MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/05/31
内田康夫「倉敷殺人事件」(光文社文庫'88)

本書のオリジナルは'84年に刊行されたカッパノベルス版。内田氏の十一冊めの作品にあたり、『遠野殺人事件』に続いて多く発表されることになる「地名+殺人事件」の二冊目でもある。既に名探偵「浅見光彦」を創造していた内田氏だが、本書における探偵役は『死者の木霊』にて登場した名探偵警部・岡部が探偵役となっている。

新宿の歓楽街で老人が何者かに刺されて死亡する事件が発生した。気弱な恋人とホテル街を歩いていた草西英(ひかり)は、助けを求める老人と遭遇。彼が「タカハシノヤツ……」と言い残したのを耳にする。しかし銀行での同僚である恋人は、関わり合いになるのを恐れてそのまま立ち去ることを主張。英も引きずられるようにその場を後にする。捜査によってその老人は富山県にある登校拒否児療養施設の責任者で、謹厳実直な人物であることが判明。捜査一課の岡部警部はこの件が行きずりの犯行ではなく、何か別の理由があっての事件だと考え、捜査を開始するものの、手掛かりが少ないことから難航する。一方、倉敷市内の観光地、アイビースクエアで一人の女性が毒殺された。東京から観光に来た彼女は土地勘もなく、殺されるような動機は何一つ持たない。唯一、来しなの新幹線で旧知の人物「トモ君」に出会ったことが、その原因らしいと思われた。岡山県警の上田刑事は、被害者の男女関係など旧来の考え方に囚われる地元捜査本部のやり方に反発、独自の考え方で捜査に臨む。

徐々に薄まる本格ミステリのロジックも、悪魔的犯人の弄するトリックには一見の価値あり
序盤から中盤にかけて、新宿の養護施設責任者殺人事件と、岡山の観光客殺人事件が別々に始まり、それぞれの捜査が行われる。「タカハシ」という言葉を中心に、その二つの事件が繋がることは、特に明確な手掛かりがなくとも物語構造上の必然である。なので、その点は恐らく大半の読者は既に了解しているはず。ダイイングメッセージにしても、トモ君の該当者探しにしても、捜査陣にとっては難問であり、その捜査にひたすらに足を費やしまくっても、この段階では恐らく読者の期待は「二つの事件がいかにして繋がってくるか」に絞られる。富山と倉敷という地方おりおりの風物詩を作品内にこの段階で織り込んでしまう内田氏の手腕等をみていると、「ああ、旅情ミステリっぽいな」という感慨をもまた抱く。 あ、いや旅情ミステリでもあるのだが。
だが、捜査陣が二つの事件の繋がりを把握し、犯人像が浮かんできた段階から、事件そのものも、ミステリとしての工夫にしても、急に緊迫感が増して「意外性」が連発されるようになる。 何せ、序盤から中盤にかけて読者が感じていた漠然とした犯人像感覚の中心にいる人物があっさり殺害されてしまうのだから。それまでの社会派風リアルな警察捜査+旅情という軽めのミステリーとして展開した物語が、急に本格ミステリ的な不可解な状況のなかに投げ込まれる。まるで最初から真相を知っていたかのような、自信満々の岡部の推理は、やや飛躍しすぎているきらいもあるのだが、ヒロイン草西英のさりげなく描かれていたバックグラウンドから決定的証拠が見つかる点など、意外なところに伏線が張ってあり、多少強引とも思われるこの時間差トリックに味わいを醸し出している。(恐らく科学捜査を徹底していれば、犯人の意図通りに警察が動いたかどうか)。ちょっとありきたりながら、後半のサスペンス性も悪くない。

文章はどんどん洗練されて読みやすくなってきており、登場人物の造型もごく自然であり良い感じ。仄かな慕情を作品に込めるあたりのさりげなさに、大人の余裕のようなものも感じる。本格ミステリに分類することも可能な作品だが、中盤までの物語の引っ張り方によってちょっとその意味では割り引かれるかも。


03/05/30
岩崎正吾「探偵の冬あるいはシャーロック・ホームズの絶望」(東京創元社'00)

「探偵の四季」シリーズと題された、岩崎正吾氏(山梨ふるさと文庫代表)による本歌取りシリーズ三作目。『探偵の夏 あるいは悪魔の子守歌』『探偵の秋 あるいは猥の悲劇』と続いており、前二作は創元推理文庫にて読むことができる。本作は現段階では創元クライム・クラブの一冊として刊行された。

祖父の設立した会社を受け継ぎ、若手青年実業家としてならした男。長身白皙にしてスポーツマン、しかも娶った妻は横浜一を噂される美女。しかし、彼は得意の乗馬の最中に崖から転落する事故に遭遇、九死に一生を得たが、そのショックで精神を患い、自分がシャーロック・ホームズであると信じ込んでしまう。その実弟が精神科医であり、ホームズを名乗る兄の精神を落ち着かせるため、自分自身はワトソン博士を名乗り、彼の妻にはメアリーを名乗らせて、横浜の一角に古色蒼然と残る百年前のロンドンの雰囲気を再現した一角に彼を住まわす。しかしそのホームズ、なぜか現実の事件をも解決する能力を持ってしまっていた。持ち込まれた「光頭倶楽部」事件、「バスかビルかの犬」事件を解決した彼の噂は、ワトソン博士によって横浜西署で森谷産業が絡む汚職を追う刑事に伝わる。是非、協力をお願いしたいという警部補はレストレイドを名乗らされて、ホームズと面会するに至る。

