MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/09/30
多岐川恭「残された女」(桃源社ポピュラーブックス'72)

近年、再評価の進みつつある多岐川恭だが、初期作品を除くと短編では後年も文庫化されなかった作品が数多い。そして更に困ったことに、単行本化されている短編の多くは、このポピュラーブックスといったあまりメジャーではない新書にて刊行されているものが多い。本書もそういったなかの一冊。入手はかなり難しい部類といって良いだろう。

婚約者が殺されて失意の底にある美しい女性。重要な参考人と目された彼女に若き新聞記者が興味を持つ。撲殺された被害者を傷つけた凶器がどこからも発見されないまま時が過ぎていくが……。 『残された女』
バーに入った北岡は、店の女性から「以前の客につきまとわれているので送って欲しい」と頼まれ、引き受ける。女のアパートで濃密な一夜を過ごす北岡だったが、目が覚めるとその女性が他殺死体となっていた。しかも翌日の新聞では別の男性死体がその部屋から発見されたのだという。 『誘われた男』
会社社長の妻と懇ろな関係になった男。男は社長の右腕であり、夫人は男と一緒になりたいと願い、殺人計画を考えるがあまりそれに現実性がない。男は代案として別の計画を考えるが、更に無理のあるものだった。夫人は待ちきれなくなりとうとう……。 『こわれた筋書』
行きずりの女性と関係を持つ趣味を持つ男。ある女性に目を留めて後をつけると果たして女は冴えない男と不倫するところ。その家に入り込んで、男を縛って女と楽しもうとした男だったが、女は明日なら付き合うが今日はダメなのだと声高に主張する。 『お預けの女』
温泉旅館に金庫を納入する業者。その運転手を務めていた男が金庫の鍵のコピーを作った。それから一年。運転手は変装して旅館を訪れ、若い女中と仲良くなって共同で売上を盗むことにした。 『一年経った』
田舎町の駅に降り立った男。ヤクザが依頼した殺し屋・朽木だと思い込まれて、下にも置かないもてなしを受ける。男は始終、自分は「葉村」であると言い続けるのだが、周囲はそれをカムフラージュと受け取って本気にしない。 『旅空の男』
金満家の社長夫婦に取り入って財産を横取りしようと企むカップル。女は女中として家に入り込み、旦那を誘惑。一方、男は不動産セールスマンを装って夫人を誘惑する。うまく行くようにみえたが、本当の悪人は? 『枝から枝へ』
空き巣の罪で二年の服役を終えたおれは、今まで住んでいた街に戻った。盗みの師匠である先生と、おやじさんは無事に逃げ果せ失踪中。おれは、盗みそのものにスリルを覚えるかつての空き巣時代に思いを馳せる。 『おれと変人たち』

多岐川長編で顕著な、「変梃な設定」が、短編のなかでも活かされた佳作揃いの一冊
多岐川ミステリが、文学筋からも高く評価されているのは、常にその興味の対象が「人間」に向いている点にあると思われる。表面上の物語では、泥棒の視点からみた物語だとか、新聞記者の視点からみた事件だとか、ちょっと舞台や設定をひねっていて、それが倒叙形式にしても、スラップスティックっぽい物語にしても、成功してしまっているがため、表面上のストーリーの面白さがまた、それらに拮抗しており、ミステリとして読んでも十二分に面白い。しかし、「意外性」という部分の演出はトリックに頼らず、その「人間そのものが持つ意外な思い」「意外な思想」に依っているところがポイントであろう。
その意味が本書などに触れるとよく分かる。空き巣で捕まりながら全く懲りていない男。計画的に最も頼りがいのある男に乗り換えていく女。殺し屋と間違えられても平然としている男。仮初の愛人を犯罪に誘導しようとする男……。キャラクタ設定にひと味もふた味も、奇妙なところが散在しているのだ。それでいて、物語構成はしっかりしており、そういった人間の持つ不可思議さをもって、オドロキを演出している。これは多岐川が長編でもよく使う手法であり、短編でもしっかりとそういった「ほんの少しだけ価値観が違う」人間を登場させ、しかもそれを物語として成功させている点は特筆すべきことだろう。
本書でそれに成功しているのは『お預けの女』であり『旅空の男』であり、『枝から枝へ』なのだが、そういった奇矯な人間の犯罪が、更に意外なかたちで露見してしまう『一年経った』などもとぼけた味わいがあって個人的に好み。微妙な文章の使い分けも、多岐川作品の特徴といえるだろうから、こういった効果の発揮も当然といえるのだが。

落ちる』クラスの大傑作集と比較すれば、それは小粒であることは否めない。にしても、一読忘れがたいユニークな個性が、どの作品からも立ち上る。いやしかし、多岐川恭は深い。読んでも読んでも尽きぬ泉が如し。


03/09/29
皆川博子「雪女郎」(読売新聞社'96)

主に'93年から'95年にかけて『小説宝石』等小説雑誌掲載作品を中心に編まれた作品集。ただ、'79年発表の短編『十五歳の掟』が収録されているのが目玉ともいえる。同短編は、皆川博子さんにとって初めての時代小説短編であり、これまで単行本に収録されていなかったもの。『小説推理』誌に発表された。

冬になると「雪女郎の子」といじめられた少年。紺屋に奉公に出され、そこで辛い目に遭い、再び店を飛び出して……。 『雪女郎』
もぐりの駕籠かき。雲助。六郷の船渡しから駕籠に乗った若侍を追ってくれ、という別の侍。刑場・鈴ヶ森で追いつき、そこで繰り広げられる修羅場におれは魅せられ……。 『少年外道』
三文芝居の小屋で藤松は語る。大川に流れてきた凝った細工の人形船。中では男女が心中という見立て。その船を藤松は持ち帰ってきていた……。 『吉様いのち』
やみご。漁師の息子・千吉は浮世絵の彫師、刷師に憧れるが、実際の奉公はその版木屋。それでもどうにか半人前になった頃、贔屓の彫駒の弟子に女郎屋に筆下ろしに連れていかれて……。 『闇衣』
裕福な菓子屋に寄せ人として育てられる万之助。その家の娘は美しい彼に惚れ込む。十五になった歳、万之助は突然に姿を消す。彼の親の罪を償うために流罪される年齢となったため。 『十五歳の掟』
地方の漁師町に作られた映画のセット。かつてこの町に暮らしたわたしは、セットの警備を兼ね、深夜のセットに入り込む。既視感。少年の頃、この町で何があったのか。 『夏の飾り』 以上六編。

