MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/09/20
芦辺 拓「怪人対名探偵」(講談社ノベルス'00)

題名だけ見ると現代を舞台にしたものとは想像し辛い面もあるが、講談社ノベルスでは三冊目となる、れっきとした森江春策シリーズの長編作品。

下手な梗概をつけるよりも、芦辺氏による「あとがき――あるいは好事家のためのノート」の一部を転記した方が作品紹介としては分かりやすいと感じるので。キーワードの羅列となるが、じっくりとまずは見て欲しい。
「仮面にマントをまとった怪人、黒い魔物、怪奇な屋敷にさらわれる少年、責めさいなまれる囚われの美女、奇妙な間借り人、謎めく新聞記事、明察神のごとき名探偵とその助手、敏腕の新聞記者、好人物の警部さん、時計台への磔、気球を用いた絞首刑、衆人環視下のバラバラ殺人、汽船への監禁と脱出、いまわしい過去の罪悪、マネキン人形、劇薬タンク、大観覧車、遊園地のパノラマ、焙烙の刑、怨みをのんだ骸骨、恐ろしい殺戮計画、少女に迫る悪魔、あっと驚く変装名人、探偵が仕掛けるちょっと卑劣な罠、燃え上がる西洋館――そして全員そろっての大団円!」
まさにこんな手に汗握り、見せ場たっぷりの大長編。

歴史的な怪作! 現代を舞台に蘇る「通俗探偵小説」はこれほどまでにエキサイティング!
いやはや。
現在の若いミステリファンのうち、何%が乱歩作品を体系的に読もうとしているのかは分からない。ただ恐らく放っておいてもミステリが書店に増殖していく現在、過去作品に目を向けようという(マニア以外の)読者は少数派であることは想像に難くない。通俗ものといえば乱歩だが、甲賀だって角田だって大下だって大人向けの通俗探偵小説など山ほど書いているし、少年ものまで含めれば、実に多くの作品がこの世に存在する、いや存在した。しかし、春陽文庫の探偵CLUBさえも見かけなくなり、まともに書店で入手出来る通俗探偵小説は、事実上乱歩作品のみ、というのが現状だろう。しかし、インターネット上でも一部の古本マニアが狂喜しているのをみれば分かる通り、大人向けの通俗探偵小説というのは単純に、そしてめちゃめちゃ面白いのだ。

入手面でいえば「滅び行く」という形容詞しかなかったこの通俗探偵小説を、現代のしかも本格ミステリとして蘇らせようという試み、これを思いつきこそすれ、実行してしまうのは芦辺氏くらいしか現代本格ミステリ作家のなかには見当たらない。そして、なんといっても独特の「味わい」をしっかり保持しつつ、きっちり本格ミステリの伝統をも取り込んでいる点には注目しておきたい。ただ、この作品の場合はその「味わい」が強すぎて、本格ミステリの部分が目に付きにくくなっているきらいはある。それはそれでも構わない。この超絶なリーダビリティこそが通俗探偵小説が持つ個性の一つなのだから。
必要なのは「怪人」そして「名探偵」。怪人はあくまでこの世を恐怖させる存在でなければならず、残酷で人目を引く犯罪を繰り返す。(現代に蘇らせた結果、サイコっぽい存在になることは致し方あるまい) 一方の探偵は怪人と向き合い、罠に落ちたり、罠をかけたりと推理だけでなく自らの身体を張って(でも犯罪の多くは阻止出来なかったりする)正面から戦いを挑む。ラストは大団円でなければならないが、探偵が「さて」といって謎解き出来る落ち着いた雰囲気ではなく、必ず最後の危険な罠で怪人を陥れるのが王道。……それをまぁ、律儀に作品内部で再現していること。それに加え、現代を舞台にするにあたって可能な限り、現実的な場所を使用したり、その理由の説明を試みている点、大いに苦労があったことも推察される。ただ、その努力が作品内部でしっかりと実を結んでいる点に素直に感心した。そもそも探偵小説は一気読みさせなければならないという大命題をクリアしていることが何よりも嬉しい。

扉絵を開けてすぐの「探偵小説マニア」喜国雅彦氏のイラストも往年の探偵小説を思わせ、思わずニヤリ。肩は凝らないが、どっぷり浸かれて、そして本格ミステリ。同じ親から生まれた微妙に異なるジャンルが結託した奇跡のような作品。なんで今まで読んでなかったんだろ。古い探偵小説しか目を向けていない往年のマニアの方にも是非手に取ってもらいたい。


02/09/19
西尾維新「クビツリハイスクール 戯言遣いの弟子」(講談社ノベルス'02)

「講談社ノベルス創刊20周年記念」メフィスト賞作家書き下ろし「密室本」の一冊。第23回メフィスト賞を『クビキリサイクル』にて受賞するや「戯言シリーズ」が瞬く間に大人気を呼んでいる。今年受賞しながら既に三冊目という超ハイペース刊行の三冊目。

