MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/01/20
東川篤哉「学ばない探偵たちの学園」(実業之日本社JOY NOVELS'04)

光文社カッパ・ノベルスが企画した新人発掘企画「カッパ・ワン」の一期生として『密室の鍵貸します』でデビューした東川氏。これまで矢継ぎ早に同ノベルスより三冊が刊行されているが、本書は東川氏にとって初の他社刊行作品。これまで舞台となっている烏賊川市ではなく、国分寺は恋ヶ窪が舞台のノンシリーズ作品。(いや、もしかするとシリーズ化されるのかも)。

国分寺市恋ヶ窪の外れにある鯉ヶ窪学園。芸能人クラスがあり他校の生徒が盗撮のために侵入してくることも多いこの学校には、公認非公認のやたら数の多い部が存在するのが特徴である。他校から学園に転入してきた二年の赤坂通(あかさか・とおる)は熟考の末、文芸部に入ることに決め、その部室に出向く。部室内部でくつろいでいた二人の先輩・多摩川流司と八ツ橋京介にいつの間にか籠絡され、通は気付けば探偵部に所属することになっていた。もともとは「探偵小説研究部」だったこの部、いつの間にか小説研究が抜けてしまったのだという。本格どころかミステリ素人の通(しかも語り手)は、先輩たちの議論を聞くのが日課。そんなある日、部室のない探偵部員たちは屋上でだらだらと過ごしていたところ、用務員の堀内辰之助(63)に早く帰るよう命ぜられる。校舎に残っているのは放送室にいた島村先生、自習室にいた本多先生と芸能クラスの西野エリカ、生徒会室の桜井あずさ。そして職員室の鶴間教頭と兵藤先生。結局、用務員室を借りて論議を続ける探偵部員だったのだが本校舎の向かいのプレハブ校舎の保健室から悲鳴が。駆け付けた彼らの前には密室と化した保健室で死んでいる盗撮カメラマンだった――。もちろん勇躍、探偵部員は推理を始めるのであったが……。

トリックの「なま暖かさ」を気にするな! この独特の滑るユーモアが好きなんだー!!
先に恐らく一般的に挙げられるであろう本書の評価を列記してみる。
 ・文章が冗長で締まりがない。
 ・登場人物に奥行きがなく、舞台設定も恣意的で平凡。
 ・二つ存在する事件とトリックが長編を支えるには物足りない。
 ・ギャグが滑る。


……だけど、私にとってこの作品は頗る魅力的なものなのであった。なぜなら、
 ・このだらだらした雰囲気が実に作品や登場人物とマッチしており、お気楽な本格ミステリとして相応しい。
 ・現実的な奥行きなんてなくても、登場人物すべてがかえって漫画的に面白いから許す。
 ・このトリックには気持ちよく脱力できた。片方は想像した通りであり、片方は私の趣味のツボ。(あのテーマが響くぜ)
 ・そして、このギャグ。ああ、素晴らしいなあ。ミステリ読みのツボを裏側からくすぐられるような快感。ああ、もっと。


多摩川、八ツ橋、赤坂といった主人公格の三人にしろ、奇妙な名前を持つ二人組刑事にしろ、個性豊かな先生たちにしろ、彼らが放つ脱力系の味わいが実に奥深い。コミカル映画を思わせる展開、お約束の台詞、そしてもちろんトリック。そういった全てが渾然一体となって気持ちよく酔える。今思いついた言葉で表現するなら、ダウナー系本格ミステリってとこでどうよ。

現実に立脚しリアリズムを重視する社会派や、徹底した論理を積み重ねるシビアな本格ミステリを望まれる方にはまず勧めしませんが、ミステリで気軽に愉しみたいって方にはちょっとお勧め。東川氏には今後も是非この路線をじっくりまったりと貫いて頂きたいもの。楽しみにしてます。


04/01/19
機本伸司「神様のパズル」(角川春樹事務所'02)

第3回小松左京賞受賞作品にして機本氏のデビュー作。本書、売れている(らしい)。私が入手した単行本が最近のSF系新人のデビュー作品としては珍しく、既に七刷。ライトノベル系統を思わせるイラストの表紙ではあるのだが、中身は青春小説とハードSFとのハイブリッド。

卒業まであと一年。素粒子物理学研究室のゼミを選択した僕こと綿貫のお目当ては片思いの保積さん。ただ物理学も今一つ完璧に理解しきれない僕にとってはかなりハードな研究が予想された。その僕は、いきなり担当の森矢教授から女子学生である穂瑞沙羅華(ほみず・さらか)をゼミに参加させることを命ぜられる。穂端は飛び級で進学してきた天才少女にして科学オタクのアイドル。大学の広告塔でもあったが、その知力は凄まじく、現在建設が進められている巨大加速器「むげん」の発案者でもあった。ただ、その気むずかしさや天才ぶりに周囲が彼女を持て余し、最近は確かにキャンパスで姿を見掛けなくなっていた。穂端の近況をネットで調べてから僕は渋々穂端の自宅へ向かい、彼女と面談を行うが、木で鼻を括ったような態度であしらわれてしまう。僕はふとしたことで老人ながら講義を聴講する老人・橋詰さんと知り合い、彼が長年知りたいと切望している究極の疑問「宇宙を作ることはできるのか」という質問を受け困惑。それを穂端にぶつけたところ彼女が興味を持つ。彼女が出席を拒否していたはずのゼミに突然現れた結果、宇宙を作ることがゼミ研究のテーマになってしまう。僕は穂端と組み、宇宙が作れることを実証するハメに陥るのだが……。

