MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/02/20
竹本健治「フォア・フォーズの素数」(角川書店'02)

アンソロジー収録作品から雑誌発表作品、更には『定本ゲーム殺人事件』でしか読めなかった「チェス殺人事件」までが集められた『閉じ箱』に続く、竹本健治氏の第二短編集。考えてみれば、竹本氏ほどの長いキャリアを持ちながら本書でようやく二冊目の短編集というのは不思議な気がする。

少年と彼の例えようのない孤独と。姉という女性と宇宙を旅する少年。友人の消失を祭りの空間のなかで目撃する少年。パパとママを喪った少年と小父さんとの会話。 『ボクの死んだ宇宙』『熱病のような消失』『パセリ・セージ・ローズマリーそしてタイム』
千尋シリーズ三編。隙間を病的に懼れる男とその妻。前傾性健忘症の男とその恋人。時間を操る術を手に入れた少年とその不思議な思い人。 『震えて眠れ』『空白のかたち』『非時(ときじく)の香(かく)の木の実』
蝶の標本作りを趣味とする男のもとに目を輝かせて通い詰める少年。ある病室での夫婦の会話。究極のカレー作りに没頭する男たち。不自由な環境のなかで4を4つ使った式によって100迄の数字を全て表現しようとする少年。 『蝶の弔い』『病室にて』『白の果ての扉』『フォア・フォーズの素数』
牧場智久、典子の姉弟が出会ったプロのチェスゲーマーが死んだ拳銃自殺事件。その現場には不自然なところがあり、密室殺人とも思われたが……。 『チェス殺人事件』
あのトリック芸者シリーズの短編。大宇宙を芸者の酉つ九と航行中、土星の近くでメニエル氏病に罹り三ヶ月の冷凍睡眠を余儀なくされた矢崎。その間に地球ではプロジェクトの責任者が殺され、宇宙船はコンピューターの故障から宇宙を彷徨うことになってしまっていた。 『メニエル氏病』
バーミリオンのネコシリーズの短編。おじいさんが死んでからその星にたった一人で住む少年。海で死にかけていたネコを助けて、二人は二人だけの時を過ごし、少年は生涯でもっとも幸福な一時を味わう。しかし、宇宙からネコを追う男たちが現れて……。 『銀の砂時計が止まるまで』 以上、十三編。

作家「竹本健治」によって静かに開催されるギャラリー。観客は個々の作品よりも世界に酔う
竹本健治は現代エンターテインメント界において特異な地位を占める作家である。雑誌『幻影城』にて『匣の中の失楽』という途轍もない作品を編み出したかと思うと、バーミリオンのネコのシリーズでスペースオペラでありながら、本格SFのファンをも唸らせ、牧場智久の一連のシリーズでは、本格ミステリと幻想ミステリの狭間を彷徨っていたかと思うと、そのキャラクタは世のショタコンのお姉さま方を狂喜させる。ウロボロスシリーズで、楽屋落ちミステリという特異な世界を編み出し、その合間合間に発表される短編作品は、世界を裏返すホラーであったり、どこか哲学的な重々しさを持っていたりする……。
どこから読者が竹本健治という作家を知ったか、によってそれぞれが持つ竹本健治の印象は異なるものだろう。そんな不思議な作家、竹本健治ならでは、いや、竹本健治らしさが最大限に味わえるようになった作品集が本作。その実、どうも『閉じ箱』以前に発表された作品を含め、この十年以上のあいだに発表された作品を掻き集めて作られたと作者はあとがきで述べているのだが、ところがどうして素晴らしく竹本健治の世界を体現しているように思えてならない。
ミステリにしろ、文学的作品にしろ、SF作品にしろ、どこかその「王道」からポイントがずれている。解説で千街晶之氏が触れているように「孤独」というキーワードが似合うか。私にいわせれば「孤独」よりも「孤絶」といった印象が強い。 自分自身の内的宇宙と外的世界との間に張られたごく薄いが強靭な膜。人はそれを乗り越えようともがき、その内部で自省し、それを乗り越えようとする者を拒む。そんな主人公たちが見る幻視の数々。そして改めて実感する世界との差。誰でも一度は味わうこの自分と他者との壁を竹本氏は淡淡と、それでいて執拗に描き続ける。読者はその世界に浸り、雰囲気を共有することになる……。

……といった作品集全体の評価とは別に、私が狂喜したのは『メニエル氏病』の超絶ウルトラスーパー不可能犯罪トリック。SF設定ならではのものではあるが、こんな大がかりなトリック、あり? 思いついても作品にしないだろ! とツッコミを入れたくなる、それでいて「そこはそれ――」の芸者トリックならではの台詞で全てを許してしまったり。これはバカミスのなかでも宇宙級の作品である。 なんといっても舞台が茶室を内部に設えた芸者つき宇宙船なのだから。(凄い設定だ)それでいてこの作品集から浮いていないのは、やっぱり竹本氏の手によるものだから、の一言に尽きる。(元の収録されたアンソロジーを持ってはいたけど分厚すぎて読んでいなかったのだ)。

アンソロジーとかを普通に手に取られる方であれば、十三編の作品のうちいくつかは既読のものも目に付くだろう。だが、それが竹本氏単独の作品集、という名の展覧会に含まれることによってまた別の側面から味わうことができるようになる。本書は一編一編を味読するよりも、さらりさらりと流すように読みたい。この雰囲気こそが真骨頂だと思うのだが如何。


03/02/19
荻原 浩「神様からひと言」(光文社'02)

荻原氏は1956年生まれ。'97年、第10回小説すばる新人賞を『オロロ畑でつかまえて』にてデビュー。元もと荻原氏の軽妙な語り口は気に入っているのだが、各方面で「会社員小説の傑作」と叫ばれているのを目にしたので同じ会社員としては見逃すわけにはいかない、とまずは手に取る。期待に違わぬサラリーマンエンターテインメント。

