MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/08/10
皆川博子「薔薇の血を流して」(講談社文庫'96)

鳥少年』を読んだ際の日下解説にて改めて気づかされたのだが、皆川さんが'70年代から'80年代にかけて雑誌発表した初期短編は、単行本のかたちとなって陽の目を見ていない作品が多い。本書は中編集に近い体裁とはいえ、そんななかでは珍しく、'77年に講談社より単行本化された後、一度'86年に徳間文庫入りし、更に再度講談社文庫と、二度の文庫化を経てきている。余談だが単発の復刻も有り難いが、どこかの出版社で皆川博子長編全集を編んでくれないものか。ねえ、東京創元社さん……とか。

アイルランドの誇る文学者イエイツの研究をするスクールに短期留学しにきた日本人・上遠文月。北アイルランド紛争続くこの地も南の地方は平和にみえた。斡旋された一時の宿は個人の家を選んだ。受け入れてくれるのはラリーとその妻・コレット。彼らには子供はいなかったが、コレットの妹・メイヴが同居していた。エキセントリックな性格のメイヴが駅前で物乞いの真似事をしていたことに文月は気づく。そしてメイヴはラリーの弟・ビルがIRAで活躍していると吹聴していた。 『鳩の塔』
マン島のオートバイレースに取り憑かれたイギリス人の男。彼は自分の息子達に夢を託すのみならず、戦時中に日本に残してきた忘れ形見の娘までをも日本から呼び寄せる。苦労して育ったその娘・はるなは渡英、サイドカーのレースにて栄冠を目指すが……。 『薔薇の血を流して』
私立の神経科医院に勤務していた田上八千代が自殺した。彼女はパリで精神錯乱を起こしていたところ強制帰国させられ、その後落ち着き、そのまま住込で働いていた。彼女に対し、最近、同じ病院で働く大沢圭吾がプロポーズしていたという。精神科医の伊倉は彼女が持っていたアート誌と直前に読んでいた新聞から、フランスでブリュアンという大物映像作家に師事していた田浦康夫という人物が死に関係していると直感する。 『モンマルトルの浮彫(レリーフ)』 以上三編。

どこか「青さ」と「固さ」が薫る皆川サスペンス……とはいっても絶品であることに違いは無い
最近のインタビューでも再三繰り返されている通り、皆川博子さんの創作初期においては、編集サイドより「できるだけ幻想味の薄いものを」「読者がすぐに忘れるような内容の軽いものを」という要請が何度も寄せられたのだという。本書に収録されている作品群を眺めるにつれ、これらは、そういった執筆当時の編集サイドの要望と、皆川さんの創作意欲のぎりぎりの接点ではなかったか、と感じる。
三編の中編が舞台としているのは、欧州、それぞれアイルランド、英国、そしてフランス。地名だけ抜けば、日本人にとってもいわゆる観光地ではあるが、実際の物語は、観光客が寄りつかないような数歩進んだその土地固有の暮らしのなかで展開されている。そして、土地そのものが持つ、外部の人間からみた場合の神秘性と、実際にそこに住む人間固有の生活観や独自の感情とが混ざり合ったところにサスペンスを形成しているのが本書の特徴といえるだろう。現実に立脚した物語といえばそうだし、それと同時に幻想的なイメージが喚起されているともいえる。 そう、どこか危ういバランスの上に物語があり、そのバランスを取るのに皆川さんが腐心したであろうことが、どこか伝わってくる。
さらにそのサスペンスを引き起こす、根元となる謎についても、三作通じてどこか根底で似ているように感じられる。これは初期皆川サスペンスの方法論と被るようにも思われるのだが、関係者が引き起こし、闇に葬り去ったある事態が後々になって綻び、別の関係者によって期せずして明らかにされてしまう――というもの。事件としての意外性もあるのだが、それが明らかになった瞬間に、見えていた物語世界が予想を裏切るかたちで反転させられる。サスペンスとして当たり前といえば当たり前のこの行為、しかし、その反転の度合いが実に鋭角。いわゆるミステリとしての面白みを備えているといえば簡単なのだが、それ以上にきりきりと肚に響く。

ただ、これが当時の皆川さんの描きたかった世界かというと、やっぱりどこかまだセーブしているような印象が最後まで残る。現在の皆川作品にみられるような文章構成や世界構築における幻想性に大胆さが少なく、どこか遠慮しているような。文章も美しいながら、まだどこか模索を続けているような固さもあるように感じられる。それでも、サスペンスとして水準以上の出来なのは確かであり、ただ単純に「皆川博子の凄さ」を味わうのに妨げがあるものではない。


03/08/09
遠藤周作「闇のよぶ声」(光文社カッパ・ノベルス'66)

狐狸庵先生・遠藤周作といえば、ワタシ的イメージとして『海と毒薬』等のキリスト教系純文学作家。現に芥川賞作家でもある。そんな遠藤氏が初めて発表した推理長編が本作。「週刊新潮」誌に『海の沈黙』と題されて連載された作品が改題されたもので、角川文庫版もある。

K大病院に勤務する神経科医・会沢は、若く美しい稲川圭子から相談を受ける。彼女の婚約者である田村樹生がノイローゼに罹っているのだという。田村は母一人、子一人の家庭に育って、三人の従兄弟がいる。少し前、その三人のうちの二人が特段の理由もなく謎の失踪を遂げ、田村が「兄さん」と慕っていた熊谷と共に捜索にあたるが、その痕跡すら見あたらない。更に、つい最近、東海村原発に研究者として勤務していた熊谷が、夜中に妻子を残して三度の失踪を遂げてしまう。田村は「今度は自分の番ではないか」と怯えており、会沢は樹生の治療にあたると同時に、他三人の失踪の理由を探るため、圭子に想いを寄せる若い新聞記者・藤村とともに田村の一族の周辺について、独自の捜査を開始した。

