MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/01/31
北森 鴻「支那そば館の謎 裏(マイナー)京都ミステリー」(光文社'03)

かつてアンソロジー『新世紀「謎」倶楽部』に「鬼子母神の選択肢」という作品が収録され、後に短編集『パンドラ’S ボックス』に再録された際、北森氏は「このシリーズは続く」とコメントしていたように記憶している。その作品にて登場した、京都・嵐山からかなり遠いところにある貧乏寺にしてマイナーな観光名所・大悲閣千光寺の寺男として働く有馬次郎のシリーズがようやく初の短編集となった。『ジャーロ』誌に'02年から'03年にかけて掲載された作品がまとめられている。

嵐山のなかで不審死体を発見してしまった有馬次郎。その死体からはかつて有馬が使用していた《千手》と呼ぶ道具を所持していた。その死体が殺された場所を類推した有馬は……。 『不動明王の憂鬱』
現代日本を代表する版画家が殺害された。遺体の回りには版画に使う馬連が切り裂かれて散らばっていた。その版画家の作品を狙う人物の影が事件の周囲にちらついていたが、決め手となったのは……。 『異教徒の晩餐』
京都好きの女子大生・友原鮎未が先光寺にやって来た。再会を期待した有馬であったが、彼女は京都タワーのゴミ捨て場にて他殺死体となって発見された。彼女の残した日記から有馬はある人物を……。 『鮎躍る夜に』
大学学園祭の講師として呼ばれたミステリ作家・水森は自分勝手な行動で折原を振り回す。その彼が大学構内で失踪、同時に校内にある藍染めの工房内部で死体が発見された。水森の犯行なのか、それとも……。 『不如意の人』
あろうことか水森は先光寺に居着いてしまう。その彼が外国人夫婦に頼まれ、京都市内に住む彼らの息子を捜し出すアルバイトを引き受ける。ヒントはチャイニーズ・ヌードル・ハウス、そして豪邸……。 『支那そば館の謎』
居酒屋 十兵衛の大将の兄弟子が経営する別の十兵衛がある。最近、その十兵衛の主人・藤尾の店がおかしいのだという。板前としての腕を振るわず、出来合いの総菜を出す安居酒屋になってしまった理由とは……。 『居酒屋 十兵衛』 以上六作品。

北森鴻のいいトコどり。京都の旅情に個性溢れるコミカルな登場人物、ユーモア溢れる展開、そして本格謎解き
北森鴻氏のこれまでのキャリアのなかで、連作短編集が単行本のなかに占める割合というのは、かなり高い。雑誌では短編として発表されるのであろうが、シリーズを通して読むとボーナスのような異なる姿が浮かんでくるという楽しさがやはり魅力である。とはいっても本書は、連作というよりも、純然たるシリーズ・キャラクタによるミステリ短編集といった印象。もしかすると主人公・有馬次郎の過去などが浮かび上がることも今後あるのかもしれないが、とりあえずは何も深読みせず、そのキャラクタと魅力的な謎を愉しむのが吉だろう。
表向きは貧乏寺の寺男という主人公の有馬次郎。「裏の顔」としての大盗賊としての身体能力と盗みのテクニック、情報収集能力を利用しての謎解き、そして謎を解くだけではなく事件の彼なりの解決を図っていく様が何とも格好いい。漫画的、劇画的な荒唐無稽な設定であるけれど、本書の場合はそれらも含めた展開が魅力だといえる。また、ヒロイン(?)の地元新聞の記者・折原けい、奥深いところに謎を秘めた大人物の住職、本書から登場するバカミス作家・水森堅といったキャラクタの造型が際だっていることに加え、互いの関係などもさりげなく丁寧に配置されている。
もちろん、北森ミステリの魅力の一つ、料理も健在。本書の場合は登場人物が密やかに通う「居酒屋 十兵衛」がその提供者としての役割を担っており、京都ならではの和食の魅力を十二分に伝えてくる。また描写が実に「旨そう」なのも嬉しい。というか、腹減った。
そして、これまで北森作品にて時々語られながら、どちらかといえば隠し味に使われていたある部分が本書では比較的前面に出ている。それは旅情。地元民の方には叱られるかもしれないが、京都という土地柄の良いところ、悪いところ、余所者には分かりにくい京都の習慣、また季節折々の風物詩といった小道具や背景を巧みに作品に織り込んでいる。京都が身近に感じられ、「あ、行ってみたいな」と思わせる表現が多々存在する。こういった器用さをもまた北森氏は実は持っていたということに驚かれる方もいるかもしれない。『親不孝通りディテクティブ』の博多の情景と合わせて考えると更にその感慨は深まるはず。

本格ミステリとしての水準は言わずもがな。ただ、常に高い水準を維持してくれる北森作品のなかにおいては、あくまで水準といった印象が強いか。とはいっても、本格ミステリファンを失望させることはまずないはず。キャラクタ主導で読むのも良し、謎解き目当てに読むのも良し。読者にとってツボ的に美味しいところがどこかに必ずある、といった作品集につき、安心して手に取るように


04/01/30
川端裕人「夏のロケット」(文藝春秋'98)

第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞受賞作品。本書が川端氏の小説デビュー作品となるが、もとは日テレ出身のフリーライターであり、テクノロジーやサイエンス、ネイチャーといった分野においてこの時点で既に著作がある。また、現在に至るまで着実に自らの得意分野を活かしたフィクション・ノンフィクション両ジャンルにおいて作品を発表し続けている。

