MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/04/30
青井夏海「赤ちゃんがいっぱい」(創元推理文庫'03)

自費出版からはじまるちょっとした経緯で『スタジアム 虹の事件簿』にてデビューをした青井さんの初長編。前作『赤ちゃんをさがせ』で登場した駆け出し助産婦の陽奈(ひな)と、カリスマ助産婦・明楽(あきら)先生が、引き続き活躍するシリーズ。本作含めてこのシリーズは最近NHKにてドラマ化もされている。

これまで師匠−弟子として付き従っていた聡子さんが育児に追われ、副業である自宅出産の手伝いを休業中、もともと本業であった助産院からもリストラされてしまった陽奈。彼女は聡子さんの紹介で「胎内育児」なるスローガンを掲げる〈ハローベイビー研究所〉の面接を受ける。〈ハローベイビー研究所〉のベースとなるのは、今から三十年前に執筆された、二人の〈天才赤ちゃん〉を育てたという、あるお父さんの手記。ただ、所長の芦田によれば、研究所といっても天才赤ちゃんを産むことを目指す施設ではないという。面接の途中、スーパーバイザーを名乗る若い男に引っ張り出されるが、彼こそが元〈天才赤ちゃん〉の奥園時夫だった。結局、面接を通ってしまい研究所に就職することになった陽奈。海外で天文学の研究活動をしていたという時夫が戻ってきてから、研究所内にて盗難が発生しはじめていたという噂を聞く。但し盗まれたものはクリーニングの引換券や、くずかごなど役に立たないものばかり。更に、施設に赤ちゃんが置き去りにされるという事件が発生した。所長の芦田、教育研究家の船木、更に研究所と繋がりの深い産婦人科医の右尾らは、事件を警察に届けることを拒み、赤ん坊の世話を陽奈に押しつける。研究所では十八年前にも、ノイローゼに罹った奥さんが子供を置き去りにする事件が発生しているのだという。陽奈の好奇心は、当然のように研究所の秘密を探る方向へと向かう。

ユーモア・サスペンスと見せかけつつ、多様に張られた伏線が最後にまとまる巧さ、物語の快感
いきなり。いきなり主人公の陽奈が失業、再就職となってしまう。前作から読んでいる人なら御存知の通り、駆け出し助産士としての経験と成長が一つのサイドストーリーだったはずじゃないの? という読者の戸惑いをよそに、やはり「赤ちゃん」を巡る新たな事件へと陽奈は飛び込んでいく。なるほど、やっぱり「赤ちゃん」がこのシリーズを巡る鍵なのか。それにしても出産を巡るあれこれ、子育て、赤ちゃんそのものといったさりげない描写が実に巧く、これは「ママ」にしか書けないと大いに納得させられる。
この作品、物語としても、トリックのある本格ミステリとしても大きな意味で「二つの謎」が存在している。だが、語り口の妙、陽奈自身が天然で演じるミスディレクション等々によって、最初はその「謎」自体が何なのかにもなかなか気付けない。唯一はっきりしているのが、それこそ謎の盗難事件のみ。どこかユーモア混じりのバタバタした展開を追っていき、その過程で出てきた「?」が解き明かされていくにつれ、それらが微妙に(そして絶妙に)繋がっていることに気付かされるという構造になっているのだ。読み始めると「一気」。しかし、解決の後にようやく読者は、前半から中盤にかけて、それもかなり露骨なかたちで事件に関する伏線が埋められているという事実に驚かされる。ごくごくさりげないけれど、このあたりの配慮と狙いが実に巧い。
物語の二つの謎とは、天才育児研究所の設立経緯の謎、そして奥園時夫の存在そのものの謎。トリック的な謎というのは、役に立たないもの盗難事件と、もう一つレトリックにおいての絶妙のミスリーディング。これらのパズルのピースが明楽先生の安楽椅子的推理によって、一つ一つぴたりぴたりと嵌っていき、物語全体の謎が見えてくる。このロジックの組立も素晴らしいのだが、同時に、弱者に対する思いやりや、母親の力強さ、親子の信頼関係など、あまり露骨に訴えかけたりしていない事柄もまた、次々と浮かんでくる。繰り返しになるが、この段階ではじめて中盤までの関係者の微妙な発言や、様々な事実がきっちり繋がってきていることに気付くのだ。ラストをちょっとドタバタしたかたちで締めくくるのも、読後感を「それだけ」に留めず、作品全体が発する暖かさのテンション――を維持しているようで、これまたお見事。

ドラマ性といい、登場人物のキャラクタといい、物語全体の構造といい、何か初長編にして、既に完成された作品である。ただ、助産婦−妊婦−赤ちゃんを中心とした物語のそもそもの設定であるとか、それを巧みにビジネスにしてしまう考え方であるとかは、ある意味、女性の特殊経験を舞台にしているところがあって、身近でそういった経験をしたことがない方にとっては少し世界が疎遠な存在に感じられるかもしれない。このあたりが分かってこその妙味、という部分も多少なりともあるし。どんでん返しがもの凄い大ミステリ、という訳ではないが、小気味良くまとめられたミステリの佳品。


03/04/29
歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'03)

'02年より開始された中堅以上の本格系ミステリ作家による新叢書がこの「本格ミステリ・マスターズ」。本書は第四回目の配本にあたり、同時に小森健太朗『Gの残影』も刊行されている。本書は歌野氏の長編としては『世界の終わり、そして始まり』以来、約一年ぶりとなる書き下ろし長編ということになる。(『館という名の楽園で』は中編だし)。

