MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/02/10
岡嶋二人「殺人者志願」(光文社文庫'90)

元版は'87年に刊行されたカッパ・ノベルス版でもともとは雑誌『EQ』に連載されていた『ひとでなし・ろくでなし』を改題したもの。現在は講談社文庫にて再刊行されている。

菊池隆友と鳩子の若い夫婦は気ままに暮らしていた挙げ句に二百万円近くのサラ金の借金を抱え込んでしまっていた。定職についていない彼らが駆け込んだのは鳩子の「伯父さんの奥さんの甥」と、ほとんど赤の他人に近い親戚である「宇田川のオジサン」。ミツイ・エレクトロニクスという会社の社長をしているオジサンが借金の肩代わりに彼らに申し入れた条件は「何も聞かずに中原美由紀という人物を殺してもらいたい」というものだった。切羽詰まった状況に悩みに悩んだ二人はその条件を承諾する。殺人請負人となった彼らは、まずは中原美由紀とは何者かを調べ、彼女の住むマンションの隣宅が引っ越したことを知り、計画実行のためにそこに転居することを宇田川のオジサンに要求する。首尾良く引越を終えて中原美由紀の行動を監視し、その生活パターンを知ろうとする過程で、陽気で人付き合いの良い彼らはマンションの他の隣人たちとも仲良くなってしまう。カードゲームパーティを企画し、その仲間に中原美由紀を引き込んだは良いが、段々情が移って殺人どころではなくなってしまう。しかし追いつめられた彼らは計画を実行に移すのだが……、彼らの前に現れたのは宇田川の死体だった。

本作に限ってはテンポよりも人情を重視? 岡嶋二人らしい「状況」ベースのサスペンス
自由気まま、放蕩無軌道に生活するカップルが気付けばサラ金地獄に陥っている……というのは(今はサラ金じゃないかもしれないけれど)ありそうな話。そしてまた、とある理由である人物を消して欲しいと切望する小金持ちがいる……というのも、ミステリのなかではままありそうな話。この二つを結びつけてコミカルなお話に仕上げてしまうのは、なぜかありそうであまりない話。ということで、アタマに持ってきたシチュエーションでしっかりツカミを取ってしまう岡嶋二人ならではのサスペンスというのが本作。発表から十五年経過しているというのに、ポップな人間模様を描きつつ、全く古びていない。このあたり、無理に時代の先端を追おうとする作家の作品が後に失笑を呼ぶ表現と変化してしまうのに対して、岡嶋二人作品にその心配がいらない。
さて、能天気で行き当たりばったり、明るい快楽主義者のこの二人が殺人を実行する羽目に陥ってから、嫌なことを理由をつけて後回しに後回しにするこの感情はいつの時代も人間共通。更に倫理的な壁を乗り越えようとする際の葛藤や、実行段階の不安と怖れと動揺等、こと細かに書かれているのが良くも悪くも本作の特徴だといえよう。その結果、登場人物の厚みは増したが、物語のテンポは岡嶋サスペンスには珍しく失速している感がある。本来のどんでん返しである「殺してみたはずの人物が知り合いに入れ替わっていた」というサプライズが物語に登場するのが中盤以降。なので、本来書き込まれるべきその後の展開がかなりの駆け足になってしまっている。
とはいえ、本作はそれでも良いように思う。サスペンスでありつつも人間ドラマ。 単純なストーリーの面白さと同時に、怨みも何にもない人物を殺せるかどうか、という主題を真面目に追求した側面がしっかり出てきて、それが読後感の爽やかさに繋がっている。(時に、ストーリーを重視しすぎた結果、後味が悪い作品も岡嶋二人にはある)

これだけソフトが豊富な時代に、決して旧刊復刻に熱心とはいえない講談社文庫が再刊を進めているのは、こういった時代を超越する面白さが認められるからに他ならない。岡嶋二人のユニット完了時点でも彼らの作品は「(程度の差こそあれ)駄作が一つもない」「全部読む価値がある」と言われていたと記憶しているが、その言葉は現在でも、そしてこれからも通用する。 次に読む作品に悩んだ時は未読の岡嶋二人……という選択は、今でもそう悪くないと思う。


03/02/09
鯨統一郎「ふたりのシンデレラ」(原書房ミステリーリーグ'02)

邪馬台国はどこですか』でのデビュー依頼、歴史に題材を取る異色ミステリと、題材そのものこそ異色ながら本格テイストに溢れた作品の二系統を中心に発表してきた鯨氏。本書もまたノンシリーズ作品ながら、一人八役ミステリに真っ向から挑戦したという氏の経歴のなかでは異色ともいえる作品。

広島県の沖合に位置する孤島に次回公演の練習のために集まった劇団〈O-RO-CHI〉の関係者九人。その劇団の花形女優で同じ劇団の花形俳優、天野川敬介と結婚している天野川夕華は、テレビデビューが決まっていた。次回公演する『ふたりのシンデレラ』という劇は、夕華を〈O-RO-CHI〉での最後の主演作品となるはずであったが、もう一枚の看板女優、夏村芽衣がその主役の座を狙っている。また芽衣は敬介にもつきまとっており、夕華は彼女の行動が気になって仕方がない。病院チェーンを経営する若き医者、国友広史をパトロンとする〈O-RO-CHI〉内部では国友、そして脚本家の松山を除く関係者がそれぞれ劇団内に恋人を持っていたが、その坂口の脚本は未だ完成せず、同時に『ふたりのシンデレラ』のヒロイン役もまだ実は未発表だった。練習に励みつつ、主演女優の争いはヒートアップ。しかし未だヒロインをどちらが演じるかは決まっていなかったため雰囲気はどこかぎくしゃくしたまま。そんななか、劇団員のほとんどが本命と思っていた夕華ではなく、身体を投げ出して関係者にアピールする芽衣に次回の主演女優の役が割り振られた。その晩、島内にある国友所有の診療所が火事になり、怪我を負った夕華は記憶を失ってしまう。また現場からは夏村芽衣のものと思われる黒焦げになった死体が発見された。そして島に繋いであった一台だけのモーターボートは敬介と共に孤島からは姿を消してしまっていた。