本歌取りの自縄自縛か。魅力的な人物設定に謎の方の魅力(と説得性)が追いついていない……
現代に蘇るシャーロック・ホームズという設定は実に魅力的なのだ。横浜になぜか残る大時代ロンドンの雰囲気。一人の風変わりな精神病患者のために、周囲が協力してホームズの世界を創り上げることを手伝うという、一種の集団的狂気。その狂気に巻き込まれることのなった刑事のおかしさや、大まじめに事件の解決を願う依頼者たち……。その「ホームズを演出する」という状態が、どこか心のよりどころとなってしまった挙げ句に発生する悲劇。こういった虚実ない交ぜになった人間関係の描き出し方は(ちょっとエロ描写に痛さを感じるにしろ)、特筆に値する。 特に題名となっている「シャーロック・ホームズの絶望」をラストに噛みしめる時の苦さは、筆舌に尽くしがたい。
ここまでは良い。問題は、こういった設定に見合うだけの「謎」を作り切れていないこと。「赤毛同盟」の本歌取りである「光頭倶楽部」。少なからぬ費用をもらって辺鄙なところで遙拝を行う意味がコレ? なぜもっと簡単な他の手段ではいけないの?「」だとか、「信号」だとかでも別に構わないわけでしょ。「バスカヴィル家の犬」の本歌取りとなる「バスかビル家の犬」。そんなに長いこと、対象を観察していた少年たちが、その真実にまったく気付かないものなのか? それにその行為を実施し続けてきた理由が「その人物がちょっと抜けたところがあるから」というのも牽強付会が過ぎてなんか頂けない。とどめは「まだらの紐」の本歌取り、「まだらのひもの……」のダイイング・メッセージ。ハッキリいって真っ先に思いつく答えが正解という点に絶望。未必の故意ともいえないような手段を取る殺人者の気も知れない。
結局、本歌取りの自縄自縛。それに尽きてしまうのではないか。本歌となる、聖典の事件に拘泥した結果、そのバリエーションを設定に見合うように作ろうと腐心しまくっている。腐心したことそのものは分かるものの、結局、「謎」が本歌に遠く遙かに全く及ばないシロモノになってしまっている悲劇。無理無理な設定、無理無理な解決。ホームズの天才性を維持したいがゆえに、作者が選択したのはワトソンやレストレイドといった周辺人物の推理能力を更に貶めること。これでは……。

前作から実質十年間の沈黙の意味が何となく分かるような気もする。この「探偵の四季」シリーズは最終的に残すは「春」のみ。恐らくあの、日本が生んだ名探偵が登場するものと思われる。『猥の悲劇』を読んでいないのに偉そうだが、シリーズ全体で評価すべき部分もあるかと思われるので、最終作品を待ちたい。(本作の解説のはやみねかおる氏の「愛」の溢れる文章は好きなんだけどなぁ)。


03/05/29
鯨統一郎「ミステリアス学園」(カッパノベルス'03)

光文社『ジャーロ』誌に'01年から'03年にかけて連載された作品の単行本化。しかし'03年になっても鯨氏の刊行ペースには衰えが見えない。

ミステリアス学園(大学)にあるミステリ研究会、通称「ミスミス研」に入部した湾田乱人(わんだ・らんど)。彼は数字を小説で現せないかと思っており、松本清張『砂の器』一冊だけしか読んでいない。一方、もう一人の新入部員、薔薇小路亜矢花(ばらこうじ・あやか)は本格ミステリ好き。ミスミス研部長の小倉紀世治は謎めいた長髪に手袋という姿で素顔を見せない不気味な人物だが、副部長の長生はるか、もう一人三年生、平井龍之介、更に二年生の星島哲也、西村純子と、他メンバーはそれぞれミステリに対する独自のこだわりを持つほかは普通の学生である。ただ、そのミスミス研の内部では、冒険小説、ハードボイルド、社会派方面等を愛する会員が幅を利かせており、本格ミステリを愛するのは三年の平井ただ一人と少数派だった。亜矢花の好きな作家が島田荘司であることから、まずは「本格ミステリとは何か」について議論が開始される。この形式は連作で続き、続いて「トリック」「嵐の山荘」「密室講義」「アリバイ講義」「ダイイング・メッセージ講義」、そして最終話「意外な犯人」と続く。しかし問題は、一つの話が終わる頃に、部員が次々と命を落としていくこと。しかも一連の事件は、常にミスミス研の機関誌『ミステリアス学園』によって常に顛末がまとめられているのであった。

さて、今日もミステリについてのお勉強をしましょうか。
先に言っておくと、本書の評価は非常に難しい。
と、いうのはいくつもの要素が作品内部にあり、それぞれに対して「どこ」を読者が読むのかによって評価が大きく変化しそうな気がするからだ。
まずは、本格ミステリに関する国内外における歴史をおさらいするパート。戦前からスタートし、第二次大戦、戦後すぐ、社会派の時代、新本格の誕生、そして現在に至る推理小説史が分かりやすく書かれている。間違いも見あたらないようだし、まだ評価の固まっていない90年代あたりに対する考察もなかなかに鋭いように思う。ミステリに対してエンタメ以上の興味(例えば歴史体系的に追っていきたい……だとか)を持ってこれから臨む読者にとっては、簡潔なガイドブックとしても機能しよう。
次に、本格ミステリを解体していくパート。 これは鯨氏の見方というか主観が入っている部分もあるし、実際、全ての読者にとっての客観的事実など存在しないため、多少割り引いて考える必要もあるだろう。人によって把握の仕方が違うものでもあるし。ただ、個人的には「嵐の山荘」の部分において取り上げられていた、本格を定義するのに「本格度数」を用いる方法は、かなり感心した。特にレベル1と2の分類は上手い。本格レベル1「読者にも公平に開示された手がかりによって、謎が論理的に解かれている部分があること」 本格レベル2「さらに、そのことによって得られる快感を作品の主な目的としていること」。つまり、レベル1は、他のジャンルの作品として発表された作品のなかにも、いわゆる本格テイストを持った作品があることを示し、レベル2によって、それらの作品は、意図して書かれていないがゆえに本格ミステリとは呼べないこと……あたりの論考は、個人的に持っていたもやもやをちょっとすっきりさせる効果があった。ちなみに本格レベル3は「さらに、解明された真相に意外性があること」と続いていき、それ以上の解釈については多少恣意的な分類に過ぎない印象はある。
最後に、本格ミステリ+連作短編集としてのパート。 超入れ子構造である点は試みとして面白いと思うが、連作として個々の作品のトリックは、正直どうかな(正確には「おいおい、こりゃちょっと……」)、というレベル。ただミスミス研部長の正体であるとか、思わず吹き出すようなバカミス的真相などもあり、単純につまらないとは言い切れないのが不気味なところ。ただ、これだけ浮き世離れした内容に、あっさり男女のどろどろな関係を、簡単に持ち込むのは作品全体の品位を損なってしまっているように感じたことも事実。もの凄く大きなことを実現しようとしたラストについては、試みがちょっと空回りしてしまっている感。

