MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/08/31
片瀬二郎「チキン・ラン」(EXノベルズ'02)

第1回「ENIXエンターテインメントホラー大賞」の長編賞受賞作品『スリル』を昨年世に出した片瀬氏の受賞後初刊行となる書き下ろし長編。しかし、帯の背表紙側とはいえ「高瀬二郎」と誤植されているのはヤバイんじゃないかエニックス。

元バスケットボールの選手で優秀な会社員でもあった目黒邦彦。彼の十年越しの親友、志崎は婚約者の慶子と同棲していたが、慶子は目黒の元恋人だった。目黒は通勤電車途上で魔が差して女性の臀部を触っていたのを勇木という男に取り押さえられ、事件が会社に通報され、仕事も妻も子供も一気に喪った。志崎らに慰められる目黒だったが、駅でぼろぼろの白衣を着た謎の老人に肩を噛みつかれ、逆上して老人をトイレに引き込んでぼこぼこに殴り倒す。
警視庁の桜木竜介と和田啓一。彼らは街でナンパした巨乳美女に籠絡され一気に弱みを握られ、裏の世界の大物の指示に従うことを約束させられる。間接的な彼の指示によって向かったのは警察の死体置き場。謎の老人の死体を極秘裏に移送する手伝いをさせられるのだ。その老人はぼろぼろの白衣を着ており、口の内部が鮮やかなオレンジ色に輝いていた……。
その目黒は老人に噛まれた肩の傷が腫れてきていた。それはいつしかオレンジ色の突起となり彼の手に絡みつくように動くようになっていた。
静子は決心していた。かつて家出していた弟が戻って来た時、彼の身体は孔だらけでそこがオレンジ色に輝いていた。その翌日、不審火によって弟は焼死体で発見された。あの時何があったのか調べるのだ。彼女は弟の元彼女を拉致して関係者の名前を聞き出そうとする。その目的のためには拷問も殺人も彼女は厭わなかった……。

人間だった化け物とネジが外れた人間との最も危険なチキンレース
前作発表時のインタビュー等でも作者自身が語っていたが、スティーブン・キングの影響が文体や構成に強く感じられる。とはいっても、何かパクっているとかそんなことはなく、きっちりと独自の世界を生み出していることは間違いない。前作の『スリル』では、人間同士の訳の分からないまま進む殺し合いゲームが主眼に置かれていたが、こちらはキッチリ訳の分からないsupernaturalな怪人ホラー。
序盤は謎の老人に身体を噛まれた結果、自分の内部で発生する異常に戸惑い、困惑し、そして変質していく一人称視点での恐怖が味わえる。 一方、身内を謎の組織の実験で喪った中年女性のパート。こちらは目的のために「本当に」手段を選ばず、関係者を次々に拷問にかけて情報を得ていくおばさんの姿が、強烈なサスペンスを生み出す。フツーのおばさんが持つ狂気が発する独特の怖さ。純粋ホラーとは異なるものの、十二分に痛さが伝わってくる嫌系スリラーが味わえる。
そして後半、身体内部を覆い尽くすオレンジという鮮やかな色と、変質した人間の狂暴な意志と超絶の能力と残忍な性格に素直にドキドキ。そして「彼」にじわじわと追いかけられる後半の主人公の怯えがまた実感が籠もっている。そういったじわりとした怖さを随所に孕ませつつも、物語そのもののスピード感、ドライヴ感もまた大したもの。壊れた人間によって織りなされる、秘密の破壊と、秩序の破壊と、街の破壊。開き直りに似た奇妙な爽快感は、読者をも彼岸行きの暴走列車へと誘惑する。

終盤のスピード感溢れる人間vs人間でないモノの戦いのシーンが強烈。この激しいところが作者はきっと書きたかったんだろうな……という、なんというか作者自身が興奮していることが感じられる展開。ちょっと慌ただしい気がしないでもないが、そうでないとこの厚みを一気に終了させることは出来なかっただろう。

本作あたりはハリウッドで特撮映画になったりすると画面に映えるだろうなぁ、と迫力に浸ったまま頁を閉じた。最新CGあたりを使って作品を立体化して欲しいなぁ……。まだメジャーとはいえない片瀬氏ではあるけれど、今後の作品に対する期待も益々高まったり。どこかでブレイクしそうな気もする。


02/08/30
光原百合「十八の夏」(双葉社'02)

表題作品の『十八の夏』が第55回日本推理作家小説協会賞(短編部門)を受賞。他の三作品も「小説推理」誌に'00年から'01年にかけて発表された作品。光原さんにとって本書はミステリとしては三冊目の本にあたる。

浪人生の三浦信也は朝のジョギングの最中、川辺で座って一人スケッチをする若い女性を目にした。彼女の飛ばした絵を必死になって飛びついた信也は、ちょっとした怪我を口実に彼女が住むおんぼろアパートに招かれる。彼女に惹かれたことと、そのアパートが気に入ったことから勉強を口実に信也は部屋を借り、彼女との交流が始まった。 『十八の夏』
八つになる息子を抱えた三十五歳の男やもめ。書店に勤める水島は妻に死なれた後、自分の母親に手伝ってもらいながら息子を育てていたが、その母親も亡くなり、妻の実家のある大阪に転勤を願い出たのだ。そして彼は近所の小さな書店を一人で切り回す明日香という女性と知り合い、徐々に惹かれ合うようになる。だが彼女もかつて心に傷を負う出来事を経験していた。 『ささやかな奇跡』
劇団に電撃入団した直情径行の兄を持つ十七歳の洋二。兄はジョギングの最中、犬の散歩に来ていた女性に一目惚れ。そしてその女性は洋二の恩師である前島先生の家族である美枝子さんらしい。彼は先生が妻を亡くし、年若い芽久美を育てていることを大仰に嘆き、劇団を電撃退団して公務員になるのだと勉強まで始めてしまう。 『兄貴の純情』
家族で経営する塾講師である栂野浩介はぎっくり腰に苦しみ仕事を休んでいた。そんな折り見かけた派手な服装の女性、それがかつての教え子だった相田史香だった。昔の頃の彼女はおとなしかったが父親を不慮の事故で亡くし、更に母親と新しい家族になるはずの父親とが食中毒で亡くなるという経験から退塾していた。彼女の心の支えだった浜岡崇という幼なじみもバイクの事故で亡くなったという。彼女が塾の生徒時代に起こしたいくつかの事件を思い出した栂野は、彼女の家族の事件について何とはなしに調べ始める。 『イノセント・デイズ』 以上四編。

