MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/05/20
二階堂黎人「名探偵 水乃サトルの大冒険」(講談社文庫'02)

長編では「○○マジック」シリーズや「○○の不思議」シリーズに登場する、二階堂黎人氏擁するシリーズ探偵の一人、水乃サトル(紗杜瑠)が探偵役を務める、初作品集。元版は'98年に実業之日本社より刊行されており、それぞれ「IN☆POCKET」や「週刊小説」「ミステリ・マガジン」「EQ」と媒体の異なる雑誌に'97年から'98年にかけて発表された作品がまとめられたもの。

サトルの知り合いの警察官が休暇時にトイレを借りた無人のログハウス。そのトイレや物入れなど、ちょっと見には分からないところに大量の缶ビールが蓄えられていた。 『ビールの家の冒険』
ところどころ破り取られた、変体丸文字で書かれた殺害された女子高生の日記。サトルの旧友馬田は、容疑者として捕らえられた大学生の無実を信じて事件をサトルに託した。 『ヘルマフロディトス』
強欲な実業家が何を思ったか私財を大量に投じて横溝正史作品のテーマパークを建設する。『本陣殺人事件』そっくりに造られたセット内部で、これまた物語と同じようにオーナーが殺される事件が発生した。 『『本陣殺人事件』の殺人』
サトルの学生時代の友人でUFOを信奉する友人から助けを呼ぶ声が。土砂降りの雨の中、彼は宇宙人に襲われたと主張する。その近辺では不気味な事件が数多くこれまでに発生していた。 『空より来たる怪物』 以上四編。

それぞれ”コンセプト”を理解することによって味わいが深まるという”テーマ有り”作品集
読了した当時に何故かレビューし損なったままということもあり再読。作者自身が述べている通り、四作品それぞれに何らかのテーマが存在するのが特徴だといえる。『ビールの家の冒険』は、西澤保彦氏が刊行している『麦酒の家の冒険』の本歌取りで、基本的な謎部分の設定が同じ(もちろん登場人物は異なる)。『ヘルマフロディトス』は、二階堂氏には珍しいあるコンセプトが使用された作品。他の作家の作品を読んでいて気付いたテーマだという。また『『本陣殺人事件』の殺人』は、その題名の通り、横溝正史の『本陣殺人事件』がテーマ。こういったかたちでのパロディは珍しい。また『空より来たる怪物』は、島田荘司フォロワーの作品を揶揄する目的で書いた――のだという。
その意味では、本書はやはりマニア向け……ということになるように思うのだ。ただ先に述べておくと『空より来たる怪物』あたりは、島田荘司フォロワーというよりも、島田荘司作品そのものに対するオマージュのような印象を受けるし、これでもかというほどのネタの量が惜しげもなく注ぎ込まれた「現象に対する解釈」など、この作品についてだけはマニアよりも一般読者に強くアピールするような印象がある。しかし残り三作品、『ビールの家の冒険』や、『『本陣殺人事件』の殺人』あたりは、元ネタを知る読者の方がより強烈に面白がることのできる、高度な遊び心の方が強く表出しているように感じられた。注意して頂きたいのだが、これは別に否定的な意味合いで述べているのではない。このようなマニア意識をくすぐって、かつそういったマニアの厳しい視線をも納得させるだけのロジックを紡ぎ上げられる作家は実に少ないのだから。 (とはいっても『ビールの家の冒険』について真相の解釈は面白いのだけれども、その周辺状況が事情を知る者からすれば不自然にみえるのが少し残念。例えば、缶への印刷設備など確かに入手は可能かもしれないが、台数が限られていて出荷先がすぐ明らかになってしまうし、缶を製造するのは酒造メーカーではなく製缶メーカーなので、加工するプレスの金型などは門外不出の特殊品であり、一般人の入手は絶対不可能。こういう背景のなかでは缶の持つ真実の意味が明らかになってしまった時のリスクが大きすぎると思うのだ。ただ、こういった現実を持ち込むのは作品を楽しむうえでは必要のないこと。あくまで作品内での整合性が大事なことはいうまでもない)。

マニア心をくすぐるとはいってもミステリのロジックが難解であるとかいうことはなく、逆にその真相は常にシンプルですっきりしているともいえる。単発で読んだとしても十分楽しめるだけの謎と論理がそれぞれに存在している。なので、それほど元ネタにこだわる必要はないのかもしれない。ただ――水乃サトルの持つ強烈なキャラクタについては、読者によって好悪が分かれそうな点だけは致し方ないか。


04/05/19
畠中 恵「百万の手」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

'01年に第13回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞した『しゃばけ』、そしてその続編たる『ぬしさまへ』のシリーズによって特異な時代作品の書き手としてまずブレイクした畠中恵さん。本書は、彼女の初の現代物長編となる作品。ミステリ・フロンティアの第四回配本となる書き下ろし。

