MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/03/31
近藤史恵「南方署強行犯係 狼の寓話」(トクマノベルズ'03)

もともとのデビューは第4回鮎川哲也賞受賞の『凍える島』ではあるが、最近の近藤史恵さんは「歌舞伎シリーズ」や「整体師&美人姉妹シリーズ」など、それぞれ個性的な舞台やキャラクタを立てた作品群にて安定した実績を立てている。本書は新局面を切り開くか、新シリーズ(シリーズ化されると思うんだけど)の警察小説。書き下ろし。

會川圭司は警察に入ってから刑事課に所属するのがずっと夢だった。二人暮らししている兄の宗司も派出所勤務の警察官。しかし先輩の城島と初めて訪れた凄惨な殺人事件現場で吐いた挙げ句、大切な証拠品を失わせるという失態を演じ、別の人間と組まされ、夫が殺され妻が失踪中という事件を追うことになる。相手となるのは署内でもお荷物扱いされているらしい、黒岩という名の女刑事。冷たい表情と、傍若無人な態度に振り回される圭司であったが、徐々に彼女の真摯な態度を見習うようになる。子どものいない夫婦の誰もいない部屋には童話がずらりと並んでおり、妻はコンテストに自作の童話を応募していた。神の住む山に生け贄として捧げられた少女と、彼女を食べる狼との物語。果たして、事件の真相は、そしてこの童話の真の意味とは……?

警察小説というジャンルに囚われるな。あくまで本書は、近藤史恵らしい痛く切ない人間ミステリ
裏表紙の有栖川有栖氏による推薦文、著者紹介、そしてどこか堅苦しくさえある題名の「南方署強行犯係」という文字。本書を読む前に入る情報として「近藤史恵、初の警察小説」という印象がどうしても強く感じられるようになっている。確かに刑事が主人公、兄が交番勤務、ヒロイン(?)もまた女刑事、背後を固めるのも同僚の凄腕刑事たち――と、警察小説としての体裁は整えられていると言わざるを得ない。だが、本書に通底しているのは、やはり近藤流の人間観察であり、社会現象への鋭い批判であり、犯罪の裏側にある人の弱さを物語に昇華させる一流のテクニックであると思う。
ミステリとしての楽しみどころは、章ごとの冒頭に挿入される童話と、実際の事件とのリンク。生け贄になった少女が、実はかつておかしていた些細な罪により、狼に食べられて痛く辛い思いをしながらも再生し、また同じことを繰りかえすという地獄の輪廻。こんな話がどう現実にリンクするのか――? というのが大きなポイント。ある社会現象とその物語を二重に写すことによって、夫が妻を殺害したとみられる事件の光景に深い意味がわき出てくる。特に、本書の題名が「生け贄の寓話」でも「山に入った少女の寓話」でもなく「狼の寓話」である意味が、読了後に初めて分かるという仕掛けなのだ。このあたりのテクニックは、歌舞伎の演目を実際の事件にリンクさせてしまう「歌舞伎シリーズ」のミステリと通じるところがあるかもしれない。

エピソードを通じて登場人物の紹介をされているような前半は少々リズムに乗れないところもあるものの、実際に事件が解明されていく後半部、更に、妻が発見されてからの一連の流れなど実にこなれている。これだけ”訴え”を込めつつ、作品を必要以上に長大化させず、この厚みに仕上げてしまうあたりも好感。実に器用なのに、常にさらりと物語を創り上げる。作品を重ねる毎に、近藤史恵さんが着々と腕を上げていることに貴方は気付いていますか?


04/03/30
柄刀 一「殺意は青列車(ブルートレイン)が乗せて」(祥伝社NON NOVEL'04)

副題は「本格痛快ミステリー 天才・龍之介がゆく!」。御存知、柄刀氏の創造した探偵の一人、IQ190を誇る天才・龍之介が登場、いつの間にか五冊目となる短編集。『小説NON』誌に'02年から翌年にかけて掲載された作品に書き下ろしが一編加えられている。

複雑な人間関係を持った人々が集う山奥の山荘。骨董品が仕舞われた四阿の鍵が壊され、中が処構わず黄色いペンキでべたべたと塗りたくられていた。 『龍之介、黄色い部屋に入ってしまう』
蔵王にスキーに来た三人。ところが早朝、泊まり客の一人が玄関先で死体が発見された。縦方向に並べたスキーの上に横たわり、凶器のナイフは傍らの温泉旅館のミニチュア露天風呂の中で凍り付いている。 『光章、白銀に埋まる』
経済学者の研究所にやって来た一行。しかしその晩、ある詐欺事件に関するファイルが消え失せた。現場には香水の割れた瓶、そして一美は黒い火の玉を目撃していた……。 『一美、黒い火の玉を目撃す』
ミステリートレインのイベントに参加したどうする卿。しかし千葉のある駅を出発直後、マニアの監視のなか列車は消えてしまった。さらにテロリストが現れて一美もピンチに陥る。 『どうする卿、謎の青列車と消える』
光章の会社に届けられたという会社の内部事情を暴露する手紙。しかもその内容は暗号で書かれていた。龍之介が次々文面は解明、どうやら会社内部の人間の仕業だと分かるのだが……。 『龍之介、悪意の赤い手紙に息を呑む』 以上五編。

