MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/11/20
恩田 陸「クレオパトラの夢」(双葉社'03)

MAZE(めいず)』に続いて、特異な個性を抱いた神原恵弥(めぐみ:♂)が主人公(探偵役というのと少し違う)を務めるシリーズ二作目。『小説推理』誌に、'02年から'03年にかけて掲載された同題の作品の単行本化。

美しい容姿と明晰な頭脳を持ち、法律事務所に勤務していた神原和見は、何不足ない婚約を破棄して不倫相手を追って、北海道はH市で暮らしていた。不倫の相手は若月慧という、和見とは一回り歳の離れた医学研究者。神原家の家族会議の結果、彼女を連れ戻す役目を与えられ、彼女の双子の兄である神原恵弥が北海道へと向かった。ところが、その恵弥が到着した当日、その若月博士の葬式が行われており、恵弥は和見と共に出向く。彼が暮らしていた古い家のなかで、階段の手摺りが壊れて転落死したのだという。一方、そんな状態にありながら、和見は世界を飛び回る外資系製薬会社勤務の恵弥がH市に来たことに別の理由があるはずと疑っていた。そのキーワードは「クレオパトラ」。和見は恵弥が先に若月博士とコンタクトしていたことを看破、恵弥もそれを認めざるを得ない。恵弥と和見は、事故死に事件性を感じて若月博士が死んだ家を訪問、恵弥は博士が印を付けたと思しきH市内の古地図を発見する。しかし二人が帰宅すると、和見の部屋の鍵が開いており、何者かが侵入した形跡が残されていた。恵弥は、多田と名乗る博士の友人と知り合うが、和見は恵弥の前からも姿を消してしまう。

小さな物語でありながら、描かれるのは世界的陰謀。細やかな騙し合いは本格ミステリにも似て
もちろん、本書がミステリであるからには謎がある。普通に読むと、その中心的な謎というのは「H市に隠された「クレオパトラ」とは一体なんなのか?」というあたりに集約される。もともと人物的にかなり怪しい(!)神原恵弥のみならず、若槻博士の周囲をうかがう謎の人物・組織が続々登場、関係者の周囲が掻き回される。博士の遺した古地図の指し示す先は、かつてのH市にあった歴史と機密に関わっていた……。 と、思わせぶりながらその中心をうまく読者の目から隠すことに成功しており、その内容が明かされるまで、ずっともやもやした気分が抜けることがない。 (このH市という表現、普通に読めば現実に存在する北海道の一都市であることはバレバレである。G稜郭なんて名所まで丁寧に登場するし。だが、それでも敢えて匿名にしたのは、現実にあった事件等に対する恩田さんなりの配慮なのであろうか)。
ただ、個人的に注目させられたのは、その”大きな謎”に対処する以前に、エピソードとして積み重ねられるいくつもの”小さな謎”の巧みさにある。例えば登場人物のちょっとした失言、プロの侵入者がなぜ扉の鍵を閉めずに出ていったのか、恵弥のとっさに胸に手をやる癖、家にいない猫、持ち出された湯飲み……等々。主人公格の恵弥だけでなく、その妹の和見や、多田といった個性を持った人々が、そういったほんのちょっとした違和感から、大きく論理展開して別の結論を導き出していく。その飛躍が正解にしろ、不正解にしろ、高い論理性を誇っているのが特徴。この結果、どちらかといえば、サスペンス小説ないし国際謀略小説といってもいいような主題が扱われているにもかかわらず、どこか本格ミステリ的なテイストが、重厚に感じられもするのだ。とはいっても、それらが目立って全体の大きな”謎”への興味を損なうわけではなく、両者は物語中にて見事な共存を成している。また、そういった謎の掛け合い、ばらし合いが登場人物の行動に相互に影響しあって、物語の独特な緊張感の維持にも繋がっている印象。こういったセンスは、恩田作品ならではの妙味である。

実際問題として、本書の主題はなかなか実験的なセミ・フィクションという見方もできるだろうが、やはりそういった現実性にはこだわらず、ミステリテイストを多分に含んだエンターテインメントとしてさらりと読むべき作品か。とにかく、恵弥という人物の強烈な個性が際だっており、主題さえも軽く見せてしまうのもまた魅力だろう。


03/11/19
多岐川恭「売り出す」(東京文芸社トーキョーブックス'66)

表題作である短めの長編『売り出す』と、長めの短編『標的』とのカップリング。出典はさすがに調べ切れていないのだが、著者によるまえがきによれば『売り出す』は週刊誌連載されたものだという。作者曰く、『売り出す』はコミック・スリラーなのだというが、今でいうユーモア・サスペンスだと思えばいいだろう。

『売り出す』 自称・殺し屋のちんぴら、諏訪部槌男のもとに怪しげな依頼人が訪れる。ある若社長を殺害して欲しいというもので、仮に犯行がばれても動機が別にあるようにみえるよう、その若社長に愛人をけしかけ、三角関係のもつれから殺されたように見せかけるよう要請された。諏訪部は殺し屋といいながら、実は内縁の妻に喰わせてもらっているヒモで、殺すと請け負いながら前金だけ貰ってとんずらを決め込むのが得意技。だが、愛人役に用意されたマリという女性の魅力にも嵌って決行の日を迎える。ただ、その内縁の妻は夫の素行が怪しいと探偵会社に内偵を依頼、しかし槌男がそれを取り消すという一幕があった。翌日、なぜかあっさりと槌男が逮捕され、秘密めいた女性ルポライター・畑由記子が登場、事件のことを調べ始める。
『標的』 うだつの上がらない万年サラリーマン・羽山。家庭では妻と娘とのあいだに深い溝があり、娘が勤め先の若社長の愛人となっているという噂にもどこ吹く風。しかし若社長の乱行により、姉がひどい目に遭い、彼を射殺しようとする若い工員と知り合い、彼に射撃の手ほどきをしてやることになって……。

