MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/04/20
内田康夫「「萩原朔太郎」の亡霊」(角川文庫'92)

浅見光彦シリーズで知られる内田康夫氏の第四長編。'82年にトクマ・ノベルスにて刊行され、その後、徳間文庫に一旦収録されたが角川文庫にて再刊されたもの。デビュー長編『死者の木霊』に登場した岡部警部が探偵役として再登場する。

かつて手がけた事件の再審請求にてマスコミに騒がれて警察を退職した須貝は、近くの公園を散歩中、謎の人物が残した詩集を拾う。栞の挟まっていた「公園の椅子」という詩にある「復讐」という文字に須貝は引っ掛かりを覚えた。しばらくして八王子の郊外で畑に半身を埋められた奇妙な死体が発見される。顔と手足を空に向かって突き出している死体は捜査陣を困惑させる。”オブジェ殺人事件”とマスコミによって名付けられた、この事件の被害者は会社の経営者の上野義則。だが彼は全く人から怨みを買うような人物ではなかった。上野は失踪の直前「ヨサ」を名乗る人物からの呼び出しを受けていたという。捜査陣の奮闘によりこれが「ヨサ」ではなく「遊佐」であることが判明するが、該当する人物が見あたらず捜査はそこで行き詰まってしまう。一方の須貝は事件が萩原朔太郎の詩に見立てられたものであることをすぐに看破。自分の退職のきっかけともなった十数年前の出来事、すなわち「萩原朔太郎研究会」顧問の遊佐先生が殺された事件で、妻が犯人だと証言した中学生の一人が上野であることに気付き、弔問に出向いて遺族から、別の同級生、滝島の存在を聞き出す。そしてその滝島もまた犯人の凶手にかかる。捜査を指揮する岡部警部は、自分たちの前を行って調査を行っている六十年輩の男性の存在が気になって仕方がない……。ただ、それが須貝であることに気付くのは少し先のこととなる。

叙情+社会告発+本格ガジェット+旅情+意外すぎる犯人。内田康夫の詰まった本格ミステリストレート
内田康夫氏の初期作品のなかでも『死者の木霊』と共に評価の高い本作品。なるほど。謎解きミステリとしてもしっかりしている上に、ミステリに付け加えられる諸要素がいくつも付け加えられていて、それでいて重くない。 このあたりがセンスというものだろうか。骨格がしっかりした作品である。
はっきりいってしまえば、萩原朔太郎の詩集を中心とした連続見立て殺人。見立てであり、連続である。萩原朔太郎研究会が関係する過去の事件の関係者が、十数年の時を経て次々と殺害されるという横溝ばりの設定。この見立てには「ある意図」があり、その意図そのものが謎のミスリーディングとなっているという構成には、手練れの本格ファンであっても翻弄されることは必至だろう。また本作における連続殺人の構図は、本格ミステリにおけるあるパターンに則っているが、それは後になって気付かされること。この段階で看破するのは容易でない。更に岡部警部を中心とした捜査には、社会派ミステリでよくみられる良くも悪くも泥臭いリアリティがあり、一方で過去の事件の再審請求にまつわる関係者の悲劇や、マスコミの無責任への追及といった告発的テーマもまた存在する。最終的には親子の断絶という社会問題まで浮き上がらせて、一つ一つの主題を取り上げていくと”欲張りな作品”と感じられるのだが、物語全体を通じてみた時には、それらの個々のテーマがそれぞれ関連していることもあって、トータルとしての「物語」への感服だけが残るという寸法だ。確かに、厳密な意味での、ある重要な手掛かりが最終的な捜査の過程で浮かび上がるため、読者も推理が可能な本格パズラーという資格までは有していないが、それでも真相の構図の意外性は、そのスピリッツを感じさせてくれる凝った作りのなかにある。遊び心という程ではないが、最後の最後、『「萩原朔太郎」の亡霊』という題名の意味が「なるほど、そういうことか」と得心させられるのも嬉しい。
ただ、岡部警部を中心とする実際の捜査陣と、警察を事情があって辞職した元警察官との二重視点による捜査はちょっとくどいかな……という気がしないでもない。確信が持てない段階で、次の被害候補者に注意を喚起するだけならとにかく、遠征までやるなら警察に協力すればいいのに、と少しだけ思った。

この角川文庫版の解説を吉村達也氏が執筆している。内田氏、吉村氏とも自作解説を自分で書いてしまう人であり、その言い分というか二人の共感度が分かってこれはこれで面白い。いずれにしても、初期の傑作の一つ、という評価に間違いはなく、内田ファン以外の一般的ミステリ愛好家が読んでもそれなりの評価は必ず得られるものと思われる。


03/04/19
近藤史恵「猿若町捕物帳 ほおずき地獄」(幻冬舎文庫'02)

前作の『猿若町捕物帳 巴之丞鹿の子』に引き続き刊行された、近藤史恵さん書き下ろしによる時代ミステリシリーズの二作目。前作における重要な登場人物が被っており、順に読むのが吉。