端正にして正統派。奇想トリックをベースに物語が紡がれる
尻上がりにこのシリーズ、調子を上げてきた――と書くと失礼か。当初は、科学や化学の豆知識をトリックに重用した結果、奇想天外なのだけれども読者の推理はほぼ不可能といった印象のあった龍之介シリーズなのだが、本作はそういったトリックもあるにはあるものの、どちらかといえばそれらを要素程度に留め、ロジックの積み重ねによる推理作品に仕上げられるようになってきた感。現場の状況の奇妙さというのは少々先の作品群に比べると落ちるかもしれないが、特に推理の過程に端正なロジックが感じられるようになって、個人的には好感度をぐんぐん増している。
本作は題名を眺めればすぐに気付かれる通り、「色」をテーマに統一されている。とはいえ、色に必然性が必ずしもあるともいえず、作者の遊び心と考えた方が良いか。感心したのは中編で表題のもとでもある『どうする卿、謎の青列車と消える』。これまで幾多の列車消失トリックは考え出されてきたが、これもまた新味があって面白い。(誰か気付けよ、というツッコミがあってもおかしくないとはいえ)。その列車のトリックに寄りかからず、現場で同時に進行していくサスペンスと、これまで積み重ねられた人間関係とが輻輳して、作品全体で非常に良い味が出ているといえよう。『黒い火の玉』や『赤い手紙』は少々地味ながら、論理の積み重ねられていく過程が楽しめた。
また、莫大な遺産を相続した龍之介が、今後やろうとしていることがはっきり見えてきて、それがまた物語に微妙な影響を与えていたり、光章と一美の淡い恋物語も着々と佳境に入りつつあるなど、シリーズを通しての見どころも増えてきた感。それぞれのキャラクタが立ち上がってきたので、安心して読める。

全体を通じてのストーリーというものが少なからずあるので、このシリーズ、順番に読んでいった方が吉とは思うが、近年変格に走り勝ちの本格ミステリシーンにおいて、こういったストレートな作品群に出会うと少しほっとする。いわゆる本格ミステリマニアの方にも素直にお勧めできる一冊。


04/03/29
浅暮三文「針」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'04)

日本推理作家協会賞を受賞した『石の中の蜘蛛』は、聴覚を題材にしたハードボイルド系統の作品であった。浅暮氏は『カニスの血を嗣ぐ』にて嗅覚、『左眼を忘れた男』にて視覚を取り上げてきた。触覚をテーマにした本書もまたその〈五感シリーズ〉の一角を形成する。

アフリカの奥地で日本企業の出資によるコーヒープラントの計画が進められていた。しかし、ある日、現地で採用した作業員が最初は一人、そして全員が原因不明の失踪を遂げるという事件が発生。残された日本人社員たちは調査を開始するが、村の人々の様子がおかしい。一方、東京では一人の男が皮膚感覚の異常を感じ始めていた。子どもの頃からアトピーに苦しんだ彼は、コンピュータのプログラミングを職業としていたが、過去の経験から人と人が触れるというコミュニケーションを忌避してきた。他人との直接の接触を避けるため、満員電車に乗らずに済むよう自宅を選ぶ配慮までしていた彼には、恋人などおらず、コンピュータゲームや一人でのドライブが趣味。その彼が皮膚にこれまでにない鋭敏な感覚を覚えた。会社を早退し、医者に行くが特に原因は分からない。彼は会社に休暇を申し入れ、自宅に帰る。しかし、彼を待っていたのはこれまでに体感したことのない異様な感覚であった。触るもの、味わうものに対して徐々に、そして異様なまでに敏感さを増していく。皮膚や口腔内に何かが触れることによって、これまでとは全く別の触感を味わえるようになったのだ。あたかも、その”もの”の意志を感じるように。彼は、その触感の真実を探るため、街に出て様々なものを触りだす。やがて、その欲求はエスカレートしはじめ、彼はその対象を女性に据えるようになる……。

何気ない”接触”をここまで描写しきった文章に敬意。触覚と人間の欲求とを実にみごとに縒り上げた傑作
以前に日記にも取り上げたのだが、本書を大森望氏が評して「風俗シーンの描写の不正確さとあとがきを除けば傑作」といっていたのを聞いた。その先入観が頭にあったことは否めない。ただ、実際に読んでみて思ったのは本書が「文芸作品として傑作」だということ。これは自身が浅暮氏と知人であるとか、先の先入観であるとか抜きに、素の状態であってもそう感じたであろうことは間違いない。
なぜそう感じたか。突き詰めていくと「豊かな表現」「人間の真理」というところに行き着く。……陳腐な形容詞で申し訳ないのだが、それに尽きるように思うのだ。例えば今この瞬間、キーボードを叩く指先であるとか、マウスを握った手のひらの感触であるとか。また、食べるという行為における口腔内のいわゆる歯触り、舌触りといった感触であるとか。こういった、日常誰もが得ている筈の感触が、究極までに鋭くなった感覚で描くとどうなるか。本書におけるそういった感覚の描写は、最初から最後まで実に見事に読者の頭にイメージされていく。この部分、読んで頂くしかないのであるがトンガリつつも、一般化されうる文章でここまで表現ができるということは奇蹟に近い。感触というものがこれほど豊かな情報を伝えてくれるものであるのか。まず、その表現の豊かさに感動させられる。
そして、その感覚を得た主人公の「知」に対する欲求。究極の感覚を求め、彷徨う姿にも鬼気迫るものがある。主人公が男性であり、結果として女性を求めることになって痴漢行為やストーカー行為、さらにエスカレートしてハードコア・ポルノめいた場面が登場する部分には眉を顰める向きもあろう。しかし、それまでの経緯がきっちり描写されると、それも物語の必然となってくる。表層だけのモラルを乗り越えた世界。他の要素を全て捨て去って、根元的な欲求の塊に変じた究極の人間の姿がここにあるのだ。また、そこで描かれる情景もまた豊かな言葉に彩られている。人間同士の愛の行為というものが、いかに触覚というコミュニケーションにて成り立っているものか、そして一方通行であるのかを物語では暗喩する。主人公は最終的に、自ら内なる感触へと究極の目的を変じていくのも皮肉でありつつ、その一方で真理を突いているように思わされた。もともとの描写が濃く、深い物語であるのだが、更にその裏にある人間の欲望という真理を深く追求していこうという作者の意志が感じられる。感触をキーにして、人間の欲求の在り方を掘り下げた文芸作品として傑作だと思う理由はここにある。