推理小説の枠組みを借りながら、どこか純文学の思想から抜けきれない? 社会派作品
発端の謎の提示は抜群にいいのだ。四人しかいない従兄弟が、少なくとも周囲からは全くそんな予兆も感じさせないまま、次々と謎の失踪を遂げてしまう。三人目の失踪者となる熊谷に至っては、他の失踪者を本気になって探し回っていたにもかかわらず、自ら消えてしまうあたり、サスペンス性は抜群に高い。四人目になるかもしれない人物の婚約者をヒロインとし、彼女を通じて探偵役を買って出るのが、精神科医と新聞記者という、現実味を考えたであろう物語バランスも悪くない。
また、ところどどころにさりげなく挿入される心象風景や、その土地土地の風物詩などの味わいはさすがなものがあり、文章そのものはもちろん読みやすい。当たり前の話、既に”物語作り”を知っている作者ならではの手堅い描写が続き、こういった点で不満を覚える方はまずいないだろう。
ただ、やはりミステリとしてみた場合の欠点はある。最終的な謎の回収をやたら犯人の独白や手紙に頼ってしまうあたりと、その動機(確かにそれはそれで時代性を反映しており強烈ではあるのだが)、そしてその犯行方法が全く伏線らしい伏線もなしに、その手紙によって初めて明かされる点等々、急にこの段階で窮屈になる。また、こういった手法はミステリプロパーの作家であれば、反則扱いされても仕方ない構成ともいえるだろう。(扱っている主題そのものはいわゆる操りテーマであり、うまく利用していればもっと面白くできた可能性があるのだが) これでは、せっかく中盤まで鋭い洞察力をみせていた精神科医の探偵役、という存在そのものがパー。誠に勿体ない。また、精神医学に関する蘊蓄は既に三十年以上前のものであり、今の読者からすれば違和感があるだろうが、この点は仕方ない。

遠藤周作のファンが趣味の延長として読むのであれば、”らしさ”があり、その動機や人間行動への洞察の深さを楽しむことは十二分に出来るものと思われる。ただ、ミステリ(推理小説)である、という理由から改めて探し求めるほどの作品ではないように感じられた。


03/08/08
北川歩実「虚ろな感覚」(実業之日本社'03)

書き下ろし中心に作品を発表する北川歩実氏の最初の短編集は'00年に刊行された『もう一人の私』であり、そちらはデビューから五年がかりであった。本作はそのあと三年がかり? にて完成した第二短編集。'00年から'02年にかけて『週刊小説』及び『月刊J-novel』誌に発表した作品に書き下ろしを加えて発表された。

パソコンショップの店員の女性に一目惚れした男がいた。一方、ある女性の飼い犬が毒入りクッキーで殺され、その近所の探偵の飼い犬もまた同じクッキーで重体となった。毒入りクッキーは誰が何の目的で仕掛けたのか。 『風の誘い』
オートロックの小さなマンションに住む志穂は、玄関にいきなり女性の訪問を受ける。警察を騙った彼女を家に入れてしまった志穂は、自分で掛けた表札の架空の男を殺しただろう、と女に詰め寄られるが心当たりなどない。 『幻の男』
浩次と結婚した咲子は、自分が肥満を克服したダイエット理論に基づいて、浩次の弟で小学校五年生の肥満児・瑞貴をダイエットさせようとしていた。瑞貴にとってそのダイエットは余りにも辛く、逃げ道がないか考え続ける。 『蜜の味』
同じ塾の講師をしている女性の同僚・保美のパソコンの調子を見に行った梶沼は、彼女宅に若い男が侵入している場面に出くわす。男は逃走したが捕まり、保美から誘われたのだと嘯く。一方、保美のパソコンのIPが盗まれた形跡が。 『侵入者』
若い妻と再婚した男は、よく喋るインコを飼っていた。彼女になつかない二人の子供。そして妻はインコを病院に連れて行く際に事故で亡くなってしまう。その現場を目撃した長男は、その日から心を閉ざしてしまった。 『僕はモモイロインコ』
睡眠薬を飲んで記憶障害に陥った、友人の恋人・麻耶宅に出向く藤谷。友人は浮気の最中であり、その身勝手に腹は立ったが、藤谷は麻耶に横恋慕しており、断れない。その麻耶は前向性の記憶障害で、短期の記憶が失われる状況にあった。 『告白シミュレーション』
文江の友人の梨恵は、彼女を仲介して知り合った都波という男との婚約を破棄し、行方不明となっていた。街で都波を偶然見かけた文江は、彼の隣にいるのが梨恵ではないかと疑う。しかし実は梨恵は整形をしており、都波の相手は梨恵の整形時にモデルとなった人物だった。 『完璧な塑像』 以上七編。