誰が読んでも納得。独特のユーモアと風変わりな諦念、多岐川恭の二つの側面が如実に現れた好作品、二編
『売り出す』の方は、多岐川恭らしい奇妙なシチュエーションを何重にも重ね合わせることでできたミステリ。
・殺しの出来ない殺し屋 ・いっつも寝てばかりいるという探偵所長と、やる気のなさそうな女事務員 ・コケティッシュな魅力を湛えた愛人 ・友人たちから恨まれていたプレイボーイの若社長 ・何を取材しているのかよく分からない美人ルポライター ・そのルポライターにのぼせ上がる被害者社長の友人たち 等々が、どこかどたばたとしながら、決して落ち着きがない展開ではない……という不思議なストーリー。 殺し屋が最初に一世一代の大仕事として実行した筈の殺しが、実は別の何者かが実行した殺人である、というあたりがミステリとしてはポイントなのだが、この憎めないキャラクタたちと、正体ミエミエの女探偵との駆け引きがなんとも楽しい。特に身体を張って真相を突き止めようとする女探偵の浮世離れした造型など、かえって多岐川恭らしい遊び心が詰まっていて面白い。週刊誌連載ならではの場面ごとの盛り上がりと、寸止めのお色気が醸し出す女探偵の捜査シーンは一読すれば記憶に焼き付くこと間違いなし。特に、野球拳の場面のあっけらかんとしたエロティシズムなんていいよなあ。
一方の『標的』の主人公は、ハードな多岐川作品に頻繁に登場するタイプの人物。つまりは、人生そのものや人並みの欲望という点に対して完全なる諦念を持ち、通常人が気にする見栄だとか欲とは縁が切れていつつも、独自のこだわりに引っ掛かったものに対しては不自然なまでの執着を示す。娘が自社の若役員の愛人であっても気にしないという割り切りは、ある意味人間離れしている。それだけに、ラストにみせる役員に対する命がけの気概が強烈に読者の胸を打つ。また、もともとの考え方が人間離れしているだけに、最後まで何を考えているか分からないことに起因するサスペンスも深い。主人公は実際に身近にいると困るタイプではあるが、それだけに人生の深淵を垣間見せる深みが物語に存在する。これぞハードボイルド

文庫に落ちておらず、この新書版だけしか刊行された形式ではなく、あまり多くの読者に読まれている作品とはいえないものの両編とも多岐川らしい佳作。ほのぼのとした暖かみと、実に厳しいハードボイルドとが一冊にまとめられているという編集がまた素晴らしい(作者の意向なのか?)。それぞれ、まだ再評価の対象になっていない作品ではあるが、現代の読者にも十二分に通用するものだと感じられた。


03/11/18
梶 龍雄「裏六甲異人館の惨劇」(講談社ノベルス'87)

”惨劇シリーズ”と呼ばれているのかどうかは浅学にして知らないが、80年代の後半に梶氏が講談社ノベルス中心に発表していた映画監督・五城秀樹が探偵役を務めるシリーズ。(む、しかし前作は『奥秩父狐火殺人事件』で、惨劇じゃなかったな)。

五城監督の下、助監督の吉田が次作のロケハンのため異人館を取材に神戸を訪れる。吉田は学生時代の友人と出くわし酔いつぶれるが、更に別の友人でエリート家庭育ちの真隅英太郎より、六甲山上にある彼の別荘で開催されるパーティに参加しないかと誘われる。吉田はタクシーを飛ばして六甲山に向かい、教えられた住所にたどり着く。その月灯りに浮かぶ異人館風の建物の窓のなかを覗いた彼は、何者かの殺人場面を目にするが、泥酔の哀しさ、そのままその場で眠り込んでしまった。翌朝、吉田は真隅家で、招かれていた外国人宝石商・リッチウッドが、実際に殺害されていたことを知り、監督の五城に連絡を取る。その晩、”黒真珠夫人”の異名を持ち真珠のコレクターである真隅夫人が、宝石商から伝説の黒真珠”ブラック・ファンタジー”を購入する段取りとなっていたのだという。そしてそのブラック・ファンタジーは、関係者が目を離した隙に無くなってしまっていた。宝石デザイナーの忍田、美人ハウスキーパー野川ら、関係者には皆アリバイが成立。駆け付けた五城は、現場に居合わせた地元警察署長からお墨付きを貰い、現場実習中の新米キャリア刑事の秋籐と協力、捜査を開始した。

