MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/05/31
坂木 司「青空の卵」(東京創元社'02)

覆面作家の新人(本書の段階で)坂木司氏による初単行本。「引きこもり探偵」鳥井と、その鳥井の保護者を自認する坂木のコンビを主人公とする連作短編集。本書に続いて『仔羊の巣』『動物園の鳥』と刊行されており、全三部作となっている。そういえば、本書は創元クライムクラブ初のソフトカバー刊行作品ということになるのかも。

ひきこもりの鳥井を買い物に連れ出した坂木。そのスーパーで二人は美しい女性と知り合う。そして近所を荒らし回る男性狙いのストーカーをネタに彼らの同級生で警察官の滝本が訪ねてくる。 『夏の終わりの三重奏』
視覚障害者の青年と知り合った坂木。更に彼の後をつける不審人物を目撃。それは男女の二人組だといわれて相談を受けるのだが……。 『秋の足音』
歌舞伎役者の安藤もとに送り届けられた謎の品物の数々。最初は亀、そして詫び状が後から届く。鳥井はその送り主を想像し、指摘する。 『冬の贈り物』
道ばたに不安げに佇む子供に声を掛けた坂木。心を開かない彼に名刺を押しつけて去った彼のもとに連絡が。坂木は子供を保護するが、その子はほとんど喋らない。 『春の子供』にエピローグとなる『初夏のひよこ』が加わった連作集。

日常の謎ミステリをベースにした、善人だらけのなま暖かいファンタジー
ミステリとしてどう、という以前に主人公にして視点人物である坂木と、設定上”ひきこもり”の名探偵という鳥井との絡みにずっと違和感……というか物語に入り込めない距離感がある。作者と小生との感性の違いということなのだろうか。二人はいわゆる共依存の関係なのだけれど、二十代後半の男性同士が”互いに気に入られよう”として行動しているというのは、作者が否定しようとなんだろうと、「これはプラトニックなホモセクシャルな関係なんだ、悪いか!」と正々堂々と置き換えてしまってくれた方がよほどすっきりする。例えば、わざわざ鳥井のために時間が比較的自由になるという外資系の保険会社の営業職に籍を置く坂木という設定、坂木が泣くこと、傷つけられる可能性のあることを病的に嫌う鳥井の設定だとか……、盲目的な愛情と言わずして何なのか。またこの鳥井、本当にひきこもり……? 人を名前で呼ぶこと、他人に対するぞんざいで尊大な口調など、世間知らずであることは認められるのだが、全くの他人と言葉を交わしたりするのは平気で、あまつさえ家に呼びつけることを厭わなかったりするあたり、「坂木が大袈裟に保護する単なる出不精」な人物であるように思える。(まあ、真の意味でのひきこもりを坂木がここまで立ち直らせたとも受け取れるけど)。
他の登場人物……基本的に何らかの問題を抱えたいい人たちというのは、それほど気にならなかった。その人物たちが繰り返し物語に登場する点も。だけど、視点人物(つまりは坂木)の口を通じていろいろと善意、善意を押しつけた閉鎖的で画一化されてしまう教訓的世界観からどうしてもリアルを感じられないのだ。本作、毒された現代人にとってのファンタジーとしてしか読めない。(だから小生は毒されている)。他人への思いやりは良いことだ、正しいことだ――という強烈なる倫理観は文句の付けようがなく正しい。ただ物語として正しいことをひたすらに”語られる”と、決して聖人君子ではないこちらの居心地が実に悪くなる。いや、それはそれで、このなま暖かい世界が心地よいという人がいるだろう点は否定しませんよ、もちろん。
さて。ミステリとしては”日常の謎”系統の王道といっていいだろう。女性ストーカー、視覚障害者の後をつけるふたご、謎の贈り物、そして口を利かない子供。ネタとしていろいろなところから持ち込んでおり、それぞれ工夫されている。ただ――易しすぎるかも。スレたミステリ読者である小生は、読んでいるうちに全作品の謎の基本部分は分かっちゃいました。対象女性が叫んだ一言の不自然さ、ふたごと思われた意味、贈り物にある共通性、子供の名前等々、後出しされる手掛かりの回収まではとにかくとして基本構図はシンプルだし。もの凄く感銘を受けないかわりに、破綻も少ないという印象で、こちらは及第点。

