MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/06/30
折原 一「模倣密室 黒星警部と七つの密室」(光文社'03)

'88年『五つの棺』(創元推理文庫版では短編が二つ加わって『七つの棺』に改題)にてデビューした黒星光警部は、一流大学を卒業後、警視庁捜査一課に配属されたが、ミステリを愛する余りに事件の本質を見誤ることが多く、埼玉県白岡署に左遷させられている身分。最近では『黄色館の殺人』等に登場していたが、本作は'01年より'03年にかけて『ジャーロ』誌に掲載された作品が中心に編集された短編集で、久々の黒星節の登場となる。「ウヒョッ 密室だ」

牧場で牛が脱走したという知らせを受け、黒星警部は嫌々西部牧場へと赴く。その途中、白岡の富豪・熊野邸が火事だという消防署の一行と同道、雪の中にある豪邸へと赴くが火事の様子がない。ところが黒星が館に近づくと火の手が物置から上がり、ようやくそれを消し止めた竹内刑事は、家の中にバラバラ死体があるのを発見してしまう。 『北斗星の密室――「黒星警部の夜」あるいは「白岡牛」』
黒星警部のもとに密室殺人発生の報せが。いそいそと現場の取り壊し寸前の幽霊マンションに向かう。窓以外に出入りの出来ない三階の部屋で血まみれの住人男性の死体と、被害者とは別の切断された生首が発見されていた。 『つなわたりの密室』
「旧本陣でとびきりの密室殺人を行う」という殺人予告が黒星警部に届けられる。黒星と竹内が現場を検分に出るが、本陣では婚礼が控えられているといい、そんな気配はない。しかし想いを寄せている女性と親戚の男性が結婚することになって心穏やかでない笹岡光太郎はしっかりと殺人計画を練っていた。 『本陣殺人計画――横溝正史を読んだ男』
事業資金のために三千万円が必要な男がバーで独り言を呟いていたところ、交換殺人を実行する羽目に陥る。女房は密室のなかで死亡。果たして犯人はどのような手を弄したのか? 『交換密室』
土呂井建設社長が買い取った地元でも有名な洋館の改装お披露目。竹内刑事は葉山虹子に頼まれ、臨時の恋人役として館に赴いていた。虹子の友人が土呂井家の御曹司に迫られ困っているのだという。洋館の元の持ち主から送られてきた棺、寝た者が必ず死ぬという洋間……そうして、やはり事件が発生した。 『トロイの密室』
大富豪の実業家でありながら年老いた横島松枝が病に倒れた。遠縁の親戚が呼び寄せられ、彼女の遺産を嗣ぐ養子として相応しい人物かのテストが開始される。三人の若い男女が呼びつけられるが、奇怪な事件が発生。駆け付けた黒星警部の前には妙に小生意気な少年が。 『邪な館、1/3の密室』
春日部市と白岡市の県境での猿騒動に付き合わされる黒星警部。その前夜、春日部市内で奇妙な密室事件が発生していた。家具会社経営者の友野宅で、二十八歳無職で社長の息子、裕介と見知らぬ女性が部屋のなかで倒れているのが発見された。その女性は裕介がストーカー行為を働いていた相手であったが、なぜそこにいるのか分からないと彼は主張する。 『模倣密室』 以上七編。

「密室」を知りすぎた男による「密室ミステリ」は、「密室」を知る読者のための「密室ミステリ」となる
折原一氏は、サスペンスフルな雰囲気を得意とし、叙述トリックを駆使した本格ミステリ作品を編み出す作家である――という認識が一般的なものではないかと思う。もちろん代表作の多くはその傾向があって、それはそれで間違いはない。ただ、氏のデビュー作品が『五つの棺』(但し、長編では『倒錯の死角』)であったことも忘れてはならない。そう、折原一は密室殺人のオーソリティでもあるのだ。 しかし、新本格ミステリ誕生(と、作家・折原一誕生)より十数年が経過した今、さらにそれ以前から綿々と続いている密室殺人のネタというのは、骨までしゃぶりつくされており、真っ向勝負では読者に斬新な印象を与えるのは困難である。そんななか、新『七つの棺」ともいえる本作を上梓する折原氏が狙ったこととは――。
一つは、大掛かりなシチュエーションを利用した大技密室であり、もう一つは既存の密室イメージを利用して、読者心理の裏をかく心理密室である。本書収録の七編、密室トリックそのものに唸らされるというよりも、作品印象として強烈なものばかり、という希有な作品ばかりが揃えられた。奇妙なシチュエーションを編み出し、バカミス寸前のトリックをも駆使して、読者のツボをつつきまくる本格ミステリ作家として実に真摯な姿勢には素直に脱帽するしかない。
密室バラバラ殺人死体の構成させる方法を考えた時に、笑えばいいのか戦慄して良いのか分からなくなる『北斗星の密室』、どこかで見たような小生意気な少年の登場する『邪な館、1/3の密室』にて発生する超絶密室事件の真相等々、トリックそのものに迫力と面白みがある作品があるかと思えば、『本陣殺人事件』を実に折原氏らしく叙述トリックも使用してパロディ化した『本陣殺人計画』、密室の基本中の基本であるあの作品に対するオマージュにしては、内容が過激に過ぎる『模倣密室』がある。
それぞれ素晴らしいのだが、個人的に作品トータルの試みとして最も感心したのは『交換密室』。この作品における密室殺人、これそのものの不可能性は、折原氏はそれほどに追求していない。一方で交換殺人におけるサスペンス性を逆手にとって読者に対する罠を仕掛ける周到さが実に巧い。密室に気を取られていると、別のところで足を掬われる。

初心者向けというよりも、中級者向け以上というきらいはあるが、今年の本格ミステリ短編集としてかなりの高評価にのぼることは間違いあるまい。コメディのノリと、密室殺人の面白みが巧みなブレンドで仕上げられており、黒星警部作品を今まで読んだことのない――という方にも、素直に勧められる好作品集。


03/06/29
西澤保彦「幻惑密室」(講談社文庫'03)

