MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/12/10
横山秀夫「半落ち」(講談社'02)

'91年『ルパンの消息』が第9回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれた後、雌伏の時を過ごしていた(?)横山氏は、'98年に『陰の季節』にて第回松本清張賞を受賞して本格デビューを果たす。次の短編集となる『動機』にて第回日本推理作家協会賞短編賞を受賞、そして本作と現在横山氏は次々とメジャーへの階段を駆け上っている。本作は『小説現代』誌に'01年から'02年にかけて連載された作品が単行本化されたもの。

連続幼女暴行犯をようやく追いつめ、まさに逮捕せんばかりになっているW県警本部捜査一課。今年四十八歳になり指導官の志木は逮捕の報をデスクで待っていた。そこに本部から一本の電話。本部教養課に務める同僚で温厚篤実な性格で知られる梶が妻を殺したかどで自首してきたというものだった。警官による不祥事を恐れた県警上層部は取り調べにて抜群の実績を誇る志木に大して取調を要求する。梶は淡淡と妻がアルツハイマーで苦しんでいたこと、白血病で失った子供の命日さえ分からなくなった彼女の依頼に応ずる形で彼女を扼殺したことを自供する。話の辻褄はあっており、梶の行動は間違いないものと思われたが、彼女を殺してから既に三日が経過していた。妻殺しをあっさり認めた梶が、その二日間何をしていたか、という問いに対してだけは完全な黙秘を続ける。いわゆる「半落ち」の状態……。梶が何を本当はしていたのかについての追及を主張する志木に対し、その二日をマスコミに突かれてパニックに陥った本部は梶を誘導、死に場所を求めて市内を彷徨っていたという供述を引き出すことに成功する。しかし次に黙っていなかったのは直情派の検事、佐瀬だった。

「男」が心のなかに抱え込んだ慟哭と悔悛、そして決意に目頭が熱くなる……
警察内部の指導にあたるほど警察一筋、人間的に真っ直ぐで信の厚い人物が、やむにやまれぬ理由とはいえ妻殺しをして自首。この男が事実関係のほとんどを正直に述べながらも、殺害後の二日間の行動に関してだけは完全黙秘を貫く。罪を認めているのに一部を明らかにしない状態、「半落ち」。この人物が決して「落ちない」部分にて何があったのか、何が彼をそうさせているのか、が本書のテーマである。
そしてこの物語の構成がまた巧み。逮捕→起訴→服役という梶の身柄の流れに沿って、長編の章立て毎に梶本人以外の人物の視点で物語が展開していくのだ。捜査一課の警視→地方検察庁の検事→スクープを狙う新聞記者→都落ちしてきた弁護士→東京からW県に単身赴任している裁判官、そしてラストは刑務所の保安管理の責任者。それぞれの人物は、それぞれ自分の立場ならではの視点、そして自己の抱える個人的な問題を通じた意見を梶に向ける。それぞれの人物の微妙な繋がりが物語構成に陰影を落とし、同情一辺倒ではない彼らの配置が物語の綾を深くする。梶をそっちのけで行われる警察組織ならではのどたばたや、それに伴う男たちの無念も胸に迫る。しかし、それらも本書の、つまり梶が心の底に頑なに秘す「思い」には叶わない。確かに振り返れば、何度も繰り返される梶の人生のなかにそのヒントは隠されている。しかしちょっとその中身に思い至る人間はいないだろう。この衝撃、この熱さ。これもまた二十一世紀の「罪と罰」の新たな形の一つなのか。

私が読了している段階では思いも寄らなかったことながら、本書の物語成立のためには大きな問題点があることを漂泊旦那さんが指摘されている(10/22)。ただその指摘は本書の「キモ中のキモ」となる部分に触れている点だけに、どんなに興味があったとしても読了してからそちらを見るようにして頂きたい。

本書は、2002年末に刊行された『このミステリーがすごい!』にて、堂堂の第一位を獲得する。これだけの票数を得たということは裏を返せばその瑕疵には誰もが気付かなかったということか。(発売日と投票締め切り日が近くて検証する間がなかったのかも) その点に気付かない限りは、大の男を噎び泣かせる魂のエンタとして立派な価値を持つ作品。正直に告白すると私も読み終わる間際に少し泣いたクチ。


02/12/09
藤本 泉「暗号のレーニン」(講談社ノベルス'84)

時をきざむ潮』にて第24回の江戸川乱歩賞を受賞している藤本さんは独自の「えぞ共和国シリーズ」など、民族間の対立や被差別−差別者の戦い、学生運動等を題材にした作品が多かった。本書は第30回江戸川乱歩賞記念にて実施された、いわゆる「乱歩賞SPECIAL」の第二期として書き下ろし刊行された作品。

祖父、芳松がロシア人と結婚した日本人という血筋の八重浜健。彼の父親、八重浜正もまたロシア人的風貌を持っていたが、M新聞の特派員としてロシア駐在していた折りに謎の暗殺死を遂げていた。祖父、八重山芳松は第二次世界大戦の開戦前の滞在当時共産党に所属しており、レーニンの死後その秘密に接する機会があり、その事実を暗号化したものを残していたのだ。芳松はKGBと仲間と共に襲撃を受けて倒れたが、生き残った息子の正が露語で書かれたその暗号を持ち帰っていたのだ。母からは止められたが、結局健もロシア語を学んで外務省に入省、とうとうソ連にやって来た。彼がまず行ったのはレーニン廟の見学。冷凍保存されているというレーニンの姿を見て、彼は自らの手で暗号を解くべく画策する。彼自身は暗号を知られることを恐れて慎重に行動していたにもかかわらず、父を知るという高齢の嘱託勤務者の綿貫老人は健の持つ秘密を見透かしたような発言を繰り返す。そして健は手に入れた手掛かりに従って、当時を知りそうな人物を訪ねて回る。