”ぼく”こと高野は科学部に所属する新聞記者でロケットマニア。同期入社の警視庁担当・芦川純子の依頼により、都内で爆発事故を起こしたテロリストの現場写真を見せられる。残された部品はかなり高度のロケットを思わせるものだった。ぼくは高校時代、”教授”こと日高紀夫を中心とした四人の仲間と共に、天文部ロケット班に所属し、秘密裡に実際にロケットを制作して、何度も打ち上げた経験があった。この事件をきっかけに当時の仲間が先に集まっていることをぼくは突き止める。教授こと日高は、宇宙開発事業団に就職し、清水剛太は特殊金属メーカーの研究室に所属、一旦ロケットからぼくと共に外れた筈の北見は、大手商社に就職、しかし配属された先が「宇宙事業本部」だった。そして最後の一人、氷川は大学に進学せずミュージシャンとして大成功を収めていた。彼らがいたのは「源製作所」。腕利きの金属加工職人・源さんが経営する金属加工工場であり、高校時代のぼくたちがお世話になっていたところでもあった。それぞれの道を進んでいる彼らが、氷川の財力と教授の頭脳でもって、再びロケット作りに挑戦しようとしていたのだ。

これが一般小説とSF作品とのボーダー? 読者それぞれに”世界を変える力”を与える物語
なぜこの作品がサントリーミステリー大賞に応募され、大賞・読者賞が取れないまでも優秀作品賞を受賞したのか……ということを推理するのもまた一興だろう。この作品、それほどまでに”ミステリー”の薫りが感じられない。だが、いわゆる「このミス」的感覚における、エンターテインメント小説としては超一流の作品である。
作品の冒頭、プロローグとして登場するのは、人類が初めて火星に到達する場面。この段階では「あれ、SFなの?」という第一印象を読者は持つはずである。だが、その後の展開は、テロリストが作ったロケット弾が高度な設計思想をもとにしていることから、自らの過去の経験領域へと回想が戻り、そして結局、我が身をなげうって本物のロケット製造に身を投じることになる……という現実的な(?)物語。社会人が五人集まって、某所で秘密でロケットを作る、などと書くと非現実的な話にしかみえないが、本作の魅力は、そのロケット作りという非現実を、現実にできる限り沿う設定にて表現していることだろう。頭脳である設計者と、職人肌の工作者というあたりは誰でも思いつきそうだが、そこにスポンサーとなる人物と、実際に関連する品物を調達するための商社マン、更に情報収集と広報を兼ねる新聞記者を配した段階で、作者の勝ち。彼らの職業や科学的な事柄が、いちいち現実とマッチしており、違和感が全くない。(小生も本業柄、多少金属材料関係は詳しいんですが、それでも違和感なかったし)。まさに夢と希望を実現するために邁進するオトナたちの姿を活き活きと描き出すことに成功している。その意味では年経てしまった人たちにとっての童話でもあり、ファンタジーでもあるのだが、読んでいるあいだはそういった細かいことを全く意識させられなかった。
特に見事なのは、先に書いた冒頭の「ん? SF?」という部分が、読み終わると現実ベースのフィクションに取り込まれている点である。実際、一般エンターテインメント小説を読んでいたはずが、SF作品の入り口に立たされていたことに気付いた瞬間、「うわ、凄い作品だよなあ」と改めて感動させられた。世界の境界が外されたかのようなショックが、本当に心地よいのである。

多少青臭い登場人物像が、物語の破天荒さとベストマッチしている。色気も暴力もなく、犯罪という意味での謎もほとんどないなかで、これだけのエンターテインメントとなっているのは脅威に値する。そして、特殊な能力がなくとも、自分の仕事を通じて世の中を変えることが出来るのではないか――、と、ちょっとした夢に浸れることが、本書の最大の功績だといえよう。何というか、科学の持つ”夢”を再確認することが出来た感。


04/01/29
花木 深「B29の行方」(文藝春秋'92)

第10回サントリーミステリー大賞の大賞及び読者賞のダブル受賞作品。花木氏は受賞時、既に67歳。それまで第35回江戸川乱歩賞最終候補に選ばれた『泣き顔のクビド』という作品(後に改題され『天使の墓』として刊行)があるが、それ以降あまり話題に上った記憶がない……。

娯楽産業を中心に成り上がり、財界への入り口を模索する実業家・金森英二郎。彼の孫が誘拐された。身代金は一億。しかし英二郎は警察に連絡したものの、あっさりと身代金を用意。犯人の指示に従って警察をまいた後、車に乗った犯人に身代金を奪われ、自らも怪我を負った。人質は無事に戻ってきたが犯人は特定されないまま時が過ぎた。世間の注目度が下がってきたにもかかわらず、遊軍記者の井上はまだ事件にこだわりをみせていた。その現場付近でゴリさんと呼ばれる宮脇という刑事の姿を見掛け、情報を交換する。警察は気付いていないものの、事件の手口が十五年前に発生した誘拐殺人事件と酷似しているのだ。かつて若手記者としてその事件を取材したことのある井上はその事実を宮脇に指摘する。様々な方面から調査した結果、その十五年前の事件の関係者が今回の事件にも関係していることが分かり始める。果たして二つの事件にはどのような繋がりがあるのか……。