前回の事件のあと、平穏な暮らしに戻っていた”いーちゃん”の許を再び”人類最強の請負人”哀川潤が訪れる。……スタンガンによって数日分の記憶を失ってしまった”いーちゃん”は、女子校の制服姿に女装させられ、哀川の車で私立澄百合学園へと向かっていた。超がいくつものつくお嬢さま学校にして、制服マニアの玖渚でさえ制服が入手できないという強烈な管理体制の学園。そこにいる紫木一姫(ゆかりき・いちひめ)をその学校から連れ出して欲しい、という哀川の依頼により、”いーちゃん”は偽造学生証にて学園に潜入する。あらかじめ準備されていた学園内地図により、首尾良く彼女との待ち合わせ場所である「2−A」の教室に辿り着いたものの、気配を消した何者かにより背後から凶器を突きつけられてしまう。まぁ、その彼女こそが紫木一姫であったわけで、なぜか”いーちゃん”は彼女から「師匠」と呼ばれることになる。教室から出た直後、彼女は「見つけた」という声と共に女子生徒に襲われる。彼女は学園内で「指名手配」されていたのだ。そして”いーちゃん”はこの学校が内部的には《首吊高校》と呼ばれており、殺人や謀略を学習が日常的に渦巻く価値基準に支配されていることを知る。

二十一世紀に蘇る戯言忍法帖? 全く新しい価値基準を打ち出す謎々エンタ
密室本だけに本書も密室が取り上げられている。森博嗣もかくや、と思わされる掌紋判定ロック機能のついた強烈な密室にて発見されるチェーンソーで切り刻まれたバラバラ死体。見かけが派手なだけでない。この密室の作り方も凄いし、密室作成の理由も凄いし、殺人方法の理由なんかももの凄いんだけど、作品全体が派手派手しく突き進むため、事件自体がなぜだかもの凄く地味に見えてしまう。だけど、本格ミステリの原理主義者からしてもサラリと描かれるこの密室には要注意……。かなりキチンとしている。
とはいえやっぱり目を奪われるのはストーリー。『バトル・ロワイヤル』や風太郎の忍法帖の世界くらいでしかみた記憶のない「殺人教育学校」(まぁそれだけじゃないんだろうけれど)、これが「ぽん」となんのてらいも気負いもなく設定されている。普通、それらしい説明がありそうなものなのだけれど、いかにも「戯言シリーズ」らしい実に簡潔な説明のみで読者は納得を強いられる。いや「戯言シリーズ」の世界観に納得してしまっていたら、この学校の存在など何ということはないんだが。いつの間にやら読者を物語世界に引き込む、という力は第三世代随一であろう。
そこで繰り広げられる逃避行と、生徒同士による訳の分からない殺し合いに瞞し合い。しかも設定が女子校なので、美少女同士の戦闘となるや、やっぱりゲームかOVA的なイメージが被る。ただ「参った」がなく「友情」もない。負けたらバラバラ。なのに「戯言シリーズ」の世界に感覚が摩滅するのか、既にそこに驚きはない。「死ぬこと」「人を殺すこと」が既にこの世界では大したこととして描かれないのだ。奇妙に乾いた人間観。このような作品に「青春エンタ」の帯が付けられている不思議。そしてどこかそれも分からなくはないな……と感じさせられてしまう不思議。
結局、一般的に持っている価値感覚を全て拒否し、「戯言シリーズ」の価値感覚を読者が共有した時、本来はサプライズとなるべき事柄さえも、ちょっとした「!」にしか成り得なくなってしまう。 その意味で、西尾氏はもしかすると自ら茨の道を突き進んでいるようにも思える。一時期の少年マンガが陥っていた「敵のインフレ」と同様に。

表面的な部位だけみれば、現代本格ミステリからの逸脱を西尾氏から見出すことは仕方ない……とも思うのだが、実際は西尾氏がやっていることは本質を温存しつつ建設的破壊を行っていると私はみるのだが。作者本人が自覚的であるかどうかはとにかくとして。ま、しばらくいろいろと議論を呼ぶのは避けられない作家であることは確か。


02/09/18
佐藤友哉「クリスマス・テロル」(講談社ノベルス'02)

「講談社ノベルス創刊20周年記念」メフィスト賞作家書き下ろし「密室本」の一冊。佐藤氏は第21回メフィスト賞を『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』にて受賞。その後も同作品の世界を引き継ぐ「鏡家サーガ」シリーズを二冊刊行していたが、本作はそこからは外れた(一部登場人物は被るが)四冊目にして、もしかするともしかするかもしれない問題作。

北海道に住む女子中学生、小林冬子は学校をサボっているうちに”衝動”に駆られて有り金を全て衣服と食料に替え、船に忍び込む。その船が辿り着いたのは外国でも何でもない、小さな島。彼女は目に付いた塔に上って全景を見渡す。どうやら数百人程度の人々が暮らす小さな町があるらしい。更に散歩を続ける冬子は目に付いたボロい小屋に対し、唐突な破壊行動から蹴りを入れている最中、何者かに頭を殴られて気を失う。目が覚めてみると彼女は熊谷なる人物の住む小屋に寝かされていた。熊谷こそが彼女の頭を殴りつけた張本人だったのだが、三週間後に再び船が来るまで結局、彼女は彼の家に厄介になることになる。しかしそれには彼が島民から買い付ける廃品の仕分けという労働が伴われるものだった。とはいえ数日が経過、彼女も仕事にようやく慣れ始め、島を散歩していると岬という名の同年輩の少女と知り合う。帰宅した冬子は、熊谷から別の仕事を仰せつかる。それは「監視」。小屋の内部でパソコンに何かをひたすら打ち込む人物を一日中見張るというものだった。ひたすら単調に仕事を続ける男、単調に見張る冬子。しかし冬子が、ほんの少し目を離した隙に男は消えていなくなってしまう。

