MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


03/12/31
北森 鴻「桜宵」(講談社'03)

'98年に刊行され、第52回日本推理作家協会賞を受賞した『花の下にて春死なむ』という連作短編集で舞台となったのはビアバー香菜里家、そして探偵役を務めるのはそのマスター・工藤。他の北森作品に番外編的に時々登場していたこの店を舞台とする作品が『IN☆POCKET』に掲載され、再び一冊の短編集にまとめられた。

東北の故郷を離れてタクシー運転手となった日浦のもとに、昔通った居酒屋の娘が顔を出した。店の十五周年記念パーティに男は誘われ、久々の帰郷を遂げるが、どうも雰囲気がおかしい……。 『十五周年』
《御衣黄》という名の薄緑色をした桜。普段は目立たない暮らしを送りながら、その桜が満開の時にその下に佇む女性。妻を亡くした刑事は、妻の謎掛けに従って香菜里家に出向き、「桜飯」を食す。 『桜宵』
厳しいリストラに晒されているその会社では、人事部長がリストラ要因をホームパーティに招き、飼い犬に噛まれた人間をその対象にするという噂が。結婚を前提に同棲中の男はそのパーティを前に悩む。 『犬のお告げ』
香菜里家に突然現れ、金色のカクテルを求め、満たされないと捨てぜりふを吐いて去っていく男。工藤は知り合いの営業する別の店を紹介する。客で来ていた七緒はその男を銀座でも見たという。 『旅人の真実』
東北の居酒屋に工藤が遊びに来た。繁忙に従い工藤も店に入る。閉店間際に来たのはベストセラー作家・土方とその古い知り合いの女性。彼らは十年ぶりに約束を果たし、再会したのだという。 『約束』 以上五編。

人間模様は実に複雑。戸惑いながらもその裏にある「もの」を、料理して引き出す探偵役・工藤を味わう
前作に比べると、徐々にではあるが、舞台が拡がってきている感。実際、ビアバー香菜里家が中心である点は間違いないのだが、工藤の存在が単純な安楽椅子探偵ではなく、これまで以上に探偵役としていろいろな動きを見せはじめているように感じられる。ただ、作品に登場する人間関係が微妙に繋がっていたり、常連客同士が会話したりというシリーズ作品ならではの魅力はもちろん、当然、店で工藤が供する料理の素晴らしさについても変化はない。寧ろ、さりげなく登場する四季折々の個々の料理の魅力は素晴らしく、そういった点で本シリーズを楽しみにしている人の期待を裏切るものではない。揚げ出し豆腐や松茸の土瓶蒸し(ここを強調にするか?)。ああ、喰いてえ……。
短篇が五編と、通常の短編集よりも少々少な目の作品数にてまとめられていることもあり、何らかの趣向の統一感という印象は薄い。ただ、さすがに短編の名手だな……と思える作品が揃って、ミステリとしての興趣は実に深い。伏線に対し、多少の飛躍や類推が過ぎることもあって、純粋な本格ミステリとは言いづらいものはあるが、論理が際だった展開及び解答には誰もが驚きと満足を同時に得ることができるものと思われる。特に、表面的な人間模様や、演出された謎に対する工藤の鋭い考察は、単に「御名答」という解決だけではなく、その謎が生まれるに至った「裏側」を解き明かす。その意味では、暖かい解決だけではなく、裏に隠された人々の思惑までもを晒さざるを得なくなる。 また、その解答に際しての演出がそれぞれに心憎いのだ。黙るべき点を黙り、伝えるべき点を伝える。物語のなかの人間関係において、最適の解を常に考え、カウンターの裏側から客に供出する……。絶妙の料理と似た、その匙加減が工藤のキャラクタを引き立てている。
最終話となる『約束』が、個人的にツボ。北の居酒屋で十年ぶりに再会した男女の暖かい話が、工藤の推理によって実に冷え冷えとした感触の物語に一変する。さらに当人たちの前で語られなかった推測の恐ろしいことといったらない。様々な食材に対するように、人間にも対する。優しさ一辺倒でないところにまた、工藤という人物の魅力がある。

本作そのものも素晴らしいが、やはり前提としては前作にあたる傑作短編集『花の下にて春死なむ』にてどっぷりと雰囲気に浸ってから。小生は数年の間、時間を置いて読んだが、可能ならばこの二冊、続けて読んでみたい気がする。


03/12/30
佐藤哲也「異国伝」(河出書房新社'03)

傑作『イラハイ』にて第5回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューした、佐藤哲也氏の5冊目の単行本。オムニバス形式(とも厳密にはちょっと異なるか……)の遊び心あふれるショートショート集(とも厳密にはちょっと異なるか……)。いささか唐突に(失礼!)書き下ろし刊行された感がある。

その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
「あ」からはじまり「ん」に至る、45のショートストーリー。全ての物語は上記の書き出しで始まっており、辺鄙な場所にある小さな国の小さな物語や大きな物語が、佐藤哲也節としか表現できないような諧謔と風刺と無意味とナンセンスとetcとに満ちた表現によって描き出されている。なぜ、その国は辺鄙だったのか。どういった風習を持っていたのか。なぜ地図に記載されないのか。豊かな国もあれば貧しい国もあり、排他的な国もあれば、友好的な国もある。政治や経済状況が詳述される国があれば、その国が滅びて交通の邪魔になっていく様子が描かれる場合もある。一人の勇敢な若者の物語があれば、偶然その国に迷いこんで多大な迷惑を被った旅人の話もある。とにかく、地図にも載らないようなあまりにも小さな国の数多くの物語。そうとしか表現できない。ちなみに題名は全て五文字で表現されており、単語と単語の間は「の」の字によって繋げられている。従って目次が非常に美しい。曰く、『愛情の代価』『威光の小道』『鬱々の日々』『海老の虐殺』『王子の問題』……。

