MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/10/10
森谷明子「千年の黙 異本源氏物語」(東京創元社'03)

第13回鮎川哲也賞受賞作品。題名の「黙」は「しじま」と読む。

左大臣・藤原道長が己れの一族の権勢を高めようと帝に対して様々な影響力を行使せんとする時代。後に紫式部と呼ばれるようになる女性に仕える”あてき”という名の女童は、御主に左大臣からの手紙を届けにきた岩丸という童と出会う。岩丸のことが気になって仕方がないあてき、そしてそのあてきを憎からず思っている岩丸だったが、二人は素直になれない。あてきの御主は帝と身分の低い更衣との恋物語を書いていたが、まだそれはごく一部の限られた人にしか読まれていない。その御主の夫は藤原宣孝といい、都の警護が仕事。その宣孝がいうには、帝が御寵愛なさっていた猫が何者かに攫われたらしい。その頃、式部に届けられた手紙が、文箱のなかから全て無くなってしまうという事件が発生、一方、岩丸は深夜に中納言が何者かに襲われるのを目撃する。――第一部「上にさぶらふ御猫」そして、源氏物語千年の謎、存在したと思われる一帖「かかやく日の宮」を扱う第二部へと続く。

歴史・平安・ミステリ。様々な色糸で縦横に織られた美しいタペストリーかの如き物語の妙。読み逃せない傑作
新人のデビュー作品には、パワーもあるが瑕疵もあるというケースが多いのだが、この作家は違う。読めば読むほどに深みを感じさせてくれる逸材である。
作品は長編といいつつ、「上にさぶらふ御猫」「かかやく日の宮」「雲隠」の三部構成となっている。第一部となる「上に…」は逃げ出した帝の猫や、盗まれた手紙を巡る、いわゆる”日常の謎”の系譜のミステリ。――に最初は見える。 ”あてき”と”岩丸”の幼い恋心が下敷きとなっており、仄かな交情を微笑ましく見守っていると、それがいきなり実は無駄のない伏線である点に驚愕させられる。ただ、この序盤の段階では出来こそ良いものの普通のミステリ作品の範疇を抜け出るものではない。そして第二部「かかやく…」は、帝の寵愛をかつて受けた女性を巡っての幽霊譚、そして源氏物語に本来備わっていた「かかやく日の宮」という一帖(一章)が、世間に流布するうちに消えてなくなってしまっているというテキストの謎が中心となる。第一部ではまだほとんど冒頭部しか存在しなかった源氏物語も、十一帖まで書き進められ、人々はその続きを熱望しているし、道長の権勢は尚盛んであり、その裏で涙を呑む人も多く存在するようになっている。また、主人公たちも時を経て成長、あてきは小少将、岩丸は源義清と名を変えて夫婦となっているという演出も楽しい。この第二部では、庭のなかの浮島という密室状況のなかでの人間消失が描かれており、「おお、本格だ」と、一部の読者が喜ぶ仕掛け。ただ、そのトリックは第一部から引き継がれるあるポイントが関係しているし、その動機もまた物語上の展開と不可分なのだ。このあたりで、物語のセンスに唸らせられ始めるはず。また引き続きの消失したテキストの謎。これは、更に大きな政治力の問題と関わりをみせるもので、謎を単に謎とするだけでなく、この時代と切っては切れない状況を絡めているあたりのテクニックが素晴らしい。現代の感覚に置き換えての”謎”ばかりではなく、この平安の”雅”があってこその”謎”。 この舞台の演出がとにかく小憎いばかりのセンスによって為されている。
そして、本書の題名となる源氏物語の成立上の謎に物語は進む。実際に史実上に名前だけ存在する「かかやく日の宮」という一帖はどうなってしまったのか? 千年もの間、学者のあいだで疑問視されていた謎に作者は挑む。謎のレベルがここで変転し、”日常の謎”から”歴史上の謎”へと移るのだが、不自然さはない。 これまで展開されてきた平安時代の活写が実に見事に伏線となって生きているから。さまざまな伏線によって明かされるその理由は、物語でなければ描き出せない必然性が伴っており、そこにも更に細やかなミステリ的な構成を配している点に驚かされた。

当然、ミステリ以外の角度からも本書はいろいろと評価すべき点がある。
表現の難しい平安期の様子を、決して現代表現に単純に置き換えることをせず、自分の文体のなかに取り込んでいる点。また、源氏物語そのものに詳しくなくとも、読者を置いていかないよう配慮が行き届いている点。時間の経過を作品内に織り込むことによって、権勢の頂点を極めた藤原道長という大人物と、その周辺人物の成長と変化が史実に基づいて描かれている点。更には平安時代の時代風俗や、当時の政治環境等が正確に映し出されている点。……等々、文学・読み物としての数々の技巧が実にさりげなく、ちりばめられている。この結果、読者への負担は少なくなる一方で、さまざまな角度から興味をもって物語にあたれるようになっている。特に、決して藤原氏を賛美する作品ではない源氏の物語が、藤原氏全盛でないこの時代に書かれ、そして残されているのか、という歴史上の謎や、題名でしか存在しない「雲隠」の秘密も、「かかやく日の宮」の謎と共に物語上ではあるが回答が示されている点も興味深い。

斯様に、物語はレベルの違うさまざまな「謎」が織り込まれており、更に主人公たちの境遇を巡る「時間」の流れが存在し、それらが不可分に結び付き合うことで、独自の世界(ファンタジー)を創りだしているのである。一冊の本のなかだけで、これだけ様々な伏線を、しかも不可分に結びつけることのできる実力は、新人にして既に完成されている。

