MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/04/10
山田風太郎「十三の階段」(出版芸術社'03)

天狗岬殺人事件』『忍法創世記』と続いた、ファン待望の単行本未収録の山風作品集成、「山田風太郎コレクション」の三冊目にして最終刊。本書は、風太郎の参加した連作ミステリ(リレー小説)を、他の著者分まで含めて全て収録している。それだけでも価値があるが、山風と同時期に活躍した他の作家の名前にも錚々たるメンバーが揃っており、昭和中期の探偵小説コレクターならば絶対に外せない一冊となっている。

参加している作家の名前を眺めて頂ければ分かるように、執筆当時こそ「新人」に近い時期だったかもしれないながら、今となってはそれぞれに語るべきことのある作家が数多く参加している。そのため作品全体をまとめる通常の私の書評形式だとちょっと似わないように思われるために、個別の作品に対するミニコメ方式にてそれぞれについて述べることとする。

探偵作家それぞれの個性とストーリーテリングのせめぎあい。作家の力量の味わい、物語の味わい

 バーからの帰り道、雨の中で逸見恭作は上空から落ちてきた一輪の血まみれの白薔薇に目を留める。視線を上げるとビルの三階の窓の電灯が消された。好奇心からその部屋を覗いた恭作は、セーラー服を着た若い花売りの死体が横たわっていた。慌てて帰宅した恭作を待ち受けていたのは、その花売りから買ったという白い薔薇―― 冒頭の美しい屍体の描き方がいかにも香山滋っぽい。更に逸見一族を襲う奇妙な事件が次々と発生、その「嫌」な感覚を各作家が思う存分に拡げていく。しかしそれを神津恭介を登場させ、一気にまとめる彬光の手腕がまた見事。どうしても複数事件を絡めざるを得なかった点が唯一瑕疵だが、トータルのバランスは崩れていない。 『白薔薇殺人事件』(香山滋 島田一男 山田風太郎 楠田匡介 岩田賛 高木彬光)

 探偵作家の大江蘭堂は連載作品の描写のために「伴天連爺い」と渾名される老人形師の元に出向く。蘭堂はそこで生きているとしか思えない人形と出会い驚愕し、感動する。最後に爺いが鍵を開けた箱から出てきた人形は人間そっくり……と思われたが、それは最上令子という名のモデルで実際に生きていた。蘭堂は彼女からこっそりと助けを求める手紙を受け取る―― 江戸川乱歩の『陰獣』を思わせる序盤。このまま怪奇小説として幕を閉じたいような描写の数々は乱歩の趣味だろう。これに加賀美敬介と明智小五郎が登場、締めくくりを二大探偵の競演としてしまった風太郎の技もまた光る。 『悪霊物語』(江戸川乱歩 角田喜久雄 山田風太郎)

 新聞記者、望月俊作は終戦以来の友人に出会い驚愕する。彼の妻が望月の世話を受けていたというのだ。身に覚えのない彼がアパートに行ってみるとその妻は惨殺されていた。望月の出した覚えのない手紙まで現れ、手掛かりを元に辿っていくと、彼とそっくりの顔をした男が存在していることが判明、彼の周辺にその男が出没し始め、望月は事件に巻き込まれていく―― こちらの発端のノリはいかにも角田喜久雄らしいサスペンス。そっくりの男という存在を風太郎が奇妙さを付け加え、大河内が必死でまとめているといった印象。 『生きている影』(角田喜久雄、山田風太郎 大河内常平)

 シンガポールの地獄のような収容所で行われた戦争裁判で無実の罪で死んだ加賀万熊。その七年後、事件の関係者七人に「首吊供養」という招待状が送られ、万熊の双子の兄、大熊が経営する千葉の宿屋に集められる。元軍医の林は事件を予感し神津恭介を伴い現場に赴くが、早速関係者の一人が祭りのさなかに首を吊られて殺される―― 戦争の地獄絵図は風太郎らしい強烈なグロさを伴い、島田、岡田の両人がヒントを播きつつも事件を発展させる。十三階段の比喩がサスペンスを増し、政治家の秘書役で登場するアプレ・ゲールがいい味を出す。これも最後に神津で締める彬光は凄いが、やっぱりこのアプレ・ゲールを登場させた風太郎の慧眼も素晴らしい。アジャパー。 『十三の階段』(山田風太郎 島田一男 岡田鯱彦 高木彬光)

 名探偵に挑戦する謎の怪盗、どんな人間にも化け、目的を遂げること確実。その名も怪盗七面相。黄金仏をさっくり盗んだことを皮切りに、一風変わった宝物をつけねらう。一方、彼に対峙するは日本を代表する名探偵。神津恭介、伝法探偵その他にトリを決めるのは風太郎の荊木歓喜先生――。 怪盗七面相も良い味を出していながら、各作家が自分の名探偵へみせる愛着ぶりがまた微笑ましい。(その結果、七面相が凄いのかどうかよく分からなくなるくらい)。しかし最後の最後、自分の處に引き寄せたうえにどんでん返しを噛ませる風太郎の構想力はげに恐ろしい。 『怪盗七面相』(島田一男 香住春吾 三橋一夫 高木彬光 武田武彦 島久平 山田風太郎)

