MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/04/20
坂東眞砂子「蟲」(角川ホラー文庫'94)

作家・坂東眞砂子がブレイクしたのは『死国』の映画化がやはりきっかけだと思われるのだが、それまでにも第1回ノンノ・ノンフィクション大賞、第7回毎日童話新人賞を受賞するなど作家歴は長い。つまり、本書も'94年、第1回日本ホラー小説大賞の佳作を受賞した作品ではあるが、同賞の特徴であるデビュー済作家も応募OKを満たしている。

造園設計を仕事にしている夫と職場結婚しためぐみ。妊娠を期に仕事を辞めたことを少しだけ後悔しつつも、平凡な主婦として平穏な暮らしを送っていた。一緒に暮らしだして、それまで気付かなかった夫の欠点も見えてきた。そして夫は業務が多忙で帰りが深夜になる日が続き、キャリアを重ねる友人と会うことで少しずつめぐみは自分の暮らしに疑問を覚え始める。そんな折り、富士川の側で拾ったのだという古い石の器を夫が持ち帰ってきた。その器が家に来てから、徐々に夫の様子がおかしくなる。あれほど激務だった筈の夫が早く帰ってくるようになり、それでいて異常なまでに疲れが出ているのである。食事の嗜好も変化し、その性格が穏やかになったことにめぐみは戸惑う。そしてある日、夫が会社を出てから家に帰るまでの合間に、一時間半ほどの空白があることに気付いためぐみは浮気を疑い、会社を出た夫の後を尾行。しかし夫が向かったのは新宿のビル街に作られた植物園。その橘の木の前で夫の身体から巨大な虫が這い出てくるのを目撃してめぐみは失神してしまう。

新婚→出産という道程にある不安な女性心理の演出が見事。そこに加わる超常現象が更に心理の襞を鮮やかにする
誤解を招くかもしれないが、本作、いわゆるホラーとしては、もしかすると平凡と言い切ってしまってもいいかもしれない。 「どろ虫でてけ、さし虫でてけ」など、京都を舞台にした過去に主人公が経験した儀式など、確かに坂東さんが得意とする日本の土着信仰などが取り入れられており、ホラー・ジャパネスクのムーブメントの動きのなかの作品であることは間違いないし、超常現象、いわゆるsupernaturalな要素も作品内に確固として存在する。クライマックスに向けての恐怖感や嫌悪感といったところも真っ正面から向き合った内容となっている。ホラー小説必須ともいえる”怖さ”という要素については十二分に持っているのだ。
それでも敢えて平凡だといったのは、あくまでそういったホラーの”要素”としてだけの話。土着信仰にしても、体内に入り込む虫という設定にしても、何らかのかたちで似た作品が存在する訳で、その要素自体、決してオリジナリティが高いとは言い難いものがある。その一方で、小生が本書を評価したいのは、その女性主人公の考え方の変遷が、超常現象を通じて鮮やかに描かれている方にある。あるいは文芸的意味合いで、ということになるかもしれない。確かに坂東さんの作品におけるホラーの要素は、日本人に古から伝わる……といった歴史とも絡んだ設定となっていることが多く、それはそれで巧いと思う。だが、本作に限っては、そういった要素も満遍なく取り入れられている一方で、やはり仕事を辞めた家庭の主婦が、自分自身を取り戻す過程が、その超常現象との絡みを通じて、実にリアルな筆致で描かれているのである。極端は言い方をすれば、主婦の自立というような、どこかジェンダー小説めいた印象さえある。そのあたりが評価されての佳作なのかも(選評を当たればいいのだけれど……サボってます)。

『死国』のヒットもあり、本作もそれなりに売れた作品のようである。坂東さん自身、直木賞受賞後はホラー系統の作品ばかりではなくなってきているが、本書自体はホラーブームが終わったとしても読まれる意義はあるのではないかと思う。ただ、レーベルが”ホラー”なんですよね、問題は。


04/04/19
斎藤 栄「完全アリバイ」(徳間文庫'84)

廣済堂出版より'81年より刊行された長編作品で、本書は徳間文庫版だが、最新は'98年に中公文庫より刊行されている模様。斎藤作品は、文庫化された後、一旦絶版となっても他出版社が拾うケースが多く、様々な刊行形態がある。

若手エリート産婦人科医・武宮は結婚式後の新婚旅行に向かう新幹線のなかで、喪章を拾う。そんな不吉な予兆をよそに旅行先の熱海についた彼らだったが、その晩の食事の最中、新妻の瞳が席を立ったまま戻ってこない。武宮のもとに、旧友である吉村から「瞳さんを誘拐した」という連絡が入る。吉村と武宮はかつて瞳を巡って争っていた時期があったのだ。「武宮の愛情をテストする」という吉村は、登山の経験が全くといっていいほどない武宮に対し、急峻な南アルプスの登攀を要求。瞳を連れて山の中で待つという。吉村は義兄のアルピニストである荒木に助太刀を頼む。 一方、川崎市では水商売の若い女性がアパート二階のベランダから転落死する事件が発生。未必の故意が疑われ、関係者の調査が開始された。更に動物園でストレスからノイローゼになったクマの治療のため、南アルプスのサーカス拠点に移して治療しようという動きがあった。