クリスティへの大いなる逆オマージュ。そして読者に対する大いなる企み。
作者はまえがきで「殺人とは零点である」とクリスティの言葉を引いている。つまり、殺人とは人間関係ともつれが爆発したときに発生する零点に存在するものであるという考え方である。本書は、そのことを念頭に置いて考えることによってサプライズが増すという、凝った構成を実現している。
殺人そのものは撲殺であり、密室等、いわゆる本格のコードはそれほど登場しない。強いていえば、山上の異人館という場所ゆえに容疑者が限定されることだろうか。殺人の実行者が見あたらないため、五城はこの「真隅家」を巡る、様々な人間関係について着実に捜査を進め、真珠にまつわる謎、もとより悪い噂のあった被害者にまつわる謎を一歩一歩探り当て、その「零点」が発生した原因に迫る。……これだけだと普通のミステリ。だけど、梶龍雄は五城にこの”通常の捜査手順”を守らせることによって、読者に対する大いなる錯誤を強要しているのだ。関係者を一室に集め、そういった状況から拾われたヒントによって犯人を指摘する大団円の構図。さらに、そのことを認める関係者。事件の結果に満足する五城と秋籐は、山を下りるが、そこに現れる一抹の疑念。 そう、ここから一旦は解決とみえた事件は、梶龍雄の仕掛けた新しい試みによって見事な反転を遂げる。 そうか、これがやりたかったのか。最終的に提示される真相は、考えようにしてはあっさりとしているように見えるかもしれない。だが、そこに至るプロセスに様々な伏線が張られていたことにも同時に気付かされるため、納得度合いは高い。Who done it? のミステリのWhy done it? のミステリへと転換を遂げるとき、梶龍雄がニヤリと笑うのが透けてみえるという怪作である。
冒頭、夢心地で殺人シーンを目撃する助監督。このあたりにいきなり物語上の”無理”が感じられてしまったりして、何というかツカミが今一つなのが欠点といえば欠点。物語の構想に大いなるものがあり、様々な場所にミスリーディングの仕掛けを施しているのだけれど、物語としてのスムースさに欠けており、つっかえながら読まされるような印象も併せて存在する。キャラクタも立っているし、何が特に悪い……と具体的には指摘し辛いのではあるが。

ただ、読み終わってみれば、本格ミステリへの強い指向と、「新しい試み」にこだわった梶龍雄らしいこだわりと心意気が感じさせられる。完璧な作品だとは正直言い難いが、本格ミステリ好きの方ならば、この趣向には満足できよう。


03/11/17
新堂冬樹「炎と氷」(祥伝社'03)

題名の「炎」は”ひ”と読ませるので「ひとこおり」となる。新堂氏は第7回メフィスト賞を『血塗られた神話』にて受賞してデビュー。周知の通り、その後は講談社ノベルスの路線に乗らず、本書と同じ闇金融をテーマとした『無間地獄』にて、独自の金融エンターテインメントの書き手としてブレイクした。以降も同傾向の路線を堅持し、特異な地位を築き上げている。

熊本出身の世羅は巨体と超絶なる筋力と胆力を資本とし、現在は渋谷で競馬客相手の闇金融を営んでいた。五割という暴利、それでも借りてしまう客、さらに一日でも支払いが遅れた際の容赦のない取り立てによって客や従業員からはもちろん、同業者からも一目置かれる存在であった。暴力と金によって権力(ちから)を握ろうとする世羅は炎。一方、世羅には中学時代からの親友がいた。抜群の胆力を持ちながら、暴力よりも頭脳で勝負する若瀬である。九州のヤクザのもと、闇金融を任され、抜群の成績を収めた二人は巧妙な方法で資金をつくり、組を抜けて東京で頂点を目指す仲。その若瀬は、池袋で風俗嬢相手の闇金融を営んでおり、これもまた巧妙な手口で抜群の成績を収めていた。その若瀬に惚れ込むキャバクラ嬢・樹里が、大手銀行の融資課長のカモの情報をもたらす。本気で樹里に惚れ込んだその男・赤星は、離婚して退職金を元手に樹里に店を持たせたいという。若瀬は樹里の兄を装い、その三千万円をそっくり頂く計画を練る。しかし、偶然にも赤星がその計画の過程で借金をし、踏み倒すことになった業者が世羅だったことから、親友二人の間に亀裂が入る――。

欲望の源泉はプライドと面子。金が絡むからこその権謀術数の激突模様
題名からも想像が簡単に出来る通り、ヤミ金融を自らの生きる道と定めた、二人の男の激突が主題。ストーリー自体は、ある意味単純。 それぞれに特徴を持ち、力を持つ二人の男が勝負する話。かつては親友同士であった男二人が、自らの面子と頂点を賭け、一命を賭して争う。これだけならば、似たような話は枚挙に暇がないだろうが、本書を特徴づけているのは、その二人のキャラクタと、徹底的なディティールへの凝りようにある。
キャラクタの方、徹底した暴力を背景にした脅しを主体にして取り立てを行う「炎」・世羅と、切れまくる頭脳と冷酷な性格、組織を背景につける強かさをもって非情な遣り口でもって取り立てを行う「氷」・若瀬。彼らがそれぞれ特徴的な部下を従えて、しかしもともとは決してバッティングすることのないはずの方法にて金融世界を生きている。彼らそれぞれ一人でも十二分に物語を語るに足るキャラクタでありながら、最終的に全面戦争になってしまうあたりがリアル。結局のところ舞台が「金」をめぐるエゴの世界であることを痛感させられる。
また、ディティール。この場合はつまりはヤミ金融のあの手、この手にある。基本的にヤミ金融に金を借りざるを得ない人々は、余裕があればそんなところからは借金をする必要はないことなので、借りる側もあの手この手を考える。彼らと貸す側との駆け引きが凄まじい。どうすれば借金を返済させることが出来るのか。脅しすかしは当たり前。あらゆる係累を使わせ、プライドを利用し、最後はまさに身体で払わせる。ここまで人間は非情に徹することが出来るものなのか。清く正しく生活している人間でさえ、彼らの手にかかれば一瞬で地獄に落とされてしまうだろう。背筋を寒くしながらの社会勉強。 でもそれが金融ミステリの醍醐味であり面白さであることも事実である。更に、本書の場合、プロ同士がしのぎを削っての金を巡る駆け引きが展開される。そういった暴力と権謀が支配するヤミ金融の世界であっても、一定の法律(ルール)にはそれなりに従っているあたりの現実味があることが、物語の凄みを増しているといえそう。頂点を狙う「炎」と「氷」が最後にどのような結末を迎えるのか。その結末よりも、その過程に強烈な醍醐味がある作品である。

