MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/06/10
北 杜夫「マンボウ最後の名推理」(青春出版社'03)

北杜夫氏は'27年生まれ、歌人・斎藤茂吉の次男で'54年に『幽霊』を自費出版。その後、半年間の船医の体験を生かした『どくとるマンボウ航海記』を'60年に発表、大ベストセラーになり本格的に作家専業となる。「夜と霧の隅で」にて芥川賞を受賞、他、毎日出版文化賞、日本文学大賞、大佛次郎賞を受賞している……というような著者紹介を改めてする必要があるのでしょうね。十代の頃マンボウシリーズにどっぷり嵌ったことのある私としては、ちょっと寂しくもあるのですが。

本書は'92年に『週刊小説』誌に発表された二編と、'93年『旅』誌に発表された『にっぽん丸殺人事件』の三編からなるマンボウもの。短いあとがきのみ、昨年末に書かれたもので、どこかその文章に一抹の老いの寂しさが感じられた。

豪華なクルーズ船にっぽん丸号は、東京湾より北海道を経て、サハリン、北方四島に向かう。この船に乗船した躁鬱の元医者でチェーン・スモーカー、北杜夫氏は人品怪しからぬ老紳士と連れの少年と知り合う。北杜夫氏は早速船内カジノで勝負に出るがあっという間に有り金を摺ってしまい面白くない。東京を出て三日目の早朝、デッキに出た北杜夫氏は誰かが身投げをしたと思しき現場に遭遇。彼は勝手に自殺ではなく殺人であると断定、船員の制止をよそに名探偵を自称し、捜査を開始する。 『にっぽん丸殺人事件』
三代続けて吝嗇に吝嗇を重ねて一財産を成し遂げた金田鱗触、七十歳。株式取引を生業とする彼は徹底した倹約を旨とし、1パック250円の安い梅干しと麦飯だけの食事でこれまで生きてきた。親戚づきあい、友人づきあい等金がかかるものは一切断ち切り、大人しい妻と二人大邸宅に暮らす日々。ある夏の日、そんな鱗触氏が密室内で変死していた。何が起きたか分からず妻がおろおろしているところに近所に住む北杜夫氏がやって来た。元医者であることを理由に現場に上がり込んだ北杜夫氏はビールを所望した後、これが殺人事件であることを勝手に断定する。 『梅干し殺人事件』
一九八〇年、南米アルゼンチンはリオ・デ・ジャネイロ。裕福そうな外国人観光客夫妻にガイドを装って近づく男たちがいた。彼らは貧しい家庭から赤ん坊を引き取り、それを子供を欲しがっている夫婦に合法的に養子に入れることをビジネスにしようとしていた。そんな彼らに米国のその筋の大物が接触することになる。(非マンボウもの) 『赤ん坊泥棒』 以上三編。

ベテラン作家のミステリ系の余技。しかし北杜夫……かつての輝きはどこに?
そもそも「どくとるマンボウ」を読むのは十数年ぶり……かな。ファーストコンタクトの時でさえ、初刊行から二十年近くが経過していたことなどまるで意識しなかったが、さすがに奇人・北杜夫氏もお年を召してしまわれた様子で、狂躁状態のなかにも年齢からくる苛立ち(身体が思うようにならないとか)が随所に。周囲に与える影響はまさに「老害」。この段階で、どこか寂しさみたいな感傷を覚えた。
さて「殺人事件」が冠された前二編は、一応変形ながらもミステリ仕立て。(『赤ん坊泥棒』はマンボウ氏が登場しないうえ、実際にあったという赤ん坊泥棒の海外ニュースを下敷きにしたホラ話っぽい内容であり、架空の犯罪実話を諧謔的に描いたものでミステリ味は全くない。ただ「らしい」作品ではある)。 「殺人事件」は人の行方不明・変死にたまたま立ち会った北杜夫氏が「これは殺人事件ですぞ」と根拠のない大騒ぎをするところがポイントか。読者も含め、誰がどうみても自殺や事故死にしかみえない状況で、根拠ともいえない根拠をうち立てて関係者を煙に巻き、更に、捜査ともいえない捜査を制止を振りほどいて行おうとする。その理論やロジックは小学生なみ……というお話。推理というよりも、ミステリにおけるシチュエーションを利用して、北杜夫氏の奇人ぶり、変人ぶりを際立てよう、という意図の方が強いように思うが、現代感覚からすると古くさい印象の強いユーモアを強調しすぎており、どうも乗り切れなかった。リアルタイムで読まれている世代には合うのかもしれないが、少なくとも若い世代に受けるとはちょっと思えない。両編に、明智小五郎、小林少年(ないし、その役割を担った人物)が登場して、事件を終結に導くというのは「名探偵=明智小五郎」という、世代的なものもありそうな印象。ただ、『梅干し殺人事件』の方は、多少なりともミステリとしての味付けが効いており、真相に驚愕はしないものの一定の納得はさせられる。ただ、やっぱり、これだけでは、ちょっと、ね。

正直、題名の『マンボウ最後の名推理』という題名にあまり過剰ではないまでもミステリ味を期待して読んだのは事実。しかし、それ以上に北杜夫という作家の衰えを感じさせられてちょっと哀しくなったことの方が大きい。北杜夫ファンだけが読んでおけば良い。味わいある文章は陰を潜め、あとがきにおける、かつての作品『楡家の人びと』の抜き書きだけが光り輝いている、そんな印象。


03/06/09
大下宇陀児「不思議な母」(オリオン社'47)

MYSCON4のオークションにて入手した仙花紙本で、状態の悪いことは承知のうえで競り落としたのだが、整理をしていたところ実際に綴じ部分にヤバさを感じたため、バラバラになる前に急遽手にとってみた。表題作品は第1回日本探偵作家クラブ賞短編賞の候補作品で、'47年に『ロック』誌に発表されたもの。装幀は高井貞二とのことで、喜国さんのページに書影があります。

