MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/05/10
多岐川恭「愛憎の接点」(東方社'63)

貸本向けに作られたのではないかと思われる、多岐川恭の短編集。匣装とは別に同じデザインのカバー装のものが同社より'68年にも刊行されているが、文庫等には落ちていないため、本書でしか読むことができない。

刑事によって売春の現場に踏み込まれた娼婦。彼女は見逃してもらう代わりに梅園というその刑事の指示に従い、家具製造会社の御曹司である稗田の元に送り込まれる。彼の犯した罪の証拠を色仕掛けで入手するのが彼女の役目だったが……。 『愛憎の接点』
トップ屋の宮路のもとに以前に交際していた彰子から連絡が入る。自宅の風呂場でパトロンが変死しているので助けて欲しいのだという。男は風呂場で感電死しており、宮路は彰子を自宅に匿って密かに捜査を開始する。 『雨の日の悪女
温泉街の鄙びた旅館に宿泊する木暮は隣客の不審なカップルに興味を抱く。年上女性と若い男性で番頭は心中かもしれないから見張って欲しいと木暮に頼む。旅館の若い仲居を巻き込んで木暮は二人に探りを入れてみると……。 『隣りの客』
推理劇にこだわる劇場経営者の下に集う小劇団。三角関係のもつれを主題にした次の演目は、実際の関係者の乱れた男女関係を映し出してもいた。実際に劇中で誰かが殺されるのでは、と彼らは皆、予感するが破局は意外なところから……。 『殺人劇場』
妻を亡くし会社を早くに退職した久作は真面目な男として通っていた。彼は旅行中に不遇な少女・竹子を見つけて女中として家に入れ、自宅を改造して女性の一人暮らし向け間貸しを始めた。入って来たのは旦那持ちの二号さん。 『世話焼き久作』
プロ野球「ベアーズ」のエースピッチャー・細川がシーズン途中に宿泊していたホテル内で青酸カリによって変死した。自他殺両面から捜査されたが、彼は調子を落としてノイローゼ気味だったという。しかし記者の田原は関係者に話を聞くうちに不審な事実を次々と発見する。 『狂ったエース』 以上六編。

奇想天外サスペンス+本格推理の妙+多岐川ハードボイルド。「らしさ」が漂う好作品集
多岐川恭の作品刊行歴においては「初期のおわり頃」あたる、ちょっと微妙な時期に刊行された短編集で初出等の調べはついていない。あまり過度の期待はせずに(とはいえ多岐川ファンなのでそれなりの期待はしていたが)読み出したら、これがヒット。内容のバラエティに富んでおり、多岐川作品で往々に用いられるモチーフが色々な意味で詰まった作品集であった。

まず『愛憎の接点』。売春婦まで身を落としていた女性が、そのきっかけとなった男性への復讐を試みる物語なのだが、男女の心理の綾が実によく出ている。偶然が過ぎるのが難かもしれないが、物語性と結末の意外さ、そして男女の微妙に浮世離れした感覚など多岐川氏にしか書けない作品。

『雨の日の悪女』 殺人事件をもとに、かつて愛した女性を再びものにしようとする男の視点という切り口が面白い。多岐川風の不器用なのか器用なのか分からない主人公が、真相を探しつつ別の思惑をもって行動するあたりが特徴的。ラストのやりきれなさが実に渋い。

『隣りの客』 多岐川作品の時折見られる「奇妙な設定」が効いた佳作。旅館で隣に入ったカップルを聴診器まで用意して監視させる旅館も凄いが、若い仲居を口説き、かつ不倫カップルの正体を見抜いた結果の主人公の正体などオチがまた皮肉溢れており、本格推理的な視点と合わせて短編の妙味を感じさせてくれる。

『殺人劇場』 劇団員とその関係者を含む乱脈な交際ぶりが浮き彫りにし、読者に犯罪発生を予感させながら「計画」の方が延延と練られていく。一種の倒叙ミステリ的な作品かと思わせておいて、作者は大いにその感覚を裏切る。誰が最後に罪を犯すのか……。これまた意外性の固まりのような作品。

『狂ったエース』 プロ野球をベースにしながら、被害者の死の直前の行動を関係者からヒアリングし推理する新聞記者。なぜピッチャーはある試合でマウンドを飛び降りて観客席に駆けていったのか? コントロールを乱していたのは何故か? 多面的視点を集めて関係者の嘘を暴き出す過程がミソ。ちょっと不思議なフーダニット作品。

短編集としては統一感があまりないため、各作品にミニコメントを付ける形とした。多岐川恭にかかれば、本格パズラーの手法もサスペンスの手法も、結局「物語」を描き出すためのテクニックに過ぎない。 ブラックな味わいを持つオチが多いが、この皮肉が多岐川作品の魅力でもあり、何十年も前に刊行された作品を私が探し求める原動力となっている。特に『隣りの客』あたりは隠れた傑作と呼べそう。こういう作品と出会える限り、やっぱり読破の夢は捨てられない(というかそのつもり)。


03/05/09
斎藤 栄「紅の幻影 勝海舟の殺人」(講談社文庫'80)

'66年に『殺人の棋譜』にて乱歩賞を受賞した斎藤氏が、その三年後'69年に刊行した『紅の幻影』が元版。本作品は翌'70年に第23回日本推理作家協会賞候補となる。その後『勝海舟の殺人』と題名が改題されて春陽文庫等に収録されるが、その二つの題名を合わせたかたちとなったのが本作。

第一部: 高名な大衆文学作家、長谷川竜五郎の元に弟子入りした銀行員の私は、その長谷川先生宅に入り浸るようになる。長谷川先生は私に「勝海舟」を主題にして歴史ものの大衆文学を書いてみては、と勧め、私はそれに従って文献を調べ始める。長谷川先生は奥さんを大切にしており、私も彼女に対して淡い思いを抱くようになる。しかし、長谷川先生は癌に冒されており入院、退院後は執筆活動を停止していた。そして奥さんの誕生日パーティのある日、密室内部で奥さんが殺される事件が発生してしまう……。
第二部: 水野昇という独身男性の死体が浴槽の内部に沈んでいるのが友人の露木によって発見された。彼は推理小説の賞に応募する作品「紅の幻影」をまとめており、それが捜査陣の一人、折原刑事の目に留まる。水野は事故死ではなく、殺されたのではないかという疑念の元、「紅の幻影」に示唆されている事柄を確かめるうちに、折原はいくつもの象徴的な描写に気づき……。