……いやはや、借金はこわい。(最後は一言感想のみ)。


03/11/16
はやみねかおる「ぼくと未来屋の夏」(講談社ミステリーランド'03)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、講談社の新シリーズ、”ミステリーランド”。本書はその第二回配本三冊のうち一冊。とはいっても、はやみね氏にとってはホームグラウンドでしょう、このジャンル。

一学期の終業式を終えて帰宅する途中、山村風太は帰り道の途中、風変わりな男と出会う。「未来を知りたくないかい?」 未来を百円で売るという怪しい男・猫柳健之介、しかし彼は風太が終業式を終えての帰り道だということお見抜き損なう。全くくじけない猫柳はいつの間にか、児童小説作家である風太の父親や他の家族にも気に入られ、家に住み着いてしまった。風太の済む髪櫛町には、子どもがかくれんぼをすると出てこない子どもが出てくるとして、町の人々から恐れられている神隠しの森があったが、風太は誰も来ないこの森と、その入り口となる髪櫛神社が好きだった。夏休み最初の日曜日、飼い犬のポチの散歩途中、雨が降ってきて髪櫛神社に避難した風太は、雷の轟音と共にポチが行方不明になってしまったことに気付く。神隠し? そこに傘を持って現れた「未来屋」は、風太から百円を受け取り、その未来を告げる。そしてそれが見事に的中したことから、風太は猫柳のことを少しずつ見直し始める。次は学校で開催される肝試し。「未来屋」は図々しくも風太についてきて、担任の大原先生に一目惚れ。しかし、「川」の字型に建てられた校舎でかつておきた、「人食い学校」事件については、解決の目処をつけたらしい。そうして、猫柳のアドバイスにより、風太の夏休みの自由研究が始まることになる。

はやみねかおる版「ぼくの夏休み」。夢と適度な冒険と、そしていくつもの謎の追究。
舞台背景と登場人物が替わっても、中身はやっぱり「はやみね節」としか表現できない世界観が健在。これからミステリに入る若い若い世代に「講談社青い鳥文庫」の夢水清志郎シリーズを薦たいのと同様、ようやく「かつて子供だったあなた」よりも「少年少女」のため、と素直にいえる作品がシリーズに登場した感。
ミステリ作家志望の少年が語り手となり、風来坊である「未来屋」が謎を解くという展開。殺人など血なまぐさい事件は全くなく、町に伝わる伝説や、日常のなかに発生する謎、そして町の人々が抱える秘密がテーマ。ちょっとしたヒントから、これらの謎に切り込み、論理を紡いでその真相を明かす。 あれ? それならば、これこそ名探偵・夢水清志郎と同じ――と、最初は思わされる。だが、やはりノンシリーズの単独作品、微妙に探偵役の立ち位置が異なるようにもみえる。主人公と探偵役との関係性とでもいえばいいのか。つまり、自分勝手で野放図な生活をする「未来屋」は、風太の抱える謎を単に代理で解き明かすのではない。あくまで風太が自ら解き明かすための黒子役に徹している。 鮮やかな手腕で謎を颯爽と解き明かす夢水や怪盗クイーンとは異なり、「未来屋」は自らが解答を知りつつも、主人公である子供たちにあくまでその役割を譲ってしまうのである。基本的に町に伝わる伝説(都市伝説)が、謎のメインとなる以上、その町に住み続けていない「未来屋」が出しゃばることができないということなのかもしれないが。(ただ、エンディングで彼のその立場は変化するので、今後はどうなるのだろう)。
いわゆる謎と解決の結びつきについては、驚天動地の大技を使用するでなく、どちらかといえば手堅い。 あくまで少年少女が自分の町にも同じようなことがあるかもしれない、と思えるくらいの匙加減がなんとも良い感じ。ただその点では、どうだろう、戦争絡みの事件は、ちと大仰な気もしないでもない。(とはいっても町を支配する中島一族の存在、そして彼らの持つ動機なんかは面白い。これは風呂敷を拡げまくれば大人向けのエンターテインメントになりうるかも、とも)。

作者のあとがきにもある通り、この作品は、「はやみねかおるが読みたい」物語。ポイントポイントは現代風ではあるが、どこかノスタルジックな風景を重ねて、大人も子供も楽しめるような作品にしてしまっている点、実に巧い。また、もしかするとミステリ作家・はやみねかおるを作りだしてきた、数々の先人作品へのオマージュ的な意味合いもあるようにも読める。大体がだ、主人公の名前からして誰かを思い出すではないか。


