MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/01/20
倉阪鬼一郎「夢見の家」(集英社'02)

主に『小説すばる』誌に掲載された作品をまとめた、倉阪鬼一郎直球ストレートの連作幻想ホラー短編集。ただ連作とはいっても「女性が主人公の幻想」という縛りがあるのみ。

耽美とオカルト小説作家、塔香緒留は忌まわしいことがあったものの実家の一軒家に暮らしていた。友人の作家、麻巳子が温泉旅行に誘ってきたのを機に夢の中に出てきた「它川」という地に出かけることにする。 『夢見の家』
洋画家の柊千秋は両親の遺産相続を機にアトリエのある洋館に越してきた。そこにあった先住者が残した青磁の壺に彼女は魅せられる。 『青磁の壺』
ユカは柏木先生が自殺する間際に書き残した五つの花の名前を思い出す。柏木はある女生徒と不倫の関係にあり、妻に断罪されて神経衰弱に陥っていたのだ。 『花の名前』
閼蝸廚という寂れた街はかつての温泉街にして自殺の名所。九字子はその地の出身だが父親に結婚を禁じられていたが圭介と結婚。しかし圭介は死産した九字子を置いて失踪した。 『渓谷の手』
潤子は雑踏のなかで何の表情も浮かんでいない「面」を時々見て恐怖していた。天涯孤独の彼女は薬品メーカーに就職するがその社内でまた面を見るようになる。 『面』
水商売にて知り合った男性と結婚することになった麗子。彼女は運転手に迎えられ田舎道を長時間揺られて、遂に彼の待つ館に到着する。 『匣』
印刷会社のチラシチェックの仕事をする冬美は電車である区間を通る時に卵が割れる音を聞いた。かつて投身自殺に行き会ったことから悪夢に悩まされるようになったのだ。 『卵』
「行列に並ぶ」というアルバイトをしている柚子。彼女は列のなかで「ひとなしむら……」という言葉を聞く。その村が実在することを知った彼女は、訪れてみることを決心する。 『行列』
「木村茜」と署名しホテルにチェックイン。彼女は俳句の関係者であった。フロントからそのことを確認され、迫水と倉田という名前に心当たりがないか、と尋ねられるが彼女は事実を偽った回答をした。 『鳥雲に』
女子大生の沓子が撮影した写真をコンテストに送ったところ、掲載誌が送られてきた。その同人には学内で知る山本助教授の名前があり、彼女はその雑誌の撮影会に誘われたのだ。 『紫の館』 以上十編。

狂気へと向かういくつものシチュエーション。この世の果てへの行き着く、十の道。
あとがきによれば、女性を主人公とした直球ホラー……ということになっている。確かにシチュエーションは様々だが、妙齢から中年にかけての女性が主人公となっている作品がほとんど。そして、もう一つ共通するのは、ほとんどの作品における彼女らは、物語が幕を開ける以前に既に何か心に疚しさを抱えているという点。 そのせいとも限らないのだが、どこか彼女らは自ら進んで「魔」「闇」の方向に足を向けたり、引き寄せられたりしているかのようにみえる。また、平凡な日常を送る女性が何かのきっかけで「不吉」と出会い……という作品もまたいくつかある。その場合は、バックグラウンドは無くとも、やはりある段階から進んで「魔」「闇」に身を預けているかのようにみえるのだ。
そういったいくつもの心の奥底に秘められたもやもやしたもの。そのもやもやが、「魔」を呼び覚まし「闇」の口を開かせていく。シチュエーションの数だけ、この世の果てがある。

で、その一方で読者はその過程を眺めることになる。(私が男性だからだろうか。登場人物にあまり感情移入していない)そして、本作にて気付いたことを書く。
作者は当然、登場人物を狂気の淵に誘う。その恐怖感は短編であろうと長編であろうとラストに向けて盛り上がっていく。その最後の部分において訪れるショック、ぎりぎりの恐怖が物語に存在する。そのとき、ラストで「次の瞬間に主人公が狂気に陥ると予感させる」結末は、余韻あっていい。しかし、まだ物語が閉じる前に主人公が正気を完全に喪って、狂気に逃げ込んでしまうケースがみられる。折角盛り上がったイマジネーションがこの場合は半減、いやもっと低減してしまうように感じられるのだ。具体的に主人公が「狂った」とか「正気を喪った」と書かれていると、「あ、この主人公はもう何も怖くないんだな」と思ってしまう。狂気一歩手前の寸止め希望。

もちろん作者は一作一作で苦心惨憺、呻吟しながら物語を紡いでいるだろうことは想像できるが、それでもどこか初期作品に比べると物語がどこか手慣れてきた印象もある。世界を壊し、狂気を生み出す怪奇小説作家として、倉阪氏がその使命を淡淡と果たしているから、というのが理由かもしれない。


03/01/19
荻原 浩「母恋旅烏」(小学館文庫'02)

'97年、第10回小説すばる新人賞を『オロロ畑でつかまえて』にてデビューした荻原氏は、独特のユーモアの漂う作風にて文芸からミステリまで幅広い作品を着実にモノにしている。本書は小学館文庫のために書き下ろされた作品。題名通り、大衆演芸を主題にした非ミステリにして純粋エンターテインメント。題名は「ハハコイタビガラス」と読む。