「東」に詳しい藤本さんならではの緊張感。レーニンの謎より旧共産圏の怖さに痺れる
藤本さんは、例えば『ガラスの迷路』という作品でプラハをまるで我が町のように取り上げているし、自身の経歴自体が「東欧にて行方不明となる」で終わっている通り、旧共産圏に対する該博な知識と実際の行動をお持ちの作家である(あった)。またいわゆる「えぞ共和国」シリーズにて同一民族内での不可思議な対立を描いており、それはどこか旧ソ連の国家主義にも繋がっている主題だともいえる。その彼女が直接にそういった共産主義の大元であった「旧ソビエト連邦」を主題にして執筆した初めての長編が本作にあたる。
題名にもある通り「レーニン(但し死後)に関する謎」そしてその鍵が隠された「暗号」というのが本書の中心となる。ただ「暗号」に関しては見開き全体に記された「ロシア文字」であり、一般的知識をベースに読者が解読するのはまず不可能。なので、自然とストーリーは主人公が謎と暗号のヒントを求めて彷徨う姿を追うサスペンス形式となる。その謎を巡って殺された父親、そして暗号の謎を追う青年。異国の地で手探りで関係者を追う展開。人々は口を閉ざし、暴力が彼を追う。
そしてこの緊張感の表現が絶妙。これは読む前から予測されたことだがソ連という国の、またそういった国の中での不自由な日本人社会、密告の奨励、道歩く他人がだれ一人信頼できない心細さ、それより助けてくれる人々まで疑ってかからなければならない哀しさ――等々、行間から滲み出るように読者に伝わってくるのだ。作者にそこまでの意志はないかもしれないが、国家とは何なのか、国民とは何なのかという問いかけまでもを聞いたようにさえ感じた。そして後味が良いのか悪いのか。レーニンの謎……そのものは「まぁ、たぶんそういうことなんだろうな」というレベルに落ち着くのであるが、ラストの展開は予想を裏切られるものだった。

「暗号ミステリ」……としての軸で評価するのはちと辛いし、国際謀略小説としても傑作とは言い難い。エンターテインメントのようなルポルタージュのような。ある時期確かに存在したある世界の歴史を検証するための文学と表現するのが私の印象ではもっとも適切なように感じる。


02/12/08
夏樹静子「77便に何が起きたか」(角川文庫'83)

元版は光文社のカッパノベルスから'80年に刊行されながら'82年には講談社から「夏樹静子作品集1」として刊行され、更に本書はその翌年に角川書店から文庫(本書)が出ている。更に実は「交通ミステリー傑作選」という副題で再び光文社文庫から'92年に再度文庫になったものの結局絶版。今はどうかというと光文社の電子書店で入手が可能……というくらいに人気の根強い作品集ということ。

旅客機が突然爆破されるという兇悪な事件が発生した。貨物室に預けられた手荷物が爆破されたのが原因。捜査陣が被害者の周辺を探ると、人口の少ない地方都市T市に関係する人々が多すぎることが分かる。しかしその五人の身許を洗っても何も共通点は見あたらない……。 『77便に何が起きたか』
露西亜文学を専攻していた女子大生が日本−ソ連を結ぶ連絡船ツアーの最中に行方不明に。被害者と生前接触のあったロシア人が疑われるが、死体もなく公海上の事件のため捜査はソ連警察が主体で実施することになった。 『ハバロフスク号殺人事件』
九州出張のために夜行特急に乗車していた会社社長の前に、前社長から仕えていたわりに無能のため虐げている秘書課長が現れた。彼は別便で九州に向かう専務と同行していたはずなのだが、その様子がどうもおかしい。 『特急夕月』
新幹線の車内で多額の遺産を持つ未亡人が殺害された。容疑者は当日大阪に新幹線に乗って博多に行き、自宅で電話を受けたと主張、そのアリバイによって容疑を否認していた。 『山陽新幹線殺人事件』
フランスの会社を経営していた友人がローマ急行の密室内部で刺し殺された事件は迷宮入りしてしまっていた。その結果、フランスを去ることになった男は恩師の教授にその事件のあらましを語る。 『ローマ急行(エクスプレス)殺人事件』以上五編。