『七回死んだ男』『人格転移の殺人』等、SF系の設定のなかで本格ミステリを実践したノン・シリーズ作品によって、まず西澤保彦の名前は本格ミステリファンに知られるようになった。その一方で匠千暁・高瀬千帆らを主人公とする「タック・タカチ」シリーズを発表、こちらでは現実世界における本格ミステリが中心となる。本作を第一作目とする、この超能力者問題秘密対策委員会、いわゆる「チョーモンイン」のシリーズはSF設定と登場人物の魅力とが融合し、更にパワーアップした西澤氏に相応しい新しい名探偵が登場、ノベルス版における水玉蛍之丞さんによるイラストとの絶妙のマッチングもあって大人気シリーズとなっている。現在は、冊数を重ねているが、本作は'98年に講談社ノベルスより刊行されたシリーズ第一作が文庫化されたもの。(事件として最初という意味では連作短編集『念力密室!』の第一話になるが)。

一月三日。健康器具開発会社〈ゲンキ・クリエイト〉のワンマン社長・稲毛孝宅に女性二人、男性二人、合計四名の若手社員が集められた。美人女性二人(古明地友美・山部千絵)は社内公認の社長の愛人、男性の一人・岡松治夫は、成績を下から数えた方がマシな程度の営業マンながら社長夫人と密通しており、もう一人・羽原譲は見た目はそこそこながら、傲岸不遜で幼稚性の固まりのような男。彼は、偶然出会った社長の娘と関係を持ったことがあった。それぞれが心に疚しさを抱えるなか、呼ばれる筋合いのない新年会に集められて緊張の極に。そんななか、彼らに対して不思議な力が働いて、彼らは社長の自宅から「出られなくなってしまう」……。更に、社長が何ものかに殺されるという事件までもが発生。時の流れさえもが異なる空間にて発生した殺人事件。その場所で超能力が観測されたことから、超能力問題秘密対策委員会(通称チョーモンイン)の、出張調査員(見習い)・神麻嗣子、そして警視庁捜査一課の美人警部・能解匡緒とが、なぜか三流ミステリ作家、保科匡緒と共に事件の謎を推理する……。

奇妙な現象に目を奪われていると足下を掬われ、謎だけに目を向けていてもやっぱり掬われる
最初に読んだ時は、巫女さん姿で天真爛漫、いじらしい性格が可愛い神麻嗣子と、セクシーダイナマイツバディに小悪魔的オトナの女のフェロモンむんむん能解匡緒の「W美女」の魅力にくらくらして(何度もいうが私は能解派である)、西澤ミステリとしての本質に思い至ることもなく、漠然と読了してしまった。……ということに再読して改めて気付かされた。ダメじゃん。オレ。
そういったキャラの魅力を語れる人は他にいくらでもいるだろうし、そういった点を除いて、純粋にミステリとして読むと本作はどうなのだろうか? という点を意識してみると、非常に凝った構成になっていることが漸く見えてきた。
本作にて用いられる超能力は、100%確実な暗示。更に暗示を掛けられた者同士で伝染する。但し、それは四つまで、時間制限あり……。事件の描写の際にはルールは知らされず、神麻嗣子が説明したルールに則って、改めて事件を解釈していくのが最初の謎。「超能力はどういうかたちで使われたのか」 ただ、全員が全員、スネに傷を持つという関係者の証言を総合していっても、この第一の謎は確定できないまま揺らぎ続ける。そして第一の謎が解釈できないまま、存在する社長の死体。ここに二番目の謎がある。つまり「社長は誰がどうして殺したのか」。限られた関係者のなかに犯人がいるにも関わらず、それぞれが持つ立場ゆえに偽証をしたり、証言が曖昧だったり、常識から来る誤認を起こしていたりするため、事件全体の「絵」がなかなか定まらない。 これがこの作品のミステリとしての一つの特徴であるように思う。
「超能力はどういうかたちで使われたのか」「社長は誰がどうして殺したのか」が二重の謎となっており、片方が揺らぐともう片方に影響し、事件全体は常にその全貌が明らかにされない。保科匡緒、能解匡緒、神麻嗣子の三者によるディスカッションも、実は最終的な証拠が出そろっていないがゆえに、その努力にもかかわらず確定したと見えても実は内部的な揺らぎが続いている。読者もその揺らぎの内部構造に取り込まれる。――終盤、重要な関係者の独白によってその揺らぎが収まり、これにて解決――と思いきや、ここに至って大きな転回がある。今までの揺らぎ・百出した動機や論理を全て無効化し、吹き飛ばしてしまう犯人像が登場する。関係者と読者の足下をまとめて攫うこの真相に、本作の最大のポイントがあるのではないか。それまでも大抵強烈で、印象的だった関係者それぞれの事情を吹き飛ばしてしまうような悪意が読者に見せつけられる。この犯人の作り方こそが、実は後の西澤作品における一つのキーポイントではないかと思うのだが、それはまた改めて検証したいので、ここでは取り敢えず置くこととする。

やはり再読すればするだけまた異なる印象を抱くもの。シリーズキャラクタの造型が、最初の最初から巧みに行われている点にも改めて凄さを感じたが、この事件や謎の部分にも強烈な西澤イズムを感じさせられた次第。もしかしたらこのシリーズ、一粒で二度美味しいのかもしれない。(シリーズが結末を迎えた後、改めて読み返すと確実に新しい面白さが発見されるものと思われる)。


03/06/28
吉村達也「Black Magic Woman 〈ブラック・マジック・ウーマン〉」(実業之日本社JOY NOVELS'03)

「書下ろし長編マインドミステリー」と表紙に銘打たれている。これは吉村氏の造語。最近の作品最後の著作一覧をみれば分かる通り、従来「ホラー」で一括りにされていた分野を、氏は「マインドミステリー」「ホラー」「心理サスペンス」「センチメンタル・ファンタジー」と分割している。マインドミステリーとは、ホラーっぽい展開を見せつつも、終盤で論理的な着地をみせるという作品。本作内部でも、このジャンルそのものが重要な役割を果たしている。