いわゆるBLを読んだような印象がどうしても引っ掛かる……(とはいってもそっち系統は今まで一冊しか読んだことがないんで)。自分の気持ちを分析するに恐らく、北村薫作品を生理的に受け付けないという女性読者の裏返しのような感覚なのではないかと想像する。刊行当時にいろいろと話題を呼んだ点、遅まきながらようやく理解できた。(でも、最近新刊で購入して既に4刷って。結構売れてるのね、この作品)


04/05/30
伯方雪日「誰もわたしを倒せない」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

東京創元社の新レーベル”ミステリ・フロンティア”の第五回配本。作者は'70年京都生まれ。『創元推理21』の'03年春号に「必然なる偶然」という作品を発表した経験があるのみで本書が初単行本となる。

プロレスと格闘技の聖地である後楽園ホールの傍らで刺殺死体が発見された。なぜかその髪の毛が切断されている。格闘技マニアである刑事の城島は、その死体の体格がショー的要素を多分に盛り込んだプロレスであるルチャ・リブレから、真剣勝負の喧嘩の延長にある格闘技・ヴァーリ・トゥードまで幅広くこなす天才マスクマン・カタナとそっくりであると気付く。カタナの素顔は主催者である新東京革命プロレス社長の寿仁(ことぶき・ひとし)誰も知らない。城島とその先輩刑事である三瓶は寿と会いに、事務所に出向くが寿と、その付き人である犬飼のカリスマ性に圧倒される。その寿によれば、カタナは孤児院から彼が拾い、育て上げた棟方創という男なのだという。続いて、カタナのマスクとともに中年男の自殺と思われる死体が発見されたという一報が捜査本部に入る。その男は孤児院と寿との連絡役をかつて務めていたと思われる人物だった。そして城島は、ある事実に気付き、犬飼のもとを訪ねた。カタナの正体について彼はある推測をしていたのだ――。『第一話 覆面(マスク)』ほか、『第二話 偽りの最強』『第三話 ロープ』『第四話 誰もわたしを倒せない』『エピローグ』と続く、連作中編集。

プロレスというショーの裏側、格闘技に賭ける思い――男たちの熱き想いとミステリとの奇妙な親和性
格闘技はたまにテレビで観ます。プロレスは昔よく観てました。例の乱歩賞受賞作品は現段階ではまだ未読です。だけどやっぱり格闘技マニアということはなく、だけど全く知らないことはない……程度の人物です、小生は。
本書に寄せられた笹川吉晴氏の解説が格闘技マニア兼ミステリマニアという一部の方々には絶賛されているものの、格闘技(プロレス)について通り一遍しか分からないもので、言われてみるとそうかなあ、というレベル。なので、本書が現実のプロレス・格闘技界の状況を下敷きにした……というあたり、漠然と理解はできるものの本質的にはよく分かっていない。だが別に小生のように、格闘技・プロレスの方面のマニアでなくともそれなりに熱く楽しめるミステリであることを強調しておきたい。
タイガーマスクばりの孤児院のエピソード。現実感が乏しい分、それなりに奇妙なリアリスティックを感じる不思議。そして男同士の世界の×××だとか、世界最強である男の孤独であるとか、高みを目指す者たちが陥っていく罠であるとか。寿仁、そして犬飼という二人のレスラーを通じて描かれるプロレスと格闘技の世界。この世界ならではの独特の欲望と、その裏をかくような事件が次々と発生する。いつの間にか、その世界観に囚われてしまっている自分があり、おかげである作品では平凡なトリックであるにもかかわらず、めちゃくちゃ驚かされた。トリックそのものではなく、作品集全体がミスリーディングを誘うとはなかなか。その他の作品についても、意外とミステリとしては端正な切り口で勝負しており、その背景についても先にきっちり説明がなされていて違和感がない。というか、その男のなかの男の世界、強くなりたいという世界が、実にミステリのなかに巧みにブレンドされている点、感銘を受ける。トリックそのものもさることながら、その犯罪に至るさまざまな動機が、奇妙に新鮮に感じられた。
常に誰かを蹴落とし、自分が這い上がろうとする世界であり、かつ華やかなリング上よりも、描かれている大部分はそのスポットライトの当たらないリング下ということもあって、作品集としての雰囲気自体はどことなく暗い印象がある。だが、この暗さこそがミステリにおける”心の闇”に相当するわけで、だから奇妙な説得力とそして微妙なサプライズに繋がっているのだといえるだろう。