活字の魔術師にして、物語の伝道師。佐藤哲也の才能が溢れるエッジの効いた短編集
一応これまでの四冊は全て読んできてはいるが、佐藤哲也の作品には様々なエッセンスがある。ただ問題なのはそのエッセンスをひとことで言い表すことができないことだ。複雑な政治状況であるとか、愚かな人類の行動であるとか、宗教の問題であるとか、はたまた宗教に帰依する人々の根底であるとか、高度な経済の問題であるとか、男女の恋愛であるとか、人類が根元的に持つ恐怖であるとか……、とにかく世の中の有象無象、さまざまな事柄が佐藤哲也氏の頭のなかで思索され、それが言葉やシチュエーションに置き換えられ、さらに物語に還元されていく。 最終的にごくごくシンプルな物語になった思索の結末のみが、活字となり、紙に印刷され、製本され、流通し、購入され、読書というかたちで消費される。
ただ問題なのは、その物語そのものから、全ての読者が佐藤哲也氏が恐らく物語を創り出す前に念頭に置いているであろう、その有象無象にまで完璧には遡れないことにある。従って、一篇一篇(しかも本作の場合は、それが四十五もあるのだ!)の物語にぶつかるため、考え込んでしまう(私だけかもしれない)。「これはこういうことを風刺したのだろうか」「恐らく、この暗喩は○○を指し示すのだろう」とか。それはそれで楽しい一時なので、読書の一つの楽しみ方として間違ったものではないだろう。ただ問題なのは、もしかすると佐藤哲也氏が何の考えもなく、全くの比喩なく創り出した物語が混じっているかもしれないことにある。まあ、深読みも読書のうちだ。当然、繰り返しの醸し出す美学というあたりは『イラハイ』以来、佐藤哲也氏の持ち味であり、一部に存在する熱心なファンが狂喜することもまた間違いない。

いろいろ各作品に思うことがあるのだが、佐藤哲也氏らしい諧謔に満ちた『海老の虐殺』及び、某有名映画のパロディとしてあまりにも面白すぎる『帝国の逆襲』あたりは、ごくごく短いので是非立ち読みして(ついでに購入して)頂きたい。結局、共に読んだ人間としか、この作品集については語り合えない気がする。なので、個人的にも是非仲間を増やしたいところである。


03/12/29
小林泰三「目を擦る女」(ハヤカワ文庫JA'03)

第2回日本ホラー小説大賞短編賞を「玩具修理者」にて受賞した小林泰三氏は、ホラーとSFのハイブリッド感覚を活かした短編作品を多く著しており、先に早川書房から刊行したハードSF作品を中心としたノンシリーズ短編集『海を見る人』は高い評価を得た。本書はそれに続く作品集である。文庫オリジナル。

引越挨拶に出向いたお隣には、目を覚ますことを異常に嫌がる奇妙な女性が住んでいた。彼女は起きて話をしているにも関わらず、自分は眠っているのだという。 『目を擦る女』
探偵・Σは、超絶の能力を持ち、事件に論理的な解決がつきそうにない時にだけその頭脳を働かせる。そのΣが興味を持つ犯罪とはどのようなものなのか。 『超限探偵Σ』
特異な天体とコンタクトした宇宙の最前線基地・A3からの通信が途絶した。基地は脳喰いと呼ばれる異星人に襲われ、頭蓋骨が切り離され脳が失われた死体が転がっていた。 『脳喰い』
その天体では重力衰退が起きつつあった。世界は丸い皿のようなかたちをしており風が上空から吹き付けてくる。オトは世界の秘密を感じ、人類が生き残る方法を模索する。 『空からの風が止む時』
日本にエイリアンが現れたらしい。情報がはっきりしないニュースを見た僕はトイレの扉を開けた。そこには等身大の蚊がいた。僕は蚊とコミュニケーションを試みる。 『刻印』
丸鋸遁吉に二十年ぶりに呼び出された友人たち。彼は「時間服」なるものを着て現れ、更に「タイムマスィーン」で歴史を改変したのだというが……。 『未公開実験』
算盤人のケムロは歯を食いしばりながら算盤を弾く。彼は禁じられている読むスキルを持っており、電子計算機の存在を夢想していた。彼はある女性とコンタクトして見返りと共に計算結果を求めるようにしたが……。 『予め決定されている明日』 以上七編。

緻密にして磊落。センシティブにして邪悪。凄まじいギャップが作品世界を内部から極限へと押し拡げる
何気なく購入して文庫にカバーを掛けたまま、何気なく読んでいたら違和感を覚えた。……というのも、本書をハヤカワ文庫ではなく、何となく角川ホラー文庫だと思い込んでいたからだ。なんて、個人的なことを書いても仕方ない。でも、本書収録の作品群は、その違和感を半分くらい緩和してくれるようなイメージを持っている。つまり、ホラー寄りの作品もあれば、純粋ハードSFもあり、ユーモアSFもあって、サイコホラーテイスト作品があるといった具合に、バラエティが非常に豊かであるということだ。しかも、それぞれが小林泰三という特殊作家の手によって、生命が吹き込まれている。(ああ、小林泰三氏を特殊作家と書いてしまった……が、SFともホラーとも、もちろんミステリともファンタジーともつかない独特の世界と、それらのジャンル以外の選別を許さない両極端の作品を自由自在に生み出すことの出来る希有な作家という意味で、これはあくまで褒め言葉である)。
本書もまた、その特殊作家・小林泰三の真髄に迫れる作品集。例えば『空からの風が止む時』あたりは、物理や宇宙工学の理論が詰まった純然たるハードSFの体裁だし、表題作の『目を擦る女』はイマジネーションから入り込んだ文系ホラー系統の作品である。『超限探偵Σ』は、ミステリに対してSF的論理でパロディ化を試みているとみえるし、『刻印』は、おバカ系な設定から始まるSF作品である。なんというか、ジャンルというものを意識すればする程、小林泰三氏の存在は「訳が分からん」ものになっていくのである。
もちろん、それぞれの作品にはオチがあったり、余韻があったりと物語としての構成はしっかりとしている。ただ、その毒舌や論理が先走っているせいか(小生の理解力が足りないのも一因とはいえ)、少々、世界が分かりづらいものもある。ただ、おそらく――それぞれのジャンル者が読めば、それはそれで理解されるのではないか。個人的にはSFよりかはホラー系統の読者なので、個人的なツボはそちら系列の作品で押された感。でもそれは小生だけのものであって、読まれる方毎にそれは異なるはずである。
このイマジネーションの膨らみ。一言でいえば、奇妙な世界。そしてそれが小林泰三という世界の説明として相応しいような気がする今日この頃であった。

何とも、一口では形容し難い作品集。SFの人でもホラーの人でも読めばツボに合う作品がいくつもあるだろうけれど、逆に全くツボに合わない作品もいくつかあるものと思われる。ただ、そのツボに嵌った場合の面白さはいうまでもない。結局のところ、読書に対する間口が広ければ広いほどに面白みを増す作家なのだと思う。


