する。確かに犯人の意外性もあり、気付けば裏側にあったはずの重厚なテーマ「人間の持つ本能は永遠に矯正されることはないのか」が、事件全体の動機と知れる……。読み終わったトータルでは「あ、やっぱり北川ミステリだ」と気付かされるが、読んでいるうちに気付く方は稀だろう。

インコマニアの俳優や、芸能界デビュー指向の強いおじさん、派手な身なりの研究者など個性とアクの強い一部の登場人物以外の残りの脇役の造型そして人間関係が頭のなかにインプットされないうちに次々殺されちゃうので、今ひとつ緊迫感が作者の意図ほど読者に伝わりにくいのが不満といえば不満かも。

結論的には紛うことなき北川ミステリではある。人間のアイデンティティに対する独特のこだわりもまた健在。こういった人間心理を本格ミステリに近い手法で物語に仕上げる実力については相変わらず高い。また、真相が明らかにされた後に感じさせられるペーソスもまた良い。現代科学を肴にしつつ「21世紀本格」とは全く異なる手法でミステリを描き続ける氏の姿勢は今後も堅持してもらいたい、と勝手な読者の希望にて締めくくろう。


02/08/07
小川勝己「彼岸の奴隷」(角川書店'01)

怪作『眩暈を愛して夢を見よ』を著したことで本格ミステリ界からも注目されつつある小川氏は横溝正史賞を『葬列』にて受賞してデビューした作家。氏の受賞後書き下ろし第一作が本作になり「このミス」系統では『眩暈…』よりも本作の方が評価が高かったこともあり、ずっと気になっていた。

父親が殉職したキャリア警察官の蒲生は捜査一課に所属する三十三歳。ひ弱な風貌から同僚からはあまり重要視されていなかった。山林から頭部と手首が切り取られた女性の全裸死体が発見される。蒲生は元マル暴で、現在は不祥事によって所轄署に飛ばされている和泉という刑事とペアを組んで捜査にあたることになる。被害者は大河内聡子という女性だと判明するが、その名前と生前の写真に和泉は異常なまでに過剰な反応をした。被害者はキリスト教信者で刑期を終えて出所した人々の世話をする保護司をしており、彼女の死亡時刻直前に「きょうだいなんでしょ、シロイシをどうにかしてよ」と喫茶店で話をしていたところが目撃されていた。和泉と蒲生の二人は、聡子が残した一人娘、大河内涼の元を訪ね、シロイシなる人物を知らないか確認したが、やはり和泉の様子はどこかおかしかった。

性格的に歪み、壊れた性癖を持つ人物たちが織りなす地獄絵図……そして、ノワールの皮層の下に本格ミステリ

主人公の一人、蒲生のプロフィールは「警察官の父親が跳弾で頭が割れるところを見て○○し、中学生の頃から毎晩1500円姉に支払って○○○○に耽り、高校生の部活合宿で○○○○○を強要され、食事は何よりもカレーが好きで離婚した妻はとにかく娘には未練たらたら、銃マニアで腕前も相当……の捜査一課の刑事」。

主人公の一人、和泉のプロフィールは「父親の後妻に激しく欲情しながら結局学校のいじめっ子に彼女を○○され、更に中卒で逃げ出した米国ではホモ白人に○○○を捧げることでしか生きて行けず、日本に戻ってマル暴の刑事となってヤクザと繋がって好き放題暴れ回り、あまつさえ後妻に似た夫婦に対して陵辱行為を働いたこともある所轄の悪徳刑事」。

脇役の一人、矢木澤のプロフィールは「有力暴力団の若頭でありながらペットの犬をこよなく愛する優男。その実自分を拒絶する女に対して異様な欲求を覚え、ありとあらゆる手段で弄び、切り刻んだ挙げ句相手を○○○しまうヤクザ」。

脇役の一人、川奈のプロフィールは「一見、真面目そうな若い女性のようでいて自分を汚されるような○○○○の妄想に取り憑かれており、その頭の中で描いたシナリオが乱されると激昂して相手を特殊警棒で殴り倒すイメクラ女」。