四つの花より印象に残るのは四つの家族。ミステリ以上にこんな「家族」の物語の完成度を称えたい
本作の看板はもちろん受賞作である『十八の夏』ということになる。美しい文章、素敵な風景、繊細な描写による登場人物の微妙な心の動き……等々、短編物語として最上の部類に入るであろうことは間違いない。ただトリックを求める立場からした時のネタ、そしてその「謎」の伏線と効果の弱さ、そして個人的に似た環境を舞台にした作品を読んでいたこと、そしてこの作品集の『十八の夏』以外の作品により感心したこともあって、正直肩すかしを食らったような――というのは、本作を読んだミステリファンなら誰でもが感じるであろうこと。ある人の言葉を借りると「『十八の夏』は雑誌掲載の時は非常に目立つ良い作品であったけれど、推理作家強化衣装(わざと)受賞作品という着物をまとった結果、ちょっとその中身より衣装の方が過分に目立つようになってしまった」もの。協会賞受賞という肩書きからくる先入観念からミステリとしてのどんでん返しを期待する向きには正直、その期待には応えられないだろう。しかし、本書を連作短編集としてトータルでみた場合に、また違った価値をもって読者に迫ってくる良作であることには恐らく誰もが気付くはず。

本書の帯には「本年度最高の感動を呼ぶ癒しの物語」とあり「四つの花が彩る珠玉の連作ミステリ」となっている。この見方は確かに間違っていないが、それが全てではない。確かに作品集として四つの花、すなわち「朝顔」「金木犀」「ヘリオトロープ」「夾竹桃」をそれぞれ短編の副主題として採用してまとめられている。しかし、その「花」という先入観にこだわらずに物語にあたると別の意味での連作テーマが見えてくる。すなわち主要登場人物たちが直面する「さまざまな形の家族のあり方」である。血の繋がらない家族、親の不実を知ってしまう子供、子供を亡くした親、両親が揃わない家庭……現代でも、実際そう珍しくない様々な家庭の情景が、作品の(そしてミステリ的な意味においても)重要な下敷きとなって存在しているのだ。その環境下に置かれた登場人物を通して、現代における家庭の絆とは何なのか、男女の真実の愛情とは何なのかを作品ごとに読者に問いかけてくる。そしてその静かな主張には押しつけがましさは微塵もない。(だから逆に物語の表面だけ読むと気付かない)。表の主題とされる「花」だけにこだわると、その作品ごとの扱いの強弱にかえって戸惑うでのはないか。

一般的に最も評価の高いのは恐らく著者が最初にこの短編集の題名として予定していたという『イノセント・デイズ』になるだろう。複雑な家庭環境とそれをベースにした殺人事件の普通さと同時に感じる恐ろしさ。少女がコンビニで万引きした箱といい、料理が得意という登場人物といい、ぎっくり腰といい、ミステリとしても物語としても伏線がどんぴしゃに効いている。前面に出て訴えてくる「家族」の在り方という主題の裏側に事件の真相があるという物語構造にも感心するばかり。ただ反面、連作短編集の主題の一つ、「花」である「夾竹桃」の扱い方が巧すぎてちょっとあざとさが見えてしまうように思うのは気にしすぎか。
一方、ミステリとしては弱いながらも個人的に直球ど真ん中ストレートが突き刺さったのは『ささやかな奇跡』の方。これはモロに私の主人公への感情移入が理由だと冷静に振り返ると分かるので、万人が同じ気持ちになるとは思えない。だが、「妻を喪った子連れの男性が、新たな女性との愛を得るまで」というそれなりに平凡な大人の恋愛テーマが「金木犀」という主題を加えることで、それまで脇役的存在だった息子の存在にばっとスポットライトが当たる変換が、実に見事。謎としては弱いという指摘もあろうが、八歳の息子の一言そのものやその意味よりも、そのゲームに没頭している息子がなぜその言葉を発したかという理由の方に感慨を得るべきだろう。「子供」というものをよく知らなければ、このようには書けまい。また関西弁の持つ直截的な表現と独特の柔らかさが、実に良いスパイスとなって効いている。

光原百合さんは名前が示す通り女性作家である。が、本書の四つの作品は全て様々な年齢の男性が主人公の視点で描かれている。その男性たちはあくまで語り手であり、知らずホームズ役を割り振られている。実際に物語を通じて事件を操るのはボロアパートに住む謎の女性であり、飛ばしまくる兄貴であり、昔大人しく派手に変化してしまった少女である。『ささやかな奇跡』でさえ、主人公はあくまで狂言回しであり、物語の本質は彼の息子が握っている。女性である光原さんが男性である「彼ら」を通じて、両性にて構成される「家族」を描くことで、男性、女性の立場に過度に偏らない普遍的で説得力ある物語が創り上げられているといえるのではないか。
こうなると本書が「癒しの物語」という帯の文句もどこか違和感を覚えないでもない。光原さんの語り口というか、物語の当たりの柔らかさにのみ目が行った結果、生まれてしまったたコピーのように思われるのだ。不幸がハッピーに転じて、良かったね、感動したでしょ、優しい気持ちになったでしょ、というほど単純な物語ではないことは読めばすぐに気付くはず。どちらかといえば、一見不幸とも見えない「家族」という存在に対し、様々な角度から光を当てることで、その有り様を浮き出しにし「考えさせる物語」になっているというのが私の見方である。

ひたすらに優しさが前面に押し出された『時計を忘れて森へ行こう』、日常の謎をユーモアと愛情たっぷりに描いた『遠い約束』といった光原さんのこれまでの作品に比べ、本書は間違いなく一つ違ったステージにある。もう三冊、まだ三冊。今後光原さんがどのような作品を編み出して行くのか楽しみで仕方ない。


02/08/29
西尾維新「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」(講談社ノベルス'02)

