MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/01/10
末永昭二「貸本小説」(アスペクト'01)

『新青年』研究会所属の貸本研究家、末永昭二さんによる長年の研究がまとめられた一冊。深夜番組『トゥナイト』でも取り上げられ、発売直後に大評判となった。また本書は第55回推理作家協会賞の候補作品となったが、受賞は惜しくも逃している。

  第一章 ミステリ・SF
「完全無欠のスーパーヒーロー 城戸禮」「限界に挑む奇想のデパート 宮本幹也」「日本初のグルメハードボイルド 九鬼紫郎」「女の子は何でできてるの? 園生義人」「「新本格派」を先取りした推理ユーモアSF『花婿立候補』 栗田信」「奇想は山から下りてくる『快男児街を行く』野村敏雄」「大正ロマンよ、もう一度!『笑いの仮面』保篠龍緒」「貸本史1 貸本小説が生まれるまで」
  第二章 時代小説
「「ひばり映画」と歌舞伎再話 瀬戸口寅雄」「ヘイケガニたちのロカビリーパーティ 井上孝」「苦悩する「若さま」 高樹純之(水野泰治)」「タヌキが江戸を襲う!! 『変化たぬき大名』風巻絃一」「貸本史2 貸本小説の読者とその衰退」
  第三章 現代小説
「おてんば娘と冗談居士 若山三郎」「「破格」の面白さ 三橋一夫」「老残の読物作家 竹森一男」「不愉快になるのがお好きなら 鳴山草平」「二人の「太田」 太田久行(童門冬二)/太田飄一郎(太田蘭三)」「満身創痍のフランケンシュタイン『頑固先生行状記』和巻耿助」「「私たちだけ、幸せなのね?」『銀座恋愛娘』南美穂(南美穂子)」「最新風俗をスパイスに『ミサイル社員』萩原秀夫」「謎の作家の追っかけ小説『角帽快男児』中野俊介」

作家の読みどころを押さえて貸本小説の魅力を余すところ無く伝えたレビュー、そしてユーモア溢れるエッセイ集でもある一冊
基本的な構造としてはこんな感じ。貸本小説時代の一人の作家を取り上げ、その作風のよく出た作品についてネタバレ覚悟のレビューを行い、その作家の貸本小説に対する創作姿勢や実際の人生、それ以外の作品等に触れたうえで特徴を押さえる、というもの。このやり方が貸本小説というメディアの特性もあるのか見事にマッチしている。末永氏の確信的行動なのであろうが、貸本小説の特徴、つまりナンセンスであるとか荒唐無稽であるとかそういった部分をピックアップしていることによって、どこか異形の物語群を見せられているような気分になるのだ。異形……という言い方は適当ではないかもしれない。しかし、少なくともこのような内容の作品が数多く出版されるという事態は現代まず考えられないことを考えると、時代が生んだ鬼子といった趣が本書からは感じられた。(実際に小生が手にしている作家が数人分しかいないことも影響があるのだろうか。城戸禮とか)。
末永氏の分析によれば、こういった作品は「非学生ティーンエイジャー」を主の読者とし、数年間で爆発的に拡がった挙げ句にあっという間に萎んでしまったという貸本小説ムーヴメントが生み出したものだという。その意味自体、やはり「時代」が生んだ作品……だということはいえるだろう。特に当時の読者の在り方、生活様式から、貸本小説の内容の成立を鑑みる視点はなかなかに鋭い。
……と偉そうに感傷めいたことを書いたが、ナンセンス好きな小生は、本書から「うお、これは読んでみたい!」と何度も思わされたことも事実。ヤクザ対女子大生の対決。幕府転覆を狙う好色党。生真面目に過ぎるエッチ小説。意味無く美食家の名探偵……。嗚呼。 なんか上手く使えば現代でも使える……いや、やっぱり難しいか。こんなの。

こういったトンデモ要素満載の作品を紹介する末永氏の多少醒めた目で綴られた文章が、また作品の奇想天外さを強調する。取り上げた本にツッコミを入れるタイミングがうまく、視線が読者のものと非常に近いのがその理由か。恐らく本書で取り上げられている作品(例えば城戸禮とか。またかよ)を読んだ時の自分の抱く気持ちと末永氏の述べている感覚が近いように思われることでもあり、その思いは強い。
この時代と現代とでは、好況期にあり多少の波があれど昇る一方だった日本が、不景気に喘ぎ先の見通しが立たないような時代に突入しているという点で根本的に異なる。我々が本書で取り上げられている作品を面白がるのは、時代の経過以上にかつての日本にそこはかとない懐かしさと憧れを抱いているから……いや、やっぱり違うかな。

末永さんが、小生が東京を去る際に開催されたお別れオフ会に出席して下さったことも、今となっては良い思い出。ずっと中途半端に拾い読みしていたものをようやくまとめて読み直すことが出来ました。ここで取り上げることで多少なりとも恩返しになれば嬉しいいな。


03/01/09
横山秀夫「動機」(文春文庫'02)

陰の季節』にて第5回松本清張賞を受賞した横山氏の第二作品集。表題作『動機』は第53回日本推理作家協会賞短編賞の受賞作品。単行本は'00年に文藝春秋社より刊行されており、その年の各ミステリベストでも高い評価を受けている。