……言ってみれば、主要な登場する全員が(言葉は悪いが)性格がいわゆる一般常識に照らして歪んだ人物ばかり。 暴力的、性的な部分における偏執的ともいえる描写のすさまじさ、簡単にいえば強烈なエロとグロによって、読者がかなり選ばれることが想定される。いわゆる暗黒小説、ノワールの衣を確かに纏うし、本書をしてノワールと呼ばれることに特に異論を差し挟もうとは思わない。上記の通り、登場人物に「これでもか」というトラウマを押しつけることによる現実感の喪失は、かえって本書のフィクションとしての価値を高めているように私は思う。中途半端に現実を描いても、それは単なる社会派になるだけでノワールにはなり得ない。ついでに最終的に破滅的な戦いに臨む彼らの「動機」が、しっかりと全員異なる点には気付いておきたい。フィクションでしかあり得ない世界のフィクションでしかあり得ない動機を描くことによって、どこか現代の世相と通底する闇を描いているのがこの作品なのだ。本作を現実感がない、と批判することは簡単だが、なぜ本書が生まれたかまで見据えればそういう言い方は無意味になる。
また、これまた暴力的な描写に隠れ勝ちだが本書は単なるクライム・ノヴェルの枠に括ってしまうことには抵抗がある。(帯にてそういう書き方をしている点に問題がある) 「本格ミステリ」とは言い切れないまでも、ミステリ的になかなか優れているように思うのだ。特に最初の被害者の首と両手を切り離した理由など、Why done it?の意味で相当な意外性があるし、後半に明らかにされる事件の経緯や動機といったあたりもしっかり手掛かりを前半に散りばめているあたり、小川氏が単なるノワール指向かつノワール嗜好者ではないことを伺わせる。主人公の一人に作者が仕向けた罠など、ある別の新本格系の作家がよく用いる主題を彷彿させるし。後の怪作『眩暈…』を先に読んでいるという私への心理的影響はもちろんあるのだが、描写の強烈さばかりに目を向けるのは間違いだろう。例えば幻想的表現、SF的設定によって伏線を埋没させるといったミステリ手法と似た、それでいて誰もやろうとしなかったことを小川氏がやってのけたのだと考えたい。強烈な登場人物、エピソードに目が行き勝ちだが、そういったミステリとしての心遣いにまで気付いてこそ、本書の価値は更に高まるのではないか。

とはいっても、ノワールが好きな方が強烈な描写を存分に楽しむも良し。バイオレンスな展開に息を呑み、手に汗握るも良し。もちろん、ミステリの仕掛けをしっかりと味わうも良し。ただ、壊れ方は確かに相当なもんなので、多少の覚悟は必要かも。昨年読んでいれば、ベストに挙げたかもしれない『眩暈……』とは別の意味での怪作。


02/08/06
恩田 陸「上と外 1〜6」(幻冬舎文庫'00〜'01)

幻冬舎文庫にて企画された「隔月刊文庫書き下ろし長編全五冊」として当初はスタートした作品だが、結局本作は六冊となった。同時期には清涼院流水氏が『トップラン』という作品にて同様の企画を実施している。作品にはそれぞれ副題があり、1「素晴らしき休日」、2「緑の底」、3「神々と死者の迷宮(上)」、4「神々と死者の迷宮(下)」、5「楔が抜ける時」、6「みんなの国」となっている。

十四歳の楢崎練は普段は町工場を経営する祖父を中心とする大家族と共に暮らしていた。練の父親の賢は学者で普段は海外で研究活動に没頭しており、現在は中米のG国に滞在している。賢はかつて練を連れ子に、千鶴子という女性と結婚、千華子という娘ができて、四人で暮らしていた。練も彼女らを本当の母親、妹として暮らしていたが、千鶴子は賢と離婚してしまう。離婚後も毎年、練は、千鶴子と千華子と会い、そして海外にいる父親と会いに行くことが恒例となっていた。そして今年も飛行機に乗り、三人で中米に向かい、父親と再会した練はいつもと異なるぴりぴりとして雰囲気を感じ取る。千鶴子の再婚相手がもう賢と練に会うなと言っているのがその原因。賢よりも千華子が激しく千鶴子に反発、場の雰囲気は更に気まずいものになる。帰国の日が近づくなか、賢はヘリコプターをチャーターし、マヤ文明の古代遺跡、ティアカを空から見学しようと提案する。四人が乗ったヘリが遺跡近くのジャングル上空にさしかかった頃、G国にクーデターが発生、同乗していた軍人と小競り合いになってヘリのバランスが崩れ、千華子が、そして賢がジャングルに放り出される。