平凡なサラリーマンだった黒木夏夫は「マインドミステリー」と名付けられた『黒猫』という作品によって、一千万円の賞金を得て作家としてデビューした。その後も順調に作品を出版、実績を重ねた黒木は、妻と三人の子供の五人家族に、黒木の母親を呼び寄せ、都心のマンションから千葉の長男夫婦が住んでいた大きいが、歴史ある和風住宅に引越をする。不便な田舎暮らしとなったが、家族はそれを不満として出さず、毎晩彼らの食卓からは明るい笑い声が。折しも黒木自身は、デビュー十周年を記念する書き下ろし作品『黒魔術の女』に取りかかっており、順風満帆な人生を送っているかにみえた。しかし一家には徐々に異変が起きつつあった。黒木は知らなかったが、妻は夜中に起き出し、全裸で呪文を唱えつつ台所で何かを煮ている姿を八歳の息子・翔によって目撃されている。更に雑誌『読書と読者』に掲載された、黒木の妻のインタビュー内容が波紋を呼ぶ。「邪悪なる女性の愛は完全」「2・6・3で、そうなるんです」等、意味不明の発言が記載されていたのだ。そして、出版社を訪ねるために上京した黒木の携帯電話に、同居する祖母からの助けを求める電話が……。

ホラーっぽい展開に奇妙に納得できる摂理が加わって、不思議なミステリへと昇華する
一時期は読破もしていた吉村作品トレースも、吉村氏の出版ペースが再び以前のレベルに戻るに従い、さすがに追いつかなくなってきた。ただ、一時期の沈黙後の吉村氏は明らかに自らを「改造」した。その後に打ち出される作品は、従来のミステリだけでなく、ホラーやサスペンスなど、元より読みやすく入りやすかった吉村氏の文章の上に打ち立てられる世界が、着々とバリエーションを増やしているのが現状だといえるだろう。
本作もそういった動きのなかから生まれてきた作品。順風満帆に仕事を重ねてきたミステリ作家の家族が陥った危機を、数秘術と黒魔術に絡め、(これまた最近の吉村作品の特徴ともいえる)人間の精神世界の動きを通じて、驚くべき真相へと繋いでいく。ノンシリーズの本作、特に感心させられたのは二点。一つは数秘術の扱い方、そしてもう一つは個々のガジェットの表現にある。
数秘術とは、一見どうということのない数字に神秘性を求め、数に様々な意味を込める考え方。これだけであれば一種の秘教のバリエーションにしかならないのだが、この考え方を逆に現代人に当て嵌めてしまう点が斬新。漠然とした日常に、具体的な数字が登場することによって、強烈なストレスが人間に発生するということ。例えば営業マンは数字のノルマに苦しみ、主婦は金額の端数が98円のものを好む――といった、実際の我々の生活にも密接に”数字”が影響を与えている点を、数秘術というかたちで還元しているのだ。単なる蘊蓄に終わらせず、現代人の生活に還元してしまう発想が非凡であり、エンターテインメントとしての質を向上させている。
そしてガジェット、つまりは個々の情景の描き出し方とでもいえばよいだろうか。助けを求めてきた電話がぷっつり途絶え、血まみれの裸の女性が登場し、風呂場で奇妙な姿勢を取る人物が妄想に浮かび……といった、ホラーやサスペンスの映像や小説で、よく使われる、ある意味当たり前の表現が積み重なっている。一つ一つの表現に独創性があるというよりも、組み合わせの妙味によって、多くの読者に強烈なサスペンス感覚を与えることに成功している。もしかすると小説というメディアのなかで読者の恐怖を掻き立てるには、強烈な独創よりも、どこかで観たものを上手く組み合わせる方が効果が高いのかもしれない。
最終的に論理で解決されるだけのオチが付くがゆえの「マインド・ミステリー」ではあるし、登場人物の動きにやや不自然なところ(出版社社長がいくら愛蔵の作家だからといって、そこまでやるもんか? とか、作者の浮気が物語の重要なポイントであるのに、その点の描写が後半に過ぎる)がみえるのだが、気にする程ではないだろう。

本来のジャンル的な表現であればsupernaturalな現象がなく、あくまで人間の狂気をテーマとしている以上、「サイコ・サスペンス」に分類される筈なのだが、謎−解決の構造に吉村氏ならではのこだわりがあり、確かに「マインド・ミステリー」という言葉も、それなりに似合うように思える。 失礼な言い方になるかもしれないながら、近年の作品のうちではかなり私の肌に合った作品。


03/06/27
辻 真先「宇宙戦艦富嶽殺人事件」(ソノラマ文庫NEXT'99)

'81年、徳間文庫より刊行されていた、”スーパー”こと可能キリコと、”ポテト”こと牧薩次が、それぞれ駆け出しのタレントと、駆け出しの作家となって社会に出た時期の作品。「宇宙戦艦ヤマト」のヒット、「機動戦士ガンダム」シリーズのテレビ放映開始と、アニメ文化興隆の原初期の胎動が、初期アニメに詳しい辻氏の手によって描かれている。

新進推理作家の牧薩次が聟田書房の名和編集長から受けた依頼は、「宇宙戦艦富嶽殺人事件」という題名の作品の執筆。アニメを中心としたコミカルな内容の作品を書けば良い――牧は首を縦に振る。しかし、更に編集長は「読者が犯人であるにとどまらず、探偵役を務め、且つ被害者となる」作品を期待するという。編集長は牧に神戸にある六甲大学アニメーション研究会が『宇宙戦艦富嶽殺人事件』と題する自主アニメーションを制作していることを告げ、取材に行くよう勧めた。取材費を与えられ、首尾良く神戸に到着した牧は、研究会の個性的な面々と会い、大学にて行われるその作品試写会に同行することになる。ファンによって熱気に満ちた会場内部。ところがホール外の坂道で、制作メンバーの一人・戸川三千子が墜落死するという事件が発生。同時に『宇宙戦艦富嶽殺人事件』のフィルムが盗難に遭ってしまう。事故死と処理された事件に不審を感じた牧は、研究会内部の複雑な男女関係を知る。引き続いて戦時中に開発されていた重爆撃機「富嶽」の取材で、その研究会メンバーである水上の父親を長野県に訪ねた牧は、再び、その父親が土蔵内部で刺し殺されている現場に邂逅してしまう――。

