MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/06/20
北森 鴻「パンドラ’S ボックス」(カッパノベルス'00)

人気シリーズ作品を持ち、今をときめく作家となっている感もある、北森鴻氏のノンシリーズ短編集。『本格推理1』にて発表された実質的デビュー作品から学年誌掲載作品、パスティーシュアンソロジー掲載作品とバラエティ豊かな作品の幕間に、時系列に「作家・北森鴻」の誕生から苦悩、そして成長(?)を描いた書き下ろしのエッセイが加わっている。

若くして夭折しその評価を高めた画家の絵をモチーフにした壁画。熱心に見入る男に興味を持ち、近くのオフィスに勤めるイラストレーターの女性が声を掛ける。彼は、その画家の生涯に秘密があるのだと主張する。 『仮面の遺書』
警察とマスコミに届けられた、援助交際少女を殺害し、天皇陵に捨てたと告白する文書。宮内庁を説得して学者と共に捜査にあたった警察。そして人骨らしきものが発見されたが、それは古代のものと調査にて判明。 『踊る警官』
江戸時代。彫り師・柾五郎の仕事場から男の死体が発見された。柾五郎は旅に出ており、留守を預かる弟子の直助のものと思われた死体は、絵双紙屋の市松。しかも部屋は内部から閉め切られた密室で、市松は他殺であることもまた間違いなかった。 『無惨絵の男』
小学校にある「あかずの倉庫」の側で白い幽霊が立て続けに目撃された。ぼくとチアキはコンピューターを使って推理をする電脳探てい。しかしその日、「あかずの倉庫」は先生の鍵によって開けられ、中から宝の地図が発見される。 『ちあき電脳探てい社』
嵐山の渡月橋から徒歩二十分。不便な場所にある大悲閣千光寺は、急に多くの参拝客を集めていた。近くに松茸があるという新聞投書が原因と思われたが、弟子として働くぼくは、この事件以外に別の匂いを感じ取っていた。 『鬼子母神の選択肢』
小さな情報会社でお昼の弁当から食中毒が発生。女子社員が入院する騒ぎとなった。ベテラン社員のわたしに対して、被害者に毒を盛ったのではないかという噂が流れていることを知る。事件のきっかけは占い好きの男子社員? 『ランチタイムの小悪魔』
久生十蘭《顎十郎捕物帖》のパスティーシュ。吉原の前で大金を懐に一歩が踏み出せない田舎者。顔見知りの幇間・市松が彼を案内してくれた。しかしその晩、少し離れた日本橋で同時刻に市松を見た、という者が現れた。 『幇間二人羽織』以上、六編。

守備範囲の広い短編に、虚実ない交ぜエッセイ。北森鴻が北森鴻になるまでの変遷
北森氏のこれまでの業績を俯瞰するに、推理作家協会賞を受賞した『花の下にて春死なむ』をはじめ、全体に大仕掛けを施した連作短編集に好作品が多いことは事実。それゆえか、現代の「短編の名手」の称号を得ているといっても過言ではないだろう。今までのところで刊行されている作品は、短編であっても「連作」の形式を取っており、本書は北森氏はじめてのノンシリーズ作品ということがいえる。
その「連作」というくびきがないせいなのか、もともとの発表形態の差異ゆえにシリーズとならなかったせいなのか、まず収録作品のバラエティが極端にまで広いことが、まず特徴として挙げられよう。サスペンス風の本格から、一人称のみにて構成されたミステリ、時代小説風にしてしっかりと本格の枠組みを持った作品、さらにはジュヴナイルに至るまで。それが全て「無理が感じられない」文章にて綴られている。予備知識無しに読んだら、全て違う作家の作品だ、と言われても信じてしまうかもしれない。そして、連作の「枠」がないからこそ出来ること――がまた、実践されている。 全く読んでいて安心できない。真相に辿り着いたと思いきや、しっかりと更なるどんでん返しが待ち受ける。最終行に至るまで、何が起きるか分からない、つまり、本格ミステリ短編の面白さがぎゅっと詰まった作品ばかり。しかもそれがさらに一冊に詰まっている。
連作に登場しそうな、独特な特徴を持つ主人公が活躍する『鬼子母神の選択肢』や、ただでさえ意外な事件を、更に独白口調に変換して形式からの斬新さを感じさせる『踊る警官』あたりの現代ものも良いが、個人的なツボはやっぱり久生十蘭パスティーシュ『幇間二人羽織』かな。ミステリとしての構成だけから評価するならば、同じ時代ものの『無惨絵の男』の方が、多少出来が上回ると思われるのだが、顎十郎の描き方に「愛」が滲み出ていて、何とも嬉しくなってくる。

また、当然触れるべきはエッセイ部分だろう。デビュー直後から、本書の発表前後に至るまでの苦労、そして恨み辛み? が実名に至らないまでも暴露され、楽屋落ち的裏話が続く。恐らく、一般読者よりも業界人の方がこの部分を喜ぶかもしれない……などとちょっと思ってしまったが。

なぜかこれまで縁がなく、本棚の隅っこで積ん読になっていた作品集。改めて読むと「短編の名手」という言葉が、誇張でも過大な褒め言葉でもなく、北森氏に対する形容詞として、実に相応しいことに改めて気付かされた。……あまり根を詰めず、末永い活躍を祈念させて頂きます。


03/06/19
畑 正憲「ムツ・ゴーロの怪事件」(サンケイノベルス'73)

いまさら、畑正憲=ムツゴロー氏の説明は不要……だろう。未だに「動物王国」ものでテレビに登場するムツゴロー氏。動物愛好家や、一部に知られる雀鬼としてだけではなく、本業はそもそも数々の「動物記」にてブレイクした作家なのだ。(いうまでもないとは思うのだが、なんかいわないといけないような気もして……) 本書は、そんな畑氏が、はじめて試みた「SF的・怪奇的長編推理小説」であり、'72年から翌年にかけて『夕刊フジ』に連載した作品をまとめた、長編というよりは連作短編といった内容の作品である。