九つの殺人メルヘン』あたりもそうだったが、鯨氏の連作短編集は複数の試みを同時にこなしているケースが多いように思う。本書の場合も、いろいろな楽しみ方が出来そうで、明らかに人によって異なるツボを刺激されるであろうこと、間違いない。個人的には、単純にミステリとして捉えると、全体構造と個々の事件とのバランスの悪さなど気になる点があるものの、それ以外の細かい記述に感心した……というクチ。果たして貴方の評価はいかがなものでしょうか。


03/05/28
黒川博行「暗闇のセレナーデ」(徳間文庫'88)

'83年に『二度のお別れ』で第1回サントリーミステリー大賞佳作、翌'84年に『雨に殺せば』で第2回の同賞佳作。'86年に『キャッツアイころがった』にて第4回同賞を獲得するまでの黒川氏の道のりは長かった。本作、『暗闇のセレナーデ』は大賞を獲得する前、佳作二つ受賞(の御褒美?)ということで'85年に徳間書店より刊行された作品。応募作品ではなく書き下ろしにて刊行された模様。本書はその文庫化で、解説はまだブレイクする前の東野圭吾氏が執筆している。

美術創作を中心とする生活のため貧乏暮らしの京都美術大学の学生、池内冴子と藤井美和。その美和の実の姉・雅子は、著名な彫刻家であり資産家の加川昌のもとへと嫁いでいた。加川が不在というある日、晩御飯と援助をお願いに甲陽園のお屋敷に行った二人だったが、訪問を事前に連絡していたにもかかわらずチャイムに応答がない。様子を変に思った二人は外壁を乗り越えて中に侵入、ガスが充満したアトリエ内部で倒れている雅子を発見する。救急車を呼び、雅子は間一髪で一命こそとりとめたものの、意識不明の重体。しかも、その雅子のいたアトリエは、救出直後にがかかってしまい、密室となってしまった。また、雅子の夫である昌は、東京で開催される業界団体のパーティに遅れると連絡があったきり、そのまま失踪。業界団体を束ね、父親の巨額の遺産を相続していた昌には内縁の妻と息子が別におり、認知をする、しないの問題があったり、団体内部の権力抗争があったりと黒い噂が多くあった。しかも、雅子の意識は戻ったものの、どうやら記憶喪失に陥ってしまっており、犯人の特定ができない。兵庫県警の捜査一課の面々が捜査を進める傍ら、美和は冴子を巻き込んで昌の行方を突き止めるべく、事件の解明に乗り出すのだが……。

警察 vs 女子大生。二グループの探偵による軽快にして絶妙の黒川ミステリならではの構成が冴える
改めて思うのは、関西人ならではの”ボケ”と”ツッコミ”の妙が、黒川作品に溶け込んでいること。本作においても、主人公の女子大生同士、警察内部の刑事同士、そしてその女子大生と警察との会話等々にみられるボケとツッコミのテンポの良さは、他のミステリ作家の追随を許さない。そして、もう一つはいわゆる”商売人”的な、都合の悪いことはとぼけ通す、こすっからい関西人の姿をもまたきっちりと描いている点にも注目したい。上っ面だけでない、ナマ関西人の生態があってこその黒川ミステリなのだから。
本作における事件は、「後づけの密室」という奇妙な謎からはじまり、失踪した彫刻家の行方を追い求める警察と女子大生との動きが中心となる。犯人と思しき存在がちらりちらりと残した痕跡を辿る双方の陣営の姿は、一種のサスペンス的な面白さを呼ぶ。ただ、そういった展開のみで物語を持たせているのではない。いくつものデータや手掛かりが総合されることで、事件そのものの姿が二転三転していくのが最初の妙味。女子大生と警察が互いに推理し、補完しあうあたりの計算づくの展開も素晴らしいし、しかも、これでやっと解決……と思わせておきながら、実は更にその裏にあるテーマが隠されているのには、驚かされる。そして、警察の科学捜査や、美術の知識の更に裏をかいていく犯人の悪魔的な計画性に、最後の最後に慄然とさせられる。サスペンスを前面に押し出すことで、そういった最終的な真相に対する手掛かり、そしてそもそもの事件の構図を奥深くに沈めて読者の目の前から消し去ってしまう、黒川氏自身が生み出す巧妙な作品構成もまた、悪魔的ですらあるのだが。
とはいっても、やはり作品としてはこの軽妙さがポイントとなるだろう。なんといっても読んでいて素直に楽しいのだ。登場人物への感情移入もすとんと入り込んでしまうし、親友ならではの美和と冴子のやり取りが微笑ましい。ある程度のむちゃくちゃ加減が、かえってそれらしいリアリティを醸し出しているあたりは、美術業界とその周辺というちょっと破天荒の気がある人々が多く登場しているからか。

黒川氏の後の作品で大きな位置を占める、大阪府警もののベースという見方もできそう。(それ以外の、その後の重要なキーワードとなるヤクザやギャンブルは本作では登場しないが)。本書そのものは、この文庫版も含めていつの間にやら絶版というのは何とももったいない。現代読者にとっても十分に鑑賞に堪える佳作であることは間違いない。どこかが再刊しても良いように思うのだが。(それをいうなら初期の他の黒川作品にも同じことがいえるかも)。


03/05/27
海渡英祐「死の国のアリス」(集英社文庫'83)

この文庫版刊行の前年に『仮面の告発』という文庫オリジナル作品集が「加藤刑事夢想捜査録」という副題と共に刊行されている。だが、実は「加藤刑事」ものとして先に刊行されたのは本書の元版である、'75年刊行の『殺人ファンタジア』の方。一部の収録作品が割愛されているが、「続・加藤刑事夢想捜査録」となっているこちらの方が後なのだ。とはいえ、実際問題としてはどちらを先に読んでも差し支えない。この集英社文庫版の解説は瀬戸川猛資氏。

