MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/09/10
二階堂黎人「増加博士と目減卿」(原書房ミステリー・リーグ'02)

二階堂氏が角川書店より刊行している『奇跡島の不思議』は、学生・水乃紗杜瑠シリーズ作品の事実上一作目にあたるのだが、書店に並んでいる作品とは発想の異なる別のバージョンがあり、二階堂氏のWEBサイト内で公開されている。その際に登場しているのが「増加博士」。(もちろん、あの探偵が意識されたキャラクタである)。 三つの中編を、本書そのものの説明となる「道化芝居」なるプロローグ、インターローグ、エピローグが挟み込む形式となっており、「増加博士」がメタ的存在の名探偵として謎を解くというもの。『雷鳴の轟く塔の秘密』が書き下ろし、で残り二編はアンソロジーや雑誌に先に発表された作品。

陸中海岸付近に設置された展望室付き核シェルター。大学の美術サークル《ミューズ》の面々が、作者・二階堂黎人によって、この内部に閉じこめられる。被害者になるのは四年生の麻生真梨央なのだという。残りの面々はシェルター内部で満漢全席を食してゆっくり。しかし、突然の停電のあと、隣の展望室に閉じこめられた麻生が死体となって発見される。彼は「Y」と斜めに読めるダイイングメッセージを書き残していた。 『「Y(表記はYが斜め)」の悲劇――「Y」がふえる』
今度の被害者は、《ダルマ》こと木田純也。彼は足跡のない砂浜に停車している自動車の内部で他殺死体となって発見された。しかも、その自動車は施錠されたうえ、内部からガムテープによって目張りが為されており、死体は女性ものの下着によって装飾が為されていた醜悪なものだった。 『最高にして最良の密室』
イギリスはスコットランドから移設された《雷鳴城》には、呪われた伝説を持つ《首吊りの塔》があった。その塔の最上階には小部屋があり、過去二度にわたって、閂を掛けられたその部屋内部で不可解な殺人事件があったのだという。そして《ミューズ》の面々が扮する登場人物により、再び事件が発生する。死体は眉間を打ち抜かれて塔の外に転落、やはり部屋には閂が掛けられていた……。「増加博士」のみならず、ライバルの「目減卿」も登場、エジプトピラミッドの秘密までも含めた、熱い推理が。 『雷鳴の轟く塔の秘密』

トリックメーカーだからこそ、メタ構造が生きる。二階堂流トリックを活かす最良の形式かも
シリーズ毎に検証するまでもなく、二階堂氏の編み出す作品全体が発している特徴といえば、やはりその不可能趣味に満ちたトリックに尽きるように思う。キャラクタで魅せたり、舞台で魅せたり、設定で魅せたりといった小説的な部分を、決しておろそかにしているというわけではないが、どの作品について考えてみても、基本かつ中心に据えられているのは、特に伝統的な”本格ミステリ”の系譜に則った、真っ正面からのトリック(特に密室)へのこだわりであることに異論はないだろう。
本書は、その”こだわり”を前面に押し出す一方で、それ以外の要素をメタ化することによって、可能な限りにトリック一本に焦点を絞った物語群であることがいえる。メタ化して自らや作者を茶化すシオンら登場人物によるセルフパロディや、増加博士や目減卿といったユニークな設定を持った登場人物は、読んでいるとどうしても目立つし、作品に独得の雰囲気を付け加えている点は否定しない。だが、それらは二階堂氏にとっては、どちらかといえばトリックを演出するための”方法”に過ぎないはず。(ここで読者を楽しませるというのは、それはそれで良いことだと思うが)。なぜ彼らが舞台にいるのか、彼らの人間関係がどうなのか……といった、長編を描く際に必須のさまざまなトリックの背景にあるもろもろについて、その物語の外側の人物が解説することによって、細かな説明が実に簡単になる。”そう”だから。これでいい。更に、読者によってはこだわりを感じる人もいるだろうが、殺人に至った動機の書き込みまでをもこの”方式”においては簡略化できてしまう。
つまり、この”方法”を用いれば、二階堂氏の最も描きたい”トリック”をあくまで(分かりやすく)中心に据えることができるのだ。核シェルター内部に完全に閉じこめられた人物たちが容疑者となる殺人事件。海辺の車が演出する三重密室。そして古びた塔の最上階で発生する不可解な連続密室殺人事件。これら、豪華とさえいってよいトリックを、中編という紙幅にて表現するために、二階堂氏は潔くメタを選んだ……のではないかと考える次第。個人的には、これらは成功していると感じる。読了後はトリックが頭に焼き付くような印象が残ったし。

そして、本書にて取り上げられる各種密室は、本格至上主義者、トリック至上主義者を喜ばせること必定。メタ形式の物語の採用によって、本書が二階堂氏の”遊び心”の部分が強調されているようにみえるかもしれないが、実は、こちらの方が氏にとって保守本流的作品なのではないかと逆に感じた。一方で、「ミステリであっても、小説である以上、人が描けて無くては……」というような、本書の存在とは逆説的な意味で偏狭な読み方をされる方には、絶対に受け入れられそうにないことも事実。本格ミステリにはこのような方法もある。(但し、やりすぎてしまうと推理パズルに堕してしまう可能性もあり、匙加減は難しいと思う)。


03/09/09
霞 流一「呪い亀」(原書房ミステリー・リーグ'03)

狸、狐、蟹、馬、蛸、鹿、虎、鰐、海老。動物でなく地蔵尽くしで番外編的な『首断ち六地蔵』を除くと、相変わらず動物尽くしのミステリにこだわる霞氏の新作、題名から類推される通り、もちろんテーマは「亀」。私立探偵・紅門福助が探偵役を務めている。

双鷹町にて「一富士旅館」を経営する那須福太郎。映画関係者がよく宿泊していたことがきっかけで那須は、遂に自前の映画館を開業するに至った。開業を間近に控えているにも関わらず、何者かによって縁起の悪い現象がいくつも仕掛けられているのだという。盛り塩の脇に置かれた立て箸、落とされた燕の巣、紐の切れた運動靴、左前の着物、家の中に入ってくる雀……。さらに三年前の宝石強盗事件から、謎の”走る老人”事件まで、平和そうなこの街も意外と騒がしい。那須はその、一富士シネマ館では、縁起の良いことで知られる俳優・越森周出演映画を特集し、彼の舞台挨拶とトークライブを企画していた。そんななか、彼は、私立探偵の紅門福助に「連続不吉事件」の解決を依頼。映画関係者が集まるなか、越森とそのマネージャーに対し、探偵が捜査している点がアピールにもなるのだという。しかし、そこに最大級の不吉な事件・殺人事件が発生。被害者は街の外科医で、死体は剥製のウミガメに乗せられ、周りには鼈甲細工が飾ってあった。現場近くでは”走る老人”の目撃情報が。更に、映画スタッフの一人が一富士シネマ館のなか、密室状態で殺害された。死体の一部が切り取られるかたちでの亀の見立て。更に関係者が”亀の蔵”と呼ばれる土蔵のなかで殺害される事件まで発生。亀尽くしの事件に紅門はどう挑む?