作中作テキストの効果的な使用法+前代未聞の某トリック。斎藤栄を代表する傑作の一つといわれるだけある
第一部が『紅の幻影』となっており、第二部が『黒の構図』となっている。二つの物語は舞台も登場人物も全く異なっており、全くの事前知識がなければ一冊の単行本に中編が二作入り込んでいる……と考える人がいてもおかしくない。特に『紅の幻影』そのものは、大衆文芸作家の妻が殺された事件を扱う私小説っぽいミステリとして、単体中編としても一応納得いくような出来映えとなっていることもそのような事態を誘因する理由となるだろう。ただ、本書は、その特異な二部構成故に高い評価を得ているといっても過言ではない。
後の作品でも似た手法はみられるが、これよりも前の作品で同様の趣向を用いた作品はほとんどないのではないか。即ち、作中作をつくり、その作中作そのものがメタレベルで上位のその執筆者を取り巻く事件の手掛かりとなるという方法である。その作品の作者は誰なのか。その作者にしか知り得ない事実や描写のポイントから、事件との繋がりを解明し……というこの方法は、捜査陣にとっても読者にとっても同様の手掛かりが与えられている点、フェアな本格ミステリとしての手法が取られているといえよう。そして作中作とは無関係ながら、薬物投与されて死んだとしか思えないのに、身体から薬物は検出されず、かつそういった薬物を投与した痕跡が微塵もない――という悪魔的な殺人事件、この真相の強烈さもまた凄い。だって、あんなものをあんなところからああしたなんて、誰が思いつきますかいな。 これは一度読んだら、そのインパクトゆえにちょっと忘れられないトリックになるはず。ああ、この描写も作中作に伏線はあったな、確かに。……だけど、ねぇ、ホントに使いますかいな、コレ……。あまりに強烈すぎて後の作家もさすがにこれは追随できなかったか。

「ストーリー」+「トリック」で「ストリック」と呼ばれる技法を編み出し、それを今なお実践している斎藤氏であるが、その言葉が初めて用いられたのは本書の初刊版だといわれる。近年の作品を読むと「?」なところがあるものの、本作の力の入り具合とその完成度を眺めた時に、その造語まで作って斎藤氏がやろうとしたことが垣間見える。少なくとも本作は、今後も読まれるべき道標的価値を持つ一冊。 大量の斎藤氏の作品群なかで、下手をすると最初に手に取るには乱歩賞を受賞した作品よりも適しているかもしれない。


03/05/08
鮎川哲也(編)「本格推理1 新しい挑戦者たち」(光文社文庫'93)

「文庫形式の雑誌」ないし「雑誌のような文庫」を目指して、光文社文庫の折り込み広告「文庫のぶんこ」にて本格推理短編を鮎川氏が募集、集められた二八三編の短編がセレクトされ二分冊にて刊行されたのが本書。この「本格推理」のシリーズはこの後も続けられ、後のプロ作家への登竜門として合計十五冊が刊行されることになり、鮎川氏夭折後は「新・本格推理」へと引き継がれる。(ふと思ったが、この十五冊、後の古本的にキキメになる可能性もあるかも)。

編者は「本格」にこだわったと本書のなかで何度も言及している。とはいってもその「本格」という(鮎川氏自身によって形成された)枠組みそのもののなかでも、作品の幅は広い。いわゆるアンソロジーで「本格」だけを主題にしても、別に何か主題を設けなければ統一感が出ないように、本書もどこかバラツキが大きいように感じられた。またアマチュアを対象とした作品募集+招待作品二作という構成なのだが、それら全てを含めても作品の小説としての巧拙がまた非常にばらついている。なのでまとめて、本書全体としての書評は不可能と判断、一作品ごとのミニコメントをもってまとめたい。

推理小説まがいの猟奇密室殺人事件が発生。学生時代に知り合った友人、柳之介を訪ねたぼくは、彼から同じ日に発生した強盗殺人事件に注目するよう指摘される。 ――冒頭を飾るだけあって見事な一品。トリックの使い方が心憎く、真相を明かした後の論証もテンポが良く、説得力のある作品となっている。利根祐介『柳之介の推理』 

鳥だらけになった密室で金満家が睡眠薬を飲んだ首吊り死体となって発見された。鳥かごに入っていた筈の鳥はなぜ解き放たれていたのか。マスターキーは部屋の中から発見されたのだが。 ――密室にこだわりをみせた作品。見取り図がやたら多く出てきてフェアを目指しているのだろうが、あるトリック一発に頼りすぎている感。 蕎麦米単九『鳥』

同窓会。小学校六年生の時に、不幸な理由から転校を余儀なくされた女生徒が、プールに飛び込んだまま消えてしまった。演出は藤田先生。同窓会の席上でそのトリックを皆で解き明かそうとするが。 ――後に『藤田先生のミステリアスな一年』を著す村瀬氏の作品。青春ミステリと、後の藤田先生シリーズに繋がる伏線としては良いのではないだろうか。トリックそのものはどうかと思う点もあるのだが。 村瀬継弥『藤田先生と人間消失』

信州のロープウェイで全裸の女性作家が発見され、同乗していた筈の謎の男性が消え去った。 ――文章が冗長のうえ、物語がトリックに寄りかかっており、そのトリックが甘いとなると……。 友杉直人『信州推理紀行』

山形新幹線「つばさ117号」車内のグリーン車トイレで他殺死体が発見された。容疑者がなかなか浮かばず、捜査は難航したが……。 ――応募最年少、十四歳からの投稿……という点のみを鮎川氏より評価されたと思しき作品。先物買いを割り引いたとしてもミステリにして単純、小説にして退屈。 太田宣伯『愛と殺意の山形新幹線』

金融ブローカーのオフィス内部で男の死体が発見された。顔が薬品で焼かれていたが身許は類推された。鍵を持つ社長が怪しいと思われたが彼には犯行不可能と思われる理由があった。 ――山沢作品らしい、徹底したパズルに徹した本格ミステリ。思わぬところに伏線があり、丁寧に読んでも真相の看破は困難かも。これぞ「本格」と胸を張れる作品ではある。その一方で熱心なマニア向きという気もする。(実際、山沢氏はマニア層からは絶大な支持を得ている) 山沢晴雄『砧未発表の事件』

若くして夭折しその評価を高めた画家の絵をモチーフにした壁画。熱心に見入る男に興味を持ち、近くのオフィスに勤めるイラストレーターの女性が声を掛ける。彼は、その画家の生涯に秘密があるのだと主張する。 ――アマチュア時代の北森鴻作品。正直「本格推理」という側面で捉えるに、特にラストに対する伏線が非常に分かりにくい(存在はする)という欠点はあるが、物語としての完成度では作品集随一。本格としてのみであれば他作品に一歩譲っても、この面白さ、取り上げない手はなかっただろう。 北森鴻『仮面の遺書』