三十過ぎて独身の同心、玉島千陰。上司の青江が千陰に親戚の十六の娘を世話しようとする。しかしその娘、お駒はこっそり千陰を品定めし、堅物は嫌だという。元より乗り気ではない千陰は、父親の千次郎の薦めに従い、吉原に出向いて放蕩を見せつけようと遊び出す。相手は前の事件で知り合った花魁、梅が枝。しかし千陰の入った揚屋町の叶屋で幽霊騒ぎが発生、千陰自身はそれを見ないものの、店に同様が走る。これまでも最近ちょくちょく吉原で幽霊騒ぎがあり、現場には縮緬で作られたほおずきが残されているという。そして叶屋にも、そのほおずきが残されていた。事件の後、叶屋は一気に客足が遠のいてしまい閑古鳥が鳴く始末。更に、その主人夫婦二人が刃物でめった突きされて殺される事件が発生した。現場にはやはりほおずきが。叶屋夫婦はかつて、自宅に花魁の産んだ娘を軟禁、吉原の火事のさなかに彼女を死なせたという経歴があり、幽霊の原因はそこにあるのではと信じられたが、千陰は噂を信じない。彼はその日、吉原にて目撃した白髪の謎の夜鷹が事件に関係しているのではと判断、調査を開始するが……。

芝居がかった男女の機微をベースに描く、けれん味たっぷりの上質なミステリ
この作品、あまり本格ミステリファンの間で話題に上った記憶がないのだけれど……、凄いっすよ。 ミステリとしてのパートが、時代ものならではの艶っぽい色恋模様と被せられて、そして一連の手掛かりからエピソードに至るまで一切に無駄のないシンプルで、かつパーフェクトな完成度を持っている。歌舞伎をベースにしたミステリの傑作をこれまでもモノにしてきた近藤さんだけあって、その世界と重なる時代小説としての世界の作り方は「洒落」そして「けれん」に満ちた味わいがあるのがまず一つポイント。そして文章そのものも時代もの特有の読みづらさを一切感じさせない流麗なものにてまとめられている。これも日本の”古典”に日常より接している人にしか表現できないこと。
「謎」という意味では、幽霊騒ぎにかこつけ吉原の料亭夫妻が殺される事件が一応の中心。なぜ夫妻は身体中を滅多突きにされながら助けを呼ばなかったのか。幽霊の仕業と見せかけたのは誰で、なぜか。関係者全てにアリバイがあるなか、果たして事件の下手人は本当に幽霊なのか……?
ただ、それだけでなく主人公の千陰のお見合い話がコミカルに間に挟まるのも楽しい。過去のエピソードもまた部分部分に挿入され、特に「幼女が吉原の遊郭の座敷牢に暮らす」という描写は、後の捜査で判明する話と固有名詞を検討すれうば位置づけははっきりしており、ミステリとしての手掛かりとして使うに十全。ただ、それだけでなく、こういった浮世離れした非現実的なエピソードによって、物語はどこか幻想的な縁取りを得ることさえ出来ているのが本作最大の見どころといえるだろう。幼すぎる恋という主題がミステリと密接に絡む結末は、どこか哀しさを孕んだ余韻を残す。

男女の機微と、時代ならではのポイント、そして様々な欲望や野望、更には余人には理解し辛い願いを各人が抱えていることによって齎された事件。それを生々しくなく、どこか芝居めいた演出をもって描く近藤さんのテクニックに脱帽。時代小説としての考証の完成度までは検証できないまでも、このあっさりとした分量にもってこれだけの内容を無駄なく詰められるセンスは素直に評価したいもの。フク、絶賛。


03/04/18
黒川博行「封印」(文春文庫'96)

'92年に文藝春秋社より刊行された同題の作品が元本。本文庫が刊行された'96年、黒川氏は『カウント・プラン』にて、第49回日本推理作家協会賞短編賞を受賞、二つ目の栄冠を手にしている。

パチンコの釘師として働く酒井宏樹。彼は恩人の津村が経営するパチンコ台販売代理業の津村商会に所属している。津村には一人娘の理恵がいるが、二人の仲は険悪、しかし理恵は宏樹に思いを寄せている。宏樹はそのことをかえって重荷と感じていた。ある日、パチンコ屋の騒音対策の為に、関係するパチンコ屋の代理人として津村は真功文化研究所に赴いた。研究所長と名乗る尾沢は口調こそ柔らかいがれっきとしたヤクザ。その日を境に、津村商会はじわじわと消防署や警察の権限が利用された締め付けが行われるようになる。宏樹は伊島という別のヤクザから、先日会った元同僚の水口から預かったブツを返せ、と凄まれ、たまりかねた津村は兼ねてから繋いでおいたコネを頼って対策を取るような口振りのまま失踪してしまった。元より宏樹はそんなものを預かっておらず否定するも、伊島は考えておけと姿を消す。身の危険を感じた宏樹は、水口を捜すために奔走するが、いつしか社長の行方が本気で分からなくなってしまった。理恵と宏樹はヤクザに追われながらも、独自で捜査を開始、事件のアウトラインをつかもうと大阪中を走り回るのだが……。