記憶ミステリ、感覚ミステリ、コミュニケーションミステリ。北川歩実、得意ジャンルでの、さすがの冴え
ミステリに限らず、物語を読んだり観たりしていて「あ、この作品は○○にしか作れないよな」と思う瞬間が偶にある。特殊な業界の内幕もの、普通人にはない体験談が反映されたもの、感受性やセンスが抜けて優れた作家が造り出す世界等々。本作の場合も、半分くらい読んだ段階でそんな気持ちに襲われた。「こういう作品は、北川歩実にしか書けないだろうなあ」
覆面作家であり、どちらかといえば長編書き下ろしのスタイルにて作品発表する北川氏。記憶にまつわるミステリ、ダイエットに関する深い知識、動物と人間のコミュニケーション、医学や神経医学、心理学分野における深い造詣が、それぞれいろいろなかたちでテーマとして取り上げられ、更にそのテーマを応用して切れ味鋭いミステリを発表し続けている。この短編集で見る限り、そのスタンスに変化はない。それぞれの作品において、その得意分野を有効に使っている。さらに、シンプルに作品のテーマを絞った結果、長編ミステリでは打ち出しきれなかった鋭いサプライズを導き出すことに成功しているともいえる。やっぱりこれは北川作品でしか味わえない、贅沢な面白さだといえるだろう。
本格ミステリの作法とはちょっと異なるやり方が多用されているとはいえ、登場人物も少なく、短い文章のなかに二転三転する結末を用意しているあたりも凄い。 『風の誘い』における、単純なはずの毒入りクッキー事件の真相には驚かされるし、『告白シミュレーション』における、主人公が隠し持っていた過去が現実を切り裂いてしまう破壊力も素晴らしい。また整形手術をテーマにした『完璧な塑像』に至っては、古典的で使いようによっては古臭くもなりがちな、いわゆる「一人二役」「二人一役」テーマを、実に現代的に、リアルな物語として焼き直している点、感動さえ覚えた。
ただ一方で、『蜜の味』あたりは技巧が先走り過ぎて、ダイエットに関する記述の面白さに比べ、ミステリの構造としてのシンプルさを欠いてしまったきらいもあるようにみえるし、才能の匙加減というのは実に難しい。ただ、基本的な人間心理のつかみ方は、どの作品をみてもさりげなく巧みであると感じられた。

繰り返しになるが、本書は「北川歩実にしか書けないミステリ集」。本格ミステリにこだわらなくとも、ミステリを読む際にサプライズを重視される方なら、本書は絶対ツボに嵌るはず。現段階で刊行より半年、出た段階ではあまり話題にされていた記憶がないのだが、今年発売されたなかでは屈指の好作品集であること強調しておく。


03/08/07
はやみねかおる「怪盗クイーンの優雅な休暇」(講談社青い鳥文庫'03)

夢水清志郎シリーズにて知られるはやみね氏が、'00年から打ち出した新シリーズが、この”怪盗クイーン”もの。単体としては'02年に刊行された『怪盗クイーンはサーカスがお好き』に続いて二冊目となるが、実際は松原秀行氏との共著、『いつも心に好奇心』が初登場となる。夢水シリーズと、世界は同一で両者の対決などこれまでも見どころは多かったが、本作については、舞台が日本を離れていることもあって、あくまで怪盗クイーン単体の作品となっている。

怪盗クイーン。彼は超巨大飛行船トルバドゥール号のなかで、クイーンは相棒のジョーカーと、世界最高の人工知能RDに対してわがままな振る舞いを続け、挙げ句には”半年間に三回も仕事をした”といって、休暇を要求する。南の島に行きたいというクイーンの要求は却下されたものの、RDはクイーンに、サッチモ・ウイルソンという人物からの手紙を渡す。豪華客船ロイヤルサッチモ号による12日間のカリブ海クルージングの招待状である。サッチモは十年前に悪の組織を作るための資金として用意していた宝石を、クイーンに盗まれたという因縁から、彼に対して復讐の機会を狙っていた。クイーンとジョーカーはその点も先刻承知の上で、伯爵夫人とその弟に変装し、レセプションの会場であるニューヨークのホテルへと乗り込んでいく。サッチモは彼らがクイーンであることを見破り、ロイヤルサッチモ号に宝石を積んで彼らを刺激する。更に、船にはクイーンとジョーカーに恨みを抱く殺人者集団・初楼の七人や、国際刑事警察機構(ICPO)探偵卿局に属する名探偵《調子っ外れ》ジオットとその助手・冥美、サッチモに奪われた国宝の宝石を取り返そうと狙う王女に至るまで、多種多様な人々が乗り込んでおり、船旅の前途は多難であることを予感させた。

怪盗は、盗人でも泥棒でも悪人でもない。あくまで”怪盗”という夢ある職業を選んだヒーローなのだ
思い出話以外では全く夢水清志郎が登場せず、実質的に「怪盗クイーン」の物語であると言い切れる最初の作品……になるのかな。豪華客船でのんびり休暇……の筈が、殺し屋軍団と闘う羽目に陥るわ、船に飾られた警備厳重の宝石を盗み出さなきゃいけないわ、国際的名探偵と対決しなけりゃならないわ、怪盗志願の王女さまの指導はしないといけないわ、更に王女の宝石を狙う謎の人物を倒さなければならないわ……、と普段にも増して盛りだくさんの”冒険”が詰まった作品。
即ち、エンターテインメントの固まりのような作品ではあるし、ミステリ、というよりもミステリ的な思考を逆手に取ったような物語展開ではあるのだが、はやみね氏の精神の根底にあるのは、読者に夢を与えよう、という積極的な姿勢。犯罪者としての泥棒ではなく、怪盗という職業をベースにした無敵のスーパーヒーローを縦横無尽に活躍させ、人に生きる希望を与えて回る。そのミステリ的意外性は、その希望や夢といった事柄に奉仕しており、サプライズをうまく余韻に活かしているエピソードが多い。素直に格好良いといえる主人公・怪盗クイーンの行動原理のなかにある、独特の優しさを読者が感じ取った時に、この物語は役割を果たした、といえるだろう。
「ローマの休日」をパクったラストの方のシーンなんかは、いい感じ。また一方では殺し屋に探偵がちょっとお間抜けが過ぎるような気もするけれど、それはそれ、大人向けの厳格さを求める必要もない。短めのエピソードを大量に詰め込む手法も、ジュヴナイルの方法論的に正しいと思えた。

相変わらずのはやみね流エンターテインメント。清志郎シリーズのように凝った本格ミステリを期待すると多少肩透かしかもしれないが、これはこれで、正統派ジュヴナイルとしての使命を果たしているといえよう。荒唐無稽ではあるのだけれど、誰が読んでも一定以上は楽しめる作品に仕上がっている。