03/12/28
霞 流一「おさかな棺」(角川文庫'03)

角川文庫55周年記念書き下ろし作品として、文庫オリジナルにて刊行された作品。同時に鳥飼否宇『密林』、鯨統一郎『あすなろの詩』が出ている。霞氏の一連の作品同様、動物づくしシリーズに連なるもので、今回のテーマは題名通り「おさかな」。シリーズ探偵・紅門福助の登場する四つの事件簿。

別れた夫が女装した格好で車に轢かれた。妻からの依頼に、娘の通う予備校教師がその夫と一緒にいたという情報。調査を開始した福助の前に、その予備校関係者の死体が。 第一話・春『顔面神経痛のタイ』
四人の女性と濃厚な交際をする男性。その一人の女性が心当たりのないお茶漬けの中元を受け取り困惑、福助に相談した。別の女性が死体になっているのに福助は出くわす。 第二話・夏『穴があればウナギ』
時代劇のスター・滝野沢将介。数人の弟子と一緒に住む彼が経験したのは、庭の銀杏の樹に布団がぶら下がっていたちおう奇妙な状況。調査するうちにそのスターが殺害される。 第三話・秋『夕陽で焼くサンマ』
銀座のクラブ「夕霧」のママ・弓木圭子からの依頼は、店のドアにぶら下げられていた人形の首についての調査。その店の人気ホステスが続いて殺害された。 第四話・冬『吊るされアンコウ』 以上連作四編。

自ら作った「定型の美」へのこだわり。個々のロジックと連作ミステリの、旬の美味しさを堪能する
既にいくつかでも霞作品を読んでいる方にとっては言わずもがなであろうが、いくつかある特徴のひとつは、めちゃめちゃに美味しそうにみえる作品内部での食べ物の描写にある。見た目の凄さを伝えるというよりも、それが口に入ってからの味わいが読者に伝えられるところに凄みがある。本書でも例えばビールひとつをとっても「深呼吸するように思いっきり呷る。泡のクリーミィな層を破って、冷たい奔流が口の中に飛び込んでゆく。舌をプチプチと心地よい刺激が滑る。ングングという鼻の奥が鳴る音が聞こえてきた。喉いっぱいに滝が落ちている感触。ああ、たまらん、これ、これだよ、さあ、殺せ、殺せ、もうどうとでもなれ。生ビールはいつも地球の滅亡を告げてくれる。実に凶暴で破壊力のある美味さだ。」てなもんだ。  ……はあ、ビール飲みてえ。
しかも魚づくしの本作、ビールに限らず魚を食するシーンが目白押しで、そのたび毎に読んでいるこちらにも新鮮な食欲が湧く。……いや、こればかり語っていても始まらないか。
さて、ミステリとしての本書もまた実に凝った構造になっている。霞氏が作品に凝るのは本作に始まったことではないのだが、自作のパターンを踏襲してのお魚づくし、しかも春夏秋冬、一番美味い時期である旬の魚がミステリ的にもテーマ。これらを殺人事件と絡め、魚を食べつつ謎を解く。また、それぞれの事件の構造が、四つが四つとも似せてある点も面白い。最初はいわゆる殺人事件と絡まない奇妙な現象、「女装して交通事故に遭った男」「心当たりのない茶漬け」「高い木に引っかけられた布団」「店にぶら下げられる人形の首」という四つの小さな事件。それが、紅門福助が調査に乗りかかると、殺人事件が発生するという仕掛け。これに謎のスキンヘッドの精神科医・宇大君彦が、紅門にそれぞれの料理を食べさせると、推理が真相へと辿りつく。また、その論理と伏線の使い方が実に巧みなのも相変わらず。個人的には、特に『穴があればウナギ』の、容疑者を絞っていくテクニックなどに感心。
表層だけを取ると、少々おふざけが過ぎるようにみえながらも、その実に作品内で通用する論理ががっちりと事件に食い込む。連作四編を束ねるラストは、ちょっとネタ的に微妙(というか人によって好みが分かれそう)ではあるが、それでも個々の作品レベルが高いがゆえに、トータルとして実によくまとまっていると感じた。

本書巻末に霞流一長編作品リストがあり、本作含め14の作品が掲載されている。この霞作品に限ったことではないが、最近のミステリ出版業界は、以前に比べると異常なまでに足が早くなっており、2003年12月28日現在、新刊で入手可能の作品は実に、本書を含めて、5作品しかない(マジかよ)。特に足の早い角川春樹事務所からの作品が多いことが響いてはいるのだが……。出たら読む習慣をつけるしかないのか。


03/12/27
加納朋子「コッペリア」(講談社'03)

加納さんすみません手に取るのが遅れてしまいました。
講談社の小冊子形式の雑誌「IN★POCKET」に'02年から翌年にかけて掲載された作品がまとめられたもの。推理作家協会賞も受賞している加納さんの、十一冊目にして初めての長編作品。(これまでは短・中編集、ないし連作短編集ばかりだったというのも、改めて気付くと不思議)。

ロマンチストの父親が家を出てしまい、母の手一つで育てられた三姉妹の末っ子・聖子。彼女は自分の本名が嫌で「聖」と名乗ってアングラ劇団の女優として、もう一人の女優・美保の猛追を退け、主演として活躍している。彼女には「オジサマ」なるパトロンがおり、金銭的な援助を受けて暮らす。次の公演は『コッペリア、またはエナメルの眼をした娘』。彼女は主役の人形の役。聖には、子供を亡くしてから人形を子供代わりに可愛がる佐久間という大金持ちの親戚がおり、時々ボランティアで様子を見に出掛けていた。その家で見掛けた一枚の招待状から、如月まゆらという人形作家の展示会に気まぐれに出掛けた聖は、自分そっくりの人形をそこで発見し驚愕する。
三歳の頃、両親を殺されて養父母に引き取られて優等生として育った了。彼は子供の頃から人形が好きだった。了は高校生になり、近所の家の塀のなかに沢山の人形が打ち捨てられているのを目にする。ある日、その破壊された人形のなかに、一体のほとんど壊れていない人形があることに了は気付き、矢も楯もなくその作家の門を叩き、人形を譲って貰えるようお願いをした。四十代と思しき女性はその人形を持ってきて、了の目の前で微笑みながら敷石めがけ人形を叩き付けた。それが、了と如月まゆらとの出会いであった。