これまでの霞流動物尽くしの系譜にありながら、真面目度も合わせて高いド本格パズラー
バカミスの帝王と、自ら称しながらも、常に霞氏の作品には複数の大技トリックが駆使されており、(確かに大技過ぎて、現実にはちょっと難しそうなトリックもあるけれど)、伏線と論理から探偵役がしっかりとそれを解き明かしていく、本格パズラー的要素をもまた、しっかりと大切にしている印象がある。本作も、またこれまでの作品と系譜こそは同じだが(探偵役も同じだし)、その”基本的な要素”、つまり「奇妙な謎の提示」その「論理的な解決」を、特に大事にしているように感じられた。また、これまでの作品に比べて、謎の提示の数を、ほんの少しだけ抑えた程度かもしれないが、読み終わってのスッキリ度が高い。
そうはいっても序盤のドタバタ度は相変わらず。探偵の前で無節操に発生する犯罪は、追いかけるのがやっとであり、亀はのろい筈なのに、スピーディに展開する。亀の見立てによる殺人、衆人環視のなかでの犯人消失、抜け穴のない土蔵での殺人……と、強烈なHow done it? がまず目立つが、合わせてWho done it? があることももちろんである。この段階で犯人を見破ることのできる方はまずいないだろう。ただ、紅門による解決部分に感心する。伏線が実に綺麗に張り巡らされていたのだ。それも”トリック内部”に仕込まれているよりも、それ以前の何気ない人物描写の際に描かれている点が、非常に重要な手掛かりだった、というあたりにショック。 特に、あるトリックに使用されなかったがために、解決論理のなかに持ち込まれる○○○の使い方がうまい。あんなに冒頭に、性格描写に使われていたとしか思えないところにラストへの重要な伏線があるとは。また、亀という主題の使い方が、実に巧みなミスリードになっている。現実にこの犯罪が可能かどうか、という点は置いておいても、作品内で築き上げられたリアリティのなかでは、これらは全て「アリ」なので、良いのだ。

通して得た印象としては、相変わらずのふざけた題材、そして霞流の上滑りするギャグは連発されていながらも、その本質部分に、非常に「真面目な本格パズラーへの取り組み」を感じた、ということ。これまでも傑作の多い霞ミステリではあるのだが、その匙加減が徐々にマニア受けから、一般ファン向けに降りてきている……ように思われた。楽しい読書時間を頂きまして、ありがとうございます。


03/09/08
海渡英祐「白夜の密室 《ペテルブルグ一九〇一年》」(徳間文庫'90)

伯林―一八八八年』にて第13回江戸川乱歩賞を受賞した海渡氏にとって、本作は、舞台も場所も登場人物も重ならないながら、題名をみるに、その続編じみた思いが込められていたのではないかと感じられる。'77年に『野性時代』に一挙掲載され、更に全面改稿を経て同年角川書店から刊行されたものがオリジナル。本書はそれより十三年が経過した後の文庫化作品であり、残念ながら本書以降は再文庫化等は為されていない。

明治末期、二十世紀初頭。海軍将校であり、部下の安否を気遣うがゆえに敵弾に斃れたその美談から、後に日露戦争の英雄として祀られる広瀬武夫は、ロシアの首都であるペテルブルグに駐在していた。石部金吉として知られた広瀬だったが、ロシアの海軍将校一家と親交を結ぶうち、その娘であるアリアズナと恋仲に陥いる。時に、ロシアでは帝政打倒を目指す革命党の動きが本格化しており、また日露開戦が噂されるようになって、軍人である広瀬は思うような情報をロシアから収集できなくなりつつあった。政府は、その状況の打開するため、民間人である北沢邦彦を登用、新聞記者を名乗らせスパイ行為を命ずる。北沢は不遇な生まれで密航によって海外に出奔。各国語を学びつつ、その日暮らしを送っていたが、ドイツでイリーナというロシア人女性と知り合い、生まれて初めての真剣な恋を経験する。彼女は革命党に所属しており、ロシアに戻れない身分であった。一年近く彼らは同棲していたものの、イリーナは何者かに殺害されてしまう。北沢は、彼女が残したロシア革命党の伝手をもとに、ロシアでのスパイ活動を実施することを考えており、その計画が実現に移される。そして北沢が重要情報を手に入れようとした白夜の晩、その情報の出し手となる人物が、衆人環視の密室内部で死んでいるのが発見された。

二組の異国の男女が織りなす悲劇的なラブロマンス――そして、その物語が密室殺人と絡む
海渡英祐の筆力はいうまでもないのだが、見事な”物語”である。
史実に則った設定、即ち、実在人物である広瀬武夫が、ロシア駐在時代に露軍将校の娘と親しくなるも、その悲恋が全うできなかったという話がベースとなっており、その物語から齎される叙情は並大抵のものではない。結末を読者が知っており、この部分で意外性こそ演出できないまでも、愛し合う二人の狂おしいような心情が、びしばし読者の胸に突き刺さる。一方、こちらは架空の存在であろう、北沢邦彦の存在感も抜群。世間を醒めた目で見詰めるこの人物の生涯や、その唯一の愛人を喪った心情もまた、丁寧な描写によって引き立てられている。彼らが活躍する二十世紀初頭のロシアの様子も、こちらも資料がベースとなっているのだろうが、雰囲気がよく伝わってくるもので、知りもしないのにその外国の、しかも百年以上前の光景が瞼に浮かんでくるような錯覚さえ覚えた。この物語の部分が、実は抜けて豊かな内容となっているため、極論をいえば、ミステリである必要性さえ薄く感じられた部分さえある。
そして、ミステリ。人間の出入りがチェックされている離れで、部屋が荒らされて主人が殺され、重要機密が喪われているという状況。実はその離れに抜け道があるのだが、その抜け道が塞がれていることで密室と化した現場。事件の勃発がちょっと唐突な印象は拭えないし、そのトリックはシンプルなもの。ポイントは犯人の動機ということになろうか。しかし、この密室の謎の解決が本書の眼目でないことは明らかであり、こういった状況を創り上げた犯人が、なぜそのような犯罪を犯すに至ったのか――がポイント。 そのポイントもまた、結局は日本人とロシア人の愛の物語の引き立て役として留まっているに過ぎない。ミステリ部分を検証して改めて気づいたが、やはり、二つの愛の物語としての印象が遙かに強いのだ。(愛の物語とはいっても、いわゆるめろめろのラブロマンスとは異なり、その時代を背景にした骨太の作品である点も付け加えておく必要があるかもしれない)。

