MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/09/10
牧野 修「傀儡后」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'02)

早川書房の『SFマガジン』誌に2000年10、11、12月号、2001年1、2、4月号の掲載された同題の作品に加筆修正を加えて単行本化したもの。邪推するに早川にて単発の単行本にすることは容易だっただろうにこの「Jコレクション」の第一期ラインナップ充実のためにこれまで引っ張られたものではないか。

隕石群の落下により大惨事が発生、一旦は壊滅してしまった大阪。その隕石落下が最もひどかった中心地から半径6キロにわたり「特別危険指定地域」として立ち入りが禁止されている。もっともこの地域に立ち入った自衛隊、調査団、一般人全ての人々は、誰一人として二度と戻ってくることがなかったのだ。またこの近辺では人間の身体がゼリー状に変化していく原因も治療方法も不明の奇病「麗腐病」が蔓延している。果たしてこの地には何があるのか。十八歳にしてカリスマデザイナーである七道貢、強大な企業を擁しながら「麗腐病」の死者の肉を好んで食す謎の二人の老人、被災後の大阪を跋扈する革新系暴力団、須仏組を束ねるサイコ組長とミイとケイという殺し屋女性二人組。役に立たない探偵、菜蛹栄太郎とその幼なじみでプリンス探偵事務所所長、涼木王児。様々な人々が集い、さらに皮膚に貼ることで強力な幻覚を獲得出来るネイキッドや、着ぐるみに入ることでその能力を獲得できるターン・スキン、会話のできる着せ替え人形、ドールプリンセス・ミカといったモノなど奇妙な道具が加わって、大阪では確かに誰かが何かを起こそうとしていた……。

エッジの効いた登場人物、煌めきとフェチズムとサイケデリックの世界。世の中は変貌する。そして何が残される?
「あらすじ」がそのまま「舞台設定」になってしまう物語。 牧野作品らしい魅力的に「壊れた」人々が次々と登場し、事実上の狂言回しが存在しないなか、着々と破滅に向かって突き進む世界。その意味ではこの「世界」こそが作品の主人公だといえるだろう。連載時から意識されていたのかいないのか、牧野氏ならではの個性を持つ登場人物が多数登場し、個々のエピソードに独特の迫力を付加している。また、ドラッグやそれに類する効能を持つ小道具、乗り物、通信手段、人形やDNA改造された非人間等々により、廃墟寸前の都市の退廃した雰囲気を醸し出しているのもまた凄さの一つ。これぞ近未来SFならではの醍醐味。五感全てを投入して創り上げられた設定に、まずはひたすら感服させられた。そしてこの世界そのものは、牧野修のサイバーSFの傑作『MOUSE』に近い手触りがある。世界はどちらも触れれば切れそうに鋭い。
だがこの『傀儡后』は、最終的に煌めきを残したまま美しく終わる『MOUSE』と決定的に異なっている部分がある。個人的にそれは欠点に思える……。というのも、物語の真相に触れるので詳しく語れないのだが、本作では最終的に世界が一つに収斂していく。その世界の動きにこだわるあまり、登場人物の役割や動きが非常に見えにくくなってしまっているのだ。個々のエピソード部分だけ読むと、様々な方面への奇想が詰まっていて面白い。しかし、せっかくこうやってプロフィールを背負って登場させた人物にろくな活躍を与えるでもなく、次々と舞台から退場させてしまっている。この結果、世界は美しいまでに創り上げられているのに、物語を引っ張るはずの登場人物の動きが散漫に感じられ、世界は心に残るのにストーリーが上っ面になってしまっているようにみえてしまう。これだけの世界ならば単純な善悪でも良し、一人の主人公に的を絞ってストーリーを創るのも良し。エピソードを積み上げるのであれば、せめて彼らに同一ベクトルを与えるべきではなかったか。

牧野氏の実力を疑おうとはこれっぽっちも思わないのだが、従って本書については「物語が世界に負けてしまった」という印象が強い。なので、ストーリーそのものを楽しむよりも、牧野氏が渾身の力を込めて創り上げた世界そのものに浸り、そのインモラルかつアブノーマルな感覚を楽しむのが正しい読み方のように思う。
なぜか本書、嵐山薫氏に借して頂いて読了いたしました。多謝。


02/09/09
氷川 透「追いし者 追われし者」(原書房ミステリー・リーグ'02)

真っ暗な夜明け』にて第15回メフィスト賞受賞後、一貫して作者と同名の探偵役「氷川透」が登場するシリーズを書き続けてきた作者が、はじめて挑戦するノンシリーズ作品。書き下ろし。

二十七歳の男”おれ”は大卒で印刷会社の営業として勤務している。”おれ”の特徴を自己分析すると性欲が人一倍強いこと。営業の本来の職務だけでなく必要上様々な業務をこなさざるを得ない”おれ”は、ある時同じ職場の同僚、香坂澄香の色気に魅せられ、そして彼女のストーカーとなった。遅くまで会社に居残ることの多い”おれ”は危険の少ない方法を用いて次々と彼女の個人データを入手する。そして彼女のディティールが見えてきたところで一人暮らしの彼女の自宅に盗聴器を仕掛けることを思い立ち、まんまと成功する。盗聴しているうちに”おれ”は彼女の電話から「モトムラハルシゲ」という人物の名前を聞き出し、頻繁に登場するその人物が気になり始める。結局、その人物のことを調べるため彼女の弟と接触を図るべく、彼女の出身地である山梨県のS市に赴くことを決める。日曜日、よりによってS市で”おれ”は彼女を目撃、そして苦労の結果辿り着いたモトムラハルシゲの自宅で男性が死んでいることを発見した……。