不器用な人々の不器用な恋愛をミステリ模様で描き出し、新たな風景を描き出す――
「如月まゆら」という人形作家、そして、まゆらドールと作中でいわれる人形。その人形に魅せられた人々。本書は、そういった様々な属性を持った人々の不器用で、哀しい恋愛譚をミステリ風味で綴った作品
ミステリ的にはどう書いてもネタバレになりそうなので、できるだけ触れないように書く。結局のところ、人間の描き方に独特の味があるところに尽きる。主要だといえる登場人物は四人。聖(聖子)、了、人形作家・如月まゆら、如月まゆらの才能を引き出し、彼女の制作した人形をこよなく愛するパトロン・創也。聖は自らの生い立ちをバネに、性悪女を演じ飛躍しようと周囲を利用しようとする。了は如月ドールに魅せられ、その人形とそっくりな聖に対し、もどかしいような恋をする。また、人形作家・如月まゆらは、自殺願望を持っているところから、創也に才能を見出され、一戸建てに住み突然子供を産んだり、近所と諍いを起こしたりといった、いくつものエピソードが断片的に描かれる。
物語作家として凄いのは、そのミステリとしての仕掛けよりも、人物の描写の手法にある。 創也を除く人物たちの行動や背景といったところに、実にさりげなく二重三重の意味を込め、後で振り返った際にそのどちらとも受け取れるようにしているのだ。自然とそうなったのではなく、恐らく描写に関しては(一人称視点の使い分けなど)綿密な計算があったものと思われる。役者と人形が同時に登場する「コッペリア」という芝居そのものも、その意味では同じ役割を担っているといえる。ミステリとしての構造は第二章の終わりにて明らかにされてしまうのだが、この人物描写の妙によって、長めの第三章のあいだに登場人物&登場人形の関係性が、じわりじわりと変化し、物語の風景が最終的に変質していく。この過程、そして結果、さらに浮かび上がる様々な新しい人間の関係性が本書の本当のみどころだといえるだろう。ミステリとしての切れ味「だけ」を求めるならば、本書は物足りないかもしれないが、物語全体を通じての風景の変化、心情の変化(成長)には、やはり加納作品らしい味わいがある。

やはり加納作品ならではの(今までの加納作品と通ずるとは必ずしもいえないが)味わいがある。トータルで物語を楽しめる人向けであり、実は細工に注目するようなコアなミステリファンよりも、全体の雰囲気を感じ取る一般の読書ファンの方が本書の良さをしみじみ味わえるのではないか、とも。


03/12/26
大阪圭吉「銀座幽霊」(創元推理文庫'01)

『とむらい機関車』と二分冊(?)で'01年に戦前の探偵小説作家・大阪圭吉の業績が一挙にまとめられ、創元推理文庫にて手軽に手に取れるようになった。大阪圭吉は昭和11年にデビュー。その後『新青年』誌を中心に、本格指向の強い探偵小説を発表してきたが、戦時中にルソン島で戦病死したとされている。その業績の再評価は一部によって行われてきたが、その集成となるべき作品集がこの時刊行された二冊であるといえる。(刊行当時にぱらぱらと読んで仕舞い込んでいたのが出てきたので再読してみた)。

院長を殺害し、脳病院を脱走した三人の狂人「トントン」「歌姫」「怪我人」。街に逃げ出した彼らのうち誰が凶行を犯したのか。 『三狂人』
銀座のカフェ「青嵐」の向かいの煙草屋の二階で殺人事件が発生。硝子越しに現場が目撃されていたが、犯人に相当する人物がいない。 『銀座幽霊』
クリスマス。単身赴任の教師宅で妻が殺害され、息子が行方不明に。しかも現場から逃げたと思われるスキー跡は野原の真ん中で消失していた。 『寒の夜晴れ』
以前より怪しい噂のある燈台で、巨大な岩が飛び込み、赤いぐにゃぐにゃした幽霊が目撃された。保守の人間が現場で死亡しており現場は狼藉の限りがなされていた。 『燈台鬼』
仔鯨を撃つ捕鯨船は祟りがある――沈没した北海丸にもその噂があった。だが沈んだ筈の北海丸の砲手が帰還。女房のもとに戻るが彼は直後に銛で殺されてしまう。 『動かぬ鯨群』
資産家の岸田直介が不審死を遂げた。崖の上で突然言い争い、何者かに突き落とされたのだ。彼を突き落としたのは果たして誰なのか? 『花束の虫』
富士山北麓の別荘地で、洋画家が部屋から見えないはずの風景を描いた状態で奇妙な死を遂げていた。絵は彼の遺言なのか、何なのか? 『闖入者』
十石峠の有料道路で暴走車が人を跳ねとばした。道路を封鎖したものの、その自動車は一向に現れない。しかもその自動車の所有者の別荘で殺人事件が発生していた。 『白妖』
会社社長の蒔田氏のもとへ、鉄砲屋や化粧品屋などが連絡を受けたとぞろぞろやって来た。社長に心当たりはなく、誰がそんな悪戯をしたのか分からない。 『大百貨注文者』
新婚夫婦と親子の四人が、離れ小島の燈台を守っていた。新婚の夫が病気入院して退院、その夫婦を迎えに出た老看守が島に戻ると息子はいなくなってしまっていた。 『人間燈台』
偏屈な夫が、良くできた妻を離縁。その妻は我が身を嘆いて自殺した。後味が悪かったのか夫も神経質になったが、自宅で変死を遂げていた。現場の遺物からはその妻を想起させるものが……。 『幽霊妻』 以上十一編。解説:山前譲、年譜付き。