軽妙な関西弁が飛び交う熱血サスペンスストーリー。さすがは大阪冒険小説界の雄
黒川氏のギャンブル好きは自作『麻雀放蕩記』あたりを読めばすぐに分かることではあるが、そのギャンブル業界を小説というエンターテインメントにするのは簡単なようでいて難しい。競馬やカジノを舞台にした作品はそれなりに見受けられるが、パチンコの業界の裏側をここまで精緻に描き、かつ痛快なエンタメに仕上げられるのは、恐らく黒川氏の独壇場ではないだろうか。もちろん、業界蘊蓄がいろいろ出てくるが、そういった下世話な興味を満たすだけがこの物語の味わいではない。きっちり作られた、完成されたエンターテインメントとしての面白さがあってこそのお話。
そして、その物語が面白いのだ。冒頭からずっと引っ張り放しのテンション。行方不明の恩人を捜索する必然性。軽妙な会話によるテンポの緩急。捜査のヒントをもらうコネクションの自然さ。けなげなヒロインとの仄かなラブストーリーまで絡めて、その最奥に位置するのは紛うことなき「純然たるミステリー」としての「謎」。物語運びの巧さと相まって劇中に放り込まれたような”どきどき感”が、読み始めてから本を置くまでずっっと続く。
そして、それらの要素が計算され尽くしたかのような構成が実に巧い。例えば、主人公。最初のピンチに至るまで優柔不断な男……として描かれていたのが一転、囲んできたヤクザを片っ端から叩きのめす。「え?」と思う。何しろ、この段階までボクシングのボの字も物語に登場していないから。しかし、主人公が何か過去を抱えており、それが「元ボクサー」の経歴であることがここで初めて明かされることになる。読者に対するアンフェアではなく、読者に対してどうすれば最大の効果を与えられるかを計算していなければ、こういう物語構成にはまず出来まい。そういったちょっとした作者の心遣いが物語の骨格をがっしりと補強している。

ハードボイルド……とジャンル分けするのにはちょっと躊躇い。個人的に名付けることが許されるならば、大阪冒険小説あたりがしっくり来る。黒川作品に惹かれるのは、関西人である自分の血だけでなく、こういった作風の広さとエンターテインメントを良く知る物語作りの巧さにある。それに尽きる。ごちそうさまでした。


03/04/17
鳥飼否宇「桃源郷の惨劇」(祥伝社文庫'03)

どこからみても400円文庫なのだが、400円文庫とは銘打たれず、しかし通常の刊行形態において400円にて登場してしまった文庫。『中空』にて第21回横溝賞の優秀賞を獲得した作家・鳥飼氏による書き下ろし中編。

ヒマラヤの奥地にてそれまで知られていなかった鳥、ミカヅキキジが発見され、その現地の村に住む人々が日本人そっくり。そこはヒマラヤの桃源郷――テレビ番組のプロジェクトの一行四人が、一人の現地ガイドと共にタジキスタンの山奥の村、トクルにやって来た。メンバーはディレクターの西川、カメラマンの角南、動物に詳しい鳶山、そしてADの針金に怪しげな日本語を操るジャエフ。長老をはじめとする村人は彼らを暖かく迎えるが、神の領域を侵してはならないと忠告。どうやらその新発見された鳥も神聖な生き物と見なされているらしい。滞在期間中、村人の生活を撮影する彼らだったが、遂に鳶山がミカヅキキジを発見、撮影の準備をするが……。深い霧のなか、カメラマンの角南が首を強烈な力で折られて死亡する事件が発生する。現場に残された巨大な足跡と、自分が見た身長3mを越える人影から、針金は犯人はヒマラヤに棲むという雪男、イエティではないかと推測するのだが……。

いかにも鳥飼氏らしい”大自然”本格パズラー。中編にて慌ただしいのがもったいない
確か、鳥飼氏は実際に自然科学系の学会等でも様々な論文を発表しており、更に自身、現在は鹿児島県の離島において晴耕雨読の生活を送っているのだという。(多少伝聞入り)。昆虫による事件を昆虫が謎解きをする「昆虫探偵」を扱った『昆虫探偵  シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理』という著作や、その他の著作からも分かる通り、自然科学全般に関して雑学から専門的な内容に至る深い知識をお持ちの作家である。本書にて探偵役を務める鳶山も『中空』の探偵役と同一人物。幻想的な事件にいくつもミスリーディングを施しながら、実際はちょっと雑学めいた知識を応用した、鮮やかな真相を描いてみせる……というのは、これまでも、そして本作以降も恐らく鳥飼氏の得意パターンとなるだろう。(西東登氏の一部作品においても同様の傾向があるが、時代的には既に隔絶しているし) これはこれで子供の頃に「ファーブル昆虫記」を読んだ時のような素朴な感動があって、悪くないように思う。
ただ本作の場合、いかんせん中編という分量の制限が災いしている。というか、勿体ない。前半部はのんびり進んできた物語が、後半の事件(謎の首折れ死体・監禁されるガイド・長老の怒り……) → 謎解き(イエティ説、雪ヒョウ説等々)の間隔が詰まり過ぎており、読んでいて中身を吟味するだけの余裕が与えられていない。また、ラストのイスラム教の五行に関するくだりを作成するための壮絶な努力は買うし、実際にもの凄い仕掛けが施されているにもかかわらず、物語展開からするとどこか浮いてしまっているような気がする。(即興でこのようなものを作成する必然性が余りにも乏しい……)

とはいってもトータルでは軽く読め、かつその薄さの割には楽しませてもらった。 もともと鳥飼氏に対する作風の免疫というか好意が私にあったことも否めないのだが。本書から鳥飼氏に入る方は、ちょっと誤解される可能性もあるか。やはり長編で味のある作家ではないかと感じた。


03/04/16
上遠野浩平「海賊島事件 the man in pirate's island」(講談社ノベルス'02)

殺竜事件』『紫骸城事件』と続いてきた〈戦地調停士〉シリーズの三冊目にあたる作品。世界を同じにしたまま、微妙に登場人物をズラしていた前作に比べ、今回の作品は”風の騎士””ED””レーゼ・リスカッセ特務大尉”の三人が揃って登場、安心して読めるファンタジー・ミステリとなっている。