新任の当直医が深夜に診療したはずの患者が、翌朝消えてしまっていた。一緒にいた看護婦や関係者に尋ねてもそんな人物は知らないという。 ――サスペンス風の出だしと謎の提示は魅力的ではあるが、読者も想像できる(そしてそれ以外に想像しようがない)オチにしかできなかった点はちょいと寂しい。それを裏切る解決がつけられれば面白くなったのだろうが……。 神島耕一『静かな夜』

人妻と不倫関係にある男がその旦那を亡き者にしようと計画。スキーに行った旦那を言葉巧みに拉致して、冷凍庫を利用したトリックにて殺害するのだが……。 ――倒叙形式のミステリ。この作品にて用いられる犯行方法は平凡といえば平凡なのだが、その崩される過程がプロにもないようなオリジナリティを感じた。小説的にもう少し魅力的にまとめられればもう少し上が狙えそうな印象。 碑歳美代『氷点下7度Cのブリザード』

昭和初期、第二次大戦の足音が迫るサンフランシスコ。二人の男が三階より転落し、一人が死亡してもう一人が記憶喪失に。記憶喪失の男が推理する真相とは……。 ――佳作。記憶喪失の男の心情、そして時代背景が動機と見事にマッチしており、トリックにしても見るべきところがある。ラストのオチはちょっと予想していなかったが、これを使うのであればそういう伏線を示して(分かりやすいくらいに)おいた方が受けたようにも思う。 琴代智『桑港の幻』

四番町の葬儀屋にかかってきた悪戯電話。主人が戻ってきたところ仕事場が荒らされ、棺桶が消えていた。これが霧が人を襲い始める物語の前兆であった。  ――後に『A先生の名推理』を刊行することになる津島氏。同書もそうだが、本作も「荒唐無稽」の使い方がぶれていて作品全体が台無し。大人視点の作品において地の文で恐怖を煽るのは無理がありすぎる。せめて小学生向けのジュヴナイルであればまだ読めた可能性があるが。 津島誠司『牙を持つ霧』

JDカー作品のパスティーシュ。ケン・ブレークを含む三人の人物が、赤死荘という空き家に呼び出され、そのうち一人が殺される。逃亡した犯人の姿はみえず、ケンが第一容疑者となった。当然彼は殺人など犯していないと主張、H・M卿が事件を推理する。  ――パスティーシュとしてみるに、文体の似せ方や事件そのものの雰囲気など非常によく出来ていると感じる。特にマニアをニヤリとさせる細かい設定は嬉しい。反面、ミステリの部分にちょっと説明不足かも、と思われるところがあるのだが、それにしてもトータルでは良くできた作品。後に『名探偵の肖像』にも収録されている。 二階堂黎人『赤死荘の殺人』

「本格推理」にこだわり、広く在野より原稿を求めるという鮎川氏の心意気や良し。 本書を、刊行からたったの十年後の現段階で評価するのはもしかすると烏沽がましいかもしれない。だが、客観的にみて作品のレベルに大きなバラツキがあるし、後のプロとなる作家は必ずその片鱗となる「煌めき」が作品のどこかにある。ミステリ作家になる――いう行為は、努力するもの以前に最低限のセンスを持つことが必要、ということなのだろう。


03/05/07
近藤史恵「天使はモップを持って」(実業之日本社ジョイ・ノベルス'03)

'97年から'01年にかけて『週刊小説』誌に掲載されていたシリーズ作品に、書き下ろしを一編加えた連作ミステリー短編集。探偵役は七階まであるオフィスビルの清掃を一手に引き受ける必殺掃除人? キリコ。新入社員の梶本大介をワトソン役に「会社の事件」を彼女は次々と解決する。(辻真先さんの作品に対するオマージュ……という側面があるのかどうか。ただ両キリコの性格は少し似ているような気もする)。

入社早々オペレータールームに配属された大介。女性の多いこの職場で大介の預かった書類が連続して紛失する事件が発生した。 『オペレータールームの怪』
キリコの手伝いで深夜に清掃作業を手伝う大介。しかしその時刻に出入りの生保社員が、ビルの非常階段で殺されるという事件が。 『ピクルスが見ていた』
会社の同僚がマルチまがい商法に振り回されるなか、大介の同僚で頼りがいのある女性・原西がその商法に興味を示しはじめる。 『心のしまい場所』
オペレータールームの女性全員がダイエットを宣言。そこに営業事務の女性の妹が派遣社員としてやって来た。彼女が抱えるトラブルとは。 『ダイエット狂想曲』
キリコが掃除を休んでいる間に発生したロッカーの盗難騒動。会社でのさばるセクハラ課長。そしてキリコ復帰後、ロッカーで見つかるひよこたち。 『ロッカールームのひよこ』
キリコの誕生日祝いを買いに行ったデパートで別部門の女性社員のアドバイスを受ける大介。その部門長の机の上には白とピンクの布で出来たパンダが。 『桃色のパンダ』
始業前のトイレにこぼされる墨汁。キリコの仕事を狙い打ちするかのような悪意はエスカレート。果たして誰が会社を汚すのか。 『シンデレラ』
家庭の事情で早急な結婚をしてしまった大介。出来すぎた妻の心配りに大介はかえって大きなプレッシャーを受ける。そしてオフィスを掃除するキリコはもういない……。 『史上最悪のヒーロー』 以上八編。

軽快・軽妙。”会社”という組織にまつわるちょっとした不思議を。スッキリさせて読者にわたす掃除人♪
会社といっても業界・規模によっていろいろあるだろうが、一般的に知る限りではやはり結局のところ、その組織を構成する人々が交わることによって特殊な空間を生み出す。雇用契約によって繋がっているだけ、とか、社員の入退社があるにもかかわらず、その”特殊な空間”は綿々として受け継がれる。それが、いわゆる「社風」と呼ばれるものである。その社風に染まった人間は、組織内の常識が、世間の非常識であってもなかなか気付かない。組織内部で隠し通せる事態も、第三者が見ることによってあからさまになってしまうこともあり得る。本書の探偵役たるキリコは、その”組織”のボーダーに位置することをフルに活用できる位置づけにある。 その位置づけが面白い。
何を隠そう、私も学生時代、とある有名企業に入るゴミ収集業のアルバイトをしていたことがある。その体験を踏まえていわせてもらえば、社員にとって彼らは”見えない人”なのだ。残念ながら(幸いなことに?)バイト先の会社は名前を挙げれば誰でも知っているような有名企業だったこともあって、キリコ程に会社に浸透するようなことはなかった。だが、本書の場合、あまり大きくない会社の清掃を一手に引き受けている彼女は、社内の人間関係をも把握し、かつ客観的な視点で事態を見詰めることができるわけだ。本書では殺人事件を扱う話もあるのだが、主となるのは、ごくごくちょっとした会社の謎。「もしかしたらあるかもしれない」というレベルの謎を近藤さんは上手く提示して、それから説得性のある解決を提供する。謎そのものよりも、人間観察の結果導き出される、答えの整合性が各作品の魅力となっている。 特に「会社」というオフィシャルな空間ゆえに隠される「人間関係」を透視していくロジカルな展開が面白い。また、キリコのキャラクタゆえに、「情」があり、「感動」ありの物語の構成にも暖かみが感じられる。
最後に。 書き下ろされた連作の最終話に関しては、ミステリとしての興趣は薄いものの、物語の締めくくりとしてはこれがあった方がやはりそこまで付き合ってきた読者は嬉しいもの。大介の心境、男性として(それもナサケナイ男性として)どこか同情できるところがあるのだが、この感覚というのは女性読者も分かるものなのだろうか。(というか、近藤さんが何故こういった感覚を知っているのか、それも不思議である)。