03/11/15
都筑道夫「なめくじに聞いてみろ」(講談社文庫'79)

やぶにらみの時計』、『猫の舌に釘を打て』に続く都筑氏の第三長編にあたる作品。連載時は原題の通りであったが、当初は東都ミステリーにて単行本にまとめられる時に『飢えた遺産』と改題された。(現在は復題)。また、長らく講談社文庫版(絶版)しかなかったが、扶桑社文庫の昭和ミステリ秘宝によって完全版が刊行されなおしており、今は容易に入手できる。『殺人狂時代』という題名で岡本喜八が映画化した。

戦時中にナチス・ドイツの下、殺人兵器の研究をしていたマッドサイエンティストの桔梗信輔。彼は帰国後も出羽の山中に籠もって次々と変わった殺人方法を考案、弟子を名乗る人々に伝授した。その信輔は、自らの死の直前、殺しのアイデアを書いたノートを焼き捨て、その方法はその弟子以外には分からないようになった。桔梗信輔の息子、桔梗信治は、父親のしでかしたことの後始末を志し、殺し屋を営む十二人の血に飢えた弟子の抹殺を決意、単身東京に乗り込む。ただ、彼らがどこにいるのか、誰なのかはさっぱり分からない。通常とは異なる変わったやり方で殺人を行う、というヒントを頼りに信治は、銀座、新宿など物騒な地域で殺し屋を募集し始める。彼に興味を持った情報屋の啓子、自動車泥棒の大友ビル、壺振りの竜子らの協力を得、信治は奇妙な技を使う殺し屋と対決する。

シチュエーションの勝利だけではない。都筑氏ならではの洒落たやり取りが彩りを添える
再読。いや確かにシチュエーションは素直に面白い。父親の後始末をするという桔梗信治の動機がちょっと弱いような気もするのだが、高い能力を持った一人とその仲間vs殺し屋十二人による”勝負”という展開は、例えば風太郎の忍法帖などでもよくみられる通り、エンターテインメントの王道のひとつといえるだろう。その血に飢えた弟子たちが誰なのかは分からないし、その殺人方法も奇想天外。対抗する信治の戦い方も毎回異なっており、常に「何が次に出てくるか分からない」というヴァラエティが物語にある。途中から「殺し屋殺し」の桔梗信治の噂が殺し屋たちに広まって、対決の様相も少しずつ変化、最終的にはストーリー全体に仕掛けられた罠まで登場、とにかく物語の最初から最後まで読者を全く飽きさせない
男性一人、女性二人のサブキャラの個性も際立っており、彼らに相対する信治の態度が良いのはもちろん、彼ら及び殺し屋たち登場人物関で交わされるウィットに富んだ会話の妙が素晴らしい。お酒や車、銃器からちょっとした小物に至るまでの蘊蓄、映画を意識した会話のやり取り、さりげないボケとツッコミ。恐らく当時の国産ミステリにおいては全く考えられなかったような会話であろうし、海外産のハードボイルド等で交わされる会話に比べると、遙かに日本風へのアレンジが効いていて浮ついたところがない。まさに、軽妙にして洒脱。 血なまぐさくなりがちな作品展開を、キャラクタとその会話が大いに救っており、かえって底堅いユーモアを物語に振りまいている。恐らく当時、海外作品に多く触れていた作者の意図したものだとは思われるが、その消化ぶりには感心するしかない。
ただ、全体を通じてちょっと引っ掛かったのは、本来盛り上げるべき、信治vs殺し屋の”勝負”の部分が常にあっさりしており、勝ち負けが一瞬に済んでしまう点。もったいないし、下手に読み流していると何が起きたのかさえ読み落としてしまいそうになる。ただ、この点をどろどろさせないということさえも、実は意図された結果なのかもしれない……という疑いがある。都筑道夫作品は深いのだ。

実際に執筆された年代や当時の貨幣価値、そして登場している風俗などを考えると、本来時代がかってしまってもおかしくない作品なのに、未だに純粋に楽しむことができる。さらに二度、三度も楽しむことができる。本来、都筑道夫センセーにはこのあたりの作品から入って頂きたい、と切に思う。これで嵌らない読者などいないはず。


03/11/14
岡嶋二人「あした天気にしておくれ」(講談社文庫'86)

岡嶋二人の正式デビューは御存知の通り第28回江戸川乱歩賞受賞作品『焦茶色のパステル』ではあるが、本作はその前年に乱歩賞の最終候補作品に残された、事実上の岡嶋二人の処女作品として知られている。「このトリックは実行可能ではない」という理不尽な理由から、受賞作品にならなかったエピソードも一部では有名ではあるが、作者の弁を借りれば、実際のある時期にはこれは実行可能であった筈らしい。

