MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/02/10
横溝正史「八つ墓村」(角川文庫'71)

いわずと知れた横溝正史の代表作品の一つ。角川文庫の大ベストセラーであり、初版刊行が'71年。その後'96年までにに第68版を数え、本書は新刊書店で購入した〈金田一耕助ファイル〉の1にあたるものだが、'03年の改訂14版である。改訂版については角川文庫編集部で人権的に問題ある表現を一部訂正したというもので、内容的にイメージが変化しているかどうかを個人的に少し確認したくなったので手に取ったもの。久方ぶりの再読である。

戦国時代、三千両の黄金を携えた八人の落ち武者が現在の岡山県のある村に落ち延びてきた。当初は溶け込んで暮らしていた彼らを、詮議が厳しくなるにつれ村人は策を弄して、彼らを襲う。恨みの言葉を残して死んだ彼らを尻目に、村人は時の権力者からの恩賞を入手。しかし三千両の黄金は必死の捜索にかかわらず発見されることはなかった。その直後から村では不気味な事件が続発。祟りであると落ち武者を墓を建てて手厚く祀り、以降「八つ墓村」とこの村は呼ばれることになる。そして大正時代。村の分限者で落ち武者惨殺の首謀者一族の末裔、田治見要蔵が、手込めにしていた愛人が逃げ出したことから狂乱。三十二人もの村人を殺害した挙げ句に行方不明となった。それから二十数年、第二次対戦終了直後。母一人に育てられ、神戸で会社員となっていた青年・寺田辰弥のもとを諏訪と名乗る弁護士が訪ねてくる。彼は、実は岡山県の旧家の隠し子であり、一族の人々が身体が弱いことから跡継ぎとして迎えたいとのことだった。しかし同時に、彼が狂疾の血を抱えた要蔵の息子であることが知らされる。更に彼は「八つ墓村には帰ってきてはならぬ」という不気味な文面の手紙を受け取った。その直後、彼を迎えに八つ墓村から出てきた母方の祖父が彼の目の前で毒殺されるという事件に巻き込まれた。しかし、それはまだ惨劇の第一幕に過ぎなかった……。

狂気のミッシングリンクにして探偵小説的冒険活劇の要素が深い。そして、金田一耕介のある特徴が……
小説そのものを読むのは久しぶりとはいえ、三、四度目、その間に本書を原作としたドラマや映画を視聴していたこともあってストーリーそのものはほとんど頭のなかに入り込んでいた通り。なので求めているのは驚きというよりも発見であり伏線の妙……、のつもりだったが、なんかいろいろなところが目についてしまった。
まずは雰囲気作りの巧みさ。これに関しては文句なしに巧い。岡山の八つ墓村の起源という土地の場。戦国時代の伝説を軸に、津山三十人殺しを踏まえたと思われる三十二人殺しという二重の歴史。この部分は常に映像化された際のキモでもあるので、幼少時にトラウマとなっている方も多いのではないだろうか。ここに加えて、一族の「血」が織りなす人間模様を加える。主人公の恐怖、周囲の人々の無力と懼れ。そして、屋敷の離れがそのまま鍾乳洞の入り口となるという場所の美。蝋燭の光に照らされる鍾乳洞という雰囲気は、恐怖小説、幻想小説のそれと同時に、少年冒険小説としても定番の場所といえるのではないだろうか。
こういった背景を踏まえて発生する事件。ミッシングリンクテーマとしては、それなりに今でも通用するのではないかと思われる。当初は無差別殺人とも見られた事件が、村を構成している分子を重ね合わせることによって見えてくる新たな軸。同じ役割を果たす二人のうち一人が殺されるという恐怖感の盛り上げ方も優れている。もちろん、その更に裏にはもう一つの真実があるのであるが、犯人が分かっていてもこちらまで見通すことはかなり困難だろう。このテーマを創造してしまう横溝の構想力はやはり素直に凄いと思われる。
そして展開。特に主人公が村にとって余所者、さらに事件の容疑者となることによって、鍾乳洞を中心とした冒険が強いられる。こういった場面を作ることにより、動、静両方のテンションに配慮している。特に終盤の村人と主人公との息詰まる攻防などは一流のパニック小説を読んでいるが如し。

そういった素晴らしいポイントを列挙するにやっぱり「売れた作品」なのだなあ、と思うのではあるが、物語における瑕疵、そしてずっと金田一耕助に付いて回る悪名は、この作品がそもそものきっかけになっているのではないかと思うのだ。即ち、金田一耕助が名探偵として機能していないこと。探偵として事件のほぼ最初からずっと村に滞在しておきながら、出るべき犠牲者をきっちり最後の一人まで死なせてしまう。事件の絵解きは最後にするものの、全てが終了してしまった後だけに何か物足りない。犯人が分かっていたのなら、一人くらい救えよ、とツッコミを入れてたくなるのは致し方ないと思う。

題名が一人歩きしていて、横溝正史の代表作品として挙げられる作品ではあるが『本陣殺人事件』や『獄門島』といったあたりと比べると、広義のミステリとしてはとにかく、本格ミステリとしては一歩譲る出来である。「横溝正史作品を一冊読んでみようかな」と考えておられる初心者の方には、本書よりもやはり前述二冊あたりから入って欲しいように思う。もちろん、読み進める過程のなかで押さえて欲しい作品ではあるけれど。


04/02/09
高嶋哲夫「イントゥルーダー」(文春文庫'02)