ちょっと類のない着眼点をトリックに昇華させる手腕はさすが。さすがなんだけど個人的にはちょっと。
一種のメタミステリ構造になっていること自体は明かしてしまって構わないだろう。作家志望の青年(これまでの氷川透氏ではない)が、ミステリ界のベテラン編集者に自作を持ち込むという趣向。その部分が作品内にインターローグのような形式で配置されている。その構造となった理由は恐らく、本来の物語である「ストーカー探偵」に仕掛けられた「謎」を解説する存在が必要であるということ。まぁ、それ以上は書かないがそういった作品である。
残念ながら本作を評するためには最低限のネタを明かす必要が生じるため、先入観を持ちたくない方は以下を読まないこと。
(ここから)
本書における叙述トリックそのものはよく出来ているといえる。読者が恐らく持っているであろう先入観――ストーカーというものの存在――を巧く活かしてある。また、一歩間違えば単なる変態(いや、一人称で書かれているためにマトモなようなみえるだけで、客観的には紛うことなき変態)である主人公の行動が実にリアルに描かれている。追う者、追われる者、両者の行動が本人達には無自覚にシンクロするという点、着眼点としてはなかなかよろしい。少なくとも、本書におけるトリックの前例がこのような形では従来なかったことだけは確かだろう。そのトリックを成立させるための記述も工夫が凝らされており、真相解明後、気になった点に引き返して読み直したが、完全にアンフェアという記述は見あたらなかった。そのトリックそのものには、気付きそうで気付かなかった(というか、一旦気付いたが「アンフェアでない記述」を勝手な思いこみで解釈した結果、自ら否定してしまった)こともあり、「瞞された」という意味では作者の思惑通り、きっちり「瞞された」ことは認めたい。

ただフィクションなので目くじらを立てる必要はないという声もありそうだが、あくまで個人的にはミステリのジャンルにおいてレイプ魔だとかストーカーだとか性犯罪を肯定している作品は評価出来ない。(トリックのネタとして特殊な病気を使用する作品と同様) 本書も決してストーカー行為に対して積極的な肯定を行っているわけではないが、少なくとも穏やかな肯定なしに本書は成立しないだろう。その取り扱い方次第、つまり深く反省させるとか、社会的な処罰を受けるとかの処理があれば、気にならなくなる要素ではあるのだが、どうもその点に関しては無自覚な印象を受けた。特に氷川氏は「本格ミステリ」を標榜する作家だと感じていただけに、こういった配慮が少し足りないように思われる点、いかにも残念な気がする。

(ここまで)

「瞞されたか、瞞されなかったか」でいえば「瞞された」。しかし、だからといって「評価するかしないか」といわれれば、上記反転文章中の理由から「評価は保留」とさせて頂くしかない。ただ、このような瞞し絵をすかっと気持ちいい別の主題を用いてもう一度やって欲しい、というのは読者としてのわがまま。


02/09/08
田中啓文「UMAハンター馬子(1)湖の秘密」(学研M文庫'02)

出版界にとって本書は実験的な一冊である。基本的に電脳上での販売を旨とする、あの「e-NOVELS」発、初の単行本化なのである。ちなみに本書は税別680円。本の形式に拘らないのであれば、e-NOVELSで税込み452円で入手が可能である。更に既に発表済みの第四話「恐怖の超猿人」を加えても税込み610円。ちなみに本書にもあるエッセイ「ベストヒットUMA」はe-NOVELSの無料コンテンツなのでタダで入手できる。さぁ、貴方はどうする?

日本でも珍しい謎の伝統芸能「おんびき祭文」の継承者である蘇我屋馬子は四十代に見える女性。太り肉にド派手な化粧とめっちゃ我が儘な性格、いわゆる「大阪のおばはん」そのままの人物である。しかしその実力は本物で杖一本で物語を語り、時に歌って人を感動させる能力は超一流。しかし彼女は、弟子で少年のような純情少女・イルカを連れて誰も行きたがらないような辺鄙な地での講演を繰り返す。その目的地の近くには必ず「不老不死」の伝説があった……。
典型的な過疎地帯にある龍鳴村。この村にある新龍鳴湖でネッシー型UMAがたびたび目撃されたことから、村ではそれをリュッシーと名付けて村おこしの起爆剤としようとしていた。 『湖の秘密』
八月の暑い盛り、徒歩で茨城県の山奥へと向かう馬子とイルカ。目的地の白弥村で開催される日本伝統芸能祭へ出場する予定の彼らだったが、どうやら馬子の目的は別にあるらしい。道程にある黒孔山は隣村の八戸村の住民により封鎖されており、ツチノコが出ると言われていた。 『魔の山へ飛べ』
不老不死の老婆が住むといわれるS県の村。彼女はキツネが住むという摩訶観山を知り尽くし歩き回るのが日課という。老婆を追って山に入った馬子とイルカは迷った挙げ句、野生のキツネの群に襲われる。 『あなたはだあれ』 以上三編に特別エッセイ「ベストヒットUMA」がそれぞれ付属する。