格闘技とミステリ、というコラボレーションが何度も柳の下の泥鰌を狙えるとも思えないが、本書そのものはスマッシュヒットとして記憶に残る作品集になりそうだ。普通のミステリにちょっと飽きてきている方にお勧め。ある意味、最近多い青春ものとは全く異なる”熱さ”(暑苦しさ?)が、かえって新鮮に感じられることでもあるし。


04/05/29
横溝正史「悪魔の百唇譜」(角川文庫'76)

横溝正史の金田一耕助シリーズのなかの一作。もともと昭和37年1月号の『推理ストーリー』誌に「百唇譜」という題名で短編として発表された作品を、同年の10月に長編化して刊行し直したものだという。

世田谷は成城の高級住宅街。深夜、交通違反すれすれの違法駐車がされているのを巡回中の警察官が気付く。側に一人の怪しい風体の男がいたが、彼は通りすがりだといって立ち去った。警官が不審に思って周囲を見まわすと車の上に張り出した桜の木に車の鍵が引っ掛かっていた。彼がこの車のトランクを開けてみたところ、なかから濃密な血の臭いと共に刺殺された女性死体が現れた。胸の血溜まりには刺し貫かれたクイーンのトランプが。翌朝、等々力警部は旅行に出る準備をしていた金田一耕助を訪ね、事件の解決を要請する。被害者は近辺に住む中国人・李泰順の内縁の妻で、その李は昨晩急に商用で神戸に向かったのだという。李は嫉妬深い性格で、妻が浮気をしていないか執拗に探っていた形跡があった。そして今度は世田谷弦巻町でまたもや放置されていた車のトランクから、今度は若い男性の遺体が発見される。胸には変わったかたちの短剣が突き立てられており、同じくジャックのトランプのカードが発見された。果たして、事件の構図とは、そして百唇譜とはなんなのか?

金田一もの本格の形式を借りた、男女ゴシップ中心の昼ドラ的な展開……。
先に書いてしまっても差し支えないと思うのだが、この「百唇譜」とは恐らく横溝氏の造語。解説の中島河太郎氏が挙げている「百歌譜」などの類似語を考えると分かりやすい。つまり、あるコレクター(?)が女性のキスマークばかりを集めたその集成といった記録のことである。ただ、キスマークを集めるためにはその対象と親密な関係になる必要があり、その詳細を細々と記録したうえで時には痴態の写真まで含む……という代物。また、本書におけるそのコレクター氏は、芸能界に彗星のように現れた歌手で、人気が凋落して後に殺害されたという人物である。
発端のトランクの死体、そしてトランプ(うーむ、韻を踏んでいるではないか)のカードというのは視覚的に印象的ではあるが、トリックの本質に深く関わるものではない。実は、死体移動に関するアリバイトリックが厳密にいうと本書のミステリとしての中心部にあり、結構フェアな描写・証言がなされてはいる。とはいうものの、作品内でのゴシップや恐喝、よろめきといった下世話なパートがあまりにも目立ってしまい、そのミステリ部分は沈み込んでしまっている感がある。また偶然の結果そうなったという部分が多いのもミステリ的興趣を削ぐ一因でもあり、本作についてはある程度進められてからムリに辻褄が合わされたような気がしないでもない。
別に作者に糾弾する意図はないとは思えるものの、作品全体をいわゆる”乱れた性関係”が覆っており、やはり結果としてそちらが目立ってしまっている。なので、何となく平日日中に放映されている昼のメロドラマ(最近の昼メロはかなり内容がぐちゃぐちゃしているというし)に近いのではないか、という風に感じられた。ただ、こういったチープさが作品内に点在することも、戦後の横溝作品の特徴の一つだといえるだろう。

特に本書のみを特筆してお勧めする理由はないかと思われる。金田一シリーズのコンプリートを目指される方なら放っておいても読まれることであろうし。とはいっても、その出来の割に角川文庫の新版である”金田一耕助事件ファイル”でも本書はまだ手に入るんだよなあ。……ちょっと不思議な気もする。


