MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/03/10
皆川博子「忠臣蔵殺人事件」(徳間文庫'93)

元版は'86年、タイムリーに年末にトクマノベルズにて書き下ろし刊行された同題の作品。ただ本書に関しては後に著者が述べていた「読み飛ばせる作品を無理強いされて書かされていた」時期の作品ともいえ、その内容は皆川さんにしては正直、薄い。ただ、実際に取り組んで簡単に読み飛ばさせてくれるほど皆川さんは甘くないのは嬉しいところ。

『大石内蔵助、泉岳寺で憤死!』 ――ベテラン時代劇俳優の上月龍太郎が泉岳寺の四十七士の墓前で白衣を着けて切腹、喉を掻き切って壮絶な死を遂げているのが発見された。映画で一時代を築いた上月だったが、それから十数年経過した現在撮影中の『忠臣蔵』にて、若い桑田監督と意見が衝突して愛着ある大石内蔵助役を降ろされたことをショックに感じていたのが原因とみられた。彼は熱海の別荘に滞在していたが、彼の車は泉岳寺の前に乗り捨てられていた。彼には前妻の間に薫という娘がおり、一方後妻の朋代には恭子という連れ子がいた。恭子と薫は一時期一緒に暮らしていたが、薫はある時期に家を出てしまう。龍太郎の死から一ヶ月。薫は恭子を名古屋に呼びだし、父を殺した犯人の復讐に協力するよう要請する。一方、週刊誌記者の岡谷とカメラマンの瀬木は『忠臣蔵』のロケ地を定期的に訪れて取材しているうちに、その恭子と知り合う。恭子は桑田監督に願い出て、シナリオの勉強をするために現場見学をしているのだという。恭子の様子がどこかおかしいことに気付いた二人は桑田監督に害が及ぶのではないかと危惧し、彼の安全をはかる。しかし監督の部屋のお茶に仕掛けられた毒物のために瀬木が命を落としてしまう。

『忠臣蔵』異聞にして、独特のプロットに支えられた妖艶なサスペンス
読み終えて、何か、二時間ドラマ風だな……という印象も感じてしまったことを告白しておく。元もとテレビの撮影現場を中心に組み立てられ、様々なロケ地が作品に登場、そして複数の、そして熟年若年の美女が絡む愛憎のサスペンス、となるとどこか「映像映え」を意識したのではないか、という邪推も成り立たないでもない。……だが。
だが、そこは皆川作品である。わざとある程度の「安易さ」が作品に要求されたとしても、独特の味わいは随所にみられるし、元より文章の巧い作家が「読みやすさ」を意識して書いたであろう作品は、流れがしっかりとしておりすいすいと味わえる。ポイントの一つは「忠臣蔵」に対する独自解釈だろう、歌舞伎→講談→大衆娯楽として流れてきた「忠臣蔵」の定型イメージを、本書では若い監督の桑田が史実を徹底的に分析することによって覆すドラマを作ろうと奮戦する。吉良上野介は決して悪人などではなく、当日の上杉家からの応援などもなく、ほんの数人しかいなかったところを奮戦虚しく赤穂浪士たちの討ち入りによって惨殺された。浪士たちの残された家族は実に悲惨な仕置きを受けた……といった、一般大衆が拒絶反応を示すかもしれないような作品。この「真・忠臣蔵」ともいえるイメージが随所に挿入される。時代小説に傑物の多い皆川さんらしい解釈であるが、このようなかたちで取り上げるのはもったいないのではないか――『新・今川記』のように歴史解釈に対する独自視点で物語を形成しても、それなりにかたちになりそうに思えた。こういった一般サスペンスに、アイデアが取り込まれてしまったことは実に残念な気がする。
もう一つ、その『忠臣蔵』の真の姿に二重写しになるのは、ヒロイン恭子とその周辺の美女たちの姿。 彼女らが何をしようとしていて、一体裏がどのようなからくりになっているのか。サスペンスとしても意外な人物が意外な場面で殺されるシーンが連続し、身に危険が迫らない傍観者的人物が主人公を務めていながらも、作品の緊張感は決して途切れない。最後の最後にからくりが見えてくる場面によって渦巻く愛憎がようやく見えてくる。(ちょっと強引な締めではあるが)物語の底に沈んでいた何かが浮かび上がってくる戦慄は、皆川ミステリならではの怖さと美しさを兼ね備えていた。そして、その僅かな行数にて映し出されるのは、愛憎というよりも裏切りの構図。世間が考えているような分かりやすく納得しやすいかたちではなく、裏に隠された深謀遠慮にどこか「真・忠臣蔵」の姿を二重写ししてしまう。 深読みすればするだけ意味がありそうなのが、皆川作品の独特の美しさ、まとまりに繋がっている。

確かに重厚なラインナップを誇る皆川作品の中では本書は見劣りするかもしれない。だが、皆川博子という作家の存在そのものの重さを考えれば、本書であっても十二分に鑑賞に堪えうるだけの面白さを持つ。


03/03/09
上遠野浩平「殺竜事件 a case of dragonslayer」(講談社ノベルス'00)

第4回電撃ゲーム小説大賞を『ブギーポップは笑わない』にて受賞、その後続編含め同シリーズが一大人気となりYAの世界では押しも押されもせぬ大物作家となった上遠野浩平氏。その上遠野氏の一般レーベル初登場となるのが本書。但し中身はファンタジー世界を創造したうえでのミステリ作品となっており、それはそれでやはり異色といえよう。