現代物理理論が飛び交うベースは極めて論理的。青春小説が後面に押し込まれるのが逆にポイント
理系の大学が舞台。しかも入学したての新入生ではなく、それなりに勉強してきた大学四年生が主要な主人公。おまけに天才少女が一人。彼らがゼミのテーマとして大真面目に「宇宙は作れるのか」について検討する……物語。冒険も暴力もエロスもなく、物語の主要部分は哲学ではなく現代物理学をベースに、その理論の検討やその結果導き出される様々な事柄で占められる。主人公の物理に対する理解があやふやということになっており、都度、穂端の口を借りるなりしてそれなりの解説が入るのだが、それでも高校どころか中学レベルの物理でさえ今さら怪しい私にとって、出てくる単語がかなり「?」。ただ、本書が学術書ではなく物語である点、そしてその理論の積み立てが論理的である点が幸い、実際に理論が分からなくとも物語における主題は感じ取れたのではないか――と思う。(ホントかよ)……いや、雰囲気で分かった気になっているだけです。はい。あまり突っ込まないでください。
とはいってもその「宇宙の作り方」に対する考え方はかなりスリリング。また、巨大な加速器(スプリング・エイトを想像すれば良いのだろう、多分)の側で田植えをするというアナログな行為が、物語のなかでかなり重要な位置を占めている点も面白い。デジタルな中傷を受ける穂端や、彼女を守ろうとする僕の気持ちなど、宇宙論を語りつつもそういったバランスが小説内部に存在する。ただ、この主人公の恋愛感情をあまり前面に押し出さず、青春小説になりそうでなっていないところが本書そのもののまとまりを良くしているように感じた。また同様に、これまた恋愛や友情といったパートを控えめにすることで、結構どろどろした人間感情が描かれているにもかかわらず、本書そのものに独特の爽やかさが存在しているように感じられた。
物語が日記という体裁を取っているにもかかわらず、どう考えても日記の記述にはみえない……というのはちょっと気になったが、本書のテーマの前には些末な事柄かな。

本来のスタンスがSF読みの方であれば恐らく必読であろう。また個人的には、どちらかといえばSFといっても冒険系や伝奇系・ホラー系を好んでいたところあって新鮮な感覚を味わうことができた。天才と落ちこぼれというコンビが与えてくれるのは表向きは人間の成長なのであろうけれど、実際のところは「ものごとを真剣に考えることによって得られる快感」みたいなものも併せて表現されているように思える。


04/01/18
逢坂 剛「カディスの赤い星(上下)」(双葉文庫'01)

'86年の第96回直木賞、第40回推理作家協会賞に加えて日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞した、逢坂剛の出世作品にして処女長編。ただ、この作品は逢坂氏が最初に執筆した長編ということは間違いないのだが、そのボリュームゆえに懸賞応募できず、氏のデビューは'80年にオール讀物推理小説新人賞を受賞した「暗殺者グラナダに死す」である。また本作を嚆矢として、スペインを舞台にした一連の「スペインもの」と呼ばれる冒険小説群を逢坂氏はその後、ものにしている。

個人経営のPRマン(作品内ではこうなっているが個人の広告代理店みたいなものか)・漆田亮は三十五歳。彼は大得意先の日野楽器より、スペインより来日する高名なギター製作者・ラモスのパブリシティの依頼を受けていた。日野楽器はライバル社である太陽楽器と凌ぎを削っており、太陽楽器の裏には大手広告代理店の萬広がついている。その萬広の美人担当者・那智美沙代と漆田はふとしたきっかけで知り合うようになる。そのラモスは美貌の娘で日本語が堪能なフローラと共に来日していたが、ある人物を捜し出して欲しいという。かつてスペインにラモスを訪ねてきた日本人で、彼のギターを買おうとしたものの空きがなく渡せなかったのが心残りなのだという。その人物はサントスと名乗り、見事なフラメンコ・ギターの腕前を持っていた。日野楽器は彼の捜索を漆田に命じ、漆田は人脈を駆使し、かつてその男がグループ・フラメンコというバンドのメンバーであったことを突き止める。調査の結果であった凄腕ギタリスト・パコが、サントスの息子ではないかと漆田は考えるのだが……。

流れるような展開と男たち・女たちの思いが熱い。冒険小説界の金字塔
物語そのものがまず、いい。当初からスペイン人の来日、日本での調査依頼から、一介の広告マンがスペインに飛び、否応なく独裁者政権vsテロリストたちの抗争に巻き込まれていく。そこに至るまでにいくつもの物語内部における大きな流れがあり、最終的にスペイン内部の抗争にまで日本人が入り込んでしまうという、場合によっては荒唐無稽にしかならない設定に向かって、プロセスが実に自然に進んでいく。少なくない登場人物たち、特に日本人にもそれ相応の二重・三重の役割が割り振られており、その流れを阻害しないし、そもそもの全体的な設定に失敗がほとんどない。これだけの構想を処女作で破綻無くまとめていたという点は、驚嘆に値しよう。
また、漆田をはじめとする登場人物の魅力もまた、その物語の魅力を倍加している。特に、冒険小説にありながら(いや、冒険小説ではよくこのタイプの人物が登場しはするが)、ヒネリの効いた軽口や冗談を口にする漆田、誰もが振り返る美女でありながら強烈な闘争心を裡に秘めたフローラ、落魄れつつも自らの魂たる名品ギターを手放さないギタリスト、フランコ政権を巡ってのスペイン人たちそれぞれの熱き思い。そして何よりも、反発する立場にありながら、漆田に惚れる美沙代の一途な愛情が胸に響く。人物ひとりひとりの表現が深い。彼らに皆、過去があり、その結果として現代があるということがさりげなく作品内に緻密に織り込まれている。
それらの両方の観点のどちらから読んでも本書は夢中にさせられるだけの要素があり、実際面白いのだが、私がもっとも感心したのはこれだけの大長編でありながら、物語中のテンションのコントロールが実に見事に制御されている点にある。クライマックスはクライマックスとして盛り上げることは当たり前として、その前段階から楽器企業同士のつばぜり合いから、人物捜索、男女の駆け引きに至るまで、冗長さがカケラも見あたらず、常に何らかの求心力を物語が発している。これは天然のセンスだとは思うのだが、多くの選者を虜にした理由も頷けるというもの。