第23回メフィスト賞受賞作。西尾氏は'81年生まれの立命館大学生。本作発表段階で20歳……。

京都の沖合に浮かぶ孤島、鴉の濡れ羽島。日本でも有数の財閥令嬢、赤神イリアは四人のメイドと共にこの島にて暮らしている。なぜかこの島を出ることのない彼女が好むのは各方面の「天才」と呼ばれる人々。自分が出ないのであれば高額の報酬をもって呼びつけるのが彼女の流儀である。”ぼく”こと「いーちゃん」はかつて海外で英才教育を受けたこともあるが、ドロップアウトして現在は京都の大学生。幼なじみで生まれながらに青い髪を持つ「天才・技術屋」玖渚友(くなぎさ・とも)の付き添い人としてこの島に滞在することになってしまった。他には「天才・画家」「天才・料理人」「天才・七愚人」「天才・占術師」が招かれており、画家・伊吹かなみの介添人の逆木を除くと若い女性ばかり。彼らは好きなように生活し、夕食時のみ顔を合わせていた。それぞれに個性剥き出しの天才たちとの接触に戸惑ういーちゃん。我が道を行く玖渚友。そしてある晩、地震の発生と共に第一の殺人が発生した。ペンキの川の向こうに画家の首を切り取られた死体が横たわっている。なぜだか警察への連絡を拒むイリア、そして犯人探しが開始された。

明らかに次世代に属する作風・内容でありながら旧世代のミステリファンをも満足させる不思議
改めて梗概をまとめてみても、ちょいと設定に突飛な部分があるところとネーミングセンスを除けばそれほどこれまで発表されてきた、少なくとも第二世代の本格ミステリとの相違はないようにみえる。(森博嗣氏あたりだったらこういう設定を作っても全くおかしくないと思いませんか?) ただその第二世代本格のエッセンスを吸い取りつつ、自分の世代のセンスで物語を構成している点がポイント。
一世代余計にミステリマニアをやっている目で厳しく捉えれば、トリックの前例だとかキャラクタや世界設定の強引さ等ツッコミのしどころはいくつもある。しかし「そんなツマラナイこと」を本書に求めても意味がない、というのが自分的結論。ミステリとしての「謎解き」の意味での新しさは小さい。(というか、新人作品にトリックに新鮮さを求めること自体、現代既にかなり難しい) だけどそれを上回る「世界」を作品内部で形成していることが明らかなのだ。オタク文化、数々のアニメ、漫画、ゲーム、そして新本格ミステリを世代の言葉でミクスチュアすることによりこの独特でしかも懐かしい世界が出来ている。 一つ一つのパーツを取り上げると、どこか紋切り型なのに、それらの輻輳によって「西尾維新」という独特世界が体現出来ている。
……と同時に作品の中身がどこか空虚なのもまた特徴かもしれない。語り手を「戯言遣い」としていること、登場人物がどこか必ず壊れていること。彼らの吐く言葉や警句は冗談に至るまで、一瞬「お?」と思わせるいうセンスと、そしてそれがスバラシイ言葉である――という錯覚を起こさせておきながら、どこかまた空虚なのだ。だいたいが作品内でどれだけ「しょせん戯言」といわれている通り、「格好をつけた空っぽ」によって構成された世界。その空虚な言葉が連ねられることによって、空虚の外側が戯言にて埋め尽くされ「新しい形」が出来ている――自分で書いていて超分かりにくいけど――といった印象。恐らくその「戯言」によって次々と「新しい形」が生み出されることによって、前述の森博嗣氏と同様、世界に惚れ込む多数の読者を今後取り込んで行くことだろう。……恐らくは「萌え」という形で。
ただ、登場人物がどこか二次元的で奥行きが少ない点は気にならないでもない。「現在」以外を深く表現しても「戯言」になるということなのだろうか。ただ、登場人物をコマとして扱うことに長けているようなので、いわゆる「人間が書けていない」ことが、西尾世界にとってはプラスの要素になっている点でもある。つまり結局これは……「読むゲーム」の感覚か。

告白すると本書が最初に刊行された段階で手に取れなかった。興味が無かった訳ではなく帯が清涼院流水氏推薦だったため、かえって内容を疑い、思いっきり引いたのだ。ゴメン、帯が誰かなんて関係なかった。危ない危ない。取り残されるトコだった。竹氏によるイラストもよくよくみれば味があっていいじゃない。萌え系読者がデフォルトだから、これまた「必須事項」。確信的に取り込まれてみるのも悪くない。ちなみに読了する前に、既に刊行されている西尾維新氏残りの二冊、買っちゃった。


02/08/28
依井貴裕「夜想曲(ノクターン)」(角川文庫'01)

'90年に『記念樹』にてデビュー。ベタベタに本格にこだわったマニアが喜んだが、次作『歳時記』こそ翌年刊行されたものの、三作目『肖像画』が登場するまでには4年の月日が必要だった。そして、それから本書の元版が刊行されるまでやっぱり4年がかかってしまい、依井氏は「現代本格の寡作作家」の代名詞的存在となるのであった。

壮年の俳優、桜木は人の首を絞める悪夢を頻繁に見て苦しんでいた。芸能界入りする前、役所勤めをしていた頃の同期の集まりにおいて連続殺人事件が発生、自分もその場にいたことからマスコミ対策のために隠棲していたのだが、どうもその当時を含め、記憶が断片的にしか残されていないのだ。自分が警察に捕まっていない以上、犯人は自分ではない筈。しかし彼の元には「おまえは人殺しだ」と告発する怪文書が送られてきており、さらには百枚程度の長篇小説が届いていた。
その小説はその同期が集まった山荘にて発生した怪事件を主題にしており、訪れた人々が睡眠薬を飲まされた挙げ句、次々と首をロープで絞められるという事件が描かれていた。果たして、事件は誰が引き起こしたものなのか。解決編に至る前に精神的に耐えられなくなりかけていた桜木は、旧知の友人、多根井理に原稿の写しを送り、この原稿の秘密を探ってもらうように依頼する……。

本格ミステリとして大胆に過ぎる仕掛けと前人未踏の手法。ただ豪勢に過ぎるのが……
依井貴裕氏は寡作ではあるが、本格ミステリマニアの書き手として非常に評価の高い作家である。泡坂妻夫氏に奇術の弟子としても知られ、その著作では必ず「読者への挑戦」を挿入し、探偵の名前にエラリー・クイーンのダネイ・リーの名前を変形させてつけている。本書はそんな依井氏が(時間をたっぷり利用して?)、本格ミステリに対する試みを尽くした作品である。
本書の形態は自分が殺人を犯したかもしれないという人物が受け取る長篇小説が作中作として、そしてミステリそのものであり、大枠のミステリの鍵として少なくない存在となっている。本書を評しようとするにあたり、どうしてもその部分に触れざるを得ないのではあるが、出来る限り回避したうえでポイントについて述べてみたい。……が、先入観なく本書に当たりたいひとは下記は読まれないことをオススメしておく。