広告代理店を暴力沙汰から退社して(そのことを隠して)”タマちゃんラーメン”で有名な中堅食品会社、珠川食品に中途で入社した佐倉涼平。はじめは販売促進課にて新製品のネーミングを発案するアイデアをまとめる仕事をしていたのが、旧態依然とした会社の体質と相まって上司と大衝突、いきなり社内のリストラ要員が集まる「お客様相談室」への転属を命ぜられた。社外からのクレーム電話の応対が仕事の相談室はほとんどの者があっという間に体調を崩して辞めてしまうハードな職場。残っている社員もまたクセ者揃い。役に立たないことと責任逃れは天才的な室長の本間をはじめ、涼平の指導役にしてクレーム処理の達人ながらギャンブル大好きのダメ人間、篠崎、アニメフィギュアおたくでコンピュータに強い羽沢、剣道の腕が一流ながらストレスから失語症となってしまった神保。すぐに辞めるつもりだった涼平は家賃が払えないことから、給料を貰う数ヶ月の間はこの部署にしがみつかざるを得ない。強烈なクレーマーたちと本間の徹底的な嫌みから、嫌々ながらこなしていた業務だったが元社長秘書でグラマー美女、宍戸が相談室に配属になり、風向きに変化が見えてくる。賞金プレゼントに対するヤクザ絡みのクレームに対し、相談室メンバーは篠崎を中心となって立ち向かい、そして……。

会社は、仕事は、なんのために。全ての宮仕えが元気になれるエンターテインメント
それがどんな組織であっても、ダメの烙印を押された人々が集まって、その特異な能力を活かして一仕事(例えば巨悪を倒すとか)やってのけるというのは、少年マンガから連続ドラマに至るまでエンターテインメントの王道といえるだろう。ただ、それが会社という組織を舞台にするとき、年のせいか経験のせいか、何より身近に、そして切実に感じられるのは何故だろう。組織という名の保守的な部分、我が身の保守しか考えない頑迷な人々、横紙破りを許さない風潮、そういった個人の力ではどうしようもない部分を突き破るパワーに、一瞬の夢を仮託してしまうからか。なんか分析していて悲しくなるな。
だが本書はフィクション。会社という存在のリアリティを描きつつも、何でもあり、なのだ。何でもやってくれ。その結果、元より作者の荻原氏にそんな意図などないだろうが、私は本書を読んで明朗小説の香りを感じた

同棲していた彼女に逃げられ、金銭的に切実な意味で働く主人公。クセの多い登場人物、特にギャンブル狂の篠崎とグラマー美女の宍戸の個性が楽しい。ヤクザをはじめ様々なクレーマーを撃退し、大株主の機嫌を取り、ラーメン屋の親父と親交を深め、会社の不正を暴く……といった食品会社ならではエピソードが楽しいし、そのコンゲームさながらの遣り口は感心する。それだけでなく、主人公自身の恋人を再び捜し出してやり直そうとする一連の行動もまた気持ちよいもの。人生山あり谷あり。読者としての自分の現状がどうあれ、主人公の気持ちに思いっきり感情移入して喜怒哀楽を感じているうちに、気付けば自分も元気になってくる。 そのパワーが本書には込められている。これって明朗小説の効用と実によく似ているように思うのだけれど。
彼らの行動の具体的な部分にも実は宮仕えにとって示唆となる表現が多々あったりする。働いている場合について回る(社内外向けの)謝罪という対応。なるほど、こうするといいのか。確かに怒っている相手にはこういうのが効果があるかも。下手なビジネス書よりも実践的対応が学べるぞ。これはいい。

不景気の昨今、リストラ要員によるドラマなんて今に始まったことではないし、設定そのものが目新しいわけでもないのに、この作品、身にしみて、そして味わいが深かった。 何よりも抱腹絶倒のエピソードが連発されるなかに涙がほろり。単純なヤツだと嗤うならば嗤え。俺はこの手の作品に弱いのだ。ラストの軽妙さと哀しさと嬉しさと反省とが籠もった一言なんて、心の底に染みいるぜ。(恋人たち誰もがこれでうまくいく言葉じゃないけれど)。非ミステリ。だけど読んで間違いなく楽しい一冊。


03/02/18
陳 舜臣「崩れた直線」(廣済堂文庫'86)

今や大作家の観のある陳氏が昭和40年代に発表したミステリ系統の短編作品を集めた、どうやら文庫オリジナルらしい作品集。なかにはミステリとはいえない作品もあるが、表題作品は陳氏の代表的名探偵、陶展文が登場する点は見逃せない。

半年ぶりに出てきた一枚の名刺から、私は旧友の父親と仕事をしていた一人の外国人の消息を知ることとなった……。(非ミステリ) 『コロニスト』
暴力団の私刑が行われた丹波山中。その一部始終を近くのアトリエで見ていた画家もまた殺されることになったが、遺書と一枚の絵が残された。 『縞の絵筆』
そこそこ一流で偏屈な日本画家が破門した弟子と飲みに行った帰りにビルから墜死した。彼はある画家を真似て自分の画に押す印鑑を腰に下げていた。 『奇行の墜落』
子供の頃に知っていた美人で知られる女性画商。還暦を過ぎて未だ色気を喪わない彼女と再会した私は、当時彼女に流された噂の真相を聞かされる。 『ミセス・ルーの幽霊』
高利貸しをしている叔父貴に借金を申し込まざるを得なくなった俺は、会社の重要書類を担保に取られる。借金の前倒し返済に向かった俺の前には叔父の死体が。 『闇に連れ込め』
戦前、観光客ガイドをして暮らす日本生まれの西洋人。ある富裕客の案内をした後、彼は行きずりの女性に誘われアパートの自室で一戦、しかしすぐに火事が出て……。 『火に追われて』
素人相手の情事の達人が現在お気に入りなのは素人くさいバーのママ。彼は植物学の教授が遺した女性の秘部スケッチ集を見る機会があったのだが……。 『細密秘画』
陶展文の中華料理店に勤める健次は高校時代の友人、遠山の訪問を受けてアパートに彼を泊める。別の友人でカメラマンの徳村を悪くいう遠山は、実は学生運動の関係で逃亡中だった。その徳村が翌朝偶然にも健次を訪ねてきたかと思うと部屋を貸してくれ、という。健次が仕事を終えて帰宅するとその徳村が何者かに部屋で刺し殺されていた。徳村は「シズカイケ」と謎のメッセージを書き残していたが、彼はどうやら恐喝をしていたらしい。健次は顛末を陶に語り、解決を委ねる。 『崩れた直線』 以上八編。

