MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/10/10
森村誠一「密閉山脈」(講談社文庫'74)

講談社にて'71年に企画された江戸川乱歩賞作家書き下ろしシリーズの第一弾として刊行されたのが元版。現在も様々に形を変えて、現在は角川文庫と青樹社文庫版が入手可能。

業界随一の総合商社、菱井物産。新入社員として入社した湯浅久美子は一流大学出の先輩社員、中井敏夫と結婚を前提とした交際を開始する。ただ世間体を憚る中井の希望もあってその交際は秘密裏に進められた。しかし、中井に菱井グループの重鎮、上田専務の娘との縁談が舞い込み、組織の出世を望む中井は久美子をあっさりと捨てる。全てを彼に許していた久美子は、頭が空白となり、かつて登った八ヶ岳の美しい光景の中で死のうと一人山中に入り、意識を失う……。
彼女を救ったのは東京雪線クラブに属する若きアルピニスト影山隼人と真柄慎二。彼らは二人して美しい久美子の虜となり、最初は三人で、次に二人で会いたいと彼女に頼む。影山は雑誌社勤務で明るい性格、真柄は銀行員で真面目な性格を持っており、命の恩人であるということもあって久美子は二人に惹かれていく。ただ久美子は影山の方により好意を感じており、ある晩、ついに影山のプロポーズを受け入れる。内心の動揺を隠しつつ二人を祝福する真柄。影山は、北アルプスに登り、その山頂から麓のロッジにいる久美子に懐中電灯をもって「愛の信号」を送るという計画を立てる。しかし夜中9時、山頂から送られてきたのは久美子の待つ「愛の信号」ではなく全世界共通の遭難信号だった……。結局、影山は遭難死体として発見されるが、山岳救助隊に所属する熊耳は、その死に対して疑問を覚える。

若く美しい女性を巡るどろどろの人間関係+積雪の山頂に構成される壮大な山岳密室
森村誠一らしいといえばらしい。美しい若い女がいて、一人の男に愛されて捨てられて、死のうとして二人の男が近づいて、という人間関係の前振りにあたる部分がやたら長い。当然、倫理道徳に関する時代性も色濃く反映しており、男女の交際の手順やら方法などは現代の若い読者が読む分には違和感がありまくりかも、という危惧がある。一人の女性を争う男二人。片方の男を女が選んだとき、もう一人の男は相手に大いなる殺意を燃やす……。これだけだと、二時間ドラマ風通俗ミステリでしかない。(実際、そういった側面がないとはいえない)。しかし、本書は「山」という巨大なスケールの地形をまるまま使用した密室本格ミステリとしても未だ名を残す作品である。
その本格ミステリとしての部分のみを取り出せば、まだまだ現代でも通用する。犯人は山の頂上で殺人を犯した後、どうやってアリバイを確保し、密室を構成したのか。ヒロインの、警察の、そして読者の死角は一体物語のどこに形成されているのか。 どちらかといえば推理の過程を楽しむ変形倒叙ミステリ。特にヘルメットのほんのちょっとした特徴が発端になるあたりの着眼点など、科学捜査の走りのようで興味深い。また動機にしろ、アリバイにしろ、捜査によって崩される先から犯人が「その理由」を用意して、追及を阻むあたりの周到さが頭脳的悪魔的でよろしい。 「山登り」がブームとなり、合コンならぬ合ハイが盛んに行われていた時代。若者にとっての「山」とは、現代の都会よりももっと近い存在だったのかもしれない。こればかりは、作品に克明に記されたディティールから我々が想像しなければならない事柄であろう。最先端のミステリはこうして時代を記録したまま、活字となって後世に残るのだ。しかし、この当時の作品を一般化するのは危険ながら、こういった愛憎が交錯するどろどろとした関係が'70年代ミステリには多く登場する。確かにリアリティがあるのだが、こういったどろどろのリアリティを読まされて当時の読者は楽しかったんだろうか。なんか素朴な疑問を覚えないでもない。

人間関係の方に対する重みが強すぎるあたり、現代ミステリに慣れた読者向けではない。ただこの「密室トリック」が気になるという方は、その真相を手に入れておくのも悪くないか。
とはいえ、森村誠一氏の他の作品同様、『密閉山脈』は長年にわたって売れ続けており、ベストセラーといえるだけの売上をきっちり残している。その傍証として、このページなんてちょっと面白いかも。


02/10/09
若竹七海ほか「競作五十円玉二十枚の謎」(創元推理文庫'00)

若竹七海さんの学生時代。池袋の大きな書店のレジ係をしていた彼女の元に奇妙な男が訪れた。毎週土曜日のお昼過ぎになると、五十円玉を二十枚レジに渡して「千円札への両替」を要求するのだ。男は明らかにせかせかと焦っており、千円札を握りしめるとそそくさと店外に出てしまう。彼女は結局バイトを辞めてしまったのでその男の正体は不明。果たして男は何故毎週五十円玉を二十枚も持ってくるのか。それを書店で両替するのは何故なのか。

実際に若手ミステリ作家の合宿時に話題とされたこのネタに対して、創元社の重鎮、戸川安宣編集長(当時)が、その解決編を若手本格ミステリ作家(当時)に要求したのが本書の始まり。'91年刊行の『鮎川哲也と十三の謎'91』にて『五十円玉二十枚の謎』の小特集が組まれるにあたって法月綸太郎、依井貴裕の両氏がその回答を創元推理誌に発表した。さらに他の作家でも回答を書きたい! という希望が出てきたり、ついでに一般公募まで行ったところいくつもの優秀な作品が集まった。それをまとめたのが'93年『創元推理』誌の別冊として『競作五十円玉二十枚の謎』として刊行されたハードカバー。