大作流行りの現代の基準からすれば、「大長編」という形容詞はあまり強調すべきではないかもしれない。(逢坂氏のスペインものにはもっと長いものがあるし)。少なくともあっさりと読み終えられる分量ではないことは確か。それでも、執筆されてから二十年以上が経過し、スペインが独裁政権下にあったことが遙か過去のことのように思える現在であっても、物語のエンターテインメント性が失われていない。冒険小説の傑作というかたちで後世に残る作品だと思う。


04/01/17
大阪圭吉「とむらい機関車」(創元推理文庫'01)

戦前を代表する「本格系」の作家として知られる大阪圭吉。その短い期間に発表された功績を『銀座幽霊』の二分冊にて刊行したのが本書。主に探偵・青山喬介が活躍する作品が中心となっている。また『白鮫号の殺人事件』は後に改稿されて『死の快走船』となった作品。本文庫における巽昌章氏による解説がまた素晴らしい。

轢殺事故をよく起こす機関車。その機関車を運行する二人の乗務員は、事故を起こすたびに機関車に花環を掲げるようになっていた。彼らがある時期から、奇妙な連続轢殺事故に巻き込まれるようになる。 『とむらい機関車』
デパートの屋上から宿直していた店員の死体が墜落した。男は墜死ではなく先に首を絞められて殺されてから落とされたらしい。死体には無数の擦過傷があり、男は盗難事件に巻き込まれていたという。 『デパートの絞刑吏』
造船工場に勤めていた二人の男が行方不明となった。一人は近くの海上に死体となって打ち上げられたが、その死体にはいくつもの奇妙な状況があった。青山はこの死体からいくつかの推測を行う。 『カンカン虫殺人事件』
隠退した船長が個人で所有するヨット。彼が夜中に帆走中、何者かに瓶で殴り殺されてしまった。船長は「明日の午後までだ」と謎の言葉を残しており、駆け付けた青山はヨットの舷側を見てある推測を行った。 『白鮫号の殺人事件』
雪の積もった駅の積み降ろしホームの側で機関車乗務員が殺害されているのが発見された。彼は背中を何かに突き刺されていたが凶器は見あたらない。青山の捜査の結果、離れた箇所で別の乗務員の死体がまた発見される。 『気狂い機関車』
閑静な住宅街で発生した殺人事件。雄太郎と郵便配達人は浴衣を着た双子の人物を目撃する。しかしその容疑者は一本道で消え失せてしまう。丁度犯人に相当する人物が屋敷にいたため捕縛されるのだが……。 『石塀幽霊』
有罪か無罪かが微妙な裁判において現れる料亭の女将。彼女は彼女自身の全く無関係な事件に対し、次々と証言を行う。果たして彼女の目的とは。 『あやつり裁判』
金塊を求め、日本各地を旅する黄太郎。彼は旅の末に一緒になった男が、砂金の多く沈む池の権利を買い取ったことを知る。彼はその娘を籠絡し、男の権利を奪おうと策を弄するが……。 『雪解』
炭坑の火事によって、ある坑が早急に塗り固められることになった。中には夫が残っていると妻が号泣。しかし無情にも作業は進められた。しかし、その作業を行った人物が次々と坑内で変死を遂げていく。 『坑鬼』 以上に大阪が探偵小説雑誌に掲載した文章が「随想収録」として併載されている。

小説としては無骨も、本格ミステリの骨格はしっかり。永遠に残る「驚き」がここに
江戸川乱歩をして大阪圭吉を評した時に”ドイル”を引き合いに出したというが、本書収録の作品については『銀座幽霊』の時以上にそのような印象を強く持った。探偵役を務める(というか実際に探偵なんだが)、青山喬介の持つ雰囲気が実にシャーロック・ホームズのそれと近いのだ。また、謎の提示とその展開、また真相の持ち込み方などにおいても、一連のホームズ短編に近い味わいがある。思いも寄らない犯人。論理的な解決。意外な凶器。さらに意外な結末。とはいっても大阪は大阪にしかない味わいがまた付加されている。
一つは、ミスリーディングの巧さ。奇妙な状況を冒頭に持ち込み、その奇怪な状況から想像される奇怪な存在を読者に信じ込まそうとするような、良い意味での意地の悪さといった展開が、それぞれの作品に施されている。毎週毎週、決まった箇所で機関車に轢かれる○○、デパートから墜落した惨殺死体、見えない筈のポスト……。特に『坑鬼』における描写など、中編ということもあろうが執拗なまでに見事である。火気厳禁の炭坑内部で、新婚の妻が夫らしい男性に抱きついた弾みに起きた火災、そして危険を避けるために穴が封鎖され、塗り込められてしまう。内部の焦熱地獄が描写されないまでも想像され、しかしその穴を塞いだ人物が、次々と炭鉱内で無惨な死体となって発見される……。内部に閉じこめられた筈の夫が、その復讐を……? という持っていき方は天才的ですらある。
確かに文体は昭和初期の探偵小説の文章であり、風俗であるとか、警察の捜査等に関してもよくも悪くも当時を反映している。小説としてだけ読むならば、描写が足りていなかったり、少々分かりづらい表現があったりと、正直まだまだ向上の余地はあったのではないかと思う。にも関わらず、五十年、六十年以上が経過した現在読んでも決して面白みが失われていない。寧ろ、その本格探偵小説を指向する精神によって生み出された物語は輝きを増しているのではないかという風格さえ感じられる。ミステリという小説分野で活躍する前人がまだ少なかった頃、(それでも「随想」にみるとトリックは出尽くしたかのようなコメントがあるのは面白いが)アイデアをアイデアだけに留めず、しっかりミステリへと昇華させるだけの職人芸が、この時期既に確実に存在していたのだ

