MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/07/20
五十嵐貴久「1985年の奇跡」(双葉社'03)

五十嵐貴久氏は、'02年、第二回ホラーサスペンス大賞の大賞を『リカ』にて受賞してデビュー。第二作は『交渉人』で、警察小説をベースとした迫力あるサスペンスを編み出し、新境地を拓いた。第三作目は『安政五年の大脱走』を幻冬舎より刊行。こちらは時代小説に挑戦した作品である。そして更に、書き下ろし刊行の第四長編にあたる本作では青春小説に挑戦、芸風の幅広さを見せている。

1985年の夏。都立小金井学園高等学校は、創立八年目。進学校への脱皮を狙う校長がやって来て以来、極端な管理主義が進んでいた。クラスの学力別管理、そして運動部は次々と廃部へと追い込まれる。僕こと岡村は野球部のキャプテン。とはいっても部員九名、公式戦勝利無しの弱小野球部のこと、ジャンケンに負けてなっただけのことである。狭い運動場を他の運動部との取り合いとなっており、練習はいい加減、夕方になると「夕やけニャンニャン」を見に急いで帰宅する毎日。そんなある日、中学時代の同級生、沢渡俊一が転校してきた。クラスは岡村と同じく2年F組。彼は中学時代、完全試合を何度も達成した凄腕のピッチャーで、高校野球の名門、海南高校に入学したものの、肘を壊して野球部に居辛くなって転校してきたのだという。眉目秀麗の長身で全校女生徒の注目を集める沢渡は、岡村の引きで一応、野球部に入部。ひったくりに遭った女の子を助ける事件で、彼の肘に問題がないことが発覚。沢渡は一気に小金井学園野球部のピッチャーへと祭り上げられる。更にその女の子・名門西園寺女子学院の一年生・金沢真美がマネージャーに加わるにあたって意気も上がる。その夏の大会の第一回戦、くじ運悪い小金井学園の対戦相手は、優勝候補として目される藤海学院。しかし、沢渡は藤海相手に完全試合を達成してしまう。

お約束の展開もまた良し。高校野球と青春小説はよく似合う
真っ向からの青春小説で来たな? といった作品。高校野球をメインに据えたストレートな展開。 ある意味、お約束といってもいいだろう。弱小野球部にやって来たスーパーヒーロー。そしてヒロイン。やる気のなかった主人公たちを引っ張って行く。しかし、エースにはある問題が。一転して廃部の危機……。
ちょっと他と違うのは、主人公含めベースとなる野球部員のあまりのやる気の無さ。いくら他力本願とはいえ、地区予選初勝利を挙げるなりした以上、もう少し練習すりゃいいのに、と思うのに、全く変化が見られない。何にもしないで勝手に夢を見て、いきなりその立て役者に問題があった瞬間に手の平を返す仕打ち。中盤に至るまで、読んでいて登場人物に全く感情が移入できなかった。――が、ある事件をきっかけに、秋の大会に向けて一丸となるあたりからようやく印象が変化する。エースの力を借りない自力で勝ち進んで、因縁の墨山高校との対戦に至り、これまで何気なくばらまかれていた伏線がミステリ的に回収され、ようやく気分も回復した。このあたりの散らかし方、そして回収の巧さは、五十嵐作品に共通に見られるポイントだといえよう。この手の作品にみられる、お約束の”あざとさ”を、最後に巧く利用して締めくくった感

ただ、物語構成と細かな時代背景、そして登場人物まではきっちり出来ているのに、細かな舞台設定に気になる点が散見された。例えば、管理教育を施そうとする学校が、わざわざ生徒を管理下におくことのできる部活動を潰したがるという不自然。激戦の西東京大会で完全試合や準決勝進出するようなチームに対して、マスコミが何にも動かないこと。そして、準決勝に行くまで全く学校が盛り上がらないこと……、等々、新設校であればあるほどこういったことは大騒ぎされる筈なのに、なんか学校と野球部との距離に違和感がずっとつきまとった。もう一つあることに関する扱いに偏りがあるように思うのだが、ここでは述べない。

ミステリ的な妙味を期待するというよりも、ストレートにあの頃、そして青春小説を楽しみたい方向け。
私の覚えた違和感は、恐らくは1985年にリアルタイムの高校生だったことが理由かも。どうしても彼らと自分を比較してしまうから。


03/07/19
高橋克彦「ゴッホ殺人事件(上下)」(講談社'02)

北斎殺人事件』等に登場する塔馬双太郎が探偵役として起用された長編で、初期の「浮世絵」三部作に対して、どうやら「名画」シリーズ三部作に相当する作品の第一作目にあたるのだという。'98年から'01年にかけて講談社の小冊子『IN POCKET』に連載された作品の単行本化。既に同誌では第二弾にあたる『ダ・ヴィンチ殺人事件』の連載が開始されているという。

フランス・パリで絵画の修復を仕事とする加納由梨子と、仙台で精神科医を営む加納正樹兄妹。東京で一人暮らしをしていた彼女の老母が唐突に自殺を遂げたのだという。正樹は、母の遺品のなかに貸金庫の鍵を見つける。なかに入っていたのはドイツ語で書かれたリストのようなもの。急ぎ帰国した由梨子はリストを見て、ゴッホの作品リストではないかと当たりをつけ、偶々来日中だった、知り合いのオルセー美術館の派遣員・ロベールにそのリストを見せる。由梨子の父は実はオランダ人であり、そのリストはゴッホがオランダ滞在中に残した絵画の、しかも未発見作品リストではないかという可能性が出てきた。フランスに戻った由梨子は、オルセー美術館でゴッホを専門に研究する女性学芸員・マーゴにリストを見せる。彼女はこれが、戦時中にナチスに押収された作品であり、発見されれば軽く五百億円クラスの価値があることを由梨子に伝える。事件を巡り、ナチスの亡霊を追うモサドが絡み、念願の資料を偶然入手したマーゴは「ゴッホ他殺説」を発表、一躍時の人となるが、悲劇的な死を遂げてしまう。そして暗い影が今度は由梨子を追う……。