03/08/06
天藤 真「死の内幕」(創元推理文庫'95)

先般、長きに渡って中断していた「天藤真推理小説全集」が一気に完結した天藤真。乱歩賞の最終候補作となり、東都ミステリの一冊として'63年に刊行された『陽気な容疑者たち』に続いての、第二長編にあたる作品。同年に宝石社より刊行されており、解説の新保博久氏によれば、第二回宝石賞短編部門を「鷹と鳶」にて受賞した御褒美によって発表できた作品なのだという。ちなみに、第三長編の『鈍い球音』が刊行されるまで、本作より実に八年のブランクがあった。

剛毅な料理店主・柏木啓子が自らの信念から結成したIG(インサイド・グループ)は、内縁の妻同士の互助を目的とした集団。そのメンバーの一人、小田ます子が殺人を犯してしまった。内縁関係にあった博士号を持つ寺井亮一に「結婚するので別れて欲しい」といわれ逆上、抱こうと身を寄せてきた寺井を突き飛ばしたところ、タンスの角に頭をぶつけて死んでしまったというのだ。ます子には繁という十歳になる子供がおり、同情した啓子らは「この事件をなかったことにしよう」と、啓子の内縁の夫である松生を参謀に引き込み、偽装アリバイ工作を開始する。その際、部屋を訪れたます子らが、怪しい人物を目撃した……と、架空の人物を犯人としてでっち上げたところ、狭い千葉市内に、その男と容貌がそっくりの男がいたことから話がややこしくなる。工作そのものは上手くいったものの、その”そっくりさん”矢尾と彼の友人、また寺井の婚約者・大島与志子と彼女に想いを寄せている柿沼らが、それぞれ独自の捜査を開始。事件は思わぬ方向へと転回していく。

天藤真は、決してそのユーモアだけで評価すべき作家ではない……
天藤作品を評して、よく使われる形容詞がいくつかある。即ち、ユーモラス、コメディタッチ、ほのぼのした情感、暖かい眼差し……等々、面白くて柔らかい印象が、何故か作品群全体としては存在し、自分自身としても何度もこれらの言葉を作品評として利用してきた。もちろん、本作に対しても、その全ての用語が当てはまる。
 ただ――同時に天藤作品にはシリアスでシビアな現実を描き、後味悪いラストを持ち込むという別の側面もまた存在する。 本書は再読になるが、改めてそういった天藤氏ならではの「社会派的視線」や「厳しさ」を感じた。設定にしても、物語展開にしても、個々の会話のやり取りやシチュエーションそのものは愉快に描かれているにしろ、その裏側に厳しい現実を描き出すことも忘れていない。本書においても、内縁の妻が社会的に認められていないという問題を取り上げ、その厳しい現実を物語の動機等に加えているし、流出した犯人モンタージュの”そっくりさん”が、似ているというだけで受ける仕打ち等についても、かなり厳しい表現をしている。物語で明かされる真相や後味についても、悪くはないし意外性もあるのだが、余韻に浸れるような雰囲気がない。寧ろ後味は良くないといった方が適当かもしれない。
但し、ミステリとしてのシチュエーションつくりの巧さは天性の才能というべきか。 冒頭に犯罪シーンを描き、それを偽装したグループと、その偽装を見破ろうと苦心惨憺する二つの素人探偵グループとの知恵比べ……。この段階でとぼけた味わいが約束されている。だが、いわゆる倒叙ミステリとは全く異なった展開となっている点、興味深く、関係者がいろいろなところで推理をぶつけ合う様は、ロジカルな本格ミステリ作品の持つ味わいに近い。手前勝手な言い方をすれば、表面上のストーリー以上の深みを感じ取れる読者に対する作品ではないか、とも思える。

多少、他の作品に比べてボリュームが薄いので、もしかすると本書から天藤作品に入ってしまった読者もいるかもしれない。が、それはやはり不幸だろう。本来、天藤ミステリの面白さを知る読者の方が、本書の味わいをきっちり感じ取れるのではないか。最初の天藤はやはり『陽気な容疑者たち』や『大誘拐』といった、超代表作からにして欲しいな……と思う次第。


03/08/05
菅 浩江「歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ」(祥伝社NON NOVEL'03)

同じく祥伝社より『鬼女の都』という作品を菅さんは出しているが、現代日常を舞台としたミステリとしては、その作品に次いで二作目になるのではないかと思う。(ミステリとしては推協賞授賞の『永遠の森 博物館惑星』とかもあるけど、SFだし) 『小説NON』誌に、'01年から'03年まで連載された九つの短編がまとめられた連作短編集。