母親の機嫌がなぜか良くなった……。二人の子供を育てる母親が、死別した夫は、再婚前の夫を事故に見せかけて殺した殺した犯人ではないか……という疑いを捨てきれなかった。その顛末を描く。 『不思議な母』
点かないライターとか場所をふさぐだけのもの……。自分自身がそういう人間だと気付いた私は、世の中のために同じ場所ふさぎの人間を捜し出して殺害しようと計画を練るが、いざとなると対象が見つからない。 『場所をふさげる』
終戦直後の上野駅。両親とはぐれてかっぱらいとして生きてきた少年・八十松だったが、二日続けて仕事に失敗、虫歯が痛んで弱気に。たまたま通りかかった紳士に拾われて自宅に連れて行ってもらうが……。 『浮浪児』
終戦直後の中学校に向かったまま、大きな屋敷に住む少女が失踪した。少女誘拐魔が世間を騒がした直後だけに警察も慎重に捜査するが、誘拐されたのか自分で姿を消したのかさえ判然としない。 『失踪少女』
道ばたに捨て置かれた防空壕で男の死体が発見された。死因は事故死と断定されたが、なぜか女装をしており丸髷の鬘を頭に乗せていた。男の身許とその奇妙な格好の理由が分からず、警察は首をひねる。 『鬘』(かつら)
バーで働くリュウ・キノウはインド人のラドスに連れられ、飛行ジープでR国へと連れられる。夜が暖かく、昼間明るいその国で、キノウは自分の嫁さんを探すことになってしまう。 『夜の輻射線』
電車内でわざと財布をスリ取らせて、相手の女性を脅す矢内静作。彼の計略に引っ掛かった周子は、後日彼のアパートを訪ねるが、矢内が死体となっているのを発見。容疑者として警察に疑われる。 『悪漢の街』 以上七編。

戦争直後の日本のリアル。当時の社会情勢を、探偵小説のなかにしっかり映した物語の数々
本書のような、終戦後数年のあいだに刊行された仙花紙本の探偵小説の多くは、収録されている作品が実際は戦前に執筆されていたもの、というケースが圧倒的に多いように思う。しかしながら本作は、どうやら実際に終戦直後から大下宇陀児が執筆し、発表した作品ばかりが収録されているようである。(作品内部の時代背景が、すべからく終戦直後なのだ)。これもまた、特殊な戦争文学といえ、大下作品らしく、心理的にはとにかく、物理的にあまり凝ったトリックは使われておらず、逆に犯罪を組み立てるロジックのうちに「時代」がしっかりと根を生やしている点、非常に印象に残る作品集となっている。以下はミニコメ方式とした。

『不思議な母』  本書のみならず、私の知るだけでも数冊のアンソロジーにも採用されている大下宇陀児の代表作の一つ。主題はプロパビリティの犯罪なのだが、更にそういった単一の事件だけでなく、その周辺にて繰り広げられてきた人間関係の機微を微妙に描き出している点、実に大下宇陀児らしい作品だといえる。

『場所をふさげる』  役に立たなくなったもの、即ち「場所ふさぎ」というところから、人間を殺してしまおうという主人公の発想の飛躍。多少荒唐無稽な展開がかえって面白く、加えて最終的に対象を一人に絞った挙げ句に、主人公が陥る皮肉な運命が、これまた滅法面白い。独白調のちょっとおどけた文章が独特の味わいを醸し出している。

『浮浪児』  作者が戦争が終了して始めて書いた作品なのだという。浮浪児として逞しく生きる子供と、彼らに手を差し伸べる人々の暖かさ。そして悲しい別れと、平凡な物語なのだけれど、どこか胸を打つ真実が感じられる。特に彼らに対する大下氏の眼差しが暖かい。

『失踪少女』  戦争直後という世相を強烈に反映した作品で、この時期にしか成立しない動機が描かれている。若くして心中しようと試みた、少女と少年の間に共通する体験とは。命を絶つまで至らないまでも、この疎外感覚だけは、多少現代にも通じるところはあるか。心に残る作品。

『鬘』  「何故男が女装して死んでいたのか?」 ミステリとしての筋立てだけ採るならば駄作としかいえない構成ではあるのだが、これまた戦争直後の社会情勢が事件の動機となっており、一種の社会派的リアリティが作品内に横溢している。合わせて権力を振るう者への作者の怒りが感じられる不思議な作品。

『夜の輻射線』  大下宇陀児のSF作品! しかも戦争直後という時代と夜昼逆転という(一応科学的な裏付けあり)という地域のファンタジックな面白さが交錯。時代もののSF作品ならではの奇妙としかいえない面白さが味わえる。適齢期の女性がいる家を訪ねていって求婚して回るという設定、彼女らからの質問の受け答えに四苦八苦する主人公の様子が何とも可笑しく、最後には戦争に対する反省をもって物語を締めくくるあたり、大下氏の話作り巧者ぶりが味わえた。深刻なテーマをSFとユーモアに包んで読者に差し出す……。伊達に星新一を世に出した人物ではない。

『悪漢の街』  これまた戦後直後の荒れた世相をベースにした作品。サスペンス調で始まる前半と、科学捜査の走りのような法医学が出てくる点は面白いが、真犯人に対する伏線が一切無く、告白で終わらせているのは何とも。ただ探偵小説らしい短編ではある。

是非読んでみて! と騒いだところでそう簡単に入手ができる本でもなし。ただ、これだけ終戦直後の空気を濃密に発する短編集(長編であるならとにかく)には、初めて接した。傑作揃いとはいかないまでも、作品集全体として五十年の時を超えて、どこか心に訴えてくるものが多くあった。個人的に収穫。オークションにて本書を出して下さいました日下三蔵さん、ありがとうございます。(蘭郁二郎そろそろですか)。


03/06/08
松尾由美「スパイク」(光文社'02)

ファンタジー、ミステリ、SFといったジャンルを自由気ままに混淆させて、独自の物語世界を築き上げる松尾由美さん。どうしても『バルーン・タウンの殺人』の一連のSFミステリシリーズが代表作として挙げられることが多いが、どうしてノンシリーズ作品にも佳作は多い。本書もそういったノンシリーズの系譜に連なる作品で、書き下ろしで発表されたもの。

二十八歳になる事務機メーカーのOL、江添緑。三年前、それまで交際していた男性に失恋した彼女は、学生時代の友人、福村康子と飲みに出かける。落ち込む緑に対し、康子は引越を勧める。そして福村家で新たな飼い主を待っていたビーグル犬は、ペット可の物件を見つけた緑の元にやって来て、スパイクと名付けられた。――九月の後半のある日、スパイクを連れて地元・下北沢を散歩していた緑は、反対側から、青年に連れられてやって来たビーグル犬を目に留める。スパイクと同じような背格好に、色合いまでそっくり。慌ててリードを取り落とした彼女と青年はぶつかりかけ、青年は犬の名前を呼んだ。「スパイク」――名前まで同じの二匹の犬が縁で、二人は近くのオープンカフェへ。林幹夫と名乗る青年は同い年のカメラマンであることを知り、彼との会話のなか、緑は仄かな好感を覚えた。連絡先を交換した二人は翌週もまた、同じ場所で会おうと約束するのだが……。週の半ばまでメールで連絡を取り合っていたにもかかわらず、約束の時間に林幹夫は現れない。消沈して自宅に戻った緑の独り言「あの人、どうして来なかったんだろう」にスパイクが応えた。「まったくだ。どうしてだろうね」 ――あの時以来、実は会話が出来るようになっていたスパイクから、緑はその原因を知らされた。二人はパラレルワールドの住人同士だったのだという――。

