MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/03/20
西澤保彦「リドル・ロマンス 迷宮浪漫」(集英社'03)

「小説すばる」誌に'98年より'02年にかけて発表された不思議な世界への案内人”ハーレクイン”が登場するシリーズがまとめられた短編集。ハーレクインとは「道化」の意で、いわゆる成人女性向けハーレクインロマンスシリーズとはちと違う(が厳密に異なるとも言い難い部分もある)。

高層ビルに構えられたオフィス。黒ずくめの服装をした長身痩躯、国籍不明で彫りの深い顔立ち。なんでも望みを叶えてくれる――人々はその噂を誰からか聞きつけ、その場所を訪れる。だが、誰から聞いたのかどうやってそこを訪れたのか、オフィスに入ると忘れてしまっている――。それがハーレクイン。人々の記憶の真実を嘘を、過去の記憶と未来の記憶を自由に操る男。
結婚式当日になって別カップルの花婿・花嫁が手に手を取って逃げ出した。そして置き去りにされた花嫁は残された花婿と結婚……神崎理恵は、元もと結婚するはずだった袴田浩平と改めて結婚したいと望んだ。 『トランス・ウーマン』
妄想癖に囚われることがあるという主婦、菱伊小百合。彼女の夫が殺害される事件が発生したが、彼女は自分自身が夫を殺したのかそうでないかが分からない。おまけに別の人物が夫の殺害を自首。果たして一体何が……。 『イリュージョン・レイディ』
マルチ文化人と結婚した元タレントの油又霧絵。結婚前の抜群のプロポーションを誇っていたが体重が倍になり夫に捨てられるのではと恐れている。そしてその夫に対しても前妻殺しの疑惑を抱えていた……。 『マティエリアル・ガール』
撫河咲と播万悠有紀は同性ながら深く愛し合っていた。隠れ蓑として偽装結婚をして一緒に暮らそうと画策していた彼女らだったがその相手の男性が殺される。撫河咲は、悠有紀を愛していたという記憶そのものを喪って……。 『イマジナリイ・ブライド』
日柳幸太は矢袋暖実という彼女と交際していたが、それから苛めに合い、同級生に集団暴行されて死んだ。暖実のことを密かに案ずる田南裕司は彼を生き返らせて欲しいと願うのだが……。 『アモルファス・ドーター』
七十に手が届こうかという女性、冠城久仁子はそれなりの満ち足りた人生を送っていた。だが高校のある時に戻って、後に作家となった同級生、直栄と交際していたらどういう人生を歩んだかを知りたいという……。 『クロッシング・ミストレス』
浮里千津子は四つ年下の妹が人の心が読め、かつ時々発作的に自殺することを気に病んでいた。母親の違う姉妹で性格が合うとはいえないながら、姉が酔って帰ってくると妹は必ず自殺騒ぎを引き起こすのだという……。 『スーサイダル・シスター』
会社の同僚と同時期に結婚した智と結花。結花はこともあろうに智の中学生の息子と共に焼死してしまう。結花の一家は離散するが一人暮らしの智のもとに結花の息子が現れて彼女の世話をしてくれる。果たして彼は何が目的なのか……。 『アウト・オブ・ウーマン』 以上八編。

人間に都合良くできた「記憶」は角度を変えると強烈なミステリとなる……
世には心理カウンセラーと呼ばれる職業の人々が存在する。彼らの仕事もまた探偵のそれとよく似ているといわれる。患者の話をよく聞き、対話し、リラックスさせて心に溜まった澱(おり)の原因を求め、そしてそれを静かに取り除いてやる。(実際はそう簡単なものではないだろうが) とはいっても、人間たるもの、生きている限りはストレスが発生し、心の澱はそこらを歩いている人全員に、いや世界中全ての人に何らかのかたちで溜まっているということ。そして、人間には「記憶する」という能力があり、その記憶がまた、実にいい加減でそれでいて人に都合良く出来ている……ということ。そこをぐさぐさと西澤氏は突く。前置きが長くなったが、その「自己に都合良く改変された記憶」に様々な角度から切り込み、しかもそれを不思議なミステリ仕立てに仕上げたのが本作だといえよう。
ハーレクインという名の、記憶を操る優しくも妖しいカウンセラー。全知全能というわけだはないが、彼は相談にやって来た人の記憶を操ることができる。題名そのものや、一見したところの話の流れだけを捉えると、確かにいわゆる「ハーレクインロマンス」を想起させる部分もなくはない。そもそも主人公の外見がホスト(?)っぽいところや、特に第一作あたりでの女性に対する物腰などは、もしかすると作者もたぶんにそのような存在を意識していた可能性もある。ただ、作品数を重ねるにつれ、その本質が徐々に浮かび上がる仕掛け。つまりは、被験者が意識せずとも忘れていたこと、被験者が気付かない自らの奥底に眠らせたままの感情、欲望、衝動といった思いを、話を聞くことで引き出して行くという作業を彼は行っていくのだ。その結果、実際にあったこと、実際には起きなかったけれど起こりえたこと、被験者が見なかったこと、見えなくしていること……等々を浮かび上がらせていく。そのドラマ性がまず素晴らしい。
逆にミステリとして、特に本格パズラーとしての要素は多少薄くなる。もともとが「ねじまがった記憶」がその素材となっているがゆえに、「実際に何が起きているのか」「何がこれから起きるのか」という点に関して何でもありになってしまうから。ただ、その何でもあり状態が逆に「人の心の奥に潜む闇」を浮かび上がらせる効果となり、強烈なインパクトを読者に放出している。そのインパクトを予感する際に感じさせられるのはサスペンス感覚であり、広義のミステリー感覚でもある。一つ一つの物語において「心の鎧」が解き放たれ、人間の醜さ、人間の弱さが読者の前にさらけ出される。それを眺めるこちらの感覚はもしかすると「覗視」の隠微な喜びにもしかすると近いのかもしれない。