ただ、一方でエンターテインメントとして傑作かというと、少しそれとは異なるように思えるかも。単純に楽しみながら作品を読みたいという向きには、この作品は重すぎる。(個人的には読んでいるあいだ、何か憑かれたように夢中になったのだが……) そういう意味ではこのSFを旗印にしたレーベルで刊行されたことがかえって不幸な作品だといえるかもしれない。 ただ、ミステリだとか、SFだとかのジャンルを超えて「凄い」ことは紛れもない事実。 読んで損はない作品だといえよう。
確かにあとがきは蛇足めいてしまっているかもしれないと思ったのだが、フーゾク描写の違和感というのは正直よく分からなかった。どのへんが実際と違うのだろう?


04/03/28
黒田研二「クレイジー・クレイマー」(実業之日本社JOY NOVELS'03)

第16回メフィスト賞受賞の『ウェディング・ドレス』以来、旺盛に作品を発表している黒田研二氏による書き下ろし長編。ノンシリーズもの。題名は某映画と某ゲームを引っかけたものか。

大型スーパーマーケット〈デイリータウン〉緑が丘店にアルバイトで入りながら、その知識が買われて正社員となり、今やマネージャーの地位についた袖山剛史。だが、彼を悩ます”悪魔”が二人、店に出没していた。一人はねちこく、不条理なクレームをつけてくる岬圭祐という中年男、そしてもう一人は高価な品物を防犯カメラの監視のもと易易と万引きしていき、しかも現場に犯罪報告を残す通称”マンビー”という人物。最近、岬は〈デイリータウン〉でクマ型のペットロボット〈テディ・バディ〉を購入し、調子が悪いと剛史に治療法を教えて欲しいとやってくる。「暖かくしてやれば治る」剛史の機転で切り抜けたかにみえたが、その言葉尻を捉えた岬はあろうことか、電子レンジで〈テディ・バディ〉を暖めたら「死んだ」と再び剛史に迫る。その間にも”マンビー”は堂々とデスクトップのパソコンを盗んでいく。エスカレートする”悪魔”の所業に悩む剛史をいやしてくれるのは、恋人である美乃の存在であったが、彼らはストーカーさながらに嫌がらせをエスカレートさせる。

”嫌な存在”を書かせると実に巧いことに加えて、もう一ひねり。ただ読後の快感は「?」
もうかなり前になると思うが、以前くろけんさんのデビュー前後の日記において、電器店にアルバイト勤務していたような記述があった記憶がある。本書は恐らくそのあたりの経験をもとにした作品なのではないかと推察する。なので、勤務の形態であるとか、商売の裏話的な部分が詳細で分かりやすく書かれている。万引きや、しつこいクレームといった、どこにでもある犯罪や、ちょっとした「嫌がらせ」といった日常レベルのトラブルに対する前後の事情や、その時々の対処といったところが常識的にこなされている――のだが、本書、表紙に「書き下ろしサイコ・ミステリ」とあるように、サイコなお話なのだ。この日常とサイコとの落差が強烈
クレーマーがストーカーと化し、そして身近な存在が脅かされるに至る駆け足の展開は少々戸惑いさえ覚える。その結果、強烈な惨殺死体が物語に登場、本書はサイコ・ミステリとしての本性を現すのである。その鍵となるのは、AIBO等の延長であろう、クマ型ペットロボット〈テディ・バディ〉。その愛らしさと、惨たらしい死体描写との落差が本書のポイントである。もちろん、黒田氏は単なる犯人探しに留めず、物語自体にひねりを加えている。それは確かにサプライズには通じているものはあるものの、読後感として却って重さがのしかかってくるように思えた。軽めの日常からやって来るその強烈な重さが、黒田ミステリの特徴ではあるのだけれど……。

主人公に感情を移入して読んだ場合と、一歩引いてミステリとして読んだ場合とで、恐らく作品に対する好悪は分かれるものと思われる。作者が”ひねり”にこだわるあまりに、ちょっと無理がある(例えば、ある存在のために、決して収入豊かでないのに別にわざわざアパートを借りるとか)部分もあるが、再読して伏線を拾うと、その周到な記述には改めて驚かされることは間違いない。


04/03/27
三雲岳斗「アース・リバース」(角川スニーカー文庫'00)

三雲氏は'98年に『コールド・ゲヘナ』にて第5回電撃ゲーム小説大賞銀賞を受賞してデビュー、『M.G.H. 楽園の鏡像』にて'00年に実施された記念すべき第1回目の日本SF新人賞を受賞した。本書は、さらに第5回スニーカー大賞特別賞を受賞した作品である。