夏樹静子が乗りに乗っていた時期に執筆された乗り物関係ミステリの集大成
本書に収録されている短編それぞれは傑作というよりも、その作者の「狙い」が面白い佳作。しかし詳しい人に「夏樹静子の短編集でどれが印象に残っている?」と尋ねると、本書が上がるケースが多い。つまり作品それぞれよりも、作品集のトータルとして完成度が高いといえるのだ。
さらりと上記しているが本書は「交通関係」をテーマにした作品集。表題作はもちろん飛行機がテーマながら、順に連絡船、特急列車、新幹線、そして海外の特急と微妙に主題をずらしているのがまずミソ。そして短絡的にアリバイ! と考える読者の逆手を取るような試みが繰り広げられているのが面白い。『77便…』はミッシングリンクがテーマだし、『ハバロフスク…』は成功しているかどうかは微妙ながら、意外な動機がポイントになる。また、『特急夕月』は精緻に練られたアリバイトリックの悲喜劇をめいっぱい茶化した諷刺心いっぱいの作品であり、『山陽…』はアリバイトリックそのものの焦点をずらすことによって効果を上げている。
しかし冒頭に『オリエント急行殺人事件』の一文を掲げ、クリスティに正面から挑戦した『ローマ急行殺人事件』はお見事。欧州で発生した事件を安楽椅子探偵が解き明かす試みからして違っているし、実際に探偵が訊問したりするシーンはないものの、終わってみるとしっかり作品を踏まえ、全く違うものに見えるのに実はしっかりとそちらの真相を意識したトリックになっているところに驚きを覚えた。夏樹さんは後にもクリスティに挑戦し、そしてその成果を発揮した長編も著しているのだけれど、この短編はその序曲といえるかもしれない。

確かに交通事情は時代によって移り変わるし、本書に登場する全ての「乗り物」に関して同じような機材、ルール、方式で運営されているものは今や何一つ残されてはいない。(新幹線はあるけれど)。それでもトリックという面に関しては古びるものではない。トラベルミステリー好きには意味はないが、本格パズラーを愛する方であれば今でも楽しめる作品集だといえる。


02/12/07
大下宇陀児「どくろ島」(章書房'60)

いわゆる「貸本上がりカバー欠」にて入手することができた一冊。調べる限りでは『どくろ島』という長編そのものは本書でしか読めない……らしい。たぶん。

父母と欧州流浪の旅に出ていた堤絵美子は異邦の地で母を喪い、父と友に辛くも日本に戻ってきた。しかし父親は絵美子を旅館に置いたまま「大切な用事がある」と言い残して出ていったまま帰らない。そんな彼女の元にS県M郡の栗浜まで出向くよう電報が入る。内心の不安を押し隠し人気のない現地に赴いた彼女は不気味な髑髏の案内により、覆面をした不気味な船頭が漕ぐ船に乗る。目的地は「どくろ島」。唖かと思われたその船頭は島に到着するや豹変、彼女は麻酔薬をかがされ島の内部にある鉄格子付きの洞窟に閉じこめられる。どうやら彼女が誘拐されたのは祖父、卯兵衛の財産が関係しているらしい。その覆面男が去った後、絶望に包まれた彼女は壁から「コツコツ」と音が聞こえることに気付く。独房の壁の隙間から血で書かれた手紙が彼女の元に名乗る。男は伊馬禎造と名乗る若い男で、絵美子の父親、卯之助を知っているという。そして伊馬は絵美子を助けて島を脱出するが、実はそれも全て大きな計略の一環であった……。 『どくろ島』
新鋭の燈台以外に何もない織部博士の別荘。織部博士は年若い妻との折り合い悪く常に折檻を繰り返していた。美しく大人しいその妻を慕う人は多いが彼女は博士に貞節を尽くす。しかしある日遂に……。 『R岬の悲劇』
マリと圭三郎の不良カップルは圭三郎がかつて勤務していた薬局から大金を奪う計画を立てる。マリが計略でその薬局主人に取り入るが、その主人がマリを厚遇したため彼女はなかなか強盗計画を開始出来なくなる。 『情婦マリ』
資産家未亡人の十一歳の娘が誘拐された。彼女の親戚は近代化されて無能になった警察などに届けるべきではない、と主張するが未亡人は警察に届け出た。 『誘拐犯人』 以上長編一作、短編が三編収録されている。

犯人が「なぜそういう七面倒くさいことをしたか」というツッコミはしてはいけない。筋書きを徹底して追おう
短編三つの出来の面白さに比べて長編の荒唐無稽ぶりの一冊が目立つ。まぁ、それも指向がミステリというより探偵小説なので仕方ないことではあるが。その『どくろ島』、最初から作者は犯人を明らかにしており、その犯人が「なぜその犯罪を行うのか」という点と、その犯人に翻弄されるヒロインの「不安がりぶり」という点の二点が物語の焦点となっている。ただ、犯人の謎の行動の真意はとにかく、ヒロインの不安の種をあからさまに読者に提示してしまった上でサスペンス感を出すことには残念ながら成功していない。そのうえ明かされる犯人の行動も何というか「そんなに面倒くさいことしないでも……」的な、どこか探偵小説のための行動に終始しているため、何とも言い様のない味わいにて物語が終わる。雰囲気だけを味わうなら格別なのだが……。
一方の短編はあっさりしながらも充実した内容。本格パズラーとしてというより大下宇陀児がそもそも目指す犯罪心理の不可思議さが上手く出ている。『R岬の悲劇』では耐えに耐えた妻が最後に夫に行った仕打ちとその周囲の反応、『情婦マリ』ではマリの天真爛漫な無軌道ぶりが、『誘拐犯人』はその二作からは落ちるが警察の近代化時代ならではの犯人の心理が物語に取り入れられており興味深かった。

大下宇陀児の短編は奥が深い……。『どくろ島』がいつ頃執筆された作品かは分からないのだが、ギャップが激しいよなぁ。(戦前の可能性が高そうだが) 大下宇陀児ファンだけが押さえておけば良さそう。


02/12/06
戸川昌子「今を自分らしく生きる」(海竜社'91)