剣と魔法が圧倒的な力を持つ世界。ある二国間で行われている戦争の調停の立会人として、女性将校レーゼ・リスカッセ大尉は竜がいるため独立中立を保っている小都市、ロミアザルスへとやって来た。調停を牛耳るのは世界を股に掛ける一大商業勢力である七海連合、そしてその実務を司るのは世界でもごく僅かしか人数のいない特殊な技量の持ち主、戦地調停士である。七海連合からやって来ていたのはリスカッセと学校を共にしたこともある”風の騎士”クリストフ大佐、そして仮面を付けた変人調停士はEDと名乗った。その世界において五匹しか存在しない竜は、世界全てを圧倒する力を持ち、天災以上に人々から恐れられていた。リスカッセ、クリストフ、そしてEDの三人はロミアザルスに住む、その竜に挨拶に出向くが、村人が巡らせた厳重な結界のなかで竜は首に鉄の棒が刺さった状態で死亡していた。大きな力を持つ竜を一体誰が、どうやって殺すことができたのか。彼らはロミアザルスの魔導師からの呪いを受けることを条件に一ヶ月以内に犯人を捜す必要に迫られる。残された記録から、彼らは竜と最近であった六人の人間を捜す旅に出発した。

世界そのものも魅力があるが……意外とミステリとしても説得力があって良いのでは
まずは世界の魅力について記しておこう。もともと私自身ファンタジー世界が嫌いではない……というか、しっかりと世界観が構築されたファンタジーは好きなので、その意味だけでもこの作品、評価に値すると感じている。剣と魔法が力を持つ世界。呪い有り、伝説有り、怪物有りのいわゆるファンタジーRPG等で既に(一部の)日本人には刷り込まれている感覚。それだけならば誰にでもコピーが可能なので評価しようもないのだが、ここに政治的なパワーバランスを組み込んでいる点がまず面白い。国と国とが何故戦争をするのか。お姫様を巡る争いではなく、どこか現代政治さえも透けて見えるような生々しい政治的な理由が本書に存在している。またそれだからこそ、調停士という存在が許されるという設定の巧みさ。竜という存在含め、世界やそれぞれの国の設定等は「どこかで見た」ものをそのまま利用しているものの、目に見えない、文章にされにくいところにある心配りが大人の読書に耐える世界観を構築しているのに役立っている。それらが微妙に生々しいからこそ旅における個別のエピソードがまた生きてくる。
登場人物はある意味ステレオタイプ。だが、だからこそ感情移入しやすいともいえる。なので、本作の残りの評価はミステリ部分。これは賛否両論、というか「何でもあり」の世界だからこそセンスが問われるところ。(真相を知った後に振り返ると)旅をするという行為そのものの必要性が微妙な気がしないでもないながら、ファンタジーならではの壮大な計画犯罪や、その方法に関する微妙な伏線は意表を突くところから引き出されておりGOOD。 竜という巨大な存在を創り上げたところから、その殺害方法、そして誰が実行したのか、と謎の配置ポイントが実に的確で、どんでん返しも効いている。結局これらがまとまって最初から最後まで一気に読ませる。途中のエピソードも意外性が多いうえに後味が良く、徹頭徹尾、細かい配慮が感じられる作品である。

本書を筆頭にこの世界は「戦地調停士」シリーズとして現在のところ続編『紫骸城事件』『海賊島事件』の三冊が刊行されている。(実は「本格ミステリクロニクル300」で第二作の『紫骸城事件』が取り上げられており、先に本書を読まねばと手に取った次第)。書き込まれることによって拡がりを増しそうな世界でもあり、今後の展開が知りたくなっている自分に素直に気付く。私同様「食わず嫌い」の方も多そうだが、よく出来た作品であり読んでまず損はないと思う。


03/03/08
伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」(祥伝社NON NOVEL'03)

'00年、新潮ミステリー倶楽部大賞最後の受賞者として『オーデュボンの祈り』にてデビューした伊坂氏は、昨年『ラッシュライフ』を刊行、手堅い仕事ととぼけた作風にて着実にファンを増やしている。本書は伊坂氏の第三長編にして初の新書作品になる。

他人の表情を読みとってその人物が嘘をついているかどうか分かってしまうリーダー・成瀬を中心に、演説させたり出任せを言わせたりするなら誰にも負けない響野、まだ少年のあどけなさを残しながらスリの天才的才能を持つ久遠、そして紅一点、中学生の息子と天然体内時計を持つ雪子の四人は銀行強盗。徹底した下見と入念な準備と銀行員に警報ボタンを決して押させないスピーディな手順を武器に完全な仕事をこなしていた。来週行う銀行強盗の打ち合わせに響野が夫婦で経営する喫茶店に集まった四人組だったが、雪子の様子がどこかおかしい。息子の慎一のことを異常なまでに気にしているのだ。ちょっとした引っかかりを覚えつつも実際に銀行強盗を決行、いつも通りスムースにお金を回収し雪子の運転する盗難車で逃走している途中、飛び出してきたRV車とあわや交通事故。咄嗟によけた彼らだったが、RVに乗っていたのは巷を騒がせる別の現金輸送車ジャックの一味だった。無抵抗に車を譲り渡した四人組だったが、輸送車ジャックの一味は銀行から奪った金の入った鞄まで一緒に持ち去ってしまう。久遠が咄嗟にスリ取った携帯電話から、相手のことを知ろうとする彼らだったが、その電話の持ち主は自宅内で既に殺されていた。