三つのドラマが錯綜し、パーフェクトと思えるアリバイ工作が浮かび上がる……が。
冒頭の新婚花嫁の誘拐、しかも身代金ではなく、新郎に山登りをさせるのが目的……という風変わりな展開に、それなりに引き入れられる。だが、その誘拐事件が本作の肝ではない点が良くも悪くも本作の特徴だといえる。題名にある「完全アリバイ」という言葉通り、アリバイ崩しが本作の主眼となるのである。アリバイが要求されるのが川崎のホステス殺し、しかもベランダからの転落死というベタな事件。この事件が実行された時間帯、電話等が絶対に出来ない山のなかにいた……というのが犯人のアリバイなのだ。確かにプロットとしては、二転三転しており面白いし、それなりのリーダビリティがあってすいすいと読み進めることが出来る。ただ、読了後に改めて考えてみるとその「アリバイ」のために取った犯人の行動の奇妙さ(奇矯さでもある)が、あまりにもめちゃくちゃであるように感じられた。
と、これから読もうという方もあまりいないとは思うのだが(ネタバレ反転) 犯人はプロパビリティの犯罪を狙う。運が良ければベランダから転落してくれるかもしれない。そうして死亡してくれるかもしれない。幾つもの「仮定」がある犯罪計画でしかない。そのプロパビリティの犯罪に対してアリバイを犯人がこしらえるという点がまずおかしい。更に、そのアリバイを保証するものが、自作自演する犯罪計画(しかも共犯者が実行)というのはめちゃくちゃである。こちらが瓦解して、元のプロパビリティの犯罪が失敗するとか考えると、あり得ない考え方だろう。(ここまで) このあたり、個々のトリックについては傑作とはいえないまでもミステリとして水準であるだけに、もう少し個々の要件の繋がりについて検討して頂きたかったようにも思う。

その企図はないとは思うが、万が一「題名で本格ミステリ読みを惹きつける」試みがあるのだとしたら、小生はやられたということになるのだろう。アリバイ崩しが主眼ながらフーダニットでぎりぎりまで引っ張る等、試み自体は面白いものがあるながら、トータルとしての完成度が今ひとつという作品か。同じ斎藤作品でも、他に佳作は多いので、本格ミステリファンであっても本書を無理に勧めることはしない。


04/04/18
福井晴敏「終戦のローレライ(上下)」(講談社'02)

福井氏はこの数年で大作家となってしまった。改めて経歴を俯瞰すると、'98年に『Twelve Y.O』にて第44回江戸川乱歩賞を受賞してデビュー。その後『亡国のイージス』にて第53回日本推理作家協会賞長篇賞、第18回日本冒険小説協会大賞日本軍大賞、第2回大藪春彦賞をトリプル受賞。さらに本作では、第24回吉川英治新人文学賞(第21回日本冒険小説協会大賞も)を受賞。うーむ、エンターテインメント系作家の王道を突き進んでいる感がある。

太平洋戦争末期。先に降伏したドイツから脱出してきたUボートは、もとはフランスが製造しドイツが戦争の過程で入手したもので、その恐るべき戦果により《海の幽霊》と渾名されていた。通称「ローレライ・システム」という秘密兵器を手みやげに幾多の戦争をくぐり抜けたその潜水艦は日本に到着。新たに〈イ507〉と名付けられ、大本営の浅倉中佐による秘密工作の結果、欠乏しつつある物資を集中的に投入されて再整備がなされた。身内の不祥事で一戦を退いていた絹見という艦長や、特攻兵器《回天》の操縦を特訓していた折笠や清永といった若年兵、それにドイツから唯一、日独混血のナチス親衛隊将校・フリッツ・エブナーら、はみ出し者が秘密裡に集められて乗員となることが決まった。米国の空襲のなか、慌ただしく出港した彼らの最初の任務は、五島列島沖に一旦投棄された秘密兵器《ローレライ》の回収。しかし、その《ローレライ》を搭載している《ナーバル》を狙って、米国の潜水艦が同海域をうろついており、戦闘の火蓋は切って落とされる。そして明かされる《ローレライ》の正体、しかし彼らは休む間もなく、南太平洋へと向かっていく……。