岡田鯱彦、小松左京ら、平安時代を舞台にしたミステリは過去にも存在するし、藤本泉など源氏物語を俎上に載せてミステリ的な態度で考察を行った作家もいる。本書はまたそういった系譜に連なりながらも、高いオリジナリティを誇る。鮎川賞とはいえ、本格ミステリ愛好家だけではなく、文学を好まれる全ての方に手にとってもらいたい作品。再三の繰り返しになって恐縮だが、万人を納得させるだけの完成度を既に誇る傑作である。


03/10/09
舞城王太郎「山ん中の獅見朋成雄」(講談社'03)

メフィスト賞受賞のデビュー作『煙か土か食い物 Smoke, Soil or Sacrifices』から、その独自の臭いをぷんぷんさせていた舞城氏は今年、第16回三島由紀夫賞を『阿修羅ガール』にて受賞してしまう。独自の世界観はますます先鋭化され、福井県は聖地と化す。本書は『群像』の'03年7月号に掲載された作品。

先祖代々、背中に鬣(たてがみ)の生える家系である獅見朋(しみとも)家で育つ中学二年生、成雄。体力的に優れており、抜群に足の速かった彼は、オリンピックの強化選手合宿への参加を熱心に誘われていた。それを邪魔したのは飛び込んできた父の友人で書家である杉美圃モヒ寛である。モヒ寛はもともと杉美圃大寛という立派な名があったが、頭をモヒカンにした挙げ句、名前までモヒ寛に変えてしまったという変人のオッサン。山奥の僻地に相撲場を拵え、茶を嗜んでおり、成雄とは奇妙に仲が良かった。成雄は自分の鬣がランニングシャツからはみ出るのが嫌で、モヒ寛について山に向かう。「すまん」と筆で書く成雄をみて、モヒ寛は彼を弟子にする。ただモヒ寛は好きにやれば良いというので、成雄は自分の名前を筆で書くことに熱中していた。そんなある日、成雄は山の中でいる筈のない馬に出会う。その馬に運命的なものを感じた成雄は後を追うが、そこには頭をかち割られて瀕死となっていたモヒ寛が倒れていた。超人的体力によって彼を救い出したものの警察に疑われた成雄は、その馬を探し出すために、モヒ寛の家に籠もって山を探索。そして紆余曲折の末、彼は奇妙な集落に辿り着いてしまう。

深遠なテーマがあるようでいてないようでいて。青春ストーリーとして読めるようでいて読めないようでいて。
――こりゃまた。 結局、舞城王太郎は、現実を薄皮一枚隔てたところに独自のファンタジー世界を創り上げてしまう作家なのである。(もしかしたら、毎回舞城を読むたびに違うことを書いている可能性もあるが今回はこう断言しておこう)。鬣を持つ体力少年・獅見朋成雄の造型はまあ個性のうち。山奥に茶室を造り、土俵を設えてひとりで相撲を取る書道家・杉美圃モヒ寛の造型もまあ変人造型のうちだろう。更に、山の中にいるはずのない馬がいるくらいまでは奇想ではあるが、現実のなかにおいてあり得ない話ではない。(実際に体験するのはちょっとける奇想最初は獅見朋成雄が芸術家に誘われてドロップアウトしていく様子を描くのか……と思わせつつ、そこから彼を異世界に放り込んでしまう。その日本のなかにあることになっている、異世界はからっとしていて、かつ猟奇的。どこやらいろいろな意味で江戸川乱歩の描く世界に通じる――と書くと言い過ぎか。ただ乱歩世界と異なるのは、獅見朋成雄がその世界に対して異分子でありながら、すぐに順応してしまう点におかしさと、一抹の不気味さ。
おかしさ、といえば強烈な個性を持つ獅見朋成雄のキャラクタは、これまで舞城世界を席巻してきた別の主人公たちとも十二分に繋がるものがあるわけで、これまでのいわゆる”舞城ワールド”と重なるような既視感がある。ただ、この個性は物語に一人以上いると過剰になることは恐らく作者も承知している。個人的な思いつきだが、このキャラクタを複数立てて物語化すると超絶エンターテインメントとなるはず(恐らく戸梶圭太のような……)。しかし、主人公一人だけを立てて、その普通ではない悩みや行動を丁寧に描写することで、「これは何か深みがある」と、読者に思わせることにより、舞城作品は文学サイドからも評価されているのではないか。実際に作者がどこまで思索して創られているのか分からないところに、舞城作品の面白さと不思議さが存在するとしたら。ま、いずれにせよ”センス”ということではある。
センスといえば、主人公の十四歳という年齢もまた一つのポイントか。本書を読む人々のほとんどは、この十四歳という年齢は通り過ぎてしまっているとは思うが、世を騒がせることの多いこの年齢でも実際は既に多くのことを考えている。そして多くの可能性がある。――なんてちょっと文学的だともいえそうではないですか。

そしてもう一つ、凄まじい(失礼な)疑念も湧いている。 ――今回の舞城は、単に色んな擬音を文章で表現してみたかったからだけのためにこの作品を書いたのかも、なんてまさかね。しかし、「しきりし はんしとさん しとか」とか「じそりし さはしいいし そんく」とか、少なくとも事前に意図していなければテキストにはできまい。音読してもイメージが伝わるかどうか、ぎりぎりですもん。ま、こうやってリズムを作品のなかで形成していくのは、これまでの舞城氏のやり方における常套手段ではあるので、その一環とも考えられるけれども。

舞城らしいエンターテインメント、にみえる。 が、同時に深遠なるテーマを秘めた作品にも、みえる。 ただ、文学的主題が内包されていようとそうでなかろうとも、このスピード感とワケ分からん感はこれまでの舞城ワールドから引き続いてきたもの。読んでいて楽しければ、いいのか。最後に。一応ミステリ的な部分も無くはないですが、それを期待されても困ります。あくまで(まずは)ストーリーを楽しむ作品。 そこからどう深めていくかはアナタ次第ということで。