警察手帳の紛失防止のためにテスト的にU署で導入された一括保管制度。このシステムを推進した警務課の貝瀬は窮地に立たされる。この制度には警察手帳を警官の命と考える刑事部が強硬な反対を主張していた経緯があり、貝瀬は外部犯行でなければその刑事部の内部犯行ではないかと考え疑うのだが……。 『動機』
魔が差して売春目的の女子高生を逆上して殺した過去を持つ山本。刑期を終えた彼は保護司の計らいで葬儀社の運転手として働いていた。彼は罪を犯した直後に離婚した妻と息子に僅かでも送金することを償いと考えていた。そんな彼に謎の人物が「殺人を依頼したい」と電話を掛けてくる。 『逆転の夏』
住民の無情を煽る記事を掲載したことから地元住民のボイコットを食らう新聞社。その原因を作った女記者、水島真知子は別のひき逃げ事件を追わされていた。のしかかる重圧のなか、彼女の元にライバル紙からの引き抜きの打診が来る。 『ネタ元』
実直で真面目な裁判官、安斎は刑事事件の審理中、こともあろうに居眠りをしてしまう。そのことが新聞ネタになりかかり必死で記事の掲載見送りを依頼するが不首尾に。若い妻を持つ安斎は彼女の睡眠薬と自分の胃腸薬が酷似していることに気付く。 『密室の人』以上、四中編。

警察官や新聞記者、受刑経験者そして裁判官。特殊職業にまつわる謎を通じて「普遍的な人間」の苦悩を見せる……
もう何十年も作家として生活してきたかのようなこなれた文体が、まず読者をつかんで虜にする。そして豊富な知識(取材も?)に裏打ちされて描かれる世界で踊る。これだけならば、専門ルポライターや実際にその職業出身の作家もこの世には多数いるなか、これほどの高評価が本作に寄せられることはなかっただろう。
本書をして傑作たらしめている最大の要因は、深く鋭い人間描写力にある……これで済ますのは簡単過ぎるかな。つまり、警官や記者といったそれなりに珍しく、読者に共通点がそう無さそうな特殊な境遇・職業にある人間の持つ「特有の価値観・考え方・生き方」と、そういった人間でなくとも持ちうるし「人間として普遍的な価値観・考え方・生き方」の二重奏が(三重奏以上かも)が、それぞれの作品でずばずばと嵌っているのだ。しかも主人公だけではない。その主要周辺人物ごとに駒でなく、生きた人間としての気配が伝わってくる。単に彼らのプロフィールを羅列するではなく、ちょっとした仕草や言動の表現から、その裏側に存在するものを読者に伝えるのが実に上手いのだ。更に、横山氏の描く「謎」はその人間描写力の果てに自然と存在するものであり、人工的な匂いが全く感じられない。 いや却ってそのために真相が人間たちの間に深く隠されているという効果さえ存在するのではないか。
この結果、どんな世代が読んだとしても文句の付けようのない濃厚な文学的ともいえる世界、そして濃厚なミステリが味わえるという寸法なのだ。
また「謎」と「真相」の過程が、さりげなくロジカルに結び付いている点にも注目しておきたい。いわゆるトリックらしいトリックが仕掛けられているわけではないのだが、伏線とその解決との間にしっかりと論理的な繋がりが存在している。このような作風も本格ミステリの一形態であると考えられるだろう。

もしかすると全体を覆うトーンの沈鬱さが人によっては合わない……という方もいるかもしれない。登場人物がやりきれない想いを抱いたり、苦悩するシーンが多いため物語的には仕方ない点なのだが。ただ、ここまでくると文学的な匂いさえ漂う重厚なミステリはより多くの割合の人を頷かせずにはいられないはず。横山氏はミステリ界の重戦車なのだ。(唐突に思いついたフレーズ)。


03/01/08
内田康夫「平家伝説殺人事件」(角川文庫'85)

今をときめく内田氏の「浅見光彦シリーズ」の第二作目となる長編。'82年に廣済堂BLUE BOOKSより書き下ろし刊行され、角川文庫、廣済堂文庫にて文庫化された。後に、内田氏は当初は本書にて浅見光彦を打ち止めにする予定だったと述べており、浅見の結婚を匂わせるラストシーンがある。(結局、浅見光彦はずっと独身のままシリーズは続いている)。

銀座に勤めるホステス、多岐川萌子は当山という客から一億五千万円になる安全な仕事がある、と誘いを受ける。彼女はそれを承諾し、稲田教由という冴えない人物と偽装結婚をし、バーの客だった保険外交員を通じて複数の保険を稲田に対して掛ける。そして……。
太平洋を東京から高知へと向かう豪華客船の船上から酔った男性が墜落したと思われる事故が発生。船員である堀ノ内が悲鳴を聞いており、すぐに捜索されたが死体は発見されなかった。夫が消えたと申し立てる妻、多岐川萌子の訴えがあり、保険会社も疑いを持って調査が実施したが、結局彼女を受取人として二億円近い保険金が支払われた。二年後、東京のマンションにて転落事故が発生する。死亡したのは当山林太郎。その事故を聞き、当山が二年前に客船に乗船していたことに気付いた堀ノ内は、既に名探偵として名が知られつつあった同級の浅見光彦に調査を依頼する。警察にて事件の詳細を聞いた浅見は、当山が稲田と高知県にある平家落人伝説のある鄙びた村で同郷だったと知り、同地を訪れる。