世界を掌握する程の勢力を持つ海賊、インガ・ムガンドゥ三世。ムガンドゥ一族に忠実に勤めてきたニーソンが支配人を務める「落日宮」は事情を持つ人々が集う高級宿。謎めいた美女、夜壬琥姫(やみこひめ)はこの宿で最も高級な、魔法で完全防御された一室にて日々を送っていた。彼女に言い寄る結晶呪文を操るキザな芸術家・スキラスタスは彼女にソデにされ続ける。彼女はある人物を待っているのだという。彼女の待ち人と名乗る、髭面のキリラーゼが現れた直後、彼女は自室内で結晶に閉じこめられた世界で最も美しい死体となって発見される。キリラーゼは姿を消し、彼女の姿を見たスキラスタスもまた逃亡、彼は、世界中から治外法権となっている歓楽島・海賊島ソキマ・ジェスタルスへと逃げ込んだ。彼を追い、海賊島を大艦隊にて包囲したダイキ帝国は、彼の引き渡しを要求する。しかし海賊島側はこれを拒否。事態の打開のために番頭格のゲオルソンは七海連合に調停を依頼することを決め、海賊島の支配者であるインガ・ムガンドゥ三世も同意する。かつての経緯から、辺境国の女性特務大尉、レーゼ・リスカッセに依頼が届き、”風の騎士”ヒースロゥ・クリストフと共に彼女は海賊島へ赴く。一方、戦地調停士、EDは事件の真犯人の探索のために、一人「落日宮」へと向かった。

本格ミステリより政治的深謀遠慮に戦慄。ポリティカル・ファンタジーとして読むのは私だけ?
まず最初に述べておく。 これはもう上遠野浩平氏の才能というかセンスの勝利といえるだろうが、キャラ萌えだけの要素で読むのに本書は十二分に耐えうる……というか、それ目的で読まれる方も多そうだ。登場人物に付加された魅力が――それがどこかで他でも見たことのあるものにせよ――大きい。リーゼの凛とした美しさと冷静な判断能力、風の騎士の縦横無尽の活躍の格好良さとまさにナイト然とした強さ、そして全てを知り尽くしたかのようなEDの謎めいた魅力。一作目から読む分には、彼らの行動を追い、この世界に没入し、彼らの魅力と物語の吸引力に浸るのも良い。 それはそれで読書の楽しみ方だろう。
しかし独得の世界観とミステリをまた有機的に結びつけようとした試みは相変わらず存在しており、そちらから評価する向きも多いだろう。……ただ、これが難しい。密室で、しかも余人の使用できない結晶呪文にて命を失った姫。世界で最も美しい死体の謎……確かに「謎」は多い。彼女を訪ねてきた謎の人物は誰なのか。果たして彼女を殺害した犯人は? 例のごとくEDは先に全てを見通したうえで、関係者をじわじわと締め付け、そして最後に謎の説明を行う。今回の事件に関してはあまりに偶然に頼る部分が多いこと、そこに向かう意志があったとはいえ、伏線が頼りないこと、いくつかの動機については読者に説明が事実上ないこと等々、世界−謎との有機的な結びつきを楽しんだ前二作に比べると、純粋にミステリ部分だけ取り出すなら多少落ちる。
しかし、エンターテインメントとしてこれまでの三冊を比べた際には、本書が最もレベルが高い。私はその理由は、政治的謀略が複数絡み合うストーリー展開にあるとみる。 「治外法権の海賊島がなぜ真犯人の引き渡しを拒否するのか」「なぜ大国がその犯人を大軍をもって押し寄せてくるのか」「七海同盟の立場は」「EDの狙いは」、そして「ダイキ帝国と海賊島の緊張はいかにしたら解けるのか」……。こういった本格ミステリ以外、物語内部における政治的な謎の絡み合いが滅法面白い。これだけ複雑に絡み合いながら、世界における大きな流れを創り出す上遠野氏の構想力って、凄い。

もう一つ気に入っているのは、ムガンドゥ二世が爆発に巻き込まれ(そのテロリストの紛れ込ませ方もなかなか面白い)、ムガンドゥ三世に対して笑顔を見せるシーン。これ自体も三世にとっては謎なのだが、レーゼによってあっさりとその謎が解かれてしまうギャップに思わず微笑んでしまった。

ごく短い期間に三冊読んでしまったが、やはりストーリーテラーであり、世界構築の技は見事。もちろん金子一馬氏のイラストもそれを助けているのだろうが、皆が皆、自分の頭の中で「戦地調停士」の世界を想像してしまうことだろう。ミステリとしての試みは勿論嬉しいが、それがなくとも面白い。今後も引き続き読む。エンタメとしてその価値は十二分にある。


03/04/15
西尾維新「サイコロジカル(上)兎吊木垓輔の戯言殺し(下)曳かれ者の小唄」(講談社ノベルス'02)

'02年『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』にて第23回メフィスト賞を受賞して颯爽とデビュー。ミステリの新時代の本命とも目される西尾氏の第四作にして、従来作品と同様「戯言シリーズ」に属する作品。しかし、西尾氏、一年で四冊刊行したことになるのか……。