03/10/08
岡嶋二人「焦茶色のパステル」(講談社文庫'84)

'82年の第28回江戸川乱歩賞受賞作品。そして名ユニット・岡嶋二人のデビュー長編にあたる作品。また本書はこの後に発表される『あした天気にしておくれ』『七年目の脅迫状』と共に、岡嶋の競馬三部作とも呼ばれている。

宝飾品のデザインをしている大友香苗は、競馬評論家の隆一との結婚生活に限界を感じはじめていた。夫のことが分からない……。隆一と共に競馬新聞『パーフェクト・ニュース』に勤務する親友の芙美子と相談し、離婚を真面目に検討していた矢先、東北地方の幕良という地にある牧場に向かった隆一が撃たれたという報せが入る。共に撃たれた幕良牧場長・深町と共に夫は死亡。彼らの間に入っていた繁殖牝馬のモンパレット、そして四冠馬ダイニリュウホウとの間に生まれた当歳の仔馬パステルも巻き添えで死亡している。競馬のことを全く知らない香苗だったが、幕良から自宅に戻ると何者かが自宅に侵入した形跡を発見し動転、芙美子の家に転がり込む。夫が事件直前に、大学の農学部教授と接触しており、その教授も殺害されている点を警察も重視。またパステルは不自然なかたちで売買されそうになった形跡があり、そのことで夫は何かを調べていたことが判明しはじめた。果たしてそこには、一連の事件の裏に潜む競馬会を揺るがす陰謀が存在していた……。

競馬知らずでも読める本書はやはり名作。中途までのサスペンスと後半のどんでん返しラッシュ
主人公となる香苗が全く競馬を知らない――というのが本書の最大のポイントのように思う。一時のブームも去り、競馬自体が社会現象というような時代ではなくなったので、本書が「競馬を扱ったミステリ」だから、という理由で読まれるケースは少なくなっていくのではないか。一方で、再評価の気運が講談社文庫の努力もあって継続されている、時代を超越する名ユニット・岡嶋二人のデビュー作品として本書が手に取られる、という可能性の方が、今後は遙かに高い。となると、あまり専門性に高すぎる内容はメリットよりもデメリットの方が大きいだろう。競馬三部作においても、岡嶋ミステリの魅力は、競馬そのものにあるのではなく、競馬というツールを使ったうえで、十二分にミステリとしての面白みがある点だろうから。
その意味で、本書は競馬を知らない読者でも十分楽しめるよう、用語の解説が嫌味なくなされているし、単純に馬券やレースといった表面的な部分ではなく、その仕組みにさまざまな工夫が凝らされており、直接的なギャンブルとしての競馬がメインではない点も良い。(その業界の裏方的部分をミステリに取り入れる――という、その後の乱歩賞作品の傾向に連なる意味合いもあるかも)。何よりも、前半から中盤にかけてのサスペンス性の高さと、女性二人の絶妙のキャラクタ造型と彼女らによる冒険にはらはらどきどきするのが良い。また、作品内で十二分に説明される経済的な部分における動機をベースに、二転三転と事件の構図が、予め丁寧に引かれた伏線によってひっくり返されるのが心地よい。特にそのロジックには本格ミステリの手法が用いられている点にも改めて注目したい。読みやすさと面白さ、興味とバランスが気持ちよく揃った作品である。また題名による引っかかり――焦茶色なのにパステルとはこれいかに? というあたりが最後に微妙に絡んでくる点も見逃せない。(ただ、競馬界を揺るがすこの真相の深刻さは、多少競馬を囓った経験のある人間の方が、より深く理解できることだけは事実としてあるかも)。

かなり以前に最初に読んだ段階で気づかなかったサスペンスや、微妙な伏線による本格ミステリとして評価できるトリックをも再び堪能した。再読してまた味わい深いのも岡嶋作品の特徴だといえる。一度読んだまま、記憶が薄れてきている方にも再読をお勧めしたい。やはり名作は名作である。


03/10/07
斎藤 栄「飛鳥十字殺人事件」(双葉文庫'92)

'80年に双葉社より刊行された単行本が元版。斎藤氏のあまり知られていない名作『紅の幻影』と同系統といえば良いのか、斎藤氏提唱の「ストリック」理論が改めて実践された一冊で、本書を代表作に数える人もいる。(少なくとも一連の双葉文庫では、斎藤氏の代表作は本書となっている)。

大学の文学部教授、桃井は大学の同僚でもある新進の歴史学者・大和田伸子、そしてその夫であり、歴史作品を執筆する作家・大和田博夫妻が気に入らない。先日も大和田博が発表した、聖徳太子ガン死亡説に疑問を差し挟む作品に対して批判的な投書を行ったばかりであった。その桃井が、執筆のために一人で滞在していた広大な敷地を持つ別荘内で撲殺死体となって発見された。別荘の門には「天ばつ」と書かれた紙が貼られ、怪しい男が目撃されていた。当然、大和田夫妻が疑われるが、彼らには鉄壁のアリバイが……というミステリが「天の部」。更にその「天の部」を執筆した新進のミステリ作家・山路が、盗作の疑惑を対立する推理作家・吉野から指摘される。その山路は、雪の降り積もった自宅にて妻ともども日本刀を凶器とする凄惨な死体となって発見された。周囲には足跡の存在しない完璧な密室。加えて容疑者の吉野には完全なアリバイがあった……という「地の部」の前後半二部から成立している。