――佐藤友哉にしか書けない物語。そして佐藤友哉の物語――
作者によれば、本書は鏡家サーガの一連の作品に比べて一般的なスペックに物語をおとしたのだという。あくまで途中まで、ということであれば、それでも女子中学生冬子の訳の分からない突飛な行動や思考様式に、これまでの佐藤友哉らしい切れたセンスが感じられ、却って頼もしく感じた。 何といっても展開が読めないし、読ませない。佐藤氏の持つセンスはつまらない現実(リアル)を拒絶する線引きを、少なくともいわゆる一般と微妙に異なるところに設定することで成り立っているのだから。
しかしこれが密室消失事件に移ってからは、確かに「一般的ステップ」という雰囲気に変わる。とはいってもあっという間(わずか数行)で、冬子が家に帰されてしまい、道楽と刺激を求める謎の双子兄姉に再び島に連れて行ってもらうあたりの構造は、まずやっぱり予想できていない。再来した彼女は探偵となって、小屋で消えた人物が誰か知り、そして独自の聞き込み捜査を行う――こちらは確かに一般的スペック。その結果、彼女が直面させられる、人間存在にこめられた恐ろしさ……とは? (というのは封を開けてご自身でどうぞ)。
そこから終章にかけて、事件の意味、トリックの意味が解明され、鮮やかに鋭い変換が発生する。どうしたってネタバレなので書かないが、このトリックはハッキリいって有名な海外某作品(国内某作品でもある)の逆応用ともいえる形(ただ、最終章で見る限りは作者がその前例を知っていたとは思えないのだが……)。なので、このトリックそのものによるサプライズはほとんどの読者にとって大きくはないはず。しかし、物語の解決よりもメタ的な部分で述べられる「なぜこうなってしまうのか」という説明にまた読者は再び瞠目することになる。「なぜ」という部分に佐藤氏の気概が通じてみえ、ついでに気迫と諦念とが入り交じった哀しさがまた見えてくる……。 佐藤氏の作品をしてゲーム的だという方もいるようだが、佐藤作品の登場人物は特権的な才能を与えられていないし、ところどころ壊れていても決していわゆる萌えを感じさせない。また一般的物語における行動の類型を常に破壊すべく、常に虎視眈々と破滅を狙っている。その意味では、ミステリというよりも現代不条理文学のコードが用いられているようにも思うし、ミステリの評価軸が強い講談社ノベルスという大手レーベルから「気軽に」手に取れるよう販売されたことが却って仇になってしまったか。表層だけで物語を読んで、ミステリとしてのサプライズを取るのであれば決して高評価は与えられない。しかし、佐藤友哉サーガの持つエネルギーは確実に読者の胸を打つ

佐藤友哉は間違いなく時代の落とし子であり、今後も(本来は)壮大な物語を紡げる才能の持ち主。(以下、最後に少しだけ反転)本当にこのまま退場してしまうのか。それとも物語効果のためのネタなのか。しかしこれだけ人の心を鷲づかみにしたうえ宙ぶらりんにさせといて、そりゃないだろう。出版社なんてどこでもいいから帰ってきて、そして書き続けて欲しい。佐藤氏しか書けない魂の物語を。今は人々が作品についていけていないだけ。(反転終わり) 必ず、近い将来、佐藤作品が報われるタイミングが来るはずなのだから。……待ってるよ。


02/09/17
秋月涼介「迷宮学事件」(講談社ノベルス'02)

「講談社ノベルス創刊20周年記念」メフィスト賞作家書き下ろし「密室本」の一冊。秋月氏は第20回メフィスト賞を『月長石の魔犬』にて受賞、その後作品発表はなかったが、いきなり密室本にてカムバック、これが二冊目の作品となる。

洋館を改造した下宿屋、北龍館。奇妙な人間が多く住むこの下宿屋でも最も強烈な個性を誇るのは、何といっても下宿屋の主人にして知力と腕力に優れた美貌の女性、北条霞美である。彼女が興味を持った「迷宮入りしている興味深い事件」に、大学生の若槻恭太郎、女性在宅プログラマの鮎川稜子は、霞美の妹である雪恵と四人、調査に付き合わされることになる。その事件とは、七年前に発生した連続殺人事件で、一つは迷路のような館内の密室での殺人、もう一つはその館の地下に構築された地下迷宮の中での殺人。特に迷宮内部で殺された館の主人は、あたかも肉体的退行をおこして赤ん坊のようになっていたのだという。しかもその赤ん坊はミノタウロスのように見えたとも言われている……。彼らは半ば無理矢理に霞美の指示のもと、小田原にある通称・迷宮屋敷へと赴く。彼らは当時の事件を知る関係者を訪ね、その状況を訊いて回る。