透明感漂うファンタジーにして、不思議なミステリーにして、極上の恋愛小説。松尾ワールド、ここに極まれり
ミステリを描きながらリアルな現実にこだわらない。恋愛小説を描きながらハッピーエンドにこだわらない。ファンタジーを描きながら、世界の秘密を解き明かさない。そして、自分の創作する世界を、つまらないジャンル意識にて縛られない――松尾由美さんのこれまでの業績は、それぞれのジャンル読者においては中途半端な扱いを受けてきたように思われる。しかし、それはそれでかえって良かったのではないか――などと、本作を手にして思う。
二十八歳のOLならではの恋愛観。そして、運命の出逢い。しかし、出逢ったあの人はパラレル・ワールドの住人で通信や会話はできても、実際に肌を触れあうことは出来ない。のみならず、飼い犬スパイクは両側世界で入れ替わっているだけでなく、しゃべり出し、一緒に物事を考える。反対世界の恋人の危機を感じ取った主人公は、彼を助けるためにこちら側の世界で、犬を伴った大冒険を繰り広げる。こういった盛りだくさんの内容が一冊に詰め込まれているにもかかわらず、それが全く読者の負担にならない。最初にぐぐっとツカミを噛まされた後、ひたすらに松尾さんの造り出した世界を味わい尽くすのみ。それもこれも、ジャンルに対するこだわりの薄さが、一つの要因となっているからではないだろうか。
かといって、これらの要素の一つ一つが軽視されているというのとはまた異なる。特に、主題として最初から最後まで一本スジの通った恋愛小説的な要素。この切なさはどうよ。報われることがなくとも、自分に出来ることをしたい、という微妙な乙女心が、それなりに自立して、それなりに揺れ動く主人公を通じ、ひし、と感じられる。更に、二度目で最後の邂逅を果たした彼らの間に聳える「スパイク」という単語の意味合い。彼らの真の関係にて全ては納得させられ、ラブストーリーは悲恋ともハッピーともいえない、第三の結末にて爽やかに幕を引く。このインパクトはちょっと忘れられそうにない。
意地悪な見方をすれば、序盤に登場した「お婆さん」のエピソードは、もう少し上手に使えたんではないかなー、とかも思うのだが、それが無くとも十二分に物語は成立し、納得させられるので良し。

物語の極上エンターテインメントとして、総合的な面白さの質を落とさないがための、ジャンル軽視(語弊があるが)。一方でこれだけ貪欲にいろいろな要素を取り込みながらも、物語文学としての筋を通した面白さが、きっちりと表現されている。決して評価が低いわけではないのに、それほど読まれていないようにみえるのが不思議な作家。そろそろブレイクする頃合いなのかもしれない。本書なんて、意外と映像向きのような気もするし。


03/06/07
藤田宜永「奇妙な果実殺人事件」(新潮文庫'90)

日本推理作家協会賞を受賞した『鋼鉄の騎士』等、重厚なハードボイルドやノワール、また私立探偵小説を多くものにしている藤田氏が、初めて本格ミステリを意識して発表した、新潮文庫書き下ろしの長編。氏にはフランス滞在中、デビュー前の笠井潔氏の『バイバイ・エンジェル』を草稿で読んだ、という有名なエピソードがある。

遺伝や血筋にこだわりを持つ優秀な植物学者、由里正平の還暦を祝うパーティが、由里家の一族を集めて白金の屋敷にて開催された。正平には三人の娘がおり、大学で父と同じ植物学を教える菫、新進作家として売り出し中の菊江、そしてジャズシンガーとしてその名声を獲得しつつある蓮未と、三人が三人とも自分の進む道で着実な成功を収めつつあった。パーティのメインアトラクションは、その蓮未の歌う「奇妙な果実」。ビリー・ホリデイが大ヒットさせた曲である。しかし、そのパーティの直後、身内だけ残った屋敷内で、菊江の奇妙な死体が発見される。頭を殴られて、滑車により野菜とともに天井から釣り下げられた死体は、遺伝子操作で巨大化させたパパイヤの実が頭に被せられていた。しかも、現場は密室で犯人の出入りは不可能。由里家の居候として暮らしていた美衣子と、彼女の紹介により蓮未の伴奏のアルバイトに訪れていた陽介は、事件を友人のバイオリン制作者、黒磯隼一郎に報告、名探偵として一部で有名な彼の出陣を促した。探偵として密かに調査を開始した美衣子と陽介は、関係者のアリバイを調べたり、消えた日記から「餅なし正月」という奇妙な風習が関係していそうなことを突き止める。しかし、続いて一族の人間がパリの空港内部で殺害されるという事件が発生する。

不可能犯罪とトリックの重箱。暖めていたトリックを全部オカズとして詰め込んだ?
藤田宜永氏はミステリーを扱う作家ではありながら、プロパーの本格推理を飯の種とする作家ではない……というあたりを如実に感じさせられた。と、いうのは、いわゆる本格パズラーとしての要素を備えた作品でありながら、何というか「この一冊に全て今まで考えたネタを詰め込んでしまえ」といった、通常の本格ミステリ作家とは逆の意味での余裕の無さが、どこか作品から感じられたからである。
現実離れした構造を持った洋館。集められた一族と、いかにも犯罪が起きそうな複雑な人間関係。冒頭から登場する奇天烈な死体と密室殺人。初めから名探偵としての役割を持った人物が登場し、男女二人のワトソン役と、警察の協力者が気前よく読者にデータを開示する……。本格パズラーの「枠」としては申し分ないし、必要とされる要素を全て満たしており、よくミステリのことを知っているということは窺える。更に、メインとなる三つの事件、即ち、密室内部での死体釣り下げ、国際線を利用したアリバイトリック、密室放火事件はそれぞれトリックのオリジナリティも高く、特に植物学者の屋敷で起きた事件であることを有効に利用している点等、深く考えられたネタを使用していることも間違いない。
ただ、それでもどこか、本格パズラープロパーの作家と、創作上の差があるように思える。例えば殺人現場に撒き散らかされていたエン麦の扱いだとか、鍵となる日記が読者には最後になるまで内容が全く知らせられないとか、餅無し正月の地域エピソードだとか、ミスリーディングを狙うにしても、狙い過ぎて読者を混乱させる役割にしかなっていない点が気になる。更に同じことだがその結果、事件を推理で割って、すっきり真相が見えるのではなく、割り切れない余りが結構大量に出てしまっていることも。
厳しい言い方をすると、ネタは問題ないし、文章や構成に巧ささえ感じられるのに、どこか習作めいた青さが全体を通じて感じられてしまうのだ。本格ミステリのパロディを狙ったと思しき発言等、微笑ましくもあるのだが、どこか真っ正面から読者(特に本格パズラー愛好者)に向かって来ていないような印象が残る。