歴史ミステリがお好きな方には無条件でお勧めできる一方、トリック至上主義者の方だと落胆されるかもしれない可能性あり。ただ、一冊の”物語”としての完成度は、はっきりいって抜けており、読み終わった後の満足感は十分。この時期、昭和期の乱歩賞作家のポテンシャルの高さを見せつけられた。


03/09/07
物集高音「吸血鬼の壜詰【第四赤口の会】」(講談社ノベルス'03)

'01年に講談社ノベルスより刊行された『赤きマント【第四赤口の会】』に続く作品。奇妙な事物を持ち寄って、都市伝説や昔話の常識を、特異な経歴を持つ個性豊かな面々が再検証する「第四赤口の会」シリーズの二冊目となる短編集。『メフィスト』誌に'02年に掲載された三作品に、書き下ろしの『口裂け女のマスク』が加えられている。

区立図書館司書にして系譜学者の忌部伊人(いんべ・これひと)が第四赤口の会に持ってきたのは、花咲爺が撒いたという灰。日本五大昔話「花咲爺」の物語を再検討して得られた日本人の起源とは? 『花咲爺の灰』
精神科医にして人格検査専門家のハンス・丸木・レヴィット博士は到着が遅れている。が、彼が持ってくるというのはグリム童話と日本の民話に共通する「手無し女の手」だという。果たして、手無し女の物語が示唆していた当時の風習とは何だったのか? 『手無し娘の手』
古書「相見月波堂」店主にして書誌学者の相見小夜子が第四赤口の会に持ってきたのは「吸血鬼の壜詰」なのだという。東欧の吸血鬼伝説から、創作に至るまで、吸血鬼という存在は歴史的なあるものを擬態化したものに他ならないという彼女の説とは? 『吸血鬼の壜詰』
第四赤口の会の主宰者、大学講師にして見世物研究家である図子美方(ずし・よしかた)の姪で、第四赤口の会最年少会員、富崎ゆうは、女子高生にして都市伝説・民話研究家。彼女が持参したのは何の変哲もないマスク。これが「口裂け女のマスク」なのだと彼女はいう。 『口裂け女のマスク』以上四編。

有名な都市伝説や、有名な昔話からキーワードを拾い出し、シンプルに解釈を付けていく
前作を読んだ時に、本書の文体が「非常に読みづらい」と書いたが、作者によって、恐らくかなりの文章の改善が為されていることと、小生自身、物集氏の文体やテンポに慣れてきたことの二重の合致から、かえって非常にすらすらと読めるようになっていた。前作でネタはいいけど、文章が……、と思われた方にも改めてお勧めすることが出来そう。本書は、誰もが知っているような有名な物語や昔話、都市伝説にまつわる事物を会の誰かが持ち寄り、それをメンバーが推理・検証して、討論する話である。 従って、ストーリーを持った物語ではないが故に、文章のリズムが堅苦しくなっただけでエンターテインメントとして致命的に読みづらくなってしまう可能性がある。作者が、何とかそのあたりの折り合いを付けてくれた――ことがまず印象的。

これまでも、歴史上の謎に題材を取ったミステリは数多くあり、その場合、その「歴史の謎」に現代の殺人事件が絡んで……というパターンが圧倒的に多い。(現代でいえばQEDシリーズなんかがそれにあたるだろう)。 そんな中、「歴史の謎」(厳密には都市伝説や昔話など、人口に膾炙している、一般的な謎) だけにシンプルにポイントを絞って、その解釈だけで魅せる……という手法を確立しつつある点が本シリーズのポイントである。(鯨統一郎のデビュー作品『邪馬台国の謎』あたりがその端緒となるのかな)。シリーズの完結まで追わなければ何とも断言はできないのだが、恐らく登場人物にまつわる謎が明かされる……といった連作短編集のような仕掛けは、存在していないように思われる。ただ、そのことが逆に、どの作品をいきなり手にとっても、それなりの新解釈や、眼からウロコが落ちるような意外な真実(あくまで作品内の、だが)を味わうことが出来るのだ。いわば、近年の物語に多い、蘊蓄の面白さ、この部分に特化して読ませる作品だといえる。これはこれで良いのではないか。ワタシなどは、リアルタイムに近いところで発生していた都市伝説「口裂け女」(最近も噂が再び世間に広まっているという話も) の再検討、再解釈を本書で体験、その結論に「ほう」と唸ったクチ。なるほど、時代性を踏まえるとそこから出たと類推される訳ですか。あの「ポマード、ポマード、ポマード」にそんな意味付けが。恐らくこの当たり、読者によって「ツボ」は違えど、嵌るとずんと来る、はず。

今回のテーマ、「花咲爺さん」「手無し娘の物語」「吸血鬼」「口裂け女」といった話題に興味がある方は、一読をどうぞ。ただ、通常の意味合いでのミステリとは全く異なり、本筋無しで、蘊蓄だけを楽しむといった趣である点、しかとご留意のうえ、お読み下さいまし。


03/09/06
京極夏彦「陰摩羅鬼の瑕」(講談社ノベルス'03)

メフィスト賞創設のきっかけともなった京極夏彦が『姑獲鳥の夏』をもって講談社ノベルスに初登場したのは、'95年のこと。京極氏はそのデビュー当初より、次作の題名をカバーの袖にて発表していた。(当然、森博嗣氏より早い)。 前作『塗仏の宴』にて発表されたのが、本書の題名である『陰摩羅鬼の瑕』。外伝的な作品はいくつか発表されたものの、書き下ろし長編としてはそれから実に五年。(発売予定が変更されること数知れず?)、満を持しての登場となった。(また、本書の一部は、アンソロジー『金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲』等にて先に公開されていた)。

