MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/05/10
黒田研二「白昼蟲 〈ハーフリース保育園〉推理日誌」(講談社ノベルス'04)

メフィスト賞受賞の『ウェディング・ドレス』から、はや四年。黒田氏は着々と作品数を重ね、またいくつかのシリーズキャラクタをものにしている。本書もそういったシリーズの一つで、『笑殺魔』に続く二冊目となる。

前作におけるある事件の結果、M市にある〈ハーフリース保育園〉に居候を続ける幼児向け図書販売会社勤務のサラリーマン・次郎丸諒。彼はかつて自殺未遂を起こして駆け付けた友人に救われ、そしてその際に起きた事故によって逆に友人を喪うという経験をしていた。その彼のもとに学生時代の友人である小菅から連絡が入る。一ヶ月ほどM市に滞在するので家に泊めて欲しいのだという。居候である次郎丸は当然彼を泊めることは出来ないため、家賃格安の古アパート〈平和荘〉を紹介する。そこには次郎丸に今の会社を紹介した居酒屋店長・田原勇実が住んでいた。田原は次郎丸の自殺騒ぎの時に親身になってくれた存在。離婚騒動にて大騒ぎしている亀井親子など特徴的な人物の多く住む〈平和荘〉だったが、小菅が何者かに殴られて怪我を負う。一方、次郎丸は中学生時代に自殺した友人の兄・水城真利の姿を目撃。彼が自分を狙っているのではないかと思う。近くの病院から望遠鏡でたまたま〈平和荘〉を観察していた次郎丸は水城が凶器を持って入り口から入るのを目撃、続いて窓から殺人を目撃したように思い、現場に急行するが死体はどこからも発見されなかった……。

くろけん流の社会派ミステリともいえる? 本格指向を持ちつつもイジメ問題の本質を抉る
前作ではどちらかというとコミカルな味わいがよく出ていたこの〈ハーフリース保育園〉シリーズではあるのだが、本作では主人公である次郎丸諒の過去に迫るなど、どちらかといえばシリアスな展開となっている。”どりちゃん””山添女史”といったユニークなキャラクタ、いじられ役としての次郎丸であるとか、その登場人物はそのままにしつつも、少々「お? 何か違うぞ」という展開になっているところがいきなり意外ともいえるだろう。特に、イジメであるとか、その結果としての自殺であるとかが、次郎丸自身の過去の物語や、現在進行中の事件の内部にも大きな影を落としており、物語の持つサスペンス性と相まって全体としてのトーンはこれまでの作品とちょっと異なっている印象。
とはいえ、そういった問題をベースにロジックとトリックをいくつか小味ながらもきっちり詰め込んでいるのがくろけん流。くろけん作品ではしばしば登場する叙述によるトリックを無くし、あくまで構成とトリックによってミステリを構成している点については評価できる。ちょっとミスリードが主人公自身の思い込みや勘違いに頼り過ぎているのが気になる(読者をミスリードするのではなく、登場人物をミスリードすることにこだわり過ぎているというか……)が、結果として意外な犯人を導き出している点は評価できよう。終盤で豹変する犯人の描写や次郎丸自身が心の闇に向き合うあたりもなかなか優れており、またその犯人の心の闇がそのまま実際のイジメ問題の本質を突いているように感じられる。このあたりは後味が決して良いとはいえないながら、心の底にずんと響く主題が存在する。これまでの作品ではどちらかといえばミステリのためのミステリであったものが、本作では別に存在する確固たる主題をミステリを通じて訴えるタイプの作品に変化しているわけで、もしかすると今後のくろけん作品の分岐点となる重要な位置づけに成りうる可能性さえ秘めている。

なかなかの出来であった前作を読んでいた方が作品背景は分かりやすいことは事実ながら、本作だけでも十分楽しめる。本格ミステリという枠だけで読めば良かった黒田研二という作家が、もう少し大きな活動範囲を見出しつつある……ような予感も覚えさせられた。しかしこのシリーズ、次作はどうなるのだろう?


04/05/09
牧野 修「楽園の知恵――あるいはヒステリーの歴史」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'03)

ホラー・SF小説作家・牧野修氏のJコレクション二冊目となる単行本。同レーベルの前作の『傀儡后』は第23回日本SF大賞を受賞しているが、本作は十三もの作品を集めた短編集。『異形コレクション』や『SFバカ本』に発表された作品が中心だが『幻想の文学1985』に発表された「召されし街」や『小説幻妖■壱』に発表された「中華風の屍体」等、一九八〇年代の初期短編が収録されている点も一つのポイントといえる。