大衆演芸の大物、大柳団之介一座で修行をした役者、花菱清太郎は自らを座長として一座を旗揚げしたが失敗。その後は何くれと事業に手を出しては失敗していた。懲りない清太郎が始めたのは家族レンタル業。役者時代から苦労を共にしてきた母ちゃんと、いじめられっ子だったがSFX関係の仕事に進みたいと願う兄ちゃん、音楽バンドメンバーと電撃結婚し子供を産んだものの、その夫が事故で亡くなってしまった出戻りの姉、そして少し知恵の遅れた僕の五人家族で、依頼人の家族ごっこを務める……というのがその仕事である。役者出身と意気込みが空回りして失敗につぐ失敗を重ね、独立を果たしたは良いが結局借金に追われ住む家を追われることになる。しかしその間に姉ちゃんは歌手としてスカウトされてデビューを果たし、兄ちゃんもヤクザとの立ち回りで度胸をつけ、一人で専門学校通いを開始する。清太郎は借金の始末を団之介に泣きつき、その息子で前衛演劇にかぶれた花之丞の一座のサポート役を仰せつかる。しかし花之丞の奇妙な演劇が温泉センターの客に受ける訳もなく、失敗を重ねまくったところで清太郎は再び決意する。

演芸一家それぞれの挫折と成長を抱腹絶倒の筆致で描く現代エンターテインメント
章ごとに視点が、家族それぞれのものにころころ変わるので一筋縄ではいかないのだが、「レンタル家族業」なんてスタートだけ考えると、現代社会の病巣を諧謔的に抉る家庭小説のように思うではないですか。もっと単純に考えればよろしい。これは、涙と笑いと感動溢れる、現代ホームドラマである。
役者あがりで無計画無鉄砲を絵に描いたような”お父ちゃん”、美人だけど十九歳までに結婚出産出戻りと経験したヤンキー娘”お姉ちゃん”、転校を繰り返し演芸一家の息子として舞台に出ていたことからいじめられっ子だった”お兄ちゃん”、そして天真爛漫、巨体と十七歳の身体を持てあましながら、知能は十歳程度の”僕”。彼らそれぞれの視点によって語られる、抱腹絶倒のエピソードが十数話並んでいる。美人でこまごまと気が付いて優しい”お母ちゃん”による視点の物語がない点は、後で効いてくる。何よりもその一話一話のエピソードにシチュエーション的な面白さを込めている点に作者のセンスが感じられる。家族レンタル編では「ボケ老人の世話をさんざんさせられた挙げ句、お金にならない話」だとか「落ち目ヤクザのところに行って若い者の真似をさせられる兄と弟」とか「結婚式の友人役でかつての悪友の式に出てしまいヤケクソになる姉」だとか。演芸編にいくと最初は、恩師の息子にかき回される話しだったのが、段々と”僕”が成長し、お父ちゃんが元気を取り戻し、一旦離ればなれになった家族が協力していく話しになり、どちらかといえば「泣ける話」へと変化がつく。
――考えてみれば、これもまた大衆演芸の一つのパターンではないか。

つかみで観衆を捉えて、途中で笑わせて楽しませて、最後にほろりとくるようになっている。 それが成功している本書、そりゃ面白いわな。エンターテインメント小説の王道を、他ジャンルの王道(この場合はもちろん演芸)の手法を用いて実践、そして成功しているのだから。

登場人物が笑わそうとして滑ると悲惨だけれど、シチュエーションで笑わせるのは上等。荻原作品が醸し出す独得のユーモアの虜になりつつある。ミステリーではなく、肩肘も凝らないし気軽に読んで想像以上に楽しめた作品。終わってみると周到な構成であったことに舌を巻くが、そういう感慨よりも単純にレトロでいて今風の家族小説の面白さを味わったという満足感の方が強い作品。


03/01/18
海渡英祐「おかしな死体(ホトケ)ども 《吉田警部補苦虫捕物帳》」(徳間文庫'83)

頑固で偏屈、かつてのワンマン宰相に容貌までもが似ている吉田茂警部補が遭遇する奇妙な事件の数々……。海渡氏が短編において活躍させた代表的なシリーズ探偵の一人「吉田警部補もの」の第一作品集。。本書は'74年に同社より刊行されたものが元版。

世田谷は上用賀から110番通報。発見された死体が目を離した隙に消えたという。死体は八幡山で発見されてまた消えて、再び上用賀の自宅にて発見された。 『動きまわる死体』
住宅街で発見された情事の後の男性と女性の死体。しかし目撃者によればその男性は発見される寸前、別の女性と行為をしていたといい、他にもその家を出入りした女性があったらしい。 『浮気する死体』
アパートで発見された男の死体は全身どっぷりとウイスキーに浸っていた。周囲には六本もの瓶が転がっていたが、被害者宅にそんな安物ウイスキーは無かったという証言が。 『酔っぱらった死体』
自殺が続く幽霊屋敷でのロケハン中に若い女性が死亡。雨のなかぐっしょり濡れた死体の死因は心臟麻痺。そしてなぜか彼らが屋内に準備した人形もまたぐっしょり濡れていた。『仰天した死体』
恋人とのセックス写真をため込んでいたプレイボーイが殺された。被害者が残した碁盤からいくつか石が抜かれており、なぜかベッドルームからその石が発見された。 『気まぐれな死体』
マンションをスタジオにしていたカメラマンが殺された。部屋に残されたハンドバック。そして女性が入るのが目撃されていたが、彼女は出てきていない。そして部屋には死体だけ……。 『下痢をした死体』
ビルの資料室で会社に無関係の男が裸で死んでいた。同じフロアのトイレから女装道具一式が発見され、同性愛者の痴情のもつれが原因かと思われたが……。 『迷いこんだ死体』
一週間前に上京して怪獣映画プロダクションに入社したばかりの男が殺された。死体の手には怪獣図鑑。更にその怪獣映画プロダクションに怪獣の着ぐるみがやって来て社長を殺して逃走した。 『怪獣の好きな死体』 以上八編。