旅先で高熱を出し、失明した榎木津を助けて欲しいと、助手の益田から依頼を受けた関口巽。榎木津が探偵としての仕事の依頼を引き受けていた信州の元伯爵・由良昂允の屋敷を訪れる。近隣の人々から”鳥の城”と呼ばれる、無数の鳥の剥製によって飾られた、瀟洒かつ豪壮で巨大な屋敷に住まう由良は、数十年の人生の殆どを屋敷のなかで過ごしたという学究肌の人物。そして礼儀正しく、人柄も良い紳士であった。由良は、あるきっかけから偶然知り合った元教員・奥貫薫子と、彼自身五回目となる結婚式を挙げようとしていた。彼のこれまで娶ろうとした四人の妻は、常に婚儀の夜、何ものかに殺害されていたのだ。しかも毎回、全く同じ手口であるにも関わらず、犯人は捕まらず迷宮入りとなってしまっており、元伯爵は心を痛めていた。そんな彼は”探偵”である榎木津に白羽の矢を立て、警護を依頼したのだが……。一方、相変わらず体調と心の調子の悪い関口は、榎木津が不調のため、すぐに追い返されるものと思い込んでいたが、その由良は、特異な人間と交流して、真理を探ることを無二の楽しみともしていた。”探偵”と”小説家”のコンビはその格好の対象となり、丁重に館に迎え入れられる。物腰も柔らかく、知識も豊富、素直な心を持った由良と、彼のことを心から慕う五人目の花嫁・奥貫薫子のふたりに、関口は同情を寄せるようになる。そして、彼らの結婚式が行われる晩、指名に燃えた関口が徹底した警備を行ったのだが……。

ミステリは「枠」だけ借りました。その高みへと邁進する、紛うことなき”京極小説”
まず云えることは、恐らく作者に、事件の犯人を隠す意図があまり無かったであろう、ということ。”日本語”に徹底したこだわりをみせる京極氏の作品に誤植などがある筈もなく(現実には皆無ではないけど)、ある言葉に対する表現の違和感に早い段階で読者は気づく筈である。ただ、作品としては、その上でも楽しめるようにできている。寧ろ、読者が、犯人が誰かを看破したうえで読むだろうことを京極氏は先に意図しているものと思われるくらい。 もちろん、最終的に京極堂が関係者を集めたうえで”憑物落とし”を実行するかたちで、いわゆる普通のミステリとしての体裁は取られているため、仮に読者にとって犯人が不明であっても、最後まで訳が分からないまま、ということはない。
却って私にとって最後まで分からなかったのは、何故犯人がこのようなことをしたのか、の方。こちらは恐らくかなりの読み手であっても、謎解き以前に、犯人の動機に完璧に到達できる方はそうはいないはず。 その意味で本作は、Why done it? のミステリということは、少なくともいえるだろう。また、設定の「鳥の城」「館から出ない生活」「花嫁の度重なる死」……こういった特殊環境によって浮かび上がるのは、家族の在り方の非画一性と、個人個人による常識の線引きの違い。人によって異なる「当たり前」の線を、思い切り大胆に引き直した物語だといえる。家族をテーマにして、本書に近いことを宮部みゆきは『理由』でやろうとし、京極夏彦は、この妖怪小説で書いた、といえるのではないか。また、ラストにおいて明かされる屋敷の執事の位置づけが、結局 Why done it? として本書を眺めた時の、さりげないながら最大のミスリーディングとなっている。動機を想像しながら読んでも、この点がうまく当てはまらなかったのだが……。この、彼に対する扱いの、一種の残酷さが、家族の物語にして、華族の物語である本書の切れ味を鋭いものにしているように感じた。

偏見かもしれないが、作者が最も楽しそうに描いているのは中盤の京極堂と、学生・柴が「姑獲鳥」の成立について、改めて語り合う場面のように思われた。また、仏教と儒教との隠された関係、日本式仏教の秘密等々、蘊蓄部分については相変わらず意外性・説得性共に高く、正直、眼からウロコの面白さ。こういった考察が、さりげなく挿入されるあたりは、やはり京極小説ならではの魅力である。また、作中作として挿入されている関口巽の短編作品『獨弔』は、幻想小説として傑作である。この文体と醸し出される世界は作中作のみに置いておくのが勿体ない。遊びで結構なので関口巽作品集『目眩』も、京極氏の手遊びにでも書いては頂けないものだろうか。(たぶん無理だろうけど)。

トータルで考えると、本書はやはり”京極小説”としか形容できまい。 本格ミステリとして”謎解き”主体で読ませるだけのものでもないし、妖怪小説として妖怪の蘊蓄だけの作品でもない。もちろんキャラクタが縦横無尽に動き回るだけの作品でもない。それらの要素からこの世界に立ち入ることは可能だが、この作品は、そういった要素抜きに全てを受け止めたい。京極夏彦にしか書けない、京極小説として。

 (おまけ情報)

本書後半に捜査員として登場する、挙動不審の刑事・大鷹は、既にe-NOVELSにて発表されている短編『大首』に登場している。個人的には先にそちらを読んでいたので、彼の行動の理由等は容易に類推できたが、このあたり、本書を読んだだけでまだ『大首』を未読の方には少々分かりにくいのではないかと思われる。大鷹が、奥貫薫子の死体を前にして、なぜあれだけおろおろしていたのか。彼が事件後、なぜ警察を辞めてしまったのか。そのあたりが知りたい方は『大首』を、e-NOVELSにて購入して読みましょう。税込みたったの158円。(宣伝)。


03/09/05
森 博嗣「虚空の逆マトリクス」(講談社ノベルス'03)

保呂草や小鳥遊らが活躍した、いわゆる「Vシリーズ」が全十冊をもって終了、その次に刊行された、講談社ノベルスでは四冊目となる森氏の短編集。『メフィスト』や『小説推理』『小説新潮』等、雑誌掲載の六編と、アンソロジー『21世紀本格』に収録された「トロイの木馬」からなる。この短編集のために書き下ろされた作品はない。