私は「事件の証人」「犯人」「犠牲者」「探偵役」「ワトソン役」「記録者」「容疑者」そして「共犯者」でもある……。
多重役ミステリといえば、元祖はジャプリゾの『シンデレラの罠』。国産でこれに続くのが都筑道夫『猫の舌に釘を打て』。他、辻真先、篠田秀幸といったあたりがこの趣向に挑戦しているように思う。これらの作品を読んでいれば、このタイプのミステリに共通項があることが分かる。というのは主人公が探偵であり犯人であろうとすると、一人称の記述者が必ず犯人に含まれているのだ。そのためにはメタフィクショナルな趣向が取り入れられねばならない……のが一種宿命のはず。そして本書も一面的にはその趣向に乗っ取らざるを得ない部分があるのもまた事実。だが、読者を瞞す意図のないフィクション=演劇 という要素が含まれていてそれが物語の究極の謎部分をミスリードする役割を果たしている。また主人公(途中まで誰が主人公なのか分からない)の記憶を失わせることによって物語の混迷感はますます深まっている。少しずつ明かされる演劇としての『ふたりのシンデレラ』も、意味が完全に受け取れないながら構想としては面白そうな印象を受けた。
その一方で、無用な饒舌さも気になる。登場人物たちの身長体重表は重要な伏線になっているので良いのだが、物語の半分しか使用しない館の見取り図なんて意味はないだろうし、登場人物同士の深い意味のないベッドシーンがやたら多く、その割に脇役の人物の描き方が非常に平板となっているなど、読んでいて引っ掛かる点も多い。特に後者、人間描写の軽さについては鯨氏の現代作品全てに共通しているといっても良く、ここまでくれば鯨氏の芸風と認めねばなるまいか。本格パズラー志向であれば、犯罪部分はとにかく登場人物が駒にされて、深い人物描写は不要という考え方もあるが、本作の場合は一部の登場人物は不要と割り切れる軽さしかない、というのは考え物かもしれないな……とも。

一人八役という趣向そのものの正体だけは、当然ここでばらすわけにはいかない。つまり、自分で読んでみて頂くしかないのが実情なのだ。普通に考えれば「無理!」なことを実行しようとしているだけに、結末はかなりアクロバティックな着地となるが、八役そのものは見事にクリアしていることだけは保証する。この手のミステリに興味のある向きは多少の読みにくさを堪えて押さえておく価値はある。


03/02/08
斎藤 栄「紙の孔雀」(講談社文庫'82)

'71年に講談社より刊行された「乱歩賞作家書下しシリーズ」の一冊として刊行された作品が元版。'66年第12回江戸川乱歩賞を『殺人の棋譜』にて受賞した斎藤氏は、'69年頃に「ストーリー+トリック」を現す造語「ストリック」を提唱、本書はその言葉に従って旺盛な執筆活動を続けて人気作家としての地位を確立した時期に刊行された作品である。

学生運動盛んなりし頃。伝統ある横浜港南大学にもそのうねりは押し寄せてきていた。全共闘共戦派の一団が学内で対立する革青同解放派を解体すべく、その根拠地である学生寮を急襲する計画を立て、実行に移した。志願者で構成された女性二人を含む決死隊七名は闇夜に乗じて突入するが、襲撃を予想していた革青同の一派に返り討ちに遭い、襲撃は失敗、凄惨な敗北を喫し、その中の女性の一人は屈辱的な辱めを受けた……。
横浜市金沢区の公園にある仮設小屋から高いところから突き落とされたと思しき変死体が発見された。被害者の男、杉田は熱心な宗教活動を行っており、その内部抗争かと思われたが、特定された現場から犯人が落としたと思われる櫛が発見された。櫛の持ち主を辿ると高野という人物に行き着く。その高野は捜査を主導していた里見刑事の妻を轢き殺したものの、証拠不十分で不起訴となった人物であった。里見らの追及を前に高野は失踪。家族に謎の電話を残し、浜名湖にて変死体で発見された。

学生運動時代ならではの青春群像、そして手紙が結ぶ親子関係。そして想像できないラスト……
最初に気付くのは、「作品の構成」という部分に徹底的に凝った作品であるということ。大学紛争という、当時の若者が真剣に身を投じた学生運動を描くだけでなく、全学封鎖→学校(機動隊)との対決、つまり一種の「戦争」が開始されるまでの日数を章題としている。(第一章にあたる部分が「全学封鎖十一日前」で、最終章の一つ前が「封鎖解除の日」となる) この時系列に合わせて二つの事件が主に描かれる。一つは、娘の大学生、園子が身を投じる学生運動。彼女はその直前の決死隊行動で何者かに辱めを受けたが、泣き寝入りせずにその犯人探しを敢行する。この過程でセクトの異なる大学生と仄かな恋愛感情などもあり、時代ならではの青春物語風のエピソードも描かれる。もう一方は、父親の刑事、里見が追う事件。里見の妻を交通事故死させた、仇となる男が変死、一旦事件は殺人→犯人の自殺にて落ち着きそうになるが、その一連の事件に更に里見が不審点を覚えて追及する……、というもの。この二つの事件を、すれ違いがちな親娘の絆を維持するために行われている「交換手紙」(いわゆる交換日記みたいなもの)が繋ぐ。
それぞれの事件について父は娘に、娘は父に経過を報告しあい(父の方は内規違反のような気もするが)、互いにアドバイスをしながら、それぞれ自らが抱える事件を追っていく。言い方は悪いが、父の方は何やら作為の匂いの感じさせる普通の刑事事件、しかし娘の方は、学生運動という背景が色濃く関係するちょっと奇妙な「犯人探し」。どちらが主でどちらが従ということはないながら、娘の方に興味は動く。が、しかし。
作者はしっかりと終盤に手熟れのミステリ読者にも仕掛けてくる。その効果が高いかどうかはそれぞれの判断にお任せするが、少なくともこの結末は私自身の想像の埒外にあった。その真相と、これまでの物語形式がマッチしている点にも注目しておきたい。(個人的には、誰が今後本当に不幸になるのかを考えると、登場人物の言葉に諸手をあげては賛成しかねる部分もあるのだが) 物語の設定のなかで不自然かな……とちらりと感じた引っかかりはこの結末にて全て氷解するのだ。 いずれにせよ「やられた」という本格ミステリならではの余韻を味わうこととなった。