これまでも西澤氏は、その作品において「悪意を持った人間」を描くことに長けてきた。その悪意の源……といった感覚を突き詰めていくと本作にてハーレクインに登場する人物たちが持つ「弱さ」に繋がっていくのではないか。改悛……というのとは少し異なるが、その弱い人間が必死で纏っている鎧を解き放つことによる救済。優しいようでいてどこか恐ろしいこの手腕は、カルト宗教の教祖たちの遣り口にも似て、何となく背筋が寒くなってくる。西澤氏らしい人間観察が意外なかたちで結実した、これまであまり例をみない不思議なミステリである。


03/03/19
尾崎諒馬「思案せり我が暗号」(カドカワエンタテインメント'98)

第18回横溝正史賞佳作受賞の作品で、後に『ブラインド・フォールド』等を刊行した尾崎氏のデビュー作品にあたる。

ワルツ『思案せり我が暗号』。妻・良美との新婚旅行から戻った鹿野は、いきなり幼なじみにして親友だった尾崎凌駕の死の連絡を受ける。自殺したらしい。慌てて葬儀場に駆けつけた鹿野は尾崎の母親から彼宛に遺されているという遺書を受け取る。それには「思案せり我が暗号」と題された楽譜が入っていた。これは尾崎の遺した秘密のメッセージ。信じて疑わないミステリーマニアの鹿野は尾崎の死をそっちのけで暗号の解読を開始する。一方、尾崎の自殺の報を受けてから良美の様子がどこかおかしいことに鹿野は気付くが対して気に留めない。尾崎は紆余曲折の末、様々な資料を買い込んで暗号を解き明かす。そしてその遺されたメッセージの真の意味とは。   ――一方、現実の鹿野は性格が作中とは全く異なる人物。井留慢馬という名で執筆されたワルツ『思案せり我が暗号』に隠された秘密を知るため、、現実に存在する天才、尾崎凌駕にその小説「小説『思案せり我が暗号』を読ませる。彼は暗号の歴史や、パソコンに関する蘊蓄をこの方面に疎い鹿野に説明しながらも、未完となっているその暗号を解き明かした。

誰でもできそうでエンタメに昇華させるのは難しい……暗号ミステリ二十世紀最後の傑作
今時、暗号ミステリなんて古臭い……と、暗号を冠されている題名を書店で最初に見たときにスルーして、今に至っている作品、の筈だったが『本格ミステリ・クロニクル300』の補遺を兼ねて改めて入手して読了してその考えを少し改めた。もともと暗号ミステリとの相性は私自身あまり良くないのだが、本書は、まず暗号が凄い、いや凄まじい。冒頭に示される、ほんの一頁に収まる五線譜、ここにこれだけのメッセージが込められているとは。 私自身、「楽譜」が苦手なのではじめから暗号内容の推理を放棄して読んだにも関わらず、「どうだ!」とばかりにこれだけ何重にも含みのあるメッセージが次々現れる点、それだけでも新たな発見をしたような気分となる。正直、巷に流布するミステリ作品における暗号は「作者が恣意的に作成した」→「その作者の意図を受けた探偵が解決」という当たり前の構図が気になって、推理という意味では今ひとつ、といったケースが多い。本書の場合もミステリである以上、その意味合いは当てはまるのだが、その「こねくりまわし」方が半端じゃないが故、暗号解きの「過程」よりも「暗号そのもの」のものすごさに胸を打たれてしまった。
また、本書は作中作(と言い切れないだけのもろもろの仕掛けが作品内にはあるのだが)に「暗号を解く」という行為そのものが持つ後ろめたさといった感情をうまく配しており、さまざまな仕掛けが凝らしてある。こちらは人によっては感心する場合もあろうが、私としてはひねりすぎていてちょっと「?」と思う部分もあった。これ以上はないストレートな暗号ミステリのはずが、別の要素を加えてしまったがために総体としてひねくれたミステリとなってしまっている印象も。

恐らくこのサイトは作者御本人によるもの。そしてそのなかに本作最大のポイントである暗号楽譜を実際に見ることが出来る。果たして、この楽譜からどれだけ意味を汲み取ることができるか。ちょっと凄いよ、これは。


03/03/18
北村 薫「街の灯」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'03)

文藝春秋社の80周年記念といわゆる「新本格ミステリ」の十五周年を記念して刊行された「本格ミステリ・マスターズ」。本書はその第三弾で北村氏のみの単独刊行。書き下ろしではなく、'02年に『別冊 文藝春秋』誌に掲載された中編がまとめられたシリーズ作品集。