ぼく、こと”いーちゃん”は、玖渚友(くなぎさ・とも)の付き添い人として、”保護者”の鈴無音々(すずなし・ねおん)と共に愛知県にある《堕落三昧》斜道卿壱郎の研究施設を訪れた。ぼくの知らない時期に、友は《死線の蒼》と呼ばれた天才犯罪集団(?)の統率者となっており、その当時彼女に従っていた破壊を特技とする若き工学者、兎吊木垓輔(うつりぎ・がいすけ)、通称《害悪細菌》がその施設にいるのだという。山奥に城塞の如く構築された研究所は厳重な警戒によって護られていたが、数日前、正々堂々と侵入してきた人物がいるという。その署名は「零崎愛識」……。十六歳にして斜道博士の助手を務める傲岸不遜の大垣志人(おおがき・しと)の案内で博士と面会する玖渚。首尾良く博士の許可を取り付けた彼女は、再び志人の案内で、敷地内七号棟を一人で使用、かつ何年ものあいだ、そこから一歩も出ていないという兎吊木垓輔(うつりぎ・がいすけ)と対面する。玖渚と二人きりで話をした後、付き添いでしかないぼくを兎吊木は呼ぶ。二人は互いに質問しあい、最後にぼくに兎吊木が尋ねる。「君は本当は玖渚が嫌いなんじゃないのか?」と。

構成された世界観こそ違えども、ミステリ的な発想・センスは新本格第一世代と非常に近しいんじゃないか?
「新青春エンタ」などという爽やかなキャッチコピーと、竹氏の独得のイラストと、西尾氏の描き出す爽やかでどろどろした浮世離れした登場人物たちによって、既に世の中でブレイクを果たした感のある西尾ワールド。天才とか特殊能力の持ち主(ほとんど超能力、少なくとも超・能力)がインフレを起こしつつあり、最低でも一芸を持たなければまともな台詞さえも作者から与えて貰えないこの作品、相変わらず普通ではない。彼らが饒舌にして冗舌なのでリーダビリティさえも破壊されている(特に前半部)。ま、そういう人たちが暮らす世界だから、我々の価値基準と隔絶していようが別に構わない。 これまでもそうだったが、本作も新しいキャラクタが次々と登場する。世界の最初からずらりとキャラが揃う「清涼院@JDC」と、後から後から作品毎に新キャラの登場する「戯言シリーズ」とには、どこか親水性があるかもな、とか思ってみたり。
そうそう、こういうことを書こうとしたのではないのだ。本書がいかにミステリ的に素晴らしいかについて語ろうと思っていたのに。
ちなみに、本書はこういう話である。

密室内部で発見される死体。研究所の密室性は半端ではなく、腕を切り取られ壁に刃物でピン留めされた死体の陰惨さも抜群。血文字は蒼へのメッセージ。密室を作成し得たのは蒼だけ……ということで監禁される御一行。さていーちゃんは真相を見破ることができるのか?

ほら、本格パズラーっぽいでしょ。カーが書いたといってもおかしくないこの設定(いや、おかしい)。実際、檻から抜けたり、侵入者である泥棒とコンビを組んで、戯言混じりで捜査&推理を実施したりというあたりは多少冗長(そこが良いという読者も多数いるとは思われるが)だが、少年探偵の活躍はどこか乱歩の通俗を思わせる(いや、思わないか)。ただ、彼らが語る会話の端端、蘊蓄、奇矯とも思える研究等々に、一応の伏線や手掛かりは散りばめられている。 それが実際に用いられたかどうかは別にして。だって、超・能力者の考えること、実際の行動なんて凡人の私にゃ分かるはずもなく、その手が事件に実際に使えるのかどうかを検討する余地もない。ただ、提示される解決は強引とはいえ、無理にでも納得させられるだけの説得力はある。髪の毛の使われ方や、腕が切り落とされた理由、さらに壁の血文字の意味に至るまで。
そして、もう一つ本格っぽいと思わせるのは、一旦提示した解決の後に真相を二転三転させてしまうところ。 特にこのあたりの方法論は、新本格ミステリ黎明期に作家が知恵を絞った挙げ句に生み出された作品と、少なくともコンセプトは良く似ている。更にこれまで述べたように西尾ワールドが内包しているセンスは、SFやファンタジー、青春小説の要素こそもちろんあれど、基本はミステリのそれに近いのではないか。今後、どんどん離れていく可能性もあるし、ベタな本格パズラーを執筆してくれる可能性もある……はず。いや、やっぱり目が離せない。

某所の情報によれば、本書までが「デビュー前」に既に執筆されていた原稿らしい。実際に世界が拡がっていくのはこれから、ということなのか。西尾氏の作る世界観については思うところがあるのだけれど、長くなり過ぎたので、それはまた。そうそう、戯言シリーズはメフィスト賞受賞の『クビキリサイクル』から読んだ方が良いです。


03/04/14
浦賀和宏「とらわれびと ASYLUM」(講談社ノベルス'99)

記憶の果て』で第5回メフィスト賞を受賞してデビュー後、書き下ろし長編を講談社ノベルスから刊行し続けた作者の四作目にあたる作品。『時の鳥籠』と『頭蓋骨の中の楽園』と(個人的に)抜けてしまったが、この次作『眠りの牢獄』まで五作が「安藤シリーズ」と呼ばれている模様。

両親を交通事故にて亡くし叔父の家に住まわせてもらっている女子高生、亜紀子。彼女の唯一の肉親は9歳になる弟の雄一だったが、彼は肝臓病にて長い間大学病院に入院していた。その大学病院では小児科の医師を筆頭にお腹を引き裂かれて殺される猟奇殺人が連続して発生しており、その雄一が四人目の犠牲者となってしまったのだ。亜紀子はクラスメイトの留美に引きずられるように犯人探しを行うが、男性同性愛者が妊娠する……という奇妙な噂に突き当たる。
安藤と激しい喧嘩の末、ぼこぼこにされた金田はもう一人の友人、飯島に告白する。飯島の父親を殺したのは僕の妹、妙子だと。しかし金田にそんな妹などいないことを飯島は知っていた。しかし「妙子」は飯島の父親が公園で刺し殺される直前、確かに複数の人間から目撃されていた――。果たして彼女は何者なのか?