まず作中作となる長篇小説についても解決編のあるミステリとなっている。この内容だけをみれば山荘に集合している人々のそれぞれの登場タイミングが分かりにくいとか、場面場面に現れる人物に不自然さがあるとか、何やら会話がぎこちないこと等々の小説上の欠点があることを除けば、その一つ一つの殺人事件と遺留品を吟味することによって実に論理的に犯人を指摘することが出来る WHO DONE IT? 作品として綺麗に成立している。ただ作品に大枠がその上にある以上、それだけの作品ではないことは読者にも予感することは比較的容易であろう。
さすると、語弊はあるが「この作中作の下手さ・不自然さ」に着目するのは当然かと思われる。そこまではそれなりのミステリファンであれば当然の行動といえるし、仕掛けられたポイントを見抜くことは不可能でもない。ただ、その結果導きだされるのが本格ミステリとしてかなり類を見ない試みであることが多根井理の言葉として明かされる。文庫解説のはやみねかおる氏の言葉を借りると(さすがにネタバレ)「1+1=2」を論証しつつ、それと全く同じ論理で「1+1=2以外の数」をやってのけたのだ。ミステリにおいて、同じ事象を別の角度から捉えて異なる結果を編み出すということはどんでん返しの手法としてよく行われているし、同じ論理の道筋には、実は盲点となっている別の人物も当てはまるというケースもある。ただ、本作のように同じ論理を用いながら時系列を逆さまにすることによって別の犯人への道筋に至るという試みは、他に心当たりがない。

ただ、これだけ大胆かつゴージャスな試みが凝らされていながら、不満に思うのは大枠のなかで示される犯人像にある。毎々繰り返したくないのだが、ワタシは「実はこういう病気でした」というミステリのオチは個人的に大嫌いなので、本作の最終到達地点がかなりそれに近いことを不満に感じる。いくらフェアにそれらしき手掛かりを配していようと、特に何か恣意的な作為を感じざるを得ず、成功しているというより蛇足をくっつけて台無しにしてしまったという印象の方が強い。それにこの結果、本来評価されるべき上記の試みのインパクトが薄まってしまっているのも実に残念。

何とか回避しようとしたけれど、結局のところ本書を評するにネタバレが避けられませんでした。虫食い状態になって読みづらいことこのうえないことを反省。いろいろ書きましたが「本格ミステリ」というジャンルを愛するファンであれば、やはりまずは読んでみてもらいたいところ。2002年の現段階、依井氏唯一の文庫化作品でもありますし。


02/08/27
馳 星周「古惑仔 チンピラ」(徳間書店'00)

M(エム)』に続く、馳氏の二冊目にあたる短編集。'97年から'00年にかけて主に『問題小説』誌に掲載された作品が中心となって編まれたもの。

純粋の日本人であるにも関わらず、北京語の方が幅を利かせる歌舞伎町の中華レストランで働く武。彼は売春バーで小霏という女性と知り合い、互いに惹かれるようになっていった。 『鼬』
英語が得意なオーストラリア育ちの周家健は香港でヤクザをしていた。日本から来た大物ヤクザの娘、里美の観光案内を仰せつかり、内心を各氏ながらも丁重に案内して回る。 『古惑仔』
歌舞伎町のアジア人たちと仲の良い涼子は、彼らの頼み事が持ち込まれるのに気が重い。今日もタイから来たと言い張るミャンマー人の女性が病気だと相談を受ける。 『長い夜』
一方は福建省から蛇頭の斡旋で日本にやって来て中華料理屋で働いていた。東京の煌びやかさに魅せられた彼は故郷に手紙を書き、婚約者の淑絹を呼び出す。当初は幸福だった彼らの暮らしは一方の失業から泥沼へと転がっていく。 『聖誕節的童話』
酒と賭博に嵌ると性格がゆがむ佐藤は料理人。新宿のオカマバーで知り合った笑窪のある女性に結局カードを盗られて一文なしになった。佐藤は再び包丁を握るが、客の連れてきた秘密カジノのディーラーという女性の笑窪に再び魅せられる。 『笑窪』
福建から日本にやって来た十五人はそれぞれ連絡を取り合って来た。それから五年。そのうち五人が故郷に戻ることなく日本で死んでいった。残りメンバーとカラオケで騒ぎつつも、ある理由で心に絶望を押し隠した阿扁は、彼らの死の直前、自分が側にいたことを気にしていた。 『死神』以上六編。

決して陽のあたることのない、名も無き小さな善人たち・悪人たちへの静かなレクイエム
どんなに強い人間であっても全ての他人との関係を断ち切って一人で生きていくことは出来ない。また、恐らく人間は誰か他人との暖かな交流を心の底、どこかで望んでいる。善人はもちろん、もしかすると悪人風を吹かせている人間の方がなおさら。だから、人は他人を信じるし、信じたい時は信じようとする。それが裏切られた時――訪れる途轍もない孤独、そして闇――。その世界を淡淡と馳氏は描き続ける。
主に歌舞伎町という日本で最も多民族が暮らす地域。昨日の友人が今日そいつを売り、男と女は互いに信じ合うというフリをしつつ化かし合いを続けている。そんな虚飾と汚濁に満ちた環境のなか、人を信じすぎたり、愛しすぎた者は(特に馳作品のなかでは)必ず、その気持ちが裏切られてしまう。彼らが陥る絶望や孤独が長編、短編問わず馳作品の周囲を覆い尽くす。そして本書もまた全部で六つの絶望の物語。金を稼ぐために日本人と寝ている外国人女性に本気で惚れ込む男たち。本気でなくとも愛を囁ける女たち。日本という金のなる木に幻想を覚え、そして裏切られていく外国人たち。金と欲望渦巻く東京・歌舞伎町が映し出す眩しい幻想と巧妙な罠に、分不相応にものめり込む男と女。それまで愛と無縁だったからこそ、仮初の「愛」に縋り、そして狂う。歌舞伎町の幻想の裏側には、シビアで峻烈な現実が鎮座する。その幻想から、現実の奈落に突き落とされた時のショックもまた凄まじい。しかし、いとも無造作に馳氏は彼らの「不幸せ」そして「絶望」を描き、そしてそれを通じて「現実」を読者の前に突きつける。さあ、どうだ? これがこの世の「現実」だぜ。

全ての作品の後味は決して良くはない。だけど人間が心の隅に持っている「何か」をふるふると揺さぶっていく。 登場人物の末路はおしなべて悲惨だし、性的にも暴力的にもキツめの描写のオンパレード。それでも何故か手にとってしまうのは、自分の心の闇の部分がどこか共鳴しているからだろうか。


02/08/26
池井戸潤「銀行狐」(講談社'01)