プロとしては上記の両氏に加え、有栖川有栖、笠原卓、阿部陽一、黒崎緑が回答を寄せ、スペシャルゲストとしていしいひさいち氏が漫画回答を描いた。
加え、一般公募でも当時はアマチュアだった倉知淳氏の名前があり(猫丸先輩の初登場短編)、そして最優秀賞を受賞したのは、高橋謙一氏……後の剣持鷹士氏の名前がみられる。

登場以来、十年誰もがすっきりさせられない永遠のリドルストーリーに挑め!
ミステリを遊び心の文学と定義するのであれば、本書は遊び心の究極の冊子といえるだろう。一つの謎にに対して公募を含めると数十人もの人々が(いや潜在読者を含めれば更に多数の人々が)回答を考え、頭をひねったその結果をまとめたものなのだから。居並ぶ各氏の回答に楽屋落ちが多いのはそれだけ苦しんだせい、ともいえるのだろうが、これだけのプロが集まってもおっさん一人の行動理由をすっきりさせられないという「現実」の凄さを体現しているとも受け取れる。
先に回答を寄せることのできたというアドバンテージもあろうが、なかでも当時は完全な覆面作家であった北村薫氏の正体探しと絡めた法月綸太郎氏の解決編は他の作品を圧している感がある。むちゃくちゃな仮名を当てている現代作家の名前が面白いというおまけもあるものの、物語の脇への逸らし方、自分の作品のシリーズキャラクタへのあて嵌め方等の巧さ、そしてもちろん謎そのものの解法の巧さなど、テクニックが目立つ。
他の作品も感心できるところ、感心できないところなどいろいろ思うところはある。だが、結局のところ作品を圧し、かつ支えているのは、おっさんの謎の行動であり、その理由の圧倒的不可解さにあることは間違いない。現実に対してフィクションは無力であるとか、そもそもミステリ作品の虚構性だとかをじわりと読者に伝えている。この「謎」は本人が登場して釈明でもしない限り、永遠に完璧な解決が与えられることはないだろう。そこにフィクションとノンフィクションの決して越えられない壁がある。 (ただアンソロジーとしては全て同テーマだけに、途中でちょっと読み飽きてくるという欠点もあるかも)。

この謎を応用して、初回のMYSCONにて「古本二十冊の謎」というテーマを出題したところ、珍答奇答が続出しイベントは大いに盛り上がった。ある人物が毎日三冊百円の古本をきっかり二十冊ずつ購入している、それは何故か? というもの。文庫本を引きちぎって腕を鍛えるだとか、膨大な著作数を抱える作家が自分の書いた本の中身を思い出すために買っているとか、電波だとか、古書店の稀覯書を引っ張り出すためだとか。その意味でも、思い出深い一冊である。(本当にそうなのか?)


02/10/08
黒川博行「キャッツアイころがった」(文春文庫'89)

それまで『二度のお別れ』『雨に殺せば』が立て続けにサントリーミステリー大賞佳作に入選してデビューを果たしていた黒川氏がついに第4回の同賞受賞を果たしたのが本作。大阪府警ものではないが、やはり警察捜査についての入念な描写が女子大生主人公で中身が軽くなりがちの本作を側面から支えているのが特徴。

滋賀県の余呉湖にて発見された若者の変死体は、遺留品が全くないうえ全ての指が切り落とされ、また顔面もめちゃくちゃに潰されていた。それゆえ、身許の確認は難航すると思われたが一つ特徴があった。死体の腹のなかから未消化の餃子と宝石のキャッツアイが発見されたのだ。続いて京都で一人暮らしの学生、村山光行の毒殺死体が発見される。彼の口の中からもキャッツアイが発見され、二つの事件は連続殺人と断定された。村山は美大の学生で最近インドに旅行に出ていた。村山の友人、永瀬、阿部、啓子、弘美は村山殺害のニュースを大学にて知る。彼らは村山からハシシを受け取っており、我が身に事件が関わってはまずいと、彼のインド行を知らなかったことにし、ロッカーに残されていた遺品を探る。啓子はそこに残されていたスケッチブックと帰国後の村山の様子から事件の秘密はインドにあると睨み、インド行きを主張、弘美を引きずって強引にインドに向かう。手掛かりはスケッチブックに残されていた男女二人の似顔絵である。一方、大阪は天王寺で浮浪者の死体が発見された。睡眠薬を飲まされての凍死とみられたが、その死体の口からもキャッツアイがまた発見された。果たして事件の裏に隠された陰謀とは。