物語は壮大にして全てが緻密。そして現代日本人への強烈な問いかけ。海洋冒険小説として、文学として超一流
このボリューム。上下巻でこれだけの厚みを誇る背表紙を見ただけで、読み出すのに躊躇するという方は多いだろう。実は最近まで私もそのクチであったことは否定しない。だが、そのハードルを乗り越え、読み出したらこれが止まらない。 実に小生の感覚では長編三冊分に匹敵するだけの”物語のヤマ”があり、少々人数が多いな……とも感じた登場人物たちがそれぞれに背景を持ち、かつ活き活きと描かれ、そして何よりも戦闘シーンの連続が醸し出す物語の持つ勢い、そしてタイムリミットを持つ展開にぐいぐい引き込まれる。
言い方が難しいが、終戦間際の日本を巡る大いなるホラ話である。一種の超能力といろいろと辻褄が合わさった謎の兵器。だが、そのホラ話を許容するだけの”終戦間際の混乱”を福井氏は物語にうまく反映している。当時のぼろぼろの日本海軍という状況であれば、公式に認められていないこういう存在も有り得たのではないか――。圧倒的に荒唐無稽な(はずの)設定が、そして当時の実際の兵器や組織のディティールを徹底的に描写されることによって、数ある戦闘シーンはリアルに、政治的駆け引きに固唾を呑み、人の死に涙できる、一個の物語へと昇華しているのである。登場人物に関しても、兵器の設定に関しても、トータルの背景にしても、序盤から中盤にかけて描かれる描写や設定に余剰がなく、必ず物語のどこかで活かされている。このあたりの丁寧な作りには、ただもうひたすらに圧倒されるしかない。物語のヤマのあいだに配置された細やかでかつ生々しいエピソード(例えば南の島に取り残された日本軍の話であるとか)は、それ自体が興味深く、また物語全体の伏線にも補強ともなっているという周到さ。一連の物語を途切れさせていないのだ。
むろん、単純エンターテインメントとしての出来も優れている。乏しく制限のある武器をやりくりしながら、工夫をもって戦う潜水艦の戦闘場面は凄まじく面白いし、その戦い方自体を描くパートだけでも一つの物語といえる。これら迫力ある戦闘シーンや、苦労しながら内外の敵を倒し、満身創痍で戦い続ける彼らの姿に圧倒されながら、一方では「国家としての切腹を断行する」という妄念に取り憑かれた男を配し、戦争の真実の残酷さをもまたあからさまにして、常に福井作品の根底に流れる日本人への問いかけもまた確と存在する。特に、《ローレライ》の物語が終了したあとの日本のありようが描かれる部分は、(物語として平板ながら)そこから訴えてくるものが急に文学的に思える内容となる。ただ、その皮肉をまた許容せざるを得ないのは、現代の日本人が既に福井氏がカリカチュアライズするような存在となっているから。

もう一つ気付いたのは、物語のポイントポイントで、様々なかたちで様々な”歌”が登場するところ。その心情に即したものもあれば、状況を説明する意味のものもある。だが、その”歌”を効果的に挿入することによって物語の立体感を高め、そして個別の情景に独特の叙情を付け加えている。初めて歌詞を目にし、節も知らないメロディ。なぜか、これが実に……泣ける。

昨年度の「このミス」で『葉桜…』に僅差で破れ、二位となりはしたが、大きくエンターテインメントで多様な作品群を括らなければならない「このミス」の弱点が出てしまっただけ。冒険・ハードボイルドリーグ系の作品としては圧倒的な一位を獲得しているといえる。映画化も決定し、原作には福井氏本人が噛んでいるのだという。とはいえ、この分量、余裕がない方にはなかなか勧めづらいものがあるのだが、踏み出せない理由がボリュームだけで実は読んでみたいという方は、とりあえず第一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。少なくとも貴方の期待が裏切られることは、ない。


04/04/17
近藤史恵「二人道成寺」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'04)

「ににんどうじょうじ」と読む。『ねむりねずみ』で初登場した今泉文吾シリーズの四冊目となる長編。(個人的にはこのシリーズは今泉よりも遙かに語り手となる小菊の存在が重要なのではないかと思っており、”小菊シリーズ”の方がしっくりと来る印象。本格ミステリ・マスターズの十二冊目として登場した。書き下ろし。

若手歌舞伎俳優である小菊が師事する歌舞伎界の大御所瀬川菊花のもとに、人気女形役者である岩井芙蓉が稽古を付けて欲しいという依頼をしてくる。同じくタイプの異なる女形役者で、業界では岩井芙蓉と犬猿の仲と噂される中村国蔵が先に菊花には同じ稽古をつけてもらっていた。その岩井芙蓉の妻、美咲は不慮の火事がもとで現在、意識不明の重体が長いこと続いており、芙蓉は献身的に彼女の面倒をみながら歌舞伎稼業を続けている。しかし、中村国蔵はその火事の事件に疑問を感じており、梨園に詳しい探偵である今泉文吾にその調査を依頼する。――一年前、岩井芙蓉の番頭をしていた玉置実は、彼の妻の美咲から呼び出された。荒れ放題となった彼女の家に愕然とする玉置であったが、少々エキセントリックな性格を持つ彼女と親しくしているうちに「わたし、好きな人がいるの」と衝撃のコメントを聞かされる。地方公演で、玉置はいる筈のない美咲を目撃、しかも彼女は中村国蔵と親しげに話しをしていた。

