MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/05/20
奥泉 光「浪漫的な行軍の記録」(講談社'02)

『グランドミステリー』『「吾輩は猫である」殺人事件』『鳥類学者のファンタジア』等、ミステリやSF系統からも高い評価を受けている作品をモノにしている芥川賞作家、奥泉氏。本書は'02年に『群像』誌に発表された作品。

太平洋戦争の末期、帝国陸軍に招集され、生き延びた探偵小説作家の”私”の記憶にして記録にして現在形。三ヶ月の実地教育を慌ただしく終えた私は、輸送船に詰め込められて戦地へと赴く。配属されたのは四個分隊から成る砲兵部隊。しかし中隊に割り当てられた砲は二門しかなく、そのうち一つは故障中。私の所属する第二分隊には木材と紙で精巧に作られたダミー砲が割り当てられた。「国体の精華」と名付けられたそれは防御陣地に据え付けられた。本物ではないことは士気に影響したが、実際はこれが吉と出る。陣地の移動が命ぜられるのだ。私たちは行軍を始める。ジャングルの中を重い荷物を背負い、行軍を続ける。その時考えるのはいつ「休止」の命令が出るかという一点。きつい勾配と道無き道を踏破する行軍は、身体を消耗させ恐ろしい程の部隊の摩滅を生む。落伍者はそのままジャングルに飲み込まれ二度と戻らない。ゲリラに襲われ、傷を負っても命令に従って私たちは歩き続ける。何のために歩くのか。部隊にはいろいろな人物がおり、彼らは自らの思いをぶつけ合う……。

戦争の単純な真実を通じて、充ち満ちた暗喩やアイロニーにて現代日本を痛烈に諷刺する……
本サイトを御覧になっている方の趣味からすれば、雰囲気が近いのは古処誠二『ルール』あたり。本書の場合は、わざとメタフィクショナルな構成にしていることもあって、単純に比較は出来ないながら、補給もなく助けもないなか絶望的にジャングルを彷徨い、常に死と(それも戦死ではなく飢え死にや病死)隣り合わせに生きた、ある時期の日本人にとって確実に存在した地獄を扱った小説である。経験者の高齢化に伴い、最近はこういった戦争小説の出版は以前に比べると減ってきている筈なのだが、本書は単純な記録小説ではない。あくまでジャングルの中の彷徨を逆手に取って現代日本を痛烈に批判・諷刺した作品である。
主人公は、実際は現在に生きており、狂言回しである「緑川」なる人物と共に、かつての自分が存在した帝国陸軍に思いを馳せる。時空や思考は現在と過去、更には幻想と現実の間を自由に行き来し、小説構造としても単純ではない。ただ、そこここで描かれるエピソードの一つ一つに強烈な意味合いが込められており、その度毎に読者に対して思索を強いる。それがまた常に「生」と「死」を隣り合わせにしたかのような意味合いを感じさせるから始末に悪い。作者には軟弱な日本人を強打したいという意志があるのだろうか。(そしてそれは成功している)。
飢えに苦しみ、人間の尊厳を喪い、死を懼れ、それでも行軍を続ける。極限状況は時にユーモラスでさえあり、事実、「国体の精華」や「ドラム缶の補給物資」のくだりでは思わず吹き出した。……吹き出しつつもそこにも、戦争から現実への比喩がある。更に読むにつれ、ジャングルを彷徨う兵士たちから、イラク戦争の「愚」を知らされ、エジプトのモーセの真実を知らされ、我々日本人が抱えている無気力・無分別・無目的……にお気楽に生きている我々が実は「死んでいる」ことを知らしめられる。それでいて行軍する”私”はまた「死ぬことを目的としている」とも浪漫主義にあるとも揶揄される。また反面、自分が属している規範に徹底的に従うことの怖さや、アイデンティティの意味、更には太平洋戦争の意義など、いろいろなかたちの思想・思考が本書から雪崩れ込んでくる。 自分のことを指差して批判されているかのような痛烈な皮肉に心が抉られ、戦争そのものを別世界の存在であり、無関係のことと考える日本人を滅多切りにする。生温い日本に漂う既存の価値観や精神を鷲掴みにされてぐちゃぐちゃに揺さぶってくる作品。……作品そのものが持つ強烈な幻想性は、凡百のホラー小説よりも恐怖心を喚起させる。

余程の読み巧者であっても、本書に対して作者が込めた寓意を全て読みとることは難しいのではないか。それくらい思索に対する企みに満ちている。それでも、強烈な極限状況を通じて「何か」はどんな読者でも読みとることになるはず。単純な戦争反対でも良し、人間の実存に関する思索も良し。エンタメばかり読んでいる我が身ではあるが、文学の持つ強烈なパワーに圧倒され小さくなった。それでいて作品そのものは、どこかエンターテインメントじみているあたりが本当に怖い。


03/05/19
新世紀「謎」倶楽部「新世紀犯罪博覧会」(カッパノベルス'01)

'00年秋、そして'01年冬に季刊『ジャーロ』誌に連載された作品のノベルス化。新世紀「謎」倶楽部は、本格ミステリ系の作家によるユニット名であり、その作品ごとに異なる作家が参加しているのが特徴。『堕天使殺人事件』や『前夜祭』といったリレー長編ではなく、本作はあるテーマに基づいた連作短編集に近い。

'86年、北関東の今北市にて行われた町おこしイベント「風の国フェスタ'86」。このあまり評判の良くなかった博覧会において今北郵便局主催で行われたのが「メールカプセル21」と題されたイベント。すなわち、'86年に誰かに宛てた手紙を、新世紀最初の日に郵便料金無関係にお届けしましょう、というもの。過去からの手紙によって齎される事件の数々。