小学校六年生の時に父親を亡くし、十四歳になる今は母親と二人暮らしをしている音村夏貴。緊張すると過呼吸の発作に見舞われることが悩みの種で、その緊張の大きな要因の一つが最近とみにひどくなってきている母親の過干渉にあった。夏貴が女の子と関わりを持つことを病的に嫌い、まるで恋人気取り。そんな夏貴の悩みを聞いてくれるのは、親友の正哉ただ一人であった。その正哉の家が火事になり、夏貴の制止を振り切って正哉は家族を救うために家に飛び込む。夏貴の手に残されたのは正哉の携帯電話。そして正哉はそのまま燃えさかる家から出てくることはなかった……。その場で倒れた夏貴は病院で目を覚ますが、母親と共にやって来たのは、その婚約者だという東省吾なる派手な人物。風俗店を経営するという東が未来の父親となるという事態にも混乱を覚え、自室に閉じこもった夏貴に対し、正哉の声が話しかけてきた。彼の遺した携帯電話から。正哉は、火事が放火ではないかと疑っていた。一旦鎮火しかかっていた火が再びなぜ燃え広がったのか。現場から立ち去った謎の少女とは。奇妙な二人による謎解きが開始された。

次から次へと連鎖する、移り気な謎――。中心が振れているようでいて一点に集約していく不思議な物語
あらすじを紹介する過程で避けて通れないので、当然そう書いたが”亡くなった親友が携帯電話によって再び自分の前に姿を現した”というエピソードが前半の中心となる。ただ、この一連の携帯電話のエピソードは、実は本書では大きな鍵ではない。このポイント(と、当然読者が思う)が中盤以降にある事件以降、ほとんど扱われなくなってしまうことで物語は微妙なズレを醸しだし、謎解きの相棒が親友から新しい父親へと移っていく過程、そして事件が親友宅の放火事件から、夏貴自身の事件へと移っていく過程には、どうにも居心地が悪いような座りが悪いような、そんな印象がまず感じられる。恐らく、その点に引っ掛かったまま物語を読み終えた場合は、どこか散漫な印象を物語から受けるかもしれない。だが、作者はもともとファンタジー畑の出身であり、そういった部分もまた計算ずくだと考えると、この作品から受ける印象もまた変じてくるように思われるのだ。
設定された主人公・夏貴が微妙な年齢であることがその計算の全てのおおもとにあるのではないか。 十四歳という年齢は大人になりかかる時期とはいっても、実際のところはまだまだ親の庇護が必要な無力な世代。親の干渉を無視してまで一人で生きることは出来ない。どうしても大人の横暴に振り回されてしまう。一方、自分自身や、周囲のことを知り、そのことについて深く分析し、考えるだけの分別を身につけはじめる時期でもある。とはいえ、行動力は未成年のそれ。身に降りかかる事態に対し、自分一人だけで立ち向かうことは困難。だから、相棒が物語の途中で必然的にバトンタッチされたのではないか。
親友が巻き込まれた謎を解き明かすという決意は良い。だが、根底にある問題に触れようとする時に、携帯電話としてしか存在しない親友だけでは助けにならない。押し寄せてくる百万の手から自らを守ってくれるのは……? 少年同士の友情を否定しようという意図は存在しないと思うのだが、家族というものの重みであるとか、様々に存在する身勝手な大人から庇護してくれるのは誰なのか、そして夏貴という存在を本気で導いてくれるのは……といったポイントが真の本書のテーマであるように考えられるのだ。きっかけがセンセーショナルでありながら、その夏貴自身が知らず抱えていた謎は、更にセンセーショナルなものであり、当然それらは連鎖している。その過程では振れているように見える軸足が、最後には夏貴自身の成長という一点に集約されていくように思え、個々のエピソードはとにかく主題はきっちりまとめられている作品だということが出来る。

……と、好意的に解釈してみたが、多くのプロットを物語に盛り込もうとしすぎて物語のコントロールが効かなくなってしまったという意地悪い見方ができることもまた事実でもある。序盤のファンタジックな設定と、後半以降のアカデミックとすらいえる展開とに落差を感じてしまうのは致し方ないところであろう。

ただ、物語を通して読むと、全体からとらえどころのない不思議な魅力を感じてしまう。 特に、子供に対しても(ある要因があるとはいえ)容赦なくのしかかってくる大人の悪意の凄まじさをさらりと描ききる筆力は凄い。また、序盤から問題の火に関するトリックは実に意外。これは作者が畠中さんだからこそ驚かされたという側面がある。というか、このトリックを他の作家が使用しても面白みに欠けるものになった可能性が高いのではないか。
トータルとしての完成されているとはやはり言い難いが、大人と子供、非現実と現実、妄想と科学といった要素がごちゃまぜになった作品で、通して読むと独特の感慨を得られる。 もう少し作品を重ねて頂いてから判断したいが、こういった既存概念による囚われのない作風が畠中作品の持ち味だとすると、今後オンリーワンの作家となり得るような気もする。


04/05/18
梶 龍雄「浅間山麓殺人推理」(徳間文庫'88)

元版は'84年に光風社ノベルスとして刊行された『殺人への勧誘』。イメージとしては元版の方が作品イメージに近いことは近いものの、題名の響きはこちらの方が良いかな。

深秋の浅間山麓の平原地帯。火山岩が露出して見晴らしの良いが人気の全くないこの地に四人の男と一人の女が集まった。彼らは皆、ある手紙によって呼び出しを受けたのだ。そこで彼らは正確無比な銃撃を受ける。慌てて死角に避難した彼らには、過去にある風変わりな殺し屋に仕事を依頼したという共通の過去があった。謎の人物による紹介によって、しかし良心的な価格によって確実に相手を射殺するこの実行犯の正体はその誰もが知らない。果たして今さらなぜ自分たちが狙われなければならないのか。五人は、順番に自分が殺人を依頼するに至った経緯を互いに語り合い、そこから犯人の狙いと意図を解明しようとするのだが……。

