MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/07/31
小路幸也「空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction」(講談社'03)

第29回メフィスト賞受賞作にして小路幸也さんのデビュー作品。北海道の旭川市にあるパルプ町のかつての姿を舞台にしたファンタジー。(製紙会社も気になって調べたら、どうやらN本製紙のようだ)。

飲み会から帰ってきたぼくを待ち受けていたのは泣きはらしたような眼をした妻の美佳と、捨てられた子犬のような顔をした、小学校四年生の息子・彰。彰は人の顔が〈のっぺらぼう〉に見えるのだという。ぼくは、二十年前に別れたきり一度も会っていない兄のことを思い出す。兄は姿を消す前に言った。「いつか、お前の周りで、誰かが〈のっぺらぼう〉を見るようになったら呼んでほしい」と。 兄はすぐに来てくれた。兄は、ぼくらが生まれたカタカナの町での出来事を語り始めた。製紙工場を中心とし、その社宅によって構成された独立した町。それがパルプ町。のどかな時代。兄が小学生の頃、町は遊び場に満ちていた。兄は小学校五年生の頃、高熱で寝込み、気づくと周囲の人々が〈のっぺらぼう〉となっていた。そのことをひた隠しにして生活をする。その夏、兄たちの間で噂になっていた”赤いノート”が同級生のアサミが持ってきた文具のなかにあり、それをヤスッパが自分の鞄の中に入れる。そしてなぜか、そのままヤスッパは町からいなくなってしまった。また同じ日には、町の中の六角交番勤務で、兄たちにも慕われていた警察官・サンタさんが拳銃自殺をした。実は兄はその現場を目撃しており、その脇には白いシャツの男がいたことを目撃する。しかし兄から見える人物は〈のっぺらぼう〉であり、その白いシャツの男が何者なのかは分からない。更に町では奇妙な事件が勃発し、事故や病気で亡くなる人が急増していった。

語られないことによるイメージの膨らみ。大人向けのジュヴナイル・ファンタジーの強みが具現
最初に感じたのは、こりゃスティーブン・キングの描く少年たちの物語だよなあ……という印象。しかしそれをダブらせているうちに、どこか徐々にずれてきた。これはやっぱり日本。しかも、テレビゲームもビデオもない時代の日本。外で遊ぶことが基本だった時代の子供だからこそ、味わう気持ちや体験が物語の核となっているのではないか。そういった環境下で生まれる子供同士の固い友情。更には未知なるものへの不安。これは、強いていうならば、天沢退次郎「オレンジ党シリーズ」の再来? に近いように思うのだ。特に最近増えてきているとも思わないけれど、ジュヴナイル・ファンタジー・ジャパネスクみたいな味わいがある(これはもちろん、東雅夫さん提唱の「ホラー・ジャパネスク」のもじりだけど)
この作品、メフィスト賞であるからには当然、大人向け、そしてそのノスタルジーとファンタジーのミクスチュア、そしてその世界の内部だからこそ際立つ家族愛・友情といった愛と正義といったあたりが作者の狙いではないかと思う。また、主人公の兄が”あの頃を懐かしがって語る”という切り口によって、当時の思い出や子供同士の友情が、”美化”されている点も巧い。伝奇や時代といった手段を使わず、(恐らく高度成長期の日本特有の)子供の世界を使うことによって、読者各人の想像力にて物語を膨らませる手法を用いている。ただ、どうなのだろう。読者によって、本書の受け取り方は相当に変化するように思える。 小路氏と同世代(±十年)くらいの読者に受ける一方で、若い世代にこの時代の実感が湧くのかどうか。大胆なことをいえば、大人のノスタルジーを喚起するだけでなく、思いっきり今の小中学生向けにこの作品をぶつけるのも一興ではなかったか。(セールスは望めないかもしれないにしろ)
顔が〈のっぺらぼう〉に見える秘密というのは、私好み。ただ、この点こそが既に色々な読書体験を積んでいる大人にとっては、まさに好みによって評価が分かれてしまうように感じられる。なので繰り返しになるが、敢えてまだ常識や好みに染まっていない子供たちに、この本を読ませてみたくなるのだ。読書の面白さに嵌るきっかけというのは、完全に理に落ちる話を常に読むことよりも「少々理解できない」部分があってこそ、のところもあるのではないか。

子供のあの頃に感じた楽しさ・喜び・嬉しさ・悲しみ・不安……といったあらゆる喜怒哀楽の感情が作品から滲み出ている。もしかすると、それらによって”それぞれにとってのあの時代”を喚起することが本書の最大の特徴なのかもしれない。本シリーズは続刊が出るとのことなのだが、個人的には、様々なエピソードを「理」に無理に落とさず、分からないものは分からないまま、この世界を膨らませていって欲しいように思う。あと物語そのものもパルプ町から外には出して欲しくないかも。


03/07/30
倉阪鬼一郎「泉」(白泉社'02)

中編で刊行された作品を除けば、倉阪氏の十三冊目にあたる長編。書き下ろし。しかし、白泉社で刊行して「泉」とはその段階で既に何らかの狙いがあったのか。学園ホラーとか、若手ホラー作家とか帯にあるのだが、倉阪氏は怪奇小説作家ではあっておホラー作家じゃなかったと思ったのだが……。

桜桃大学文学部の二年生・弓田泉は、大学の文芸サークルである”リテラリー倶楽部”に所属していた。泉はある時期から、〈あれ〉を目撃するようになっていた。まずは気配。そして背後に薄い人が立つ。白い紙のような人形(ひとがた)。一時、〈あれ〉は彼女から消えていたのだが、大学入学後、感じなくなっていたその気配を最近また感じるようになってきていた。そのリテラリー倶楽部と、同じ大学にある怪奇クラブとの合同イベントとして本郷の旅館で泊まり込みで「百物語」のイベントを実施することになった。泉が思いを寄せる倶楽部代表の秋月をはじめ、部員たちは盛り上がりながら正式な「百物語」の作法を再現しようとする。北千住の旧家出身である泉は、実家から由緒ある短刀を持ち込んだ。その百物語が惨劇の幕開けとなることには、まだ部員の誰もが気づいていなかった。一方、彫刻家の外水黄泉彦はある彫刻を手にして悩んでいた。民芸品のようなどこにでもある稚拙な彫刻。なのにそのなかには確かに闇が込められている。それを手にした外水は衝動に駆られるように自らの身体を切り刻むようになる……。