昭和八年。宮様や侯爵、子爵などいわゆる上流階級の子が女通う都内の女子校。社長令嬢である花村英子もまたその学校に通っていた。長年、父親が使っていた運転手が田舎に帰ることになり、英子を車で送り迎えしていた運転手が交代することになる。父が雇ったのは凛とした女性運転手で名前は別宮。聡明で知的、そして武芸をもこなす彼女のことを、英子は直前に読んでいた本の女性主人公の名前から、ベッキーさんと呼んだ。英子は新聞で読んだ早稲田界隈での同じアパートから同日に出た変死事件に興味を持ち、ベッキーさんの助けを借りて推理を開始する。 『虚栄の市』
英子の兄の雅吉が、友人からの暗号通信に悩んでいた。送られてくる四つの品物をみて、そこに隠された暗号を解かなければならないのだという。一方、英子はベッキーさんと共に、友人で大名の末、桐原道子邸へと向かう。軍人である道子の兄が、ベッキーさんに興味を抱いて……。 『銀座八丁』
避暑のために軽井沢に滞在する花村一家。英子は道子から、兄の友人でサキソフォンの名人という由里岡という青年と引き合わされる。英子は道子の婚約者である瓜生邸に活動写真を見に出向くことになり、奇妙な招かれ方をした二度目の訪問で瓜生家の家庭教師の死に立ち会ってしまう。 『街の灯』 以上三編。

お嬢さま系安楽椅子探偵の定番にして、この世界の安定感。北村薫ならではの仕事
北村薫氏のいわゆる「お嬢さま」路線。このラインによって創造される人物は世俗の汚れを知らない純粋無垢のそれでいて天然のお嬢さま。(文学に詳しい以上はどろどろした情念といった事柄は頭の中で経験なすっている筈なんだが……) 最初は円紫+私のシリーズ、続いては覆面作家シリーズ。その片鱗は時の三部作の主人公たちにも見え隠れしながら、遂に昭和初期のお嬢さまがお嬢さまのままでいられた時代へと、本人的感覚は変わらずとも舞台の方を大がかりに移してきたのが本シリーズということになるのではないか。いわゆる「日常の謎」に近い系列の謎を扱いながら、実は少しだけ「リアリティ」と遊離した主人公を設定することによる不思議な感覚。本来的な意味で用いられる「日常の謎」とは異なる、「日常の隣の謎」とでも呼びたくなる世界感覚が北村ミステリには横溢している
とはいっても北村氏のミステリにかけるこだわりは単にお嬢さまを出したところで満足するものではない。本書における企みは、日常の謎、そして最初から謎として作られた謎、そして事件性のある非日常の謎といった様々な階層の「謎」が一つ一つの作品にて溶け合って独特の叙情をも醸し出すことにあるだろう。またもう一つ、主人公の”わたし”こと英子と、”ベッキーさん”こと女性運転手の別宮とのW探偵役といった構成上の工夫もまた面白い。わたしとベッキーさんが安楽椅子探偵役と、その調査役のような役割を(特に当時の世情を踏まえた)身分の上下関係なくお互いに敬意をもってこなしていくさまは、どこか微笑ましくそれでいて斬新。小説としてのテクニックというか、物語構成を壊さないような配慮というか、北村氏の「小説巧者」ぶりが遺憾なく発揮されているといえる。また謎を解いた後に名探偵に意気軒昂な気分だけでなく、ふっと「その後に対する疑問」を抱かせるあたりの目配りには北村氏らしいさりげない配慮が込められているように感じられた。
個別に謎を眺めるに、安楽椅子的な探偵役の割に、伏線を凝らしたプロットのミステリというような趣がある。印象に特に残るのは「江戸川乱歩を読み過ぎた男」といった副題が似合いそうな『虚栄の市』が私のツボだが、北村流の暗号が時代感覚とベストマッチを生み出す『銀座八丁』、活動写真の当時ならではのメカニズムを綺麗に応用した『街の灯』共々物語とトリックとが溶け合っていて印象は深い。

これまでの北村ミステリの延長にしてそれなりの成果。斬新さは薄れるものの、作品の安定度は相変わらず高い。ところどころに「はっ」とさせられる描写がある文章そのものの柔らかさにも注目しておきたい。恐らく将来の文庫化まで含め、長い目で多くの読者に読まれていく作品になるだろう。


03/03/17
多岐川恭「仮面と衣装」(浪速書房'61)

乱歩賞作家、多岐川恭の初期長編の一つ。本書が刊行された翌年には講談社ロマンブックスにて再度刊行されている。

地方の港湾小都市、南浦市にて警察番をしている新聞記者、番匠谷人志。この地に勤務してから一年以上になるが文章が下手でチャンスに弱い彼はスクープらしいスクープもなく、デスクからは無能呼ばわりされている。ある風の強い夜、いつものように警察に赴いた番匠谷は、顔見知りの井手刑事から市内のパチンコ店で起きた小さな事件のことを聞く。店で働いていた若い女性が便所で子供を産み落として死なせたというのだ。興味を持った番匠谷はそのパチンコ屋「クイーン」を訪れ話を聞こうとするがその女性、松子は彼とは一言も口を利かない。松子の兄貴分を自認する小湊という店員から口止めを頼まれた番匠谷だったが、市内の歓楽街の顔であり、クイーンのオーナーである大里の関与を予感、本社にこの事件を小さくても記事にするように頼む。記事になった事件から小湊は暴力団から暴行を受け、彼女の父親は自分であることを告白する。大里から度を過ぎた歓待を受けて間接的に記事を大きくしないよう依頼される番匠谷は、大里が執心していた芸者つた代と共に行動、松子に惚れていたという暴力団の幹部、山野との会見に成功する。しかしその頃、松子はクイーンの二階で首を縊って死んでしまっていた。警察の見解は自殺だったが、番匠谷は他殺を疑って関係者のアリバイを確認して回る。