風変わりでトリッキーな舞台設定がそのままカジタツ節。導入のツカミが抜群の変格本格ミステリ
とにかく普通じゃない。謎の手紙で呼び出された五人。いきなり狙撃。じゃあ、その犯人を自らの経験を語り合って探ろうじゃないか――。 ううむ、それで犯人が分かったとしても、狙撃を受けていて絶体絶命という状況は変わらないのではないでしょうか、梶先生。(いや、その犯人が五人のなかにいるかもしれないわけで、一概にはいえないといえばいえないが)。 いわゆる究極状況に追い込まれての推理合戦というミステリは他にもあるけれど、その手掛かりが自らの犯罪(教唆?)の告白という点、奇妙すぎ。少なくともこんな凝った設定のミステリはまず見たことがなく、少なくとも新しいもの、普通でないものを創り出そうという意気込みが感じられる。 ただ、その心意気が微妙に空回りしてしまって、サプライズには成功していても、恐らく狙いであったろう本格ミステリに成りきっていないあたりもまた梶龍雄らしいといえるかも。こういったところが一部読者に作者の作品が偏愛される理由ではないだろうか。
とはいえ、ミステリとして成功しきっていないという点が「魅力がない」こととイコールではないことは強調しておきたい。どちらかといえば、序盤のツカミが強烈なことと、登場人物一人一人が殺人に至る理由や、その殺人請負人となる人物の謎めいた姿など、興味深い点は多い。五人がどう繋がっていくのか、この殺人請負人の正体は一体誰で、どんな理由からこのようなことをしているのか。登場人物にとって切迫した謎解きが必要なのだが、読者の興味はその一点に集中しない。なので、少しずつ明かされる背景から受ける魅力が大きい。そして明かされる物語の真相とは。――その陰惨なようでいてあっけらかんとした奇妙な幕の閉じ方もまたカジタツ節ならではのものであった。

梶龍雄の作品を一定以上読み出すと、麻薬のような面白さを感じさせられるようになる。小生は既にその麻薬にどっぷりと浸かっているわけだが、まだ読まれていない方、また『透明な季節』しか知らないという方は、その他のトリッキーな作品群にちょいとだけ、手を伸ばしてみて欲しい。むろん、強制などなんら出来ないわけだが。


04/05/17
垣根涼介「ワイルド・ソウル」(幻冬舎'03)

垣根涼介氏は'00年、『午前三時のルースター』にて第17回サントリーミステリー大賞の大賞と読者賞のダブル受賞にてデビュー。本書は『ヒート・アイランド』に続く、著者の三冊目の書き下ろし作品。第6回大藪春彦賞、第25回吉川英治文学新人賞、更には第57回日本推理作家協会賞の長編賞のトリプル受賞を達成。今やサンミス大賞出身作家の出世頭ともいえる存在になりつつある。

戦後の日本の政策により、南米に向けて移民を送り込んでいた時代があった。彼らは希望に燃えて新天地へと向かったが、現地で彼らを迎えたのは美辞麗句の並んだ勧誘時とは遙かに異なる過酷な現実。開墾すれど作物の実らない不毛な土地に放り出された彼らは、現地領事館の裏切りにより多くは生死の境を彷徨うことになった――。そんな移民の一人、アマゾン川の奥地での厳しい生活の末、衛藤は家族を失ったことを契機に入植地より脱出、散々な苦労を重ねて成功者となる。それから四十年。衛藤は日本政府に対する復讐を決意し、入植地で生まれたケイ、松尾、そして衛藤と同時期にブラジルで苦労を重ねた山本を日本に送り込む。彼らは入念に準備を重ね、外務省への攻撃を実行しようとするのだが……。

社会的メッセージと超絶エンターテインメント。奥行きの深い構成にして、ページを捲る手が止められない
――なるほど、これはすごい。
最初は冒険小説リーグで上がった絶賛が、行き渡るに従ってもその評価を全く落とさず、次々とエントリーされた各賞を総なめしていったことも頷ける。まず当たり前のことながら物語展開が滅法面白く、そして読後にいろいろと考えされられる。そして何より、読み終わった後の爽快感が抜群なのだ
序盤は、いわゆる棄民政策、つまり戦後の食糧危機や急速な増加を続ける日本人を海外移民させるという外交政策の失敗が延延と描かれる。正直、この部分の悲惨さは目に余るし、読んでいて辛い。これでもか、とばかりに悲惨な場面が続くのだが、それもまた過去、現実として起きていた事実がベースになっているはず。同じ日本人に対してここまで無情になれるものか。彼らのどん底の暮らし、そしてその後も続く様々な労苦は筆舌に尽くしがたい――だが、この背景があるおかげで、本編の主人公たちに対して大いなる感情を移入させられてしまうわけだ。
そして本編は、外務省という省庁という巨大な存在に対する復讐――、一風変わったテロが物語の中心となる。何が仕掛けられるのかはヒントはあるものの読者には知らされず、着々と進行する準備から想像するしかない。偽パスポートで入国し、平凡な老人を装いながら着実な準備をする山本、南米マフィアの先兵として日本で麻薬を密売する松尾、そして実行部隊として日本にやってくるケイ。それぞれに与えられた過去、そして現在に至る人物像もまた丁寧に描かれる。実行犯はたったのこの三人、だけどやろうとしていることはめちゃでかい。
その登場人物のなかでは陰惨な過去を持つにもかかわらず、育ちによって培われたそのケイのひたすらに陽気で女大好きというラテンな感覚がとにかく明るくて楽しいのが最大のポイント。 また、元アナウンサーの報道記者・貴子とケイとの絡みがまた抜群。貴子に対する一途にしておバカですらあるケイの行動によって、綿密な計画がいくつも変更を余儀なくされる展開にドキドキし、またそのケイに振り回される相棒の松尾も、またいいキャラクタとして描かれている。そのテロが(テロなのに)また爽快。先に犯罪とも見紛う外務省の無策ぶり、その腐った内実がもろもろ描かれていて、既に読者の心のなかでは外務省が”敵”として認識されてしまっていることもあるだろうが、できるかぎり人を傷つけないようにしつつ、復讐心を満たしていく計画が徐々にそして明確に浮かび上がる展開が素晴らしい。(この展開は倒叙ミステリとして読むこともできる)。また貴子をはじめとするマスコミによって大衆の反応と対比させられており、最終的に大計画を達成してしまうまでの自然な物語運びも実に巧い。
またその計画そのものに加え、登場人物一人一人を巡る事件後のエピソードそれぞれがまた気が利いている。松尾を巡る緊張感溢れる展開も面白いが、やはりラストシーンにおける貴子の行動が抜群な爽快感を呼ぶ。