目立たないけれど隠れた代表作。いくつもの謎が有機的に絡んだミステリとしての構想に舌を巻く
前半部がそれだけで中編ミステリの体裁を為しており、後半部にそこに仕掛けられたテキストの謎を解いていく……という構成の妙味。特に後半の雪の密室は、似た例を思いつくようで思いつかない凝ったタイプのもの。密室の内部で日本刀にて惨殺された二つの死体、そして消えた凶器はまた展示会の展示品という思わぬところから発見され……という不可能趣味は、江戸川乱歩作品さえをも想起させるだけの、おどろおどろしさに満ちている。種明かしをされれば、確かにそれしかないというものではあるが、本格ミステリだからこそ喚起させられる「不可能」に対する興味と、「不可能」だからこそ持ち上げられるサスペンス性には素晴らしいものがある。この時期の乱歩賞作家には実はトリックメーカーが少なからず存在したということを改めて認識させられる。
それでいて、本書に斎藤氏の作品においての最上級の評価を与えることができないのは、前半「天の部」にて用いられている方のメイントリックがあまりにも「……」である点。アリバイ崩しのなかでも、いくら演出で頑張ろうとも、これは「やってはいけない」トリックだと断言できるし、この作品をそこそこ出来がいいように言及する作品内の登場人物のセンスにも疑いを持ってしまう。実際(とはいっても作品はフィクションだが)これしか書けないのであれば、ミステリ作家としては食べてはいけないだろう。これは現在だろうが当時だろうが同じコトではないか。
トータルのコーディネイトが抜群に巧いだけに、この前半部のトリックがこけているのが痛い。 ここでそれなりに考えられたトリックの作品を持ち込むことができていれば、「隠れた代表作」などではなく、斎藤栄の正々堂々とした「代表作品」になり得たのではないか、とまで考えられるのに。

とはいっても、斎藤作品のなかで水準以上であることは間違いないし、暗号等の遊び心も健在。前半部のメインプロットの一部を為す聖徳太子の死に対する謎は、扱い方が中途半端であることと、現在、紙幣から彼の姿が消えてしまったこともあり、それほど大きな興味は湧かないが、全体を通読することで本格ミステリのファンならば、感動と(そして同時に私の感じたような落胆? も)感じられることは間違いないだろう。。


03/10/06
内田康夫「パソコン探偵の名推理」(講談社文庫'88)

現在の内田氏のトラベルミステリー系統の作風とは全く異なる、連作短編形式のユーモアミステリー集。『小説現代』を中心とした小説誌に'83年から'84年のあいだに発表された作品が集められ、講談社ノベルスにて'84年に刊行された本が文庫化されたもの。'99年には集英社から愛蔵版も刊行されている。

鴨田探偵事務所は所長の鴨田英作と、助手の生井比呂子の二人で運営されている。しかしこの事務所のリーダーシップを握っているのはゼニガタである。ゼニガタはいわば『パソコン』なのだが、東大ロボット工学のホープやシャープの若き頭脳と呼ばれる男やソニーの音声力学の天才や、警視庁科学捜査研究所所属の人物などが寄ってたかって知恵を出し合ってつくったオバケ機械。永遠の謎とされているが、身体は大きいが頭はそれほど良くない鴨田は、中高一貫のエリート学校『現代学園』に所属しており、そのなかでもエリート集団が集う『ハテナクラブ』に所属していた。彼らは鴨田の腕力に助けられたことがあり、鴨田が探偵を志望していると同窓会で聴いて、彼にゼニガタを作ってプレゼントしてくれたのだ。但し、犯罪捜査と推理に優秀な能力を発揮するゼニガタは、口が悪くて気分屋。女性に優しく鴨田に冷たい。そんなコンビが今日また事件の依頼を解決するため、走り回りその知恵を絞るのであった。『ルノアールの男』 『ナイスショットは永遠に』 『サラ金地獄に愛を見た』 『嗚呼ゼニガタに涙あり』 『事件はカモを狙ってる』 『シゴキは人のためならず』 『田中軍団積木くずし』 『怪盗パソコン「ゴエモン」登場』 以上七編。

見どころはあるけれど、基本的に時代は超えられない――内田康夫のユーモア・ミステリ
内田康夫が執筆したという付加価値を除いて、ミステリ作品集として単純にみた場合、本書には長所と欠点が同居しているという印象が強くある。まず長所なのだが、短編の本格ミステリとしてのアイデアが結構面白いこと。 万能パソコンという、既に反則技(というか、こんなものは世の中には存在し得ませんよね)を使用しており、事件の方も荒唐無稽の度合いが強いものが多いにもかかわらず、その原点にある事件構造やトリックには比較的オーソドックスかつ、斬新なものが使用されているのだ。例えば『怪盗パソコン「ゴエモン」登場』に使用されている、美術品強奪のテクニックは、後の森博嗣のデビュー作品にあるあるトリックと根本的アイデアは同じだし、『事件はカモを狙ってる』での、犯人を罠にかける陥穽なども、サスペンス性とアイデアとが実に巧妙に同居しているといえるもの。このようにいくつかの作品における(残念ながら全ての作品に、ではない)トリックやアイデアには、現在隆盛を誇る本格ミステリ的視点からしても、その原点というかアイデアは近いと思われるものが多く、見るべきものがあるといえる。
だがその現在の視点からすれば、欠点もまた多いのも事実。特に時代を反映させたユーモアはいかんともしがたい。80年代前半の風俗や固有の言葉遣い、社会情勢等々がベタに織り込まれ、芸能ネタや流行語を使ってつくられた「狙ったギャグ」は、今となっては寒すぎる。 赤川次郎ライクなシチュエーションにしても微妙に生かし切れておらず、軽妙洒脱を狙ってかえってどろどろしてしまったという印象を受ける。厳しいことをいえば、主人公の鴨田のキャラクタにあまり魅力がないところに、美女二人が惚れている――というシチュエーションそのものに違和感が強く残った。