柔らかい女性ハードボイルド物語と手堅い警察もの本格ミステリの絶妙バランス
いきなり身許不明の猟奇死体が登場、胃の中からなぜか宝石キャッツアイ……という、本格ミステリらしいシーンで物語が開幕する。更にキャッツアイ絡みの連続殺人の途中まではその重苦しさが継続する。恐らくこのまま警察を主人公として物語を続けていたとして、黒川作品としての水準作には成り得ただろう。
が、しかし。女子大生二人組によるインド捜索旅行がまた別途二人目の他殺体を契機にスタートしてしまうのだ。いかにも「絵」が映えそうなシチュエーション。動と静の二つのキャラクタ際だつコンビネーション。いかにもなインドならではのエピソード。彼女たち自身の事件でないことも加わって、緊迫感よりもユーモラスな印象がこちらは目立つ。ちなみにちょいと調べてみたのだが、本作のドラマ化時のタイトルは凄まじい。「猫目石転がった 京都不倫人妻殺人事件 ナゾを追う女子大生はインドへ」である。……まんま二時間ドラマにされている。
警察側のごくごく真面目な捜査活動と女子大生によるお手製の捜査活動、この二つのエピソードが絡み合うようにして物語は展開していく。ただ最終的には彼女らのもたらす情報、及び推理が事件を解決に結びつけるので、上記の扱いも致し方ないことかもしれない。だが、やっぱり刊行後時間も経過したことであるし、今ミステリファンが読み返すのであれば、やはり本作は本格ミッシングリンクテーマとして読みたい。どうして被害者はキャッツアイが転がっているのか。若者、大学生、浮浪者の接点は何なのか。警察側からの地道な捜査で明らかにされていく経過の方も十二分に面白い。
付け加えるとするならば、両者の論理過程が別々の道を辿りながら最終的に事件の真相の一致に持ち込むところまで構成に凝っていれば、更なる高評価を得られたのではないかという気もする。捜査のスピード比べとか。

関西系の軽めのノリが今なお通用する。味わいは軽い気がするが、それもまた黒川氏の持ち味の一つともいえる。黒川氏の三度目の正直。たぶんに審査員ウケも狙ったものだとは思うが、この味わいは黒川ファンならやはり押さえるべきものであろう。


02/10/07
飛鳥部勝則「バラバの方を」(トクマノベルス'02)

図像解釈学ミステリ『殉教カテリナ車輪』にて第9回鮎川哲也賞を受賞した飛鳥部氏は、その後の作品群においても美術と本格ミステリとの特異なブレンドを実践し、自作の揺るぎない特徴としてきた。本作も「絵」にまつわる一風変わった作品であるが、自作の絵はなく特異な宗教画が主題となっている。

世間的に大物と目される画家、山田明の私設美術館の開館日前日、親族と彼の友人ら十二人が集まってパーティが行われた。山田やその親族は様々な理由で出席者からの恨みを買っており、互いに殺意を抱きあいながらノンアルコールで行われる奇妙な祝宴。山田自身は絵を男妾がわりの代作者、小田政也に任せており、小田は山田を恨んでいたし、結婚してからも山田に弄ばれる管理人夫妻の妻である植杉法代もまた山田を恨んでいた。山田の娘に苛めに会い、娘に自殺された大学教授もいたし、山田の弟に性的いたずらを受けた山田の娘もいた。地方新聞の文化欄を担当する持田は、山田夫人で驕慢な性格の江美子と学生時代からの付き合いで、パーティに出席。自らの元に届いた犯罪予告状を、差出人の名前となっていた山田に確認するも知らないと一蹴される。それは「聖エラスムスは腸を引き出されて殺されるであろう」に始まり、五人の死を予告していた。翌朝、引きずられたような血の跡を辿って展示会場に入った人々は、そこに山田一族が聖者殉教の絵そのままに、ある者は腸を引き出され、ある者は針鼠となり、ある者は歯を全て引き抜かれ、ある者は乳房を切り取られて死んでいるのを発見する。そして一族以外では小田が、地下室で何者かに頭を殴られて死亡していた。

疾走し錯綜し充満し蓄積される狂気。サイコキラーの領域は踏み込む者にも影響を与えずにはおられない
  ……これまた傑作(というか個人的ツボ)にあたってしまった。
最初から、いくつもの殺人動機が集団内に存在することを赤裸々に描写するプロローグが実に生々しい。聖者殉教を描いた宗教画に模せられ、激しく死体損壊を受けた山田一族の人々が演ずる地獄絵図。その猟奇的死体加工を行う犯人の様子が(もちろん誰なのかは伏せられて)淡淡と描かれているあたりにも怖さがある。
誰が何のためにこんなことを? 狂気のWHY DONE IT? 
誰が誰を殺してもおかしくないシチュエーションを創り出しておきながら、その殺人者候補が逆に殺されたり、殺意をもって部屋を訪れた人物は、既に死体になっている相手を発見して落胆したり。凄惨さを予感させる死体の様子は、中盤まで直接描写がなく、事件の様相は主人公である新聞記者の探偵行動によって徐々に明かされていく。誰が犯人? なぜこんなことを? という探偵小説的興味はもちろん掻き立てられるが、それ以前に登場人物全てが持つ、どこか凶凶しくエキセントリックな雰囲気にも魅せられる。芸術家が全てそうではないことは作者があとがきにて断っている通りなのだと思うが、平凡な読者サイドからは彼らが一種の「異能」を持つ者として独特のオーラを発すること自体に全く違和感はない。そんな雰囲気を持つ彼らが物語を創るからこそ、異様な死体の山という非現実ぶりが気にならない作品となっている気がする。物語の構成そのものについても、もしかすると絵画的に計算された構図、つまり「読者への見せ方」が計算されているのかもしれない。
巷間にサイコキラーをベースにした本格ミステリ作品は溢れかえっているが、それらに共通して必ず必要とされるのはサイコならサイコの、狂気なら狂気なりに一貫して裏打ちされた論理。一種のミッシングリンクテーマともいえるこの主題を、飛鳥部氏は(恐らく自覚的に)一歩前に進めている。サイコが、狂気が創り出す、本来常識では図れない筈の捻曲った論理についても、探偵が解明を試みるだけでなく、同じ世界に取り込まれていくことにて成功させるのだ。幾多の警告にも関わらず、その謎解きの誘惑に抗することができなかった男の行く末もまた、作品の前衛性の象徴している。