とはいえ、つまらないとかそういうことではなく、私自身が本格ミステリとしての高い期待値を、読む前から設定しすぎているだけのことなのかもしれない。確かに本格ミステリではあるし、作品内の一連の議論がしっかりと事件と通底している点など素晴らしい部分の方が大きいのだが、微妙なところのセンスの差異といったものを感じてしまった。
ちなみに、『本格ミステリ・クロニクル300』拾遺の読書でした。


03/06/06
連城三紀彦「少女」(光文社文庫'01)

私が購入した光文社文庫版は「傑作小説 少女 新装版」といろいろコメントが付けられている。気になって調べたところ、'88年に同じ光文社文庫にて文庫が刊行されており、元版は今から約二十年前の'84年にハードカバー刊行されたものであった。連城作品は、時を経て再刊されるケースが他の作家に比べて多いが、結局のところ、時を経ても古びず光り続けるその作風によって味わいを減ずることがないからであろう。寧ろ、読者が年齢を重ねてから読むことで、新たな発見が生み出されるケースさえある。再読に耐える作家だといえる。

ベテラン官能小説作家を担当することになった女性編集者。彼女が週に一回、元ボクサーの年下の愛人と交わす暗闇の中での熱い抱擁の一部始終と全く同じ情景が、作家から受け取った原稿に描かれている。 『熱い闇』
借金を抱え極度の貧乏暮らしの三十男。彼は喫茶店で出会った少女を買春、しかも彼女が持っていた現金を盗んで立ち去った。その紙幣番号が、強盗の盗んだ金と一致。彼の周囲に波紋が拡がる。 『少女』
普通の会社勤めをしていた男が新聞を読んでいて、次の瞬間には病院で目が覚めた。三ヶ月間の記憶が喪われており、自殺をその間に図ったらしい。それから彼はその間の記憶と思しき女性の姿を瞼に思い描くようになる。 『ひと夏の肌』
ふと眼にした雑誌にあった代理夫募集の広告。若い医師はふとした間違いから応募したことになり、三ヶ月の間、若夫婦の美人妻と夫公認でホテルで逢い引きすることになる。 『盗まれた情事』
フランスで夫婦交換の映画を撮影することになったカメラマン。金髪のクレールに魅せられた彼は、「黒い髪の女性しか抱けない」という、彼女の夫というロジェを憎むようになる。 『金色の髪』 以上五編。

強烈な官能幻想を逆手に取った迷宮のミステリー。余韻も落差も大人向け
いわゆる官能幻想を主題に扱った小説は、その主題を際立たせることを目的に、いわゆる”世間の良識”として維持されれている、禁忌を、分かりやすい(感情移入しやすい?)範囲で逸脱していることが多い。本書においても、刃物を使って軽く身体を傷つけ合う性愛、未成年に対する売春−買春、不能の夫の代理としてその妻を抱く男、そして日本人カップルと白人カップルの夫婦交換……といった、あまり”世間の良識”における範囲内では勧められないような、性的な逸脱が、物語の主要な設定として描かれる。
そしてそのシーンを描くのが連城三紀彦である。何となく、これで説明終わり、という気もするが、つまりは場面場面に具体的で生々しい描写はほとんどないにも関わらず、読者の脳裏に実際に体験するよりも強烈で鮮烈な印象を描き出すことができている、ということなのだ。本書を閉じた後、連城氏が、紛れもない「テキストの魔術師」である点、改めて信頼するというレベルを越えて、崇拝してしまいそうな気分になる。しかも本作には、そういった「描写だけ」を誉めるに止まらない、物語創作の凄みが短編それぞれの、随所にみられるのだ。それは、鮮烈な描写を逆手に取った読者に対する裏切り
不思議なことに、それぞれの作品が「ミステリ」としても十二分に優れているのである。いわゆるいかにもなトリックがあって、犯罪が起きて……というタイプの作品ではないが、読んでいて思わず「ええ?」と我が目を疑うような場面があるのだ。特に目立つのは一人称の物語における、主人公の視点ごとまとめて読者の世界を反転させる手腕。いわゆる性的な描写によって、読者の興奮・高揚を招くと同時に、その場面やシチュエーションを大胆なミスリーディングに使ってしまうあたりのテクニックに瞠目させられる。本書が何度も再刊を繰り返している理由は、単なる男と女の物語を乗り越えたエンターテインメント性にもあるのではないだろうか。

エロティックな味付けがあることは間違いなく、そういった系統の小説が苦手な方にはお勧めしない。しかし、大人の男女の物語にサプライズを加え、更にその男女の機微の深さをじんわりと読者に伝える……という、小説の巧さはやはりただ者ではない。ミステリという位置づけでは、連城作品には更に凄い作品が沢山あるので、初心者の入り口として相応しい作品ではない。逆に連城ミステリは一渡り読んだ、という方で読み逃している方がいるようなら是非お勧めしておきたい。


03/06/05
福本和也「UFO殺人事件」(角川文庫'81)

'76年に書下し長編推理として光文社カッパノベルスより刊行されたのがオリジナル。一度聞くと、ちょっと忘れようのないこの題名から、ということもなかろうが、福本和也という作家が紹介される際にはその代表作品の一つとして挙げられることも多い。

硫黄島近辺には日本のバミューダ海域と呼ばれる魔の地域が存在する。沖縄からグアムに向かう自家用機がSOSを発信して消息を絶った。近くにいた自衛隊の海上哨戒機が救助のために現場に急行するが、乗員は複数の発光体が空を飛ぶのを目撃、その直後に機体が緑色の光に翼端から包まれ、操縦不能に陥るという事態に出会う。何とかコントロールを取り戻した機は着水し、浅原三尉らは墜落した自家用機の救出に向かった。乗機の三名は既に事切れていたが、なぜかその死体はミイラのような容貌を呈していた。一方、元スポーツ新聞記者で、現在は東京を本拠とするジャガーズを相手にバーを経営する香月は、ジャガーズの名捕手、上条が行方不明になっていることを知る。契約更改で多少揉めたものの、玄人受けする彼の細君の依頼もあり、香月は独自に上条を捜そうとする。しかし、謎の三人の死体のうち一人がどうやらその上条らしいということが発覚、更に死体のうちのもう一人が、上条のただ一人の妹、衣子であることも判明した。発見者の浅原は、衣子と婚約していたが、そこにいる筈のないことと、あまりの変貌に気付くことが出来なかったのだ。果たして事件の真相は? 弔い合戦よろしく香月と浅原は孤独な捜査を開始した。