これだけのエンターテインメントでありながら、日本人が忘れかけている戦後の失敗をお涙頂戴ではなくしっかりと描いており、物語に大きな拡がりを持たせている。 そしてそれなりに長大なストーリーとなっているに関わらず、一つ一つのプロットにまったく無駄がなく読み出したら本当に止まらないのだ。冒険小説の理想型、エンターテインメントがここまで出来ることを立証した、紛れもない傑作である。


04/05/16
高田崇史「鬼神伝 神の巻」(講談社ミステリー・ランド'04)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、シリーズの第4回配本分。前回配本の『鬼神伝 鬼の巻』の下巻にあたる作品。

前回の一連の戦いから半年が過ぎた。相変わらず「人」とは何なのか「鬼」とは何なのかについて悩みを重ねる中学生・天童純は東山へと向かっていた。そこで彼は白い人魂を目撃し、同時に彼の胸にある「勾玉」のあざが熱くなるのを感じる。その導きによって純は小野篁を祀る六道珍皇寺の閻魔堂へと辿り着き、そこにあった小野篁像と会話を交わすことになる。篁はいう。鬼神たちが待っていると――。ふたたび純は気を失い、気付くと平安時代にやって来ていた。そこで彼は水葉をはじめとする鬼神たちと再会し、鬼神たちによる軍衆(いくさびと)たちに対する戦いの状況が変化しているのだと説明された。貴族たちが呼び寄せた帝釈天の宿敵である、天竺に住む阿修羅王という神様がまた日本に呼び寄せられてしまい、帝釈天と戦っているのだという。ただ、彼らは異国の神であり、鬼神たちの戦いとは無関係。小野篁は純に対し、その阿修羅王と会って協調を呼びかけるよう命じ、純は水葉と共に雄龍霊(おろち)に乗って、阿修羅王のいる比叡山へと向かった。

戦いのスケールがアップし、より伝奇色の強い展開へ――
やはり上下巻の位置づけとしてかっちりしており、まず最初に「鬼の巻」を読了されていることが前提となる。前作における状況や登場人物が引き継がれており、本作だけでは面白みが半減してしまうように感じられる。
そして、下巻にあたる本作の眼目は、鬼神たちの存在に対する謎解きよりも、貴族vs鬼神との戦いの帰趨の方にある。謎解きミステリ、そして歴史ミステリ的な興味が後退するかわりに、伝奇としての異形の神々による戦いの駆け引きが物語の中心に据えられている。今回、ジョーカーとして阿修羅王が登場、さらに究極の破壊神の登場までが予感され、神様の人数が増えてしまうこともあって個々の戦いのスケールが大きくなる。そしてその結果、天童純にとって辛い事態が次々と発生する。鬼神たちの陣内にいるスパイは誰なのか? ――という謎から導き出されるある説話の解釈や、挿入されている暗号などミステリとして読めるエピソードがいくつかあって面白いが、重ねられる戦いというイベントの結果、天童純の内面が成長して次のステージへと進む展開を素直に追うべきだろう。
少々後半部分が駆け足になり、増えていった登場人物(登場神様)が慌ただしく通り過ぎていってしまう印象は拭えないが、物語としての締めくくりとしては上々。最後に現代に戻った純の体験するエピローグが熾烈な戦いの余韻を気持ちよく癒してくれる。いくつか説明されきれていない謎が残るとはいえ、その点は恐らく読者に対する「ちょっと考えてみてよ」という作者のメッセージとして受け取った。

レーベルとしては「ミステリー・ランド」ではあるのだが、やはり伝奇物語として扱われるべき作品。ただ、本書を通じて日本の神話や昔話、そして歴史に対する興味を持つ子供が一人でも増えてくれれば、という作者の願いもまた伝わってくる。こういう独特の作品をも擁してしまうのが、結果としてのレーベルの強みとなるのではないだろうか。


04/05/15
山田風太郎「伊賀忍法帖」(角川文庫'74)