例えば、小林信彦あたりの作品にも同種の傾向がみられるが、”当時”の雰囲気を知らないと笑えない作品というのは(少なくとも年月が経過してから読む際には)致命的。ことで、先に書いたが「時代を超えられない」ミステリという評価は致し方ないものかと思う。


03/10/05
中町 信「湯煙りの密室」(講談社文庫'95)

'67年「推理ストーリー」誌に『偽りの群像』を発表、'69年に『急行しろやま』にて第4回双葉推理賞を受賞、と中町氏のキャリアは実に長い。しかも、叙述トリックを中心にした傑作を80年代にいくつもものにしており、特に本格マニアからの評価が高く、熱心なファンも多い。本書は、どちらかといえばトラベルミステリ系の作品が多くなった時期に書かれたノン・シリーズものであり、元版は'92年の講談社ノベルス刊行の長編である。

八千草洋子の弟、英彦は二浪中。同じく友人の津山吾一ともども第二志望のB大学には合格していたが、A大学の合格発表を待っていた。彼らは二人とも補欠合格とされ、じりじりと補欠の電話を待ち望んでいたところ、女性の声で補欠合格の通知が電話された。B大学への入学金を支払わずに済み、ほっとする洋子であったが、実はその電話はニセ電話であった。英彦はショックのあまりに一人旅に出て、宮崎の指宿温泉へ向かう。ところが、その温泉で英彦が事故死したという連絡が。露天風呂の岩場に酔って上った挙げ句に転落したとのことだったが、高所恐怖症の英彦がそんな行動を取るなどと洋子は信じられない。しかも密室を証言する従業員の話では、その浴槽には女性の幽霊が出ていたのだという。洋子は事件の裏側を調べ始めるが、どうやら英彦と吾一は、A大学受験の当日、大雪で鉄道が不通になっていたことから、他の受験生を乗せた車に便乗、そのうえで彼らの都合を優先させ、迷惑を顧みない行動に出ていたことが判明する。しかもその過程で、人一人の命が喪われてさえいた。英彦は自殺ではない、という吾一が全てを告白すると関係者を招いた晩、その吾一が他殺死体となって発見された。

どんでん返しに継ぐどんでん返し。受験地獄を巡る悪意のせめぎ合い……
本格ミステリマニアに多くの固定ファンを持つ中町作品だけあって、内容的なレベルは安定している。受験を巡るさまざまな悪意が自然に存在し、事件のきっかけに対する細工はりゅうりゅう。 なんといっても、事件の背景。受験会場に無理矢理に車で乗せていって貰いながら、急病のドライバーと、本来乗っていた別の受験生をほっぽり出して試験場に向かう二浪の学生二人、という設定は、人間として恥ずかしい行動ながら、普通の人間が”そうしてしまう”だけの説得力がどこか存在するように思えてしまう。そして、その二人は、物語のなかで殺人事件の被害者となってしまうのだが、動機をその”事件”だけにとどめず、更に過去にも知られざる事件を設定していたりするため、動機面からは読者は犯人を指摘できない。というか、登場するほとんどの人間に、何らかの動機が存在する。
混浴温泉での不思議な密室、序盤のプロローグが不気味さを演出する第二の殺人事件。当然、中町作品ならではの、真相を突き止めた人間が、それを開陳する前に犯人に殺されてしまう、というサスペンス性もお約束のように存在する。こういったなかで、序盤にちりばめられた伏線が、単純に収束するかたちで真相が明らかになるのではなく、その伏線が持つ別の意味合いによって真相が構築されていく論理の筋道が鮮やか。 伏線を読者に気づかせないのではなく、伏線を伏線として提示しながら、その意味付けを変化させる、という高度のテクニックが用いられている点に気づきたい。
そして、テーマが受験である点もポイント。もっとも充実した経験が得られる十代後半を浪人生として過ごさざるを得ない学生の悲劇、さらに自己の実力ではなく自然の悪戯や、他人の悪意によって更にそれを重ねなければならなくなる絶望など、卑近ながら実感できる悲劇が物語の底に存在する。お金の争いや、男女の愛憎以外で、”意外性の少ない”動機でありながら、これまであまりミステリに昇華されることのなかったテーマではないか。こういった点からも注目されても良いように思える。

初期の三作品(『自動車教習所』『高校野球』『新人文学賞』それぞれ『殺人事件』)が代表作品とされることの多い中町氏ではあるが、それ以降も、少なくとも(リーダビリティはとにかく)本格度数は高い作品を数多く発表している。本書は中町氏の中期以降の収穫といえるだろう。あまり若い世代に読まれていない点が惜しまれる。


03/10/04
山田風太郎「赤い蝋人形」(廣済堂文庫'97)

「蝋人形」の「ろう」の字は画数の多い方の字。廣済堂文庫にて刊行されていた「山田風太郎傑作大全」の12であり、現代物のミステリ風味を持つ短編を七作収録している。ちなみに、光文社文庫等で多くの風太郎作品が復刻されたが、この廣済堂文庫のシリーズも本日現在、まだ入手可能の模様である。