夢を見ない。それで不都合を感じたわけではないが、一度気にしだすとそのことばかり考えてしまう。 『いかにして夢を見るか』
女がいた。一見すると若いように見えるのは服のせいで、その風貌は老婆と呼んでも構わない。彼女は便所で刺された。 『夜明け、彼は妄想より来る』
その街は十七年前から子供が生まれなくなった。最後に生まれた閏は街に棲む死体を観察して一日を過ごしていた。 『召されし街』
腐ってる腐ってる俺は腐ってる。不機嫌に生きるサラリーマンの俺は謎の天使からエロ語を母体とする不思議な力を手に入れる。 『インキュバス言語』
教会から追われて地下室に逃げ込んできた青年。部屋には別の若者がいた。彼は”あいつの父親”だと自己紹介をし、昔話を始めた。 『ドギィダディ』
どんな望みも叶える謎の薬バロック。そして時間を支配した国の盛衰記。 『バロック あるいはシアワセの国』
地下にある娼婦工場で生まれた、脚フェチのための少女。彼女のもとに宙に浮かぶ謎の僧侶が訪れた。彼女は眠る時妄想が生まれる。 『中華風の屍体』
外の世界では屋敷島と呼ばれる場所で生きる僕。突如家具人間が降りてきて、僕のことを闘具にするのだという。冒険が始まる。 『踊るバビロン』
あの日、人類は終末に至る道の端緒に立った。それは実は演歌の世界から始まっていたのだった。その歴史をまず見てみよう。 『演歌の黙示録』
かつては人気芸人であったタム蔵の人気は凋落、三流芸人と共に宇宙船で災害被害地への慰問へと向かっていた。 『或る芸人の記録』
恋人に裏切られ死のうとしていた彼女は死ねず、何者かに追われる少年に乗り移った何者かに憑依されてしまう。 『憑依奇譚』
言語が人形化される世界。ホラーやポルノの言語人形が取締の対象となった。チマミレという名の言語人形は一人逃亡を開始した。 『逃げゆく物語の話』
〈ロマンス法〉。恋愛と家族を保護する法律は不倫や堕胎を取り締まり、そしてその拡大解釈は作家に対しても及ぶようになった。 『付記・ロマンス法について』 以上十三編。

♪ゲンソウ系、ゲンソウ系、マキノ式、ゲンソウ系、ゲンソウ系、マキノ式。こんな妄想しーたくても、ムリ!
なんのかんのいっても牧野修氏は好きな作家で、これまで二十冊以上読んできているのだけれど、実は短編集は『忌まわしい匣』『ファントム・ケーブル』に続いて本書が三冊目。しかも、どちらかといえば前二作はエッジの効いたホラー系統の作品集としての統一感覚があったのだが、本書のイメージはそれらに比べると失礼な言い方ながら「落ち穂拾い」といった印象を受ける。どれもこれも牧野修の匂いをぷんぷん発していながら、その統一感は薄い。だが、やはりマキノ式の幻想感覚みたいなものが全編を覆っている。幻想というより妄想……なのかもしれないが。
そして、その妄想の源泉というか、ベースとなっている世界のアイデアがもの凄い。 ただでさえ牧野作品に登場する人物は強烈な電波を発し、常人の理解を超える行動を取るケースが多い。加えて本書の場合、構築された物語世界がまた理解を超える存在なのだ。世界を滅ぼす演歌。死体が動き回り、天に召されるのを待つ街。地球を救うお笑い芸人。アンモラルなものが強引に規制された世界……。こういった特殊な世界のなかで更に狂気じみた人々が妄念を四方に飛ばしている。強烈にして刺激的。だけど、スイートスポットは狭そうだ。
牧野氏の長編の場合でも、実はこういう物語構成はよくある。物語の舞台が特殊なルールによって支配された世界であって、登場する人物の価値観が常識はずれ……。長編の分だけ世界に入り込むのに時間をかけることが出来れば、一般読者もついていけよう。だが、本書の場合はそれが短編であるということで、一編一編から発する妄念みたいなものが更に強烈で、移入するヒマもないように感じられた。初期短編含め、ホラーを意識した怖さを求めたものではなく、想像妄想の赴くまま、牧野氏が好きに筆を運ぶとこのような作品になるのであろうか……。少なくとも読者を選ぶ作品が集まっていることは間違いない。

一般的な読者に向けてのエンターテインメントという気がしない。それぞれ個片としてアンソロジーに収録されているのであれば振りかけられたスパイスとして機能しよう。だが、なんというか、本書はその強烈な刺激のスパイスだけで料理を造ろうとしているような作品集という印象がある。刺激を好む牧野ファンにとっては宝物のような作品集となるだろうが、メインディッシュを求める一般読者が追随するのはちょいと厳しいのではないか。だからこその幻想文学ではあるのだが。


04/05/08
吉川良太郎「ペロー・ザ・キャット全仕事」(徳間書店'01)

第2回日本SF新人賞受賞作品。吉川氏は'76年生まれ。本作は近未来フランスの架空都市”パレ・フラノ”を舞台としており、〈パレ・フラノ〉シリーズとして続編が刊行されている。

二十一世紀の半ば過ぎ、第三次世界大戦が終了した直後のフランスに建設された暗黒街”パレ・フラノ”。フランスにおけるムスリムの人口比率は急増、テロ行為も日常茶飯事。そんななか、地元ギャングの総元締めミッシェル・フラノが治めるこの街は地上の歓楽街、地下のアングラ市場ともども活発な賑わいを見せていた。ソフトメーカーに勤めるペローは二十二歳。旧知のアルベール質店でエジプト旧秘密警察の極秘プロジェクトが入っているというディスクを購入し、必死の解析の結果判明したことは、それが前代未聞の盗聴システムであるということ。ペローはサイボーグ猫にその仕組みを応用し、自分の意識を猫に送信し、猫の身体で動き回る術を手に入れた。「人と猫の二重生活」をエンジョイし、入手した秘密をネタに優雅に暮らすつもりのペローだったが、あっという間に秘密は”パレ・フラノ”の大物・シムノンの知るところとなり、友人の女性傭兵・シモーヌの助けを借りて一度は脱出するものの、〈捜し屋〉ヴィッキーによってあっさり発見されてしまう。そして暴力により、ギャングに強制就職させられてしまい、孤独と自由を喪って組織の命令によって動かされることに……。