おっさんくさいことをいうようで恐縮だが、本書は、特に新本格以降のミステリファンにこそ改めて手にとってもらいたいように思うのだ。(探偵小説ファンならば既に読まれているということもあるが) 現在のミステリシーンも、過去のこういった逸品のうえに出来上がっていることを改めて感じて欲しい。恐らくいろいろな感銘が浮き上がってくるものだと思う。


04/01/16
高田崇史「QED 龍馬暗殺」(講談社ノベルス'04)

MYSCON5のゲストにお迎えする(ぱちぱち)高田崇史氏の十二冊目の作品にして、人気シリーズ「QED」の七冊目にあたる長編。個人的には奥付が2004年で今年最初に手に取った作品となる。(しかし、'98年12月の高田氏デビューから、'04年1月の今に至るまで、高田作品の初出は全て講談社ノベルスだったりするわけで。近く「ミステリー・ランド」での刊行が予定されているのが初ハードカバーとなると思われるが、それにしても講談社ばっかりだなあ)。

日本薬剤師会主催の学術大会に出席するため、棚旗奈々は高知へ飛ぶ。なぜか彼女の隣には、出版社勤務の妹・沙織がいた。沙織は幕末フリークで、このタイミングで坂本龍馬の出身地として知られる高知の観光を目論んだのだ。現地に着いた二人は、空港で階上から落ちてきた植木鉢に直撃されそうになった人物を目撃する。また会場で奈々は高知に実家を持つ美鳥と出会うが、彼女は奈々とは別に桑原とも待ち合わせをしていたのだという。会場に桑原は現れず、翌日、奈々は沙織と共に美鳥の実家へと向かった。そこは四世帯しか暮らしていない過疎村。その村に行く途中に車の故障を起こしてあわや大事故か、という場面に出くわす。その運転者は空港で植木鉢を受けかけた男だった。村にはなぜか桑原が先に到着していたが、折からの大雨により村を行き来する道が土砂崩れによって塞がれる。一行は村人全員と夕食を共にし坂本龍馬暗殺について話し合っていたところ、村に住む若者が別の若者によって刺し殺されるという事件が発生する。殺した方も背中に刃物が刺され重体。果たして村では何が起きているのか……。

殺人事件は大仕掛け。一方、龍馬暗殺ネタはシンプル、シンプルだけに衝撃が大きい
大河ドラマ「新選組」の放映開始と時期を揃える意味があったのだろうか、単に幕末がまたブームの兆を見せているのだろうか。今回のQEDのテーマは坂本龍馬暗殺にまつわる謎である。崇と主に沙織とがディスカッションするのを歴史音痴の奈々が聞くというかたちで説明が行われる。これは同じく周辺の歴史に詳しくない読者に対する配慮となっており、幕末日本の抱えた複雑な状況が初心者にも分かりやすく解説される。龍馬自身に関すること、また周辺の歴史、政治状況、当時の有力者の考え方等々を整理し、その”当時”を浮かび上がらせた後、まずは龍馬の暗殺を指示したのは誰なのかというこれまでの定説を検討する。一般的な常識に対するtipsといった豆知識も多くあり、固い内容にしても結構興味深い点が多かった。
ここまでの展開はある意味”おさらい”といった感じ。これらの案が出てきた後に、最も真相に近いのではないか――という論理が作品内で展開されるのであるが、ここがQEDの面目躍如というポイント。特に知られているあの龍馬像から導き出されるシンプルな”理由”が、あまりにシンプル過ぎて奇妙な説得力を持っているのだ。歴史学者を納得させるだけの新説とはいえないのかもしれないが、ミステリファンを納得させるだけの論理は確実に存在する。
一方、その歴史上の秘密とは別にミステリも作品内では展開される。いわゆる陸の孤島、すなわち閉鎖的状況下の連続不可解殺人事件。端からみれば不可思議・不可解な村民の行動に、ある定規を差し渡した時に一定の理由が見えてくる。 読者が解き明かすのは民俗学的知識も必要であり、ちょっと難しいものと思われるものの、本格ミステリたる要件は満たしている。各人の行動にも一定の論理があり、これらが明かされ、全てが繋がった際のサプライズは小さくない。ただ、これだけ重厚な理由を持ち込んでいるにもかかわらず、どこか説明が簡素に過ぎ(説明不足ではない)、あっさりとして見える点、少々勿体ない気もした。少ない登場人物が、それなりに複雑な人間関係で結ばれている割にその描写も簡素。こちらのミステリだけで恐らく長編一本は軽く維持できる内容だと思われるだけに、もっとじっくり読ませて欲しかった気もする。
また、龍馬暗殺とこのミステリ部分の繋がり、必然性が薄いのも少し残念。ある部分でリンクはしているとはいえ、この事件である必然性はないわけで。龍馬暗殺のQEDと、閉鎖的な村での連続殺人の別々の二つの物語を読んだような印象が残った。

ずっと「引き出しの多い作家」という認識でいたのだが、最近開設された御本人の登場する公認サイトでは、こういったQEDも、実はかなり苦しみつつ案出されているらしい。だが、本格謎解きのみならず”知的好奇心”をもまた満足させてくれる希有なミステリとして、今後も引き続き発表を続けて頂きたいもの。今年は高田作品の刊行ラッシュとのことで、まだまだ愉しませてくださるに違いない。


04/01/15
河野典生「殺人群衆」(徳間文庫'82)

河野典生氏は、大学在学中より文芸活動を開始、'59年に日本テレビと『宝石』誌が共催したテレビ脚本募集の「夜のプリズム」賞に「ゴウイング・マイウェイ」が佳作入選、掲載された。その後短編を中心に活動、その結果が『陽光の下、若者は死ぬ』という作品集となる。本書は'61年に光風社書店より刊行された河野氏の処女長編。氏はその後、日本最初期のハードボイルドとして評価される『殺意という名の家畜』にて第17回日本推理作家協会賞を受賞、またSFの分野にも功績を残す。