溢れるホラーのガジェットが物語にすんなり溶け込み、倉阪ホラーでありつつ口当たりが良好
これまでの倉阪ホラー長編には独特の弱点があったように思う。顕著なのは、雰囲気抜群の序盤の緊張感が、後半の怒濤の展開によって途切れてしまうことが一つ。そして、知悉するホラーのガジェットを作品内部に取り込み過ぎて一つ一つの意味合いが薄れてしまうこと。それはそれで「味わい」としての意味もあるのだが、倉阪氏が短編で読者を魅せる強烈な切れ味が、長編では構造的に薄れてしまっているのは、正直多少残念な点でもあった。
しかし、本作はその冗長さを内包しつつも克服し、引き締まった長編となっているように思う。序盤に取り交わされるエピソードを不吉を感じさせるものに留め、一種の短編の集合体である「百物語」を中心に持ってきたのが、良い。一つ一つの物語の怖さはそれほどでもないものの、そこに伏線があること、そして徐々に更けていく怪談の夜の雰囲気が絶妙に表現されており、読者も共にカタルシスを待ち望むようになってしまう。本書を読んだ後に、実際に「百物語」を実行してみよう、という剛胆な人はそういないのではないか。物語を語り終えた後、別室に行き鏡を覗く。その時視えたものを他人に語ってはならない……。このあたりのシチュエーション、むちゃくちゃ怖いんですが。
また「百物語」にて発生した事件が控えめ(とはいっても人は死ぬが)にされているのも好印象。この結果、後半の邪教のパートまで緊張感が維持されている。学生一人一人の描写も、それらしく出来ており、ちょこっと恋愛パートを絡ませるなど、学園を舞台にした必然性も感じられる。実験作ではないが、倉阪作品の怖さがきっちり表現されており、結末の余韻も(怪奇小説として)綺麗に閉じてある。ミステリ的な裏切りはないまま、静かに静かに幕を閉じていく手法が特に味わい深い。倉阪長編に対して今後、真っ向から取り組んで行こう、という方のための入り口として勧められる作品。 これまで読んできたけれど、あまり合わない……という方でも、改めて本書は手にとってみて欲しい。

百物語のなかで語られるあるエピソードは、私が参加していた頃の幻想的掲示板オフ「恐怖の会」で実話として披瀝されたお話。これは倉阪さんが自ら語った話だったか。また、百物語の舞台となる「本郷の旅館」は、MYSCONやSFセミナーで使われるあのあたりの旅館群の雰囲気が抜群に出ており、そういった意味でも興味深いかも。


03/07/29
楠木誠一郎「探偵作家 江戸川乱歩の事件簿――ミイラと旅する男」(実業之日本社JOY NOVELS'01)

楠木氏は'60年生まれ。大学卒業後、歴史雑誌編集に携わり、歴史雑学系の著書を刊行。'96年に『十二階の柩』にて小説デビュー。以降、歴史人物を名探偵に据えた独自のミステリーの刊行を続けている。'99年『名探偵夏目漱石の事件簿』が第8回日本文芸家クラブ大賞を受賞。本書は乱歩を探偵役に登用したシリーズで、続編が刊行されている。

昭和三年。横溝正史が『新青年』の編集長として働きだして一年。彼は何とか乱歩を文壇に引き戻したいと心を砕いていた。丁度この頃、新聞連載した『一寸法師』を愚作と思い込んだ乱歩は持ち前の放浪癖を発揮し、各社への執筆が滞っている時期にあった。折しも帝室博物館にて奇妙な事件が発生しており、正史は乱歩にこの事件の解決を推理してもらって『新青年』に記事として掲載しようと考える。その事件とは「怪盗ゲーリック」なる人物が、東京帝室博物館にて公開が開始される、メキシコのミイラを盗み出すという予告状が警視庁に届けられていたのだ。警視庁の特別捜査課の恩田、そしてその部下の三宅らが警戒するなか、ミイラの入った硝子ケースの白布が取り除けられる。中にはミイラがないだけでなく、女性の首無し死体が入れられていた! 更に二週間後、事件の解決を乱歩に無理に頼んだ正史は、博物館での待ち合わせ前に東京博覧会を見学していたところ、衣装を着せたマネキンの首が、女性の死体のものと取替られていたという現場に出くわす。博物館でミイラを担当していた学芸員が行方不明となっており、事件と関係があるものと見られていたが……。

多くの主題を取り込もうとしすぎたか。あくまで現代人感覚の歴史ミステリー
あえて”歴史ミステリ”ではなく”歴史ミステリー”と音引きにて表現してみた。歴史の謎を改めて新解釈にて解くでもなく、舞台を利用して本格ミステリを描き出すでもなく、乱歩の生き様の真相に迫るでもなく、昭和初期の猟奇事件の狂気を再現するでもなく。確かにミステリとしての形式を取ってはいるのだが、その作者のやりたかったことが見えてこないのだ。強いていえば、様々なことをやろうとし過ぎたがために、作品として中途半端になってしまっているのでは、という疑念が湧いた。
歴史ものを多く手がけている著者にとって、この時代を描き出すことそのものは難しいことではないのだろう。確かに、時代としての昭和三年は確かに物語内部に存在している。風俗や事件といった考証も、恐らくしっかりされていると思われる。ただ、名作と呼ばれる歴史ミステリにて感じさせられる「その時代を知らない我々さえ感じる懐かしさ」を表現するには至っていない。現代人の感覚・思考・行動を持ち込み、それを昭和三年に翻訳したような印象なのだ。登場する乱歩や正史ほか、警察の面々に至るまで、現代小説的であり、我々にも読みやすい分、印象に残りにくい。
一方、序盤から猟奇的な雰囲気は抜群に出ている。ミイラと女性死体を入れ替えたり、マネキンの首を生首と入れ替えたりといった、猟奇的で魅力的なスタート。続いて鍾乳洞から腐乱死体までもが次々と登場する展開。しかし、この残酷さをミステリとしてみた場合の、回収方法にも不満は残る。これらの行動の意味が、死体を目立たせたかったのと、犯人にサディスティックな趣味があった、というだけでは、蓋然性はあっても論理があるとはいえないだろう。また事件の解決にしても、乱歩ならではの発想や知識が活かされているわけでもなく、名前だけ借りてきました……という印象も拭えない。本格ミステリの指向がない……にしても、なんというか中途半端な気がしてならない。怪盗ゲーリックというネーミングにしても「アイルランドが絡むのか?」とか深読みしてしまい、かえって虚しくなった。

乱歩が主人公にして探偵役ということで興味を持って手にとってみたが、正直、私には評価し辛い作品であった。文章と歴史に関する事項がしっかりしている以上、ノベルスとして二時間読み捨て、ということであれば及第点なのであろうが、名作ミステリとして読み継がれるべき……という程の際立った特徴は、私の価値基準において琴線に触れるものは、残念ながら見あたらない。