婿養子の夫を持つ狛江春奈は正月に、十数年前に「風の国フェスタ」で博覧会コンパニオンをしていた時代に交際していた地方政治家からの手紙を受け取る。彼は既に死んだはず……当時の秘密を夫に隠している春奈は、続いて当時を知る何者かから恐喝され、真相を確かめるために今北市へと一人赴くが……。 歌野晶午『二十一世紀の花嫁』
四十六歳になる売れないイラストレーター、結城はかつて親の遺産を相続し悠々自適の生活を送っていた。その金目当てで結婚した相手もいたが、やはり悪妻で彼は奸計を図られ多大な慰謝料を払わされて離婚することになる。彼女は後に有名作家となったが急死したという。その甥を名乗る人物が一通の手紙を持って彼を訪れる。 篠田真由美『もっとも重い罰は』
超エゴイストの草野直樹は十数年前、双子の女性にこっそり二股掛けていたが、姉の方から関係の清算を迫られ殺害する。その後、妹の方と結婚した彼は、彼女が殺人事件の真相を知っていることに気付いて愕然とする。そんな彼のもとに、過去からの手紙が届く。彼の妻は妹なのか、殺したつもりの姉なのか、直樹は一計を案じた。 谺健二『くちびるNetwork21』
宝石店を経営する高慢な女性は、夫殺しの容疑者。彼女のもとに届いたという六通の手紙を水野サトルは見せられる。《人間空気》を名乗る男は、気体となって彼女の周囲にいるのだ、という奇矯な内容で、男自身は精神科に入院している。しかし、その手紙は後に起きる殺人事件を予告していたのだという。 二階堂黎人『人間空気』
身体の弱い少女のもとに届けられた三通の手紙。一見脅迫状のようにみえるそれらは、彼女がスキー場の事故で大怪我を負わせたかもしれない女性のことに触れていた。父親の部下で彼女の恋人気取りの男性と、その手紙の送り主を捜し出した彼女は、そのうち一通に隠された秘密を知る。 柄刀一『滲んだ手紙』
売れない小説家の兄夫婦のもとを訪れた英二は、夫婦喧嘩の最中に到着してしまう。取り繕う二人だったが、どうやら原因は届けられた一通の手紙にあったらしい。浮気を示唆するその手紙は、兄は義姉の、義姉は兄の不貞を暴いたものだという。英二は街で、それぞれの相手ではないかと思われる人物を目撃するのだが……。 小森健太朗『疑惑の天秤』 以上六作品にプロローグとエピローグがつく連作集。

同一のテーマというよりも小道具を用いて、それぞれが個性を発揮する暗黒の六短篇
大抵の人間にとって、思い出そのものは甘美であったとしても、それが再び目の前に巡ってくるのは悦びよりも羞恥、驚きよりも戸惑いの方が大きいのではないか。十数年前の過去と、現在とで全く同じ生活や人間関係を続けている人間なぞ、そう沢山はいないだろうし、当時の恋人が今は他人などというケース(夫婦は別かもしれないが、同じ感情を抱き続けているかどうか?)の方がほとんどだろう。その時は面白がって、そして全くの善意で行った行為も、実際に未来となった段階で”過去”が現出することで、思いも掛けぬトラブルに巻き込まれる……というのが本作収録作品のポイント。
これまでの《新世紀「謎」倶楽部》は連作本格ミステリという非常に高いハードルを設定していたが、それに比べると本作は(創作する側はそれはそれで苦労もあるのだろうが)、テーマというか趣向がちょっと落ちついたものとなった。はっきりいってしまえば事実上、同一テーマによる短編集である。(ミステリ短篇で大喜利をしている……と書くと怒られるか) 確かに冒頭作品とエピローグを任された歌野晶午が、世界を最終的にとりまとめてはいるものの、登場人物の同一性もなく、作品の構成についても各人バラバラ。なので、結果的には同一テーマで編まれたアンソロジーと似た手触りの作品集となっている。

また、全員が全員、本格パズラーを目指しておらず、柄刀氏の作品などは用いられている小トリック以上に、叙情溢れるラストが哀しく美しい佳作となっている。ただ、「十数年前からの手紙」という点をいかに巧く作品に取り込むか、という興趣はどの作家も考えていたようで、手紙の正体が驚くべきものであるとか、手紙そのものよりもそれに付随するあるものが事件の根幹を成しているとか、手紙の利用方法にトリックが仕掛けられているとか、それぞれの腕の振るい方に差がある点によって飽きずに読み進めることが出来た。 個人的には手紙を使用したミスリーディングが強烈な『もっとも重い罰は』と、テキストとしての手紙の解釈により、思いも寄らない光景を現出させた『疑惑の天秤』の二作が印象的。他の作品についても「どう手紙を扱うか」の視点で読むことによって、作者の発想の妙を楽しむことができるようになっている。ただ、ミステリ作家の発想らしく、結末がどちらかといえばダークな雰囲気を持つ作品が多い。それはそれで仕方のないことか。また、読者も作家になった気分で、自分ならどのようにこのネタを料理するだろう? と考えるのもまた一興かも。

題名に「博覧会」の名称があるとおり、いわゆる新本格ミステリ作家競作として読むことも可能。好みの作風を持つ作家と巡り会う一つの機会(それは博覧会とも似ているかも)となりうる作品集。いずれ文庫化されることになると思われるし、その機会にでも一度、味わってみるのが良いのではないだろうか。


03/05/18
辻 真先「犯人 存在の耐えられない滑稽さ」(創元推理文庫'95)

'89年に「鮎川哲也と十三の謎」の第9回配本として刊行されたハードカバー版が元版。辻氏らしい凝りに凝った内容であり、特に示されていないが「読者犯人」を狙った、趣向満載の長編作品となっている。登場人物に可能克郎、那珂一兵らが登場、作品世界としてもお馴染みの通り。

館ものなど新本格(と思しき)系のミステリ作品を次々と刊行する若手作家、佐々環が、量産系の先輩ミステリ作家、若狭いさおを批判した。テレビでの殴り合い寸前の大激論から、とうとう若狭が佐々に対して決闘を申し込むに至った。どうやらその現場が、渥美半島は伊良湖岬近くにある小島にある若狭の別荘であると判明、編集者の新谷や夕刊サンの新聞記者、可能克郎が駆けつけたところ、別荘の中に灯りはあるものの出入り不可能の密室状態。無理矢理ガラス窓を破って押し入った彼らの前には、喉から大量の血を吹き出して事切れている若狭いさおの死体があった。現場に犯人の姿はないのはもちろん、部屋の中は雑貨屋をぶちまけたようなトマト、トースター、軍手、ポリ袋、トイレットペーパー、ラップの紙箱……といった日用品によって南北に区切られており、模型の列車が線路の上をぐるぐると走り回っていた……。警察の事情聴取のあと、スナック『蟻巣』にて事件を検討する面々だったが、一向に犯行方法は浮かんでこない。果たして本当に佐々環が彼を殺したのか? 関係者の性格を知ろうと、若狭と佐々のミステリ短篇を那珂は読み始める……。