十五年の年月を越えての誘拐事件のミッシングリンク。不自然さをなぎ倒す剛腕が才能か
題名に含まれている「B29」とはもちろん、第二次世界大戦当時に日本の空襲に活躍した米国の爆撃機のこと。ならば戦争ものか……という先入観が少なからずあったのだが、中身はいきなり現代の誘拐事件が展開して、まず驚かされた。ただ、通読後にも改めて思ったが、この題名の付け方は何というかちょっと勿体ないというか、誤解を招いて読者を減らすのではないかという気がしないでもない。
物語は、現代に発生した誘拐事件と、十五年前に発生した誘拐事件とを重ね合わせ、両方に関係した人物をあぶり出し、そこに隠されたドラマを探し出す……というもの。人物描写は手堅いし、文章もリズムも悪くない。だがその関係者がやたら多数登場することと、十五年前はおろか、戦時中に疎開していた時代のエピソードまでが関係してくるという複雑さを内包している。また、その人間関係についてや、時効前の類似事件についての比較など、警察がいい加減にしか捜査をしていない点が、最初から最後まで引っ掛かった。物語における”謎”のほとんどが、その警察捜査の適当さによって成立しているというのは引っ掛かる。とはいっても、そうして提示する謎については、偶然や隠された人間関係などに助けられることで、とにかく回収は成されており、破綻はない(はず)。終盤にかけて、多少強引になったとしても物語をまとめあげる手腕は、ミステリ作家として必要な事柄だといえるだろう。

序盤の誘拐もの本格ミステリを思わせる展開が、徐々に御都合主義的な部分が鼻につくようになり、終盤はどこか「絵的」解決を図っている……というような段階ごとに作品の印象が変じた感。ある意味、ドラマ原作となることが決定づけられたサンミス大賞らしい作品なのではないかと思う。


04/01/28
遠藤 徹「姉飼」(角川書店'03)

相変わらず二年周期で大賞を輩出している第10回日本ホラー小説大賞の大賞受賞作品。短編での同大賞受賞はあの岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』以来、二回目。遠藤氏は同志社大学の助教授で、研究書の著書がある以外に「怪物の黙示録―『フランケンシュタイン』を読む」といった訳書があるのだという。

ぼくの出身地・祠部矢に伝わる脂祭りは、特産の蚊吸豚の、食用に堪えない脂肪部分を合わせて作った脂御輿が強烈な臭気を撒き散らす。この祭の夜、出店で売られている”姉”がいる。的屋によって太い串に胴体を刺し貫かれ、ぎゃあぎゃあ鳴く姉は髪の毛を振り乱し、伸ばした爪を振って暴れ、近づく者に噛みつこうとする。ぼくはこの姉に魅せられてしまった。その姉を飼うことが夢になった。小学校の時に同級生の芳美に「おれの隣の家、姉買ったらしいぞ」と耳打ちされた時、ぼくのその後の人生は決まった。 『姉飼』
記憶喪失のあたしこと亜矢乃は、ファミレスでお変わり自由の薄いコーヒーをがぶ飲みする裕也から、奇妙な話を聞かされる。亜矢乃は、二万円で売られていた商品なのだという。しかももうすぐ消費期限を迎える。 『キューブ・ガールス』
そのジャングル・ジムは幸せだった。彼はサラリーマンや子供たち、詩人に話しかけられ、彼らの幸福を願う存在だった。しかし、一人の女性と知り合ったことで、彼の心境、そして人生に大きな変化が訪れる。 『ジャングル・ジム』
横暴な一族に支配される果樹園の島・フルーツ・パラダイス。この島では急に奇妙な病気が流行りだし、果物が次々と腐っていった。島を支配する狂暴な一族に対し、残酷な鉄槌が下され、従業員は次々と島を離れていく。 『妹の島』 以上四編。

人間監禁ものなどではなく、特異なセンスが鏤められたれっきとした異形の怪奇小説です
これまで、この日本ホラー小説大賞の少なくとも大賞受賞作品については刊行されてすぐに読んできたのだが、本書の場合それが躊躇われ、二ヶ月近く放置してきた。……と、いうのもこの「姉飼」という題名、そして帯に抜き書きされた本書中の台詞である「さぞ、いい声で鳴くんだろうね、君の姉は。」というコピーから、人間を監禁するイジメ系列の作品を想像していたからである。現実にもあるような事件を描いた、その手の作品はあまり好んで読む気がしないので。ただ、それは私の勝手な勘違いでした。(しかし、角川書店の戦略ミスでもあるように思うが) 本書は、新しいセンスに基づくきちんとした異世界ホラーであります。
さて、その中身は、独特のセンスを感じさせる奇妙な世界。わざと都会という舞台を外し、微妙な田舎を造り上げることによって得られる日本ならではのホラー世界。特に”祭”が持つ、独特の狂騒状態において”姉”なる生き物を登場させる鮮やかな場面描写が良い。縁日の屋台には、奇妙な胡散臭さと子供を騙すオトナの論理みたいなものが現実にも存在するが、それを入り口として独自の世界にずるずると引き込む手際が実に見事なのである。また、そこに少年の禁断の性への目覚めや、姉に取り憑かれたまま成長する主人公の生き様が続き、徐々に狂気が増大し、理性が喪われていく様が赤裸々で、不思議と感情さえ移入させられていることに気付かされる。そのことに、「はっ」と気付いた瞬間に作品の恐怖がずるりと背中に入り込む。長編なみの内容が短編に注ぎ込まれていることもあり、最後の最後まで一気に読まされる。最初の祭のリズムが物語全体にも良い影響を与えているようにも感じられた。
他の三作品は『姉飼』とはまた雰囲気の異なるタイプ。いきなり回転数の異なるレコードが鳴らされたような不協和が存在するが、それもまた持ち味であろう。軽薄な女の子の一人語りとアイデアが奇妙なマッチングを見せる『キューブ・ガールス』。リリカルな雰囲気から、一転して狂気の底へと滑り落ちる様が不気味な『ジャングル・ジム』。そして、これまた長編なみの内容を短編に押し込めた『妹の島』では、甘酸っぱい臭いを物語内部で印象づけることにより、物語の流れ以上に、その世界にまつわる雰囲気を巧みに表現している。