炎界《フレイム・シー》と呼ばれるこの世界の地表は灼熱の溶岩地帯。その上に浮かぶ要塞都市の内部にしか人類は存在していない。要塞都市では可能な限り自給自足が行われていたが、外部からの有機物であるメタンの領有を巡って、良質のメタンガスが産出する地帯を巡る争いが都市間で続いていた。その都市を守るのが人型兵器である《天使もどき》で、その優秀な兵士であるシグ・クルーガーは領空侵犯した敵機の撃墜を命ぜられる。逃走するその敵機を追い、抵抗らしい抵抗もないまま撃墜したシグは、不時着した敵機から出てきた少女・ティアを殺すことができない。要塞都市では人口は厳重に管理されており、彼女を連れ帰ることは、シグ自身の命さえ危うくする行為であったが、シグは決行。しかし美しい女狙撃者にしてシグの婚約者であるイサベルにより、告発されてしまう。要塞都市から脱出するシグとティア。彼らを追うのはよりによって要塞都市で最も優れた操縦者であるシグの姉・レネであった。彼らは、ティアが見たいと望んだ伝説の”世界の果て”へ行き着くことはできるのか――?

スペースオペラ? ファンタジー? それが最大のミスリード。スレた読者が「うまいっ」とラストに唸る
『M.G.H.』から三雲作品に入った私にとっては、漠然と三雲イメージというのは「しっかりしたSF設定でありながら、結構本格ミステリ精神もある」というものであった。本書は偶然見掛けたので手に取ったのであるが、私の持っているようなイメージをまだ(一部の読者に)醸成させる前の三雲氏の作品からは、また異なった”思い”みたいなものを感じた。
さて、その”思い”は後においておいて、読了してまず感じたのは、物語構成の巧みさである。エルガイムかファイブスターかというような中北晃二氏のメカ関係のイラストのせいもあるのであるが、人類が登場するとはいえ、溶岩地帯に浮かぶ要塞都市という設定とも合わせると、遙か彼方の未来の世界のようなライトノベルならではの伝統的な未来ファンタジーを感じさせる。それでも、エネルギーの問題であるとか、重力の問題であるとか、都市内政治の問題であるとか、意外に設定の細かいところまでもが現実世界に照らして緻密であり、おもわず「なるほど」と唸りたくなるような芸もまた感じた――と思ったのだ、最初は。この点、ラストに至ってくるとその「緻密である」という点が全部ひっくるめて伏線ともいえる存在なのだ。なので、これらに関する感想はラストに至って「なるほど」から「うまいっ」に変化する。ネタバレとなるので詳しくは書かないが、こういった細かな設定が実は「物語の謎」として作者が隠しているある事柄に繋がっているのだ。手法は本格ミステリの伏線の様式とも近く、その詳細はハードSF作家が指向するものに近い。 ライトノベルという媒体であることを計算し、相応の分かりやすいキャラクタを使うかわりに、物語と世界の方は容赦なく作者が妥協を許さない。このあたりが三雲岳斗らしさの作品にかける”思い”であるように思う。確かに物語も設定も登場人物も、作者にとっては道具であり、目的は読者に夢を与える――という建前は正しいし、本書でもそれはできている。だが、そういう目的よりも、強い印象が手法なり詳細から感じられてしまうのは、小生がオトナで、決して清らかでもない心を持つ読者のせいだからなのかもしれない。

――とまあ、技巧に目がいったのでいろいろ書きましたが、単純に物語として十二分に面白いです。ライトノベルの特別賞受賞というのは伊達ではないことも申し添えなければ。また、この題名に込められた意味を、読了後噛み締めるのもまた一興。小説の巧みさ等々も含め、いずれ今以上に注目されることは間違いないものと思われます。


04/03/26
太田蘭三「誘拐山脈」(角川文庫'82)

太田蘭三氏は貸本小説作家として昭和三十年代に活躍していた。'78年に刊行された『殺意の三面渓谷』以降、山岳や釣りをテーマにした独自のミステリー分野を開拓、今なお旺盛な執筆活動を行っている。本書は、'79年一月号より翌年二月号にかけて『山と渓谷』という雑誌に連載されていた作品が加筆されて刊行されたもので、掲載誌が示す通り、山岳がメインの舞台となったミステリである。

単独で山歩きをしている魅力的な表情とグラマラスなボディを持つ麻美。彼女は巨額の身代金をかけた完璧な営利誘拐のプランを頭に思い描いており、そのために必要なメンバーをどうスカウトするかを考えていた。鷹巣山で八人ほどの山岳会パーティと行き会った麻美は、うち二人が徹底的なしごきに遭っているのを目撃する。そこに精悍な山男が現れ、リーダー格の男を張り飛ばして、ぐったりしていたメンバーを救うのを眼にする。九鬼と名乗った、その大学のオーバードクターを誘拐計画のリーダーにすべく、麻美は、その後に二人のあいだにおきた事件から彼の協力を引き出すことに成功する。他、麻美を別の令嬢と勘違いして誘拐しようとしたチンピラや、そのしごきにあっていた男たち二人、山で出会った無職や学生といったところをメンバーに加え、九鬼と麻美は計画の準備を本格的に開始した。それは、中央の経済団体の会頭を誘拐し、三億円もの身代金をうまく受け渡しするという壮大な計画であった――。