04/05/28
横山秀夫「臨場」(光文社'04)

本年も精力的に単行本の刊行がなされている横山秀夫氏の「終身検死官」シリーズによる連作短編集。「小説宝石」誌に'00年より'03年にかけて掲載された作品を加筆再構成した内容となっている。横山作品には、こういった同一主人公によるシリーズ作品が多いが、それぞれが一冊にまとめられていることが多く、全ての作品を読まないと背景が分からないということがないという点は、散発的に読む当方としては有り難い。

L県警にて検死官として勤務する倉石。『終身検死官』『死体掃除人』といった異名を持ち、細い身体、やくざのような風貌と辛辣な発言によって上から疎んじられている半面、「倉石学校」と称して彼を担ぐ若手によって親しまれている。その凄腕により、自殺と思われた殺しを暴いて刑事に多くの手柄を立てさせる一方、殺人ともみえる自殺を見抜き捜査の手間を省く。警察組織に属する無頼で一匹狼な男の物語。

警察に届く死体発見の報。倉石の下で働く一ノ瀬警部はその被害者が、かつて自分と不倫関係にあった女性だと知り恐慌に陥る。 『赤い名刺』
事件の経過を聞き出すために夜討ちを狙って警察幹部の家を張る新聞記者。しかしほんの少し眼を離した隙に、その家の内部では殺人が発生していた。 『眼前の密室』
四十五歳の女性と三十三歳の男性のダブル不倫の心中死体。密室の書庫内部で発見された死体。一ノ瀬は倉石の卒業試験を乗り越えられるのか。 『鉢植えの女』
もうすぐ定年を迎える刑事部長・小松崎。彼のもとに長年送られてきていた「霧山郡」とだけ署名された手紙。それが誰なのか、小松崎は倉石に相談した。 『餞』
司法研修に来ていた二十八歳・斎田梨緒が自殺した。彼女を指導していた三沢と浮島は動揺する。彼らは二人して梨緒に歪んだ思いを寄せていたからだ。 『声』
団地の先生殺しをスピード解決した佐倉刑事。科捜研の友人の助けを得て祝杯を挙げる筈が、「DNAをちゃんとやれ」倉石からの一言によって掻き回される。 『真夜中の調書』
婦警・小坂留美は男運に恵まれない。仲良かった同期三人と同じ機動隊員を争って破れ、主婦となった春枝からの電話が気を滅入らせる。しかしその春枝が……。 『黒星』
不良上がりの警察官・永嶋は倉石の運転手兼助手として引っ張られた。不良少年射殺事件が起きた時、永嶋は野次馬に知り合いがいないか見て回れと指示される。 『十七年蝉』 以上八編。

現代警察組織において実際に存在が許容される名探偵――それが検死官なのか
横山秀夫はジャーナリスト出身。警察小説の書き手として一世を風靡している。これまでも『第三の時効』など、本格ミステリのテイストを織り込んだ作品を発表しているが、本書もまたそれに近い手触りがある。
ミステリで描かれる古典的な名探偵を思い浮かべて欲しい。パイプを加えたあの人あたりがいいだろうか。殺人事件現場に呼ばれてまず何をするか。おもむろに取り出される虫眼鏡ではないが、死体の状態を観察し、その死体の周囲の状況をもまた手掛かりをもとめて調べて回ることが多いように思う。本書における「検死官」は、まさにその名探偵の初期行動に近い役割を持った存在として描かれている。実際に犯人を追いつめるのは刑事部隊の仕事と割り切っているが、その観察眼による直感と推理によって、既に犯人がどういった存在なのかは主人公の倉石の頭のなかで組み立てられているのだ。現代の、そして実際の警察組織においては、捜査陣のなかに名刑事がいて凄まじい推理を発揮するというよりも、正式な資格によって死体を検死する人物がその所見を述べるという方が、より有り得そうな話であり、このあたりへの配慮が横山氏らしいといえる。
また、八つの物語を並べながら、それらがワンパターンに陥らないところも味がある。観察者の視点による奇想天外な密室殺人となる『眼前の密室』、密室内部の不審死体の謎を解き明かす『鉢植えの女』といった、本格ミステリのテイストを効かせた作品があると思えば、最先端の研究成果をもとにしたアイデアがもとになったと思われる『真夜中の調書』がある。また、思わぬ動機から意外な犯人を推定していく『十七年蝉』、そして連戦連勝の記録をわざわざ途切れさせ、倉石の人間味を見せつける『黒星』等々、その内容というか主題が多岐に渡っている。つまり、作品それぞれが、本格であったりサスペンスであったり人情譚であったりと、様々な貌を「見せてくれる」のだ。また、作中で挙げられる事件が短編一つに一つでなく、時に複数の事件を並行して進めたり、あっという間に解決する事件を挟んだりと手も込んでいる。警察の慌ただしさみたいな雰囲気や、引き立てられる倉石の優秀さなど、その結果得られているものも大きい。
また、もう一つ気付いた点として「閉じられた世界」のなかにおける「拡がり」が挙げられよう。警察組織を外側から知り尽くした作者ならではの技巧だと思うのだが、警察組織やその周辺にいるジャーナリストたちといった存在が実に人間的なのだ。捜査するだけの存在ではなく、ちゃんと飯を食い、酒を飲み、家に帰るという人間の生活の一環が見え隠れする。警察に所属しているという点を特別視するではなく、それ以前に彼らも強さ弱さ、そして清濁を持った人間であるという点をさりげなくも行き渡らせている点、横山作品の深みに繋がっているように感じさせられた。