少女雑誌の編集者は電車のなかで少女スリに遭い、車輌を飛び出す。直後、架線事故が発生し、先ほどまで彼が乗っていた車輌が炎に包まれる。そして編集者が訪ねようとしていた、人気作家・西条蕭子の家では、彼女の妹を巡ってのお家騒動がなされていた。 『赤い蝋人形』
四人の男がほんの偶然に、亡くなった友人の妻が経営するバーに顔を揃える。偶然について話し合う彼ら。そして、その友人の事故死には、彼らも何らかかの関わりがあったのだ。 『賭博学大全』
貧乏作家の私は借金が膨らみ、返済が苦しくなってきた。その金貸しから利子返済の条件として、女を一人養ってもらえないか、と打診される。しかし彼女と姦通すれば、借金は増えるという約束。私は快諾するのだが……。 『美女貸し屋』
保険屋の平助が訪れたアパート。その妻の姿をどこかでみた記憶が。それは終戦直後に彼の大事なボーナスを奪って逃げたニセ娼婦であった。平助は彼女に対し、以前の経緯をもって復讐を決意するのだが……。 『とんずら』
取引先の重役の息子に妻が陵辱された。夫の錠助は、社会正義の御旗をもって妻を説得して告発を決意。蔑まれると思いきや、彼ら夫婦は社会の英雄扱いされてしまう。しかし、その妻には二度目の悲劇が待っていた。 『わが愛しの妻よ』
友人のH君が心底惚れた女の子が、何者かに襲われたので姿を消すと手紙を残して失踪する。H君は彼女の復讐のために、その男が住む地域を調べ上げ、そこで自分自身が痴漢となって雪辱を果たそうとするが。 『痴漢H君の話』
事業が成功して金持ちになった男。しかし彼の稼いだ金に親戚や息子たちが寄りかかって暮らそうとする。最初は鷹揚に応じていた彼だったが、たかる側の彼らの厚かましさに徐々に感覚が麻痺しはじめる。 『ダニ図鑑』 以上七編。

風太郎ならでは非凡な奇想が、黒いユーモアとなって結実。笑いのなかに庶民の悲哀を込める
本書収録作品はそれぞれに微妙にタイプが異なっており、まとめて論じるのはちょっと難しい。とはいっても一つ共通しているところは(シリアスなミステリ仕立ての表題作を除くと)、物語の裏切りを強烈なブラックユーモアにて締めくくっている点だろう。徹底的に偶然にこだわり、偶然の話をし、偶然が話のオチを落とす『賭博学大全』、金を借りた先から、よりによって美女まで借りてしまうという奇想、そしてその笑うに笑えない結末の『美女貸し屋』、妻を強姦された男が、告発の過程で英雄に祭り上げられてしまう一方、その後の悲劇を通じて強烈な民衆諷刺を行う『わが愛しの妻よ』。どれもこれも、シチュエーションの設定に強烈な非凡さが存在する。さすがは風太郎。
そして、その非凡で奇抜なシチュエーションのなかで物語を展開、さらに読者の予想を大きく裏切るかたちで、物語を決着する。その決着がまた、ユーモアで包みながらも強烈なブラックな味わいを秘める。例えば忍法帖などもそうなのだが、風太郎は創り上げたキャラクタに、平然と残酷な運命を強いる。(ある意味、全ての作家がそうでなければならないのではあるが)。彼らの消沈、彼らの阻喪、彼らのショックは、作品の目的のために存在しており、彼らの魂の救済は、あまり考えられていない。たぶん、風太郎に言わせれば、これらは全て『ナンセンス小説」だから、切り捨てるべきものなのかもしれない。確かにシチュエーションで一気に読ませるエンターテインメントの要諦は押さえられているし、その残酷な結末には、それぞれ登場人物のペーソスが、そこはかとないユーモアでくるまれて提示される。しかし、読者はその物語のそれぞれの結末以上のことを心に投影させられている。集団的無責任。肥大した依存心の醜さ。単純な復讐の虚しさ。風太郎自身に自覚がどこまであったのかは今となっては分かる術もないが、確実に「庶民の悲哀」が作品のなかに込められている。本書の発表が、昭和三十年代であっても、その根本精神は今も不変だと感じられてならない。
特に本書収録の現代作品では、登場人物の運命の展開が読者にも予想がつかず、その結末を最後の最後まで明かさないところに味がある。つまり、自然とミステリの骨法を各作品において風太郎は取っているということなのだが、それらがまたどうも、自覚的に行ったものではないように見受けられる点にも困惑させられる。だからこその天然天才なのだろうが……。

この短編集に限ったことではないが、山田風太郎の作品は、基本的に「天才の仕事」と思って取りかかるべき。昭和期を駆け抜けた不世出の天才の筆は、単純なエンターテインメントのような顔をしながら、時代を簡単に超越して、永遠に読者の心の鷲づかみにし続ける。いやほんと、冗談抜きに読むたびに、再読するたびに感動を味わえる。 こんな作家、そういません。


03/10/03
横溝正史「支那扇の女」(角川文庫'75)

表題作と中編『女の決闘』から成る。どちらも戦後に発表された金田一耕助もので、特に『支那扇の女』は、はじめ'57年に短編として発表された作品が、その三年後の'60年には長編としてリニューアル発表されたのだという。どちらも横溝が暮らした東京は成城あたりが舞台となっているのが特徴といえる点か。

人がほとんど通らない明け方。巡回中の巡査が朝靄のなか、パジャマ姿で駆け出す人妻を発見。錯乱していた彼女は鉄橋から電車に向かって飛び降りようとするが、駆け付けた人々に取り押さえられた。その女性は小説家・朝井照三の妻・美奈子。彼女のパジャマの袖に血がしみこんでいるところから変事を予感した巡査が、近所の住人と共に朝井宅に向かったところ、小児麻痺の娘こそ無事だったものの、女中と朝井の老母が惨殺されていた。別にある仕事場にいたという照三に対し、警察は疑いの目を向けるが、美奈子には夢中歩行癖(夢遊病)の気があることも発覚する。美奈子は最近「明治大正犯罪史」という本から、自分の祖母は毒殺魔であったと信じ込む。その本を彼女に見せた、照三氏が疑われるが……。表題作『支那扇の女』
急遽帰国することになったジェームズ・ロビンソン夫妻。彼らは滞在中、周辺に住む住人と親しくしており、そのお別れのパーティが開催される運びとなった。そこに来ていたすこぶる美男子の小説家・藤本哲也と妻の多美子。藤本は前妻と別れて依頼スランプだという。そこに現れたのが、その前妻・河崎泰子。そして場の緊張のなか、多美子と泰子が仲良くソフトクリームを食べていたところ、多美子が急遽、薬物中毒の症状をみせて倒れてしまう……。 『女の決闘』