短い物語のなかに設定と伏線がぎっしり。本格ミステリ界における戦前の珠玉という評価は正解
本書収録の大阪圭吉の作品群は、昭和9年から10年代に発表されたものになる。即ち、今から七十年近くも前。それでも本書に触れると、この七十年もの時間をこれらの作品が本格ミステリとして超越していることを感じさせられる。特に”トリック”という点においては、古びていない――というよりも、現代作品においても基本的にはアイデアというか、コンセプトの大元というものはそれほど変化していないということが痛感させられる。例えば『三狂人』における、ある誤認トリックであるとか、『銀座幽霊』における視覚トリックであるとか、『白妖』における大きな意味での密室トリックであるとか。どちらかといえば、このジャンル、いわゆる本格ミステリにおいて大阪以降の七十年間のあいだに発達してきたのは、物語構成であるとか、語り口であるとか、小説部分のみが進化しているのではないか、とさえ逆説的に感じさせられる。(つまりは、それだけ大阪圭吉のトリック群が素晴らしいということでもある)。
なので、トリックに関しては申し分ないものの、例えば演出であるとか、手掛かりであるとかが少々忙しすぎ、短編として文章量が短いことと相まって全体として少々ごちゃごちゃしてしまっているような印象もまた否めない。ただ、これは当時の発表媒体の都合もあることであるし、探偵小説短編の作法が現在と異なっていたことを考えると、読者たるこちら側がそれをも斟酌すべき事柄だといえよう。また大阪圭吉の場合、一つの短編に二つ三つのアイデアを盛り込んでいることが、その忙しさに繋がってしまっている可能性も否めない。トリックメイカー故に物語が少々犠牲にされている部分がある、ともいえるのではないか。
その一方で、舞台の極端な時代性や、科学捜査が発達していない時代らしいおおらかさは、現代の本格ミステリにおける厳しさとは無縁の、いかにも探偵小説らしい雰囲気を味わわせてくれる。 例えば『大百貨注文者』の、実際に裏で発生していた事件のシビアさと、様々な商人が一箇所に呼びつけられその理由を考えるユーモアとのギャップであるとか、『幽霊妻』における見せかけられる事件と、その真相たる犯行方法との強烈なギャップであるとか。特に『幽霊妻』は、現代でいえば、いわゆるバカミスの系譜の原点ともいえる作品であり、そういった方面を愛好する方には読み逃せない一品であることは間違いない。

創元推理文庫という版元ゆえ、足は長いとは思うが、さすがによほどの大規模書店でなければ店頭で見掛けることは少なくなってきた。戦前作家の再編集という特殊性ゆえ、そうそう重版されるとも思えない作品集であり、万が一買い逃している方がおられるようであれば、今のうちに購入しておくことを強くお勧めしておく。


03/12/25
倉阪鬼一郎「内宇宙への旅」(徳間デュアル文庫'02)

日本で唯一の怪奇小説家である倉阪鬼一郎氏による、徳間デュアル文庫書き下ろし作品。この文庫自体が多少対象読者が若めであることを考えると「どうだろう?」と思う部分もあったのだが、倉阪氏は、しっかりと我が道を貫いておられた。新規読者開拓というよりも、やはりファンが追うべき作品である。

作家・倉阪鬼一郎は、今まで一度も書籍を刊行したことがないという黒彩社より書き下ろし中篇執筆の依頼を受けた。担当は出来すぎたような美人編集者・宇野あずさ。謎めいた雰囲気を持つ彼女は、「読者に意識の変容を迫り、作者の内部の空洞が読者に憑依するような作品」を倉阪に要求。倉阪は、四十二歳になる現在の自分の記憶のうち、小学生の頃の記憶だけが異様なまでに欠落していることを彼女に話したところ、興味を示してくれた。倉阪は「記憶ノート」なるものを作成し、小学生の頃の記憶を思い出そうとするが、どこかその記憶が”体験”ではなくて単なる文字情報が刷り込まれているような違和感を覚えてならない。三重県上野市で普通の小学生として過ごした筈の自分はいったいどこへ? 倉阪は過去の自分を少しでも思い出すためにきっかけを作って実家に戻った。彼は、小学校の同窓会が近く開催されることを知り、宇野あずさに相談。彼女もその同窓会に出席したいと言い出した。そして、その同窓会当日、倉阪は衝撃の体験をすることになる……。

思いがけないところに思いがけない企みが。電波系ホラーだけかと思う読者に強烈な罠あり
特にノンシリーズの倉阪長編において、読者からすれば「これは倉阪鬼一郎がモデルでは?」と思われる、怪奇小説作家を職業とする人物がよく登場する。倉阪氏のWEB日記によれば、作者自身を完全に投影することはほとんどない……という趣旨のことが述べてあったように記憶しており、ほとんどの場合は「作者に見せかけた作者以外」ということに意図としてはなっているのだろう。だが、本書の場合は微妙に異なるように思われる。登場する怪奇小説作家が、そのまま作者「倉阪鬼一郎」の少なくとも表層は借りてきているとしか思えないのである。出身地や交友関係、親族関係に至るまで、小生の知る限りどうやらそのまま利用しているようで、三重県上野市の描写なども実際のところに非常に近い。なので、私小説めいた作品だな……と私などは思わされた。

ところが、それが実にみごとな罠だった。

ノンフィクション・倉阪鬼一郎に、フィクション・宇野あずさほか「内宇宙への旅」執筆を絡めて、どこか禍々しい雰囲気を掻き立てた、電波系ホラー。小学校の頃の記憶がおかしい、というあたりからのアプローチによって、いずれこの倉阪鬼一郎が壊されるのだろうな……、としていた漠然とした予測。ある意味でこれは正しかったが、横から度肝を抜かれる仕掛けが作品内に凝らされていた。 当然、本作最大のキモとなる部分なのでここで書くことはしないが、頭のなかに浮かんだのは、倉阪氏にとって先人にあたるある作家。(これも名前は明かせない)。まさか、こんな仕掛けがあるなんて。
この段階で頭がくらくらし、一旦冒頭に戻って読み直しをしてしまう始末。ただラストの方に至れば、倉阪作品としての予定調和に至ったようには感じられる。

カテゴライズするに、やはりSFないしホラーというジャンルになってしまう作品だけに、ミステリ系の読者で本書を手に取られているという方はあまりいないように見受けられる。だが、例えば『文字禍の館』あたりの倉阪世界が気に入られているという方であれば、本書に狂喜乱舞(?)される可能性が高い。


03/12/24
仁木悦子「聖い夜の中で」(光文社文庫'91)

表紙に英語で「Niki Etsuko's Final Mystery」とあるように、全て初刊行という意味で最後の作品集。'86年に逝去されてしまった仁木さんが、'85年から'87年に発表した晩年に執筆された短編五編を収録している。また、巻頭の辞を後藤安彦氏が、また追想ということで、鮎川哲也、熊井明子、夏樹静子の三氏がエッセイを寄せている。年譜付き。