”大人物”になることを人生の究極目標とするムツ・ゴーロは、長身で美男だったのだが、人々が外観から人間を判断することに嫌気が差し、自らの肉体を改造、醜怪な顔つきに整形し、足を切り落として短身となり、更に北海道の凍結した州又原野に、もう十余年あまり隠棲していた。彼の隠れ家に到着するには、想像を絶する七つの関所を通り抜けなければならないが、トランジスタグラマーの美女、森蘭麻は、伝説の大人物ムツ・ゴーロとの邂逅を果たすため、敢えてその困難に挑んだ。彼女は高名な女スリにして一子相伝の名盗賊の血を引く”怪盗蘭麻”の一族。彼女の使命は優れた男性のフクロから精子を抜き取って、その優秀な家系を存続させることにあった。やがて、二人は赤坂のマンションに居を構え、奇妙奇天烈な事件と遭遇するようになる――。
『枯野の師弟』『文豪の褌』『栄光のイレブン』『未婚の母』『脱映像宣言』『恐怖の報酬』『七面鳥事件』『ムツゴロウの恋』『旅』『海の手紙』『笑う白骨』『教祖粛々』 以上、十一の怪事件から構成される。

まさに怪事件。怪小説。うーむ、訳が分かるような分からんような――。
動物王国はテレビで観たことがあるが、著作物を手にとって読んだことはない。私にとってムツゴロウこと、畑正憲氏が作家であるということをこれまで実はあまり意識したことがなかったりする。古本屋で転がっていた本書を目にして、「大人物ムツ・ゴーロと美女蘭麻のコンビが解く怪事件」 というキャッチコピーに引かれて購入。暫く積んでいたが何気なく読み出した。……普通ならここで、「それが何と面白い」とか続くものなのだろうが、本書、正直、よく分からないのだ。
まず登場人物がよく分からない。大人物を目指すというムツ・ゴーロは結局何者なのか。蘭麻はなぜ、そんな訳の分からないムツ・ゴーロに付き従うのか。正確には「分からない」というよりも、どこか時代がかった彼らに対する興味があまり持てない。その結果、読んでも読んでの印象が、結局「ないない」尽くしに。
そして、作品で訴えようとしているのが何なのかもよく分からない。謎解きの魅力、アクションのスリル、コメディによる笑いの全てが一応揃ってはいるけれど、どれも帯に短し襷に長し。揃っているだけで、抜けてこれが「売り」という部分が見あたらない。登場人物のキャラが立ってはいるものの、彼らが読者にとって、そう魅力があるとも思えない。社会問題的な要素を取り上げて批判している部分は、年代に埋もれて完全に「いまさら」という印象しかないし、全体としての雰囲気といったものも、統一感が感じられない。物語の最後に謎を解く連作短編集的な趣向がないことは言うまでもない。
なので、トータルとして読んだ後、本当に何も残らないのだ。もちろん、部分的に面白いといえるパートもあるし、洋上で魚の腹の中から出てきた手紙から事件を推理する『海の手紙』や、蛙の研究にまつわる男女の謎を解き明かす『笑う白骨』、人気絶頂のアイドルの謎の妊娠のお相手を捜し出す『未婚の母』といった、一応ミステリ仕立ての作品はそれなりに楽しめた。とはいえ、本格推理の手法を使うでなく、読者に対するフェアさはないし、蘭麻のスリという飛び道具を都合良く利用してしまう点も、気になる人には気になるだろう。そういう意味では、通勤のお父さんがぼんやりと夕刊にて読む内容なのかもしれない……。いわゆるナンセンス小説、ということになるか。

奇想天外な登場人物設定と、彼らが巻き込まれる奇想天外の事件――という枠組みだけは評価は出来るが、21世紀になって改めて読むことによって新たな価値が見いだせるものではなかった。角川文庫版も出ていたようだが、畑正憲という作家のファンが読めば良い本。SFだとかミステリだとか、特に決まったファン層を抱えるジャンル以外で時を超えていない本は、やっぱり再評価されないだけの理由があるのかも……とちょっと考えてしまう。


03/06/18
鯨統一郎「悪魔のカタルシス」(幻冬舎文庫'02)

邪馬台国はどこですか?』にてデビューした鯨氏だが、その歴史分析による作品と、真っ向からの本格ミステリ系の作品の他に、実はファンタジー系統の作品系列とを持つ。本書はそんな歴史とファンタジーが程良く融合した、名付けて「歴史系トンデモファンタジー」とでも呼ぶべき作品。文庫書き下ろし。

保険会社の代理人として働く牧本祥平は活字中毒。彼は自然農園を標榜する《太陽のめぐみ》農園の人々に心を寄せる反面、幼なじみが嫁入りした政治家、江里富太郎が党首を務める「日本理想党」の考え方にも共鳴するものがあった。そんな祥平があるビルのエレベーターに乗った時、その壁に悪魔の姿を見た。友人と麻雀を囲む席でその話をする祥平だったが、誰もそんなことに取り合ってくれない。そんな折り、保険会社のマドンナ的存在である芥川真理子に祥平は誘われデートすることになる。《太陽のめぐみ》農園の事務を勤める茨木さやかに仄かな想いを寄せていた祥平も、真理子の魅力には抗することなく二人は恋人同士となった。祥平はその後もしばしば悪魔を見ることになる。他の人には普通に見える人間が祥平にとっては悪魔にしか見えないのだ。テレビ画面に出た江里富太郎が悪魔に見える祥平は周囲にその事実を相談、また最初に祥平が悪魔を見たビルの壁面は改造工事が為されていた。この世に悪魔は確実に存在する……。祥平は巨大な謀略に飲み込まれつつあった。