序盤の凄まじい謎! 中盤のどろどろ! 終盤のぐちゃぐちゃ!
なんというか、凄いよなぁ……。これだけ魅力的な謎を冒頭に持ってきながら、これだけ魅力のない中盤と後半を作っちゃうんだからなぁ……。
様々なかたちで進化を遂げた現代の本格ミステリは、いくつもの奇想を表現してきた。冒頭に立て続けに表現される状況だけを取れば、この『UFO殺人事件』、後に著される作品に勝るとも劣らない衝撃で幕を開ける。SFに走らず、現実を舞台にしてのこの壮大なスケールの「謎」は、ミステリ史上に燦然と輝いていてもおかしくないレベル。だけど、実際にミステリ史に残っている作品ではないのは、物語構成に大きな難があるから。
改めて冒頭の謎について記しておく。自衛隊の飛行機から目撃された、空を高スピードで飛来する複数の発行物体。突然理由もなくSOSを発信して消息を絶った飛行機。翼端から緑色の光に包まれ、計器が一切効かなくなる怪奇現象。魔の海域に吸い寄せられるように飛んだ遭難機。数時間前に正常な状態で飛び立った飛行機内部で発見されたミイラ化した死体。プロ野球のキャンプをキャンセルして海外に飛ぼうとしていた名捕手……。
ここで種明かしをすることはしないし、出来ない。これらの謎には現実的に納得できるレベルの「解決」が存在する。 ただ、そこに全くといっていいほど「感動」がなかったことは記しておかねばなるまい。扱いによっては現代風の本格ミステリに成りうるネタではあるのだけれど、福本氏の扱いは「あまりにもあっさり」しており、折角の謎たちが、トリックとはいいようがない科学現象として、名探偵でなくて斯界の権威者による小出しの回答によって引き出されるからだ。あ、それ以外のトリックはあまりにも”ちゃち”なので、コメントできない。
しかも、中盤の物語の救いようのない魅力の無さはどうだろう。これだけのミステリがありながら、中盤は基本的に「男狂いの女」だとか「不倫」だとか「女性を襲うことで相手を支配下に入れる男」だとか、通俗以下の下品な物語を延延と読まされるのだ。物語構成のうえでも、親しく付き合っていたというプロ野球選手の異常性欲に気付かず、逆に尊敬して親友となっていたという主人公も大概鈍いし、表現される色欲表現の醜さは、ミステリというよりもエロ小説的。こういう表現や物語が喜ばれた時代なのだろうか。道徳観が現代と異なる点は理解できるものの、何というか愛情とセックスとを取り違えているというか、エロ親父的な感覚が、物語の真相を支配している感。気分良く読めるものではない。ラストで明かされる真実に一抹の爽やかさがあるようなことを解説者は述べているが、これって本当に爽やかか? その感覚も疑わしい。

冒頭の謎に惹かれて読んだものの、中盤以降のどろどろぐちゃぐちゃに辟易。何というか、このまま時代に埋もれてしまうのが正しい運命の作品。(逆説的に勧めている訳ではないので、念のため)。


03/06/04
山田正紀「ジャグラー」(徳間デュアル文庫'02)

「ジャグラー」=juggler とは奇術師、大道芸人の意。元版は『SFアドベンチャー』誌に'90年に連載された後、徳間書店より'91年に刊行されている。長らく絶版となっていたものがデュアル文庫にて初文庫化されたもの。

二〇四三年、トウキョウ。コンピューター・チップの処理速度が量子効果障害によりによって技術的な限界を迎えていた。しかしその量子効果が霊的な現象であることが証明され、霊を扱う職業の人々(プログラ魔)が”除霊”することにより、その限界を突破することが出来るようになった。しかし、コンピュータメーカー”不死通”が莫大な設備投資をもって東京湾に建設しようとしたゲームフィールドは、霊界と通じてしまう。観察の結果、霊界は人間界の魂を食料としていることが判明するが、政府はこれをひた隠しにしている。その霊界を管理するための組織、ペンタグラムが設けられ、人間界と霊界の直接結合を防ぐため、その霊界との緩衝地帯にあたる地域をファーム・ランドとして支配するようになる。ファーム・ランドはアメ・コミの原色が支配する世界……。バットマン、スーパーマン、スパイダーマン、そしてジャグラーの四人は、ペンタグラムの霊界独占に反対するデモに紛れ込んで、ペンタグラムの量子制御コンピュータを襲撃しようとしたが、ジャグラーを除く三人は途中で死亡。生き残ったものの進退窮まったジャグラーに対してペンタグラムの長官がこう言った。「悔い改めよ、ジャグラー」。

十年以上前に発表された本作、もしかすると、まだ時代の方が追いついていないのではないか?
サイバーパンク系の舞台設定なのだが、実に新鮮。コンピュータの理論的限界を阻む存在が「霊」であるという奇想。その「霊」を取り除くことでコンピュータが進化を遂げるばかりでなく、現実に「霊界」が開いてしまうという飛躍。この設定だけでまずゴハンが食べられそう。山田正紀の才能は、ここに更にこれでもか! とばかりに、伝奇的アクションヒーローをアメコミの世界と重ねて演出してしまうのだ。もう、ひたすらに驚愕するしかない。しかも「五使徒」なる、これもアメリカ文化を皮肉ったような存在を登場させて、それぞれとの戦いを連作短編集風にまとめ、最終的には実存哲学の解釈をもって物語の幕を引いていく……。余人にできるワザではない。 小説を科学を文化を物語を全て知り尽くしているのみならず、それをどうすればツボに嵌めていくことができるのかを計算して、更に神の如き手腕をもって紡ぎ上げた、究極のストーリー。
 ……圧倒された
舞台が凄いし、登場人物の個性も際立っているし、物語の構造も凝っている。二転三転する敵味方の存在も面白く、登場するギミックもどこか奇妙な懐かしさを覚えるもの。アクションシーンの烈しさ(そして同時にアメ・コミらしいチープさまでも演出する巧さ)、更にそこに単純ではない工夫が凝らされている点にも注目したい。多少、アイデアの詰め込み度合いがぎっしりと激しいため、するすると読んでしまうと、伏線や世界構成のエピソードに対する読み落としが出てしまうかもしれないが、それは読者のわがままだろう。
多少気になったのは、悪役である「五使徒」の存在がちょっと中途半端かもしれない……こと。彼らの存在意義と、その彼らの物語における役割、さらに戦いぶりとの間に微妙な計算違いを起こしたようなギャップがあるような。……最終的に虚実が入り乱れる電脳環境と哲学的存在とが入り乱れた結果、彼らの実存そのものが曖昧になってしまっているからなのか。特に、パンプキン・マンのエピソードあたりは、全体からすると変奏曲にしても、実際の主題から浮いてしまっているかも。