主婦兼シャンソン歌手兼推理小説作家、戸川昌子さんが自らの半生を振り返り、人間の「生き方」に関する自らの信念を綴ったエッセイ集。(一貫しているので、エッセイというより指南本という方が適当かも)

<プロローグ> 挑戦することは新しい自分を発見すること
 人生に挑戦し続ける女は美しい――自らの生まれ、商社にタイピストとして入社後、夜のアルバイトを始めてシャンソン歌手を目指すまで
 挫折は希望への片道切符――OLの仕事を辞め、バンド専属歌手として、更にフリーの歌手としての活動、更に江戸川乱歩賞を受賞するまでの道程
 自己表現が磨く女の人生――歌手として、作家として、経営者としての仕事に対する心構え、引いては今時の女性の仕事や人生についての心構えについて説く
 愛することは成長すること――四十五歳での高齢出産、そして結婚。自分自身の恋愛体験を通じて恋愛の素晴らしさを説く。ただ多少の迷いが未だあるのか、多少歯切れの悪い部分も
 今、このときを自分らしく生きる――とにかくどの年齢であっても自分自身の可能性を試すことを忘れずに。人生の終わりを迎えるまで人間は成長し続けるのだから
<エピローグ> 自分自身の人生を生きるために

シャンソン歌手兼推理小説作家兼一児の母親、戸川昌子の出来るまで
私は残念ながらシャンソンを嗜まないので、その世界(日本において)がどれくらいに厳しいものかは、実際のところは分からない――が、他の様々の芸術娯楽の分野がそうであるように、生半可な努力でモノになるものではないことだけは確かだろう。その世界に生きていた戸川さんが、初期とはいえ、大きな権威であっただろう江戸川乱歩賞に応募し、受賞してなぜ推理小説作家となったのか。これは大きな疑問であった。
また、どちらかの世界を選ぶでなく両方の道を生き、それぞれ足跡を残す存在であることも、普段それほど気に留めていなかったのが正直なところ。だが改めて考えてみれば驚異的なことだろう。
本書は「戸川さんによる若い女性に向けた人生へ立ち向かうためのメッセージ」というのが本来の目的であったのだろう。しかし、中身はその両輪を回し続けた、いや回さざるを得なかった戸川さんの境遇と、類い希なる根性の物語が込められている。不遇な少女時代、子離れ出来ない母親との葛藤、努力を続けても芽のでない仕事に対する悩み。それらを戸川さんがいかに乗り越えてきたか。元々戸川さんの自伝ではないし、苦労話をくだくだと書かれるのも性に合わないはずで、恐らく本書に記されている努力は意識的にさらりと書かれているように思う。但し、それぞれの「壁」に当たった時に信じたこと、感じたことは事実だろう。
彼女と同じように生きられる人は、そうはいまい。それでも日々汲々と暮らしている我々凡人に取って、彼女のひたすらに前向きな生き方は、いろいろと参考になる示唆を与えてくれる。人によってそれらは違うだろう。けれど「一度しかない人生を悔いなく生きる」というのは我々誰もが望んでいること。その為にどう生きようか、ということを考える指針だけは、読者全員に向かって発されていることは確かである。
戸川作品から滲み出る人生観と、戸川さん自身の人生観との隔たりの無さ。これはまた一つ読書の上でのヒントになるかもしれない。

中目黒のBOOK OFFで偶然手にした本書が「お言葉、署名、落款入り」だったので慌てて購入したもの。しまいこむ前に、と読み出したら意外と面白く、一気読みしてしまいました。最低限、乱歩賞受賞の『大いなる幻影』だけでも読んでからでないと、イメージが湧かないとは思いますが。


02/12/05
西澤保彦「人形幻戯」(講談社ノベルス'02)

西澤氏のタック・タカチシリーズとはまた別に、水玉蛍之丞画伯のイラストと併せ、独特の人気がある「チョーモンイン」シリーズ。本書はその「チョーモンイン」シリーズの六冊目、短編集としては三冊目にあたる作品。『小説現代増刊メフィスト』にて'01年より'02年にかけて掲載された作品に書き下ろしの『怨の駆動体』が加わっている。

公園を荷物も持たずに歩いていた女性の前の空間に置き時計が出現。彼女はそれで頭を打って死んでしまう。時計の出現にテレポーターの存在が確認されたが、置き時計をテレポートさせたのが誰なのかは分からない。 『不測の死体』
バス事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出した学校。全校集会のために集まる生徒を尻目に教室に居残っていた一人の男子生徒がするすると五階まで身体をつり上げられた状態から落とされて死亡した。彼は人妻高校教師に対して熱烈な思慕をしていたが、その彼女はバス事故にて死んでしまっている。 『墜落する思慕』
男一人と女二人の仲良し三人組。夫と別居している郁江の元に清志郎と共に遊びに来たはずの八栄子の記憶が二時間ほど消えた。マンションの別室では郁江が刺し殺されており、清志郎の姿は見えずチェーンには内鍵が。 『おもいでの行方』
小さな事務所勤めの美代子の務める事務所を実質的に切り盛りしていた人物が自殺。その直後から美代子が知らないはずのその場所の映像が頭のなかに浮かぶようになる。一方彼女は喫茶店でババ抜き状態になった女性が傘を取らずに走り去ったことに興味を持つ。その女性は遅塚聡子。 『彼女が輪廻を止める理由』
小さな超能力を持つ刑事、邦宮はホテルで張り込みの最中にシャンデリアに念を送った。微弱な力で何もおきないはずだったがそれが落下、サラリーマン風の男が押しつぶされた。現場をさっと立ち去った女性に興味を覚えた邦宮は彼女が死んだ男性をストーカーまがいの周到さでつけ回していたことを知る。 『人形幻戯』
サイコキネシスでチェーンが掛けられた部屋の外から非常階段を猛ダッシュ、挙げ句に転んで頭を打って女性が死亡した。保科匡緒と神麻嗣子はこの事件が事故だったのか他殺だったのかを検証する。 『怨の駆動体』 以上六作品からなる短編集。