”悪魔””神”の新解釈が面白い。伝奇風でありながらも正真正銘の鯨節ファンタジー
いわゆる悪魔が主題である。ミステリ系統の作品で「悪魔」を題名に冠する作品もあるが、そういった比喩的な意味ではなく、いわゆる、そう、あの悪魔。日本人が人を罵る時に使う「人でなし、オニ! アクマ!」というのはちょっと違うかもしれないが、黒い身体に耳まで裂けた口、尻尾とかぎ爪を持ったいわゆる悪魔を思い浮かべて作品にあたれば良いだろう。本書の筋書きは「突然その悪魔が見えるという特殊能力」を手に入れてしまったがために、大きなトラブルに巻き込まれる男が主人公。彼の味方や敵を通じて、悪魔という存在に対する新しい解釈が出てくるところが本書のポイント。
民俗学や宗教の常識に対する、鯨氏らしい一種のトンデモ的な解釈であり、その説得力は他の作品において展開されるいろいろな論に比してもそれほど高いとはいえない。だが、これくらい軽く扱った方がエンターテインメントとしてお面白みは確実に上がる。カルト政党やカルト教団が登場して、アクション伝奇風になってしまう後半なぞ、訳わかんないまま進むのがかえって面白い。主人公以外の登場人物が「どっち側」なのか二転三転するあたりのシビアさも読者の予想を次々裏切るもので、何を信じて良いのか分からなくなる。軽めの文章ゆえに迫力という点ではちと正統派アクション系に比べて落ちてしまうのは少し残念だが、その軽めの文章ゆえの奇妙な迫力は確実に存在している。
しかし惜しむらくは相変わらず文章そのものが、ちょっと読みづらいこと。鯨氏による現代作品は総じてその傾向があるのでこちらもかなり慣れてきたのだが、引っかかりが多かったことはどうしても事実。本書そのものが最終的にテキストとしての仕掛けを持つだけに、もう少し文章の方に練り込みがあっても……というのは読者のわがままだろうか。

”神”や”悪魔”に関して述べているといっても堅苦しい宗教論や哲学論はほとんどなし。単純にエンターテインメントとして楽しめば良し。 誰が敵で誰が味方なのか、という繰り返しのどんでん返しにミステリ的興趣を見出すのも楽しいだろう。気軽に手にとって、気軽に読むのが正しい読み方なのではないだろうか。事実私もごくごく気軽に読了させてもらったし。


03/06/17
樹下太郎「憎しみのバランス」(角川小説新書'62)

樹下太郎氏は、'58年『宝石』と『週刊朝日』が共同で公募した推理小説コンテストに、「悪魔の掌の上で」を応募、三席に入選して樹下太郎は推理小説にデビューした。その後、'60年代前半に集中的、かつ精力的に推理小説を発表した。この時期に刊行した短編集『プロムナード・タイム』のなかの一編を北村薫がアンソロジーに収録するなど、最近少しだけ評価がなされているが、実際は推理小説から、独自のサラリーマン小説に活躍の舞台を移行した後の評価が高い。本書は'60年から翌年にかけて各種小説誌に発表された短編が集められたノンシリーズの短編集。

若い頃、一度だけ身体を許した相手・竹田の態度に煮え切らず、別れて別の男性と結婚しようとした菊枝。竹田は彼女と間違えて、同じ浴衣を着ていた別の女性を刺し殺し服役する。田舎に居たたまれず東京に出てきた菊枝は、ヒモのような男・明石と結婚し、自身は水商売にて生活していた。そんな折り、菊枝は竹田らしき人物を銀座で目撃する。いつの間にか仮出所していたのだ。竹田は菊枝を訪ねると言い残したその晩、明石が何者かに殺害された。 『憎しみのバランス』
義母に精神的に支配されている大木は、恋人がいたにも関わらず、計略によって別の女性と結婚させられてしまう。その妻を殺害し、恋人と一緒になろうと計画、妻の高所恐怖症を利用しようとするのだが。 『鬼さんこちら』
製薬会社の部長に昇進した男は、バーからのダイレクトメールに目を留める。知らない女性からのもので興味を引かれた彼はその店に出かけた。馴れ馴れしく酔ってくるその女性は、やっぱり彼の記憶になかったが、その晩彼らは関係する……はずが、気付くと病院のベッド。彼女による心中未遂に巻き込まれたのだという。 『心中未遂』
子供の頃、憧れていた女性の情事を偶然、山の中で目撃した少年。彼が東京に出て住み込みで働き始めたある日、その女性と再会する。彼女に食事に誘われた彼は、彼女のアパートで思わず彼女と関係を持つが、彼女が二号として暮らしていることを知り、激昂して殺害してしまう。 『眼を閉じた女』
選挙を控えたある町で、一人の市役所職員が不審な死を遂げた。その女性の死体を最初に発見した男は、彼女の遺書を持ち出して逃げる。その遺書には彼女とある有力議員との関係が書かれていた。 『スキャンダル計画』 以上五編。

男女関係の妙を、軽めのミステリに託して。ノってる時期の樹下太郎作品の魅力が詰まった一冊
樹下太郎氏がミステリ作家として活躍していた時期は、ほんの数年であり、その後はどちらかといえばサラリーマン小説の作家として認知されていくようになる。ただ、その「ほんの数年」のあいだに、樹下氏は相当量のミステリ作品を刊行しており、本作にしても、その時期ならではの勢いを感じさせる。市井の普通の人々を主人公に据えている点、その後のサラリーマン小説と似た枠組みを使用しているのだが、樹下氏ならではの人間観察の妙と、こちらも樹下氏ならではのブラックなミステリ的な仕掛けとが融合して、読ませる内容の作品集となっている。
樹下氏のミステリは、トリックによる意外性はどちらかといえばおまけであり、そのトリックを利用して「人間感情の奥深さ」を強調する意図があるように感じられることが多い。本書における収録作品も、そちらの系譜に連なるといって良いだろう。様々な背景を持つ人間が渦巻きながら、「おいおい真相はそれかよ」という読者に対する裏切りそのものが、かえってミステリ的な興趣を生む表題作「憎しみのバランス」。犯人の企みが、意外なところで事件と結びつき、更に被害者と加害者の図式をものの見事に反転させた「心中未遂」、心ならずも犯罪者となってしまった若者の心理状態の描写が秀逸な「眼を閉じた女」……。純粋にミステリだけの構造でみるならば物足りない。だが「推理小説」のトータルとしてみれば、心に残る作品ばかり。やっぱり樹下作品の魅力は、こういった普通の人々の心理が、ごく普通に描かれている点が下敷きになっているのだといえる。人間観察に長けた作者ならではの、味のある作品群を楽しんだ。