果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞した池井戸氏の三冊目の単行本にして初の短編集。「小説現代」誌等に'99年から'01年にかけて掲載された短編が収録されている。

破綻した銀行の金庫室内部から老婆の他殺死体が発見された。顧客リストから彼女は二億円の資産を持っていたことが判明するが、その金は銀行から不自然な引き出され方をしていた。その当時、彼女を担当していた行員は謎の事故死を遂げており、警察は経緯をつかむために伝票の流れを追う。 『金庫室の死体』
銀行の支店で、閉店後に収支が合わない過払いが発覚、しかも二度目。担当係長は徹底的な私物検査を実施するが現金は見あたらない。支店内部に実行犯がいることを察知した彼は、徹底的に行内の動きを分析する。 『現金その場かぎり』
東都銀行の女性行員のオペレーションミスにより口座への振り込みミスが発覚。もみ消しのため相手先の橋本商会に出向いた行員は、その会社が幽霊会社となっていることを知る。三月末、その橋本商会の残高不足により、銀行にとって大事な顧客である横川プラスチックが不渡りをつかまされ、倒産してしまう。 『口座相違』
帝都銀行頭取宛に送られて来た「狐」と名乗る人物からの脅迫状。その直後、帝都銀行支店のキャッシュコーナーに放火が。続いて銀行の顧客流出、更に怪電話による相場取引など、次々と「狐」は帝都銀行を追い込んでいく。 『銀行狐』
渋谷や青山界隈で若い女性に対する連続暴行事件が発生。手口は似ていたが被害者には共通点は見あたらなかった。なぜ彼女たちは犯人を部屋に招き入れるような真似をしたのか。警察が必死で捜索するミッシングリンクについて二都銀行の伊木がヒントを差し出す。 『ローンカウンター』以上五編。

銀行のことを知り尽くした作家だから書ける金と企業と人の悲喜こもごも、そして罠……
公開されている池井戸氏のプロフィールによれば、氏は'88年に旧三菱銀行に入行、'95年に独立してライター・作家の生活に入ったとされている。(氏にはビジネス関連書の著作も多い)。当然、銀行の業務を手がけていただけに内部事情に詳しい。そしてもう一つ、銀行を辞めただけのことはあって、銀行という組織に対する冷めた視線をもまた持っている。銀行員であっても所詮人間。そこが本作品から醸し出される独特のペーソスの源泉になっているように感じられる。

ついでに述べてしまおう。直感的なもので恐縮だが「金融ミステリは、日常の謎の延長にある」というのは極論だろうか。企業同士のM&Aやら、役所との抗争とかはさすがに社会派の一環として扱われるべきだが、銀行であるとか、消費者金融であるとか、地方なら農協や郵便局まで含め、金融機関と無縁の暮らしを行っている人はまずいないだろう。金融は全ての人間の生活と密着しているといえる。そういった金融機関の内部、そして利用者との間にて発生する様々な謎。これは間にクッションがあったとしても、我々の生活の延長線上にある謎、すなわち日常の謎といえないか。 ついでに人死にがなくともミステリとしての謎提起は十二分に出来るわけだし。

金融ミステリをこういった角度から捉えることで池井戸氏の作品の魅力が見えてくるように思うのだ。確かに銀行員の使う用語は、一般市民には難解なものが多いだろう。しかし彼らの業務そのものは我々の生活の延長線上にある。金を下ろす、預ける。金を貸す、借りる、流通させる。 あとは、犯人がどの部分に隙を見つけて犯罪を企図するに至ったか。金が欲しい。銀行に一泡吹かせたい。銀行を利用して犯罪を行いたい。こういった古来から脈々繋がる動機のもと、現代の銀行の、金融システムの盲点とは果たしてどこにあるのか。用いられるトリックも、手段はとにかく目的は結局身近な発想から見破ることが出来る……かもしれない。ただ、本書に関してはトリックにもそれなりに力が入れられていることはもちろんだが、その「金」を巡る人々の悲喜こもごもがまたリアルに描かれており、どこか人間の本質を抉っているような鋭さをもまた併せ持つ。読み出したら、なぜだか止まらなかった。

例えば現代女子大生の日常生活よりも、中小企業の日々の資金繰りの方が、遙かにリアルに感じられるという世界に現在の私が生活しているという環境も本書の評価に微妙な影響があることは承知。ただ、金融が関わっているというだけでアレルギー的に手に取らない人がいるのは勿体ないと思うのだ。 元銀行員が語る銀行の罠。知識として知っておいて損はないし、そのうえミステリとしての面白さも含まれるとしたら尚更食わず嫌いの方に勧めたくなるじゃないですか。


02/08/25
梶 龍雄「紅い蛾は死の予告」(C★NOVELS'86)

本格推理小説にこだわり続けた作家、梶龍雄氏は『透明な季節』にて第23回江戸川乱歩賞を受賞後も旺盛に作品を発表していたが、この時期はノベルス媒体が中心となっている。本作も書き下ろし発表で文庫化もされていない……のだが、トリックに対する執念が感じられる好作品。

十八年前、実際にあった事件を幻想的に脚色して映画化を目論む松本監督の口説きに応じて主演女優の仕事を引き受けた小栗久美子は山奥の平家谷へとやって来た。平家の落ち武者を祖先とするこの地域では本家の「沼の御方」、その分家である「山の御方」が対立、いくつかのいざこざがあった後、「沼の御方」の一人娘で偏執的昆虫研究をしていた娘が密室内部で死亡、彼女を溺愛していたその主人と二人の召使いが死体と共に行方不明となる事件が発生していたのだ。やがて白骨化した死体が沼から上がり、服装の分析からその娘と断定され、村の人々は一家が娘の死を果敢なんで心中したのだと噂していた……。
事件をベースにしたホン(シナリオ)を分析していくうちに、久美子は事件そのものに興味を持ち、残った関係者にいろいろな話しを聞いて回る。しかし、そのうちに十八年前の事件に不審な点が多く残ることを発見する。十八年前と同様、紅い蛾が異常発生する谷では、事件関係者が怪しい動きを見せ始め、遂に犠牲者が現れてしまう。