数田楽器店の二階にて行われる、いわゆる”町の音楽教室”。名門音楽大学を主席で卒業、大邸宅に住み、物腰から外観に至るまでものの見事なお嬢様、杉原亮子はそこで週に三回の音楽教師として仕事をしていた。しかし彼女はかつてある事件か ら心に傷を負っており、男性に恐怖心を覚え、演奏曲を最後まで弾き通せないなど精神的には不安定。しかし、彼女にはなぜか会う人の心を和ます力があり、込み入った事件を解決する能力があったのだ……。
街に出る変質者を目撃したというユイカ。彼女がそのことを周囲に告白した後、まだ何か秘密を隠していることを亮子は見抜く。それは……。 『バイエルとソナチネ』
母親の大きな期待を背負ってピアノの練習に励むハルナ。自宅に演奏室を設えたというが、彼女はその部屋での演奏が上手くいかないという。そこには理由が……。 『英雄と皇帝』
数田楽器店の長男・慎太郎のバンド仲間が、時計店の前に佇む女子高生に片想い。ひょんなことから彼らが両思いと知ったバンド仲間は一計を案ずる。 『大きな古時計』
亮子の家を覗き込んでいた中年男。大八木千鶴は男を追い、妄想癖があるという男の悩み事を聞いてしまう。彼には自慢の娘がいるのだが……。 『マイ・ウェイ』
何につけ張り合う小学生の女の子二人。二人にピアノを教える実千代は彼女らの気持ちを逆に鬱陶しく感じる。彼女らの対立の根っこにあるものは……。 『タランテラ』
千鶴の元職場の後輩OLが数田楽器店に飛び込んで来た。夢見る乙女としてからかわれる彼女に届けられた手紙が、亮子を示していたというのだが……。 『いつか王子様が』
老人ホームの慰問に行く音楽療法士の千鶴と、亮子、そして亮子の友人裕美子。彼女らはそこで上品そうなお婆さんとはすっぱなお婆さんの対立を目の当たりにするが……。 『トロイメライ』
亮子先生がいなくなった! 過去の自分と対決するといって姿を消した亮子。街では変質者が出没しており、数田楽器店の面々と生徒は、先生を捜して回る。 『ラプソディ・イン・ブルー』
数田楽器店の生徒による発表会。亮子は子供たちや千鶴らが、何かを企んでいることを察知。そういうことは止めて欲しいと思う。そして当日……。 『お母さま聞いてちょうだい』 以上九編。

音楽は楽しい。歌で人の心が動く。暖かさの裏側にあるシビアな過去。一人の女性が前向きになるまで。
本書にもそのような記述が出てくるので、私が特別に気付いたことではないのだが、音楽の個人レッスンという時間と空間には、もしかしたら不思議な力があるのかもしれない。そもそも音楽というものは、心を明るくする効果がある。本書にも登場 する音楽療法、つまりは音楽を利用して被験者の気持ちを前向きに開放するような精神療法も存在するくらいだ。更に加わるのが密室、そして1対1というシチュエーション。双方が他人であっても、信頼関係があり、片側が話し、片側が聞く…… という状況は、どこか教会の告解室を思わせる。更に聞く側が、名探偵であれば……、本書のような上質なミステリが出来上がるという寸法である。
ただ、そういった困った事柄を抱えた生徒たちの悩みやトラブルを解決するだけの、単純なシリーズ短編ミステリとも本作は少し異なる。と、いうのは亮子先生自身がひた隠しにする過去があるから。その過去は、女性としての悲劇、お嬢様然とした外観ゆえの悲劇である。彼女の心の痛みをナマで描くことによって、菅さんは、読者ももしかしたら心の底に持ち、普段は気づきもしない無関心や同情心、無理解といった感情を間接的に非難しているかのようにさえみえる。
一つ一つの作品だけ取り出して眺めれば、確かに本書の梗概にある”癒しのミステリー”といえないこともない。ちょっとした誤解がもとで傷付いた心を癒したり、素直になれない二人の仲を取り持ったりと、亮子先生は活躍をする。しかし作品全体を通じては、亮子自身の生き方を模索し、自分なりの正解を探そうとする姿が痛いほどに伝わる。これは癒しを超えた、励ましのミステリーだろう。

いわゆる”日常の謎”の系譜に繋がるミステリであり、個々のネタの振り方、物語の構成に妙がある。また、創作上は逆順になるのだろうが、人間に対する鋭い洞察力には素直に感心させられる。そして、”音楽の良さ”、”音楽の持つ力”もまた同時に、素直に単純に伝わってくるところにも好感。物語全体から受ける、好感度が高い作品集。


03/08/04
上遠野浩平「ブギーポップは笑わない」(電撃文庫'97)

「今さら!」とも手に取る時に感じないでもなかったが、読んでいないものは読んでいないし、現代のYA、ライトノベルを語る際にやはり外して考えるわけにいかない一作だろうし。と、いうことでとにかく読んでみた。第4回電撃ゲーム小説大賞の大賞の受賞作品。

校内で異形のものと出会う少年、そして風紀委員長、新刻敬の回想。 『イントロダクション』
風紀委員の竹田敬司は宮下藤花と付き合っていた。そんな藤花が実は時々自らの人格を「ブギーポップ」に乗っ取られていることを知る。彼は時々学校を監視する「ブギーポップ」と出会い、話をする。 『浪漫の騎士』
末真和子は噂となっている「ブギーポップ」の話を聞く。彼女は猟奇殺人者に狙われた過去を持っており、その心理に興味があった。そして学園でも異彩を放つ謎の天才兼問題児、霧間凪と親しくなる。 『炎の魔女、帰る』
一年生の早乙女正美は生まれて初めて恋をした。最初は霧間凪、そして次に惚れ込んだのは自分のことを殺そうとしたマンティコアに。彼は秀才少女、百合原美奈子になりすましたマンティコアと計画を練り、協力を開始する。 『世に永遠に生くる者なし』
事件から二年後。木村明雄は高校時代に交際していた紙木代直子は死んだ、と手紙を受け取る。いきなり失踪してしまった彼女のことを彼は忘れられない。彼女に二股をかけられていたのだとしても。 『君と星空と』
紙木代直子が失踪した。行方を知らないか。風紀委員長の新刻敬は一年生の田中にそう尋ねられる。居合わせた早乙女は彼女の友人の霧間凪が関係するのではないか、という。そして霧間凪も直子失踪を知り動揺、紙木代が学校に匿った「エコーズ」に対し強く問いかける。ヤツの仕業なのか。放課後、敬と田中、そして早乙女は登校しているはずの霧間を探すが……。 『ハートブレイカー』