'99年、第16回サントリーミステリー大賞の大賞及び読者賞のダブル受賞作品。本書から実は四年連続でサンミス大賞は「親子の物語」が受賞し続けることになるのであるが、その端緒となった。高嶋氏は本書以降旺盛に執筆を重ねており、原発や国際情勢を下敷きにしたスケールの大きい作品を数多く発表し続けている。

日本を代表するコンピューターメーカー・東洋電子工業を親友の大森と二人で造り上げてきた副社長兼研究開発部長である羽嶋浩司。会社の命運を賭けたスーパーコンピューターの発表を前にしたある時、妻と一人娘と暮らす彼のもとに、二十五年前に別れて音信不通となっていたかつての恋人・松永奈津子から突然の電話が入る。「あなたの息子が重体です」。羽嶋自身、自分に息子がいることなど全く知らなかった。病院に駆け付けた彼の前には交通事故によって意識不明の重体となっている青年がいた。松永慎司。新進コンピューターソフトメーカー・ユニックスで才能を発揮していたという慎司。だが、病院には警察がやって来た。事故当時の慎司の遺留品から覚醒剤が発見されたのだという。覚醒剤の売人を行っていたのではと疑う警察に対し、浩司は噛みつく。慎司の部屋を訪れた浩司のもとに理英子という、慎司の恋人を名乗る女性が現れる。息子のことを知りたい、そして彼に何があったのかを突き止めたいという衝動に浩司は動かされ、慎司の周囲に対して聞き込みを続けた結果、慎司は休みを取って日本海の日の出町に行っていたのではないか、ということが分かる。日の出町は、新設原子力発電所の建設に揺れる町だった。

喪われた息子の過去を父親が探る物語なのに、色調はどこか謀略小説に近い。
小説が巧いというよりも、題材を取り入れることが巧いという印象。本書は自分自身が全く知らなかった息子の姿を追う男の話であると同時に、スーパーコンピューターを開発する物語でもあり、建設中の原子力発電所の秘密を探る物語でもあり、暗躍する謎の組織と闘う話でもあり、ハイテク犯罪の話でもあり、突然現れた侵入者によって平穏を乱される男の話であり、自分自身に対する裏切りを告発する男の話でもある。とにかく、細かく様々な”要素”が大量に一つの長編に取り入れられており、一応それらがきっちり消化されて一つの物語を成している。特に、同僚の話、母親の話、警察の話、現れている事実とそれぞれによって矛盾するような息子の真実の姿を追って、ぼろぼろになりながら走り回る父親の姿という中盤部までの展開は興味に満ちている。
読者として、どこに興味の焦点を当てるか――によって、物語の評価が変化する作品なのではないかと思う。それくらいにポイントが多い作品である、ということもいえる。例えば、父親による息子の真実の姿探し、という点だけに焦点を絞れば、これほど感動的な物語もないであろう。残された人々のコメントによって浮かび上がる、様々に矛盾した姿を呈していた息子の本当の姿が浮かび上がった時に得られる喜びは、それは嬉しいものではないかと思う。一方で、息子の死をきっかけに巨悪と立ち向かう中年男の話としても読むことができる。その場合、は主人公の社会的な位置づけであるとか、危険予知皆無の行動であるとか、バランスの悪い性格であるとかが気になり、終盤にどたばたとしてしまってしまい、典型的パターンに落ち込んでしまう点でマイナスとなっている点は否定できない。さらに別の角度から、息子や巨悪の一連の事件をきっかけに、中年男が自分自身を立ち位置を取り戻す話として読むならば、中途の半端な揺れ具合と最終的な決断と実行について共感できる。ただ、そこに至るまでの道筋が長く、読んでいてちょっと辛い。いずれにせよ、終盤で全てをまとめるために少々どたばたしてしまい、物語がよく言えば躍動、悪くいえば落ち着きを無くしてしまっている。規定枚数のなかでこれだけ拡げた風呂敷を畳もうとする以上、ある程度は致し方ないとはいえるのだが。
ちなみに題名の「イントゥルーダー」は侵入者の意。カタカナ書きのこの言葉から想起されていたのは、個人的には実は米国の攻撃機だったりするが、この題名、ちょっと勿体ないというか何だなと思う。一応意味は作中に説明されているものの、正直「?」。こんな受け取り方するのかね、と正直少々白けた。読む前に内容が想像できないことはもちろん、読み終わってからも今ひとつこの点については納得できないように思う。

細かな小さな点での引っかかりはいくつかあるものの、全体としてこれだけの題材を織り込んで、一本のストーリーとしてまとめあげていること自体は素直に評価できる。大賞&読者賞受賞についても全く異論はない。惜しむらくは、ネタ過剰ともいえるこのサービス精神を、うまく整理できていれば、万人を唸らせる作品になっていたのではないかと思うのだ。


04/02/08
垣根涼介「午前三時のルースター」(文春文庫'03)

'00年、第17回サントリーミステリー大賞の大賞及び読者賞のダブル受賞作品。垣根氏はこの後も『ヒート・アイランド』等、着々と作品を発表、'03年、サントリーミステリー大賞を垣根氏の一年後に受賞した笹本稜平氏と同時受賞のかたちで『ワイルド・ソウル』が第6回大藪春彦賞を獲得した。『ワイルド・ソウル』は垣根氏の作品では初めて「このミス」のベストテン入り。