03/07/28
海渡英祐「閉塞回路」(集英社文庫'81)

'76年に立風書房から刊行された作品集が元版の短編集。自作のうち”アリバイもの”のみを六編集めて短編集をつくり、更にそれに自作解題をそれぞれに付ける……という、当時としては非常に珍しい体裁となっている。

海外赴任中に恋人を奪った友人・倉本昭二と再会した私は、彼とゴルフの勝負をすることになる。倉本は女癖が悪く、また彼の一族は財産問題で揉めていた。かつての恋人とゴルフツアーで再会した私はその倉本がゴルフのプレイ中に殺害される事件に巻き込まれた。 『帰らざる彼』
警察に飛び込んできた岩村隆夫。彼は子供の頃から憎い相手を夢の中で殺害すると、それが現実になるのだと主張する。彼は恋人を奪った社長の下で働いていたが、その社長を殺してしまいそうだといい、事実その晩、社長が何者かに殺害された。 『殺人超能力』
テレビ番組の”御対面”にてタレントの緒方久子が取り上げられることになった。彼女は担当の坂本に幼なじみを捜して欲しいと依頼する。しかし探し当てられた彼は迷惑そう。しかも取材から急に帰京した坂本は、その人物を羽田で見かける。 『偽りの再会』
推理小説誌が賞の佳作原稿を掲載したところ、実際の事件を元にした作品であることが判明。作者は雲隠れし、雑誌の担当者は右往左往する。しかしクレームを付けてきた男が、担当者を呼びだしたかと思うと変死しているのが発見された。 『紅の襞』
人妻が夫の外出中に殺された。夫は元恋人と不倫中であり、その女性・小村美枝子の持ち物が現場にあったことから犯人と断定する。彼女は死亡推定時刻は酔って記憶がないといい、更に殺人計画が記された原稿が彼女の部屋から発見される。 『「わたくし」は犯人』
かつて不倫していた妻を自らの手で殺害した男・田所。事件は偶然のアリバイにより彼が犯人だとは判明しなかった。しかし仲間何人かと飲んで酔いつぶれた田所は、見知らぬアパートで目を覚まし、傍らには首にストッキングを巻き付けた女性死体が。 『閉塞回路』 以上六編、それぞれに自作解題する「Note」がある。

作品集がそのまま評論集? 小説技巧と創作の裏話と海渡英祐のミステリ観が渾然一体となって”芸”を為す
普通、推理小説作家が自作に関し、わざわざ読者に補足して説明をするような真似はしないもの。
本書は海渡英佑の本格推理短編のなかで、アリバイものだけをわざわざ集めた作品集。しかし、その主題の説明のみならず、その各編について「Note」として、作者自身が解説を付けている。こういうやり方は鼻持ちならないと感じられる方もあるだろうが、本作から受ける印象は、そういった作品にありがちな自己陶酔がなく非常に冷静な分析を伴っており、そういった先入観は覆される。むしろ、この短編集一冊が評論と実作とが入り交じった、海渡氏の「方法論」そのものが独得の面白みを醸し出しているといえる。
先にNoteを取り上げるべきだろうか。海渡氏のアリバイというトリックに対する考え方がいろいろ分かる。乱歩の類別トリック集成を引いたり、古今の名作を取り上げてそれらに対する感想を述べその枠組みに入らない作品をいかに編み出すか……といったところに心を砕いている点が、まず嬉しい。加えて、実は海渡氏は都筑道夫が唱えた「トリックよりもロジック」を実地に創作に応用していた作家であったということも解る。先に奇妙なシチュエーションを案出して、それに沿ったトリックをプロットにても納得させられるように編み出していくというのだ。その方法論が、実際に六つの短編にて実証され ているという仕掛け。評論がより面白く、また短編がまた深く味わえるという見事な相乗効果を発揮している。
一方、収録作品の方、これもトリックを単に使うだけでなくエクスギューズが付くことによって面白くなる。いわゆる犯人の現場不在証明を崩すだけのアリバイトリックでは飽きたらず、必ず何らかの付加価値を加えている。アリバイそのものをトリックにしたり、アリバイトリックを二重のアリバイに利用したり。その詳細な中身は本作を是非御覧になって欲しいところ。現代のスレた本格ミステリファンであっても満足できるだけの内容となっている。特に小説内小説を利用して独得の雰囲気にて読者を惑わす『「わたくし」は犯人』は、本作収録作品の中でも、まとまりといい、その狙いといい屈指の傑作といえるだろう。

難解な用語を駆使して、とにかく表現したいことを正確に伝えようとする評論も存在するのは構わない。しかし、実作者が考えるミステリやトリックのアイデア・分析の結果を作品にして「どうだ!」と打ち出す、この作品集のようなやり方は、そういった平凡な評論を圧倒する力を持つ。この作品集が刊行されたのも、都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか?』だとか、佐野洋が『推理日記』を発表したりしていた、当時のムーブメントに乗っていたものなのかもしれない。


03/07/27
鯨統一郎「とんち探偵一休さん 謎解き道中」(祥伝社NON NOVEL'03)

前作にあたる『とんち探偵一休さん 金閣寺に密室』は長編作品だったが、本書は、同じ一休さんとその仲間たちが登場しつつも、鯨氏お得意の(同一パターン)連作短編集形式に枠組みが変更されたシリーズ二冊目。しかし、今年に入ってからの鯨氏の刊行ペースには目覚ましいものがある。

建仁寺の小坊主・一休、京都の検使官・蜷川新右衛門は、自分の両親を捜す旅に出た茜と同道していた。茜の父親は猿使い、母親はアルキ巫女。その二人の噂を追って、飛び込んでくる謎を解き明かしながら、日本を縦断していく。果たして両親と茜は出会うことができるのか。
代官の娘を巡って二人の剣士が秘密で試合を行った。樋上という侍が勝利したというものの、相手の黒川の死体からは首が喪われていた。 『難波・明の景色』
一夜の宿をとった永善寺の住職が祈祷のために堂に籠もったまま出てこない。頑丈な堂を破るとなかで首を括った住職の死体が発見された。 『大和・栗鼠の長屋』
山村に住み着き、地震を予言して生き神と崇められている お鷹という女性。村の男が妖艶な彼女に骨抜きにされ女房は寺に助けを求める。 『伊勢・魔除けの札』
一夜の宿を空き家に求めた一行。白壁の家と黒壁の家があり、白壁の家に泊まった翌朝、気付くと黒壁の家が一夜にして消え失せていた。 『尾張・鬼の棲み家』
地元の分限者の内儀が密室の堂の中で死亡した。その理由探しを頼まれた一行は、その分限者に別の愛人がいたことを突き止めるが。 『駿河・広い庭』
一夜を過ごした翌朝、海岸沿いにあった一軒の家が消えて無くなっていた。そこに住む女房が家のみならず亭主も消えたと困惑して相談を。 『伊豆・鰻の寝床』
穏健な地主が亡くなったところ、真面目な跡取りの、双子の弟が放蕩の旅から戻ってきた。その弟は事故死するが、今度は兄の様子がおかしい。 『相模・双子の函』
茜の生まれ故郷・武蔵の国。彼女の両親を知る貞俊和尚は、ある庵に近づくなと一行にいう。茜は両親の辿った運命をそこで聞くことになるが……。 『武蔵・猫と草履』 以上、八箇所の旅遍歴。