カメラマン志望の婚約者・経雄が殺害された。残された恋人・冬子にかかってきたのは「彼から何か預かっていないか?」の電話。恋人が隠し持っていた写真を探し当てた冬子は、経雄の死の原因を探ることを決意する。 『陰のアングル』
中学生となったあたしは、両親に連れられ祖父の家へ。祖父が遺産に関する発表をするらしいが両親もあまり興味なく、あたしは従兄弟の舜兄ちゃんに会える方が楽しみ。ところが、一族のろくでなしの弟が何者かに殺されて。あたしは舜兄ちゃんが部屋から出るところを目撃してしまう。 『うさぎを飼う男』
息子夫婦と同居しているわたしは、切り絵教室で知り合った水原さんの従姉が殺された事件で、水原さんが疑われていたと知る。彼女の相談を受けたわたしは、その従姉の部屋から似つかわしくない戦争関係の本を発見した。わたしは興味を持ち、探偵を開始する。 『折から凍る二月(きさらぎ)の』
私立探偵・三影潤のもとに妻・箕井由利子が帰ってこないので探して欲しいという夫の訴えを聞く。由利子は数日前、謎の数式が書かれた紙片を受け取っており、彼女の持ち物とそっくりの人魚の刺繍が入った鞄を持った女性が近くで目撃されていたことから、何かの組織に間違えて拉致されたのでは、と思われた。 『数列と人魚』
それまで育ててくれたおばあちゃんが亡くなり、ひろむは夜働くママのもとで寂しい思いをしていた。そしてクリスマス。おばあちゃんとの心のこもったクリスマスを反芻するひろむのもとへ、サンタクロースがやって来た。それは変装した凶悪な脱獄囚であった。 『聖い夜の中で』 以上五編。

本格ミステリとしては多少甘めも、作品の根底にある精神に一連の仁木作品らしさが滲む
本書が何かのテーマをもとにセレクトされたのではなく、仁木さんが発表した単行本未収録の短編五編をそのまま並べた作品集であることを思い出されたい。それでいて、内容が五編が五編とも、見事なまでに異なる設定・主人公・演出が用いられているのである。殺された恋人の秘密を探る妙齢の女性の冒険譚である『陰のアングル』、中学生の女の子の視点から、殺人事件を描き、剰え探偵役をも彼女に託した『うさぎを飼う男』、孫のいるおばあちゃんが、知り合いの事件を自ら解決しようとする『折から凍る二月の』、シリーズ探偵のひとり、私立探偵・三影潤の視点で綴る謎の事件簿『数列と人魚』、そして最終話は、幼い子供の視点(但し三人称)と、脱獄して更に人を殺めつつ逃げる凶悪な犯罪者とを対比させて心理の変化を描いた『聖い夜の中で』  以上のように本当に全く異なるタイプの作品が揃っているのだ。
そして、やはりさすがだな、と思うのは、中学生が憧れていた従兄弟に幻滅して、警察に密告をしてしまう心理であるとか、幼い子供が凶悪犯といえど腕の中に抱かれて安心してしまう気持ちだとか、別に家族に疎外されているわけではないながら、まだまだ心意気だけは若い姑であるとか、普通のミステリ作家がなかなか描けない心理や視点を、さらりと作品内に取り入れている点。この結果、ミステリとしてのまとまり以上に、物語としての深みを感じさせてくれる内容となっている。
ミステリとしては、多少ハードボイルド系の展開・構成が多く、一つの謎が解けると次の謎へ……という作りになっており、謎解きの妙味を味わえる作品は多少薄めになっている。とはいっても、『うさぎを飼う男』あたりでは、いろいろな証言や伏線からロジックを紡いでおり、本格ミステリとしての味わいをまだまだしっかり残している。また、なぜ凶悪犯がサンタクロースの衣装を身につけたか、や、なぜおばあちゃんが探偵役を務める必要があるのか、など細かい配慮が行き届いている点も見逃せない。

作品集そのものの完成度という点では、初期から中期の作品集に見劣りする部分はあるかもしれない。だが、やはり本作が遺作集に近いことを考えると「まだまだ書けた人だったのに……」という感慨を強く覚えてしまう。表題作における、クリスマスらしい、そして不器用で哀しく美しいラストに残る独特の余韻、これはやはり「仁木悦子」という作家ならではの、彼女最後のクリスマス・プレゼントとして相応しいものだといえるだろう。


03/12/23
乙一「ZOO」(集英社'03)

'02年に刊行された『GOTH リストカット事件』が、様々な世代に対して大ブレイクした乙一氏による短編集。主に『小説すばる』誌に掲載されてきた短編を中心に編集され、書き下ろしの『落ちる飛行機の中で』が加わっている。

双子でありながら同じ母親に大切に育てられるカザリと、家の隅でゴミのように扱われるヨーコ。ヨーコは母親にいつか殺されるだろうと予想している。  『カザリとヨーコ』
会社社長のワシ(六四歳)は痛みを感じない身体となっており、怪我をしないよう注意していたが、ある朝気付くと脇腹にナイフが突き刺さっていた。 『血液を探せ!』
謎の病気によって人類のほとんどが息絶えた世界。私は設計図によって誕生し、彼と二人での暮らしが始まった。 『陽溜まりの詩』
両親に挟まれ座る椅子のソファー。しかしある事件があってから父親と母親の世界が離れ、そのあいだを僕だけが行き来できるようになってしまう。 『SO-far そ・ふあー』
馬小屋で暮らしていた少年。馬に蹴られ顔がへこんだ少年は森へ入り込み、石壁の家をつくるべく、旅人を襲った。 『冷たい森の白い家』
結婚相手の一家が住む丘の上の一軒家にやって来たミキ。彼女は婚約者の弟が彼女がかつて犯した罪を知っていると宣告される。ミキの取った行動は。 『Closet』
僕には力を込めて言った言葉を実現させてしまう力が備わっていた。母はサボテンと猫との区別がつかなくなり、父の右手の指は全て落ちた。そして。 『神の言葉』
毎日、儀式のようにかつての恋人を殺害した犯人を捜し求める男。だが、その犯人は見つかるはずはない。殺したのは自分自身なのだから。 『ZOO』
いきなり何者かに捕獲され、一本の水路が流れるだけのコンクリの密室に閉じこめられた姉弟。弟は小さな身体を活かして別の部屋に行き、ここで行われていることを知る。 『SEVEN ROOMS』
東大に入れなかった男の子にハイジャックされ、墜落することが決定した飛行機。私は隣のセールスマンから安楽死する薬を買わないかと持ちかけられた。 『落ちる飛行機の中で』