この世とあの世、人間とそうでないもの、大人と子ども。いろいろな境界を自在に操る……
まずは、皆川さんの最初期の時代小説『十五歳の掟』。いきなりすごい。ああもう陳腐な形容詞しか浮かんでこない自分の表現力がもどかしくなるくらいすごい。同じ家で兄妹同然に育てられた、兄の、本人さえ知らされていなかった秘密。その結果、離ればなれになる二人……というテーマを扱いながら、単純なロミオとジュリエットの悲劇を超越させてしまう恐怖。流人の島での男への残酷過ぎる仕打ちと、魂の慟哭。帰還後の男と女。しかし愛はどこにあるのか。男の超然とした態度と、女の心変わりと。物語の定型を破壊し、登場人物を破壊する容赦のない残酷さ。しかし、人生こそは実際はこういうものなのか。皆川さんにとっては。読者の心を物語が切り裂き、ずるりずるりと入り込む。背筋が寒くなる。それでいて、強烈な異形の愛の物語。 ううむ、これは読んだ者にしか共有できない思いかも。
その他の作品も、さらりとしつつ強烈なインパクト。特に、上記した「境界」の扱い方が絶妙に巧い。 物語ごとに設定される、さまざまな「境界」を読者はおろか、登場人物本人さえも気づかせずに踏み越えさせてしまう妙技には、黙って感心するしかない。作品毎にミステリとは少し違った意味での「やられた」という気持ちが湧き起こる。とにかく、どこに境界があるのか、どこでその境界を超えていたのか、物語が閉じるまで予想ができないから。何かと比較することを拒否する物語。当然のごとき流麗な文章と、華麗な物語もまた、読者の惑いを高めていく。

短編だから体現できるインパクトが、全編にひしめいている。そして物語が持つ凄さを、刃の鋭さをもって突きつけられる快感。秘密の宝箱を開けてしまった感覚に、未読の皆川作品に接するときの気持ちはよく似ている。


03/09/28
近藤史恵「青葉の頃は終わった」(光文社カッパノベルス'02)

季刊『ジャーロ』誌に'01年秋号から'02年夏号まで掲載されていた作品。登場人物の立場を変えた四つの中編、『アローン・アゲイン』『冷たい花』『アイ』『彼女の不在』から成立しているが、実質上は長編作品といっていいだろう。

大学時代から親密に交際していた仲間達、男女六人。卒業してからも誰一人普通のサラリーマン・OLにはならず、それなりの連帯意識を持ってきた彼らのなかで、一際目立った美女であった河合瞳子が高級ホテルから身を投げて自殺した。雇われバーテンとして生活する筒井弦は、瞳子に対する憧れを持ちつつ、別の仲間の一人、室井法子と交際していた。瞳子と欧州二人旅をするほど仲の良かった谷木加代は報せを受け、結婚間近だというのに寝込んでしまい、法事には弦と法子、そして売れっ子の漫画家として活躍する鮫島幸だけが仲間からは出席する。東南アジアを旅行中の高橋猛ももちろん来てはいない。瞳子と折り合いの悪かった法子は、弦に対して冷たく当たり、弦は弦で、死んだ瞳子から「私のことを殺さないで」と書かれたハガキを受け取って、その意味を消化できずに悩みを深くする。一方、猛も旅行中のホテルで同じ文面の手紙を受け取っていた。瞳子の死によって、日常が掻き回されていく。果たして彼女は何を考え、仲間たちに何が言いたかったのか……。

死んだ者からのかわしようのない悪意。残された者の気持ちが、痛い……
学校を卒業して仕事について、結婚はまだしていない。社会の辛さを垣間見つつも、一片のモラトリアムがまだ許された世代。そんな世代をピンポイントで突くような”青春ミステリ”。いわゆる、ほろ苦い、という形容詞のうち、苦さが強調されている感。
表向き、とても仲が良く、長続きしている男女六人。端から見れば”いい関係”でしかない彼らも、徐々に本当の意味での大人になりかかる時期がさしかかる。そんななか、唐突に自殺した一人。彼女が残された五人に送ったプレゼントは、それぞれが強烈な悪意に満ちたものだった。これだけだと、平穏→破滅という図式が似合う、何ともいえない残酷な物語にしかならないところ。確かに、瞳子の残した悪意は身勝手にして強烈であり、他人の人生を変えうるだけのパワーが籠もっていることは事実。なのだが、瞳子がなぜそうせざるを得なかったのか、という哀しい真相が、近藤さんが得意とする透明感ある文章にて明らかにされてくるに従い、物語は、誰もが通り過ぎる苦さに変質していく。
個々の章、そして全体を通じて、ミステリ仕立ての構成にはなっているものの、物語の本質的にはどこか文学的なテーマが込められており、そちらが重い。その全ての謎は、結局のところ、今はもういない瞳子の気持ちを残された者が類推することに託されており、本格の要素はなく、どちらかといえば心理ミステリーとして解かれるべきタイプ。結局のところ瞳子は「自分自身を乗り越えられず、大人になることを拒否し、そんな自分を表現できないまま、自殺という道を選ばざるを得なかった」ということなのだと思う。大人になりきれない、なりたくないというこの世代ならではの物語であり、同じ感情を心のどこかに抱いている人たちへの、近藤さんのメッセージ的な意味合いがあるのではないだろうか。