物理トリックあり、構成にトリックあり。旅情ミステリと本格ミステリとの見事な同居作品
自分がそうだから告白するが「浅海光彦シリーズ」というのは二時間ドラマでもお馴染みであるせいか、その作品はミステリ的に読む分には大した内容のものではない、という大いなる先入観を持っていた。「二時間ドラマ」=お手軽作品 という図式である。最近、それは単なる先入観に過ぎないことを痛感している。(ただし「必ずしもそうとは限らない」という意味で、だが) 内田康夫のケースもそれにあたる。他のベストセラー作家、例えば松本清張、西村京太郎、赤川次郎らの初期作品が現在の本格ミステリ読者を未だに唸らせるのと同様、内田氏の初期作品はミステリとして十分に魅力がある。 当然、初期の「浅海光彦シリーズ」であろうと、その例外ではない。考えてみれば当たり前だが、いくらなんでもデビューからたったの数年のこの段階で、ほぼ全作品が二時間ドラマの原作に使われることになるなど作者が予想していた訳などないわな。
ということで本作(その手法はとにかくとして)二つの不可能犯罪が取り上げられている。ただ実は、トリックそのものだけを取り出すとあまり評価すべきレベルにはない。「悲鳴が聞こえた」=「テープレコーダーだった」「鍵が室内に残された密室」=「後から糸を用いて室内に戻された」というのでは、現代の本格ミステリのなかでは、ちょっと通用するまい。
それでも本作が評価されるべきだと考える理由は、その物語構造と論理的に解決が結び付くWHO DONE IT? にある。 過去の事件の描写から、一転して倒叙風に進み、船上での事件へと場面が移る。それから一転して、その詐欺事件の首謀者が不審死してしまうのだ。ここの意外性の度合いはかなり高い。物語が九十度くらい折れ曲がってしまうのだ。この結果、事件の全貌が当初見えていたものから歪み出し、果たして誰が黒幕なのかという点を実にうまく覆い隠してしまう。手掛かりが後出しとなるため、犯人当ては完全に論理によるものとは言い難いが、この存在は盲点。レッドへリングが見事に決まっている。

死者の木霊』以来、試みに手に取っていた内田康夫の初期作品、結構読み出すに嵌ってきた感。当然、後のいわゆる「旅情ミステリー」と作風が変換していく予感は当然強くなっていくのだが、「旅情ミステリー」自体は別に否定する理由もないので、それはそれでいいのかな、とも。小生自身、吉村達也の温泉殺人シリーズとかかなり読み込んでいるので免疫もあるし。


03/01/07
海渡英祐「霧の旅路」(徳間文庫'88)

'61年、先に『爆風圏』という作品でデビューしつつもその六年後、『伯林― 一八八八年』にて念願の乱歩賞を射止めた海渡氏は、一般に知られている以上に多彩な作品群を持っている。特に歴史に絡む作品と本格推理系統の作品が有名だが、本書はそんな海渡氏による純粋サスペンス小説。

同僚で身体まで許した恋人、石崎は役員の娘と結婚することが決まり、あっさりと伊原加奈子を捨てた。商事会社に勤務する加奈子は事情を知る周囲の冷たい視線に耐えて勤務していたが、その帰りにふと途中駅の浜松町にある貿易センタービルに立ち寄った。彼女は、夕暮れの屋上で昏い翳を持つ曾根啓治という男性に声を掛けられ食事に誘われる、加奈子自身も彼にどこか惹かれるものを感じて彼に相伴することを決めた。食事中、加奈子は曾根の時々みせる深い翳に不安を覚えるが、実は曾根が恋人を亡くした過去を持ち、それだけでなく彼女を殺害した容疑まで掛けられた過去を持っていたからであった。彼との再会を約して別れた翌日、加奈子は沢村という真面目だが粘着質の同僚にいきなりのプロポーズを受けた。しかし当然、加奈子は沢村の態度が気に入らない。日を置いて再会した曾根と加奈子。曾根は自分の過去を告白、そして石崎ともかつての友人だったのだという。曾根の恋人だった玲子殺しの犯人は見つかっておらず、その容疑は完全には晴れていなかったが、加奈子は曾根と犯人を捜し出す決意をする。しかし彼らが動き始めた途端、殺人事件が発生した。

レッドへリングがとにかく上手い。でも中身はめろめろどきどきサスペンス
この当時の作品にしてはかなり分量がある。いわゆるサスペンスにあたるのだが、不安に揺れる女心、彼女を愛する・籠絡しようとする男たちの動き等々をくどいくらいに徹底して描写しているせいで、いわゆる「人間の描写」は非常に上手く為されているように感じる。誇張でも何でもなく、まさに「人間ドラマ」。初出を調べていないのだが、物語展開の様子から類推するに元もとは週刊誌か何かの連載作品だったのかもしれない。
物語は失恋したばかりの美女に群がる男どもの足の引っ張り合い――正確には違うけど――の物語。主人公が謎の男に惹かれると同時に、冴えないけれど遣り手の男が親切めかして、相手の得体の知れ無さを指摘しようと奮闘。謎の手紙や、更に主人公の親友とその婚約者、謎の男の死んだ恋人の関係者等が絡むことによって、ずぶずぶと疑心暗鬼の地獄に主人公が陥っていく。女性視点のサスペンスとして及第点なのだがその過程が長く、だらだらめろめろしているきらいはある。とはいえ、過去と現在の連続殺人のリンクや、その殺人事件の真相等の骨組み部分はかなりロジカルな仕上がりになっている点も見逃せない。特に犯人の意外性も主人公の疑心暗鬼を活かしたレッドへリングが巧みなため、読者がミスリーディングに引っかかる度合いはかなり高いのではないだろうか。とはいってもやはりサスペンス色と、主人公の感情が千々乱れる様があまりに濃くかつ強く描写されているため、せっかくのその構造的な良さも薄まって伝わりにくいのが勿体ないか。

サスペンスとして割とよく見かけるチープな主題を使用しつつも、海渡氏ならではの独特の良さは確かにある。だが、普遍的に誰かに勧められるといった作品ではないだろう。海渡作品のファンだけが押さえれば良い、というのが現段階の評価。


03/01/06
西崎 憲「世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ」(新潮社'02)