千宗が働いているコンピュータネットワークがウイルスによって汚染された。原因は千宗が持ち込んだゲームなのか。ほとんどの人間がオンラインに生活の場を求め、オフラインでは滅多に顔を合わせない時代、千宗はウイルスの原因を探るうちに、極秘の医薬品関係の情報に接してしまうことになるが……。 『トロイの木馬』
老婆といっていい年齢に関わらず、真っ赤な服を着て派手な化粧をしている女性は、街の人々からメアリィと呼ばれていた。一年中、彼女は日中、街の一角に座ってずっと何かを待ち続けているようだった。僕は彼女の昔を知るという老人と出会う。 『赤いドレスのメアリィ』
会社を辞めてミステリ作家となった僕は、昔からの友人・シンちゃんを作品内の名探偵として登場させるようになった。そのシンちゃんは字が読めないので本も読めない。僕が海外の取材旅行に出かけて戻ったところ、長年親しく付き合っていた女性・真由が他殺死体となって発見されていた。 『不良探偵』
快適な移動空間を約束してくれるはずのタクシー。その内部が最悪な空間に変ずる時がある。それは、やたら客に話しかけてくる運転手が乗車しているタクシーとぶつかった時だ……。 『話好きのタクシードライバ』
D&Kセメント会社の社員食堂冷凍庫から男性の他殺死体が発見された。「ほし…」と書き残されたダイイングメッセージから食堂を経営する星茂一家が疑われる。普段からその食堂を切り回し、回文同好会を主宰するリリおばさんがその謎に挑む。 『ゲームの国(リリおばさんの事件簿1)』
秘書のミス・ツィンケヴィッツが帰宅した後の探偵事務所。近所の幽霊屋敷の話を聞かされていた探偵のティモシェンコは、女性の依頼人の訪問を受ける。その幽霊屋敷にかつて住んでいた姉を捜して欲しいと彼女はいうが、手掛かりらしい手掛かりは与えられない。 『探偵の孤影』
西之園萌絵のマンションを訪問する犀川創平は友人の喜多教授を連れてきていた。一方の西之園萌絵は、外出の後、なぜか知り合いの近藤刑事を連れ帰っていた。近藤刑事が巻き込まれている誘拐事件が不可解な要素を抱えているというのだ。衆人環視のなかで身代金が石ころにすり替えられていたのだという。 『いつ入れ替わった?』 以上七編。

文体に実験、ミステリに実験。付き従う読者のみを相手にした(?)森ミステリィ群
犀川創平と西之園萌絵とのラブストーリーのボーナストラックといえる『いつ入れ替わった?』が本作品集の眼目となるだろう。犀川が一大決心をして臨む西之園家訪問。しかし、二人は何故か双方友人を連れてきてしまい……という微妙な心理ももちろん面白いのだが、その持ち込まれた謎がまた魅力的なのだ。誘拐犯人の指示に従って、身代金運搬の役目を仰せつかった刑事が、車であちこち走り回った挙げ句、高速道路のパーキングからタクシーに乗り換えさせられて、森林公園の広い駐車場に身代金を置いたのだが、刑事たちが監視してすり替えのチャンスなど無かったにもかかわらず、現金の入った紙袋の中身が石ころにすり替えられていた……というもの。いくつもの可能性が検討された後の、蓋然性の高い真相、これがかなり大胆。あまり似たような前例も思い当たらないし、この発想は森氏らしい。誘拐ものにはまだまだ金脈があるのかも……とも思わされたうえ、これを短編であっさり使用してしまう(とはいってもこのトリックだけで長編は支えられないだろうが)森氏の発想力も凄い。ただ、トータルとしてはシリーズを通じて読んできた人に対する御褒美、といった意味合いが高いのだろうが。

そして、残りの作品についての評が難しい。 もともと『21世紀本格』というアンソロジーに寄せられた『トロイの木馬』あたりは、そのSF設定そのものが、これまでの森作品の登場人物の思考方式を進化させることで実現した世界観に満ちており、ミステリとしてよりも、その世界そのもののからくりが即ちトリック化しているように感じられる。また、作者の実体験がもとになっているのであろう『話好きのタクシードライバ』に至っては、ほとんどエッセイの如き様相。(だからこそ、同調できる部分もあって、それはそれで興味深い)。 また、『不良探偵』における探偵役の設定も意表というか、常識を外れている。『探偵の孤影』はハードボイルド探偵を下敷きにして、締めのところを森氏らしい処理にてまとめているが、これは従来からよくある設定を森氏なりに咀嚼しなおした作品だといえるだろう。『ゲームの国』は、恐らく事件そのものよりも、作中に登場する回文の方に力が入っているような気がする。これがオリジナルだとするとかなり凄いのだが、こういった言葉遊びに興味がある人以外に評価されるべきものなのかに疑問符が付く。

即ち、森氏のさまざまな創作の手法や側面が、いろいろなかたちで発現した作品集、というのが小生の評価。かなり実験的な部分もあるし、単純に作品だけ取り出しても、その面白さを理解するのが難しいものも散見されるように思われるのだ。従って、既にそれなりの市場(マーケット)となっている「森ミステリィの熱心な読者」を主な対象読者とした作品集――と考える次第である。


03/09/04
斎藤 栄「徒然草殺人事件」(集英社文庫'81)

'75年に光文社カッパ・ノベルスより書き下ろし刊行された作品が元版。'70年発表の『奥の細道殺人事件』、更に『伊勢物語殺人事件』に続く、斎藤氏の「三大古典殺人事件」三部作の掉尾を飾る作品である。ちなみに「三大古典殺人事件」は、現実の殺人事件と並行して、三大古典に込められた歴史上の常識を斎藤氏が疑って、新解釈をストーリーに盛り込むという趣向が貫かれている。主人公等は重なっておらず、物語上はノンシリーズ作品となる。