頓知の面白さは、「枠」に嵌められてこそ光るのか。鯨流定型連作ミステリが見事に嵌った作品
それが読者の好みに合う合わないに関わらず、鯨氏の連作短編集には何らかの「一定のメカニズム」が必ず働いている。一つは短編における起伏やシチュエーションの執拗な反復、もう一つは一時期(ってもう一昔前か)の東京創元社刊行作品によく見られた、全体を通じて仕掛けられた謎が、最終話にて回収されるという点である。特に前者の”執拗な反復”は、読者の安心に繋がる部分はあれど、マンネリズムを惹起する恐れもあり、使い方は難しいとは思う。ただこれまで鯨氏は何度もこの方式を繰り替えしつつも、今のところ常に「気の利いた謎」を設定することで退屈は回避している。
ちなみに、本作における「一定のメカニズム」はこんな感じ。目的地にやってきた一行。ミニイベント。宿泊時にお願いを受ける。そのお願いを解決するためのヒントを求めるための、とんち1。ヒントを得て解決のための、とんち2。目的地を出る一行に、関係者が茜の両親の目撃情報を告げ、次なる地へと一行が旅立つ……。いかにも江戸、いかにも「とんち」という解決をみるのが”とんち1”、一方で、本格ミステリのエッセンスがかなり含まれるのが”とんち2”と、そのバランスは悪くない。
最終話はもちろん多少パターンから外れているのだが、個人的にはこの作品に、いやエピソードに感激した。京極夏彦『鉄鼠の檻』などでも取り上げられた、禅宗における「公案」に対する、一休(つまりは鯨氏)の解釈があるのだ。「公案」とは、禅の修行の一環で回答があるのかないのか分からない、変梃なクイズ。有名なのは猫を殺した話を聞き、お前はどうすると聞かれた僧侶が、頭に草履を乗せて立ち去った……とかそういうもの。 果たして、本書で鯨氏が一休の言葉として提示している回答が、禅の心に叶うのかどうかは分からないが、どこか一定の安心感を覚える回答を、はじめて読んだように思う。この点、個々のミステリにも増して、個人的には収穫だといえる。

文章的な部分については相変わらず鯨流が貫かれており、江戸時代チックな言葉遣いや単語が、それなりに徹底して使われているのに、奇妙に現実感が薄い。ただ、本作を時代ミステリや捕物帳として、正確な時代考証を期して読まれる方は、ほとんどおられないだろうし、そのあたりを気にするのは野暮か。この時代ならではのトリックなど、ちょいと変化球がかった本格ミステリ作品として気軽に楽しむべき作品でしょう。


03/07/26
坂東眞砂子「死国」(角川文庫'96)

'99年に映画『リング2』と同時に映画『死国』が夏川結衣主演で公開されたことで知られる、坂東眞砂子さんの出世作品。坂東さん自身は第1回ノンノ・ノンフィクション大賞、第7回毎日童話新人賞を受賞後、'94年、第1回日本ホラー小説大賞を『蟲』にて受賞してブレイクした。とはいっても本書はその前年'93年にマガジンハウスより刊行されており、その経歴は長い。二度の直木賞候補を経て、'97年『山妣』にて第116回直木賞を受賞している。

東京にてイラストレーターとして暮らす明神比奈子は、都会での人間関係に疲れ、かつて祖父母と暮らしていた家の処分を考えることを検討しに、二十年ぶりに高知の矢狗村へと戻ってきた。小学校の頃の懐かしい顔ぶれは既に皆、三十代の顔つきとなり、都会の匂いをまとった比奈子は村で浮き上がる。比奈子が楽しみにしていたのは、村に住んでいた時分の親友であった、日浦莎代里との再会。しかし、その莎代里は、既に十八年前、中学生だった時に事故死してしまっていたことを知らされる。比奈子は、日浦家を改めて訪ね、莎代里の母親、照子と再会するが、彼女は代々日浦家に伝わる禁断の”逆打ち”を行っているのだという。四国八十八ヶ所の霊場を死者の数だけ逆に回ると、死者が黄泉の国から蘇るというのだ。彼女は比奈子に「――莎代里は帰ってきました。昔のまんまの姿で――」と告げる。一方、東京で結婚に失敗し、村役場にて”先生”と渾名される文也。比奈子の初恋の相手であった彼は、大学で歴史学を専攻していたことから役所にある様々な史料を研究していた。その文也と、比奈子が同窓会にて再会。二人は恋に陥るのだが、彼らの周囲で不可解な出来事が発生するようになる。

ホラー・ジャパネスクの確かな先駆でもあり、極上の恋愛小説でもある不思議な作品
東雅夫氏が提唱するホラー・ジャパネスク勃興期の一翼を確実に担っているといわれるのが、この坂東眞砂子さんである。なぜかこれまで手に取る機会がなかったため、一念発起、改めて映画化作品を読んでみた。
――「絵」にこだわる方なのかな、というのが第一印象。既に映像化されているという先入観もあろうが、日本のドがつく田舎の風景=牧歌的な原初の日本の風景、伝説の生きる余人の立ち入らない土地=大自然がそのまま残された、更に古の日本を彷彿させる風景がまず舞台。活字を追うだけで、自然が織りなす緑と土色の風景が瞼の裏に浮かぶ。一方で、主人公をはじめ、村の若者、つまりは人によって、現代を象徴するようなモノや思考がその中に異物として入り込んでいく。既にその段階で、時代がコントラストとなって浮かび上がる。しかし、それはあくまで舞台。物語の本質は別にある。
四国を死国と掛け、封印が解け、死者と生者が混じり合うかもしれない……という恐怖感は予感として確かに存在する。ただ、中学生にして死んでしまった莎代里を巡る様々な人間関係の方が、物語のなかでは、より興味深い展開となる。まず、彼女の復活を秘法をもって成し遂げようとする母親。復活なった後の莎代里の、ヒロイン・比奈子に対する憎悪と、文也への尽きぬ愛情。こういった”想い”が絡み合って前面に押し出されてくることにより、もともとの設定が醸し出した筈の恐怖感は、実は薄まってしまっている。莎代里の父親と母親の葛藤、四国を守り続ける一族といったエピソードも巧みに描かれているものの、読了後は、それらが舞台を演出するためのスパイスに過ぎなかったことが判る。(具体的な蘇りエピソードが描かれているにしても、例が少ないことがプラスにもマイナスにも取れる)。
気づけば、異常なシチュエーションのなか、莎代里と比奈子、そして文也との生死を超えた三角関係が、鮮やかに主題として浮かび上がってくるのだ。ラストのどんでん返しのショック、そして寂寥感は何ものにも代え難い。 設定と主題が見事に絡み合って、一個の小説として強い印象を残す感。考え抜かれた設定と、物語との調和。 小説の語り手としての巧者ぶりが感じられた。後の直木賞受賞もむべなるかな。