三年前、自分の夫が女性を誑かしては命を奪う性癖を持っているのでは、と相談してきた女性がいた。その夫が犯人と思われる殺人事件が発生したが、結局妻の証言によりアリバイが確定、事件は迷宮入りした……。 『青鬚の妻』
アリスの翻訳を手掛ける教授宅で、教授と教え子の二人が殺害時間の離れた他殺死体で発見。教え子の死体は鏡の前に置かれ、トランプが死体の上に振りまかれていた。 『死の国のアリス』
加藤刑事が新宿の書店で万引きの女性が捕まるのを目撃。その女性がマンションの一室で死体となって発見された。しかし研究所職員の彼女は万引きとは縁がないように思われたが……。 『醜いアヒルの子』
公園でドレスを着た女性の扼殺死体が発見された。死体に暴行の痕跡は無かったが靴が片方見あたらないのが気になる。発見したのは彼女のボーイフレンド。あまりの偶然に疑われるが彼にはアリバイがあった。 『シンデレラの靴』
加藤刑事の初恋のひとに似た美しい女性がマンションの一室で殺害されているのを友人が発見。部屋には乱暴に扱われた本と、首を折られたフランス人形が。その本は彼女の昔の知り合いという作家が直接献呈した本だった。 『フランス人形の死』
マンションの一室で中年男性の死体が発見された。部屋に生活の匂いがなく、セカンドハウスと思われたが案の定、男は名うてのプレイボーイで知られた人物であった。男の身許を隠そうとした形跡があったが、部屋は被害者が借りており、犯人の行動はどこか不自然に思われた。 『ドン・ファンの衣装』 以上六編。

何気なく読めば、普通の本格推理。よくよく読めばファンタジーとの融合による味わいに深み
他の作品集を読んでいても感じたことになるが、海渡氏の短編は「都会のマンションの一室で死体が発見された」という出だしを取る作品がやたら多い。本書においても、全六編中、半分はまさにそのケース、それ以外のものも場所は違えど家や公園で死体が発見されるところからスタートしている。加藤刑事の推理は、その死体が残された状況における、ほんのちょっとした違和感からイメージを膨らませることによって、事件の真相を看破するというもの。作品内では「夢想家肌」ということになってはいるが、実際に彼の頭のなかで行われているのは、いわゆる「論理のアクロバット」であり、いくつもの論理が(警察や、加藤自身の捜査によって)、先に試行されたあとの当然の帰結なのである。
つまり本書において実践されている方法論は、それぞれがちょっとした手掛かりをもとにして、犯人像を描き、それがきっちり繋がっており、本格ミステリのそれと全く同じなのだ。夢想などではなく、論理。 逆説的に、加藤刑事の方を夢想家だと決めつける警察の多数派の方が非論理的にさえみえてくる。
ここまでは、通常の本格ミステリとしてのモノの見方。この作品集の特徴は、そういった論理的な本格ミステリを実践しつつも、その枠組みに、ファンタジーやお伽話の見立てがモチーフとして使用されている点にあろう。青髯、不思議の国のアリス、醜いアヒルの子、シンデレラ……。そういった誰もが知る物語が、作品全体の底流として存在。そして、それぞれが事件の解決のヒントとなるだけでなく、最終的に現れる真相の構図が、それらのファンタジーと二重写しとなる面白さがある。ただ海渡氏もこのあたりを極端に強調していないため、それと注意して読まなければ気付きにくい点も、ままあるように思えた。作品の醸し出す面白みを味わうためには、じっくりとした味読が必要になるだろう。

この集英社文庫版もちょっと入手し辛い状況となっており、古書店で見つけるしかない。それでも、ロジカルな本格ミステリを愛する方には、まず満足して頂けるのではないかと思う。個人的には「本の扱い」が重要な手掛かりとなる『フランス人形の死』あたり、愛書家の生態をうまくミステリに仕上げてあるのに感心。また『ドン・ファンの死』も、二重生活を送る男の苦悩ぶりが不思議と浮き上がって印象に強く残る作品となっている。


03/05/26
皆川博子「水底の祭り」(文春文庫'86)

皆川博子さんの初短編集は'74年に講談社より刊行された『トマト・ゲーム』になるが、第二の短編集が文藝春秋から'76年に刊行された本作になる。刊行より十年が経過して文庫化された経緯は、恐らく皆川さんが『恋紅』にてその年の直木賞を受賞した結果であろう。いずれにせよ埋もれてしまわなかったのは良いこと。古本的に元版を眼にしたことが今まで無いし、この文庫がなければ入手が難しかった。

M**湖より屍鑞があがった。新宿のバーに勤めるわたしは、ママのミツエと常連客の森戸が奇妙な動揺を示すのを目の当たりにする。森戸に好意を寄せる私は、二人の動揺を沈めようと思わぬ行動を取るのだが、二人の間に隠された昏い経験を垣間見ることになる……。 『水底の祭り』
動物の剥製師である麻緒は、時々出会い専門のホテルで男性を買う。そのホテルで出会った男娼の少年が訳ありの怪我をしているのをかばい、知り合いのハンターに助けを求める。彼女に好意を持つその男は代償行為を要求、彼女は呑まざるを得ない。そして少年との刹那的な暮らしが始まる。 『牡鹿の首』
六年間、小さなロック・ミュージカルを主催してきた三人、滝田、寒河江、そして奈々。滝田の才能と奈々の切り回しによって維持してきた劇団が、寒河江の古びつつある感覚と滝田の静かな造反によって崩壊しつつあった。劇団入りした弓雄という少年が更にそこに波紋を投げかける……。 『紅い弔旗』
もうすぐ五十に手が届く私は、助教としてバレー研究所を主催する梓野明子に尽くしてきた。その明子は三ヶ月前に世を去り、私は自分の人生を持て余す。女としての魅力を失いつつある私は、人生にそして将来に焦りを覚え、もうすぐ取り壊しの決まっている研究所跡を夜中に訪れる。 『鏡の国への招待』
ロンドン。地元民が集う歓楽街に姿を見せる日本人女性。観光客相手に冴えないガイドを務める男。エリート然とした現地駐在の商社マン。夫婦、兄弟という見えない鎖で繋がった彼らが、ある晩アパートで見える時、それまで維持してきた微妙な関係の内実が赤裸々に明かされる……。 『鎖と罠』 以上五編。

小説への技巧よりも、「物語」に対する内なる情熱が勝る。それでも凄い
デビューより数十年が経過してもなお、皆川博子さんの「書きたいテーマ」は尽きないという。デビューより間がない時期に刊行されたこの作品集、その観点からすれば、皆川さんが「真っ先に書きたかったテーマ」に近いところが含まれているものと考えられるのではないか。本書を通読して感じられるのは、(陳腐な言い方で内心忸怩たるものがあるが)さまざまな愛のかたち。 皆川博子さんがいろいろな主題を「書きたい」ように、私のような立場の者はまた、皆川博子のアウトラインを描こうとして煩悶する。言葉を尽くして皆川博子を表現しようにも、常に皆川さんの方が逸脱を繰り返し、その言葉は正確な描写から離れ、完成していたはずのデッサンはラフデザインに引き戻される。しかしそれでも敢えてこの作業を続けている自分がいる。止められるものか。