三億二千万円という高値で共同落札された超良血サラブレッド:セシア。そのセシアが牧場内の輸送事故によって再起不能の重傷を負ってしまう。セシアを預かっていた鞍峰は四人いる共同馬主の一人。そしてその鞍峰が経営する鞍峰開発の財務管理部三課の課長である朝倉は、鞍峰がセシアの事故を隠蔽しようとするのを立場から手伝わざるを得なくなってしまう。日曜日の府中競馬場。朝倉の考案した計画がスタートする。セシアが何者かに誘拐されたことにしてしまおうというものであった。演技をする鞍峰をよそに、他、三人の馬主たちの思惑は交錯、狂言誘拐は成功するかのようにみえたのだが、事件に介入してきた何者かが、シナリオを混乱の局に陥れ、また警察が介入したことによって鞍峰と朝倉は宙ぶらりんの状態にされてしまう。誰が何の意図で事件に介入しているのかを探る朝倉だったが、結局、用意された身代金は驚天動地の方法によって犯人に奪われてしまう……。

倒叙形式のミステリに、更に新しい趣向を加えて。やはり競馬ミステリの白眉という評価は揺るがない
本書が評価される際、どうしても驚きの誘拐身代金略取のトリックについて語られることが多いように思う。だが、何度目かの再読をしてみて思うのは、トリックそのものよりも、この大胆な構成の転換の見事さに面白みの源泉が詰まっているように感じるのだ。当初、不慮の事故で殺処分しなければならなくなった競走馬のことを隠すために主人公らは、狂言誘拐事件を演出する。これが、謎の第三者の点で変更を余儀なくされ、気付くと誘拐事件の主導権は別の人物に移ってしまっているという転換。罠を仕掛ける側が、いつの間にか仕掛けられる側に回らされているという転換。本来は犯人である筈の主人公が、別の犯人を追いかけざるを得なくなるという転換。後の岡嶋作品においてもプロット構成の凝り方は、常に変化に富んでいるのだが、本作などその象徴といえるのではないだろうか。
そういった全体の流れのなかで、確かに身代金授受の場面は大きなクライマックスではある。この方法もいろいろ物議こそ醸したという背景はあれど、通常の読者が引っ掛かりを覚えるようなものではないだろう。(現状の中央競馬では少なくとも、システムが替わって同様の方法は難しいが) 従って、このトリックがつまらないなどという気は毛頭ない。寧ろ、競馬を少しでも囓った人間にしれみれば驚きが倍加するようなタイプの斬新なアイデアである。しかし、本書がこれだけ多くの方々に支持される背景というのは、登場人物のしっかりした造型(誰が悪人で誰が善人なのか一概に決められない)はもちろん、やはり先に述べたプロットの変転が面白いからなのだと思うのだ。
シリアスなのにどこかコミカル。ただ結末には微妙な苦み。大人がしっかりと楽しめる作品であることを、もっともっと多くの方に知って頂きたい。

本書、『焦茶色のパステル』、そして第三長編ともいえる(単行本では二冊目)『七年目の脅迫状』までの三作をして、岡嶋二人の「競馬ミステリ三部作」と称される。競馬、という単語だけで拒否反応を起こされる方もいらっしゃるかもしれないが、この三冊(岡嶋の場合、にも限ったことではないが)は、競馬を全く知らない方でも、そして現代の競馬ファンでも十二分に楽しめるだけの内容を維持している。時を超えられる作品であるといえよう。


03/11/13
豊田有恒(編)「ホラーSF傑作選」(集英社コバルト文庫'78)

未だに続く集英社のヤングアダルトレーベルであるコバルト文庫では、かつて本書のような”傑作選”と呼ばれるアンソロジーを幾つか刊行していた時期がある。「ロマンチックSF傑作選」「海外ミステリー傑作選」等々。SFに力点が置かれているように感じられるのは、当時の文学的な流れも当然一役買っていたものと思われる。

第二次大戦終戦間際、僕は知り合いの伝手で芦屋の御屋敷に下宿することになる。そこには病人がおり、その部屋には決して近づいてはならないと言われていた。 小松左京『くだんのはは』
上司同僚得意先。あらゆるところから無理難題を押しつけられてきた印刷会社の営業マン。彼の心が安らぐのは大枚を叩いて購入した軍刀を眺めている時だけ。 かんべむさし『斬る』
三十歳年下の女性が好きでたまらないぼくは、戦時中に知ったトンネルを抜けると別世界があるという村を久しぶりに訪れた。 矢野徹『くおんしゅの踊り』
交通不便な不人気マンションを購入、入居を果たした夫婦。しかし彼らの住む11階のフロアには他の住民がいない代わり、変なものが取り憑いていた。 眉村卓『おお、マイホーム』
山奥に分け入り、地図にない橋を見つけた私は、宿の主人の制止を振り切り、その地へと向かう。霧に囲まれた村では原始的な生活が行われており、私は魅力的な女性と知り合う。 田中光二『メトセラの谷間』
恐怖政治の結果、一定期間の過ぎた犬や猫、そして不満をこぼした人間を”柱”にしてしまう世界。彼らは徐々に植物化していく。作家のわたしの妻も”人柱”にされていた。 筒井康隆『佇むひと』
三度目の出産に失敗した妻を置いて、夫は大阪の愛人宅に出向く。その晩、街では大型の肉食獣に次々と人が襲われるという事件が頻発した。 平井和正『背後の虎』
社会からドロップアウトした若者たちを除いて、新宿の街は徐々に緑の苔のようなものに覆われていく。都市が風化していくなかで、彼らは。 河野典生『緑の時代』
かつて名の通った作家や評論家に現代を語らせて過去を透かしみるという企画。編集者はかつて名を馳せた文芸評論家に白羽の矢を立てるが……。 福島正実『過去への電話』
ミーハー歌手・高沢のポスター作成を請け負った広告代理店。しかしナルシストである高沢は発表よりも実際年齢が高く、ポスターの出来にケチをつける。 半村良『自恋魔』
三年ぶりに音信不通だった恋人の春子と再会した”おれ”。しかし、彼女は奇妙な老人を背中に背負っており、あろうことかその老人をおれに押しつけた。 星新一『背後のやつ』 以上十一編。