刊行されて十年が経つが、テーマがテーマだけに、時代によって風化するタイプの作品ではあるまい。ホラー小説・怪談小説の括りとして残ろうが、作品から受ける感銘、そして恐らく作者の狙いも”恐怖そのもの”ではなく、”生死さえ乗り越える愛”にあるだけに、一般小説の延長として、長く読み継がれてもおかしくない。


03/07/25
皆川博子「鳥少年」(徳間書店'99)

今でこそ少しずつではあるが、短編が読めるようになってきている皆川博子さんの初期作品のうち、1970年代、80年代に発表されたものの単行本化されることなく眠っていた”取りこぼされた”作品十二編を、日下三蔵氏が選んでまとめたオリジナル作品集。この中身を読むに、価値ある仕事(皆川さんも日下氏も)が十二分に実感できる。

精神病院で『絵画療法』を施す女医。その実例を紹介する作家。作家に憧れる准看護婦。彼らによって手紙がやり取りされて、その患者をも巡る不思議な人間模様が浮かび上がる。 『火焔樹の下で』
座長が引退した後、劇団を継ぐのは長年苦労を共にしてきた副座長ではなく、人気の京之助なのだという。副座長は二年で辞めるというが、彼に京之助はすぐ辞めろと言い切った。 『卵』
父親の判らない二人の子供を持つ街の有力者の娘・夏代。彼女の奔放な性格に惹かれる耕次は、夏代を訪ねてきた詩作仲間の女性と共にバーベキュー。夏代は妊娠しており、父親はどうやら最近転勤してきた男らしい。 『血浴み』
結婚式で一度見かけただけの叔父の妻・美也に会いに行った依子。依子の夫が浮気しているという相談だった。冷たい性格を持つ美也の家には若い男性二人が寝ていた。美也はその一人に化粧を施し始めた。 『指』
藤川千冬劇団にフリー参加している城吉、徳蔵、知弘の三人。芸や経歴、年齢を通じて彼らのあいだに存在する葛藤。そして行動……。 『黒蝶』
肉屋の二階にある安い貸間。食べるだけの収入はあるわたしは、隣人の灯りが漏れていることに気づき、隣の部屋を覗く。同年輩の女性が一人。彼女の持つ雰囲気にわたしは共感を覚えた。 『密室遊戯』
海外への新婚旅行に来ている夫婦。ホテルのお湯が出ないことでクレームを付けるが言葉が通じない。そんななか、男はかつて交際していた銅鏡を作ることを仕事にしていた女性のことを思いだしていた。 『坩堝』
ゲレンデで知り合った父親と来ている男の子と、母親と来ている女の子。彼らはそれぞれの父と母が仲良くなりはじめるところを冷静な目で観察していた。女の子の身体には多くの傷跡が。 『サイレント・ナイト』
美容院に勤める六也。彼より十程年上で古参の従業員・白川佐保子が死んだ。佐保子を指名していた私は、六也に髪を任せ、彼女と六也と、その別の友人とによる三角関係の話を聞いた。 『魔女』
子供の頃、私は虫採りに夢中であった。年上の姉は虫採りに興味を示さなかったが、ある時私と共に林に出向いた。彼女が捕まえたのは、私もまだ見たことのない玉虫であった。 『緑金譜』
八千代はある男を訪ねて、その男の生家を訪れた。男は不在で彼女は家人に引き留められる。八千代はその男・秋生に狂おしい程の想いを持っていたが、彼女はその気持ちを自戒していた。秋生は彼女を死んだ母に似てるといった。 『滝姫』
夕暮れ時、ままごと遊びをしている四人の少女。彼女ら近くに佇む気弱な男の子。暮れなずむ夜の中、隠れ座頭が出ると思いこみ、彼女らは皆帰ったが、一人の少女と少年が残った。そこに現れたのは……。 『ゆびきり』
地方文化人・半沢悦子に気に入られ、善意の押しつけを迷惑に感じつつもそれを言い出せない鳰子。彼女の家に少年が転がり込んできた。彼はかつて集団で彼女を暴行した少年。彼は「クァーオ!」と叫んだのだった。 『鳥少年』 以上十二編。

強烈にして鮮烈。剃刀の鋭さと、鉞の重さとを兼ね備えた凶器で、読者の心を切り裂いていく
皆川博子さんの短編は恐ろしい。何が恐ろしいって、何が起きるか全く判らないから恐ろしい。登場するのは繊細過ぎる感性を備え、世間との折り合いに苦しんだり、自らを偽って耐えている人物。だからなのだろうか。結末に至るまで「先を読ませる」ことを作品が許してくれた試しがないのだ。
そして言うまでもない文体の妙。オトナの男女や言うに及ばず、子供や老人の一人称も、恰も彼らが本当に”そこに居る”かのような迫真さに満ちており、世界の描写に関しても”日本に生きていて良かった”とまで思わせられる選び抜かれ、研ぎ澄まされた日本語によって正確に描写される。その先の読めない作品が美しい文体で書かれる。まずはそれだけで至福。
意外性をミステリと決めつけることはしたくないが、皆川作品のミステリは、人の心の情動の妙から派生することが多い。 傑作『火焔樹の下で』の往復書簡のやり取りのなかで、浮かび上がる人間関係、そして痛い程に伝わる彼らの気持ち、その気持ちの裏側に隠された彼ら個人個人の感性。全く先の読めないなかに、突然の結末・更に衝撃の真相(しかし、その真相もまたぼやかされている)が登場する。読んでいる間と、読み終わった後に、登場人物の情動に対する受け取り方が微妙に変化させられている。そのスリリングさは、読書という体験でしか味わえない。皆川さんほどの言葉を操れない小生にこの凄さを他人に伝えることは、正直難しい。
他の作品にしても、ひとことでまとめて評価することは躊躇われるような傑作が揃う。ミステリという側面、人間の感情を描いた普通小説としての側面、人間と人間との繋がりを描いた恋愛小説としての側面、作品ごとにどこかに途轍もなく長じた部分がある。そして舞台となる世界のバリエーションの広さ。ありとあらゆる世界・時代・人々が皆川作品のなかにおいては題材となる。更にそのそれぞれが、独特のリアルを持っているのだ。恐るべし。中途半端な文章では、それぞれの作品の凄さを伝えきることが出来ないことだけは確かなのだ。