UMAと伝奇物語とベタベタのギャグ……全てへの田中氏の盲目的な愛と蓄積された知識が結実。軽快エンタ
実は「本格推理」に作品を発表したことがあり、ヤングアダルトの分野で活躍していた時期が長く、『水霊 ミズチ』にて一般エンターテインメントに進出した後も、ミステリ系列、SF系列、ホラー系列と様々な方面それぞれにそれなりのレベルの作品を打ち出し、最近では『かまいたちの夜2』のシナリオも手がけ……、と田中啓文氏の活躍は近年めざましいものがある。繰り返しになるが特定ジャンルに偏らないのが素晴らしく、またそれらのレベルがそれなりに揃うのはかえって恐ろしくもある。そんななか、氏の作品における特徴として挙げられるのは「伝奇」的なものへの偏愛、そして「地口」をベースにした強烈なギャグ(すべることもある)の二つになるだろう。
ジュヴナイル作家であった田中氏が初めて一般読者向けに刊行した『水霊』も伝奇ホラーであったが、氏の作品には太古の昔から伝えられてきたモノに対する畏れとか、古来の不可思議、謎についての「愛」に似た思いが感じられることが多い。その「伝奇的なモノ」と現代の荒んだ世の中とのギャップを描くのが田中氏の得意パターン。そして本書ではその「伝奇的なモノ」は未確認生物・UMAに置き換えられており、その愛情は減衰するどころか益々増大(増長?) していることが伝わってくる。いわゆる古文書や伝説の作家による新解釈は一歩間違えるとトンデモになりかねないケースが多いのだが、UMA自体が既に一種のトンデモ的存在ともいえるので、それはそれで構わないのか。これに田中氏独特のギャグを交えたストーリーが加わって、不真面目なのか真面目なのか分からない田中的世界が形成される。伝奇小説で一つ重要なのは「世界」の構築であり、それは通常、宿命を背負った登場人物だとか舞台背景などを作り込むことによって厚みを増すもの。田中氏の場合も手法こそ違え、この常道、つまり「田中的世界」の構築を非常に重要視している。
そしてもう一つ忘れてはならない本書の魅力はミステリ的な手法だろう。あくまでUMAが主題なために見逃されがちだが各編とも、後半の真相解明に向け、序盤から前半にかけて細やかな伏線が張られている。なので真相が明かされた際のサプライズも大きいし、トンデモ系と見まがうオチであっても不思議と納得感を作品から得られてしまうのだ。さりげないテクニックが作品の面白さを下支えしている。

頭の先からしっぽの先まで「田中啓文」の独壇場の世界、そして「あんこ」もぎっしり詰まっている。(鯛焼きかい)。 つまり意外性やキャラクタ、舞台や背景など全部田中氏の自家薬籠中のガジェットにて構成されているといえる。田中氏が最も書きたかった世界を、田中氏が書いた。面白くないわけないじゃない。笑いながら読むべし。


02/09/07
西尾維新「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識」(講談社ノベルス'02)

第23回メフィスト賞『クビキリサイクル』にて受賞した西尾氏の書き下ろし長編第二作。西尾氏はノベルス一冊分の原稿を一週間で書き上げることが出来るといわれており、この刊行ペースもそう不思議なことではない……とはいってもスゴイことだよな、やっぱり。

鴉の濡れ羽島の一件から二週間。京都で普通の大学生活に戻ったぼくこと”いーちゃん”は、洗練され過ぎて日常生活に支障を来す味覚を戻すため、学生食堂で一人キムチの大盛りに挑戦していた。そこへ現れたのはクラスメイトと自称するぶっ飛び少女、葵井巫女子。極端に人を覚えないいーちゃんは彼女の押しに負け、同じくクラスメイトの江本智恵の誕生パーティに招かれることになる。出席者は元ヤンっぽい貴宮むいみと、特徴のつかめない宇佐美秋春。折しも京都は連続殺人鬼が暗躍しており、全く無関係な六人が殺されていた。街を歩いていたいーちゃんは誰かに後をつけられていることに気づき、直感的にそれがその殺人鬼であると悟る。人気のない橋の下、殺人鬼と対峙するいーちゃん。戦いの途中で二人は自分たちが、鏡を隔てた表裏の存在であることに気付き、一晩語り合う。小柄な体格に顔面に入れ墨。ど派手な格好の彼の名は零崎人識。そしてやっぱり殺人鬼。 その翌日、巫女子の迎えによって誕生パーティにいーちゃんは出席。しかしその晩、主賓の智恵ちゃんが何者かに首を絞められて殺されてしまう。殺人鬼とは異なる手口。出席者全員にアリバイがある。いーちゃんは珍しくその事件に対して興味を示す。

右手で特徴的なキャラクタを生み出し、左手で彼らの命を絶つ……神様仏様西尾様
まだ二冊しか読んでいないながら、西尾作品の特徴の一つにこれまでのミステリとしての水準からするとかなり極端なまでの「キャラクタ指向」があるように感じられる。本作は、前作からは主人公以外「青色サヴァン」と「赤い請負人」の二人しか同じ登場人物を引き継いでいないにも関わらず、「ど派手な連続殺人鬼」「ぶっ飛びハイテンション少女」「骨董フリークの美人隣人」「元ヤンキーのきつめ美女」等々、極端なデフォルメを施された登場人物が次々と登場する。前作時にも触れたが、彼らにはどこかギャルゲー、ないし美少女アニメの世界を思わせるものがあり、そしてその予想もそう外れてはいまい。(少なくともそれらに触れたことのない人間には書ける世界ではない)。このマニアックな世界を「よく知る」「勉強した」というミステリ作品はこれまでもないではないが、どっぷり浸かった結果、天然で打ち出してきたというのは「初めて」ではないだろうか。
しかしその登場人物のみが本作の特徴ではない。右手でこんなに過剰なキャラクタを創り出しておきながら、左手であっさりその首をねじ切ってしまう淡泊さを西尾氏は持っている。 その淡泊さに類を見ない独創性――時代性と置き換えられるのか――があり、旧世代を戦慄させているというのが実情ではなかろうか。自分以外の人間、そして自分自身に対してさえも徹底的な無関心を貫く”いーちゃん”、例えば学生にとっての勉強だとか、社会人にとっての仕事だとか、そういう位置づけで淡淡と”殺人”という行為をこなす零崎。無条件で”いーちゃん”に対する愛情を注ぎ込める、笑顔しか知らない壊れ少女・玖渚友。そして本書でいうところの「クビシメ」事件の真犯人。彼らの行動、思考にはそれぞれ一定のルールと彼ら自身の世界観がしっかりと根付いている。 彼らにとって人の生き死にということそのものは些事に過ぎない。そしてその「人の生死など些事に過ぎない」というのが、彼らの世界、西尾世界のスタンダードであり、大きな特徴となっている。
これまでのミステリにおけるミッシングリンクテーマやサイコキラーテーマの場合、必ずといっていいほど「一見無軌道にみえる犯行も、犯人なりの論理がある」という前提で謎解きがなされ、それが一定のサプライズを生んでいた。西尾氏の作品はそんな前提を嘲笑う。登場人物一人一人に登場人物なりの論理がある。語り手や名探偵でさえ、一般常識とは異なる論理の世界で生きている。彼らの世界において動機の追求など意味がなく、それが却って奇妙な論理性を生み出している。しかしこれがまた「戯言」の極みということか。