キャラクタばっちり、議論しっかり、嗣子のんびり。そんな西澤作品の魅力とは
近年の西澤氏の短編は主に「チョーモンイン」シリーズが主となっている。当然、その設定には「超能力が用いられた犯罪」が使用されていることは周知の通り。このシリーズが本格パズラー足り得ている背景には、超能力がHOW DONE IT? のタネとしてでなく、手掛かりとして当初から読者に提供されていることがある。そういった目眩まし? というか前衛性を抜きに考えると、西澤氏のロジック――というか事件後の推理の過程には一定のパターンがあることに気付く
。例えば本書の冒頭作品『不測の死体』においては、物体のテレポーテーションがテーマとなって、公園で何も持っていない女性がいきなり置き時計が頭に激突することによって殺害されるという事件が描かれる。読者は「ハハァ、空中に時計をテレポートさせてぶつけたんだな」という風な先入観によって支配される。しかし、物語における推理の過程は「全体を想像し」→「個々の事象を検討する」といった順番では為されない。能解警部と保科とのブレインストーミングは「なぜ被害者が荷物を持っていなかったのか」「なぜ被害者は公園を歩いていたのか」「なぜ時計はテレポートされたのか」等々、個別には謎としては小さすぎるような事柄について一つ一つ検討し、可能性を潰していく方向にて行われる。可能性があり得る事象は置いておかれ、次へ次へと進むうちに事件という名の真実を通り抜ける隘路が見えてくる、それが事件の真相となる――というのが西澤本格パズラーの謎解き論となっている。事件を多方向から検討し推論と推論を敲かせ合うのは本格ミステリの醍醐味であり、その醍醐味を西澤氏は作品の中核に据えているといえよう。
もう一つはぽわぽわした雰囲気に関わらず、西澤作品に登場する犯人やその他の登場人物は心に問題を抱えているケースが多い。現代というフィルタを通せば、決して異常とはいえない人々。彼らが事件に絡むことによって、論理の隘路でしかないとも思われる「突飛な」真相が、奇妙な説得性を帯びてくるのだ。
特に最近の作品ではこのあたりの「パターンとはいえないパターン」が全ての作品において下敷きになっている。この結果、例えば物語の語り手を変えたり、シリーズが変わったり、舞台を変化させたりしたとしても、どの作品にも抜群の安定感を発揮しているといえるのではなかろうか。

とはいっても、当然登場人物の魅力やそもそもの謎の設定に面白みがなければ、これだけ多くの作品を読者が受け入れることはないだろう。西澤氏の安定感はそういった物語の創り手としてのセンスのうえに成り立っているというのが大前提である。いうまでもないが本書に関してはシリーズを順に読まれた方が吉。


02/12/04
雨宮町子「殺される理由(わけ)」(徳間書店'00)

雨宮町子さんは'97年第2回新潮ミステリー大賞を『骸の誘惑』にて受賞してデビュー。本作は第2長編『眠る馬』に続く三冊目の単行本にあたり、'98年から'99年にかけて『問題小説』等に掲載された作品に書き下ろし表題作を加えて刊行された短編集。

図書館で司書のアルバイトを務める三十男、亮介。彼はCDショップのディスクジョッキーという仕事を週末持っているがそれでは生活できず、一度は足を洗ったはずの「興信所の下請け調査員」という内職を辞めようと思いつつ繰り返している。
図書館に通ってくる美人女子大生、夏川鮎子。彼女に一目惚れしている亮介は、返却された本で見つけたメモから彼女の行動をつい追ってしまう。その喫茶店での会話から彼女が恐喝されていることを知った亮介は頼まれてもいないのに救出作戦を開始する。 『なぞなぞ』
都内にある屋敷で会社員が撲殺死体となって発見された。開かれていたパーティには屋敷の主人一家の他に数名の若者が参加しており、彼らはそれぞれに恐喝されていたり遺品を狙っていたりと腹に一物を抱える関係だった。当日滞在していた女性が亮介に事件の調査を依頼する。 『殺される理由』
亮介が家庭教師のアルバイトを開始。その家の息子が絵画サークルの展覧会で絵にスプレーを吹き付けたという噂を立てられる。その噂の出所は近所の猫田家。亮介は事件前後の様子を確認、ある事実に気付いた。 『猫田夫人はしゃべり過ぎ』
行きつけの喫茶店の娘が警察から事情聴取を受けたという。占い師が何者かに撲殺された事件で彼女の家のお手伝いをしていた女性が友人の母親だったのだ。彼女はその親子と一緒に犯行時間近辺は車に乗っていたというが……。 『911』
六の字に建てられた奇妙な屋敷でミステリー作家が殺害された。同時にその屋敷を訪れていた男も射殺された。その屋敷に間借りしていた孫娘の話で亮介の雇い人である三歩一が謎を解く。 『六の字屋敷』以上五編。