”山”を得意とする作者ならではの舞台。意外性は少ないが、凝った計画の全容に見どころあり
全くの予備知識なしに読み始めたのだが、風俗的な点はとにかくとして物語の展開がトントン拍子で思いのほかスムースに読めた。まあ、現代の読者が本書を読むにあたっては、ある時期”山登り”というのが、若者にとっては海水浴やスキークラスの比較的手軽なレジャーだったという事実(誰もが嗜んでいたわけではないが、山登りそのものを趣味とすることはそれほど特殊な趣味ではなかった)くらいは押さえておいた方が引っ掛かりは少ないかもしれない。
九鬼というリーダーと、麻美という女性、そして誘拐されながらも正々堂々とした経済団体会頭・岩之淵の三人の人間描写がうまく、存在感を示す。特に後半しか登場しないながら、岩之淵がいい。ミステリとしては、彼らが実行する計画を読者が見守る倒叙形式となっているが、その誘拐計画の壮大さと、またあることから発生する齟齬の結果、同じく山を知り尽くした刑事と追いつ追われつの山ならではの逃走劇の描写の見事さが見どころか。誘拐を計画する者、荷担する者たちをあまり悪人として描いていない点も、本書の雰囲気を和らげるのに役立っている。
細かい点ではツッコミどころがないでもない。例えば、それほどの計画の割にメンバー選択が行き当たりばったりであるとか、意外性を狙うがあまりにある人物の存在をぎりぎりまで読者から隠されており、かえって意外性がないとか。(この人物をメンバーにうまく混ぜておいて、実行犯にとっても裏のある二重三重の計画にしていたら、傑作に成りえたかもしれない)。

登山という特殊な状況でありながら、一箇所ではなく複数箇所の山登りをテーマにしており、こういった方面に趣味を持たれる方であれば一種のトラベル・ミステリーとして読むことも可能だろう。実際の登山経験が豊富な著者だけに、山登りの素人のこちらに対しても、山の美しい風景と、同時に山の厳しさをも伝わってくるだけの描写がある。身代金受け渡しにしても、今のスレた眼からすればそれほどの意外性がないだけで当時はそれなりにインパクトがあったのではないかと思われる。少なくとも成功の可能性は高いように思えた。


04/03/25
歌野晶午「さらわれたい女」(講談社文庫'97)

再読。今や歌野晶午の代表作品といえば『葉桜の季節に君を想うということ』だというのは衆目の一致するところではあるが、それより以前はどうだったか。初期の「家の殺人」三部作であるとか『ROMMY』であるとか、いろいろ考え方はあろうが、その候補となる作品の一つが本書である。というのは、御存知の向きもあろうがこの作品、中谷美紀・萩原聖人主演の『カオス』という映画の原作となっているのである。いわゆる新本格系統の作家の作品が映画化されるケースがあまりないことを考えると注目されても良かったように思うのだが、当時あまり話題にならなかったような。

「私を誘拐して、主人に脅迫電話をかけてほしいんです」――便利屋を営む”俺”のもとに現れた美しい人妻・小宮山佐緒理は、喫茶店チェーンを成功させた青年社長でありながらひどいマザコンの夫に対して狂言誘拐を仕組みたいのだという。俺は彼女の報酬に目が眩み、完璧な計画を立ててそれを実行。小宮山家に対して三千万円の身代金を請求した。あるシステムを利用して警察を翻弄、そして意表を突くアイデアをもって身代金をせしめた俺であったが、友人の部屋に隠れていた筈の佐緒理の身に異変が。果たして何が起きたのか。そして誘拐犯人である俺は謎を解明すべく探偵となって事実を解明しようと挑むことになる。

どんでん返しに継ぐどんでん返し。視点の巧さとプロットの巧みさ。葉桜の次ならコレでしょう
個人的には本書、誘拐ミステリでは国内ベスト5クラスの作品だと思っている。再読して思ったのは「ミステリ作家が書くミステリの書き方」に、綺麗に準じているな、ということ。いわゆるストーリーの起承転結だけでなく、一旦落ち着いたと思える解決をひっくり返し、更に結末で更にひとひねりし……というプロットの妙技が見事に決まっている。また、犯人側と被害者側という二つの視点から物語を描き、読者に対しては一見物語の表と裏を全て見せている、と錯覚させる手腕もいい。視点のコントロールが抜群で、その裏に更に死角があることを全く気付かせない。それに気付いた時には既に中盤を過ぎているわけで、物語の興味にどっぷり読者が浸かった後なのだ。
そもそも、狂言誘拐を演じた筈の演出者が、殺人のぬれぎぬを着せられそうになって、真犯人の逆脅迫に怯えながら、探偵活動をする――。この構造って「私は犯人であり探偵であり被害者でもある」という、本格探偵小説のなかの変化球的な伝統芸に通じるものがある。ただ、それは表立って謳われていないので、本格の意味合いよりもサスペンスの系統として本書が読まれてきたきらいがあるかもしれない。ただ、読者のサプライズをとにかく重視するという歌野氏の姿勢が、既に本書あたりからしっかりと内在していたことは紛れもない事実なのである。
文章のキレや無駄を省いた描写など、小説家としての実力が着々と歌野氏に備わってきた時期の作品ということもあり、読んでいて引っ掛からないところも特徴。逆にテンポが良く、物語にぐいぐい引き込まれるくらい。作者があとがきで触れているように、電話関係のトリックに時期的な部分はあるものの、そんなことを気にしていたら古い探偵小説など読めない。それに、本書の眼目はその電話関係のトリックにあるものではないし。

”俺”の一人称で語られる物語である点、プロットでの展開が多く小手先のトリック(あるにもあるが)に頼らないサプライズが望める点、限られた登場人物内で巧く物語を回している点、そして長大な作品になり過ぎていない点等々、『葉桜』に近い美点が多い作品。他人に『葉桜』を勧めて「面白かった」という反応が返ってきたら、次はこの作品だ! というのはそうそう間違った判断だとは思わない。(但し『ROMMY』という説もあり。ただ下手に『ジェシカ』とかよりマジ、こっちの方がいいと思いますー)。