 薬師寺家の土蔵にしまい込まれた宝冠が展示会に出されたところ、少年ギャングが強奪しようとする。戦災孤児を中心とする彼らは「夜の皇太子」という謎の人物に引き入れられているという。薬師寺家の雪彦と未香子は彼らの魔の手に落ちるが――。 フェアな伏線が張られているとは言い難い部分もあるが、次々登場する夜の皇太子や夜の皇帝、夜の女王など暗闇のなかに、奇妙な価値基準で生きる謎の人々を暗躍させるスリラーっぷりは面白い。特に正体については一種独特のどんでん返しによって決められているため、意外な驚きを得ることが出来る作品。 『夜の皇太子』(山田風太郎 武田武彦 香住春吾 山村正夫 香山滋 大河内常平 高木彬光)

――ということで黙って買えばよろしい。少なくとも後悔することはないと思う。


03/04/09
多岐川恭「人でなしの遍歴」(創元推理文庫'01)

多岐川恭の初期代表作品とされる作品の一つ。'61年、東都ミステリーの一冊として書き下ろしにて刊行されたのが元版で、40年の年月を経て本文庫に収録されるまで、他の版での刊行はなかった。ただ東都ミステリー自体はそれなりに古書として残っていたこともあり、その意味ではこれまでも比較的入手しやすい方だったといえるだろう。(本文庫版では、これまた多岐川恭の倒叙の名作、『静かな教授』とのカップリングとなっており、ハッキリいってお得である)。

戦後、多くの人々を不幸に叩き込みつつのし上がり、喬文社という出版社の社長となっている篠原喬一郎。熟年にさしかかり功成し遂げた彼は、横暴に振る舞いつつも実は深く愛していた糟糠の妻を喪い、再婚していた。そんな彼は最近、何者かによって交通事故に遭わされかけたり、注文している昼食に毒を入れられたりと三度も殺されそうな目にあうなど、どうも何者かに命を狙われているようで、身に差し迫った危険を覚えるようになる。しかし、先妻との間に生まれた娘や、現在の妻との折り合いが悪いうえ、彼は最近体調が思わしくなく、気力も衰えてきた篠原は、次に殺される時はすっきり殺されてやろうと考えるに至る。ただ自分を殺したがっているのは果たして誰なのか、という疑問を覚えて、自分を殺す動機を持ちそうな過去の関係者の元を尋ねて回ることにした。最初に訪問したのは自社に勤務していた時分に、失敗を咎めて馘首したうえ、夫の為に身体を投げ出した妻を弄んで捨てたことから、自分を恨んでいるだろう編集者、山花。しかし、どうやら彼は犯人ではないらしい。

ミステリというよりも、どこか文学めいた興趣を感じさせる、作品構造の設定における妙
多岐川恭の作品、特に長編では、どこか世捨て人のような登場人物が描かれる、という登場人物における特徴とは別にもう一つ、とにかく「奇妙な設定」が用いられることが多い。そしてそういったいくつかの主題(試み?)が、単一作品だけで終わらず、別の長編で再び、または三度、四度と繰り返して使われるというのもまた特徴である。(但し、これは使い回しというよりも、その多岐川氏お気に入りのテーマをより理想型に近づけようとする作業のように思える)。本書の場合も、その特徴にぴたりと当てはまる。一つは、世捨て人型の主人公が物語を引っ張るという登場人物の特色、そして殺されようとする人物からの物語という構成の奇妙さ。
その一方で、他の作品とはまた少し異なる興趣のようなものが作品にある。と、いうのは、過去に「子供がそのまま大人になったかのような」悪事の限りを尽くし、信頼してくれる他人を裏切り、愛を囁いた女性をあっさり捨て去り、立場を利用して人の人生を踏みにじった主人公。後から後から、よくぞこれだけやったもんだという「殺人候補者」が段落上の計算でも(遍歴6)、即ち六人が登場する。しかし、過去の篠原の罪状を並べることと同時に、これは篠原の懺悔、そして謝罪の旅でもあるのだ。 その結果、かつてぎとぎとした欲望を露わにして生きてきた男と、その両極にある現在、枯れた心境を持つ男との対比がなされているのである。両極端を描き出すことで、この篠原喬一郎という人物の生き方、生涯が読者の前に立体的に浮かび上がり、そのかつての所業の残酷さの割に、彼に対してあまり悪印象を持てなくなる。結果、一人の人物の持つ、虚しさと、ほんの僅かの希望とが渾然一体となったような「人生」の物語のように思えてくるのだ。
多岐川氏としてはミステリを描き出そうとした(それが奇妙な形式であっても)はずなのだが、氏の巧みな文章、そして構成によって作品がそれ以上のものに昇華してしまっている例。確かに変形のフーダニットの要素は強いのだけれど、恐らく犯人が誰なのか、という謎そのものよりも、氏の、残り少ない人生の行く末の方に読者の興味は移ってしまうのではないか。

本作品がもたらすような「奇妙な味わい」こそが多岐川ミステリの真骨頂である。 また構成そのものは四十年以上前に執筆されたとは思えないような洒落心に満ちている。やはり希有な作家であり、追いかけるだけの価値があると改めて確信する次第。ついでとばかりにカップリングの『静かな教授』も再読、そちらはそちらでまた実に良いのだ。むー。


03/04/08
皆川博子「ライダーは闇に消えた」(講談社'75)

現在は幻想文学、歴史文学、ミステリと全てのジャンルをこなす作家として知られる皆川博子さんの初長編は児童文学『海の十字架』、さらに一般向け最初の作品は『トマト・ゲーム』でこちらは短編集。本書は三冊目にして皆川博子さん最初の一般向け長編作品、かつ最初のミステリ長編ということになる。