梨園を舞台にした男女の心理の綾が実に丁寧に美しく、そして繊細に書き上げられて。ミステリから離れて読みたい
……確かに、探偵である今泉文吾も出てくるし、事件らしきものが存在するし、ある事態の真相を見通すことがテーマ……なのだが、なぜにこのレーベルから出るかな、この作品。形式的には確かにミステリの様式を踏襲しているものの、その本質は純粋な恋愛小説にあるよ。男女の恋愛題材にしたミステリというよりも、ミステリの風味を利かせた極上の恋愛小説。このあたりを書かせると実に巧いのは、既に近藤作品では実証されているのではあるが、本作はその凄みを更に高めたような印象を受けた。ちょっと誤解を招くかもしれないが、ミステリの手法を利用して恋愛小説の凄みを高めていた中期以降の連城三紀彦作品と少々雰囲気が似ているように感じる。
ただ――そのベースとなっている実に微妙な男女の心理の綾だけをミステリと絡めているのではない。やはり作品にとっての重要なモチーフであるのは(そしてそれがオマージュにもミスリードにも機能している)歌舞伎という世界が関係している点にあるだろう。作品の内部で描きだされる男女のドラマ、それを歌舞伎の有名な演目と重ね合わせ、更に微妙にずらして読者を幻惑するあたりに本領があり、読者になかなかコトの本質に辿り着かせないテクニックは、ミステリ作家ならではのものである。実際の恋愛だってそうではないか。ストレートに思いのたけをぶつけるだけが、唯一の方法ではない。表に出ない出せない心の揺れ動きに妙味があるわけで。伝統的芸能である歌舞伎と重ね合わせることで、彼らの心情が、更に深く繊細に心に響くようになっていく。この分野を描くのに、近藤さんはどんどん長けてきている。

ミステリとしてだけ評価した時に最上とは確かにいえない。だが、読書から得られる悦びといったあたりでは満点である。繰り返しになるが、本作品が本格ミステリファンを読者層に想定した、このレーベルから刊行されたことがどうにも勿体ない。先入観抜きに多様な読者が手に取れた方が良いように思うのだ。文庫に落ちた時に、もっと広く女性層も含めた読者に読んで貰いたい一作である。


04/04/16
黒川博行「八号古墳に消えて」(創元推理文庫'04)

本書の巻末には「本書は一九八八年、講談社から刊行された」とあるが、これは間違い。元版は同年刊行された文藝春秋社版であり、講談社版などはそもそも存在しない。黒川氏の初期長編のうち長らく本書のみ文庫化されていなかったもので、長らく後から来た黒川ファンにとってのキキメ的作品であった。今回復刻した版元でも想像可能の通り、大阪府警一課のシリーズ作品。クロマメコンビが活躍する。

大阪、八尾市にある遺跡発掘現場が崩壊。崩れた下の土から死体が発見された。遺跡発掘の責任者である大阪文科大学教授の浅川亮介と身許は判明。死因は窒息死とすぐに知れた。大阪府警の捜査一課に所属する黒木と亀田(クロマメコンビ)は現場に急行したなか、最初の事故説では説明しきれない点がいくつか現場にて発見された。事故か他殺か。大学の関係者を中心に捜査を進めるなか、後頭部の内出血に加え、浅川の死体の体内から摂取された泥が、現場付近のものではないことが判明。偽装工作があったとして改めて捜査態勢が敷かれ直すことになる。しかし、今度は同じ発掘チームが関係する富田林の遺跡で、スタッフの一人が撮影中の櫓の上から不自然なダイビングを行い、転落死を遂げるという事件が発生した。自殺するような気配はなく、彼が遺した「アツ」という言葉は、更に捜査陣を混迷の底に陥れる。引き続き関係者のアリバイや、人間関係を地道な捜査で調べていくクロマメたち。彼らは関係者の一部に不審な行動があることを見て取り、その一人余沢を見張るのだが、彼らが(自らのガス欠で)撒かれてしまった後、その余沢もまた行方不明となってしまった。

なぜに本書の復刊が遅れたの? 象牙の塔に潜む悪魔的な犯人と警察捜査員たちとの熱き戦い
物語内部における手掛かりと伏線で論理をもって本書にあたり、読者が与えられた条件から推理を行って、犯人であるとかその犯罪方法を導き出せるかというと少々「?」である。全ての手掛かりがフェアに開陳されているとは言い難いから。しかしそれでも、本書において使用されているいくつかの物理トリックは、心のなかに焼き付くタイプのものであるといえる。というのは、遺跡の発掘現場ならではの舞台が十二分に活かされたうえで、その特徴を見事にミステリのなかに埋め込んでしまっているから。特に、二番目の事件である遺跡撮影用の櫓からの死のダイブや、山中で発見される餓死死体の齟齬、さらに彼らの行動をプロット化した時に、遺跡であるとかそれを巡る学会の確執や個人的な怨恨等が実に見事に絡み合っている点が面白い。(本格ミステリとして捉えた時には、ある点について少々減点があるのだろうが)。事件と設定が渾然一体、不可分となっている点は高く評価できよう
そして、大阪府警シリーズならではの相変わらずのコミカルな台詞回しには痺れさせられる。 もう、めちゃくちゃといってもいいような会話のキャッチボール。時を超えた関西人のボケツッコミがこれまた実に巧みに活字化されており、黒木と亀田の会話を拾い読みするだけで十分に楽しい。 「あれ、何や、古墳か」「知りませんか、仁徳天皇陵ですがな」「えらい大きいな」「世界で一番大きな墓ですわ」「嘘つけ。エジプトのピラミッドが一番やと聞いたぞ」「それは体積。面積はこっちの方が上です」「そんなこと、誰が決めた」「決めたも何も、昔からそうなっとるんです」「昔て、いつや」「知りません」「知りもせんこと、いうな」「黒さん、むちゃくちゃやな」 こんな会話、実際にありそうで、それでいて普通活字にはならない。でも、それを正々堂々とやってしまうあたりが黒川ミステリの魅力の一つ。場面を想像しつつ、にやにや笑ってしまう。少なくとも今後、阪和線に乗るたびにこの会話が頭のなかでリフレインしそうな気がする。
また、事件の背景となる大学の内部抗争や、学会ならではの因習なども巧みに作品に取り入れられており、日本の遺跡発掘事情の裏話など、蘊蓄としても楽しめる。また、古墳そのものの魅力やロマンといったところを作品にて表現できているあたりも評価すべきか。そういった”リアル”にこだわる点も黒川ミステリのさりげない特徴の一つである。