いやとにかく何というか。私の世代からすると何かと違和感覚えまくりなのだけれど、奇妙に引きつけられる。ミステリとしてのサプライズを期待する――というよりも、どこか「怖いもの見たさ」に感覚としては近い。世界の深淵が深く見えない(と錯覚させられているだけなのかも)ように思うのは、単なるジェネレーションギャップだけではない……と信じたい。


02/09/06
高田崇史「QED 式の密室」(講談社ノベルス'02)

最近は千葉千波シリーズを精力的に執筆しているが、高田氏の本来のシリーズ探偵はやはり桑原崇が探偵役を務める『QED』シリーズになるだろう。本作はQEDの五冊目にあたる作品にして講談社ノベルス20周年記念書き下ろし「密室本」シリーズの最初の一冊にもあたる。

桑原崇と小松崎、そして棚旗奈々はいつもの店「カル・デ・サック」にて小さな新年会を催していた。奈々は同僚の外嶋一郎から持ちかけられていた「通るりゃんせ」の唄にまつわる質問「行きはよいよい 帰りはこわい」の意味を崇に尋ね、彼はその真意を難なく説き明かす。それから桑原と小松崎が何故知り合ったか、という話題に移り、そのきっかけとなった彼らの共通の友人の親族が殺されたという事件の話を聞くことになる。その友人、弓削和哉の祖父はいわゆる陰陽師の末裔で占い等を行っていたという。その祖父はある時、遺体となって密室内部で発見された。致命傷は短刀で喉を刺された傷だったが、何かが倒れる音とうめき声が部屋から聞こえてきたのだという。祖母は部屋の前で電話を掛けており、誰か通れば犯人を目撃できる立場にあった。しかし事件は解決されないまま、初七日を迎えて祖母も自殺してしまう。和哉は祖父に弟子入りしようとして断られた木村という人物が陰陽道でいうところの”式神”を利用して祖父を刺し殺したのだと主張するのだが……。

QEDシリーズならではの快感。流行の安倍晴明、そして陰陽道に隠された秘密を歴史の暗部から抉りだす
先日、野村萬斎主演の『陰陽師』を借りてきてヴィデオで観た。原作は夢枕獏氏の同題の作品。本は遠い昔に読んだ記憶があったのだが、筋書きそのものはほとんど忘れていたので新鮮な気持ちではあった。映画の出来はとにかく。また陰陽師といえば、京極堂シリーズも忘れてはならないだろう。他、大きな書店では「陰陽道コーナー」で棚が一つ埋まるほど、陰陽師&陰陽道はどこかカルトに静かなブームを、ここ数年続けている印象がある。
さて本書。密室本ということで密室殺人を中心とした本格ミステリであることは勿論なのだが、その別枠、「QED」シリーズとして歴史や常識をひっくり返すためのテーマが、その「陰陽師」の存在である。宮廷に重用されたのは何故なのか。彼らはいったいどこから来たのか。彼らが用いた術の正体とは。そして何故、晴明はじめ陰陽師には理屈では説明のつかないような様々な伝説――訪ねてくる者を予見する、誰もいないのに御簾が上げ下げされる、自ら全く手を触れずに蛙を潰してしまう――等が出来たのか、そしてそれらが半ば伝説となって現代まで伝わっているのは何故なのか。高田氏(作中の桑原が)は例のごとく、古今の文献を例に挙げ独自の解釈にて縦糸と横糸を縦横無尽につなぎ合わせて歴史に埋もれた人間心理の綾を解きほぐす。これまた、例により、お見事。 さすがに牽強付会かな、という部分もないではないが、それでも一貫した論理が貫かれており、少なくとも私は「ふんふん」と楽しく読ませてもらった。
そして、その歴史的な流れが現代に戻ってきて、密室殺人のトリックにキレイにリンクしている。 殺人事件とその解釈だけだとトンデモ一歩手前(いや、トンデモそのものか)になる可能性があったものを、至極納得行くレベルに引き上げている。これならば、殺人事件+歴史新解釈とする物語に大きな意義がある。

既に名人芸。この方のふところはしかし深く広い。決して分厚くない本書を執筆するのにどれくらいの資料に当たられたのだろうか。凡人たる私などは気が遠くなる。しかし、その作者の努力分だけかっちりと物語を面白く出来ているのは高田氏ならでは。個人的にこのシリーズは永遠に「買い」かと。


02/09/05
若竹七海「クール・キャンデー」(祥伝社400円文庫'00)

祥伝社が企画する「400円文庫」の第一期作品として刊行された一冊。括りとしては「瞠目のミステリー&ハードボイルド」に属する……といっても、この括りだと「何でもあり」という気がしないでもない。

誕生日と夏休みの初日を明日に控えた葉崎市在住の女子中学生の渚。しかし年の離れた兄貴の奥さんの柚子さんが入院先で息を引き取ったのだ。天真爛漫で無神経な欠点を持つが、金持ちで美しかった彼女が、雑誌に紹介された記事をみた兄貴の友人が彼女のストーカーとなり襲われたのが原因だった。しかも同じ頃、その彼女を襲ったというアル中の男が、道に急に飛び出してきてトラックにはねられ変死。その時刻にアリバイのなかった兄貴が容疑者として疑われてしまう。渚と母親が異なり、しかも父親は蒸発という家庭環境のなか、努力に努力を重ねて大手銀行に就職したイケてる兄貴。渚はその兄貴の無実を晴らすため、夏休みを返上して動き回るが、トラブル続きの渚に対し、友人をはじめとする周囲の目線は冷たい。しかも兄貴は自分のアリバイに関して嘘をついていたことが明らかになってしまう。