旅行代理店に勤務する長瀬は、得意先の宝飾品大手の社長より奇妙な依頼を受ける。社長の娘婿がかつて工場建設のためにヴェトナム出張中に失踪。恐らく死亡したものと思われているのだが、有名進学高校への合格祝いに孫の慎一郎がどうしてもそのヴェトナムに行きたいのだという。長瀬は申し入れを承諾、慎一郎と会うが聡明な少年であった。彼はあるテレビ番組のヴェトナム特集の番組で、市場で働いている父の姿が放映されているのを実は目撃しているのだと長瀬に打ち明ける。父は生きているのか? 長瀬は高校時代からの友人・源内に頼みテレビ局の人間とコンタクト。撮影時にスタッフはそのフィルムのために危険な目に遭ったという。少年の父親は、何やら事情から危険な組織に属しているのではないかと思われたが、結局長瀬は少年と、少年の境遇に心底共感している源内と三人でヴェトナムへと旅立つ。ところが、先に予定していたスケジュールは何者かに勝手に解約されており、いきなり彼らは窮地に立つ。まずは足を確保すべく長瀬は、改造車をタクシーとして走らせているヴェトナム人青年・ビエンに目を付け、交渉を開始した。

凸凹チームの異国の冒険譚。出来すぎストーリーながら、浮き上がる真実が胸を打つ……
恐らく、これが原稿枚数に制限のある応募用の作品でなければ、物語はもっと膨らんでいたに違いない。だが、不要部分が徹底的に削り取られることによって逆にジェットコースター的冒険小説として別の意味での面白さを際立たせている。物語は背景が語られる日本でのパート、そして盛り上がりをみせるヴェトナムでのパート、そして物語を締めくくる帰国してからのパートと、主に三つに区分される。最初の日本を舞台にした部分は、説明に過ぎないはずなのだが、さりげなく巧い。登場する主要人物の個性をさりげなく、そしてしっかりと書き分け、主人公の長瀬にしろ、親友の源内にしろ、少年・慎一郎にしろ、(本人は登場していないのに)父親までもが、どんな人物なのかがありありと浮かび上がる。更にヴェトナム編の冒頭に運転手・ビエンと、更にはガイド役として白羽の矢が立つメイという女性とが登場。それぞれ一長一短ある彼らのチームが結成される。彼らの国籍の違い、文化の違い、年齢の違いを超えた友情がまず心地よい。数々訪れる危難を、機転で回避し、逆襲を図るチームワークも読んでいて心地よい。
確かに、ヴェトナムの、ヴェトナムらしい描写については現地を知る人にとっては物足りないといった不満が残るかもしれない。だが、最低限の異国の雰囲気は醸し出されているし、その旅情を主眼とした作品ではないだけに、そこを問題視することはないだろう。その異国ならではのはちゃめちゃにも見える冒険譚を素直にまず愉しむのが正しい。その冒険を冒険として読ませる部分の面白さゆえに、脇に寄っていた少年の目的――父親との再会――のシーン。ここがあざとい。そのあざとさ故にベタな感動を覚えた。冒険を通じての少年の成長、そして決断。彼の涙を通じて、こちらも表現できないような感動を味わわされる
いわゆる「人捜し」ものにして、異国冒険譚にして、父親と息子の物語。これだけ書くと「目新しさがなく陳腐」でしかないないようにも思えるのだが、その「陳腐」を意識しているが故に、それを乗り越えた新しい物語が出来上がっている感。これもまた、根本的に物語作りのセンスが良いからできる技であろう。

冒険小説のツボ、ハードボイルドのツボ、物語作りのツボ。メカやマシンに独特のこだわりを見せ、男の格好良さを手堅く描き、享楽の世界を描きつつも登場人物にストイックを強いる。この作品からチャンドラーを感じるのは飛躍がありすぎるかもしれないが、根本世界観が固まっているがゆえのエンターテインメントであり、その根本世界観が、古典的ハードボイルドのそれと近いように思えてならない。発表当時に読み逃していたことをちょっと悔いている。静かな感動の余韻に浸ることが出来る作品で、冒険小説ファンには素直にお勧め。


04/02/07
笹本稜平「時の渚」(文藝春秋'01)

第18回サントリーミステリー大賞の大賞及び読者賞のダブル受賞作品。笹本氏はこの後も着実に著作を重ねており、'03年、同賞出身の垣根涼介氏と共に『太平洋の薔薇』にて第6回大藪春彦賞を獲得した。

元刑事の私立探偵・茜沢は八王子のホスピスで松浦という老人からの依頼を受けた。三十五年前、極道だった老人は妻とのあいだに赤ん坊を授かったものの、妻は具合を悪くし死亡。思わず医師を半殺しにして、赤ん坊を抱いて飛び出してしまう。その赤ん坊は行きずりの居酒屋をやっているという女性に預けられたが、その後の一切の消息は分からない。だが、事業を興して成功した現在、どうしてもその息子に会いたいのだという。松浦を紹介してくれたのは、捜査一課の先輩・真田。茜沢は、三年前に会社経営者夫妻が刺殺されるという事件が発生、犯人と思われる息子が運転する逃走車に茜沢の妻と息子は撥ねられて死亡していた。その時に最後まで茜沢のことを気に掛けてくれたのが真田であった。その真田から、三年前に発生した事件と繋がるかもしれない事件が発生したのだという。援助交際の女性を殺害した事件で残されていたDNAが、前の事件のものと一致したのだ。その息子は今は、当時の遺産を元手に芸能プロダクションの社長となっているという。一方、茜沢は老人の依頼を聞き届けるべく、僅かな手掛かりをもとに聞き込みを開始した。