テキストを弄び、ミステリを弄び、読者と登場人物の思惑をも弄ぶ。奇術師、辻真先の、奇術
ミステリ作家vsミステリ作家の対決――という、現実にはちょっとあり得ないような設定が、見事に活かされている。現実に発生しているのは、密室殺人事件。その二人の作家の性格(作風?)を説明するのに、辻氏が使用するのは彼らが執筆した(ということになっている)作品四編。つまり作品のなかに作品が並ぶという、テキストとして非常に凝った構造で長編が生成されている。 本書の解説は折原一氏だが、その折原氏が得意とする叙述トリックめいたものは、全く使用されていないわけではないものの、それだけに留まっている作品ではない。
まず、挿入されている小説四編、それぞれ独得の個性があって、十二分にそれぞれが読める。作品の雰囲気は異なれど、比較的フェアな本格ミステリのテイストをそれぞれが持ち、世界もおざなりでなくきちんと構築されているからだろう。まず、若狭いさお作品として『ミスター表参道の死』(マッチョのプレイボーイが残したダイイングメッセージはビスケットでできていた。三人の女性容疑者でCDで現されるのは?) 『鬼鍬温泉殺人事件』(迷いこんだペットの九官鳥を探して休業中の温泉旅館に迷いこんだ探偵の女弟子は死体を発見。しかし警察と共に戻ると死体は現場ごと消え失せていた?)、一方で佐々環作品として『幻覚館の惨劇』(人里離れた僻地に、趣向を凝らして作られた館。居候に二人の迷いびとが加わった夜に館の主人が殺された!)『密室の終焉』(一風変わったミステリ詩)となる。しかも、これらの作品が長編の2/3くらいを占めているのも特徴といえるだろう。
もちろん、作品を登場させたことには意味があり、冒頭のミステリ作家密室殺人事件の真相とも密接に繋がっている。ただ、どう繋がっているかは賢明なマニアであっても、そう簡単に気付けないだろう。ポイントポイントに挿入されている意味のよく分からないエピソードも、作品の混迷度に拍車を掛ける。
終盤で、それらが持つ謎が一気に収斂していくのは見事としか言い様なし。密室殺人のトリックも、トリックのためのトリックといった感がないでもないながら、個性的で面白い。強烈な現場のミスリードには後で愕然。一見バラバラの素材をきっちりまとめ上げている。巧い。

いや、やっぱり辻真先さんは凄いわ。読者をどう騙してやろう、という作者のニヤニヤ笑いが(作者本人を存じ上げないにも関わらず)どこか伝わって来るかのような迫力。最後の最後、指差されているのが自分のような気分にはさすがにならなかったが、趣向の面白さに物語の面白さが加わって一気読みさせられた。さすがは創元推理文庫。


03/05/17
吉村達也「卒業」(角川ホラー文庫'02)

角川ホラー文庫において、吉村作品は比較的良好な売れ行きを示している……という噂を以前どこかで聞いた。だから、ということもなかろうが、吉村氏のホラー作品の発表の場がいくつかあるなか、本文庫に対する書き下ろしという形式がもっとも目立つように感じられる。書き下ろしの本書は、角ホラの吉村ホラーの9冊目にあたる。

現在38歳で中小出版社にて編集者として勤務する神保康明は、六つ歳下の良くできた妻と三歳の娘に囲まれて幸せな生活を送っていた。だが、彼は高校時代に徹底的なイジメにあった経験があり、高校の卒業式を欠席、自殺しようと伊豆半島に彷徨い込んだという経歴があった。彼はその時に不思議な経験をする。首を吊る前に、自分の受けた恨み辛みを文書にして残そうと麓の町に降りて、雑貨屋でレポート用紙を買い、場末の喫茶店で書き綴った。喫茶店で譲ってもらった紅茶缶に怨みのレポートを詰め、現場に戻ってきた時、康明の視野に真っ赤な文字が飛び込む。「殺せ」「恨め」「死ぬな」「お前は悪くない」。そこに現れたのは喫茶店の店主であった老人と、雑貨屋で店番していたレトロ風の少女。彼らは康明に対し「二十年待って、それからこの場所に戻ってこい」という。土中でどろどろになった怨念を掘り起こせ――言い残すと彼らは夜の闇に消えた。そうして二十年後。この事件を完全に忘れていた筈の康明は、予感に引きずられるように、娘を連れて、伊豆の山中に分け入ることになる。

吉村ホラーはそれほど怖くない――だけど、よく読まれている。その理由
近年に限っていえば、吉村氏が旺盛に作品を発表するジャンルはミステリよりもホラーかもしれない。刊行点数も十数冊にはのぼる割に、ホラー小説の愛好家、特にホラー原理主義者の間はもちろん、幻想文学系等々のいわゆる「その道のマニア」には、あまり作品を評価されていないのが現状のようにみえる。
。 だが、実際には彼らが評価するホラーの王道作品よりも、セールス的に勝るのは吉村ホラーの方なのが現実である。いわゆる本格ホラー作品と、吉村ホラー作品の違いは何なのか、という点から本書を分析してみる。
吉村作品はサイコサスペンスとホラーの境界は曖昧である。とはいっても本書のようにしっかりと主題でsupernaturalな現象を扱っていることも多い。それに表現としても、かなり凄惨に人が傷つけられたり、殺されたりする場面があり、実はガジェットとしての差異はそれほど両者には存在しないかのように思える。だが、やはり何かが違うのだ。
まず、文章表現がとにかく分かりやすいこと。読みやすいこと。文章に凝り、難解な言葉を利用してでも自らの表現欲求を満たそうとする姿勢はここにはない。あくまで自らが想定する読者に読みやすいように吉村氏は、平易な表現にて会話を、場面を綴っている。これが一つ成功の理由だろう。そしてもう一つ、発生する怪奇現象に対し、無理矢理にでも一定の理由や理屈が付けられていることもあるだろう。どうも日本人は怪談のルーツを持つとはいえ「恐怖の理由」を知りたがる傾向があるようだ。理不尽に世界を破壊する本格ホラーに比べると、ずっと平易に「理解できる存在」によって世界が壊される。それが非日常の超現象であっても、説明が付加されていることで安心してしまうのが国民性なのかもしれない。不安の内部に安心を求める……とでもいう奇妙な現象。それが日本の「売れる」ホラーのポイントとなっているようだ。
これはおまけになるかもしれないが、ミステリ的な意外性を巧くホラーに導入している点も挙げられるかもしれない。吉村作品の場合、冒頭のいくつかのシーンを読んだ段階で「あれ? なんで?」といった場面が必ず出てくるのだ。その「ちょっとした謎」を物語に込める(それが本格な解決を用いていなくても構わない)ことで、序盤でつかんだ読者を最後まで離さない。この物語構成に対する天性の巧みさは、吉村氏のこれまでの実績が示している通りでもある。