この春に高校を卒業した松崎誠司、その弟で高校三年の浩介、住所不定でアルバイト暮らしの遠藤哲、オートバイ修理工の大野木静夫、酒屋店員の井出基弘、美容師見習いの日高登と山本六也。登と六也の恋人、及川フミ子。これに珍しいメッサーシュミットを乗りこなす兄貴分の槇史郎とその妹、真琴が深夜の駒沢公園に集まった。モトクロスのアマチュアレースに出場するためのチームを作るために、勝負するのである。彼らのレースは警察の介入によってストップ、そのさなかに白バイを煽ろうとした松崎浩介のバイクが不具合を起こして転倒、白バイに轢かれて死亡する事件が発生した。不幸な事故をものともせず、モトクロスレースに出場する彼らだったが、遠藤哲とマシン交換した実力者、井出がコース内事故で死亡してしまう。仲間内に続いて発生する事故、真琴とフミ子を巡る若者たちの葛藤。更に大野木と哲が高速道路上でバトルをした結果、哲が事故を起こして死亡するに至り、誰かの企みがその裏にあるのではと彼らは感じ取り、彼らのマシンを整備していた大野木がそのやり玉に挙げられそうになるが……。

意外なほどに物理トリック、そして若書きなのに鋭く繊細に青春の痛さを突く心理描写は見事
本書は皆川さんの後の作品を知る人ほどに驚きがあるだろう。バイクの魅力に取り憑かれた当時の若者像が、実に鮮やかに生き生きと描写されているのだ。ミステリ的に、バイクの特殊な知識を要する殺人トリックや、アリバイトリックが仕掛けられており、心理的な登場人物の行き違いを迷彩とした物理的なトリックが「謎」の主体を為している。
……はて、どこが「驚き」なのだ? と思われる方もいるかもしれない。しかし本書は、後に幻想文学や時代もの、濃密な心理が織りなすミステリを次々と著した皆川さんのデビュー作品なのだ。純粋で、かつほろ苦い、若さいっぱいの青春群像がキラキラと……という点、実際に乗るだけでなく、オタクに近い知識を持っていなければ知ることのなさそうなバイクの構造を利用した機械トリックという点、どちらをとっても後の作品からすれば「意外」だとしか言いようがない。(驚いているのは実は私だけだという可能性もあるけれど)。
とはいっても、その両点が皆川さんらしくない……とはいっても、作品の仕上がりは上々。執筆したのが登場人物である彼らよりも、二十近く年上の女性作家の手によるものとは思えない。このあたり、皆川さんらしい創造力であるといえよう。特に、若者らがそれぞれが抱える微妙な秘密や、ほんのちょっとした邪な気持ちが引き起こす重大事件、それによって心や身体を自ら傷つけていく若さゆえのもどかしさ等々、男女のこの時期だからこその微妙な感覚を的確に言葉でつかみとって、そして文章表現に置き換えている。 ゆえに、突き刺すような痛み、揺さぶられるような情動がそのまま、読者である我々のサイドに伝えられるのだ。まだ「若書き」といっても過言ではないような時期に書かれた作品なのに、既にその表現力は老成した作家の域にある。(そして彼女は、その域をこの後、益々磨き抜いて行くのだが)。
個々のトリックについては微妙……ということでコメントしないが、ミステリとしてはトリックを見破るというタイプではなく、トリックをベースとしたフーダニット。結局それがまた心理の綾となって、作品独得の雰囲気を醸し出しているともいえるのだが。

MYSCON4のオークションにて石井春生さん出品本より落札。いずれ再刊行されそうな気配もないではないが、やはり皆川ファンとしては一刻も早く読んでおきたい作品だったので。堪能堪能。皆川ミステリファンであれば、やはり探しておきたい一冊である。


03/04/07
牧野 修「バイオハザード」(角川ホラー文庫'02)

原作(というか脚本)は、ポール・W・S・アンダーソン。ロメロの『ゾンビ』を下敷きにしたプレイステーションの人気ゲーム『バイオハザード』が米国で映画化された。本作はそのノヴェライゼーション。角ホラ文庫には珍しく解説があり、笹川吉晴氏が担当している。(しかし『MOUTH』はないと思うが)。

巨大企業、アンブレラ・コーポレーションが地中深くに造り上げた秘密研究所〈蜂の巣(ハイブ)〉において、バイオ兵器として開発中のウイルスが漏洩するという事件が発生した。研究所はネットワークから遮断されたコンピュータ〈赤の女王〉の判断により、遮蔽壁が閉鎖され、ハロンガスに巻かれて五百人近く居住していた研究者は次々と息絶えてしまう。一方、豪奢な洋館のバスルームで目を覚ましたアリスは、自らの記憶が失われていることに気付く。そこに突入してきた特殊部隊。S.T.A.R.S.と名乗る彼らは、アンブレラ・コーポレーションお抱えの私兵。彼女自身、その組織に所属しており、スペンスという男と偽装結婚して〈蜂の巣(ハイブ)〉の緊急用入り口のある、その館の警護をしていたのだという。蜂の巣で果たして何が起きているのか。床の秘密の入り口に突入する彼らは地下の車両内部で同じように記憶を失っているスペンスを発見し、彼らは〈赤の女王〉のもとへと急ぐ。抵抗する〈赤の女王〉の妨害をくぐり抜けた彼らは、死体が蘇り、バイオ兵器が跳梁する地獄へと足を踏み入れてしまう……。