内包されてる伏線がキレイ。愉快痛快爽快な強盗エンターテインメント!
前二作から伊坂幸太郎氏にお付き合いしているが、それらで感じられたのは本格パズラーでありながら、そのトリックそのものに凝りまくるタイプではなく、丁寧に張り巡らせた伏線をいかにキレイに回収するかにこだわりをみせた作風だな……というもの。本書はクライムコメディ風の展開をみせる作品で、そういった本格ミステリのトリックとかとはちょっと異なっており、伊坂氏の作風の拡がりを感じさせるもの。 ……なのだが、その作品そのものに用いられる創作手法はやっぱり伊坂氏らしい特徴に満ちている。それが嵌って、はちゃめちゃに脱線しそうでいて、最終的に程良くまとまっている点が評価のポイントだろう。
まず目が行くのは徹底的に「キャラが立った」四人の主要メンバー。嘘発見マシン、演説とスリの天才に人間体内時計と主要登場人物がびっくり人間大集合なのは、当然誰でも気付くだろうが、相手となる現金輸送車ジャックの親玉の極悪非道ぶり、「鍵」屋のオタク青年、正義感に燃えつつも非力を自覚する中学生、身体が悪いけれど正直に生きる少年、口答えと屁理屈だけは一人前の不良高校生、そして卑屈に目の前のことしか考えられずに怠惰に流されていく中年親父。周辺の人物もまた、一人一人の個性のポイントがハッキリしていて読んでいて頭にするすると人物が溶け込んでいく。彼らとの間で交わされるちょっとした行動、ちょっとした会話が後々でしっかりストーリーに食い込んでいて、どんなにヘンテコなアイテムが登場しようと「おいおい」という風にならないのは、それらがしっかり伏線として張ってあるから。 このあたりの処理、繰り返すが抜群にうまい。
そして物語を通じて痛快なのが最高。 泥棒を主人公に持ち込みつつも、なぜか友情や正義を感じさせるあたりの錯覚感。正々堂々とした主人公を素直に応援させてしまう展開。いやいや読んでいる間、ずっと興奮してしまった。

この作品、全く同じテーマで戸梶圭太氏と横山秀夫氏あたりで競作させてみたら、本気で全く異なる作品になってしまうような。それだけ伊坂幸太郎という作家の個性が良く出ているといえそう。ノベルス初登場ということで手に取る読者も一気に増えると思われるが、一気にブレイクしそうな予感。 今年の「このミス」上位にランクインも可能だろう。また作者が同世代だけに物語感覚と自分の価値観とが比較的近いところにあるのも個人的には嬉しいところ。


03/03/07
鮎川哲也「モーツァルトの子守歌」(立風書房'92)

鮎川哲也の創造した最後の名探偵「三番館のバーテン」シリーズシリーズの六冊目にして最後の一冊。 鮎川氏がご存命のうちに刊行された作品集のうちで「オール初収録」(つまり復刻の要素のない)純粋な新作集としても最後の一冊になるのではないだろうか。内容的には'87年より'91年にかけさまざまな推理小説誌に発表された作品が集められたもの。

無名の画家の絵と思われた絵画が実は貴重な逸品だった。盗難予告が為されながらも開催されたパーティにて突然停電、私立探偵のわたしがいながら絵は消え失せてしまった。 『クライン氏の肖像』
マンション内部で男が撲殺された。表を通った中華料理屋の店員と、外から望遠鏡で窓を覗いていた学生が証言を。容疑者は自分が来た時既に被害者は死んでおり、しかもくしゃみをしたと言い出す。 『ジャスミンの匂う部屋』
根岸美術館の改装の間、館長室にしまい込まれた写楽の貴重な役者絵。関係者がちょっと不在の間に絵が消失、しかも美術館にいる人間全てがその絵を所持していなかった。 『写楽昇天』
わたしが頼まれた謎の男からの依頼は、ある男性の生活を追えというもの。大したイベントなく終わった尾行だったが、その男が尾行当日の事件の容疑者になっていた。 『人形の館』
潔癖主義者で堅物の作家が自室で殺害された。彼が遺したロシア語のダイイングメッセージに私立探偵のわたしは翻弄され、ようやく解答に辿り着いたと思ったが……。 『死にゆく者の……』
夏休みのオフィスビル、覆面をした男が社長一人残ったオフィスに強盗に入ってきた。折良く戻ったアルバイトが撃退するも男は服を脱ぎ捨てながらエレベーターに。しかしエレベーターの中には昏倒したボーイ一人が残されていただけ。 『風見氏の受難』
珍しいレコードを鑑賞する同好の士の集まりのさなか、別室に置いてあったその日の目玉の貴重なレコードが割られていた。主催者は怒り、もう会を解散すると言い出すが……。 『モーツァルトの子守歌』 以上七編。

誰にでも安心して読め、かつ鮎川哲也のこだわりがしっかりみえる最後のオリジナル
まだ未読の作品集がいくつかあるので、私自身が鮎川作品を全て読了したということではないのだが、読み終わると一抹の寂しさを覚えずにはいられない。鮎川哲也最後のオリジナル。この作品集自体、刊行より十年以上が経過してしまったということもあり、多少風俗的に時代がかった(それもまた鮎川氏らしい)ところがあるにはあるのだが、その根本にあるトリックの仕掛け方は王道であり、古びないものであるのだ。そういった意味ではやっぱり安心して読める作品集だといえよう。
自身があとがきで述べられているように、この三番館シリーズの原型はクイーンの『クイーン検察局』であり、短編ですっきりまとまっているのは「謎が解決されたあとのことには一切頬かむりをしているからなのだ」の姿勢を、鮎川氏もまた貫いている点にある。また、私立探偵のわたしが犯人や腹に一物ある人物からいろいろと実は翻弄されている点も面白い。そして何よりも読者が安心するのは、ワンパターンとの誹りがあろうと、最後の最後、バー三番館の扉を彼が開けたあと、必ず奇妙な謎が解決するという点――しかも関係者の「あと」を考えずに読者の興味のポイントである謎だけが颯爽と解き明かされることが分かっているから、ともいえるだろう。
本書では『風見氏の受難』のエレベータ消失トリックが気に入った。トリックそのものはシンプルで「これしかないよな」と読者にも類推できるレベルではあるのだが、それに至る伏線がいくつも配されており、そちらを看過させられてしまったところに印象が残る。そういった意味では本書における他の作品においてもトリックはシンプルで、凝りに凝ったというタイプではない。本書収録の七つの作品の内部でも、実は広い意味でネタが被っている作品が見受けられるくらいだし。しかしそのトリックをさりげなく説得力あるものに仕上げる伏線の職人芸がやっぱり読むほどに深い。
あと、言わずもがなかとは思うのだが最初に少し書いた通り、風俗の取り上げ方が鮎川氏らしい生真面目さとの相性かちょっと現代読者には違和感があるかも。SMクラブだとか女装趣味者だとか風俗的なネタを取り入れてしまっていること自体にちょっと無理しているな……という感じがあるし、ヘテロな性愛以外をアブノーマルと断言してしまうとか、国鉄をJRと呼ぶのは嫌だとか、愛人を囲うだとか、どうも主人公として動き回る私立探偵の「わたし」が、奇妙なまでに年寄りじみて感じられてしまうのは正直なところ。