本格ホラーを愛する方に薦めることは、とりあえずしない。だが、あまり怖いホラーは厭だけれど、怖い話そのものは好き――というちょいとアンヴィバレンツな一般読者にとっては、これくらいの作品が適当であり、面白く読めるのではないのだろうか。ホラー小説は、入り口のところに最も沢山の読者を抱え込んで存在しているジャンルなのかも


03/05/16
伊島りすと「橋をわたる」(角川ホラー文庫'03)

伊島氏は'01年、第8回日本ホラー小説大賞の大賞を『ジュリエット』にて射止めた作家。この後上下巻ものの大作『飛行少女』を刊行、本書が三作目の作品にあたり、初の文庫作品となった。書き下ろし。

大学の夏休み期間、塾講師のアルバイトをすることにした19歳の”僕”。国語と社会を担当するつもりがカリキュラム編成の都合上、小学校五年生を対象とする算数の授業を担当させられることになる。いわゆる「落ちこぼれ」たちが集まるクラスで四苦八苦した僕も、何とか夏期講習前期の最終日にまでこぎ着けた。「逆算」をテーマに、自らの閃きをもとに熱意ある授業を行ったところ、普段から目立たない工藤清美という女生徒が突然、自分の前に立った。「イイコワ コワクナイ」……謎の言葉を呟いたかと思うと彼女は、シャープペンシルで自分の顔をぐさぐさと突き刺し始めた。僕と、隣で授業していた木野先生が必死で制止したが、左眼の眼球をも喪う重傷によって彼女は病院へと運ばれる。……僕は彼女の秘密を探るため、自分が持つ禁断の能力を再び使用することに決める。それは、人の血を舐めることによって他人の経験や記憶を感じ取るというもの。果たして工藤の血を舐めた僕は、彼女の住むマンション内で発生した驚愕の事実を目の当たりにする。彼女の母親もまた、二日前に何者かに滅多刺しにされて殺されていたのだ。そして工藤清美はその母親の死体と二日間一緒に暮らしていたことが確認された。

短いなかにも、エッセンスがいくつもブレンドされた青春感覚新ホラーエンタ
「恐怖」を喚起するホラー小説にはいくつかの、本質的な特徴があるように感じられる。例えば徹底的にグロい描写を積み重ねることで生理的な嫌悪感を催させるもの。精神の荒廃を赤裸々に描き出して、人間の恐ろしさを自らと重ね合わせるもの。物語世界を宙吊りにし、現実の日常との橋渡しを行って、読者に自らの世界に対する不安を感じさせるもの。他にもいくつかあるが、本書の場合は「異質な」人間を描き出すことによって、異質な者同士の精神の交流(一方通行含む)を徹底的に描き出している点にあるように感じられた。
というのは、主人公の”僕”は他人の血を舐めることによって、持ち主の記憶を知ることの出来るという異能の持ち主。明らかにそうは描かれないが、吸血鬼の系譜に属する人物である。彼は物語が開始される遙か以前より、心のなかに闇を抱え込んでいる。他人と異なる自分という世間的なプレッシャーと同時に、それでいて通常の人間としての感覚が同居しており、”僕”が憧れる年上の塾教師、木野さんへの憧憬など、”他人と自分が異なる”というプレッシャーとが合わさって、実際の恋愛以上の厳しい鬩ぎ合いを余儀なくされている。このあたりの葛藤する感覚が、(人が誰でも抱いている)コンプレックスを持った少年の世間一般の恋物語と重なってみえてくるのだ。いわゆるフツーの青春小説の手法、これが本筋のホラー的表現とのベストマッチを見せているのが本作
もちろん伊島氏は、じわりじわりと登場人物の恐怖をつつく。”僕”のみならず、木野さんにも彼女なりに日常を超えた、別の橋を渡らせてしまうのだ。ポイントポイントの感覚は青春小説そのもの……なのに、ベースはやっぱりホラー。 何なのだこの不思議なコラボレーションは……。
更に、心に深い闇を抱えた工藤清美という少女を配したことで、幻想的ですらある光景が物語に唐突に登場しても何ら不自然さを感じさせない。実際、特に後半部分では凄惨で美しく、生々しいのに浮き世離れした世界が次々と描かれる。それらが本筋である主人公の心象風景と奇妙にマッチしているのだ。やはり本書の魅力は、この幻想的世界観と、青春小説的な登場人物との二層構造にあるように思える。伊島氏がそれを描くのは、計算づくなのか、それとも天然のセンスなのか。混じり合った物語は、互いに影響しあい、かつ打ち消しあうがために、独特の味わいをもって読者に迫るのだ。

デビュー作と本作との間に挟まる『飛行少女』は未読ながら、表層にホラーを配しつつ、底流に人間感覚を持ち込む創作の姿勢は変じていない。これがリリカルな方を重視すると乙一風、ということになるのだろうが、作者はホラー部分をもう少し重視しつつもホラー以外部分に関してもしっかり描こうとしているようだ。少なくとも独特のバランス感覚を持っていることは間違いない。まだ余り世間的な注目度は高くない作者ではあるが、もしかすると時代が後から追いかけてきている可能性もある。