04/03/24
黒川博行「ぎゃんぶる考現学 麻雀放蕩記」(徳間文庫'03)

直木賞候補クラスのヒット作品も多いうえ、さらに最近は初期の警察小説が創元推理文庫で復刊され、その面白さが再認識されつつある黒川博行氏。その黒川氏には実録小説めいたギャンブル・エッセイがあり、先に『麻雀放蕩記』の題名で双葉社より刊行されている。「また徳間で出たの?」と思って確認してみると、これがまた同文庫のオリジナル。「夕刊フジ」(関西版)に'98年から'02年まで連載したエッセイがまとめられたものなのだという。

「勝負事は自分より強いものとすべからず」「恐るべし阪神タイガースのイケイケ麻雀」「新地のママからドボンの手ほどき」「天敵・藤原伊織と白熱の十四時間」「宿敵・白川道と熱闘さらに七時間」「百がゼロになるカジノのテラ銭の仕組み」「雀聖・阿佐田哲也の「敗戦証明書」」「イオリンの昏睡打法にしてやられる」「学者ギャンブラー植島啓司の競馬必勝法」「週刊誌誌上対局・激闘篇・番外篇」「ウォーカーヒル凱旋の記」「ご法度の手配博打・手本引き」「フリー麻雀で年頭の運だめし」「くたびれ損のとことん勝負」「群ようこに地獄を見た!」「藤子不二雄Aの勝負魂」……といった感じで章題が半分くらい。各界の有名人が登場し勝負を繰り広げるものと、ちょっと珍しい博打の実践的紹介記事と、といった印象。恐らく原稿量より取材費の元手の方が遙かにかかっているものと思われる。

現代的なエンタテインメント系文壇麻雀の諸事情とかそんなこんな
本書には、レギュラーといっていいくらいの登場人物が何人か登場する。黒川氏は主人公格だから別格として、一人が『テロリストのパラソル』にて乱歩賞と直木賞同時受賞の快挙を成し遂げた作家・藤原伊織、そしてもう一人は、個性的なアウトロー作家として知られる白川道。更には美人作家の鷺沢萌や、黒川氏の”嫁はん”が絡んで、麻雀を中心とした様々なギャンブルが描かれる。特に、黒川氏と、藤原・白川両氏との対決は、本書においても何度も繰りかえされ、その一度一度の勝負毎に何らかのドラマがあるあたり、「宿敵」「天敵」「ライバル」といった形容詞がよく似合うと感じられた。「腐れ縁」「地獄」とも思わないでもないが。また、上記している通り、意外な文化人(?)の方々が、ゲスト扱いで登場している点も面白い。上記以外でも団鬼六、黒岩重吾、藤田宜永、黒鉄ヒロシなど、色々な方々が共にギャンブルに興じている。はあ、あの方もねえ。なるほどねえ。
ただ、夕刊紙連載という媒体の事情もあってか、麻雀における描写はかなり専門的。展開によって牌譜が随所に掲げられ、ルールを全く知らない方にとってはこのあたりの妙味を読みとるのはかなりムズカシイといえるだろう。逆に、麻雀を知る読者にとってはこの対決の緊張感や、その展開の綾など面白みが増していることも事実。作家の交流録であると同時に勝負記録であるという側面が両立しているため、実は読者が限られるか。本書を手放しで面白がれるのは「ギャンブル好き」「麻雀の基本が分かる」「文壇の人物をある程度知っている」という三拍子揃った読者だけなのではないかとも憂慮される。
ただ、黒川氏にとっては好きなことをやっている日常を面白可笑しく描いている訳で、お財布はとにかく執筆は楽しいのではないだろうか。

将棋あり、ドボンあり、本引きあり、ブラックジャックあり――ではあるものの、基本はとにかく麻雀。ミステリを嗜みながら、かつ麻雀雑誌を定期購読している読者(そんな読者の人口がそれほどあるとは到底思えないのだが――)にはお勧め。その他の方々はお好みに応じて。


04/03/23
霞 流一「ウサギの乱」(講談社ノベルス'04)

今や幻の作品である(復刊はないのか)『オクトパスキラー8号』にて登場した個性的探偵・駄殻善悟が再登場。実は霞氏自身、講談社ノベルスにおいては本書が初登場となる。動物シリーズという信念は変わらず、本作では題名そのまま”ウサギ”がテーマ。

芸能人の参拝の多い舞張神社で大量のウサギの骨が発掘された。現場に偶然立ち寄った倉吉警部は新人タレント・羽条ルナと彼女の所属する芸能プロダクションの面々と知り合う。それから時が経ち、羽条ルナはトップアイドルとしての地位を確立。そのラッキーアイテムがウサギの骨ということもあり、舞張神社もまたファンたちによって賑わうようになった。そんななか、倉吉警部は、元大臣の政治家にして国民的人気俳優、そして長年の役柄から名探偵に成りきってしまう駄殻善悟に招待状を押しつけられ、羽条ルナ主演の映画披露パーティに出席する。そこでルナは気味悪い嫌がらせに遭い、倉吉警部は行きがかり上、その謎を解き明かそうと捜査を進めるが、その過程で舞張神社の宮司の息子の死体を、建設中のビル現場にて発見してしまう。死体は頭を殴られて死亡していたが、その血痕が4m上の天井に張り付いていた。そして、事件の最中に駄殻善悟登場。倉吉は彼に下僕として罵倒されながらこき使われる。そして、続いて羽条ルナを追っていた芸能レポーターが死体となって発見された。