業師・高橋克彦が贈る、壮大なスケールと緻密な考証が見事な融合を遂げた歴史ミステリ&サスペンス
上下巻、合わせて730ページに及ぶ大作。なのに全く読むテンポを落とさせない。謎に継ぐ謎、裏切り、意外な展開……とミステリのツボを押さえまくったうえに、オトナのロマンスまで加えてしまう贅沢さ。高橋克彦は本当に業師であり才人なのだな、と改めて感じさせられた。
やはり、圧倒的なのは「ゴッホの死にまつわる謎」の部分になるだろうか。美術史によれば、ゴッホは晩年暮らした田舎町で、拳銃自殺したものとされている。しかし、彼は何故か頭ではなく腹を撃ち、2日間死ねずに苦しんだ。またその時、最愛の弟で画商としてのパートナーであったテオの連絡先を告げることを頑なに拒んだという。果たして、テオとゴッホの麗しい兄弟愛は本当に存在していたのだろうか?  ――ゴッホとテオの書簡集は文献として残されており、高橋氏はこのなかから疑問点を汲み取り、登場人物のクチを語って読者に問いかける。ある仮説が浮かび、その仮定はまた別の登場人物によって否定され、新たな仮定が浮かぶ……。このあたりのやり取りのスリリングさは、さすがは「浮世絵」三部作を著した作家ならでは、というものがある。このあたりの丁寧な扱いが実に上手い。ある論理に対して、別の手掛かりをもって論理で切り返す。本格パズラーの持つ妙味をこういったかたちで体現してしまうのだから。
そして、その「ゴッホの死にまつわる謎」を扱いながら、登場人物は壮大なるサスペンスストーリーのただ中に投げ込まれる。自殺とは思えない母の死、謎のリスト、ゴッホ他殺説を打ち出した学芸員の爆死。更に事件は続き、リストのなかの作品が見え隠れするようになると、更に謎の組織が暗躍するようになる……。ここにてはじめて、名探偵・塔馬双太郎を登場させるあたりの演出は小憎らしいくらい。かといって、彼も途中参加した事件であり、更に過去の事情から愛する由梨子を守るために奔走、その推理は最後の最後に見事な着地を見せる。いや、こちらの「枠」にあたる部分も実に巧みである。こちらも、実は序盤に様々な伏線を配してあって、プロットが組み合わさって最後に「これしかない」結末に落ち着くあたり、ミステリの妙味が二重に味わえるといえよう。

読んでいるうちに「ちょっと長いかな」と漠然と思ったのだが、パリと日本と二箇所を舞台としていることまで考えると、実はほとんど無駄がないことに後で気付かされる。「ゴッホの死」そのものに全く予備知識なく読んだのだが、それでも十二分に面白い。久しぶりに読んだ高橋ミステリが、これほどにスリリングであったことに改めて気付かされる一作。


03/07/18
山田正紀「渋谷一夜物語(シブヤンナイト)」(集英社'02)

近年、書き下ろし長編作品の業績が著しい山田氏だが、実は短編にも(連作に限らず)優れた作品が多くある。本書は十年近くぶり? に刊行された本当に久しぶりのノンシリーズ短編集。(といっても私はリアルタイム読者ではないのだが) 確認しきれていないのだが、この前に出ているのは'94年の出版芸術社「山田正紀コレクション」になるように思えてならないのだが……。

相性の悪い評論家を完全犯罪で葬りさることを考えた中年作家。渋谷センター街を通り抜けようとしたところでオヤジ狩りに遭い、なぜか短編小説を語り始めることになってしまう……。 『序幕(プレリュード)』
夫との特別な関係を守るために、妻は夫の不倫相手の女性を殺害しなければならない……と思い込む。彼女が殺意を抱いた理由は、結婚指輪を購入した店で、愛人への指輪を夫が買ったこと……。 『指輪』
東京へ栄転してきた係長は、真弓がアルバイト売春をしていた時の客だった。互いに後ろ暗いことを抱えた二人は互いに牽制しあって双方の行動を更に誤解してしまい……。 『経理課心中』
独身の女性OL。実は彼女のことを慕っていたという男性が交通事故で亡くなったと後で聞かされる。その男の母親から、彼女は義理の娘になったかもしれない女性、と厚遇されるようになるのだが……。 『ホームドラマ』
妻を亡くした男が骨壺を持って妻の実家に向かう途中、疲労のあまり電車にその壺を置き忘れる。慌てて忘れ物預かり所に引き取りにいくが、そこには多くの壺が並んでいて、どれが一体妻のものなのか……。 『青い骨』
タクシーの運転手。死者の一部を「環状線」に送り届ける仕事をそれほど苦にせずこなす彼は、今日も若い女性の葬式にて彼女の死体を引き取って車に乗せる。しかし初めて厭な予感を覚えてしまう……。 『環状死号線』
子供は残酷な生き物。幼い頃から醜い容貌だった男は、その事実に気付いていた。そして彼は天啓を得て子供を屠る「魔王」となった。しかし、その死体を処理していた原生林に宅地造成されることに……。 『魔王』
荒れた生活を送るリツコは死んだ父によく似た男にコインロッカーの鍵を託される。その男がビルから飛び降りて死んだと聞いて、彼女はロッカーを開け、この世の物とは思えない何かを眼にしてしまう……。 『明日どこかで』
中年作家の犯罪計画は、ガス爆発を評論家の部屋で起こさせるというものであった。自分の仕掛けた回想に酔う間もなく、彼は若者らにこづかれ、物語を続けることになる……。 『幕間(インターリュード)』
幼い娘を公園デビューさせる必要に駆られた作家。しかし平日の昼間に公園に現れる男は、近所の奥様方に受け入れられない。寂しそうにしている子供をみて、彼は焦燥に駆られ手を打ち始めた……。 『わがデビューの頃』
外国人の多いY市。その山道では事故が多発していた。ある会社員がその事故の原因を目撃してしまう。天使のような白人少女があることをしていたがために、ドライバーはハンドルを切り損ねていたのだ……。 『天使の暴走』
数少ない趣味のバス釣りに出かけた男。最初にヒットしたのはよりによって朝のニュースで行方不明が伝えられていた汚職議員の秘書の死体であった。彼は釣り場を守るため、死体を無視しようとするが……。 『死体は逆流する』
周囲にお前ほど冷たい心を持った人間はいない……と言われ続け、家族が次々と男のもとから去っていく。幼い頃に母と姉と住んでいたアパートを訪れた男は、なぜか失踪した人々がここにいると思いこみ……。 『屍蝋』
会社の金に手を付けて失踪していた男は、交通事故にて意識不明の重体となった人物が「自分」と見なされて入院していることを知る。家族が包帯でぐるぐる巻きの男を看護する姿を見ても、彼は出ていけない……。 『さなぎ』
帯状疱疹で全身の痒みに衰弱した男。療養の為の休暇を利用して小学校の頃に暮らした地で行われる同窓会に出席しようと考える。しかしその行程で病気は男を様々に苦しめ、拒絶していた過去をも再び……。 『オクトーバーソング』
床屋で髪を刈っている男。床屋は「バーバー」そして、全世界の子供が言葉をしゃべり出す前に口から出す言葉も「バーバー」。そこに何か繋がりがあるのでは……。主人や隣席の男と話そうとするのだが……。 『バーバー バーバー』
南の島であることを研究していた男。その研究が島の人々に知られ、彼は厳しい嫌悪と軽蔑の視線に晒される。本社から彼を殺しに男が来るという噂もあって、彼の生活は荒む一方であった……。 『渇いた犬の街』
物語を語り終えた中年作家。そして夜が明けて、彼は自分の犯罪を後悔し、実行を取りやめようとする。 『終幕(ザ・カーテン・フォール)』 序幕と幕間、終幕を含む一八編。