フィットネスクラブで身体を鍛え、ミニ・クーパーを愛車とし、素人女性のナンパにいそしむ”俺”は、巷の女性に絶望しつつもまだ見ぬ誰かとのプラトニックな愛を求めている。そんなある日、俺(成瀬将虎)は地下鉄の駅に飛び込み自殺をしようとしていた女性を助ける。彼女は麻宮さくらと名乗ったが、俺は彼女がもう自殺する気にならないよう釘こそ刺したものの、別にこの段階では、彼女のことがそれほど気になっていた訳ではない。白金というこそ地名がつくがボロアパートに寝起きしている俺のもとに彼女からの連絡が入る。御礼がしたいので、駅で連絡先を調べたのだという。一方、俺の元にはフィットネスクラブで知り合ったキヨシから緊急連絡が。キヨシは大学受験を控えた現役高校生なのだが、彼が仄かに憧れる正真正銘のお嬢さま育ちの久高愛子に事件が発生したという。キヨシと駆けつけた俺は、久高愛子からが「おじいさん(久高隆一郎)が車に轢かれた。裏に蓬莱倶楽部が絡んでいる」といった話を聞かされる。蓬莱倶楽部はどうやらインチキ健康食品や霊感商品を売りつける会社らしい。様々な仕事を経験している俺が、社会に出たての頃、一時期探偵事務所で働いていたことを、キヨシが彼女に喋ってしまったらしい。彼女は俺に、久高隆一郎の事件が蓬莱倶楽部と関係あるのかどうかだけでも、探って欲しいと依頼する。そうして俺は探偵の真似事を始める羽目に陥ったのだが、実際に事務所で働いていた頃、ヤクザに潜入捜査させられた事件のことを回想する。

大仕掛けと小技との絶妙なミクスチュア。ミステリらしいミステリにしてサプライズ度合い抜群の傑作
何を書いてもネタバレになりそうなのでネタバレ反転にて書評。
未読の方へのコメント。本格ミステリとして、文句無しに本年刊行作品の前半期ベストクラスの作品。 ストーリー良し、トリック良し、設定良し。読んでおいてまず絶対に損しない。
 (ここから)
特に本作に限った話ではないが、主人公だけの年齢の騙りを読者に仕掛ける……という叙述トリックを成立させることだけであれば比較的創作として容易いものと推察される。いや、とはいっても本作のように、携帯電話を二つ持ち、腹筋が六つに割れ、出会い系サイトや風俗で二十代のようなセックスを繰り返しては、若さ爆発、冒険心も好奇心も旺盛……という主人公が実は七十歳の老人であることをそれなりの伏線を入れつつも隠し通す手腕は並大抵ではない。その点は確かに凄いのであるが、私がもっとも本書の叙述トリックにおいて感心したのは、主人公の妹である綾乃、運命の女性として巡り会う麻宮さくら、弟分のキヨシといった、主要な周辺人物全てが主人公と同年代であるにも関わらず、そちらをも綺麗に隠し通した点の方にある。 無邪気さ、臆病さ、無鉄砲さ、やんちゃといった若さの特権を老人が共有することには、実際の問題として何ら不思議はないにも関わらず、どこか不要な一般常識に邪魔されて、全員分まとめて騙される。この手法の裏には実はいくつもの超絶のテクニックが伴っている。特に高校生であるキヨシの設定の妙には舌を巻くしかない。高校生と正々堂々書いていながら、そういう抜け穴があるとは……。文章の端端にまで配慮の行き届いた、本格ミステリならではの醍醐味が存在する。
もちろん、悪辣な霊感商法の手先となって働く古屋節子の描写は、リアリティが半端ではないため、こちらも明かされるまで時系列に差があることなど気付かないし(これはこれで二重の叙述トリックとして存在する)、彼女が麻宮さくらとして正々堂々と嘘を吐く理由が、実は別パートの方に述べられているなんてこちらも想像の埒外であった。こういった手掛かりをまき散らしつつも、全く読者に気付かせずに裏をかく。歌野氏はいつの間にか奇術師の指先を身につけてしまっている。
そして通常的意味のミステリ部分についても巧い。ヤクザが連続で腹を切り裂かれた死体となって発見される事件。トリックと”時代”が密接に絡み合っており、トリックの真相だけでなく、かつ、その時代の方を読者の目から隠すことによって、また別のトリックと密接な関係をできている……。周到、とひとことでは済まない伏線の数々。例えば、極道に潜入捜査するという主人公の体験談的面白さまでが目眩ましに使われている。全てが繋がっている。細かいが「山下」や「市場」といった言葉を利用したプチトリックや、スタバの軽犯罪なども味がある。特に読了後に彼らの七十近い年齢ことを思うと、それぞれの場面(軽犯罪も、アクションシーンも)が、当初読んでいた時に感じたものと、異なった色合いに鮮やかに変化するあたりの妙味にも気付きたい。
(ここまで)

今年を代表する「本格ミステリ」作品であることは読み終わった瞬間に判明。販売されてスグに、本書を持って「一行目朗読」までをして、本書の拡販活動に勤しんでいた(違うか?)近田鳶迩さんはエライ。(しかもその一行目ももしかすると後の重要な伏線だともいえるし)。いやいや、まだ少し興奮しているか。落ち着け、フク。


03/04/28
折原 一「樹海伝説 騙しの森へ」(祥伝社文庫'02)

昨年('02年)「幻想の四季」として”まほろ市”という架空の都市を舞台にした四作品が同時刊行されるなど話題を呼んだ「祥伝社400円文庫」のなかの一冊。この400円文庫、テーマに基づいて発表されることが多いのだが、本作については主題は特に謳われていない。単に「叙述トリック」とある。