時代の点景と、辻氏ならではの文化論、更に戦争。凝った本格ミステリに込められた主題の深さ
「宇宙戦艦富嶽」+「殺人事件」という題名から、ずっとSFミステリなのだろう……と思い込んでいた。それが「スーパー&ポテトのシリーズ作品の一つだよ」とどなたかから伺って「へぇ」と思い、実際に入手してみれば、最初の想像とは、余りにも懸け離れた内容だったという一冊。(って、私だけかもしれないが)。
ひとことでいえば、”ある時期”の若者像をベースにした、真っ向からの本格ミステリ。この”ある時期”が一つ本作のポイントといえる。ミステリと直接関係あるとはいえないが、80年代初期の作品にして、物語の舞台をアニメーション研究会に持ってきている点、ちょっと他に類のない価値があるように思う。フィクション小説のベースにアニメを愛好する人々を打ち出したのは、少なくともミステリでは辻氏が初めてだったのではないだろうか。(漫画文化の例は既にあったにしろ)。ビデオさえも一般的とはいえなかった時代。それまで子供のための文化だったアニメーションが、徐々にオタク文化を形成し、一般に認められていく端緒となりつつある時期を見事に「活写」しているのが、作品の一つの特徴だといえる。「機動戦士ガンダム」のテレビ版第一話を、上映会にて放映するエピソードなど、色々な意味で(著作権とかの意味合いまで含め)ちょっと、感慨深い。
その一方で、ミステリとして読んても手抜きがないのが嬉しい。場所移動のトリック、密室殺人、時刻表トリックにダイイングメッセージと内容は盛りだくさん。トリック一つ一つも「単に出しておけばいいや」というレベルではなく、それぞれがかなり考え抜かれたものであり、本格ミステリマニアをも唸らせるのに十分なレベルだといえるだろう。しかも「読者が犯人で、探偵役で、そして被害者」となるという、これまた辻さんらしいテーマにも同時に挑戦している。この離れ業は、その他のフーダニット系のトリックの熟練度に比べると、ちょっと消化不良の気がしないでもないが、それを試みる「遊び心」には、敬意を表したい。
また、物語の裏側……というか、影のテーマとして第二次大戦時のエピソードを通じて、戦争の悲劇をも謳っていて、それがまた嫌味なく嵌っている点にも注意しておきたい。

何というか、奇妙な喩えだが「お父さんが息子に送るミステリ」といった趣。80年代に高校、大学生だった人々が、今や皆、四十近い年齢となっている今、そういった作品と同時代の人にも、その時代を知らない若い人にも同時に読んでみてもらいたいと感じた。現在は、電子出版によりオンライン小説として入手が可能な模様。


03/06/26
皆川博子「彼方の微笑」(創元推理文庫'03)

皆川博子さんの初期作品は現在入手が困難となっているものが多いのだが、本書もそんな一冊だった。'80年に集英社より単行本が出ていたのみだった長編が、二十年以上の時を経て初文庫化されたもの。系統としては、心に欠損を抱える女性の遍歴を描いており、昨年刊行された大長編『冬の旅人』とどこか重なる匂いのする作品。

日高環は幼い頃、強烈な幻視の体験を持っていた。沈みかけた太陽が織りなす真紅の空が突然凝固し、空から大地へ亀裂が走る。空の破片は大地に落ち黒い空洞を覗かせる。そしてその空洞は徐々に美しい青色に変化し、環はそこに微笑を感じた――。 彼女は彫刻を学ぶ美大生となったが、大島公彦という男に誘われ、フレスコ画を研究する壁画研究会に入部し、辻英典画伯と知り合う。卒業後も彼女はフレスコ画の制作に携わっており、辻画伯の孫、冬人が通う学園の礼拝堂に、大島と共に壁画を描いていた。同棲していた彼らではあったが、環は幼稚性を残す大島に惹かれているわけではない。そんな折り、作業場であった礼拝堂が何者かに爆破された。更に、彼らが夕飯のために通っていたスナック『燔』の従業員でバイクを愛していた康雄が、何者かの工作によって事故を起こし、瀕死の状態で環のもとに辿り着き、息絶える。ひとりの少年によって引き起こされたこの事件によって、康雄の亡骸を抱え込んだまま恍惚となる環は、自分が「死」に対して強烈な魅惑を覚えていることを自覚する。彼女はイタリアでフレスコ画制作に携わる辻画伯を頼って、渡伊し、「死」の編み出す芸術を求めての彷徨を始めた。

初期皆川ワールドの目眩くエナジー。「死」を巡る幻想――に取り憑かれた女性の魂の遍歴
先にいっておくと、「心の底に獣を抱えた女性が、魂の求めるまま欧州を彷徨する」――、似た主題を扱ってはいるものの超大作『冬の旅人』に比べると本作の”物語”としての完成度は確かに低い。解説で篠田真由美さんが指摘しているように、主人公はとにかく、周辺に存在する主要な登場人物の位置づけに曖昧さが残り、性格や位置づけがあやふやであるがため、物語全体のバランスが崩れてしまっていることが主な要因といえるだろう。だが、主人公の性格、というか、主人公が何かを求め、彷徨う姿に関しては、物語において一貫している。 簡単にネクロフィリアとは言い切れない、本人自身さえもが捉えきれない死体に対する微妙な愛着――。これを持て余し、他人の理解を得られないがゆえに、彷徨せざるを得ない”旅人”が彼女。空に浮かぶ微笑の幻想と共に、普遍的とは言い難い彼女の心は、読者が物語内部にて容易に共鳴することを潔しとしていない。だが、そんな彼女だからこそ皆川さんが描く価値があり、その不安定さが却って物語としての凄さを掻き立てる。 誰もが共鳴するような物語ではなく、それでも誰かの琴線に触れる。だからこそ、皆川ファンはひっそりと皆川作品を愛し続けるのではないかと思うのだ。
皆川さんが二十年以上前から「書こうとした女性像」そのもののは、物語が、そして主人公自身が崩れているからこそ、生々しく読者の目の前に立ち上がる。『冬の旅人』の主人公と同じ名前を持つヒロインの魂は、常に皆川さんの心のなかに存在していたということか。皆川さんをして飼い慣らしきれないこの強烈な魂は、その遍歴を辿るだけの読者のエネルギーをも吸収する。
この「読者のエネルギーを吸収する」という作品に込められた独特のエナジーが、ファンが麻薬のような皆川文学にどっぷり浸かっていく過程における一つのキーワードかもしれない――などと、益体もないことをつらつらと考える。