本書も文庫化されてもおらず、この新書でさらりと刊行された後は、特に再刊されていない。「心中未遂」あたりは、誰かがアンソロジーに採録しても良いのに……。(旧『宝石』の臨時増刊に再録されてはいるみたい)。ただ、樹下太郎の再評価は、ミステリではない側面(一般小説の分野だとか)から為されることになるのかもしれない、などとも思う。
しかし、この本、表紙に写真が使われているのだが、なぜかそれがメキシコ・オルメカの豹の仮面の石面なんだよな……。一体どういうセンスでこうなったのか。内容とは無関係だし。


03/06/16
有栖川有栖「スイス時計の謎」(講談社ノベルス'03)

『ロシア紅茶の謎』より始まった有栖川有栖の国名シリーズも六冊目。前作にあたる『マレー鉄道の謎』は、第56回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門を受賞した。本作は中編集にあたり、講談社文庫のアンソロジー『「Y」の悲劇』に収録された『あるYの悲劇』に『小説NON』誌に掲載された二短編、更に『メフィスト』に'03年に発表された表題作が加わったもの。

アマチュアロックバンドのギタリスト・山元優嗣が、自室でギターで頭を殴られ死亡した。瀕死だった被害者は発見者に「やまもと」と自分の名前を口にし、壁に「Y」の字を書き残した。関係者の名前に「Y」が多数存在するなか、被害者が告発しようとした真犯人とは誰なのか? 『あるYの悲劇』
女性彫刻家がアトリエで殺害された。死体の首は切断されて持ち去られており、代わりに彫刻の首が置かれていた。被害者とトラブルのあった隣人と、愛人を持っていた彼女の夫が疑われるが……。 『女彫刻家の首』
高利貸しに弟夫婦が破滅させられたことを恨む男が殺害を計画。綿密な準備を経て、高利貸しの自宅に上がり込んで拳銃で射殺、自殺に見せかける密室を施してから逃走する。遺族の証言から、自殺説は覆り、他殺として捜査が為されるが、密室構成の方法が分からない。 『シャイロックの密室』
野心家の実業家がオフィスで殺害された。男は有栖川有栖の同窓生。現場の状況から犯人は被害者の知人とみられ、被害者の特徴ある時計が持ち去られていた点から、同じ時計を持つという、その日に彼が会うはずだった同窓生たちが、容疑者として浮上した。 『スイス時計の謎』 以上四編。

ロジック! ロジック! ロジック! トリックよりもロジックを追求。有栖川氏らしい短編集
作家生活を十五年以上続けている有栖川氏に対して失礼な物言いになることを承知で述べる。本格ミステリに対しての、どこか不器用な作風――といったものを本書から感じ取った。……と敢えて誤解を招きかねない表現をしたのには意味がある。つまり、有栖川氏の、特に本書に収録された作品を眺めるにつれ、いわゆる一般の本格パズラー系の作家よりも、遙かに自己に対して厳しく”ロジック”というものを課しているように見えたからだ。
ネタバレの可能性もあって詳しくは述べられないが、『あるYの悲劇』の被害者は、なぜ「Y」と書き残したのか。『女彫刻家の首』の被害者の首は、なぜ持ち去られ、代わりに彫刻が置かれていたのか。『スイス時計』の犯人は、なぜ被害者の時計を持ち去ったのか。こういったポイントに対して、有栖川氏は非常に厳格な態度で臨んでいる。本格パズラーを標榜する著者のこと、当たり前といえば当たり前なのだろうが、「端正」という形容詞では不足するくらいに、その結論に至る過程が「厳格」なのだ。つまりは、その事件のコアを構成する部分に対するロジックの作り方に妥協がない。「なぜ」、犯人は、被害者は、そのような行為を行ったのか。 いくつかある選択肢から一つを選んだことを周辺状況から攻めていき、読者が何となく納得してしまうことで良しとするのではなく、有栖川氏の本格パズラー作品では、そのコアについて徹底的に検討がなされていて、ほとんどの場合、偶然による蓋然性を含めた例外を全く許さない。物語構造を使ってレトリカルに事件−真相を構成するのではなく、先に唯一無二の真相ありきで、そこに至るまでの複数の道筋を徹底的に論理で攻めては潰し、真相への道筋を一本化していく。この姿勢そのものは、本格パズラー作家としては敬服すべきものではある。
ただ、その論理が際立てば際立つ程に、読者の感情をも巻き込んだサプライズといった、本格ミステリ(パズラーではなく)として得られる筈の悦びが、どこか感じ取りづらくなっていることもまた事実なのだと思う。またその真実である「トリック」の部分の奇想に無理がある場合など、物語周辺の脇がかえって甘くなってしまっている。いわゆる”無理”を許さず、論理論理で攻めることによる飛躍の消失。ベースとされるトリック(アイデア)よりも、そこへの論理で魅せるミステリの宿命ではあるのかもしれないが。 そのためか、近年の有栖川作品は世界観に無理が少ない。よくいえば現実的な、悪く言えば遊び心のない動機や犯罪がベースにされていることが多い。この結果、世界観が揺らぐような強烈さが、少しずつではあるが影を潜めつつあるように感じられるのだ。

その状況を反対側から補強する作品が本作にある。倒叙風(厳密には倒叙とも少し異なる気がする)に描かれた『シャイロックの密室』である。その倒叙風の形式ゆえ、その結末に至る論理において、ちょっとアンフェアな筋道を辿ることになっている。(トリック構成の鍵となるある”もの”の情報が読者に開示されていない)しかし、その結果、論理に大きな飛躍が存在し、ミステリとしては、かえって得られる面白さが増しているように思える。

本格パズラーのどこに重点を置くかによって、この評価は当然変化するとは思う。私自身、本書は感心しながら読んだクチであり、面白かったといえる。ただ、述べてきたように、有栖川氏の創作がちょっと窮屈になっているかも、とふと感じた部分を、自分の言葉に直してみたかったので、敢えて書いてみた次第。


03/06/15
首藤瓜於「事故係 生稲昇太の多感」(講談社'02)