巷の古本者同様、元版を所有しているのに発掘叶わず、新たに文庫を購入しての読了となった。……ただ、本書は埋もれてしまうには勿体ない作品であることは間違いなく、復刊は素直に喜ばしい。ちなみに現在大阪地区では、この復刻された創元の大阪府警シリーズ、書店のベストセラーランキングに顔を出したりしているようなのだ。全国的に大々的に名前が通っているとはまだ言い難い作家の作品でこのような現象が起きているというのも、考えてみれば凄いこと。ただ、中身の面白さは保証つきなので、これは正しい状況だともいえる。


04/04/15
笠原 卓「殺意の葬列」(文華新書'77)

'73年第19回江戸川乱歩賞に『蒼白の盛装』が最終候補として残り、『ゼロのある死角』と改題されて刊行されてデビュー。本書は唯一の著者の短編集で、後に『詐欺師の饗宴』等、東京創元社より長編作品を刊行している。

以前は警視庁に勤務していたが、今は私立探偵として働く児玉一郎。彼はスナック勤務の鯉淵百合とわりない仲であり、二人して喫茶店”まあめいど”の常連客。そんな彼に様々な方面から寄せられる事件。そしてその事件は時に児玉の単独で、または”まあめいど”の常連が事件の謎解きを出し合って解決へと導かれていく。そして、個々の事件には、作者から読者への「挑戦状」が必ず中途に挟まれるという凝り方。まさに本格推理短編集だといえよう。
依頼により浮気しているという旦那を熱海にまで追って、旅館を窓側から監視する児玉。児玉の眼前でさまざまな人々が反応を見せるが、その内側では殺人事件が発生していた。現場に残された奇妙なダイイングメッセージが意味するところとは?  『脅迫の部屋』
若い男女六人が暮らすアパートで男性が一人、ウイスキーに入れられた毒物で死亡した。容疑者はアパートの住人、そして製氷皿に残された毒。しかし誰もがその毒を入れる隙はなかった……。 『冷たい死角』
ほか、『奇妙な手紙』『仕組まれた遊戯』『八人の容疑者』『黒枠の招待状』『瀕死の密室』『死体が消えた』『ひき裂いた夜』『証拠がいっぱい』『隠された醜聞』 以上十一編。

全てが本格推理短編にして、内容は玉石混淆。でもなんだか、とっても楽しい
人によって様々な見方があるとは思うが、私にとっての笠原卓という作家は「本格ミステリがちがち」のトリック重視の作家、である。また山村正夫あたりが監修しているクイズ本などにも、なかなか喰えないクイズ・ミステリを寄せていたりもする。その笠原氏の唯一の短編集にして、氏の作品のなかで最も入手が困難な本書には、長らく興味があって入手できないものか虎視眈々と探し回っていたのだ。それがMYSCONオークションで出た日には、強引に競り落としたくなるというもの(言い訳がましい)。師匠、ありがとう。
で、早速読んでみた。うーむ、評価が難しいが、読んでいて楽しいというのが率直な思い。とはいっても、ミステリ的には正直、玉石混淆なのである。しかも玉より石が多いかも。 例えば『冷たい死角』など、ありがちな設定をアリバイトリックにすり替えたかと思いきや、再び論理のミステリに引き戻しているあたり面白いし、『死体が消えた』は長編を支えられるだけのアリバイ崩しトリックが用いられているのに、どうも展開がごちゃごちゃしてしまっていて勿体ない印象。ただ、これらはそれなりに読み応えのある出来だといる。その一方で題名は挙げないが「え、こんなもん?」といったレベルの作品も多少存在する。いきなりいくつか極端なメタミステリが登場するあたりも違和感があるといえばある。手練れの本格ミステリマニアにとっては簡単すぎ、ミステリクイズを期待する方にとっては難しすぎる……といったどこか中途半端な印象は拭えない。
だけど、楽しかった。不親切な描写や、脈絡のないレギュラー登場人物といったあたりから、四十年代ミステリのチープな香ばしさがぷんぷんと漂ってくるのである。主人公である児玉の都合の良い造型といい、その他の人物といい、それなりに考えられているようでいて相当な御都合主義、その言動や行動が考え深いようでいて何を考えているのか分からない。格好いいのだか格好悪いのだかよく分からない。時に二枚目、時に三枚目ところころと役割が変化する。……だから面白い。恐らくもとの掲載誌の紙面の都合なのだろうが、えらく読者の挑戦が早い段階に来ている点も特徴として挙げられよう。なので、なんとなく現在基準での評価であれば、やはり「中途半端」というので仕方ないことは分かっているのではあるものの、個人的にはこのチープさゆえに、全体を通じて、実に楽しく読めてしまった。