安定した中身を伴う、安心して読めるミステリ。近藤さんの『カナリヤは眠れない』をはじめとする「整体師&美人姉妹」シリーズに比較的近い系統の作品といえるだろう。ちょっとした恋愛模様が良いスパイスになっているところや、読むと何となく元気になるような気がするところなど。ちょいと軽めながら、全ての会社人に対して満遍なくお勧めできる作品集


03/05/06
清涼院流水「カーニバル・デイ 新人類の記念日」(講談社ノベルス'99)

JDCシリーズを中心とした、流水大説の更に(現在のところ)ど真ん中に君臨する超強大にして強烈なイベント「犯罪オリンピック」。『カーニバル・イヴ』、『カーニバル』『カーニバル・デイ』の三冊にわたって繰り広げられたこのイベントもとうとう終幕を迎える……。しかし、1000ページを超える本書、分厚すぎて持ち歩き辛い。

不眠閃考を駆使する少年名探偵、犬神夜叉。九十九十九に付き従って春夏秋塔に滞在していた彼は、犯罪オリンピック開幕を九十九に知らされた電話で知る。彼はJDCの再建ではなく、JDC新総代である由比賀独尊の指示に従ってJDCを離れた九十九に従って行動することを選んだ……。彼の視点によってまずは「犯罪オリンピック」の前半戦が回顧される。とはいえ、その半年の間『犬神家の一族』(by横溝正史)の末裔である彼は那須市の実家に身を寄せ、周辺で発生する「猿仮面」の事件を解決に導くなど彼なりに活躍をする。九十九と犬神夜叉が京都の奥地にある「幻想館」にて巡り会って意見を交わした時、浮かび上がってきたのは六百年の年月を越えた御伽華詩(おとぎばなし)の暗合であった。いくつかの事件を通じてビリオンキラーを操っていると思われる九十九邪鬼の正体に到達した十九。しかし夜叉が油断した隙に、侵入してきた刺客が十九を襲い、その胸を切り裂いた。その刺客の頭は「牛」だった……。
犯罪オリンピック前半戦は赤道を一周する人間の血液流にて彩られ、そして後半戦、後に「水晶の悪夢」と呼ばれる中性子爆弾を使用した連続高層ビル爆破事件(推定死亡者十三万人)によって再び恐怖の幕を開けた。果たしてRISEの正体は、そして人類の運命は?

エンターテインメントの膨大化の頂点を極めた流水大説。そして、彼がやろうとしたこと。
読み(黄泉)終わり。清涼院流水がやろうとしたこと――ついでに世評(過去のワタシ含む)が示した反応について、ようやくちょっとだけ理解出来たような気がする。ただあくまでちょっとだけ、なのだけれど。

例えば、建築学的には奇妙な館で連続殺人が発生するミステリがあったとする。内容はかっちりした本格パズラーである。この作品をある価値観を持つ人は「完璧だ! 傑作だ!」と絶賛し、また別の人は「こんな館は存在し得ない。故に駄作だ」と切り捨てる。更に別の人は館の存在は容認しても「館の内部の人々がパニックにならず、推理合戦をしているのはおかしい」という批判をするかもしれないし、「人間が書けていない」「作者が嫌い」という一言のもとに読みもせずに批判する人もいるかもしれない。

結局、清涼院氏の作品評価というのはそういう読者の位置づけを極端にしたところから生まれる、ということではないか。要は、この設定、この登場人物、この論理、それぞれが従来のミステリとはかけ離れているがために、部分部分で既存読者の許容度を超えてしまう部分が出てきてしまっているだけのこと。 許容できなかった読者が結局多数で、更に彼らが声高に批判したが結果、今の清涼院流水というブランドが「既存の」ミステリ界にて「鬼っ子」になってしまった。これが現状に近いように思われる。清涼院氏自身、どうやら確信的にこれらのコトを行っているようで、従来エンタメの枠をはみ出る、無視するということを逆にポリシーとしているかのような態度が見え隠れしている。なので、この状態は作者が望んで造り出した部分があるのではないか。

確かに、視点を持つ人物が多すぎるため本来不必要とも思われるプロットが多いのと、繰り返し繰り返し過去のエピソードが語られるのはくどく(苦読)感じられるのは事実。(既に語られたこと、これから語られることが回想混じりに何度も繰り返されるのは、一気読みする読者にとっては苦痛となる)。ただ、文章そのものが決してひどく拙いわけではないし、数多く存在する主要登場人物のキャラが立っているので、読んでいて混乱したり、何の場面なのか理解できなくなるようなことはない。また、清涼院氏独特の日本語への愛情。これもまた誤解される理由の一つだろう。本書にて謎の組織RISEが公式に使用する言語を「R(ラー)言語」と規定し、これは実は「日本人の現代若者言葉」であるという設定としているのだが、これもまた日本語表現を独特の解釈をもって使い回す作者による究極の遊び心だと思えば良い。一つの言葉を同じ発音の別の言葉と置き換えたり、駄洒落寸前の解釈やアナグラムを多用したり、文章を補足するのに記号を利用したり。作品がいわゆる「教科書的日本語」を使って著されなければならないという法はなく、それを創造するのも作者の自由裁量のうちなのだから。そしてこの言語でもって記される世界こそが「流水大説」の一環なのだといえよう。