もしかすると、脱格系エンターテインメントの原点、もしくは通過点……。
ちょっと考え込んだ。いつの頃からだろう。実際のところはとにかく、ジュヴナイルというのは「善と悪との存在がくっきり」していて「どんな人間だって誠意を込めて相対すればいつか分かり合える」という主題に基づいて書かれていたような気がするのだが。それがいつの間にやら「善と悪との存在なんて相対的なもの」となって、かつ「分かり合うことの出来ない人間とは永遠に分かり合うことはない。分かる必要もない」という風に着実に変化しているようにみえる。
とりも直さず、それが現代の若者気質を素直に表現しているのだとすると、六年前に発表された本書あたりが、現在発表される脱格系作品にもそれなりに影響を与えているのかな……とか考えてしまった。
物語は、とある高校に現れた正体不明の化け物と、それと戦う使命を帯びた複数の人々との死闘を描く。上手いのは、それをほとんど直接的に表現せずに彼らと何らかの関係をもった高校生たちの視点による五つの物語とし、流れや起きたことを想像したり繋げたりする面白さを喚起していることにあるだろう。ほぼ同時期の出来事(一つは後日譚だが)を関係者それぞれの視点によって綴り、全体を立体化することに成功している。平板に読み飛ばすことが出来ないことで却って、読者は物語に引き込まれていく。特に迫力のあるのは平凡を指向する一男子高校生が、化け物であるマンティコアと心を通じる場面。もちろん、これは物語を成立させるための鍵でもあるのだが、彼のような考え方が物語に登場するあたりに新しさが感じられる。目的のためにあっさり友人を犠牲にしたり、人を殺す手助けをするあたりの神経が平然と描かれるのも、シリアルキラー全盛のミステリシーンにおいてはそう珍しくない。だが、こう、学園が舞台の高校生の作品にそのまま登場してしまうところにそこはかとない怖さを覚えるのだ。時代の方が確かにそう。人生経験の少ない者の方が残酷になれることは事実だとは思うのだが……。
物語の怖さと本書が読まれることによる怖さと。 自分がおっさんになってしまったのだろうか。二重の怖さを本書から読み取ってしまうのだ。主人公たちと同世代が本書を手に取れば、なにがしか共感を覚える登場人物がいるだろうことも想像に難くない。それにこれだけの内容でありながら、若者特有の熱気や恋愛感情というものをさりげなく滑り込ませており、それらにも違和感を覚えない。異世界と学園生活との境界線を、現代的若者気質を使うことでうまく暈かしている。 この結果、非常にイージーに異世界の扉を開くことが誰にでも可能のファンタジーを提供できたということのように思う。

本書そのものはシリーズ化をあまり意図した作品とは思えないが、その後ブギーポップシリーズはそれなりに世界を同じくして続編が刊行されている。単純にそちらも読んでみたい、と思わせるのは構成力の良さなのか。ライトノベルファン度調査にて第三位獲得、というのも単純に頷ける内容かと思われる。「今さら」であろうと何だろうと読んでみるもの、だった。


03/08/03
戸梶圭太「ドクター・ハンナ」(徳間書店'03)

何と掲載媒体が、週刊『アサヒ芸能』だったという長編作品。同誌に'02年から'03年にわたり、ほぼ一年間連載された作品が単行本化されたもの。帯に「トカジ本人撮影 ドクター・ハンナ官能写真集」プレゼントがあり、ちょっと「欲しいな」と読了してからしみじみ思う。

私立総合病院である南青山小森病院のナンバーワン外科医・石月畔奈。類い希なる美貌とパーフェクトバディを誇る彼女は、手術で患者の肉体を切り刻むことに快感を覚え、プライベートのセックスもまた相手を傷つけながら自分勝手に快感に達するという危険な女。しかし、院長の小森や看護婦のマミをはじめ病院の内外には、彼女を崇拝する人物たちが引きも切らない。彼女の両親は、人を殺して何とも思わない人物で、彼女の兄は十六歳の時に死ぬときの気持ちを知りたいといって飛び降り自殺をしてしまっていた。彼女は最近一人で自宅サウナに籠もっている時に、その兄の幻聴に悩まされるようになる。病院では、患者を薬漬けにして医薬業界からリベートを集めまくる内科医と、彼らによって衰弱した患者を回される外科医との間で対立が始まっていた。なかでも、畔奈は相性の悪い内科医・藤井雅弘を罠に嵌め、呼び出してトラックで追い回し、精神的に再起不能の状態に陥れた。しかし、藤井雅弘には関係者全て内科医という不気味なまでの結束を誇る、矢印鼻の藤井一族がバックについていた。彼らは一致団結して畔奈を懲らしめようとするが、下見の段階で畔奈の魅力に参る者が出る始末。しかしながら、看護婦を買収して畔奈を何とか窮地に追い込むことに成功するが……。