流麗な文章に鋭い人間考察、そして途方もないテーマ……というあたり、後の皆川作品と比して遜色のあるものではない。だが、本書収録作品から感じるのは、それでもどこかに存在するぎこちなさ。いわゆるノーマルな世代なノーマルな愛情ではないがゆえ、マイノリティや世間常識から外れるがゆえに、教科書の存在していない感情。登場人物はそれを持て余し、表現に困り、そしておずおずとぎこちなくなっていく。ただ、その”ぎこちない”は、皆川さんによって独自の魅力に昇華させられており、全く読んでいて引っ掛かりを覚えるものではない。思いもつかないような設定の登場人物を配し、彼らに、これまた思いもつかないような過去の経験を与える。その結果が、現代、思いもつかないようなかたちで噴出し、物語を激しく燃やす。屈託……とでも呼べば良いのだろうか。主なる登場人物は皆、人生や環境に対して不器用にしか生きることの出来ない人であり、自分の内実の激しい思いと厳しく思い通りにならない現実とに無理矢理折り合いをつけてしか日々を過ごせない人々である。
戦争中に禁じられた恋を成就させた姉を殺した弟。男に愛されたことでトラウマを持ったまま生きる少年。自分を殺して組織に尽くしてきた女。決して超えられないスターの影から引きずり出された中年女。兄に操られた過去に気付いてしまった中年男……。物語に現れるのは、通常の想像力にてすぐに思い浮かべられるような普遍的で単純な人生とは対極にいるような人々。彼らの抱える物語を、皆川さんは優しく、そして残酷に切り取って、我々の前に並べていく。 闇であり炎でもある彼らの人生から、恐らく読者は自らに抱える昏い体験をそれぞれに呼び覚ます。

皆川作品は怖い。通常の意味での恐怖とは違う。心の裡にある何か異形のものが引き出されてしまうから。極端ではなくとも、誰もが心の奥底に小さな獣を飼い慣らしていることを、皆川さんは思い出させる。だけど、そして、また。暫くの時を超えて、心が皆川さんの物語を呼ぶのだ。――「読みたい」。どんなに抵抗しても、この衝動を抑えられない。


03/05/25
北野勇作「ハグルマ」(角川ホラー文庫'03)

『昔、火星のあった場所』以来、最新短編集『北野勇作どうぶつ図鑑』(六冊)に至るまで、基本的に動物尽くしのノスタルジック感覚溢れる叙情SFを売りとしてきた(と思われた)北野氏が書き下ろした、ハグルマがテーマの真っ向勝負のホラー作品。

深夜に同僚の石室から、新作ゲームのテストプレイを依頼された”おれ”。試作品のハードでしか動かせないというそのゲームは現実と見紛うばかりのリアルな感覚を備えていた。会社にいる実名のOL・矢島久美との浮気、更に交通事故、悪質なたかり屋……。おれはそのリアルさに驚くが、開発した石室は頭の中のネジが外れてハグルマの調子が悪いと奇妙なことを言い出す。しかもそれを治すのには、自分の顔をコピーすれば良いのだという。ずいいいいむ。ずいいいいむ。奇矯な行動をおれにも強要する石室。おれは彼を突き飛ばしてその場から逃げ出す。――その翌朝、黒田と名乗る刑事がおれの元に現れる。石室が自殺したのだという。おれは上司の命令によって石室が残したゲームの続きを作成することになった。それはまた、おれがそのゲームと接するということを意味し、そのリアルさによって、自分のなかの現実と虚構が混ざり合って行く奇妙な体験の始まりとなった……。

ずいいいいいむ、ずいいいいいむ。記憶と体験の迷宮がここに
本書の背表紙には「『ドグラ・マグラ』的狂気の宴がここに!!」とある。が、個人的にいわせてもらうと共通点の方が遙かに少ないのではないかと感じられる。精神の檻に閉じこめられ、現実と狂気の狭間を行き来するという、かの名著というよりも、「バーチャルリアリティなゲーム」というガジェットによって思い出さされた訳ではないのだが、岡嶋二人『クラインの壺』を想起する。内と外との逆転を繰り返すうちに、そのどちらが”現実”なのかを見失ってしまう恐怖。 自分ではない自分が存在する恐怖。例えば、合わせ鏡をして自分の顔をみているうちに、鏡の中の人物が、自分ではしていない筈の動きを見せる――恐怖。
徐々に主人公内部で進む、内外感覚の崩壊に合わせて話は色々な箇所に飛んでいく。浮気をしているようにみえる妻。謎の集団となってしまっている団地の自治会。世界を知る男は既に死亡しており、自らの記憶が実体験によるものなのか、誰か他人の記憶ではないかと怯える恐怖。ゲームのなかでの殺人に際して、前よりも巧くやろうとする自分。果たしてその”前のとき”とは一体何のこと?

北野勇作氏は決して「生物モチーフの近未来SF世界」だけを描いてきた作家ではない。独特のノスタルジーと量子力学をベースにしたハードSFの奇妙なミスマッチ感覚がこれまでの作品の特徴ということはいえる。そして今回の作品においても確かに、作中に登場する細やかなガジェットには、著者の作品を知る者であればちょっと「ニヤリ」とする要素も確かに込められているし、更に記憶やその改変といったテーマ、そして結末の理屈などは、これまでの北野作品内部にて試みられてきたものと近しいといえるだろう。
それでも、初めて「非動物」が主な存在が列挙される本作、章題は歯車(ハグルマ)のみならず、螺子(ネジ)や梃子(テコ)、そして発条(バネ)と徹底している。そういった最も機械らしい機械部品が、作品内主題として取り入れられた時、作品から発されるものが有機的なノスタルジーから、無機質な偽りの記憶へと変じていく……。 作者は同じ北野勇作、そして根本的な主題は近しいにもかかわらず、これだけ異なる手触りが生まれてくる。このあたりに注目するのも良いだろう。