鮎川哲也復刊の気運のなか、この「三番館のバーテン」シリーズも東京創元社よりまとめて復刻される予定があるらしい。ただ一ついえることは「買える時にしっかり買っておくこと」。機会を逃すと結局ほんの数年前に出た本でさえ必死に古本屋を探さなければならなくなるのが現代出版事情のコワイところである。シリーズのなかで本書の出来が特に良いとも言い切れないが、やはり本格ミステリを愛する方なら全部読んでおきたいシリーズであろう。


03/03/06
伊井 圭「啄木鳥探偵處」(東京創元社'99)

題名は「きつつきたんていどころ」と読む。本書収録の「高塔奇譚」にて'96年に第3回創元推理短編賞を受賞。第2回同賞最終候補作品である「浅草情思」を改稿したという「魔窟の女」更に、書き下ろし三編を加えた連作短編集。

浅草に聳える十二階建ての名物・凌雲閣の壁面に現れるという女の幽霊。噂が広まることを懸念した経営者が探偵を副業とする石川啄木に解決の依頼をする。 『高塔奇譚』
浅草で人気を博していた活き人形師の作った人形首に喉首を食い破られたかのような人気役者の死体が発見される。その人形は夜な夜なその役者の元に通っていたという噂があり、その役者も人形の美しさに魅せられていたという事実があった。 『忍冬』
隅田川の土手越しに空飛ぶ奇術を啄木と京助はかつて見物したことがあった。啄木に持ち込まれた依頼はその奇術師が最近塞ぎ込んでおり、その悩みを聞いて欲しいというもの。しかし彼は飛行術の練習中といった状態で電線に首がかかって死んでいるのが発見される。 『鳥人』
浅草の商店の寄り合いに所属する店の幼児が誘拐されては二、三日で戻されるという奇妙な事件が発生、ただ最後に子供を誘拐された成田屋の息子だけがもう二ヶ月も帰って来ない。 『逢魔が刻』
啄木の上京当時の事件。二人して私娼窟に出向いた啄木と京助。女性に不慣れな京助はおたきという女性をあてがわれるがすぐに戻って来てしまう。直後、そのおたきが喉に千枚通しを刺された状態で死んでいるのが見つかり、京助が疑われ、更に京助は啄木を疑う。 『魔窟の女』 以上五編。

啄木の歌に託された哀しみと、奇妙な発端を持つミステリと
本書が発売された時期は暫く前になるのだが、私自身は伊井氏の文章をまとめて読むのははじめてとなる。まずミステリとしてどうの、という以前にこの文章が特徴的に感じられる。文学的でありかつ叙情的でありながら、どこか男性的な力強さを感じさせる文章、それでいて語尾の始末等が意外と無造作で読んでいてリズムを感じにくいものとなっている。処女作ならではの力の入り具合といってしまえばそれだけなのかもしれないが、もっとできる筈なのに、と注文を付けたくなるのも作者に力があることが見えるから。
明治時代に舞台を取り、日本の文学史に残る二人の人物、石川啄木をホームズ役に、辞書でお馴染み金田一京助をワトソン役に抜擢、彼らの生活を史実的に再現しつつ、ミステリと絡める趣向。 事件が終わったあとの気持ちを「歌」に託す啄木、(そしてそれらの歌は啄木が実際に残した作品である)、この連携はいい味を出しているものの、京助の方はあまり特徴的とはいえないか。ただ、事件そのものが明治という時代を色濃く写した設定であり、浅草や吉原といった当時の風俗を現代に蘇らせ、かつその当時、そしてその場所での論理をミステリに取り込んでいる点は評価出来よう。 なので、トリックは「当時」をきっちり類推し、「当時」に思いを馳せなければちょっと読者が看破するのは難しいかも。
江戸の文化から明治、そして大正に移行しつつある文化を背景に描かれる男女の情。探偵小説の宿命ゆえ、登場人物のそういった情念は後から検証することで滲み出る。全体的にそれが悲恋と終わったり、哀しい結末を迎えすぎる作品が多いように見受けられるも、それもまた啄木の残した歌と重なっていき独特の叙情を結末に残す。啄木の生涯そのものが非常に有名とは言い難いので、彼の人生までもを頭に浮かべられることができる読者にとっては更に評価は上がろう。
最後になるがミステリとしては島田荘司ばりの「奇妙な発端」を強調している傾向が強い。現代だと通用しないようなこの感覚も、明治期ならではの夜の闇のなかで妖しい魅力を放っている。もう少し書き込むことで独特な世界を編み出せそうな印象もあるが、本作ではまだ自身の世界に踏み込み切れていない(書き込まれているアイテムに借用物が多いせいか)というのが正直な感想でもある。