本書は多少執筆当時の時代性を色濃く反映こそしているものの、ノンシリーズということもあって素直に楽しめた。文章的にも近年の斎藤作品よりも、個人的にはかえって取っつきやすい印象でもある。しかし、斎藤氏、伊達に四百冊という作品を残していない。探せばまだまだスリリングなミステリがいろいろありそうな……奥が深い。


03/02/07
芦原すなお「ミミズクとオリーブ」(創元推理文庫'00)

芦原氏は'90年に発表した『青春デンデケデケデケ』にて第27回文藝賞と第105回直木賞をダブル受賞し一躍脚光を浴びた作家。その出自はミステリ系とは言い難いが、本シリーズ等のミステリ作品もいくつかある。本作は'94年から翌年にかけて『オール讀物』誌上に発表された作品が'96年に文藝春秋社より刊行されたものが元版。続編が『嫁洗い池』。

中年の作家、ぼくと妻は郷里の四国を離れて二人で八王子の郊外にて慎ましく暮らしている。庭にあるオリーブの木に時々やってくるミミズクと仲の良い妻には不思議な能力がある。巷で起きている不思議な事件を話を聞いただけで解決してしまうのだ。警察に勤務する旧友、河田が酒の肴と共に持ち込む事件を妻が聞き、ぼくは妻の指示に従って現場に赴いて関係者の証言や現場の状況について報告、そして鮮やかな(時には哀しい)解決が導き出される。
大学時代の友人の妻が、謎の書き置きを残して家出した。彼はその顛末をぼくに話をしたが、横で聞いていた妻があっという間に彼女の居所を言い当てた。 『ミミズクとオリーブ』
高級マンションで発見された死体は貸しビル会社の女社長。アリバイのないその夫が犯人だと決めつける河田に対し、妻が異論を唱える。 『紅い珊瑚の耳飾り』
会社社長が散歩の途中に何者かに頭を殴られ意識不明の重体に。容疑者は息子をはじめ多数。同窓会で聞いた話を妻に連絡したところたちどころに犯人が。 『おとといのおとふ』
ぼくと妻が結婚する前、恩師の娘だった彼女のもとに足繁く通うぼくは、恩師の親戚宅で発生した骨董品の盗難事件に立ち会う。残された足跡が真ん丸という奇妙な事件。 『梅見月』
有名な画家が突然死した。その画家を慕うお手伝いが、残された絵がおかしいと言いだして死体を改めたところ僅かに痣が見られた。自然死で落着しそうな事件を妻は他殺だという。 『姫鏡台』
嫁ぎ先のお茶屋を軌道に乗せた女性が、浮気をする夫に対して財産を折半して離婚しよう、という。良い条件だが夫は家にこだわりがあり首を縦に振れない。 『寿留女』
高級マンションのなかで実業家夫婦が、妻はフグの肝を食べての中毒死、夫は風呂場で睡眠薬を飲んで溺死と二人同時に死んでいた。ここで何があったのか。 『ずずばな』 以上七編。

料理! ミステリ! おしどり夫婦! 絶妙のバランスで磨かれた完成度高いミステリ
わたせせいぞうの名作マンガ「菜」を彷彿させる季節感豊かな日本の暮らしを嗜む夫婦。のんびりした夫と普段は控えめながら芯はしっかりした妻。子供のいない二人の暮らしは普段はゆっくりのんびり流れているが、「謎」というスパイスが加わることによってちょっとした緊張感に包まれる。その「謎」を持ち込むのは本作の場合、大抵は夫妻の共通の友人で、警視庁に勤務する河田。彼がまた土産物と一緒に持ち込んでくるのが、彼自身が感じているちょっとした疑問や捜査上の行き詰まり。もちろん警察が絡むような事件であるから血腥いものから離婚を巡るトラブルまで何でもあり。探偵の耳目となって現場を動く夫と、その梶を取り推理する妻。二人で一人の名探偵の物語。
ミステリ書評であるからにはミステリについて述べなければならないのか――いわゆる安楽椅子探偵ものである。誰もが納得するストーリーのなかから女性ならではの視点で一本の藁を拾い出し、想像を展開させる形式。特にその想像は、それと気付かず夫が目で見たり聞いたりしたことによって裏付けられており、その意味では伏線の張られた本格パズラーの要素もあるといえる。論理の飛躍が鮮やか……なのだが、多少どこか恣意的な印象もないではない。正直ミステリとしては、水準をキープしたよく出来た部類。とはいえ、ミステリ以上にその周辺事項が本作の大きな特徴だろう。