……と、悟ったような口をきいてこの文章を書いてみた訳だが、個人的には決して読後感がすっきりしたものではない。瞳子に対する共感も全くなく、こんな身勝手な悪意を許すような気持ちには、どうしてもなれない。このあたりは全く個人の感覚差によるものなので、本書から感銘を受けることのできる方々を否定するつもりも毛頭ないのだが。自分がいい年した大人になってしまったということの、単純な裏返しなのかもしれない。


03/09/27
山田正紀「天正マクベス 修道士(イルマン)シャグスペアの華麗なる冒険」(原書房ミステリー・リーグ'03)

いわゆる新本格ミステリ作家を中心に展開されてきた、原書房の叢書、ミステリー・リーグだが、今年2月に刊行された分でもって、第一期が終了ということになったのだという。本書は鳥飼否宇『本格的 死人と狂人たち』と共に本年9月に刊行された、同シリーズの第二期の開始を告げる二冊のうち一冊。背表紙等の体裁が、微妙に変化している。『週刊アスキー』に'03年に連載された作品に加筆修正+書き下ろしパートを加えて長編とした作品。e-NOVELSでも掲載されていた。

大英図書館に所蔵されている『れげんだ・おうれあ』。同書の原著は十六世紀の後半に日本を訪れていた英国人修道士シャグスペアによって書かれたものなのだという――。
織田信長によって天下が統一に向かい始めた天正九年。信長の甥で若き武士・織田信輝は、友人である紅毛の英国人修道士シャグスペア、お伽衆の一人で密偵の役割をも果たす篠原猿阿弥らと共に、信長の命で任地である琵琶湖の湖西に向かっていた。少し前、信輝は同じく信長の部下である明智光秀と共に、本能寺再建の検分を行っていた際、「いずれは天下様となられるお方」と謎の老婆からの予言を受けている。その琵琶湖での航海は台風とぶつかり、当時の未熟な建造技術で作られた船は大揺れに揺れ、転覆の危機に瀕していた。御目付として使わされた五兵衛という人物が、指揮を執ろうとするも湖上でのこと、役には立たない。さらに海の上には先般、焼いて灰燼に帰した筈の堅田大宮の船鉾が見える。そんなあやかしに惑わされ、船は難破。信輝らは琵琶湖上の島に打ち上げられた。その島には十余年前に討ち死にした筈の、信輝の叔父にあたる織田九郎信治が居た。信治は美しい愛姫と、琵琶という若者を従えており、この十年余りの孤島暮らしのなかで魔法を極めたのだという。

もう一つのミステリ・オペラ。凄まじい試みがラッシュのように詰まるのだが……その力量もこの枠に収まりきらない?
物語の枠組みに、相当にややこしい構造を試みた作品だといえる。
まずは時代が天正の戦国時代。ここまで既に山田正紀は時代小説を題材として、ファンタジーやSF作品を数多く著しており、言葉遣いや背景に対する書き込み、風俗における特徴等において違和感はない。寧ろ独特の雰囲気を醸し出すことに成功している。”試み”というのはその点の上に加えられたいくつかの特徴にみられるもの。まず、章が区切られる毎に、「第○幕第○場」と記されていることから既に意識的なように、芝居ないし戯曲風に構成されている点が最大のポイントである。それぞれの章の内部においては大きな場面転換は行われず、せいぜい舞台の端から端まで観客が目を動かせば届く範囲と、作者が描写している範囲とが重なるよう物語が語られる。また、けれんや舞台装置を意識したのか、人物の場面への登場の方法も、どこからかやって来て、演技を行って、また舞台袖に引っ込むといった雰囲気で一貫している。登場人物A、B、その他大勢といった感じの台詞の割り振りもまた、その雰囲気を掻き立てている。さらに舞台を描写する地の文にしても、短く区切られている割に場所や場面の説明が確かで、どこかシナリオを読まされているかのような文章が並んでいる。芝居がかっているといえば、全体を通じての文体にまた特徴がある。登場人物の台詞もどこか劇がかっているのは当然として、例えばポイントポイントに、唄や、謡いを配しており雰囲気作りに役立てているし、蘊蓄や説明的な文章も、作者というよりも朗読者が読者に説明している風に感じられるのだ。何というか、英国人シャグスペアが登場しているから、という理由だけでなく、時代劇をオペラに仕立て直し、更に日本語の物語へと戻した印象。(あ、そもそも翻訳された、という前提だからいいのか、これで)。そもそも題名に「マクベス」が取り入れられているように、魔女の予言によって始まる物語である点、どこかその予言が前提となって、シェイクスピアの戯曲「マクベス」を通底させた物語展開に結び付いている点もまた、別の意味での芝居指向を感じさせる。

文体だけを取り上げてもこれだけの冒険を行っているのだが、まだ二つある。一つは、二編挿入されている中編エピソードのの中身について本格ミステリ指向である点である。最初のエピソードでは、台風の中での船鉾、更に遠隔殺人による扼殺等が取り扱われ、また次の中編においては、姿を消す頭巾を持つという人物が、牢獄から謎の脱出を遂げたうえで殺害されているちという謎が主題となる。ポイントは、それぞれに”天正”という時代と風俗とが、謎の成立に密接に関わりあっている点だろう。但し、その深遠な技巧に感心はすれども、現代読者が見た場合からのサプライズという意味では薄まっている部分もあって、良かれ悪かれ、というところ。時代本格の面白さは両刃の剣であるということか。