誰もが嫌がる奇妙な事件、奇妙な手掛かり、奇妙な捜査と奇妙な警部補。そして……鮮やかな解決
吉田警部補という探偵役の造型がかなり強烈。身なりを構わず行儀が悪く頑固で無愛想で皮肉屋。飲ん兵衛で七人の子持ちゆえ年がらピーピー、常に機嫌が悪く捜査の常道なぞ糞食らえ……。名前の通りの吉田茂そっくりの容貌が関係者に暴言を吐き散らし、捜査現場を蹂躙する。
一般的な探偵役と異なる、一種「異形」の探偵像で奇を衒う作品かといえば、さにあらず。捜査の手順はむちゃくちゃながら、あくまで犯人たちが仕掛けたトリックをアクロバティックな論理で解き明かすロジック重視の本格ミステリというのが本書の本質である。 以前も書いたが、どこか「名探偵復活論」「論理のアクロバティック」等々、都筑道夫氏が提唱した数々の本格ミステリ論が、海渡氏によってそのまま忠実に実践されたかのような、かっちりした構成。それが実践されていることだけでなく、その論理の筋道があまりに鮮やかなことを理由に、作品集収録それぞれの短編が傑作揃いであるといえる。
実はそれぞれの作品、謎の提示の仕方は独特ではあるが、それほど現実離れして突飛なものではない。確かに『動きまわる死体』などは死体転移の謎だし、『怪獣の好きな死体』など正々堂々着ぐるみの怪獣コスチュームでビルに出入りする殺人犯などが描かれる。ただ実際、どちらかといえば殺人事件そのものは平凡ながら、目撃者や関係者の証言を再構成した結果「奇妙な」事件へと変換されるものが多い。奇妙な現象が出現するごとに吉田警部補のご機嫌は悪くなり、周囲はその行動にはらはらする。それでも最終的にはそれら現象それぞれを結びつけ、なぜその奇妙な行動を犯人なり被害者なり周囲の人物なりが取らなければならなかったか、が論理的な結びつきによって解釈されるのだ。その論理が優先される結果、かなり強引な誘導尋問や猿芝居が後付けで行われるのだが、それもまた御愛敬。奇妙な謎が思いも寄らぬところに次々着地していく様は、本格ミステリの短編における醍醐味といえるだろう。

歴史ミステリや競馬ミステリ、サスペンスに捕物帖と作品世界を縦横無尽に拡げた海渡英祐作品のうち、そもそも本書は正統派本格ミステリ短編集として知る人ぞ知る名作である。 また、続編として、同じく吉田警部補を探偵役とした『ふざけた死体ども』という作品集があり、そちらも併せて押さえておきたい。いわゆる本格パズラーの愛好家であれば読み逃せないシリーズであることは間違いない。


03/01/17
黒田研二「闇匣」(講談社ノベルス'02)

2002年は黒田研二という作家にとって飛躍の年といえたのではないか。年初から初のハードカバーとなる『今日を忘れた明日の僕へ』を刊行、『嘘つきパズル』『ふたり探偵』『笑殺魔』とノベルス&文庫に書き下ろしを刊行し、年末に至ってもう一冊、本書が加わった。年間五冊というペースはなかなか出来るものではない。本書は講談社ノベルス二十周年特別企画の「密室本」として刊行された一冊で、ノンシリーズ長編。

音楽ソフト等で大ヒットを飛ばす岡部音響という優良企業に入社した”俺”は、社長の娘、岡部杏奈と婚約、挨拶のためにその実家を訪れることになっていた。前の晩に入った俺は近くのホテルにチェックインし杏奈と部屋で会った。シャワーを浴びていたところに何者かが部屋に侵入、俺はスタンガンらしきものを押し当てられ、気を失った……。
気付くと目を開けても閉じても変わらない完全な闇の中で、身体を椅子に縛り付けられた状態にされていた。かつての恋人、大寺枝理からプレゼントされた腕時計から流れる〈サウンド・オブ・サイレンス〉にて目が覚める俺は事態に戸惑う。どうやら杏奈も同じ部屋に閉じこめられているらしい。何者が一体何の目的で? そこに現れた男が一人。空間はまだ闇のままだ。男の会話から俺は、相手が幼なじみにして、岡部音響でも同僚だった軽部龍一であることに気付く。龍一は俺の妹、薫が子供の頃から惚れていたが、薫は、俺と龍一、そして枝理と四人でキャンプに出かけた際に水死していた。今朝方、枝理が死んだことをまず告げ、さらに龍一は薫の事故は殺人だと言いだす。誰が薫を殺したのか教えて欲しい、出なければ”俺”と杏奈を二人とも殺すと予言して一旦去ってしまう。確かに薫の事故については俺自身、腑に落ちないことがあり、殺人ではないかと疑っていた部分があった。