何はともあれ、本書に出てくる料理や肴の実に美味そうなこと! いやハッキリいって見たことも聞いたこともない食材が登場するし、その料理にしたって決して手間はかかりそうだけれど、凝った手法が使われるものでもない。なのに、なんというか、空想だけで胃袋が「ぐぅぅぅ」と鳴るような、不思議な魅力、そして味わいが伝わってくる。なぜ美味しそうなのか。それは物語のなかで、料理を作る人が食べる人のことを思う気持ちが一体となっているからだ。 確かに高級フランス料理はどんなときでも美味いだろう。いきなり出されて「ほら、美味そうだろう」といわれても、こちらの気持ちが高まっていないと、それほどの共感は持てない。本書でいえば、友人と気楽に楽しむ時の肴、宿酔いの翌朝の朝食、季節感を味わう晩飯……等々、主人公の気持ちに即した料理が供されている。だから感情移入しているこちらも同じような気持ちになるのだろう。「うわ、美味そう」って。
本作を読むことで先般読んだミステリに登場する数々の料理に対し、登場人物がスゴイスゴイという程、読んでいて共感を覚えなかった理由が分かったような気がする……。

本文庫の加納朋子さんの解説を読んでいて、ふと思ったのは加納さんの「アリスシリーズ」は、人物造形と物語構造の奥深いところでこの作品の影響を受けているのではないか……ということ。夫婦と本業の探偵とは立場が異なるし、人妻と独身の女性のプロフィールは違うけれど、男性女性キャラそれぞれの「性格」だとか、謎を解くのが女性”視点”である点だとか……。

また、主人公のぼくが事件をヒアリングする際に発する無用のツッコミ。これは最初気になったが、後から慣れてくると雰囲気を盛り上げたり、殺伐とさせないために巧く機能させていることに気付いた。バランスを取るのが上手な作家である。そういった配慮があるので、比較的万人向けの作品という印象。老若男女誰でも思うだろう。「美味しそう……」って。(違うか)。


03/02/06
北野勇作「かめくん」(徳間デュアル文庫'01)

北野氏は'92年『昔、火星のあった場所』にて第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。その後、独特のノスタルジー溢れる作品を打ち出しファンを獲得している。本作はデュアル文庫に向けた書き下ろし作品だが、一時期ネット内でブームとなって話題を呼んだ。北野氏のサイトはこちら

自分がほんもののカメでないことを知っているカメ、かめくん。元もとかめくんは木星戦争に投入されるために製造されたレプリカメであり、ヒューマノイドである。しかし人々はそんなかめくんを「かめ」とだけ認識し、人間とそう変わらない扱いをしてくれるし、かめくんも自分で就職して働かなければならない。元いた職場でフォークリフトを操っていたかめくんは、その職場が無くなって独身寮にいられなくなり、クラゲ荘に引っ越してきた。モノレールに乗って通い始めた新しい職場では木星からの物資を奇妙なロボットを操って整理する仕事をする。時々戦闘も行われるが、かめくんはそつなく仕事をこなす。そして図書館。かめくんは自分の甲羅に集積されているはずの封印された記憶を取り返そうと、さまざまな本を読み、ネコを飼い、さまざまなところに出かけるといった経験を繰り返す。職場のひとびとや図書館のミワコさんはかめくんに優しくしてくれるし、さまざまな経験はかめくんの喪われた何かを喚起しようとする。しかし、結局、かめくんはかめくんでしかない。そんなかめくんにも街を去る日がやってくる……。

癒し系近未来大阪北部SFなのか、メッセージ性高い本格SFなのか、それとも単なるかめくん小説なのか
どうも世間的には本作、癒し系のSFと目されているらしい。確かにラストにほど近いシーン、かめくんが屋久島に行くために街を離れる準備をして、友人たちにお別れを告げる場面など、しんみりした気分になったことは事実である。ドラえもんやオバQの世界とも似た、現代の我々の日常生活の延長のようにみえながら、でも「かめくん」が歩いていても誰も気に留めない世界。 かめくんの思索のなかのこの世界にどこか昔懐かしい気持ち(これはそれこそ藤子アニメを見て育った我々ならではの感慨なのかも知れぬ)になることも認めていい。そしてのんびりしたかめくんの思考は、ゆったりのんびりまったりとしたペースで進んでいる。それに巻き込まれたらどこか自分の気持ちもまた余裕を取り戻すことが出来るような気もする。
だけど、単なる癒しだけじゃないのではないかな、この作品。
もちろん、本作を読んで「ああ癒されたー」という人がいるだろうことは否定しないし、非難するつもりも毛頭ない。けれど。例えば本作のなかで象徴的なのは、木星戦争を再現するために作ったシミュレーションの評判が良かったため、実際の戦争の方をシミュレーションに合わせる必要が出てきたとか、記憶が甲羅に積層されて個体が交換されても、その能力は維持・伝達されるとか、未来の(そして現在の)戦争に対する諧謔みたいな精神が横溢しているように思えるのだ。かめくんが必要以上にのほほんとした「かめくん」であるため、ノスタルジー一色になっているが、もしかめくんがかめくんでなく、自分のアイデンティティを模索するヒューマノイドだったりした日には、本作はシリアスな思索SFになっていたかもしれない。

……とはいっても、そこまで深読みする必要は恐らくないだろうし、果たして作者自身、どこまで主題に関して追求したのかなんて作品から単純に読みとれるようなものでもない。在りし日のノスタルジーを感じつつ、北部大阪(なのに関西弁がほとんどないのはなんでやねん)の暖かな人々との交流を楽しむ読み方もやっぱりありなのだろう。かめくんは自分がどんな読み方をされても気にしないと思う。かめくんはかめくんだから。


03/02/05
西澤保彦「聯愁殺」(原書房ミステリーリーグ'02)

原書房ミステリーリーグのために西澤氏が書き下ろした長編で「2003本格ミステリ・ベスト10」では堂堂の九位にランクイン。ノンシリーズ作品であり、この題名は西澤氏の幻のデビュー長編『聯殺』を想起させる。