伊賀という忍法帖では重要な意味合いを占める題名にもかかわらず、山田風太郎忍法帖長編のうち比較的中期に刊行された長編。'64年に雑誌発表された作品が初出ながら、'03年に再度角川文庫にて刊行されるなど人気は高い。個人的には生まれて始めた、最初に読んだ忍法帖長編が本書ということになるのだが、以前書いた書評を削除しているため再読してみた。

伊賀は鍔隠れ出身の忍者・笛吹城太郎は一族の首領に命ぜられ堺に出向いた際に、篝火という傾城と出会い二人は深い恋に落ち、将来を誓い合う。自由結婚は許されない城太郎は、篝火に忍法を教え、いざ伊賀の故郷に帰ろうとしていた。その途中、彼らは七人の怪しい僧兵と行き交う。彼らもまた根来の忍者であり、ある目的のために美しい女性を攫い、戦国の梟雄・松永禅正の住まう信貴山へと連れ帰る目的があった。僧兵を操るのは戦国の幻術士でありメフィストフェレスたる果心居士。彼は、松永禅正の主君・三好長慶の子、義興の妻・右京太夫に横恋慕していることを知り、その石を点じて茶を服せば最初に目の合った人物に惚れ込むという忍術”淫石”なるもののの作成を勧めたのだ。城太郎、篝火の必死の抵抗も虚しく、城太郎は瀕死の重傷を負い、篝火は僧兵らに拉致される。しかし、篝火の顔つきが右京太夫と瓜二つであり、禅正の愛妾・漁火は彼女と顔と身体を取り替えるという一計を案じた……。

奇想良し、展開良し、キャラクタ良し。風太郎忍法帖のベーシックはやっぱり実に面白い
奇想の源泉ともいえる個々の”忍法”を語る以前に、本作はまず怒濤の如き圧倒的なストーリーと、そして丁寧に描写されたキャラクタに尽きるように感じられる。忍者と女郎との決して結ばれない、しかし堅い男女の誓いを描きつつ、その二人が兇悪にして強大な力を持つ七人の僧兵に引き離されてしまう序盤。一旦、ここでラブストーリーは終焉を迎えると思いきや、それは別のかたちに発展し、悲恋に悲恋を重ねる展開へと進む。つまりヒーローたる城太郎に、当初の篝火のみならず、身分違いも甚だしい絶世の美女を配し、今度は別の意味で結ばれることのない愛が描かれる。その結果、主人公は単なる復讐鬼にとどまらず、その悩みは読者もまた共有させられることになるのだ。敵対する根来の僧兵たちや、松永禅正らは目的の為に手段を選ばない毒々しい存在として丁寧に描写されているし、謎の騎士たち、そしてとぼけた味わいのある果心居士のイメージもまた膨らむ。物語と登場人物とのバランスが絶妙なのである。そして一連のイベントを駆け抜けた(読み終えた)後の快感もまた健在。
そして、そのヒーローよりもある意味目立つのが七人の根来僧。それぞれが独自の忍法を自由自在に操り、その力は実に強大。特に一味の一人はある意味外科手術の天才であり、一旦傷付き、命を喪いかける同僚を生き返らせてしまう。確かにその忍法のアイデアに風太郎が心を絞ったことは事実だろうながら、理不尽ともいえる目的を与えられ、一見欲望まみれのぐちゃぐちゃの性格として描写されつつ、その実として忠実に自らの役割を果たそうとする姿もまた、別の意味でストイックであるともいえる。やはり医学や自然科学が、微妙に伝奇と組み合わされることによる独特のリアリティは風太郎忍法帖独特のもので、本作においてもそのナンセンスともっともらしさの適度な融合が成されている。また、序盤の設定と終盤の作り方に、実際の史実と実在人物とを巧みに絡めてある点、他の作品にも通じることながら、そのテクニックには嘆息するほかはない。

やはり、実に展開が巧み。 読者の興味を引き剥がさないようにしながら、どれという特定は出来ないまま、それでも読みふけってしまう事実。歴史があり、人がいる。この風太郎忍法帖の面白さは、やはり一度とにかく読んでみて欲しい。結局そこが全てなのだと感じた。


04/05/14
鮎川哲也「自負のアリバイ 鮎川哲也名作選13」(角川文庫'79)

往年の角川文庫では、本書のように”名作選”という形で鮎川哲也氏の発表してきた短編を年代順に収録したシリーズがある。本書はその一冊で、'69年に各種小説雑誌に発表された八編と、翌'70年発表の『冷雨』を合わせた本格推理短編集。

不倫現場をテープに取られ、恐喝を受けた経理課長は部下の助けを得て相手を殺害する計画を立てるが。 『てんてこてん』
人気俳優が、自分の秘密を知る元愛人をあるトリックを用いて殺害したのはいいが……。 『声の復讐』
友人と共同購入した宝くじが当たり、その金を使い込んでしまった男。請求を受け困った挙げ句……。 『憎い風』
自分そっくりの男が見知らぬ女性と歩いていたと同僚に指摘された男。だが心当たりはない……。 『離魂病患者』
浮気をしている妻を秘密裡に殺害し、愛人をその容疑者にしようと大学教授は綿密な計画を立てるが。 『自負のアリバイ』
バーで働く人妻の夫を亡き者にし、後釜を狙う男。交通事故に見せかけた殺人を実行するが……。 『灼熱の犯罪』
自分の抱える歌手を賞レースに勝たせるため、ライバルと敵対評論家を同時に葬り去ろうとする男は。 『錯誤』
甲斐性のない男とその妻が、遺産を当てにしていた叔母を殺害しようと綿密な計画を練るが……。 『尾のないねずみ』
卑怯な手口で恋人を奪われたOL。アリバイを確保し、憎い競争相手を殺害するのだが……。 『冷雨』 以上九編。