第46回江戸川乱歩賞を『脳男』にて受賞した、首藤氏の受賞後第一作。『小説現代』誌に'00年から翌年にかけて連載された作品の単行本化したもの。縛りの緩い連作短編集、または長編として読める。

愛宕南署の交通課交通事故係に勤務する生稲昇太。二十二歳の巡査。四月にこの署に異動となって四ヶ月。ようやく新しい勤務地にも慣れだした。エラの張った四角い顔にゲジゲジ眉毛のタラコ唇。いわゆる悪相の彼だったが、正義感が強く勤務態度は真面目そのもの。一方、昇太とコンビを組む先輩の見目(けんもく)は、常にクールに仕事をこなす。ヒマがあったら勉強しており、昇格試験を目指している。そんな二人が夏の夜、夜勤していたところ乗用車同士の事故発生の連絡が入る。女性の脇見運転が原因という事故の処理を終え、署についた二人の元に次の連絡が入る。トラックと乗用車の接触事故なのだが、トラックの運転手が勝手に現場を離れ自宅に帰ってしまったのだという。早速、その男の自宅を訪ねた昇太は一升瓶を抱えた男と対面。彼は家の中で呑んでいたと主張、酒飲み運転を疑う昇太と真っ向から対立する。見目はそんな二人をいなしてさっさと事故処理を終えてしまうが、昇太は引っ込みがつかない。彼は勤務が明けた後、一人で運転手が酒を飲んでいた店を探して捜査を開始、首尾良く道路沿いの店を発見するのだが、女主人はそんなことはなかったと否定する。

純情な青年警察官・生稲昇太の、社会人としての成長を描くサラリーマン小説(誤解招くかな)
新米……というには多少経験も積んではいるとはいえ、「まだまだ青い」交通課の警察官、生稲昇太、二十二歳の物語。設定が警察で、警察官であるので必然的に事故や犯罪を扱うことになるがために、本書はミステリの範疇に入れられるのだろうが、作品内で「警察」のことを、「うちの会社」と警察官たちが呼んでいる通り、どこか「サラリーマン小説」めいた味わいの方が深い。 (警察を「会社」と呼ぶのは樋口有介作品だけかと思っていたけれど、違うのね)。
馬鹿正直で、世間知らずで、青臭くて、純情な、主人公・生稲昇太が、警察内部の先輩たちとの交流や、実際に体験する事件を通じて、徐々に警察官、いや”おまわりさん”として経験を積んで、視野を広げて成長を遂げていく物語。……これはこれで良いのだけれど、それ以下でもそれ以上でもない小説という気もする。 未明に起きた交通事故。ドライバーが勝手に自宅に帰ってしまった事件。自転車の老婆がこけて死亡。後を走っていた改造車のドライバーを逮捕してしまった事件。酔ったカップルにおける死亡事故。男と女、どちらが運転していた分からない事件。そして、事故を起こしたドライバーは実は助手席に座っていただけではないか事件。これらは、ミステリにおけるトリックというよりも、交通白書におけるちょっと興味深い具体例として挙げられていそうな事件群である。それはそれとして、読んでいて興味を惹かれはするのだが、相手が偶然発生した交通事故だけに、巧緻な犯罪計画が隠されているわけもなく、ベテラン捜査官の勘や経験によって、一つ一つ解決されていくのみ。
更に、それぞれに、事故を引き起こした当人たちによる悪質な作為があったりなかったり。人は見かけに寄ったり寄らなかったり。事件をすんなり流した方が、世の中が上手く流れたり、しっかり受け止めてかっちり罰した方が良かったり。社会人生活は臨機応変、視野を広く持つことが肝心。正義を愛する心は大切だけれども、杓子定規に世の中に当てはめることはできないよ――と、結局そういうこと。実際問題として世の中は”そう”なのだけれども、物語(フィクション)としての一貫したポリシーには何となく欠けているようにみえるのは少し残念。本書はこういう物語なので、それはもう仕方ないことだけれども、こういった「会社」的な警察のなかで、己の正義を徹底的に実現しようとする道化者を描くとか、フィクションならではの破天荒さあっても良いように思うのだ。

ほのぼのした暖かい物語で、乱歩賞を受賞したデビュー作品より遙かに大人しい。本作が、青春小説であり会社小説であるから得られる良さはある。その一方でミステリとしてはいわゆる日常の謎として見たとしても、ちょっと物足らないこともまた事実。 ただ、首藤氏の”描きたいこと”の真髄は果たして本書なのかどうか。もう少し見てみなければ、ちょっと分からない。


03/06/14
斎藤 栄「乱歩幻想譜」(双葉文庫'96)

殺人の棋譜』にて第12回江戸川乱歩賞を受賞し、本格的な作家デビューを飾った斎藤氏ではあるが、江戸川乱歩はその前年、'65年にその生涯を閉じてしまっていた。斎藤氏自身はそれ以前に二度ほど乱歩に自らの創作が触れる機会があったものの、本人との対面を逃してしまっている。本作は双葉社の「読切雑誌」「読切文庫」という二雑誌に'69年から翌年にかけて書き継がれ、'74年に光風社より初刊行された、乱歩に対するオマージュとしては異色ともいえる作品である。

大正十五年の春。新進探偵小説作家の江戸川乱歩は雑誌『苦楽』に連載中の長篇小説が書けず、スランプに陥っていた。世評は上がるのに自らの創作意欲が湧かない乱歩は、編集者からの矢のような催促から逃げ出すため、西伊豆の温泉宿に変名にて投宿していた。しかし、車中の乱歩を追って鬼頭千鶴という若い女性が「弟子にしてくれ」と追いかけてくる。この宿でも、隣の部屋をとった千鶴は、乱歩の晩酌を無理矢理に申し出て薬を盛って籠絡しようとするが、すんでのところで嘔吐した乱歩は彼女の魔の手から逃れ出る。浜辺に出た乱歩は、素封家船田徳右衛門息子が伊豆沖に創ろうとした理想郷があるという島を眼にし、嫌がる漁師を説き伏せて単独、島に渡る。そのパノラマ風景に魅せられた乱歩だったが、何者かが彼を襲った――。
青年時代の乱歩と、彼が実際に交流した相手、更にその時期の経験などに、乱歩作品の登場人物が入り乱れて繰り広げられる「乱歩の裏側史」ないし「架空の創作秘話」。それがいくつものエピソードとして集成されている。
『パノラマ島』 『湖畔亭の犯罪』 『陰獣奇談』 『孤島の奇人』 『猟奇』 『魔術と女』 『盲獣後日談』 『白髪鬼の正体』 『黒蜥蜴の死』 『幻想の鬼』 連作短編集とみるならば、以上の十編によって構成されているといえる。