闇を中心にした雰囲気作りはGOODだが……ちょっと「作られ」過ぎているかも
吉村達也の作品に『邪宗門の惨劇』という作品がある。シチュエーションは微妙に異なって最初から密室に閉じこめられ、最初は蝋燭の灯りが点っていたのが、徐々に闇に閉ざされていく……というもので、暗闇の恐怖を訴えるシーンが印象に残っている。(今読むとどうか自信はないが、当時はかなり面白く読んだはず)。 本書はどこかその作品に近しい雰囲気を持ってるな、というのが個人的な第一印象。(闇のなかで過去の事件を振り返らされるところとか)ただ、本書はいきなり闇の中。記憶のシーン以外は、ラストの一部を除いてずっとずっと闇の中。
その闇の中、幼なじみに脅迫される主人公の回想の形式でミステリが展開される……。単純に、ストーリーに疑問を差し挟まずに読み進めるのであれば、主人公の妹の変死事件、そして自己中心的な主人公の思考、更になぜ主人公が罠に掛けられたのか……等々謎が多くあり、それらが思いも寄らぬ伏線にて繋がっていく様はなかなかに快感である。当初は分かりにくかった主人公の「嫌な性格」が徐々に明らかにされるあたりもGOOD。特に通常の会話文のなかで交わされる何気ない一言が伏線であることに気付かされるのはショックを越えて快感にも感じる。このあたりの結末へ向けた仕込みの巧さは、他の黒田作品にも共通しており、作者の本格ミステリを創作するにあたってのセンスが感じられる。
ただ、一歩下がって冷静になって考えると数々の疑問もまた湧いてくるのだ。最大の疑問は「主人公が元恋人を故殺させようとしたシチュエーションと自分が同じ状況下にあるかもしれない」という点は真っ先に検討するもんではないか? ということ。それを崩すとミステリとして成り立たないので仕方ない面もあるのだが……。また登場人物が少なすぎる(これは欠点ではないよ)割りに、後にならなければ謎解きの核心にあたる重要なエピソードが出てこない物語構造にも、ミステリのために無理をしている印象も残る。ただ、この点に関しては伏線の読み落としが私にあるのかもしれない。

(ということで、私にとっての瑕疵と感じられる部分はあるものの) こういった変格シチュエーションのミステリを編み出せるようになったあたりに黒田氏の余裕が感じられる。著作数が増え、それなりに名が売れるに従って変化球も投げられるようになったということか。また、その変化の度合いが、密室本の最終月を飾る作品という意味ではなかなかに相応しいように感じられた。


03/01/16
都筑道夫「暗殺心(アサッシン)」(徳間文庫'86)

'81年から'83年にかけて『SFアドベンチャー』誌に掲載された作品を'83年にトクマノベルスにて刊行した連作短編集が文庫化されたもの。本書一冊で完結する都筑道夫世界満喫のオリエンタル忍者ファンタジー。

夢迦(ムカ)国の王女・真晝(マヒル)は、酒場で逮捕された。彼女は自分の父である王と兄ら、家族を殺害した五人の王に対する復讐を依頼するため、刺客である鹿毛里(カゲリ)を探す途上にあった。鹿毛里への橋渡し役の非無呂(ヒムロ)という老人を捜しあてたところ、彼女自身知らないうちにその老人を殺したのだと周囲は云う。殺人犯人として留置された真晝の前に、遂に鹿毛里が現れた。彼はまず金を取り戻せるか試してみるといい、その結果依頼を受けるか決めるという。鹿毛里の手によって脱出した真晝、そして鹿毛里は彼女を陥れた刺客の正体が、他人に乗り移ることの出来る一月(ヒトツキ)だと知る。真晝に取り憑いた一月を策によって倒し、鹿毛里と真晝は五人の王を倒す旅に出る。途中、王たちが雇った刺客や、世界一の刺客、鹿毛里を倒さんと立ちはだかる人々の妨害をはねのけ、二人は目的を遂行する……。
『いざ悪夢の旅へ』『黒神の巫女』『月影日影』『意馬心猿』『花地獄』『魔導師』『不可思議』『闇陽炎』『夢あらそい』『醒めてまた夢』以上の「第一殺」から「第十殺」によって構成される連作長編。

西欧からみた東洋観が世界のベースか。都筑道夫ならではのオリエンタル・ファンタジー・アクション
西洋の人間によって「忍者」が「ニンジャ」(正確にはNinja)として表現される時、そのオリジナルを持つ我が国の人間の眼からみるそれは、本来の忍者とはかけ離れた存在にみえる……というケースは映画にしろその他のメディアにおいても多々経験があるもの。ここに文化的な歴史と背景の違いを見出すことは容易い。だが生粋の日本人である都筑氏はその「ニンジャ」の方の感覚を自作に取り入れ、併せて西洋からみたこちらも文化的にはいい加減な(と、我が国の人間の眼からは見える)さまざまな東洋観を取り入れた世界を舞台にして、姫とナイトによる冒険活劇を書き上げてしまった。
その、想像力だけで書き上げるそのディティールももちろん素晴らしいものがあるが、一編一編の物語に手抜きがなく、エキサイティング。当代随一の刺客である鹿毛里に対し、妖しい術を使う刺客たちが戦いを挑むというものが中心。その戦いでは風太郎忍法帖のごとき技が駆使され、その謀略にはミステリ的な意表を突く発想が利用される。(例えばレッドへリングであるとか、敵の弱点察知方法だとか)またまた王女が足手まといになったりするお約束も当然ある。一方で、鹿毛里は鹿毛里で、厳重な警戒をかいくぐって、五人の王を暗殺するというだけの、当代随一の腕前が鮮やかに描かれており、仕事人的興味もある。また、全体を通じて登場する彼ら以外の重要なキャラクタがいるあたり、全体的な構想もかなりしっかりしているように見受けられた。
この時期になると都筑氏の発表する作品はほとんど短編が中心となり、長編の執筆はごく少くなってしまっているように感じられるが、本書を見る限りまだその構想力そのものが衰えているとは思いがたい。(ただ、厳密にいえば本書も連作短編集と分類されるべき作品かもしれないが……)。