キレ、そして輝き。頽廃と腐敗が蔓延する都市生活の闇を切り裂く、超短編集
決して明るい題材ではない。どちらかといえば、暗めの主題や陰惨な描写も多い。『異形コレクション』あたりのために書き下ろされた短編も多く含んでおり、ホラーテイストを持った作品もそれなりに並ぶ。だが――本作品集から私が受けた印象は紛れもなく宝石の輝きなのである。
ダイヤモンドが何故宝石のなかで最も高価なのか? 世界で最も硬い物質は透明で、例えば硝子の固まりだって似たようなものではないか、サファイヤやルビーといった色つきの宝石の方が珍しいのではないか……とか考えたことはないだろうか。(私は実はあるのだが) しかし、良質のダイヤモンドはそのカットと合わせて光の反射に関して素晴らしい特性を持つ。一度入った光のほとんどを再び内部からはね返して煌めくのだ。ものによれば、その宝石自体があたかも発光しているかのような輝きを持っているという。……そういったダイヤモンドの輝きと同様の輝きが、この『渋谷一夜物語』にはある
個別に作品をみると、その傾向は様々であり、容易に統一できない。SFあり、ホラーあり、ミステリあり。作品それぞれの自己主張がまた煌めきへと繋がっている。とにかく「何か」がそこにある恐怖を、すれすれのところで「描かない」ことによって強烈な本格ホラーテイストを放っている『明日どこかで』。これから先に進展しそうな科学技術によって作品世界を裏打ちし、そのうえで山田正紀らしい本格SFテイストと、虚無的な味わいを重ねた『渇いた犬の街』。その題名さえも読者を裏切る、作者自身の経験を投影したかのようなブラックユーモア『わがデビューの頃』、山田作品によく取り上げられるアイデンティティの崩壊、そしてそれが齎す眩瞑感覚が心に響く『オクトーバー・ソング』……。それぞれ粒よりであり、どこを切っても山田正紀しか打ち出せない雰囲気と叙情が醸し出されている。
個人的には「夫の不倫相手を妻が独自に殺害しようとする」というごく単純な倒叙形式を用いながら、彼女に失敗させたうえに、ある一点から取調室で幸福感に包まれる主人公の狂気が鮮やかに光るミステリ『指輪』が特に印象に残った。この『指輪』の切れ味、実に凄まじいと思うのだけれど、もしかするとあまり一般受けするものではないかもしれない。だからこそ余計に何というか、思い入れが湧いてしまう。
この題名をして「シブヤンナイト」としてしまうセンスも、またその煌めきを強調する。本家である『千夜一夜物語』=「アラビアンナイト」にて、頭に浮かぶ中東系美女と彼女の膚を飾る美しい貴金属。終わらない夜を持つ渋谷の街の人々やネオンや照明が、これらと重なって二重写しになって……。
ノンシリーズ短編集に枠を嵌めてしまい、一つの大きな物語に組み込んでしまう遊び心、更に『後書き(ザ・カーテンコール)』までをもその創作の一部にしてしまうという「芸」。物語を垂れ流しにしてしまわない、こうしたちょっとした心遣いによって、作品集の印象をより強いものに仕上げてしまう。職人芸であり、名人芸であり、天性のストーリーテラーである山田正紀の凄さを改めて感じさせてくれる。

山田正紀をずっと読んでいる人ならば、当然読むべきだろうし、最近の山田ミステリなどに嵌っている人も別側面(そして、これこそが山田正紀)を知るために読むべきだろう。これこそが、世紀末の山田正紀の集大成なのだから。


03/07/17
小森健太朗「ムガール宮の密室」(原書房本格ミステリー・リーグ'02)

これまで刊行された小森作品における一つの系譜として、古代や中世の文明・思想家等を取り上げ、その世界を書き込んでいき、その世界内部でのミステリを描き出す――というものがある。しかも、徐々に思想家寄りになりつつあるようなきらいも最近はみられるようだ。本書もそういった系譜に連なる一冊。

十七世紀中期。インド史上初めてイスラム教を国教として定めたムガール帝国の国王・シャー・ジャハンは後継者選びに頭を悩ませていた。それまでは拡大一方であったムガール帝国も、シャー・ジャハンが愛妻の王妃ムムターズを喪ってからは安定期に入り、今や彼の四人の息子たちがそれぞれ力を付けてきていた。これまでのムガール帝国は、国王の死によって王位の継承が行われると決められていたが、シャー・ジャハンは存命のうちに後継者を決めようとしていた。候補となるのは長男で穏健派のダラー、そして四男の武闘派のアウラングゼーブ。シャー・ジャハンは、変人の賢者として街で人望を集めるサルマッドという聖者にアドバイスを求めた。サルマッドは国の方向性により、二人のどちらかを選ぶよう言ったが、それとは別に、自身三男でありながら帝位についたシャー・ジャハンの二人の兄の死が、何者かによって齎されたことを指摘。またかつてのシャー・ジャハンの師であったミアン師の予言『自ら神を名乗る者が、この国を滅ぼすだろう』という警告が、いずれ実現されるであろうことをいう。

宗教紛争が重くのしかかるインド域の歴史を垣間見る。彼の国にも戦国時代があった……。
小森健太朗氏らしい、と云ってしまえばそれまでなのだが、ありとあらゆる歴史・文化・地域をその舞台として吸収してしまうミステリという土壌において、恐らく日本で初めて取り上げられるだろう時代・地域を持った作品である。中世期を描いた作品ならば、日本の戦国時代や欧州、インドが舞台背景となっていてもそれは現代といったところ止まりであったミステリに、なんと「ムガール帝国」繁栄時のインドを持ち込んでしまうのだ。
恐らくほとんどの読者にとって馴染みなど皆無……と思われるのだが、ところがどうして、意外と読みやすい。タージ・マハールを建造したシャー・ジャハンと、その四人の息子を巡る物語。それぞれ名前や地名等は史実通りであることもあってちょっと取っつきにくいが、物語としての勢いがあり、父の引退を機に息子たち同士で血で血を洗う抗争が繰り広げられるあたり、日本の戦国時代小説を読む感覚にも似て、独特の迫力を持っている。しかも、日本のそれと異なり、誰が最終的に勝利を収めるのか――という予備知識が全く働かない分、先の読めない面白さを秘めている。
但し……。やはり「本格ミステリー・リーグ」という叢書から刊行されただけに、本格推理的な興趣を問われることは仕方あるまい。その点を取り出すと、やはり多少寂しさがある。歴史の内側に無理に事件を封入したという様相となっており、確かに不可能犯罪が取り上げられているとはいえ、この部分が完全に浮き上がっているのだ。衛兵が監視しているなかでの密室殺人なので、そちらに興味がある向きは良いが、個人的にはトリックそのものにはそれほど感心せず、なぜ彼らが殺され、ある人物が疑われることになったのか……という動機の部分の方に面白さを覚えたクチ。少なくとも、手持のデータから完全な正解を読者が導くことは不可能であるし、そのトリックそのものも、どこか計画性と偶然性を同時に求めるような無理さがあるように思えるのだ。ただ、その当時の兄弟同士による謀略のなかでなら、このトリックを施す意味は確かにあり、そちらの連鎖に面白みを捉えた。そういうこと。