乱歩ならではの超絶の奇想を、現実譚に置き換える。これもまた奇想、但し味わいのバランスは苦い
江戸川乱歩を探偵役に(ないしはワトソン役に)した、ミステリというものは既にいくつか例がある。歌野晶午、松村善雄、島田荘司、久世光彦……(厳密には異なるものもあるけど)。本書は、もしかするとその嚆矢となった作品だといえるのではないだろうか。しかも、その最初の乱歩本人登場フィクションがいきなり「規格外」という点も、面白いと言えば面白い。しかし、乱歩に対する歪んだ(そしてその「歪み」こそが正しい)愛情がこれほどまでに吐露されているあたりに、「巨人」の抱いていた「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」の底知れぬ深みを感じてしまう。
確かに猟奇や耽美といった単語にて表現するには生やさしいのでは? という程の強烈で生々しい描写によるエロとグロが作品内に混在している。現代作家でいえば、友成純一レベル――と形容するのが一番分かりやすいか。しかも単純にイロゴトを描写するのではなく、各種のフェティシズムやサディズム、ホモセクシャル等々の、当時の時代性をも踏まえて考えると濃密に過ぎる秘密の香りが全てに漂っているのが特徴。乱歩のいわゆる通俗系の作品において、こういった嗜好が下敷きにされていると思しき作品が多いことは確かではある。それらが不気味なエピソードや、犯罪者の動機となって物語に怪しい彩りを添えている。こういった、乱歩の創作作品において描かれている不気味で猟奇なエピソードが、乱歩の想像から生まれたものでなく、それをインスパイアするに足るだけの事件や体験がベースになっているかも? という発想の原点は興味深い。
ただ何というか――ちょっと違うよな、という感覚もまた拭いきれない。
本書内部の時系列における乱歩の行動や創作に携わるタイミング、その時期時期においての交流関係は『探偵小説四十年』や『貼雑年譜』を下敷きにしているといわれており、そちらの考証はそれなりにしっかりしている。その交流の裏側に実は猟奇なエピソードがあったというのが本書の奇想の原点。しかし、乱歩の場合は、そういった趣味性向を持っていたことは確かながら、現実に体験出来なかったからこそ、作品にその猟奇な情念がぶつけられたのではないか――と私などは思うのだ。

一渡りとまではいかないが、少年探偵団以外のいわゆる通俗にあたる乱歩の長編をある程度読んでいないと、本書の意味合いと、作品の根底に流れるモチーフを推し量ることは難しいだろう。チェスタトンばりの奇想トリックが含まれている作品もあるが、基本的には「乱歩の世界」を物語化した幻想と評伝をない交ぜにした特殊フィクションという位置づけになるのではないだろうか。


03/06/13
加納一朗「ホック氏の異郷の冒険」(双葉文庫'98)

'84年、第37回日本推理作家協会賞長編賞受賞作品。当然、本書は日本推理作家協会賞受賞作全集の44。(ちなみにこのシリーズそのものは継続しているが、初期のものを書店で見かけなくなってきたような。いずれキキメになっていくのかも)。加納氏は「宇宙塵」出身で'60年にSF作品『錆びついた機械』を発表。しかしすぐに推理作品を刊行も開始。SF、推理、ジュヴナイルに加え、初期のアニメ作品の脚本も手がける幅の広い作家である。ただ、やはり代表作は本書か。

蔵の整理をしていた私は、明治時代に医者をしていた曾祖父が執筆したと思しき原稿の束を発見する。その物語は、一八九六年の東京で祖父が体験した事件が綴られており、”手記”とも”小説”とも、私には区別がつかないものであった――。
榎元信は青山の開業医。ある晩、親交のあった農商務大臣・陸奥宗光からの緊急の呼び出しを受ける。その場には英国公使のフレーザーと、サミュエル・ホックと名乗る紳士がいた。鹿鳴館に井上馨を訪ねた陸奥氏が、晩餐会の為に預けた鞄から重要書類が、何者かに盗まれたというのだ。その文書は英国と日本との間で国際的に重要となるものであり、他の国に見られてはならないものなのだという。表立って捜査することが叶わないため、英語が出来て沈着な元信に個人的に陸奥氏が捜索を依頼する。そしてそのホックなる人物が協力してくれるのだという。ホックは榎を一目見るなり医者であることを当てるなど、深い推理能力を持つ人物で、英公使の信頼も厚い。二人は電気工事人に化けた人物が書類を盗んだ人物であると看破、関係者の証言と、陸奥氏が個人的に頼んだ刑事二名の協力をもとに「都鳥のお絹」という女性を割り出す。しかし、内縁の夫と共に彼女は行方をくらましてしまっていた。