本格ミステリの使命たる新トリックの案出、そして構成と舞台の妙。霞作品群でも上位か
帯にある「誰も思いつかなかった不可能密室! いまだかつてない不可思議犯罪!」というコピーが凄まじい(歴代の講談社ノベルスという意味ではそれほど目新しくもないか)。霞流一氏の場合、「いまだかつてない不可思議犯罪」が、いってみれば持ち味のようなところがあるので、霞作品としてこのような評価は、そう珍しいともいえない。だが、本作は確かに「誰も思いつかなかった不可能密室」という意味については首肯せざるを得ない。そして一読強烈なのである。チェーンのかかった密室内部には、外部からは絶対不可能な方法で殺害された死体が一つ。そして、犯人の出入りは絶対不能……。場面だけでいえば、これまででも数あるシーンだといえようが、その解決は思いもよらない方法で成立させられているのである。確かに、考えようによっては鮎川哲也の某名作短編の逆バージョンといえるかもしれないのではあるが、それを誰も思いついていなかったのだ。伝統的な本格ミステリトリックという意味で、かなり思い切った内容で、かつ、シンプルかつ美しい(ロジックが、ですよ)。
今までの霞作品でも何度か取り上げられた芸能界が舞台。使用されているトリックについては、この舞台や背景を巧みに使って補強されている点も見逃せない。また、動機そのものは平凡といえるように思うのだが、その更に背景といえる部分に実に後味の悪い感触を込めている。この点についても舞台となっている”芸能界”というポイントが大きく作用している点にも巧さがある。駄殻善悟の謎解きによって、ある人物の別の側面が浮かび上がってくるところも、特に本格ミステリならではの醍醐味のひとつであろう。
ただ、相変わらず登場人物がかなり多いこと、そしてこれはトリックの凄さに隠れて見過ごされそうなのではあるが、やはりその犯罪の実現性という意味でかなり偶然が作用しているところについては、弱点といえば弱点かも。とはいっても、謎の人物であるとか、ちょっとした小物であるといった多用な伏線を論理のなかできちんと回収しきっており、最終的には得心のいく内容として心に刻まれることは事実である。

トリック重視で描かれることの多い霞作品のなかでは、比較的物語性という部分にかなりの力が入っていることは理解できるが、本書の評価はやはり「本格ミステリ」のサークル内部でのものになってしまうか。ただ、その「本格ミステリ」の部分が、並みではない。最近多い、過去の実例の焼き直しとはひと味違う。また、事件とは無関係に、宇宙やUFO関係の都市伝説を次々と暴いていく場面なども途中で挿入されており、その蘊蓄も結構面白い。寂しいのは主人公が料理を口にする場面が、いささか数少ないように思えたこと。とはいえ本書が、「本格ミステリファン」にとっては、今年の必読書となることは、まず間違いない。


04/03/22
岩井志麻子「薄暗い花園」(講談社'03)

執筆ペースが全く衰えず、着々とその著作を積み重ねていく岩井志麻子さんの短編集――といいつつその実体はショート・ショート集といってもいいのではないか。『小説推理』誌に'01年から短編一つの文量のなかに、三つほどの短い物語を込めるかたちで発表、最終的に同形式で'03年まで継続して掲載された諸作品がまとめられている。

中途半端に内容を紹介しても仕方がないので、題名のみを記してお茶を濁すが、それぞれの作品が異なった場所、異なった時間、異なった女たちによって紡ぎ上げられている。数ページ読むと物語が千切られ、否応なく次の話が始まる。岩井志麻子版百物語といった印象を受けた。
『果てしない密室』 「マンション」「喫茶店」「拘置所」
『架空の地図』 「廃屋」「終着駅」「ベトナム料理店」
『美味の意味』 「香辛料」「香菜」「中国風」
『めくるめく暗い過去』 「重い香り」「きれいなママ」「寒い映画館」
『憧れの地獄』 「果実の街」「秘密の自分」「どこかにいる女」
『薄暗い花園』 「パートタイムの恐喝」「華やかな遺書」「悪い子供心」
『身近な異境』 「いたいけな路地裏」「たとえばこんな日々」「凍える春に」
『お約束の悪夢』 「涼しい部屋」「懐かしい悪意」「よくない笑顔」

女たちの諦念、絶望、裏切り。ネガティブな感情を不思議な物語と美しい文章にくるんで……
何が飛び出てくるか分からない。ある作品では女性一人の回想で自分の人生が語られ、ある作品では隠れ家的喫茶店にいる女性の話となり、ある作品では女性拘置所の内部の暴露話が語られる。そして次の作品では、離婚した妻の友人に訪問される男の話……といった具合。それぞれが数ページにてまとめられており、いろいろな物語に出会った――というのが最初の印象。
しかし、そのテクニックは小憎いばかり。書かれていることが真実なのか、妄想なのかを曖昧に、人の心の喪失感を描いてみたり、女同士で表面上は笑いながら内心で毒づく様を赤裸々に描いてみたり。生きていると思えた人が、実は死んでいたというモチーフも多い。岩井さんにとって、死者も生者もそれとも変わりない存在なのだろうか。それとも、我々はみな、生きていると思い込んでいるだけで実は死んでいるのだろうか。
とにかく、それぞれの世界を全く異なるアプローチで表現しているのである。そして、その一つ一つが、巧い。 場面は数行で頭に浮かび、読了するまでの数ページで心のどこかに刻み込まれる。これは単に器用だということでは片づけられない。天性の物語の語り手であるということの証明ともいえるのではないか。上記に記している通り(例えば「果てしない」と「密室」といった) 、形容詞と名詞が逆説的につけられて、それがまた魅力の章題によって三つの物語は、一応の統一感のもとに揃う。これらがさらに全体を通じて岩井志麻子のどこか冷ややかに妄想さえをも見つめる視線によって別の統一感を伴わされ、読者の前に差し出されている。また、文章に無駄がなく、艶がある。女性の官能を肯定し、インモラルな行為にほとんど抵抗を感じていないという作者の価値観によってつくられる物語は、その存在そのものがエロティック。長編でなくとも、物語が訴える意志が限りなく強いのだ。