ゲーム→映画→ノベライズ。牧野修が実力を発揮するには枷が多すぎた?
牧野氏が作家デビューしてまだ間のない頃、ゲームのノヴェライゼーションという形式の作品を何冊か刊行している。『クロックタワー』や『ウイルス 紫の花』など、ホラーアドベンチャー形式のゲームのノベライズに関して牧野氏には既に実績があるのだ。(RPGである『ビヨンド ザ ビヨンド』は失敗作だが)。更に『かまいたちの夜2』の原作も牧野氏は手掛けている。氏の立場はゲームの業界に近い。……とはいえ、既に数々の賞を受賞しまくった現在の牧野氏が、まだノベライズという仕事をするのか、と正直、本書が刊行された時には驚いた。しかも、そのベースとなるのはプレイステーション躍進の原動力となったソフトの一つ、『バイオハザード』の、更に映画版である。
汚染された脱出不能の閉鎖された環境の内部でゾンビが跳梁し、しかも襲いかかってくる恐怖……。 銃で撃っても撃っても簡単には「死」を迎えてはくれない彼らを退治するゲームは、相手が「もと人間」であるがために、自らの種の分身を攻撃するという奇妙な恐怖感がつきまとう。このノヴェライゼーションという作業にあたっては、原作が我々に齎す、その恐怖感を表現することができるか……というのが一つのポイント。さすがにこの点、序盤の描写のおどろおどろしさにて取り敢えず及第点か。
ただ、この物語には「バイオハザード」の「バイオ」の部分が強調されたかのような「化け物」もまた登場する。実は、その化け物の存在が本作のバランスを壊している(物語的には盛り上がるにしろ)ように感じられてしまうのだ。圧倒的に強靭な攻撃能力と、不死身の身体を有する存在として登場する〈舐めるもの〉。この強烈に抜けた存在を登場させることで、一つ一つのゾンビという悪意(大量死?)が一気に無効化してしまっているような。世界が齎す恐怖の沈静化。ただ、これは牧野氏の責任ではなく、あくまで映画の原作者、脚本家の手によるものなのだから、ここで言っても始まるまい。
阿鼻叫喚の地獄絵図を書かせると、牧野氏の右に出る者はいない……というのは誉めすぎだが、電波系の狂気や、人から人ならざる者への変異などを書かせると氏が抜群に上手いのもまた事実。ただ、本作ではあくまで「ゲーム」→「原作」→「映画」という縛りがある以上、牧野流の逸脱が押さえられてしまっている分、ファンにとってはどこか物足りない部分を感じてしまうのは仕方がないことなのか。

とはいっても、改行の多いスピード感溢れる文章など、逆にいえば映画、そしてゲームの雰囲気を忠実に再現しているという点では一定の評価に値しよう。ただ、牧野作品を読み込んでいるファンからするとどうしてもちょっとだけ辛い採点となってしまう。こういう仕事は新進の若手ホラー作家に任せても良いのでは?


03/04/06
佐藤ラギ「人形(ギニョル)」(新潮社'03)

第3回ホラーサスペンス大賞の大賞受賞作品。佐藤ラギ氏は'68年生まれ。マレーシア在住なのだという。佐藤氏は、ネコ・ヤマモトの筆名で同年開催の第10回日本ホラー小説大賞にも『蜥蜴(とかげ)』という作品で最終候補(受賞はならず)にも残った。

中年にさしかかった覆面SM作家。盛り場のビルの一室を仕事場にして活動していたが、自らの空想上の趣味が家族にばれ離婚、一人で暮らしている。彼は時々、売りの少年たちが集う酒場に顔を出していたが、ある晩他の客の紹介で「人形(ギニョル)」という少年に引き合わされる。夜の境内で踞っていた彼はホームレスにして男娼。誰に誘われても拒むことはなく、どんな行為にも応ずるという彼は、変態たちの嗜虐を満たす一方、対価を要求せず、その素性を一切語らない。彼に興味をもった作家は、安ホテルで彼を連れ込み、その全身を覆う残虐な仕打ちの跡に戦慄、なかでも彼の臀部には「此奴ハ邪惡ナル世界ノ罪人」で始まり、彼に近づくなという意味の警句が入れ墨されていた。彼を介抱しようとした作家は、その頑なさに対して嗜虐思考が発言し、結果的に更に痛めつけてしまう。彼は去ってしまうが、作家はその後もギニョルのことばかり考え続け、知り合いのエロ写真家、バンちゃんに相談し、再びギニョルを探し求める。