近年の小森作品を読まれたことがあるのであれば、本書に対する判断も付けられよう。しかし「ミステリー・リーグ」叢書の一冊としては、どこか中途半端な印象も拭えない。その意味では、多少なりともこういったインド史に興味がある方ならば、大いなる興趣を味わうことができるのだろうが……。


03/07/16
古川日出男「アラビアの夜の種族」(角川書店'01)

古川氏は'66年生まれ。'94年にゲームのノベライズ作品『砂の王』にてデビュー。'98年に『13』により一般文壇に改めて登場、この作品が5冊目の著書となる。本作は、第55回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)と、第23回日本SF大賞との史上初のW受賞を果たすなど、ミステリとSFの両面から高く評価された。

ナポレオン率いる近代軍隊が中東方面へと侵攻を企てていた。時代遅れの騎士道精神を旨とする騎士団を抱えるエジプトのカイロを支配する知事たちは、情報に疎く全くそのことを気に留めていない。知事のの一人、イスマーイールはただ一人、彼に奉仕する奴隷アイユープから得た情報から、それが大事であることに気付き、恐怖する。アイユープは主人に献策を捧げる。エジプトに伝わる、読む者を虜にし破滅に至らしめる『災厄(わざわい)の書』をナポレオンに献上しようというのだ。しかし『災厄の書』は現実にはなく、聖なる血を引く夜の種族を名乗る、唯一の語り部ズームルッドとアイユープによって、夜ごと物語が紡がれる。彼女が話し始めるのは『もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーアの契約の物語』。ここに複数の挿話が織り込まれ、一篇一篇が別の物語であるにもかかわらず、譚りが進むにつれて巨きな物語へと収斂するのだという――。一千年前、ある王家に十七歳になったばかりの大王の子アーダムがあった。彼は大層醜く一族から軽んじられていたが、大王に対し、辺境にある独立小国家ゾハルを攻略するために少人数の兵を貸して欲しいと頼む。王は驚いたが一年でゾハルを攻め取るという彼に大した期待もせず、成功したら褒賞をもって報いると約束して、彼を送り出す。アーダムは悪魔的な計画をもって、ゾハル侵入を試みる――。

真夏の夜の夢――。極上のファンタジーにしてゲーム世代の共感を呼び、そしてテキストのミステリですらある――。
『アラビアの夜の種族』。刊行されてから周囲(特に「恐怖の会」関係)では大層評判で、読まなきゃ読まなきゃと思いつつ、馴染みの薄い中東系のプロローグにびっしり活字の詰まったボリューム、これらに読む前から圧倒されてなかなか手に取れなかった。ところがところが、読み出すとこれが止まらない。 物語の体裁も、秘密の語り部が紡ぐ”物語”を主人公らが筆記するという形式となっているのだが、こちらもその聴衆の一人となってしまったかのよう。
一方で、ナポレオンの侵攻に怯えるエジプト支配者と市民の様子、そして実際に侵攻してきた彼らとの戦いにすらならない戦いが下敷きとなる現実として描かれる。それに相対するのが一晩ずつの区切りで”夜の種族”によって語られる”災厄の書”を構成するための物語になるのだが、こちらがやはりメイン。ただ、物語の枠は常に変質を孕んでおり、その不安定さ、その枠に隠された秘密によって、壮大なミステリとして読み解かれることをも本書は読者に要求している。
そのメイン。作中の聴衆を魅了して止まない、三人の卓越した能力者の物語は、本書の読者をもまた世界へと引きずり込む。そこでは、アーダム、サフィアーン、ファラー。彼らの出生、生い立ち、運命、宿命、悲願……それが丁寧に語られる。三人分の物語が一冊にまとめられているが故の、本書の文量であるともいえるだろう。そしてそれぞれが奇譚に充ち満ちており、実に興味深いのだ。細やかなエピソードを積み重ね積み重ね、悪に落ちるには落ちるだけの、善を全うするにはそれだけの、背景があり生涯がある。そして千年の時を超えての三人の邂逅、そしてそのクライマックス。周到に準備されてきたこの舞台に興奮しないわけがない。
もう一つは、様々に駆使される文体や単語の工夫にも注目したい。イスラム世界にかなりの通暁をしていないと出てこないだろう、言葉や単語の豊かさ。高貴な人々と下卑た人々、そして中庸の層との会話の使い分け。更に世界を形容する豊饒な日本語。とにかく、文章のうえでの細かな工夫が随所に為されており、その結果、物語自体に独特のリズムと世界を付与している。これこそが”作家”ならではの仕事である。壮大な物語に、決して作家の力量が力負けしていない。この点もかなり重要だろう。素直に文章を読む快感を味わわせてくれるのだ。

ちょっと脇道に逸れる。 ハイ・ファンタジーというか、剣と魔法と物語というか、いわゆるロールプレイングゲームにおける地下迷宮(ダンジョン)の成立経緯が、きっちりと最初から最後まで、細かな点まで説明できている論理。これはこれでかなり瞠目すべき事柄なのではないかと思う。なぜ迷宮が作られたのか。その迷宮が拡大するのか。なぜ迷宮にバケモノが沢山いるのか。なぜ宝物が隠されているのか。なぜそんな迷宮に住み着いて、内部で商売する人々がいるのか。なぜ強大なラスボスが存在するのか。ゲームなどにおいては疑問でも何でもなく、所与の事柄として考えられている様々な事柄について、この作品ではさりげなくも納得させられるだけの論理が組み立てられている。単に私が浅学なだけかもしれないが、ここまできっちり説明できている作品にはお目に掛かったことはない。
他、私が看過してしまったなかにもいろいろと隠喩や暗喩が隠されていそうな気がする。(再読すればまた発見もありそうだが) そして執拗なまでにこだわられる”書物”という形式には気付くことができるのだが、作者のその狙いを完全に私は理解したという自信はない。ただ、物語とは、書物とは一体人間にとって何なのか。読む側と読まれる側がどちらが主体なのか。このあたりの逆転や、入れ子構造、擬翻訳形式といった遊び心といった作者が仕掛けるぎりぎりの罠が、最終的に作品そのものを曖昧にし、読者に物語そのものを超えた謎を提供しているといえるだろう。