夜道を安心しきって家路についていたOL、一礼比梢絵は自分の後ろからやってくる長身の影に全く気付かなかった。道ばたに落ちているゴミに投書マニアの血が騒ぎ、ぼんやり家の鍵を開けたところ男が押し入ってきて問答無用で彼女の頭にダンベルを打ち付ける。彼女は必死の抵抗を行って犯人を撃退する。梢絵の通報により、彼女のマンションに駆けつけた警察は、抵抗した彼女が犯人から奪ったという一冊の生徒手帳を入手する。その手帳には近隣で発生していた無差別殺人の被害者のリストが掲載されており、一連の連続殺人犯は、その手帳の持ち主である少年かと思われた。しかし、彼は既に自宅を出たまま蒸発してしまっていた。事件は迷宮入りしてしまい月日が経過する。酷いトラウマを心に抱えた梢絵は、なぜ少年が自分を襲うことになったのかが全く分からない宙ぶらりんの状況にいた。そんな彼女はミステリ作家や警察OBが中心となって謎と解くサークル「恋謎会」に、事件の解決を依頼する。早速、恋謎会のメンバーは彼女の話と警察関係者による資料をもとに、事件には一体どういう意味があったのか、少年がなにを狙って兇悪な事件を起こしたのかについて議論を開始する。

平成・国産の『黒後家蜘蛛の会』は、さりげない伏線とミスリードの嵐、それに途轍もない結末。
さらりと通読するとさらりと読めてしまう作品ともいえる。冒頭でシリアルキラーに襲われる女性、そしてその女性が謎解きを趣味とする人々の集まり「恋謎会」(どこか謎宮会に似ているな)にデータを提出したうえで、その事件の真相が知りたいと望む……。そして行われるのは「これでもか」といわんばかりの推理・推理の連続。 実に事件そのものに対して、その「推理合戦」が占める割合は八割以上。
デビュー作品から一貫して本格パズラー的な要素を作品のコアにしている西澤氏らしい設定だと北叟笑むことは簡単だろう。残された生徒手帳、目撃者の証言、発見された僅かな手掛かりをもとに、複数の探偵役が真剣に真相を検討する。いくらなんでもその動機はないだろうとか、その推論は飛躍が過ぎるとか、ちょっとこじつけめいているのでは、と読んでいて感じる推理も多々あるが、それでも仮説を立てては壊し、別の角度から検討してまた壊しといった「論理の城を建てては崩す」態度は、西澤パズラーの真骨頂。そして本格パズラーならではの楽しみである。ただ、この部分がいくら長々と検討されていることそのものが、本作の支持にそのまま繋がるものではない。この論理・そして真相の部分にまず、衝撃的なものが待ち構えていることは当然として、ここまでの過程のなかで実は淡淡と描かれている事件の再現シーンや推理の積み重ねの間における微妙な発言や内的思考のなかに、その衝撃を支えるための伏線がしっかり引かれていることがポイントの一つ。またそれが伏線であると同時に、読者を強烈なミスリードに誘っている内容であることがまた一つ。一読して感じる衝撃そのものよりも、実は読み終えてから気になるシーンをぱらぱらと再読したときに改めて気付かされる「うわ、やられた」に打ちのめされるのが、本格ミステリとしての本書の最大の凄さである。

そしてもう一つ、真相に関しては一旦決着がつけられるにも関わらず、それ以上に破壊的なラストが待ち構えていることも見逃せない。こちらについては人によっては蛇足的な印象を持つかもしれないが、これはこれで西澤氏がこれまで現してきたシリアルキラーを犯人とする一連の作品成立を裏返しに見せられているかのような、不気味な感慨を覚えるのだ。起承転結という物語の構造があるとするならば「結」を感じさせない物語。もしかするとこのままずっと鬼ごっこは続くのではないか、という不安感がまた後味として残される。物語を維持していた価値観という地面が消滅させられる怖さ。この結末は、物語そのものが反転する――というメタに近い本格ミステリ的転換を二重に図っているものと解釈できる。が、しかし救いようがないよなぁ。

多重の解決を導き出せる作品ということで、論理論理の推理合戦には多少だれる部分もあるように思えたが、そのそれぞれに実はその推理以上の意味合いが込められている点がやっぱり衝撃。論理のぶつかり合いに面白みを見出せる作品は多数存在するが、それを逆手に取ってしまおうという良い意味での不埒な作品は希有だろう。この試み、この冒険心に素直に拍手。SF的設定を用いない西澤ミステリの代表作となりうる作品である。

(以下個人的な戯れ言)
個人的に「2003本格ミステリ・ベスト10」における十位以内のうち、投票締切前に唯一未読だった作品……ということで、今まで未読にしてきて西澤先生ゴメンナサイ。……と謝っておかねば。本書もまた「本格ミステリ」という枠組みのなかで大胆な試みがなされた作品であることは間違いない。悔やんでも仕方ないが、投票したかったなぁ、これ。


03/02/04
篠田真由美「綺羅の柩」(講談社ノベルス'02)

「建築探偵桜井京介の事件簿」に連なる長編。このシリーズも番外編を含めると既に十一冊目にあたる。京介、蒼、深春といったお馴染みのメンバーに加え、神代教授や朱鷺などこれまで登場した人物が多く顔を出す。これだけ作品数が重なると、段々一大大河シリーズと化してきたような……。

タイのシルクを世界に広め、シルク王とも呼ばれた米国人、ジェフリー・トーマス。彼は一九六七年、マレーシアの高級別荘地であるカメロン・ハイランドにて謎の失踪を遂げてしまう。前触れのない大実業家の失踪に関係者は八方手を尽くして捜索をしたものの、現在に至るまで彼の消息は不明のまま……。 日本で繊維産業で成功した弓狩(ゆがり)一族の当主、惣一郎とその妻、みつはそのジェフリー・トーマスと面識があり、彼の消息を知りたいと考えているのだという。この件に関し、遊馬朱鷺が事件の解決を手伝うよう京介に頼み込むが、彼は難色を示す。だが、霊能力少女である輪王寺綾乃からの手紙を受け取った京介は態度を軟化させ、京介、蒼、深春、神代教授らの一行は、遊馬とその夫、遠山と共に軽井沢にある弓狩家の別荘に赴くことになる。別荘はかつて惣一郎が働いていた蚕農家を移設した大規模なもの。彼に招かれていた綾乃が、トーマスの行方を探るための占いの儀式を行ったところ、突如惣一郎の様子がおかしくなる。過去に隠された何かを感じ取る一同、だがその晩、惣一郎は、密室内部での事故と思われる死に方を遂げてしまう。そして、京介らはみつ夫人の招きにより、マレーシアへと向かう。