かつて学生運動に身を投じていた小林健一は、その世界から足を洗って放蕩な生活を送っていた。彼は中古車ディーラーとして優秀な成績を上げるようになり、勤務先の社長の娘をたらしこんで、買い取った車を利用して千葉の海岸へと向かう。二泊三日の駆け落ちから戻ってきた社長の娘・美恵は既に新婚気取り。激怒する父親を尻目に二人きりの生活となる筈が、そこに現れたのは、小林がかつて遊び半分の付き合いをしていた女友達・太田紀子。実は彼女は、閣僚入り反対を巡って学生運動が盛り上がる政治家・太田栄一の娘であった。太田の秘書・松木から、紀子を脅迫していた若い男が太田栄一宅で事故死しており、彼女のアリバイ工作を小林は依頼される。一方、金で雇われ右翼団体に所属する山村剛は、友人の隆が太田栄一の娘と交際していると聞き、耳を疑う。隆は紀子の手引きで太田亭に忍び込むのだといっていたが、戻って来ない。そんな山村に松木が接触した。

持て余される若さのエネルギーと狡知に長けた打算とがぶつかるハードボイルド青春小説
作品の本筋とは無関係に、読んでいて感心したところがある。それは「汗」に関する描写である。作品の舞台は一九六〇年代前半。今と異なり、空調がほとんどない夏は、いろいろなところ、そしていろいろな人々に汗をかかせる。何もしないでかく汗、往来で埃と混じる汗、日差しに乾いていく汗、セックスの汗、緊張から来る汗……。それらが文脈のなかで見事に書き分けられており、作品に生々しさを付加しているように思えてならなかった。文学としての基礎的な描写力が優れているといえばそれまでなのだが、こういった若者を主人公とする文学を著すに際してはやはり重要なことなのだと再認識した次第。
さて、物語は一種の倒叙形式によって進められる。とはいっても、最初の殺人事件は既に発生し始末が付けられた後でもあり、その後のアリバイ工作をどうするか、という物語である点、ちょっと変奏曲気味である。政治家秘書から持ちかけられた後始末に際して、主人公が一旦は従いつつも反乱、更に秘書は別にかけていた保険と策でもって主人公を窮地に陥れる。大物政治家の秘密を握り、自らが立つという野望を胸に秘めた秘書と、その姿に反発し、同等に渡り合おうとする主人公。更に、無思慮な若者が三者三様の動きをみせる展開はスリリング。彼らの考えが変じたり、思いつきで行動が変化するあたりの在り方が物語としては無骨ながら、逆に実に存在感をリアルにしている。主人公の考え方に共感できるようなできないような微妙な距離感があるのも、そういった非一貫性に原因があるのだと思う。女性を蔑ろにしている点は多少気になるが、それもこの作品が持つ時代背景のうちであるので致し方ないか。学生運動全盛の時代が奇妙に反映されつつ、普遍的な主題が込められていて、それでいてハードボイルドとなっているという希有な作品。時代と、その時代の持つエネルギーが凝縮されている。そういう印象。

実は『殺意という名の家畜』にはそれほど感心しなかったのだが、本書の方には原初のハードボイルドが持つ野性的な迫力と気概をひしひしと感じた。特に主人公の小林健一が、身体頭脳ともに優秀でありながら、更に巨大な力に凌駕されて潰されていく描写に圧倒される。行間から滲み出る彼ならではの苦悩がじわりじわりと胸を打つ。ミステリとしての仕掛けなどはそれほど凄いわけではないのだが、「小説を読んだ」という深い感慨を味わった。秀作。


04/01/14
大倉崇裕「無法地帯 幻の?を探せ」(双葉社'03)

円谷夏樹名義で応募した「ツール&ストール」で、第20回小説推理新人賞を受賞してデビュー。その後、名義を大倉崇裕とし『三人目の幽霊』『七度狐』など、本格ミステリを意識し、実際高い評価を受けた作品を作者は発表している。ただ、作者自身のサイトの名を冠した本作、ミステリとはいえ、趣味丸出しの強烈な作品となっている。題名の「?」は、正確には□囲み。書き下ろし。

大きな借金を抱え、しかも身体を壊して入院中の元暴力団組長・池畑。彼のもとを元組員の大葉久太郎が訪れた。大葉は筋金入りの特撮マニアにして筋骨隆々の大男。彼は組長に負い目があり、かつ組長の娘・浩子に惚れていた。池谷に金を貸しているのはシスコシステムズという高利貸しの会社を経営する松中という人物。彼は、あるものを入手すれば池畑の四千万円もの借金を棒引きしてやるという。あるものとは「大海獣ザリガニラー」。三十年以上前のプラモデルで箱付き未組み立てで市場価格が四百万円という代物であり、関西に本拠を置く暴力団組長の息子・韮山敏郎がそれを欲しがっているのだという。松中は大葉は「ザリガニラー」の情報を求めて、マニア向けのショップがある中野へと向かった。一方、食玩コレクターにして探偵の宇田川一は、不動産会社社員の中里から「ザリガニラー」を探し出して欲しいという依頼を受ける。韮山敏郎に億ションを売りつけるための土産とするのだという。また、非合法な手をも厭わない”本物”マニアの多々見は、コレクター仲間の韮山から「ザリガニラー」を入手できそうだという話を聞き、嫉妬心からそれを妨害することを決意する。