自らの信念・正義を持つ男たちの、シニカルでニヒルな不思議な戦いぶり
またまた多岐川流のハードボイルド世界が展開される作品。 主人公となる新聞記者は出世欲も、その他の欲望(性欲や金銭欲)も感じさせず、人生というものを中年にして達観したかのような人物。なんというかこの「世俗からの遊離感覚」というのは多岐川恭の長編作品には特有のもので、主人公の名前や職業が変じてもその信念のようなものは全ての作品に通底している。本作では他の登場人物、パチンコ屋の支配人からのし上がろうとする小湊にしろ、ヤクザとしての上昇気流を得ようと動く山野にしろ、暴力団組長や腹に一物を持つ市会議員ら、主要登場人物が皆、表面上は斜に構えて鷹揚な存在感を示すなか、似ているけれど番匠谷ひとり、最後の最後まで異質の存在として作品に君臨する。ほとんどハードボイルド、しかも他の登場人物の姿や関係性を考えると、国産ノワールの先駆けとさえも考えることが出来るのではないか。
ミステリとしては、いわゆるトリックとしては薄いものの、利権と上昇志向の絡みまくって次々発生する事件が面白い。ただ、元が連載小説だったせいなのか、事件の輪郭が序盤から終盤に至るまでぼんやりしてしまっているのはちょっと痛いところ。登場人物が多く、なかなか読者の頭のなかで(特に彼らの人間関係を)整理しづらいのは、私の理解不足もあろうが、作者の説明がうまくないという理由もあるように感じた。

作品としては、正直ミステリとしても物語としても傑作とは言い難い。却って、この作品から通じて得られる不思議な虚無感の方が印象深いくらいである。もしかすると作者自身、ミステリとしてよりも文学的なテイストを重視していた可能性もあるが……。寂れた港町の先のない勢力争い、本人が必死になるほどに滑稽な上昇志向など、ミステリとしての興趣よりも、遙かに作品の雰囲気の方が強く記憶に残る作品といえそうだ。


03/03/16
斎藤 肇「思い上がりのエピローグ」(講談社ノベルス'89)

'88年、講談社ノベルスにて『思い通りにエンドマーク』にてデビューを果たした斎藤肇氏。その後「思い」三部作として『思いがけないアンコール』が続いて刊行され、本書がその掉尾を飾る作品となる。ちなみに前二作まで後に講談社文庫に収録されたが、本書のみこの講談社ノベルス版しか存在しない。

「名探偵あるところに必ず事件がある」――名探偵・陣内龍二郎と”ぼく”こと大垣洋司はミステリ研の竹本と三人で鄙びた寒河原温泉に滞在していた。目当ては奇妙な屋敷のある深鞍家だったのだが……。夜にちょっと宿を抜け出した陣内先輩は、翌朝、探しに来たぼくの前に頭を殴られて水に巨体を浮かべて死体となっていた。彼が遺したダイイングメッセージは「タ・サ・ツ」と読めた。殺人事件発生に本気で張り切る竹本と、名探偵の死に目一杯消沈するぼく。そして同じ頃、深鞍家内部にて遺産相続に関する発表があるため、一族の孫が集結しているなか、奇妙な死体が発見されていた。刺殺された死体が穴のない服を着ていた、つまり死体が着替えをしていたというものだった。深鞍家の「ウソツキ」娘、美少女小学生の佳菜絵から事件の解決を依頼された、表向き名探偵のぼくは依頼を承諾。陣内先輩の事件と深鞍家の事件の謎を解き明かすことになる。ところがいきなり遺言を持ち込む筈の弁護士が、家の手前で他殺死体となって発見されてしまう。

「名探偵」ものの内包する矛盾と、そのお約束を逆手にとった実験的ミステリ
前二作品で真の意味で事件を解決してきた名探偵・陣内先輩の死という衝撃的な出だしから始まる本作、読み終わってみれば「なんで文庫化されなかったのか」という意味合いがなんとなく分かるような気がした。ちなみに本書の副題? に「新本格推理」と正々堂々銘打たれているのだが、当時としては(そして今でも)実験的に過ぎる試みが為されているのがその主たる要因だろう。
勝手に類推するに、名探偵はなぜ名探偵足りうるか――というテーマ、そして犯罪者はなぜ名探偵に必ず敗れるのかという命題を追求していった結果導き出される、いくつかのミステリ成立のために避けられないお約束が存在すると斎藤氏は作品内某所にて主張している。それを突き詰めていって、では犯罪者が名探偵に勝つためにはどうすれば良いか? という考えを押し通すと、いくつかタブーともいえる結論に達してしまう。それを実際に犯罪計画に利用したらどうなるか――。ここまで考えに考えた挙げ句、ようやく作品の構造を考え始めたのではないだろうか。ネタバレにはならないので敢えて挙げるが、その一つの条件が「名探偵の死」ということになる。この作者の実験的精神のため、探偵役の陣内は冒頭で殺されなければならなくなったのだ。その意味では作品には登場しない箇所にメタレベルの思想を持つ作品であり、その結果、通常のミステリとしてのエンターテインメント性までをも削って勝負したのが、恐らく本作ということになるのだろう。
ただ、シンプルにして最大の問題は、その実験が成功しているのかどうか、ちょっと心許ない部分が感じられること。そのことは実際、本書にいくつものエピローグ・あとがきが存在することも傍証になるのではないか。作者自身、本当にこれで良かったのか、と迷いながら結末を付けているように思われる。せっかく魅力あるものとなっている深鞍の事件も、結局のところその実験構造の犠牲となって、”ぼく”の推理が今ひとつ信用出来なくなってしまうのは明らかに弱点といえるのではないだろうか。