最終的に、本作の主題はSFジャンルにおける、ある主要テーマへと物語は還元されていくのだけれど、そこに至るまでに振りまかれた恐怖の質が軽減されていくものではない。心のなかで想像したり、ちらりと感じるのみの「イケナイ行動」を、実際に行っていないのに記憶だけが蓄積されていく恐怖。北野勇作氏の異相を見せつけられる一冊である。


03/05/24
貫井徳郎「被害者は誰?」(講談社ノベルス'03)

著者のことばによれば、先に発表された『プリズム』が意外な好評をもって迎えられたことを受けて書かれた作品らしい。表題作はe-NOVELSと週刊アスキーに連動して'01年から翌年にかけて連載された作品。『目撃者…』『探偵…』は'02年に『メフィスト』誌に発表された作品。『名探偵…』が書き下ろしで加えられている。名探偵の作家、吉祥院慶彦とワトソン役の捜査一課桂島刑事とのコンビが織りなす新シリーズ。(このネーミングで笑ったのは私だけではあるまいが)。

超人気ミステリ作家、吉祥院慶彦のもとに、後輩である捜査一課の刑事、桂島がやって来る。桂島が抱えているある事件について意見を聞くためで、これまで吉祥院の推理が的確に犯人を指摘していることにより、捜査本部からも黙認されている。事件は、ある人物の自宅から掘り出された白骨死体。その死体は誰のものなのか、家の持ち主は完全黙秘を続けているのだという。しかし発見された日記によって、彼ら夫婦が恨みを持つ人物は三名に絞られていた。手記から吉祥院は、その死体が誰かを解き明かす。 『被害者は誰?』
社宅のマンションで、同僚の人妻となったかつての同級生と浮気を繰り返す男。彼らのもとに浮気を事由に現金を要求する脅迫状が届く。要求額が小さかったこともあって要求に応じる男だったが、向かいの棟に恐喝者がいると看破する。一方、その社宅内部では、架空の会社から旅行券が送られてくるという奇妙な事件も同時期に発生していた。 『目撃者は誰?』
吉祥院慶彦がかつての自分をモデルにした探偵小説を執筆。そのかつての自分をモデルにした、小説上の探偵役は誰なのか、桂島に対して考えるよう要求する。与えられたテキストはモデルクラブの社長が別荘で殺されるという事件。容疑者はその日に遊びに来ていた男性モデル四人組。果たして。 『探偵は誰?』
交通事故で入院してしまった先輩のもとに、加害者である清楚で可憐な若い女性が見舞いに来るようになった。鼻の下を伸ばしっぱなしの先輩だったが、その女性、入院フロアとは別の場所にも用事があるようだ。 『名探偵は誰?』 以上四編。

オーソドックスな本格ミステリに、思わぬところからのプラスアルファの趣向を加えて
いやいや、題材にしても登場人物にしてもハードさが目に付いた最近の貫井作品には見られなかったような、軽佻浮薄(?)で明るい登場人物たち、そして彼らが織りなす軽妙な会話、更に現代日本を普通に舞台にしたオーソドックスな(?)殺人事件。登場人物に違和感を覚えたりすることなく、すんなり物語世界に溶け込める。『慟哭』等の重厚な貫井作品しか知らない読者にとっては、この段階で既に驚きかもしれない。
『犯人は誰?』という、ミステリのベーシックを敢えて避けた『被害者は誰?』という題名が示す通り、素直ではないミステリが想起される。そしてその想像は正しい。 ただ、実際に収録されている四つの作品は、二種類に区分されるように感じられた。と、いうのは、最初から「テキスト」、即ち作中作に謎が込められて、それを読みとる「安楽椅子探偵」もの。そしてもう一つは、実際に事件が進行するリアルタイムの謎解きである。前者となるのは『被害者は誰?』と『探偵は誰?』の二作。この場合、謎を解くのは吉祥院慶彦なのだが、読者はワトソン役である桂島と同じ立場に立つ。作者は、桂島を騙すことで読者をも騙すのだ。後者については、作中人物の立場と読者の立場は異なり、作者はあくまでひたすらに読者を騙すことを主眼としている。この二つのケースにおいて、テキストの扱い方、登場人物の立場の扱い方が異なり、微妙なテクニックが効いていることに注目したい……。しかし、テキスト論をあまりここで大仰に述べても仕方がないような気もしてきた。
ただ、全てに当てはまるのは、基本的にオーソドックスな本格ミステリがベースになっているということ。オリジナリティという意味では多少類似例が想起されることもあり、ちょっと評価を下げるかもしれないが、そういった前例あるトリックであっても、綺麗に複数組み合わせることによって、新たな味わいを醸し出している。そして、そこに更に特殊なWho done it? を付け加えるところに、作者の余裕というか、遊び心が感じられて、これが本格ミステリ特有の面白さに繋がっているのだといえるだろう。(もちろん、このWho done it? 普通の意味でのいわゆる犯人探しを意味しない)。いかに読者の不意を突くか……。ワンパターンにならないこの四つのテキストの操りよう、一口に叙述トリックとも言い切れないこの微妙な感覚を駆使できるのは、やっぱり名作、『慟哭』の作者ならではではなかろうか。

ま、ごちゃごちゃ分析することが似う作品とも思えないので、まず一読されて、素直に驚かれることをお勧め。恐らく本格ミステリを愛する人にとっても、貫井作品の味わいを好む人にとっても、ちょっとした変奏曲、即ち「オーソドックス+アルファ」を楽しめるはずだ。ジャンルにおける「洗練」という言葉の似合う作品集だといえる。


03/05/23
戸梶圭太「御近所探偵TOMOE episode 3」(幻冬舎文庫'02)

イラストレーターの石丸勝雄と売れない女優、石丸ともえの新婚ラブラブカップルを主人公とする文庫書き下ろしシリーズも本作で三冊目、そして最終巻。戸梶氏自身も気軽に書いているのではないかと思しきこの作品、相変わらずのはちゃめちゃ加減が非常にGOOD。副題は「chasing RED FOX」(たぶん)。