単純な倒叙は今ひとつでも、ひねりを加えるだけで意外性が高くなるという当たり前の真実
『離魂病患者』という一作品を除くと、他八編全てがいわゆる”倒叙”と呼ばれるタイプの作品となっている。ただ――正直な感想を述べると、全てが全て、鮎川哲也の代名詞ともいえる本格推理といえるかというと、そうでもない。基本的には、人がある対象に対して殺意を抱くまでの過程が描かれ、犯罪計画を立案して実行。しかし、その計画のどこかに見落としがや落とし穴があって、犯行は警察等によって暴かれる……というのが基本ストーリー。ただ、本作品集の収録作品の場合は、かなりその落とし穴が”偶然”によって齎されるものが目立つように思うのだ。犯人のミスであれば読者にも気付く余地があるが、本文にもない偶然が働いた結果、犯行が判明したとしても意外性というよりも「ちょっとこれはズルイんでない?」というような気持ちが先に立ってしまう。だが、そうではない作品がいくつかあり、その場合は皮肉な結果がきらりと目立っている。例えば表題作の『自負のアリバイ』。徹底したアリバイ工作を行う犯人は、警察に対する想定問答さえも考えており、犯罪実行後にほくそえむのであるが、これが実に意外なところから崩されて題名を含めた意外性に驚かされる。また『てんてこてん』、この作品は部下にアリバイ工作を任せた男がまんまと殺人計画に成功するものの、最終的にその裏側にあるものが暴露されることにより、倒叙そのものの前提条件を突き崩してしまう。ひねりがあるのとないのとで、面白みが全く変わってくるという倒叙の真髄がかえって目立っており、その点興味深く読めた。
一方、唯一の本格である『離魂病患者』。これはあるトリックがベースとなっている。そのトリックそのものは、実は「なあんだ」という小ネタなのであるものの、処理方法が巧みであってそれなりに読ませる作品となっている印象。
ただ、いずれの作品も本格指向自体は持っている作品であるにもかかわらず、短編のなかに人が殺意を抱くまでの過程が、ごく自然にそれでいてしっかりと書き込まれているあたり、鮎川哲也という作家の生真面目さ、そして偉大さを感じさせられた。

当たり前のような倒叙作品であるからこそ、”ひねり”が醸し出す面白さが増す。逆に、これだけ書き込まれた動機や登場人物であっても”ひねり”のない倒叙作品は、逆にその印象が薄くなる。当然のことながら、こういった作品集では如実にそういった現象が露わになることを再確認した。鮎川氏の長編については多くが復刻されつつあるが、短編については特に傑作として扱われない作品については、相変わらず地道にこういった古い本を探す必要がある。それもまた楽しいのであるが。


04/05/13
鯨統一郎「富士山大噴火」(講談社'04)

精力的に、というよりも何かに取り憑かれたかのように'03年には八冊もの著書を刊行した鯨統一郎氏。本書は氏の累計二十三冊目になる書き下ろし長編作品。『北京原人の日』の続編にあたるが、世界には他の作品で登場するキャラクタが顔を出していたりとクロスワールド的な楽しみ方も可能。

首輪を外されたドーベルマンが突如、同じ公園にいるヨークシャーテリアに噛みついた。そのドーベルマンは居合わせた天堂さゆりのもとに一直線に向かってくる。さゆりの婚約者・山本達也が彼女のもとに走るがあと僅か及ばない。その時、ドーベルマンの頭にサッカーボールが命中、何とかさゆりは命拾いをした。男は雑誌取材のために公園を訪れていた静岡フェニックスのプロサッカー選手・西山智之であった。彼にさゆりを救われたことから達也は内心忸怩たる思いを抱える。一方、巷では鯉が池で跳ね回ったり、サファリパークの動物が怯えていたりと不穏な雰囲気が漂いつつあった。天文台に勤める新藤一美は、雲の形状を研究し、FM電波と絡ませることによ、地震や火山噴火の予知が可能であることを取材に来ていた達也に告げる。彼女の説を信服した達也はシンポジウムを開催して、一美の研究を世に知らしめようとするが……。