……その樹海は磁石も効かず、誰も入らないため道もなく、深い木立が視界を遮るため一度入り込んだら二度と出てこられない存在として知られており、自殺の名所ともなっている。かつて作家と画家の夫妻が双子の娘と四人で住むために、その樹海の中に別荘を建築、そこに住んでいたことがあった。作家はスランプのため環境の変化を望んだが、全く何もない樹海のなかで彼の不調は更に深みを増し、精神に異常を来した彼は家族を斧で惨殺、そして森の中に彷徨い込んでしまったまま、行方不明となった。そして、その事件の真相を知るべく若者が一人で森の中に分け入って、そして遭難。彼が遺した克明な手記『遭難記――魔の森調査報告書』は、なぜか樹海に面した湖畔に建った一軒のペンションのオーナーが所有していた。そのオーナーは怪談代わりに、宿泊にきたハイキング同好会の若者たちの前でその話を披露する。翌朝、同好会会長の俊介は樹海探検を企画するが、他のメンバーは乗り気でなく、結局密かに交際している後輩の麻衣と、別の後輩、片岡との三人で樹海へと足を踏み入れる。麻衣をつけねらうストーカーがこの合宿に参加しており……。

当初から読者を巻き込んだ複層の構造。叙述そのものはトリックではなく、サスペンスのテクニック
折原一という作家は、そのままブランドとして「叙述トリック」という風に読者は認知している。同じことが出版・編集サイドのみならず、どうも作家である御本人、折原一氏自身が自分がそういった存在であることを必要以上に認識しているかのような印象がある。特に近作、その叙述トリックが存在することを読者が事前に察知しているという前提で、その読者にいかに衝撃を、サプライズを齎すか、という大がかりな作風が目立つ。 何よりも、技巧を凝らし、マニアの鋭い観察さえも欺くだけのアイデアを、きっちり案出して物語を編み出すという手腕が凄い。そして、本作も分量的には小さいながらも、小粒でぴりっと辛い、叙述トリックならではのアイデアがぎちぎちに込められている。
構造的には、表層である大学生カップルの樹海への冒険、そしてそのカップルの女性をストーキングし、樹海のなかで殺意をもって追いかける男の物語がまず存在する。カップルの道案内役として、それ以前に迷いこんだ人物の残したテキストがまた存在する。ストーカーが誰なのか、というのは、ある程度ミステリを知る人間ならばハッキリいって予想がつくだろう。折原氏らしい凄さというのは、その「人物は誰か」という点にサプライズを持ち込むことを先に放棄し(ここで驚く読者も当然いるだろうが、折原氏はそれ程、その点を重視していないようにみえる)、ここに全く別の予想をつけられないような筋書きを持ってくるあたりにあるだろう。樹海を彷徨い、衰弱していく登場人物、彼らのもとに忍び寄る全く別の影……。読者が予想する以上のサスペンスが作品のなかからじわじわと忍び寄る。 どこかホラー映画を観ているかのような、不思議な感覚をテキストにてきっちり表現している点に注目したい。

折原氏の代表作品はすべからく、重厚・重量を感じさせる作品が多いなか、こういった手軽に読み終えられる作品でもしっかり「らしさ」が表現されている。初期の文庫を読んだ後、近作はちょっと重そうだ……という方に手にとってもらいたい佳作。


03/04/27
太田忠司「上海香炉の謎」(祥伝社ノンポシェット'97)

狩野俊介、新宿少年探偵団、阿南もの等、数々のシリーズ探偵を登場させてきた太田作品のなかでもメインキャラクターの一つ、霞田志郎&千鶴の兄妹が活躍する「霞田兄妹」ものの第一作目となる作品。'91年に祥伝社NON NOVELSにて刊行されたのが元版。この後『倫敦時計の謎』『伯林水晶の謎』と、国名シリーズを模した題名が特徴。(といっても近作は多少その縛りからは外れてきている感もあるが)

新米作家の霞田志郎と、人気同人漫画家で出版社デビューを狙う妹の千鶴は二人暮らし。その志郎のファンで彼と文通していたという水沢美智子なる少女が霞田家を訪れ「姉を助けて欲しい」と志郎に泣きついてくる。彼女の姉が、長崎に旅行に出かけると行って寝台特急に乗ったはいいが、下車駅で出迎える友人の前に姿を現さなかったのだという。その行方不明の件を引き受けた志郎と千鶴は、美智子の誕生パーティに招待される。美智子の父は自動車部品関係の会社の社長で、中国陶器の収集が趣味という人物。そのパーティにはタレントでニュースキャスターの高岡聖子や、風景写真家で陶器の趣味のある能代隆夫らが招かれていた。美智子の友人らの馬鹿騒ぎをよそに水沢家の人々を観察する兄妹は何か不穏な雰囲気を感じ取る。中国からの高価な陶器のコレクションを見学した後、結局水沢亭に宿泊することになった二人。しかしその晩遅く、二階にある社長の部屋に宿泊していた高岡聖子が殺害された。外に面した窓の鍵こそ掛けられていなかったが部屋は施錠されており、死体の首には美智子の姉が大切にしていたリボンが巻き付けられていた。