03/05/15
荻原 浩「コールドゲーム」(講談社'02)

荻原浩氏は'97年『オロロ畑でつかまえて』にて第10回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。『ハードボイルド・エッグ』等ミステリテイストの横溢した優れた作品をいくつも刊行しているにもかかわらず、出自がミステリ専門の賞ではないせいなのか、どこか(少なくともミステリ系のサイトでは)注目度が低いようで寂しい。とはいっても高い実力とリーダビリティを兼ね備えた現代作家の一人だと私自身は考えている。

最後の地区予選で二回戦負けして野球部を引退した渡辺光也のもとに、二ヶ月ぶりに亮太からの連絡が入る。キレたら最悪――昔から悪ガキだった亮太は高校を喧嘩で一年で中退、現在は屋根屋の修行をしている最中。光也はなぜか小学校の頃から亮太とは仲が良く、一緒に悪さをすることはなかったが、何かにつけ未だに連絡を取っていた。中学時代に亮太とつるんでいた別の悪ガキの一人、植村弘樹が何者かに襲われて、頭を強烈に殴られた結果、鎖骨を骨折したのだという。弘樹は事前に謎の脅迫メールを受け取っており、それが実行された格好。また、中学時代の同級生の女の子、神野葵も予告メールの後、近所に中傷ビラが配られた。亮太は中学時代に徹底的にイジメていた廣吉(トロ吉)による復讐だと決めつけ、彼を見つけてボコるという。廣吉自身は転校しており、現在の行方は不明。中学時代の同級生といっても大半は疎遠となっており、亮太と同棲中のこれも同級生、美咲のコネクションを利用するなどして連絡を取るうちに、一部で謎の脅迫状と大小の差があれど実害が発生しているのだという。亮太のかつての仲間、清水も交えて校区を走り回る三人だったが、廣吉の姿は見えない。数日後、メールを受け取り一人で対決に向かった清水は、亮太に助けを求めるメールを何通も送った挙げ句に死体となって発見された。調べを進めるうちに、現在の廣吉が巨大な身長と強靭な肉体を持った復讐マシンと化していることを彼らは確信、一定の法則に従って同級生を襲う彼と対抗することを決める。

これもまた現代版の罪と罰。イジメの怨みと裁きの意味とは
仕掛けはりゅうりゅう。それに加えての絶妙の物語構成。
部活動を引退して、受験勉強に打ち込む前の高校三年生の夏休みという設定が微妙に巧い。設定だけでなく、この時期にしかない開放感と緊張感の入り交じったような日常の雰囲気を醸し出しているところも味わいがある。十七歳から十八歳にかけてという大人とも子供とも言い切れない、ごくごく僅かな”少年”の期間。それでいて主人公たちの境遇は一様ではない。
かつてのイジメが原因の復讐に晒される――。大人であれば実際の被害が出た段階で警察に駆け込むだろうし、子供であれば親なりへのSOSを出すだろう。この時期の彼らでなければ、まず”自衛する”なんてアイデアは出てこない。また、中学時代の幻影に引きずられるというのも物語としての巧さを感じる。と、いうのは成長期のこの時期、それこそ「男子三日会わざれば刮目して待て」の言葉通り、中学校の頃ひ弱だった人物が、そのままひ弱なまま成長していないとは限らない。最初はナメた対応を取りながら、後になって相手が手に負えず、被害が拡大するにつれ一種のパニック小説に近いところまで恐慌は進んでいく。主人公らの心理が優位から、虚勢、そして不安へと傾いていく過程の描写が絶妙。
更に、罪悪感を覚えているのは、今回の被害者側で、読者の視点も被害者側にあるため、単純に復讐に対して快哉を叫ぶことはできない。寧ろ、被害者側の生活を垣間見ることで、復讐そのものに対して否定的な気分になる。それでも敵は襲ってくる。彼らは罰を受ける必要があるのか。それとも、過去の傷を忘れ去ったまま大人になって良いのか。 容易に答えの出ない問いかけが、物語のなかに充満しており、時に息苦しくさえある。
主人公たちの必死のガードにもかかわらず、復讐の鬼となった廣松は、それを掻い潜って対象に恐怖を与えていく。しかし廣松は、ほとんど誰の前にも姿を現さない。ここに仕掛けられたWho done it? の意外性は、言われてみるとそれしかないのだけれど、実際に作品中で明かされた場面で思わず絶句。用意周到な作者の仕掛けに舌を巻く。ただ、それもこれも、携帯のブラインド打ちであるとか、流行らない喫茶店のマスターであるとか、施錠されたロッカーだとか、さりげない伏線がしっかりと張られているがゆえ。本格ミステリを指向している作品ではないのだけれど、読者がどう喜ぶかのツボは押さえられている。

イジメに対するメッセージ性も見られるし、一風変わった冒険譚として読むこともできる。ただ、やはり中心に据えられるのは「罪と罰」――なのだよね。果たして復讐は正しいのか。かといって復讐を甘受すべきなのか。 イジメられた人間の心の傷は、周囲が想像するよりも実に鋭い。またイジメた当人が、その頃の記憶が曖昧なままで責められるのもまた辛い。作品内で答えは出ていない。だけどこの作品は小市民に勇気を与えてくれる。

荻原浩作品はどれも、あまり周囲が目を向けたがらない(目を逸らしたがる)ような事柄について真っ向から切り込んでいく。 それでいてあまりに教訓めいたところがあるわけでもなく、終わってみると不思議な感動が物語を包んでいる。オーソドックスともいえそうな物語の筋道がキッチリ組まれており、その分、先が見えてしまうところはある。ただ、登場人物が何かと持つ、この時期特有の悩みや葛藤が物語に程良いスパイスを与え、全く最後の最後まで飽きさせない。――やっぱり、もう少し話題になっても良い作品だと思うのだけれど。


03/05/14
伊坂幸太郎「重力ピエロ」(新潮社'03)