ごくごく地味な依頼人探しの物語なのに、結構じっくり、そして何故か読まされる作品
どうだろう、正直なところをいえば、純粋に”ミステリ”として読んだ時の謎がほつれていく快感は、この作品からはあまり得ることができなかった。その理由は、かなり人間関係や血の因縁といった部分に重きを置きすぎているがため、特に後半部分に御都合主義的展開(フィクションなのでそれだけが悪いわけではない)の印象が強くなりすぎているためだと思われる。確かに、老人の依頼である三十五年前の子供の話と、主人公が追う事件の犯人の話は、恐らくこう繋がるだろうな、という読者の予断はきっちりと裏切られる。しかしそこにさえ作者のあざとさが感じられてしまうのは、単に私がスレた嫌な読者に成り下がっているからか。だからといって本書が魅力のない作品かというとそういうことはない。逆にじっくり読まされてしまたというのが正直なところ。
なぜかというに、重厚かつ徹底的な背景設定や描写によって一人一人の人間像を紡ぎ上げていく筆力が素晴らしいということにあるだろう。確かに、新人離れしたただならぬものを感じた。その結果、手垢の付いた擦り切れた物語であるのに、するすると作品世界に取り込まれてしまうのだ。
妻と子を事故で亡くした元刑事の探偵。彼を庇い昔の事件を追うがために圧力を掛けられ左遷させられる上司。あまり物言わないながら心で繋がった主人公の父親。元極道の過去を持ち、自らが明日をも知れない命でありながら人を気遣うことの出来る老人。主人公に恩義を感じる元覚醒剤中毒者のコンピューターの達人。彼らが交わす言葉の一つ一つが重く、追い求める女性の姿は切なく、行動は無為ともいえる。だが、そこに人の息づかいがあり、血の通った肉体があるような錯覚を覚える。さらに彼らの脇を支える通りすがりの登場人物が「いい人」なのだ。殺伐とした事件を追う主人公たちが、そんな「いい人」たちに支えられている、という構図が良い。さまざまな手段が用いられる人捜しもそれなりに面白いのだが、やはり人間が突っ込んで描かれている点が、この作品の最大のポイントだといえるだろう。

この近辺のサントリーミステリー大賞の特に大賞受賞作品の基準は、作家としてしっかりしていること、という点も重要な要素になっているように感じられる。事実、笹本氏も本書以降に着実にその成果を見せている作家だといえる。ただ、受賞作品の後に、きっちりブレイクするであろうという予感は、本作からでも十二分に感じられるのだ。


04/02/06
由良三郎「運命交響曲殺人事件」(文藝春秋'84)

第2回サントリーミステリー大賞の大賞受賞作品。投稿時は『運命交響曲』という題名だったが、改題された。由良氏は本書が小説デビュー作品となったが、以降、本書同様の音楽や、本職である医学分野の知識を活かした本格ミステリを数多く著している。また、先日第20回を迎えて終了したサントリーミステリー大賞の歴史のなかで、題名に「殺人事件」を冠したのは、本書ただ一冊である点も、細かいことながら特筆できよう。時代の変化みたいなものを感じる。

長野県の南見市で新設された市民福祉会館のこけら落としは、地元南見交響楽団がベートーベンの第五ほかを演奏するのに、当時国内で最高峰と呼ばれるN響常任指揮者である小倉朝一郎が来てタクトを振るという、常識では考えられなかった公演が実現することとなった。洋楽ファンながら日頃忙しいこともあってなかなかコンサートに来られなかった県警の捜査一課長の白河も以前より計画して非番を取り、座席に座っていた。しかし、演奏が開始された直後、指揮者の小倉が乗っていた指揮台が突如爆発。小倉は死亡し、演奏者数名が死傷する大事件が発生した。直ちに捜査が開始されたものの、爆発物を搬入することは不可能に近く、リモートコントロールと思われた起爆方法も不明。更に、小倉に恨みを持つと思われる者たちにも次々とアリバイが判明した。全く捜査の手掛かりがなく、事件は迷宮入りかと思われたが、放送のために撮影されていた会場のビデオテープから、白河の甥である結城鉄平が思わぬことに気付き、捜査は急展開を見せ始めた。

物理トリックと心理トリックの饗宴。味わい深いストレートな本格謎解きが渋い
この段階で、まだ2回目に過ぎないサントリーミステリー大賞だが、後のいくつかの作品を読んだあと本作を読むと、どこか作風のギャップに異質なものを感じる。適当な言い方ではないかもしれないが、サンミスというよりも、鮎川哲也賞(この当時は鮎哲賞自体がまだなかったけれど)といった趣を持っているというイメージ。つまり、非常に本格謎解き指向が強い作品なのである。
特に、冒頭の指揮台爆発というインパクトが凄い。とはいっても、爆殺という方法自体が凄いのではなく、調べれば調べるほどにその実行方法が分からないという作者の周到な設定に凄さがあるのだ。もちろん、本事件には、あるトリックが仕掛けられているのであるが、それがまた、物語の背景であるとか、舞台であるとかに実にマッチしており、真相が明らかにされた時には感心させられた。(「うわあ」という驚きよりも「ほお」という感心ではあるのだが)。また、その物理トリックだけに寄りかかるのではなく、人間関係であるとか、またアリバイのトリックであるとかで、二重、三重に真相に覆いを被せている点もポイント。作者が気合いを入れたと思しき動機の部分はちょっと古臭い感じがしないでもないが、事件を謎のベールで覆う手腕は非凡なものがある。それに謎作りの方だけでなく、心理面から真相に迫る白河と、物理面から真相に迫る鉄平の、叔父甥のコンビによるタイプの異なる”探偵たち”の共演によって、難解な事件がその両極面から掘り下げられていく様も楽しい。これもまた物語のうえでの小さな協奏曲といえるのではないだろうか。そして、それでいて現実を無視した謎解き先行型の作品かというと、また決してそんなことはない。犯人の情念や捜査にかける人々の想いなど、物語の周辺にもしっかりしたものが存在している点も忘れてはならないだろう。