サイコキラーの登場するミステリは、徐々に顕されるいくつかの手掛かりによって犯人の狂気を探偵が類推するのが常道。ミステリ的にはピースが繋がる面白さがある。しかし本書は、同じくサイコキラーを登場させながら、その手掛かりは全て読者の前に開陳してしまっており、本格ミステリとしての形式に対するこだわりはそのまま。なぜ犯人は死体装飾を行ったのか? ……裏返しになったピースを表にする興奮が最大のポイント。ちなみに「犯人当て」のみであればカンタンなくらいだが、犯人が分かろうが本書の価値が途中で減ずることはない。

とはいえ作者自らいう「アクの強さ」はかなり強烈。人によってはずらずら並ぶ猟奇死体だけでアウトだろうし、犯人にとっての殺害理由がピンと来ない向きもあるだろう。登場人物の個性の強烈さに辟易する人もいるかもしれない。つまり、あまねく誰にとっても傑作とは言い難いが、幻想趣味とミステリとの融合や、本格ミステリとサイコキラーの新しい形式など、作者が物語に込めた意味を見出せる人にとっては魅力の大きい作品だと感じた。


02/10/06
戸梶圭太「未確認家族」(新潮社'01)

2002年になって初の短編集『トカジノフ』『トカジャンゴ』の二冊を上梓し、まだ9月の段階で戸梶氏が今年発表した作品は6作になった。恐るべし執筆スピード、そして各作品には「戸梶ワールド」としか命名しようのない世界が展開される。この発表スピードはどこか戸梶作品の世界観と重なる……ような気がする。おっと、本作はデビューから九冊目にあたる書き下ろし作品である。

三十代のサラリーマン、駒江知宏、専業主婦の美穂、そしてその息子で小学生の翔。東京郊外の住宅に住む一見平凡に見える三人家族。しかし、知宏は満員の通勤電車で常習的に痴漢行為をはたらくことで剥き出しの性欲を満たし、美穂は子供を放り出してジム通いを続け、若さを維持しつつ声を掛けてきた男とデートを楽しむ毎日。息子の翔は学校ではいつもいじめられっ子だったが、両親にそれを言い出せない。和也はかつて電車内で声を掛けた不細工電波女、大枝浩子と関係を持ってつきまとわれていたが、ある方法で沈静化させていた。しかしその大枝が復活し、和宏に対して再び電波攻撃を掛けてきたことから危ういバランスを保っていた駒江家に不穏な空気が忍び寄る。
一方、実は援助交際第一世代、さんざんに高校時代に遊びまくっていた美穂。その男友達、三木和也が刑務所から出所してきた。服役していたことも忘れていた彼の父親とその愛人は、彼を暖かく迎えてくれる。和也はかつて美穂らとつるんでいた頃、三角関係のもつれから殺人を犯したのだが、彼に対して不利な(そして自分には有利な)証言をしたのが美穂と、敦子という女友達であった。彼は彼女たちに対する復讐を考えており、家族は暖かく彼をフォローする。最初のターゲットは二人の子供を持ちながら、身を持ち崩していた敦子だった。

個人は普通だけど解体寸前の家族、個人は変人だけど結束の固い家族。……。結局どっちも戸梶ワールドの餌食となる
サラリーマン、専業主婦、小学生。一人一人の個人はまともな生き方をしながらも、肉親同士の思いやりも繋がりなどなくボロボロになっている「家族」。それに対比されるのは、犯罪者の父親にトリップしまくりの後妻、殺人で服役してから出所してきた息子と個人個人はまともな生き方をしていないまでも、固い絆で心が結ばれた「家族」。なにせ法律無視の保護観察官が、そのままこの家族の居心地の良さに感動して住み着いてしまうくらい。
これだけ書くと現代風社会派か? とか誤解を招きそうだが、彼らを対比して家族問題の「現在」を浮き彫りにする……なんという高尚な想いはまず戸梶氏にはない。彼らを使って、本能剥き出しにさせて暴走する戸梶ワールドを構成、そしてはちゃめちゃな終幕を突っ走っていくのが戸梶流。あくまでクライムノベルとしての味わいを追求するのみ。これだけの題材を使用しながら、更に崩壊に崩壊を重ねる流儀はある意味ではストイックでさえある。
これら二つの集団の因縁は、かつてろくでなし女子高生だった頃の美穂が、和也から殺されたい程恨まれている、という一点。彼らに知之がかつて勢いで口説いてやってしまった電波系同人女、美穂に想いを寄せる大学出たてのうぶなインストラクター、知之に対して子離れ出来ない母親、そしてその母親にプロポーズしている自由人気取りの中年画家……らが絡む展開だが、構造は実にシンプル。結局のところ、痛快無比、残虐至極、無価値人間に生きる資格なしとばかりに激烈なカーチェイスとなるラストシーンに突っ走っていくからだ。勿論、彼らはその派手なアクションのなかで派手に身体(命)を散らしていく。乾いた筆致、でもぐちゃぐちゃ。ハッピーなのかアンハッピーなのかよく分からないラストの余韻は浸るというより、思いっきり遠ざけたい。人間の価値ってなんなのだろうと考えささずにいられない。
序盤に事実上母親に殺されてしまう兄弟のシーンがあるが、この部分だけ不快感が圧倒的に勝っている。ということは、自分自身心の中で無価値人間に生きる資格なし、という考え方に同調している部分があるということなのかもしれない。くわばらくわばら。