そして最後。本書は織田信長の甥、織田信輝とその友人二人を物語の中心部に据えつつ、織田信長に対する明智光秀の裏切りという歴史的事実の裏側の推理、そして偉大なる劇作家・シェイクスピア本人の謎といった、歴史推理としての側面(かなり仮説が大胆なので、歴史ifのエンターテインメントという見方もできる)をもまた持っているということ。第一のポイントとして挙げた文体との絡みもあることが理由だろうが、史書の引き写し等がなく、どこまでベースとなった資料があるのかは分からないながら、少なくとも物語内部では一貫した”山田史観”を感じさせてくれる。その余韻の虚しいこと、淋しいこと。歴史の無情を真っ向から捉えた作品ならでは。そして、物語の締めくくりに至るまで、微妙な謎を絡ませて読者を魅了する。(ただ信輝と魔女の最後の会話については「マクベス」の、あのラストからの引き写しというよりも、それを前提にしてミステリ的サプライズを狙っているような部分も感じられ、真の意味での評価はなかなかに難しい……)。

こういった数々の特徴と試み溢れた物語が、さして厚くもない一冊の長編に詰まっている。 結果的に消化不良とまではいかないが、”語られるべきなのに語られないこと”が多いように見受けられた。文章の合間からこれらを読みとれ、ということなのか。個人的には、これらを完璧に物語に取り込むことが出来ていれば、第二の『ミステリ・オペラ』がその名の通りに完成したのではないか、という思いが残る。なので、頁の数、すなわち「枠」が、この物語には小さすぎたように感じられてならない。傑作なのだとは思う。だけど、もう二皮くらい剥ける可能性のあった傑作なのだとも同時に思う。


03/09/26
海渡英祐「三つの部屋九つの謎」(トクマノベルス'83)

「小説現代」誌に'76年から'79年までの間に掲載された”怪盗スーハー”のシリーズが六作品、これに別の小説誌に二作限りで掲載された”カメラマン探偵・坂口則子”と、これも「問題小説」誌に二作だけ掲載された”探し屋探偵・坂本利彦”を探偵とする作品とが、題名通り、一冊の短編集にまとめられたもの。三つのシリーズに九作品ということで、本書の題名が付けられたものと思われる。

〈怪盗スーハー〉
商社社長秘書の橋本葉子が、会社で託された重要書類と大金を重役のもとに届けたところ中身がすり替わっていた。泥棒の汚名を着せられた葉子は、恋人の須藤数馬のもとに泣きつくが……。 『怪盗スーハー登場』
実は怪盗スーハーであることが明らかになった須藤は、デパートの宝石展に目を留める。使用が予定される大銀行に対して挑戦状を送り込んだ数馬は、数々の妨害をものともせず……。 『野次馬作戦』
葉子の友人、芳美の住居に泥棒が入った。心当たりのある芳美は荒らされた部屋を一瞥し、問題はないという。葉子から相談を受けた数馬は、芳美の婚約者の秘密を盗み出すことを決める。 『泥棒三重奏』
カムフラージュの探偵事務所を開設した数馬のもとに、亡き娘の形見のクマのぬいぐるみが盗まれたので取り返したいという依頼が。社長室に置かれたクマを盗める者は存在しないようにみえたが……。 『盗まれたクマ』
熱帯魚マニアの男の元に忍び込んだ若い女性は、水槽のピラニアの攻撃を受ける。彼女は数馬にそのピラニアとワニの入った水槽を盗み出して欲しいと依頼するが……。 『噛みつく扉』
〈カメラマン探偵〉
フリーカメラマンの則子は、警察の鑑識で働く岡崎と恋人同士。彼女が偶然撮影したフィルムに殺人現場が映っていたと分かるが、彼女の部屋は荒らされ、写真が盗まれた後だった。ただ、別のカラーフィルムが写真屋に出されていたが、その写真には何の特徴もなかった。 『引伸した真実』
傷心の則子は、デザイナーの兄・昭一と編集者の弟・信二兄弟と交際していた。堅実な兄に対して弟はギャンブル好き。その兄弟の折り合いが悪いなか、信二と共に則子は昭一の他殺死体を発見する。 『暑くて冷たい夜』
〈探し屋探偵〉
テレビ番組の”御対面”にてタレントの緒方久子が取り上げられることになった。彼女は担当の坂本に幼なじみを捜して欲しいと依頼する。しかし探し当てられた彼は迷惑そう。しかも取材から急に帰京した坂本は、その人物を羽田で見かける。 『偽りの再会』
タレント石崎慎也の”御対面”の相手候補は高校時代に彼と仲の良かった長井啓子。しかし彼女を知る高校時代の友人たちはその話題を避けようとする。坂本は自分の思い出と彼らの隠されたエピソードの接点に愕然とすることに。 『夏の断点』 以上九編。

洒落た都会派ミステリーであるだけに、シリーズ未完結なのが実に残念。(特に怪盗スーハー)
三つのシリーズで一冊を作らなければならなかったという事実が端的に示している通り、それぞれが完結しておらず、雰囲気としては「海渡英祐短編拾遺集」といった趣がある。(ノンシリーズならノンシリーズでまとめることも可能だろうが)なかでも五話書かれた”怪盗スーハー”のシリーズが特徴的。書き下ろしで完結編まで持ってくることは出来なかったものだろうか。
その”怪盗スーハー”、エンジニア上がりの脱サラ男が怪盗の真似事をする――といったもので、決して生まれながらにして泥棒の血を引いた人物ではない。泥棒として壁を這い上がったり、ハイテク警護装置を解除したりといったスーパーマン的な活躍をみせるものではなく、せいぜい一般的な開錠術を持っている程度。かといって、せこい盗みを働くことはなく、一応は面白がることを第一義にしている。なので、自然と、”日常の謎+泥棒”といった魅力的なシチュエーションとなっているのだ。誰にでもできる――とはいわないが、そのやり口は、本格ミステリ的ロジックを逆算したかのような方法論。また、何らかの思惑をもって彼に近づいてきた依頼人の、更に裏をかく展開があり、これまた本格ミステリ的意外性を味わうことができるのだ。大きなスリルを一気に味わわせるのではなく、こつこつと小さな意外性を積み上げて物語全体に奉仕するアイデア勝負。 それに、数馬と葉子のラブラブカップルならではの掛け合いが加わり、全体から発する雰囲気の良さも味わい深くなっている。繰り返しになるが、一冊にまとめて欲しかったシリーズだといえる。(ここまで書いておいてなんだが、いわゆる”怪盗もの”の作品は、完結させにくいのかもしれない。というのは誰も官憲に捕まる怪盗を見たいとは思わないし、かといって足を洗うというのもヘンであるし。結局、彼らは捕まらないまま、余韻のみを残して終わるしかなく、きっちりとしたシリーズの結末なんて、実はいらないのかも)。
他の四作品、すなわち”カメラマン探偵・則子””探し屋探偵・坂口”のシリーズは、本格ミステリのロジックが両作品とも勝っており、シリーズものとしての魅力は薄い。とはいっても、それぞれのシチュエーションのなかで、論理的な真相に至る過程は、本格パズラー好みの読者であれば、その真価を味わうことは容易であろう。