由良作品を読むのはこれが二作目にしか過ぎないが、トリックにこだわる真面目な姿勢に好感。今後ももう少し読み拡げていきたくなった。洋楽をミステリに絡めるという趣味が、どこか鮎川哲也氏に通ずるところも小生の好感の一因かもしれない。


04/02/05
中野順一「セカンド・サイト」(文藝春秋'03)

第20回サントリーミステリー大賞の大賞受賞作品。この第20回をもって、二十年の長きにわたって開催されてきたサンミス大賞も幕を下ろすことになった。従って本書が最後の大賞受賞作ということになる。中野氏は本書がデビュー作品。

新宿のキャバクラ〈クラレンス〉のチーフ、タクトは店に新しいキャストとして入ってきた花梨が何となく気になっていた。だが、最近、店のナンバーワンになったエリカから店が退けた後、会って欲しいと頼まれる。近辺で、キャバクラ女性を狙った謎の通り魔事件が勃発しており、エリカもまたかつては店の客だった大倉にストーカーとしてつきまとわれて困っているのだという。タクトが過去に店内恋愛をしていたクルミのストーカーをボコボコにして、事件を終結させたことを知り、助けて欲しいと頼まれる。必要経費と引き替えにタクトは頼みを引き受ける。友人のコウジやアキラと共に大倉の素性を調べたところ、中国系の怪しい貿易会社勤務であることが判明、かなりヤバイ背景を持った相手であることが分かった。そんななか、花梨の言動が、未来を予告していることに気付いたタクトは花梨に接近する。そしてストーカーの大倉を撃退したタクトたちであったが、エリカは何者かによって殺害されてしまった。事件の背景にあるのはクスリ? タクトは危険な領域に足を踏み入れてしまう……。

二十一世紀のキャバクラ・青春小説。軽めのストーリーが魅力
全く出入りしたことがないとはいわないものの、嵌ったこともないのでこれがキャバクラの実態なのかどうかについては何ともいえない。だが、キャバクラの男性従業員という設定を活かして描かれる、水商売の舞台裏というあたりのエピソードの積み重ねによる題材の面白さがまず目に付くのは事実。欲望と打算、金といった生々しい部分、客が求めるものとキャストが求めるもののギャップ、店の経営の仕組み等々、本来は表に出てこない部分が実にリアルに描かれており、その部分だけでも結構読ませるものがある。それに加えて、キャスト(いわゆる接客担当の女性従業員)にしても、裏方である男性たちにしても、主人公の友人たちにしても、皆二十代前半であり、そういったビジネスのなかで鍛えられて擦れているにしてもどこか瑞々しさみたいなものがあり、彼らの持つ底知れないパワーが物語をぐいぐいと引っ張っている。
主人公タクトや、親友のアキラといった若者が抱えている何か。そしてエリカや花梨といったキャストが抱えている何か。また、登場する様々な人物がどのような役割を果たすのか。人間関係における謎を積み重ねることによって、物語がミステリーとしてぎりぎり成立している。花梨も持つ超能力を物語の中心には据えず、アクセントとして使用しているあたりは巧い。作者にその意図はないと思うが、こういった水商売のリアルを描くことによって、現代社会の病理の断面を描いている部分もあり、社会派にも通じているように思う……のは、小生の錯覚かな。、
暴力団や中国系マフィアが登場するものの、流行りともいえる暴力的ノワールに走らず、かといってアクションシーン満載の冒険小説に走らず、熱い想いを密やかに持ちながらどこか片側では醒めている若者像を中心に据えているのが、本書の収まりが良い理由だろう。ただ、その結果、物語全体の深みよりも、舞台こそ多少特殊な職業かもしれないなかでの青春ドラマをみているような感覚の方が強い。事実、キャバクラという背景を外してしまえば、本書のストーリーそのものは至って軽いものになってしまう可能性がある。とはいっても、その軽いストーリーによって、発されている不思議な魅力が妨げられていない、ということもまたいえるかもしれない。

思いっきり風俗をテーマにしている以上、本書は賞味期限があるタイプの作品という気もする。とはいっても青春小説特有の「熱さ」と、大人よりも大人びている若者が醸し出す「冷静さ」が合わさって、独特の世界観が造り上げられている点は、今後も評価されるのではないか。本作品だけでいうならば、登場人物こそ活き活きとしているものの、舞台となる世界は非常に狭く、キャバクラという世界以外に突っ込んだところはみられない。なので今後、作者がどのような世界を打ち出してくるかによって、この作品そのものの評価も変わってきそうな気がする。


04/02/04
司城志朗「ゲノム・ハザード」(文藝春秋'98)