だらだらと文章を連ねるだけになってしまった気もするが、それでもいいや、とも思う。自分の駄文は永遠に皆川博子には届かないし、皆川作品に嵌った人が皆言うように「みんなに読んで貰いたいような、自分一人の胸の奥に仕舞っておきたいような」気持ちにいつもなってしまうから。しかし、長編で皆川さんを知る人で、まだ短編を知らないという人がいたら不幸だとは思う。 この一言で、小生の気持ちを汲み取って欲しい。


03/07/24
花村萬月「虹列車・雛列車」(集英社'03)

実は本稿で花村氏を取り上げるのは初めてのことになる。
花村氏は中学卒業後、全国を放浪。'89年『ゴッド・プレイス』にて第2回小説すばる新人賞を受賞し作家デビュー。'98年には『皆月』にて、第19回吉川英治新人文学賞を、同年『ゲルマニウムの夜』にて第119回芥川賞を受賞した。本書は'00年から'02年にかけ、『小説すばる』誌に発表された作品がまとめられた短編集。

花村某に勧められ、何にも人生の目的を持たない僕は、北に向かう列車に乗り込む。――行く先を決めるな。――予定を立てるな。――先のことを考えるな。 それが三箇条。乗った瞬間から緊張しっぱなしの僕だったが、徐々にこの無目的の旅に魅せられはじめる。 『虹列車』
沖縄にいるユタ、金城米子さん宅を取材に訪れた花村萬月以下御一行。沖縄のかんかん照りのなか、辿り着いた金城さん宅は凄まじい程の物物物。そんななか登場した金城さんの持つ独特のパワーに花村は圧倒され、宗教の根元を見る思い味わう。  『金城米子さん』
〈色街で飲む!〉という企画に割り込んだ花村萬月は、首里城の裏路地で巨大な芋虫にまつわる変な出来事を経て、男三人で真栄原新町に突撃取材に出かける。しかし、何度も真栄原を訪れている花村はこの街の矮小さに気づいてしまった。 『癈鶏の』
そして花村萬月は、またもや別の編集者と共に沖縄に取材旅行へと向かう。彼は取材に筆記用具を持たない。余剰こそが余情に繋がるという信念のもと、男同士クリスマス・イブの北谷に向かって上着を買い、そしてやっぱり真栄原に向かう。 『神、世界を言祝ぎ給う』
津軽半島の放浪を続ける『虹列車』の僕は、着々と旅で得たことを血肉として野宿を続ける。寒さを膚で感じ、ヒッチハイクに挑戦し、先々で出会う人と交流し、少しずつ南下を開始した。短期間のうちに成長していく僕の姿が胸に響く続編。 『雛列車』 以上五編。

脳味噌を揺さぶる強烈な一撃! 最近得られなかった”文章”による純粋な感動を本気で味わった――。
表題作にも一部取り入れられている短編「虹列車」。そして終わりを飾る「雛列車」。これがもうツボツボツボ。読んでいて、文章から湧き上がるイメージが全身、髪の毛の先から足の小指の爪の先まで、じわーりじわーりと浸透していく。無気力青年が一念発起しての一人旅が主題なのだが、生まれ育った地から離れていく不安、自分自身との黙考、家族への想い、そして人生を拓くことを見つけだす悦びに至るまでが、淡淡とした一人称の描写で止めどなく語られていく。この止めどない想いが、自分自身の一人旅体験(ここまで徹底したものではないにしろ)とダブる。市場での会話、汽車から見た光景、踏みしめる未舗装道路・こういった(自分にとっての)非日常を視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚を全て研ぎ澄ました状態の全身で味わい、消化していく。 そしてその感覚が全て文章で表現され、伝わってくる凄さ。一人で見知らぬ地にやって来た時の、得も言えない不安、そして体験と重なりまくる感覚が、短編小説のなかにぎゅっっっと詰まっているのだ。見知らぬ他人の見知らぬ土地への旅、それが自分自身の内部のものとして、心の底から滾るような熱い思いを共有させられる。もう俺だって三十過ぎなのに、未だこんな感覚が残っているなんて。文学って一体なんなのだ。こんなに凄いの、有りなのか。イヤ、モウ、マッタク。 オソレイリマシタ。

あいだに挟まる三つの作品は、少年に旅行を勧めた花村某による、南、つまり沖縄行がテーマ。これはこれで「旅人」にしか醸し出せない味がある。沖縄の匂いや音、そして味が諄々と伝わってくる。描写の妙は当然存在するといえようが、文章を通じて、文章に書かれている意味以上のものを伝えることに長けた作家なのだな……と感心。花村をこれしか読まないまま比較するのも烏沽がましいが、学生時代に愛読していた開高健と同じ香りがするのだ。旅をテーマにしている、というだけでなく。人生への向かい合い方とか、そういったところが。あと”女”に対する姿勢とかも。これはこれで、無情を感じてしまう。中身は単なる沖縄ノンフィクションの体裁なのだが、”情”が勝っており、醸し出される味わいは全く異なる。(いや、花村某が登場しようと、具体的な編集者名が登場しようと、フィクションはフィクションなのだろうが)。

たまたま寄った旭屋書店で署名本である、という理由だけで購入。そのまま電車のなかで読み出して止まらなくなった。本来、何か受賞した代表作品から読もうと思っていた作家ではあるのだが、こういった邂逅もまた面白いもの。……というか、凄い、凄いぞ花村萬月。私なんぞが勧めなくとも、読むべき人は既に手にとっていらっしゃることでしょうし……。どういうかたちで今後、私が嵌っていくのか、予想がつきませぬ。


03/07/23
横溝正史「七つの仮面」(角川文庫'79)