戸梶圭太の作品における登場人物の異常性は今に始まったことではないが、本書は特にその部分を徹底的にデフォルメして強調した物語にみえる。戸梶作品初体験を本作で迎えることになったら、下手すればトラウマもの。この世界、多作の影響もあって既についていける人しかついていっていない可能性もあるような。

最後に一カ所笑いのツボがあったので。「西村寿行のような執念深い復讐がやりたい」と悩む和也に対し、父親が図書館から「にしむら」なる本をかっぱらってくるシーン。
「割と読みやすい」「西村京太郎じゃねえよ!」


02/10/05
皆川博子「炎のように 鳥のように」(偕成社文庫'93)

皆川博子さんによるジュヴナイル……といっても対象年齢は「中学生以上」となっている。'82年に同じ偕成社から刊行された作品が、偕成社文庫という形で再び出版されたもの。なんとジュヴナイルなのに装画及び挿絵が建石修志氏というあたり、さりげなくもの凄い。

天武天皇の王子だが気が弱く繊細な心をもった草壁の皇子。国栖の地で狩猟を生業とする一族の子供として成長した野生児、小鹿。天智天皇が病に倒れた近江の都では、実子である大友皇子を立てる一派が勢力を伸ばし、元もと皇位を譲り受ける予定だった大海人皇子(後の天武天皇)は憂慮の末、先手を打って吉野の里に下った。少人数で暮らす彼らと近くに住む勇猛な国栖の一族は役に立った。そんななか、草壁皇子はまだ名前もなかった小鹿と親しくなり、身分を越えた友情が二人の間に芽生える。しかし着々と策を凝らしていた大海人皇子は遂に立ち、鈴鹿の関を越え、美濃の豪族を従えて侵攻。小鹿はその軍に否応なく組み入れられる。彼はそこで知り合った脾、玉女を助けて進軍するが、生来の気まぐれが災いして自分自身の意図とはべつに大王に対する不遜の罪を問われる。その罪を裁くのは留守を預かる草壁皇子の役目。草壁はどうにかして小鹿を逃がしてやりたいと思うのだが、周囲の圧力は日に日に増していく。結局、小鹿は逃亡するがすぐに捕まり、身分を奴に落とされて再び働かせられることになる。そして草壁皇子と小鹿の友情にも徐々に変化の兆しが見え始める。

どう考えてもお子さま向きとは思えない、繊細にして壮大な歴史ファンタジー
偕成社という版元が示す通り、ジュヴナイルという形式で発表された作品(叢書の性格では一応大人も読むことを計算にはいれているのか)。 確かに文章そのものは平易であるし、物語そのものも分かりやすくはある。ただ、その当時の風俗を分かっている範囲の史実に基づき出来る限り忠実に文章で再現している点、そして何よりも皆川さんが書きたかった「ある主題」というあたりは、どうも中学生程度の年齢における読書経験、人生経験しか持たない人間にはダイレクトに伝わりにくいのではないかと感じる。(ならお前は100%理解しているのか? と問われるとそれも自信がないのだが)。
手塚治虫がよく取り上げた太古の昔、邪馬台国を除けば記録に残る最も古い時代の日本。まずは目を見張るのはその時代の風俗、暮らしがしっかり描かれていること。まだ文化として確立していない天皇制、そしてその権力に連なる人々の戦い、生活。一方で、そういった権力と結びつきのなかった地方の集団が徐々に権力に取り込まれていく様子、彼らの暮らしの変化。かたや王族、かたや平民→奴隷という二人の若者の友情。己の立場に苦しむ二人の関係は、そのまま文化と野性との対立ともいえよう。二人の持つ感情の襞が、あたかもその時代ならではの価値観を伴ってみごとに描かれており、特に友情以外の感情までも赤裸々にしている点、皆川さんならではの巧みさが見え隠れしている。それだけに時に優しく、時に残酷。 恐らくこの当時の日本とは実際にこのような残酷な仕組みの上に成り立っていたのだろう。奇妙に納得させられる設定と世界観。行間から聞こえてくる叫び、そして「描かれない」ことによって表現される濃密な時の流れ
また、歴史そのものは史実通り。歴史は動かさず、その狭間に生きる人々を巧妙な筆致で描く。山田風太郎などが発表する歴史+エンターテインメントと近い手触りがあり、その史実そのものがまた下手なフィクションよりドラマティックなのだ。自分の筆力のなさが哀しくなるくらいに本書が発するパワーはもの凄い。皆川さんの物語に対峙する気迫は、読者が誰であろうと発表媒体が何であろうと全く手加減がない……ことを改めて思い知らされる。

ジュヴナイル、と思って気軽に手に取ったものの、これまで接した皆川文学に勝るとも劣らない深みを持つ物語性に愕然とさせられた。 本書を若い時分から理解できるような少年少女が将来皆川さんのような偉大な作家になるのかも、と奇妙な感慨さえも覚える。子供より大人が夢中になるジュヴナイルであり、ジュヴナイルの皮をまとった歴史文学、そして魂の記録でもある。いやはや、凄すぎ。


02/10/04
柄刀 一「アリア系銀河鉄道 三月宇佐見のお茶の会」(講談社ノベルス'00)

刊行された時分はかなり話題になった柄刀氏の初短編集(正確には中編か)。氏の五冊目の作品にあたり、『メフィスト』誌に発表された作品を中心に、ノベルス版としては変わった試みとして、書き下ろしを除く各作品について解説が寄せられている。(その解説とあとがき双方にネタバレあり。注意)。