緑生い茂るジャングルと冷涼な闇に覆われた遺跡が舞台。少年と少女の勇気と忍耐の冒険活劇
恩田作品らしくディティールの外堀はしっかりと埋まっている。ひとことでいえば主要登場人物の造型にぶれがない。研究第一の父親、派手好きで強さと弱さを併せ持つ母親、決して恵まれていない環境のなかで育ちつつ、しっかりした芯を持つ兄と妹……彼らの織りなす家族関係をベースに、中米という一般的に政情不安定な国家の一風変わったクーデターを絡めて物語の根っこが固められている。(その作業を周到に行いすぎた結果が、一冊分の頁オーバーに繋がっているのだろう)
が、しかし、それら現代的かつ普遍的な家族模様や、複雑に絡み合う政治状況などはいくら徹底して描かれていたとしてもあくまで脇役でしかない。本書の本質は「少年少女の冒険」にある。
オマージュ好きの恩田陸さんが本作で選んだのは『インディ・ジョーンズ』の世界なのではないかな……というのが漠とした印象。ヘリコプターから飛び出した二人が、手持の僅かな装備品と食料にてジャングルで生き抜いていく逞しさ。体力と知恵を精一杯使って危険を避け、慎重に行動するスリル。更に、マヤの古代文明との邂逅から洞窟、そしてルールある冒険に至る決意、そして迫力。いかにも作られたという良い意味での胡散臭さ、B級っぽさが本作最大の魅力となっている。一冊一冊は薄い文庫本とはいえ、六冊積むとそれなりの量。その紙幅を最大限利用して、はらはらどきどきを詰め込んである。また、十四歳という一人で行動できるオトナと、庇護を必要とするコドモの端境にあたる年齢設定が、絶妙な物語バランスをまた陰から支えているといえよう。その意味でもサバイバルにしろ冒険にしろ「生命力の限界を描く」といったシリアスな狙いよりもあくまでスリルとサスペンス感を重視している点が物語の受け入れやすさに繋がっている。物語の緩急が頁数の都合なのか、のんびり進む前半に比べて後半で急ぎすぎている感もなきにしもあらず。とはいえ、壮大な構想力と緻密な描写、そしてストーリーテリングの巧さは揺るがない。

個人的には六冊一気読みしたいがために、読まずに集めていたのが全て刊行された後もそのまま積ん読化していたもの。ようやく消化できて一安心。ちなみに新刊で全て購入すると(419x4+457x2)x1.05(消費税込み)で、合計2,720円必要なので実はなみのハードカバーよりも遙かにコストパフォーマンスは悪いです。ただ、分割購入できる強みってのはあるかも。


02/08/05
香山 滋「ゴジラとアンギラス」(フォア文庫'98)

原題は'57年に島村出版より刊行された『ゴジラの逆襲』。前作にあたる『ゴジラ、東京にあらわる』が、望外の好評を得たということでフォア文庫から続けて刊行された。香山滋氏が直接タッチした「ゴジラ」はこの二作まで。

太平洋上にぽつんと存在する岩戸島。海洋漁業KKのパイロット、月岡は魚群を追って島の近辺を飛んでいた。そこへ寮機である小林機が岩戸島へ不時着したという報せが入り、救出のために月岡は島へと向かう。無事、小林と合流した月岡だったが、岸壁の陰から急にもの凄い咆吼が聞こえてきた。それは紛れもなく東京を襲った怪獣、ゴジラであった。オキシジェン・デストロイヤーによって芹沢博士もろとも海の藻屑と消え去ったゴジラ。しかし止まらない原水爆実験は既に第二のゴジラを生み出していたのだ。迫り来るゴジラに恐怖する月岡と小林。彼らが「これまで」とあきらめた時、別の怪獣が現れてゴジラを襲った。戦いながら二匹の怪獣は海中へと消えていった。二匹目の怪獣は山根博士によりアンギラスであることが明かされた。日本中のあらゆる組織が全力を挙げてゴジラの行方を探った結果、どうやら四国方面に向かっていることが判明、しかしその予想を裏切って、ゴジラは大阪湾に姿を現した。そしてそのゴジラを追ってアンギラスもまた大阪に上陸する。