ところで、某氏から先に指摘をされていたて改めて確認したのだが、この作品に対する選考委員・○○○子氏の意見は確かに怖い。ホントにちゃんと読んでるのか心配させられる。

文章の方は、実に巧いとまではいかないまでも、プロとしての水準には達している。どちらかといえば、この世界を創り出せる作者の力量に大賞が授けられたのだといえよう。高橋克彦氏が述べている「ひょっとすると七十五点かも知れないが、もしかすると百五十点かも知れない」という言葉に全てが集約されているように思える。今後、どのような”世界”が打ち出されてくるのか、楽しみな作家となった。


04/01/27
沙藤一樹「D-ブリッジ・テープ」(角川書店'97)

'97年の第4回日本ホラー小説大賞の短編賞受賞作品。沙藤氏はこの後、長編『プルトニウムと半月』『X雨』の二冊を角川ホラー文庫より刊行、03年には乙一氏の絶賛帯付き『不思議じゃない国のアリス』という短編集が刊行されている。

広々とした明るく白い会議室に集められた二十人ばかりの男女。年齢は三十代から六十代で全員スーツ姿。彼らは相原という名の男から一本のテープを聴かされることになる。そのカセットは不法投棄のゴミで溢れる横浜ベイブリッジ、通称”D-ブリッジ”にて、十歳そこそこの少年の死体と共に発見されたのだという。そのテープは彼の遺した言葉が吹き込まれている。そして、それは聴衆の無関心と共に、耳障りな雑音とその少年の凄絶なる生き様が流れ始めた――。

独特の文体と枯れた口語がもたらす静かな狂気――。形式美のホラー
物語の書き手には、時に憑き物が来るのだという。なんというか、本書がもたらす雰囲気は、その憑き物によって作者が突き動かされた結果、生み出されているようにも思われる。綿密な計算の結果として構築されたのではなく、思いつき(といっては失礼か)をそのまま原稿にしたところ、いくつもの効果が現れ、希有の物語へと転じたというような。
物語は、十歳に満たない年齢にしてゴミの集積地に捨てられた少年が、いかにその後の数年間を生き延びてきたか――というのが大きな流れ。ただ、彼の言葉がテープを通して聞こえてくるというあたりに、三人称では表現し得ない生々しさが付加されている。またその彼の置かれた設定にも実に厳しい要素が加えられ、単なるサバイバル・ストーリー以上の過酷さを主人公に強いている。その結果、超自然とまではいかないまでもフィクショナルな”生活”によって、彼がいかに死の恐怖と戦い続けたか、といったドキュメンタリー風の展開が繰り広げられている。例えば、そのゴミ集積地を、家庭ゴミが含まれる正規のゴミ処理場ではなく、不法投棄のみの場所としたこと。食料の調達がいきなり困難を極めるなか、彼は何を食べたのか。また、手足を喪うエピソード、盲目の少女・エリハとの邂逅、彼らを追い回す若者等々、奇妙なリアルさをもって浮かび上がってくる。そして、何よりも恐ろしいのは、メタとして閉じこめられた少年・ネンの物語が、ほとんどの人々にとって無関心をもって迎えられることである。この絶妙の距離の取り方によって物語は、少年の物語以上の衝撃を読者に伝えることになっている。

あっさりとした展開のなかに、思いも寄らぬコクのある味わい。ほとんどの文章が「」で囲まれる口語体に終始しており、頁の余白がやたら目立つのだが、それも計算の内かもしれない。特に主人公の少年の「語り」が絶品。どうということはない、という言葉が、余計に胸に響き、独特の迫力を醸し出している。


04/01/26
結城五郎「心室細動」(文藝春秋'98)

第15回サントリーミステリー大賞受賞作品。結城氏は内科医師で、本業の傍らで小説を執筆。本書以前に『その夏の終わりに』という作品で第2回小谷剛文学賞受賞の経歴を持つ。本書以降、医学関連を舞台にした作品を発表している。

アレルギーの研究の成果により教授昇進を控えた国立A大学の上原助教授。順風満帆にみえる彼の経歴だったが、心の奥底には二十年前に遭遇した事件が引っ掛かっている。かつて若手医師として久保木記念病院に勤務していた時分、彼は看護婦の大橋真美のミスを看過し、ペニシリン厳禁の患者にペニシリンを注射する医療事故を起こしていた。当時の直江院長、谷山婦長らと共に四人は事故を悪辣な方法で遺族からひた隠しし、直江の娘と結婚を考えていた上原も、逃げるように大学に戻って今に至っている。その看護婦・大橋は白血病に冒され、死ぬ間際に片思いを続けていた上原に会いたいと連絡があったが、上原は彼女とは会わなかった。そんな折り、十年来音信不通であった谷山婦長から連絡が入る。直江院長が心臓麻痺で急死、ただその遺品のなかにその時の事故をネタにしたと思われる脅迫状が見つかったという。しかも、直江は五千万円もの大金を脅迫犯に対して振り込んだ形跡があった。ヨーロッパの学会に出掛け、戻った上原は、続いて直江と酷似した症状で谷山婦長も死亡したことを知る。そして脅迫者は上原にも迫ってきた。彼は、自分が担当する患者のなかに私立探偵がいることを思い出し、その男・熊井に事情の一部を話して調査を依頼した。