ノワールな雰囲気がクールなだけじゃない。孤独と自由への渇望がスパイスとなって物語に独特な味あり
パリの暗黒街という舞台設定がなんともいい感じ。日本人作家が描くいわゆる歌舞伎町などを舞台とする国産ノワール(ないしヤクザ系小説)を本家のフランス(ノワールって当たり前だけど仏語だし)に戻したというものではなく、純粋にフランスの、しかも十九世紀から二十世紀初頭を舞台にしたギャング映画のような雰囲気が素晴らしい。主人公は置いておいても、女っ気を感じさせないながらセクシーな女性傭兵・シモーヌ、よれよれに見えて凄腕、刑事コロンボを何となく彷彿させる私立探偵・ヴィッキー、闇の道具を扱うアルベール、電脳占い師イザベル姉妹など登場人物の造型が揃って格好いい。また、悪役たるギャング側、シムノンをはじめとする悪人ぶりがまた徹底していてこちらも味わい深い。いわゆる物語における人物造型の典型から、ごくごく微妙に外しているところが良く、その造型された人物像に見合った渋い台詞がまたよろしい。
で、主人公だ。強大な力を手に入れながらも権力志向はさらさら無く、人間嫌いにして自らの自由と孤独のためというのが行動原理という特徴を持つ。この点ががアクセントどころか、物語の展開を普通でなくしてしまっている。一応体裁としてはSF系のエンターテインメントであり、単純にその展開を楽しむのが普通なのだろうが、この主人公・ペローの性格によってどこかロシア文学めいた主題をもまた作品が発しているようにさえ思えるのだ。個人主義を徹底したい主人公が巻き込まれる戦いに要求されるチームワーク。それがまた主人公の成長を促さないという皮肉。猫という気まぐれな動物の性格が、逆にペローに乗り移ったかのようで、その結果物語の方向性を見えにくく、先の読めない展開へと変えている。これもまた定石外れだが、アクションシーンに関しては、冒頭の戦いが最もスリリング。作品が進むにつれてあっさりしていくようにみえるのもまた特徴といえる。その結果、主人公のちょっと変わった性格が浮き彫りにされていくのだが、これが作者の計算によるものなのであればもの凄いこと。ハッピーエンドを一瞬裏切り、また意外な方向へ持っていくラストなんかも小生の好み。

……ということで、この作品は作品で、これ以上はないほどに完結しているのであるが、続編、たぶん読むことになる。というか読むぞ。 とにかく偶然か必然か、この世界が何とも魅力的なのだ。次作以降、ペローが主人公となっていなくても、本作で脇役を務めた登場人物たちは、その特徴と魅力によって十二分に主役をはれる筈であるし。


04/05/07
斎藤 栄「巨人機(ジャンボ)が消えた」(講談社文庫'95)

'76年「航空時刻表」という定期刊行物に十回の連載された長編が、同年ワールド・フォト・プレス社より刊行された作品が元版。この文庫版発売当時の帯に「航空ミステリの傑作」とあったので古書店で購入してみた。

東洋国際航空の機長・桐山琢磨は妻と妙齢の娘を持った三人家族。娘の美雪には、医者ながらのんびりした南雲英夫という婚約者がいたが、父は是々非々であり、母ははっきり結婚に反対していた。美雪は、父親を説得すべく一人で静養中の箱根へ、英夫を向かわせ、自分も後を追う。一方、琢磨の宿泊する旅館にて瀕死の重傷を負った人物が従業員により発見された。「……ジャンボが、消えた……」謎の言葉を男は残すが、人を呼びに行った従業員が目を離したほんの数分の隙に、男は現場に大量の血液を残し姿を消してしまう。旅館に辿り着いた美雪は、その消失した人物が父親の琢磨らしいと聞かされるが、その琢磨が日中に別の女性と会っていたらしいと聞かされた妻の富士子は、琢磨の消息に対しても冷たい態度を貫いていた。必死の捜索にもかかわらず琢磨の死体は見つからず、死亡説が高まるなか、美雪は父親の生存を信じ、手掛かりを求めて英夫と香港へと飛ぶ。いくつかのヒントをつかんだ彼らだったが、帰りのフライトの最中、化粧室で謎の男が殺害されているのに出会う。彼は乗員の記憶にない人物で、かつ凶器が機内には全く見あたらなかった。そして続いて、副操縦士やフライト・エンジニアなど、琢磨の最後のフライトに同行していた人物が次々と殺害されていく……。

サスペンスフルな展開に、本格トリック。だけど全体のアンバランスによって失速してるか
題名こそ「巨人機が消えた」だが、本書は飛行機消失ものではない。この言葉は単なるダイイングメッセージであり、その意味は最後の最後に明かされる。(それが衝撃的な内容かというと、どちらかというと無理の方を強く感じたとだけ書いておく)。また関係者に空の仕事にまつわる人物が多く、かなり多くの人物が殺されるなか、一人については飛行中の殺人事件である。……とはいえ、結論としては本書を「航空ミステリ」とすることには少々躊躇いがある。
また、死体消失、連続殺人、飛行機という密室での不可解殺人、人間消失、消えた凶器、フーダニット、ミッシングリンク、暗号による手紙……と、いわゆる本格ミステリのコードは大量に作品内に登場する。その一方で、それらが本格ミステリとして有効に機能しているかというとそうでもないのだ。辻褄は確かに合う。一風変わった小道具。理屈の合う暗号。だけど、それらが個々に絡み合うこともなくなんとなく一つ一つのトリックが「ワン・アイデア」に見えてしまう。実際、凶器一つにしても、実際に存在するのかもしれないながら一般読者が知る由もない特殊なもので、搭乗時のセキュリティとして金属探知器を使用しない時代の話であることを失念していたこともあって驚きは全くといっていい程に無い。
個々のストーリーにはそれぞれ”見せ場”はあるのだが、全体を通じての犯罪計画といったところにも無理があるし、作者が狙ったであろう印象的なシーンも、全体としての物語の不釣り合いによって相殺されてしまっている感。