一応サスペンス的な味付けはあるとはいえ、どちらかといえば幻想文学寄りの作品であり、はっきりいって万人にお勧め出来る作品ではない。『死の泉』や『花の旅 夜の旅』、『聖女の島』といった皆川ミステリから入り、そういった幻想ミステリ的興趣のみを期待する読者には、最後まで読み通すことさえ辛いかもしれない。しかし、既に皆川中毒となっている貴殿にとっては、これもまた欠くことのできない、世界を形作る一ピースとなるだろう一冊。


03/06/25
岡嶋二人「七日間の身代金」(徳間文庫'90)

たまたま徳間文庫版で読了したが、現在は講談社文庫版が現役で入手可能。御存知井上泉・徳山諄一二人からなるユニット作家、岡嶋二人の残した「誘拐もの」に連なる作品の一つで、『週刊小説』誌に'85年から翌年にかけて連載されたものが、'86年に実業之日本社より刊行されたものが元版。

歌手の近石千秋と作曲家の槻代要之助はレコードデビューを目指すアーティストの卵カップル。二人は以前に誕生パーティで歌を披露した金満家、鳥羽須磨子に呼び出された。彼女の義理の息子、鳥羽国彦、そして彼女の八つ違いの弟、武中和己が誘拐されたというのだ。須磨子は千秋の父親が警察の署長であることを知っており、国彦と和己が監禁された場面が撮影されたビデオテープを彼らに見せる。現金二千万円を用意しろ――その内容に従い、須磨子は金を持ち一人で車に乗る。千秋は父親に対して慌てて緊急配備を要請し、須磨子を追う。いくつかの指示を経て、須磨子は以前に国彦が芸術と称するオブジェを作成するため買い取っていた湘南の小島へと向かう。既に警察は周囲を監視しており、犯人の逃げ場はないと思われたが銃声が響き渡った後、残されていたのは須磨子の銃殺死体のみだった。島の密室から犯人はどうやって逃げ出したのか。その前後、島に渡った近所のレストランの従業員が消息を絶ち、国彦と親しい前衛劇団のカップルも同様に姿を消していた。千秋と要之助は二人で関係者から事情を聞き、そこからの推理によって、鳥羽家の別荘に閉じこめられ、衰弱しきった和己を救出する。

誘拐事件から意表を突く密室へ。犯人は被害者のみならず、読者をも欺き通す
「人さらいの岡嶋」の異名を持つ二人の作品で、かつ題名に「身代金」の文字が踊る。これで誘拐ものでないはずがない――というのが大方の読者の第一印象であろう。もちろん私自身もそう。確かに冒頭から犯人からの脅迫状ならぬ脅迫ビデオが送りつけられ、身代金を持った女性が一人で受け渡しに出かけるシーンから物語が開始される。しかし、この段階で何かがおかしい。あっさりとしすぎているのだ。隠された手紙を見つけて、犯人が待つと思しき島へ。完全に周囲を包囲されたこの島で、なんと殺人事件が発生する。受け渡しの当事者の口はふさがれ、犯人の姿はもちろん、武器も身代金も残されていない。周囲から隔絶された小島、発生した殺人事件、消えた犯人――つまり、誘拐事件は密室殺人事件へといつの間にか変質してしまっているのだ。読者に誘拐事件を想定させてのいきなりの方針転換。これが最初の犯人の(そして岡嶋氏の)罠。
続いてはその密室トリックの解明となるのだが、そこにもまた罠が仕掛けられている。岡嶋作品には珍しく、悪魔的な犯罪者の影が見え隠れし、次々と関係者が死体となって発見されるというサスペンス性もある。この犯人が醸し出す異常性は魅力。ただ、途中から犯人は分かっているだけど証拠がない……という展開になってしまい、Who done it? の興味を最後まで引っ張らない点は勿体ない気もする。この密室トリックそのものは素晴らしいし、オリジナリティも高いと思われるのだがミステリの完成度でみた場合は(あくまで他の岡嶋作品に比して、だが)多少、ちぐはぐな印象も残る。
また若い千秋と要之助のカップルの行く末が気になる……というコメントが解説にはあるのだけれど、あるカップルの現在進行形を観ているだけであり、それほどそちらの恋愛譚に面白みはないと感じる。もっと魅力的な主人公カップルは他の岡嶋作品にもぞろぞろいるわけで。

恐らく他の作家が書いた作品であれば思わぬみっけもの! と快哉を叫んだかもしれないが、岡嶋作品としては水準かな、というのが正直なところ。ただその「岡嶋作品としては水準」という簡単な言葉は、凡百のミステリ作家にとっては非常に厳しい水準と同意であることは勿論である。本格マニアを標榜する方にとっては、本作において密室形成に用いられる二つのトリックは、少なくとも一読の価値がある。


03/06/24
岩井志麻子「自由戀愛」(中央公論新社'02)

ぼっけえ、きょうてえ』にて第6回日本ホラー小説大賞を受賞して岩井志麻子さんがデビューしたことは余りにも有名。だが、その後暫く同系列の幻想ホラー系作品が刊行された後の彼女の活躍は、徐々に幻想味が薄れ、独自の価値観の投影された恋愛小説に軸足を移しつつある。本書も時代こそ大正という得意の時代を背景にしているものの、やはり恋愛小説といえるだろう。本作品は第9回島清恋愛文学賞を受賞した。