目まぐるしく入れ替わるステージ、個々の段階での怪現象。事象にとらわれた読者は浦賀氏の奇蹟をみる
弟が殺された女子高生とその友人、二人組の物語と、父親が殺され自分に知らない妹がいるのではと疑う金田青年とその友人の物語。女子高生の友人は、金田たちの共通の知人である安藤と交際しているため、二つの物語の繋がりは読者にも最初に提示されている。しかし、なんというか……。本書のステージ(というか時系列、そして場面)が目まぐるしく動くため、奇妙な幻惑感が常につきまとってくる。
そのなかでも特に、時系列が判然としないのが却ってよろしい。女子高生たちの動きと金田たちの動きの関連性が明示されているにも関わらず具体的な描写がないため今一つ見えず、着地のポイントが最後まで隠されている。そして、その着地点のぶっ飛び方がまた強烈。 それまででも妊娠願望のあるゲイの男性が実際に妊娠を体験する話やら、体内で共に育っていた双子の妹が実験室で生きていたとか、その双子はテレパシーによって通じているとか、トンデモに近い主題が大量に扱われているが、それも精神の迷路のなかでは全く不自然な感じがしない。こういった世界を彷徨わされた挙げ句に登場する犯人像は、ポイントだけ抜き出すとかなり強烈で非現実的なのだが、この作品世界の住人であれば、彼のような存在こそが正常であるような気がしてくるのが不思議。そして題名の「とらわれびと」この意味がラストに行けば行くほどクリアとなって作品上に君臨する。巧いもんだ。
浦和和宏という作家の術中に嵌められたのか。他の作品を読み尽くしていないなか、壮大なる幻想ミステリ世界がトータルとして造り上げられている可能性に気付いて愕然とする。。

後でいろいろ調べるにどうやらこの『とらわれびと』は一般的にも浦賀作品のなかでも評価が比較的高い作品らしい。まだあまり冊数を読んでいないなか、系列が異なる『浦賀和宏殺人事件』が裏のベストだとすれば、本書は浦賀氏の作品の正々堂々、表のベストだといえるのではないか、という気がしている。他作品に込められているらしいネット書評に対する悪意が噂になったことが、これまで手を伸ばし辛かった原因であることは一つあるのだが。いずれにせよ食わず嫌いはダメだと反省。やはり読まないと作品の中身など分かりやしない。何かいうならその後だろう。


03/04/13
島田荘司「上高地の切り裂きジャック」(原書房'03)

書き下ろしの中編である表題作に'00年に刊行された『季刊 島田荘司01』に収録されていた中編『山手の幽霊』をカップリングした御手洗ものの作品集。昨年に刊行された『魔神の遊戯』『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』に続き、一年を待たずに御手洗ものが三冊も読むことができるとは、ちょっと驚き。

二〇〇〇年。海外に出ている御手洗と連絡を取って欲しいと犬坊里美を通じて、磯子署の蓮見から石岡の元に連絡が入る。女優の暴行殺人を巡る奇妙な事件について相談したいのだという。死体は女優がロケしていた上高地にて発見され、暴行の後があった。しかも死体の腹部は切り裂かれ、内蔵が取り出されたうえに石が詰め込まれていたのだという。内部に遺されていた精子のDNAから、犯人は女優と面識があった横浜の医大生と断定されたが、彼は性交は認めたものの殺人は否認。完璧なアリバイがあるのだという。 『上高地の切り裂きジャック』
一九九〇年。横浜の山手にある地下シェルター付きの建て売り住宅にまつわる幽霊の噂。鉄道トンネルが通る山の上に無理して作られたその住宅地のある家では次々に住人が不幸な死に方をするのだという。最初の住人が急病で亡くなり、越してきたその男の同僚一家の娘が難病に罹って死亡、看護していた母親も自殺した。遺された夫はシェルターに籠もってしばらく暮らしていたが、娘のかつての恋人の医学生に家を格安で譲って失踪。その医大生が引っ越してすぐに封印したシェルターの内部で餓死死体となってその夫が発見された。しかし、その男はシェルター封印後も横浜各地に出没していたのだという。 『山手の幽霊』