命にかかわる職業だけに、医者・医学というテーマは重く、サスペンスは深い
硬質の文章に読み応えがあり、その文章に相応するだけに内容もハード。そのテーマは”医療過誤”。どうだろう、発表時期からすればそういった問題が徐々に公開されつつあった時期と重なっていたのではないだろうか。医者と患者というはっきりとした上下関係の問題、人の命を預かる商売としての信頼、そして密室内、記録に残らないそのミスの痕跡……。この問題にはいろいろな要素が込められている。しかし、何よりもその結果として患者の命が喪われたり、そうならなくとも重度の障害を負ったりという点が大きい。その分、当事者の良心は当然痛むだろうし、残された家族は恨みを残す。
物語は、既に刑事訴追の時効となる事件が扱われ、その状況を知った謎の脅迫者と医師との駆け引きが主眼となる。関係者が死に絶えたにもかかわらず、誰が脅迫を実行しているのか。医師自身の心理も含め、周囲の人間心理が徹底して描かれている。その結果浮かび上がるのは――結局のところ、強烈なエゴイズム。犯してしまった罪、周囲に対する心配りの欠如、自分自身の立ち位置によって変化してしまう良心。主人公と、協力者の探偵によって脅迫者が何者かを突き止めていく過程は、手掛かりの提供が恣意的であったりしてそれほどの意外性はない。その結果、最初に辿り着く真相、つまりは脅迫者の正体やその目的といった部分については、最初は御都合主義の結末にしか見えなかった。ただそこで物語が留められず、一旦明らかにされたと思われるその真相を、いくつかの伏線によってひっくり返すあたり、ミステリとしての興趣もそれなりに存在する。とはいっても結局のところ、その過程で浮かんでくる、”医療過誤”に関係した人間のさまざまな重い思いが本書における読みどころだといえるだろう。
気になるのはブラックな結末を演出するためであろうか、主人公の行動の自分勝手さが気に掛かる。当初は移入できていた感情が、中盤以降ちょっと距離を置きたくなった。

医学界を舞台にしたサスペンスとしては標準以上の出来であろう。ただ、人を心臓麻痺に見せかけて殺害するトリックそのものは専門的に過ぎていて、これが凄い発想なのかどうかを我々一般読者が判定することは不可能。いわゆるしっかり人間が描けているといった文学的部分を気にする方には向いているかもしれない。


04/01/25
典厩五郎「土壇場でハリー・ライム」(文藝春秋'87)

第5回サントリーミステリー大賞及び読者賞の受賞作品。選考委員による大賞と、公募による読者選考委員による読者賞との二つがあるこの賞において、初のダブル受賞となった作品でもある。典厩氏はこの後も着実に作品を刊行、歴史小説にもその活躍の場を拡げている。

三流夕刊紙と業界から揶揄される東都新聞社の文化部長・月田がビルから落ちた死体となって発見された。近く退職して、和歌山の文房具店を継ぐことが決まっていた月田の死は、警察によって心神耗弱による自殺と断定された。しかし月田の死体は、原色の派手なパラソルを落下傘よろしく握りしめており、左右の靴は逆、そして遺書は残されてはいなかった。月田に恩義を感じていた真木は、部長の死が自殺ではなく他殺ではないかと疑い、現場の状況から社の人間のアリバイを探ろうとするが、同僚はそんな彼を快く思わない。しかし、真木と同じく月田の死を探り回る人物がいた。政治部の一匹狼である渡会である。更に、常務の奥平に真木は呼び出され、奥平もまた月田の自殺を疑っており、調査を進めるよう命じた。真木は同僚の明日香と共に死の前の月田の行動を探り、彼が生前、急に戦時中の大スパイ事件である「ゾルゲ事件」について熱心に調査を行っていたことを知る。かつて月田や渡会、そして奥平が属していた一流新聞社・太陽新聞では「ゾルゲ事件」にまつわる怪文書が発表されそうになるという事件が発生しており、月田の死はその事件との関連性が窺えた。

今となっては少々古臭い? 勢いと実力は確かながら細かい点に不満が残る……
さきに書いておくと典厩氏は本書で本格的にミステリ界にデビュー後十年以上、現在に至るまで安定したレベルでオリジナリティ高いミステリ作品をものにしてきている。従って、本書によって典厩氏がデビューしたことは間違いではないし、その将来的な才能を見抜いた審査員の眼力は、やはり凄いものと感心する。
だが、単体で本作をみたときにはミステリ作品として「なんか勿体ない」「微妙に稚拙」という印象が強かったことは、正直事実なのだ。才能を感じさせる部分は確かにあるものの、それらを最終的に物語に生かし切れていないというか。例えば、いきなりツカミでの「なぜ男は、原色のパラソルを差し靴があべこべという奇妙な状況にて死んでいたのか」という設定は抜群。しかし、この真相は論理的ではあるもののジャンプ力に乏しく驚きがない。また、序盤から中盤にかけての素人探偵を中心とした物語展開も巧い。しかし、実際はその明かされる事実は、ごく一部が偶然に繋がっているだけで全く異なる二つの事件へと繋がってしまい、拡散してしまっている。主人公やヒロイン、その他登場人物の造型がしっかりしている。しかし、考えようによっては手堅すぎて新味に乏しい点も気になる……等々。巧さと拙さが同居しているように思えた。
ただ、本書の目玉のテーマとなる、第二次大戦直前まで日本を暗躍していたスパイ・ゾルゲ事件及び、その新しい展開と裏に隠された大国の意図といったあたりのアイデアは本気で面白い。この点には文句は全くなく、裏側にある政治ゲームなどの構想に作者の意気込みを十二分に感じさせられた。ああ、でもやっぱり物語のなかで、その部分がもっと衝撃的に浮かび上がる構成にすればいいのに……という思いもやっぱりあるかも。