自覚的なのか無意識なのか。これは第二世代の本格ミステリエッセンスの凝集だ
暴君的なお姉さま系下宿の管理人、人間離れした記憶力を持ちながら肉体的ハンデを抱えるその妹、豪快ながらも繊細、補佐役として最適な女性に、自分に余り自信がなく気の弱い主人公……当然、下宿屋に住む人々はこれだけではないだろうが、四人の登場人物を眺めて最初に感じるのは「キャラクタ、配置したな……」ということ。実際に萌える萌えないは別にして、読者に魅力を感じさせる人物を配し、キャラ萌えを喚起するのは、第二世代の本格ミステリ(いわゆる京極・森以降)にての一つの特徴。
さらに事件は「迷宮館」。この館の設定そのものは、旧来の第一世代本格ミステリ(いわゆる綾辻・有栖川)との類似性が感じられるのだが、この迷宮館を建設者の小宇宙にまで昇華させているのもまた、第二世代本格ミステリで完成された方法論と重なる。そしてその小宇宙を補強する形で作中人物の口から語られる迷宮・迷路に関する蘊蓄の数々もまた目立っている。これらが単なる蘊蓄に終わらず、最終的なトリックを形成するための必要事項である点も重要である。つまり、幾多の蘊蓄により、読者を別の世界に運び去り、その世界ならではの謎解きを実施する……。これが個人的には第二世代本格ミステリのポイントだと思うし、本作はそれを敷衍した形式となっているように感じるのだ。

……とまぁ、論文臭く書いてみたのだけれど、よく出来た本格ミステリと一言であらわしても良いだろう。本格ミステリのガジェットとして過去から幾多の作品に取り上げられた「迷路」であるとか「迷宮」であるとかに対し、「なぜそれらを建設したか」というレベルで深い考察を行い、更にそれが原因で(重要)奇妙な事件が発生している。その世界を理解することで、奇妙にしか見えない事件の一つ一つの結果が持つ彩りが鮮やかに変換されていく。方法論的には完璧。そして少々過剰でさえある。この手腕、そして多少の強引さが作品の魅力。前作からは想像していなかった方向に秋月氏が変身したという印象を受けた。

前作の続きと思いきや、思い切って登場人物や舞台設定をリニューアル。探偵役とワトソン役が事件と遭遇しやすい状況を創ったことは評価できるのだが、広い意味でこの設定は先行する諸作と似てきてしまう可能性も当然存在する。今後、どのような方向で「秋月涼介」を打ち出していくのか、注目しておきたい。


02/09/16
蘇部健一「木乃伊男」(講談社ノベルス'02)

「講談社ノベルス創刊20周年記念」メフィスト賞作家書き下ろし「密室本」の一冊。蘇部氏は第3回メフィスト賞を『六枚のとんかつ』で受賞し、当時大物議を醸した。ただその後も少しずつ著作を重ねつつあり、本作が四冊目にあたる。

大学生、布部正男は子供の頃から心臟が悪く、毎年夏になると決まって入院療養を行ってきた。彼の父親が商事会社を営んでおりかなり裕福だったが、正男の家の長男は五年前に奇妙な自殺を遂げたうえ、両親も飛行機事故で亡くなり、現在は会社は叔父が運営している。布部家の隣には加賀美一家が住んでおり、二人の美人姉妹がいた。正男は子供の頃、発声にハンデのある妹の京子をいじめっ子から庇ったことから、彼女に慕われていたが、結局現在は、姉の玲香と婚約している仲にある。
布部家には曾祖父の代に「ミイラ男」にまつわる伝説が残っており、直系の男性には密室で不審死を遂げるケースがいくつもあった。正男の兄も、加賀美家の主人が戯れに建てた鏡の建物のなかで変死しており、正男は「ミイラ男」の伝説を内心畏れていた。入院中の正男は相部屋の要請を受け、隣のベッドにやって来たのは全身包帯でぐるぐる巻きになった「ミイラ男」であった。彼は性病のため顔面含めひどい状態になっていると正男に説明、しかも正男の抱えていた兄の死の謎を解き明かしてしまう。ミイラ男は正体を隠したまま、正男の前から姿を消すのだが……。

本格ミステリとしては初のコラボレーション? イラストを効果的に利用したトリックの数々
なんたって里中満智子さんである。大御所である。よくぞ引っ張ってきたものである。しかも彼女にミステリの仕掛けを書け……という依頼をよくぞ受けてくれたものである。本格ミステリジャンルに限れば、黒田研二氏の『嘘つきパズル』のイラストを魔夜峰央さんが描いたことに近いインパクトを感じる。ただ『嘘つき…』の方は、内容的に魔夜氏というのはマッチしていたのだが、『木乃伊男』に里中満智子さんという理由がよく分からない。何か関連する作品があるのか、蘇部氏(ないし編集者)が単なるファンだったのか。
そして、本作の最大の特徴は、里中テイスト満載の「顔」のイメージによる謎の解き明かしがどんぴしゃに作品に嵌っていることだろう。(つまり、密室封を切った後、作品をぱらぱら眺めては絶対にいけません) 文章によって「包帯を外したその顔こそは、○○のものだったのです!」と、過去幾多の作品が文章にて表現してきたものか想像もつかないが、本書はそれをイラストでやっているのだ。複数登場する「ミイラ男」たちの正体は果たして誰なのか。百聞は一見に如かずとは良くいったもので、かなりインパクトが強い。それに細かい謎解きの補足も後からイラストを見直すことで分かるという考えられた仕掛けも嬉しい。(ある意味、ミステリマンガにおける特有のサプライズを小説で再現した、ともいえる気もする)
……というわけで試みそのものは面白いのだが、本書、全体的にどこかのんびりしたというか冗長な印象もまた残る。どうも会話文において相づちで改行を稼いでいるフシが見えるし、特に解決の段で「それじゃ、○○はどう解釈するんです?」「いや、それは後で説明する」といった本来不必要と思われるやり取りが目立つのはちと気になる。トリックそのものもプロットを用いた本格ミステリというよりも、探偵小説的なノリが強調されている感。これは好きずきなので。