また、徹底して自作を再解読し、それを世界解読のヒントとしてしまう作風も、ここまで来れば偏執的ではあるものの、徹底していて凄まじい。一連の「カーニバル」を通じて『コズミック』『ジョーカー』に残された謎(というか意味ありげな部分)が繋がっている……というのは、通常の意味での伏線を越えており、読者はもう「世界」を肯定するか否定するかしかの判断しか許されない。そんなところから言葉を引くか。アナグラムにするかという過剰な言葉遊びのオンパレード。また、作者自身のみならず、読者・編集者まで巻き込んでメタ構造的に世界を構築する方法論は、人によっては悪ふざけが過ぎるという反応もあるだろうが、作者が登場するメタミステリは今に始まったことではない。

小ネタからは、本人が既存のミステリ作品を否定していないことが伺える。梗概に示した通り『犬神家の一族』もうそうだし、クイーンをはじめ、高名な探偵は「この世界に存在した」という前提で、それなりの(ただ、それなりでしかないけれど)説得性をもって設定が作られている。また、ビリオンキラーの残していく黄金髑髏にしたって、もしかすると京極夏彦『狂骨の夢』あたりからインスパイアされたものかもしれない。また推理手法、特に「メタ推理」あたりは本格ミステリにおける名探偵の逆説的意味合いから、ちょっと個人的に感心してみたり。

最後に、この壮大な物語について述べようと思う。――が、これがまた難しい。一ついえるのはこのJDCのシリーズが壮大なる清涼院フィクションであるということ。作者が作品内でリアルと規定した事実がリアルであるということ。さすれば、ミステリはとにかく何でもありの世界へと進む。 部分部分ではやはり絶対に許せないという読者がいることは理解できるし、逆に本書を喝采をもって迎える読者がいることもまた理解できる。一度、許せば、何が出てくるか分からないところを面白く思う(面白がる)ことができるし、結構それも楽しい。 超不可能犯罪のトリックについては詭弁をもって逃げた(それはそれとして、作品内ではアリなのだろうが)という印象が拭えないのがちょっと残念だが、カーニバルというイベントそのものの理由や意味というものは、作品内にて一応の格好はつけている。ついでに「流し読みする読者」に対する、本書が強烈に分厚いことを逆説的に使ったトリック(ロジック?)には、思わず笑いが。

通常の意味でのリアルを全て無視し、作品世界を清涼院流水が造り上げたものと認識すれば、読者は全てを許容できるし、「流水大説」は、それを求めている。 この一点を理解するがために、結局もの凄い時間をかけてしまったかもしれない。結局、清涼院流水、これは有り無しなら有り。貴方(ワタシ)が否定するのは自由だけれど、結局世に出ている以上、貴方(ワタシ)以外の読者はいるわけだし。従来的なミステリの価値観からは鬼っ子となろうと、こういうエンターテインメントがあっても良い。一連の本シリーズも文庫化されて、更に改訂や内容変更が実施されているらしいが、さすがにそこまでは追う気力は残っていないデス(死)。ただ『彩紋家事件』は、出たらやっぱり読むかも。(これらの文章↑ちょっと「R言語」に影響受けてます)。


03/05/05
清涼院流水「カーニバル 人類最後の事件」(講談社ノベルス'99)

第2回メフィスト賞を受賞、従来の価値観では評価しきれない、全く異なるエンターテインメント『コズミック』『ジョーカー』を打ち出した清涼院氏が、自らの「流水大説」を表現するにあたっての超巨大な物語を築いた。即ち『カーニバル・イヴ』、本書、『カーニバル・デイ』の三冊である。講談社ノベルスの紙質を変更して世に出した三冊、ノベルス版の厚みを合算すると何センチになるのか……誰か教えて。

『カーニバル・イヴ』にてその存在が予感されていた「犯罪オリンピック」が一九九六年八月十日に開幕した。その日を境に世界中の自然死・事故死・病死、そして不審死問わず死者の数が急増、毎日四百万人もの人間が命を喪っていた。そして毎週土曜日(午後一時)になると、必ず世界的名所において謎の不可能犯罪が発生していた。第一週のJDC本部ビル爆破を皮切りに、エンパイアステートビルディング、ストーンヘンジ、カッパドキア、バミューダ・トライアングル……。犯罪オリンピックを主催するという謎のテロ組織RISEによれば、これらの不可能・連続犯罪はビリオン・キラー(十億人を殺す者)を名乗る犯人により引き起こされているのだという。世界の探偵組織は壊滅的な打撃を受けたが、そのなかでも最も被害が大きかったのはビルごと爆破されたJDC。即ち総代である鴉城蒼司は死体含めて行方不明。他、所属する三百名もの探偵を喪い、大怪我を負った者も多かった。総代代行に名乗り出たのは由比賀独尊。彼が最初に命じたのは、九十九邪鬼という存在より殺害予告を受けた、九十九十九の謹慎だった。生き残ったJDCの探偵、そして世界的な探偵組織DOLLの探偵たちが必死で知恵を絞り、いくつかの事件は解決をみるものの、ビリオン・キラーはそれを嘲笑うかのように毎週土曜日、世界的名所にて謎の事件を次々と発生させていく……。

大いなる、そして長々とした地球の歩き方。奇天烈な殺人事件と一緒に世界を旅しよう
これだけのページ数、これだけの分厚さを誇り、ひいひい言って読み終わってもようやく「犯罪オリンピック」は半分(!)を経過したところ。設定としては急激に地球上の死者数が増加するという現象と同時に、毎週土曜日に世界的な名所を選んで従来の常識では容易に解明しようのない事件がビリオン・キラーによって引き起こされる……という事件と、その時期の主要なJDC探偵たちの動向、そして一章ごとに一人ないし少人数の探偵による行動が主題として描かれる。
作中の人々も「死に対して鈍感になる」というような記述があるのだが、ここまで二十数回も繰り返されれば、読者としても「奇妙な事件に対して感覚が摩滅する」。半分くらいまで読んだ段階で、次はどこの名所を使うの? ああ、そうですか。 どんな事件? ああ、そうですか。という繰り返しのように感じられ、事件そのものへの興味は徐々に減衰していく。さすがに終盤にかけて、登場人物に関して仕掛けられた壮絶なサプライズが訪れるため、さあ『カーニバル・デイ』も読むぞ、という気力だけはかろうじて持続するのだけれど。
世界各地の観光名所が、それぞれかなりの紙幅を割かれて紹介されてはいるのだが、観光ガイドが丸写しされたのではないかと思われる臨場感の無さがちょっと残念。ちなみに、先に『メフィスト』に発表されたシベリア鉄道や、イースター島あたりは雰囲気が出ているのだが、他の箇所との落差が感じられる。またこの二編については、小事件が一応完結しており、清涼院氏らしい劇的にして過剰に凝ったミステリを楽しむことも可能。いずれにせよ、世界各地に旅行に行くのにこの煉瓦本を荷物にするのはちょっと勇気がいることだろう。