自身の楽しみでもある午後の紅茶を楽しもうとしていた宇佐見博士。“字義原理・実存の猫”に導かれ、別世界のミステリーの現場を訪れる。“ベテルの塔”と呼ばれる建物のなか、濁音や半濁音を持つ言葉が存在することができない“清音の部屋”の奥にある、これまた”地の文”がそのまま実存化してしまう“言霊実存の部屋”の中で女性が殺されていたのだという。部屋は密室状態にあったうえ、凶器は見あたらず、更にその世界には存在しないはずの男性死体が転がっていた。 『言語と密室のコンポジション』(1)
大佐が持参した紅茶用の水におぼれた宇佐見博士が目を覚ますと、伝説の洪水の時代に紛れ込んでしまっていた。白い建物と方舟、そして数人の人間。彼らは洪水を避けるために方舟にて航海に乗り出す。船の内外では時間の流れが異なる環境下で、博士らが島に戻ると、建物の狭い部屋に収められていた小さな方舟が、方向転換する余裕がないはずなのに東西逆を向いていた……。 『ノアの隣』(2)
お茶を飲もうとしていた宇佐見博士のもとに、ミリガン博士がやってきた。余命いくばくもない吉武博士が会いたがっているのだという。吉武博士は毒を飲まされて後数日の命、さらに彼の妻は何者かに頭を殴られて死んでいた。乖離性同一障害を患う吉武博士は、事件の謎解きを宇佐見博士に託す。 『探偵の匣』(3)
宇佐見博士はマリアという少女とお茶を飲んでいた。天文学者であったマリアの父、鶴見博士は接触性の毒物によって殺されたのだが、その毒の経路が分からない。彼らの前に蒸気機関車が突如出現し、彼らはそれに乗り込んで旅をしながら鶴見博士の遺したメッセージと、事件の謎について考える。 『アリア系銀河鉄道』(4)
解説……佳多山大地(1)二階堂黎人(2)福井健太(3)巽昌章(4)
宇佐見博士は石造りの部屋の中で目を覚ました。その傍らにはウサギがおり「この部屋から出なければどこへも行けませんよ」と告げる。。『アリスのドア〜Bonus Track〜』

本格ミステリ「トリック」よりも「設定」をいじくって柄刀一、大いに作品で遊ぶ
通読した印象は「前衛的」。しかも、体裁は本格ミステリとなっていて、かつ前衛的なのである。
濁音が許されず、全ての事象が清音化してしまう世界に、地の文で考えたことが実現してしまう世界における密室殺人。創世記のノアの方舟に絡む密室不可能事件。多重人格者のそれぞれが瀕死の自分に発生した出来事について推理を巡らすという奇妙な事件。とあるきっかけ銀河鉄道に乗って発生した事件を推理する博士と親友の娘……という見せかけの裏にある事実、そして自らの無意識のなかで、ある理由からパズルを解く羽目に陥る博士。骨組みを取り上げるだけでは分かりにくく、詳しく説明しようとすると、すなわちそれがネタバレになる……という非常に不安定なバランスに乗った作品群。
従来の意味、というか王道としての本格ミステリを表現しよう、というよりも、既に柄刀氏が手に入れている「本格ミステリ」という道具を使って、どんな作品が、どんな世界が表現出来るか、考えてみよう、というのが作品のコンセプトのように感じられてならない。
その意味では本作は成功しているといえよう。但し、エンターテインメントとしての普遍性は喪われていると言い切っても良いかもしれない。すなわち「難解」。するっと読んだだけでは舞台も、ミステリとしての意味も簡単には頭の中に入らない。思わず一編ごとに再読してしまったけれど、私自身100%作者の意図をつかんだかどうか自信がないのだ。
それぞれファンタジーともSFとも(下手をすると幻想とも妄想とも)つかない舞台設定が取られており、いわゆる現実的な”リアル”はこの作品集の中にはない。各作品の冒頭に込められたメッセージ、更に副題からも分かるように、一つモチーフとなっているのは『不思議の国のアリス』である。もしかすると色んな意味での「不条理」を「本格ミステリ」の設定のなかに当てはめたかったのかもしれない。また各短編について「解説」が付せられているのもノベルス形式としては破格だろう。

後の『竜之介シリーズ』など柄刀氏の短編は軽めのものしか知らない! という方には、この前衛性はかなり衝撃的かもしれない。少なくとも単純にミステリの楽しさを味わえる……という種の作品ではない。「怖いもの見たさ」を感じた方は、一応手に取ることをオススメしておく。また「既存のミステリは飽きてしまった」という鬼のような方は却って必読である。


02/10/03
小林泰三「奇憶(きおく)」(祥伝社400円文庫'99)

'99年に祥伝社文庫が創刊十五周年記念として最初に400円文庫の企画を打ち出した際に「充実のSF奇想&ホラー」として三冊の中編作品が上梓された。倉阪鬼一郎『文字禍の館』、山之口洋『0番目の男』、そして本書である。漫画『玩具修理者』を除けば、小林氏の五冊目の作品にあたる。

大学に合格し一人暮らしを始めるまで、直人の人生は順調だった。だが持ち前の要領の悪さが徐々に彼の生活を変化させていった。一つの目の前のことに熱中して真剣に取り組みすぎるあまり、前後の見境がなくなってしまうのだ。一年生の終わり、アルバイトや友人たちとの遊びに夢中になった結果、単位を大量に落としてしまってから、徐々に人生が狂い始める。アルバイトに熱中して大学に行かない→大学に行かないので単位が取れない→卒業できない→就職できない……。人生のやり直しを両親に訴えながら、奇妙なプライドから失敗を繰り返し、徐々にボロアパートに引きこもるようになる直人。そんな彼は汚い部屋のなかで、自分がまだダメになる前の記憶をたぐることに熱中する。そして気付くのだ。自分が物心を獲得する以前、ふたつの月が夜空にかかっており、それを当たり前に感じていたことを。子供の頃の世界は無数に存在するのか? そして記憶にある「よもつしこめ」とは一体なんなのか?