意外なところに本格ミステリ。一冊で小さな謎から殺人事件まで楽しめるお得で不思議な短編集
「ミステリー」の書き手として雨宮町子という作家がいることは当然今までも認識していたのだけれど、実は「ミステリ」の書き手だったとは。……ここでの「ミステリー」「ミステリ」の音引きに意味があることはいうまでもない。「ミステリー」は広義の謎解き、「ミステリ」は狭義の本格系のミステリを指す。
個人的には今まであまり読もうというバイアスのなかった雨宮作品を手に取ったのは、『本格ミステリクロニクル・300』にて取り上げられていたことが理由。その理由は一読して分かった。雨宮さんの独特のセンス(恐らくこれは彼女特有のものだとは思われる……後述)+ロジカルな推理過程が楽しめるというのが本書のポイントだったのだ。「興信所の下請け調査員」という半分アマチュア、半分プロフェッショナルなマージナルな存在を主人公に据えることで、日常の謎から殺人事件までどんなタイプの「謎」に対してもすんなりと関わっていける存在を登場させたのが大きい。一冊のなかに遺恨に満ちた計画殺人事件からちょっとした悪戯までスケールの異なる謎が並んでいながらも、その根っこには論理的でトリッキーな謎解きを据え、更に明かされる犯人の動機や、物語の結末に一抹の寂しさを漂わせる……一級品というのが本書の正体。
場面や光景の描写が淡泊に過ぎるきらいがあり、物語が暫く進むまで何がどこで起きているのか分からない作品がいくつか見られたことは、強いていえば表現上の問題にあたるだろう。プロローグが思わせぶり過ぎてその場面が目に浮かばないというか。それでもだらだらとした描写が続く長大作品などよりよほど好感が持てることはまた事実なのであるが。……そしてこれが雨宮作品の独特のセンスに繋がっている。淡泊な描写で彩られた文章から物語を読み取ろうとするに、読者は想像力を働かせる必要がある。文章の行間を読むセンスが求められるといっても良いだろう。知らず読者は感受性というアンテナを張り巡らした状態で本書に向かうことになる。 その結果、物語の内部にひっそりと息づいていた「哀しみ」「怒り」といった登場人物の感情までをも敏感にキャッチしてしまうことになるのだ。何の変哲もない作品でありながら、不思議な叙情感を漂わせる作品が目立つのはそういった雨宮流(天然?)テクニックのなせる技だといえる気がする。

超のつく傑作ミステリとは言い難いが、一読した後の余韻はなかなか。がちがちの本格推理とも、やわやわの日常の謎とも違うひと味違う感覚がベースになったミステリ。これから先もそう話題に上ることはないだろうが、記憶には長く残る作品のように感じられた。


02/12/03
岩井志麻子「黒焦げ美人」(文藝春秋'02)

『別冊文藝春秋』誌に'02年の1月から7月にかけて連載されていた同題の作品が単行本化されたもの。

明治天皇が崩御した夏。女学生の砂川晴子は階下で行われる呉服屋を営む両親の嘆きと口喧嘩を聞いていた。晴子の姉、珠枝は小さい頃から「拵え映えのする女」で、料理屋の仲居見習いの時に実業家の尾崎に見初められ、妾として岡山市内に独居していた。尾崎の出す金によって両親は呉服屋を経営し、晴子は学校に通う。そんな晴子は姉の後ろ姿が好きであった。尾崎は米国に出たり家族の許へ帰ったりとあまり珠枝のところにはおらず、独身の若い男が半ば公認で彼女の家に出入りしていた。晴子はそのなかでも珠枝には歯牙にも掛けられない大橋というあけっぴろげでのんびりした男のことを密かに恋していたが、珠枝はバイオリンを弾く気障な男、藤原に夢中だった。その珠枝の家が全焼し中から彼女の焼死体が発見された。更に貴金属が持ち出されており放火の疑いが強まった。山陽新報は「黒焦げ美人」事件として扇情的な報道を開始し、砂川一家の身辺は俄かに慌ただしくなっていく。

今や遠い明治と大正の断層、そして彼岸と此方の境界線を二重写しにした岩井文学の結晶
時代を映すに巧みな文章、孤独で心の闇を抱える女性心象を見事に表現した描写……等々、作品の部分部分を切り取れば岩井志麻子さんの作品であることは間違いはない。ただ作品を通じての印象は、これまで岩井さんが描いてきたホラー寄りの作品とも、実録犯罪ものとも、ミステリとも、時代残酷小説ともまた違うものがある。幻想小説に分類されるべき作品で、彼岸と此方の境界線が描かれていることは間違いない。ただ、ともすると登場人物を彼岸に遣ってしまいがちなこのジャンルにありながら、綱渡りのように此方につま先立ちして留まっている女性の姿を描こうとしているように感じられるのだ。彼岸側を見据えながらも、我が身を安易に流さず、彼岸に渡ろうとする、そして渡ってしまった人々を眺め続ける主人公。 これはこれで大層苦しいことに違いない。そんな主人公の姿を少し突き放して描く物語は、人間は様々な形で「世界」を知り、それなりに「成長」していくものだ、ということを知らしめる。いや岩井さんにはそんな意図などないかもしれないが、結果的にそうなっている。
黒焦げになりながら耳だけ焼け残った姉や、プライバシーも何もあったもんじゃない時代の新聞社の取材攻勢、更にスキャンダル暴露の数々。当然岩井さんに社会告発の意図などないだろうが、主人公の悲惨な状況は直視するに辛いものがある。ただこういった「悲惨な状況」にあることがまた「彼岸」「此方」を鮮明に浮かび上がらせる前提となっている。このあたりの辛い環境の描写や主人公の周囲に流されやすい心境などの表現力の生々しさは、岩井文学における一つの特徴ともいえよう。