読み終わって「ある種の感銘」を確かに受けた。ただそれは謎が思わぬかたちで解かれ、事件を通じて新たな地平が見えたり、登場人物の幸福な将来を感じ取って受けるものではない。よくもまあこんなことを思いついたものだ……という評論家的感想、そしてそれを作品として実行してしまった勇気に対して、である。 「思い」三部作の前二つの作品を読了した方でなければ、本書のその真髄は感じ取りにくいのではないだろうか。


03/03/15
海渡英祐「無印の本命」(徳間文庫'83)

乱歩賞作家である海渡英祐氏はミステリだけでも多方面にわたるジャンルの作品を著しているが、その一つに競馬ミステリーというものがある。本書はそのジャンルのなかでは代表的なもので、海渡氏の競馬ミステリとして初の長編ということになる。

昭和四十一年、コレヒデによる秋の天皇賞より物語は始まる。三友商事に勤務する若手社員、伊崎は会社の先輩から手ほどきを受けた競馬の魅力に取り憑かれはじめていた。彼はガールフレンドの門脇礼子と共に東京競馬場を訪れていた。礼子は競馬は初めてで、会社の先輩の浜村が彼女になれなれしくするのを伊崎は苦々しく思うが、彼自身お堅いお嬢さまである礼子にそれほど入れあげている訳ではなかった。その翌日、一緒に飲みに行った浜村の言動から、実は礼子は隠していたが彼女が三友グループの役員の娘であることに伊崎は気付く。またその店で伊崎は元馬主だったが今は零落した老勝負師と出会い、その言葉に感銘を受ける。伊崎は翌週、京都に菊花賞を観に行くが、新幹線で隣席に座った笹野宏美という女性と知り合い、彼女と淀の京都競馬場に出向くことに。菊花賞を勝ったのはナスノコトブキ、二着にスピードシンボリ。馬券を大きく獲った宏美は伊崎と食事に同行し、二人は一夜を共にする。伊崎は宏美の暗い影が気になるが、彼女に好意を抱いて再会を求めるが、宏美は拒否。しかしスピードシンボリと共に、彼らの運命はこれから数年、二転三転することになっていた……。

「その時期の競馬」と人間ドラマとを重ねた「オールド競馬ファンのためだけの」小説
ミステリに限らず、「小説」が時間を超えて読まれ続けるためには「作品の陳腐化」と戦う必要がある。 小説の何が陳腐化するといえば、圧倒的にその風俗的な部分にあたる。その時代にしか使用されない流行語を作品に込めることで、作品そのものの構造だとか試みだとかいったところ以前に、発表された瞬間から作品は古び始める。通信方法、移動方法といった先が見えない部分もまた風化しうる。その意味で、本書は競馬小説の体裁であり、さらに執筆当時からしても過去の時代の競馬を扱った作品であるという宿命か、一部の特定層を除いた人々にとっては、移入し辛い内容となっている。今となっては、この当時の競馬をリアルタイムで味わったことのある、かなりのオールドファンにしか、良さが伝わりにくいように思えてならない。競馬ファンであっても、いわゆる「オグリ以降」では、本作はいささか古びて見えすぎる……。
物語は、競馬ファンとなった一流会社の会社員の緩やかな転落……といおうか、なかなか結ばれない男女の哀しい恋物語とでもいおうか。バックグラウンドに深い陰を持つ訳ありの女性に惚れ込み、競馬を趣味としているがゆえに会社の出世コースを外れ、競馬中心の人生を送る男。その後どうなるの? という小説として当然の展開以外、ミステリとしての興趣はないに等しく、昭和四十年代の競馬シーンが主人公に重なって物語を綴る。とはいえ、前述の理由から競馬ファン以外の人間にとっては陳腐なメロドラマでしかないだろう。当時ならではの、確実な単勝馬券のオッズつり上げテクニックは、岡嶋二人にも同様のものがあったかな、とかは思ったが。

ということで、海渡作品の競馬小説を初めて手に取ったものの、正直今一つ感心できない作品。氏の作風のバリエーションを味わうのには良いのかもしれないが、追いかけているファン以外にとっては、今となっては全く読む必要はないだろう。


03/03/14
内田康夫「盲目のピアニスト」(角川文庫'93)

'86年に中央公論社より刊行された「内田康夫最初の短編集」が本書の元版となる。デビューが'80年で、その後すぐに超のつく人気作家となったことを考えれば、短編に限っては超スローペースでしか発表していなかったということになる。その理由は後述。