笠原卓の完集を目指す本格ミステリマニア以外にとっては無理に読まれる本ではないと思う。が、この独特の味わいはやはり捨てがたいものである。万が一(簡単には無理だろうが)見つけられることがあったら、読んでみるのは一興だと思える。不器用なまでに本格にこだわった作家でもあり、それなりの評価を与えてもいいように思うし。


04/04/14
樹下太郎「落葉の柩」(浪速書房ナニワ・ブックス'62)

そもそも珍しい浪速書房の新書版に、昭和三十年代に独自のミステリ及びサラリーマン小説を発表してきた樹下太郎の初期長編。浪速書房より'60年に刊行された作品が元版。

十数年連続勤務している古参社員・戸田。継母から押しつけられそのまま結婚した妻との仲もしっくりいかず出世の糸口もみえない彼がたった一つ大切にしているのは、目立たないが気だての良い愛人で、同僚でもある花木陽子。三年前、陽子とふとしたことから深い関係に陥った戸田は、彼女との密会のために先に一人で別所温泉の宿に宿泊していた。しかし、彼が旅館で見掛けた男の顔は、一千万円の拐帯を実行した指名手配犯人、堤。戸田は、全てを捨てて陽子と新たな生活を開始するために、堤に逃げ道をアドバイスをすると見せかけ、アリバイを作り、彼を追って殺害する。「落葉の柩」に堤は埋められ、完全犯罪は実現された筈であった。しかし、帰京した彼の前には会社社長の池月と名乗る男が現れ、戸田を脅迫する。池月は堤を追って別所温泉にいたのだが、一部始終を目撃、現場写真をカメラに収めたという。完全犯罪の狭間で揺れる戸田と陽子は、池月と対決すべく、彼の周辺を調べ始めた……。

倒叙ミステリ+サラリーマン・ラブ・ストーリー。転落の道筋の鮮やかさに微妙な余韻が
最初にいってしまえば、実に暗い小説である。ミステリと厳密に分類すべきかというと微妙だし、いわゆる会社舞台の樹下風のサラリーマン小説かというとそれとも少し手触りが異なる印象。(この時代に、男性が未婚女性を愛人とすることが社会的に誉められないまでも認められていたという背景のなか)嫌い合っている妻とは別に、愛人との純愛を貫き通す男が味わう天国と地獄と地獄の物語。
面白いと思ったのは、実際に殺人を犯したのが戸田という主人公であるなか、結局その犯罪を誰もが告発できない三すくみの状態に置かれてしまう点。登場人物の誰もが背徳い気持ちを持っているがゆえに、独特のサスペンス感覚を物語が発している。この独特さ、半端ではない。結局、暗いといえば暗いのだけれど、そのどれもが道ならぬ恋に苦しんだ結果という暗さによるもので、このあたりの苦悩を切々と小市民的に描かせると樹下太郎は超一流の才能を発揮する。なので、やっぱり作品は暗い。だけど、どこか上手さが感じられる技巧的な暗さ(我ながら変な表現かも)なのである。リーダビリティは高いのでぐいぐい読ませるのだけれど、読んでいるこちらも「どよーん」と暗い気分になること請け合い。この小市民的な立ち回りや、犯罪を前にした時の神経というあたりの表現が樹下太郎の真骨頂だともいえる。

まあ、推理小説というよりも、サスペンスに類する小説である点は否定しない。大きなトリックがあるわけでもなく、その後の構造にて工夫がみられる作品。今となっては、樹下ファンのみが読めば良い作品なのではないかと思われる。やっぱり少々暗いし……ね。


04/04/13
村瀬継弥「着流し探偵事件帖 青空の下の密室」(富士見ミステリー文庫'01)

「藤田先生」ものによる短編をいくつか発表の後、'95年に『藤田先生のミステリアスな一年』にて鮎川哲也賞佳作を受賞し本格デビューした村瀬氏。最近はライトノベル系レーベルにその活躍の場を移しつつあるようだ。本書は、富士見ミステリー文庫から刊行されたそのラノベ第一作品。

東海地方の小都市にある梅田川高校に通う”僕”こと橋上翔太。授業中に「殺人が起きたらしい」との騒ぎが起き始め、かつていじめられていた孫坂純一が事件に巻き込まれたのではないかと心配する。しかし、殺されたのは谷沢という日本語教師。屋上で死体が発見されたが、死体の側には「一」と見える血文字、そして凶器は見あたらなかった。この騒動を通じて、翔太は学園でも美少年・美少女カップルである青矢由紀夫と赤月美樹と仲良くなる。翔太は自宅で、親戚の警察関係者から事件の状況を訊きだし、放課後、四人で事件の検討をすることになる。純一をいじめていた『三人組』が犯人ではないかという噂もあり、彼らは独自に捜査を開始する。三人組との衝突、由紀夫の活躍による撃退と、彼ら四人は徐々に「青矢グループ」と呼ばれる集団となる。そして再び、別の現場で教師が刺殺される事件が発生した。現場には前回の事件と同様「二」の血文字が。