過去の時代に題材を取ったミステリが、特に最近増えてきている。科学的捜査が不要であるとか、夜の闇が今より濃いとか様々なメリットもあろうけれど、その時代に読者を没入させるのはなかなかにテクニックが必要。伊井氏はその点クリアしているといえるが、かえって一般ミステリだとどうだろう、という素朴な疑問も湧かないでもない。氏には別に『飾り花』という長編があるので、機会があれば手にとってみたいと思う。


03/03/05
北野勇作「どーなつ」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'02)

第4回日本ファンタジー・ノベル大賞を『昔、火星のあった場所』にて受賞してデビューした北野氏。とはいえあまり表舞台には出てこられなかった。そんな氏の出世作となったのが'01年に発表し、第22回日本SF大賞を受賞した『かめくん』である。本書はアマチュア時代に北野氏が原型を編み出した作品が何度も変転の末にまとめられた思い入れ深い世界をまとめた連作長編なのだという。

梗概を記そうと思うのだが非常に難しい。ある選択肢を経て到達した未来の日本。それとも誰かの頭のなかにかたち取られた脳内世界。パラドキシカルな別世界。なんとでも解釈できる不思議な世界。北野氏の別作品とも繋がっている部分もありそうだし、ひとことでいえば二十世紀的ノスタルジーの記憶を詰め込んだ北野的未来世界。なので、本書におけるキーワードと、その個々の作品名を列記するに留めておく。それでも後でそれを読めば恐らく私自身、いつでも物語を思い出せるような気がするし。――あたま山、人口知熊、アメフラシ、火星、田宮麻子、人工神経束、記憶、戦争、倉庫、脳ミソ、異星人、海馬、ゲーム、爆心地、他人の記憶、そして、思い出。大切な。
『百貨店の屋上で待っていた子供の話』『熊のぬいぐるみを着た作業員の話』『火星に雨を降らせようとした女の話』『逃げた脳ミソを追いかけた飼育係の話』『ズルイやりかたで手に入れた息子の話』『本当は落語家になりたかった研究員の話』『異星人に会社を乗っ取られた社長の話』『大きなつづらを持って帰った同僚の話』『あたま山にたどり着けなかった熊の話』『溝のなかに落ちていたヒトの話』

絶対に経験したことのない、でもどこかで経験したことのあるような、やっぱり知らない世界のおはなし
例えば、自分自身(そう、貴方も)を振り返って幼い頃の記憶、いやたった数年前の記憶を振り返ってみたときに、交わした会話やその場所の詳細や誰がいてその日どんなことがあったのか、全てのディテールを完璧に記憶していることはまずない。逆にいえば、一ヶ月前に食べた朝ご飯などまず覚えていないように、記憶はインパクトのある事柄を残して少しずつ薄れていくもの。その薄れつつある記憶を思い出そうとする時、その輪郭は曖昧になり、他の記憶と混同されて、どこかあやふやな感覚を感じるもの。

本作「どーなつ」はどこかその知らない間に忘れかかった記憶にどこか似た作品である。

本来的に追求して本書を読むならば、自分が自分で無くなってしまうことに対する恐怖であるとか、そこここに存在する恐らく深い伏線が巡らされたSF的ガジェットであるとか、SFレーベルから出た真っ向からの、でもちょっとのんびりしたSF作品としての感じ方があるのではないか――と思う。だが、私がSF者ではないという理由だけではないだろう、どこかのんびりと深く考えずに脳内に忍び込むノスタルジックなエピソードの固まりをそれぞれ、拾い読みするように楽しんだ。 いつの間にか、世界をたゆたうような感覚に浸り……ただ、それ自体どこか茫洋としてつかみ所がない世界ではあり、決して「快」ばかりでもないのだが。ただ、断片を拾い読みしているうちに世界が繋がっていく感覚はどこかクセになる気がする。
恐らく一九七〇年代の古き大阪がベースとなっているのだとは思うのだが、あくまでそれをベースに沈め、その上に独特の北野世界をうち立てている。世界の構築だけならば、SFを指向する作家が当然すべきことだと思うのだが、その下にあるノスタルジックな世界をどこか読者に共有させる手腕が北野作品のポイントといえるのではないだろうか。

北野勇作という作家に関しては、WEB上に小生のものよりも遙かに有用な書評・感想が横溢しております。そちらをいろいろと検索してみることで「北野勇作」像もまた、その世界観同様に朧気に浮かんでくるのではないでしょうか。実際のところがどうなのか分からないものの、最近のSF作家のなかでは特にネットによる口コミ拡散が大きかったのではないかとも。


03/03/04
斎藤 栄「奥の細道殺人事件」(集英社文庫'77)

乱歩賞作家にしてデビュー直後から現在に至るまで書きまくり、大量の作品をものにしてきた斎藤氏。今やタロット日美子シリーズの作家ではあるが、初期のノンシリーズ作品にはそれなりの傑作が揃っている(といわれている)。本書もごく初期に発表された長編ではあるが、未だに斎藤氏の代表作に数えられることもある作品。