本格ありサスペンスあり一般小説あり……の陳舜臣らしい短編ワールドを満喫
先にお目当ての陶ものの短編について。思わせぶりなダイイングメッセージや、学生時代と社会人となってからの人間関係の移り変わりなどが冒頭にあるが、本格というよりも次々と得られる手掛かりによって犯人を追いつめるサスペンス風の展開が目立つ作品。陶の探偵役としての大胆さと格好良さは味わえるが、読者に対してフェアに手掛かりを与えているとは言い難い。むしろ読了後に残るのは、犯人像の方。なぜ彼は恐喝者を殺さなければならなかったのか。その犯人像の造型に巧みに現実を見据えて、それを紙上に展開する陳氏の真骨頂をみる。
さて、全体を通じていうと、意外……というほどでもないが、ミステリとして執筆されている作品のなかに物理的なトリックが多く使われている点が目に付いた。 映写機であるとか化学物質であるとか。ただそれが単なるトリックのためのトリックとなるよりも、物語が人間関係や彼らの感情の動き等に重点が置かれているため、浮き上がった印象はない。それらの作品のなかでは特に、ちょっと筋の流れが冗長になっているきらいはあるが『ミセス・ルーの幽霊』における絵画の贋作トリックと事前と事後の顛末を結びつけて、悪女の不正を暴き立てて地獄に突き落とす手腕などは単純ながら面白い。
そしてもう一つ。戦前から戦後にかけての日本に滞在した外国人など、外国出身の陳氏ならではの経歴や人脈が生み出す人々の存在がポイント。せっかくの波瀾万丈の彼らの生涯があるのに、かえってそのあたりの描写がさらりとしているため(行間を読めということなのか)、全体として短編にしておくにはちょっと物足りない印象の作品もある。だが、こういった余人にはなかなか想像もつかない人物や世界を利用することで、陳氏独特の世界が編み出されている点には素直に好印象を覚える。

ミステリをあまり過度に期待する向きには物足りない作品集であろうが、ミステリという出身母体を持つ陳氏と、歴史小説をはじめとする大作家である陳氏との、丁度橋渡し的作品が集まっているという印象。 その分、どちらかに期待しすぎるとバランスが悪い恐れこそあるものの、陳氏の醸し出す独特の世界は十二分に楽しめる。


03/02/17
柄刀 一「サタンの僧院」(原書房'99)

柄刀氏は『3000年の密室』が鮎川哲也賞の最終候補作として残りながら受賞を逃した。ただ同書は原書房より刊行されて、氏は無事長編デビューを果たす。本書はその柄刀氏の第二長編にあたる作品で、氏ならではのロマンティシズムと不可能犯罪興味が大量に盛り込まれた力作。物語世界は三年の時を経て『奇跡審問官アーサー』へと引き継がれていく。あとがきによれば、最終的に三部作とする予定でもあるらしいが……。

コーカサス山脈の麓にあるカトリック系キリスト教の教義を学ぼうとする学生の集う聖ベルナルディス神学校。この学校の校長の息子で日本人の母親を持つ甲斐・クレメンスは学生としてその秀でた実力が評価されていた。しかし彼自身は年上の異母兄、で同じく神学校の学生であるアーサー・クレメンスには敵わないと思っている。その神学校内には「聖者にしか抜けない」といわれる岩に刺さった聖剣"パプテストの聖剣"があった。ある日、”僧正”を名乗る巨体の男が馬に乗ったまま校内に侵入、その剣を無造作に引き抜くと、側にいた甲斐を挑発、自らの首を刎ねさせた。”僧正”は首を落とされても生き続け、謎の暗号を甲斐に残して去った。アーサーが東洋に旅しており不在のなか、甲斐は教師らに止められながらも暗号を遂に解読、一人”僧正”の居所に向かう。一方、彼と入れ違いに帰校したアーサーもまた、幼き頃からの先生役のゼールと共に甲斐を追って再び旅に出る。甲斐は近くの村で起きた時鐘台の謎に、アーサーは伝説の龍の城にぶつかり、それぞれの謎を解くことになる……。