単純にファンタジー世界に遊ぶのも良し。圧倒的な文章の奔流に弄ばれるのも良し。読み手としての力量も問われることは間違いないが、じっくり時間をかけて読み上げることを求められている作品であり、そうすべき作品である。しかし文学としての圧倒性は認められるものの、これが文芸一般の賞ならばとにかく、推理作家協会賞というのはどうだろう、やっぱり何かちょっと違うような気もするが……。


03/07/15
北森 鴻「緋友禅 旗師・冬狐堂」(文藝春秋'03)

'97年に発表された『狐罠』は、本格・非本格を問わず高い評価を得、事実上の北森氏の出世作となった。その続編として『狐闇』が昨年刊行された。本書はそれら二作に続き、「店舗を持たない骨董品業者=旗師」である佐久間陶子が主人公を務める、初の中編集。

かつてよく競り合い、良きライバル関係だった弦海礼次郎が、人知れず萩に出向いて三月前に自殺していたことを陶子は知らされる。彼の地を訪れた陶子は、弦海は死の直前、無形文化財と指定される久賀秋霜の萩焼の遺作を壊してしまったという話を聞き、その死の裏側に何かがあったことを確信する。 『陶鬼』
アポイントなしで陶子のもとを訪れた”掘り師”は自らを”古狸”と名乗った。掘り師とは遺跡の盗掘専門の業者。彼が持ち込んできた埴輪は、陶子を魅了するだけの絶品だった。彼が伝説の掘り師・重松徳治であることを見抜いた陶子であったが、その彼は陶子に埴輪を託したまま変死してしまう。 『「永久(とわ)笑み」の少女』
銀座の画廊で偶然に陶子が出逢った緋色のタペストリー。作者の久美廉次郎によれば、友禅の糊染めの技法を使ったという。陶子は全ての作品まとめて百二十万円で買い取ったものの、一向に送られてこない。訝しんで久美の許を訪ねた陶子は、彼の腐乱死体を発見。しかし自然死として処理され事なきを得るが、作品は消えてしまっていた。そして半年後、意外なかたちで陶子は作品と再会する。 『緋友禅』
世田谷のコレクターが所蔵していた円空仏を引き取った陶子。本物かどうかの鑑定のために旧知の銘木屋である大槻のもとに持ち込んだところ、彼は奇妙な反応を見せる。その大槻が人を刺して逃走した。捜査する練馬署の根岸・四阿の両刑事からの情報によれば、事件は三十年前の円空仏の贋作事件に関係するという。北条鬼炎という彫刻師が事件の中心におり、大槻はその鬼炎と兄弟同様に育てられた過去があった。そして失踪中の大槻が、高山にて何者かに殺された。 『奇縁円空』 以上中編四編。

器物に込められた芸術。その芸術に込められた思い。受け止める陶子のこころは……
どうだろう。ある芸術家の創り上げる作品というものは、才能を使い果たして平凡に堕す場合と、時を経るごとに磨き抜かれて向上する場合と、二通りがあるのではないだろうか。北森鴻という芸術家による「冬狐堂シリーズ」という作品は、後者に近いが、さらにこれらのパターンとも趣が多少異なる印象がある。と、いうのも、作品が重なるにつれ、異なる魅力を発揮するようになっているように思うのだ。
デビュー作の『狐罠』における、真っ正面から、迫力ある女旗師の戦いぶりは、緻密でいてどこか荒削りな大胆さを感じさせた。『狐闇』、そして本作とエピソードを重ねるにつれ、彼女はどこか老獪な、まさに狐めいた沈着な策士ぶりを発揮するようになってきているように感じられる。徐々に洗練されてきている分、相手となる事件の方もまた、すらりとした凶器めいた冷たさを感じさせるものに変化していく。魑魅魍魎の蠢く骨董界の怖さ。騙し騙される日常。実際に、普通に仕事をしていても緊張と縁の切れない職業であるのに、彼女の場合は更に細い刃の先を渡っていく。この緊張。心細さ。荒事含むこの業界を、ものの見事に作品個別にではなく、シリーズ全体に北森氏は取り込んでしまった。 巧い。

旗師ならば誰でも遭遇しうる偶然に、プロとしての信念が絡むと、必然の方向性が生まれて、トラブルに成長してしまうだけのことだ。クサんだものを平気でたらい回しにすることが、「腕の良い旗師」と呼ばれる条件であったとしても、そうした輩に陶子は決して与しない
陶子はこれまでも、この作品においても多くのトラブルに巻き込まれてきた。本作においても、彼女の身内に絡む事件が多く、爽快感よりもどこか重い、考えさせられるようなエピソードが多い。だけど、一本筋が入った彼女の行動にどこか勇気づけられることも事実。 結局のところ、人間の欲の値段を付けるのが骨董業界、そういった打算のなかだからこそ、余計に佐久間陶子の人間らしさが浮かび上がっているともいえそうだ。

当然、本編単独で読んだとしても良いのだけれど、人間関係などはシリーズを引き継いでおり、できることならやはり名作『狐罠』から順に読んでいきたいところ。ミステリとしての意外性が徐々に薄まってきて、サスペンス的展開が目立つようにも思うが、それでも独特の味わいある世界を堅持しており、作品としての価値が減じてしまうようなものではないだろう。


03/07/14
広瀬 正「エロス」(集英社文庫'82)

広瀬正氏は、三度の直木賞へのノミネートをはじめ、SF界において高い実力を評価されながら'72年に早くもその生涯を閉じてしまった。その業績は'77年に河出書房より全六巻にて「広瀬正小説全集」によって一度まとめられ、その五年後、集英社文庫によってその六巻全てが再び文庫化されている。本書も直木賞候補となった作品で、発表されたのは'71年。