ホラー出身の小林氏が、そうと見せずにSFへの胎動を着実に開始した……でもやっぱり本格ホラー
主人公の人生の歴史、生活態度の描写に、何か鬼気迫る凄さを感じるため、一気に世界にのめり込む。半端じゃないダメっぷりがいい。単なる怠惰というのともまた違う。病気でもないのに病的に自らの人生を失敗する方へ、失敗する方へと転がり落ちていく。頼れる者全てにすがってモラトリアムを最大限甘受した挙げ句、ようやく自分が何も持たないことに気付き、さらにそのことを否定したいという願望だけによって生きる男。 散々迷惑をかけて就職を世話してもらいながら、初出勤の前の晩眠れなくなり、酒を飲んで眠ろうとして逆に宿酔いで動けなくなり、自分で自分に言い訳をして自己嫌悪の渦に深く沈む……。ええい、たったと起きて、働け! という気持ちと、ああ分かるよなぁ という気持ちが私のなかでごちゃごちゃと絡まる。
と、ここまでだけでかなりスゴイ小説なのだが、あくまでこれは導入に過ぎない。肝心の部分は、自分の記憶だけが楽しみになってしまった男が気付いた世界の秘密にある。 つまり人間は物心つくまでは、いくつもの世界を遍歴しているということ。文中でも触れられているので、不確定性原理が根本にあるのはまず間違いない。つまり、明確な決定が本人によってなされる(=物心がつく)まで、世界は様々存在していて、確定することは出来ない……のだ。そこはクトゥルーやその他邪神の漂う異界。主人公は幼き日の自分が味わった怪異を次々と思い出す。そして自身の人生を完璧に否定した時……。
それでも主人公に救いは訪れない。この世も、そしてそれ以外の世の中も、仮に本来の自分を取り戻すことができたような気になったとしても……結局苦痛でしかないのだ。とはいえ、少なくとも現世を脱却することで、それはそうとして主人公は救われているのかもしれない。

漠然と、最近ミステリ寄りのように言われているホラーを、少なくとも小林泰三氏はSFに差し出したいと考えているのかも、と感じた。が、純粋に小林氏のこの段階での方向性を示しているものとも感じられる。何も考えずぐーたらな主人公を眺め、恐怖を共有するのが吉か。


02/10/02
笹沢左保「妖女」(光文社文庫'90)

文庫オリジナルとなる笹沢佐保氏のショート・ショート集。数十年にわたって執筆活動を続けてきた笹沢氏の「原稿用紙十枚以下」の作品を集中的に収録したものだが、昭和三十年代後半に発表されたものがほとんどだという。やはり、というか全体にミステリのテイストが強いものが多い。

そんなはずはない
「あとは書けない話」「女を憎むな」「隣人」「運悪く」「終着東京」「証人」「誰も知らない」「同じ方法」「哀れな二人」「レールの上で」「介抱ドロ」「崖の花」「老人と手紙」「そんなはずはない」「FC444444A」「残酷」「真知子の決心」「完全な敗北」
妖女
「このあと」「縁」「死んでしまいたい」「美しい女に会って」「妖女」「別れ」「良妻」「死を待つ女」「運不運」「裏と表」「死んだはず」「贈りもの」「早まった」「水」「再会」「情事の絵本」
待って下さい
「嘘」「最後の夜」「溺死体」「課長を殺る」「二歳半の記憶」「沈黙はつづく」「眠らない男」「灰色の村」「待って下さい」「理由でない理由」「幻の機」「灰と女たち」「夜行列車の女」「蚊帳の中」
殺人計画
「悪妻」「男の中の男」「殺人計画」「無意味な人生」「蛇」「貧しい家出人」「自動車泥棒」「夫婦喧嘩」「すぎた思いやり」「その朝の手紙」「最も哀れな者」「髪の毛」「十五年前の女」「手袋」「裏切り者」「救ったのは誰か」「明日になれば」  以上、六十五編。