堕ちていくのを止められない……その罪に怯え、罪に寄り添う自分に怯える恐怖
背徳や犯罪といった(それが法律という線引きは別にしろ)「禁忌」とされていることには同時に甘美な誘いがあることは事実だろう。いや、その甘美な罠があるからこそ、社会はそれを法律や道徳にて「禁忌」としているのだ、ともいえる。少年に対する嗜虐指向と本来的に主人公が持つそういった指向への背反する気持ちとが絡み合い、深い欲望の闇に囚われていく物語。主人公自身、性的にリベラルな考え方を持っているとはいえ、ほとんどの登場人物が性別的に「男」に属しており、「やおい」のジャンルの一般向け……というのは穿った見方になるか。
少年に対する嗜虐指向(更には同性である男性からの被虐指向に至っては更に)というのは、一般的な性欲としてはかなりマイノリティな部類に属するだろうし、その段階で既にその世界自体を彼岸に喩えてしまう考え方は分からないでもない。本書で描き出されるのは、その世界の入り口にいるかいないかの人間が、他動的にその深淵に囚われ、逃げ出せなくなっていく心理的な過程。 確かにその意味、「堕ちていく」怖さは感じられる。……が、つまらない考え方かもしれないが、この対象が美少年ではなく、美少女だったりすると物語はまた、現実を断罪する方に変質するよなぁ、などとも思う。つまり、本書はマイノリティのなかでもマイノリティであろう、人形(ギニョル)という登場人物の希少性によって、ホラーサスペンスとしてぎりぎりのラインに成立しているともいえるのだ。表現やシチュエーションといった物語の表層にとらわれず、精神の闇という文学性の部分における評価が高かった……、恐らくそういうことではないだろうか。

いわゆる「痛そう」な描写が多く、心理的な怖さを追求する向きにはその段階に至るまでに拒否反応があるかもしれない。ただそれを乗り越えたところに描き出される「心の闇への誘因」がポイントだろう。いずれにせよ、一風奇妙な作品である。


03/04/05
門前典之「建築屍材」(東京創元社'01)

第11回鮎川哲也賞受賞作品。応募時の題名は『人を喰らう建物』。門前氏は本書以前に第7回の同賞応募作を改稿した『唖吼の輪廻』という作品を改稿し、『死の命題』という作品を新風社より自費出版している。

名古屋の表通りに面した建築中のビルディング。涼を求めて入り込んだ浮浪者は、二十一ものパーツに細切れにされた、三人分もの死体を発見する。その数時間の後、ビル近くに住む受験生、裕一は、深夜のビルにいるらしい怪しい人影を発見。遊びに来ていた親戚の宮村達也と、ガールフレンドの相川百瀬を伴い、正体を確かめにビルに侵入するが、その人影は密室内部で消失してしまう。そのビルの建築を注文した社長宅に、死体から切り取られたと思しき指が配達され、警察が動き出す。社長の秘書、そして高校教諭の三人が同時期に行方不明となり、建設現場で目撃された死体との関連性が疑われるが、建設中の現場に死体は影かたちも見あたらず、関係者にはアリバイがあり、そもそも三人を殺害するような共通の動機を持つ人間も見つからない。しかし続いてそのビルの屋上で、コンクリートの仕上げを夜に一人で行っていた職人が刺殺された。しかも乾きかけのコンクリート面上には犯人のものと思われる行きの足跡しか存在しなかった。宮村、そして裕一と百瀬は、現場で図面作成に携わる蜘蛛手という謎めいた男と共に事件の謎に挑む。

建築にまつわる知識を駆使。徹底的に「本格ミステリ的謎解き」にこだわったパズラー作品
誤解を招く喩えかもしれないが「本格バカ」の書いた「本格バカ」のための作品であり、「本格」に最もこだわった鮎川哲也名前を冠する、この鮎川哲也賞にのみ、相応しい作品だといえる。建築、それも結果としての建築物ではなく、いわゆる建設現場というものを熟知していることによって生み出される奇妙な謎と、その解決。 手段としては、作者が深く知る世界を応用して謎と解決を生み出している点は賛否あろうが、ものが「建設現場」であり、街を歩けばそこここで見られる一般的な光景のなかに、これだけ謎を埋め込むことが出来るということそれ自体に驚きを感じる。この分野に知識のない読者の視点でいわせてもらえば、蘊蓄絡みだったり、コンクリートなどの特殊な知識が必要なトリックはマイナス点のように思われるが、建設現場を漠然としか知らない作家がこれまで生み出してきたトリック(作品は特定していないが)における嘘や矛盾を暴き出しているなど、プラス要因も多い。「死体を建設現場に埋め込む」という過去多くの作品が(サスペンス系が多いかも)使ってきたトリックの嘘には眼からウロコ。
また次から次へと、これでもかというばかりに投じられる「不可解な謎」、その量にもまた感嘆させられた。一つの大きな謎だけでなく、いくつもの謎を並列させ、少し種明かししては次の謎がまた現れるといった展開で、常にどこか感覚が宙づりされているような気分となって最後まで一気に読まされてしまう。このような本格ミステリの過剰サービスは読者にとっては嬉しいもの。
ただ、そこまでは改稿するに至らなかったのだろうが、これだけ「奇妙な謎」−「解決」を並べるのであれば、三人称で記述された方が物語はしっくりした内容になったようにも思う。主人公である「私」が建築に関して素人である、ということから建築に関する各種の蘊蓄が開陳されるという必然性が出てくるという意味合いはあるのだけれど、語り手のキャラクタの個性が探偵役の蜘蛛手や、受験生カップルに比べると実に弱く、魅力に乏しいのが残念。全体を通じても「小説」の持つ物語性が弱いことは間違いないが、ミステリならではの「謎」の方で引っ張られるので、私としてはそれで構わなかった。読み手によっては気になる点となるかもしれないが。

鮎川賞の原点である「本格パズラー」としての面白さを追求した結果生まれた作品。他の門からは入れなかったであろう、まだ磨き切れていない原石だが、本格ミステリの一側面についてだけは、既に磨き抜かれた輝きを見せている。いわゆる一般的な小説作法の側面からも磨きがかかれば、大きく化ける予感はひしと感じた。