良質のパスティーシュのお手本。原作を活かし、作家の特徴を活かし、舞台と謎とが魅力に満ちる
解説の山前譲氏によれば、本書の文中にて一言も「シャーロック・ホームズ」という名詞が使用されていないのは、発表段階ではまだ、ドイル氏の著作権が切れていなかったため、だという。この後に直截的に「ホームズ」の固有名詞が使用されるパスティーシュはいくらでも登場しているのに、何故にサミュエル・ホック? と読前には疑問を抱いていたのだけれど、そういう事情ならば理解できる。
海外作品では数多く存在するホームズ・パスティーシュ。近作では島田荘司氏の長編などを思い浮かべる方も多いと思われるが、少なくとも国産長編では本書がその嚆矢となる作品なのだという。その最初の作品が、いきなり設定が素晴らしい。モリアーティ教授との格闘でライヘンバッハの滝壺に共に落ち、消息を絶ったホームズは、再びワトソン博士の前に姿を現す。この間、ホームズはチベットに行っていたことになっているのだが、加納氏はそのホームズが日本に足を伸ばしていたということにしているのだ。 更に、ホームズの兄、マイクロフトが外交官であるという事由を作品に織り込んで、外交文書を日本で探索する……というところまで細やかに補足。単純にホームズを日本に蘇らせるだけでなく、その中で精一杯”聖典”との整合性を取らんとする大人の遊び心的な発想は、物語の内容以前に設定で嬉しくなってしまう。
しかも取り組む事件がバリエーションに富んでいるのも、ホームズ譚らしくて良い。特に長編とするために細かなトリックを積み上げている点、芸が細かい。警戒体制が取られた建物にて発生する盗難事件、日本家屋にて発生した密室殺人事件。ある人物が仕掛けた暗号トリックを解き明かすのは、ワトソン役の榎元信でこそあるが、その解き方を示唆するのはホームズであるし、その暗号をホームズが解き明かせない明確な理由がある点も面白い。こういった事件が、歴史情緒が豊かに漂う、文明開化直後の東京を舞台に繰り広げられるのだ。探偵小説の馥郁とした香りと、近代本格推理小説が気持ちよく融合、更に当時の人々が外国人に対する態度であるとか、事件の動機であるとかにも、時代性を色濃く反映、時におかしく、時に哀しく物語を紡いでいく手腕は徒ならぬものがある。

例えば、「ホームズ譚の基本を知っている」だとか、「歴史情緒を味わうことができる」であるとか、読者にも相応の推理小説読み(初心者でも結構)としての最低限の常識を要求する部分が、どうしても存在する。その意味では、ミステリを何にも知らない段階で手に取るよりも、ある程度ミステリを読んできた人が、その拡がりを知るために手を伸ばすのに最適な作品、といった位置づけになるのではないだろうか。


03/06/12
梶 龍雄「浮気妻は名探偵」(桃園新書'89)

「小説宝石」「小説春秋」「小説CLUB」「小説CITY」といった専門誌各誌において、梶氏が'86年から'88年のあいだ発表した「浮気妻」シリーズがまとめられた作品集。どうやら本書以前にもこの「浮気妻・エリ子」はどこかで推理をしているようなのだが、想像するに『女はベッドで推理する』が前編ということでいいのだろうか。(題名からてきとーに類推しただけ)。

殺人凶器を秘密にコレクションしていた評論家・秋草圭一郎が自室で殺された。しかし凶器は女性の組み紐。資産家の彼の娘らが容疑者として挙げられたが、関係者にはアリバイが成立していた。 『多すぎる凶器』
秘密の会員制SM部屋で風俗嬢が縄で括り殺されていた。容疑者の妻がエリ子に助けを求める。夫は確かにサディストであったが、その犯行時間は彼女に一緒にいたのだという。エリ子は探偵に扮して関係者を捜査。 『女が助けを求める時』
英米文学翻訳家の智加子が恋人と部屋にいる時、女性が謎の車に追跡され、暴力的に拉致されるようなシーンが展開されるのを目撃。犯人の姿はハッキリとは見えなかったが、智加子はそれから謎の殺人者に脅かされるようになる。 『カーテンからの覗き見』
コレクションした芸術家のポルノグラフィーと同様のシチュエーションを金に飽かせて召し抱えのメイドと楽しむ大富豪。彼が美術品泥棒と思しき人物に、セックスの最中に撃ち殺された。相手の女性も死亡。 『絵の中の女』
自分の妹を自殺に追いやったプレイボーイに復讐するため、ひとみはその男に身を任せる。ラブホテルの一室で殺意を固めていたところ、シャワーから出てみれば、男は部屋内で既に何者かに毒殺されていた。 『殺意ある情事』
親の威光を傘に、やりたい放題、恋人を取っ替え引っ替えしていたお嬢様が、マンションにて殺された。容疑者は恋人と、ジゴロ風の人物。しかし二人の証言には微妙な食い違いが。 『お嬢様は悪女』
俳句の宗匠が屋敷の離れにて殺害された。周囲を雪で固められた密室、犯人の足跡はあったが、その靴の持ち主は一年前に死んだ人物だった。本人を巡って愛憎関係が繰り広げられていたが、他の関係者にはアリバイがあった。 『密室なんて、ダイッキライ!』
エリ子の友人で独身の大学助教授・矢津子に医師の恋人ができた。恋人が飲ませてくれるドリンクが毒物ではないかとエリ子に相談する。しかしその矢津子は青酸カリ入りドリンクを飲んで死亡してしまう。 『情事の後はドリンクを』 以上八編。

軽めのエロ小説の体裁を取りながら、中身はしっかり本格。梶龍雄の不遇と心意気をみる
もしかしたら、他の作家にもこういう作品はあるのかもしれないが、少なくとも本格ミステリを標榜し、かつファンにもそれが認められている作家で、これだけ”通俗な”設定を作品内に持ち込んでしまったのは梶氏だけではないだろうか。本シリーズ以外でも、ストリッパー探偵とかいるし……。(あ、都筑道夫センセーにも泡姫探偵がいるではないか)。
警視庁のキャリア組の独身警部補、そして彼との浮気に明け暮れる美人人妻……。しかも、その人妻は名探偵ときている。ただ、ちょっと中途半端(?)なのは、その浮気妻、確かに旦那以外の人物と定期的にベッドを共にしているわけで、不倫行為であることは間違いないのだが、別に相手の男を取っ替え引っ替えしているわけでもない。かえって純情なカップルに見えるくらい。そして、その旦那との情事のシーンが一切描かれていないため、登場人物も読んでいるこちらにも良心の咎めのような感情を覚えづらい。彼らが、実にアッケラカン(←梶龍雄風表現)としたもの、なのだ。なので、設定と題名、更に桃園書房という版元に加え、それらしい劇画風表紙……と夕刊紙の風俗記事のような軽さを全て備えているにもかかわらず、実際は「いやらしい」感情を覚えるような作品ではない。ま、事件そのものの方に、無理矢理にでもセックスに近い内容を絡めてはいるので、全然エロではないです! と胸を張れるわけでもないんだが。
さて、事件の中身。さすが梶龍雄、それなりに「凝った」内容である。なんといっても偽装アリバイトリックが問題となる第一話『多すぎる凶器』に至っては、読者への挑戦まで幕間に挿入されている具合。ここまでくれば「ううむ、やるな」と思うしかないではないか。他にも偽証トリックや、密室+アリバイ、意外な犯人、読者に仕掛けるミスリーディング等々、根本にあるのは本格ならではのガジェット。短編ゆえに検討する紙幅の関係で論理に飛躍のあるように見受けられるものもあるが、基本的に「事件→真相」への着地はきっちりと決まっており、梶作品ならではの、本格ミステリ的魅力は十二分に味わうことができた。しかも、これだけ作品を重ねつつ、ミステリとしての同一パターンに陥っていない点もポイントだろう。単純に愛人の黒川警部補から事件の話しを聞いて推理する「ベッド・デティクティブ」を行うだけでなく、自ら「伏川エリ子→立川袖子」と探偵の名刺を作って、関係者と正々堂々と渡り合ってしまうあたりの大胆さも楽しい。
更に、こういった情事の風景を逆手に取ったミステリを成立させている作品も侮れない。例えば『殺意ある情事』における大胆な加害者の設定など、通常のミステリでは使えない犯人だろうが、このシチュエーションで固めていけば、あり得るかも(多少無理はあれど)……と思わされる。