香山氏が創った「怪獣vs怪獣」像はいつから変形してしまったのだろう?
前作では「ゴジラ」という巨大怪獣がもたらす、どこか凶凶しい恐怖感というものをジュヴナイルとはいえ味わうことが出来た。本作は香山氏の二作目にして最後の「ゴジラ」の実作。解説の竹内博氏によれば「怪獣vs怪獣」という設定を生み出したのは、香山氏が世界で最も早いのではないか、という。 そして、香山氏の手から原作が離れた後の一時期、東宝映画のゴジラシリーズは「怪獣vs怪獣」が王道となる。しかし、怪物ホラーとしてのアイデンティティはそこで完全に崩壊する。善性を背負った怪獣と邪性を背負った怪獣との分かりやすい二元論は子供達は熱狂させたかもしれないが、本来「怪獣」という存在によって培われていた「ホラー性」は完璧に喪われてしまっている。しかし、原点ではもちろんその得体の知れない恐ろしさを倍加させようという試みが深く感じられるのだ。
さてその意味では、本作での「アンギラス」の存在がポイントだろう。アンギラスは確かに凶悪なゴジラに対して戦いを挑む。しかし、そこに理由はない。本能なのか、何か明確な運命的意志が存在するのか分からない。だけどゴジラと戦うのだ。はじめてアンギラスをみた人々にとって、この怪獣は「非常に不可解な存在」として映るだろう。そして、その「不可解さ」は微妙な緊張感を孕む。ゴジラを邪悪な存在だと知った後、無力な人々はアンギラスに何を重ねるのか……。しかし決してアンギラスは人間の味方ではあり得ない。このあたりゴジラなみの破壊活動を行わせても良かったかも、とも思わないでもないが。
そういった試みを越えて、残念ながら物語そのものはヒューマンドラマに実は最も重きを置いている。原水爆運動への反対する香山氏の立場からすれば、このような人間を登場させざるを得なかった点、理解できるのだが……。犠牲を伴う努力と根性で怪獣が倒される点については個人的には残念な気も少し。映画を見ていなくともするする読める面白さは相変わらずではある。

最近刊行された本にも関わらず、ジュヴナイルゆえなのかなかなか入手が難しいらしい。とはいえ、比較的手軽に歴史的にも文化的にも貴重なテキストを読むことができる点、(繰り返しになるが)フォア文庫の英断に感謝したい。


02/08/04
北山猛邦「『瑠璃城』殺人事件」(講談社ノベルス'02)

北山氏は第24回メフィスト賞を受賞した。受賞したのは『『クロック城』殺人事件』だった。本書が受賞後第二作にあたった。本書の直後『アルファベット荘事件』を白泉社My文庫から刊行した。(ちなみにこの文体はわざとだった)

一九八九年、日本、最果ての地にある図書館。ほとんど人の来ないこの図書館に通う少女、君代。彼女は病によって余命宣告を受ける身だった。そんな彼女の元に”樹徒”と名乗る人物が現れる。彼は自分と君代が何百年もの時の間、生まれ変わりを繰り返して出会い、そして互いに「六人の首なし騎士の短剣」によって殺し合う運命なのだという。……一二四三年、フランス、瑠璃城。巨石十字架の隣に建設された瑠璃城に住むマリィは城主ジョフロワの娘。ジョフロワに任命されたレインをはじめとする「六人の白の楯騎士団」に守られて毎日平穏な、しかし陰鬱な日々を送っていた。彼女の母親は城内で行方不明となっていたが、その当日、彼女は母親が父親と一緒にいるのを目撃していた。そしてある晩、六人の騎士団は行方不明となり徒歩では数日かかる離れた場所で、首無し死体となって発見された。……一九一六年、ドイツxフランス戦線。塹壕。フランス軍の少尉である「ぼく」は、水で溢れる塹壕のなかで来る日も来る日もドイツ軍との戦いに明け暮れる。そんなある日、塹壕で四人の首無し死体を発見、後で見に行くとその死体が消えて無くなっていた。

トリックと物語とのアンバランスは魅力? 欠点? 作者に真の実力が備われば、あるいはいつか。
まずはこの項、冒頭部の紹介文を御覧頂きたい。「○○だった」という文章をわざと連ねてみたのだが、本作の地の文はまさにこのオンパレード。幻想文学における雰囲気作り等でこのような手法を取るケースもそりゃあるが、文章のリズムもなく「悪文の代表」を読まされているような居心地の悪さを最初から味わわされる。加えて霧冷、歌未歌、といったネーミングセンスや、彼らの浮世離れした嘘くさい会話文等、ダメな人は最初の数ページでダメだろう。それは仕方ない。
ただ、ガマンして読み続けると本書が一部に評価されている理由のようなものも仄かに見えてくる。生まれ変わりをベースにした三つの物語、そしてその三つそれぞれに込められた別々の不可能犯罪。またその物語を横断して登場する「秩序を壊すために存在する」探偵等々の独特の登場人物、そして繋がりのある世界を構築する力……。
ただ、不可能犯罪の強烈さについては皆さん誤解があるのではないだろうか。こういった実現に大きな「?」のつく、豪快かつ強烈な(絵入り)手法は、いわゆる新本格ミステリ草創期前後によく見かけたタイプ。例えばレベルを100とした謎を編み出すために、150や200の労力を準備や仕込みに掛ける物理トリックを作品内に持ち込む方法は、かつて「現実無視」と糾弾されていた頃の本格ミステリの姿とダブる。最近見かけないのは、そのような批判を踏まえて「なぜそうなったのか」という辺りにまで、目配りがされているだけのことだろう。
ただ「なぜ、そうしたのか」について、本書は作品世界の成立にまつわるエピソードと絡めて説明を行っている。ただ、その世界があまりに稚拙で未熟なのだ。その未熟さが結局、独特の幻想風味を引き出していることは否定しない。ただあくまでそれは狙って創り上げた世界というよりも、結果的にここまでしか出来なかった、としか私には見えない。 冒頭取り上げた読みづらい文章、歴史的考証をほとんど感じられない過去設定。十二世紀から二十世紀まで変化のない会話文、読者に対して余りに不親切な独りよがりの世界観、タイムパラドックスについての無考察からくる違和感……。作者の頭の中では完結しているのかもしれないが、本来100、出来れば120創らなければならない物語世界が、65くらいしか出来ていないのが本作の正体ではないか。その35の欠片が、本作を「幻想ミステリ」風に見せかけている理由だと思う。