一瞬爽やか青春ミステリを期待した自分の不明が恥ずかしい。この切れ味、若竹七海はやっぱり若竹七海でした
大体が妙齢女性が主人公のことが多い若竹さん。さすがにデビューの頃は学生主人公の作品が等身大で書かれていたものだが、最近は探偵・葉村晶を主人公とする「ちょっとお姉さん」(表現が難しいぞ)の年代を描く作品が主流になっている。そんななか、女子中学生を主人公、そしてその一人称の視点にて物語を描いているというだけで、どこか特別な期待を抱いてしまう。ちょっと複雑な家庭、揺れる乙女心など……うわ、青春ミステリだよ! と爽やかな気分で読み進めた。とはいえ、物語、そして発生する事件そのものは決して浮世離れしていない。寧ろシビア過ぎるほどに現実。ストーカーに狙われた挙げ句飛び降り自殺を試みた兄嫁、小学生を狙う暴行魔、父親の失踪……そんななか、元気で明るくへこまない女子中学生、渚が名探偵となって兄貴の無実を晴らしてハッピーエンド! ……になるのなら、たぶん若竹さん以外の作家でも書ける作品になるだろう。その中学生なりの捜査の過程、兄貴が容疑者というだけで心が離れる友人、そして幼なじみ。彼女の楽しいはずだった夏休みはどうなってしまうのか。ミニ・ハードボイルド。頑張れ、未来の女探偵。……ううう?
ううう。 この展開から、若竹さんは終盤、読者にきっちり「うっちゃり」を食らわせてくれる。暗い気分にさせられつつも、これぞ若竹七海! と、どこか膝を打たされるのだ。いや確かにこれは……、ミステリファンにとっては大いなるファンサービス。それ以外の読者はもしかすると怒り出す……かも。それがどういうことかは本書を探して手にとって頂くしかない。ここでは書けませんよ、その理由は。

途中まで読んでいる段階では「湘南地方在住の女子中学生の爽やか青春ミステリ」と紹介する作品と思いこんでいたのが、「紛うことなき若竹ミステリ」にきっちり方針転換させられました。はい。 まぁでも単純なサイコサスペンスにも出来る物語をこのように表現できるのはやっぱりスゴイことかと感じます。


02/09/04
荻原 浩「ハードボイルド・エッグ」(双葉社'99)

荻原氏は1956年生まれ。'97年、第10回小説すばる新人賞を『オロロ畑でつかまえて』にてデビュー。その後、主にミステリ関係に活動範囲を移している模様。銀色の目立つ表紙にヘタウマ系イラスト表紙の本が前からずっと気になっていて、遂に衝動読み。

フィリップ・マーロウに憧れ、探偵学校に通った後、いきなり私立探偵を開業してしまう”私”こと最上俊平。元の持ち主が首をくくったという格安の元レストランを事務所兼住居として暮らしている。最初は仕事がなかったが偶然解決した動物失踪事件(というか逃げたペットを捕まえる)から、その方面での評判がたって、心ならずも「動物探しの便利屋」のような暮らしをしている。多少資金に余裕の出てきた私は、念願の秘書を募集。「綾」と名乗る女性から送られてきた履歴書とナイスバディの水着写真に瞞されて電話で採用をOKしてしまって、やって来たのは齢八十を超えるお婆さん。クビを申し渡したいところだったが、確定申告の書類をまとめてくれたり意外と実務能力に長けているように思えたため、(後でクビにするつもりで)試験採用をOKし、懸案だったイグアナの捜索を続けていく。そんな彼らの元に舞い込んだシベリアンハスキーの捜索依頼。この一匹の犬を巡って、彼らは思わぬ大冒険に巻き込まれてしまう。

自己ジャンルのセルフパロディで笑わせておいてラストでドキドキ、そしてほろりと涙
実は本当にイラストと題名にのみ惹かれて手に取ったため、荻原氏及び作品に関する予備知識ゼロで読み始めた。そういえばこのミス座談会に出ていたっけか……程度。探偵に憧れるも現実とのギャップに悩む主人公の物語、冒頭を読み始めた時はマーロウ気取りの喋りと容赦ない現実に打ちのめされる姿に、樋口有介氏の某シリーズを思い出させられた。ただ、半ば瞞され八十過ぎの婆さんを相棒に雇ってから展開が変化。噛み合わない会話、現実を認めない探偵と現実さえみえない婆さんのコンビにくすくす笑いを取られてしまう。ハードボイルドの定石を知っておくにこしたことはないのだろうが(チャンドラーのパロディも多いし)、恐らく作品初対面の人でも「おかしさ」を感じることは間違いない。笑いというほどの爆笑シーンが連続するわけでもないが、これはこれで良い雰囲気だろう。文体はちと読みづらいが。
本作が一変するのは「チビ」という名の巨大ハスキー犬を知恵と涙を振り絞って捕まえ、依頼人に受け取ってもらえなかった結果、「柴原アニマルホーム」というペットにとっての駆け込み寺が登場した後。ここからが本書の真骨頂だろう。のんびりした表面上のお間抜け冒険とそれを見守る人々という構図が一変していくのだ。この展開の裏切りがそれまでの文体さえもをトリックとして大きな意外性を生んでいる。(なので、途中で投げ出すこと厳禁) ラストのアクションシーンを終え、事件を解決した探偵が待ちかまえていたのは……。意表を突く形で涙腺が突かれる。荻原さん、ずるいっす。
どうしても現実とのギャップに苦しむ主人公に眼が行きがちになるが、八十過ぎで孤独をかこつ婆さんだとか、大量の動物を世話しながら資金繰りに苦しむホーム運営の夫妻だとか、渋いバーを経営したいと思いつつ奥さんの意向を断れないマスター「J」だとか……、全ての登場人物が理想と現実のギャップに自覚せずとも悩み苦しんでいる。 そのテーマが本書をミステリとして遠くから俯瞰した際に、大きな意味を持つ。意外な事件の真相、涙を誘うラストシーン。物語全てが理想と現実の狭間に揺れる人々の心の中にある。