五十代後半の女性ジャズ歌手・橘百合子の〈歌手生活三十七周年〉リサイタルが開催された。坪川という女性記者が”もしもあのとき”という雑誌の企画の結果を彼女に告げる。百合子の場合は、「昭和九年九月二十日、映画を見に行っていなければ歌手にはなっていなかった」というもの。当時、親戚を頼って上京していた彼女は、東北ナマリにて、憧れの車掌への就職がダメになり、家事を手伝っていた。そして、市電の運転手をしていた叔父の危機に家計を助けようと、その恵まれた身体を使って給料の良いヌードモデルになることを真剣に考えていたのだった……。逡巡の結果、彼女は恩人である柚木先生と巡り会い、ナマリを含めたその声、そして音楽的な才能を見出されて歌手になることが出来た。その前後、彼女はラジオの修理に来てくれた帝大の学生に仄かな恋をしていた。電車のなかで繰り返すごく短い時間の語り合い、そしてただ一回のデートとなった音楽会――その学生・片桐はまた、彼女に恋をしていた。その片桐は、三十七年のあいだに、一時期は名声を馳せた盲目の天才科学者、だがそして、今や落魄れた一介の初老の男となっていた。交通事故が引き起こした偶然から、彼らは再び出会い、”もしもあのとき、こうしていたら”という「もう一つの過去」をそれぞれ想像する――。

広瀬正のエッセンス。ノスタルジックSF+精緻を尽くした時代検証+トドメに一撃!
「もしもあのとき、こうしていたら」――という気持ちは、誰でも後悔したり失敗したりしたときに一度は感じたことのある思いではないだろうか。現実には、過去を変えることは出来ず、結局その時選択した道を、ずっと人生として辿るしかない。だが、フィクションの世界においては、その「もう一つの未来」をパラレルワールドのかたちで、現実にすることは当然可能であり、実際、そういった試みをもった創作は既に数多く存在する。
本書も、その系譜に連なる作品だといえようが、いくつかの特徴がある。分岐点を(発表された当時の現実から)三十七年というちょっと半端な過去に持ち込んでいる点、そして、愛し合いながらも離ればなれになった二人の男女がそれぞれ交互に回想に耽ることになる点である。特に広瀬氏らしい、と思わせるのは前者。作者の知る過去に留まらず、思い切って回想部分を第二次世界大戦の開始前に持ち込んでいる。そして、その当時。つまり実際の読者にとってほとんど直接知ることのないセピア色の過去の動きを、社会・風俗・道徳・貨幣価値・家電・家庭環境……等々、日常の些末事に至るまで、実にリアルに描きだしているのだ。しかも「一生懸命調べました」といった説明勝ちな内容ではなく、実にさりげなく物語内部に当時の状況を反映させている点、巧者ぶりが窺える。
しかも、当たり前だが本書は単なる記録ではない。その過去の現実の上に男と女の物語を構築している。 ちょっとした偶然から、離ればなれになり、そのまま別々の人生を歩んだ男女の、年老いてからの再会。そして交わされる二人の温かな交情……。オトナ、それも年輪を加えた味わいのあるオトナならではのラブストーリーでもあるのだ。性急さのない、穏やかな二人のやり取りは、物語全体を暖かく包んでいる。

そして、本書は単なるパラレルワールドSF作品に留まらない。最後に明かされるある試みによって、ミステリとして読むこともできるという構造をも、また持つ。 後世の作品に比すると、北村薫の時の三部作、歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』あたりの試みに近いか。そしてこの、最後のどんでん返しは、今も、そして恐らく今後も永遠に鮮やか。 ミステリとして執筆された作品でないだけにフェアだとはさすがに言い難いが、この作者が狙った興趣は、現在華やかなりしある種のミステリの系譜に連なっている。
題名が「エロス」ではあるけれど、決してそういう小説ではない点も付け加えておきますか。


03/07/13
柄刀 一「奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人」(講談社ノベルス'02)

柄刀氏の第二長編にあたる『サタンの僧院』のあとがきにて述べられていた三部作の二作目にあたる作品。前作と作品世界を同じくし、悩める神学生だったアーサー・クレメンスは成長してバチカン直属の「奇蹟審問官」という立場となって事件に臨む。

アルゼンチンにある平凡な村、ケレス。聖なる泉や鍾乳洞に天然の祭壇があるというこの地は百六十年の昔、聖者ニコラス・エドゥアルドが奇蹟を起こした地として知られていた。この地で教会が事故で焼失するという事件が発生、しかしその火事の時間帯に教会にいる筈の十二人の人々は、それぞれが全く別々の理由で遅刻しており、全員が無事だった。人々はこれを神意の現れだと考え、彼らのことを”神の十二使徒”と呼んだ。アーサー・クレメンスはこの事件の真偽を調査するために、はるばるケレス村を訪問していたが、その直前、十二使徒の一人、オズバルド・ロサスが不可解な状況にて死亡していた。彼は密室内部で何者かに切り裂かれ、挙げ句は窓から外の川に転落、岩ごと燃え上がったのだ。現場に居合わせた精神的に不安定なマヌエル・ニカイドーが、現地警察に拘留されていたがアーサーは、事件の真相の一端を推理、彼が犯人ではないことを見抜く。しかし、続いてハンググライダーで滑空中だった十二使徒の学生が至近距離から銃で撃たれたとしか思えない状況で発見され、更に密室で別の十二使徒が殺害されるに及び、一連の事件は混迷の極みへと向かう。

奇蹟を信じるために、あらゆる虚偽を排する徹底的な探偵眼 vs 神の手の殺人者
柄刀氏の描く本格パズラー的世界は、どちらかといえばその事件の不可解さ(そして派手さ)に眼が行き勝ちになるせいもあって、あくまでその事件の演出の凄さをもって語られることが多いように感じられる。だが、改めて気付くのは、そのトリックは勿論のこと、舞台設定の巧みさも注目すべきではないだろうか、ということ。特に本書のケースでは、前作に引き続いて、キリスト教とその信仰がやはり舞台(というか前提)として重要な位置づけを占めている。確かに『サタンの僧院』にて徹底的ともいえる濃密さによって描かれた宗教論争(本作では vsグノーシス主義)という意味では比較的抑えめの表現・分量になっている。それでも”現代の十二使徒出現”という魅力的な前提条件を筆頭に、「神」が為したとしか思えないという事件そのもの、そして最大のポイントとして犯罪者の動機、それぞれに恐るべき宗教的意図が隠されている。 こういった「事象」と「宗教」との対比は、本格ミステリの主題としても比較的相性の良いものではあり、いわゆる新本格ミステリの系譜においてもいくつもの名作が挙げられるが、柄刀氏はそれを真っ正面から徹底的に押し進め、そういった名作に比肩するだけのミステリを創り上げている。
もちろん、一連の不可能犯罪の多彩さを真正面から捉えても、特筆すべきボリュームと質を誇っている。誰もいない部屋のなかで格闘した挙げ句に胸を切り裂かれ、転落炎上する死体。空中にいるのに至近距離で撃たれたとしか考えられない死体。完全なる密室のなかで斧の刃ではなく、柄の方で殴り殺されている死体。そして、アーサーの目の前、誰もいない部屋のなかで首を絞められる痕跡を進行形で浮かび上がらせ殺される死体。更に、この四つの事件に加え、遺体が全て奇妙な状況で消失してしまう不思議。事件の当事者であるアーサーでさえも煙に巻かれていく奇怪現象の数々は、絢爛豪華なトリック図鑑ともいえる。
事件を羅列するだけで、十二分に(ミステリとして)華やかであるといえよう。ただ、ちょっと事件が複雑に過ぎるきらいもあり、作者から与えられている手がかりだけで解き明かすには、多少特殊な科学的・医学的知識も必要となる。このあたりは科学系ミステリを得意とする柄刀氏ならではの作風として捉えるべきなのだろう。
また、犯人も意外性が大きいし(まさかあんなところであんなことしている人間が実は真犯人だったなんて!)、その動機の奇妙な説得性にも舌を巻く。キリスト教ならではの宗教観は確かに根底に存在するのだろうが、現実感の喪失を動機の一つに挙げる犯人の姿は、普遍的な人間像(但し特殊な環境下の思いではあろうが)にきっちり還元される