軽ハードボイルドに属する作風ながら、全体的なノリは今となっては少々時代がかってしまった感がある。映画と歌謡曲等を多用した時代演出も、その道に詳しい方以外にとっては面白がれるものでもないし。ただ、このゾルゲ事件を下敷きとしたパワーゲームのアイデアだけは捨てがたい。この方面に興味がある方なら……というところか。


04/01/24
皆川博子「笑い姫」(文春文庫'00)

'95年から'96年にかけて『週刊朝日』に連載された長編作品が、朝日新聞社より'97年に刊行されたのが元版。本書はその文庫化作品で解説を岩井志麻子サマが書いている。

父親が阿蘭陀通詞で、幼い頃から天文屋敷に出入りしていた蘭之介は、オランダ語の他、フランス語や英語も習得していた。その彼は下女腹ということで役目にはつかず、今は狂月亭乱麿として、開板のあてもないままに気ままに戯作を書き散らす毎日。二階で暮らす彼の部屋に浪速奇鈴丸と名乗る軽業師が飛び込んできた。奇鈴丸は東両国で人気の玉本小ぎん一座の一人。贔屓筋から祝儀袋として手に入れた反故に書かれた物語が、小ぎんの見る夢とあまりにも似ているのでその続きが知りたいのだという。物語は、蘭之介の書いたもので、幼い頃に非道い仕打ちを受けた”笑い姫”という人物が、妖術幻術を用いて復讐に立ち上がるというもの。話も早々に蘭之介は幼なじみが、流島の刑から赦免されるという報せを受け、船着き場に向かう。彼らは、国禁を犯した父親に連座させられ流刑に処せられていたのだ。ところが蘭之介は、権勢を振るう鳥居耀蔵らの指示により渋川六蔵という武士によって、彼らとまともに会えないうちに座敷牢に監禁される羽目に。しかし、その場にいた顎に傷のある人物は、どうやら小ぎん一座にとって仇となる人物らしい。やがて、彼らは長崎へ、そして策にかかって小笠原諸島へと思いも寄らぬ旅をすることに……。

動乱と混乱の幕末、時代の光と陰。数奇な運命に翻弄される登場人物の生き様が切り取られ、語られる……
ベースとなるのは、幕末の江戸・長崎を舞台にした”痛快冒険時代劇”である点は間違いない。自分の夢を追いつつ、その才能ゆえに人々の強い干渉を受ける主人公。幼い頃の恨みを晴らすために主人公に同道しながら、いつしか彼に惹かれていく軽業師のヒロイン。また彼女に感化され、目的を一にする一座の面々。流刑の経験から、権力に取り入る道を選ぶ男、幕府の犬にして剣の達人……。さまざまな登場人物を絡めながらも、盛り上げるところは盛り上げ、涙と笑いがあり、そして人と人とを思いもかけぬかたちで交わらせ、運命というものを感じさせる。筋書きは波瀾万丈、それでいて現実の歴史との符合はぴちりと羽目合わせてあるという妙技が、この作品全体のなかで凝らされている。主人公・蘭之介が描き、作中に時折挿入される伝奇物語は、物語と完全な二重写しとまではいかないながら、どこかプリズムで反射させたかのような全体の煌めきを作品にもたらす。
だが、作者である皆川博子は単なる時代劇にこの作品を留めない。現代読者には過ぎたるほどの適切な描写、日本語を駆使することによって初めて生まれる独特の雰囲気はこれまで積み重ねてきた実績と同じくするものにして、登場人物の感覚を一ひねり二ひねりしている点が小憎いばかり。皆川博子の生み出す独自の感覚によって描写される彼らの感性が、物語全体に独自のトーンを投げかける。他に比べるものは何もない。ひとりひとりの絶望があり、ひとりひとりの希望がある。それらは決して混じり合わず、そうなったとしても永遠ではないし幸福でもない。人間を単純に記号化することなどできないこと、こんな当たり前のことをしみじみと感じさせられる。

単純にストーリーを追うだけで面白いことは大切な事実。先が全く読めないし、場面の変化も大きくダイナミック。物語文学が持つ凄まじい力がぎっしりみっちり作品に込められている。いろいろな意味において時代のアウトサイダーを登場させ、様々な制約を登場人物に課し、だからこその「人の生」をじっくり表現する。先にも書いたが、何かと比べて評価するということすら峻拒する作品である。皆川博子で一ジャンルを築いている以上に、作品一つ一つがもう独立した世界なのだ。読んでみてとしかいえないし、中途半端な気持ちで読んで欲しくないとも思う。なんというか、とにかくもう、凄いのです。


04/01/23
福澤徹三「真夜中の金魚」(集英社'03)

'00年にブロンズ新社より刊行された恐怖小説集『幻日』でデビューした福澤氏は、いわゆる日常系に近い怪奇小説や、実話怪談集『怪を訊く日々』などホラー小説界において着々とその成果を積み上げてきた。本書はその福澤氏が、初めて放つ一般読者向け(?)の長編小説。書き下ろし。

高校を出て親と喧嘩して上京したおれは十九の時にある事情で地元である北九州に戻ってきていた。勘当されていたため実家に戻れず、僅かなタネ銭でパチンコを打ち、サウナに寝泊まりしていたが、安いキャバクラ嬢のヒモになり、スナック「ギルビー」に勤め始めた。結局彼女の家を飛び出し、ビジネスホテルをねぐらにしていたが、二十五歳の今は本来は厳禁である店の女の子の一人、明日香と同棲している。昼間は”打ち子”としてパチンコで小銭を稼ぎ、夜はバーテンとして働く毎日。最近気になるのは、明日香目当てに通ってきている岩丸という人物である。店のオーナーの意向で掛け売りの回収のため、岩丸に電話したおれだったが、彼はつかまらない。逆に電話したかどで呼び出され、殴られる。やはり彼はヤクザであった。プライドをずたずたにされ岩丸に飲みにまで連れて行かれるハメに陥る。パチンコ店のオーナーが逃げ出したり、元上司に屋台のTシャツ販売を手伝わされたりといった日常のなか、偶然店に来たのが浅倉だった。彼はおれが上京していた時期に知り合った親友と呼べる人物。今は堅気の営業マンで九州には出張できたのだと彼はいい、おれは浅倉を呑みに連れ出す。