もともと一般デビューが短編であった岩井志麻子さんが、更に持っている武器を研ぎ澄ませてきているという印象。短い物語にこれだけの情念・情感を込められるのは素直に凄いと感じる。媚薬にして麻薬。そんな魅力を岩井ワールドは醸し出す。


04/03/21
佐神 良「S.I.B セーラーガール・イン・ブラッド」(光文社カッパ・ノベルス'03)

KAPPA-ONE登竜門の第二期デビューの三人のうちの一人がこの佐神良氏。講談社のメフィスト賞に対抗する意図(多分)で創設された光文社の新人発掘プロジェクトKAPPA-ONEの第一期は『本格推理』等、光文社の投稿系雑誌の常連からクローズドにセレクトされた作家が登場したが、この第二期に関してはまっさらの新人ということになる。佐神氏についても本書がデビュー作品。非ミステリ。

近未来。南関東一帯に壊滅的被害を与えた大地震があり、その混乱に乗じて侵攻してきた《半島国家》との戦争を経験した日本。在日米軍の介入により、紛争こそ終結したものの、日本の国家としての力は大幅に衰弱した。日本は国家計画を以前とは根本的に改め、《国民ID》を持つ一般国民にのみ正常なサービスを提供、それを持たなかったり剥奪された《棄民》は《自由地帯》と呼ばれる荒涼とした地域に住むことを余儀なくされる。アムロは《女子高生》。女子高生とはいっても、実際に学校に通っているわけではなく、彼女たちは高度な戦闘術を持ち、訓練統制された少女たちの階層を指す言葉でしかない。彼女たちは《自由地帯》を複数のグループでもって掌握。アムロはなかでも最大勢力を誇る《北のグループ》のリーダーである。その《女子高生》たちグループ同士、内部でも日々勢力争いが繰り広げられていた。そしてこの地において別の意味で大きな勢力を持っていたのはカラスである。彼らもまた集団活動によって特異な意志を持つようになっていたのだ。この地に迷いこんだ花田親子、そしてカラスと意志疎通のできるハヤカ。ハヤカを守る少年。そして、彼女たちに係わろうとする黒い意志……。様々な動きが開始され、物語は激動する。

美少女格闘ものでありながら、世界設定とプロットが意外にも凝っており、なかなかにGOOD
セーラー服を着た女子高生が極限の戦闘能力を持ち、戦いを繰り広げる――とだけいうと、オタク受けするお手軽アニメかマンガの世界のような印象を持たれるであろう。確かにその側面は否めない。一応、物語中でなぜ美少女たちが(美である必要は結局ないのだが)このような戦闘のプロフェッショナルになったのかという説明がつけられている。だが、本書はその点のみで誤解されてしまうには勿体ないだけの世界がある。
というのは、物語作りが相当に周到なのである。日本人が廃墟のなかで暮らすに至った背景や、彼女たちが否応なしに巻き込まれる戦いを仕掛けた人物など、(そりゃ荒唐無稽の誹りはあるかもしれないながら)きっちりと説明されており、それで納得させられるだけの情報が物語に配置されている。そして、これらが全て物語の吸引力となる”謎”として機能しており、私自身軽い気持ちで読み出した割にぐいぐい世界に引き込まれた。戦闘にしろ、登場人物の日常にしろ、描写そのものも圧巻にして、よく考え込まれているし、世界観がしっかりしているなかでの登場人物たちの行動にも一貫性がある。特に、我々の日常の延長戦上で暮らす一般市民と、サバイバルの世界で暮らすホームレスとを同じ日本に両立させているあたりの工夫に感心。いわゆる本格ミステリを指向した作品でないのはもちろんだが、それでも後半から終盤にかけて明かされる”世界の秘密”については、それなりに伏線となる描写が張られており、ロジックがしっかりと立っているという印象が強い。
ストーリーも波乱が溢れる割に無駄が少なく、スピーディに展開していく。”この世界”についてだらだらと説明のための説明を繰りかえすのではなく、物語の内部の要所要所で触れて、ごちゃごちゃしないのも好感。多少登場人物が多すぎるきらいもあるとはいえ、作者も大胆かつ残酷に彼女(彼)らを駒として扱い、舞台から排除していくため、最終的にはすっきりする。ラストに巨悪が倒される場面なんかもカ・イ・カ・ン(古い)。
恐らく、セーラー服にこだわらなくても相当な物語になったであろうことも間違いないのに、作者は女子高生に何かこだわりがあるのだろうか。この結果、少々作品への読者の入り口を狭めてしまっているような点が勿体ない。(別の意味での読者はつくのかもしれないのだが、本来のSFアクション小説ファンの一部は、読む前から引いてしまうのではないか)。

とはいっても、そのSFアクションとしては近年出色の出来映え。単純に痛快な物語を求める方にも、きっちりした世界設定を求められる方にも適。個人的にはやはり念入りな、この世紀末(現実には新世紀に入ってるわけだけど)的近未来設定に痺れさせられた。正直、このまま一冊でこの世界を捨ててしまうのが惜しくなるくらい。