最近、名探偵やハードボイルドといったミステリジャンルのセルフパロディに危機感を覚えるシーンが増えた。ベクトルが内向きになると世界は収縮していくのが通例。しかし、本作はそんな懸念を吹き飛ばすパワーを持っている。それにセルフパロディそのものが目的ではなく、理想と現実というテーマがそんな小さなこだわりをしっかり凌駕している点に素直に好感。少なくとも他の作品に手を伸ばしたいという欲求が掻き立てられた。


02/09/03
浅暮三文「石の中の蜘蛛」(集英社'02)

ダブ(エ)ストン街道』にて第8回メフィスト賞を受賞後、『カニスの血を嗣ぐ』『左眼を忘れた男 I wanna see you』などファンタジーとハードボイルドの融合を目指して独特の世界を紡ぎ出す浅暮氏の五冊目の作品。書き下ろし。

楽器の修理を生業としてひっそりと暮らす立花。彼は中学生の頃、母親を自殺に追い込んだ父親を金属バットで衝動的に殴り殺したという経歴があり、その罪を償った後、人とあまり接しないでも構わない職業を選んでひっそりと生きてきた。立花は、それまで住んでいた八王子から都内の完全防音を売りにした杉並区内の物件を不動産屋と見学に来ていた。彼はそのマンション1Fに付属している庭で不思議な石を拾う。10センチ程度の大きさのそれは見かけより軽く、中でかさかさと音がした。前の住人が置いていったものなのだという。そしてそのマンションから外に出た途端、走ってきた白いセダンが立花をはねて走り去った。……幸い立花は軽傷で済んだものの、その事故以来聴覚に異常が発生していた。音に対して敏感になって頭の中に洪水のように全ての音が雪崩れ込んでくるのだ。防音を徹底して引っ越してきたマンションで眠りについた立花は、女のシルエットを夢にみた。そして彼は直感的に白いセダンは自分を狙ったもので、この女と関係があるのではないか、と気付く。彼は新しく得た聴覚を利用して、その女のことを調べるため部屋を調べ始めた。

SF感覚のハードボイルド狙い……が、どうも本作は電波系ストーカーストーリーになってしまったかも
ハードボイルドの定義は人によって異なるだろうが、一人称の硬質な文体、主人公が持つ一本筋の通った人生観等、本書は一般的なそれを満たしているといえる。文体は”ハード浅暮”がこれまで体現してきたエッジの効いたものだし、親殺しの過去を持つ主人公の人嫌いと人生に対する諦念の描写については徹底されており、下手に感情移入すると主人公の鬱が移りそうなくらいの渋さを醸し出している。そして、本作の最大の特徴は「音」に対する特殊能力であろう。異様に聴覚が鋭くなりすぎた結果、それが視覚としてまでも意識されるに至る主人公。研ぎ澄まされた鋭敏な聴覚は、世の中全ての事象を音をもって理解するに至る。このアイデアは、恐らく「嗅覚」が鋭敏に過ぎるようになった主人公を描いた『カニスの血を継ぐ』の段階で既に暖められていたのではないかと想像される。簡単にいえば「聴覚」ハードボイルドということ。

その「聴覚」への徹底的なこだわりは明らか。文章からは直接表現できない「聴覚」の世界をいかに巧く読者に伝えるかに腐心した後がなみなみとあり、それは少なくとも成功している。なので設定は万全に過ぎるほどで、そのディテールも各所で徹底している。子供の声から車のエンジン音に至るまでありとあらゆる音を感触や形に変えるイマジネーション。更に、部屋に残る前の住人の「音」による痕跡だとか、更にその痕跡から立体イメージをつかんでいく様子だとか、執拗、そして病的とも思える描写が続く。
一方で、ハードボイルドを引っ張るための物語の謎が今ひとつ弱いのが本書の弱点。主人公が車に跳ねられた。前の住人である女性に関係があるらしい……という辺りから読者の興味を引っ張り続けるのは正直、ちと辛い。主人公の内向的性格と相まって、動機が弱いのに「まだ見ぬ女性」を追い求める主人公の姿は「一途」が過ぎてストーカー的でさえあり、そしてその結果もかえって予想出来てしまう通り。その為、鮮やかな爽快感もハードボイルドならではの寂寥感も味わえない、後味の悪いラストとなってしまっているのがいささか残念。

せっかく全く新しい世界の構築に成功しているのに、それが物語の方にうまく活かしきれなかったという印象が残る。月並みで平凡な物語を嫌い、そこから脱却を目指したものであれば、それが悪い方に出たのではないか。ただ、この新感覚ハードボイルドそのものの発想、そしてそれを実現させるだけの筆力は持った方なので、今後また挽回があることは間違いないだろう。


02/09/02
福澤徹三「怪を訊く日々」(メディアファクトリー'02)

メディアファクトリーによる新しい叢書である「怪談双書」は、その名の通り? 現役の怪談作家(定義が不明だが日常の怪談系ホラー作品を上梓している作家、ということか)による、フィクション抜きの「現実」の怪異譚集。本書が第一弾で加門七海さんが『怪談徒然草』という作品を同時刊行している。企画・編集は作家でもある三津田信三氏。