第15回サントリーミステリー大賞の読者賞受賞作品。司城氏は本書刊行の遙か以前に小説家としてデビュー済みであり、'83年には矢作俊彦との合作、『暗闇でノーサイド』にて第10回角川小説賞を、また'93年には『ひとつぶの砂で砂漠を語れ』により、第3回開高健奨励賞を受賞している。他にも多くの作品がある。

デザイン事務所にイラストレーターとして勤務する私こと鳥山敏治は、妻・美由紀と結婚して最初の誕生日を迎えていた。仕事の都合で遅くなった彼がマンションに戻ったところ、リビングには十七本のキャンドルが灯り、そして頭から血を流した妻の死体が転がっていた。そこに掛かってきた電話。その電話は何と妻・美由紀からのものだった。彼女は敏治の帰りが遅いので実家に帰っているのだという。電話を切った後、改めてその死体を見てみたがそれはやはり妻のものであった。さらにそこに二人組の男が訪ねてくる。杉並署の刑事を名乗る男たちは、動揺する敏治の許可を得て、部屋に入ってくる。しかし今度はキャンドルと、凶器となったと思われるクリスタルの時計こそあったものの、さっきまであったはずの妻の死体が消えていた。再びかかってきた電話は、今いる二人の刑事がニセモノであると告げ、切れる。敏治は二人に同行すると見せかけ、数多くの混乱を抱えたまま現場から逃げ去る。一息ついた敏治は美由紀の実家にもう一度電話しようと公衆電話ボックスに入ったところ、いきなり何者かに射撃を受ける。逃げ出した彼を、野球帽を被った謎の女が呼び止めた……。

どこまでトンデモなのか、どこまで現実で決着をつけるのか。物語の先以上に、立ち位置そのものがサスペンス
出だしにおいて、とにかく強烈なインパクトを読者にもたらす。普通に暮らしていた男が、家に帰ると妻が死体になっていた、というだけで事件であるのに、加えてその目の前で死んでいるはずの妻からの電話がある。混乱している現場に刑事。更に刑事をニセモノと告げる謎の電話が加わって、平穏無事な暮らしをしていたはずの主人公は何者かの魔手から逃げながら、真相を探り出すという綱渡りを強いられるのだ。「何者かに追われながらの謎解き」そのものは珍しくはないし、一部の本格ミステリであれば、目の前の死体から掛かってきた電話という作品もあるだろう。ただ、本書は貪欲にもその両方を冒頭でやってしまったがために、読者にとっても「何が起きているの????」という混乱の極に叩き込まれる。
友人と思っていた人物の裏切り、謎の協力者……と、「怪しい」展開は続き、読んでいるこちらも「これはSFじみたオチがつくのか、それとも現実にこういうことがあり得ることが証明できるのか」と、手に取っている本の目的をつかみかねるような奇妙な気分に陥ってしまう。(先に明かしてしまうと、ちょうどSF的なとミステリのハイブリッドがなされているような印象)。この、ちょっと困ったような気分のなかで読んできた数々の事象が、実は真相が開示される段階で手掛かりであったことが知れるので、注意が必要なのであるが。
また、主人公が逃亡中に大学の実験室に忍び寄り、他種類の化学薬品を入手するあたりにひねりがある。化学的な知識の結果、それらが追われる主人公にとっての一風変わった武器となるというエピソードがなかなか面白い。そして「なぜ一介のイラストレーターがそんな知識を持っているのか」ということもまた、物語世界を解体する際には非常に重要な手掛かりとなっており、作者の周到さを感じさせる。作品内部の「世界の秘密」を解明するミステリーだといえるだろう。

読み終わった感覚では北川歩実を少しだけ思い出した。(北川氏の方が司城氏よりも後から出てきた作家なのではあるが)。とにかく冒頭のサスペンス的状況を、物語の内部で何とか破綻させずにまとめあげた手腕には恐れ入る。少し描写が足りないのでは、と思えるところがあるなど作品としての完成度にはちょっと「?」がつくが、豪快な物語と豪快な展開、さらには豪快な真相に、独特の勢いを感じて一気読み。ただ、もしかするとミステリ系よりも、SF系の読者のお口にも合うのではないか、とも思った。


04/02/03
海月ルイ「子盗り」(文藝春秋'02)

第19回サントリーミステリー大賞の大賞及び読者賞のダブル受賞作品。海月さんは第18回の同賞で『尼僧の襟』で優秀作品賞を獲得(刊行されず)後、翌年に雪辱を果たしたかたち。また'98年に「シガレット・ロマンス」で第5回九州さが大衆文学賞を、同年『逃げ水の見える日』で第37回オール讀物推理小説新人賞を受賞するなど、実力は既に高いものを持っていたものと思われる。山村正夫小説教室出身。

京都市内の山里で林業を営む旧家の一人息子・榊原陽介のもとに、保育士であった美津子は嫁いだ。陽介は母親のクニ代との二人暮らしであったが、陽介が庇ったこともあって美津子は主婦業のほかは不動産の管理など最低限の家の仕事を手伝うだけだった。彼らには子供が生まれず、十年ほど前に不妊治療を開始したものの結果は芳しくなく、評判の高い病院を転院し高い治療料を払い続けることになった。結婚して十三年、本家の跡取りが生まれないことに業を煮やした分家の一族は、陽介のもとにやって来て自分たちの子供を養子に取るように迫るようになる。激しいプレッシャーのなか、美津子は妊娠したと一族のものの前で宣言。クニ代は喜び、親戚たちは引き下がった。徐々に目立っていくお腹、しかし美津子は妊娠を装っていただけであった。そんな美津子を守るべく陽介は二人してかつて不妊治療に訪れていた産婦人科・瀬尾レディースクリニックを訪れ、新生児誘拐を図るのだが、それを看護婦の辻村潤子に発見されてしまう。そして……。