本書収録作品の一部は他の作品集でも読むことが出来る。とはいっても、中途半端だったのかこのノベルス版のみで、文庫化はされていない作品集である。入手しやすい範囲で海渡作品を読んで気に入られたという方が、その次のステージとして探すべき一冊ではないかと思われる。


03/09/25
内田康夫「赤い雲伝説殺人事件」(角川文庫'86)

内田康夫氏の九作目となる長編。『後鳥羽伝説殺人事件』にて初登場した探偵役・浅見光彦シリーズの三作目にあたる。元版は'83年に刊行された廣済堂のブルーブックスで、本角川文庫版の前年、'85年に廣済堂文庫でも刊行されているが、その翌年には”メジャー”な角川文庫に移り、現在に至っている。

プロとアマチュアが混じり合う立石清風画伯が主宰する立風会の展示会が銀座で開催された。アマチュア画家の小松美保子が会場の画廊で番をしていたが、ふらりと立ち入ってきた初老の男性が、よりによって彼女の絵に目を留め、購入したいと申し出てきた。男は白井達雄と名乗り、ホテルニューオータニに宿泊している。絵は、山口県にある寿島を題材としたもので、雲を真っ赤に塗り上げたところがポイントだった。白井は絵は分からないが、モデルになった島の出身者であり、「島の連中にこの絵を見せたい。あの男も考えが変わるだろう」と言葉を残す。その白井がホテル内で首吊り死体となって発見された。自殺に見せかけられていたが、警察は他殺と断定。部屋にある筈の絵が見あたらないことから、物盗りと怨恨の両面から捜査が開始された。警察は浅見の母の所属する立風会へと捜査の手を伸ばし、浅見光彦は母の命令により、小松美保子の絵の行方を捜し出すことになる。一方、元学校の校長だったという白井は現在、「きれいな海を守る会」の会長を務めており、地元に建設予定の原子力発電所計画の撤廃を求めて、議員への陳情のために上京していたことが、安住という被害者と親しかった人物の口から漏れる。

九冊目にして徐々に薄れていく本格推理のテイスト……。浅見シリーズらしくなってきたきた
銀座の画廊で買われた一枚の絵。買い主が殺された事件で、現場からは絵だけが盗まれていた……。
ま、もちろん「絵」が犯人にとって都合が悪かったということであり、被害者は原発建設の反対運動の中心的人物となれば、もう事件の構図は見えたも同然。その絵の作者が妙齢の美人であること、彼女が浅見の母親の知り合いで、絵の捜索を命ぜられること、その事件の根っこが観光地(というか地方)にあること、浅見シリーズ三冊目にして名探偵の噂が警察内部に広まっていること、警察局長の兄の威光が本人の意思と無関係に通用すること……等々、後に、”旅情ミステリー”として確立する、”浅見光彦シリーズ”における、いわゆる「お約束」のような要素が、本書においてそろそろ全て揃ってきた感。 こうなるといろいろな意味で楽である。
美女や観光地といったテレビ映えする設定、警察関係者でもないのに一介の素人探偵が続々捜査情報を入手できるという設定。 また、事件の構図そのものも分かりやすく、容疑者こそ多数いるものの、動機もありがちで自然。最も怪しい容疑者が物語の途中で不審な死を遂げるところまで含めて、すっかりお約束の展開。 ポイントとなる「絵」の秘密にしても、ここまであからさまに伏線が語られていれば、持つ意味はみえみえだし、その一方で「絵」の持つ効力の方はどこか恣意的で、ホントにここまでするの? という疑問も湧く。政治が絡んで犯人の現実性は増すものの、相対的に意外性が低くなる点もどうかとも。うーむ、何日かすると内容をすっかり忘れてしまいそうだ。

デビュー作品から本作以前の長編作品には、かなり凝ったトリックがそれぞれに使用されており、内田康夫は本格推理畑の作家である――と、いう当時の評価には「なるほど」と思わせるものがあった。しかし、本作あたりは、徐々にその評価が、”旅情ミステリー作家”に移行しつつある時期になるのかもしれない。


03/09/24
中町 信「萩・津和野殺人事件」(ケイブンシャ文庫'95)

中町信の中期作品、推理作家・氏家周一郎と、その妻・早苗が探偵役を務めるシリーズ作品の一つ。ケイブンシャノベルスで『新特急「草津」の女』という題名で刊行された作品に、加筆修正されて本題に改められたもの。(個人的にはどちらの題名も、実はしっくりこなかったりするのだが……)