実話ベースのエピソードとフィクションならではの物語が醸し出す、一つの青春ストーリー
本書の帯には”ピカレスク・ロマン”と銘打ってあり、挟まれていた新刊案内には”ほろ苦い青春小説”とある。恐らく、それだけ本書を読んだ人の印象が分かれるということなのだろう。どっちやねん! と読む前は思ったけれど、確かにどちらともいえる物語であった。確かにヤクザとの立ち回りが物語上の重要な位置づけを占めているといえるし、主人公自身そういった水商売やギャンブルを中心とした裏社会での生き延びていくために知恵を絞り、行動している。とはいっても主人公は決して悪党ではないし、そういった世界で暮らしているだけの若者であるといった以上のものではない。
ひとことでいえば、水商売で暮らす若者のどこにでもある物語なのである。なのだが、これが奇妙な実感を伴って、目の前に浮かび上がる
その理由の一つは、物語の大筋とは無縁に挿入される数多くのエピソードにあるだろう。表からなかなか見えない裏社会(水商売、競馬、パチンコ、屋台etc……)におけるルールであるとか、実際の内幕であるとかが淡淡と描かれる。その一つ一つが興味深いし、単純な面白さがある。また、成功したもの、力を持つものが大きい顔をし、失敗したもの、裏切りが露見したものは姿を消していくあたりの現実もまざまざと描かれる。それでいて、暴力が絡むようなエピソードですら、一つ一つにどこか優しさみたいなものがある。人間が生きていくためには冷酷だけな仕組みでは回らない。義理があり人情だってある。もしかすると表社会のビジネスマンたちの方が、冷酷さという意味では遙かに上を行っているのかもしれないと思わせるくらい。
そういった世界のなか、時に器用に時に不器用に生きる主人公の姿に、いつしか共感を覚える自分がある。恐らく、そのあたりが本書を青春小説と表現したくなる理由なのであろう。
これまでの福澤作品で用いられてきたエピソードがかたちを変えて再登場している部分もあり、多少既視感めいたところもあるにはあったが、だからといって否定的評価に繋げるべき事柄ではない。寧ろ、これまでの断片的エピソードがじっくり読める分、充実感を覚えよう。個人的には折角舞台が「北九州」なのであるのだから、もっと泥臭く地名を挙げたり、地元ならではの風物を織り込んだりして欲しかった。(私自身、育った街なので思い入れが……)

どこが凄いのか具体的に挙げられないながら良い小説であることは間違いない一冊。 表現は適切ではないことを承知でいえば、日本というピラミッド社会の底辺近くの青春なのだ。だがそこに無理に強烈な上昇志向や、捨て鉢で荒んだ感覚はない。モラトリアムのなかでの暖かみ、そして、泥臭い社会ならではの爽やかさとが封じ込められているがために、この作品の輝きは、恐らく今後も擦り切れることはない。少なくとも文芸系の読者には手にとって欲しいなあ。


04/01/22
瀬名秀明「パラサイト・イヴ」(角川ホラー文庫'96)

何を今さらという気もしたが、何となく再読。'95年に第2回日本ホラー小説大賞の大賞を獲得した作品で、その後のホラー小説ブームの原点といっても過言ではないだろう。'97年に映画化。瀬名氏は第二長編である『BRAIN VALLEY』にて第19回日本SF大賞を受賞。デビューこそホラーであったが、その後はSF系の作家としての地歩を築いている。

生化学者・永島利明はミトコンドリアを研究する新進気鋭の人物。彼は一本の電話により最愛の妻・聖美が交通事故に遭ったことを知らされ、病院に駆け付ける。彼女は悲嘆に暮れる周囲をよそに脳死判定され、当初から彼女が希望していた生体腎移植のため膀胱は移植されることになった。利明は、彼女の死を受け入れることができず、旧友に頼み込んで、聖美の肝細胞を手に入れ”Eve”と名付けて、自らの手で培養を開始する。秘密裡に行っていたその実験は特異な成果が顕著になってきてしまい、利明は助手の浅倉と共に学会にこの細胞を発表することにした。一方、かつて父親の腎移植を受けながら失敗に終わった経験のある中学生・安斉麻里子は移植コーディネーターからの電話にて動揺するが、父親の重徳によって二度目の手術が決定させられる。彼女自身は過去のイジメから二度と移植を受けまいと思っていたのだが……。移植医の吉住の手によって手術は無事に成功するが、麻里子はその晩から謎の悪夢に悩まされるようになる。