くどすぎる文章にも秘密あり。カジタツ本格ミステリの埋もれた快作
本を開くと二段組みでびっしりと詰まった活字の群れ。改行の少ない梶氏の文章が特徴的なせいもあるが、昔のノベルスの内容は濃かった……などとまず思う。ナウなヤングが活躍することの多い梶ノベルス作品、あまり期待せずに読んでいたらこれがまた途轍もない剛速球の本格ミステリであった。 嬉しい驚き。これがあるから梶作品はどんなにマイナーでも止められないのだよな。
物語そのものは、ちとくどい印象が最初はある。かつて実際に発生した事件を下敷きにした映画の撮影。その主演女優が、過去の事件の謎を解き明かす……と単純にストーリーだけ書くと、どこかの二時間ドラマの筋書きのよう。また、映画の内容がシナリオにて挿入される点、実際の撮影はその断片的なシナリオによって行われるため、映画そのものが見えてこない点等、作中作として使用するにはちょっと向いていない印象がある。更に映画関係者のみならず、地元の事件関係者、その情報提供者まで含めると、ノベルスにしては異様なくらいに登場人物が存在しているのも気になるか。文章そのものは悪くないにも関わらず、物語世界へのノリという点では少し落ちる点は割り引いておいて欲しい。
その映画撮影の合間に、事件について独自の調べ物をする主人公。時に素人を装い、時に芸能人の肩書きを使い、撮影スタッフまで巻き込んで、知りたい情報は全て彼女のもとへと集まってくる。事件当時からすっかり様変わりしてしまった地元の様子。果たして娘が自殺しただけで、親と使用人が共に入水自殺など実際にするものなのか。都会に出ていた娘は、なぜ虫の捕獲に励んでいたのか。幻想的な雰囲気を映画が持つ、という設定ゆえに不思議なことを不思議なものとして片づけても、読者はそれほど怒らないと思う。しかし、読者はそう思っても、梶氏はきちんと登場する全ての事象をきっちり割り切ってしまうのだ。 解決編は予期していなかったこともあるが、感激に近い情動を感じた。あんな小さなエピソードやこんな小さな出来事まできっちりとトリックに組み込むのか……。仕事師。職人。どんな賛辞を用いても足りないくらいの本格スピリットが作品から溢れている。

 本書のメイントリックは後世、新本格系のとある作家さんが大作にて用いているのであるが、こちらの方が先に世に出ているうえ、その仕上がりやまとめ方などすっきりしているかもしれない。確かに主人公の魅力とか行動規範とかには追随できない梶氏独特のセンスがあるかもしれないが、本格ミステリとしての骨格ががっしりと存在しているため、当初は気になっていたそちらの瑕疵など吹き飛んでしまう。舞台から小道具から全てをミステリを成立させるための礎として使用するこの根性。ああ、いいものに出会うことが出来た。もし、貴方が本格ミステリファンであれば読んで損のない作品です。


02/08/24
森 博嗣「捩れ屋敷の利鈍」(講談社ノベルス'02)

講談社ノベルス創刊20周年企画特別書き下ろし、いわゆる「密室本」。それでいて保呂草潤平らが登場するVシリーズの一冊としてラインナップされているが、帯に正々堂々「西之園萌絵」の名前が。その意味では二つのシリーズが交わるボーナストラック的な一冊といえよう。

銀からの削り出しにて作られ宝石が象嵌された芸術的価値を持つナイフ”エンジェル・マヌーバ”を入手した熊野御堂氏からの招待で、保呂草潤平は彼の邸宅を訪れる。秋野なる偽名を用いている保呂草の目的は、勿論そのナイフを盗み出すこと。その日招待されていたのは、女子大学院生の西之園萌絵、そして彼女が強引に連れてきた大学助教授の国枝桃子。他、演出家の倉知なる人物も来る予定だったが予定の時間に間に合わない。もう七十を超える熊野御堂氏はその芸術品を格納するために設置したという奇妙な建物を公開する。それはコンクリートの巨大な部屋を捻って連結したメビウスの帯形状の建造物だった。内部は角度を少しずつずらした多数の部屋で出来ており、一つの部屋の片側の扉をロックすることで反対側の扉が開くという構造。最奥には”エンジェル・マヌーバ”の鎖を貫く形で柱が床から天井へと繋がっていた。翌朝、その建造物内部で死体が発見され”エンジェル・マヌーバ”が消え去っていた。更に別に建造されていたログハウスの密室内部で熊野御堂氏が絞殺死体にて発見された。

突飛な設定が却ってシンプル。バカミス風の力技と森博嗣流の緻密な技とで合わせて一本
森博嗣氏のファンの視点からみれば、本作は「保呂草潤平vs西之園萌絵&犀川創平」の視点で語られるべき作品だろう。デビュー以来築き上げてきた二人のシリーズキャラクタ(シリーズ探偵という言い方は森氏にはどうも似合わない)の饗宴にして競演。無意味とも思える巨大な建築物が登場するのはS&Mシリーズっぽいが森作品の特徴でもあるし、ありそうな美術品が登場してそれを盗み出すテクニックを楽しめるのはVシリーズの特徴といえる。泥棒であるがゆえにうさんくさい保呂草と、天真爛漫な正義の味方、西之園萌絵とで繰り広げられるのは残念ながら通常の「怪盗vs名探偵」の構図ではなく「犯罪者vs怪盗&名探偵」の図式。ラストの方では「怪盗vs名探偵」がないではないが、重点的に描かれるのはあくまで前者である。
そして同時に本書は記録に残したいくらいの「バカミス」トリックが使用されている。設定がこうだから仕方のないメビウスの輪の密室はロジックのお遊びとして楽しむべきもので、その建造物のインパクトほどには強い印象が残らない。本書の見所を独断的に評するならば、ログハウス内部の密室殺人にあるだろう。……気付けよ、関係者! 飛鳥高や赤川次郎も真っ青の本格「お家」トリック……と書いてしまうと勘の良い方なら気付いてしまうかな。だけど、二十一世紀になってこんな派手派手しくも仰々しいバカミス系トリックが人気作家の手によって読むことが出来るとは思わなんだ。これはこれで現代の新本格ミステリの読者の心理の穴を突いていると言って良かろう。まさに大胆不敵。森博嗣氏だから出来ることでもあるか。このインパクトは暫く忘れられそうにない。

一応フォローしておくと、突飛な設定そのものはいかにも森作品という感じで却って好感を覚えるし、ストーリー展開もなかなかに面白いし、シリーズとしては重要な位置づけにあることもたぶん間違いないと思う。ミステリ作品として素直に読んで、十分元は取れる。

他の密室本同様にシンプルで薄い作品。通常「森氏の作品は順番に読め」という趣旨のことをここで書いているような気もするが、ここまで来れば前作までの人間関係を超越しているともいえる。改めてみてみてもキャラクタ関係が分からない程度は本書を楽しむ妨げにはならないと思うので、「これだけでも読んでみて」と思わず人に勧めたくなる作品。すっかり喜んでいるワタシ。