とはいっても、伝奇SFアクションとして出色の出来映えであることは間違いない。 そしてこの物語を紡ぐことのできる、山田正紀の存在の大きさを改めて感じさせられた次第。いやはや。マジ凄い。本書を復刻に選んだデュアル文庫の担当者の慧眼にも感服。偉いです。


03/06/03
西澤保彦「神のロジック 人間のマジック」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'03)

「人間のマジック」は「ひとのマジック」と読む。 昨年、文芸春秋が開始した「本格ミステリ・マスターズ」の第五回配本は本書一冊となった。西澤氏にとっては昨年末に刊行された『ファンタズム』以来の書き下ろし長編となる。初期のSF設定ミステリの系譜を彷彿とさせるノンシリーズ作品。

御子神衛(みこがみ・まもる)は、神戸で両親と共に暮らしていたが、その両親の不仲を境に、米国にあると思しき荒野の真ん中にぽつねんと建設された〈学校〉(ファシリティ)に転入、半年が経過した。十一、二歳と衛と年の頃は同じながら、人種・国籍さまざまな他の五人の生徒と共同生活を送り、ディスカッションを中心とした変則的な勉強を要求されている。不自由だった英語も日常会話に不足がない程度には上達した。ただ、衛自身、数ヶ月見知らぬ中年男女に世話を受けたあとに学校に来たことは覚えているものの、多少記憶が曖昧であり、他の生徒の話を聞いても同様で、送られてきた理由や経緯、更に〈学校〉自体の目的もハッキリしない。生徒たちは〈学校〉の目的をそれぞれ類推しているが、それが正しいのかどうか、誰も分からない。衛は生徒のなかでは唯一日本語を話す、フランスから来たステラと仲が良く、その他の生徒は、車椅子に乗った”詩人”ケネス、長身のプラチナブロンド”妃殿下”ケイト、彼女に付き従う”けらい”ビル、そして常にリーダーシップを取る快活な”ちゅうりつ”ハワードらがいる。更に”校長先生”のシウォード博士と”寮長”ミスタ・パーキンス、そして食事などの世話をするミズ・コットンがそこにいる全て。そんなある日、彼らの元に転入生がやってくると知らされる。衛以外の生徒は大きく動揺する。〈学校〉は異物が訪れる時、大いなる眠りを妨げられて牙を剥くのだという。果たして、その生徒がやって来たその晩から、〈学校〉で惨劇が始まった……。

大胆にして緻密、そして大いなる実験。西澤氏的発想・思想の一つの到達点
国産ミステリでありながら、海外が舞台とされ、登場人物のほとんどが外国人であるという設定。人為的なクローズド・サークルのなかで発生する事件であるという設定。日本から海外にやって来た人物が主要な登場人物であるという設定。更には長い一本道の果てにある〈学校〉、裏の沼で飼われるワニ、開かずの部屋に配置されている謎の電子機器……といった、SF的ないしは荒唐無稽な設定。人間の心の持つ不確定性をさりげなく取り入れるという設定。更に作品内部で取り交わされる論理的ディスカッションの数々……。
それぞれが、これまでの西澤ミステリで何らかのかたちで取り上げられてきたテーマだといえよう。本作はこういった設定を全て重ね合わせることで、西澤氏にしか描き得ない世界を構築しているのが、まず特徴となる。ホラーがかったエピソードや、日常の謎的なエピソードを連ねることにより肉付けされる、この〈学校〉の謎。そしてクローズド・サークル内部で開始される連続殺人のサスペンス。いわゆるツカミから、意味ありげな伏線、徐々にスピードを上げていくストーリーに、読者は完全に世界に虜にされる。計算された小説構造としての巧さが、これまでの作品以上に際立っているように感じられる。
更にミステリとしての大仕掛けがあり、その仕掛けを構成しているコンセプトと世界構築のコンセプトの悪魔的な融合が本書最大の特徴である。更にそのコンセプトを通じて、これだけ荒唐無稽な設定・物語における主題は、現代日本社会の一人一人が自覚無しに抱え込んでいる根本的問題へと繋がっているのだ。共同体とは何か。日本の社会も実はこのような操作が、既に為されているのではないか。

これ以上のことについては、ネタバレにて論じたい。(以下反転)
本書における大きなトリックについては、先行する某作品と同じである……という意見は当然あるかと思う。ただ、そのコンセプト(というかアプローチ)については、実は大きな隔たりがあるように感じられた。読者に対する姿勢とでもいえば分かりやすいだろうか。某作品の場合は、あくまで物語は登場人物にとっては了解のもとで進められており、あくまで読者を騙すことを最大のコンセプトとして構成されている。しかし、本作の場合は作品内部にも特定の仕掛けや、大いなる秘密があって、もちろんミステリであるからには読者を騙すという目的は当然ながら、作者は(作品内の犯人たちは)、主人公たちをもひっくるめて世界全体で欺いてしまう。 主人公の視点でしか物語を捉えられない読者は須く、その主人公の驚愕を同時に共有させられるのだ。
読者が読む分における、ミステリとしての切れ味という意味だけで考えれば、某作品の方が上回るという意見が多いだろうし、それはそれで仕方があるまい。しかし、切れ味ではなく斧で断ち切るような力強さをこの作品は持っている。読者が頭のなかに形成する世界だけでなく、物語内部の世界をも名実共に破壊しつくしてしまうのだから。しかも、後戻りを許さない徹底的な破壊が為されている。
そしてこの世界についてだが、まず、「自分の信じたいことしか信じない」という人間の持つ欺瞞を、主人公たちのファンタジーというかたちで構成し直している点、そして各所にそのヒント(しかも読者だけでなく、主人公に対しても)を配しながら、読者以上に主人公たちの手で、そのファンタジーを信じ続けざるを得ない「世界観」をかっちり構築している点が素晴らしい。しかも、その「世界観」を構築した段階だけで満足させず、連続殺人の動機もまた本書、この世界においてしか有効でないというピンポイントに焦点を絞っている。その結果は「世界」を造り出した者にとっても、別の意味での驚愕をもたらし、動機それ自体が、世界と物語を同時に破壊する凶器となる点には空恐ろしさを覚える。この奥行きの深さは、某作品とはコンセプトから全く異なっているといえる。
作品内に、幼い頃の主人公が母親と「神様」の存在を論ずる部分があるのだが、そこが実は読者が物語を見破り得るヒントとなっている以上に、この物語の核心にもなっている。人間の心の不可思議さは、西澤ロジックの永遠のテーマであり、解明されることのない、この「謎」がある限り、西澤ミステリはこれからも進化を遂げていくことだろう。
(ここまで)