オーデュボンの祈り』にて'00年に第5回新潮ミステリー大賞を受賞してデビューした伊坂氏は、その後『ラッシュライフ』『陽気なギャングが地球を回す』と作品を重ねるうちに、徐々に注目度がアップしてきた感。仙台を中心とする独特の世界と主人公たちの不思議な魅力が常に横溢しており、ミステリサイドだけでなくブンガクサイドからもいずれ評価されていくような予感がする。

一九七三年、パブロ・ピカソが死んだのと同じ日に泉水の弟、春は生まれた。公務員の父親、元モデルの母親に育てられた二人は成人した今も仲良かったが、実は春は母親が未成年にレイプされた結果生まれた子供で、血は半分しか繋がっていない。今現在は母親は既に亡くなり、父親は癌で入院している。遺伝子に関連する企業に勤める泉水は、特別に考案した薬剤をもって街の落書きを格安で消して回るという仕事をしている春から連絡を受ける。最近、巷を賑わしている連続放火魔が、もしかすると兄貴の会社に火を付けるかもしれない、と春は言い、しかもその通り、会社の一階のシュレッダーゴミが燃やされてしまう。春は放火に関して一定の法則があることを見つけたのだと言い、入院している父親と三人、彼らはその謎解きに夢中になる。春によれば、放火される建物の近くには必ずグラフティアート(街の落書き)があるのだという。それまで発生した八箇所の放火現場の近くには一単語にて成る英語が描かれており、それを繋げていくと「God Can Talk Ants Goto America 280 Century」となる。父親はベッドで、泉水も分かる範囲で謎を解こうとするが、それ以上の法則は見いだせない。そんななか、春から新しいグラフティアートを発見したという連絡が入り、兄弟は放火犯人を捕らえるため、深夜の冬の街にて見回りを開始する。

一風変わったミステリ、そして親子、兄弟、家族の物語、さらに穏やかな勧善懲悪
伊坂氏のこれまでの作品を俯瞰して思うのは、大きなトリックに対して肉付けしていって物語を創造するのではなく、細やかなエピソードの積み重ねによって大枠だけ存在する物語内部を埋め尽くしていくという手法が用いられていること。冒頭の「性的なことを憎む」春によるジョーダンバットのエピソードから、葬儀を抜け出して兄弟で乾杯をするエピソードに至るまで、印象的な会話と行動が続く。同時代性……とでもいえば良いのか。彼らの一つ一つの行動が、真似は出来なくとも、どこか理解できるような自分がいて、本当の意味で親しみを感じる青春小説の味わいが濃いのだ。
連続放火事件、一連のグラフティアートの関連性、その言葉に隠された意味。主人公の時折取る謎の行動等々、ミステリとしての興趣はあるが、その真相が透けることを作者は却って良しとしているように思える。主人公たち家族の境遇が面々と綴られる前半にある意味答えは既に書かれており、そこから立ち上り、交錯する彼らの想い……を訴えることが、読者の謎解きに優先しているから。いくつかのエピソードは確かに伏線として効いている。その一方で、遺伝子にまつわる架空会社を設定することで親子・兄弟の繋がりを強調するのと同時に、泉水がこだわる人物が誰なのかというのは中盤で読者も気付く。だが余計に、父親が癌で入院しているという事態の最中に、彼ら兄弟が何をしようとしているのかが伝わってきて、その切ない思いに胸が打たれるのだ。悪人は悪人であり、反省の色のない悪人は罰せられるべし……という、一種の(しかも単純な)勧善懲悪の図式が底に存在するが、ここに疑問を抱かせない。本来は葛藤をもって論じなければならない部分であるのに、秩序の回復(もしかすると、つまらない秩序の破壊か)に快哉を覚えてしまう。 そして寧ろ、その狙いを果たした後の兄弟のやり取りにどうしても目が行く。一種の日常の謎とも受け取れる、春の奇矯な行動の理由は、なんと「父親に対する祈り」なんですよ。
不幸な事件によって生まれ、素晴らしい家族に囲まれて育った春。平凡でいて、包容力と勇気のある父親。弟と家族想いの泉水。思い出のかたちだけで登場する、美しくそしてしっかりした母親。それぞれが独特の個性を持ち、信念に従って生きている。その結果、世間的にはちょっと彼らの性格は奇矯に映るかもしれない。それは「世間的」の方が間違っているからなのだ、と納得させられてしまうのだ。家族のための勇気を持った両親。世間に対して逃げ隠れしない兄弟。最初から彼らの絆は壊れていない。だけどその壊れていない絆を更に太くするような流れがある。
小説として不思議な完成度を持っている。これが伊坂テイストといえばそれまでなのだが。すっきりまとまっているというより、全体の印象としては茫洋ですらあるのに、どこからか伝わってくるこの感動。 彼ら兄弟に幸あれ。

ミステリの体裁になってはいるが、恐らく本書はもっと全体的なブンガク畑からも高い評価をこれから受けるのではないかと思う。また、これまでの作品に登場してきた人物が幾人か印象的なエピソードを語る人物として登場しており、伊坂作品を追いかけている人にとってはちょっとしたボーナスとなっているのもポイント。今年の話題作品であると同時に、これから長い間読み継がれていくことになる傑作としての予兆さえある。 切なく、そして暖かい。ちくしょう、作品が良すぎて書くこと書くこと感想にしかならないや。


03/05/13
愛川 晶「網にかかった悪夢 影の探偵と根津愛 四月」(カッパノベルス'02)

今や、愛川氏の代表的シリーズ探偵となっている美少女代理探偵、根津愛もの……と思いきや、その変奏曲にあたるちょっと変化球的なシリーズ第一作。あとがきによれば『堕天使殺人事件』(高校一年十二月)の後、『根津愛(代理)探偵事務所』所収の「コロッケの密室」(高校二年十二月)の間の空白の一年を埋める役割を果たすものになるようだ。