02/08/23
高木彬光「妖婦の宿」(角川文庫'82)

高木彬光氏の作品は様々な形態で刊行されているが、新刊書店ではもはや購入できないとはいえ未だに茶色の背表紙の角川文庫が最もポピュラーだといえるだろう。本書ももちろんその角川文庫版で、氏の生み出した最大の名探偵、神津恭介ものばかり四編を集めた作品集。『殺人…』のみ中編で残りは短編。特に表題作品『妖婦の宿』は'49年に探偵作家クラブの余興「犯人当て」として供され、並み居る探偵小説の鬼を屈服せしめたという伝説の作品である。

新興映画会社の社長が神津恭介に俳優として映画出演を松下から口説いて欲しいと頼み込む。その晩、その社長の若き妻が短刀で刺されて殺される。社長の女癖から複雑な環境にある一家は互いに互いを憎みあう状況。殺害時刻に聞こえたカチンコの音、そして現場に残されたこっくりさんの意味は? 『殺人シーン本番』
東北の旧家では当主が次々と変死を遂げていた。それもその家の始祖が首を吊った「紫の間」が常に現場となっていた。神津と松下は現場へと向かい、実験を試みる。 『紫の恐怖』
大富豪の愛人だった美貌の奇術師が使用していたという鏡の部屋。この部屋では奇術師が時折消失して見せたという。持ち主が変わったその部屋で、持ち主の婦人が消失の魔法を見せるとパーティで言い出した。 『鏡の部屋』
あるホテルの支配人の手記。オーナーの愛人が実権を握る観光地のホテル。映画女優である彼女は稀代の妖婦であり、若い男性の愛人を取っ替え引っ替えしていた。彼女に破滅させられた一家の弟が偶然ホテルに宿泊することになり、ホテルの支配人は偽名で宿泊していた神津恭介に助けを求めた。彼女の来るその日、短刀が突き刺された彼女に似せた蝋人形がホテルに届く。神津は彼女と歓談の上、彼女の滞在する離れに宿泊、他の二人の愛人と共に夜通し廊下を見張ることを提案する。しかしその厳戒のなか、彼女は密室内部で殺人死体となって発見された。 『妖婦の宿』

高木彬光の本格探偵小説屈指の好短編。そんな世評はやっぱり伊達ではない
恥ずかしいことながら、彬光の探偵小説短編を読むのは初めてのような気がする。それがこの作品で「良かった」としみじみ感じ入った。というのも四作中三作、具体的には表題作品である『妖婦の宿』を除く三作については一言で済んでしまうから。つまり「幻想的な謎の提示は効いているが、トリックのネタ的に一発もの」 ということ。
この三作は、まずトリックになり得るネタがあり、それにいかに怪奇幻想っぽい演出を加えていくか、という印象が強い。もちろんそこにロジックやスリルなどを加える手腕は超一流なのであるけれど、探偵小説的本質部分の凄さという点では迫力がちょっと足りないかな……と考えた。ところがところが、締めくくりとなる『妖婦の宿』、これは超超超一流の短編探偵小説であった。 驚きを飛び越えて驚嘆させられる名作である。
何がスゴイか。上記もしたがいろいろと付随した実際この短編にまつわる伝説を抜きにして内容がスゴイ。短編でありながら、斬新な密室トリック、緻密なロジックによる犯人当て、読者の度肝を抜く叙述トリック、現実と幻想の入り乱れる世界……等々、長編並みのアイデアをぎっしりと詰め込んであるのだ。 そしてその一つ一つがまた素晴らしく斬新。特に登場人物の心理を読みとらなければ謎は解けないし、そのためにはあるからくりを見破らないとならないし、そのからくりを見破るためには、なぜこのような形式で書かれているのか、というところから疑わなければならない。本質の謎を解くためには二重三重のベールをはぎ取る必要がある。そしてそれらの絡み方が絶妙なのだ。発表から数十年が経過して読んでも全く遜色というものを感じさせない。強いていうなら神津恭介を自賛しすぎのあたりが鼻につくかもしれないが、現代読者にとっても必読の逸品であることは間違いないだろう。

列車の車中で本書を読んで、人目を憚らず思わず「へぇ」とか「はぁ」とか独り言をぶつぶつと呟いてしまった。歴史ミステリから仮想戦記、少年物等々、その才能は全てのジャンルで発揮されている高木氏ではあるが、やはり本質は本格探偵小説作家であることを、強く再認識した次第。繰り返しになりますが必読ですぜ。


02/08/22
奥田英朗「邪魔」(講談社'01)

奥田英朗氏はライター出身で'97年『ウランバーナの森』にて小説界にデビュー。第二長編となる'99年に『最悪』にて「このミス」7位を獲得、そして続く本作にて『模倣犯』にはさすがに及ばなかったものの、2002年度版「このミス」にて堂堂の2位を獲得した。

高校に通いながら友人達三人で遊び回る17歳の不良少年、渡辺裕輔。オヤジ狩りのつもりで襲った相手は、上司の命令で悪徳刑事・花村を監視中の刑事、久野だった。機嫌の悪い久野は襲いかかってきた三人を返り討ちにし、祐輔のアゴを殴って骨折させる。三人は逃走するが、花村は久野の監視に気付いて険悪なムードが漂う。久野は七年前に妻を亡くし、不安定な精神状態のまま仕事にのめり込んでおり、同僚は彼の一途さを気遣っていた。
一方、マイホームを取得し夫と子供の四人で平和な暮らしを営む恭子。その夫の茂則が宿直中の会社で放火が発生、消火しようとした夫が手に火傷を負うという事故が発生した。そのハイテックスという会社は、以前ヤクザ絡みのトラブルがあり、お礼参りかと捜査陣は色めき立つが、本庁の服部とコンビを組んだ久野は、事件が経理の不正操作を隠すための茂則の狂言であることを見抜く。夫の素振りや久野の動きからそれと気付いた恭子は、事実から目をそらすためにパート先の小規模のスーパーの待遇改善運動にのめり込んで行く。
花村は以前から繋がりのあるヤクザ、大倉と手を組み、裕輔に被害届を出させ、久野を嵌めにかかった。