ホラー作家である福澤徹三さんがこれまでお知り合いの方々から訊き集めた奇妙な話、怖い話を再現して綴ったエッセイ集。いわば『新耳袋』と同じ形式の作品ではあるが、木原浩勝さんのように第三者から集めた怪談を手慣れた流儀で再生するのとは、その体験者との距離の近さゆえか(そして北部九州近辺という限定された地域性故か)また少し異なる手触りを持っている印象。作品それぞれはごく短い頁にまとめられており題名を記すに留める。
一『忘れられた記憶』「鳴き声」「祭壇の顔」「踏み切りの女」「三面鏡」「花嫌い」 二『怪の棲む場所』「スタジオ」「霧」「借家」「コンビニの女」「客の背中」「炭坑」「刀」「黒い羽織」「水しぶき」「ガードレールの女」「銀杏の樹」「湖」「悪い土地」「骨の上には」  三『怪を見るひと』「女の影」「顔」「青いスカート」「髪の毛」「叫ぶ父」「やまにある」「美術館の男」「三つの顔」「猫の来る庭」「ほんとうの娘」「怪談麻雀」「祀られた車」「チューブラベルス」 四『学生時代』「階段の少年」「水面に立つひと」「天井の染み」「倒れた墓」「線香の匂い」「廃校」「記念写真」「蛇」 五『怖い宿』「光の玉」「壁際の布団」「歌声」「経の壁」「戸棚の中」「孤島の宿」「琵琶の音」 六『再会』「誕生日」「白い猫」「俺が殺した」「七五三の写真」「優等生」「緑色の男」「帰ってくる祖母」 七『夢』「当たるな」「けがでいく」「小指をくれ」「葬列」「おまえをつれていく」「津波」 八『いにしえの怪』「人柱」「井戸の男」「水浴び」「踏絵を踏んだ男」「鬼」 九『タクシー』「足跡」「相乗り」「偶然」「異臭」 十『酒場にて』「解体」「人形のある店」「常連客」「赤い眼」「廃ビル」

実話系の怪談が、時にめちゃくちゃ怖い理由について少し考えてみる
実のところをいえば、ホラーはフィクションに限ると思っている。怪談もフィクションとしての挿話(そう、これまでの福澤作品のように)として扱われているケースではどきりと怖いことはままある。ただ似たような話であっても「これは実際にあった出来事です」と言われてしまうと、途端に眉につばを付けてしまうような読者なのだ。私は。実話怪談の場合はどこか「構えている」がために、自身の心に素直に怖さが浸透してこないことが多い。
現代に根ざす怪談系ホラーでは現役で実力ナンバーワンと(勝手に思っている)福澤氏の作品でなければ、恐らく私が本書を手に取ることはなかっただろう。そしてちょっと意見を改めることにする。やっぱり実際にあったとされる怪談も、怖いものはめちゃくちゃ怖い、と。

例えば「孤島の宿」。これは観光地の小島のサービスが悪いうえ不気味な雰囲気を持つ宿の話。ディティールだけみると下手すると笑い話になる奇妙ささえ持っているが(朝ご飯が前の日から用意されているとか)、それらの事実以上にその宿に宿泊「せざるをえない」という「檻に囚われる」という恐怖感が喚起される。ただ、これはフィクションの怖さに近いものの例。本当に驚いたというか、実話怪談が凄いなと思うのは「水面に立つひと」に登場する男と女の特徴であるとか、「戸棚の女」の棚のなかにいるものであるとか、作家が想像力で書くものを凌駕する異常さが時折話のなかに現れることだろうか。創作とは何の関連もない人が唐突に味わう、変てこな経験。夜道を歩いていて後ろを誰か人間がつけてくる怖さよりも、影だけの存在がつけてくる怖さ。想像していないところに横から不意に現れる怪異。怪談集を読むと類型の枠からはみ出してしまっている話が必ず含まれており、それがまた新たな恐怖を呼ぶ。 (逆にいえば、手あかのついた類型に属する話はいくらよく出来ていても、消化されている以上、それほど新たな恐怖を呼ぶことはないのだが)。

とはいえ、真に怪異譚が心に染みいるのは、読んだ後、話そのものさえ忘れかかっている時分、ふと自分のいるシチュエーションだけが「あの時読んだ話」と同じ状況じゃないか――と思い出した時にぴりぴりと感じる「思い出し怖さ」にあるようにも思う。(結局これは子供が「夜一人でトイレに行けない」のと同じことか) ただ、ふと夜中一人でいる時に「全身がアンテナになる」ようなぴりぴり感。これは怪談と触れることでしか培えないのではないだろうか。読んでいる間よりも、読み終わって遙か後に味わう恐怖を怪談集は提供してくれる。 個人差はあるだろうけれど、怪談好きの方ならまず迷わず手に取って損はしない一冊。福澤テイストもじっくり味わえることだし。


02/09/01
島 久平「島久平名作選 5−1=4」(河出文庫'02)

昭和三十年代に活躍した探偵小説作家のなかでもそのマニア間での評価の割に単行本が少なく実際に読むことがほとんど不可能という作家の一人、島久平。光文社文庫の本格推理マガジンの一冊として刊行された変則アンソロジー『硝子の家』が、復刻では異例のことながら'98年度版「このミス」で十七位にランクインしたことからも、その評価の一端が伺える。本書は、島氏の単行本未収録の短編・中編を合計十八編収録しており、そのうち十七編が島氏のシリーズ探偵である「伝法探偵」ものとなっている。