サラ金から三千万円が強奪され、自動車で逃走した犯人は花咲総合病院の敷地内に逃げ込んで事故を起こして死亡した。その過程で、病院内にいた青年プロパーが車で撥ね殺されて死亡。彼はなぜか自分の腕時計を外して握りしめていた。そして盗まれた現金、三千万円が見あたらない。事故直後に病院内に駆け込んだ三人の人物が、猫ばばしたのではないか、と目された。一人は内科の女医・奥沢、そして残りの二人は足を引きずっていたことから外科病棟に入院している四人の患者のうち二人ではないか、と思われたが、証拠がない。もと捜査一課勤務で引退して画家となっている坂東流太郎のもとに、多々良明子、星晴美という二人の看護婦が訪れる。星の兄が、その猫ばばの恐れのある四人の一人なのだが、その疑いを晴らして欲しいのだという。引き受けた坂東であったが、その星の兄は自殺。また、転地療養のため、群馬県に向かった関係者だったが、その途中、新特急「草津」車内で、奥沢女医が殺されてしまう事件が発生。関係者には謎の脅迫状が舞い込み、快気祝いの旅行先である「萩・津和野ツアー」での惨劇が予告されていた。

地味な展開のなかに込められたさまざまな仕掛け。ミスリーディングが渋く、真相は意外
例えば、新特急「草津」。この特急は、途中まで「草津」号と「谷川」号が連結されて走り、途中駅で別れて別々の目的地に到達する。いかにも、という設定のなか、「草津」の乗客が殺され、容疑者は「谷川」に乗っている……。まさにトリックのための出来すぎのシチュエーションのように思われる。また、ある被害者が書き残すダイイングメッセージ。小説の原稿用紙にナンバリングする機械で、わざわざ、ちょっといくらなんでも不自然だろう、という数字を大量に使用した文書が登場する。他にも、サラ金強盗から更に奪ったお金の分け前争いが背景にある……あたりなど、なんというか、要素そのものだけをみれば、三流ミステリーとしか思えないところが逆に凄い。最後まで読めば、そんな単純なミステリではなく、あくまで読者を騙すことに徹底しているところが中町信作品最大の特徴であることに改めて気づかされるのだ。
斯様に、ミステリのためのガジェットが不自然なまでに配置されてはいるのだが、そのうえでのヒネリ方がもの凄い。列車のトリックは、関係者の証言を地道に潰すことによって、当初思われた可能性がひっくり返っていくのだが、このあたりは過程がやや地味な感は拭えない。しかし、その最後に現れる光景はその分、強烈に響いてくる。また、関係者が宿泊した旅館内の殺人を、ある製品の特徴から明らかにしていく点や、犯人と関係者との口争いにおける重要なヒントなど、よくよく見れば凝った仕掛けが各所に凝らしてある。また、ダイイングメッセージにしろ、読者が思いつくような答えを全て関係者に吐き出させた後に、(実は無理無理ながらも)オドロキの回答を用意している。(ま、怒る人がいるかもしれない)。
全体としての物語の不自然さは拭えず、決して単純な傑作ではないし、普通に読むと無理が目立つのは承知。 ただそのうえで、作者の読者を驚かせよう、という心意気がびんびんに伝わってくる。本格ミステリにこだわりのある著者ならではの作品だといえる。

いわゆる本格ミステリマニア、特に年齢層の高い方に中町信の熱心なファンは結構多くいる。本書もそういった読者には大いに歓迎されたのではないだろうか。自分でいうのも何だが、どこかマニア心を刺激する作家だと思う。また、本書における名探偵役、氏家夫妻の登場の仕方(というか物語への関わり方)は面白い。ありそうな話だし。


03/09/23
岡嶋二人「クラインの壺」(新潮文庫'93)

'89年、日本を代表するミステリ・エンターテインメントを発表していた作家ユニットの最後の作品が発表された。井上夢人と徳永諄一によるユニット、岡嶋二人。'82年に第28回江戸川乱歩賞を受賞した『焦茶色のパステル』にてデビュー、それから七年間、長編を中心に29冊の著作を残して駆け去った。その掉尾を飾ったのが『クラインの壺』である。とはいえ、ユニット解散直前の本書は、事実上、井上夢人単独の執筆作品だとされている。読み直すのは三回目、かな。

ゲームブックの原作募集に応募したものの、規定枚数を遙かに超過したことから失格していた筈の上杉彰彦のもとに、株式会社イプシロン・プロジェクトという会社より連絡が入る。二百万円で彼の原作を、彼らが製作する新開発ゲームの原作として使用したいというのだ。梶谷という男に連れられて、彼らの研究室を訪れた上杉は、腕をすっぽりと特殊なプロテクターで覆われた。特殊なバーチャル・リアリティを体現するというその装置は、実際は触れてもいないものをあたかも触れているかのように感じさせた。それから一年半。一時的に連絡が途絶えていたイプシロン・プロジェクトより再び、上杉にコンタクトがあった。ゲーム・モニターとして協力して欲しいのだという。厳重な上杉は、別のモニター、高石梨紗と共に厳重な秘密保持がなされた研究所に連れていかれ、クライン2と呼ばれる装置でゲームに臨む。装置は格段の進歩を遂げており、網膜に直接映像を照射、全身を覆われ、視覚や聴覚はおろか、触覚や味覚まで再現されたゲーム世界に身を投じる。しかし実験を進めるうちに、仲良くなった梨紗が突然モニターに来なくなってしまう。上杉は辞めたのだと聞かされるが、梨紗の友人の七美の話と彼との情報が食い違い、彼はイプシロンに対する疑念を抱き始める。