建築探偵のトラベル・ミステリというよりは、秘めたる恋の哀しい物語という印象
著者のことばとして篠田さんが「綺羅七彩の輝きであなたを魅了する建築探偵版トラベル・ミステリで、ひとときの旅情をお楽しみ下さい。」と書いている。なんのかんのでシリーズ作品を全て読み通していることもあり、素直に旅情が掻き立てられるのか……と思いきや、人の心の機微を写した哀しい物語でそちらに気がいってしまった。 嬉しい計算違いというか、本格ミステリとして巧み過ぎるために旅情の方より、ミステリの方が目立ってしまっているというのか。
確かに舞台は軽井沢やマレーシア、バンコクといわゆる「旅行地」であり、その土地土地の特徴は文中に再三語られている。だが、作者の視点が旅行者のそれとは既に異なってしまっている。語弊があれば恐縮だが、軽井沢は単なる舞台、マレーシアは土地風土よりも、土地の構造的意味合いと建物、バンコクは通りすがりで読めてしまう。単なる旅情ミステリであれば、登場人物は「観光ガイド」といった側面をみせて、読者をその土地への興味を(本筋と関係なく無理矢理にでも)掻き立てるものだと思うのだが、さすがに篠田さんはそんなはしたない真似はされていない。土地の描写といった部分以上に物語の奥に込められた物語が深すぎるように感じた。
そのポイントになるのが、本編で重要な役割を果たす弓狩みつ、という名の老婆。ハーレクインばりの過去を持つ彼女の存在と経験がミステリとして重要な役割を果たしている。密室不可能トリックや謎の失踪の真相に、土地というより彼女の歴史が深く関わっている点が印象的で、しかも美しく哀しいのが本作の最大のポイントとなろう。タイと日本にまたがる経歴の妙。自分の意志を押し出せるようになってから、急速に変化する女性造型。物語上のポイントとなる「絹」というアイテムの使い方など、これらが渾然一体となって発揮されるトリックは、凡百のミステリ作家には真似できまい。その分、物語は長めだが読み終えて溜め息が出るような篠田真由美の美学が体現されていると思えば気になるほどではない。

本作中でジェフリー・トーマスとされている名前は、実際に存在した人物、ジム・トンプスンを意識したもの。同時期に刊行された有栖川有栖氏の『マレー鉄道の謎』にも「謎」として登場するこの人物の失踪は、今でも謎とされている。……拉致か

本シリーズも既に作中年月がかなり経過し、二十一世紀に突入しようとしている。登場人物も着実に成長しており、読者としての自分の変化の鏡のように感じる部分がある。(登場人物と自分の世代とのリアルタイムがあるせいもあるだろう)特に近作では「萌え」的評価が多いせいか、あまりミステリとして評価されないきらいがあるが、そんなことはない。ミステリだからこそ描き出せる世界もまた、建築探偵シリーズの中に存在している。


03/02/03
東野圭吾「レイクサイド」(実業之日本社'02)

'97年に「週刊小説」誌に掲載された『もう殺人の森へは行かない』という作品を下敷きに、新たに長編として書き下ろされた作品。「2003本格ミステリ・ベスト10」にて十六位ながら、「本格ミステリ・クロニクル300」にもランクインしている。

有名私立中学の受験を控えた小学生の子供たち四人が、湖畔の別荘で塾講師による集中指導を受ける。その付き添いで四組の夫婦がその地にやって来ていた。並木俊介と美菜子の夫婦も息子の章太をこの合宿に参加させているが、アートディレクターの俊介にとって章太は美菜子の連れ子であることもあり、この合宿そのものに乗り気ではなかった。また自分の知らないところで談笑する妻の姿、そして子供の受験を至高のものと考える他の夫婦との間に違和感を覚えている。俊介は同僚の高原英里子と不倫の関係にあり、興信所に勤務した経験のある彼女に、妻もまた浮気をしているのではという俊介の疑いを探らせていた。その英里子が〈資料〉を持参した、という口実で休暇を取って俊介を追って別荘にやってきた。近くのホテルで改めて英里子と落ち合うことを俊介は約束、口実を設けて再び外出したが、待ち合わせのバーが閉店するまで粘っても彼女は現れない。仕方なく別荘に戻った俊介を待ちかまえていたのは英里子の死体、そして彼女を殺したのは妻の美菜子であるのだという。事件を警察に届けようとする俊介を押し止め、リーダー格の藤間ら他の夫婦は、事件そのものを無かったことにしてしまうべく英里子の死体を湖に投棄する。俊介と美菜子はホテルに行き、英里子の遺品を回収し、その晩事件に立ち会った者以外は誰にも知られずに処理をした筈だった。しかし翌朝から奇妙な事態が徐々に発生する。