翻訳家、そして音楽家としても活躍している西崎憲氏の満を持しての小説デビュー作品。第14回新潮ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞した。投稿時の題名は副題となっている『ショート・ストーリーズ』。

本書は五十五の細切れにされた超短編の作品から成り、その物語は大きく六つのストーリーを持つ。女性の小説家「わたし」がいて、その「わたし」の母親が駆け落ちして十年近くが経過してから「若くなる病気」に罹って帰還した話。「わたし」と米国人の研究家スマイスとの大人のラブストーリー。そのスマイスが研究する国学者たちの業績と伝記が論文調で書かれ、「わたし」の祖父は戦時中に収容所から脱走の後に不思議な空間に彷徨い込む。さらに「わたし」の「庭」を巡る想い出と考察、そして江戸時代の辻斬りの話。これらが少しずつ計算された切り口で絡み合っていく。以下、資料の意味もあるので短編の題名を全て記す。
「リコとスマイス」「寒い夏」「不思議な詞」「人斬り」「ストーリー」「母のこと」「庭」「影の物語」「成慶・淇園・成章」「祖父のこと」「脱走」「英国行」「目覚め」「若くなる病気」「庭園史」「淇園」「駅」「庭の意味」「本所」「スマイスと先生」「成章」「父とソフトボールと函館」「垂直方向への旅」「詩」「あゆひ」「函館」「トンネル」「口を失くした侍」「病院」「町」「御杖」「庭と人間」「失敗」「図書館」「加納主計」「スマイスとのセックス」「水平方向への旅」「扇風機」「御杖の歌学」「選択」「英国の庭園」「ノート」「いれひも」「理想の庭」「夏のピクニック」「辻斬り」「恙なし」「中国の女」「十左右衛門」「母」「詩の意味」「歌う鳥」「謎」「列車」「終章」

「物語」そして「文章」のタペストリー。織りなす生地の美しさを読者が素直に見つけられるか、どうか
いやはや。読み終えた瞬間に感じたことを先に書いておこう。このペースでずっとずっと「読書」という行為を続けていって、もっともっと沢山の物語に触れて、いろいろな読書の仕方を知ったうえで、十年後、二十年後に改めてこの物語を読んでみたい。 今、この瞬間読みとったものよりも、きっと多くの何かがまた見えてくるのだろう。そのまだ目に見えない何かが行間に数多く眠っている。 ……そんな物語。

言葉と空間。空間の意味、言葉の意味。いれもの。庭の色彩。感覚。無常観。パズル。どんな言葉でも表現し尽くせないし、どんな言葉で表現しても良い。たぶんそれでいいのだろう。近年のミステリをはじめとしたエンターテインメント系の作品においては、こういったいくつもの物語が並行して語られて、最終的に繋がりを持たせて大きな物語とする――という試みがいくつも為されている。しかし、この『世界の果ての庭』はそういった手法に近いながら、一筋縄ではいかない。どこまでも抽象的であり、いくつもの隠喩が込められていて、そう単純に読者に物語を割り切らせてはくれないのだ。多重螺旋のような物語は繋がるように見えて錯覚であったり、離れていったり、思いも寄らぬところが繋がっていたり。割り切れていない美しさが物語全体を柔らかなイメージで包んでいる。
それは時に単なるイメージであり、色であり、テキストであり、単なる読者の勘違いさえも包含する。物語中の一編である不思議な駅とそこに暮らす人々――というのが自分たち読者の姿とどこか二重写しになって見える。上に彷徨っても下に彷徨っても、水平方向に冒険しても構わない。だけど鳥の歌を聴き、自分の汽車を見つけるまでは物語の迷宮を彷徨い続けるのだ。頁を途中、それっきり閉じるという選択肢だってもしかすると残されているかもしれない。
感覚器官を五感というように人間には様々な受容器官が備わっている。本書のイメージは想像力のなかでその五感をフルに働かせて味わうもの。 五感の繊細さやその受け取ったものの処理能力の巧拙によって、物語の見え方は異なってくる。なので。繰り返すがその五感(恐らく読書と人生経験によって磨かれるのだろう)を、もっともっと磨いた後、再び私はこの本の迷宮に再び旅をするつもりでいる。

正直、自分の感覚に従ってのみ上記を書いた。他の人がどのように受け取るか、通常のエンターテインメント作品であれば、多少の想像もつくのだが、本書においてはそれは不可能。描かれているのは物語。なのに試されているのは自分……なにぶん、不思議な感覚を覚える物語。これもまたファンタジー……なのだろうか。なんと間口の広い世界なんだろう。


03/01/05
西澤保彦「ファンタズム」(講談社ノベルス'02)

ここのところ西澤作品の講談社ノベルス=チョーモンインシリーズの図式となっていたが『複製症候群』以来、久々の講談社ノベルス書き下ろしとなるノンシリーズの長編作品。作者のことばによれば「本格ミステリの意匠を借用しているけれど、「本格」でもなければ「ミステリ」でもない。」とのこと。

有銘継哉はリサを殺した。生前、それほど深い面識があったわけでもなく、愛しても憎んでもいなかった彼女を殺そうと思った理由は、あの光の塔……、エメラルドの輝きを目にしてしまったことが理由。自宅の前でリサを待っていた継哉は、正々堂々彼女に対し「電話を借りたい」と申し入れ、油断したところをスパナで殴って昏倒させ、持っていたロープで首を絞めた。ビニール袋に入れたワープロで印字した文字を彼女の死体の口の中に入れ、会心の笑みを浮かべて近くに停めてあったレンタカーに乗り込む。助手席に置いてあった地元新聞の日付は一九九〇年八月十日。
一九九〇年八月十日の午後九時半頃、印南野市に住む主婦、谷荻理沙子、三十六歳が自宅前で他殺死体となって発見された。彼女は頭をスパナで殴打され、首をロープで絞められて絶命。凶器のスパナは現場に残されており、犯人のものと思しき指紋が発見された。また口の中からはワープロで「坤徳樹理」と印字されたメモが見つかる。レジ打ちのパートをしている彼女は明るい性格で、その年齢に関わらず「リサちゃん」と呼ばれて周囲の人に愛されていたという。捜査にあたった県警の司辻と柘本は、パートの関係者で理沙子に害意を持つ可能性のある人物をピックアップしていった。しかし、この段階ではまだその名簿に「有銘継哉」の名前はなかった……。