……とはいえ、読了して上記を書いてから、改めて頁を繰ってみると、やっぱりエッチなシーン(そしてストーリーと直接には関係のない)は多いかも。ただ、そういったことを要求された発表媒体においても「本格スピリッツ」を決して喪っていなかった梶龍雄氏に、改めて拍手。


03/06/11
多岐川恭「詐謀の城砦」(文華新書'70)

まだ私自身コンプリートに至っていないものの、多岐川恭作品を収集する壁になるのが、この「文華新書」というマイナーな新書シリーズ。(その他の作家の場合でも同様のケースがある場合が多いのだが)本書もその典型で、収録された短編は、これでしか読めない……。ただ、更に本当の壁は大量に存在する桃源社ポピュラーブックスの短編作品集群なのだが。

極東硝子工業に親子二代で勤める黒部は、後少しで重役というところに至った父が、岐阜工場の経営不振の責任を取るかたちで左遷させられるのを見送る。彼には沢乃夫子という恋人がいたが、専務からの特命事項により、信用金庫理事長の娘である甲田沢子を籠絡し、結婚するよう求められていた。父と対立する専務の命に従い、社内的な出世をかけて臨んだ黒部だったが、沢子の性格の良さに引き込まれる。左遷された筈の父は悠々自適の生活を送っているなか、黒部は乃夫子との情事を清算して沢子と結婚。首尾良く甲田から会社に対する融資を引き出すことに成功するのだが……。 『詐謀の城砦』
ある会社に勤める男と女。それぞれの人間模様。「お稲荷さんのばら」「たった一人のお茶」「ボーイ・ハンター」「たくらみの夜」「古風な片隅で」「あの道この道」「橋詰氏の孤独な泊まり」「堀切氏の一夜」「ベニスじいさん」「つわぶきの家」「花を捨てる」「笑う花嫁」「不意の求婚」「クラスメート」 『オフィス説話集』
世間知らずのまま親の巨額の遺産を相続した遠山史子。彼女は親戚の紹介によって前田静二という独身男性と知り合い、心を惹かれる。前田は時折、わざと史子の神経を害するようなことを口にするが、史子は彼のことが忘れられない。一方、史子の兄は登山事故で亡くなっていたが、その嫂にあたる菊子は、親戚筋が史子の財産を狙っているので気を付けろ、という。 『戦慄との結婚』 以上三編。

サラリーマンもの、結婚もの。軽めのミステリーの味わいは、まさに明朗小説系
本書を通読しての、最大の驚きだったのは、先に題名だけ判明していたものの内容が全く想像出来なかった『オフィス説話集』が、実はある会社を舞台に登場人物がくるくる入れ替わる連作短編だったこと。 ショートショート風の短い恋愛ベースの作品で、一話一話に名前だけ登場した同僚や上司が、次の作品で主役を務める……という趣向。基本的に一つの会社の出来事として連続しており、エピソードがリンクしているなど凝っているのだが、最後の数作品はそのリンクが途切れてしまっているのがちょっと残念。男女の想いのすれ違いが主題の作品が多い反面、ミステリ味はあまり効かせておらず、奇妙な言い方かもしれないが小洒落たコメディ風の作りとなっている。
その前後となる『詐謀の城砦』は、完全にサラリーマンものの謀略小説、一方の『戦慄との結婚』は、結婚をテーマにしたサスペンス小説で、両編ともにうっすらとミステリー的な味付けこそなされているが、あまり多岐川氏らしさはみられず、「樹下太郎の作品」といって見せられたら納得しながら読んでいたに違いないタイプのもの。ただ、登場する重要人物の「秘密」が明かされることによって、物語の見え方が最終的に変化する点、ミステリといえばミステリともいえるか。いずれにせよ、この昭和三十年代には、こういったテイストの軽めの作品が好まれていたということなのかもしれない。
ただ、『詐謀の城砦』における主人公の姿は、モーレツ時代に出世を糧に、良心を捨ててひた走るサラリーマン像を描き出しており、現代サラリーマン社会との差異がかえって興味深い。能力や実績だけでなく、情実が会社組織を動かす原動力となる……といったあたり、真の競争原理とはほど遠いわけで。ある意味、いい時代だったのだなぁ、と。
また、『オフィス説話集』に出てくる男女の観念、すなわち「男女のゴールはケッコン」という、作品内で当たり前のように確立している価値観の同一性が、また現代との差異を映し出す。単純に「あ、いい話だな」というものが多いので、そういう風に捉えるのは少数派だとは思うのだが。

多岐川恭らしからぬ作品が揃っている……という印象。 逆にいえば、当時の明朗小説系統を読めば味わえる感慨でしかない、ということでもあり、別に本書でしか味わえないテイストがあるものではない。やっぱり多岐川ファンだけが探し出して、読んでおけば良い本。