ミステリにおける「物語」の巧さの重要性について……
東野圭吾氏の物語構成の巧さは別に私が何か書かなくとも、皆さん十分に把握しておられるのではないだろうか。本書も決して分量的には大きくないに関わらず、内容的には非常に詰まった印象がある。行間を膨らませて読者にイメージさせるのが上手なこと、不要な描写で意味なく文章を肥大させないこと……等々、ごくごく単純で目立たない文章表現の努力が隅々にまで為されている。 その結果、本書のような一見シンプルなのに奥の深い物語性を感じさせるミステリが成立してしまう。これは実に凄いことなのだ。
有名私立中学の受験という「社会派」ともいえるような主題を中心に据え、その親の狂奔する姿に焦点を当てている。一方で、子連れの女性と結婚した結果、不倫をする主人公を絡ませる。どこにでもある違和感のない人間関係の組み合わせによる心理ドラマ。正常と異常との駆け引きが、ぱっと見には正常に見せかけられることによる矛盾。それでいて最奥にあるのは当たり前のシンパシー。するすると読ませつつ、ちょっとした違和感を伏線に配し、それでいて全てをきっちり回収する。ミステリとして当たり前の巧さが表面に出てこない巧さというか。
一旦謎解きが終わった後、最終的にもう一つ可能性ある結末が提示される。本来それが最もあり得るべき動機なのだと思うのだが、それを失念させてしまうような物語となっているため、かえって驚きが大きい。この後の彼らの行く末は知るよしもないが、殺された者のことを置いておいても、残された者の幸せを祈らずにはいられない。 このあたり、ミステリとしてでなく小説としての巧さにあたるのだが、これがまた多くの読者を獲得する前提要因ということになるのだろう。

最近は東野圭吾の最新作品は追い切れていない……ところがあるのだけれど、やはり現代男性作家のなかでは稀代の才能を持つことを改めて確信した次第。大きく話題にならない作品であっても、品質において決して妥協しないその几帳面さが良い方に結実しているのだろう。


03/02/02
愛川 晶「ダイニング・メッセージ」(原書房ミステリーリーグ'02)

今や愛川作品のなかでも重要なシリーズ探偵となっている「美少女代理探偵」根津愛が活躍する中編集にして四冊目の単行本。本シリーズの名探偵、根津愛のモデルになった根津愛さん(ややこしい)のサイトはこちら。本書の見開きにもネコマンガがあるが、こちらのサイトではネコが踊っている。

根津愛(代理)探偵事務所』のなかの作品で婚約者に裏切られた天然超絶お嬢さま美女、新田靖香が再登場。根津宅に「正午の茶事」に呼ばれた桐野は、改まった装いの靖香と体面させられ戸惑う。どうやら愛への想いが断ち切れない桐野に対して、根津父によってお見合いがセッティングされたらしい。靖香は別のお見合いが進行中で、料理のなかにビー玉が入っていたことから関係者に迷惑を掛けるのが嫌さに相手のことを断れないのだと語る。 Menu1「Kaiseki Lunch」
勤務中の桐野のもとに新田靖香が訪れる。人材派遣会社経由で建築会社の受付嬢をしている彼女が強姦されかかったのだという。相手はその会社の総務課長。だがその事件は単純なものではなくいろいろ裏があるらしい。きっかけは彼の愛妻弁当の中身が他の女性社員から匂いを嗅ぐだけで当てられたこと。 Menu2「Packed Lunch」
桐野のもとに謎の人物から到着したメールには、奇妙な料理をつくるシーンが綿々と綴られていた。その食材となるのはどうやら「人間」。その内容の猟奇さに桐野は困惑、そして彼の元には文面には料理で失敗したとあった人間の指が送られてきた……。 Menu3「French Dish Dinner」
桐野の前に見合いした教師に強引に交際を継続させられている靖香は未だ悩んでいる。靖香に対してプロポーズを考えるところに至る桐野は、一方で愛のことを諦めきれない。そんな桐野は愛からのあるメッセージを読みとって一大決心をする。そして靖香の見合いの席でのビー玉事件は再び異なる様相を見せ、そして……。 Menu4「Celebration Lunch」

「ある本格ミステリの全く新しい試み」……ではあるが、恋愛スラップスティックな要素の方が……
何となく通常の連作短編集のつもりで本書に接していたが、作者の「あとがき」を読んでみて、本作に込められた別の意味合いを知った。この視点から読めばまた別の興趣があったのかもしれない……と思った。この点は最初に明かされた方が本書に取り組む際の面白さを増すと思うので、ここで先に書いても構わないだろう。本作はミステリとしての謎解きを行うことによって「実行される前に未然に大事件を阻止する」という一貫した共通テーマに基づいた連作集なのである。確かに短編一つや長編で似たような主題が扱われることはあっても、短編集全てをその内容にまとめるというのは作者にとっては相当に手強いテーマとなることは想像に難くない。
そしてそれが最も成功しているのは作中の中編『French Dish Dinner』。食人、いわゆるカンニバリズム的な描写が延延と続き「これも確かに食べ物ミステリだよなー」という受け取り方をしていると、思わぬ方向からツッコミが入るというか。その解き明かされる真相そのものよりも、グロテスクのなかに込められた奇想というか、このメールの送信者の発想のアクロバティックな飛躍の方に驚きを覚える。この冒頭からこの結末を予想できる読者はまずいないだろう。後日譚が次の章に持ち越されるので、中編として傑作という言い方はしづらいが、印象深い一編であることは間違いない。
ただ一方で、この連作集全体は「桐野義太のお見合いと推理」であり、桐野の恋愛感情の変遷が作品全体を貫く大きなテーマとなっている。結局落ち着くところに落ち着くとはいえ、彼の恋愛独り相撲がやたら目立つのが特徴。決して不快なものではないのだけれど、ミステリとしての構造そのものよりも一昔前のラブコメめいたスラップスティックな彼の慌て方、行動の方に目が行ってしまうのもまた事実。本編のヒロイン、新田靖香の落ち着き先などはもはやジョークの域といえる。一連のエンターテインメントとみればそれはそれでも良いのだけれど、作品における本格ミステリの指向がそれにより多少弱められているように思えないでもない。