福島郊外の田舎町に住む”ぼく”こと、大隈敦巳は中学三年生。駆け落ちして実家から勘当された母親と父親との間に生まれ育った。しかし両親は不仲となり、父親が別の女性と失踪。更に残された母親は偶々訪れた銀行で強盗の現場に出くわし、逃走する犯人に刺されて死亡する。結果、元刑事の祖父に引き取られるが、ずっと登校拒否を続けていたが、ようやく転校して学校にだけは通えるようになっていた。身長169センチのぼくだったが、クラブ活動もせず、心の支えは家で飼い始めた一羽のウサギ。そんなぼくが通う合気道の道場に現れた、師範代代理に恋をした。三つ年上の十六歳、名前は根津愛……。元もと祖父と知り合いだったという愛が”ぼく”の家に泊まることになり、愛は”ぼく”が見る悪夢を退治するという「ドリーム・キャッチャー」を手作り工作してくれた。おかげで素敵な夢を見ることが出来たが、家のなかでは恐ろしい事態が発生する。ウサギのナオが何者かによって殺され、脚を切り取られた無惨な姿で殺されていたのだ。更に翌日、学校の校長先生が、全裸、かつゴムシートを身体に巻き付けられ、更にガソリンを身体にかけられて焼かれた無惨死体となって、学校の敷地内で発見される。

美少女代理探偵の変奏曲。これまでの展開を知る人の方が楽しめる?
題名に「根津愛」という文字が入っている通り、従来の作品群と少なくとも世界は同じくされている。根津愛は当然登場するし、キリンさんも、根津信三さんも登場する。現在(2003年時点)において、根津愛は高校三年生であるのに対し、本書では高校一年生。つまり、これまでの作品からすると本シリーズ(となるのだろう)は、「過去の事件」でもあり、現在はいろいろな進展をみせている人間関係については当然「まだ起きていない」世界。視点人物の選び方等々、意識して変化させている部分もあるかと思うと、それがそれでトリックの一部分を形成していたりとなかなかに侮れない。
視点人物の”ぼく”が体験する事件。ちょっとした青春ミステリの趣向かな……という展開のなか、家に泊まりにきてくれた愛先生がいるにも関わらず、不気味な事件が勃発する。特にウサギの殺害に関しては、あからさまなミスリーディングに対して提示される抜け穴が存在するのがミソ。正解についてはちょっと(最近のミステリの傾向のなかで)教科書的な気もするが、その抜け穴だと思わされて、それほど重要ではないエピソードの方が別の意味でクローズアップされ、不思議な後味を残していく終盤にちょっとビビった。作者の意図はこちらに重きを置いているわけではないだろうが、”ぼく”を庇護する大人たちの思惑というか覚悟の凄まじさは心に残るものがある。
また、この新探偵役、使い方を誤るとトンデモに成りかねない危うさを秘めているように思うのだけれど、このあたりは今後どのように処理されていくのか注目したい。ただ、ワトソン役といえど愛も既に謎を見抜いているわけで。なんというか、正解を知る教師に対して答えを述べる生徒のように見えてしまうのは私だけだろうか。メインとなる事件は納得できることはできるけれど、人格者の校長先生がねぇ……というあたりに違和感。ただ、その違和感こそが動機でもあるので、これはこれでこうなるべき物語なのかも。

ストレートなパズラー作品の多い愛川氏の作品にあって、変奏曲にみえても本質は同じ。すっきりとまとめられた実力派の本格ミステリである点は間違いない。世界が繋がっている安心感もあろうが、今後も出てきたらチェックしておくつもり。


03/05/12
柄刀 一「十字架クロスワードの殺人」(祥伝社NON NOVEL'03)

副題は「本格痛快ミステリー 天才・龍之介がゆく!」。御存知、柄刀氏の創造した探偵の一人、IQ190を誇る天才・龍之介が登場する、四冊目となるシリーズ初の長編作品。書き下ろし。題名から、ということもなかろうが、章題にあたる部分がクロスワードパズルになっているという遊び心あり。(答えつき)

後見人である変人博士・中畑保(どーする卿)から一億円から成る祖父の遺産を受け取ることが決まった天地龍之介。ところがその大金は中畑の息子・大河によって横領され、彼がこしらえた巨額の借金返済にあてられてしまっていた。のみならず、大河が渡した借金は、貸し主の秘書・塩原三絵を名乗る女性によって詐取されてしまってその行方は不明。実際に塩原三絵は比留間家の三男、高邦という人物の秘書をしていることは間違いなく、龍之介と従兄弟の光章、更に光章のガールフレンドの一美の三人は比留間家へと赴く。比留間家の主人はクロスワードゲームをこよなく愛する大物だったが、現在は臥せっており、その巨額の遺産を巡って長一、光陽、高邦の三人の息子が、内輪で熾烈な主導権争いを繰り広げていた。そんななか、塩原三絵は、数日前から失踪してしまっており行方は杳として知れない。兄弟間の足の引っ張り合いの関係で意外と協力的な比留間の人々の案内で、龍之介と光章は一美と別れて山奥の別荘に調査に赴く。ところが一行を乗せた長一の運転していたバンが謎の事故に遭い、崖に車が投げ出されたものの、何とか全員生還する。ただ、その事故の結果、唯一の交通路である橋が壊れたしまい、彼らは山小屋一つしかない陸の孤島に縛り付けられてしまう。一方、中畑保と親しい弁護士に会いに行った一美は比留間亭に残ったが、その晩、光陽が梯子から落ちて墜落死するという事件が発生。また一方で龍之介らがいる山小屋でも不穏な一夜がスタートした。