宗教的テーマとそれならでは奇跡、そして本格ミステリとの希有にして崇高なる融合
「神の不在」「言語による認識の厳戒」等々の重厚的な宗教学テーマを下敷きに、不可能現象を颯爽と解き明かす甲斐&アーサーのクレメンス兄弟。まずは単純に本格ミステリとしてみた時、その謎の手強さが凄まじい。七百年前の伝説から最近起きた不可能事件まであるのだが、列記していくとこんな感じか。「自らの首を切り落とされながら生きている騎士」「忽然と死体が現れる足跡のない時鐘台の謎」「塔から遠く離れた場所で墜死と、塔の中で胸を押し潰されて死んだ、龍に襲われたとされる美人姉妹」「何も仕掛けのないのに魂の重みで傾く天秤」「空中から忽然と発生した刃物で貫かれる異端宗教者」「住む者が次々と虚無に取り憑かれ自殺を遂げる城」……。
こういった本書の奇想における着目点を紹介するのには、一つくらいネタばらしをした方が良いかもしれない。有名なモーセの奇跡、即ちイスラエルの民を導いたモーセたちが葦の海にたどり着いた時に、海が割れて道が出来、そして追っ手のエジプト軍が追撃しようとするとその海が閉じて波に飲み込まれる……、この事件をアーサーはこう類推する。大地震の前兆として、地殻の変則的な摩擦によって電磁気状態に異変が起きると上空に特異な雲が発生する。これがイスラエルの民を導いた雲の柱。それが予兆した地震が発生した結果、津波が発生する潮時に海が不気味なまでに潮が引いた結果作られたのがモーセの道、そしてその直後、押し寄せてきた津波が飲み込んだのがエジプト軍……。 聖書に記載されるような奇跡に対する科学的な解釈。これが本書の本格ミステリとしての面白さの一つとなる。 数々の奇跡にほんの少し科学のエッセンスを加えることで、全く違った見え方になる不思議。

また、別の楽しみになるが二人の兄弟が抱える葛藤に仮託された宗教的な問答もまた面白い。神とは何なのか。人間の悪とは何なのか。神を学ぶというのはどういうことなのか。悟りというものはどういうことなのか。言語化できない存在は言語化することで喪われるのではないのか――。これまでも様々な文学において、近年ではミステリのなかにおいてでさえも器が作られて問いかけられてきたテーマが論じられる。どうも「謎−解明」の構造を持つ本格ミステリと、こういった主題は相性がいいのだろうか。内部で語られる彼らの相剋や、論理の道筋や揺らぎもまた興味深い部分であることがいえる。
そしてそのミステリ部分と宗教的な部分が合わさり、連作短編集と見紛うばかりの物語全体を通じての謎が仕込まれている点により、本作の完成度は高くなっている。つまり個々に一見並べられているようにみえる謎解きが、最終的に一貫的な意味合いを持ってそれぞれが意図となって組み合わされるのだ。重厚かつ長大な作品ではあるが「言いたいこと」が詰まっており、ほとんど無駄が感じられない。結局全ての謎が物語に奉仕している点には好感、そして驚嘆。

柄刀作品は全体的に「長大」というイメージがあるが、本書などその最たるものかもしれない。ただ、結局のところその長大さは、決して冗長さに繋がっていない点は強調しておきたい。その長大さは長大になってしまうだけの、大きなテーマに氏が取り組もうとしていることの証左だといえるのだから。じっくり時間のある時に、本作の神秘に取り組んで頂きたい。


03/02/16
皆川博子「散りしきる花 恋紅 第二部」(新潮文庫'90)

美しい物語と文章を兼ね備えた作家、皆川博子さんが直木賞候補となること三度目にして、遂に第95回直木賞を受賞したのが'86年刊行の長編『恋紅』。本書はその続編として新潮文庫から(何故に文庫?)書き下ろし刊行された作品。

『恋紅』にて劇的に結ばれた旅芸人を率いる福之介と、遊女屋の娘として育ったおゆう。二人が添い遂げてから十年の歳月が流れていた。自由民権運動をはじめとして時代は動いているのだが相も変わらず彼らは旅と芝居の暮らし。そんななか、一座の花形女形だった牡丹が、見せ物の剣戟の立ち会いに不向きながら挑戦したかと思うと、その母体である右翼『愛国交親社』に身を投じ、出奔してしまった。慌てて代わりに若手を立てるが芝居の人気はがた落ちとなる。本来は興行師の蔦安が次の小屋を手配するはずなのだが、彼は民権運動に関わってしまい音沙汰がないまま、打ち揚げを命ぜられる一同。細々と手を変え品を変えて福之介を中心に挽回を図っていたところ、上方の興行師、横井の下で働く長五郎と名乗る男が彼らの芝居に目を留めて、上方に来ないかと誘う。これ幸いと上方に向かった福之介の一座であったが、すぐには上演させて貰えないうえに衣装披露目があるという。貧しい彼らは虎の子で衣装を整えるが、それは結局、長五郎の詐欺であった。金を喪い、公演の目処が立てられなくなった福之介は一座の解散を決意、同時期に福之介は自身の身体も害しつつあった。

人生とは残酷でそして厳しい……その現実が読者の魂をもまた揺さぶっていく……
人と異なる感性を持ち、しぶとく強く愛する男のために、それを通じて自分自身のために人生という荒波に正面からぶつかる――という女性の生き様を描く、というのは皆川博子さんが、その長編作品を通じて何度もぶつかり書き上げようとするモチーフである。 前作となる『恋紅』ではまだ少女でありお嬢さんであった、主人公ゆう。前作ではそんな彼女が自分自身の心と向き合ってその欠けた何かを認識し、獲得していく物語であった。本作はそれなりに女性として成長した彼女が、人生の遍歴を得て経験を積み、徐々に心の強かさを得る……そして同時に目に見える幸せを次々と喪っていく物語。
明治という時代の持つ残酷さ、さらに旅回りの芝居一座という時代や周囲に揉まれまくる浮き草稼業の辛さ。それでいて恋しい人と添うことによって得る幸福……が前半のゆう。そして福之介という心のなかの拠り所を喪った彼女が、それでも生きていく様が描かれるのが後半。
ゆう、という人間の半生を皆川さんは描く。その描き方は独特で余人に真似できるものではない。彼女に幸福を与え、不幸でそれを削ぎ落とし、自信を与えてはそれを木っ端微塵にうち砕く。人生経験という衣をゆうに与えたかと思うと、プライドという神経が飛び出し、安寧の時間は瞬く間に失わせ、再び流浪へと旅立たせる。人間が得るもの、得たものをしっかりと描きながら、ゆうという人間が自分で捨て去ったり、外的に失わされることで、彼女の傷付いた魂を浮かび上がらせる。
そう、一人の女性の魂。普段、人間が決してみせることのない魂を、皆川さんは主人公の心を深く傷つけることで読者にその片々を見せていく。その全てが見えることはない。あくまで傷つけられた傷口からちらり、ちらりと見えるだけ。それでも物語を通じていくつもの刃物が用いられ、結局読者はいつの間にかその魂を物語から幻視する……。