松尾芭蕉を研究テーマにしている大学講師の三浦八郎。彼は芭蕉=忍者説を唱えており、近くその傍証となる有力資料を入手する手はずを整えていた。その裏付けのために奥の細道を行く計画を立てていた三浦の元に悲報が届く。家の近くの川で遊んでいた五歳の息子が橋で遊んでいたところ、近くの工場の排水同士が化学反応を起こして発生した毒ガスによって死亡してしまうのだ。元から身体の弱い妻もショックを受けて倒れ、更にその原因を作った日本重化学工業の工場長、田辺の暴言によって精神的に追い込まれ自殺してしまう。田辺の周辺には若い愛人と、それが原因で別居している妻、そして彼の贈賄によって窮地に立たされつつある役人などがおり、その贈賄の噂を嗅ぎ付けた愛人の元恋人のチンピラが恐喝者となって彼を脅していた。その田辺は、遊びに来ていた捜査一課の刑事と監察医によって、相模湖にて他殺死体と成り果てた姿で発見される。即刻。その場で死亡時刻の推定がなされ、当然のように三浦が疑われるが、その時期に三浦は奥の細道研究旅行に旅立っており、アリバイが成立した。しかしその三浦は犯行を認める遺書と、自らの研究ノートを遺して自殺してしまう。被疑者はハッキリしているのに、実行方法が分からないという奇妙な状況におかれた警察は、その奥の細道研究行の再現を行って三浦の計画を看破しようと目論む……。

次々と訪れる物語の裏切り。公害というテーマ性と犯則すれすれの意外性が凄い
一つの作品に盛り込もうとするテーマが尋常な数でない。冒頭から「松尾芭蕉=忍者」という学術的には異端とされる一説を取り上げたかと思うと、かなり重い社会派的主題である公害のテーマを盛り込む。芭蕉の方は遺されたノートの暗号解読、公害テーマの方は、意外な偶然による死、役人と業界、それに公害を垂れ流す当事者との癒着などに切り込んでいく。そして更にその間接的ながら最大の加害者の死、更に犯人の自殺といった経過を経て、最終的に奇妙なアリバイ崩し、そして真の犯人探しへと物語の焦点が移っていくのだ。 本作を素直に凄いと思わせられるのは、その一連の流れが実にスムースで、これだけのテーマがありながらリーダビリティが非常に高いこと。更に作品内に取り込んだいずれのテーマにもきっちりと収穫を与えつつ、中心となるアリバイトリックの構図、そしてあるまた別のテーマのフーダニットに至り、純粋にミステリの骨格を抜き出しても非常にしっかりしていることが挙げられるだろう。特に、最後の最後にて明かされる裏で糸を引いていたという人物には、確かに反則すれすれの意外性があるが、事件のプロットをしっかりと見据えて突き詰めていくと確かにここにしか落とせないところである。強引なようでいて実に巧みな作品であり、ストーリー+トリックという斎藤氏の創作姿勢が強く打ち出されているといえよう。
三浦の残したノートの暗号を解読する場面などは、考え込まれている割に今ひとつ強引な感もあるが、芭蕉=忍者説の更に突っ込んだ考え方と、作品内にて行われた殺人計画の奇妙なリンクを考えると、全く異なるテーマをミステリにして二重奏にしているという作者の意図もまた見えてくるというもの。まだ駆け出しの段階で執筆された初期作品にして既にベテラン作家のような渋みをもまた備えている。

斎藤栄という作家というよりも、その発表年代ならではのミステリといった印象もある。だが、初期作品らしい勢いと、その作者の意図、そしてもたらされる感興など、なかなかに侮りがたい。多数のミステリを著せるという事実はやはりそれだけのアイデアの引き出しを持つということ。その才能を惜しげなく投入される初期作品は、特に量産作家においては傑作の宝庫である点を改めて感じさせてもらった次第。


03/03/03
藤木靖子「隣りの人たち」(東都ミステリー'61)

藤木さんは'60年第1回宝石賞にて短編『女と子供』が入選してデビュー。本書が書き下ろしの初長編となる。この後『危ない恋人』という長編を刊行するものの、後に活躍場所をジュニア小説に移した。鮎川哲也氏の作品に名前が登場する女性作家……という方が今となっては有名かもしれない。

会社で働くまち子は、普通の一軒家にいくつもの家族が同居する下宿の三畳の貸間に住んでいた。彼女はその家に住む山本一家、特に山本夫人に腹を立てることしきりである。夫と息子が働きに出て稼ぎが多いと自慢の山本夫人が、他の下宿人に対して発する自慢や嫌み、陰口に我慢がならないのだ。その下宿には八百屋で働く正ちゃん、新婚の杉野夫妻、更に離れには会社に入り立ての辻原と、学生時代から彼を援助してきた内縁の妻、芙美恵が住んでいるが、山本夫人には皆辟易としていた。襖一枚で仕切られプライベートのない下宿では、ちょくちょく買い置きの野菜や調味料が無くなる事件が発生していたが、七月、遂に山本家の一ヶ月分の給料が真っ昼間、そっくり盗まれてしまい大騒動になる。外からの侵入は考えられず、不自然な形で下宿に戻ってきていた正ちゃんが疑われ、山本夫人など全く彼女を犯人扱い。正ちゃんは山本家の息子に気があり、様子を見に来ていたのだったが、そんなことは人に言えない。その晩、自分の無実をまち子に訴えた彼女は、翌朝、川から死体となって発見される。自殺とみられたが、正ちゃんをけしかけたまち子は、この事件に不自然な点があることに気付く。そして段々と下宿の雰囲気、そして人間関係は悪くなり、遂に第二の事件が発生する。