一冊『動かぬ証拠』という作品を読了していないのでここまで言うのは憚られるのだが、蘇部氏がお得意のギャグを廃して真面目にミステリに取り組んだ……という印象。今となっては『六とん』の議論も過去の話。改めて蘇部氏の腕前を試してみてはいかがだろうか。


02/09/15
香住 泰「牙のある鳩のごとく」(ハルキノベルス'01)

香住氏は'97年に「退屈解消アイテム」にて第19回小説推理新人賞を受賞してデビュー。しかし、受賞作を含む初単行本『錯覚都市』の刊行が遅れたことから、先に発表されて初の単行本となったものが本書。あとがきから推察するに持ち込み原稿が書き下ろし発表されたものの模様。

準大手の不動産デベロッパーに勤務する佐尻は会社のリストラ対象となり営業から管理室に回されて失意の日々を送っていた。仕事らしい仕事もなく、毎週金曜日は書類の提出にかこつけて午後は行きつけのサウナに立ち寄って直帰している。佐尻はそんな生活のなか、サウナで出会った人物から一本のビデオテープを預かることになる。そんな金曜日、中之島公園で一人ビールを飲んでいた佐尻は、若者に襲われかかっていたナミと名乗る少女と知り合い、行くあてのないらしい彼女を自宅に連れて帰る。妻の佳枝も思いの外彼女のことが気に入り、三人での暮らしが始まった。ところが急に佳枝が難病で倒れてしまう。巨額の費用が必要な心臓移植しか回復させられる見込みのない彼女を目の前に金策で走り回る佐尻だったが、リストラ寸前のサラリーマンに妙案などない。ナミと佐尻は、サウナで預かったビデオに若き日の現総理大臣の乱痴気騒ぎが収録されていることに気付き、政府を相手に2億円の詐取を目論み、慎重な計画の末に実行を開始した。

素人大活躍。なぜか心温まるコン・ゲーム……というか恐喝小説??
いわゆるコン・ゲーム小説(詐欺小説)において重要視するのは、私の場合「ゲーム性」である。善人や正直者相手に金を巻き上げるような詐欺商法やマルチ商法とかはコン・ゲーム小説足り得ない。それは単なる詐欺テーマ。対等、もしくは強大な相手に対して、正々堂々ゲーム感覚で詐欺を試みること、そしてその物語としての後味が悪くならないことが重要な二つのポイント。海外作品ならジェフリー・アーチャーの『百万ドルを取り返せ!』であるとか、国内作品なら小林信彦の『紳士同盟』であるとかがやはり名作ということになるだろうか。
その二つのポイントからみるに本作は頭脳的な駆け引きのコン・ゲームというよりも、誘拐を扱った小説における「身代金引き渡し」のシーンに重きを置いた作品となってしまっており(相手は政府関係者と強大とはいえ)、素直に当てはまるとはいえない。ただ、作品としてはこの部分の迫力がキモであり、大金を抱えた関係者を右往左往させた挙げ句、陸海空総力をあげた監視をくぐり抜けて略取に成功するシーンは迫力満点。いかにして「強大な権力」を翻弄するか、という点のゲーム感覚はコン・ゲームのそれで得られる快感に近い。 会社をリストラされちゃうような無力なおっちゃんが、どうやって警察権力相手に立ち回るかは本作を読んでのお楽しみ。
細かいことだが、現代密室政治に対する庶民の不満という要素をこの内容に持ち込むのは、ちょっと飛躍が過ぎている感。特に庶民サイドが発する「政治の責任」だとかいった社会派的な発言については辟易する部分も正直あった。個人的正義感を振りかざしつつ、結局はお上に縋ろうとするような庶民根性が透けて見えてしまうのだが、それが本書の主題に合わない。また、後半部で明かされる各種の人間関係も、本作の楽しさをちょっとだけ減らしてしまう。こういった関係があるのであれば、もうちょっとスマートに出来るよな……とも思ってしまった。ただ、この結果、作品自体が不思議な暖かみを得たことは評価すべきか。とにかく佐尻夫婦が幸福になるようなラストでなければ、作品自体に意義が出るとは思えないし。結果オーライ。

『錯覚都市』にて発表された各短編のような「ブラックの味わい」は本作では感じられず、ストレートな作品となっている印象。そのストレートさのなかに暖めていた工夫がいくつも凝らされている点を楽しむべきだろう。「傑作」となるには何かがまだ足りないが、もう少し「最近の冒険小説」なみに紙幅があって、各個人のディティールがもう少ししっかり書き込められたら、もっと話題になる可能性があったかもしれない。


02/09/14
森 博嗣「朽ちる散る落ちる」(講談社ノベルス'02)