隠れた航空ミステリの傑作かも、と思って読んでみたものの、サスペンス系に本格の調味料を振りかけた平凡な作品という評価になろうか。今となっては読み返す意義は薄い。


04/05/06
沖方 丁「マルドゥック・スクランブル(全三冊)」(ハヤカワ文庫JA'03)

一冊目が「The First Compression――圧縮」、二冊目が「The Second Combustion――燃焼」、そして三冊目は「THe Third Exhaoust――排気」という副題。即ちエンジンの燃焼サイクルが名付けられている。ハヤカワ文庫で三ヶ月連続刊行となった異例の大長編作品。順序が逆になったが沖方氏は、'96年に『黒い季節』にて角川スニーカー大賞金賞を受賞してデビュー。その後ライトノベル系の作品やコミック原作、ゲームの企画等に携わってきた人物。本書は「このミス2004」でベスト20にランクインしてその名を一般にも知らしめた後、第24回日本SF大賞を受賞している。

重工業と歓楽街と周辺住宅からなる大都市・マルドゥック市。不幸な境遇から施設育ちの少女娼婦・ルーン=バロットは、この街を支配するオクトーバー社に所属する凄腕のショーギャンブラーにして経営者のシェル=セプノティス専属となっていた。しかしこのシェルという男、記憶障害を持っており、その節目毎に女性を殺害してその記憶を封印する悪癖があり、バロットも車ごと爆殺されかかる。彼をマークしていた”事件屋”のドクター・イースターと、ネズミ型万能兵器であるウフコックがすんでのところで彼女を救い出し、人命保護のための緊急命令”マルドゥック・スクランブル”を発動、禁じられた科学技術が彼女に施され、バロットは声を喪うものの、全身の皮膚を入れ替えて高度の電子干渉能力を手に入れる。シェルの事件を追う彼ら三人であったが、その前に立ちふさがるのは全身武器ともいえる元軍人で、シェルと”事件屋”として契約を結んでいたボイルドという男。彼もまた”マルドゥック・スクランブル”が施されており、そしてウフコックの元相棒であった。彼はシェルのために、バロットを狙う殺し屋チームを差し向ける。

現実を凌駕するSFハードボイルドアクション。伝説に残るであろうギャンブル・シーンはまさに圧巻
文庫で三分冊とはいえ、本書は結局千八百枚にも及ぶSF大長編である。だが、実はその構造は実にシンプル。
「事件に巻き込まれた美少女が、強力な武器と相棒を手に入れ、共に復讐する相手をやっつける話」
である。しかし、そのシンプルさが強烈に胸に響く作品となっている。

なぜか。その一つの理由が圧倒的なまでなスケールで構成された世界観と人物造型。そしてもう一つが各所で取り上げられている通り、全体バランスからすれば不釣り合いまでな大量の文章ボリュームが投入されているギャンブルのシーンである。
まず世界観については、近未来をベースにし、かなり凝った発想の技術・社会となっている。これだけであれば従来のSF作家が数々の名作にて為しえてきた事柄ではあるのだけれど、本作の場合はバロットの出身であり、標的のシェルが棲む”歓楽街”が物語の鍵を担っている。そして今も昔もその場所は決して清潔で美しい場所ではない。これらの暴力と欲望にまみれた世界を、現在の感覚と想像される行き先とを微妙なバランスを交えて描き出している。近未来ノワールともいえる世界が、実にさらりと表現されているのである。また、その街に暮らしてきた人物がダーティなのは当然として、彼らと戦う主人公サイドも、実は決してクリーンではない。彼らが戦いに臨む手口もまた、よくよく読んでみるとかなりダーティだったりする。また”ウフコックの濫用”に取り憑かれたバロットもまた、その出自とは関係なく力を手に入れることによって別のしたたかさを得ていく。襲ってきた敵を次々なぎ倒していく爽快感と引き替えに、バロットが暗黒面に囚われていく場面はダーティ・ヒロインの登場を予感させる
だが、このヒロインは再び浄化される。この場面を担っているのが、歓楽街のど真ん中ともいえるカジノにおける対決シーンなのが意外。それまでのアクションは影を潜めて、徹底的な心理戦が物語の中心と変ずる。スロット、ルーレット、ポーカー、ブラックジャック。ポイントとなるのは、ルーレットにおけるベル・ウイングという老女性との対決、そしてブラックジャックにおける真打ち・アシュレイ・ハーベストとの対決であろう。主人公のバロットは彼らとの対決、そして多くの負けといくつかの勝ちを通じて、瞬く間に成長を遂げていく。これはダーティ・ヒロインが、読者の共感を得られる真のヒロインへと変身してゆく過程なのだ。徹底したこの場面の描写については、もう読んで頂くしかないのではあるが、ギャンブルの緊張感だけでなくその内面にあるものがじわじわと浮き彫りになっていく描写に喝采すると共に背筋が凍るような思いを感じた。
終盤はまた怒濤のアクション小説へと引き戻されるのであるが、それは最初の方のアクションとは性質を異にしている。これは、間にながながと心理戦を挟んだ大長編だけの分量をかけることで初めて出来ること。単なるアクション&勝利という爽快感とは別の、物語の締めくくりとしての清々しさを得て、物語は幕を閉じる。