もう一つ、更に主人公とヒロインの哀しい愛の行く末からもまた、西澤氏の無言の主張を感じ取ったのは深読みのし過ぎだろうか。真実の愛とは、互いが分かり合ったという幻想を抱くのではなく、その先、即ち、互いに相手の幻想を理解して尊重しあうことでしかない……という哀しい現実を示している――ように感じた。ただ、これは私の勘繰り過ぎかもしれない。

「神のロジック 人間のマジック」という題名を読了後に噛み締める。 もちろん、不安定な物語が唯一の解を得て世界の安定を取り戻す悦びは、ミステリであるからして当然得ることができる。それだけを味わう読み方で良いのだろう。だが、ただ読み終わって「ああ、面白かった」だけではない、本格ミステリの器に込めた西澤的思想をも、個人的に感じたこともまた事実なのだ。人間はなんて自由で、それゆえの不自由にできているのだろう。


03/06/02
古処誠二「分岐点」(双葉社'03)

デビューが第14回メフィスト賞で、その後も講談社ノベルスよりミステリを刊行していた古処氏は、第四長編にあたる『ルール』にて、ミステリの風味は残すものの戦争文学に挑戦、第16回山本周五郎賞の候補作にまで選ばれた。本書も「小説推理」誌に'02年、一年がかりで連載された作品で、系列としては『ルール』に近い。

太平洋戦争の末期。本土に度々米軍が空襲を行い、智の住む長塚の町も焼夷空襲弾によって灰燼と化した。苦労して自分を育ててくれた母親は地元の有力者宅に落ちた爆弾による火事で死亡。親戚宅に身を寄せていた彼は、長塚が空襲された際に冷静な同級生、成瀬によって命を救われる。中学生の智は成瀬や、明るく元気な梅本らの同級生と学級単位での動員に参加、米軍上陸が予想される、湘南海岸に近い三満川で陣地の構築作業に従事することとなる。彼らが属する第二小隊の指揮を執るのはまだ若い片桐少尉。更にその配下として大陸帰りの古参兵、臼井や藤村伍長がいた。食料が少ないことは言うに及ばず、道具さえも満足にない状況での作業、更に軍隊式の暴力が横行するなか、中学生は健気な作業を続けるも少しずつ不満は鬱積する。しかし、そんななかも活き活きとしているのは皇国への奉仕に生き甲斐を燃やす成瀬であった。そして作業中に敵機が来襲、彼らや、同じく勤労動員されて農作業をしていた女子高生に対して発砲。全員が緊急で避難していた時、下士官の一人が中学生によって刺し殺された。

コドコロ流の戦争文学の第二弾。完全な戦後世代による戦争文学の在り様とは?
きちんと言葉の定義を調べたわけではないのだが、これまで日本文学界において発表されてきた、いわゆる「戦争文学」を支えてきたのは、基本的には、昭和二十年八月十五日までに生まれてきた世代ではなかったか。即ち、日本国民が直接的に関わった”戦争”と、何らかのかたちで直接的に関係してきた人たち。戦争の悲惨さ、当時の日本の無謀さ、残酷さを直接に知り、そして”証言”のかたちとして物語に託す。そして続いて戦争文学(ないしその周辺の文学)を担うのは、戦後生まれの世代にしても、いわゆる団塊の世代までであろう。高度成長期とはいえ、戦争の記憶覚めやらぬ日本を知る人たち。彼らの創る物語は、身近にやはり戦争を体験した人々がまだ数多くいたために、思想が先走ったとしたとしても、体験的な生々しさが作品に反映されてもおかしくない。

しかし、古処氏はそういった世代から、隔絶された団塊ジュニア。1970年生まれと聞く。高度成長期も一段落し、円高不況やバブル景気を知る古処氏の世代は、ナマの戦争を知る機会のない世代のはず。確かに、元自衛隊員という経歴や、これまで発表してきたミステリ作品に見られるように、軍事や武器といった事柄に造詣が深いことはもちろん、氏の意識のなかで”軍”が日本において果たしてきた役割、国際的パワーバランスにおける日本の意味合い……といった思索があることは既に我々は垣間見ている。
これは私見だが、古処氏はそういった思索の果てに得た文学的主題を、日本人が実際に経験した直近の戦争を通じて描き出そうとしているように見える。従って古処氏の描く世界は、単純に「戦争の悲惨さ」を訴える戦争文学ではない。 確かに戦争を真っ正面から取り上げる以上、そのような部分が表現されることは避けられないし、その点について古処氏は逃げていない。だが、以上の点を踏まえて物語を捉えると、様々な隠喩が物語に託されているように思えてならないのだ。

前置きが長くなった。本書は、戦争末期に動員された中学生が巻き込まれる戦争を通じて、「軍とは何なのか」「戦争とは何なのか」「信念とは何なのか」といった主題をフィクションのなかに描き出した物語。古処氏の出自と、掲載誌の関係で、恐らくはミステリとして最初は扱われるのだろうが、どうもそういった分類に似う作品ではないように思う。確かに「何故少年は下士官を殺したのか?」という点、Why done it? の部分があり、確かに扱われているのは殺人なのだが、物語は動機を探ることを要求するのではなく、この点を通じて主題を浮き彫りにしようとする意図があると感じられる。

更に、中学生の行動、下士官たちの行動、将官たちの行動等の差は、そのまま「危機」に対応する日本人の在り方の暗喩ではないかと感じられるし、更にこの世界そのものが、海を越えた隣にある彼の国の現状をもまた間接的に示しているようにも思えるのだ。物語における中学生たちの逞しさは、逆説的に、軟弱な現代の若者の諷刺ですらあるのではないか。