いずれにせよ、この作品はさすがに中間点でしかなく、これから終盤に向かって本作でちりばめられている様々な伏線はどうなって収束していくのか。なので本書を読み終わった段階では疲労感と期待感の入り交じったような複雑な気分。とりあえず。


03/05/04
清涼院流水「カーニバル・イヴ 人類最大の事件」(講談社ノベルス'97)

メフィスト賞作家、清涼院流水氏の四冊目にあたる作品。『コズミック』『ジョーカー』に続く、JDC(日本探偵倶楽部)ものの三冊目にして、この後『カーニバル』『カーニバル・デイ』と続く、挨拶状。(挨拶状が通常のノベルス一冊分にあたるあたり……)。

インターネット上で奇妙な噂が流れ始めた。もうすぐ「犯罪オリンピック」が開催されるという。あくまで現段階では実際に犯罪は発生しておらず単なる噂に過ぎない。特に統計探偵である氷姫宮幽弥が最初にこの件に気付き、調査を開始する。彼の訴えにより、総代の鴉城蒼司をはじめとするJDC内部ではかなりの危機感を持って受け止められていたものの、日夜の犯罪捜査に謀殺される彼らにとってはまだ動き出せない話であった。そんな折り、『ジョーカー』の事件の生き残りで、JDC入りが決まっている星野多恵(後の風紋寺浄華)が奇妙な原稿をJDCに持ち込む。それは件の事件の発生前、濁暑院溜水から「三年後に開封して欲しい」と預かった原稿で、解決編のない、奇妙な幻想的な空間での密室殺人を扱った『アナザー・ジョーカー』という題名のミステリ。その内容そのものは数人の探偵によって容易に(読者には容易とはいえないが)解決をみるものの、そこから浮かび上がったアナグラムからは恐ろしい言葉が浮かび上がる。……そして全世界を覆うことになる人類史上最初にして最凶の災厄がJDCビルの爆破によって幕を上げた。

大いなる、そして長々としたプロローグ、そして有用なおまけ。貴方には清涼院が合うか合わないか?
以前にも書評(リンクは抹消)をしたが、数年ぶりに再読してほんの少し評価が変化した感。前回は壮大な世界観についていけていないまま読んでいたことから、作中作である『アナザー・ジョーカー』のトンデモぶりからのみでしか評価していなかった。ところが、本作品は、あくまで『カーニバル』以降に続く、プロローグの役割を一冊まるまるかけて担っているのであった。これは実は後の作品を読んでから読み返さないと気付かないこと。(当たり前かもしれないが)。以降に登場する探偵たちの日常、実際に作品内部でそれなりに動き回るの十数名のプロフィール、性格、特徴、生い立ち等々、普通の作品であれば序盤の第一章にて行う作業をほとんど一冊かけて実施している。そのこと自体は一般的な価値観からすれば「ふざけるな、金返せ」という話になる。しかし、清涼院氏の作品に対して「一般的な価値観」のモノサシを持ってくる人は、既に「流水大説」の読者としてのセンスが足りないといえる。(そういうセンスを皆が持っていないことは承知しているし、そのどちらが正しいかなんて誰が決められるだろう?)。少なくとも、こういった全く新しい世界構築の手法をミステリ・エンターテインメントの世界に持ち込んだというのは、一種の(←強調)エポックメイキングとしての必然だったのではないだろうか? 清涼院氏の登場は、ファンタジー世界やSF世界で本格パズラー作品が著される先触れだったのではないか。
本書、即ち『カーニバル・イヴ』を読んで「もうJDCはいらない」と感じた人は、以降の作品を手に取らないし、面白いと感じた読者は引き続き世界を楽しむ。それだけのことではないのか。

しかしやはり触れるべきは脅威の作中作『アナザー・ジョーカー』であろう。ミステリを徹底的にテキストレベルに解体することでしか生み出されない、歴史に残るレベルのスーパー・バカミスではあるが、題名にしろ見取り図にしろ読者の常識を裏切るところにヒントが配されており、これはこれで本格ミステリに対する極論的アンチテーゼとしての意義はある。この謎は解けなくて普通。しかし、これに近い(といえなくもない)トリックならば、既存の作品にもあり得る。どこまで確信的に清涼院氏が行っているかは分からないのだが、これだけ容易に境界を乗り越えられるという存在はやはり希有だろう。

但し。本書を薦めるのはあくまで後に『カーニバル』『カーニバル・デイ』まで読むぞ! という気合いの入った人にだけ。そちらまで進む気が最初からないのであれば、読む必要は全くございません。なんたって「プロローグ」ですから。


03/05/03
恩田 陸「ねじの回転 FEBRUARY MOMENT」(集英社'02)

『小説すばる』に'00年から'02年にかけて連載されていた作品が単行本化されたもの。日本の「二・二六事件」――史実をベースにして時間テーマのSF作品であり、着想のベースには、ウィリアム・ギブスン『ディファレンス・エンジン』と映画『マトリックス』があり、題名はヘンリー・ジェイムスの小説と、ハービー・ハンコックの曲から取られたものだという。

未来。時間遡行の技術を手に入れた人類は過去の災厄を「無かったことにする」ため、かつて人類が犯した歴史を改変していた。ある期間、歴史上の人物に協力を依頼して歴史に対して微妙な修正を加えるのだ。しかし、その作業の結果、未来ではそれまで存在しなかった謎の病気HIDSが大流行するに至っていた。この病気、血液や遺体から感染し、発病すると一気に百歳近い老人のような容貌に変じてそのまま死亡するというもの。人々は定期的に抗HIDS薬を定期的に服用していた。さて、その歴史の改変の対象となるのは昭和初期、第二次大戦前の日本の軍事・政治の形態に大きな影響を与えた『二・二六事件』である。軍の弱体化に対抗した青年将校たちによるクーデターによって幾人かの政治家が命を奪われたが、結局彼らは賊軍として処刑されることになる。その際に指導的役割を果たした青年将校・栗原、安藤といったところが歴史のやり直しに協力する。歴史を監視するのは『シンデレラの靴』と呼ばれる使い込まれた機械と、未来から送られてきた数人のスタッフ。史実と余りにもかけ離れた事態が発生した場合には「不一致」と呼ばれる状態になり、リセットされて、再度歴史のやり直しが繰り返されるのだが、彼らに与えられた時間は限られていた。そんななか『二・二六事件』は再びスタートするが、協力者の思惑や、機械に侵入してきたハッカーにより計画通りにはコトが進まない。