貸間という戦後の庶民生活文化が奏でる、残酷な人間関係から発するユーモアとペーソス
今や日本国内に「貸間」の形で人を住まわせる下宿屋はほとんど残っていないのではないか。私自身、本書の舞台背景そのものがどこかカルチャーショックに近いものを感じた。一軒の家の全体で、部屋ごとに全く他人の家族が暮らす生活。浸食されるプライバシー、生活が丸裸になり、秘密など保てるものではない……。現代人からすると恐怖に近いだろうこの環境、しかし、こういった生活そのものをわざわざ作者は憎んだり蔑んだりしようとする意図があるわけではない。なので、淡淡と描かれる生活には、後世の我々からすると不思議な興味が湧く。現代的な視点からすれば、この描かれている日常そのものが不思議な舞台となってしまうギャップが一つ見どころだろう。捕物帖の世界が現代ミステリと融合したかのような感覚があるのだ。
ただ、その特殊な舞台だけでなく、本書はミステリとしての体裁がしっかりと出来ている。(本格パズラーとは言い難い面が強いが) 日常の盗難事件、自殺、そして密室でのガス中毒事件。前半、どこか行き当たりばったりに進んでいたかのような物語が、独特の迫力をもって迫ってくる。その迫力も生活に密接しているだけにどこか赤裸々であり、明々白々のように思えるのだが……。恐らく、薄い壁一枚隣で発生する事件は、他人事といえど我が家で発生しているのに近いからなのか。
素人女探偵の推理によって、そんな家に起きたいくつもの事件の謎が明かされる。この下宿屋という舞台を、事件は飲み込み、その舞台や時代を維持していた人間関係を崩壊させていく。価値観だとか、(この時代の)常識だとか。 最終的に明かされる企みに満ちた計画とその結末に、いいようのない哀しさと驚きとがないまぜになった気分にさせられることになるのだ。この時代ならではの人間関係の価値観、そしてそれに縛られる哀しさ。かなり終盤の展開が強引であり、正直、ミステリとしての出来が非常に良いとは言い難いのだが、この作品にしか出せない独特の魅力が強く発された作品だといえよう。

この東都ミステリー版でしか刊行されておらず、ただそれでも古書マニアを中心に所持している人だけはそこそこいそうな気もするのだが。戦後の日本の高度経済成長が国民全てに行き渡るほんの少し前、昭和の中期ならではの貸間諧謔ミステリ。 この日常の舞台を活かし、この舞台、そして時代ならではの事件を描く。仁木悦子さんとはまた別の意味で、彼女の作風は面白い存在であったのではないだろうか。


03/03/02
海渡英祐「喰い違った結末」(光文社文庫'88)

海渡氏が'68年から'84年にかけて雑誌発表した短編作品を再編集した文庫オリジナル作品集。一部の作品は既に他の短編集に収録されているものもあるが、本書でしか読めない作品が圧倒的に多く(当時のモノサシとしてだが)新作と考えても良いのではないだろうか。

若手弁護士のもとに届いた探偵からの調査報告書。彼の長年の恋人がその調査対象だったが男にそんな依頼をした覚えはない。彼に思いを寄せる秘書の策略か、彼女に惚れた男の仕業か。 『多面体のあなた』
会社を辞職した男が女子社員を人質にトイレに立て籠もった。男は会社の謝罪と妻の浮気相手を引き渡すように要求するが……。 『臭い仲』
会社の金を使い込み女子社員と浮気をする男が、妻をラブホテルに誘って殺害、浮気相手はライバル社員をホテルに誘い妻の相手役とさせるという計画を立てる。 『演技の報酬』
現状を変えることを面倒くさがる男。同族会社に勤務しながらうだつがあがらないが、妻の不在時に何度か死に直結するような目に遭いながら幸運にも助かった経験があった。 『幸運な男』
同僚の弁護士に振られてヤケになった私は行きずりの男に声を掛けられホテルへ……。目が覚めると声を掛けてきた人物と別人が横にいる。しかも他殺死体で。 『もう一人のわたし』
女にだらしない義兄の妻から電話。よりによって彼はその妻の妹とコトに及んでいる最中に腹上死したのだという。自宅で死んだことに偽装を手伝う男だったが……。 『恥さらしな死』
年の離れた若い妻と再婚した実業家。とはいえ若い妻は家にじっとしていない。浮気を疑うが決定的な証拠はないまま男は悩みを深くする。 『つかめない尻尾』
医者の養子に入ったものの、疑り深い上にレズビアンの妻に虐げられる夫。彼は一計を案じ、彼女が訴える病状に対して思わせぶりな発言を繰り返す。 『喰い違った結末』 以上八編。

ひねった状況とひねった結末。読者の予想とどこまで「喰い違う」ことができるか
本作収録の短編は、基本的に男と女の機微をベースとしている。妻に飽きた夫、夫を捨てたい妻……だけならば、潜在的に世間にそれなりに存在しているのだろうけれど、本書に登場する人物たちはその気持ちが長じた結果、実際に突飛な犯行計画を立て、そして実行してしまう。 ある意味、その過程自体はミステリ、特にある時期の通俗ミステリ短編としては王道の方式なのであるが、海渡氏は単純にその機微だけを描くに留まらない。同時に彼らの犯行計画が実に狡猾、そして突飛、さらに念入りなのが特徴なのだ。名探偵が登場するとも限らず、そこから導かれる結末はさまざまながら、共通しているのはその計画性の面白みだろう。
犯人が仕掛けるプロパビリティの犯罪を逆手に取った皮肉な結末が楽しい『幸運な男』。腹上死という突飛な事態をミスリーディングに使う妻の狡猾さと、それを見破る男、さらに見破った後の切れの目立つ『恥さらしな死』……。人間の「疑い」を引き出す巧妙さをうまく利用、その結果が正反対となっている『多面体のあなた』と『つかめない尻尾』。いや、個々に取り上げていってもどれもこれも何らかのスパイスが利いており、小粒でもピリリと辛いアイデアが必ず存在するのが楽しい。
結局のところ、言い古されたレトリックになるが手品師が観客を瞞すテクニックが、本書でもうまく使われているという印象。右手で行われる演技に注目しているうちに、実は左手でそのネタが仕込まれてしまっている。なるほど、こう来るか! その結末は最後の最後まで目が離せない。オーソドックスな短編ミステリの楽しみが、そのまま海渡ミステリの楽しみへと繋がる。
本書の題名となった表題作品『喰い違った結末』は講談社『小説現代』の'83年7月号の企画で、女性同士の心中事件を報じた架空の新聞記事をベースとした短編競作『江ノ島心中・同一記事挑戦競作ベスト5』の海渡英祐版。他、岡嶋二人、石沢英太郎、佐野洋、都筑道夫といった作家が挑戦している。岡嶋二人による同作は、単行本未収録となっていたが、現在はe-NOVELSにて読むことが出来る。