いわゆるVシリーズの九冊目の書き下ろし長編。恐らく長らく続いたこのシリーズも次作『赤緑黒白』にて完結を迎えるものと思われる。本作はシリーズ七冊目に登場した『六人の超音波科学者』の事件の後日譚的な意味も込められているため、順番に読むことをお勧めしておく。

土井超音波研究所の事件から一週間。その事件で開けることの出来なかった地下室の扉が警察によって開けられることになった。保呂草潤平は友人のジャーナリスト、各務亜樹良が紹介する依頼者から、遊園地の観覧車の内部にて超音波研究所内に残されているかもしれない「あるもの」を持ち去るよう頼まれる。各方面に手を尽くした結果、保呂草は事件の関係者である瀬在丸紅子や小鳥遊練無らと共に、その地下室の扉を開く瞬間に立ち会うこととなった。そして、鎖にて封印された地下室内部の更に地下室、出入り不能のはずの密室空間内部から、壁に叩き付けられるように死んでいる死体が発見された。死体は死後かなりの時間が経過しており、先の事件とは関係ないように思われた。一方、瀬在丸は数日前、土井研究所に赴くきっかけとなった数学博士、小田原長治を訪ねており、地球に帰還した有人衛星が地球に到達した際、乗組員全員が他殺されていたという米国がひた隠しにする事件の存在を知る。二つの事件に繋がりはあるのか。この秘密を巡ってか、瀬在丸は謎の男たちの襲撃を受けてしまう。

……一般作家が下手に使えば袋だたきにあいそうな強烈トンデモトリックも、森博嗣世界ならアリなのか? アリなのだ。
最新作のレビューが飛び交いはじめるタイミングで周回遅れのゴールがようやく見えてきた。いくつかラストに向けた伏線らしきものはあるものの、「ミステリィ」として単発でも成立する作品となっていた点は意外といえば意外。ただ設定のみ以前の作品を引き継いでおり、このあたりも最終作品で何か絡んでくるのか。
本作は「森ミステリィ全開」の作品である……と最初に断っておこう。メインとなる二つの「謎」のスケールの大きさは絶句もの。――即ち「地下にある何重にもロックされた密室内部で、凶器なしに何かに激しく殴られたように殺された死体」と「地球に帰還してきた宇宙船の乗組員全員が他殺されていた」――がまず強烈に過ぎる。特に後者、SF作品でもないのに宇宙密室なのである。実は、これらの二つの事件に保呂草たちが絡むあたりのストーリー展開も相当に強引なように思えたが、それもまた森博嗣流。既に読者がどうこういえる世界ではない。ただこのあたり、ラストに至る人間関係の綾が微妙に影響を与えている可能性もある。しかし、以前にも森博嗣の作品は意外と物理トリックが用いられているという意のことを書いた記憶があるのだが、ある意味本作はそんな森博嗣氏の側面を強烈に強調するものかもしれない。
「宇宙密室」の方は、残念ながら本来読者が興味あるはずの手段が置き去りにされてしまい、目的の方に重点を置いて論じられる点は残念。ただ密室内の激突死のトリックは、トンデモトリックの具体例として百年先まで残るかもしれない逸物。 案出することは不可能ではないけれど、きっちりミステリに使用してしまう勇気(というか度胸というか)に感服。

普通、シリーズも終わりに近い本作から読まれる方はまずいないでしょうが、本作のトリックについてだけはトンデモ好みの方には超お勧めしときます。でも、後で怒らないでくださいね。


02/09/13
北森 鴻「闇色のソプラノ」(立風書房'98)

個人的北森鴻作品補完読書計画実施中。 本作は北森氏が推理作家協会賞を受賞する前に書き下ろし刊行された、五冊目にあたる長編。2002年の現段階ではまだ文庫化されておらず、本ハードカバー版のみとなる。

小さな集落で成立していた遠誉野の街は急に栄えだした過去があり、突如歴史上に現れたかのみえる不思議な街。現在は東京のベッドタウンとして彩京電鉄グループが積極的に開発を進めている。その遠誉野に住み、彩京大学に通う桂城真夜子は、友人の家で偶然に見つけた樹来たか子という夭折した女流詩人が創った詩に感動、卒論のテーマとすべく彼女について調べ始める。大学図書館で知り合った博学の殿村三味、更に末期癌に冒され余命幾ばくもない老人、弓沢の協力を得、樹来たか子に肉薄していく。弓沢はたか子が暮らした山口の街を訪れ、関係者との邂逅を果たしある事実に気付く。帰京した弓沢は、真夜子にたか子の遺したメモを手渡した後、病室から抜け出して何ものかに刺し殺されてしまう。一方、真夜子はこの遠誉野にたか子の息子である静弥が住んでいることを知り、接触を図るが、大病を患った彼はどこか様子におかしいところがあった。そして卒論こそ仕上げるものの、たか子に取り憑かれた真夜子は、たか子の死が自殺だったのか、疑問を抱き始める……。