物語の意外性は薄くとも、登場人物たちの発する生々しさが強烈。小説としての巧さが際立つ
まだ新人といってもいい時期(厳密には海月さんの場合は異なるが)に発表した作品で、ここまで堂々とした筆力が発揮されている点がオドロキである。本書を動かすのは三人の女性。即ち、旧家に嫁ぎながら子供が出来ず、家での立場が悪くなったと自らを追い込んでしまう主人公・美津子。夫の親の干渉に堪えかね、子供を連れて家を出たが、策略にあって子供を奪われたという過去を持つ看護婦・潤子。日々の生活費を援助交際とアルバイトで稼ぎ、誰のとも分からない子を宿した、自制の効かない肥満女・ひろみ。印象に残る細かなエピソードを中心に積み上げて、彼女ら三人、それぞれの人物像を立体化して読者の目の前に浮かび上がらせる。それぞれどこかでみたことのあるような人々。だからこその奇妙なリアル。
その一方で、物語の筋書きだけなら中編でも収まる内容ともいえる。新生児誘拐、代理母、といった、どちらかだけを選ぶと陳腐にもなりかねない題材を、三者で絡めることでサスペンスを醸し出している。最終的に三人が行き着く先……というものも見えてはいる。ただ、物語の決着がどうつけられるのかについてはいくつかの選択肢は頭に浮かぶものの、そのどれか、そして誰が、というのは読み終わるまで分からない。
ストーリーの持つ弱みを、人物の的確な描写で補い、かつ成功している作品といえるだろう。特に三人の女性の描き方によって期せずしてか、計算のうえでか、現代社会で結婚した女性の抱える諸問題を浮き彫りにしている点は興味深い。また、さりげなく美しい文章がところどころにみられること、会話に使われる京都弁がしっくりと文体に嵌っている点など、受賞の理由のひとつには作者の持つ力量やポテンシャルといった部分が評価されたところも多少はあるのではないかと考えられる。

ミステリを専門に読むマニアよりも、一般小説を読まれる普通の愛読家(特に女性)向けといった印象。漠然とした予感だが、文庫化されることで一定の支持層がついてロングセラーになるのではないかと思われる。先にデビューしている、宮部みゆきや篠田節子といった山村道場の先輩作家とも、どこか作風が似ているような部分もある。


04/02/02
土井行夫「名なし鳥飛んだ」(文春文庫'88)

第3回サントリーミステリー大賞の大賞受賞作品。土井氏は関西では当時かなり活躍していた放送作家であったが、本作品の最終選考を前に五十八歳で鬼籍に入ってしまった。当然、本作が一般小説のデビュー作品にして遺作ということになる。

昭和二十年代の初め。第二次大戦は終結したものの学校界は新教育制度のなかで揺れていた。学校統合の俎上に登っていた元女子校の新制高校・澪標高校に赴任してきた若き新任教師・小谷真紀(オタヤン)。彼女が学校の日直を務めていた日曜日、暇つぶしで音楽室のピアノを弾いていた彼女のもとに用務員の梅本ばあさんが慌ててやって来た。ホトケと渾名されていた校長が、校長室で変死しているのだという。校長の死体からは青酸カリが発見され、直前に教職員たちにその無策が問われ、不信任投票が決議されていたこともあって、一旦は自殺として処理された。学校内は戦時中の枠組みに捉えられた教師や傭人と、進歩の思想を持つ教師・生徒とで様々な動きがあり、校長がかつて反戦運動に関わっていたことを知ったオタヤンは、その死が自殺とは思えず、独自に調査を開始した。その動きのなか、書道教師のラッコの経歴詐称が判明。ラッコは失踪、更に数日後、学校裏の池から水死体となって発見された。更に戦時中は思想関係で大きな力を持ちながら、戦後転向した社会科教師のマムシが宿直の最中に絞殺されてしまう。新たに赴任してきた教師・ロクロに惹かれるものを感じつつ、オタヤンは調査を継続する。

あまり明るいといえない時代の明るいといえない事件が、独特の明るいタッチで描かれる
特に、発表されてから二十年近く経過しているせいもあるのかもしれないが、一風変わった作風のミステリという印象を強く感じた。一つは、一般的にはじめじめと書かれることの多い戦争直後という時代を、実にカラッとした筆致で徹底的に明るく描いている点、またもう一つは、その描写にも繋がるのだが、到底現実感がないよなあ……と思っていた背景が、段々と不思議なリアルを伴って迫ってくる点である。実験用アルコールを、授業の解剖で使用したウサギを肴にして飲み会をするといったあたり、経験者ならではの状況が淡淡と描かれる。最初はこういう風景に多少の戸惑いがあったのが、積み重ねられるうちに”世界”として結実していることに気付かされる。また、作者の出自のせいもあるのだろうが、場面の展開や会話のやり取りのノリも良い。加えて若き女性教師・オタヤンの教育にかける情熱。それに応える生徒。時代の変化に乗れる教師、乗れない教師。時代を描くことが物語展開にも結び付いているあたりが巧い。また作者が特に意識した訳ではないはずなのに、独特のノスタルジーみたいな感覚がわき出てくる。読み終わってから何かに似ているな……と思って思い当たったのは、広瀬正のSF作品の雰囲気。
そしてもう一つ面白いのは、そういうタッチで描かれつつも内容が”論理”で詰めるタイプの本格ミステリである点。作品内では学校教師や職員を対象とした連続殺人事件が発生するのだが、容疑者が次々と殺されることもあってWho done it? としても一流。ホントになかなか犯人の目星がつかない。それでいて、主人公が相当に年を経て生徒たちが皆いいオトナになった後に提示される解決が鮮やかなのである。大きなトリックがある訳ではないなりに、その推理の過程にロジックが詰まっていることによって、真相が明かされた際のサプライズが大きいのだ。