無理がある結びつけかもしれないが、例えば現在大きな人気を誇る小野不由美さんの『十二国記』のシリーズにしても、無国籍のオリエンタルファンタジーが舞台となっている。その世界観こそ違えど、根本的な発想とイマジネーションの根元はこの『暗殺心』と似たところにある……かもしれない。


03/01/15
伊坂幸太郎「ラッシュライフ」(新潮ミステリー倶楽部'02)

伊坂幸太郎氏は『オーデュボンの祈り』にて第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビューした。本書がその受賞後第一作となる第二長編。ちなみに新潮ミステリー倶楽部賞は第5回をもって終わりとなったため、伊坂氏が最後の受賞作家ということになる。

本書は五つの物語から構成される。それがどのような関係をもってどうまとまるのか。
・女性画家・戸田志奈子は「金で買えないものは何もない」と豪語する六十歳の画商、戸田と共に新幹線のグリーン車に乗り込んでいた。確かに戸田は自分から独立しようとした若い画商を潰したり、ボディガードに身辺を警護させたりと傲岸不遜な体験を数多く持つ男だった……。
・誰とも組んで仕事をしない一匹狼の空き巣、黒澤。彼は徹底した調査の末に仕事に出かけ、家主の財産の一部だけを持って帰ってくる。彼は別の男から仕事を手伝って欲しいと頼まれていたが、断った。
・予言じみた物言いでとある難事件を解決した高橋の周囲には新興宗教さながらに人が集まってきていた。父親に自殺された河原崎もそんな”信者”の一人。そんな彼が高橋の側近、塚本に呼び出された。
・浮気相手のJリーガーの妻と自分の夫との交換殺人を計画していた精神カウンセラーの京子。それを実行しようとした矢先に彼女は夫から離婚してくれと頼まれる。それでは、と相手の車に乗り込んだはいいが、彼らは道行きに人をはねてしまう。
・そしてリストラされた四十男、豊田。彼は再就職がままならず弱り切っていた。そんな折り一匹の老犬と出会い、ひょんなことから一丁の拳銃を手にすることになる。

ジャズのスタンダードナンバーが聞こえてくる……軽快な騙し絵ミステリ
伏線の張り方が絶妙に上手い。 前作の『オーデュボンの祈り』もそうだったが、読み終わった後に「あれ、これも」「え、こんなところにも」とその伏線の妙が楽しめること間違いなし。ただ、本作の本質はそういった伏線から読みとる最終的な真相……にあるのではない(ような気がする)。
一つ一つのストーリーは微妙な起伏を持つ。特に京子とJリーガーとの犯罪計画のなかで出会ってしまった死体などは、トランクから二度も飛び出した挙げ句、勝手にバラバラ死体に変化したかと思うと、最後には自分で立って歩き去ってしまう(!)のだ。一連の謎に論理的な(腰が抜けるような)解決がつく。その意味ではこの部分は本格パズラー的パートだといえるだろう。また、探偵の”信者”河原崎の物語も不思議なものがある。教団幹部が「教祖から優しさがなくなった」といって殺害しバラバラにする計画に巻き込まれるのだが、その目的から何から謎である。疑念を抱きつつも殺人解体の様子を淡淡と描く河原崎。どこか常識が揺るがされる視点。このパートは優しい、しかしサイコスリラー的な雰囲気が漂っている。
一方、失業者、豊田の物語は熟年ハードボイルドといった様相を呈しており、老犬との巡り会いから復讐に至るまで男の心を痛ませ、熱くさせる(?)ような物語だし、空き巣の黒澤の話も、こちらもテイストは人生語りの多いハードボイルドのテイストに近い。また最後の一つ、画商の戸田と志奈子の話は、いわゆる悪人の自慢話的で胸糞が悪くなる……がそれだけで取り立ててどうという印象はない。ただ少なくとも、多くの登場人物がそれぞれの人生のワンシーンを読者にかいま見せてくれている。それが重要なのではないか。
確かにそれぞれの物語の起伏は意外な部分で、そして意外なところにて繋がって納得させられる。その伏線も実に心憎い。だけど、それよりもこの交錯する物語における「それぞれの人生」がどこか独特の面白さを醸し出している方が、作品の味わいとしては強いように思うのだ。それは、どこか「人生、悪いこともあれば、良いこともあるさ」と優しく心に響くジャズナンバーを想起させる。実際本書の題名はそんなジャズナンバーから取られている。題名の「ラッシュライフ」のラッシュにいくつもの単語が当てはまることを考えると、ミステリ的な仕掛け以上に、複数の人生の描写そのものが、やはり主題のように思える。

「あれあれ」とのけぞった後、どこか優しく楽しい。ミステリ系エンターテインメントのいいところを取り出したような作品。知的にも楽しめ、物語としても楽しめる。作者の若さを考えると近いうちに大傑作をモノにしてくれるのではないか、という期待を感じさせてくれる。間違いなく今後の成長株なのでみんな買うように。(ただ、ミステリから離れてしまうような可能性もすこーしだけ感じる)。


03/01/14
黒川博行「麻雀放蕩記」(双葉文庫'00)