「まぼろし」に酔わされて、深い眩瞑感に抱かれる――異色の西澤流幻想ミステリ
笠井潔氏がある評論にて述べていたことを、ふと思い出したので引っ張り出してみた。
本格探偵小説は幻想を論理的に現実に解体する結果として、現実それ自体を幻想に変貌させてしまう独創的な小説装置なのだ。
本書は筆者自らが述べている通り、本格ミステリの意匠(というか器か)を借用した作品である。冒頭、常人には理解し難い啓示を受けた主人公はシリアルキラーと化し、これまた常人には理解し難い理由で連続殺人を計画し、実行していく。「常人に理解し難い」としたが、作品を読むに(感情移入できるかどうかはとにかく)、その契機や理由は文章に述べられている。その殺人を実行する側の倒叙形式とその犯罪を追う警察側視点、そして加わるいくつか別の視点とで物語は成り立っている。
ファンタズム=phantasm、すなわち日本語に訳せば「幻影」「まぼろし」の意。これに象徴されるようにこの作品にはとらえどころの無さ、そして寄る辺無さが同居している。その代表的なものは物語を読んでいる最中に感じる違和感がある。これはある種のミステリを読んでいる際に味わう引っかかりと同じものなので、勘の良い人ならば普通は真相に近づける――はずなのだが……(文中になぜ傍点が打たれている箇所があるのかを考えてみよう)。そしてもう一つはもちろん、倒叙でありながらシリアルキラーの犯罪の理由が分からないまま物語が進むこと。彼の行動は描写されているのに、残されるのは不可能犯罪の痕跡ばかり。果たして何が起きているのか? 犯人の行動は描かれているのに起きていることに説明が付けられない。この凄まじい眩瞑感に素直に酔った。

少し分析を深めてみる。 西澤保彦風サイコサスペンスというこれまでも使用されてきたシリアルキラーものの枠組みを使い、かつその枠組みのなかに(作品内限定ではあるけれど)一定の論理的な犯人の思考回路を配している点はやはり本格ミステリの手法だといえる。しかし、この作品においてその手法は通常の意味合いで用いられていないのだ。発生した事件に対し、証拠や手掛かりをベースとした論理的な解釈が試みられる。その結果、確かに一部の謎にはけじめを付けることが出来る。ただその結果、困ったことに「論理的にオチを付けられない」事態の誘因となってしまう。これは通常の意味ならば失敗作ということになる……が本作はそれが逆に狙いだったのではないだろうか。 つまり、本格ミステリという作品がもともと醸し出す幻想やそれに類する感覚を、本格ミステリの器、即ち枠組みを用いて、逆にかえってその幻想的感覚をより強調している――というのが本作の正体なのだ。 独創的な小説装置である本格ミステリの手法、「謎−論理−解体」を逆手にとって「謎−論理−謎の強調」が為され、なまじ感覚に頼る幻想文学からは出にくい効果が読者に提示される。論理で強調された幻想は、より強烈にして鮮烈であり、「酔い」はより深く読者の心に刻まれる。

また、特に冒頭に掲げられる「誰も ぼくに 気づかない」というエピソードや、主人公が語る動機の独白部分にある、西澤氏の経験をも踏まえたのではないかと推察される「見えない人」論と、物語の主題が見事に輻輳している点にも注目しておきたい。どんな環境においても、努力すればするだけ「普遍化」してしまう局面は事情は異なれど誰にでも経験はあるもの。そこから来る絶望感が物語を通して感じたその寄る辺無さへと繋がっているのだ。この一点がもしかすると読者と主人公との接点かもしれない。そしてその接点は、物語の構成と相まって不思議な物語空間への導入部の役割をも担っている。

三十冊近い著作を経て模索のなかで生まれた西澤流幻想ミステリ。本書からは現在百花繚乱の体を為しているミステリの源流中の源流がポーの時代以前の「幻想文学」にあったことを思い出さされる。幻想ミステリでありながら、論理によって解体され、その残された結果に再び大いなる幻想を見る。 この後味の悪さもまた、本格ホラーで味わう「宙ぶらりん感覚」にも似て、かえって不思議な心地よささえ覚える。同列に並べるのは変かもしれないが、読了後の感覚だけを取れば綾辻行人氏の『殺人鬼』にもどこか似ているような……。どれだけの方々に評価されるのかは不明だが、少なくともワタシ的にはツボにずっぽし嵌る快作である。


03/01/04
東野圭吾「探偵ガリレオ」(文春文庫'02)

'96年から'98年にかけて『オール讀物』誌に掲載されてきた短編をまとめて'98年に単行本化された作品の文庫版。警視庁捜査一課に勤務する草薙俊平が出会った奇妙な事件を、大学時代の友人で現在は帝都大学理工学部助教授となっている湯川に相談、最新技術が用いられたそれらの事件を解決していくというシリーズ作品である。