そしてそんな物語の背景となる時代。そのセピア色がかったかと思しきその時代の描写の巧みさ叙情感といったあたりを、岩井さんの筆は見事に顕していく。特に本書では出だしと終わりの明治、大正の描写が素晴らしい。

人力車は華美を競い点燈夫は街燈の炎に汚れた頬を照らし氷屋の紅い提燈には凄まじい夏風吹き付け貧窮する百姓の子らは小学校の授業の合間に縄綯機械で内職をし東京まで十五時間の特急列車は朝鮮経由西比利亜線によって遠く欧羅巴にまで洋装の旅行者を運び窓外の岡山市は死せる明治の中に沈む――。

内山下の停留所にて電車を降りたれば白く輝けるハイカラなカフェー・パリーあり瓦斯は飾り硝子よりも明るく珈琲の香りは可憐なる女給仕の脂粉よりも高く洒落た洋間の片隅には若き紳士と後ろ姿も可憐なる乙女ありヴァイオリンの音色軽やかにして恋の囀りは卓子に飾られたる薔薇よりも麗しくこの涼やかなる夏は永遠に続くと思わせるが恋と同じく儚きことが約束された美麗な大正は岡山市とともに黄昏るる……

この独特の感覚は誰かと共有したい/できるものではないような気がする。 どこか秘密にしておきたくて誰かに薦めたいなどとは決して思わないのに、どこかにいる誰かには読んで欲しい……という不思議な感興を引き起こす作品。


02/12/02
皆川博子「知床岬殺人事件」(講談社文庫'87)

皆川博子クラスの作家に対してさえ、編集者が一般読者にも分かりやすい、書き飛ばしの旅情ミステリを強要した時代があったという。本書はそんなただ中の'84年、講談社ノベルスより刊行された一冊で、題名を見る限りは全くその系譜にあるのだが、皆川世界の矜持を保ったうえ本格ミステリ的味わいをも感じさせるという綱渡りを実現している希有な作品。

親の遺産を持つ天野弓子は生来の引っ込み思案を持て余していた。いつの間にか彼女には死んだ妹の人格である天野鞆子という人格が現れるようになる。鞆子はピンク映画監督、由木の起死回生の作品”氷の涯”に一千万円を出資することを約束してしまっていた。往年のアイドル歌手、天脇愛子を主演、更に出資を認めさせ、厳寒の二月に知床岬ロケを敢行するスタッフたち。弓子/鞆子はスポンサーとして彼らに付き従い、酔っての行動は彼らからの顰蹙を買う。流氷浮かぶ海上での撮影中、プロンプターで由木監督の公然の愛人でもある石上梢が海に落ちるトラブルが発生する。旅館で助監督の梶は監督の指示により、梢の部屋に置いてあるスケジュールを取りに向かうが、梶が梢の部屋の扉を開けた瞬間、梢が海に面した窓から墜落してしまう。梶は扉の裏に何ものかが隠れていたと主張するが、、梢の死体の首に浴衣の拵きが巻き付けられており、壁の釘にはその繊維が擦れたような痕跡があった。弓子は事件発生時分、何ものかに睡眠薬を飲まされて寝込んでおり、容疑者として疑われることとなる。

これもまた皆川ミステリなのか。大胆、そして華麗、通俗に向けられているのにそうは決して感じさせない……
発表が'84年。この当時に'70年代の映画を撮ろうというクリエーターたちの気概。集団が一つの目的をもって盛り上がる――という気概を「単純な盛り上がり」と捉えずにスタッフ各人がその目的に対して微妙に異なる立場を取らせている点にまず注目したい。こういった導入部分からいきなり巧いのだ。監督を始めとするスタッフたちの間にある愛憎、緊張、利害といった人間関係を短い文章のなかでさらりと(実にさらりと)匂わせる手腕が素晴らしい。最初の墜死はどたばたとしたなかで発生するため、事件としてはあっさりとした印象を受けるが、助監督である梶が探偵を始めることによって匂うだけで隠されていた人間関係が浮き彫りになっていく。 彼ら同士の心理を読みながら、容疑者の白黒をハッキリさせていくあたりの論理もさりげなくよく考えられたもの。
喪われつつある自らの時代を悼む人々と、二重人格を持つ弓子と鞆子との対比は、実はこの時代特有の理想と打算の二重写しではないかと考えられる。心理ミステリとして十二分に美しい……と思わせておいて、ラストには実に意外な最初の墜死事件の真相が明かされる。「皆川作品」というレーベルをそのままミスディレクションにしたかのようなトリックには、頬を突然ぶたれるようなショックさえ感じた。
この結果、この作品は特有の時代の息吹を感じさせつつ、そして若者とはもういえない年齢の人々の熱気を孕みつつ、Who done it? How done it? の意外なミステリとしての結末までをも持ち込んだ希有な作品として幕を閉じる。確かに重厚さや文章の美しさなどは、最高峰とはいえないかもしれないが、皆川ミステリの凄さだけはかっちりと味わわせてくれる佳作であるといえよう。