はっきりいって前作で見限っていたので購入する気はなかったのだけれど、一部サイトにて毀誉褒貶が分かれており、自分自身での確認の意味を込めて手に取った。本書を魅力的とする方の意見も分かる。ただ現段階においては(商業出版として読者にお金を出させるには)「まだまだ未完成」というのが私の結論。物語の構築にしても、トリックとの絡みにしても、才能は認める。でもまだ「短所」が多すぎる。ただ気付きたいのは、この「短所」、作者の努力いかんで後から修正が効く部分でもある点だ。特に独特の世界観やオリジナルなトリック案出等、別々に分けて取り出せば、ミステリ作家としての作者の天分は感じられる。でなければ、これだけ話題に上ることもなかっただろう。いつか大化けする可能性は秘めている。ただ、その「いつか」がこの段階ではまだまだ遠いように思えてならない。


02/08/03
島田荘司「ハリウッド・サーティフィケイト」(角川書店'01)

昨年は島田荘司デビュー二十周年にあたり、長編が二編刊行された。一つは『ロシア幽霊軍艦事件』であり、もう一冊が本書である。御手洗潔ものの重要な脇役兼ヒロインを演じ続ける松崎レオナ(作中は米国なのでレオナ・マツザキ)が主人公を務め、電話のアドバイスの形で御手洗潔も登場する。『KADOKAWAミステリ』に掲載されていた作品を纏めたもの。

ハリウッドにて大女優として成功を収めたレオナ。そんな彼女の数少ない心を許せる親友で女優のパトリシア・クローガーが胴体を切断され、子宮と脊髄を奪われるという痛ましい殺人事件が発生した。何とその殺害状況を撮影したビデオが関係者経由で警察に到着する。次に狙われるのはレオナという噂のなか、親友の死にレオナは自らの手で犯人を捕らえることを誓う。そんな折り、彼女は記憶喪失の女優志望の女性、ジョアンと出会う。ジョアンは公園で目覚め、売春をしながら暮らしていた経歴があり、そのときお腹に手術痕があり、子宮と卵巣がなくなっているという医者の診断を受けていた。レオナはジョアンからの手紙を読み、彼女に記憶喪失前発生した出来事が事件の鍵を握ると考え、ジョアンの夢である女優への道のサポートをすることを約束するかわり、彼女を側に置いて暮らすことにした。ジョアンはハリウッド俳優・女優たちの窮屈で、かつゴージャスな生活ぶりや素顔に目を奪われる。