前作に引き続いて読んだ方が良いことは間違いないが、本作だけで十分に「本格パズラー」の妙味は味わえる。ただ、不可能犯罪+その解決だけで本書を語るのは勿体ない。 どうせなら、宗教的な背景まで含めて味読したいものである。キリスト教的な背景が、日本人にしっくりこないという問題が多少存在するにしろ、本格ミステリファンならばこれらトリックに挑戦する価値、そして動機に驚愕する価値がある。


03/07/12
西澤保彦「笑う怪獣 ミステリ劇場」(新潮社'03)

西澤氏が『小説新潮』誌に'98年より'02年にかけて散発的に発表していた「怪獣」シリーズに、'02年に刊行された『大密室』に所収された「怪獣は密室に踊る」が加えられ、連作短編集としてまとめられた作品集。 購入した人が「喜国雅彦さんの新刊かと思った」という程、どんぴしゃ物語に嵌った表紙絵&イラストが抜群。(カバーを外すと、第一話の様子がよく分かる見取り図まである!)

主人公アタル、アパレルメーカー経営の青年実業家・京介、役所勤めの正統派美少女オタク・正太郎は、腐れ縁の独身三人組。ヒマさえあれば女性のナンパに励むが、成功しそうになるたびに彼らには、超常現象が襲いかかってきて……。
海水浴場で三人組がナンパ。首尾良く京介のクルーザーで無人島に向かうが、そこに現れたのは体長七、八十メートルはあろうかという怪獣だった。怪獣は彼らに危害を加える様子はなかったが、その夜から彼らは一人ずつ遺留品を残し、姿を消す。果たして誰が? 『怪獣は孤島に笑う』
京介が購入した別荘の隣の敷地は女優・真城ヒサコが所有? 事故を装ってその別荘を訪れた彼らは、真城の他にも女優仲間が来ているのをみて興奮。しかし、そこに突如怪獣が現れて……。 『怪獣は高原を転ぶ』
クリスマス・イブ。彼女のいない三人組は、食事をしたいという美少女と知り合う。しかし、彼女は常識はずれの大食い女であった。高級土佐料理を何十人前と平らげた挙げ句……。 『聖夜の宇宙人』
巷が誘拐事件で大騒ぎしている頃、何と正太郎に彼女が出来たらしいという話で盛り上がるアタルと京介。しかしその彼女、美女ではあるが様子がおかしい。焼き肉屋で大量のホルモンを食べさせられている彼は人相まで変わっていて……。 『通りすがりの改造人間』
美女と電撃結婚してしまった京介。やっかむアタルと正太郎のもとに彼から助けを求めるTELが入る。その美女に関わりのありそうなヤバそうな男数人に自室に監禁され、もうすぐ爆殺されるのだという。 『怪獣は密室に踊る』
書店アルバイトの外国人女性に一目惚れしてしまったアタル。毎日のように本を買いに出向き、遂には彼女とデートすることに成功。次回はプロポーズ……と気合いを入れるアタルだったが。 『書店、ときどき怪人』
「今日晴れてさえいれば、いや、せめて雨さえ降っていなければ」殺された女子高生の幽霊が体験した殺人事件の謎を、炬燵に入って解き明かそうとする三人組。 『女子高生幽霊綺譚』 以上七編。

西澤保彦が放つ、魔の変化球。三振? フォアボール? それともこれは、ボーク?
、チョーモンインシリーズの第一作『幻惑密室』を発表した際、西澤氏はあとがきにて同シリーズの成立経緯を清水義範氏の「幻想探偵社」シリーズにインスパイアされたものだと述べている。キャラクタという意味ではチョーモンインは見事に(もしかすると作者の想像以上に)成功してしまったが、世界という意味では「幻想探偵社」から多少外れてしまったのではないか、というきらいがある。今回のこの「怪獣」シリーズの位置づけは「世界」の方で、「西澤氏がやりたかったこと」を補完する意味合いがあるのではないかと想像してしまった。
西澤保彦=世界観こそSFが入ったとしても、少なくともその解決は論理で割り切る――、というのが、これまでの常識。つまり、これまでの作品であれば、怪獣が出てこようと宇宙人が現れようと、その世界内部でロジカルなミステリが形作られていたわけだ。しかし本作、冒頭『怪獣は孤島に笑う』で、シリーズ初体験の読者は、少なくとも足下を大きく掬われることになる。論理はある。あるのだが、説得力のある論理ではなく、強引に過ぎる論理。すさまじい飛躍。笑う以外の反応が許されないくらいの。
 ……とはいっても、そういう脱力系の作品ばかりではなく、『怪獣は密室に踊る』などは同時進行形式で犯人が仕掛けた罠を見破るタイプの不思議な本格だし、『女子高生幽霊綺譚』は、『九マイルは遠すぎる』にも似た、犯人の残した言葉から実行犯を推理するという安楽椅子探偵ものとして一定レベル以上の水準作だといえそう。『通りすがりの改造人間』も、めちゃくちゃながら最終的には意外な人物の意外な犯罪を暴き出しているし、その意味では『怪獣は高原を転ぶ』も、後推理のかたちで(怪獣の登場によって)実行できなかった犯罪計画が浮かび上がるという寸法であり、西澤短編らしいダークな雰囲気を後から味わうことが出来る。
結局、問題は『聖夜の宇宙人』『書店、ときどき怪人』あたりの弾けっぷりが、変化球多い西澤作品においての”消える魔球”格の凄まじさを有しているということ。 『両性具有迷宮』にも登場した宇宙人がひどい目に遭う『聖夜…』、書店員の野暮ったい服装が実は伏線だったという『書店…』も、個人的には面白かった。ただ、西澤ロジックのない(ないしは極端に少ない)西澤作品なので、従来からのファンの評価は分かれよう。