オトナ向けのがちがち本格ミステリと、ライトノベルの融合って口でいうほど簡単ではないということ
村瀬継弥氏には、ライトノベルが似合っている……と書くと、本書を読まれた各方面から誤解を招きそうではあるが、村瀬氏のどこか地に足のつかないようなフィクションフィクションした文章と物語には「挿絵」があった方がイメージ喚起の一助になるように思える。なので。
個人的にライトノベル系のミステリを読み込んでいる訳でもないので、一概に決めつけることは難しい。だが、ちょっとこの作品の位置づけというのは微妙であろうことは想像に難くない。これまで(若い世代にも読めるとはいえ)一般向けの本格ミステリを指向してきた著者がライトノベルに挑戦した、というのが本作。そもそもライトノベル系の作品は、そちらのプロパー作家が活躍しており、ライトノベル→一般向けはあっても、一般向け→ライトノベルという作品発表をする作家もいるにはいるけれどそれほど数多い話ではない。ライトノベルの雰囲気というものは、その分野にて活躍している作家の”ベース”として確固として存在するもので、勉強して後から身につけるものではないと思うのだ。本書のどこか居心地の悪さというのは、そういう「こうすることでラノベになるのだろう」という計算が透けて見えるせいかもしれない。
ただ、それほどのオリジナリティが高いとはいえないながら、本格ミステリ(特にトリック)はそこそこきっちり仕上げられている。ここに手を抜かないのは一般向け本格ミステリ作家の矜持ともいえる部分であろう。だが、その周辺(設定だとか登場人物の行動であるとか)がかなりいい加減……というか、実に現実感に乏しい。捜査にしろ、殺人事件に巻き込まれている登場人物にしろ、そもそも登場人物自体にしろ、個々のエピソードを取り出すと悪くはないのだが、相対的にやはりフィクションフィクションしている藤田作品に見られる共通点を背負っているように見受けられる。なので、どこか移入できないように感じられた。あくまで、本格ミステリの核の部分を評価するのは良しとして、作品としてはやはりどこか中途半端な印象が拭えない。

とはいっても、上記はひねたオトナのミステリ読みの感想なので、まるまる信じて頂く必要もない。本来のライトノベルの読者がどのように感じるかというのは小生の想像の埒外でもあるので。皆さんの頭で確かめて頂きたいところ。


04/04/12
貫井徳郎「さよならの代わりに」(幻冬舎'04)

『ポンツーン』誌に'03年1月号より'04年1月号まで連載された長編が単行本化されたもの。単行本帯に長谷川京子を起用というこれまでの貫井作品とは少々異なる読者層を意識したものか。また、本編のパラレルワールド的短編がアンソロジー『エロチカ』に「追憶」に収録されている(ただ、こちらの”さとみ”と”かずき”は本編と漢字が異なっている)ので、興味のある方は両方どうぞ。

天才俳優・新條雅哉が主催する劇団《うさぎの眼》に所属する白井和希。二十代前半で役者として徐々に実力を付けつつあるところである。通し稽古が終わって掃除当番にあたっていた和希は、出口付近でしゃがみこんでいる女の子に気付く。どうやらコンタクトレンズを落としてしまったらしい。和希はそれに付き合い、結局駅まで彼女を送る羽目に陥る。萩村祐里と名乗った彼女は、新條のファンだといい、和希のことも知っているという。駅で別れた二人であったが、翌日、花を持って再び祐里が稽古場に現れる。和希と仲の良い剣崎と共に近くの喫茶店に行き、三人はいろいろと話をする。しかし実は和希自身は、いわゆる見込みのない恋愛の真っ最中で劇団でも有名。相手は年上のクールな女性で智美さんという。さすがに祐里は自宅の電話番号を彼らには教えず、二人の携帯電話を聞き取る。そして公演の舞台裏に入れて欲しいと頼んできたが、さすがに彼らもそれはできない。日曜日のその智美とのデートの後、和希のもとに再び祐里からの電話がかかってくる。謎めいた彼女、不思議な依頼。そして公演初日――。

ミステリ作家にしか書けない、少し切なく、そして素敵なラブ・ストーリー
あまり内容に関する先入観をもって読まれると興を削ぐ可能性があるので、できるかぎりそのあたりについては抑えて書く。
これまで『慟哭』を筆頭として数多くのプロット型の本格ミステリを著してきた著者が、それまでの経験をもとに別のジャンルへと進出した――といった印象。貫井徳郎の一人称小説には特有の仕掛けがあることが多いが、本書はそれをいわゆるミステリ的なサプライズとは異なる方面に使おうとしている印象。つまりは、目指すところがこれまでの貫井ミステリと異なるのである。(強引に分類することでミステリに分けてしまう人もいるかもしれないし、ある別ジャンルの作品だと考える人もいるかもしれない。また、先行する類似作品の題名が頭に浮かぶ人もいるかもしれない)。だが、これまでの貫井徳郎=本格ミステリという括りから、少なくとも自ら飛び出そうとしているようにみえた。
主人公の和希、そしてヒロインの祐里に対する丁寧な描写。更には、徐々に明らかになっていく物語世界の秘密。そして今時にしては控えめで、そして仄かで臆病な恋愛感情の妙。殺人事件も発生するし、それが単なるおまけではなく物語においては重要な意味合いを持つ。ただ、重要ではあっても主眼ではない(少なくとも最大ではない)ところがポイント。そして、本書のキモとなるのはその世界が説明されたあと、最終的に残された微妙な違和感について明かされる部分にある。「巧いな」と思えるのは、こういった手順を用いることで「さよならの代わりに」発せられるある言葉(帯に正々堂々書いてあるわけだが)が、覿面に際だってくる点にある。余韻も切なさも、ここに至ってピークに持ち込まれる。大袈裟にいえば、全ての物語は、このひとことのために存在しているのではないか。果たしてプロローグとエピローグは必要だったのか、という点は少しだけ気になるのだけれど、当たり前のボーイ・ミーツ・ガールのストーリーが、ミステリを通して培われたさりげない技巧を通すことでこれだけの高みに至る点、注目しておいて損はない。もちろん、こういった恋愛小説そのものに対する好き嫌いは読者個人によりあるかもしれないながら、そういった物語への好悪を抜きにしても、この考え抜かれた構造やリーダビリティについては作品についての客観的評価として残されるべきである。