徹底した学術的リアリズムとその発想。そして時に変化する文章によるリズム。国産理系ホラーの基準
最初に読んだのは受賞してすぐのハードカバー版であったので、この文庫版(ハードカバー版でも重刷の後の方にはあるらしいが)において、作品にかなりの加筆訂正が加えられていることを初めて知った次第。ただ、物語の内容や筋書きが変化したのではなく、文章中に使用されている医学・理学・科学・薬学の用語や、そのベースとなる理論についてが変更されているのだという。しかも'94年に執筆された本作を後の学説で補強したのではなく、その発表段階で誤っていたという部分を訂正している。つまり、徹底的に学術的なリアリズムを補強したということなのである。こういった創作に対する姿勢は、実際に研究者でもあった瀬名氏の素性とは無縁ではないだろうが、ハードSF系列にみられる技術に対するこだわりといったものを感じさせる。実際、再読してみて学術的な事柄が記憶以上に硬めに描かれているという印象を持った。
もう一つ驚いたのは、物語としての筋書きそのものがシンプルである点。結構なボリュームであるにもかかわらず、登場人物も限られているし、本筋以外のエピソードは少ない。なぜにこうなっているかをみると、登場人物ひとりひとりの持つ過去であるとかプロフィールであるとかがしっかり書き込まれていることにある。学術的な意味合いとは違うのだが、ここにもまたリアリズムを重視する瀬名氏の姿勢が見えるようにも思う。ただ――、敢えて書くと文章的には拙い印象は残る。特にクライマックス以外の平板な部分の文章は硬さが強く、表情に乏しい。しかしクライマックスになると、その文章が奇妙な変化を遂げ、異様な迫力をもって読者に迫る。個人的には、イヴが水道から出てくるシーンが気に入っている。視覚と聴覚が文章上に入り交じり、映像感覚でもって情景が頭に浮かんでくる。ぴたん、ぴたん。
本書の齎す恐怖というのは、筋書きの妙、発想の妙もさることながら最終的に、読者の一人一人も自分自身にも、もしかしたらそれが当てはまるんじゃないか、と思わせるところにある。後を引くものではないのだが、様々な”巧さ”が心に残る作品だと思う。

有名かつ売れた作品なので、映画を観ただけで原作の方を実際に手にとっていないという方も多いのではないかと思われる。ただ、やはり活字は活字ならではの情報というものがあり、特に本書の場合は映像作品との差異が大きい。作家・瀬名秀明の真面目に過ぎる創作姿勢を改めて感じ取っておくことも損ではない。


04/01/21
山田風太郎「忍法関ヶ原」(文春文庫'89)

もともとオリジナルが'70年に刊行されたポケット文春版。ただ個々の作品は全て角川文庫他にも収録されているもので、一つ一つは再読となる。また'99年に講談社文庫より〈山田風太郎忍法帖〉の14巻として同題の短編集が刊行されているが、当然内容は異なる。また本書収録の『忍法甲州路』は、講談社大衆文学館で刊行された短編集の表題にもなっている。(斯様に風太郎短編集は難しい)。

石田三成が近江の国友村は独自の鉄砲鍛冶が盛んに行われていた。この地に目を付けた家康は彼らを籠絡すべく十人の忍者を送り込む。しかし三成もこの地を守るために十人の伊賀忍者を送りこんでいた。 『忍法関ヶ原』
キリスト教の信仰が盛んな長崎。家康は服部半蔵と男女二人の忍者・斑鳩と鶯を送り込んだ。信仰の中心を成すのは八人の熱心な信者。彼らを殉教させることなしに転ばせることを二人は命ぜられる。 『忍法天草灘』
麻耶藩江戸家老・石来監物は耄碌した藩主の妾の妹を跡継ぎに娶らせようとした。跡継ぎは心に決めた女性がいたためそれを拒否。石来は手練れの浪人を藩に向かわせたが、眠りの忍法を使う三人によって防がれた。 『忍法甲州路』
江戸の刑場である小塚ッ原の首切り役・鉈打天兵衛は必ず一太刀で罪人の首を切り落とす妙技を持っていた。彼の腕前に惚れ弟子入りした若者・兵馬は、天兵衛の念願、が一旦離れた首と胴を繋げる実験を手伝うことになる。 『忍法小塚ッ原』以上、四中編。

中編といえど怒濤の盛り上がり。それだからこそラストの皮肉がナンセンスかつ超強烈に響く
本書、特に解説もなくどのようなセレクトでもともと編集されたのかがそもそも不明。(初出は週刊宝石だとかオール讀物だとかで不揃いだし……)ただ、強いていえば'68年から'69年の忍法帖全盛期に発表された作品であるという点あたりが共通するかもしれない。そんななか、唯一特徴ともいえそうなのが、収録作品が全て中編(短めの)ないし長めの短編といえる分量である点だといえるかもしれない。
もともと風太郎は不思議な作家で、短編であっても長編同様にかなりの人数の忍者を作品内に登場させることが多い。それでいてごちゃごちゃせずに全ての登場人物が書き分けられており、リーダビリティが損なわれていないのは、さすがとしかいいようがない。彼らが繰り広げる複数の戦いが基本となるが、この説得力があるような無いようなという絶妙の忍法群はやはり最大の魅力といって良いだろう。(本人に言わせると全てナンセンスとのことだが)それぞれの戦いが単純ではなく、わざわざ制約が設けられ一ひねりがある。本書の場合も、忍者はいいように国友村の実力者のいいなりになったり、キリスト教信者を堕落させることが目的であったり、眠りに関する技と技で対決したり、首と胴を繋がる忍法によって人体実験を行ったりとバラエティがさまざま。そして、そのひねりを更に昇華させたかたちでもって、強烈なラストに結びつける。考えてみれば、風太郎の忍法帖に登場する(忍法帖に限らないが)キャラクタは常に使い捨て。内容こそ明かせないものの、だからこれだけ皮肉なラストを生成できるのだろう

忍法帖の短編は今年まとめられる予定があるという。どのようなかたちであっても風太郎未経験者は一度でいいから、騙されたと思って、どんなかたちでもいいから目を通して欲しい。風太郎の魅力を出来る限り後世に伝えるのは、我々の世代の義務でもある。