恐怖をもたらす質感は様々。だけど、一様に執筆陣は超豪華
まずは本書に収録されている作家たちの名前を御覧頂きたい。一時代が築き上げられた七十年代後半のSF全盛期に活躍していた、国産SF作家の大物をずらりと並べているようにみえる。ま、みえるというか実際に当時の人気作家が揃えられている。(版権なんて問題はなかったのだろうか)。現在活況のミステリ界にこれを置き換えると、島田荘司と京極夏彦と西村京太郎と宮部みゆきと綾辻行人etcの短編が一冊の本、しかもヤングアダルトに収録されたようなものだといえるだろう。現代では不可能ともいえるラインナップである。
ただ、SFという点ばかりに目を向けられない。本書はあくまで、ホラー・アンソロジーなのである。
この点、冒頭にいきなり国産ホラー短編の名作『くだんのはは』を持ってきたことに、まずは敬意を表したい。何度読んでもこの作品は心に染みいる怖さがある。ただ、いわゆる恐怖小説の系譜で「怖い」作品は、実は本書においてはこの作品一編なのである。やはりジュヴナイルという点が意識されたのであろうか、舞台装置に多少の怖さがあるもの、怖さよりも叙情が強いもの、人間の心の闇を描き出したもの、と、どちらかというと統一感を重視するというよりも、バラエティに富んだ内容になっており、読んでいる途中で「これはホラー・アンソロジーである」という点を、つい失念してしまうくらい。つまりは、奇妙な味わいや作品を覆うユーモアのなかに多少ブラックが含まれているという程度で、あまり恐怖感がそそられないのだ。ただ、その点を敢えて除くと、やはり大物揃いだけに、物語そのものに味わいが深い作品が多いともいえる。
人柱という単語からイメージを膨らませたと思しき『佇む人』、強烈にため込まれたストレスが一気に発散されている『斬る』、どたばたユーモアが何とも楽しい『おお、マイホーム』など、それほど怖さはなくとも、着想の妙味で読ませる作品が多い。特に男女の恋愛模様を下敷きにした作品が多いことも、作品集全体を柔らかい印象にしてしまう一因となっている。本気でセレクトすれば、各作家も収録作品よりも恐怖を掻き立てるような作品があるはずなのだが、レーベルに配慮した部分というものも恐らくあるのだろう。恐怖の味わいは薄かったが、作品としてはそれぞれ興味深く読むことができた、というのが正直な印象である。

単純にSFアンソロジーとして、様々な作家の様々な作風を楽しむのが吉だろう。繰り返しになるが、コバルト文庫にこれだけの大物作家が集まるというのも異例のことではないだろうか。こういった作品集を起点として、また個別にお気に入りの作家を読者がそれぞれ作っていく……という循環のなかに本書があるようにも思える。


03/11/12
海渡英祐「極東特派員」(徳間文庫'81)

後に江戸川乱歩賞を受賞する前、高木彬光の弟子として修行していた海渡氏が初めて発表した長篇小説。'61年、東都ミステリーの一冊として書き下ろし刊行された。

一九六〇年。初代大統領である李承晩の不正選挙に端を発した四月革命に揺れる韓国に特派された日系人記者、ケンジ・ブランデン。彼はもともと、満州生まれの普通の日本人であったが、戦争中に両親を失い、帰国後親戚に引き取られていたが中学生の時に、貿易実業家のブランデン夫妻に引き取られて渡米していた。また将来の幹部候補として、中国語や韓国語を学んだケンジではあったが、ブランデン夫妻が不慮の事故により亡くなったため、海外ネットワークに強いUSPの記者となった。韓国でケンジは、フランス系米国人記者・ギャビンと仲良くなる。彼はこの四月革命の裏には、オーガナイザーが存在するという推理を披瀝した。日本に戻ったケンジは友人の紹介で台湾からの留学生・李芳蘭と知り合い、美しく聡明な彼女に惹かれる。しかし、数日後に芳蘭と同僚とで食事したケンジは、芳蘭に親しげに話しかけてくる呉明章という人物と知り合う。しかし、呉がその晩、何者かに殺されてしまう。中共の工作員とも目された彼の死により、芳蘭は帰国をほのめかせる。ケンジは呉の事件の真相を自分なりに突き止めることを決意するが、芳蘭は台湾に帰国してしまう。