旧の角川文庫のラインナップの一冊で、当時雑誌に発表されたのみで単行本化されていなかった、横溝正史の金田一ものの作品ばかりを集めた文庫オリジナル作品集。『講談倶楽部』や『推理ストーリー』誌に'65年から'72年の間に発表された作品が中心となっている。

かつて高校時代には”聖女”と呼ばれ、美貌を誇った美紗。彼女は頭は良いが醜貌の上級生・山内りん子と禁じられた関係となっていた。にも関わらず美紗は卒業と同時に銀座のカフェに勤め、今度は異性を漁り始める。 『七つの仮面』
街中にある何かと噂のある洋館。ここに越してきた「ドクトル・ハマコ」なる人物の絞殺死体が発見された。死体の周囲には十二匹の猫がおり、うち一匹の黒猫は、死体の側で切り裂かれて殺されていた。 『猫館』
渋谷の高級アパート・聚楽荘の四階八号室に忘れ物をした。取りに行って欲しい――。名乗らない女性の依頼に変装して出かけた金田一の前には、硫酸で顔面を焼かれた男女の死体が。 『雌蛭』
売り出し中の作家が越してきた洋館。以前に住んでいた画家が殺害したと思われる女性死体が、庭の日時計のコンクリから発見された。作家の妻はその前後からノイローゼで、金田一に相談を持ちかける。 『日時計の中の女』
金田一が同窓の男の持つ紀伊の別荘へ。別荘から近く海岸で洋弓の矢で刺し殺された女性死体が発見される。洋弓の持ち主は別荘主。彼は悪戯で矢を岩に向け撃ったことがあるうえ、その女性とも面識があるのだという。 『猟奇の始末書』
勉強中の女子高校生が人気ストリッパーの暮らす部屋を外から目撃した。カーテンの影でインパネスの男が女性を殺害した? アパートの女性はストリップ小屋の楽屋でトランク詰めの死体となって発見された。 『蝙蝠男』
戦後にのしあがった女実業家が一族の関係者を十数名呼びだした。その中には女性が可愛がっている若い女中や、弁護士と金田一の名前も。そしてその女性が密室内部で殺害された。中には部屋の鍵が。 『薔薇の別荘』以上、六編。

金田一耕助の「迷」事件簿。これまでまとめられなかった作品にはそれなりの理由が……。
長編作品においても、金田一耕助の推理方法はしばしばパロディの対象とされる。事件の当事者のすぐ側にいながら、全く殺人事件を防ぐことが出来ず、解決する頃には関係者がばたばた死んだ後だったりする。事件の証拠をつかむ……といって、事件現場を離れ、離れている時に限って、一度は止まっていた連続殺人が再び動き出したり。頭をかきむしって悔やむ耕助……というシーンを何か何度も見たことがあるような気がするのは気のせいだろうか?

本書収録作品における金田一耕助は、そこまで極端ではないながら、どこか金田一があまり名探偵らしくなく、寧ろ「迷」探偵となってしまっているようにみえる。ちなみに『七つの仮面』では、密室内で自殺した女性のある違和感から見事に犯人を導き出し、『薔薇の別荘』でもまた、密室殺人のからくりを射抜く。現代の本格ミステリに慣れた眼からすれば、ひねりはあまり感じられないが、オーソドックスな構造であり、手堅い仕事であると思う。(これらは新味に乏しいという欠点はある)。
しかしこれが、『雌蛭』あたりになると、現場から遺留品を持ち出して、それが重要な証拠になるにもかかわらず、女性から依頼を受けたから……といって、警察にだんまりを決め込み、最後まで手を付けないで解決を引き延ばしてしまうし、『日時計の中の女』にしても『猟奇の始末書』にしても、犯人の告白に立ち会うだけで推理らしい推理は全くできていないし。結局、サスペンス系の作品とは、この名探偵、相性が悪いのかもしれない。金田一が事件に絡む、というシチュエーションそのものに無理があるように感じられるのだ。やはり「金田一耕助の事件簿」を編む時に、「これはちょっと……」として後回しにされた作品ばかりが集められたのではないか。何となくそのような想像をしてしまった。

筆そのものは走っており、短編単体としてはちょっと「変態趣味」に偏っているところもあるものの、読ませることは読ませる。ただ、内容紹介に「傑作事件簿」とある点についてはちょっと疑問。金田一耕助の「事件簿・拾遺集」あたりの評価が妥当だろう。逆に捉えると、そう復刻されることはない作品集であるともいえそうだが。


03/07/22
岡嶋二人「99%の誘拐」(徳間文庫'90)

'82年に『焦茶色のパステル』にて第28回江戸川乱歩賞を受賞、'86年に『チョコレート・ゲーム』にて第39回日本推理作家協会賞長篇賞を受賞した岡嶋二人にとって三つめの栄冠となったのが、第10回吉川英治新人文学賞を受賞した本作となる。「人さらいの岡嶋」と呼ばれるほど、誘拐をテーマにしたミステリに新機軸を打ち出した岡嶋二人において、その誘拐ものの最高傑作と称されるにとどまらず、岡嶋二人全27作品中でも最高傑作に挙げる人も多い作品。

昭和四十三年。米国のコープランド社で半導体製造を学び、日本でイコマ電子工業を立ち上げた生駒洋一郎の息子が何者かに誘拐された。要求された身代金は五千万円。その金額は丁度、コープランド社の日本市場撤退により、乾坤一擲の勝負で新工場建設費用として生駒が準備していた金額と同額だった。犯人の巧妙な計画により金に替えられた身代金は奪われ、誘拐された慎吾は無事に帰還した。イコマ電子工業はカメラ・OA機器メーカーのリカードによって吸収合併され、生駒洋一郎は昭和五十一年、当時の誘拐事件の顛末をノートに書き残して病死する。昭和六十二年、瀬戸内海で発生したある事故から昭和四十三年の誘拐事件の身代金だったと思しき金の延べ棒が引き上げられた。そしてその翌年、リカードの武藤社長の孫で中学生の葛原兼介が巧妙な手段によって誘拐された。パソコン通信や電子機器が多用されたその誘拐の身代金は十億円相当のダイヤモンドの原石。犯人は、現在リカードの若手社員として将来を嘱望されている生駒慎吾をその運搬役として指名する。