単に仕太く人生を生きる女性の苦労話ではないし、倒れても倒れても何かをつかむ女性の成功話でもない。どちらかといえば淡淡と流れる人生に対する儚ささえ感じさせる物語であり、単純なエンターテインメントで得られるような感慨も実は少ない。 皆川さんの分身たる主人公の、魂の遍歴。それでいて人の心を揺さぶるのは、ゆうの心のなかにある異形の何かが実は読者それぞれが多かれ少なかれ抱えていることによって共鳴を呼ぶから、なのではないだろうか。本作だけでも読めるが『恋紅』からの方が吉。人生経験を積んだ人にもまだまだ未熟な人にも。


03/02/15
五十嵐貴久「交渉人」(新潮社'03)

リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞した五十嵐氏の受賞後第一作。書き下ろし。

品川近くのコンビニエンスストアにフルフェイスのヘルメットを被った三人組の強盗が押し入った。店員が現金を渡したために被害は最小で済むかと思われたが、訪れた女性客の悲鳴に犯人が逆上。拳銃を撃ってワゴン車で逃走した。拳銃が使用された犯罪に対し警視庁は厳戒態勢で臨み、やがて近くのコインパーキングから犯人たちのものと思われる車が発見される。犯人らはその現場近くの病院に籠城、医師や看護婦、そして患者数十名を人質にしてしまった。
日本でも唯一の「交渉人」、いわゆるネゴシエイターを重要な職務とする警視庁警備部警護課特殊捜査班にかつて所属していたが、上司である石田と不倫関係にあるという事実無根の中傷によって、品川署の経理課に転属させられていた二十九歳の女性キャリア、遠野麻衣子。所轄の警察官が取り囲む病院に突如彼女は呼び出される。本庁の石田警視正の要請で、彼ら正式部隊の準備が整うまでの二十分間の指揮が、いきなり彼女に任せられた。いきなりの女性責任者の登場に戸惑う地元署の警察官は反発、犯人からの連絡に対し高圧的な態度を取り、相手をかえって硬化させてしまう。二年前、実際に妻子持ちの石田に叶わぬ想いを寄せていた麻衣子は、その石田のためにかつて学んだ「交渉術」をもって犯人に対処。彼女と犯人との最初の会話が良好な状況をもって終了した段階で、真打ちたる石田が登場、交渉は第二段階へと進んだ。

犯人vs警察。「交渉」で勝負の警察ミステリの直球が意外な変化球へと
「交渉人」、いわゆる「ネゴシエイター」を題名に冠する作品。つまりは本作のように人質を取って立て籠もる犯人や、電話でのみしかコンタクトを取れない誘拐事件の犯人に対して、条件を交換したり人質の解放を要求したりと、”交渉”することを専門とする人物が物語の中心となる。こういった事件の局面は、いわゆる「駆け引き」が必要とされる現場であり、奇妙な話だが犯人との信頼関係が要求される。こういった”駆け引きのいろは”を知らない人物と、経験と知識を積んだ一種の心理学の専門家とのどちらがより実際に求められるか、というのは少し考えれば分かることであろう。本書、まずはその「交渉」の術の凄まじさを端的に描いてみせる。 今や「お前たちは完全に包囲されている、抵抗を止めて速やかに投降しなさい〜」というのは、実際にはあり得ないのだ。
警察小説の手熟れといえば、現在なら横山秀夫氏が筆頭だろうが、特に序盤から中盤にかけての著者の意気込みたるやその横山氏に引けを取らない。コンビニ強盗から病院への立て籠もりに至るまでの実録風事件発生経緯は緊迫感に満ちている。また交渉専門の特殊捜査班を外されていた女性刑事の復帰、彼女による陣頭指揮への現場の反発、そして真の実力者の登場に至る経緯は現実事件のドキュメントを見せられているかのような迫力を感じた。また、実際の交渉における細かなテクニックにもまた素直に感心させられる。犯人と交渉人がお互い名前で呼び合うとか、人質という言葉を使わない、適宜事件とは無関係の話を混ぜるなどなど、なるほど、ここまで考えるか。ただ、物語中ではあまりにもこのテクニックがストレートに成功を重ねるのには、漠然とではあるが不満も覚えないでもなかった。そのこと自体また作者のテクニックのうちであることには後で気付かされるのだが……。
と、いうことで、そのまま一筋縄で事件が解決するものではない。ここからが作品のキモなので詳細は省くが、成功率百パーセントの男が失敗し、事態は最悪の方向へ……。こうでなくちゃと思う反面、百パーセント以上の監視のなかの犯人の逃亡と、あまりの不可能事態の発生にどうやって収拾を付けるのだろう? という疑問がむくむく。そして最終章にて明かされる驚きの真実へ。なるほど、こう来るか。
「驚きの真実」そのものは衝撃的。サスペンスから、世界の反転を味わうことになる。ただそこへの移行、そして展開が素直すぎるきらいも正直に感じた。起承転……までは迫力十分なのに、結が唐突過ぎる印象なのだ。確かに伏線はいくつかあるのだが、例えばヒロインや関係者による疑念のようなものをもう少し描いておくなりしておいた方が、より前半部の泥臭さが醸し出す雰囲気の良さを活かせたたのではないかとも思える。単にすれた読者のないものねだりかもしれないが……。とはいえ、この転回の展開が予想できた訳では全くなく、サプライズという意味では十二分