大技ともいえるトリックを用いて、世界をひっくり返して読者の度肝を抜くといった、これまでの貫井作品の愛好者にとっては、本書は少々毛色の異なりを感じるかもしれない。が、別の意味では、新たな貫井ファンが現れる可能性を持っているともいえる。ただ、その根底にあるテクニックに新しい要素を注ぎ込み、次なるステージへと向かっている点、ファンとしては歓迎したい。


04/04/11
乾くるみ「イニシエーション・ラブ」(原書房ミステリー・リーグ'04)

本という意味では、短編集となる『林真紅郎と五つの謎』以来、そして長編ではなんと'01年の『マリオネット症候群』以来となる、乾くるみ六冊目となる書き下ろし長編。

地方大学の四年生になる鈴木夕樹は、友人から誘われてあまり興味の無かった「合コン」に生まれて初めて出席することになる。もともと口べたで女性と話すことになれていない彼だったが、参加者の一人であった成岡繭子を気に入ってしまう。ショートカットで愛嬌のある顔立ち。友人の彼女の高校時代の友人であり、歯科衛生士として働いており、彼氏はおらず先週が二十歳の誕生日。しかし夕樹はなかなか彼女に話しかけられず、期せずして他の女性から気に入られてしまったりもする。そして一週間後、今度は同じ面子で海に行くことになり、夕樹も同行する。そして彼が一人でいるところにやって来た成岡さんと少しの間二人きりになった。彼女が「覚えておいて」といって口にした六桁の数字。それは彼女の家の電話番号なのだという。夕樹はさんざんに迷った挙げ句、思い切って彼女の家に電話した。ぎこちない会話のなか、彼女は夕樹にデートに誘って欲しいという。彼の不器用さがかえって彼女に好印象を与えたらしい。次の金曜日にデートの約束をし、二人はいろいろなことを話し合う――。そして二人は――。

読み通すことで浮かび上がってくる主人公とは全く別の物語。そして携帯のない青春を送った身に痛い、ラブ・ストーリー
本書は単に物語を追うだけでその本質を理解できるタイプの作品ではない――。 読み終わった後に、読者がちょっとした想像力を働かすことが要求される。その想像力によって得られる、裏に流れる物語こそが本書における最大のサプライズだといえるし、その想像力を発揮できない方にとっては平板な物語としてしか感じられないかもしれない。そのあたりがもどかしい。ただ、本書読了直後に機会あってお会いした乾氏によれば、(半ば冗談で)本書に付けようとした題名が『チープ・ラブ マユの物語』だったのだという。そのエピソードを聞いた時は単に某ベストセラー作品のパロディ題名だ、といって笑うに留まったのだけれど、その題名こそが、実は本書の読みどころの本質を射抜いているような気がしてならない。
ただ、その構成上、中身にここで詳しく触れることができない。章題に一九八〇年代の歌謡曲の題名がつけられ、sideAとsideBに分かれた二部構成。sideAたる一部は、大学生の鈴木がマユと恋に落ちる話。そしてsideB、つまり二部は、社会人になった鈴木がマユとの遠距離恋愛をする物語。もちろん、単純な恋愛小説ではなく、周到を極めた伏線が両者にあるのだが、その点については触れられない。ただ、再読した時に強烈に「凄え!」と唸ったのは、sideAにおける大学生の鈴木とマユとの初めての夜のエピソード。濃密な性描写はデビュー作品『Jの神話』を彷彿させるところがあるが、ここに使用されるある「手」は、少なくともこれまでのミステリで見たことがない。(これも詳しくは書けない。もどかしい……)。
そういった細やかな伏線の積み上げによって、あくまで別の物語を見通すことが本書の読み方である点、それだけは繰りかえしておく。これは誰の物語なのか。その点が重要なのである。読了した者同士が本書について、思いっきり語り合うことができれば、それが一番幸せなような気がする。

ただ、小生の個人的なところをいえば、この大学生の鈴木の初々しさみたいなのが実に痛く、わがことのように感じられたという部分もたぶんにある。携帯電話がない時代に大学生活を送った三十代以上の世代に共通する、あるどきどき感の再現など実に巧み。作者と私自身が近い世代であり、この感覚を共有できている点もまた本書の評価を高くしてしまう一因であることは否定しない。でも、読書というのはそういう側面があっても良いと思うし。少なくともワタクシ的にツボの作品でした。はい。