かっちりした構想・恩田陸ならではのリーダビリティ。完成された「切り取られた物語」なのだが……
恩田作品には二種類ある。一つは結末がきっちりと決まっている作品、そしてもう一つは流れのなかでどこか中途半端なままに無理矢理結末が付け加えられているような印象が残される作品である。序盤から終盤にかけての発想・設定・リーダビリティという意味では恩田陸さんは常に高いレベルの物語を創り上げる才能があり、「読まされる」という意味ではどの作品においても常に高い評価を得るのだが、そのラストの処理方法によって、最終的に本当に最後の最後まで面白かったかどうか、ちょっと分かれているように思う。
本書はその意味で、ちょっとこれまでとは異なるように感じられた。幾種類も存在するプロローグやインターローグが、伏線としてラストでバチバチ決まっている。結末についても、最初の最初から計算されていたと思しき展開のなかにある。最初と終わりがしっかりしている。
ただ。 私の読みが足りないのかもしれないのだが、本来物語の主役となるはずの「主題」が本作の場合ぼやけてしまっているように感じられた。時間の遡行、歴史のやり直しを通じて、「歴史」とは何なのか、通じて「人間の残す足跡」の意味を問う……はずなのだろうが、どうもしっくり来ない。史実を書き換えることの正否以前にタイムパラドックスの成立是非が見えないし、史実を創る人間と書き換える人間との交流という主題も、ラストの残酷さの割に、内実はちょっとぬるいような。確かに、先の読めない展開にページはどんどん繰らされるのだけれど、ところどころ引っ掛かった「?」の小骨が、ずっと喉の奥に引っ掛かったような気分なのだ。ちょっとした不具合から大きく歴史が脱線する経緯の面白さ(不謹慎だが)など、そういった点を気にせず、物語としてストーリーを追い、伏線の繋がりに驚くだけならば十二分に面白いのだが……。
個人的にはインターローグで語られる「年に一回時間を遡行する王国」のエピソードが心に残る。教訓的な意味合いで語られていることもあろうが、本来語られたかった主題はこの短い部分に詰まっているような気がしてならない。また、結果的に史実として表面しかみていなかった「二・二六事件」が、ちょっと別の訴えをもって感じられた点は収穫かも。現代日本人が忘れている「熱さ」がを思い出させてくれる。(今の日本の状況なんて、(軍ではないが)若者によるこういった動きが出てもおかしくない程停滞しているのに、何も起きない……)。

SF作家としての恩田陸さんが、まさに「挑戦」したかの如き一冊。小説そのものの巧さに加えて、読み応えは少なくともあるので、ファンならば押さえる必要はあるだろう。ただ、物語を突き放したかのような作者の視線が、従来の恩田作品と少し異なる手触りを造り出していることは、先に認識しておいても良いかも知れない。


03/05/02
山田正紀「風水火那子の冒険」(光文社カッパ・ノベルス'03)

阿弥陀(パズル)』にてビルからの人間消失の謎を解き明かす、美少女本格的にミステリ界に参入を表明した山田正紀氏は、その90年代後半に幾人かのシリーズ探偵を創った。その一人、新聞配達人探偵として初登場した風水火那子。彼女は『仮面(ペルソナ)』にて引き続き活躍する。そんな彼女が探偵役を務める最初の短編集(といっても個々には中編クラスのボリュームがあるが)が、本作。雑誌『GIALLO(ジャーロ)』に'01年より'03年にかけて発表された作品が一冊にまとめられたもの。

営業最終日の海の家で、バイトの女性が殺された……筈なのだが素顔に水着のその女性、本当にバイトしていた女性本人なのかどうかからが定かではない。関係者の証言が食い違うなか、海の家のオーナーが怪しいと捜査陣は睨む。焦る警察の元にその女性の友人として風水火那子が現れた。 『サマータイム』
荻窪にあるラーメン横町、ご当地ラーメンが七軒集まる建物内部で料理評論家を名乗った男性が殺害された。男は取材と称してラーメン屋を休憩時間に巡回していたが、店によってラーメンを食べたり、具をつまむだけだったりと行動に謎が多かった。そして男は実は、評論家とも別人と判明。果たして。 『麺とスープと殺人と』
成田空港行きの高速バスに爆弾が仕掛けられたという情報が。座席を立った瞬間に爆発するという座席に偶然座っていたのは風水火那子。バスに猛追して運転役をかって出た機動捜査隊員の安達。彼の呟いた一言から、火那子はスキー場に放置されていた女性死体の事件を解き明かす。 『ハブ』
日本海の側にある街。夏だけの新聞配達のアルバイトをしていた風水火那子は、喫茶店で顔見知りの謎の男に拉致される。連れて来られたのは某国の不審船。彼女はその船の一室で謎の死を遂げた女性の謎について解き明かすように要請を受ける。 『極東メリー』 以上、中編四編。

「山田正紀のミステリ」というブランドの、その王道をいく本格ミステリ中編群
山田正紀という、一応はSF出身の作家が、ミステリの世界に本格参入してから、それでもかなりの年月が経過した。当初の頃は「新参者」と謙遜した発言がしばしばみられたが、本格ミステリ大賞まで受賞してしまった今となっては、既に大御所に近い位置に山田氏は立っているように見える。事実、既に氏の著作としてかなりの冊数がミステリとして出版されており、そしてその質の高さについては、今更付け加えることはないだろう。その一連の「山田ミステリ」にはいくつか特徴があるように思う。
言葉で表現しづらいところではあるのだがその一つとして挙げられるのは、その独特の緊張感を孕んだ物語全体の雰囲気であろう。元もとSF時代から培われている硬めの文体にしろ、登場人物の抱える独特の烈しさや孤独、社会問題を出しゃばらないように取り入れる生硬な姿勢、そして決して単純に一段階では終わらない、いくつかの階層に分かれた謎にしろ、読み終わるまで、ずっと山田ミステリは読者に緊張を強いるのだ。謎解きの快感のみならず、その緊張感からの解放が、山田ミステリに取り組むときの醍醐味の一つではないだろうか。
本書のヒロイン、探偵役は風水火那子である。美少女、そして新聞配達人という職業、さらに取っつきやすくカリスマ性をも持つその人柄を考えれば、前述の山田ミステリの特徴は当てはまりづらいように思うのだが、結局、四つの中編全てにおいて、やっぱりその硬い雰囲気は堅持されている。いや、寧ろ内容的にはそこまで緊張感の必要ない作品にしても、冒頭に意味深なプロローグを配するなど、山田氏は貪欲に読者の背中を真っ直ぐさせようとする。結局それが「山田正紀作品のブランド」を形作り、維持している――ように感じられるのだ。読者は気付けば(SF時代からのファンを含め)、その文体に酔い、緊張感に痺れ続ける。また、特にミステリ系列作品においては、謎が一筋縄でいかないのもポイントの一つ。一つの謎の裏側に、また更に異なるレベルの謎が秘められている……といったあたりの手法は、SF作品においてもみられた、これまた山田作品の特徴の一つだろう。
中編集といえど、こうした手法がどの作品にも遺憾なく発揮され、徹底的な「山田ミステリ」を本書は感じさせてくれる。個別には「なぜ評論家は奇妙なラーメンの食し方をしたのか?」という謎が魅力的な『麺と…』が好きだが、その裏側に隠された事件に説得性が今一つなのが残念。『ハブ』は『九マイルは遠すぎる』を彷彿とさせるが、焦点がぼやけてしまったか。『サマータイム』も、夏の女性の特徴を強引にミステリの主題にあげ、かつ奇妙な説得性と青春小説的な側面をも併せ持つ佳作。