03/04/04
田中啓文「蓬莱洞の研究 私立伝奇学園高等学校民俗学研究会 その1」(講談社ノベルス'02)

田中啓文氏はヤングアダルト出身と思われており、その一連の著作をみると独特の感覚を伴うホラー作品が多いこともまた事実。ただ一方で光文社文庫の『本格推理』に作品を寄せていたという経歴をも持ち、『鬼の探偵小説』などの作品も発表している。本書は確かにミステリ寄りではあるのだが、そのテイストは『UMAハンター馬子』のシリーズに近いように感じられる青春伝奇ミステリ作品。

特徴的な生徒を集めることで知られる私立田中喜八(でんなかきはち)学園高等学校(略称だと「でんき」学園)に入学した諸星比夏留(もろぼし・ひかる)。毎日十数人前の食事を淡淡と食べる彼女の存在は既に学園内では入学三日目にしてかなり有名になっていた。身長も低く華奢な体躯、短い髪を持つ彼女はボーイッシュな印象を周囲に与えていたが、実は彼女の家は肥満した肉体を武器とする古武道〈独楽〉の宗家であった。日々太りたいと熱望する彼女は、高校に入ったら軽音楽部に入ろうと決めていたのだが、美しいフルートの音に惹かれて入り込んだ部室は、民俗学研究会。そして彼女はいつの間にか部員にされてしまっていた。個性的な四人の先輩たちと共に、比夏留は主に謎を秘めた洞窟のフィールドワークにかり出されることとなる。田喜学園の裏手にある立ち入り厳禁とされ鉄条網に覆われた一帯があり、古代史や民俗学史的に興味深い秘密が隠されているといわれる。比夏留にとっての最初のフィールドワークは、新入生が次々と姿を消す事件と関係があると思われる、その地域の奥にある蓬莱洞となった。 『蓬莱洞の研究』 ほか、『大南無阿弥洞の研究』『黒洞の研究』以上、三編。

た、確かに、青春ミステリにして伝奇ミステリ。但し、どこまでいっても啓文流
どこかキャラクタの配置にヤングアダルトの定型を思わせるものがあって。……つまり、(美少女ではないけれど)個性的な魅力を持つ女性(ワトソン役)+魅力的な女の先輩+男らしいけれど直情的な男の先輩+美女にしか見えない男性+オタク+普段は凡庸だけれど深い知識で主人公の関わった謎を猛然と解き明かす男性(ホームズ役)。さらに謎を秘めた老人顧問を加えて、キャラ立ちでまずは世界を造り上げる。
そして、啓文節とももはやいえるだろう、伝奇や伝説、伝承といった(全部”伝”だな)世界観が絡み合った”謎”。いわゆる現実とは多少ズレがあろうと、この世界には伝説のバケモノも、巨大生物も、超自然現象も当たり前のように存在する。現実的な解釈とも微妙に繋がりつつも、結局のところはどこか別世界。そういった世界が生み出す謎を、ミステリのロジック(というよりレトリック?)を使用して解体していくのが本書である。しかもこれは啓文節というより、田中啓文という作家の宿痾ともいうべきか、地口をもってその世界を補強していたりするのだ。ここは笑うべきなのか、恐るべき暗合に戦慄すべきなのか、読者としても正直迷うところではないか。いずれにせよ、田中啓文が作り出す登場人物と世界が渾然一体となったとき、本書の呼び文句である”学園伝奇ミステリ”という形容詞が浮かび上がるのだ。
とまぁ本書の世界観? について述べてきたのだが一つ一つのノリは実にコミカルで楽しい。ミステリを期待して謎解きをするというよりも、コミカルな彼らの行動を眺めて喜びを見出すタイプの作品か。本書に挿入されているイラストもその雰囲気を増している。

あまり肩肘張らずに「いつでも笑えるように」心の準備をもって手に取るべき作品。既に田中啓文氏の作品手法を知る人間であれば、全く違和感なく入り込めるであろうし、そうでない人にとっても田中世界(ミステリ部門)への入門作品としては適当ではないだろうか。本当はもっと恐怖を掻き立てることも、めちゃくちゃ度を増すことも出来る作家ではあるはずだが、バランスを重視した結果か、アクは薄まって面白みのみが前面に出ている感。


03/04/03
清涼院流水「秘密室ボン」(講談社ノベルス'02)

講談社ノベルス20周年記念として刊行された「密室本」のシリーズも'02年末に刊行された三冊、即ち『殺しも鯖もMで始まる』『闇匣』そして本書で打ち止め。都合十六冊。(個人的に未読が後一冊あるのだが、一応、密室本は全部読んどこ、と久しぶりに清涼院を手に取ってみた)。

ドイツ生まれの日本人、メフィスト翔は知らぬ間に半円球のドーム状の部屋に閉じこめられていた。唯一見えるのは残り一時間半、即ち90分からスタートし、ゼロに向かってカウントダウンしていくモニタ。どうやら出入り口は見あたらない。そんな彼の耳元に老人の声がする。彼は「密室の神様」を名乗り、90分の間に彼がこの密室から出ることができれば「人生の必勝法」を与え、出られなければ「死」を与えるという。しかもそれはメフィスト翔自らが望んだことらしい。この部屋の内部では彼の記憶さえも制限を受けているのだ。「秘密室」と名付けられたこの部屋の酸素は90分で無くなり、また彼が「ボン」と口にしたり、密室の神様の出す問題に不正解だったりすると爆発するのだという。ここから脱出する方法はただ一つ、密室の神様が出題する「密室 YES/NOクイズ」に正答し続けて、この部屋の秘密を自ら解くこと。果たしてメフィスト翔の運命やいかに?