物語のミステリとしての盛り上げ方は抜群なのに、解決編での金田一の推理がほとんど不要という皮肉
表題作について先に述べる。朝靄の中を駆け抜ける狂女、家に戻ると謎の惨殺死体……という出だしから強烈なインパクトを持っている。容疑者は夫であり、彼には様々な怪しい行動があった。特にもともと夢遊病の気があった妻を、強くそちらに向かせ、何かを唆せようとした疑惑が上がってくる。こういった「操り」テーマを想起させるような展開は、どこかその残酷な現場の血の色と相まって、何やら戦前の探偵小説のような雰囲気さえをも呼び覚ます。中盤から終盤にかけて、夫の疑惑が明らかにされていく過程など、抜群に良いのだ。また闇のなか、神宮外苑での犯人逮捕の盛り上がりも吉。最後まで犯人の顔を読者に見せないまま、活劇だけはしっかりと演出されている。しかし。しかしだ。読者に対して更にその裏をかこうとして、横溝は成功するものの、金田一は失敗している。(いや、確かに推理はしており、それも正解なのだが) 結局の最終的な決め手は「目撃していたのに名乗り出なかった男の証言」になってしまっている点が何か勿体ないのだ。そんな人物がいるなら、いるで何か事前に匂わせてもらわないと。唐突にそんな人物が出てくるがために、どうも物語そのものがすっきりしていないように思われるし、本格ミステリの観点からいえば瑕疵だともいえよう。
また『女の決闘』も同様。ある重要な事実が、解決編のごくごく前に手紙によって齎されている。確かに伏線らしき部分はあるのだが、これもどこか唐突にすとんと幕が下ろされたように思えてしまう。金田一の推理によって解決する事件とはいえ、その「推理」そのものが霞んでしまうのだ、これでは。

金田一耕助が登場する長編(やや短め)にもかかわらず、あまり代表として挙げられることのない作品。そして、その評価そのものが、やはりこれらの作品の価値を体現しているということになるか。ただ、ラストはとにかく中盤までに金田一ものらしく現象が二転三転する面白みはあるので、横溝ファン限定でなくとも、ある一定レベルまでは楽しめるのではないかと思われる。ただやっぱり、両作品とも最重要のヒントがぎりぎりまで隠されている点には不満が残り、金田一の推理を十二分に堪能できないように思われる点、どこか勿体ない。


03/10/02
内田康夫「十三の墓標」(双葉文庫'89)

旅情ミステリー作家・内田康夫氏の三十二冊目にあたる作品。元版は'87年にFUTABA NOVELSにて刊行されたもの。発表当時、既に名探偵・浅見光彦シリーズが重ねられている時期ではあるが、本書は岡部警部が脇役として重要な役割(従って名探偵ではない)を果たすノンシリーズ(厳密にいえば岡部シリーズかも)の長編。

いわゆる〈桜田門〉。警視庁捜査一課に五歳の女の子、山本和代がひとりで電車に乗ってやって来た。「パパもママも出掛けてしまったきり、帰ってこない」――。彼女が訪ねてきたのは、その次に頼れる人物である自分の叔父・警視庁捜査一課の坂口正二がそこにいることを知っていたから。坂口が状況を確認するも、確かに和代の両親・山本民夫、裕子の夫妻は行方不明となっていた。和代を連れて、山本家に向かった坂口だったが、上司の岡部警部より、福島県で身許不明の遺体が発見されたという連絡が。確認したところ、それは確かに民夫であった。民夫は現地で目撃されており、その目撃者の大学教授は、以前に佐賀県の有明町で被害者を見たことがあるという。遺体の発見場所と、有明に共通するのは和泉式部伝説が残っていること。そして和代も両親の口から「イズミ」という言葉を聞いていた。結局、裕子も同じ福島県で遺体となって発見される。天涯孤独となってしまった和代のために、民夫の父と連絡を取る坂口であったが、その口調がやけに冷淡であることが引っ掛かる。

警察ミステリにも旅情ミステリにもなりそこなった? 安易な真相が雰囲気を壊しているような……
これまで『死者の木霊』、『「萩原朔太郎」の亡霊』といった、内田作品においてもかなり本格寄りの作品に岡部警部が登場してきていたことから、本書も同系統ではないか……という期待があったのだが、そうはいかなかった。岡部はアドバイザーとして登場するのみであり、実際に足を使うだけでなく、地道な推理を行うのも基本的には主人公として扱われている坂口刑事の方。犯人も特にトリックを弄するようなこともなく、結果的に謎めいた部分があっても、それは演出によるものであり、本格というよりもどこかハードボイルドにイメージとしては近しい
その一方で、和泉式部ゆかりの土地土地が全国に登場する。有明海、宮津、天橋立、余部鉄橋等々、浅見シリーズばりに九州・山陰を中心とした各地が、事件と関係のあった場所として登場する点は、内田作品の旅情ミステリーのように思われる。だが、個々の土地に対する描写が希薄で、かつての鉄道事故と絡めて描かれる余部以外の土地については、旅情が薄くなってしまっている点も否めない。
なによりも、もう既に内田氏がそれほどトリックを意識しない作風が確立されていた時期であり、本格ミステリに対するこだわりが相当に薄まってきているように感じられたのが、読んでいていて強く感じられるのが辛いところ。特に、本格ミステリのトリック的には既に禁断の○○ネタが、当初の手掛かりからするとあまりフェアではない使われ方をしている点が気になった。また、犯人の動機の陳腐さ(ミステリとして、ですよ。あくまで)を、根気の捜査や人情でフォローしているのは良いのだけれど、和泉式部の史跡の扱われ方の不自然さも少し引っ掛かる。人口に膾炙していないということは観光地として未熟だということで、人目を忍ぶには目立ち過ぎるような気がするのだが……。特に序盤に幼稚園くらいの女の子が一人で桜田門に乗り込んでくるスタートが抜群に良いだけに、叙情的な部分はとにかく、ミステリとしての安易さがどうしても引っ掛かってしまった。