幻のプラモデルを巡る仁義無き(有り?)戦いにして、マニア世界の禁断の内幕
争奪もの。――たった今思いついたフレーズなのであるが、特に広義のミステリー作品において、こういった傾向を持つ作品は結構存在する。いくつかの利益が相反するグループが、時に戦い、時に協力しながら、一つの宝物を奪い合うという内容を持つ作品。その場合の目的、即ち宝物は大金であったり埋蔵金であったりデータであったり重要人物であったりと、まあいろいろなケースが考えられるが、恐らく本書で扱われる対象というのはそういった作品群のなかでも特に強烈なインパクトがある。即ち、幻のプラモデルであること。
この争奪対象の微妙な位置づけが、本書のエンターテインメント性を高めているといえるだろう。つまり、本来は子供を対象にした製品でありながら、いい年こいた大のオトナが血眼になるというギャップ。その設定の段階で、作品内にはそこはかとしたユーモアが漂う。彼らが知恵と力、持てる全ての能力をがっぷりぶつけ合い、幻の?を奪い合う。さらに、一応中盤にて殺人事件が発生、マニア同士のバカ騒ぎの合間を縫うようにして裏ストーリーが入り込み、いわゆる普通のミステリとしての体裁も取られている。だが実際のところ、それ以前のやり取りが強烈に過ぎ、殺人事件の印象が薄れている。(このミステリ部分だけ取り出すと、結構綺麗に伏線が込められていて、真相の導き方など論理的だったりする。さすがは大倉崇裕、だけどやっぱり目立ってない……)。
そして、本書の面白さのもう一つは、こういった玩具コレクターの知られざる内幕を赤裸々に暴いた点にある。近年の乱歩賞系列とでもいえば良いのか。これはこれで一種の業界内幕物でもあるのだ。お菓子についたスナックにつくキャラクタ玩具における秘密。いかに購買意欲をそそるかというメーカーの思惑。それを売るための販売店のテクニック。その相場、取引方法、執念、落とし穴といったちょっとした知識等々。普通に暮らしている良識人が触れることのない世界の秘密が(多少誇張はあるにしろ)明らかにされる。小生自身あまり詳しくない分野であり、「へえ」「ほお」と感心しながら読んだ。マニア同士の奇妙な連帯感や、仁義の切り方等、彼らなりの思いやりみたいなエピソードも面白い。
ただ少々気になるのは、登場人物に喧嘩っ早いヤクザと喧嘩っ早い探偵を配し、更に敵役にも暴力的な人物を多々配したがために、作品の物語展開において必要以上に暴力的なやり取りが多くみられる点。ひとりくらいは物語を盛り上げるためにいても良いのだが、この系統、つまり争奪ものの作品であれば、知恵と策略に面白さの重きを置くべき(作品中にもそういったエピソードがあるにしても)ではなかったか。業界ならではのテクニックよりも、違法行為や暴力といった短絡的な行動を取るマニアが目立ってしまっているのは、作者としても本意ではないと思うのだが……。

いずれにせよ、本格ミステリを期待するのではなく、アクション系のミステリーと思って読めば吉。特に本作で描かれているジャンル、食玩であるとか、プラモデルであるとかフィギュアであるとかに興味があって、かつミステリファンであればツボを突かれることは必至。記録ではなく記憶に残るタイプの作品。


04/01/13
陳 舜臣「神戸異人館事件帖 《夏の海の水葬》」(徳間文庫'86)

'79年に実業之日本社より刊行された短編集が改題されて文庫化されたもの。(原題は副題として残っている『夏の海の水葬』。神戸在住の二人の老人の回想録を”私”という記述者が記載する形式で繋がる連作シリーズ。

六甲山麓の小さな茶店にたむろする七十に近い老人、オキゲン(沖田源太郎)さんとヤン(楊天平)さん。彼らはかつて神戸の町にあったおんぼろ洋館・通称”ゴキゲン・ハウス”で共に暮らしていた。その昭和八年頃のことを、作家の私が彼らから聞き出して描いた事件帳。
家に帰ってきたヤンさんのベッドの中に、見知らぬ中年女性が眠るようにして死んでいた……。 『知らぬまに死体が』
ヤンさんオキゲンさん共通の知人・杉田は借金まみれの身体を綺麗にするため、一計を案じて上海への高飛びを企てるのだが……。 『ひょうたん男』
二人と仲良しだった三木という刑事の抱えた事件は、上海からトランク詰めの美女死体が船便で神戸に届いたというもの。 『消えて消されて』
若かりし頃のヤンさんにいきなり声を掛けてきた美女・李端美。彼女はヤンさんに彼女の愛人の思想犯への差し入れを依頼した。 『ひんやりしたキス』
オキゲンさんの自慢の従兄弟。彼が左翼思想を持っていると噂されオキゲンさんはやきもき。その彼が訳ありの恋に陥った。 『夏の海の水葬』
ダイヤに100%関税がかけられた時分、オキゲンさんは勤め先の上司からの紹介で、ドイツ人美女の歯医者と仲良くなる。 『牛肉とダイヤモンド』
一時期、神戸のホテル事情が逼迫した頃に二人と同居していたインド人・プラタープ。彼は静かな人物だったがかなり神経質だった。 『たのしい同居人』
二人が通った串カツ屋の主人は、かつて天才的な日本画の腕前を持っていた。彼は強引な師匠により贋作騒動に巻き込まれたことが。 『にせもの天才』
地元の有力者・張の依頼で、中国からの医師を匿った二人。その医師の情報は漏れていない筈だったが、オキゲンさんの同僚の女性から奇妙な情報が。 『はなやかな闇』
オキゲンさんが急に結婚することになり、ヤンさんは一週間ほど家を空けることにした。刑事の三木から留置場をホテルがわりにしては、という提案を受ける。 『一応の終わり』 以上十編。