手慣れた筆致で生み出される「大人のための」ごくごく短く鮮烈な寓話群
弊サイトの掲示板にて石川誠壱氏が取り上げていたため、興味を持って購入しておいた笹沢左保氏唯一の(これまでも、恐らく今後も)ショートショート集。とはいっても元からショートショートとして執筆されたものではなく、数十年にも及ぶ氏の作家人生のなかから短いものを狙って取り上げたという作品集だけに、必ず強烈なオチがあるというものではない。どちらかといえば、シンプルなトリックをこれまたシンプルにまとめたミステリや、ミステリのなかでも皮肉なオチ(自業自得や自縄自縛といった)だけがみどころという印象の作品が多い。もちろん男女の機微を短い枚数で絡めることに関しての巧みな技には唸らされるものがあるのだが。何せ数があるので、ひとことで作品集全体を括るのは正直難しいと感じる。
そんななか、いくつか印象に残った作品を挙げるとまず『崖の花』。不幸な生い立ちを背負った漁村に住む少女が崖から墜落死した。彼女を慕っていた同じく恵まれない境遇にある少年が、彼女の死の真相を探ろうと立ち回り、彼女の死んだ崖にてその真相に気付くのだが、その時少年もまた崖から墜落していた……というもの。救いようのない話でもあるのだけれど、少年の死と引き替えに一瞬だけ少女の死が浮かばれるあたりに物語の妙味がある。
『裏と表』。 清純派女優がゴシップ記事に泣かされる。記者会見に青白い表情で臨んだ彼女に世間の同情が集まるが、これは実は彼女自身が仕組んだものであったことが、後のマネージャーとの会話にて明かされる。しかし、彼女のことを真剣に愛していたマネージャーが突飛な行動に出て……。本作は出だしとラストの奇妙なまでのまとまりの良さに味がある。特に題名そのもの、事件の表の顔と裏の顔のコントラストが鮮やか。
最後にもう一編、『無意味な人生』。 これは間違いなく傑作。靴磨きをしながら高利貸しをして五億円もの大金をため込んだ中年女性が殺された。そんな彼女の周辺にいた人物に対するインタビューから、彼女がいかに節約に節約を(吝嗇に吝嗇を)重ねてそれだけの金額をため込んだのか、という行動が浮かび上がる。彼女は結局たったの百円のために殺されることになったのだが、その理由が鮮烈かつ衝撃的。読み終わった後、まさに人生っていったいなんなのだろう、と思わず自問すること間違いなし。

といくつか紹介したが、物語は長くなればその分厚みを持つとは限らない。鮮烈な切り口さえ提示出来れば、読者の心のなかでいかようにも膨らんでいく。 本書はその好例だろう。一編一編は短くとも、その余韻の厚いこと。ショートショートであり、気軽に読めて気軽に中断できるので、大長編に疲れた頭にちょうど良い一冊。


02/10/01
乙 一「暗いところで待ち合わせ」(幻冬舎文庫'02)

17歳で『夏と花火と私の死体』を発表し第6回ジャンプ小説・ノンフィクション賞を受賞しデビューした乙氏。その若さと共に、紡ぎ出される世界の魅力からホラー(一応)小説の書き手として注目を集め続けており、コンスタントに作品を発表している。本書は『死にぞこないの青』に用いられなかったエピソードを膨らませて創られたという書き下ろし長編。

事故により視力を失い、彼女を庇護してくれていた父親も亡くなって一人静かに駅の側の一軒家で暮らすミチル。一方、子供の頃から自分の居場所がないことを気にし、いつも一人でいることを好んでいたアキヒロは職場で静かないじめを受けて悩んでいた。その根元となる先輩の松永が同じ駅から通勤しているのも頭痛の種。そして耐えられなくなったアキヒロは、ある朝、無人のホームの端っこで一人佇む松永を発見、後ろから忍び寄って……そしてそこに電車が。松永の死に騒然となる駅からアキヒロは抜けだし、彼はある目的から駅側の家に忍び込む。それがミチルの家。アキヒロは出来るだけ気配を消してミチルの家の居間の片隅にずっと座っている。一方のミチルはいくつかの出来事から、誰かが家の中にいることに気付くが、我が身を守ために敢えてその存在に気付かないように振る舞っていた。警察の訪問や友人の話から、家にいるのが駅で人を突き飛ばして死なした男らしいことに気付く。しかし彼女は警察に通報したりはしなかった。奇妙な同棲生活、そして一定のルールのもとに彼らは少しずつ交流を深めていく……。

心に欠けた部分を持つ男性と、身体に欠けた部分を持つ女性とが織りなす不思議なファンタジー空間
上記もしたが、乙一という作家は一応、ホラー小説の書き手として認識されているきらいがある。確かにその作品にはsupernaturalな存在が登場することもあるし、その場合に作品に覗かせる異界のものだとか、世界の隙間だとかの深さは確かに鋭く、その闇もまた濃い。だが、そのようなsupernaturalが存在しない場合の乙一作品はどこか淡く甘いファンタジーの香りを漂わせる。それが本来サスペンスとしての存在であっても。
本書はいかにも乙一らしい「突飛な設定」、しかもそう大技とも思われない「盲目の女性が一人住む家に、人から追われる男性がこっそり暮らし始める」というもの。――とはいっても、乙一くらいしかこういう設定を正々堂々と根本には据えないか、普通。しかし、一旦乗り始めると後はそのまま真骨頂。いつしか「奇妙な共同生活」が「奇妙な愛情の取り交わし」へと変わり、一挙に二人の人間の成長物語へと変じていく。童話・説話・むかしばなし。どこか現代を主題にしながら、そんな昔懐かしい物語の持つ良さを乙氏は表現しているように思われる。
物語に付帯する「謎」があるのだが、最初から提示されているそれらに関する伏線を、文章技巧とさりげない(しかも恐らく天然の)センスによって読者の目から見えなくしてしまう手腕に後から気付かされる。最終的に登場人物が少ないため、それが「謎」と気付かされた後ならば真相を見破る(というか見通す)こと自体は容易なのだが、謎を謎と思わせないということでそれが最初に提示されている以上のサプライズを読者に与えることに成功している。

するすると読み終えられて、かつ余韻は深くいつまでも後を引く。乙一、やっぱりスゴイ。経験で体得出来る文章力以上に、物語を紡ぎ出すセンスというものが、既存作家のなかでもかなりの上位にくることは明らかである。ジュヴナイル系作品デビューゆえ、年輩者が手に取ることは少ないのではないかと思うのだが、それでも「センスがもたらす快感」を確実に彼は読者へと運び続けている。読んでないなら読んでみて。それしかいえない。