パニックノベルとしてはちと辛い。鯨流の恋愛小説として読むべきなのか
本書と同じ講談社より、同じく日本の火山噴火をテーマとした石黒耀『死都日本』というシミュレーション・パニック小説の傑作がある。科学的に深い造詣に裏打ちされ、火山国家日本という状況を火山爆発とその被害というものだけでなく、政治や経済、更に世界情勢まで絡めた内容に戦慄させられた。
本書の設定だけを取り上げると、その『死都日本』とよく似ている部分がある。つまり主人公たちが噴火を予測する側にあり、奔走する点、実際に火山が噴火した状況を描写しようと試みている点、その事態に際した官邸の対応を描こうとしている点等々。だが、残念ながらそういったポイント一つ一つについての書き込みの深さ、背景の描き方の巧みさにおいて本書は『死都』を超えられていない、というのが私の評価。鯨作品の特徴ともいえる、どこかのんびりして現実の認識力の薄い登場人物たちの行動が、本書のようなテーマに似わないのである。また、パニックに対する想像力も甘い。人が死ぬ描写を徹底的に避けようとしたのかもしれないながら、パニックを描くのであれば読者の恐怖を煽るためにも、そういうエピソードの挿入は避けられない筈であるし。また、例えば地球の温度が4度下がった影響はワニとカメだけではないことくらい、少し考えればもっといろいろと想像できそう(農作物の大不作、エネルギー価格の大上昇、それらに伴う経済の混乱……等々)なのに、そういった拡がりがみえない故に、正直、歯がゆさばかりが先に立った。
なので、本書の読みどころはそこにはない。婚約しておきながら、どこかすれ違いがちでそれぞれの仕事に逃避する主人公たち、つまり達也とさゆりの恋物語としてならば、何とか読むことができるのではないかと思うのだ。マリッジブルーから別の人物に想いを寄せるようになった二人が、共通の危地を迎えることにより、いかに愛を再び育むか。クライマックスシーンもポイントはそちらにあるように思われるし、これはこれで良いのではないでしょうか。

繰り返しになるがパニック小説として読もうとしても、どうにも中途半端。本書によって防災意識が高まるのであれば、それはそれで正しい効用ではあると思うのだが、やはり歴史を扱った鯨作品や、連作ミステリ等の氏の得意分野に比べると一段完成度は落ちるように思えた。


04/05/12
青井夏海「陽だまりの迷宮」(ハルキ文庫'04)

青井夏海さんは、もともと自費出版である『スタジアム 虹の事件簿』によりデビュー。その後、東京創元社より刊行された『赤ちゃんをさがせ』を初めとする助産婦(いや、助産士か)探偵シリーズがNHKドラマ化され、ほのぼの&ちょっとコミカルという作風が人気を博している。本書は、ハルキ文庫の書き下ろしで、文庫としては初の創元社以外からの作品となる。

生夫が生まれた大村家は、父と母は死別の結果の再婚同士で、父が四人、母が四人の子供があり、更に結婚後に三人の子供が授かった……という十一人きょうだい。父と母が相次いで亡くなり散骨の儀式を経て一年。姉の一人、茅弥の呼びかけにより「岬の公園」にてきょうだいが集合して両親を偲ぼうという企画の日。やって来た生夫を待っていたのは茅弥ひとり。二人で昔話をするうちに生夫はヨモギさんという下宿人との秘密のできごとがあったことを思い出す。

小学生時代の生夫は身体が弱く学校を休みがちだった。そんな頃、はす向かいの兄弟が大村家にやって来る。その弟が兄から預かっていた鉄道模型が小学生の自転車と衝突した時に無くなり、それを大村家の二階から姉が見ていた筈だという。 『黄色い鞄と青いヒトデ』
ようやく家の電話に出ることを許されるようになった小学校三年生の生夫。しかし最近急に無言電話がかかってくるようになった。これは結婚して家を出ている姉の麻弥とその夫である修平との不仲が要因ではないかと生夫は考える。 『届かない声』
二学期の最後にやはり風邪でダウンした生夫。彼が留守番している時、玄関にそっと象の絵本が書類袋に入れられ置いていかれた。きょうだい誰もがその絵本に心当たりはないというが、小さい子供が最近家を窺っていることに生夫は気付く。 『クリスマスのおくりもの』  以上三中編による連作集。

さらりとした謎が醸し出す、陽だまりのような暖かな情感。ミステリという形式が”大家族”を引き立てる
現代ミステリというジャンルにおいては殺伐としたテーマが扱われることが多いなか、本書は正々堂々と、真っ正面から”家族”そして微妙な”ノスタルジー”を扱っている。 とはいえ、青井夏海さんのこれまでの作品は基本的に人の情による暖かみを発する物語が、ミステリよりも先行しており、その系譜に連なる作品であることがいえよう。ただ、これまでの作品がどちらかといえば親子という縦ラインを扱っていたことに対し、本作はきょうだいという横のラインの関係性がメイン。加えて少子高齢化の時代。周囲を見渡してもなかなか子供四人以上という家庭が見あたらなくなって久しく、子供十一人という大家族の暮らしなんて普通の読者にはなかなか想像がつかない。だからこそ描かれる彼らにとっての日常の家庭の光景がコミカルみ見えるし、そして羨ましく感じられるのだ。
そんななかで発生する日常の謎。消えてしまう鉄道模型、無言電話、持ち主不明の絵本、と謎自体は家族関係を揺るがす程のものではなく、小学三年生の生夫にとっては大きな謎であってもヨモギさんの手によってさらりと解決が提示される。ただ、それらの謎は小さくとも、それらは”きょうだい”という人間関係によりもたらされるもので、そしてかつ家族がテーマである点には注目したい。最後に明かされるヨモギさん自身の謎も含めて、解決は生夫にとっての”家族”に対する見方に収斂していく。大家族ならではの苦労や、逆に小家族のことが分からない点など謎を通じて生夫が学んだ事柄は、いずれも家族の絆を深める糧となる。とはいえ単純に暖かいだけでなく、双子の姉が自分たちを見分けられない人々に厳しいだとか、お年頃のきょうだいの行動であるとか、理不尽な要求に振り回される夫であるとか、ところどころにシビアな人間観察によってもたらされるエピソードがあって物語全体はコミカルであっても間延びしていない点もポイントだろう。
設定で十一人もの人数(家族全員で十三人!)もの人数を配した結果、特に末っ子の主人公と縁の薄い上の方の兄姉の存在があまり描かれないのは総ページ数の関係もあって仕方ないながら、ちょっと残念な気も少し。(私の予想では、ヨモギさんは実は三編の物語のなかに名前だけ出ているものの全くエピソードのない兄妹のうち一人だと考えつつ読んでいたので、逆に正体が判明した時に少々驚かされたのだけれども)そのサプライズのベースになっている部分に、きょうだいという存在のなかに、もう一つ突っ込んだある関係性があることがあることが面白い。だから個人的には、ラストに笑い合う光景よりも、その直前にある一文「何の言葉も交わさず、ただ黙って一緒に歩いた。」という描写がじんわりと胸にしみた。