深夜の住宅街で大騒ぎする若者の頭が何の前触れもなく、突如燃え上がるという事件が発生。事件現場では子供が「赤い糸」を目撃したというが……。 『燃える(もえる)』
中学生が拾った金属製のデスマスク。これがきっかけでゴミ捨て場のようになった公園の池から死体が発見された。死体の表情から転写したとしか思えないデスマスクは何故できたのか。 『転写る(うつる)』
吝嗇な実業家が風呂場で心臓麻痺を起こして死亡した。しかしなぜかその周囲の肉体が腐っており、警察はその状況に首を傾げる。実業家の愛人がどうやら関係しているらしいが……。 『壊死る(くさる)』
海水浴場にて波間に漂うビーチマットがいきなり爆発。一方とあるアパートから他殺死体が発見された。被害者は帝都大学の関係者であったこともあり、草薙は湯川を訪ねる。 『爆ぜる(はぜる)』
高熱を出して寝込んでいた子供が無意識で描いた絵には、殺人事件のアリバイとなる自動車の絵が。しかしその場所は子供の住む部屋からは見えない角度であった。子供の親は幽体離脱を主張、草薙らはその証拠の扱いに困る。 『離脱る(ぬける)』以上、五編。

どこかかつての探偵小説とも似た匂い……「現代」における物理トリック最前線
昔の探偵小説……国産のものも海外作品にも共通することだが、その時期の短編には「ワンアイデア」の作品がよく見られる。それも、読者が普通知らないような医学上の知識、機械や自然現象、毒物等をトリックに用い、あくまでそのトリックのために事件が構成されているというタイプのものだ。甲賀・不木の時代から、松本清張といったところまでそういった作品はよく見られるし、現代でもその考え方の末裔(単にネタに詰まっただけの可能性もあるけれど)は一部の本格ミステリでもみられる。本書は、そういった「ワンアイデア」ミステリが進化した現代版であるといえよう。
その手のミステリは読者にとってはあまり面白くないことが多い。読みながらメモを取って、一生懸命に読者が推理したとして、未知の毒薬(それが実在するのだとしても)がトリックですよー、では「へー、そうですか」以上の感動を得られることはまずないだろう。しかし、この作品集には、同じような未知の何かが使われているにしても、「うむ、そういう手もあるのか!」と何故か素直に驚くことができるのだ。一部のトリックはたまたま、私が「ものづくり」に関わる仕事をしている関係上、実際にかなり近しい位置にある装置等が重要な役割を果たしているから、ということもあろうが、それだけではない。やはり事件の見せ方と、それにまつわる骨組みがしっかりしているのが最大の理由だろう。
確かに「解決手法」だけを取り出してみれば突飛な部分も否めない。だが東野氏自身のストーリーテーラー巧者ぶりがそれを補って、しっかりと物語のなかにそれらのトリックを組み入れて地均ししているのがポイント。そういった方法を使えるのは誰なのか。彼らが罪を犯すとするならばどういったシチュエーションになるのか、等々痒いところに手が届くような行き届いた設定、そして物語が見事なまでに嵌っている。また細かなエピソードを付随させて、彼らの人格に厚みを加えるテクニックもお手のもの。必然性がなく不自然な密室などよりも遙かに現実性が感じられるのが本書のレベルの高さに繋がっているといえる。

これもまた現代ミステリの一つのカタチであることは間違いない。しかし、使い方を間違えるととんでもないことになる劇薬をさらりと使いこなす……。東野圭吾というのは底知れない懐を持つ作家だと改めて感じさせられる一冊だと感じた。


03/01/03
福本和也「謎の巨人機(ジャンボ)」(光文社文庫'88)

福本和也氏は少年時代より空の世界に魅せられ、戦時中も予科練に所属。業界新聞に所属する傍ら、文芸同人を経て漫画の原作者となって名を売り始める。そこからセスナのパイロット資格を取得し、独自の航空ミステリーの世界を開拓した。本書はそんな著者の代表作品とされるもので、'75年にカッパノベルスより刊行されたもの。

昭和五十年初旬、羽田空港を離陸した沖縄行き極東航空七〇五便がメーデーを発信。エンジンの一機が発火したので羽田に引き返すというものだった。他のエンジンが大丈夫なうちは飛行に支障はないはず。しかし、その七〇五便は木更津を通過した後、管制塔からの送信に応答しなくなってしまう。飛行機は激しくオーバーランしたものの無事に羽田に着陸。しかし、七十一名の乗客と十一人の乗務クルー全員は機内で既に死亡していた……。
空港関係専門の新聞記者だった貴島はあるミスのために退職せざるを得なくなり、週刊誌のルポライターに身を変じていた。彼は更に原稿料稼ぎのために劇画の原作に手を出し、次回は売れっ子の和泉やすしという劇画家と組んだ連載作品を予定していた。沖縄旅行に向かう和泉やすしの見送りと空港の取材に来ていた貴島は七〇五便の事故を知り、内々に金を必要としていた管制官の黒木の手引きによって捜査現場に入り込む。警察はテロ事件の関係を調べ、乗機していた有名人のチェックにあたる。その中には和泉やすしの名前もあった。果たして誰が何の目的で、しかもどうやって空中密室での大量殺人を実行したのか?