皆川博子作品、特にその多彩な執筆ジャンルのミステリについて語られる時に、数々の傑作の末尾に「それでもこの作品は読む価値がある」と付け加えられることの多い作品。その意味をようやく読むことによって知ることが出来た。ノベルスで刊行されたというのが不思議なくらいの完成度を秘めた皆川ミステリの裏傑作。 (調べてみると木谷恭介氏にも同題の作品があるようで。)


02/12/01
霞 流一「首断ち六地蔵」(カッパノベルス'02)

季刊『GIALLO(ジャーロ)』に'00年から'02年にかけて七回にわたって連載された作品が単行本化されたもの。「地蔵」がテーマであり、無理な解釈を当てはめなければ著者特有の動物尽くしとは一線を画したものとみることもできる連作短編集。

地蔵六体の首切り事件の調査に訪れた魚間岳士とその案内人の僧侶、風峰。その近辺にある廃墟となった病院でホラー映画のロケが。一行の一人が密室内で殺害され、死体は地上に墜落していた。『地獄院長は燃えた』
うどん屋の厨房でお婆さんの死体が大鍋にて茹でられていた。そのお婆さんは存在しない筈の赤子を抱いていたのを目撃されており誘拐事件に関連する事件と思われたが……。 『餓鬼の使いは返らない』
花見の季節。桜の木の下で鰻屋の主人が殺害された。被害者は刺殺されており傷口には鰻が差し込まれていた。周囲に桜の花びらが散っており現場には誰も近づいた跡はなし。 『畜生は桜樹に散る』
工務店の棟梁が密室となる奇妙な部屋の内部で殺され、首が切断されていた。容疑者には誰もその犯罪を行う隙はなかったはずだが……。 『修羅の首が笑った』
キリスト像に風呂敷で括られた地蔵の首。アル中保護施設で発見されるのは十字架に磔にされた死体。しかしその周囲には何者の足跡がない。 『人の死に行く道は』
五つの事件を演劇化することになった。風峰を演ずる役者がリハーサルの途中、密室となった部屋の中で撲殺された。犯人は、そして一連の事件の真の真相とは? 『天は風を見すてたか』以上六編。

本格ミステリ作家としての霞流一の業績が結晶。サービス精神とロジックの詰まった代表作品足りうる傑作
基本的に個々の短編は一つのパターンを為す。「冒頭で首を切り取られた六体の地蔵。その首が見つかるところ、日羅薙月獏となのる教祖率いるカルト教団「浄月の和夢」が、脱会者やその周辺人物を不可能状況下で暗殺を実行する。対するは「寺社捜査局」略して「JFK」に所属する調査員、魚間岳士霧間警部、そして六地蔵のあった豪凡寺の住職、風峰。彼らによって事件の何通りもの解決が出されるが、真相が言い当てられた途端にその刺客は自害を遂げてしまう」……長くなったが以上の形式が六つ繰り返される。またいわゆる単なるその連続だけでなくいわゆる「連作短編集」である点にも注目しておきたい、とだけは言っておこう。
あとがきで作者自身「本格でもっともおいしいところである解決シーン、マグロで言えばトロの部分、それらが全編のほとんどを占めるミステリに挑んだつもりです。」とある通りの作品。つまり通常のミステリでいうところの「背景の説明」「殺意の醸成」「殺人事件の発生」「容疑者の特定」あたりの行為をすっ飛ばして「奇妙な死体」「推理」「推理」「推理」「解決」のみで作品が構成されている。
殺され方の奇妙さに関しては霞氏はこれまで自らが実践してきたレベルをあくまで維持しており、その殺害方法のトンデモぶりも相変わらず。ただ、そこに至るまでのこれでもか、という解決(それはそれで可能なものばかり)を、一つの事件に対し最低三つは用意するという周到さは念が入っている。特にこれまでの長編でみられた前半で奇妙な殺人があり過ぎて、後半に進むに連れさらにいろいろと謎が突っ込まれるおかげで一つ一つの謎のインパクトが薄れる……という欠点はこの作品では解消されている。
本格ミステリを「謎解き」と「物語」に分けたとき、「物語」部分を豊かにしていこうという試みが多いなか、「謎解き」を徹底して分厚くしていくという筆者の方向性は特異にさえ感じられる。とはいっても「本格」ミステリファンの多くが好むのはこの「謎解き」の楽しさである。ただ本作で残念なのはそのスピーディさによって犠牲にされたのだろう、「謎の提示」があまりにもあっさりとしていること。動機や容疑者特定を省略するのは構わない。だけど「物言わぬ死体」がぽんと出てきてしまうがために、読者が推理する暇が与えられていないようにも感じられるのだ。(もしかするとそれさえも作者の狙いかもしれないが……)
ただ、ここのところ減少傾向にあるような気もする連作短編集ならではの趣向は素晴らしい。個々の作品において感じていたごくごく僅かな疑問が最終的に回収される。この部分もちょっと急ぎすぎているのは勿体なかったが、作者の超絶な意気込みに圧倒されて頁を閉じた。

もともと霞氏は読者に対するサービス精神が過剰? な作品群を著してきているが、本書はそのサービス精神と霞流の謎解きのスリルが結実している感。その結実が充実しすぎて中身がぎしぎしに詰まっているのも愛嬌か。霞流一ファンならば読み逃せない一冊なのは間違いないが、初心者がいきなり本書を読むとちょっと戸惑うかもしれない。最初からトロではちょっときつすぎる。