いかにもな常識破り。いかにも清涼院流水流のぶっ飛び「密室本」
 先に書いておくと、大方の予想通り普通のミステリファン向けの本ではない
 かといって、流水ファンならば狂喜する内容かというとそうでもない
   ――じゃ、なんなんだ。

例えば、冒頭に「より楽しめるように」として書かれている、小説内の時間推移と実際の時間推移をリンクさせて読む……という試みは既に筒井康隆だとか、ミステリでも霞流一だとか(他にも数人はいるな)が試みているので、別にミステリとして最初の試みとはいえない。「密室 YES/NOクイズ」にしても、本格ミステリファンの琴線に触れたり、密室という存在の本質を問うというよりも、かなり物語に寄りかかった恣意的な内容であり、思索を凝らして生み出されたものともいえない。メフィスト賞作家名前当てクイズに至っては、無理矢理に過ぎて(しかも丸分かり)、作品を全て読んだ人間が作るものとは思えない。
ただ、このメタフィクショナルな密室の在り方、そして後半部の三重密室の意味合い、そして脱出なんかについてはちょっとだけ(そう、ほんのちょっとだけ)「ふーん」と感心した。ただそれにしても、当人の認識による密室であって実際に密室ではないという考え方もミステリとして形式は異なれど既に他の作家が試みているし、後半の仕掛けに至っては、恐らくどんな作家もこのネタはいくらなんでも、と使うのを躊躇う種類のものだといえるし。
ただ、改めて大仰に清涼院流水によって「バババーーン」と打ち出されると、なんか新しく見えてしまう。それは否定できない。実際には新しいアイデアといえなくても。

常識にとらわれない本作りという意味合いで、このカバーにしても題名の付け方にしても、試みにしても、文体にしても特徴ではある。相変わらず清涼院流水は飛ばしてるな……ということを確認しておしまい。


03/04/02
小森健太朗「古代文明ミステリーファイル マヤ終末予言 『夢見』の密室」(祥伝社NON NOVEL'99)

'97年に同じく祥伝社のノン・ポシェットにて書き下ろし刊行された『バビロン空中庭園の殺人』と同じく、星野君江シリーズとなる第二作。時系列的には本書の事件の方が前になる。こちらも書き下ろし。本書は帯袖の推薦文を京極夏彦氏が寄せているが、あまり目立った場所にないのが難。

都内の会社に勤務するOL、円澄悠梨香(まるずみ・ゆりか)は、学生時代の友人と再会、彼女の薦めにより渋谷にある「ボロン・マイェルの家」という団体を訪れる。彼らは古代マヤ文明の神を崇める特殊な儀式を行っており、西暦二〇一二年に訪れる世界の終末を回避するために”夢見”の力を持つ者を集めているのだという。試しに彼らの儀式に参加したところ、悠梨香は”夢”を強烈に体験してしまう。団体を主宰する四人のメンバーの一人、由紀澤卯月に誘われるままに「ボロン・マイェルの家」活動に参加を続ける悠梨香は恋人だった新郷敏之のことも袖にし、主要メンバーでも到達するのに時間がかかる”夢”の関門を次々突破するようになり、山梨県の小淵沢に建てられたピラミッドを模した建築物内部で行われる「ボロン・マイェル秋分の儀式」に参加することに。しかし卯月の家族の訪問、その周辺人物による儀式の妨害は、放火と思われる火事を引き起こし、密室内部で卯月は殺害されるに至る。更に重傷を負いながら生き残った卯月の妹、五月に卯月の精神が乗り移ったとしか思えない事態が発生して……。

世界の構築に大きな手間。その結果、密室の奇妙さが生きてくる――。
正直なところ、これまで小森作品を読んできた印象では、メタ以外のトリック構造にミステリとしての大きな驚きを感じさせられたことはない。大技のメタミステリ技の炸裂する『ローウェル城の密室』あたりは、その新鮮さもあってのけぞったが、いわゆる「密室」であるとか、その他古代史に絡む謎にしても、どこか言葉遊び的なテクニックが目に付き、トンデモとして感心することはあれど、ストレートに「凄い」とまで唸らされることはほとんどなかったのではないかと思う。
ところが本書、いわゆる古代史がベースとなる精神世界と、奇妙な密室状況との殺人とに有機的なリンクが張られており、いわゆる一般的な本格ミステリ系列に比して、全く違和感のないストレートな構造を持っている。正直、実際の事件が発生するまで、主人公格の円澄悠梨香が、カルト宗教(作中での扱いは異なるが、実際のところの第三者感覚としては同じ)に目覚め、その神秘性にずぶずぶと嵌っていく様子が延延と描かれている。このカルト宗教そのものの是非を問わないのが、かえって目新しいともいえるかもしれない。つまり、そういった宗教観をベースにこのミステリが成り立っているといえるから。
双子の姉が刺し殺されるという妹が視たヴィジョン。宗教儀式の衣装を着た血まみれ死体。巫女たちの監視の結果、密室となったピラミッド構造の頂上にあった死体は、火事に焼かれ、警察はおざなりな捜査でお茶を濁す……。 あくまで本書内部におけるという意味で、リアリティがしっかりと確立している点はポイントだろう。その真相もまた、そのカルト宗教内部での意味合い、そして伏線が生きている。探偵役の星野君江の登場が多少唐突感があり、謎解きがメキシコで行われるなど大仰なところもあるながら、小森流の本格ミステリが、活躍場所をしっかりと得て活き活きと描かれているといった印象。