とはいっても教師も生徒も渾名を徹底的に使用しているあたりから感じさせられる、ノスタルジーと紙一重の古くささみたいなものもあって、今現在の読者に無条件で勧められる作品でもない。とはいっても、ロジカルな本格ミステリを愛する読者ならば手に取るだけの価値はあるはずだ。このまま行けば埋もれてしまうことは確実なだけに、探せば見つかる今のうちに手に入れておきたい。


04/02/01
森  純「八月の獲物」(文藝春秋'96)

第13回サントリーミステリー大賞の大賞受賞作品。森氏は実用書ライターとしていくつかの著作があったが、本書が小説のデビュー作品。ちなみにこの回のサントリーミステリー大賞の佳作賞受賞作品が伊坂幸太郎『悪党たちが目にしみる』。ただ、この伊坂作品はこの時には単行本化されていない。

「あなたに十億円差し上げます。」こんな奇妙な見出しで始まる記事が、東都新聞に掲載された。「ヘルス協会」なる団体が、社会事業のために十億円用意し、三名に等分して贈与するのだという。応募資格は現在健康で職業を持つ二十歳から五十五歳までの男女。応募者のなかから予備抽選で三十名の候補者を選出し、その中から公正な審査によって三名を選ぶのだ。巷はこの話で持ちきりとなり、当然多くのマスコミが「ヘルス協会」の正体を探ろうとし、その中心人物が現在は八王子の老人ホームに住む、世田谷の土地成金の老人・桶狭間権兵衛であることが判明。太陽テレビの『ニュース・スピリッツ』でコメンテーターを務める降居東は、その桶狭間より逆指名を受けて、彼らの取材を独占的に担当することとなった。スタッフの正木玲子らと共に桶狭間と面談した降居は、その老人が表面的な受け答えの下に、何かの目的意識を持っていることを感じ取った。桶狭間が、贈与者に対して三億円の保険金を掛けることにしたことから、事件性を疑う警察と、保険会社がマークをすることになった。しかし「十億円チャリティ」は着々と進み、三名の候補者と予備一名を決定、歯車はとうとう回転を開始した。

イベントがいきなり最大の謎。果たして何が目的? そしてイベントはどのような結末を迎えるのか?
”チャリティ”と称し、10億円をぽんと提供する老人・桶狭間清兵衛が繰り広げる謎のイベント。その権利は応募制でくじ引きによって三人に与えられる。関東近県在住の誰でも応募は構わないが、支払いの条件は8月1日から一ヶ月間生き延びること。そして一人一人には三億円の生命保険が清兵衛を受取人として掛けられる――。
老人の狙いは何なのか、果たしてチャリティの結末はどうなるのか。 物語全体の背骨ともいえる大きな謎が、特に前半にて強烈な吸引力となって読者を引きつける。(ただ、読み終わって後から冷静に考えると宝くじのようなものと何か違うのか? という気もする。マスコミに注目され喧伝され、良くも悪くも人の注目を集める分、余程タチが悪いよなあ)。更に、このチャリティの関係者の幾人かが、不自然なかたちで死亡してしまうのが、次のポイントとなる。こちらの謎が引っ張られ、終盤に明かされる大きな謎へと繋がっていく。前半から中盤にかけ、興奮度がいきなりトップギアに入れられる。 もちろんその後も含めて、ストーリーとして文句の付けどころは特に見あたらないし、ミステリとしてアンフェアでもないだろう(きっちり検証していないが)。
ちょっと気になるのは細かい部分ではなく、ストーリー全体というか、大もとの設定が抱える不可解さといったところ。なぜ、老人はわざわざチャリティなんて形式にしたのか。世間の注目を集めるのであれば他の方法があったのではないか。なぜ犯人は殺人を実行してしまったのか。特に犯人の職業のことを考えると、根本的な精神状態が(説明がされているにしろ)何となく腑に落ちない。
 ただ、それらの点に目をつぶってしまえば、登場人物や舞台や彼らの背景や過去といった全ての要素が見事なまでに絡み合って、まとまりのある作品となっている。特にラストシーン、ある場所にある人々があることのためにあることをするのだが、その暖かさの残る場面は心に残る。だけど、彼らの目的行動については……うーーーん、ちょっとどこかやっぱり腑に落ちない……かも。

別にこの作品がベースにされたということはないはずだが、本作をかなりハードサスペンス的に仕上げた作品に、片瀬二郎『スリル』がある。人の欲望を生々しく表現するのか、多少なりとも形而上的なかたちにするのかによって、作品の出来上がりがこうも異なるものかという面白みを小生は感じた。いずれにせよ、前半から中盤にかけての流れが良いので、読み出すとくいくい進む。エンターテインメントの王道的作品。