ひよどりが丘に住むラブラブ夫婦の石丸勝雄とともえ。彼らが昼間っから濃厚なセックスに励んでいたところ、ともえは近所にあるビルが傾いていることに気付く。慌てて現場で野次馬と化した二人は、地盤沈下によって片側からずぶずぶと沈んでいくマンションを目の当たりにする。その晩、愛犬のスネイクを連れて買い物にでたともえは、三人のワルガキに囲まれて困惑している老女と出会う。スネイクは遠慮会釈無く少年たちに襲いかかり、そのマンションに住んでいたものの行く先がなくなってしまったというその老女、梅宮サキを自宅に連れて帰る。しかし、その老女は実は何十年前から某国の手先として働いていたコードネーム「レッドフォックス」と呼ばれる人物で、最近は金持ちを襲ってはその金で暮らすという生活を繰り返していた。勝雄の遺産に目を付けた老女が牙を剥こうとする。一方、彼女を追う公安警察所属の老人「ブルータートル」。彼はレッドフォックスとは因縁の関係にあり、非常識な手段で彼女の足跡を追い続けていた。そして運命の二人は、よりによって石丸家にて衝突する――。

大波乱。はちゃめちゃ。アクション。感動抜き、爆笑のこだわりエンターテインメント
作者もこれ書いていて楽しいんだろうなぁ――と思う。筋書きは単純にして簡潔。 謎の女スパイと謎の警察側の男とがぶつかり合う、アクションストーリー。ここに石丸家の三人、すなわち勝雄とともえとスネイクが絡むのと、戦う二人が思いっきり老人であること。ポイントはこれだけなのに、無軌道かつ波瀾万丈のストーリーを展開できるのだから。
アイデアはシンプル、それでいてディティールを膨らませまくるという手法。オタクっぽいアイテムが沢山登場するわ、映画的なアクションシーンをめいっぱい挿入するわ、意味のあまりないエピソードで笑かしてくれるわ、意味無く残虐・残酷シーンが登場するわ、それがギャグになっているわ、人は無意味に死ぬわ……結局、全てにおいてやりすぎてるることによって物語が成り立っている……といってもまず過言ではない。いや、まだ控えめな表現かな、これくらいだと。
まぁ、この過剰なまでの「やりすぎ」感覚が、戸梶作品を戸梶作品たらしめているともいえるので、これはアピールポイントの方。逆にいえば、物語に整合性を求めたり、現実性を求めたり、本格パズラー的要素を求めるような狭量な方は、戸梶作品にそもそも合わない。あくまで大音量で音楽をかけながら、のんびりゆったり字面を追って、ところどころ笑いながら読むのが楽しい処方だろう。ひたすらにストーリーを追い、そして楽しむのだ。
特に今回は勝雄の大活躍と、新キャラ(にして最後のキャラ)、七十八歳の現役公安刑事、ブルートータスの恐るべき老害(?)ぶりに注目。この人のカバンにはいったいいくつモノが入っていたのだろう。無駄なものばっかり。

ミステリの世界でC級の超絶アクション&お色気&ホラー&青春&大スペクタクル映画を撮影しようとした――というあたりが本書の正体か。(episode3で区切り、なんて、まるで「スターウォーズ」だよね)。 ミステリ好きの人よりも、寧ろ映画とか演劇が好きだというヴァーチャル系統の方々により好まれそう。一応、いろいろ繋がっているのでシリーズは最初から読みましょう。


03/05/22
岡嶋二人「タイトルマッチ」(講談社文庫'93)

'84年に角川書店『野性時代』誌に一挙掲載されてそのままカドカワノベルズの一冊として刊行されたのが元版。『焦茶色のパステル』にて第28回江戸川乱歩賞を受賞した著者が、そのまま『七年目の脅迫状』『あした天気にしておくれ』と競馬三部作を発表した次、第四長編にあたる。

東京世田谷にある重松ボクシングジム。元世界ジュニア・ウェルター級チャンピオン、最上永吉の八ヶ月になる息子を誘拐したという脅迫状が舞い込んできた。しかも脅迫状の要求は、最上を破ってチャンピオンとなったジャクソンに挑む、同じく重松ジム所属のボクサー、琴川三郎がジャクソンをノックアウトにて倒すこと。さもなくば子供の命はないという。琴川は最上の義弟だが、果たして一体犯人の狙いは何なのか。ジムの経営者、重松は警察に介入を要請、しかしタイトルマッチは二日後に迫っており時間はほとんど残されていない。関係者に状況を秘匿したまま、警察も重松や最上、琴川に恨みのありそうな人物を徹底的にピックアップ。かつて琴川と対戦した不遇のボクサーの存在を知り、静岡に追いかけるが、彼は数日前から姿を消していた。さらに事件に動揺した琴川が、右の拳を痛めてしまうアクシデントが重なり、検量やドクターの診断如何では試合そのものが消滅してしまう可能性までが発生。関係者は試合成立、更には左だけでジャクソンを倒す秘策を必死で検討する。周囲も不穏な雰囲気を嗅ぎ取ってざわつくなか、犯人も子供も見つからないまま、とうとう試合の当日がやってきた。

誘拐事件における「謎」と、ボクシングの「迫力」。永遠のスポーツミステリの名作
サスペンスを盛り上げる手法の一つに「タイムリミット」を設定するものがある。犯人が示した期限、病人に対する投薬時間、密閉された空間の酸素の残余量……等々、事件を解決するための期限を設定、捜査陣や探偵役が真相に到達するのが先か、タイムリミットが先に来てしまうのか、「はらはらどきどき」感覚を更に盛り上げるために効果的に使用されることの多いテクニックである。そして、本書もそんなタイムリミットを非常に有効に活かしている。
そのリミットとはタイトルマッチ。世界チャンピオンの座を賭けた試合そのものに緊張感が存在するに加え、誘拐事件が絡む。さらに、試合に臨むボクサーの怪我……と作者は遠慮会釈なく厳しい状況を次々と設定し、最初から最後まで読者はずっと緊張しっぱなし。 それでなくとも「なぜ誘拐犯人はタイトルマッチにKO勝ちせよ」という不可解な要求をしてきたのか、だとか、子供の安否は、といった要素があるというのに。事件周辺の人々の焦燥が読者にもダイレクトに伝わってくるし、そのあたりの人物描写・造型がまた実に上手い。また、サスペンスを盛り上げるのに、本書でもう一つ特徴的なのは、そのボクシングに関する深い描写も、またひとつある。
もともと、岡嶋二人は各種スポーツをミステリの題材に取り入れるのを得意としており、本書で取り上げられるボクシングの他にもプロ野球や、本来の出身でもある競馬など臨場感溢れる小道具として利用してきた。そんななかで、本書にて取り上げられるボクシングの迫力は抜きんでて優れている。 岡嶋二人の一人、徳山諄一がかつてプロボクサーを目指す程の人物であったことが大きく影響しているとは思われるのだが、目の前で対戦者同士の汗が飛び散り、風を切るようなパンチの音が聞こえてくる迫力は、活字にて表現されているとは思えない程の臨場感を伴う。本当に目の前でタイトルマッチが実際に行われているかのよう。その過程もまた、スポーツの持つ駆け引きによって、試合そのものだけで作品とは別世界の緊張感を育んでいる点にも注目しておきたい。