まさに動物園。真性ホラーありSFありミステリあり。天然物語作家ならではの好短編集。
やっぱりセンスというものはこの世に確かに存在している。
作者からの悪意なく、世の中の徹底的な悪意を物語として文章化してしまうセンス。恐らく、数いる作家が誰も思いつかないような世界観をあっさりと短編のなかで形成してしまうセンス。誰もが思いつかない狂気の世界を狂気の論理で造り上げるセンス。しかも、そういったことを、作者がそれを苦もなくやっているのではないか、と読者に思わせる(少なくとも錯覚させる)センス。乙一はそういったセンスを遍く持つ作家である。一言でいえば、天然突飛。 苦心惨憺して計算高い世界を創るのではなく、さらりと自然に思いがけない世界に読者を呼び込んでしまうという感じ。
特に感心させられたのは、まず『SEVEN ROOMS』。カルトホラー映画のノベライズでは、とも思わされる限定された環境下での限定された人数が味わう恐怖。理不尽さと、異常さ、直接描かずとも顕れる狂気が凄まじい。グロい描写もあるし、結末に至っても残酷ではあるのだが、登場人物の心理を通じて読者のテンションをコントロールするテクニックが素晴らしい。決して人に安易に勧められる作品ではないが、乙一作品の一側面として心に何かが刻み込まれるような強烈な印象を残す一作。このの世界を創っておいて姉弟愛で作品をまとめられるものなのかね、普通。
そしてもう一つは『落ちる飛行機の中で』。 たまたまこの作品を読んでいる最中に飛行機に乗っていたこともあって、個人的な臨場感が高かったこともほんの少しだけ影響しているかもしれない。だが、ハイジャックの男の子、セールスマンの男性、そして安楽死を買い取る主人公の女性といった、理屈に合うような合わないような理解できるかどうかぎりぎりの行動と、彼らの持つ、ほんの少し壊れた思考回路やコミュニケーション感覚もまた、乙一ならではの世界観でしっとりとまとまりあっている。とはいっても、実際のところ、これが現代人が持つコミュニケーション感覚を支配している、実際の本音みたいなものなのかも……、という漠然とした怖さもまた喚起しており、いくつかのラインが読者自身の居る世界と繋がっている点もポイントだろう。ハイジャック少年と戦おうとする大人が、次々と返り討ちに遭うあたりの描写のナンセンスさ加減のバランスと、そういった怖さとのバランスが実に見事。
コメントで触れていない作品においても、乙一がこれまで見せてくれたセンスが溢れており、『血液を探せ!』や『Closet』あたりの奇妙な世界観とロジック展開と伏線が三位一体となって醸し出す妙味などもオツ。作品ごとに、異なる世界が拡がり、それでいて乙一のセンスに支配されている。これぞ、物語の動物園。入場料を支払う価値が十分にある作品集といえよう。

本書は刊行されてすぐ読むつもりが、某氏にお願いしてサイン本を買っておいてもらったがため、なかなか手元に入らずちょっとやきもき。(あまり上京しない小生が悪いんだが) どこかの書店での乙一氏直筆ポップで「この作品は北上次郎さんの小説ではありません」とあったのに笑った。その北上次郎氏は本書を某新聞紙で年間ベスト3に挙げていた。
ジャンルがどう、ということはなしに2003年を代表する作品集といえる。 読んでまず損はない。


03/12/22
歌野晶午「家守」(光文社カッパ・ノベルス'03)

葉桜の季節に君を想うということ』が2003年のミステリシーンを席巻し、年末のベストでも高い評価を得て本格ミステリファンのみならず、一般のミステリーファンに対してもブレイクした感のある歌野晶午氏。その歌野氏の『葉桜…』後に発表された作品集が本作となる。内容は思いっきり、本来の歌野節なのであるが、一般ファンに対するセールス的にいいのかこれで?
『メフィスト』に'98年に発表された『人形師の家で』を除き、他四作品は『ジャーロ』に'02年から'03年にかけて掲載されていたもので、全て既発表作品。

ギリシャ神話のピグマリオンに憧れ、自らの手で理想の人形を作り出すべく精進を重ねる芸術家。一方、二十年前、父が母に殺害される事件の後、離れていた町へと帰ってきた私。唯一繋がりのあった幼なじみに呼び戻されたのだ。 『人形師の家で』
一戸建ての家のなかで妻が睡眠中にビニールのナイトキャップを被って変死。内部から頑丈に戸締まりされた家にようやく入り込んだ夫がその死体を発見した。事故死として処理されようとしていたが、一人の刑事がその死に疑問を抱く。 『家守』
若きフリーター・本間は奇妙なアルバイトを持ちかけられた。身なりの良い紳士は、彼に対しボケが進行した父親の精神を落ち着かせるべく、昔に亡くなったその息子の振りをして欲しいのだという。有償ボランティアだというその仕事に本間は乗るのだが……。 『埴生の宿』
東京から列車を三本乗り継ぎ、バスで二時間さらに徒歩で一時間。田舎の温泉町にある密室で男が首を吊って死んでいた。東京からそこの温泉に来ていた作家とマネージャーが証人となって事件は自殺でけりがつきそうになったが。 『鄙』
もともと働いていなかった夫がインターネット商売で成功。九州から東京に急に転居することを決め、妻は戸惑いながらも二ヶ月後に上京した。その妻が、誰かに視られているという。だが、格安で入手したその戸建てが曰くつきだからだ、と夫はいう。 『転居先不明』 以上五編。