女優ハードボイルドにして現代医学最前線。しかしてこれは現代の傑作にして未来の駄作とならないか?
作品そのものはレオナ主演のハードボイルドスリラーといった趣で進み、展開が早いのでするすると読める。(但し、文章的には読者にとり無意味な固有名詞の多用等、無駄が多く、数割は分量を減らすことは十分可能だと思う)。そして本作には、従来の島田作品になかったポイントと、これまでの流れを敷衍するようないくつかのポイント双方を有しており、それらによって今後も恐らく島田長編のなかでは異色と位置づけられていく予感がする。
まず、今まで「頭が抜群に良く容姿端麗、ちょっと気が強いけれど、寂しがりやさん」といったエピソードで語られてきた松崎レオナ像を本作にてひっくり返してしまったこと。 ファンの抱いていた彼女の偶像は地面に落とされる。しかし、あくまでハリウッドの大女優、別に我々と同じという意味ではない。金持ちゆえの気まぐれ、女優としての私生活、人格の豹変、目茶苦茶な気分屋、そして彼女の内面に拡がる限りないダークサイドへの嗜好等が明らかにされていくのだ。この辺りは「おいおい」と思いつつも却って私などは面白く読めたが、人によってはショックではないだろうか。
もう一つは、レオナに常識はずれに近い無鉄砲な行動を取らせていること。 これは作品に迫力を与えるという効果もあろうが、本作のケースでは読者に違和感を与えるという悪影響の方が強い。アングラビデオ屋、その元締め等々、アングラ、違法、暴力、欲望が渦巻く世界、一歩間違えば何があるか分からない環境に奇妙に自信満々で飛び込んで行く松崎レオナ。ポルノ等の生々しい世界の裏側を突き進む世界の美女。いねーよ、変だよ、この女。SFやファンタジーならとにかく、ハードボイルド風のリアルな世界設定のなかにおいては何か違和感を覚えてしまう。(詳しく書くと、IQ200、ロス市警にはこの事件は解決できないと豪語する人物が、我が身がどれだけ危険に曝されるかという根元的な部分を全く考慮していない点ね)。
最後に、近年島田氏が提唱している「最新科学技術」のミステリへの応用を挙げたい。この点だけ挙げれば、往年の(といっても数年前の)島田荘司の御手洗ものの長編を彷彿させる大胆なネタを使用しているといえる。作品中で述べられる学説のどこまで信じて良いものか私にはさっぱり分からないのだが、こういった世界が存在するかも……といった点を舞台設定に活かした点は評価できよう。ただ、奇妙な出来事に対する説明としては十二分に機能しているとはいえ、本格ミステリ王道としてのサプライズではないし、以前から表明しているように私は「実はそういう病気でした」というトリックは大キライなので、この点についての評価は保留させて頂く。
さらにもう一つ、最終的に明かされるあるトリックがあるのだが、個人的には「あの手だろうな」と途中から分かってしまったので……。ただ、こちらの大技に最後まで気付かずサプライズに至ることができた読者による作品評価は、またがらりと変わるかもしれない。

作品中に「後世に名を残したい」というレオナの欲望を象徴するエピソードにかつての名女優、エリザベス・テイラーとマリリン・モンローが映画の主役を争った頃の話が出てくる。当時のハリウッド女優の頂点はエリザベスで、マリリンはあくまで演技の下手なお色気女優でしかなかった。マリリンは度々エリザベスに挑戦したが、結局映画の世界においては彼女に敵わなかった……しかし、二十一世紀の現在、名前が大きく残っているという意味では、当時成功していたエリザベス・テイラーよりも遙かにマリリン・モンローの方が上なのだ。 ――これって、そのままこの作品にも当てはまるような気がしてならない。いくつもの最新科学トリックを使用して、現代読者の驚きを創り出したとしても、十年後、二十年後にこれらの技術から「最新」の文字が取れたときに、作品はどう受け止められるのだろうか。現代の読者が二十年前に執筆された○村美○らが発表していた「最新」家電をトリックにしたミステリを読むような事態と似たようなことになる可能性がある。一連の作品群がエリザベスなのかマリリンなのか。まぁ、2020年頃には分かることだろう。 (本作を離れて、ミステリ界をマクロ的にみれば、どんなに現在叩かれていても「清涼院流水」という作家は後世に名を残すかもしれないな……などとも)

かなり性的、暴力的にどぎつい描写があるため、物事を表面的にしか受け取れない健全な青少年の方には御遠慮願いたい。とはいえ、御手洗潔ものシリーズの系譜に連なる作品。私が無理に薦めなくとも、文庫化された暁には多くの人にショックを与えることになるのではないだろうか。


02/08/02
黒田研二「嘘つきパズル 究極の名探偵★誕生」(白泉社My文庫'02)

第16回メフィスト賞受賞作家である”黒田研二”氏の作風は、以前から開設していた「くろけんのミステリ博物館」における”くろけん”氏の日記他のお下劣満載の文章とあまりにかけ離れていたため、別人説がまことしとやかに唱えられていた。が、しかし、そんな黒田氏がとうとう本性を剥き出しにし、己の好む世界を存分に現したのが本作。(一部嘘入ってます)。 表紙及び作中イラストはあの魔夜峰央氏。