読みやすく、それでいて論理明快。「新本格ミステリ」の入り口に相応しい一冊
私自身が年齢を重ねたこととと関係があるのかもしれない……と先に断っておこう。本書の登場人物や舞台、そして事件から受ける印象が、どこか漫画的と感じた。フィクションなのでもちろん現実的にする必要はないのだけれど、登場人物の容姿や性格、今回の事件の関係者など、どこか二次元的な雰囲気が漂うのだ。「深い」「軽い」でいえば「軽い」。だけどそれを悪いこととは決められない。この点は、逆にいえば、誰にでも親しみやすい軽妙な登場人物を配している、ともいえるからだ。ついでに、それとは別に「ヤングアダルトと新本格の中間点」というフレーズも頭に浮かんだことも付記しておく。
当たり前だが、その「軽さ」は手抜きを意味しない。むしろ計算上のことだろう。本質的なミステリ部分は実は全く軽くないことがそれを証明しているといえる。 実業家の娘の失踪事件。密室内部での女性タレント殺人事件。それぞれの事件には、一旦はある程度納得させられる説明がつくものの、必ずどこかスッキリしないポイントが残っている。それらが伏線らしい伏線となって読者の心に残り、引っかかりからの展開を予感させながら、尻尾だけは絶対につかませない。本格ミステリにおいて難しいバランスを、しっかりと体現しているのだ。 
また突撃型で迷ワトソン役となる妹の千鶴と、寡黙でなかなか解答を明らかにしようとしない俊介のコンビのギャップや、彼らの掛け合い漫才的な会話など「軽さ」の部分も軽妙で楽しい。一見、類型的キャラクタともいえる彼らの存在が「誰でもミステリの世界に入りこみやすい」という、簡単なようでいて実は難しいハードルをクリアするのに大いに役立っている。こういった配慮というのはシンプルなようでいて、実は深い。「新本格ミステリ」全盛期に発表された作品だけに、犯人の意外性がかえって意外と思われないという弱点は含まれてはいるものの、全ての手掛かりを過不足無く解決に利用するのは手熟れの読者にとってもなかなか難しいと思われるし、ミステリのレベルとしても低くないのもポイント。

正直なところをいえば、一読忘れられない大トリックが擁されているわけではない。だが、シンプルながら本格ミステリに必要な諸要素を全て押さえた、理想的な作品になっていることもまた間違いない。こういった作品から入ると立派な本格ミステリマニアができる……かもしれない。(念のため、断言は避けとくが)。


03/04/26
岩井志麻子「楽園(ラック・ヴィエン)」(角川ホラー文庫'03)

祥伝社400円文庫と見紛う薄さ、さらに400円文庫と見紛う活字の大きさにて刊行された岩井志麻子さん初の文庫書き下ろし作品。ちなみに価格は税別419円と、400円文庫より微妙に高い。

元は深夜番組を中心に活躍した女性タレントで、そこそこの浮き名を流すも今はパトロンにマンションを借りてもらって暮らす”私”。私は思い立って常夏の国、ベトナムに一人旅をすることを決め、一回り歳が離れ、妻子を持つそのパトロンの男が訪れる週に一度のその日に、決意を告げる。男は鷹揚に「ちゃんと帰ってこい」とだけいうが、彼が落とした果物ナイフがフローリングの床に傷を付けたことに私はなぜだか内心に怒りが湧いた。そうして男と寒い冬を置き去りにして私はある予感を伴ってベトナムのホテルにチェックインする。礼儀正しいボーイに案内されて川べりの部屋に通された私は、突然堪らない孤独に襲われる。私は突然の”気配”に襲われ、部屋を飛び出した。その廊下に”彼”がいた。「あなた、ね?」「わたし、です」それだけで二人は当たり前のように分かり合い、私は彼にしがみつく。そして彼はいう。「やっと、会えましたね」。濃密な空間のなか、二人は貪るような性行為を繰り返す。そして私と彼はその合間に話しをする。しかしお互いの素性は詮索をしない。そうして束の間の地獄を味わい尽くした私は――。

エキゾチックな異国で繰り広げられる男と女の天国、そしてその後に来る地獄……と。
海外を旅した時、その対象となる土地を愛せば愛すほどに感じる感情がある。(って断言していいものか分からないが)。それは親しみを感じれば感じる程に味わわされる「疎外感」。つまり、彼の地に近づけば近づくほどに自らが、土地の者にとっては所詮旅人であり、異邦人であることが思い知らされる。本書は日本の、そう平凡な女性とヴェトナムの普通の男性が出会い、そして互いに分かり合えているようでいないという、悲劇を孕んだ享楽の物語。
正直なところ、先に著され、恐らく後に岩井さんの代表作の一つとされるであろう『チャイ・コイ』が一つの原型になっていることは間違いない。異国で巡り会う男女、不完全なコミュニケーション、それぞれの価値観の違い、それでいて絶妙にマッチングする下半身。その描写が延延と繰り返されるような錯覚を覚えるが、それは間違いではないだろう。既に読者は『チャイ・コイ』にて、この不幸な恋愛の行き着く先を知っている。しかし。
本書は上記の通り、角川ホラー文庫に収録された作品である。つまり、そういったあやふやな男女関係や、性愛描写に留まらず何らかの「恐怖」のファクタがどこかに残されている筈である。(それ以外にも色々と事態を暗示させるような符合も少なくない)。ただ、その「謎」後半部において立て続けに動機が明かされる。それがどういうことなのか、という点はここでは触れないが、単なる官能ストーリーと思わされていた本書は、後半部で大きな変化を遂げていく。まぁ、登場人物のやたら少ない物語の常として、このような落とし方しかないであろうが、それで恐怖する人と、それで腑に落ちるという人とがかっきり別れるのではないか。この点、無責任な言い方になろうとも「読む人次第」とだけ言っておく。

正直、あまり「恐怖」だとかにこだわる方だと本書は合わない可能性が大。こういった「床惚れ」という不思議な感覚を理解したうえで、軽い気持ちで読み始めれば良い作品ではないかと感じられた。但し、文章表現や描写に関しては紛うことなき岩井節である。


03/04/25
北野勇作「イカ星人」(徳間デュアル文庫'02)

'01年『かめくん』が第22回日本SF大賞を受賞するなど大ブレイクを果たした北野勇作氏。『かめくん』、そしてその姉妹編である『ザリガニマン』に続く、世界を同じくする三番目の長編……ということになるのかな、本作。