個人的には、最初からあまりミステリを期待せず取り組んだこともあり、それ以外の「想い」が強烈に頭のなかを去来した……という印象の強い作品。過去の日本の姿、戦争の悲惨さ、翻っての現代日本への警鐘。読み人にとっていろいろなものが読みとれる作品ではないかと思う。おまけだが、この世代の方が「食べ物を粗末にしてはいけない」という理由もよく分かったり。


03/06/01
小川勝己「ぼくらはみんな閉じている」(新潮社'03)

葬列』にて'00年第20回横溝正史賞を受賞してデビューし、現在その地歩を着々と固めつつある小川勝己氏。本書は新潮エンターテインメント倶楽部の一冊として刊行された、小川氏初の短編集で、'02年から'03年にかけて『小説新潮』誌ほかの各種の雑誌に発表された作品に、書き下ろしの『かっくん』を加えたもの。

年老いた父親の看護の為に病院に来る中年を越えた娘。自分の人生をめちゃくちゃにした父親が苦しむのを見て北叟笑むが、周囲の女性に未だに色目を使う父親に我慢がならない。 『点滴』
ヤクザのボディガードをしている金田。ヤクザの昔の女・智子と再会、同棲している彼だったが、その智子はシャブ中だった。彼女の昔の笑顔が見たいがために我慢を続ける金田だったが、遂に。 『スマイル・フォー・ミー』
自分勝手な夫に振り回されてきた中年女性。「水を下さい」と訪ねてきた少年と甘美な肉体関係に陥って、自分の人生を改めて見つめ直す。少年を自分のものにしてしまいたいという思いが募り……。 『陽炎』
謎の中年男に監禁され果てしない屈辱の暴行を受ける直樹。男は直樹が交際していた愛美の知り合いなのだという。愛美のことを直樹は真剣に好きだったが、彼女は突然自殺してしまったのだ。 『ぼくらはみんな閉じている』
原稿の書けない新進作家は住居と別にアパートを借りて仕事場にした。資料を取りに日中自宅に戻った彼は、妻が若い男と戯れている現場に遭遇。彼はその光景を盗撮し、倒錯した快感を得るようになった。 『視線の快楽』
べろべろに酔っ払って目が覚めた朝、訓泰の隣に寝ていたのはおぞましい中年女だった。逃げ出した訓泰だったが、ハルミという彼女はそれから彼の周囲に出没、強烈なストーキングを開始する。 『好き好き大好き』
ひとまわり以上年の離れた兄は、尋常小学校を出るとそのまま高名な絵師の元に弟子入りした。兄の絵に魅せられた私は、対抗心から羽子板の押絵の馬渕流に入門する。しかし兄は絵師の元を飛び出し、自宅に帰って来た。 『胡鬼板心中』
そりの合わない妻が「可愛い」とゴミ集積所から拾ってきた大きな木彫りの人形は信じられない程悪趣味だった。夜になるとその人形は妻の上で「ハァ〜ッ、かっくんかっくんかっくんかっくん」と始めた。 『かっくん』
自動車販売会社の巨乳OL、工藤沙絵子はイカレている……。ぼくは強烈に彼女に惹かれ、ストーキング紛いの行動を取る。それに気付いた彼女はぼくを誘い、ペットになるよう要求、ぼくは喜んで受け入れた。 『乳房男』 以上、九編。

多彩にして多才。残酷で強烈な自己愛。粘着質なのに透明さらさらな小川ワールド博覧会
例えばデビュー作品の『葬列』と第二作である『彼岸の奴隷』における、激しすぎて壊れかかった人間像とハードバイオレンスの世界。そういったノワール系の作家……と思われた矢先の『眩暈を愛して夢を見よ』では、格調は従来作品に近いものがありながら、不思議なメタ構造の本格ミステリを演出。読者を幻惑した。更に、出世作となった『撓田村事件』は、真っ向から本格ミステリに取り組み、かつ中学生の青春をも貪欲に取り込んだ意欲的な大作となり、推理作家協会賞候補作にも選ばれた。斯様に、小川氏が自らの創作を創り上げる対象となるフィールドは、長編五つしかまだ刊行されていない現在でさえ、既に多岐にわたっているといえる。

その小川氏の初短編集。探偵役が決まっているとか、掲載誌がまとまっているということもなく、小川氏がその時々の注文に合わせて執筆したと思われる八つの短編に、更に書き下ろしが一編加えられている。通じて読めば、誰でも分かる通り、実に多彩な世界が繰り広げられているのだ。舞台はバラバラ、登場人物もバラバラ、狙いも試みもバラバラ、文体までもバラバラ。ただ、全体としては「一般世間的には禁忌とされている性愛嗜好」が、取り上げられているものが多く、それを淡淡と、客観的な筆致で描くがゆえに、一般世間的感覚のうえでは嫌悪感をわざと引き出すような描写を多用しているのが、強いていえば特徴となっている。
特に象徴的なのは、中高年となってしまって夢を失った女性が若い男性と恋に落ちたり、同性に対する嫉妬に狂ったり、ストーキングしたりといった作品が目に付くこと。性的マイノリティやフェティシズムが以前に比べて市民権を得つつあるとはいえ、これらの作品からは小川氏の露悪的な描写とも相まって、やはり愛情の歪みやおぞましさといった感情を読者に喚起する。一方で、視姦や自己愛のすれ違いといった、「ぼくらはみんな閉じている」という作品集の題名そのまま、個人の殻やアイデンティティの喪失といったテーマも描かれる。他者との距離を上手く取ることができない人間が多数存在する、そんな現代の時代性を強烈に訴えているともいえよう。究極の一体化を望む『乳房男』の主人公とヒロインの関係性もまた、そんな現代人の距離感覚の喪失の裏返しといえるかもしれない。
そんななか、異形の愛を描きながらも、戦前の横溝作品を恐らく意識したのであろう、耽美小説風作品『胡鬼板心中』は異彩を放っている。 主人公の独白のなかで語られる、兄の歪んだ愛情と、それを理解する弟の姿。どこか切なく、どこか美しい不思議な文体で、淡淡と猟奇的な情景が描かれる。炎に包まれていく終盤の一場面などは秀逸。

醜悪なもの、風変わりなもの、男の変態に女の変態。ろくでなしに人間の屑。自由自在に人間を描き出し、嫌悪感さえ感じさせながらも、これが「現代なんだよな」と奇妙に納得させられる作品群。 一応、ミステリ風のどんでん返しのある作品もあるとはいえ、ミステリとしての味わいよりも、人間心理に対して奇想を発揮させる小川氏の着想と、設定の非凡さに感心する結果となった。万人にお勧めできる作品集とは言い難いが、奇妙な魅力があるのも確かである。