猿に似た顔を持つ間男(はざま・おとこ)は何の因果か絶世の美女にして元女優、真行寺麗華を妻に持つ幸福者。しかしだんだん彼女がよそよそしくなったことに焦りを覚え、南の島に皆既日食を見物に行く船旅に参加する。ところが、その船が遭難してしまい、絶海の孤島に漂着する。幸い、他の乗客数名がその島におり無人の別荘を根城に衣食住には事欠かなかった。他には筋肉質のオカマ、ゼニーちゃんを筆頭に、謎の老婆エリザベス、肉感的美女ミキ、色男タクマ、神経質なマコト、七歳の美少女ミドリ。個性豊かな面々との生活を開始して早々、彼らは人面猿を発見。高く売れるはず、と捕獲に走るが、弾みで猿は崖から落ちて死亡してしまう。その遺骸を確認しにいった先には、人間の死体が。どうやら元もとこの島に滞在していた人物らしい。消沈するメンバーを更に次なる怪異の存在が襲う。ナイスバディと老婆の顔を合わせ持つモンスターが、息子を殺したことを恨み彼らに「のろい」をかけた。幸い、そののろいの最中に落雷によってモンスターは消滅したものの、ミキとタクマは「嘘をつけない」身体となってしまう。そんなどたばたのさなか、エリザベスが何者かによって殺害される。

ようやくベールを脱いだ「ナマくろけん」。限りなくストイックな本格ミステリと限りなく下品なその世界
いやー、あまりにも下品というか下劣というか。いや、「お手軽」という形容詞が一番適当かな。黒田研二氏の「日常の妄想」バクハツの作品。 最初の段階は、あまりにも都合のいい設定が羅列されるので、既に「いいオトナ」たるこちらとしては、このまま読み進めて良いものか疑ってしまう。何の取り柄もない一般人、そして決して頭脳も面相も優れない男が、国民的女優を妻にしているという設定。更に彼が一人で絶海の孤島に漂着することはとにかく、そこにもまたナイスバディの美女がいて、主人公の妄想が妻を離れて一気にそちらに傾くという平凡さ。おまけに筋骨隆々にして性格の破綻したオカマや、見目麗しく汚れのない美少女、自らの垂れ乳を振り回す性格の派手な老婆……。リアリティはカケラもなく、今時の漫画でさえハズカシいから使わないような、別の意味で平凡で分かりやすいキャラクタが次々と登場する。人面猿をはじめとするモンスターが現れたところで、その感覚は頂点へ。でも……なんというか、日記のくろけんさんそのままやんか。
しかーし、ここからはしっかりミステリらしくなってくる。いくらこの文章が合わなくても、この内容が許せなくても、この「のろい」に出会うまでは頑張って読み続ける価値がある。「嘘がつけなくなる」という「のろい」と連続殺人事件のミクスチュア。西澤保彦氏を彷彿させるSFミステリにも近い設定のなかで繰り広げられる謎と論理の「パズル」(ミステリというよりもパズルという単語が相応しい)が実は本作の正体なのだ。 その試み自体が相当に斬新かつ大胆。作風の柔らかさにかかわらず、本質の論理性を重視せざるを得ないという不思議な構造となっている。(いや、もしかするとところどころ滑っている、いや滑りまくっている?)ベタなギャグが本質なのだ! と断言されると言い返せないな)。
モンスターの存在など論理性を超越した存在だし、好き勝手にすることもできたはずなのだが、ストーリーのなかでは事前に滞在した人物の手記やダイイング・メッセージなど、本格ミステリ的なガジェットも多用している点も目に付く。のろいはどうやったら解けるのか。殺人者は誰なのか。冒頭に多湖博士のパズルが引用されている通り、中身は「嘘つき村と正直村」のクイズを長文化したもの。 小中学生の頃に『頭の体操』に嵌りまくっていた時分の自分を思いだした。最終的に事件を解決するのが「究極の名探偵」という設定そのものは、ギャグとは別の意味で笑うしかないのだけれど、このような存在を持ち出されると、問いに対する回答が「真の意味での正解」となり、曖昧さが排除されてしまう。ゆえに「ミステリ」よりも「パズル」性が強くなっている、というのは考えすぎか。ただ、この設定そのものが思いつきなのか深謀遠慮なのか、計り知れないところが黒田作品の魅力の一つであろう。
結局のところ、何よりこのベタベタの世界を「作者が書きたくて書きたくてしょうがなかった」という願望、そしてそれが叶えられたという作者の心が弾んでいるのが、本を通じてこちらに伝わってくるのが良い。(その書きたかった内容がコレかい、というツッコミは置いておいて)。

『パタリロ!』で有名な魔夜峰央氏による表紙&イラストは作者本人と一部の好事家を狂喜させているのだが、良識的な一般ミステリファンの腰を引かせるには十分のインパクト。この表紙ゆえに手に取る新規読者と、この表紙ゆえに手に取れない黒田研二リピーターの数ってどちらが多いのだろう? といらぬ心配をしたりして。とはいえオバカな展開を楽しめる心の広い読者で、かつ本格ミステリファンであれば、ムリしてでも読む価値あり。心温まるラストなんかは、まさに「くろけん節」である。