「平成の『麻雀放浪記』」と銘打たれて刊行された黒川氏の作品群のなかでは異色のギャンブル小説集。'97年に双葉社から刊行された作品が文庫化されたもの。

作家の黒田ヒロユキは,東京双珠社編集者の山元からの誘われて韓国の賭博場へと出向く。妻のハニャコさんを口説き落として資金を調達、意気揚揚と出陣しブラックジャックに狙いを定める。 『ぶらっくじゃっく』
再び山元から今度はホンビキの小説を書いて欲しいと依頼された黒田は、知り合いの伝手を辿って賭場に出向く。ホンビキ勝負の行方は? 『ほんびき落とし』
北新地のママから麻雀の借金を取り返したいので手伝って欲しいという依頼を受けた黒田。通しのサインを決めて三人麻雀に挑むが……。 『いたまえあなごずし』
ミナミの非合法カジノの取材に向かった黒田と山元。最初のルーレットで勝ったことから、客と麻雀勝負へともつれ込む。 『雨あがりの七対子』
山元と出向いたのはマレーシアのカジノ。知り合った色っぽいお姉ちゃんとバカラ勝負に挑んだ黒田であったが……。 『幻の女』
遊戯雑誌の企画でパチンコと麻雀の大会に出席することになった黒田。パチンコ界のアイドルというお姉ちゃんが参加していたがこれが滅法強い。 『パチンコクイーン』
雑誌企画で美人エンターテインメント作家と麻雀をすることになった黒田。他の面子は棋士と漫画家。勝負の行方はいずこに。 『東風吹かば』以上七編。

かかった元手もエンターテインメントに換算。半ばノンフィクションの痛快ギャンブル小説
ギャンブル小説というのは読者が限定される……のは普通の意味では間違いない。どんなに優しく一般向けに分かりやすく描かれていても、差し馬と追い込みの違いや九蓮宝燈の凄さがどんなに分かりやすく描写されていようとも、実際にプレイしたことのない人にはゴール前の攻防を見つめる時の緊迫感や闇でテンパった時の期待と不安の入り交じったような気分はなかなか理解できないもの。……本書はそういった「ギャンブル小説の常識」を覆すエンターテインメントとなっている。つまり、誰が読んでも(たぶん)面白く読める作品なのだ。
本書、題名に「麻雀」と冠されているが、実際の内容は麻雀の他にブラックジャック、ホンビキ、バカラ、ルーレット、パチンコ……と盛りだくさん。麻雀以外は一応のルールも本文や別枠に説明がついており、最低限のルールはどんな読者にも分かるようになっている。もちろん、実際にプレイを経験した方ならニヤリとするような登場人物の各種のギャンブルにおける細かな駆け引きや計算もそりゃ面白い。だけど、最もエキサイティングな部分はギャンブルという行為に溺れて、イカサマで対抗したり、嵌めようとして嵌められたり、流れに負けて止まらなくなったりという理性が吹き飛んでいく人間の本質にあるのだ。こればかりは「分かっちゃいるけどやめられない」世界。賭け事はゲーム、だけどゲームだけど賭け事。勝ってナンボ、負ければ地獄。特に負けかかった時の主人公の心情の赤裸々さがまた極端で面白い。また主人公と妻、ハニャコさんの冒頭の元手をどうにかしようとするための駆け引きもほのぼのとしていて良い感じ。
本書の主人公「クロダヒロユキ」氏が「黒川博行」氏と同一人物なのかどうかは分からないし、東京双珠社の山元氏が実在しているのかどうかも分からない。ただ、経験者でなければ書けない(と思われる)秘密賭場だの東南アジアのカジノだののディティールは真に迫るものがあり、毎回作品にある通りの授業料を支払っているのだとしたら、その元手はかなりの額に上るであろうことは想像に難くない。ただ、そのかかった元手もかっちりエンターテインメントに変換してしまうのが黒川氏の真骨頂。但し、遣われて溶けていった金額を合算したものと、本書の原稿料+単行本印税+文庫印税を加えたものとどちらが大きいかは作者もたぶん恐ろしくて計算できないのではないか。

間違ってもミステリ作品と思う人はいないだろう。題名の通りのギャンブル小説。 黒川作品における犯罪者がしばしば陥る心理「のるかそるか」という緊迫した味わいは、どこか本書からも感じられはするが、それはこじつけか。単純に読んで、単純に楽しむがよろし。 ただ、本書を読んだ後、無性に賭け事がやりたくなるのでお気を付けて。


03/01/13
高里椎奈「それでも君が ドルチェ・ヴィスタ」(講談社ノベルス'02)

高里さんは第11回メフィスト賞を『銀の檻を溶かして』にて受賞、その後、同作品の延長となるミステリ・ファンタジーである「薬屋探偵妖綺談シリーズ」を定期的に刊行している。本書は講談社ノベルス二十周年特別企画の「密室本」として刊行された一冊で、ノンシリーズ長編。

その森と林に囲まれた世界に新しく暮らす住人は、常に突然どこからか現れる。少年は暖かな木漏れ日のなかで目を覚ました。彼はしきたりに従い、彼を最初に発見したリラという少女が親となり「キンカン」と名付けられる。リラは料理の上手なヴィオラ、そして人懐こいピアニカ、そして元気な双子の兄弟、シンとバルら六人で暮らしていた。自給自足で賄われる生活のなかにキンカンは暖かく迎えられる。しかし生まれたてのキンカンは、この世界の常識が全く分からないうえに、自ら言葉を発することができなかった。どうやらこの世界には彼らを含めて三十一人しか住人が存在しないらしく、それぞれが得意分野を発揮して暮らしているのだ。少しずつ世界の知識を得、暮らしに慣れていくキンカン。しかし、リラに好意を寄せていたことからキンカンと対立した少年、カフォンが上半身と下半身が断ち切られた死体となって発見されるにつれ、この世界は混乱に陥る。よそ者であるキンカンを犯人と目した住人は、リラら家族が庇うにかかわらずキンカンを犯人として告発しようとする。