これまでの青井作品を読まれていて、その雰囲気が好みという方は迷わず”買い”。 日常系のミステリとしては微妙に謎そのものは薄味ながら、その結果、導き出され、浮き彫りにされている家族による情感が実に暖かく、気持ちがよい。 題名の通り、まさに気候の良い時期の、陽だまりのようなぽかぽかした雰囲気を楽しめるミステリだといえよう。


04/05/11
谺 健二「星の牢獄」(原書房ミステリー・リーグ'04)

前作『赫い月照』が本格ミステリファンにかなり高い評価が与えられた鮎川哲也賞作家・谺健二氏。谺氏は一貫して無骨なまでの本格ミステリと、そして阪神大震災や神戸にまつわる事件にこだわりを見せており、その特異な地位をミステリ界にて着々と確保しているようにみえる。(また全体に作品のボリュームが大きい……)

イレム・ロウは惑星バ・スウから地球にやって来た異星人。自らの見聞を広めるため地球人へと変形し、観察するためのサンプルとなる人間を捜していた。その矢先に、接触しようとした女性がスピード写真の撮影中に殺害され、その死体が一瞬のうちに入れ替わる事態に直面する。撮影機から出てきた写真を持ちだしたイレムは現場から逃走、そして青葉佳織という、被害者と面識ある少女と知り合う。イレムは自分の正体を明かして佳織と共に事件を追うことになる。イレムたちは事件関係者を追ううちに、彼らが皆「ケフェウス」という天文学愛好会に所属していることを知り、二人はそこに入会する。そして海上の埋め立て地にある天文台「星林館」にて獅子座流星群を二泊三日で観察するイベントに参加する。しかし、その館では次々と奇怪な殺人事件が発生、そして彼らはその場所に閉じ込められてしまう……。

異星人が探偵?? 奇天烈な発想の内側には愚直なまでに込められた新本格のコードが盛りだくさん
プロローグを終えた本編のスタートにていきなりに、異星人たるイレム・ロウが何故地球にやって来たのか? についての説明が開始される。このあたりの文章が決して巧みとはいえないため、少々引っ掛かる。事件が実際に起き始めるまでが少々読みづらいため、読者はここを乗り越える必要がある。その後、中盤以降に展開されるのは、お馴染みといっていいようなクローズド・サークル内での連続不可能殺人事件であり、そこに至ればミステリ・ファンであれば引き込まれよう。隕石直撃と思われる焼死体、密室なのに密室外にぶら下がる謎の縊死体、奇妙な館に串刺しにされた死体。いわゆる”館もの”のお約束といえるような展開となるのだ。また、異星人イレムによる推理もそれなりに冴えている。更にもたらされるある真相により、事件の多くの構図が反転していき、サプライズが大きくなるという仕掛け。その読みにくい地の文章でさえ、実はトリックに奉仕している点も付け加えられての驚きとなる。その設定の奇天烈さを超えて、実は本作、最近では珍しいほどの”ストレートな本格”とみることができよう
ただ――あくまで個人的な思いなのだが、そのミステリに対する愚直なほどの生真面目さが、物語トータルとしては悪い方に出ているように思えるのだ。論理的に考えればヒントが与えられているとはいえ、館はある目的のために建設された、ミステリのためだけに存在するような実に都合の良い建物であるし、もう一つ取り入れられている大トリックの方も、個人的には安直に使用して欲しくないタイプのもの。(ミステリにおける実は病気でしたというネタは私は大嫌いなのだ) また、終盤に至ってある主題が急速に読者の前に提示されてくるのであるが、その主題の扱い方の軽さ(例えば氏が今まで扱ってきた震災というテーマに比べると、このあたり遙かに違和感が多く残った)と、その処理の結果による後味の悪さはミステリ以前に物語として如何ともし難い。これらはあくまで個人的評価であり、トリック至上主義の方とかからはまた別の評価が与えられるものと思うのだが。
とはいっても、この異星人の存在について物語上で開示された内容と、実際のラストにて提示されるある事実が矛盾すること――によって最終的な読後感に微妙な揺らぎを残すやり方はなかなか渋いと思う。ただそうすると、身体は瀬川洵でも精神はやっぱり異星人のものだったのかという点と、序盤で自らの身体を変形する地の文による描写とでやはり矛盾が生じる訳で。果たしてそこまで作者が意図しているのかどうかという疑問まで残されるという……。

本作を高く評価する人がいることも理解できるのだけれども、あくまで個人的には上記の理由によりそこまでには至らない。ただ、今後どうかは分からないが今年上半期における本格ミステリの大作である点は間違いないだろう。評価についてはあくまで皆様が自らなされるのがよろしいのではないかと。