トカジパワー全開、そのうえいつも以上に下品、いつも以上にパワフル、いつも以上に猟奇
戸梶圭太の作品は、常にハイテンション、ノリノリで始まり、ツカミでぐぐっと読者を引き寄せる。――ではあるのだが、本作の、そのツカミ、いきなりのセックスシーン。そしてそのサディスティック度が高く、かなり猟奇的である。完璧な美女が、男を服従させ、あまつさえメスで男に切り込みを入れながら、最後は内視鏡で胃の中を観察しながらエクスタシーに臨む……。うーむ、最初から半端じゃないわ、こりゃ。
外科医・畔奈の傍若無人、唯我独尊の性生活の凄まじさが延延と描かれる一方で、彼女に完膚無きまでに叩きのめされる男の情けなさ(特に下半身)が極限にまで強調される。決してフェミニストではないが、許さない者は徹底的に叩く。その経過に多少の費用がかかろうと、彼女の心の快適さが何よりも強調される――。
作品に登場する、いわゆる”いい女””力を持った男”に、それよりも安い男女は永遠に勝つことができないのが、トカジズム(今、瞬間で作った造語)における宿命。幽霊話を混ぜ込んで、ちょいとほろりと(違うかも)させておいて、いきなり畔奈が窓から飛び降りる意外な展開。更に終盤、宿敵との戦いを中途半端なかたちで終え、警察に追われるがために行方をくらますことになった畔奈。アレ? いつもと何か違うじゃん? と思わせておいて、結局のところは荒唐無稽なワザを使いつつもしっかりとラストを締めくくる。
改めて思うことなのだが、何が凄いって、これだけむちゃくちゃな展開を読者に突きつけておきながら、常に戸梶作品のラストの後味が決して悪くない、ということ。ま、もちろん個人差はあるとは思うが、少なくとも不快にならないのは、一体何故なのだろう? 勧善懲悪でも庶民の味方でもない、圧倒的個性を持った主人公たちが幸せになるということなのに。

破壊(物質的・精神的・肉体的)を繰り返すストーリー展開やテンションは相変わらずとはいえ、本作の場合はちょっと「やりすぎ」感が、他以上に強い。主人公が(意図した)殺人しちゃっているし、血が出るシーンがシャレにならない程多いし。掲載誌の読者に対するサービスなのか、セックスシーンは現実・妄想含め、やたら生々しく出てくるし。ただ、思わず吹き出す笑える展開も多数あって、個人的には決して嫌じゃないのだが――、ただ、少なくとも「戸梶免疫」のない人には、ちょっとお勧め出来ない感じ。上級トカジスト向け。


03/08/02
高野和明「グレイヴディッガー」(講談社'02)

'01年、第47回江戸川乱歩賞を『13階段』にて受賞した高野氏の受賞後第一作目の長編。書き下ろし。しかし、(多少設定に無理があるとはいえ)これだけの勢いある作品が、該当年度の「このミス」で圏外なのは何でだろう?

八神は少年時代から悪事を繰り返し、何度も警察の厄介になっていた。その顔はいわゆる悪党顔となってしまっている。その八神が、ある事件をきっかけに善事に目覚め、骨髄移植のドナーになることが決まっていた。移植担当の医師との連絡を終え、明日からは手術のための入院生活。彼は、四ヶ月前から警察対策の為に部屋を交換して、赤羽で暮らしているホスト・島中の許に、入院中の費用の借金のために出向いた。しかし、島中は両手を反対側の足の親指に縛られ、沸騰する風呂の中に浮かぶ死体となって彼を出迎える。パニックに陥る八神だったが、更に悪いことに部屋の外に三人の男たちが居り、彼を捕らえようと部屋中に侵入してきた。反射的に島中の所持していた携帯電話とコンピュータの入ったデイバックを持って、八神はベランダ伝いに逃げ出す。隣のビルから商店街のアーケードに渡った八神を追いかけるうち、追っ手の一人が転落。騒ぎは警察沙汰となる。追っ手の存在を恐れ、タクシーにて移動しようとする八神だったが、所持金が心許なくやむなく途中で下車せざるを得なくなった……。  一方、警視庁機動捜査員の古寺は練馬区の資産家中年女性の殺人事件を調べていた。死体は縛られ、沸騰する風呂の中から発見された。古寺は似た事件が赤羽で発生していることを知る。更に数時間の後、帰宅途中のOLが”見えない炎”で焼き殺される事件も発生、その共通点には骨髄移植のドナーカードを所持している点が挙げられた。島中の死体が発見されたことで、重要参考人として警察にも追われるようになった八神。それでも彼は骨髄移植を待つ少女が眠る東京の反対の外れ、六郷土手に位置する病院にたどり着かねばならない。

逃げる逃げる。逃げの天才の逃げっぷり。異様な迫力で迫る巻き込まれ型・弩級サスペンス
一個人が、大きな陰謀に巻き込まれ、訳も分からないまま逃走する羽目に陥る――というのは、いわゆる”巻き込まれ型サスペンス”の典型中の典型といえるスタイル。ここに欲張りなまでにいろんな要素を入れた点、そしてその”逃げっぷり”が、際立っている点が本作の二つの特徴として挙げられよう。
いやいや、設定にはかなり無理があるのは承知。基本的に骨髄移植が中心となっている序盤はとにかく、主人公を追う警察以外の人々の存在。時間の経過した死体が引き上げられても新鮮なまま、という特殊ケース。わざわざただでさえ困難な連続殺人を、中世の魔女狩り伝説に見立てて実行する怪人物。警察内部の刑事と公安との対立。大物政治家……。ちょっとごちゃごちゃしているかな? というくらいに無理矢理に物語に込めらてしまった”要素”は確かに多い。ただその無理のなかでも一応辻褄は合っている。現実離れしている、と批判するのは簡単かもしれないが、そういった細かいリアリズムに対するこだわりを、吹き飛ばして深く追求させないだけの迫力が本書にはある。
その迫力の源泉となっているのが、主人公の逃走の凄まじさにあるのだ。東京の地理が分からない人は時刻表でもなんでも参照すれば良いと思われるのだが、主人公の移動に必要な距離は「赤羽」→「六郷土手」間である。赤羽から京浜東北線で一気に品川、そして京急に乗り換えて六郷土手。乗車時間51分その他時間11分、今調べたが合計1時間少しで移動できる距離である。これに邪魔が入る。序盤のみ明かすと部屋からベランダ伝いに隣のビル→商店街アーケード→タクシー→水上バス→徒歩→放置自転車…… と物語の四分の一まで進む前にこれだけの手段が使われる。ここから警察にも追われるようになって更にヒートアップするのだが、それは読んでのお楽しみ。とにかく、一つの善行を成し遂げる為にこれだけのパワーを用いる(用いさせられる)男は、ちょっと普通の小説には見あたらない。
それまで謎であった様々な事柄、八神を追う組織の正体、殺人者の正体、不死身の殺人者の動機、事件の構図等々はきちんと終盤までに明らかにされていく。このあたりの伏線の張り方が、微妙に巧い。前半部にて語られていながら、後半には忘れてしまいそうな細かなエピソードにきちんと意味があって、繋がっていく。自称悪党の主人公ならではの”仕掛け”についても見どころがある。また、ラスト近くをsupernaturalで落とすところがあり、このあたりは賛否両論あるだろう。だけど、だからこそのグレイヴディッガーの伝説なのだと、個人的には余韻として面白く感じた。また、横山秀夫の『半落ち』とはまた全く異なるかたちで骨髄移植を扱っている点、一概に比較はできないが、共通点もあるので読み比べるのも面白いかも。