暖かく穏やかな世界そのものが既に密室。世界を創るファンタジー作家の面目躍如
梗概に挙げた固有名詞を見て頂ければ想像される通り、いわゆるファンタジー世界における物語である。牧歌的な環境、それぞれ明るい個性を持つ人々によって成り立つ大家族。いわゆるヒト型以外の住人も多数存在し、それぞれが世界のなかで役割をもって日々暮らす……。作者は当然読者に対して(この場合新しくやってきた主人公に対してなのだが)、世界の説明をする必要がある。物々交換、岩が降り注ぐ雨、時間の概念、世界の成立。この世界がもっともらしく見えるかどうかが、ファンタジー作家の腕の見せ所であり、本書においてそれはまた上手く表現されているといえよう。全世界の構成人員が三十一人。外部が存在しない故の密室。 これを密室と捉えてしまう感覚はなかなかに素敵かも。
閉じた世界を密室と見なしたうえで発見される不審死体。警察も科学捜査もなく、人々は疑心暗鬼に陥り、論理的な裏付けなしに心情的理由によって主人公が犯人だと決めつけられる。当然主人公は反論のための推理を試みる。残念ながらこのあたりは本格パズラー要素に依ってはいない。もちろんアリバイもなく不可能トリックもない。だが、実はこの閉じられた世界そのものがトリックであり、凶器であり、動機である……あたり、却ってファンタジーをミステリの題材とするにあたっての面白さが込められている。シリアスな大人のドラマばかり見ている分には曇ってしまう感覚が、ある意味ミスリーディングとなっているともいえるのではないか。(逆にいえば一部読者にとっては、こういった世界からしてダメという向きもあるかも)。
ミステリだけではなく、ファンタジー的世界観そのものにも十二分な魅力があることもポイント。死体の謎以外、最後に明かされる世界の秘密からは、独特の叙情感が引き出されている。

高里さん自身「密室本の書き手として相応しくない」というような意のことをおっしゃっていたように思うが、本格パズラーとしてではなく、ファンタジーミステリとしてみるならなかなかのもの。個人的にはいわゆる「現実」に戻る最終部分というのが必要だったのかどうか、ちょっと余韻を楽しむ意味では疑問が残る。とはいえ、密室世界の存立がそのまま不審死体の理由に繋がるというセンスはミステリ作家としても十二分の力量があることを感じさせられた。
ちなみにドルチェ・ヴィスタとは「甘い景色」の意とのこと。


03/01/12
山田正紀「七面鳥危機一発」(双葉文庫'91)

文庫版、ノベルス版ともに直接に、あのモンキー・パンチ氏が表紙イラストを手がけているように、作者自身、明らかに「ルパン三世」を意識したと思われる怪盗主人公のアクションミステリー。『小説推理』誌に掲載されていた作品が'88年に双葉ノベルスより刊行され、更に同社にて文庫化されたもの。ルパンと峰不二子に相当する人物が登場するが、次元と五右衛門にあたる人物は登場しない。

某国大使館にD−妃の来日ファッションを探りに忍び込んだ七面鳥。ライバルの美貌の女泥棒と現場で鉢合わせした挙げ句、別の強盗にも襲われて……。 『七面鳥、登場』
前の事件の女泥棒、七子と共に社会主義体制が確立したばかりの東南アジアのホテルに忍び込む七面鳥。兵士がたむろする館に住む老オーナーの前でジルバを踊るのが使命だった。 『七面鳥、ジルバを踊る』
食通の右翼の大物の依頼により、中華料理家の究極の料理を盗み出すことになった七面鳥。料理家のボディガードを痛めつけ、自宅に出入りできるようになったが……。 『七面鳥、料理される』
コンピューターゲーム長者からの『七面鳥、ロールプレーイング・ゲームになる』
香港の大金持ちがライバルと金庫の頑丈なことを自慢しあううちに、誰かに挑戦させようという話に。七面鳥が呼ばれ、最初は金庫室に閉じこめられてテストされる。 『七面鳥、百万ドルの夜景を盗む』
政情不安の東南アジアの某国にて宝石満載の列車強盗を依頼された七面鳥と七子。その財宝は平和を望んでゲリラ活動を行う者たちにとっても必要なものだった……。 『七面鳥、最後の挨拶』 以上六編。

活字で読む「ルパン三世」+「007」。良い意味でも悪い意味でも。
ミステリのジャンルのなかには「怪盗小説」と呼ぶべき作品がある。厳重に警戒された美術品や宝物を、いとも鮮やかに手腕を尽くして盗み取っていく怪盗が主人公の物語。善を好み悪を憎む人々も、怪盗小説を読む分にはその倫理観を忘れ、怪盗の手際の鮮やかさに感嘆し、単純に痺れる。原初の体験はルブランか、それとも二十面相か。警備する側に化けたり、警報装置を無効化したり。宝を守る方法をトリックとするならば、怪盗はそのトリックを思わぬ方向から解体する。つまりは逆説的本格パズラーの魅力がそういった怪盗小説にはあるといえる。「どういった手段で」というのが最大の興味。
ただ、本書の場合は、そう単純に怪盗小説とは言い切れない、という印象である。
七面鳥と名乗る主人公、盗めないものは何もないと豪語するだけの腕を持った優秀な泥棒である。しかし、彼は金で依頼されて動くのだ。つまり、事実、変な依頼人から変なものを盗んでくれと依頼される。何を盗むのか、についての主人公のポリシーは反映されない。またもう一つ、盗み出すものが突飛――究極の料理であるとか――のため、本来怪盗小説であれば面白みであるはずの「手段」の部分に関する工夫が正直、今一つ。例えば警戒が厳重な屋敷に忍び込むにしても、その過程となる部分を端折っているシーンが多く見受けられる。結局、物語のポイントは「なぜ依頼人がそれを盗みたいのか」「七面鳥になぜ頼んだのか」あたりにある作品が多く、アクションミステリー的な要素の方が、泥棒小説のゲーム的要素よりも強く反映されている。 それはそれで期待とは別の意味での「裏切り」があり、ミステリーとしての興趣が想像以上に大きかった。また、主人公が期待しまくるお色気シーンが、あっさり裏切られるあたりも「ルパン三世」そのもの。
そんななかでアクションとゲーム、両方の面白さが両立しているように感じられたのは『七面鳥、百万ドルの夜景を盗む』。大富豪が用意した究極の警備システムが、インディ・ジョーンズばりの容赦のない遊び心に満ちており、それに対抗すべく必死で知恵を絞る七面鳥の姿とそのダイナミックな展開にただただひたすら、単純に痺れることができた。他の作品も、もちろんエンターテインメントとしては水準を超えているのだけれど、読前の期待との一致度でいえばこの作品が図抜けていた。