売れないSF作家「K」。妻が突如、仕事を辞めて専業主婦になると言いだし、作家だけでは一家が食べていけないため「K」は職を求めることになる。コンビニで求職情報誌を求めるも、今や大不況のまっただ中。地球防衛軍に思いを馳せつつ彼が目にしたのは「簡単な流れ作業で高収入 単純で今日から出来ます稼げます」という謎の求人チラシ。その日のうちに面接して彼はコンビニの裏手にある、イカ星人の秘密工場(但し、公然の秘密)にて働くことになる。毎日毎日、イカの神経組織を切っては繋ぎ、イカ関連製品を作り続ける「K」。彼は同僚や仲間から、イカ星人の秘密を聞いたり、イカに身体を奪われそうになったり、イカ星人と対峙したりする。その合間合間に思い出すのは小学校の頃の懐かしい思い出。思えば、自分の父は自分がイカ星人であると言っていたような気がする……。

ノスタルジックな味わいのなかでにちょにちょとした生々しさが。噛めば噛む程に味。そして不思議な
まだ三冊しか読んでいない身でこういう言い方ができるのか、百パーセントの自信があるわけではないのだが、北野勇作氏の作品世界は作品が異なっても、基底ではどうも繋がっているようだ。そして、その登場人物も、実際は別人なのだが皆、どこか似ている。”子供の頃の思い出”という存在が一つ重要なキーワードを占めていること、そしてそれが後天的に、作為的に曖昧模糊とした存在へとぼやかされていること(このあたりの手法にハードSF的な要素が加わるのも特徴か)。その結果、過去の記憶と、現在の体験はその曖昧さのなかで、本来は存在しないはずの繋がりをみせて、現実非現実との境界を溶かして、不思議な「北野ワールド」を醸し出す……といった案配なのだ。
ところどころに挿入されるいわゆる”SF界の現状”に関するぼやきにも似た分析にはニヤニヤとさせられるし、世の中の現実というものを斜に眺めたかのような鋭い指摘もところどころに見える。(一連のウルトラマンシリーズに対すると思しき考察には笑いを禁じ得ない) とはいっても、それは「北野ワールド」の一端ではあるが本質ではないだろう。やはり「思い出」を切なく美しく苦く甘酸っぱく、物語世界をいかに読者の共通体験と重ね合わせるか。作者はこういった視点で物語を綴っているのではないだろうか。
ただ、昭和三十年代後半に児童期を過ごしたと思われる北野氏のノスタルジーは、果たして平成生まれの子供たちにも継承され得る感覚なのだろうか? 氏と十年近く異なる私のレベルでは「ある意味継承している」と言い切れるが、私とて物心ついた時分から「カラーテレビ」の世代であり、その登場の衝撃を直接知るものではない。同様に後の世代、物心ついた時には「ビデオ」「DVD」「Blu-ray(極端だが)」という世代が同じ感覚を持つものなのかどうか。ふと考えてしまった。<これはあくまで個人的な感慨でしかないわけだが。

いろいろ想像力を働かせるにグロいシーンも実はそれなりにあるのだけれど、決して生々しい描写がされてはいない。これが不思議でもあり困惑でもあり、魅力でもあるのだが。やはり頭の中にごちゃごちゃとしたイメージを集積して、個人個人の「思い出」を反映させることで、個人個人の読後感を持って読む作品となるだろう。読み方を決められない、一人一人のためのテキスト。それが「北野ワールド」なのである。


03/04/24
多岐川恭「牝」(ケイブンシャ文庫'85)

元版は'62年の東京文藝社のハードカバー。(このケイブンシャ文庫版はどうも'73年のKKベストセラーズ版を底本としているようだが……。ざっと見たところ改変はないようなのだが、細かな異同があるのかどうかまでは調べてられていない)。

中学を出て信用金庫で給仕のような仕事をしていた黒田茂代。彼女は十七歳とまだ幼いながら謎めいた魅力を持っていた。まずは信金の重要な顧客であり、市内に肉屋を何軒も経営する古賀という人物が彼女に惚れ込み、お使いに来た彼女を自宅で襲う。身体をモノにして彼女を囲おうとする古賀に対し、支店長の木山は彼女を庇い、信金を辞めさせて彼女を自宅の小間使いとして雇う。しかしその木山も妻が病弱だったこともあって、木山もまた茂代と関係を持ち、別に家を構えさせて彼女を住まわせるようになる。そんな茂代のもとに現れたのは、中学時代の先輩である藤邦高という男。彼は、彼女の持つ才能を本能的に察知し、もっと大きなことをさせようと決意する。茂代の居所を遂に察知した古賀が現れ、木山は顧客でもある彼への対応に苦慮。東京で新進建築業者としてならす友人の笠原に援助を求める。その笠原もまた茂代の魅力に取り憑かれ、藤の暗躍もあって、木山は自らの苦境を脱するために茂代を差し出す羽目に陥る。嫉妬に狂った木山の暴力を恐れた茂代は家を飛び出し、上京して笠原の元に身を寄せるようになる……。

決して妖女ではなく悪女でもないのに、サクセスストーリーを駆け上っていく「妾」のおはなし
多岐川氏は長編や短編集の題名に好んで「牝」の文字を使用する。例えば『牝の芳香』『ふところの牝』『牝の感触』等々。女性に対する蔑称といった印象もあって、現在の作家はそう使わないであろうこの単語。しかし、その多岐川氏の著作のなかで、シンプルにその「牝」の一文字で題名を冠されたのが本作である。そしてこれがまた、その題名のイメージとは異なる奇妙な物語なのだ。
女性が自らの魅力や身体を利用して、男を誑し込み、次々とステータスの階段を上っていく……という物語なら、他にいくつでもあるだろう。本書においても確かに本質的にはそういった部分がある。しかし本書の主人公、黒田茂代の場合は、どちらかというと「わらしべ長者」のような展開を辿る。確かに結果だけみれば、十代のうちに妾となってしまった女性が、次々とパトロンをバージョンアップし、遂には女実業家となって辣腕を振るう……物語。しかし、その過程がまた多岐川恭作品らしく、「自らそれを積極的に望んでいない」という奇妙さを伴うのだ。周囲の男たちが勝手に振り回され、彼女の意図とは関係なくして彼女を持ち上げていくという、ユーモアと紙一重の生真面目さが造り上げる不思議な構図。 藤という青年が確かにジョーカー的役割を果たしてはいるが、いずれにしても彼女は「現在の旦那」に忠誠を尽くしているにもかかわらず、知らず運命が変転していくのが一つのポイント。変転していく彼女の運命に引き込まれ、そのラストは予想も付かないかたちで結末を迎える。彼女の一生は果たしてなんなのか? 文学的興趣さえこの作品は抱え込む。
著者はあとがきでミステリーのつもりで執筆した、としているが物語の持つ「この先どうなるのだろう?」という謎以外では謎の男、藤邦高の狙いという点くらいしか、謎らしい謎はない。私自身、本書をミステリに分類するのは躊躇われるが(サスペンスとしてならぎりぎり範囲内)、一個の奇妙な小説としての面白さに関しては間違いないと保証できる。