当時の最新機器は、今や時代がかっているのに、時代を超えた超絶誘拐トリックは今なお健在
”最新ハイテク機器”なんて言葉は死語ではないかと思うが、数年ぶりに再読してみて、改めてこの作品の凄さに感じ入った。書かれたのが十五年以上前であり、当然ハードウェアもその当時の(最新とはいえ)ものが基準になっているのに関わらず、こういった機器を利用したトリック部分に古さが感じられないのだ。この当時、まだ”コンピューター”が一部の好事家や仕事を行う人のものだった時代に、その構造、それを用いることで”可能になること”をきっちり把握していた岡嶋二人(というか恐らく井上夢人氏)ならでは、の作品なのだと思う。既にある機器固有の特徴を「誘拐」という目的に即して、その匿名性や操作性を最大限に利用する――想像力の勝利というべきか。
誘拐という手段のために準備された計画の奇想天外さ、込められたアイデアの多さは、まず注目に値する。 そして、もう一方で巧みな物語構成にもまた注目すべき事柄だろう。過去に発生した最初の誘拐事件。周到な準備によって仕掛けられた身代金受け渡しの経路、そして金塊に替えられた身代金奪取の方法――普通のミステリ作家なら、このアイデアだけで長編を一本書いてしまうかもしれない。ただ、岡嶋二人は、少なくともこの当時、普通のミステリ作家ではなく、アイデアと物語作りに長けた超一流のストーリーテラーであったのだ。その事件をほんのプロローグとしてだけに用い、人間関係を流用しながら、メインの誘拐事件へと繋いでいく……。ネットワークゲームを利用し、対象人物をある場所に閉じこめてしまう手段。アリバイを構成しながら、犯人が事件の中に身を投ずる大胆さ。倒叙風に誘拐事件を進行させながらも、肝心要の身代金(があるものに替えられるのだが)を奪う方法は読者の目からも隠蔽されており、不可能犯罪である。この点など、本格ミステリの手法そのものだといえよう。
最後に明かされるその不可能犯罪は、読者の目の前に転がっていた伏線にしっかり繋がっており、探偵役がそれを指摘した後のラストも心地よい。病死・事故死は出るが、殺人はない。それでいて、こんなにスリリング。 表現が難しいが、知的なゲームとして誘拐を選んだ、そして選ばざるを得なかった男たちの、それぞれの生き方、人生が最後に読者の心に染み渡っていく。

私個人での岡嶋二人のベストがこの作品だとは言い切れない。だが、やはりベスト5には入れざるを得ない巧さが籠もっている。登場人物、構成、物語、ミステリ、どれを取っても文句の付け所がほとんどないという希有な作品。(強いていうとヒロインがいない……か) 人によってはオールタイムベストに挙げる方がいるというのも頷ける。一言でいうなら「岡嶋二人は損しないから全部読んどけ」かな。


03/07/21
多岐川恭「姉小路卿暗殺」(講談社'71)

この時期までの乱歩賞作家による「乱歩賞作家書下しシリーズ」として刊行されたなかの一冊。ちなみに各作家の作品でも後世でもそれなりに評価の高い作品が本シリーズで出ているのが特徴で、陳舜臣『北京悠々館』、仁木悦子『冷えきった街』、森村誠一『密閉山脈』、斎藤栄『紙の孔雀』、西村京太郎『名探偵なんて怖くない』等々が他に出ている。

幕末、明治維新の前夜となる京都。幕府をあくまで護ろうとする会津藩、先進的な考えを持ちつつその覇権を争う薩摩藩や長州藩、土佐藩……。さらにその内部で尊王派、攘夷派、佐幕派など主義主張も分裂、さらに過激派と穏健派によって行動が異なり、朝廷のある京都の街は風雲、急を告げていた。一八六三年、京都の禁裏御築地内の猿が辻という場所で、攘夷派の公卿、姉小路公知が三人組の男たちに斬り掛けられて暗殺された。同じく尊攘派の公卿、三条実美との深夜にまで及ぶ会談からの帰りのことであった。暗殺者の正体は知れなかったが、現場には姉小路卿が下手人から奪い取った刀と、下駄が一足残されており、その刀の銘からどうやら薩摩の人間が絡んでいるらしいことが知れる。土浦藩を脱藩して浪人となり、京都の与力をしている義兄宅に寄宿している関要次郎は事件に興味を持ち、現場付近をうろつくうちに、同じような境遇にある小倉藩脱藩の江上至と知り合う。事件は、薩摩藩で有名な過激派、人斬りの実績のある田中新兵衛の仕業と解釈され、田中が守護からの手の者により連行される。その田中が真実を告げる前に刀を奪って自害してしまったことから、事件は薩摩藩の陰謀という説が世間を占めるが、要次郎はこの裏にもっと深い隠された陰謀があると信じ、関係者のもとをまわって真相を突き止めようとする。

維新で激動する京都を舞台にした、骨太にして硬派の歴史ミステリ!
多岐川恭には『異郷の帆』をはじめとした歴史をその舞台にした本格ミステリと、大量に執筆された時代物の作品があるが、本書は「姉小路公知」という、幕末の朝廷にいてそれなりに影響力のあった人物が暗殺されたという史上の事実をミステリの焦点とした、正真正銘の歴史ミステリである。 作品内における事件そのものの経過は史実の通り。これに対し後世の人物が記録から謎を解き明かすのではなく、架空の(もしかするとこの浪人も実在するのかもしれぬ)浪人を創り上げ、彼が歴史に名を残す人々と次々と話を聞き、討論して、その結果をまとめて推理する……というもの。
その関係者のなかには、坂本龍馬や勝海舟といった有名人も多数含まれるが、マニアには有名な人物や、ぎりぎり(今となっては)記録に名前を留めるだけで、キャラクタが思い浮かばないようなこの時期の実力者、更にこういった時代に市井に逞しく生きる庶民等々も多数登場し、この時代ならではの奇妙な現実感覚がまざまざと感じられる。特に京都で主人公に囲われる(逆か)の遊女、お駒や、冒頭から主人公と親交を為す江上などのキャラクタは出色の出来映えだろう。
これだけの状況下で、一介の浪人が、特に親交もない殿上人の死の真相を探るという主人公の姿には、いささかフィクションめいた雰囲気が目立つが、その背景になっている時代の動きは、章ごとに挿入される当時の記録によって裏打ちされていることもあり、地に着いた落ち着きもがある。小説としての巧さは、この歴史上の謎を裏から解き明かすだけでなく、主人公も巻き込まれている当時ならではの陰謀が実は冒頭から仕掛けられていることにあろう。終盤にて明かされる陰謀にもそれなりに驚かされ、またそれに対する関の対処に、維新に相対する者ならではの潔さをみた。

今となっては主題となる「姉小路卿暗殺」が地味なのが気にかかるが、一流の歴史推理であることは間違いない。実際の史実を徹底して研究しており、トリックよりも歴史の裏面を解明しようとする意欲は、傑作『異郷の帆』とはまた全く異なる味わいがある。これもまた多岐川恭なのか。