民俗学と謎の詩人と歴史に埋もれた秘密と……半ば幻想文学的に仕上げられた、でも本格ミステリ
本書登場の段階では恐らく作者の代表作になっていくであろう蓮城那智シリーズ等も開始されておらず、北森氏の民俗学に対する素養がまだ作品のなかで明らかにされることはなかった。本書が初めてそのアプローチをとった作品ということになる。ただ主題となるのは架空の街「遠誉野」。更に架空の詩人、樹来たか子。過去の存在であるたか子と彼女の生涯における秘密を探る現在の桂城真夜子、それに恐らく東京奥多摩地区のどこかの都市をイメージした遠誉野とたか子が暮らした山口と、時間的、空間的に拡がりのある世界を創り出している。また、記憶に障害のある人物の夢想を挟み込むことによって、どこか現実とは遊離した不思議な空間に物語が流れているような錯覚を覚える。更に水琴窟による音のイメージ、謎の暗号、男女の恋といった細やかなエピソードが積み重ねられ、物語は読むほどに厚みを増していく。じっくりと世界を構築していく手法に関して、北森氏は相当な力を持っている。こういったさりげなく「世界を創る力」と、プロットによる「本格ミステリに謎」が組み合ってできあがるのが、北森流の大人の本格ミステリ、ということなのだろう。蘊蓄があってもいやらしくなく、ハードボイルドなみにしっかりした精神・生き方を堅持する人々が登場し、そして本格ミステリ。洗練された、という形容詞が似合う気がする。
メインの謎となるのは過去における「たか子の死」ではあるのだが、その謎はいくつにも解釈され現代の事件へと繋がっていく。惜しむらくは「謎」が様々な形に点在してしまい、一つ一つの魅力が分散してしまっていることか。エピソードそれぞれに「謎」が付随するため、世界のあちらに「謎」こちらに「謎」となってしまって、それぞれ解決されるのだがどこか五月雨的な印象なのだ。ただ、最後に登場する悪意と幸福のギャップが凄まじいため、締めくくりとしては強烈な印象を残す点は素直に感心させられた。

いかにも北森氏しか書けないだろうし、いかにも北森氏らしさが濃縮されたエッセンスとして詰まっている作品。 だけれども、微妙な構成の綾で、どこか散漫な印象も漂ってしまう。贅沢過ぎてポイントがずれているというか。そんじょそこらの凡百のミステリに比べれば遙かにレベルが高いのだが、個々のポイントにおける北森氏の凄さが分散されて総合として薄まってしまっている感。大傑作になりそこなった、でも傑作だな。


02/09/12
佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」(新潮文庫'94)

第3回日本ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作品にして佐藤さんのデビュー作品にあたる。本書はその文庫化……だが、ネット内では同社とのトラブルは有名な話だったりする。本書は現在、文春文庫版にて刊行されているので、現在はそちらで。佐藤亜紀さんは同じく第5回に同賞を受賞した佐藤哲也氏の奥方とのこと。また、佐藤亜紀さんのサイト「新大蟻食の生活と意見」はなかなかスリリング。

二十世紀初頭のウィーン。貴族の家に生まれた男の子は一見普通にみえたが、一つだけ他の人間にはない特徴を備えていた。一つの肉体に双子が共生しているのだ。一人はメルヒオール、もう一人はバルタザール。ナチの跫音が聞こえてくるウィーンの没落しつつある貴族の子供として彼らは育つ。彼らはなかなか周囲に理解してもらえないが、従姉妹のマグダは彼らのよき理解者であった。貴族に連なることに執念を燃やす叔母、一族の忠実な僕である老執事、彼らの世界に踏み込んでくるアンドレアスとベルダルダの兄姉。そんな彼らが成人し、時代とそして奸智に長けた周囲の人物たちによって没落しつつある自らの環境を嘆き、そして諦念して放蕩と遊蕩、そして人生の遍歴を重ねて酒瓶を片手に世界を彷徨い歩く物語。

あたかも歴史を見てきたかのように創られる重厚な世界。そして時代を経験したかのような魂の彷徨
梗概を説明するのが難しい。一つの肉体に二人が同居している人物という設定と、それに付随する様々な出来事こそファンタジーの要素といえようが、それが全く普通のこと、あたかもあるがままにそんな人物が存在しているかのような錯覚が本作にはある。相応しくない言葉で説明すれば、SF設定つき歴史小説とでもなるのだが、文体から物語に至る全てが重厚なこともあって、その歴史小説らしからぬ空想は物語の襞にしっかり折り畳まれてしまっている。 もちろん受賞した賞の名前の通りにファンタジーとして読める。しかし、本書が想定するメインの読者はそれほど狭くない。
戦前の貴族社会に生まれて身分の没落と精神の没落を経験し、報われない愛の遍歴を重ねつつ、経験の果てに精神の貴族性を取り返す物語。 題名にも「遍歴」の言葉がある通り、彼らの「遍歴」を自らの手で自伝として執筆したという形式が取られている。ファンタジーノベル大賞の選考で「翻訳小説のようだ」と評されたとあるが、日本人でこのような世界を生み出すことは奇跡に近いのではないか。(とはいっても佐藤亜紀さんは、この後も高い評価の作品を生みだしているようなので、決して本作がフロックではないのだが)。しかし、重ねて書きたい。それにしてもスゴイ。当時の貴族の生活。当時の風俗に根ざした完璧な時代背景。当時の人物ならではの行動とそれを許容する社会の設定。乗り物から郵便、食事から酒に至るまで徹底して、そして自然に表現されている。実際の歴史作品であれば、特に感心すべきことではないが、1990年代に創られた作品として、その資料の下調べだけで膨大な時間が費やされたのではないだろうか。
それでいて単なる歴史物語としてのレベルを突き抜けた物語性が本作にあることがまた素晴らしい。真面目なのに諧謔が感じられ、放蕩に孤独が感じられ、自由に拘束が感じられる。それぞれの主題についてとことん深く考えたうえでの表現はさりげない。さりげないのに、めちゃくちゃに深い。