リーダビリティがかなり高く、すいすいと読ませる筆力は本物。特に物語のひっくり返し方は独特で、実質はサスペンスながら、発想は本格ミステリのそれに近い。読みやすさと面白さを兼ね備えた展開は「五十嵐貴久? 誰それ?」という読者にもお勧めできるもの。特に最近盛り上がりを見せている警察小説分野での収穫として数えられる一作といえよう。


03/02/14
浦賀和宏「地球平面委員会」(幻冬舎文庫'02)

メフィスト賞出身の浦賀氏にとり初の文庫書き下ろしとなる作品。ノンシリーズ長編。

大学に入学した”僕”は名前にコンプレックスを持っていた。僕の祖父はミステリファンには有名な(一般的には知る人ぞ知る)探偵、エラリー・クイーン。そして僕の名前は大三郎。従って僕の名前はクイーン・大三郎ということになる。大学に入学したばかりの僕は自分が入るサークルを捜してキャンパスをうろうろしていた。そんな時校舎の屋上からビラを撒く美少女と目が合ってしまう。「新委員募集中。 あなたも信じてみませんか――。地球が平面であることを」 書かれたビラにあったのは「地球平面委員会」とあった。興味を持った僕は小中学校と同級で、偶然同じ大学に入った親友の笠木と共に部室を訪れる。部室には三人の人物と壁に貼られた世界と町内の地図、そして二体のマネキン。その美少女は宮里真希と名乗り、委員長なのだという。パソコンに向かう団田正樹。漫画を読みふける福島古太。彼らがこの学内の委員全て。だが全国には百人ほどのネット会員がいるらしい。結局名前を言い残しただけでろくに説明を聞かずに立ち去った僕だったが、地球平面委員会は「是非入会して欲しい」と笠木を差し置いて、僕に対して集中的かつ徹底的な勧誘をかけてきた。そして学園の周囲では次々に事件が……。

とうとうここまで来た! この「動機」そして「真相」は絶対確実ミステリ史上前代未聞
本書の下敷きにされているのが清涼院流水氏の作品である、という点で要注意。まずエラリー・クイーン、つまりEQがダネイとリーの共同作品中の名探偵ではなく、この世界では実は実在した人物であるという前提となっている。でなければ、大三郎・クイーンなんて登場人物名がそうそう簡単に出てくるわけはない。しかし、深読みすると「じっちゃんの名にかけて」という某作品があることを想定させ、そちらにミスリードする伏線かもしれない……などとも感じさせる。とはいえ、物語は奇妙な進み方をする。
「地球平面委員会」。謎のサークルに、なぜだか大三郎は執拗な勧誘を受けることになる。その熱意は新興カルト宗教のソレにも近い。彼らは何者で、なぜ大三郎はそこまで気に入られてしまうのか。 更にその大三郎の周囲で奇妙な事件が勃発する。大学にほど近い無人倉庫の大火事。大学の金庫室の現金盗難事件。更には「委員会」の秘密を解いたという友人、笠木が殺害され、コンクリートで塗り固められた死体となって発見される……。物語の終盤ギリギリに至るまで、そして大三郎自身がその秘密に気付く描写があった後も、大多数の読者にとって、委員会の目的や、大三郎が狙われる訳は理解できないだろう。大丈夫、理解出来ない方が、今のところは恐らくまだ普通の感覚だから。 (未来永劫その通り普通サイドにいられるとは限らないが) 
そして、この真相。一連の事件の動機に、貴方は戦慄するか、脱力するか、怒り出すか。 ただどんなに突飛な発想であっても、少なくとも全てはそれで説明が付く。作品内部における論理的な破綻は存在しない。そして、ただ一つだけ間違いないことは、この真相、そして動機は今までのミステリ史上で初めて用いられるものだ、ということ。それが何なのかは……書けるわけないだろ。しかし私は好みだけどな、こういうの。私自身もその、そういう世代の上っぱしだから。

最近の浦賀和宏氏の作品は、ホント何か一筋縄ではいかない。ただ、この作品が現実離れし過ぎてついていけない……と考えるのが普通だとは思う。だけど、その「普通」の感覚が、実際に二十一世紀を迎えて数年が経過した時代の感覚(生まれた時から「それ」があった世代)とイコールかどうか証明するのは難しい。貴方の「普通」が、気付けば「大多数」ではなくなっているのかもしれないということ。個人的には「ここまで来たか……」という奇妙な感慨が最大の印象か。


03/02/13
福本和也「航空検察官」(徳間文庫'81)

日本作家としては「航空ミステリーの雄」として並び称される者のない福本氏だが、本作は航空がテーマになっているとしか取り上げようのない出来損ないのサスペンス。よく見れば初刊が'67年東方社とあり、推定するに元は貸本小説だったのかもしれない。

一年前まで極東航空で旅客機の副操縦士を務めていた朝比奈は、その破格の言動と行動から空の捜査官ともいえる航空検察官を命ぜられる。約十ヶ月の警察機関での研修を受けてハネダ空港に詰めることになり、その扉を開ける。彼を迎えたのは警視庁から出向してきた宗方という上司、そして二機の専用機。早速彼は彼から朝比奈は初仕事を要請される。北朝鮮からの暗号コードを解読した機関によるところ、急を要する帰国を要請されたスパイが日本の飛行機を乗っ取ると考えられたのだ。彼は専用機で関西に向かったところ、出迎えたのは知的な美人女性、井上小夜子。本庁の外事局所属の彼女からもたらされたいくつかの情報から朝比奈はジャックされると思われる飛行機が駐機する空港をピックアップ、最終的にある空港へ向かうことを決断する……。連作短編集の冒頭作品『凍りつく夜』
以下『空と狂人と拳銃と』『夜が怖い』『変死者』『怪電波』『香港の夜』『戦場の翼』『大空の葛藤』『太陽の阿呆!』『濃霧』『ブルー・フィルム』『昼と夜の顔』 以上。