このケイブンシャ文庫版ではポルノ小説に近い扱いだったのか、表紙にでかでかとトップレスの主人公(と思しき女性)のイラストが劇画調にて描かれており、その題名共々何かのきっかけなしには手に取りにくい作品となってしまっているかもしれない。ただ、この女性の描き方の奇妙さなど、他に比類すべき作品が思いつかない。 異色作品の多い多岐川恭の作品のなかでも、ちょっとした異彩を放っている作品。すぐに入手は難しいかもしれないが、探しまくっても見つからない本でもないので、機会があればこの物語の不思議さを味わってみて頂きたいもの。


03/04/23
芦原すなお「嫁洗い池」(文藝春秋'99)

ミミズクとオリーブ』の続編となる、中年ぐーたら作家の”ぼく”と、甲斐甲斐しいその”妻”のもとにぼくの友人である河田警部が事件を持ち込んでくるというお馴染みのシリーズ。文藝春秋社刊の元版が手元にあったので読んでしまったが、どうやら来月('03年5月)には前作同様、創元推理文庫にて刊行される模様。解説を喜国さんが書いているらしいので、そちらが出るまで待っても良かったかな。

成人の日にぼくに届いた謎の手紙。河田の同僚、岩部が一人で育てた二十歳になる娘が家出した。彼女にはBFがいたが、岩部が追い返してしまったのだという。 『娘たち』
ぼくは飲み過ぎて血を吐いた。病院に行って友人の医者から胃カメラを飲まされる。河田は吹き矢による毒殺事件の謎を妻に尋ねにやって来る。 『まだらの猫』
スジ肉を炊いているぼくのところに松茸持参の予告をしていた河田が登場。経済ヤクザが部下のチンピラから刺し殺された事件を尋ねにやって来たのだ。 『九寸五分』
妻が同窓会で郷里へ帰り、ひとりで過ごすぼくの元にまた河田がやって来た。六十七歳の老人がジョギングの後に心不全を起こした事件を妻に聞きに来たのだが、当然妻は不在。 『ホームカミング』
シンデレラになりきった夢を見てうなされるぼくを河田が叩き起こした。会社社長が創業者社長の葬儀の最中、火葬場から失踪してしまったのだという。 『シンデレラの花』
外で旨い牛肉を焼く準備をぼくがしているとやっぱり河田がやって来た。会社経営している仲の良い兄弟。その兄がノイローゼに罹って弟を刺し殺してしまったという事件を携えて。 『嫁洗い池』以上、六編。

偉大なるかな定型、偉大なるかなニッポンの季節、そしてニッポンの料理。空腹時に読むのは危険
前作では多少バリエーションもあったような気もするのだが、二冊目となるこの作品集においては「定型にすべきところをかっちり定型にする」ということによってシチュエーションが固定され、その枠の中の変化が強調されている。つまり、、ぼくと妻の二人暮らしにやってくる口の悪い警察官・河田の三人によるほのぼのとした(時に激烈な)やり取り、ほのかなおかしさ(場合によっては漫才のような会話)が、かえって引き立っているように思われるのだ。
更に具体的にいうと以下のような感じ。
一話ごとに”転勤”して都内ながら別の警察署に勤務する河田。彼が事件を口実に持ってくる肴と、ぼくの家に既に送られてきていたり、準備している肴とのコンビネーション。いい加減お腹がくちくなってきたところで、「さて」とばかりに取り出される事件。更に事件に対する予断なく(推理もなく)、事件現場を徘徊するぼく、そしてそのデータをたちどころに集約して、解決方法を河田に示唆してしまう、名探偵の妻。全て段階を踏んでいるのだが、そのやり取り、その料理になんと魅力の大きいことか。 こればっかりは下手な説明を私がしても仕方がない。だけど、旬の日本の食卓というものがいかに贅沢な存在か(食材の値段ではなく)、という素朴な事実を噛み締めて、思わず気合いの入った御飯が食べたくなることは間違いない。ご飯一つをとっても、気持ちの伝わってくるその献立に思わずこちらも唾を飲む。ミステリとしての味わいもそりゃ深いのだけれど、「食べ物」の存在を抜きに、この作品を語ることは出来ないし、したくない。
さて、ミステリの方。これは安楽椅子(キッチン?)探偵である妻の鷹揚な優しさとは裏腹に、結構、実のところは血腥い、そして様々な欲望が絡んだものが扱われる。(『娘たち』はそうでもないが)。密室殺人あり、入れ替わりあり、不可能犯罪ありと、こちらは現代本格ミステリの流れにオーソドックスに乗っかった謎解きもの。 ちょっと「推理の過程」という部分が、作品内にて描写されず、飛躍した結論が持ち出されるので少しあっさりとした印象もある。しかし、事態の見方の角度を変えたり、心理的に犯罪者を読みとったりと、推理のバリエーションがまた様々なので、決して飽きさせられない。シビアな現世の事件を扱っても〈日常の謎〉の雰囲気を保つという奇跡を、この作品は実現しているのだ。