荒削りなようでいて、緻密なようでいて、少なくとも圧倒的なことだけは確かな物語。 ライトノベルであるとかSFであるとかの括りを峻拒するだけのエンターテインメント巨編。ギャンブルの緊張感を描く物語は、ほかにも多数あるけれども、これを人間成長の一過程として作品に有機的に組み込んだ作品は希有だと思う。 
あとどうだろう、作者の作品に対する想いは感じられるとはいえ、あとがきは不要だったのではないかと思う。


04/05/05
畠中 恵「しゃばけ」(新潮文庫'04)

'01年第13回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品が文庫化されたもの。畠中さんはもともと漫画家で、都筑道夫氏の小説講座出身。本書の続編として短編集である『ぬしさまへ』を既に刊行している。

江戸でも有数の薬種問屋・長崎屋の一人息子である一太郎。生まれた頃から身体が弱く、家中からはちやほやされていたなかを縫って、深夜にこっそりある理由から外出していたところ、人殺しの現場に行き会ってしまう。犯人に追いかけられるが、妖怪の手を借りてその場を脱した――。一太郎には妖怪が見えるという不思議な力が備わっており、そもそも今は亡き祖父の命を受けた犬神、白沢という二人の妖怪が、佐助・仁吉という手代に化けて幼時より付き従っている。店に出入りする岡っ引きから、殺されたのが大工だと聞いた一太郎。しかし自分が見た現場の状況と、死体が発見された際の状況が微妙に異なる点が気に掛かる。妖怪たちに依頼して盗まれた大工道具の行方を追う一太郎だったが、長崎屋にやって来た謎の客が一太郎のことを地下室で襲う。「香りがする……」 一太郎は危機一髪、難を逃れ、下手人は捕らえられたものの、江戸では薬種問屋の旦那ばかりを狙う謎の殺人事件が連続して発生し続けるのだった。

時代・妖怪ファンタジーにして、その手法は本格ミステリのそれ。風変わりなエンターテインメント
時代小説であり、妖怪小説であり、捕物帖であり、本格ミステリである。 貪欲なまでにそれぞれの要素を煮込んで、一つの作品にまとめあげているという印象。まず、時代小説としては考証等しっかりしており、まず違和感を覚えさせない点がポイント。言葉遣いや単語の使い方も品が良く、江戸時代の日常風景が明るく頭の中に浮かんでくる文章は新人若手作家のそれとは思えないこなれ方をしている。
ただ、妖怪小説として、となるとこれは評価としては少し難しい。キャラクタとしての妖怪は、近年メジャーになりつつあることもあって、少々珍しい妖怪を登場させるだけで評価することはできない。ただ、オリジナルではなくそれなりに伝統的かつ中堅どころ(?)の妖怪に、著者自らが独特の性格付けをして登場人物(妖怪?)として作品に活かしていることは確か。先の時代小説としての確かさを相まって、独自のファンタジー世界を創りだしており、この段階で一定レベルの物語であることがいえるだろう。
本書の特徴的なところは、そういった確かな世界を創りだした後の”物語作り”にある。これが本格ミステリの手法なのだ。主人公である一太郎の感じた違和感は、事件を構成するロジックのズレを思わせ、そのズレがそのまま読者にも違和感として伝わってくるという妙。更に事件を展開するにつれ、当初の解決内容では辻褄が合わない点が次々と表出してくる。中盤のサスペンスを経て事件の真相が見えてきた時、いくつもの伏線が次々と回収され、結果的にそこが論理のアクロバットの着地点であることに気付かされる。このあたり”素”なのか、技巧の果てなのかが気になるところでもある。厳密な意味で、読者が謎解きをするというタイプの作品ではないながら、プロットを構成していき、最後にすっきりとまとめあげる手法には素直に感心させられた。

妖怪小説ファン、時代小説ファンにも当然受け入れられようが、本格ミステリを好まれる方にも受け入れられる素地は大きいように思えた。(だから創元のミステリ・フロンティアに登場するのか?) 何よりも文章に活力のある作家なので、今後もっと大きな活躍をしていく予感がこのデビュー作品からも強く感じられる。


04/05/04
朱川湊人「都市伝説セピア」(文藝春秋'03)

作者の名前は(しゅかわ・みなと)と読む。朱川氏は、'02年に「フクロウ男」にて第41回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。'03年には「白い部屋で月の歌を」にて第10回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞している。本書は、朱川氏の処女作品集であり、新人の一冊目でありながら第130回直木賞の候補作にも選ばれている。