確かに当時は舞台そのものが斬新だったのだろうが……。ちょっと今となっては。
冒頭の迫力というか謎の提起方法が素晴らしい。今では当たり前になっているジャンボジェットが就航し始めた当時ならでは、という斬新さも当時はあったのだろうが、そのジャンボそのものが着陸したにもかかわらず、中の乗客乗員が全員死亡していた……。というもの。ただ、この部分だけネタを明かしてしまうと、当時の(恐らく現在も)ジャンボには「自動着陸装置」なるものが装備されていて、パイロットに重大な問題が発生してもある一定のポイントまで飛行していれば無事に着陸できるからである。なので「死者が操縦した飛行機」に見えた謎は、その段階で「空中密室内部の大量虐殺」へと事件が変貌する。先に述べておくが、自決覚悟の自殺ではない。ではどうやって?
この部分は賛否あろうが、航空機の構造に知悉した著者ならでは、とだけ言っておこう。一般読者は「何かこのあたりに細工したんだろうな」ということは分かっても、その真実に肉薄することは不可能である。「当時は舞台そのものが斬新だったのだろうが」、三十年近くが経過した現在、そのトリックを知らされても「はぁ、そうですか」としか言い様がないのは仕方ないだろう。
それならば、犯人は誰か。こちらに興味があるか……というと、意外性よりも不可思議さが先に立ってしまう印象。劇画界という世界、これも「当時は舞台そのものが斬新だったのだろうが」今となっては漫画界も文筆家の業界もさんざんに、そしてさまざまなカタチで物語として取り上げられている。特にこういったクリエイターと編集者は二人三脚のはずだし、果たして別人が執筆していた……という点、身近な人間が(他のアシスタント含めて)気付かないもんだろうか、普通。また、その殺意が醸成された結果、いくら身辺を本人がガードしているといってもいきなり旅客機の全員殺害という極端な方法にいくものかどうか。そこまで犯人にサイコな匂いを感じないだけに、この点も説得力に乏しいように思える。ただ、こういった人間関係が織りなした悲劇、そしてラストシーン等は作者の持ち味が発揮されており、そこそこ成功しているといえるかもしれない。

まだ最初の一冊を読んだだけなので福本氏の作風をつかみきれていない。特に劇画の世界を舞台にした人間関係のぶつかり合いに関しては一つのリアリティを出そうとした結果であろうとは思うのだが……。時間という凶器に晒されやすい作風だけに、他の作品をあたってから評価していきたい。


03/01/02
北森 鴻「触身仏 蓮丈那智フィールドファイルII」(新潮社'02)

民俗学者、蓮丈那智を探偵役としたシリーズ作品の題名にも示されている通りの第二作品集。那智、そして弟子の内藤三國は『狐闇』にも登場し重要な役割を担っている。本書では当然、コンビが中心に活躍する。

山人に攫われるのは普通若い娘だが、東北山中にあるR村には老若男女区別なく攫われるという伝承があった。その村には《供養の五百羅漢》があるという。フィールドワークに出た那智はそこに向かう雪中行のさなかに事故に遭う。 『秘供養(ひくよう)』
《アース・サイクル》という宗教サークルに所属していた杉崎という学生の死に疑問を持つ妹が三國を訪ねる。死の直前、彼は仏像に多額の金を注ぎ込んでいたという。また那智の知る骨董業者が殺されており、杉崎はその容疑者でもあった。 『大黒闇(だいこくやみ)』
『煙草をやめることにしたから、灰皿を片づけておいて』。フィールドワークに出たまま戻らない那智からの謎のメッセージ。三國は潮満瓊の伝説に関する事項だと看破する。那智は埼玉県の某所で意識不明のまま発見された。横には在野の研究者の死体があった。 『死満瓊 (しのみつるたま)』
奥羽山脈の麓にある小さな村。ここでは即身仏が賽の神として祀られているという。即身仏に恐怖感を持つ三國を連れてフィールドワークに出た那智はその即身仏に隠された秘密を看破する。 『触身仏(しょくしんぶつ)』
地蔵尊のお告げに従って行動した者が最後に富を得る御陰講、いわゆるわらしべ長者の伝説を調べる三國。そんな折り、那智の研究室に売り出し中アイドルを双子の妹に持つ美人助手が転籍してきた。ただ彼女を巡って元の研究室の講師が不穏な動きを……。 『御陰講(おかげこう)』 以上五編。

伝承、伝説、そして民話。下敷きになる人々の哀しみが静かに蘇る……恐るべきミステリとしての完成度を誇るシリーズ
恐らくいわゆる「新本格」の系譜のなかでデビューした作家のなかで、北森鴻氏はもっとも「引き出しの多い」作家の一人である。デビュー作品である『狂乱廿四考』はそもそも歴史ミステリであったが、その後も日常の謎系統から、いわゆる一般的なミステリはもちろん、骨董品を巡る本格パズラーやサスペンス、さらには明治や昭和史をもテーマにした重厚なミステリ等を著しており、その守備範囲の広さは瞠目に値する。本書も『凶笑面』に続く蓮丈那智フィールドファイルシリーズの続編ではあるが、そういった北森氏ならではの視野の広さと博学、そして自由な想像力とが合致した恐るべき完成度を作品それぞれが発している。
そのシリーズ名通り、本書で取り上げられるのはいわゆる「伝承」や「民話」といった過去からの物語であり、史跡や遺跡といった過去が残した徴(しるし)である。本書に登場するそれらが、作品のために創作されたものなのか、実際に記述がある事柄なのかの検証はちょっと出来ない。だが、そういった過去と、現代の事件が常に二重写しになるよう作品が構成されているのだ。長編一作とかなら何とかなるだろうこのテクニックが、収録されている中編四編全てに当てはまっているあたり、北森氏の非凡さの証左といえよう。
一作を例に取るなら末尾を飾る『御陰講』あたりが分かりやすいか。本作には二つの謎が輻輳する。一つは学術的な部分。わらしべ長者、御陰講の伝説は何を意味しているのか。つまりスタートで何十人もいた人々が皆、地蔵尊を信仰していたにもかかわらず、一人だけが長者になれるのか。なぜ他の人々に罰が降りないのか。一方は現実的な部分。研究室を異動することになった女性について盲目的に食い下がる元の研究室の助手。彼もまた「わらしべ長者」の伝説に突き動かされている……というもの。却って分かりにくくなったが、現実の事件の進行と、三國の論文(というか伝説解釈)の進行とが、微妙にマッチングしており、伝説が解釈されると同時に事件の真相も見えてくる……という構造になっている。単なる歴史ミステリとしても十二分に魅力だが、これに同じ背景を持った現実の事件を絡めることで、机上の空論が現実的な色合いを帯びて見えてくるのだ。こればかりは口だけで説明するのは不可能なので、実際にあたってみて頂いて、この濃厚なテクニックを堪能するのが最も良いかと思われる。特に何気なく見過ごしてしまうような伝承や伝説に、歴史のなかに沈んだ深い悲しみや怒りが込められていることを改めて知ることだけでも意義がある。