繰り返すが、既にミステリにおいても「山田正紀」という作家は既にブランドである。その作品は謎の質が高く、文章は魅力的で、かつ、仰天の解決が待ち受けている。 SF時代からのファンの多くは「出れば買い」と山田作品を攫っていたというが、ミステリにおいても同様の事態が起きつつあるのではないだろうか。少なくとも駄作はなく、時にツボにストレートに嵌る作品が生み出されることだし。


03/05/01
氷川 透「密室ロジック」(講談社ノベルス'03)

第15回メフィスト賞を『真っ暗な夜明け』にて受賞後、講談社ノベルス、及び原書房より着実に長編作品を積み重ねている氷川氏の六冊目となる作品。本書は『真っ暗な夜明け』に登場、探偵役・氷川透と共に学生時代にバンドを組んでいた、ボーカルの冴子とキーボードの詩緒里が再び登場、重要な役柄を占めている。

大手パソコンメーカーに勤務する堀池冴子は、取引先のソフト開発会社「ジョイット」社員との合コンの最中、通りかかった学生時代の友人、早野詩緒里を見つけて強引に輪の中に加えた……。その飲み会そのものは平穏無事に終了したが、出席者の間に恋愛感情をはじめとする様々な思惑が交錯し、二週間後に再び同じ面子で飲み会を、ということになる。音楽系出版社に勤務する詩緒里自身は、立場的に無関係でもあって別に断っても良かったのだが、冴子と共に再び参加することにする。参加者はそのジョイットの開発部長の等々力以下、エンジニア大井以下三名、営業部長の千束と、その秘書、尾山恭子。それにパソコンメーカー側からは冴子と開発局員の戸越。更に大井が連れてくるフリーター、神明可那。一旦、ジョイットに集合した関係者は、開発部のトラブルの関係もあって、ジョイット社内の会議室で時間を潰すことになる。それぞれが会議室を出入りした後、なかで営業部長の千束が死体となって発見された。詩緒里の観察によれば、現場からの脱出経路は全て関係者によって塞がれているという密室状況。冴子を伴って帰宅した詩緒里は、学生時代の友人、氷川透に事態の解決を求める……。

単純なる凡作なのか、本格ミステリ形式への懐疑を孕んだ問題作なのか?
 ……ちょっとこの作品、頭を悩ますところがあって、読了したあとも、ずっと書評を書きあぐねていた。

事件そのものは、いわゆる視線の密室――厳密な意味での密室ではなく、人々が出入りを見張っていたがために生まれた不可能状況がテーマ。ただそれだけでなく、氷川透(探偵)にとっての初めての安楽椅子探偵ものでもある。その事件に至る経緯はとにかく、事件の前後、登場人物の行動や位置関係に関するデータが、どうも不可解なのだ。事件に至る経過は、関係者による複数視点によって読者に提示されている。ただ、犯行時、そしてその前後と思しき犯人視点からの描写はない。また、地図によれば、事件のあった第二会議室からA地点までは直線の廊下で繋がっている。そのA地点を通る通らない以前に、いくら大会議室であろうと「見えるだろう?」という疑問も湧く。他にも関係者の行動を記している部分に気になる描写がある。事件が表沙汰になる前に既に発生を知っているかのような、ないし、別の狙いがあるかのような記述。 こういった不自然な点から類推を進めていくと、後半、冴子と詩緒里から得たデータをもとにする氷川の推理そのものの、大前提が崩れてしまうのではないか。 これは一体どういうことなのだろう?

名探偵の推理が間違っている(もしかするとわざと――)ということであれば、本書は単純に「密室殺人事件」→「不可能状況の解明」に留まる、普通の本格ミステリを企図した作品ではなく、「ミステリ」という存在に対するメタレベルでの作者の意図(懐疑?)が存在するある可能性もまたあるということになる。そこでまた考える。

その結果、私なりに得た結論としてはこうである。「得られるデータによって、探偵役が導く結論は大きく変わる」 氷川が謎解きを終えた後に呟く、さりげないこの言葉がポイントではないか。つまり前半部の描写をよく読むに、氷川の導いた結論にも明らかに穴がある。可能性はよく検討されているが、登場人物の嘘もあり、実際は全ての筋道が潰されたとは言い難い。つまり、氷川は、氷川の持ったデータにおける真実を導いたのみで、実際の事件の真相を言い当てた(と断言できる)わけではない。実際に為されたのは全く別の方法によってであり、本書で一応の結論となっている氷川の推理そのものも、結局ダミーだとしたら……。ダミーの解決しか提示しないことで、作者は本格ミステリの(特に推理のロジックに対する)不安定性を強調しているのではないか。実際、氷川は後で女友達二人と飲みに行く描写はあるものの、実際に犯人が警察によって断罪されるシーンは描かれていない。これが一応、弱いながらも傍証となるように思うのだが。『最後から二番目の真実』にて作者が、強烈な「真実」の二重構造を提示したことをも踏まえると、本書は、読者に対する思想的な挑戦含みの、問題作品なのではないか――と思うのだ。果たして、この考え方が正しいのかどうか。それもまた検証出来ないことなのではあり、もどかしさを覚える。

おまけ。上記書き終えた後、巡回すると氷川氏の文章について取り沙汰しているサイトが散見された。私の個人的感覚に基づけば、この文章は独白調に主観を並べることによって客観事実を醸成する手法故のものであり、内心の逡巡であるとか、独白調の「調」ゆえに作者の筆がその部分に加えられるところとか、このようなやり方にならざるを得ないのではないかと思っている。多少表現がくどいのも作者の個性であり、既に著者の作品を何冊も読んでいる読者にとっては気になる程ではあるまい。強いて挙げると「濃いロックを作った」という記述だけはちょっと。水割りは濃くしたり薄くしたりできるけど、ロックで調整出来るのは量だけだと思うので。

ああ、私も嫌な読者になったもんだ。