二十五年前、精神の安定を欠いていた私は親戚宅に預けられていた。連れて行かれた大きな祭で従兄弟と別れた私は、見世物小屋に惹かれる。そんな私は、小さな女の子から「もっと面白いものがある」と言われ、外れに止められた大型バスに連れて行かれる。そこには「本物の河童」があるのだという。 『アイスマン』
単身赴任中の遠藤は小学校三年生の息子・翔一と公園でバドミントンに興じる。息子がシャトルを買いに出た隙に一服しながら、この公園を通じて遠藤が子どもの頃に見殺しにしてしまった悪友のマチのことを思い出した。 『昨日公園』
都市伝説のフクロウ男とは夜道で出会う茶色のコートを着てミラーサングラスを掛けた男。彼は人間界に紛れ込んだフクロウで「ほーうほーうほーう」と鳴く。そして同じように言葉を返せば無事で、ネズミの鳴き真似をすると殺されるのだという。 『フクロウ男』
死者のデッサンで有名な女優画家。全てのインタビューをシャットアウトしていた彼女のもとに女性ライターがやって来る。彼女は自殺したある若者の日記本から大きな影響を受けたという自らの若い時分の思い出話を語る。 『死者恋』
通勤電車のなかから見えるマンション。ほんの数秒のあいだに藤田はそのマンションに自らがリストラ対象として辞めさせた男の姿を見掛けた。明くる日も、その明くる日も。しかし、彼の心に別の後悔が宿った時に見えたのは……。 『月の石』 以上五編。

ホラーの雰囲気は確かにあるものの、小説的な深みとノスタルジックな叙景が勝った好短編集
読了後の第一印象は、”佳い小説を読ませてもらった”というもの。大きなレーベルで括れば、確かにホラーというジャンルに含まれてしまう(版元もホラー作品集と銘打っている)のだろうが、それ以前に個々の作品が小説として完成しているという印象が強い。描写が的確、プロットも適正、ヒネリの効いたオチに加えて文章もなかなか。何よりも、それぞれの作品のコンセプトがしっかりしている点が大きいように思う。
また、個々の作品にさりげなくも読者の記憶のツボを刺激するようなガジェットや小道具が含まれている点も強調しておきたい。作品集の題名に収録作品を用いず「都市伝説セピア」と付けている通り、どの作品もどこか”子どもの頃の記憶””変えようにも変えられない過去”といった、陳腐な言い方で恐縮だがいわゆる”セピア色の想い出”といったものをうまく活用しているのである。最も感銘を受けたのは『昨日公園』。夕方まで遊び回った少年時代、そしてその少年を襲う衝撃。親友のために必死になる主人公。だけど、しかし。そうして迎えるこのラストシーン、描かれるのは予感だけなのに、美しくそして哀しい気持ちでいっぱいになる。また『アイスマン』における祭における出し物のいかがわしさも良い。その”いかがわしさ”に、否応なく引き込まれていく主人公の描写が巧みであり、中途のプロットに飛躍があるように思うものの、氷漬けにされた河童と意表を突くラストに奇妙な切なさを覚える。
そんななか、一つ異彩を放っているのは『フクロウ男』かもしれない。都市伝説を自らの手で造り出したいという欲望に取り憑かれた男の話で、インターネットを活用してそのような流言飛語を生み出すのみならず、自ら「フクロウ男」なる存在になって、周到に人の目に触れることによって都市伝説を実際の”伝説”へと飛翔させていく……というプロセスが凄いし、その「フクロウ男」が伝説に殉じて一線を越えてしまうあたりの心理描写が素晴らしい。ただ、この作品においても通底して乱歩作品がモチーフとして使用されていたり、子どもの頃に誰もが交わしたことのあるだろう都市伝説の噂話というあたりを巧く活用している点により、作品集のコンセプトから外れた話にはなっていないように思えた。

確かな人間描写と細やかな配慮、そして無邪気な悪意によるちょっとした怖さ。ホラーという意味で、純粋な”怖さ”を求めようという向きには何ともいえないが、読んで全く損のない作品集であることは確か。「都市伝説セピア」という題名が、ズバリ嵌った好短編集だといえよう。


04/05/03
西澤保彦「いつか、ふたりは二匹」(講談社ミステリーランド'04)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、講談社の新シリーズが、この”ミステリーランド”本書はそのミステリーランド第四回配本三冊のうちの一つ。西澤氏にとっては『神のロジック 人間のマジック』以来のノンシリーズ長編となる。

小学校六年生の菅野智己は再婚した両親の関係で、二十歳の姉・久美子と二人暮らしに近い状態で暮らしている。家庭を守るのは専ら智己の役割で、大学生の久美子さんは夜遊びをしたり朝寝をしたりと気ままな女子大生生活。そして智己は眠ると、猫のジェニイの身体のなかに入り込むという不思議な特技を持っている。智己はそのことを誰にも言うつもりはなく、ジェニイの時に知り合ったセントバーナード犬のピーターと過ごしたりしている。その智己の通う小学校では昨年、女子生徒が誘拐未遂されるという事件が発生していたが、犯人は見つからないまま時間が過ぎ、人々の警戒感も緩んでいた。そんななか、マンションに住む小学生の保護者に呼び出しがかかる。両親不在のため自ら出席した智己は、同じ学年の女の子三人が、乗用車で何者かに狙われ、一人が重体で病院に運ばれる事件が発生したと聞かされた。車を捨てて逃げ去った男の人相が、昨年の誘拐未遂事件の犯人と酷似していたため、集団登校の措置が取られることになる。しかし智己は、昨年の誘拐未遂事件と、今回の被害者の娘の二人とも、久美子さんが家庭教師をしていたという事実に気付く。智己は推理を巡らし、ジェニイとなって犯人を捜すために動き出した。