構造が凄く、主題が凄く、ミステリとしても凄い。 那智と三國というキャラクタが狂言回しに徹しているため、どこか人間的な魅力に乏しいのが玉に瑕だが、多少でも歴史や伝説といった事項に興味があれば見逃せない謎がずらりと並ぶこのシリーズ、ミステリというジャンルの可能性をとことんまで感じさせてくれる。前作から引き続いてどうぞ。


03/01/01
霧舎 巧「四月は霧の00(ラブラブ)密室」(講談社ノベルス'02)

副題が「私立霧舎学園ミステリ白書」。もともとは講談社ノベルス十五周年記念で刊行された「密室本」の一冊だが、同時に霧舎学園と呼ばれるシリーズ作品の幕開けを告げる作品でもある。あとがきによれば「霧舎が書かずに誰が書く!」とばかりに『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』を読んで「次を探す」読者のために書いているのだという。心意気は正しいが。

高台にある霧舎学園。転校してきた羽月琴葉は始業式当日からいきなり遅刻。ルールによって閉ざされた校門を迂回して塀を乗り越えて学園に侵入した彼女は、体育館周辺に霧が流れていることに戸惑う。これは学園の創立にまつわるエピソードを始業式の日に再現するもので、実はいくつかの伝説がこの霧に存在していた。学園内の噴水前で霧のなかでキスしたカップルは幸福になる……というのが一つ、そして同じシチュエーションで同じ星の下に生まれた者同士が出会ったら《真の求道者》が誕生するというものもあった。探偵となるべく抜け出してきた三年生、頭木保、その保に想いを寄せるのの子先輩が霧を目指すなか、思いっきりこけた琴葉は、その声を聞いて駆けつけた遅刻常習犯の小日向棚彦とキスしてしまう。さらにその霧の中には、転任してきたばかりの長尾先生が腹をナイフで刺された死体となって転がっており、琴葉は二度目の悲鳴を上げる。捜査にあたるのはこれまた転任してきたばかりの虹川署長にして警視庁キャリアの羽月倫子、即ち羽月琴葉の母親だった。

謎解きそのものは悪くない……のに。この物語世界は「わざと」なのか「センス」なのか?
最初に言っておくと、本作に用いられているトリックと、その過程に存在する比較的ロジックを駆使しての謎解きは悪くない。いや寧ろ、学校という特性と本書で示されている設定を上手に活かした(そのロジックのために学園の設定そのものを動かした可能性もあるが)魅力的なミステリだと思う。一連の犯人の作為的な行動に加えて、特に学校において他校の生徒が一種「見えない人」となっているあたりの感覚など、非常に学園生活の本質を捉えた発想であり侮りがたい。用いられる伏線もごく自然に張られており、それらがロジカルに二人の探偵によって積み上げられていく推理の過程なども興味深い。このあたりのセンスについて、霧舎氏の本格パズラー志向について疑いを挟むものではない。

ただ、二点、どうしても気になる。

一つは設定、特に当初の設定における平凡を越えた陳腐さ加減。ふと思い出したのは、一時期一世を風靡した相原コージ氏と竹熊健太郎氏の共著『サルでも描ける漫画教室』という作品。この作品に、構造的にマンガを分析し、少年マンガや少女マンガの「典型」といえるパターンを抜き出す項目があるのだが、本作の冒頭、まさにその「少女マンガ」の典型なのだ。そのまんま。
転校初日に慌て者の女の子が遅刻(朝ご飯のせい)→同じく遅刻してきた男の子とぶつかり合うアクシデント→最初はその気はないけれど、気にしているうちに相手の「長所」が目に入って……。はいはい。――本作、これが「わざと」なのか、これが霧舎巧という作家の創造力の「センス」なのか。少なくとも十数年前に既に「典型!」として小馬鹿にされた展開をわざわざ冒頭からやってしまうという事実はどう受け止めれば良いのだろう。果たしてこれで現代の「これからミステリに入ろうとする若い世代」にすんなり受け入れてもらえるものなのだろうか。
それと同じく「これからミステリに入ろうとする若い世代」向けに書かれているにもかかわらず、シリーズ最初の最初から動機があまりにも生臭い点。 大人向けのミステリでは当たり前の発想かもしれないし、私がこの手の動機にもとから批判的なこともある。でも青少年を意識した作品であればあるだけ、こういったネタは可能な限り避けるべきではないだろうか。社会告発を目指した作品であれば構わないが、ミステリの楽しさを伝えようという意志があるのであれば尚更。

本シリーズ、'03年1月段階で続編である「五月」「六月」の二冊が刊行済である。ただ密室本クエストのために一応押さえたが、残念ながら個人的に上記二点が引っ掛かったため、今後は余程の評判に登らない限りは次を読み進めることはないように思っている。