あーこりゃこりゃ。設定以外にみるところ無し。御都合サスペンス
さて、その設定だが。

戦後の複雑な空の犯罪を解決するため、世界中に拡がった制度。彼らの存在はごく一部の関係者にしか知らされていないが、拳銃の携帯を許され、最低三カ国語の修得者で、大型飛行機ライセンスの所有者、そして国際条約によって普通の警察官以上の捜査権限が与えられるエリート捜査官――AirLIne-Detective、それが航空検察官である

ね、面白そうでしょ。それが、それだけなのだ。
梗概を上記した冒頭作品、例えばこれだけ緊迫感を盛り上げておいて乗り込んできた北朝鮮のスパイとは「実はこれが訓練だったと告げる上司の宗方だった」なんていう壮絶なオチだし、ハイジャックを扱った『空と狂人と拳銃と』は、ハイジャックの予告があった旅客機がたまたま首輪が故障して出ないことから、焦ったハイジャック犯が飛び出してくる……というところまでは良いながら、厳重なボディチェックのなかなぜ犯人が拳銃を持ち込めたのかの説明がないうえに、朝比奈はほとんど役に立たず機長が撃たれてしまって非常事態は悪化するばかりだし、一応連作らしい密輸団を追う『夜が怖い』〜『戦場の翼』までは、単に場所だけ国際的に移り変わる伝言ゲーム。朝比奈が航空検察官の特権を活かして誰かから話しを聞くと、次の人物の所在が明かされる代わりにその人物が殺されるという繰り返し。最後にベトナムまで行く必要があるのか、朝比奈。最後の二編は作者自身、どうでもいいやと考えていたかもしれない。空との関係が希薄なそこらの男と女の事件を解決する朝比奈。なんかそれらしい組織を登場させれば良いってもんでも無かろう。当然めいっぱい通俗。はあ。

そんな本作で最も感心したのは権田萬治氏による解説の見事さである。ギャビン・ライアルと福本和也の比較、航空ミステリーの概観と福本和也の著作の幅広さを延延と訴え、最後に「航空検察官」の設定の独自性を説いてオシマイ。設定の面白さ以外、作品の中身に見事なまでに一切触れていない――手腕は、ズルくもあるが上手な仕事のやり方だなぁ、と。ま、私からはよっぽどお暇な好事家向きとだけ。このシリーズが少なくとも四冊は刊行されている点がもしかすると最大の謎


03/02/12
海渡英祐「事件は場所を選ばない」(徳間文庫'89)

'84年に光風社出版から刊行された短編集が元版。作者自らが「事件がいつも同じ場所で起きること」に飽きたらず「なるべくヴァラエティを持たせながら、単に目先を変えたものでなく」「それがトリックと不可分に結び付いた」作品をセレクトしたという本格パズラー的要素を重視した作品集なのだという。

広告会社や周囲に対し傍若無人に振る舞い、女性関係も乱脈を極めるスポンサー窓口の市谷。彼が企画会議の途中、エレベーター内部で不可解な死体となって発見された。 『殺人もあるでよ』
別荘地に滞在する作家の”私”は学生の頃に家庭教師をしていた由紀子と再会し、既に人妻の彼女と濃密な時を過ごしていた。しかしその時期も終わりに近づき……。 『夏の終わり』
年離れた実業家の夫との関係が悪化し、元恋人の夫の息子と自宅で密会しようとしていた人妻。しかし出張中のはずの夫が急に帰宅、更に殺されるという事件が。 『禁断の時』
会社で横領の疑いをかけられ辞職させられた男がOLを人質にとってトイレに立て籠もる。会社の謝罪と妻の浮気相手を呼び出せというのだが……。 『臭い仲』
地方に住む同人作家のもとに紹介状を持った作家志望の若い女が現れた。彼女に邪な感情を抱いた男は嬉々として周辺を案内。彼女は自殺の名所の見学を希望する。 『不可解な心中』
義兄の嫁、富美代と不倫関係にある男が彼女から呼び出されるが彼女は現れない。逆に高級コールガールとモーテルに雪崩れ込んだ彼が気付くと、その富美代が死体となって傍らに。 『甘い罠』
心霊現象の肯定派否定派が論議するテレビ番組の余勢をかって、悪霊が出るという噂の家で男が夜明かし。翌朝、男は封印されたその家のなかで首を括られ殺されていた。 『悪霊の家』 以上七編。

これはもしかすると埋もれた本格パズラーの傑作作品集……なのでは?
海渡英祐という作家は、マニア内部の間ではとにかく、昭和ミステリを語られる際にそれほど重要視されていないように感じられる。少なくとも清張や正史、彬光や鮎川、土屋といったところに比べると位置づけとしてはワンランク落ちたところにその地位があるのではないか。(これまで私が触れた限りではそのような印象がある)。乱歩賞受賞の『伯林― 一八八八年』を除くと代表長編がどちらかといえばサスペンス系統にあるせいかもしれない。しかし、ここのところ読んでいる作品集を考えると短編こそが海渡氏の本格ミステリの主戦場だったのではないかと感じられる。
と、いうことで本書ということになる。物語の背景になる部分にメロドラマ系の不倫だとか愛情のもつれだとか財産争いだとかが絡むケースが多い。ということで動機そのものはどちらかといえば平凡で、かつ泥臭い。だが、その動機をもって彼らが行う犯罪計画が実にトリッキーなのだ。「エレベーターの中で槍にて刺し殺された死体」「入り口が封印された悪霊が出るという家のなかで殺された死体」「ラブホテルで目が覚めると別の浮気相手の死体が横に」……という死体発見者にとっては悪夢のようなシチュエーションが並ぶし、特に異色ではないかと思われる『臭い仲』などは、トイレに立て籠もったことでアリバイを持つ男の妻が、同時刻になにものかによって殺される……という奇異なシチュエーションを扱っている。特に本書は「場所」にこだわっており、その場所特有のトリックがポイントになっている点にも注目したい。
こうした、奇妙な謎はもちろん全てアクロバティックな論理によって解決される。 その論理の飛躍は「見えている人間関係を疑うことで見えてくる」タイプのため、小説の技巧が物を言うわけなのだが、そのあたりのさりげなさは十分すぎるほどに上手く処理してあり、一読して結末はまず予想がつかない。どちらかというと職人芸のような目立たないけれどいい仕事をしている……といった地道な凄さが作品内部に積み重なっている感。『殺人もあるでよ』あたりの題名の泥臭さ(これはもちろん「ハヤシもあるでよ」だが)に惑わされてはならない。こういった手の込んだ仕事の中身はそう簡単に古びていかないものなのだ。