小さな幸福・小さなエゴを守るために道をほんの少し踏み外したら止まらなくなっちゃった。暴走する小市民ストーリー
友人間でも仕事でも家庭でも、まぁ人間たるもの虚飾や取り繕いとかで罪のない嘘をつくことがあるだろう。その場限りで終わることなら良いけれど、何気ないツッコミから嘘を嘘で塗り固めざるを得なくなるケースというのも往々にしてあると思う。最初はごく僅かな嘘が、気付けば壮大なホラ話になってしまったら。どこかで「嘘でした、ゴメン」とケツをまくるか、ひたすら周囲の視線の冷たさに耐えつつシラを切り通すか。どちらにしても居心地が悪くなることに変わりはないのだが……。 本書に登場する人々も、どこかで掛け違えたボタンを取り繕ううちにドツボへと嵌っていく。 その筆致はユーモラスでも過度に悲惨でもない。どこか淡淡と「運命」を奥田氏は描く。
『邪魔』と同様、大きく三つの立場の人間が絡み合うストーリー。ただ前作ほどには彼らの関係がかけ離れておらず、比較的分かりやすい展開になっている。街のチンピラ不良少年、機嫌の悪い警察官、小心な不良会社員。このような小市民の罪、そしてその結果を描くためには日常描写の積み重ねと、そんな彼らが実践する犯罪との落差が有効で、本書もその手法を忠実になぞっている。特に圧巻なのは、家庭を守る主婦、恭子の描写にあるだろう。家庭の主婦にしてスーパーのパートというありふれた環境。最初はスーパーの内幕を描いて引き込む。斡旋販売からくる軋轢、ルーティンワーク、内輪のケンカ、社員との関係。それに突如彼女に舞い込む法律に則ったパートの雇用条件の改善という新しい動きに、夫の事件から目を逸らすために縋り付くようにのめり込んでいく様子は、人間の弱さが赤裸々に綴られているよう。また、ああいった「運動家」の方々が、どういうことを考えているのか、なぜあのような活動に入り込んでしまうのか、といった心理もどこか垣間見たような気もした。しかし、程度の軽い犯罪のために人生というのはここまで狂っていくものなのだろうか。 奥田氏の作品からは生活感溢れる様々な小市民の人生の匂いが漂ってくるにも関わらず、クライム系のエンターテインメントの貌をもしっかりと保持している。誰が幸福になれるのか、最後まで分からない。 その揺るがぬ姿勢に拍手。

前作で見られた後半のジェットコースター的なノリは影を潜め、どちらかといえば計算ずくで登場人物たちを絡ませている感じ。その分手慣れた印象が強く読んでいて十二分に面白いのだけれど、欲を言えばどこか荒削りながら強烈なパワーを発していた前作の方が私自身は好みかな。


02/08/21
吉村達也「やさしく殺して」(集英社文庫'02)

吉村氏による文庫書き下ろし作品。お馴染みの巻末吉村氏自身の著作リストにおいて【サスペンス】という項目が新たに設定されて、本書はそちらに分類されている。ノンシリーズ。

横浜にある倉庫管理会社に勤務していた角丸真理子。彼女はかつて同じ営業部に属する小野和人と秘密裏に交際していたが、ある欠点から別れることになり、経理部に属する屋敷芳樹という男性と交際を開始する。彼は実にハンサムで身体を鍛えることが趣味という男。今度は会社内で散々に交際をオープンにし事実上の婚約者となったところで、ようやく両親に芳樹を紹介した。喜んでくれると思った両親、特に小さな会社ながら営業担当役員の父親は、自分の観察眼からみた芳樹のことが気に入らない。それでも真理子は両親を説得し遂に芳樹とゴールインした。両親のいないという芳樹と真理子は、結婚式で真理子の両親に花束を贈呈、父親は涙を流していたが、それは不幸な結婚を止められなかった親としての悔し涙であることに真理子は気付いていた。そしてヨーロッパへの新婚旅行。「ちょっとヤなこと言っていい?」芳樹の一言から、真理子の地獄のような結婚生活が始まった……。

吉村達也氏が再び新境地に挑戦。こんどは純粋男女間サスペンス
『魔界百物語』のシリーズを開始するなど、従来からの本格系ミステリ中心→温泉殺人等ご当地ミステリ中心→ホラー作品の意欲的な挑戦……へと次々とメインの発表作品を変化させてきた吉村氏が、本書のあとがきにて興味深いことを発表している。今後、ミステリとホラーの二本立てだった執筆活動に、サスペンスとSFを加えていくというのだ。実はこれまでの吉村達也氏の作品売上の第一位、第二位が角川ホラー文庫の『文通』、『初恋』なのだという。にも関わらず、氏のサイトでは女性中心に「ホラーは怖くて手に取れない」という意見が相次いだ末の決断らしい。ただ、私的には上記二作にしたって原理主義的ホラーではなくあくまで厳密にはサイコサスペンスであるし、展開的には本書もそちらに近いものがあるため、「パッケージを付け替えただけ」という印象もなくはないのだが……。(SF作品は現段階未発表)。
さて、物語そのものは性格に癖のある男と結婚してしまった末に悩みまくる女性が主人公。ただこちらの女性についても、ちょっと性格に癖があるよな……と思っていたらやはりそれはそれで伏線であった。彼と彼女の合わないのに続ける夫婦生活は、確かにサスペンスの要素を孕んでいるのだが、考えようではどこにでもある光景を極端化しただけではないかという気もする。ただ、そのどこにでもある光景や何気ない日常のエピソードを描かせると吉村達也氏は抜群の腕を誇るのもまた事実。文章じたいが読みやすいこともあって、彼らの日常が切迫した雰囲気をもって読者に迫る。「珍しい姓を持つ女性が結婚でシャチハタ印がある男性と結婚したいと望む」とか、「営業上手な女性が持つ性格上の秘密」だとか細かく、かつさりげない描写で巧いなぁ、と唸らされ、彼らに設定された性格が作品内容と絶妙のマッチングをみせる。登場人物を絞っているのもまた良し。ただ、中盤の雰囲気はやはり吉村氏のサイコサスペンスとノリ的には似たものがあり、落としどころのやさしさ(ないしはカタルシスを描かず予感させるだけにとどめているあたり)で、「サスペンス」ジャンル止まりということになっているのだといえる。

あっさり手にとってあっさり読了する内容。サスペンスとしては水準作品なのだろうが、個人的には吉村氏にはこういった読者に迎合するような作品ではなく、氏にしか出来ないことをもっと追求してもらいたいと思っている。なので、(そりゃ『魔界百物語』とかさ)氏には悪いがこのような作品が主流になっていくとしたら、少し残念かも。