御手洗潔のオーソドックスにして趣向が盛りだくさん。慣れ親しんできた島田流本格ミステリーの王道作品
『占星術殺人事件』はもちろん衝撃だったが、個人的には『御手洗潔の挨拶』や『御手洗潔のダンス』といった短編集の方に、より御手洗潔という日本ミステリ史上に残る探偵の特質が良く出ているように感じている。これはあくまで私見だが、島田氏がデビューしてから最初の十年間くらいの作品は、実に貪欲に「奇想ミステリ」「御手洗潔という探偵」、さらに「都市論」「社会論」等の「島田氏の主張」といったところ全てを作品に取り込もうとしてきたようにみえるし、実際のところ、かなりの成功を収めてきたといって良いのではないか。一方、その後の十年、つい最近までの傾向ではどこか、「ミステリ」「登場人物(御手洗に限らなくなった)」「主張」のバランスが崩れているように見受けられ、それが一種の島田バッシングのようなかたちに繋がっていたのではないか……と(自分も渦中にいたことを踏まえて)考えるようになっている。
その初期二冊の短編集もそうだが、島田氏の書く短編はいわゆる雑誌掲載の短編とは分量の点で他の作家とは一線を画しているように思われる。すなわち短編といえど長いのだ。両短編集がそれぞれ四編ずつしか収録していないことなどからもそれが分かるだろう。本書も二つの中編のカップリングだが、個人的には初期の短編集を思い出すような気分になった。ただ微妙に違うのは主要登場人物のいわゆる「キャラクタ」が確立した結果、その部分に「学術」的要素が加わっている点。ただ、島田氏の場合は、それが単なるペダンティックな装飾に留まらず、「ミステリ」の部分と密接な関係を持つ点がポイントではないか。一件無関係とも思える最新科学情報が、平たく転換され、本筋の事件の動機やトリックに繋がっていくのだ。この部分の自然さ、そして巧さが島田荘司という名を高めているといえると思う。

その意味で本作収録の二作とも「新鮮で懐かしい島田荘司らしさ」に満ちたミステリであり、存分に楽しんだ。『上高地…』は事件そのものが陰惨ではあるが、アリバイトリックを意外なかたちで壊す手法と同時に、海外にいる御手洗が安楽椅子探偵よろしく真相を解決するだけでなく、その証明方法までしっかり説明する点のスマートさ。ほとんど本文ではさらりと触れられているだけながら、腹に石を入れていた理由など、さりげないながらも深いものを感じた。また『山手…』は、島田氏お得意の三次元を存分に活用したミステリ。冒頭からぽんぽん現れる奇妙な現象のラッシュ、そしてその思わぬ繋がりに興奮。そして悲憤。小説の作り方そのものがまた非凡なだけに、「トリックの組み合わせ」によって、事件現象を幻想的に転換してしまうあたりの凄さに目を見張った。これがプロ中のプロの仕事だろう。

前作の『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』にて感じた予感――島田荘司のミステリのレベルが「かつての御手洗もの」に徐々に復帰しているというのは正しかった。正確には『季刊 島田荘司』収録の作品なので、時期としてはここ数年ということになるのだが、こういう作品をさらりと見せつけられると、後塵を拝する本格ミステリ作家は大変だなぁとさえ感じてしまう。今後もこの路線を堅持して欲しいと勝手な希望。


03/04/12
梶 龍雄「葉山宝石館の惨劇」(大陸ノベルス'89)

'77年に『透明な季節』にて江戸川乱歩賞受賞後、徐々にノベルス系の作家となった感のある梶龍雄氏だが、'90年に逝去されるまでその本格ミステリにこだわる作風には一本筋の通ったものがあった。本書は亡くなる前年、'89年に四冊刊行されたノベルスのうち一冊ながら、その気迫に衰えはなく、後年の読者をも納得させ得る丁寧な仕上がりが素晴らしい。

夏休み、葉山に住む祖母の元に遊びに来た小学校三年生の鶴山芳樹少年は、屋敷から見下ろす一角に建てられた新しい洋館に興味を覚える。財閥のはぐれ者である帆村建夫が、コレクションを展示するために敷地内に自宅や「宝石館」と呼ばれる美術館を建設していたのだ。その建物の屋上では夜な夜な若者たちによるパーティが開かれる。帆村氏の長女である光枝を巡って若者たち数人によって繰り広げられる恋のさや当て。芳樹少年は、光枝の妹である伊津子と仲良くなるが、その帆村邸の美術館内で殺人事件が発生した。殺害されたのは帆村氏より警備のために派遣されていた私立探偵・萩原。更に死体から謎の藁人形が発見される。宝石館に侵入しようとした泥棒による事件とみられたが、現場が密室となっていたうえ、宝石そのものは盗難に遭ってはいなかった。そして荒らされた現場から消えていたのは、凶器となった宝剣、そして美術品の黄金の斧、更にピストル……。芳樹少年の家庭教師で来ていた女子大生の久美子は、事件に好奇心満々で探偵となることを宣言する。密室殺人に戸惑う警察を尻目に斧を凶器とした殺人事件が続いて発生した……。