海渡氏の作品の多くは、80年代の後半に(本書もそうだが)徳間文庫にて集中的に文庫にて刊行されている。まだ今の段階では古書価もついておらず、収集にそう苦労はない。古書店で見かけるようなら一度手にとってみて欲しい。特に本格パズラーファンにとっては意外な感動に出会えるかと思う。


03/02/11
高野史緒「架空の王国」(中央公論新社'97)

高野さんは1966年生まれ。『ムジカ・マキーナ』が第6回ファンタジーノベル大賞の最終候補作品となりデビュー。その作品は高い評価を受けていながら、古本の猛者が「幻」という程、元版は入手困難だった。(現在はハヤカワ文庫にて入手可)。 この後『カント・アンジェリコ』という作品を出し、本書が第三長編にあたる。高野史緒さんのサイトはこちら

フランスとドイツに国境を接する小さな面積の小王国ボーヴァル王国。教会や聖堂をはじめとした保存の良い歴史建造物が観光客の目を楽しませる中世からの歴史を持つこの国はフランスの半支配下にはあったが、王位が続いたりEUに深刻な危機を齎したりしない限りは存続が約束されていた。首都サンルイにある大学、サンルイ大学は古文書にかけては随一の環境にあった。この大学の特別枠に応募した十九歳の日本人学生、瑠花。十七世紀の古文書戦争に興味があった彼女は指導教官になるトゥーリエ教授を捜し、研究室を訪ねた。なかから出てきたのは助手のフランソワ・ルメイエール。彼は瑠花を連れ教授がいるはずの巨大な図書館に赴くが、教授は心臓発作で倒れて亡くなっていた。瑠花は教授が死の間際に「私の薬を返してくれ」、そしてラテン語を叫んだのを耳にしていた。そして瑠花の手元には試験問題と共に、ボーヴァル王国の王位継承の儀式の秘密を記したゼッカーソン文書二十八番が届けられていた。貴族出身のルメイエールは実は、ボーヴァル王国の次期王太子。教授の変死には何か裏がある……聖別式を前に発生した事件を瑠花とルメイエールは解き明かそうとする。

歴史の虚実ない交ぜの壮麗な架空世界。世界の秘密に迫る教養ファンタジー
なぜ本書が『本格ミステリ・クロニクル300』の中に取り上げられていたのだろう……? いわゆる新本格ミステリの系譜に連なる作品ではない、と私は判断するが……。

だが、虚構の物語を創り上げ、さらにその虚構の虚構をひっくり返す壮大な構想については素直に賞賛したい。またさらにフランスにある王立図書館をモデルにしたという魅力的な舞台、そして中世の歴史に関する深い造詣に裏打ちされた世界観といった、綿密に組み立てられた「物語」ならではの面白さを新たに発見できた、という意味で収穫だった。(その意味で『本格…』に作品名が連なっていたことに、素直に感謝)。
この作品の魅力は「舞台設定」にあるといって過言ではないだろう。フランス国境に架空の王国を創り上げるだけならまだしも、その王国の内部の設定が意表を突きつつ、「あ、でもこういうこともあるかもしれない……」と思わせるものばかり。特に歴史的な事件によって、王と血縁関係になくとも王に就けるというシステムや、その秘密が古文書にあること、そしてその古文書の「巣」みたいな図書館を創り上げたこと等々、やはり欧州中世史をはじめとした関連知識に裏付けられた想像力がなければ、そう簡単には表現し得ないオリジナリティの高さを誇っている。更に登場人物の持つ人間の厚みや、彼らが隠し持つ秘密等についても、行き当たりばったりでなく十二分に伏線が凝らされている点も評価したい。ついでにルメイエールと瑠花の、ほとんど漫才ともいえるやり取りも作品の深刻さを軽くする役割を担っているし……良い点ばかり眼について、問題がある部分というのが取り敢えず見あたらないぞ。困った。
こういった世界を新しく創り上げる……というのはファンタジー作家としての資質なのだろう。その世界そのものを使った壮大なミステリ、ということが確かに本作はいえる。いわゆる「ミステリー」における定石的な枠組みを拒否するものであるが、根底にあるのが「物語の謎」としてのミステリか。その意味でいえば、レッドへリングが強烈に過ぎ、伏線を後で思い出してやられてしまうタイプ。ああ、気持ちいい。瞞されることも、そして世界も。

強いていえば、こういった横文字飛び交う中世欧州等に全く興味がない人にとっては、多少固有名詞が面倒くさく感じられるかもしれないが。ただ、これもまた世界成立のためには仕方ないことであるし。本作のような物語を見せつけられると、また別の作品も手に取りたくなる。とはいえ、同系統? の佐藤亜紀さんの作品も読み切れていない自分にそんなにどっぷりと浸れる時間はあるのだろうか?