芦原氏は御承知の通り、ミステリ畑プロパーの作家ではない。とはいえ、本シリーズに限っていえば、紛うことなきミステリスピリッツを感じさせてくれる。登場する料理を眺めるだけで楽しいが、ユーモア小説としても、ミステリとしても十二分に楽しめる希有な作品集。


03/04/22
小林泰三「家に棲むもの」(角川ホラー文庫'03)

角川ホラー文庫の十周年記念で2003年3月は牧野修、中井拓志、伊島りすと、桐生祐狩、北野勇作、吉村達也……と日本ホラー小説大賞出身者を中心とした新刊ラッシュとなった。本書は正々堂々刊行された、そのラインナップの一冊で本文庫がオリジナル。雑誌等に発表された作品に書き下ろしが三編加えられた「短編の名手」による作品集。

街外れに建てられた粗悪住宅。陰気な雰囲気を持つ家に越してきた一家。夫が単身赴任するにあたり、妻の文子は惚けた姑に手を焼く。そして家の中にはいる筈のない、もう一人の老婆の影が……。 『家に棲むもの』
飼い犬までを食してしまう度を超した肉食性の女性、易子の常軌を逸した行動に辟易した僕は、菜食性という女性、練子と結婚する。しかし彼女は外食で肉を摂った僕を強烈に詰り出す……。 『食性』
わたしはお風呂のなかで考え事をしていた。そこに訪ねてきた謎の女。暴力的に玄関に飛び込んできた彼女を撃退したわたしは、家の戸締まりをして襲撃に備えたが、女は二階から侵入、そして……。 『五人目の告白』
白井郁美は遺伝子工学の研究者の助手。ドクターを目指す彼女の研究室の助教授は家畜の改造が専門。彼は足が二十三本ある鶏や足の生えた鱒などを造り出しており、人道的家畜の作成に日夜勤しんでいる。 『肉』
「少女」は美しい外観を持っていた。「母」に村はずれに行くことを戒められるが、夜な夜な怪物からアイデンティティを問われるという夢を見る。「若もの」は彼女に欲望を覚えるが「兄」が彼女を護っていた。 『森の中の少女』
「まじょの家を見つけたので書いておきます」 子供の頃に付けていた日記を見つけ、読み出したわたし。しかし中身は自分で全く覚えていないものだった。その「まじょの家」に行ってみたわたしは……。 『魔女の家』
地下室に隠されている、お祖母ちゃんが描いたお祖父ちゃんの絵。お祖母ちゃんは孫の舞ちゃんに、その絵の来歴を語って聞かせる。それはお祖父ちゃんとの出会いから始まるもので、全て一色で描かれたその絵の内部に描かれているものであった。 『お祖父ちゃんの絵』 以上七編。

ラストの数行がもたらす、鮮烈にして戦慄の諧謔。作品に隠された周到な仕掛けが振るう大鉈
もともと小林泰三氏は、日本ホラー小説大賞の短編賞にてデビュー(『玩具修理者』)した作家である。ただ、元より氏が持っていたSF指向が最近は開花したこともあって、グレードの高いハードSF作品の書き手としても認知されるようになった。『海を見る人』はそのSF方面の業績をまとめた好作品集であり、SFファンに高く評価されている。しかし、SFの流れに行くのか――とも思わせ、元のホラー作品のファンをやきもきさせた小林氏が、実はやっぱり「ホラーの血」を捨て去ってしまったわけではなかった――ということを証明したのが本書ということになるのではないか。
伊達に「ホラー短編の名手」と呼ばれていない。短編という切り取られたごく短い物語のなかに、独自の世界を込めるのが、やはり実に上手いのだ。 ”短編の名手”と呼ばれる作家に共通する能力。センスだということもできようが、小林氏には短い文章のなかにしっかりと読者の目に浮かぶ光景を込めるだけの力量がある。『家に棲むもの』の古い家に棲む不穏な雰囲気、『食性』における二人の女性の対比、『五人目の告白』のミステリ仕立ての構成、『肉』のユーモアと紙一重の不快感、『森の中の少女』の隔絶された世界、『魔女の家』の子供ならではの視点の不可解さ、『お祖父ちゃんの家』のお祖母ちゃんの一人語りに含まれる狂気……。
それぞれコンセプトがあり、そして、そのなかに独自の世界観をもまた重ね合わせる。その結果、恐怖を味わう以前に、読者は物語の内部に立たされていることに気付く。(更には気付かないうちに立っている)。小林氏の作品の凄さはそれだけではない。その世界を、裏切るのだ。特に最後の数行にて物語を反転させたり、闇に突き落としたり、読者を引きずり落としたり。 その効果をいかに高めるかにニヤニヤしながら(もしくは苦悩しながら)作者が生み出す物語群の持つ破壊力は、最後の最後まで弓にてぎりぎりと引き絞られ、ラスト数行にて解き放たれる。ミステリにおけるどんでん返しに近い手法が、ごく自然にホラー作品のなかに存在する不思議を味わう。

やっぱり小林泰三の短編は上手いよなぁ……という素直な印象。「恐怖」というパラメータだけでみると、多少弱い作品もあるが、それはそれで独得の雰囲気と、ブラックな味わいを持つ作品に仕上がっているので、それもまた良し。定期的にこういった作品集が刊行されるとファンとしては幸福なのだが。


03/04/21
小松左京「男を探せ」(ハルキ文庫'99)

SF作家の大御所中の大御所にして、実は日本推理作家協会賞をも受賞している小松左京氏の、ミステリ風味溢れる作品ばかりが収録された短編集。編集したのは日下三蔵氏。ベースとなった元本は『おれの死体を探せ』ではないかと思われるが、その他からの作品も収録されている模様。