大正時代。女学校の同級生、明子と清子。当時は独立した職業婦人、そして自由恋愛を標榜して気取っていた彼女らも卒業から五年、明子は天真爛漫な性格そのままに、一回り年上の実業家一族の次男、磐田優一郎と幸福な結婚生活を送っていた。銀座に買い物に出た明子は、同じく女学校時代の同級生、千鳥に出会い、清子が一旦結婚して失敗し、現在は実家に戻っていると聞く。漢文教師を父に持ち冴えない風貌の清子に対し明子は同情、優一郎の会社で女事務員が欲しいという話があったのを清子に持ち込む。過剰な明子の同情心に辟易しつつも、明子が面接用の着物をわざわざ持ち込んでくるにあたって内心に対抗心をもたげた清子は事務員として採用される。鮮やかな着物を纏い、化粧を施した清子は実は美しさがあり、明子とは違った魅力に抗しきれなかった優一郎は、清子と醜関係を結ぶに至る。清子が優一郎の妾になった……その事実を再び千鳥から聞かされた明子は取り乱すが、一人前の男は妾くらい持って当然、という磐田家の態度もあって明子はその事態を受け入れざるを得なくなる。

大正時代の道徳観をフィルターに、現代女性にも通じる恋愛心情を描き出す――
大正時代……というか、昭和の中期以前くらいまでというのは現代の感覚とは遙かに異なる男女関係が存在していた。考えてみれば不思議な気もするが、恋愛に対するオープンさとクローズさの加減の価値観が今と逆転しているのだ。つまり、未婚のうちの男女の恋愛というのはとことんまでクローズ。何かやましいことがあれば、すぐ噂になって差し障りが生じるし、逆に結婚してから(男性にとってだけだが)の浮気は公認。妻の他に妾がいることは生活力のある男性ならば当たり前で、誰もそのことを恥じたり問題にしたりはしない。
そういった現代と大正時代との道徳的価値観のギャップのなかに、現代的恋愛感情を持った女性たちを放り込むことによって男と女の(こちらは特に女の)価値観の変遷、そして成長というものを浮き彫りにしたのが本作。 物語が明子の視点、そして清子の視点と交互に描かれるため、二人とも主人公扱いとすべきなのだろう。明子は何不自由ない暮らしから、優しい夫を含めて全てを手に入れた女。清子は美貌かつ放埒な母親に苦労して育ち、華美な暮らしを憎み地味に生きてきた結果、結婚さえ失敗した女。当初は一方的に優勢かと思われる明子>清子の関係が、優一郎という魅力こそあれ優柔不断な男性を間に挟むことにより、逆転、また逆転していく。
あまりにも幸福なため周囲に対する気配りを欠く明子と、装うことを忌避していたがために自分の魅力を出し切れていなかった清子。一見、逆シンデレラストーリーとみえる構成を、岩井さんは終盤に更に壊していく。本当の意味での女性にとっての幸せとは何なのか。確たる信念を持たず、時代と家と母親にのみ従う優一郎が、最終的にもっとも不幸に見えるのは私だけではないだろう。

新たに男女関係の機微に気付く――といったタイプの作品ではないし、特に私のような男性読者が手に取った場合はどちらかの主人公に過度の感情移入ができるものでもない。ひたすら感じるのは、そんな時代だったのだという感慨と、女性の強さ、か。(嘆息)。


03/06/23
土屋隆夫「傷だらけの街」(角川文庫'77)

私が土屋隆夫を読み出した時は、まだ創元推理文庫の全集刊行が始まっていなかった。その作品をひとわたり読み尽くすためにはどうしても光文社文庫版ではなく、この角川文庫版をコンプリートする必要があり、せっせと読んでいたのも、ようやく本書で一段落。
'53年に「探偵実話」に発表された『推理の花道』から、『宝石』に'61年に発表された『変てこな葬列』まで、昭和二十年代の後半から三十年代の前半までに各誌に発表された作品が収録されている。

大学進学の夢のためお金に困っていた勤労少女が電車のなかで男の財布を摺り取ろうとして捕まる。男は彼女にサンタクロースのサンドイッチマンの身代わりを要求。男の妻と思しき女性が殺害され、遺留品には彼女のハンカチが。 『傷だらけの街』
田舎町の郵便局員が、仕事に嫌気が差して配達する手紙を捨てた。その現場には同じ局の女子職員が男に捨てられ自殺するために訪れていて、二人は秘密を共有することから愛人関係に。そんな彼らに別々に縁談が舞い込む。 『変てこな葬列』
歌う剣劇で有名になった芸人。彼が修行時代に師匠が変死する事件があった。お宮入りしたその事件、芸人が実は犯人であったのだという。田舎から飛び出て芸の道に入り、苦労した彼が師匠の舞台に穴を空け……。 『推理の花道』
東京の心理学博士のもとを訪れた女子学生。彼女の従兄弟が精神病を装っているがそれが仮病なのではないかと疑っている。戦死したと思われていた彼が帰国したとき、愛する妻は既に彼の弟が娶ってしまっていた。 『どこまでも――闇』
優等生で通っている学生が性欲のはけ口に選んだ女子学生が妊娠。結婚を口にしつつ、彼はその女の子を自殺に見せかけて殺害する方法を編み出した。彼女に堕胎の薬と偽って青酸カリを飲ませ、遺書に見せかけた文書も用意した。 『ゆがんだ絵』
自殺すると言い残して宿を出た老人。慌てて心当たりの崖に辿り着いた宿の主人が眼にしたのは、若い女性に崖から突き落とされる男の姿だった。同じく自殺志願というその女性は作家から貰った一通の手紙を所持、しかし動機は黙秘した。 『愛する』
肺病の妻を持つ男のもとに戦友がやって来た。彼は勤め先から盗んできた大金を彼に預けるという。彼自身は金を盗まれたことにしてわざと捕まり、何年か服役してから出所するという肚づもり。弱みを握られている男の行動は……。 『重たい影』 以上七編。