「危機一髪」ではなく「危機一発」。山田正紀氏の作品群のなかでも異色の作品にあたるのだろうが、この独特のエンターテインメント性の追求は、氏ならではのものだろう。この双葉文庫以来、入手は困難になっている模様(80年代後半に刊行された山田作品には同様の憂き目にあっている作品が多い)だが、古書店等で見かけた場合、押さえて損はないかと思われる。


03/01/11
斎藤 栄「16年目の幸福殺人」(中公文庫'90)

中公文庫書き下ろし作品。探偵役となる小説家はかの有名な二階堂(タロット)日美子のいとこにあたるらしい。このあたりはもう少し読み込むことが(仮にだが)できれば、理解できるようになるかもしれない。

横浜でドラッグストアを経営していた神宮寺清太郎は番頭格に店を売却し、悠々自適の生活を送っていた。妻の冬千代は病を患って寝たきりだったが息子の浩太は商人を嫌って医者を目指し、一旦絶縁状態にあったものの宇都宮で開業医を営んでいた。浩太の妻、千寿は浩太が学生時代に駆け落ち同然に結婚した相手。そして浩太には大学生の裕介と、女子高生の麗花の二人の娘がいた。その麗花が、神宮寺家のお手伝い、はまと共に何者かに誘拐された。犯人の要求は身代金一千万円。浩太はその金額の安さを訝しむが、警察には届けず犯人の要求通りにする。銀行の貸金庫に入れていた一千万円の現金を引き出そうとした浩太だったが、その貸金庫には十六年前に入れたはずの「未来への手紙」共々、現金は既に入っていなかった。貸金庫に触れるのは清太郎と、彼から鍵を預かっていた、はまの二人のみ。浩太は現金の行方を忖度するが、取り敢えず銀行から現金を借り入れて身代金を準備する。連絡のあった犯人の要求通り妻の千寿は身代金を持ってJR磯子駅に向かう。その場に現れたのは犯人に脅されたと思しき、はまだった。彼女に現金を渡し、その現金が犯人に届いたらしく麗花は無事に戻ってくるが、この事件は神宮寺家を巡る悲劇の発端にすぎなかった。

構成そのものは想像以上に良かったのだが……見せ方がかなり恣意的なような
十六年前に二世帯住宅を建てた記念に認めた「幸福な家族」が書いた未来の自分への手紙……が主題のはずが、冒頭から(明らかに自作自演と分かる)誘拐犯罪が発生、貸金庫に入れていたはずの手紙と一千万円の紛失から、過去の事件へ。何が「謎」なのかよく分からないまま進むサスペンス的な展開のミステリ。 確かに後半も後半、殺人事件が発生するし、終わってみれば「十六年前に書かれた手紙」に隠された秘密が浮き上がる……。
読み終わってからはじめてミステリとしてそれなりにしっかりした構造を持っていたことに気付かされる。なぜ「読み終わってからはじめて」なのか、というと途中で引っかかりまくるから。 横浜から宇都宮まで番組のギャラリーに十年以上音信不通の親戚と似た人物がいるというだけで、わざわざ出向いてしまう楽隠居。誘拐事件の自作自演は息子が書いて懸賞に応募した推理小説そのままという幼稚さ。その最終候補にも残らなかった推理小説を選考したという縁だけでわざわざ自宅に執筆者を訪ねてくる酔狂な作家(電話で話すとか、編集者ならまだしも……)。さらにその作家が一家の出来事にわざわざ首を突っ込む図々しさ。また自分の息子をわざわざ「ドクター浩太」などと呼ぶセンス……。等々、ミステリ以前、小説として首を傾げる部分がしきりに登場する。 また、ミステリとしてメインとなる謎の部分に関しても、(本格ミステリのルールに則るならば)アンフェアといえる記述に終始しており、個人的には「これはないよな……」と思ったことも事実。
結局のところ、いわゆる「本格ミステリ」に対する指向を既にこの大家は放棄している……ということなのか。確かにミステリに不慣れな読者が読む分には「なるほど!」と思わせる内容かもしれないが、一定レベル以上の読者にはちょっと勧めかねる。つまり、ミステリっぽい読み物。 それ以上でもそれ以下でもない。

斎藤氏には四百冊以上の著書があり、その全貌を知るのは単に読み通すだけでも一大事であ数ある斎藤栄の作品のなかから、本書を手に取ったことに特に深い意味はない。(たまたま我が家に転がっていたのだ)。ただ最近の斎藤氏が果たしてどんな作品を書いているものなのか、ちょっとした興味が湧いたため読んでみた。