現実の国際的事件に対する裏の推理、それはそれとしての青春ストーリー
いわゆる”スパイ小説”である。 ただ、発表当時は少なくとも日本国内ではまだこのジャンルが醸成される前であったこともあってか、現実の事件をベースにしながらも、自由に空想の幅を拡げることに重きが置かれている印象があり、それがかえって物語の展開を面白くしている。とはいっても、梗概に挙げた韓国の四月革命だけでなく、日本の一連の安保騒動、アイゼンハウアー大統領の訪日中止など、ストーリーそのものは現実の歴史を踏まえて描かれており、セミ・フィクションとしても一定のレベルにある。 こういった現実の歴史を検証して背景にする、という下地があったからこそ、海渡英祐氏が後に『伯林―一八八八年』といった歴史+ミステリの傑作を易々と生み出すことができたのではないだろうか。
また、海渡氏自身が本作を発表した段階ではまだ二十六歳。文章や物語構成に”若さによる勢い”が感じられるのが、作品としてプラス方向に出ている。と、いうのは、主人公と作者の年齢が近しいということもあって、主人公とヒロインの国籍を超えた恋愛の場面が実に初々しく、本気度高く描かれている点。障害がある方が恋愛は燃えるというが、それを地でいく海を越えた愛情。主人公の(そして作品にも一部みられる)青臭さが、かえって作品としての魅力を増しているように感じられた。ラストの苦みがこの結果、非常に引き立っている。
逆に、一方のスパイ小説としての側面からみれば、現代の基準からすると些か時代がかってしまっている点は否めない。当時はとにかく、現代の感覚では本作も既に「歴史ミステリ」の域に入ってしまっている。また、この段階では「セミ・フィクション」でしかなかった海渡氏の想像が、それなりに後の検証では「事実」とされている部分もあって、やはりフィクションというよりも、歴史を踏まえた作品にみえてしまう部分がある。

発表後、時期が経つにつれ、”海渡英祐のデビュー作品”としてしか省みられることのない作品であったように思うのだが、現代に蘇る「歴史・青春ミステリ」としての再評価は可能だとみた。小生が海渡贔屓である点を差し引いても、発表当時とは違った意味で、現代読者が読むに足る作品であると感じた次第。


03/11/11
松尾由美「瑠奈子のキッチン」(講談社'98)

松尾由美さんの七冊目となる単行本。ノンシリーズ長編で、SFとサスペンスのハイブリッド感覚が溢れており、実に松尾さんらしい作品となっている。

米国で数ヶ月生活したことこそあるものの、瑠奈子は世田谷に住む平凡な主婦で、夫の宏と二人暮らし。多少変わった点といえば、いわゆる白物家電と呼ばれる家庭用の電気機器に人並み以上の愛情をもって接していることと、平日のうち三日はいわゆるカルチャースクールに通っていること。そんな瑠奈子のもとに、家電メーカー大手の村岡電器の社員と名乗る人物が訪問してくる。男は、瑠奈子にあるプロジェクトで拡販を検討する製品のモニターになって欲しいという。その製品とは台所に設置する生ゴミ用のディスポーザー。米国では普通に使用されているこの製品を、日本で広めたいというのだ。男の態度に不審を抱いたものの、食器洗い機のプレゼントに目が眩んだ瑠奈子はモニターとなることを約束した。会場に出向いたところ、参加者は瑠奈子のほかは、若い男性と、大学生の女性、それにカルチャースクールで顔を見知っている老齢の男性のたったの四人。その講習も怪しげである。カルチャースクールの帰り道、銀座でモニターの若者を見かけた瑠奈子は、彼の後を追うが、彼は路地裏で消えてしまい、それ以来講習には出席してこない。経緯をスクールの友人・木の実に話したところ、彼女が思わぬ名探偵ぶりを発揮。二人してプロジェクトの秘密を追いかけることになる。

サスペンスとしても、SFとしても、ミステリとしても、どこか不思議感覚が詰まった松尾ワールド
現時点でいえば、本作は松尾由美さんの最新作ではないし、これは読み逃した作品を拾っているかたちになる。――ただ、新刊を読む時にも、こういった少し前に発表された作品を読む時にも、松尾作品からは共通の不思議な感覚が漂ってくるように思えてならない。ジャンルミックス、というよりもジャンル分類不能という、もやもやしたもの。単純にミステリ、単純にSF、と割り切れない何かがそこには存在し、結局その”何か”が、松尾ワールドとしか呼べない不思議な空間を作りだしているのだ。しかも、それぞれの世界は全く繋がっておらず、作品毎に別々の世界観を打ち立てているという才能。それでいて底部にある雰囲気というのはどこか近しい。そして、作品内で奇妙な調和を醸しだし、それが美しくさえみえてくる。
本作も、ディスポーザー拡販プロジェクトから始まっているのはとにかく、段々に世界の裏側、つまり表向きにされない力が世の中を動かそうとしていることが明らかになってくる。マンホールから入る別世界など、唐突なSF的なガジェットが登場したりするのも松尾作品らしいし、それでいて単なる荒唐無稽と作品内世界をいいきれない。本作の場合、その秘密を探ることが結局、自分が気付かず抱え込んでいた秘密をも解き明かす旅になるという点がポイントであり、読後感は爽やか。物語展開が実に巧みなのである。
そして、改めて思った。そういったジャンル分け不能の松尾作品の裏側にあるのは、実に冷静な社会派的視点ではないか――。 ただ文章を書きながら考えているところもあるので、きちんとまとまらない。この点については、まだ一部ある未読作品を全て読んでから改めて一度検証したいように思う。

驚天動地のエンターテインメントでもないし、少なくとも本作においてはミステリ的な仕掛けが凄いということもない。でも、何か「世界」そのものに魅力があって。自分が男性なので感情移入して本作を読むということはできなかったが、女性であれば瑠奈子と、彼女の抱えているあることに対して深い共感を抱くこともできるだろう。やっぱり、不思議な作品というところに落ち着かざるを得ないのか?