神奈川県立の厚生施設・紅葉ヶ丘会館の館長・酒井省三は流行の兆をみせていた「オセロ」ゲームの愛好家であり、併設されている結婚相談所の所長を兼務していた。また酒井は歴史に深い造詣を持っており、鎌倉在住の文化人が寄稿する「鎌倉新文化」という雑誌の編集者・石神明子から原稿を寄せるよう依頼を受けている。その酒井が最近取りまとめた縁談に、OLの河合ひとみと、横浜市水道局小雀浄水場勤務の早島敏男とのものがあった。結婚式に何者からか弔電を受け取り、自分の過去を話さない敏男に対し、ひとみは不安な気持ちを抱くが、その不安が的中。敏男は、横浜市内の鶴ヶ峰浄水場にて刺殺死体となって発見された。死体の腰には青い紐が巻き付けられており、浄水場の底からは三つの石を括り付けた同じ材質の紐が発見された。ひとみは、夫の出身地であるK市に赴き、転勤する前の彼が同市の公害問題に関わっていたことを知る。その際に、問題の鍵を握っていた助産婦が事故死しており、その娘が敏男が犯人ではないかと告発したというのだ。その女性・梅谷佐知子が疑われるが、彼女とその婚約者ともどもアリバイがあった。また、一方で酒井は結婚をとりまとめた責任を感じつつも、『徒然草』の取材旅行に出発。しかし、その酒井が何者かに殺される。『徒然草』関係の資料が奪われる一方で、死体の手にはオセロゲームの駒が握られていた。

ゲーム、公害、古典……。ダイイングメッセージにアリバイ崩し、意外な犯人……。うーん、欲張り。
『奥の細道殺人事件』が意外と(失礼)良かったので、そのシリーズ作品となる本作を手にとってみた。特に初期から中期、タロット日美子が登場する以前の斎藤作品が語られる時には、作品毎というより、作品群ごとに大まかな主題(テーマ)があることがいわれているようである。自伝的な意味合いの濃い作品、歴史の謎に題を取った作品、公害問題を取り上げた社会派的テーマの作品、そして家族愛・夫婦愛について考察した作品、そしてボードゲームを取り扱う作品等々。そういった、斎藤作品における様々なテーマの要素を、全てごった煮にして一つにまとめてしまった欲張りな作品が、本作だといえるだろう。(もしかすると”ごった煮”となった作品はもっとあるかもしれない。
具体的に本書のケースにて取り上げると、作中で重要な人物を占める地方公務員の実情=斎藤栄の自伝要素、吉田兼好と鎌倉幕府との隠された関係を解き明かす論文執筆を志した作中人物の存在=歴史の謎、水道水の汚染問題が事件の背景に見え隠れする点=公害問題への取り組み、見合い結婚したばかりの妻が、夫をよく知る前に殺されてしまい途方に暮れる=夫婦関係、そして、被害者の一人が愛好していたオセロゲーム=ボードゲームへのこだわり。
ただ、それらの要素が多すぎて、一つ一つが中途半端になっていることは否めない。警察捜査のミスリーディングを誘う犯人の死体投棄&アリバイトリックがあるのだが、せっかくのそれらが”要素”に埋もれてしまい、トリック自体はそこそこ考えられた中身にかかわらず全く目立っていない。(演出によってはもっと美しい”謎”に成り得るのに)。 また、オセロを利用したダイイングメッセージに至っては、かなり無理矢理に過ぎており「解けることが奇跡」のレベル。

リーダビリティは高くそこそこ読めるし、伏線などもそれなりに張ってあるのだが、全体としてごちゃごちゃしてしまっているという結論はやっぱり変わらない。吉田兼好の秘密など、結構着目点が面白いだけに。もう少し話題になっても良さそうな気もするんだけれど……。歴史・本格・社会派ミステリーなので、読者がその分増えるよりも、逆に分散してしまったか。


03/09/03
乾くるみ「林真紅郎と五つの謎」(光文社カッパ・ノベルス'03)

'98年に『Jの神話』にて第4回メフィスト賞を受賞して颯爽とデビューを飾った乾くるみ。その後も『匣の中』、『塔の断章』と意欲作を打ち出していたのだが、'01年の『マリオネット症候群』を最後に単行本の刊行が途絶えていた。本書は約二年ぶりの新作で、収録された五つの短編のうち四編は『ジャーロ』の'02年春号から'03年冬号に掲載されていた作品、更に書き下ろしの一編が含まれている。

資産家・林家の四男である林真紅郎は、法医学者であったが愛妻を事故で喪ったことをきっかけに、三十代半ばにして勤め先の大学を退職。今は家でごろごろするだけ。そして、そんな生活がもう二年間になろうとしている。しかし、彼には推理の才能があった。彼が得た様々な情報が頭の中でシンクロした時に、思いがけない真実が見えてくる。そんな彼が巡り会った五つの事件。
姪の仁美の頼みで、保護者代わりで赴いた人気バンド《ダイナモ・エックス》のコンサート。舞台でのトークや奇術が売り物の彼らのパフォーマンスを楽しんだ後、トイレに行くという仁美を待っていた真紅郎。その仁美がなかなかトイレから戻らない……と思うと、彼女の悲鳴が聞こえた。トイレの個室内部に女性の死体があるのだという。 『いちばん奥の個室』
大雨のなか、大学時代の友人と飲んだ真紅郎。その帰りに崖下にホームがある駅の跨線橋を降り、その友人・佐伯と会話していた真紅郎は、屋根の向こうから女性の悲鳴と何かが転落する音を聞く。そこでは階段から転落した外国人女性が気を失っていた。その騒ぎの間に、ホームにいた若い女性のカメラが無くなったという。 『ひいらぎ駅の怪事件』
大学時代の同級生・岸本の奥さんが亡くなった。奥さんである尚美とは真紅郎も面識があり、結婚式の二次会には彼も出席していた。別の友人夫妻と告別式に出席した真紅郎は、柩の中から何か白いものが出てきたように感じ、更にあたかも彼の周囲に”何か”がいるかのように周囲が振る舞い、戸惑う。 『陽炎のように』
街で偶然に出会った小学校時代の親友。真紅郎は彼らが当時、オリジナルの暗号文を使用していたことなど聞かされる。彼から、かつて真紅郎自身が書いた暗号つきのその頃の年賀状が届けられ、真紅郎は、暗号の対照表抜きに、文章を類推しながらその暗号を解き明かそうと試みる。 『過去からきた暗号』
十二月。真紅郎の住む町に今年初めての降雪があり、街は一面の雪景色となっていた。犬の散歩に出た真紅郎は大学勤務時代の教え子と出会い、彼の下宿先のアパートまで同道する。彼の下宿には救急車のサイレンが近づいてきており、同宿の学生が飛び出してきた。アパートの裏で友人が死んでいるという。足跡のないその場所に胸にボウガンの矢を突き立てられた死体が。 『雪とボウガンのパズル』 以上五編。