事故で盲目になってしまった若い女流ピアニスト。厳格な教師にレッスンを依頼し日常生活を取り戻すなか、その教師宅の隣宅で殺人事件が発生する。 『盲目のピアニスト』
姉妹二人で育った早知子の元に姉の由紀子らしき死体が富士の樹海で発見されたという連絡が。姉は商社マンの夫をもり立てるべく奮戦していたが間違いから借金を拵え、失踪していたのだ。 『愛するあまり』
ニュースバラエティの撮影スタッフのベテランが変死した。前の番組で使用しようとして紛失したスチールに何か原因があるらしいのだが……。 『陰画の構図』
深酔いした時の記憶がぼやける八田は自分が殺人を犯したのではないかと悩み、友人の精神科医を訪ねる。三人で飲んだもう一人の友人が八田の朧気な記憶通りに殺されており、八田は殺人を自首するが……。 『想像殺人』
出雲の旅館でロケ中の女優から助けが求められる。同行していたディレクターが密室内部で縊死していたというのだ。自殺だと思われたが扉を縛っていた紐の長さから他殺の疑いが持たれ、彼女が容疑者となっていた。 『濡れていた紐』 以上五編。

短編が苦手とは思えない。叙情感ありブラックな結末有りのシンプルでひねりの効いた佳品が揃う
貴方は、あの浅見光彦シリーズを頭に思い浮かべた時、実はそのほとんどが長編作品であるということにすぐ気付かれるだろうか。本書のあとがきで内田氏が「実は短編が苦手で依頼をよく断ってしまった」というようなコメントを述べており、私もその事実にはそれを読むまで全く気付かなかった。なんと'90年には内田氏自身が「短編書かない宣言」まで行ったというから念が入っている。実際、土地土地ならではの風景、叙情や伝説、人情や機微を織り込むことで作品世界を厚くする内田氏の創作手法は、こと確かに長編向きであり、紙幅の限られている短編には向いていない。普通の作家であれば、それはそれで作風を切り替えて短編作品に臨みそうなものなのだが、内田氏の場合は「書かない」という極端な戦略に出てしまったものと思われる。(もちろんそれで食べて行けるのだから当人にとっては別に構わないのだろう)。前置きが延延と続いたが、本書はその内田氏の珍しいノンシリーズのミステリ短編集、とということになる。

ただ、作者が自ら述べているほど創作上に何か問題があるわけではない。特に本書が最初期の短編集であることもあろうが、作品ごとに(特に後期の内田作品であれば)長編を支えることの出来そうなトリックやアイデアが最低一つは込められているのだ。 過程はそれなりに良い手順を踏みながら真相が禁じ手に近い『濡れていた紐』を除けば、それぞれ出だしにもオチにも気が配られており、短い物語のなかに女性のちょっとした恋心を交えてみたり、撮影現場の裏側を覗いてみたりとサービス精神もまた感じさせてくれる。そして何よりも結末にキレがある。 『愛するあまり』も『盲目のピアニスト』もミステリに強い読者であれば真相は見えるタイプのもの。それでもそれを越えて「ちょっといい話」に仕上がっているし、同じく『想像殺人』も過程はとにかく真相は「これしかあり得ない」タイプながら、ブラックな落とし方が実にサマになっている。『陰画の構図』はプロットの組み合わせによるサスペンス性に見どころがある。

いずれにせよ、短編が五編しか入っていないのに普通の厚みの文庫となっており、文章そのものはクセが少なく読みやすい。あまり気張らずに軽い気分で読みこなせる短編集としてはまずまずの出来だといえよう。あまり高いレベルのミステリを求める読者には物足りないかもしれないが、内田氏の作品にそれを求める人もそういないと思うし。


03/03/13
舞城王太郎「阿修羅ガール」(新潮社'03)

煙か土か食い物 Smoke, Soil or Sacrifices』にて第19回「新世紀最初の」メフィスト賞」を獲得してデビュー、あっというまに世界を席巻した舞城氏は徐々にミステリという小さな枠を外れ、独自のエンターテインメントから独自の文学枠に近い領域に立ち位置を移しつつある……舞城王太郎五冊目の単行本。

どこにでもいる普通の女子高生、桂愛子(カツラアイコ)はちっちゃいけれどテクニックが凄いと学校で評判の好きでもない佐野明彦に対するちょっとした興味からコンパで消えてラブホにしけ込んででやっぱり気乗りのしないエッチをしていてあまりのしつこさと顔射決められそうになって腹立ってソッコー着替えて佐野を蹴り倒して自尊心がめちゃくちゃに傷つけられて家に帰って心の中のアメリカに住むスウェーデン人の友人シャスティンに励まされてそうだ私の好きなのはあほなことばっかやっているけど小学校の頃から同級だった金田陽治なんだと思い出して翌日学校に出かける。学校でずっと友達だと思っていた同級生の女のコたちに人気のない便所に呼び出され何がなんだか分からないうちにシメられかけてヤバイので逆襲してリーダー格の斎藤マキの顔面をぼこぼこにしてやってから結局陽治に助け出された私。結局昨日アノ後佐野明彦が誘拐されて家に脅迫状と足の指が送りつけられてきて殺されたっぽくてもしかしたらアイコが殺したんじゃないかって疑われていてみんなの気が立っていたことを知る。アイコはそれでも家に帰ってしっかりと悪夢を見てから陽治のメールを送っていくつか誘拐の推理を立てたから二人で会いたいと伝えて陽治は家にやってくる。