家というよりも、縛り付けられた妄念か。歌野氏らしいブラックなオチが不気味な叙情を引き立てる
カバー袖にある著者の言葉にて「「家」を舞台に、妄執にとらわれた人々と殺人事件が交錯し、破滅へのカウントダウンを奏でます」とある。そのせいもあるだろうか、本書は「家」が舞台である点、強調されすぎているように思う。だが、一般的な人間は、いろいろな形式こそ違えど”家”に住んでいるわけで、事件が家で起きること自体がそれほど強調されるべき事柄のようには、あまり感じない。どちらかといえば、その「著者のことば」における、「妄念と殺人事件の交錯」であるとか「破滅へのカウントダウン」というあたりの方が、本書を含む歌野晶午のノンシリーズ短編を端的に表現しているように思う。登場人物を突き放し、あえてハッピーエンドを狙わないことによって、作品に強烈な印象を残すのが、歌野短編(そしてやっぱり特にノンシリーズの場合)の大きな特徴だと思われるから。
紳士から依頼されるアルバイトの内容が多少奇妙で、その後の展開に意表が突かれる『埴生の宿』をのぞくと、どちらかといえば事件の演出に派手さが少なく、手堅い展開の作品が多い。だが、実は、本格ミステリ的トリックがさりげなく全ての作品に凝らされており、その演出方法も一ひねりしてあって巧みである点も見逃して欲しくない。人形の家で子供はどうして行方不明になったのか。なぜ一戸建ての密室内部で妻は窒息死していたのか。フリーターはなぜそんな奇妙な死体で発見されたのか。田舎町の密室殺人事件はなぜ起こされたのか。そして、妻の周囲にまとわりつく視線の正体は何なのか。
いずれにも、その本格ミステリ的トリックを成立させるだけの、させざるを得ないだけの論理的で、かつ納得させられるだけの「理由」がある。その理由の裏側にある、実行者の妄念、ないし想い、理由といった”動機”がどこか突き刺さるような印象を残す。そしてその印象を引き立てるために、歌野氏はブラックな、やりきれないようなラストを造り出すことを決して厭わない。いや、わざとそうしたラストに向かっているかのようにもみえる。特に『鄙』の犯罪実行犯の動機であるとか、関係者の執念といったあたりは、ある意味社会派的背景がみごとに物語とマッチしており印象深い。そういう意味では広い意味であのクリスティ作品のオマージュ……というのは考え過ぎかな。

これまでも歌野作品をある程度読んでいる方なら、作品それぞれにおける歌野氏ならではの「企み」を楽しむことができるだろう。これまでの短編集に照らしても、決して見劣りするレベルではないし、寧ろ面白い作品が揃っているともいえる。だが、『葉桜』しかまだ読んだことがない……という初心な方には、素直には勧めづらい気も。


03/12/21
都筑道夫「暗殺教程」(集英社文庫'79)

'03年12月。都筑道夫氏が亡くなったと聞き、まだ沢山ある膨大な未読作品群から一冊取り上げる。
最近、光文社文庫の「都筑道夫コレクション」の一冊として『暗殺教程』は復刊されており(そちらには、スパイ・キャッチャーJ3のマンガの一部やシナリオ、更にこれまで刊行された各版のあとがきが収録されており、資料的価値は高い)、普通に手に取るならそちらなのだろうが、そちらも購入しているが、敢えて手元の集英社文庫版を手に取った。

The Undercover Line of International Police(国際警察秘密ライン)の日本支部、通称チューリップJに所属するコードネームJ3が吹雪俊介。彼は深夜の名神高速道路でトラックを尾行していた。チューリップの香港支部からの情報で、中国系不法移民数人のグループが立て続けに蒸発して消息を絶っている事件があり、香港のエージェントの電波から、彼らが九州に来ていてさらに移動していることが判明したのだ。同僚の車が狙撃され、吹雪は萩原マキと名乗る女性をそこで拾う。彼女とホテルに泊まったところ、俊介は謎の集団に拉致されてしまった。身体の自由を奪われ、地下駐車場のようなところで目覚めた俊介に対し、彼らは、The International Group of Espionage Revolt(国際謀略反乱グループ)通称・タイガーという犯罪集団を名乗り、マキを人質にチューリップ日本支部の場所を俊介に問い掛ける。機転で相手をなぎ倒し、マキを救出した吹雪俊介であったが、それはタイガーとチューリップとの果てしない、そして奇想天外な抗争の序曲に過ぎなかった。

洒落た小道具と、洒落た台詞に包まれた荒唐無稽が楽しいノンストップアドベンチャー
チューリップという略称がどう思われるかどうかだが、日本の諜報組織と、外国からやって来た殺し屋集団との仁義なき戦い。そもそも、その基本設定もそうだし、またそのお色気と小道具満載の戦いは考えようによっては実にチープであり、一歩間違えると児童向け漫画、ないし大人向け三流劇画誌もかくや、という展開である。だが、そのストーリーが都筑道夫の手にかかれば、一転して大人向け極上エンターテインメントへと変ずる。(とはいっても、現代版風太郎忍法帖といった趣もあるようにも思うが、それはそれとして楽しいじゃないですか)。
カジノにおける余裕綽々のやり取り、スキー場でのスピード感溢れるアクションシーン、殺し屋同士が対決する香港の場末ならではのオリエンタルな緊張感。やはり個々の物語が展開される舞台が洒落ている。また、そういった物語のなかで交わされる大人の男と女の会話にしてもウィットに富んでおり、キザではあっても物語のなかで浮き上がっていない。無意味に派手な車が走り回り、銃器がやたら火を噴き、思わぬ道具や肉体が凶器と変わり、主人公やその相棒たちに襲いかかる。ヘリコプターや潜水艦が登場して、遊園地が建設された島での殺し屋集団との最後の戦いに至っては、何が飛び出してくるか分からない面白さがある。
ハリウッド……とまではいかないながら、少なくともアクション映画を意識したような作り。物語を追うのも良し、ディティールを楽しむのも良し。会話に酔うのも良し。少なくとも全体が荒唐無稽でありながら、大人の楽しみどころが満載の作品である。作品が発表されたのが1965年で、実に40年近く前になるため、今読むと風俗など時代がかった部分もあるにはあるが、全く泥臭さがない乾いた物語は、その経てきた時間を難なく超越する。十年後、二十年後に読んでも、やっぱりまだ面白く読めてしまう作品だと思う。

本書のもとのアイデアは、東映東京制作所の依頼で、同所制作のTV映画のために都筑氏が生み出したオリジナル・ストーリー〈スパイ・キャッチャーJ3〉にある。昭和40年秋から、都筑氏原作の十三話が放映され、更に講談社の『ぼくら』に堀江卓による漫画が連載されている。そちらの主人公・壇俊介に対し、吹雪俊介と名前を変えた主人公を使って都筑氏は大人向け作品を執筆。それが昭和40年から翌年にかけて「F6セブン」という雑誌に連載され、後に桃源社ポピュラーブックスから刊行された『スパイ・キャッチャーJ3暗殺教程』ということになる。改題され『暗殺教程』となって現在に至っている。

本当に、どんなジャンルでも極上作品を残した方だったのだな、としみじみと思う。合掌。