いわゆる「人さらいの岡嶋」の代表作品。久しぶりに読み返したが、この迫力は全く古びていない。いや、ボクシングという競技がこの世に存在する限り、この感動は永遠に古びることはない部類だろう。ミステリとしての本格度合いは多少落ちるものの、一個の作品として非常に優れていることは間違いない。まさかとは思うが、まだ岡嶋二人を未読という人はすぐにでも(取り敢えず一冊だけでも)読むべし。


03/05/21
多岐川恭「道化たちの退場」(講談社'77)

発行時期に講談社によって実施された「推理小説特別書下し」というシリーズの一冊として刊行された作品。同シリーズには鮎川哲也『戌神は何を見たか』や仁木悦子『灯らない窓』等、後に残る作品も刊行されている。

一応印刷屋を経営しているということになっているブローカー、金井敏明は、大学時代の同窓である戸栗新作宅を唐突に訪問した。二十年以上も音沙汰のない友人の訪問に、冴えない勤め人である戸栗は訝しむ。戸栗は武蔵野光学というメーカーで前社長に可愛がられていたことで現社長の不興を買い、出納室長という閑職に押しやられていた。金井は、一世一代の強盗を実は計画しており、会社の金庫を守る戸栗を時間をかけて丸め込める肚であった。金井は戸栗に女をあてがおうとするが、戸栗は金井の意図とは異なる、余り欲のない弘美という女性と愛人関係となった。一方、武蔵野光学は現社長の秋田公平が実権を握っているが、前社長の息子で、専務の郷田は虎視眈々とその地位を狙っている。郷田は戸栗に目を付け、反社長派の集約を手伝わせる。戸栗の娘、緑は社長の息子、秋田徳平と交際を開始するが、さばさばとした性格の緑は肉体関係を彼と持っても結婚する気はないのだという。しかも父親の戸栗もそれを黙認。戸栗に愛人が出来たことが、周囲に徐々に知られるに及んで、奇妙な一隊が武蔵野光学に乗り込んできた。工場建設反対を訴える彼らはなぜか、メインの大金庫を狼藉にて使用不能にして退去。たまたま土地買収の資金として会社にあった八千万円が戸栗の管理する金庫に移される。その晩、金井が張り番をする戸栗の前に現れた。

企業幹部の内輪揉めをベースに、多岐川流で見事なプロットの本格を実践した秀作
端正な本格ミステリ――というような内容とは少し異なるのだが、多岐川作品にしては珍しく、終盤で二転三転とプロットがひっくり返されて意外な悦びを味わえた。
物語は武蔵野光学というメーカーを中心とした企業推理のような体裁で開始される。独裁統治の秋田社長に対して、創業者の息子ながら冷や飯を食わされている郷田専務が反旗を翻す。その郷田の手先として使われるのが、戸栗という冴えない中年男。出世街道を外れ、家庭でも冷遇され、女性の誘いを無碍に断り、何かがあると拙い俳句を手帳に記しているだけ、という冒険心もないこの男、物語の序盤では道化役なのか、と思わされるようなナサケナイ描写が続くのだが、紛うことなく本作の主人公なのだ。戸栗の娘、緑は奔放な性格で秋田の息子の徳平と恋仲になるが、その付き合い方はドライそのものだし、息子の厚もまた、両親を醒めた目で観察しながら、徳平や緑とつるむ。郷田は地方選挙よろしく、金で役員たちの切り崩しを狙い、戸栗の旧友の金井は、戸栗の会社の金庫室に大金が入るのをじっと待つ。
なるほど前半は、多少退屈とも思える”企業ものの典型”に近い物語展開。戸栗の行動に関する描写は徹底的に冴えない。これが、中盤、実際に武蔵野光学の金庫室が金井によって襲われ、更にその金井が殺されるという事件が発生してから、急転直下する。何が急転直下するって、隠されていた人間関係が次々と露わになっていくのだ。しかも、それぞれに実は伏線が”退屈な前半部”に実はしっかりと描写されており、看過していた自分に唇を噛む。家族に対してさえも隠していた自分の姿を徐々に現していく戸栗の姿は、何やら恐ろしささえ感じさせるし、ちょっとしたWho done it? が味わえる強盗事件の真実には物理的なトリックも使われている。
この後半の怒濤のような展開には一気に引きずり込まれる。一方で、冴えない冴えないと周囲に軽んじられる戸栗が、実は多岐川作品にしばしば登場するニヒリストであることまでは、多岐川ファンならすぐ気付くだろう。ただ、そのニヒリストぶりが、企業という冷たい環境のなかで、更に際立ち、予想を超えた変身を目の当たりにすると、素直な驚きへと変じていく。 多岐川ファンであればあるほど、この変身ぶりに驚くはずだ。その変身をキーとして、プロットの方までが変転していくという展開の妙。 最終的に企業推理の常道に向かうのだけれど、このあたりに本格ミステリ的なテイスト(関係者を集めて真相を断罪するなど)を込めているのも面白い。また、「――」と頭について地の文で登場人物の内面(内心考えたこと)が文章として現されているのが特徴的で、その物語作法もミスリーディングとして効果が上がっているといえるだろう。いずれにせよ、一筋縄で簡単には括れない、多岐川ミステリの特殊さが巧みに引き出されていることだけは間違いない。

多岐川氏が捕物帖をはじめとする時代小説に旺盛な筆の冴えを見せ、あまりミステリ作品(特に長編作品)を発表しないような時期に刊行された作品。とはいっても多岐川テイストも十分に味わえるし、ミステリとしても傑作とまではいえないまでも深い企みがあって楽しめる出来となっている。文庫化等されておらず、本書を入手するしかないのだがファンであれば必携だろう。(私は黒白さんに譲って頂きました。多謝)。