喫茶店で発生した銃殺事件。黒い外套にマフラーという犯人の特徴から街のチンピラが犯人として有力視されたが……。 『街の殺人事件』
実業家が身の危険を覚え伝法探偵に警護を依頼するが、伝法は有事の時の犯人解決のみを引き受ける。かくしてその実業家が殺され伝法が出馬する。 『雲の殺人事件』
犯人を指名して絶命した実業家。その犯人にはアリバイが。実業家の娘は犯人を知りたいと伝法を訪ねるが……。 『心の殺人事件』
伝法を訪ねる銀行の守衛。彼の弟が自分の勤める銀行を襲撃するらしいので阻止して欲しいと頼むが……。 『夜の殺人事件』
和歌山県下に避暑に訪れた伝法探偵の一行。その村で起きた友人同士の争いについて安楽椅子探偵を披露する。 『村の殺人事件』
都内の薬局店を訪ね、女店員に未遂に終わった毒入りチョコレートの事件を話出す。果たして伝法の真意は。 『兇器』
一人の若い美人を巡ってさや当てを繰り広げる男たち。結果発生した殺人事件。だが容疑者には奇妙なアリバイがあった。 『白い野獣』
街のチンピラが殺され、一人の男が逮捕された。彼は伝法に弁護を頼むが、誰か女性を庇っているのか真犯人を挙げる必要はないという。 『男の曲』
無気力な男性が神戸の街で受け取った酒場のマッチ。その女性に惹かれた彼が酒場に行くと女はそのマッチを取り返したがり、男は何者かに拉致されてしまう。 『椿姫』
画家にヌードを頼んだ成金とその情婦が殺された。錯綜する人間関係と愛情のなか、伝法探偵は一年かけて真相を解き明かす。 『雁行くや』
老舗薬屋の当主の妹が失踪。夫人が伝法探偵に捜索依頼をするが、伝法の腕を疑う当主が取り消してしまう。伝法は勝手に捜査を開始する。 『わたしは飛ぶよ』
富豪がその息子の運転する車で山道を走っていたところ、突如現れたルンペンに縛り上げられ崖から車ごと突き落とされた。息子は死亡、犯人は富豪に止めを刺すことなく立ち去った。 『三文アリバイ』
おんぼろアパートの密室で女性が青酸カリを飲んで死亡。夕刊紙は自殺説と他殺説に分かれて論争。噂が消えた頃、同じ手口の第二犯が発生した。 『犯罪の握手』
離婚したうえ後妻と結婚している元亭主宅に平気で顔を出す若妻が失踪。彼女の新しい夫が探し回った挙げ句に伝法探偵に捜索を依頼する。 『鋏』
劇団の出演を種に次々と女性に関係を迫る男がホテルにて殺された。彼にホテルに連れ込まれた女性が疑われるが……。 『悪魔の愛情』
悪徳弁護士が白昼堂々仕事場にて殺された。彼との面会待ちをしていた面々のなかには伝法の姿も。彼らが疑われるが皆、弁護士に脅迫されており動機があった。 『5−1=4』
商事会社に勤務を開始した暗い影を持つ青年、三郎に惹かれる敏子。しかし彼は「悪魔の手」につきまとわれているという。彼が女性とホテルに入るとその女性の愛人が現れるのだが、三郎が手を出していないに関わらず愛人は背中に突き刺さったナイフで絶命してしまうのだ。女占い師・品川光子が快刀乱麻の活躍。 『悪魔の手』
若い女性が走行中の車から硫酸をかけられ顔面に火傷を負う事件が発生。事件と、その車に乗った犯人らしき「赤いベレー帽の女」を目撃した新聞記者・小杉は女性を医院に運び込んだ後、彼女の持っていた名刺を頼りに別の女性宅を訪問する。赤いベレー帽の女がその家に入っていったが、なかでは彼女の母親が巨大な大理石の時計にて殴り殺されていた。小杉は現場で古びたネジを拾い、ポケットにしまい込む。 『女人三重奏』 以上十八編に編者である日下三蔵氏の解説、及び著作リストが付録される。

伝法探偵の不思議な心遣いが心地良し。これが島久平の味なのか。堪能
「警察にまかせておきなさい」
伝法探偵のところに依頼を持ち込んだ人間は(それが警察そのものであってさえ)伝法探偵にまずこう言われる。腕は確かで頭脳明晰な伝法探偵に解決できなかった事件はない。しかし、伝法探偵はそれゆえに事件の解決が関係者の幸福をそのままもたらさないことを知っている。それゆえになかなか事件に乗り出さないし、事件そのものの法律的に正しい解決というものにもこだわらない。風俗を描くに長けた島氏が醸し出す独特の世界と、伝法探偵の頭脳。これがこのシリーズの味わい深さを形作る。本格ミステリとして上々のトリックが込められた作品も多々あるのだが、気付けばトータルとして伝法探偵という人物の良さが強く出ている作品の方により強い印象が残っている。ミステリを読んでトリックがどうしようもない作品で、仕方なく別要素を面白がることはあっても、こういった本格流儀のトリックがきっちりした作品がある作品集において、そのきっちりしたものよりも別要素の方に強く惹かれるというのは希有の体験かもしれない。
一つ特徴的なのは風俗系など水商売の世界を描いておきながら、崇高な愛のために殉ずる人々が多く描かれていること。そして伝法探偵(=島久平氏?)の彼らに対する眼差しが暖かいのだ。また関西を中心とした風景の描写からは、私など特にどこか懐かしい気分を感じさせてもらった。語弊はあるかもしれないが、中央の売れっ子探偵小説作家には出せない味わいが作品のかしこに潜んでおり、それを噛み締めることに快感を覚える。
事件そのものは地味なものが多いながら、仕組まれたトリックには様々なパターンがあり、本格推理小説として楽しむのが王道だろう。 伝法探偵大活躍といった趣きがありトリックもしっかりした表題作品『5−1=4』(特に伝法探偵の真ん前で犯罪が行われるというスリルがたまらない)、緻密な伏線が味わい深い『鋏』、そして新聞連載小説らしいサスペンスと伝法探偵らしい謎解きが堪能できる『女人三重奏』あたりがその意味では印象に残る。また、本作中唯一伝法探偵が登場しない『悪魔の手』は、サスペンス重視の展開と女探偵の不思議な魅力とが相まって、いわゆる「探偵小説」らしいドキドキ感覚を味わえて楽しめた。一つのトリックを巧く作品に活かしたものが多く、ちょっと考えると真相は見抜けるケースもあるのだが、それにしても物語に潜む愛憎関係だとか、微妙な心理だとかの掘り下げに味があるので物語の興味が失われるものではない。そんな味わいが十八編も一冊で楽しめるのだ。ごちそうさまでした。

河出文庫の好企画、戦後作家の埋もれた名作を復刻させる「本格ミステリコレクション」も本書で5冊目。第6のは鷲尾三郎で一旦完結とのことだが、第二期も是非刊行を続けて頂きたいと切に望むものがある。本書など「まさに埋もれた名作」そのものということでもある。