文庫そのものはごく薄い作品であったのに、読了するまでに通常の倍以上の時間を要した。それくらい「読み応え」があったということ。こんな遠い世界の遠い物語にこれほどまでに感銘させられるとは実際読んでみるまで想像もしていなかったし、文学の、そしてフィクションのみがもてる凄さを堪能した。 取っつきにくい部分はあるかもしれないながら読んで損をしたとは絶対に言わせない一作。実はずっと前からある方に勧められていながら、手に取るまで私も数年を要していたりするのだが。


02/09/11
皆川博子「あの紫は わらべ唄幻想」(実業之日本社'94)

短編の多い皆川さんの短編集だけで十五冊目(!)になる作品。文庫化等はされていない。『週刊小説』誌に'91年から'94年にかけて掲載された作品が集められたもの。しかしこれだけ数が多くても皆川作品というのは読むたびに新鮮な感覚を与えてくれる……。

全て作品のなかに何らかの形で「わらべ唄」が登場する。作品の梗概はその「わらべ唄」の紹介にて代える。
船のなかに 忘れた薔薇は 誰が拾った 船のなかに 残ったものは 盲人がひとり 鍛冶屋がひとり 鸚鵡が一羽…… 『薔薇』
百八燈 百八燈 兄さは川を越えなれも 兄さは川を越えなれも 兄さは舟に乗りなれも…… 『百八燈』
具足の袂に矢を受けて 兄から貰うた笙の笛 姉から貰うた小刀 姉御のお部屋に置いたれば 継母さんから探されて おお腹立ちや腹立ちや…… 『具足の袂に』
桜吹雪に みえ隠れ あの世の子らの 手毬つき その花折るな 枝折るな 後からおさよが 泣いてくる…… 『桜月夜に』
あの紫は お池の杜若 一つ橋渡れ 二つ橋渡れ 三つ四つ五つ 杜若の花も 六つ七つ八つ橋…… 『あの紫は』
花折りに行かんか 何の花 折りに 彼岸花 折りに 一段のぼれば 父の墓 二段のぼれば 母の墓 三段四段は 血の涙…… 『花折りに』
睡り流し 睡し流し 睡り流して捨て申そ 睡り流し 睡り流し 睡り流して…… 『睡り流し』
雪花散らんせ 空に花咲かんせ 薄刃腰にさして きりりっと 舞わんせ…… 『雪花散らんせ』 以上八編。

八編の幻想短編はいつしか混沌として一冊の幻想大系へと昇華していく……。この不思議な手触りこそ皆川世界
八つの短編小説に八つのわらべ唄……などと聞くと、探偵小説ファンならば「おおお!」と勝手に妄想を逞しくしてしまうかもしれない。本書はミステリではなく幻想小説なので(当たり前だが)見立て殺人だとかそういった趣向はない。どちらかといえば幻想小説ファンの妄想を靜かにかき立てていく趣のある作品である。
その各編のわらべ唄がキーワードになって物語が紡がれる……とも言いきれない。登場人物の一人が口ずさむわらべ唄、登場人物がふと思い出したわらべ唄、どこからか聞こえてくるわらべ唄。その取り上げられ方はさまざまで、連作としては無関係といっても良いだろう。また各作品の登場人物の設定も子供から多感な少年少女時代が中心とはいえ、ばらばら。強いていえば、現実よりも空想を好み、活動よりも夢想を好む人間たちという意味では共通している。 (それは皆川作品における永遠の主題ともいえる) そんな彼らを受け入れてくれるほど、世知辛い現実は甘くない。その事実を知ってか知らずか、彼らはその現実から徐々に遊離していく……。読者の目の前に展開される世界はいつしか変容し、そして溶け合わさる。物語は一点の痛みを持ちつつ甘美な幕切れを迎える。
本作の場合、物語としてその結末はさまざまなれど、わらべ唄のせいか彼ら登場人物の持つ指向のせいか読後感がどこか皆似ているような印象を受ける。短編を一つ一つ読み終えていくうちに、それら独立しているはずの一編一編の読後感が更に溶け合い渾然一体とした眩瞑感だけが残るのだ。これだけの作品があって浮いたものが一つもない。ワンパターンではなく、似た主題を扱っているとも思えない。隠された運命、人々の想いの綴られる物語一つ一つにも当然読ませるだけの特有の魅力がある。なのに一つの精神世界から生み出された物語特有の甘美な面もちが全てに共通している。つまり、読者は細切れの短編の一つ一つを楽しみつつ、最後に「わらべ唄幻想」という皆川世界に取り込まれるということ。夢かうつつか。麻薬のように脳内にしみわたる。

理屈なんかで割り切れることのない、この独特の幻想テイストが合うか合わないかで皆川世界と、それぞれの読者の縁が分かれよう。 このネガティブかつダウナーなテイストが合わない方に無理に勧めるつもりはない。別に誰が勧めなくても、この世界に嵌った人は永遠に皆川博子の囚われ人となることは間違いないのだから。