相変わらず示される強烈な時代性。犯罪を計画し、実行する者の哀れな末路というパターン
相手を計画的に殺そうとした犯人が、そのトリックに溺れたり、皮肉な運命によって、自らの命をも喪ってしまう――。 本短編集、編集の方針がそうなっていたのかな? と、ちょっと勘ぐりたくなるくらいにこのパターンが多い。確かにもともと、土屋作品にはこのようなかたちで犯罪者を皮肉に断罪するパターンがあるにはある。このケースでは犯罪者の心理と、トリックが同時進行で描かれ、読者は犯人の仕掛けるトリックに注目する。ま、大抵の場合は相手を殺しつつ、自分が罪を免れるよう「自殺に見せかけて殺す」という手段を取るわけで、遺書代わりの文書を何らかの手段を用いて書かせて、毒を飲ませるというのが土屋氏の王道。(ちなみに、一時期に倒叙作品を連発した鮎川哲也氏の場合は、同様のパターンで使われるのはアリバイ作成を多用していたように思う)。
更に土屋作品の場合、「相手を殺そう」と犯人が思い詰めるに至るまでをも徹底的に描写している。おおよそ市井の人々が、殺人を決意するに至る過程など、悲惨な体験がベースになっていることが多く、そして当然の如く土屋氏はその「悲惨な経験」をもしっかり書き込んでいる。この点をして、「土屋隆夫の短編は文学的」と言わしめている点は理解できる。理解はできるのだが、こういった描写が土屋作品全体を通じて感じさせられる、どこか「じめじめとした暗さ」にも繋がっているのだ。更に、そこまで心情的に追い込まれた犯人が、これまた報いなのか必ず失敗してしまう。犯人が犯罪に成功して万々歳、おしまい……というお話ばかりの訳にはいかないだろうから、このパターン自体を否定しても仕方がない。だが、こういった陰々滅々とした作品を続けて読まされる読者サイドは堪らない。謎が平定され、秩序が回復する悦びを得られないまま、更に「どよん」と重たい気持ちになってしまう。
それが土屋作品だ! といってしまえばそれまでなのだが。

本作品集収録作品でいうならば、上記パターンの肌合いが私に合わないこともあって、多少変奏曲的な趣向のある作品に好印象を持った。トリックとしてはしょぼいものの、語り口と構成に工夫が感じられる『推理の花道』、更に自殺志願者二人の遭遇が悲劇を呼ぶ『愛する』。特に『愛する』における、女性の老人殺害動機(いや、老人に殺され動機があったことか)は他に類をみないものであり、トリックは無くとも十二分なサプライズを味わうことができた。

その経歴の割に寡作といわれる土屋氏だが、ただやはりキャリアの長さもあって発表された短編の量は、今や決して少なくはない。だが、それらをマニアといえど、現代読者が全て読む必要は恐らくないだろう、というのが一つの結論。長編の代表作には傑作も多く、押さえておきたい作品もそれなりにあるが、犯罪の闇を暴く視点の重さにもまた、過ぎ去りし時代ならではの価値観が見出される。


03/06/22
牧野 修「ファントム・ケーブル」(角川ホラー文庫'03)

角川ホラー文庫の十周年記念ということで2003年3月は牧野氏を筆頭に、中井拓志、伊島りすと、桐生祐狩、小林泰三、北野勇作、吉村達也……と日本ホラー小説大賞出身者を中心とした新刊ラッシュとなった。本書は、牧野氏が'01年以降に雑誌やアンソロジーに発表した作品に、書き下ろしの表題作品が加わった自選短編集。つまり、本文庫がオリジナルである。

ビラ配り、何でも屋、ビデオ店員。三人の男たちに対して携帯電話から聞こえてくる謎の声「ヒトゴロシ」。そしてその発信番号は現在使われていないのだという。彼らは高校時代に同級生で、確かにある犯罪を試みた際に一人の女子生徒を事故死させていた……。 『ファントム・ケーブル』
企画もののAVビデオの撮影。山奥の寂れた食堂に入った女優二人と監督、そして助手のヨシアキ。霊感を持つ女優はこの店に「いる」という。監督は女優二人にカメラを持たせて置き去りにするが、彼女たちが戻らない。 『ドキュメント・ロード』
いじめられっ子のサヤカはある晩、夢を見た。消防士の格好をした彼は彼女にライターを渡し、必要になったらこれを使え、といった。翌日学校で再びイジメにあったサヤカは、その晩、いじめっ子の一人、ミナヨの家の前に行き、そのライターを灯して、その炎を吹いた。ミナヨは家族もろとも焼け死んだ。 『ファイヤーマン』
体育教師が失踪した。誰も何もいわないが、その原因は私、高木智子にあると皆思っている。私の感覚は他の人とは異なる。自覚している私は好きこのんで他人とは接触しないが、一人の同級生が声を掛けてくる。私は彼を家に招き、期待に満ちた彼を家の地下にある防空壕に案内する。 『怪物癖』
バーテンをクビになった楠山は、店に来ていた客の紹介で「被験」する約束をしていた。巻上と名乗る男に連れられ病院に入った楠山はいくつかの試験を受けたあと、病院でひがな過ごすことに同意する。試験薬は貼り薬のようなものだったが、とても痒い。 『スキンダンスの階梯』
難の取り柄もない堀切は、錠前を開けることに関しては凄腕を持っていた。ピッキングに関するスクールで頭角を現し、その業界でも重鎮となった彼は、「錠前を開いて欲しい」という単純な依頼を高額の報酬で引き受けて、どこかの山奥に車で向かった。 『幻影錠』
ごく普通のサラリーマンの三沢。彼はある時から理由に全く心当たりのない悪意に晒されるようになった。車の鍵穴に埋め込まれた接着剤。家の前に放り出された動物の死体、何者かから家の窓に投じられる石。そして危険は徐々にエスカレートしていって……。 『ヨブ式』
自らの過失で乳児だった息子を踏みつぶして死なせたわたしは、錯乱状態のままその原因となった足を鉄道で切断した。妻と別れ、職を失ったわたしのもとに掛かってきた一本の電話。「天使」と名乗る人物は「真実を知るための電話番号」をわたしに告げた。 『死せるイサクを糧として』 以上八編。