正統派西澤ミステリでありながら、物語から打ち出されてくるもの――そしていつかは、だけどそれまでは――
これまで数十冊の作品を打ち出してきておられる西澤ミステリの特徴を簡単に列記するならば――ちょっと無理矢理になるが――奇想天外な、時にSFがかった設定、ロジックをベースに仕掛けられた謎、犯人ほかが発する強烈な”人間の悪意”、そしてちょっと変わった名字(?)あたりになるだろうか。まあ、物語自体がエンターテインメント性に富んでいることであるとか、魅力的な登場人物であるとか、場面場面に現れる、そのはかとないユーモアであるとか挙げようと思えばいくらでもあるのだけれど。いずれにせよ、一応少年少女層の読者も意識して書かれた筈の本書、その西澤ミステリの特徴を全て兼ね備えているといえる。
本書の場合、主人公が”猫”となって、その猫と仲の良い犬と共に事件の捜査をする、という一見ほのぼのとしたアウトラインを兼ね備えているにかかわらず、犯人の兇悪かつ電波チックな造型、ある小学生の女の子のドライな印象といった、冷え冷えとした感触をそこかしこに配置、また発生する事件もかなり強烈な内容を伴っている。しかし、現実を直視した場合、このような事態は小学生にも十二分に起こりえる世の中、これくらいの描写がなされることに抵抗はない。また、事件の構造を中心とした物語の謎――こちらが強烈。 これこそが、中途半端な大人社会の模倣をすることの危うさとそのしっぺ返しを端的に表現しているともいえ、一連の謎の解体作業によってもたらされる真相には大人の方がゾッとするのではないか。
エンディングに向かい、謎解きとは別に主人公たちにとって意外かつ哀しいできごとがある。個人的には、物語が訴えたい最大のポイントは、ここにある――と考えている。出会った者たちはいつか別れる運命にある。一連の事件が強烈であっても、本書の読後感の爽やかさは、題名に端的に示されているようなほんのちょっとした教訓というか、人生の現実を厳しく、しかしハッキリと明示している点からきているのだ。それが、妙な気構えなく、さらりと訴えられているところに西澤氏の美学みたいなものを感じてならない。

西澤ファンなら押さえておくべき作品であるし、一連のミステリーランドの愛好者であれば、やはり読むべき作品だといえる。また、初期作品を読まれたあと、シリーズ作品に手を出しかねているような方がおられたとしたら、やはりこのような作品を読んで欲しいように思う。西澤保彦のエッセンスが、綺麗に、そして(実際にも)函詰めになって売られているのであるのだから。


04/05/02
海渡英祐「パドックの残影」(立風書房'74)

'61年にデビュー、'67年に乱歩賞を受賞している海渡英祐氏の七冊目の著作。デビューより十数年で著作がこの段階で一桁というのはかなり寡作な部類に入るだろう。(雑誌発表はかなりこの段階でも多かったとは思われるが……)。『無印の本命』に続く、海渡氏にとっては二冊目となる競馬ミステリ。

日刊スポーツ新聞の競馬記者・栗本章治は皐月賞の本命として実力馬「アサアケ」をマークしていた。しかしそのトライアルレースで不可思議な負け方を続けてしまう。関係者の調査に赴いた彼の前に、同僚の競馬記者の他殺死体が……。 『気まぐれな馬』
競馬界につきものの極秘情報。幼なじみのバーのマダム・加世子の依頼によって彼女の弟の秘密を探ろうとした矢先、栗原は、極秘予想を発行するニュース事務所で男の他殺死体と出くわしてしまう。現場から消えたある物とは。 『極秘情報』
ローカルレースの季節。実業家の二世が開催したレース祝勝パーティで毒殺事件が発生した。疑われている男の恋人が、栗原に事件の解明を依頼する。関係者を回る栗原の前に、別の関係者の毒殺死体が登場、果たして犯人は誰なのか……? 『出馬表は語る』
別れた愛人と再会した男は、天皇賞の通し指定席チケットを彼女に譲る。しかし当日彼女は現れず、別の人物が座っていた。当日、その愛人の夫が不審な首吊り死体となって発見された。男は事態を旧知の栗原に相談する。 『大穴の秋』
有馬記念の本命馬・クロガネオー。その主戦騎手の様子がおかしく馬も人気を落としつつあった。その騎手はどうやら若手女優に入れ込んでおり、脅迫を受けているのではないか――疑った栗原は、彼女の部屋を訪ねたがそこにあったのは死体であった。 『灰色の賭け』 以上五編。『出馬表…』が中編、残りは短編の連作集。

一年を通じて競馬は開催され、事件も起きて。競馬の面白みと本格の妙味の両方溢れる傑作連作集
表紙に「競馬推理」と銘打たれている通り、競馬を中心に据えた連作ミステリ。実際、日本でも競馬を扱ったミステリは数多いが、競馬における一年、即ち皐月賞トライアルから有馬記念に至る一年の移ろいを作品集のなかに込めて連作短編集の体裁とし、かつ内容が全て「本格」という作品はかなり珍しい。先に読了している『無印の本命』については、正直あまり良い印象を持たなかったが、本書は競馬ミステリ珠玉の傑作作品集といってもいい出来。この落差は恐らく長編と、雑誌発表の短編をテーマに沿って書き直したという手の掛かった連作集という位置づけの差からも来ているのではないかと思う。ただ『無印…』は文庫化されているにもかかわらず、明らかに出来の良い本書の方が発表当時のソフトカバー版でしか入手できないというのは不思議なことである。
当初の事件に登場する「アサアケ」をはじめとするクラシック戦線や、古馬との戦いとなる有馬記念まで馬に統一性があり、その年の盛り上がりが実によく伝わってくる。加えて、競馬そのものの仕組みがかなり丁寧に描かれており、競馬を知らない人にとっても分かりやすい内容となっている。また、三十年前の作品とはいえ伝統的大レースを中心に描かれているため、大枠での中央競馬は現在ともそう変化しているものではなく、現在の競馬ファンにとってもそれほど違和感はないものと思われる。
また、独立した五つの事件がまた面白い。競馬に深く関係しているものばかりとはいえないながら、動機の部分では深く競馬やギャンブルの心理に関わっており「競馬推理」の名に恥じない。そして基本的に五作品とも本格ミステリである点は特筆できよう。特に『出馬表は語る』におけるWho done it? は秀逸。 様々な手掛かりをもとに犯人を推理していく栗原の推理、そしてその過程における醍醐味は、本格ファンであれば堪らない面白さであろう。加えて『大穴の秋』における強烈な余韻を残すラストも凄い。読み終わる直前に、脇からどつかれるような迫力。確かに予兆が描かれつつも、こう来るとは! という新鮮な驚きを残してくれる。他の作品も手掛かりの意外性や、ロジックの駆使方法など、海渡本格の王道を行く作品ともいえ、ミステリだけを期待して読まれる方であってもきっちり手応えはつかめる筈である。