正直なところを書けば、本格ミステリとしてはもちろん、旅情ミステリーとしてもどこか中途半端な感。浅見光彦を登場させていない以上、多少なりともトリック等に期待をしていたのだが。内田ファンだけが読めば良い本ではないでしょうか。


03/10/01
斎藤 栄「アリバイ地獄」(双葉文庫'95)

斎藤栄は近年から現在に至るまで、主に書き下ろし長編を中心に活躍する作家であるが、中間小説誌の全盛期にはかなりの量の短編作品をモノにしている。本書の元版は'84年にトクマノベルスにて刊行されており、収録作品は'70年代に小説雑誌に発表された作品が中心。

あまりにも良く考え抜かれた……驚異のバカミス! これは再評価が(一部から)は必要なのでは
あまりにもスゴイ作品ばかりなので、各作品にミニコメントを付ける方式に変更せざるを得まい。

横浜にある風光明媚な公園内にある三重塔。この下で十五歳の少女が全裸で死亡していた。死因は扼殺。一旦、塔に釣り下げられ、更にその後、その紐が切断されていた。また被害者は京都の学生と身許が分かる証拠が近くにあった。被害者を養育していた叔母が疑われるが、彼女には鉄壁のアリバイが。 『三重塔の力学』
ヒ素ミルク事件という社会派テーマが振りかけられているが、アリバイ崩し&Why done it? の正々堂々とした本格短編。プロットから導かれる回答と、容疑者が展覧会会場に書き残した筆跡によって構成され、ワンアイデアのアリバイとが微妙にマッチ。それなりに読ませる作品である。

インチキ白蟻駆除会社の若い社員と、年上の女事務員が恋に落ちた。しかしその事務員は社長の妾でもあり、二人は駆け落ちを考えていたが、男が仕事先に出てから戻らない。どうやら事件に巻き込まれたらしい、とその家に出向くと床下には……。 『王手飛車の女』
斎藤栄版『白髪鬼』といった面もちを持つ、異色短編。巻き込まれ型の犯罪に、若いカップルが嵌められてしまうところまでは普通なのだが、問題はその後。いきなりに強烈な復讐譚になるのである。猟奇趣味溢れる後半は、一部の探偵小説マニアを狂喜させるかも。ここまでやるか、斎藤。

仙台で日中、夫婦が襲われて惨殺された。一見、空き巣狙いの犯行のように思われたが、被害者に財産があり仲の悪い弟がその財産を相続することから容疑者に浮上。しかし、彼は犯行時間の直後に崖崩れに巻き込まれるというアリバイがあった……。 『アリバイ地獄』
「アリバイを作るために、いくらなんでもそこまではしないだろう」という大イベントを引き起こす、ある意味、常識の裏を取った強烈なトリック。しかし、そのトリックが暴露される結果となったのが飼い犬で、そこから更に皮肉な結末を引き出すあたりに奇妙な味わいがある。

米国兵との混血のために虐げられてきた少年が、少女と共に瀬戸内の無人島へ。しかし足跡のない砂浜のボートのなかで、中年男が刺されて死亡しているのを発見。折良くやって来た警察に追われる身となる。 『怨念の孤島』
社会に対する怒り、といったものを抱えた青少年を主人公とすることで、変形した青春小説という背景のなか、超絶に不自然な設定をいくつも織り込んだ、ヘンな作品。なんといっても注目すべきは被害者が死んだ方法。一見、不可能犯罪なのだが、結局不可能を可能にできる人物だったというオチに脱力すること請け合い。

大学助教授が女子生徒に誘われて夜中のキャンパスにて張り込み。最近、幽霊が水上を歩くのだという。確かに謎の人物が池の水面を歩いているのを目撃、しかし同時に悲鳴が聞こえ、駆け付けると女子生徒があられもない格好で殺されているのを発見する。 『水上遊歩』
「謎の人物が水上歩行する」というアイデアは、組み合わせ方によればもっと効果的だったのでは、と思う。しかし、それを目撃させておきながら、別のところで殺人事件、しかもダイイングメッセージにしても趣味の悪いやり方。意外性のもっとも少ない犯人……と、トリックの組み合わせに失敗して駄作となってしまっている。

宝石屋を騙して殺害、宝石を奪い取った挙げ句に、死体を車の解体処理場で潰してしまえば犯人は分からないはず、という大胆な犯行。若い恋人二人と、元同僚と三人が組むが、事件は意外な方向へ。 『屍体と宝石』
倒叙形式で物語が進む。自動車を六方向から熱を加えてプレスしてキューブ状にする、という前世紀の車の処理方法が、微妙な猟奇性を想像させる。もちろんストーリーは二転三転。単なる倒叙に終わっていない、が、ある意味お約束に則っているため、読者の意外性の演出には失敗しているかも。

なんというか、死体の処理であるとか、殺人方法であるとかの”突飛さ”が、物語のサプライズを演出する――ところはいいものの、それが突飛すぎて一歩引いて読むと、これはいくらなんでも、のバカミスの世界に通じている点が面白い。いや、ホント、この作品集、味わい深いです。変なミステリが好きな方なら、読んで損はありません。たぶん。