サプライズは小さいものの、昭和初期の枯れた味わいが馥郁とする贅沢な連作ミステリ
不思議な枠組みを持ったミステリである。まず、人生を半ば隠退した老人二人の昔話がベース。それを作者たる”私”が聞き取り、さらに”私”が後から調べたり、別の人物から見聞きしたエピソードや記録を繋ぎ、ある時はエピソードの裏の意味を導き出し、ある時はオキゲンさん、ヤンさんの生きてきた世界を実際にあった現実に繋げる。そしてポイントとなる謎をきっちりラストまで引っ張ったうえで一つの短編ミステリとして読者に提供している。実はコレ、かなり高度なテクニック。なのだが、さすがは陳舜臣、全くそういった技巧を、そう感じさせずに読者に供する術をしっかり心得ている。
また、描かれている舞台も何気ないようで実に渋い。満州事変が落ち着いた後、太平洋戦争が始まる前の昭和八年〜十年という時期の設定。神戸という異国人と地元人が混じり合って違和感のない街の設定。外国商館とホテルという、これまた様々な人々と出会うことの多い職業の設定。古くておんぼろの西洋館という住居の設定。そして若き日本人・沖田源太郎と、中国人・楊天平という登場人物の設定。こういった一つ一つの設定要素が、それぞれの物語の内部で有機的に繋がりあい、ミステリの思わぬ伏線として、結末に至る過程として機能しているのだ。こればかりは一つ一つ説明していく訳にはいかないものなので、読んで頂くしかない。
そうして醸し出されるのは、静かで落ち着いた、それでいてどこか懐かしい世界。現代とは異なる、だけど実際にあったかもしれない日本の物語。これが実に味わい深いのである。本格ミステリ的な要素を持った謎もあれば、単なる犯罪小説といった趣の作品もあり、ミステリ連作集の持つ謎としては意外なバリエーションに富んでいる。サプライズという意味では強烈さは逆に薄いといってもいいかもしれない。その部分だけをみれば、中盤で真相を見抜くことも手練れの読者ならば可能なレベル。だけど、謎だけではなく作品全体が醸し出す重厚さは、謎だけに寄りかかった、そこいらの短編ミステリ以上のものがある。
特に印象に残ったのは最後の作品『一応の終わり』。新婚家庭を邪魔しないように、と留置場に泊まり込んだヤンさん。それだけならちょっとイイ話、でおしまいのところ。これらの一連の行動によってもたらされる事実の真の意味を知った時、国籍を超えた男たちの友情と、昭和史が確実に持っていた残酷さを同時に知らしめられる。傑作。

ミステリかどうか、という分類でいえば確かにミステリでしかないのだけれど、作品のもたらす叙情性やその他もろもろ読者に伝わるものは、少なくとも単なるミステリ以上の感慨がある。偶然に手に取った作品が、これだけ胸に残るとは。だから読書は止められない。


04/01/12
小野不由美「悪霊がホントにいっぱい!」(講談社X文庫ティーンズハート'89)

今や”小野不由美”といえばまず「十二国記」シリーズ原作者であり、もう少し事情通によれば本格ミステリの書き手として認識されてているものと思う。だが、小野不由美がメジャーへの道を歩み始めたのはこのティーンズハートの「悪霊」シリーズである……って常識か。本書はその二冊目にあたる作品。(最初の一冊が入手できないもんでさ)

前作の事件でお手伝いをした関係で、渋谷サイキックリサーチにてアルバイトを始めた女子高生・麻衣。略称:SPRと呼ばれるその事務所は『憑きもの、幽霊、よろず相談申し受けます』、つまり心霊現象相談所。所長の渋谷一也は年の頃は十六、七ながら天上天下唯我独尊のナルシスト、通称ナルちゃん。麻衣の片思いの相手でもある。そして助手の長身のリンさん。彼らのもとには、勘違いした依頼人が多く押し掛けてくるが、そのうちの一件、森下典子なる人物からの依頼にナルは本気になる。どうやら女三人が暮らす家にてポルターガイスト現象が発現するようなのだ。大量の調査機材を抱え、戦前からの建物という陰気で巨大な館に乗り込んだところ、先客がいた。元高野山の坊主・滝川法正(通称:ぼーさん)と化粧の濃い巫女・松崎綾子。二人とも霊能力者ではあるのだが、前の事件でSPRの面々と顔合わせ済み。早速調査に入って早々、大規模なポルターガイスト現象が観察される。どうやら、館に住む小さな娘・礼美と彼女が大切にしている人形に問題があるようにみえたのだが……。

ノリはまさしくティーンズハート、骨格はさりげなくとも真性のホラー
無愛想な美少年に惚れ込む元気印の女の子、懐近くに潜り込むのはいいけれど、鈍感な相手は全く相手にしてくれない。ところが、彼を慕うライバルは自分以外にもいて、そちらに対して彼はどこか優しい。彼の周囲を固める登場人物も、それぞれに魅力をもった格好いい人たちばかり……。ついでに、登場人物ひとりひとりが、それぞれ自分だけの能力を持っており、事件発生となると力を発揮、主人公は何も持たない普通の女の子だけれど、私、一生懸命に手伝います!
……とまあ、ノリというか、人間関係の部分だけを取り出してしまうと身も蓋もないが、いわゆる少女小説・少女マンガの王道ど真ん中といえそうなもの。その部分にはどきどき感は(今さら)あまりないが、シリーズ全体を通じてのラストがどうなるのか、という興味は引く。ミステリ・ホラー読みの小生としては、そういった部分に立ち入っての論評は差し控えたい。
ならどこが、というと、そういったティーン小説の枠組みはしっかり堅持しながらも、ストーリーというかエピソードはきっちり本格ホラーとして成立している点に注目したい。悪霊の棲みついた館、簡単な祈祷や除霊ではかえって悪霊は怒り出す。少女の大事にする人形が憑き代となって悪霊は増幅し、家の中を子どもの霊が駆けめぐり、彼らがまた同類を呼び寄せる。日に日に高まる悪霊の力は単なるポルターガイストの域を超え、人を襲い、館を破壊するに至る。館の床下から出てくる古い井戸。この家に巣くう悪霊の本当の姿とは……? 筋書きもしっかりしているうえ、悪霊の正体というか中心がなんなのかのぼかした表現が絶妙。敵がいることは確実ながら、弱点が分からない不安、正体が分からない不安が中盤まで物語を支配する。また、ポルターガイストの執拗な悪戯の数々や、祓いの際の人形の動きなど、細やかなシーンに「はっ」とさせるだけの恐怖感覚をやりすぎない程度に込められている点も良い。単純に人を傷つけたりせず、雰囲気で恐怖を醸成する手腕。文章だけはティーンズハートのそれなので、強烈さに微妙に欠けるきらいがあるのは少し勿体ない。が、それでも十二分にホラーとして読めるはず。