アンチャを継続的に御覧になっている方ならお気づきの通り、現在私、ちょっと海渡作品に嵌っている。 都筑道夫や多岐川恭に初めてであった時の「どきどき」をこの作家もまた感じさせてくれるのだ。一部作品を除くと現在あまり評価がされていない作家だけに、全く白紙の状態で臨むと実にスリリングな楽しみを味わわせてくれるのだ。


03/03/01
北村薫・宮部みゆき(選)「推理短編六佳撰」(創元推理文庫'95)

'95年、前年に『あきらめのよい相談者』剣持鷹士という受賞者を出してスタートした創元推理短編賞は第二回目を迎え、非常にハイレベルの争いとなった。ところが北村薫・宮部みゆき・戸川安宣の三名による最終審査の結果は「該当者なし」。レベルは高いが帯に短し襷に長しで、一作「これ!」というのに絞りきれなかったのがその真相。その最終候補作品のなかでも最も高いレベルを持っていた六作品をまとめて一冊とし、その作品のどこが良く、どこが弱かったのか作品についての選評と対談による解説がついたというもの。考えようによっては「平成の短編推理小説作法」としての側面をも持つ一冊。

「よろず相談いたします。料金無料ただし謝礼有り」こんな広告にひかれて出向いた売れない推理作家はその和尚に思わず相談事を。 遠田緩『萬相談百善和尚』
勤め先からリストラされた男が幼なじみが経営する居酒屋で聞いた近所で発掘された発掘死体の話。幼い頃に体験したある出来事が蘇る……。 釣巻礼公『崖の記憶』
親父が残した十億円の遺産。奇妙な遺言はパズルを解けというもの。頭脳派の三兄弟はこの奇妙な条件にどのように挑む? 永多正夢『試しの遺言』
友人の画家の展示を見に行って知り合った高名な日本画家の妻。彼女の妖しい魅力に囚われて秘密の関係を持った男は彼女の夫の個展に出向く。 永井するみ『瑠璃光寺』
近所の知り合いの豪邸の密室で老人が殺された。少年探偵団を名乗る僕たちは推理に奔走するが名探偵役の月岡君の様子がおかしい。 那伽井聖『憧れの少年探偵団』
象が空を飛ぶカップ麺の予告CM。そのフィルムを制作した会社に届いた倒錯疑惑の脅迫状。心配性の男が気に病んで居酒屋の仲間に相談する。 植松二郎『象の手紙』 以上六編。

刊行当時より、今、敢えてこの短編集を読むのが面白い……かも。
内容に触れる前に、この作品が刊行されてから七年少し経過した2003年の現在、この時の創元推理短編賞を振り返ってみる。まず、本作収録の六人のうち、その後に賞を獲得してミステリの長編で実際にデビューしたのは永井するみ、釣巻礼公の両氏。そして調べてみたところ残りの四人のうち、植松二郎氏は児童書、遠田緩さんはヤングアダルトにてその後著作をものにしている。 また、予選通過作品で最終候補となった作品の作者として伊井圭氏の名前があるし、一次予選通過者のなかには西澤保彦三津田信三氏らの名前がみえる。ここには光文社の「本格推理」あたりにみかけた作家もぞろぞろと。本編の那伽井聖氏がそうだし、砂山マモル、進見達生氏らがそう。(もしかすると他にも現在とは別の筆名で応募していた作家がいるかもしれない)。……とまあ、実力のある将来の作家の見習い期間中(失礼な言い方だが)ぶつかり合ったのがこの回の短編賞だった、という見方も出来よう。

さて、中身の方だが読んでいる間は確かに多少の引っかかりは覚えるものの「お、なかなかじゃない」といった印象。名のある作家の短編集に潜り込んでいたとしても誰も文句は付けられない出来だと感じる。しかし、やはり短編で賞を獲得するためには、個性以上に完璧さをもまた求められるのだな……ということを改めて感じた次第。そして勿論、それに加えてどこか光る部分が何某かあるのだ。『瑠璃光寺』の文章、『憧れの少年探偵団』の乱歩作品解釈、『試しの遺言』の推理に徹底する姿勢、『崖の記憶』の甘さと苦さの混じるノスタルジー、そして『象の手紙』の独特の映像感覚。一方でちょっとずつ不満があるといえばある。バランスであるとか、構成であるとか。特に『崖の記憶』の展開なんて私個人のツボなんだけど、ラストで「ありゃ」と思ってしまったところを、そのまま北村氏が指摘していた。つまりはそういうことなのだ。お二人の指摘は厳しい。そこまで気にしなくても……と思える発言もあるが、これは私というフィルターを通した考え方であって、宮部みゆきや北村薫といった作家であり「読み巧者」である人は、もっと普遍的で、かついろいろな特殊読者の感情をも把握したうえで指摘しているのだろう。結局それは全て的を得た言葉なのだ。

もしミステリ作家を志す人がいて、長編は大変だけど短編ならアイデアさえあれば書ける……とか考えているのであれば、本作を取り敢えず手に取ってみると良い。短編には短編ならではの難しさがある。創作する側には、読むという行為で消費するのとは別の観点があるということが感じられるはず。 そしてその読むだけの人にとっては、特定作家を追うだけでは味わえない「煌めき」を本書から感じ取るのが吉。結構いい感じなので、有名作家の駄作なんかより遙かに読む価値のある作品が揃っている。