奇妙な光景、奇妙な事件。ストレートでありながら「試み」精神溢れた作品集
ストレートな本格パズラー作品が五つ並んでいる――とするべきなのか。
最後の一編こそ、足跡のない雪上の死体という、本格パズラー作品の定番シチュエーションに真っ正面から取り組んでいるものの、他の作品についてはどこか”狙った”かのような少々変化球的な舞台設定が目立つように思われる。コンサート会場の女子トイレの密室。夜更けのローカル線の電車ホーム。友人の妻の告別式。少年時代に自ら作成した暗号。かといって、これらシチュエーションを利用して面白可笑しく物語にユーモアを込めたり、トリックの論理に特殊な環境下ならではのスペシャルルールを適用しようとする意図があるともみえない。更に、真紅郎が駆使する論理に異常な飛躍や、特別な知識が必要なものはない。あくまで、ストレートな本格ミステリにみえる。それなのに、やはりどこか一筋縄ではいかない――そんな印象が作品から見え隠れする。
乾くるみは、本格ミステリに通暁している作家である。勝手に類推するに、普通の小味なトリックの本格ミステリを描かせれば、いとも簡単にすいすい創り上げてしまうのではないかと思う。だが、実際に創作するに際し、その通暁ぶりが邪魔をして、普遍的な読み捨て本格ミステリを創ることを潔しとせず、必ず何らかの「試み」「趣向」を込めなければ……なんて強迫観念を持たれている――なんてコトはないですかそうですか。
ただ、私がそう感じたことの傍証になりそうなのは、収録のどの作品にしても、短編の本格ミステリにしては伏線が、他作家の描く同程度の作品以上に、執拗に、そして数多く張られているように思うこと。物語を追っている最中にそれがうるさく感じられたりはしないし、「ちょっと不自然?」程度の登場人物の動きや、場面の端っこに描写された何やかやが、後から深紅郎のシンクロ(しんくろうの、しんくろ)の結果、真相を補強する裏付けを持つようになる。物語における真実の解釈から、夾雑物を出来るだけ廃し、真相を唯一無二のものにはできないまでも、それに近いところに持ち込もうとする作者の意図の反映のように感じられるのだ。

マニアが深読みするも良し、本格ミステリの入り口にいる方が普通に楽しむのもまた良し。いろいろな楽しみ方ができる作品集。 あと『過去からきた暗号』に関しては、作中の暗号文、主人公の謎解きを鵜呑みにせず、その内容を自分で読み解くこと。『いちばん奥の個室』の《ダイナモ・エックス》三人組の件は、日記でも触れたが、『過去からの暗号』についても、どこか登場人物に別のメフィスト賞作家の名前が隠されているように思うのだが……(これは深読みし過ぎかもしれない)。


03/09/02
殊能将之「子どもの王様」(講談社ミステリーランド'03)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、講談社の新シリーズ。本書はそのミステリーランド第一期刊行三冊のうちの一作で、メフィスト賞作家殊能氏の、昨年同社で行われた企画「密室本」にて刊行された『樒/榁』以来の新作となる。同時刊行されたのは島田荘司『透明人間の納屋』、小野不由美『くらのかみ』。

カエデが丘団地に住むショウタは小学生。テレビの「神聖騎士パルジファル」と「弾丸!コンデンスミルク」の大ファンでサッカーが好きな男の子。弁当工場に勤務する母親のサオリと二人で暮らしており、同じ団地に、同じように母親と二人暮らししているトモヤと親友関係にあった。そのトモヤは読書が好きで内向的な性格。彼はいろいろな話を考えて、ショウタにそのつくり話を聞かせてくれる。団地の外側は実は何にもないのだ、とか、4号館のコウダさんは西の良い魔女で、ゴミ捨てを監視するのが趣味の7号館のイナムラは東の悪い魔女だとか、子どもの国を支配している子どもの王様の話だとか、トモヤの話を聞くたびにショウタは奇妙に心に引っ掛かりを覚えるのだった。特に奇妙なのは、子どもの王様。トレーナーにジーンズに茶髪という格好なのに、ひげを生やしている子どもなのだという。――翌日、朝の集団登校にトモヤは現れない。学校を休むらしい。ショウタは学校の行き帰り、その”子どもの王様”らしき人物を目撃、下校後トモヤの家でその話をした。沈み込んでいたトモヤは子どもの王様の話を聞くと、急に怯え、そして暴れ出した。母親に薬を飲ませて貰い、ようやく落ち着いたものの、ショウタは少なからぬショックを受ける。トモヤを狙う子どもの王様と戦うため、ショウタはある計画を思いつき、深夜にそれを実行に移す。すると、7号館のイナムラが、突然若い男に侵入されて殴られるという事件が発生した。

徹底的に”子どもの視点”にこだわって、サスペンスとミステリとを盛り上げているが。
本書には殊能氏には珍しく、あとがきめいた文章がラストに付けられている。それによれば、本書に登場する人物、即ち元気もののショウタ、夢見がちのトモヤらは、鍵っ子で団地暮らしだった作者自身の子どもの頃の姿の投影なのだという。自転車を乗り回し、サッカーに興じ、大人が眉を顰めるバラエティ番組と、ヒーローものに夢中になり、学校の友達といじめ、いじめられ合いながら一日一日を過ごす少年たちの姿――。確かにサスペンスフルなミステリ仕立ての物語展開ではあるものの、どうも、そういった「少年たちの活写」の方がだらだらとしていると思える程に執拗で、こちらに作者の作品創造の動機が置かれているように思えてならない。なので、ミステリとして反則すれすれの技・力業の応酬ともいえる、これまでの殊能ミステリの系譜からすると、本作はかなり異色の作品であるように感じられる。
冒頭、トモヤの口を借りて登場する「団地の外は実は何もない」だとか、「団地に住む二人の魔女」だとか、「子どもを攫っては閉じこめて苛める子どもの王様」の描写までは、作品自体が論理で割り切れるミステリではなく、伝奇的なファンタジー小説へ変貌する可能性を孕んでいて、特に序盤は物語の方向性そのものにスリリングさが内包されている。 何が出てくるか分からない、予想の出来ない展開は(これはもちろん、これまでの殊能氏の創作実績も微妙に関係している)、不安でもあり楽しみでもあり、少年たちの執拗なる日常描写に伏線があるのではないか、と物語にぐいぐい引き込まれる力強さがある。しかし、「子どもの王様」の正体が明らかになった瞬間、この物語は「確定」してしまう。 そうして方向が決められた後は、その力強さゆえに一方的な展開となり、少なくとも大人の視点からすると意外性が少なく、かえってやり切れなさの方が強くなっていく。確かに大人の悪意や、子どもの意図せぬ悪意等々を含んでいるが、どうもそれがいきなり直截に暴力的に過ぎてしまっている印象で、下手なエロ小説よりも子どもに読ませたくないようにさえ感じられてしまうのだ。。
結果的に「ああ、いい話だった」と、誰にもいわせないあたりが、殊能将之らしいと逆説的にいえるように思うのだけれど。ミステリ的にみた際には「子どもの視点であるから」謎が謎となるだけで、一歩引いてしまえば全てが見渡せてしまうような不満がちょっと残る。ジュヴナイルだからいいじゃないか――という意見もあろうが、確信的ジュヴナイルであるのであれば、もう少し嘘でも救いのある展開もあっただろうに、と思うのだ。(ネタバレ:子どもの王様を殺すのではなくて、危険な目に遭わせて改心させるとか