海外から戻ってきた博士のボディガードの依頼を受けた大杉探偵は、土砂降りの雨の中、博士の研究所へと赴く。しかし彼を待ち構えていたのは博士の死体。逃げる人影に向かって大杉は銃を発射、しかし彼自身が背中を撃たれてしまう。 『長い部屋』
ハイキング中の地震と濃い霧の中で行方不明となった青年を捜せと大金持ちの老人から依頼を受けた大杉。既に警察や高名な探偵たちに徹底的に調査されており、落ち穂拾いをする彼が聞いたのは、山中にあるという「幽霊屋敷」の噂だった。 『幽霊屋敷』
徹底的に蕩尽をして素寒貧になった大杉の元に現れた幽霊。彼は自分が殺されたのだが死体がないので探せという。秘書のネネ子とその仲間達、そして矢坂警部と共に調べた大杉は、事件に外国大使館が絡んでいることを突き止める。 『おれの死体を探せ』
船乗りと舞台女優との激烈なる恋は、二人の意地の張り合いにて終わりを告げた。二人が同じく持つ鳩啼時計が時を示すとき、二人は再会する……はずだったのだが……。 『鳩啼時計』
危険を冒して財産家の息子を誘拐した男。しかし彼の愛人がまた誘拐されており困ったことに。さらに身代金の電話を掛けても家に繋がらず、様子を見に行った男は、その家の主人と妻もまた誘拐されているという事態に巻き込まれ……。 『共食い』
息子が誘拐された夫婦。息子は二十四時間以内に薬を服用させなければ危険な状態になると、夫婦は犯人に対して切々と訴えるのだが、犯人はその言葉を信用しない。 『危険な誘拐』
私立探偵阪東は「魔風会」会長の娘に手を出し、色情狂のその娘に惚れられたばかりにB.Jという医師から大手術を受けて女性にされてしまった。彼は自分自身を取り戻すべく組織に対抗、逆襲を開始する。 『男を探せ』
研究者の老人が密室内で殺害された。彼を殺した凶器からは彼自身の指紋しか発見されず、科学捜査の結果、彼自身が彼を殴り殺したとしか思えない状況となっていたのだが……。 『犯人なおもて救われず』
黒魔術に詳しい男が謎の死を遂げた。その凶器に使用された銃には謎の紋章が沢山刻み込まれており、警察にて調査されていた最中に銃はひとりでにどこかに消えてしまう。そしてその銃で再び惨劇が……。 『凶銃』
人口八千人の小さな街にある喫茶店。いつものようにたむろしていた男女三人組は、突如飛び込んできて男性客をひねり殺した大男と対峙する。一人が空手の心得をもって対決しようとすると男は逃げ出した。果たして彼は一体何者なのか? 『ヴォミーサ』 以上十編。

SFという大きい流れのなかから生まれた、ミステリ風味の持つ味わいを堪能!
大御所、小松左京氏のキャリアのなかで数発表された作品のうち、特にミステリ風の意図や構成をとった作品のみをセレクト……。小松氏自身も本作収録の、とある作品の中で読者への挑戦をしているのだが「ただし専門のミステリー作家でない小生の書くものですから、あまりフェアなものではありません」……とミステリではないと述べているとおり、いわゆる本格ミステリを指向した作品ではない。スラップスティックなハードボイルド探偵を「定型」として持ち込んだり、SF的な世界観の内部で行われる犯罪を扱ったりと、どちらかといえば「SF作家の遊び心」を感じさせるような作品群が並ぶ。
――少し前ならば、”SF作家の手すさび”といった評価で済まされてしまう作品群だったのかもしれない。だが、現在の本格ミステリの裾野の拡大に伴って、こういったSF作品が発する精神と、現在の本格ミステリの開拓精神とが、紆余曲折しつつも微妙な合致を見せつつあるのは周知の通り。SFやファンタジー世界の内部であっても、一定のロジックが成り立つことでミステリが成立する現在、二十数年前に小松氏がニヤニヤしながら書いたであろう作品の価値は、若手ミステリ作家が必死で知恵を絞って編み出した”SFミステリ”作品と非常に近しくなっているように思える。初めから「SFミステリ」を論理的に狙った作品ではないことも自明だが、結果として作品の出来が近いように感じられることは、少し離れた立場からみると面白い。
……というようなことを読者が考えずとも、全般に溢れるユーモアは古びておらず、今なお十分な面白さを持っている。ことの方を強調するべきか、フツー。 三作しか発表されなかったことが実に残念な、荒唐無稽で破天荒な大杉探偵もの、更に、某手塚作品と世界を重ねたうえで、宇能鴻一郎の文体模写が爆笑ものの表題作品『男を探せ』あたりの突飛さは、分類不可能のはちゃめちゃぶりであり、独特のグルーブ感覚と強烈な笑いを体験できる。
一方で、本書においてはSF設定を一切使わない誘拐ミステリ『共食い』と、星雲賞短編賞の受賞歴を持つ名短編『ヴォミーサ』の二編が、純粋にミステリとして眺めた時に完成度が高いことにも気付く。特に『ヴォミーサ』については、アシモフのロボット三原則を前提に、論理の力で新たな展開を印象づける作品で、そのロジックのみならず人間とロボットの表現が微妙に揺らいでいるあたりの世界観の描写が実に巧みで、これに賞を与えたSF読者の度量はさすがだな、と感心。

やはり一時代を築いた作家の作品集であり、センスオブワンダーはもちろん、読み物として十全なレベルを全体として維持している。いわゆる”日下本”ならではのセレクトのせいもあろうが、厚めの一冊をさくさくと読み進めることができた。あまりミステリファンの話題に上らなかったが、このまま埋もれさせるに勿体ない収穫。