密室好きなら見逃すな。三重密室の謎、そして意味、更に隠れた動機によって覆る世界
本格ミステリとして、いろいろな面が凝った構成となっている。実にさりげないが、それによって生み出される世界が非常に深い。ミステリの根本的な意義の部分さえもモチーフにした、これぞ「埋もれた傑作」
まず、事件そのものは多少人工的な香りがある。財閥に関係する中年男が道楽で建築した宝石博物館。その娘を巡って「宝石館」にて毎晩行われるパーティ。招かれた男たちは、楚楚とした姉を虎視眈々と狙い、放言癖のある妹がその争いを助長する。そんななかに発生する密室殺人。宝石泥棒と思いきや、宝石は盗まれておらず、イミテーションの、しかも武器になりそうな展示品が消え失せている……。そしてそれらの凶器が用いられての次の惨劇へと続く。この密室殺人の不可能状況が凝っている。……ただ、凝ってはいるがいわゆる「密室」である点そのものだけであれば、本作は普通のミステリだったであろう。
一方、探偵役がまた面白い。夏休みに避暑に来ている好奇心旺盛の小学生(しかも彼の日記形式で書かれている)。その小学生の家庭教師として招かれているこれまた好奇心旺盛な女子大生。更にミステリマニアの若手刑事と、現実主義者のベテラン警部とのコンビと、三方向から「探偵」が事件を考察する。いわゆる「推理合戦」の結果、生み出されるのが事件に対する最初の解答。そして、生み出されたその解答自体が作者の最初の罠という素敵な展開となっていく。密室自体も発見された段階で三重に閉ざされているのだが、密室の謎−密室が作られた理由−殺人者の動機と、謎そのものがまた三重の謎かけによって構成されている。その一つ一つが解かれるにあたってのサプライズが心地良いことは勿論だが、特にこの「密室が作られた理由」の点は、読者に対するミスリードではなく捜査に対するミスリードという意味合いにおいてかなり斬新だといえるだろう。物語における「密室」の位置づけが、一筋縄ではいかない位置に置かれている。密室の謎が解けること自体が既に罠という位相。 この感覚はちょっと他では味わいがたい。

ラストで多少がちゃがちゃしてしまい、犯人の告白文にて辻褄を合わせてしまうあたりは多少スマートさに欠けるきらいもあるが、梶氏が本作において「やろうとしたこと」の価値が落ちるほどのものではあるまい。老練の本格ミステリ作家の魅せるワザに素直に酔いしれたい。マイナーな叢書から刊行された作品ではあるが、本格ファンを自認する方であれば一読の価値はある。


03/04/11
斎藤 栄「OL現代詩殺人事件」(光文社文庫'88)

乱歩賞作家、そして多作で知られる斎藤氏は幾人かのシリーズ探偵を持っているが、その中でも最も多くの作品を飾っているのが、皆さんも少なくとも名前だけは知っているだろう「タロット日美子」のシリーズである。そして本書、その題名からはなかなか想像できないだろうが、その「タロット日美子」初登場作品なのである。(そして別の意味でもシリーズの一端を担っているようだが)

経済省にて指導局次長の若林の秘書として働く我妻章子。彼女の母親は、章子をモノにしようと狙うサラ金業者・水上に騙され、借金返済の過労のために死亡していた。章子の弟で受験生の伸一は、小さな頃からオカルト関係に興味があったことから、その気持ちがエスカレート、水上を呪い殺そうと本気で考えて実行に移そうとしていた。章子は学生時代の友人である二階堂日美子に弟のことを相談するも、結局伸一は家出し、更には実際にサラ金業者を狙った連続放火事件が発生してしまう。最初はボヤだった事件は、二度目のビルからは神奈川県庁の次長である深山の死体が発見される。彼は放火に巻き込まれたのではなく、殺された後に火が付けられたのだという。更に同じ時期、謎の電話に呼び出されたままサラ金業者の水上は行方不明に。弟が犯罪を犯しているのでは……不安に押しつぶされそうな章子は再び日美子に事態を相談する。そんななか、弟は無事であるという意味の言葉を告げる怪電話が、章子の職場に掛かってきた。

うーーーーーーーむ。これがタロット日美子かぁ……。
本来、殺人だとか放火だとか失踪だとかを扱うミステリというジャンルはシチュエーションがハードなものにならざるを得ないことが多い。本書もオカルトから始まって、汚職、放火、殺人、贈賄、失踪、誘拐、暗号等々、事件そのものはかなり生臭い話となっている。だが、それなのに、本作品から受ける印象が奇妙なのだ。主人公となるOLの視点が中心となって綴られる物語は、ほとんどの事件と密接な関係があるにも関わらず、どこかオブラートに包まれたような、薄い膜一枚で隔てられたかのようで、生々しくない。寧ろ、現実に起きている事件をワイドショーのカメラ越しに眺めているかのような、奇妙な感覚を覚える。 もちろん、作中人物である彼女にとっては一応「現実」なわけだから、それなりの描写はされているのだけれど、どうも反応が浮世離れしている印象が拭えない。
これがストーリー+トリック、ストリックを提唱した作家の、行き着いた(行きつつある)作品と考えると変な意味での納得がある。つまり、一応存在する明々白々な物語の謎、その謎に主人公や関係者が気付かないように行動させるためには、どうしても彼らに不自然な行動をとらせないとならないし、本格パズラー系統の作品を読み付けない多くの読者に対して不親切にならないよう、伏線は伏線以上の目立ち方をもってバレバレに描かれる。確かにストーリーと物語の謎、そしてトリックと密接に関係してリンクする。ただ謎解きのレベルとして「下」を向いている以上、ミステリマニアにとっても楽しめる……ということには、残念ながらならないように感じた。

読みやすいことは読みやすいし、登場人物の個性も確かに存在する。これはこれで、ある世代、ある読者に向けたエンターテインメントとして成立すること自体を否定するつもりはない。 ただ、同じミステリという冠を持っていながら、これほど本格ミステリーとの隔絶を感じるとは思わなかった。強いていえば暗号に関してのみみるべきところはあるのだが、個人的に暗号を用いた単純な謎は、本格ミステリのトリックとしての不満があるため、その点からの評価もしづらい。