このサイトを眺めておられる女性の方ならば、本書を(大昔?)とっくに読んでしまっている、という方も多いのではないだろうか。もしまだお持ちであれば、大人の視点で改めて読まれてみるのも一興かと。当然、ティーンズハートのノリで読んでも楽しく読めることは言うまでもないことでしょうし。


04/01/11
京極夏彦「豆腐小僧双六道中ふりだし」(講談社'03)

題名の通り、豆腐を思わせる四角い頁に一段組という段組みに相変わらずの分厚い頁数。もともと週刊現代誌に『本朝物怪盛衰録』(ほんちょうもののけせいすいろく)という題名で'99年から翌年にかけて掲載されいた作品に加筆修正がなされ、改題されて刊行された作品。(持ち歩きづらかった……)。

豆腐小僧とは、ただ小僧が豆腐を捧げ持ったというどこか情けない姿をして、取り立てて何をする訳でもなくただ立っているだけ――という双六や黄表紙を中心に登場するキャラクター妖怪。彼がひょんなことからあばら屋に現れ、自意識を持ち始めたところから物語がはじまる。豆腐小僧はただ突っ立っているだけ、そんなあばら屋に人目を忍んでやって来たのは色男の若旦那と娘さん。さっそく色事が始まり、それは無事(?)終わるものの若旦那は何かの気配に怯えて飛び出してしまう。残された娘も、いきなり家ががたがた鳴り出したのを聞いて、慌ててまた飛び出す。同じように驚いた豆腐小僧に声を掛けたのが「鳴屋(やなり)」、即ち別の妖怪。彼らは自分たちのことを”説明”なのだという。鳴屋は消え、そして豆腐小僧は一人になって改めて外の世界に出向き、また別の妖怪と出会う。そんな物語。
『豆腐小僧、情事(いろごと)を目撃する』『豆腐小僧、鳴屋と遭遇する』『豆腐小僧、臨終(いまわのきわ)に立ち会う』『豆腐小僧、夜明けを迎える』『豆腐小僧、禅問答する』『豆腐小僧、勧誘される』『豆腐小僧、江戸を出る』『豆腐小僧、小僧に会う』『豆腐小僧、狸に同情する』『豆腐小僧、義憤に駆られる』『豆腐小僧、人間を懲らしめる』以上、十一編。

京極流・妖怪存在理由解説本。妖怪がなぜ日本に現れたのか? がよく分かる
ユニークな姿態を持ちながら、世間のことを何も知らずあまり頭の良くない妖怪・豆腐小僧。彼をナビゲート役に設定。何がやりたいのかよく分からないままに読み進めれば、豆腐小僧自身を始め、鳴屋、死に神、鬼火といった妖怪が登場し、彼らがそれぞれ妖怪としてどういう役割を担ったがために生み出されてきたのか、という説明をしていく。それは豆腐小僧の疑問に答えるかたちにはなっているものの、それ即ち読者に対する答え。まあ、読者としてはそもそも疑問という意識自体が薄いため、一見非合理的な存在である彼らの、合理的な回答を聞いては「はあ、なるほどねー」と感心させられるという仕掛け。つまりは、人間意識と自然現象のギャップを埋めたり、説明できないものを説明することによって得られる安心装置のような役目を「妖怪」が持っていたということなのだが。本書の構成が巧く、そのあたりはするすると頭に入っていく。
時代が明治維新直前の江戸時代という設定になっているのもポイントか。欧米風合理主義が流入しはじめた当初。その合理主義によって存在自体が消されかねない妖怪と、合理主義を信奉する人々との戦い(?)へと後半に物語を運んでいくため、中盤から後半にかけてのエンターテインメント性も高い。人間と妖怪がごちゃごちゃと戦うような、一種どたばた喜劇のような展開になっていくのではあるが、そこはそれ、京極流の諧謔によるユーモアと絶妙の筋運びが柔らかく物語を包んでおり、嫌味が少ない。物語における謎を解き明かすようなミステリではないし、正統派の怪談でもなく、また文学性を狙った作品でももちろんない。妖怪を主人公とする、あくまで妖怪の小説なのである。
第三者的なナレーションによって場面場面が説明されているのも特徴的。どうしても京極夏彦自身が”弁士”となって、情景を大衆に説明しているような印象を受ける。それがこの作品の独特の語りと繋がっている。妖怪の口を借りて説明しているとはいえ、作品内容そのものに(京極作品では珍しく)作者・京極夏彦の存在が強く打ち出されているように感じられてならないのは、こういった物語そのものが、実は京極氏が仕事を離れて最も書きたかった内容なのではないかと、ふと思う。

これまでの京極作品を読んでこられた方であれば、こういった作品が出てくること自体は多少なりとも予感できる部分があるだろう。また、いわゆる〈京極堂シリーズ〉のみを追いかけておられる方のほうが、すっきりこの作品世界に入れるようにも思う。本書購入者には全員プレゼント(但し切手500円要)で妖怪豆本プレゼントがあるのだが、帯と本体の一部頁を切り離さねばならない。応募しようかどうしようか。まだ少し迷っている。