厳密に読めば読むほど細かな設定における瑕疵が見えてくるのかもしれない作品だが、主人公の半端でない逃げ方と、その工夫や、警察内部の抗争等、かなり考え込まれており、最初から最後まで緊張感が持続する。 いわゆる本格ミステリとは確かに言い難いが、サプライズもいろんなかたちで用意されており、少なくとも初読時の一気読みは保証つき。ああ、あまり本作の噂を聞かないように思うのは、ちょっと陰気さを感じる表紙があまり良くなかったのかも。


03/08/01
紀田順一郎「第三閲覧室」(創元推理文庫'03)

評論家・翻訳家としても知られる紀田氏によるミステリ作品。'99年に新潮社より刊行されたハードカバーが元版。幻の古書を扱っている点、紀田ミステリ的ではあるのだが、本書の舞台は神保町ではなく大学の図書館であり、これまでの作品とは少し様相を異にしている。

八王子にある新進の私立大学・誠和学園大学は学長・和田凱亮の個人的な方針により図書館が充実していた。と、いうのもワンマン学長は図書館を半ば私物化しており、特に稀覯本ばかりを集めた「第三閲覧室」は、学長が特に許した人物でなければ研究者に対してもオープンしないという徹底ぶり。そんな大学内部では、学長の支配に対抗する一派と学長派との間で勢力争いが続いていた。マスコミ出身で編集業務から、学長の義理の息子・宣雄の引きにより、誠和学園の講師として雇われている島村。還暦を過ぎた彼にとっては、そういった勢力争いは煩わしいだけのものであった。糟糠の妻を亡くし、娘は海外に嫁ぎ、息子が家を飛び出したままという島村は、自宅を出て教員宿舎に住居を移すことに決め、大量の蔵書を大学の研究室に運ぶにあたり、宣雄から紹介を受けた結城明季子という”学内のマドンナ”に手伝いを依頼した。ところが夏休み、学校図書館の燻蒸作業終了後に、明季子は「第三閲覧室」内部で死体となって発見される。しかも、燻蒸ガスは決して毒性は高くなく、彼女は逃げられた筈なのに何故? 当日、学内にいた島村は何らかの関与を警察に疑われて失踪。島村を良く知る古書店主らが、彼の無実を探るための調査を開始するのだが……。

本は豪華絢爛、トリックはシンプルで意外。枯れた渋みのある味わいが深い本格ミステリ
序盤は、物語における重要人物である島村という講師(主人公とは言い難い部分あり)の半生が描かれる。この部分、読んでいるあいだちょっと重たく感じた。彼がなぜ、現在大学の講師になっているのか。彼の家庭環境はどうなっているのか。彼はどのような人間関係を抱えているのか。なぜ引っ越しする必要があるのか。そういった事柄がかなり緻密に描写される。描写を通じて間接的に事件の背景を描くという意図は感じられるものの、作品全体を通じて、ここまで精緻に描かれる必要があるのかは多少疑問も湧く。ただ、図書館の燻蒸の毒で女性が死亡、というミステリとしては非常に珍しい謎が登場し、島村が疑われるようになってから、物語は変奏を重ねていく。ノリが良くなるのはここから。
新聞記者・島村を知る古書店主・図書館関係者が謎解きを開始する。肝心の島村は雲隠れ……という中途の展開も面白いが、稀書・珍書の名前ががんがん登場もし、徐々に「第三閲覧室」を作った学長・和田凱亮の人間像が浮かび上がってくる。また、ミステリとして本書が最も特徴的なのは、事件の解決シーンにある。 というのは、第三閲覧室で証拠となる幻の本を専門家と扱っているところに、事件の関係者が乱入、なし崩しで謎解きになるのだが……。名探偵が「さて」とするでなく、関係者同士での旧悪の暴露合戦になるのだ。とはいっても、その情報によって関係者の隠れた人間関係が浮かび上がり、更に事件の裏に隠されたシンプルなトリックが明らかになり、意外な犯人が浮き彫りにされる。複数探偵による論理のぶつけ合いではなく、それでも複数探偵による解決。古書ならではのダイイングメッセージや、本に隠された秘密。図書館ならではの奇妙なひとことの解釈。いわゆる美術品の贋作を扱ったミステリと似て非なる世界がベースとなっており、”本”好きにとっては、本格ミステリ愛好家でなくとも興味深く読める作品となっている。

登場人物のほとんどが熟年を超え、老年に近いのも特徴だろう。 若者ばかりがミステリの主人公ではない。その世代になってからしか書けない世界が拡がっており、そういった世代ならではの動機や誤解がミステリを構成しているともいえる。その意味、大人の本格ミステリとしての気高い香気を放っているといえるだろう。但し、同時に書痴ならではの常人には理解しがたいだろうアホさ加減も味わえるのも特徴か。