時を経ても全く古びない、そして恐らくこれからも古くならないバーチャルリアリティサスペンス
想像力の勝利、とでも呼べばいいのだろうか。本書は五年以上ぶりの再読になるし、ストーリーもほとんど覚えていたにもかかわらず、未だに実に新鮮、なのだ。作品が発表された、この十年以上の間にコンピュータ関連、ゲーム関連は長足の進歩を遂げたにもかかわらず、本書にて描く世界は、そのごくごく僅かな部分しか実現されていないし、今後も全く同じかたちにはならないとは思われる。ただ「このシステムにテラバイトクラスの情報が入力された」という表現があり、これはいつか個人のパソコンでも実現されるのだろうが、それにしても。
再読して気づいたのだが、本書はバーチャルリアリティという存在を、メタ構造に転換した実験作、という言い方が出来るように思うのだ。突飛な設定に目が行き勝ちなのではあるが、その設定の本質は、現実と虚構の反転を狙ったもの。テキストでは、メタテキスト構造によって、現実が実は虚構で、という入れ子構造は、ミステリに限らず様々な作品で試みられていることは周知のこと。本書はその入れ子構造の迷宮性を、そういう装置をもって作品内に実現することに成功している。
もちろん、岡嶋二人が描く若者像のみずみずしさは、時代を超えても普遍かつ不変であり、彼らの情動や行動への共感が作品からダイレクトに届くのも確かで、このあたりの筆力のなめらかさは天才的だと思う。当然、これらから青春ミステリという捉え方もできる。ちょっとした登場人物の台詞や仕草がいい感じであるし。そのうえで、メタ・ミステリを試みているがために、登場人物が感じている不安は、そのまま読者の不安となって伝わってくる。 様々なヒントが中盤からあるのだが、どこからどこまでメタなのか、という点、推理ができるようで実は論理的な決め手には欠けるようにしてある点も面白い。徹底的に推理に徹して現実と虚構の境目を探るのも良し、ストーリーの流れに浸って、不安な気持ちではらはらするのも良し。色々な読み方がなされて当然の作品だといえるだろう。

さすがに息の長い新潮文庫、2003年の現時点でも、十年前に刊行された本作は未だに現役作品のようだ。講談社文庫にて岡嶋二人が次々と復刊されている今、やはり、岡嶋二人最終作品というエポック抜きにも本書は永遠に読み継がれて欲しい。エンターテインメントとして、やはり純粋な傑作なのだから。


03/09/22
福澤徹三「廃屋の幽霊」(双葉社'03)

'00年、福澤氏は恐怖小説集『幻日』にてデビュー。その後『怪の標本』、また怪談随筆集といった趣の『怪を訊く日々』といった単行本があり、本書が四冊目の作品集となる。

バーテンをしている私。幽霊が出る騒ぎで閉店になった店から美由紀という女が流れてきて、私と付き合うようになる。店には美由紀狙いの旗部という客が現れるが……。 『春の向こう側』
リストラされる前に職を捨て失業中の私。社宅を出て安く借りた一軒家での妻と娘との生活。就職活動は思うようにいかず、家には虫が入り込んだ痕跡が耐えない……。 『庭の音』
怪談にまつわる小説を書いている私。雑誌の依頼で有名な心理スポット”六道トンネル”を訪れることになるが、私はかつてそこで厭な事件に遭遇しており気が進まない……。 『トンネル』
フリーの広告代理店を経営する私。交際している舞子の紹介で訪れたバーのバーテンは超能力者なのだという。元同僚の神城が、そのバーテンの手品を暴こうとするが……。 『超能力者』
高校教師の私。父親を事故で亡くして以来、様子のおかしかった野田舞衣が不登校になってしまう。彼女は「毎晩、幽霊が出る」と言っていたが……。 『不登校の少女』
友人のアパートに転がり込み日雇いで暮らす私。古本と一緒に古い人形を拾うが、友人はそれを気味悪がり、他の人に拾ってもらおうとする。そのアパートには奇妙な住人が多くて……。 『市松人形』
平凡なサラリーマンだった私は、妻の不貞から相手を殺害した。首尾良く隠したものの夫婦は別居生活となった。その頃住んでいた家が幽霊屋敷としてテレビで紹介された……。 『廃屋の幽霊』 以上七編。

日常の風景そのものに味があり、それを根にした怪異が踊る――
福澤さんの著作をずっと読み続けているが、以前よりも段々”分かりやすく”なってきているように思った。もちろん、それは俗っぽくなった等の悪い意味ではなく、読んでいてするすると怖さが懐に入り込んでくるような、そういう自然感覚を示すもの。その理由を考えていて、ふと思い当たったのが、その怪異を描く際に下敷きとなっている、日常性について、である。
本書でいえば、冒頭の『春の向こう側』から、その傾向が顕著に出ている。この作品は、女性が客を接待する形式の店でバーテンとして働く男の、一人称視点によって一貫して物語が綴られる。ここで物語は、序盤からこういう水商売を裏側から淡淡と描写される。従業員ならば当然の行為、すなわち準備、掃除、仕入れ、更には女性の扱い等々。その世界なら常識なのだろうが、売上をチェックするオーナーとの関係から、禁止された店内交際に至るまでの、水商売という世界における日常の描写がかっちりとしており、”日常性”が確立させられている。これが、物語のなかの怪異の異常性を引き立てるのである。同様に『庭の音』における、一家の大黒柱が失業者となってしまってからの凋落ぶり、『市松人形』における、ダメ人間のダメ生活のダメダメっぷり、等々、特殊環境なら特殊環境なりの”日常性”が物語のなかにきっちり存在している。 だから――。
だから、福澤さんの描き出す怪異が引き立っているのである。この結果、いわゆる初めから恐怖を予感させ、世界を歪ませ、雰囲気をピークに向かって掻き立てる一般的な怪奇小説・ホラー小説とはほんの少しだけベクトルが異なっている印象がある。確かに読者を緊張に引きずり込む手腕はあるのだが、基本的に日常があるため、読者はどこでどのような恐怖に放擲されるか、という点をなかなか予感できないのだ。ともすれば、日常と非日常の落差を最大限に拡げたところにいきなり恐怖を放り出してくる印象。伝説や怪物を基調としたホラー小説を、本格ホラーとするならば、本書は、本格ホラーのうちでも”日常の恐怖”系統(ミステリにおける”日常の謎”と引っかけてみました)と呼べそうな気がする。(もちろん、supernaturalであり、どこにでもある詰まらない怖さの意味ではない)。 また、物語の予感にさまざまな都市伝説を活かしながらも、その”恐怖”を織りなす根幹部分はしっかりオリジナルの別のものに置き換えているあたりには巧さを感じた。