この世とあの世の境に存在する闇までが狂気を孕む。牧野式電波が闇を狂わせる
今さら私が指摘するまでもなく、牧野修氏は「電波系」の人々を描写させるとめちゃくちゃに上手い。 ぶつぶつつぶやきながらそこらを歩いている、いわゆる”アブナイ人々”を、内側から(彼らの心理)でも外側から(彼らの様子)でも自由自在に描き出す。ホラーに限った話ではないだろうが、通常の作家が創った通常の作品であれば、登場人物に対して用いられるこのテクニック。”彼ら”を表現できれば、それはそれで、それなりの恐怖感を生み出すことができる。
しかし、牧野氏はその域を突き抜けてしまった。人間以外の存在、喩えていうならば「闇」そのものに対して「電波系」を施してしまった……というのが、本書における特徴ではないか。 つまり、ホラー小説というジャンルは、人の精神を闇に突き落として恐怖を与えることがその旨であり、その主体は、supernaturalな存在、化け物でも狂気でも何でも構わないが宙づりにされる感覚が求められる。そのsupernaturalな部分、牧野氏が本作にて書き上げたものは本来タダでさえ理解できない「supernaturalなそれ」に対して、夥しい電波を浴びせ、狂気を更に狂気で二乗している。 その結果として齎されるもの――は本作を読めば分かる。その対象に選ばれし、不幸にして高貴な人間は、狂気で縁取られた闇のなかへと、否応なくたたき込まれる……。
『ヨブ式』におけるごく普通のサラリーマン家庭に降りかかる徐々にエスカレートする問答無用の狂気。 『ファントム・ケーブル』にて登場人物を追い回す意味不明の存在。 いじめられっ子を助ける存在として過剰な狂気をまき散らす『ファイヤーマン』に、自分自身が既に隔絶した存在であることを自覚する『怪物癖』。なんというか、一編一編が心の襞をつかみ、ぐいぐいと心臟を引っ張っていく。ただでさえ「厭」な物語が、狂気を帯びることで、弾けた「厭」に変化していく。それでも次々に読ませるのは牧野氏なりのリーダビリティもまた存在しているから。そしてトリを務めるのが『死せるイサクを糧として』……。このやりきれなさと邪悪さの奇妙なまでのハーモニーに、心の底が痺れて麻痺していくのを実感。凄い作品である。

ホラーには伝統的なガジェットがあり、それによってもたらされる雰囲気の怖さというものがある。しかし牧野作品はその点に関して、常に新しさを求める。なので、常に尖った凶器(狂気)が物語を覆い、何が出てくるか分からないスリルをも味わわせてくれる。 牧野氏の長編も良いが、短編の方が喚起してくる「何か」が、かえって大きいように感じられる。文庫オリジナルで出たのは超お買い得。牧野氏の才能がぎっしり詰まった作品集。


03/06/21
多岐川恭「長崎で消えた女」(講談社ノベルス'88)

一時期、時代小説中心に発表を続けていた著者が、ミステリ長編の世界に戻ってきたのが'84年頃。この時期に発表されたのが本作のシリーズ前作にあたる『京都で消えた女』。本書は一応はその続編にあたる……のだが、題名こそ統一感があるものの、登場人物も設定も異なる。多岐川氏が旅情サスペンスに挑戦した、というイメージが一番相応しいように思われる。

嫌な上司・網野と衝突した結果、相手を殴り倒して会社を辞めた二本松秋彦は、その後、親戚の探偵社を引き継いで探偵となっていた。彼の許を元の会社の役員である新開が訪れる。網野が裏工作用の会社資金数億円を持ち逃げしたので内密に探し出して欲しいのだという。彼が長崎に潜伏しているという話から、秋彦は長崎市内から平戸へと消息を追う。網野の滞在している可能性のあるホテルをあたっていた彼は、謎めいた女性・藍川真奈と知り合う。彼女も知り合いから頼まれて坂井美加という人妻を捜しているのだという。坂井美加は裕福な会社員である夫のもとを離れ、知り合いの画家・篠崎と共に長崎へと駆け落ちしているらしい。秋彦は共同捜査を持ちかけるが、真奈は拒否。仕方なく地元の私立探偵を利用して捜査を進めた秋彦は、新開が与えてくれたヒントの結果、網野の居所を探り当てる。風邪で現地に来られないという新開の代わりに、網野のアパートを訪れた秋彦は、死体となった彼と対面。しかも何故か、秋彦到着を見計らったかのように警察が乗り込んできたため、秋彦はその場から逃げ出す。案の定、犯人として疑われそうになった彼は、真奈に助けを求めて彼女の住む部屋に転がり込んだ。

多岐川作品では変わりもの? 当時のノベルスの要求に従ったか、ごくごく平凡なサスペンス
同じ直木賞を受賞した皆川博子さんが告白していたが、一時期のノベルスから、「二時間で読み捨てられるような軽い内容のものを書け」(というような意)、と言われ、既に大作家であるにも関わらず、泣く泣く意に添わない作品を書いていた時期があるのだという。この『長崎で消えた女』についても、もしかするとそのような意志がどこかで働いていたのではないか――と、思わず邪推してしまいたくなる。というのは、特異な試みの目立つ多岐川恭作品群のなかにおいて、本作があまりにも”平凡な”サスペンスとなってしまっているから。
とはいっても、それなりの趣向は施されている。構成の二重構造。片方は、企業の裏金を巡っての、依頼人と探偵との虚々実々の駆け引きがあり、多岐川作品には少し珍しいアリバイトリックが仕掛けられているパート、そしてもう一方は探偵とヒロインのちょっと不思議なロマンスを絡めた、失踪人捜索のサスペンスのパート。これらが複層の構造を成しており、物語が「謎めいて」いることは確か。(但し、明確な本格ミステリ的な意味合いでの「謎」ではない)。
多岐川長編に特有のニヒリストが登場するでなく、男と女の描かれ方も平凡。ヒロインは確かに悲劇的な背景を持ってはいるものの、この程度の人物であれば多岐川氏でなくとも容易に造型が可能であろう。サスペンスにおける手掛かりの出し方には、熟練の旨みが感じられるが、めちゃくちゃに素晴らしいと感心するほどではない。シチュエーションも、確かにちょっと凝ってはいるけれど、とてもオリジナリティが高いとは言いづらい。作家としての技巧は各所に見えるものの、結局のところ、不完全燃焼しているという印象が拭えないのだ。

他の多岐川長編と比べれば、その平凡さは明らか。「……で消えた女」としてシリーズ化されており、この後に講談社文庫版も出たことから、「一般読者への受け」からか、出版社側としてもそれなりの姿勢で臨んだことは窺えるが、本作単体で考えるならば時代に埋もれていっても仕方がない。本シリーズだけで多岐川作品を判断して欲しくないなー。コンプリートを目指す人だけが読めば良い作品かな、と。