「本格ミステリ・クロニクル300」拾遺で手に取った一冊。小森氏の古代文明や文化を扱った作品はそれなりに読んできているが、今のところ正直、個人的ツボに対する当たりはずれが激しい。本作は小森作品を見直すきっかけとなる一冊。以前は癖を感じられた文章も読みやすくなってきており、この作品をセレクトした選者の目は正しい。


03/04/01
小山 歩「戒」(新潮社'02)

第14回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品。(大賞受賞は西崎憲氏の『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ』)。作者の名前は「おやまあゆみ」と読む。1980年生まれ。

帯沙半島にて”戒”の墓が発見された。戒は紀元頃に半島を騒がせた伝説の奇人。身体は人間で顔は猿といった外観を持ち、道化舞いを巧みに踊って人々を湧かせる舞舞いという職業の人物だった。彼が生きていた当時、沙南の小国、再国の賢王だった明王に取り入り、彼を堕落させて明国を滅亡に追いやった人物として知られる。果たして彼はどのような人物だったのだろうか――。その伝説はどこまで正しいのだろうか――。
戒は明国の基幹を為す有力な家臣であった延将軍の第二夫人の子供として生を受けた。その夫人、晶夫人は数日違いで生まれた明太子の乳母をも務め、戒と後の明王は一緒に育てられた。当然、最高の教育を受けることになった戒は、実は明太子よりも明らかに文武とも優れた能力を持っていたが、生みの親の晶夫人の愛をも得ることができず、その爪を隠すことを強いられる。幼なじみの湖妃はその事実を知り、戒を愛したが、晶夫人が馬の事故に遭いそうになった明太子を庇って悲惨な死を遂げてから戒は変貌してしまう。晶夫人の亡霊を懼れ、湖妃の愛をも拒否した戒は、明王となった太子の側で道化となって生きることを決意、影の軍師として明王を授けようと隠れて奔走するも、明王含め周辺の貴族たちは表面上の戒、即ち天才舞舞いとして人を楽しませるだけの男と信じ込んで疑わない。その才能を十二分に発揮できない戒は懊悩し、長年住んだ王城を出ることを考える。

「――戒、戒、家がないから、小屋に住む」 天才ゆえの苦悩、小人ゆえの苦悩
中国の歴史を題材にとった物語は、人間の営みの暖かさとその残酷な真実とが隣り合わせになっていること、用兵や政事などのダイナミズムが感じられること、非凡な才が思わぬところから発掘されること、国同士の戦争に策略や謀略が用いられ、奇想が感じさせられること……等々、物語的な面白さとゲーム的な面白さの要素が強く融合しており、(日本人にとってルーツであるにしろ)他の国の歴史であるにもかかわらず、国産のエンターテインメント作品が多数著されている。私自身、一時期むさぼるように宮城谷らの作品を読んでいた。
本書は中国―朝鮮半島を下敷きにした架空の中世期の国家に生きたある架空の人物の生涯を描いた物語である――というあたり、ファンタジーである。実際の歴史を扱いつつも、実質上はファンタジー的な味わいを感じさせる、例えば吉川英治による『三国志』あたりとどこかイメージとしては近しいと思えば良いだろうか。(個人的にはどちらかといえば、国家よりも個人に焦点を当てる宮城谷昌光により小説手法としては近いようには思えるのだが)。風俗であるとか、社会情勢であるとかは現実の中世中国あたりからの借り物を混淆させたようなイメージ。ではあるが、いずれにせよ、全く架空の人物をあたかも中世に現実に生きていたかのように描き出す力量は並大抵ではない。
そして主人公たる「戒」の存在が実に鮮やか――なのだ。有力な家臣の息子として生まれ、文武にわたって優秀な才能を持ちながら、王との間に母親とを挟んだ劣等感を植え付けられ、道化となって生きることを選んだ男。後世に残された表面上の記録を冒頭に持ってくることで、王を含む世間一般の人々が見た戒と、物語にて語られる戒自身の内面、そして理解者たちから見た戒とのギャップが浮かび上がる。そのギャップがまた戒を孤独に落とし込み、彼の人生を苦難に満ちたものへと変貌させていく。才能を発揮する快哉を叫びたくなるようなエピソードと、鬱に籠もってどうしようもなく沈み込むようなエピソードとが繰り返し語られること、彼が得たものが常に喪われていくことで徹底的な絶望へと突き落とされていく過程、そして彼自身が得た人生の真実。読者は戒自身となり、戒の庇護者となって彼自身の人生をなぞることになる……。

舞舞いとして自分自身を割り切り、再という国を自らの舞によって救うラストシーン、涙なくしては読めない。本書から静かな、そして深い感動を得ることができた。だが、完成はされているものの、どこか既存の物語をうち破る新規性という意味で大賞作品と僅かな差があったであろうことは否めないかも。ただ本作が受賞作に劣るかというと全くそういうこともなく、同じファンタジーというジャンルの裾野の広さを感じさせる別の物語として十分評価されるだけの作品だと感じる。物語文学。