味わい深い現代日本ならではの怪談小説。この現代、そして日本を舞台にすることにこだわりがある。いろいろな言い方はあるだろうが、平易な文章から齎される、切れ味鋭い恐怖感は、読者のイマジネーションを次から次へと喚起する。やみつきになりそうな、そして癖になりそうな……。これはまた、伝奇や伝説等とは異なる手法で、ホラー・ジャパネスクをしっかりと体現しているからか。


03/09/21
鳥飼否宇「本格的 死人と狂人たち」(原書房ミステリー・リーグ'03)

いわゆる新本格ミステリ作家を中心に展開されてきた、原書房の叢書、ミステリー・リーグだが、今年2月に刊行された分でもって、第一期が終了ということになったのだという。本書は山田正紀『天正マクベス 修道士シャグスペアの冒険』と共に本年9月に刊行された、同シリーズの第二期の開始を告げる二冊のうち一冊。背表紙等の体裁が、微妙に変化している。

綾鹿科学大学の大学院数理学研究科の助教授・増田米尊は「科学者たるもの、フィールドワークを優先すべし」という信念の持ち主。暴走族や暴力団に身を投じたり、深夜の公園でカップルの痴態を覗き見したりする「変態的フィールドワーク」によって編み出された論文によって現在の地位を築いてきたが周囲からは変態扱いされていた。彼が次の標的としているのは研究室の女性学生・三浦智美の性生活。彼女のアパートの隣室を密かに借り、壁に開けた穴から彼女を観察していた。しかし、その帰り道、学長にして直属の教授にあたる清水がマンションから転落死した現場に出くわしてしまう。死に不審な点があり、増田は重要参考人としてマークされてしまう。更に三浦智美が殺害される事件が発生、増田は最重要容疑者となった。 第一講『変態』
綾鹿科学大学理学部生物学科の講師・上手勇樹は「擬態」の講義を受け持つことになり、生徒のためのレジュメ作りに精を出す。綾鹿市ではその間、様々な事件があったが、六回の講義を終え、生徒らに彼が出したレポートの内容は、それまでの講義とどう関係があるのか理解に苦しむ内容であった。 第二講『擬態』
明日から海外出張に出掛ける生命科学研究所員・角田妃花梨に電話した学長の関宏子は、彼女と妹が交わす会話を混線で耳にしてしまう。「てるの具合が悪い」「てるはクローンだから長く生きられなくても仕方ない」……彼女の妹・亜佳莉の息子の名前は「輝(てる)」ではなかったか? 生命科学研究所は折しもクローンの研究で巷間の注目を浴びており、関は、その所長のもとを訪れる。一方、亜佳莉の息子、輝は彼らが動物園にいる僅かな隙に誘拐されてしまう。 第三講『形態』
以上に、「前期試験」補講『実態』が加わった変則中編集。

奇妙奇天烈を極めた学究の徒たち、蘊蓄の妙。そして奇妙奇天烈を極めた超変格的、謎。
うううううううむ、こいつはヘンだ。ヘンすぎる
いわゆる理科系の大学を舞台にしつつ、微妙にスポットのあたる登場人物を変えた三つの中編と締めくくりの短編から成る中編集。大学にて先端研究に邁進する学究の徒が、いわゆる普通人と異なる感覚を持っていること自体に違和感はない。しかしこの作品内部には、例えば森博嗣描くところの研究者のような”合理的なクールさ”が存在しない。(最終話の女性研究者にその雰囲気をようやく垣間見ることは出来るが……海外出張の行き先がストックホルムというあたり、某名探偵の行き先と同じじゃん、とか、やっぱり作者の遊び心だと思うし) むしろ、頭脳が優秀なのだとかそういう理由ではなく、一般社会に溶け込む器用さがないが故に、必然的に研究という道を選ばざるを得なかった(実情は違うにしても)人々による、一風奇妙な物語のように思えてしまう。
持ち前の動物学的知識をベースにすることが多いにせよ、比較的オーソドックスな本格ミステリの書き手と目していた鳥飼氏が、こんな変格的な作品を書くのか! という点がとにかくオドロキ。 確かに第二講『擬態』あたりで披瀝される、あたかも実際の授業を直接聞いているかのような系統だった知識は傾聴に値する。これを全部頭に入れれば、「擬態」についていっぱしの語りを入れることが出来るようになるだろう。ただ、そんなミステリ読者をぶっ飛ばすような「起承転結」の「転」が用意されている。しかもその落差の凄まじさは、推理以前にこれは笑うしかないではないか。(いや確かに変な誤植があるな、とは思ったのだが) これを逆算してミステリに仕上げてしまうなんて、ミスリーディングをそのまま本編にしてしまう程の変格である。連作のお約束、三つの物語に共通したある謎を提起する「前期試験」。ここでもまた読者は高々と吹き飛ぶ。こ、これかい。
第一講『変態』における増田が巻き込まれる事件や、第三講『形態』のクローンが関わる誘拐事件など、両者は比較的(あくまで比較的に)だが、舞台や設定が奇妙であっても謎解きそのものはオーソドックス。しかしそれが、綾鹿科学大学関係者である変人たちが発する強烈な毒に埋没してしまっており、何というか、もう普通のミステリとは思えなくなってしまう。
しかし増田米尊、あの事件があってもキャンパスに置いておいて貰えるもんかね。普通解雇でしょ、いくらなんでも。

題名に「本格的」とある点から既に物語は確信的なミスリードに入り込んでいる。 普通のがちがちの本格パズラーを期待している方にはまずお勧め出来ないし、間違って手にとってしまうのを身を挺して防ぎたい気もするが、なんというか、ぶっ飛んだミステリやバカミスを愛する方なら読んでみるのも良いかも。何にしろ「身構えて」手にとって頂きたい一冊