賞味期限有り。活字を操るミュージシャン・舞城王太郎が奏でるリズム&メロディ♪
舞城王太郎作品、特に本書を真面目に、そして深読みを重ねてミステリや文学の文脈で取り上げることにはあんまり意味なんてないのではないか……と思い至った。意味を真剣に付加するに脱力しか感じないような見立て犯罪の数々、そこらにいるようでいてちょっといねーよっという数々の人物造型、2ちゃんねるをベースとした厨房共の暴力解放の宴、アルマゲドン。主人公が意識を失った空間のなかで味わう数々の幻想的体験。「現在」の話し言葉・名詞・略称・行動様式にて創られた物語には賞味期限が存在し、それは一般的なエンターテインメント文学作品に比べて遙かに短い。
んで、中にあるのはミステリのようなものであり、幻想小説のようなものであり、青春小説のようなものである。すべて「の、ようなもの」なのだ。恐らくその本質なんてどこにも存在していないし、作者がそこまで追求する気もさらさらなさそう。もしかすると、勝手に深読みしてくれればラッキーくらいの邪悪な思いはもしかしたら抱いているかもしれないし、それに乗せられて一方的な解釈を押しつけたがる読者も多いだろう。(考えようによっては私だってそうだ)。
私的解釈によれば、本書の解釈はあくまでリズム、これに尽きる。愛でも恋でも謎でも旅でもなく、ノリですよ、ノリ。そういう意味では怒濤のように流れる展開からワンテンポ区切ったあたり、丁度アルマゲドンが終焉に向かうへんに、ちょい不満があるといえばあるかも。ま、転調したともいえるか。
――というのは本作の場合、舞城氏の本来の魅力である「切り取り」が不十分なような気がするから。氏のこれまでの作品では、物語の動きの定番・中心である謎に至る過程、謎解きの過程や、解決のカタルシス、物語の行く末といったところの本来の小説形態からすると書き込むべきところについて、意識的に「書いてない」ことにが圧倒的に多かった。これにより文体と物語にぐいぐい引き込む独特のグルーヴ感覚や、読者の追随を許さない超絶の奇想(と錯覚させる何か)が生まれてきていたかのように思うのだ。本作ではそれを「書いている」。確かに読後感は落ち着く。初めて舞城を読む人ならばそれでも良いだろう。いや実際、寺で茶飲んでたりするわけだから登場人物も落ち着いているのだが、私はかえって落ち着かない。そんな一方的な解釈で舞城王太郎世界を割り切ってしまって良いものか。前半部の引っ張り、中盤の奇想、そして後半はどこか着地しつつも失速しているような印象がどこか残る。これはこれでいいんだけど、さ。

とはいえ、今年中に手に取れるならば絶対に今年中に読むべき本、という評価は変わらない。図書館で借りようとか、古書店に落ちるのを待つとかしていたら『阿修羅ガール』の旬はどんどん過ぎてしまう。貴方にとって本書が合う合わないは一切保証しない。ただ古びるのがめちゃ早いだろうことだけは間違いない。


03/03/12
福本和也「霧の翼」(東都ミステリー'63)

同人誌時代に直木賞候補に二度なった経験を持つマンガ原作者(当時)、福本和也氏の最初の推理作品はこれも東都ミステリーより刊行された『啜り泣く石』という作品であるが、航空ミステリーの第一人者と後になるための最初の作品といえるのがその翌年に発表された本作である。

男鹿半島に若い男の溺死体が上がった同日、海上保安庁に所属するセスナが不自然な状態で海上に不時着した。パイロットの武田は事前に機から脱出しており無事に漁船に救助されたものの、飛行中、目的地に至る途中で無線を切ってしまっていたうえ、余裕のある筈の燃料がゼロになっているなど、武田の行動には不審な点が多く見られ、謹慎のうえ査問に掛けられることとなった。S新聞で取材用の航空機を飛ばす大曽根喜一もまた、娘婿である武田の行動に疑問を抱いた一人。事故機の引き上げに立ち会った大曽根はその操縦席の状態から武田以外にもう一人の人物が操縦席にいたことを確信、そして操縦席の床に転がっていた大粒のルビーを拾って隠し持つことにした。大曽根には航空事故で喪った高村という親友がおり、その娘である葉子の親代わりをもまた自認していた。葉子は顔に薄い痣があるものの、儚げな美人となっており、大曽根の教え子でパイロットとなることを断念して管制官になっている北崎という青年がその葉子のことを愛していた。調査から戻った大曽根は、北崎から葉子が不審な状況で行方不明になっていることを知らされる。武田は何を隠しているのか。そして葉子の行方は。大曽根は自ら調査を開始する。