二箇所同時進行の不可能犯罪、そしてその犯人は……? パズラー趣味横溢の柄刀ミステリらしい作品
祥伝社400円文庫にて登場したシリーズ前作を未読のためなのかもしれないが、ちょっと物語のスタートに唐突感があり、大富豪の遺産を争う三人兄弟とその家族関係者、さらに龍之介らとの登場人物が。当初からごちゃごちゃと数多く登場して、物語内部の人間関係の把握をするまで、ちょっと混乱させられたのが冒頭の印象。ただ、正統派の本格パズラーとしてWho done it? を重視する作者の作品では、この”犯人候補”たちが多数登場する――という傾向が常にあり、本作だけでみられる特徴ではない。
龍之介らが山荘のある一帯に閉じこめられ、一方で残された一美の方でも殺人とみられる事件が発生するにつれ、作者の意図がぼんやりと見えてくる。つまり、これは本格パズラーを追求する筆者ならではの、ある趣向。つまり、いわゆる「陸の孤島」に隔離されたサークルにて跳梁跋扈する殺人鬼と、奇矯な趣味の持ち主が建築した「館」で発生するこちらも凶悪な犯罪との同時進行、そして同時解決が、この作品の主題となっているのだ。章ごとに描かれる二つの事件。電話線の謎の切断から始まり、電気の通らない館の夜、窓の外に見える謎の腕、撲殺死体……。龍之介サイドは”クローズド・サークル”内に犯人が必ず存在する恐怖がある。一方、一美サイドは、一族の長が残したクロスワードパズルに操られる人々を巡る奇妙な事件、発見された死体、更にパスワードが不明のままシェルターに閉じこめられて水攻めに出会う……等々、緊迫を感じさせる要素が双方にあり、高いテンションが持続する。その合間に挟まる光章と一美の互いを思いやるエピソードがどこか微笑ましくも、謎は膨らむばかり。
もちろん、謎は回収され、真犯人は名探偵による指名を受ける。……恐らく、片方にて発生する事件だけでも長編を維持することは可能であるにも関わらず、両者の底に共通した”ある犯罪”を持ち込むことによって、電話を通じての最終解決の面白さが浮かび上がる仕組みとなっている。そうしてまた、犯人の狡猾かつ悪毒い意図も見えてくる。動機の方はもちろん遺産と金がらみと平凡ながら、かえって殺人事件や不気味な出来事に対して興味を集中させることができるので良し。また、これまでも龍之介シリーズを彩ってきた、意外な科学的雑学の応用についても、山荘サバイバルのさなかに、灯りから石鹸、ラジオから顕微鏡といろいろ登場して面白い。(事件そのものに対して応用されていないのは御愛敬か)。

最終的に犯人や動機、そして犯行方法も意外とオーソドックスなかたちにて収まりがつくのだけれど、凝ったそのプロセスに柄刀作品らしさが横溢している。龍之介行くところに事件あり……となっているこのシリーズ、彼らはいつ落ち着くのだろう?


03/05/11
黒田研二・二階堂黎人「千年岳の殺人鬼」(光文社カッパノベルス'02)

「クイーン兄弟」なる匿名ユニットを作者として'01年にカッパノベルスより刊行された『Killer-X』。その作品を執筆したコンビは、後に黒田研二・二階堂黎人の二人であることが明かされた。(当時からヒントがかなり露骨に出ていたので、既に答えは割れていたという説もあったが)その一冊だけに留まらず、一年の時を経て同じコンビによって、書き下ろし刊行されたのが本作。二人ともスキー好きであることはかなり有名。

オーストラリアの日本語学校に通う生徒たちが、夏休みを利用して日本有数のスキー場がある千年岳を訪れた。千年岳スキー場周辺では、スキーヤーが十日前後のタイムスリップ現象を起こす〈ワームホール〉の話題で持ちきりであった。日本人のフミコを中心に、千年岳付近を調べ回ったというネッドら、八人はヘリコプターで頂上に上がって、そこから滑り降りることになっていた。しかしある人物の思惑によって彼らはコースから外れて立ち入り禁止区域に入り込んでしまって遭難、噂の〈ワームホール〉があるとされる場所近辺に来てしまう。その、ある人物は何故か〈ワームホール〉があるという〈クロノトリイ〉近辺で殺された。残ったフミコらは近くにある山小屋に避難する。しかし、不気味な連続殺人は幕を上げたばかりであった。山小屋に落とされていた一冊の手帳。それは参加者の一人が未来で書いたかのう内容を持っており、その手帳に書かれている通りに参加者が一人一人、奇妙な方法にて殺される。果たして犯人は一体誰なのか?

凝りに凝って仕掛けられている小技と大技が噛み合った、スキーミステリの異色作
単純に凄い凄いと言い切れないとはいえ、狙った意図だけは少なくとも「もの凄い」といえるだろう。方法はもちろん、動機さえも分からない殺人鬼の存在。隔離された雪中密室。拾われたメモの内容通りに実現する予言殺人。特に真犯人の徹底的ミスリードが秀逸で、生き残った人物だけではどう考えても犯行が不可能としか思えず、「吹雪の山荘」テーマに特有の独特の緊張感が事件開始から解決に至るまで、徹底的に持続するあたりは面白く感じた。
上記梗概がメインとなる物語だが、実際は「ホテトル嬢ばかり狙った猟奇殺人事件」であるとか「タイムスリップした女性をフォローする外国人」であるとか、「外資系企業に勤務することになった女性」等のサイドストーリーが数多く挟まっている。東京都内のラブホテルで発生する血腥い事件が、どのようにスキー場の連続殺人と繋がるのか……あたりは予想はつくものの、最終的にかなり凝った物語が浮かび上がる寸法。このあたりの大枠としての大技、そして、個々のミステリを形成する小技のトリックが巧みに積み重ねられている。例えば、なぜ舞台が日本なのに登場人物の多くがオーストラリア人と設定されているのか。モーニングショーの占い。個人の持ち物や嗜好等々。つい看過してしまいがちの事柄に、作者は罠をしっかり込めている。
一つ気付くのは、本文中の仮想犯人として登場する「キラーX」。この人物がシリアルキラーなのであるが、この作品においては「犯人がシリアルキラー」であるが故に成立している(そうでなければ成立しない)エピソードが多く、さりげないながらこういった点への配慮に感心。ただ、逆にダイナマイトや地雷といった、通常のミステリでは登場させないような飛び道具が登場する点や、いくらなんでもトリックの手間と狙いとの間のギャップが大きすぎるのでは、という大仰なところが散見されるので、リアリティを追求する向きには不評となる可能性もある。

とはいってもごくごく細やかな記述が後で伏線になっているなど、一見トンデモすれすれのような物語が本格パズラーに変ずる過程に美学を感じるし、その意味、二階堂・黒田両氏らしさがきちんと融合しているか。いわゆる「新本格」らしい「新本格」な作品。ちょっとホテトル嬢連続殺人のグロ描写シーンには辟易させられたが、これはどちらの好みなのだろう?