02/08/01
森 博嗣「六人の超音波科学者」(講談社ノベルス'01)

某所で「これでも森博嗣作品は90%は読んでいる」と豪語していたのだけれど、最近追いつかなくなってきたかも。いわゆるVシリーズの七冊目にあたる書き下ろし長編。せめてこのシリーズに関してだけは来るべき(そして各所で予想されている)ラストに備えるべく、土壇場には追いついておきたいのだが……。

山奥の研究所にて開催される「パーティ」の招待を受けてドレスアップした瀬在丸紅子、小鳥遊練無の二人は、保呂草潤平のビートルに送られて会場へと向かう。その後部座席に強引に同乗してきた香具山紫子。会場は、超音波を研究する複数の研究者が常駐する巨大な建物だった。そこから帰ろうとした保呂草だったがビートルのバッテリーが上がってしまい立ち往生してしまう。そこへやってきた車はテレビスタッフのもの。何やら重大な発表が研究所でされるということの取材なのだという。人員が足りないということで成り行きで保呂草と紫子は機材の搬入を手伝うことになる。招待客や研究所の博士たちの歓待を受ける紅子と練無。挨拶に出てきた研究所長の土井博士は車椅子に乗った仮面をつけた人物で、体力的の衰えにより、手伝いの女性を通じて挨拶を行うとさっさと退場してしまう。一方、研究所の麓では、橋に爆薬を仕掛けたという脅迫電話が入り、祖父江七夏らが出動していた。ただ橋は研究所に通ずるのみで実害はほとんどないはずだったが、研究所側を七夏が探索しているタイミングで見事に破壊されてしまった。取り残された七夏は徒歩で研究所へと向かう。パーティの最中、研究者の一人が自室で殺されているのが発見される。

ようやく「森ミステリィ」の本質が見えてきた(ような気がする)
私的解釈によれば、いわゆる「森ミステリィ」には、まず叙述トリックが多用される傾向がみられる。そのため、どことなく心理的なトリックを森氏が多用されているように思えるかもしれないが、実際に検討すると意外と物理的なトリックが多いことに気付く。さらに検証すると、科学や工学の最新機材・施設やマイナーな実験設備をその主題に使い、「その知識のない」読者を幻惑することで、ミステリィとして機能させているのがその物理トリックの正体。また、読者に対する心理トリックとしては、いわゆる一般常識から外れた感覚(道徳だとか、能力だとか)を持つ人間をあたかも普通一般人であるかのように登場人物に配して、後から「実は……」とやるケースがほとんど。 逆をいえば、その「一般常識」というものが世の中にある限り、世に森ミステリィのネタは尽きまじ、ということになるのかも。
本作、どうもその「森ミステリィ」の本質が色濃く出ているように感じられてならない。
口当たりは良いのだけれど、科学的な(しかも恣意的な)設定に依存するトリックといい、関係者全員を集めるために仕組まれたとしか思えないシチュエーションといい、実に森博嗣氏らしい。フィクションである以上、御都合主義なのは当たり前。とはいえ、超音波を研究する博士たちによるパーティに紅子と練無が呼ばれるところまではいいとして、そこが「いかにも」な館構造であるとか、主催者が「いかにも」な怪しい人物であるとか、その上、保呂草と紫子が留まる、橋が爆破されて閉鎖空間に都合良く七夏がやって来る……とまで行くと、ちょっとやりすぎの誹りは免れようがないのでは。 確かにこういう施設はあるだろう。そのような実験もするだろう。そのための設備もあるだろう。偏屈な研究者もいるだろう。研究者を金持ちにすれば、それくらいに凝った技術を使うだろう、研究者には一般常識の通用しない者もいるだろう……というあたり、決してあり得ない話ではない。「森ミステリィ」としては「必然」ですらある。だけどやっぱり、それらが蝟集することに違和感を私なんぞは覚えてしまう。当然、ミステリ的にはそれらが結合してトリックを為す。それを易々と探偵役は見破る。なので、「ああ、これはやっぱり森ミステリィだなぁ」という感慨、それが私が本書から受けた全て。

結局二十冊以上を読んできて、ようやく得体の知れなかった「森博嗣」によるミステリィというものが見えてきたような気がする。シリーズを通して読まれる方は読まれるでしょうが、本書のみを無理にセレクトして読む理由はとりあえず見当たりません。