航空機+スパイサスペンス+社会派+国際謀略。後味はあまり……
福本氏は少年時代よりグライダーに親しんでおり、念願の飛行機免許を取得したのが本書発表の前年、'62年とのこと。当然、飛行機免許を取るためにはそれまでに長時間の練習飛行の時間が必要であり、福本氏が飛行機に取り憑かれていた期間はかなり長期間にわたっていたのではないかと類推される。飛行機、そして空に生きる男に対するこだわりが良くも悪くも大きく作品内に活かされている。
物語としてはかなり複雑なプロットを持つ。謎の行動を取る若いパイロット、そして謎の失踪を遂げた陰を持つ独身女性。'60年代という時代ならではの世情、そして国際間の緊張関係などが中盤から徐々に作品に影を落とすようになる。後の作品にもみられることなのだが、それらの手掛かりがちょっとした伝言ゲームで得られてしまうあたりの安易さを持ち、実際に起きている事件の苦々しさ、重苦しさとのギャップが作品そのものをどこか軽くしてしまっているか。アジアの独立国の思惑と某共産主義国、さらにCIAからKGBまで暗躍する割に、そちらの説得性が後にブームとなるようなスパイ小説などと比べると説明不足、リアリティ不足が否めない印象がある。
ただし、序盤の航空機から一人が消えた事実を類推していく方法論などは、航空機の機構からフライトの手順、空のルール、そして操縦そのものを知らないと描けない類のもの。こういった細かい点を突き詰められるのは、国産ミステリ作家では福本氏が突出している。(当然、航空機関係の同テーマを扱う作家は後にもいるわけだが、やはり伝聞や資料を調べて書く作品との差異を感じる。ただ、ミステリエンターテインメントとしては実は、面白そうなポイントだけに絞ることが可能な思い入れの少ない作家の方が成功しやすいのではないか。)

ということで、時代性が深く関わっているうえにその過程における犠牲者も多く、飛行機、空といった何となく爽快イメージのアイテムを作品内に取り入れているわりに作品が重苦しい。 最終的な結末にしても苦み哀しみが強調されてしまっていて、とてもではないが現代読者に勧められる要素はないように感じた。それもまた執筆された時代が映し出した影なのかもしれないが。


03/03/11
梶 龍雄「影なき魔術師」(ソノラマ文庫'77)

透明な季節』にて江戸川乱歩賞を受賞、その後も本格にこだわる作風を貫き通したことから、一部の本格ファンの間で未だにカルトな人気を誇る梶龍雄氏。本書は、その梶氏が残した唯一のジュヴナイル本。表題作と別の一編が収録されている。

遠藤一郎の住居に正々堂々とやって来た紳士は自らを「影なき魔術師」と名乗った。一郎と仲の良かった両親と死に別れ、唯一の肉親だった兄が行方不明になって落ち込んでいる佐川マリ子が二ヶ月前から病気になっているのだという。夢遊病である。彼女は近く、その治療のため唯一の親戚である叔父、佐川正作が建てた熱海の別荘に移ることになっていた。しかしマリ子の世話をするねえやのことを故意に無視するなど、今回の移動には不審な点が多い。「影なき魔術師」は一郎に彼女の後を共に追おうと誘い出す。 『影なき魔術師』
アルバイトの最中、交通事故にあった南村健一と芦川はるえ。健一は軽傷であったがはるえは事故のショックで失明してしまった。現代医術ではその失明は手術によって回復させられることができるものではあるが、数百万円の費用が必要なのだという。はるえの唯一の肉親である兄の春夫もまた事故に遭ったが、すぐに自動車の廃品工場で働き始めるがとてもそんな費用を払えない。はるえは春夫が非合法な手段でお金を入手しようとしているのを察知、健一に頼んで止めさせるが、春夫は銀行強盗に失敗した悪い仲間から、共犯だといわれて窮地に陥る。健一は国選弁護人の堀波と共に春夫のアリバイを実証しようと奮闘を開始する。 『消えた乗用車』

梶龍雄らしい……とは決していえそうにない、ちょっと時代がかった「典型」冒険ジュヴナイル
純愛を貫く少年が愛する少女のために必死の活躍・冒険・推理を凝らす……という基本パターンは両作とも同じ。『影なき…』は、どちらかといえば純然たる「少年向け探偵小説」の王道に近く、『消えた…』の方は純然たる「少年向けサスペンス」に近い。
ある意味意外性があったのは特に『影なき魔術師』。題名から事前に、普通に類推すれば、この「影なき魔術師」は神出鬼没大胆不敵な悪の怪人のネーミングと相場は決まっていそうなものなのだが、いきなり最初から主人公のもとに現れるその人物、正義の味方なのだ。うおう、これは正義を騙って主人公に取り入る悪の策略だな……と大人なら深読みするところだが、徹頭徹尾、この人物がヒーローなのである。ああ、それだけでもなんかすごく驚いた。あとは怪しげな振る舞いをする大人たちの欺瞞を、少年と影なき魔術師がいかに見破っていくか――あたりが勝負となるのだが、これも作者による明快な開示がないと伏線などから読みとることはちょいと難しい内容。危機の連続でストーリーには独特のリズムがあって、面白いのは面白い。とはいえ最後の最後まで「影なき魔術師」の正体が分からないのが歯痒いし、明かされてもそんな伏線、無かったんじゃないの? というもの。少年ものを相手に私も別に怒ったりする気はないのだが。
一方の『消えた乗用車』。これも先々の展開が見えるもの。新たな可能性を見つけるたびに明るくなる健一、その目処が立たずに焦燥する健一……。これもまた作者がそのアリバイの証人をどこに持ってくるか、がポイントだったのだがそれもまた凄いところに居たもんだ。捜査の過程は社会派風でもあるが、その意図は特にないだろう。
いずれにせよハッピーエンド、めでたしめでたし。 結局のところ曖昧な点があっても「いい話」であることに間違いはない。

梶龍雄の一般作品における本格パズラーへの傾倒ぶりからこの作品集を判断してはならないということ。あくまでジュヴナイルミステリがお好きな方が、心に余裕をもって楽しむ作品。梶龍雄の他作品に未読があるのであれば、そちらを読んだ方が、少なくとも大人は楽しめるのではないでしょうか。