本作にミステリを期待してはならない……。 というか、恐らく西澤氏はこれまで氏の作品最大の特徴ともいえた、「論理のくびき」から離れたところにも、一つ落ち着ける世界を打ち立てたかったのではないだろうか。だから、収録作品のほとんどにおいて、論理はあるとはいっても、「まぁそういう仮説も成り立ちますかな」という(実際の論理がどうあれ)軽さも秘めており、奇妙なユーモア感覚が先に立ってしまっている。そして。でも、叫んでおこう。
 私はこの作品が好きだーーーっ!
 ただ、帯に謳われている「本格特撮ミステリ小説」というのはちょっと違うと思う。
読めば読む程、喜国さんのマンガにおける作品世界と繋がっているような錯覚にも囚われる。美女だしフェチだし、男たちがアホだし。なんというかノリが『日本一の男の魂』と近いように感じられてしょうがない。いっそのこと「西澤保彦・原作/喜国雅彦・画」というのでこの作品を読んでみたいような。


03/07/11
東雅夫(編)「ホラー・ジャパネスクを語る」(双葉社'03)

ホラー評論家にしてアンソロジストである東雅夫氏によるインタビュー集。元もと、同朋舎の編集者であり『ホラー作家の棲む家』などの作品をも発表した三津田信三氏が企画した座談本が、同社の新刊書籍の出版活動の停止と同時に頓挫しかかっていたものが、双葉社によって復活した……という経緯にて刊行された本。その三津田信三氏が場を取り持ち、東氏と各作家との対談によって構成されている。

「ホラー・ジャパネスク」という言葉は、一九九四年『幻想文学』41号にて、現代日本ホラーを特集した際に東氏によって作られた造語である。九三年から九四年にかけて相次いで実力ある女性作家により、単なる「日本風ホラー」の枠を超える、日本の土壌にしっかりと根を生やしたホラー作品が発表された。板東眞砂子、篠田節子、皆川博子、小池真理子、森真沙子……彼女らに加え、小野不由美が『東亰異聞』を、そして宮部みゆきが『幻色江戸ごよみ』を発表、そして九四年は京極夏彦が『姑獲鳥の夏』を発表した年でもあり、加門七海も『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』からなるセンセーショナルな二部作を発表した。これらの動きのなかにあった「日本固有の恐怖や神秘の世界に深く魅せられ、それを創作の糧として、新たなる「伝奇と怪異」の文学を生みだそうとする作家たちの動向」を捉え、東氏は「ホラー・ジャパネスク」と名付けた――

本作は、それら「ホラー・ジャパネスク」を担う以下作家たちへの東氏のインタビューと評論からなる一冊。
江戸怪談とホラー小説原体験を語る ――「宮部みゆき」
都市崩壊の怪奇幻想譚を夢想して ――「津原泰水」
脳内岡山界でのホラー小説を書く ――「岩井志麻子」
虚構の中に真実の「怪」を紡ぐ ――「福澤徹三」
オカルトを巡って、言霊に導かれて ――「加門七海」
幽霊小説と日本「怪」文化を語る ――「京極夏彦」
ホラー・ジャパネスクの時代(評論) ――「東雅夫」

この十年、日本のホラー小説界にて胎動を続けるムーブメントを検証、その本質を(面白く、楽しく)探っていく試み
私が自覚的に国産ホラー小説を読み出したのは、恥ずかしながらこの「ホラー・ジャパネスク」という動きが胎動し始めた後のことになる。それまでも読むには読んでいたが、話題作が多くあくまでエンターテインメント小説の一部として拾い読みするといったニュアンスが強かったといっていいだろう。従って、一部本格ミステリ等でも同じことがいわれるように「ホラー小説に対する飢餓感」といった思いはなく、気付いた頃には多くのホラー小説が出版されている状況にあった。つまり、私などは「ホラー・ジャパネスク」を原点とする読者なのかもしれない。
「ホラー・ジャパネスク」――とは、先に記した通り、日本固有の恐怖や神秘を主題にした作品である。当たり前といえば当たり前――の筈なのだが、実はこれが今まで「自覚的」に為されていたとはいえなかった、と。こうい状況に至った歴史的な経緯や、創作活動におけるムーブメントといった実際の動きが、複数作家のインタビューを通じて見えてくるという仕掛け。
日本における怪談の歴史をピックアップする作業が意外と目立っており、更に伝奇小説のブームを振り返り、改めて日本のホラー小説=怪談の奥深さに嘆息してみたり。また、ちょっとした受け答えのなかにも「はっ」とさせられるコメントがしばしば見られ、創作を目指す者でなくともいろいろと考えさせられる点が多くあるのも本作の特徴だといえよう。備忘録代わりに個人的な「はっ」を記しておくとこんな感じ。
・ミステリのルーツは結局海外ということになるが、怪談は日本オリジナルに遡れる。
・泣ける話を書くのは簡単。笑わせる話を書くのは少し難しい。そして怖がらせる話を書くのは凄く難しい。
・『リング』の持つ怖さの理由。

インタビュー全体を俯瞰した印象では、どちらかといえば(その多才さゆえに)「ホラー」のジャンルだけに括られにくい宮部みゆき、京極夏彦の両氏が、却ってもっとも「ホラー・ジャパネスク」を意識的に体現しようとしているように見受けられた。また、加門七海は意識する以前に体質が「ホラー・ジャパネスク」的存在である印象。津原泰水と福澤徹三の両氏については、どちらかといえば創作論的に話が飛んでしまい「ホラー・ジャパネスク」に限らず、その一つ上のステージでの話になってしまっている。そして岩井志麻子の場合、これはもう脳内岡山界であり、作品と著者とのキャラクターのギャップが激しく、その渦にインタビュアーまで巻き込まれてしまっているような。(飲み会で御一緒したこともありますし、雰囲気はよく分かるんですが) 

先に刊行されているホラー作家に対する東氏のインタビュー本『ホラーを書く!』(実はインタビュー対象が本書と一人として一致しておらず、相互補完の関係にあるものと思われる) とは元もとの狙いも異なることもあって、 多少分析的にどうしても対象を読んでしまう私のような読者にとっては本書はツボ。 ただ、ある程度、インタビューされている作家の作品を読んでいないことには、本書だけを読んでもそのムーブメントそのものだけを都合良く実感する、ということはないのではないか。ただ、このジャンルに興味があって次なる読書のネタを探されている方にとっては、東氏の評論を含め、緩めのガイド本としても機能するかも。