一つ注文を付けるとするならば(以前も書いたかもしれないが)、本筋と無関係な描写に冗長に過ぎる文章が目立ちすぎることか。桐野のPCがウインドウズでウイルスソフトがインストールされていてアウトルックのプレビューがうんたらかんたらなんて、物語の本筋には一切関係ないし、物語の流れが中断されること夥しい。大作主義とはまた異なる冗長さは、読者を退屈させるだけ。折角の着想、そしてミステリとしての切れ味はこういった衣によってどんどん鈍くなってくるのが、実に勿体ない。また本作は題名の通り、料理に関する描写も多くあるのではあるが、単純なその「おいしさ」そのものよりも高級料理にありがちな「調理法」が先に立ってしまっていて、これでは余程手熟れの美食家でなければ「美味さ」は伝わりにくい。

否定的な言辞が目立つコメントとなってしまっているが、それはそれとして楽しめたことは事実。根津愛ものは人間関係や事件など、それまでの作品との相関性がかなり強いので、順番に読む方が良いものと思われる。(それがハードカバー作品中心のうえ、アンソロジーにまで及んでいるのが、今ひとつ読者に拡がらない理由かもしれない)。


03/02/01
連城三紀彦「明日という過去に」(幻冬舎文庫'97)

元版は'93年にメディアパル社より刊行されたもの。裏表紙の梗概には「傑作長編小説」とあり、ミステリであることを匂わせていないが、実際はお得意のテキストに罠を仕掛けるタイプの紛うことなき連城ミステリ

もとは大学時代の先輩後輩の間柄で、二十年以上もの間、姉妹同様の親しい付き合いを続けていた矢部綾子と野口弓絵。その野口弓絵の夫、野口繚一が癌で四十七歳の若さでこの世を去った。その直前、彼は「明日――」と弓絵と高校三年生になる娘の悠美に言い残してこの世を去った。弓絵が夫の矢部俊作と共にジュネーヴに滞在する綾子に宛てた手紙。そこには、結婚後二十年間もの間、別の「大木」という男を愛し続けた弓絵の後悔、そしてその相談に乗り続けた綾子への感謝が書かれていた。そして更に弓絵は、その死の一週間前、野口は実は余命を残して睡眠薬自殺を遂げたもので、その死の一週間前、彼を訪れた「白に近い黄色のワンピースを着た女」が彼のもとを訪れていたことを記していた。弓絵は夫の死に何かその女が関わっているのではないか、と疑っている。綾子からの返信。その「大木」という男性が実は「矢部俊作」であることに気付いていたことが書かれ、自分が野口繚一とも不自然な関係を続けていたことが告白されていた。弓絵と綾子との往復書簡は次々と互いの欺瞞と嘘を指摘し、二十数年の間微妙な関係で築かれていた二組の家族の関係が、徐々に変貌していく……。

女性の愛情とプライドと理性、そして家族の在り方を浮き上がらせ、反転させる「語り」のミステリ
私の記憶によれば、本書があまり連城ミステリの収穫として挙げられていた記憶がないのだが……。恋愛作品を読むつもりで手に取ったら実に素晴らしいミステリでかえって驚かされた。この作品をミステリファンから隠していたのは一体誰だ?
四十代も後半にさしかかった二十年来の交際を続ける既婚二人の女性による往復書簡。一切は徹底的に手紙によって情報が読者に公開される――ため、どんな作為が地の文にあろうとそれはあくまで「手紙のうえでの言葉」であり、作者の責任による真実とは限らない。当初は二十年間互いの夫を愛人として愛し合った二人の女性の懴悔、そしてプライドのぶつかり合いといった様相を呈していたのが、一人の高校生になる娘が加わることによって、状況は錯綜、手紙そのものの文章の真偽が問われ、混迷の度合いを深めていく。 読者ではなく、文通の相手をのみ瞞すことを目的とした「嘘」。テキストの持つ効果を最大限に知り尽くした作者ならではの深みによって手紙を透かしてみる人間関係が二転三転と変遷を繰り返す。この段階でもミステリ的な興趣は十分あるのだが、もう一つ、さらに作者はテキストというか手紙という特性を利用したトリックをもまた仕掛けており、そちらも不意打ちに過ぎて度肝を抜かれた。
当然、作者は連城三紀彦氏である。この作品を通じて表現される、二人の女の情念と情念のぶつかり合いは、なまじ適齢期の若い女性より分別と深みがあるだけにじわじわと心に迫る。人を愛しながら、心のなかの寂寥感と戦っていた二人の女性の生き様、そして子供ながらに悩み苦しんだ娘の心情は共に、現代社会の乾いた人間関係の奥底にあるどろどろした情念や苦悩をを浮き彫りにする。 余りにも変則的な不倫関係は、読者が何か教訓を得られるようなものではないが、深い悲しみと静かな寂しさ、そしてそれを覆う不思議な暖かさまでを感じ取れる。小説が表現しうる世界としてももちろん一級品。駆け出し作家にはこの深さはちょっと表現できそうにない。

この幻冬舎文庫版の解説は中村彰彦氏が執筆しているが、そのなかに「連城三紀彦をミステリー作家と形容するむきもあるようだが、それはこの作者に対して失礼ではないか。」という一文がある。氏は連城三紀彦を心理小説ということばで受け入れているそうだが、この台詞、現代ミステリーの多様性を認識できていない点や、ミステリー作家を他ジャンルの文学作家より低いものと決めつけている点等々、読者にも連城三紀彦氏にも他の作家にも失礼な発言かと感じる。また、解説そのものにしても本編を書簡体小説の傑作、ラクロ『危険な関係』との関連性でしか論じられないところ――文学的な美しさや完成度のモノサシでしか連城作品を読むことの出来ないところにかえって寂しささえ覚える。そちらの完成度なぞ(凄いことだが)当たり前。こんなにもミステリとしての技巧を凝らした作品だというのにその凄さをアピールできないなんて……。

本編そのものは、小説として素晴らしくミステリとしても超一流。 まさにミスター・パーフェクト。最近再び連城ミステリが脚光を浴びる機会が増えているようで喜ばしいが、まだまだ何が埋もれているか分からないのが氏の凄さであり、力量であろう。