大人が読む分には、その独特のノスタルジアを含め全く問題はないのだが――。(私も団地暮らしの経験があるし)。ミステリーランドという叢書として捉えた際に、本書、ちょっと評価することが微妙なように思えるのである。


03/09/01
若竹七海「ぼくのミステリな日常」(創元推理文庫'96)

今や、葉村晶シリーズなどハードボイルドな女探偵ものや、神奈川県にある架空都市・葉崎の住人が繰り広げるコージー・ミステリなど、多才な作風と、旦那さんである小山正氏と英国旅行記を発表したり、劇団向けのシナリオを書き下ろすなど広範な活躍(もっと活躍して欲しいような)が目立つ若竹七海さん。その若竹さんが'91年に発表したデビュー作品が本書である。丁度、北村薫や加納朋子といった”日常の謎”系ミステリが登場しはじめた頃にあたり、若竹さんもデビュー当時はその”括り”の作家として名を連ねていた時期がある。(が、後の作品の傾向によって、今はそのカテゴライズにはない)。 思うところあって再読した。

建設コンサルタント会社にOLとして勤務する若竹七海は、突然の異動にて、新規に社内報を編集する仕事に命ぜられる。しかも編集長。学生時代に倶楽部雑誌の編纂をしていた経験があるとはいえ、荷が重い……はずだが、いつしか「社内報の姉ちゃん」として活躍を開始。娯楽面重視という編集会議の結論を経て、学生時代の先輩・佐竹信寛に月に一度、短編小説を執筆して欲しいと依頼する。佐竹はその依頼を断るが、代わりに匿名を条件にある人物が紹介された。かくして月に一度、佐竹を経由して若竹のもとに、その匿名作家の原稿が届けられるようになる。当初の約束の一年が経過して佐竹先輩とともに、その匿名作家氏と出会うことになる。その人物の口から語られる創作の秘密、そして彼が仕事を引き受けた理由とは――。

『桜嫌い』『鬼』『あっという間に』『箱の虫』『消滅する希望』『吉祥果夢』『ラビット・ダンス・イン・オータム』『写し絵の景色』『内気なクリスマス・ケーキ』『お正月探偵』『バレンタイン・バレンタイン』『吉凶春神籤』 以上の前後に「配達された三通の手紙」「ちょっと長めの編集後記」「配達された最後の手紙」にて連作短編集の体裁が為される。

全ての若竹作品の原点。短編のキレはさまざまなれど、連作短編集の仕事がやはり凄い。
まず、十二もの短編が社内報に連載された作品という形式で並んでいるのが贅沢。小生にとって最初に読んだのがこの作品だったので、当時は気付かなかったこと、あまり意識していなかったことがいくつか見えた。その一つが、日常の謎ばかりでも、がちがちの本格を意識した作品ばかりでもなく、もっと幅広い作風を謳歌しているように思えたこと。 例えば『桜嫌い』あたりは、登場人物の証言さえも状況から覆してしまうような、がちがちのロジックで作られたような「謎・解決」であるのに対し、前振りがほとんど関係なく、花言葉やその人物の言葉だけから想像を膨らまして、それがたまたま当たっただけというような『ラビット・ダンス・イン・オータム』等、ミステリとしての幅が広い点がまず挙げられる。そして一方では結構、理屈で割り切れない解決シーンが描かれている作品も多い。特に、『吉祥果夢』や『消滅する希望』に至っては、はっきりいって怪談、ないしホラーの系譜にあたる作品である。また、確かに”日常の謎”が主題となった作品が多くあるのだが、人々の勘違いや微笑ましいエピソードを裏返したものだけでなく、きっちり悪意を描いたり、そのための叙述トリックを弄したりのテクニックも備わっていることも注目したいところ。
そして気付いたもう一つの点、それはこの作品の持つ、良い意味での勢いが、やっぱり後の若竹作品の原点であることだ。心の芯から元気があって周囲を明るくできる女性、善意の皮を被った人間の持つ毒々しい悪意、自分自身が女子学生だった経験からくる彼女たちのナマの生態(?)等々、後の若竹作品に名前を変えて登場する人物が、この作品の色々な場面に垣間見える。特に『箱の虫』に登場する女子高生たちの騒々しさ、あふれ出てくる若さは、様々な意味において後の「若竹七海主人公」シリーズの原点中の原点といえる重要な作品である。(変化球的な取り上げ方ではあるが)。
また、それぞれの短編の冒頭にさりげなく織り込まれている社内報の目次。普通「ここに何かある」と思うはずだが、そういった色眼鏡で見ても普通気づかない伏線がある。こういった目次を効果的に伏線として利用する手法は、当時としてオリジナリティも高かっただろうし、発表より十年以上経過するが、あまり追随者はないように思える。このアイデアと伏線の埋め方はやはり秀逸。

新人としては抜けた完成度を持つ作品で、その勢いとか若さといったものに素直に好感を覚えられる。 その分、最初に読んだ当時の自分のように「ミステリの入り口に立っている」読者の共感を得られやすいのではないか。最近の作品にて若竹さんに嵌った方は、やはり原点に立ち返るのも一つの手。また、そこから新たな選択肢が生まれる可能性が、本書には込められているのだから。