海渡英祐の短編集には当たりが多いが、本書もその一旦を十二分に担える作品。ミステリの楽しみと競馬の興奮を二重に味わえる希有な作品だといえるだろう。さて、有馬記念はどの馬が勝ったのでしょう? 


04/05/01
結城昌治「世界でいちばん優秀なスパイ」(大和書房'82)

「こどもの館」という雑誌に'80年8月号から翌年9月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。結城昌治氏はその執筆段階で既に推理作家協会賞、直木賞を受賞(吉川英治文学賞は'85年なのでこの後)しており、文芸作家としてベテランの領域にあった時期。それでも本書のようなジュヴナイル系統の作品を発表していた点、作家としての使命感のようなものがあったのだろうか。いずれにせよ、その心意気に感服する。

一九六〇年、日本の新聞社のパリ支局に勤務していた中井はアフリカ大陸の小さな独立国・ダシアンに行くことを勧められて承諾する。人口百五十万人、四国と九州を合わせたくらいの小国家。三十以上ある民族の代表的なアビ人とソノ人が共に独立戦争を戦い、独立を勝ち取った後に内戦を繰り広げているという。そして、現在はアビ人が政府を構えているが独立戦線を敷くソノ人の部隊に日本人が加わっているというのだ。仏人記者・ロベールから情報収集をし、彼の友人に手紙を託された中井は、苦労の末にダシアンの首都ダシアに到着した。強烈な太陽と、まずい食事、そして劣悪な環境。まずはダシアン政府のオトモコ大統領へのインタビューを算段する中井は、ホテル周辺の状況を写真に撮り始める。表通りこそフランスの流行を追っているが、一歩裏道に入れば貧しい人々がのんびりと暮らしていた。そんな中井をピストルを構えた警官が呼び止めた。ミズムと名乗るその刑事はスパイ容疑で中井を警察に連行、ロベールから預かった封筒が暗号文であるといい、死刑にすると言い出す。結局、中井はダシアから離れたもう一つの大都市・コンドケにいるというザギス大尉(そしてそれが日本人)にスパイとして出向くよう承諾させられてしまう。

アフリカの雰囲気らしくどこかのんびりした、それでいて緊迫したスパイ戦。世界でいちばん優秀なスパイとは?
主人公の中井がそもそも完全に”巻き込まれ型”で、普通の新聞記者がなぜかスパイ戦に巻き込まれてしまう――というような筋書きとなっている。そのため、題名に「世界でいちばん優秀」とありながら、プロのスパイの物語ではない。そもそも帯にある「少年と大人のためのスパイだらけのスパイ小説」……という言葉からは、何となく現在刊行中の講談社ミステリー・ランドを想起させるが、微妙に作品から発せられるエッセンスは異なっている。
架空のアフリカの内戦から感じさせられるのんびりした雰囲気(夜に一時間だけしか戦闘は行われないし、土日はお休みだとか)と裏腹にその内戦という行為や、裏側に見え隠れする、埋蔵資源を巡る米ソの代理戦争という真実からは、現実の厳しさを感じさせてくれる。また、登場人物のほぼ全てがスパイ! という設定は諧謔に満ちているものの、この裏側には自分以外全く誰も信用出来ないという情報戦の厳しさを感じさせる。このように筆致そのものはユーモラスでありながら、現実の厳しさをさりげなく込めているあたりに作品の凄さがある
そしてまた、そのユーモラスのなかで表現されているアフリカ中央部の生活描写がまた巧い。熱帯下における日本と異なる価値観などを巧みに本筋とも絡めており、作品全体における緊迫感を大きく和らげている。というか、緊迫感そのものがほとんど感じられない。ストーリーそのものに仕掛けはあまりなく、サプライズも少ない(ある意味では全編サプライズの連続ともいえようが)ので、ミステリとして読むには不適。どこかアフリカ周遊記を読む感覚で楽しみたい作品である。

本書、'85年に集英社より文庫化されているので、テキストとしてはそちらの方が入手は容易なのだが、本書は大和書房の「夢の図書館」シリーズとして刊行された元版。このシリーズには、天藤真『遠きに目ありて』の元版や、協会賞を受賞した辻真先『アリスの国の殺人』があり、そのソフトカバーの優しい装幀が何とも読書欲をそそるのである。本書も文庫版にはないイラストがふんだんに使用されており、読んでいて実に楽しかった。