「著者の独擅場! 警察小説の白眉」 と帯背表紙に書かれているのだが、その言葉に異論はない。単に警察組織を取り上げるにしても、他の作家ではなかなか挑戦できないところに切り口がある。本書が横山氏の最高傑作ということはないけれど、どの作品を手にとっても読ませるだけの内容がずっとキープされている点には驚きを禁じ得ない。


04/05/27
佐々木丸美「舞姫」(講談社'81)

北海道を舞台にしたひたむきな恋物語を描き続け、その筆が折られた後もまだなおカルトな人気を誇る佐々木丸美。その単行本には”シリーズ”と表現され得る作品も多いが、本書は「恋愛今昔物語」の外伝的性格を持つ長編。文庫化はされていない。

一人の青年がスキー場でのアルバイトの最中、怪我をした鶴をみつけ、助けた。そして……。
貧乏音楽青年、一谷黎のもとに一人の少女がやって来た。夕香と名乗る少女は自分のことは何も語らず、そばに置いて欲しいという。戸惑う黎であったが、アパートに住む親切でちょっと図々しいおばさんに乗せられ、少女を部屋に置くようになる。黎は音楽で身を立てることを念願としているが、その演劇理論は周囲には認められず、心の許せる友人は何人もいない。その夕香は、田舎から歌手志望でやって来た親戚ということになった。夕香は周囲の事柄を何でもするすると吸収した。言葉や習慣のみならずレコードから流れてくる歌声までも。夕香の天性の音楽の才能と、踊りの才能に気付いた黎は、着々と夕香の才能を周囲に知らしめるようになるが、反応するのは黎のかつての恋人、恵記子や、彼をかつて貶めた芸能ライターだけ。しかし夕香の才能は知られるようになり、周囲は彼女の過去について知りたがる。黎は仲間である帝や次郎左右衛門らの助けを得て、夕香をただ一人の主演とする映画を撮影することを決める。

もちろん主題は鶴の恩返しなのだけれど……、佐々木丸美、さすがに一筋縄ではいかなくて……
別にネタバレにはあたらないと思うので先に書いてしまうと、登場人物の黎らは人間だが、唯一夕香だけは人間界にやって来た鶴が正体。なので、歌や踊りの才能は抜きんでて常識離れしており、その才能を開けば開くほどに人間界の関係性が増すという矛盾と、そんななかでの男女の崇高な愛情が描かれている。
この夕香の設定が、微妙にSF的でもあるし、説話ベースならではの発想の飛躍があり、このあたり面白い。単なる「鶴の恩返し」の現代版に留まらない。夕香自身の性格づけが、説話の主人公とは根本的に異なっているように感じられるから。何よりも、自分の愛情を成就させるためになら手段を選ばない彼女の姿に人間離れした迫力を覚える。しかし、他の作品においても一貫してこのような愛情表現が描かれてきているわけで、ある意味、これもまた佐々木丸美らしい「愛のためならなんやらら」の物語であるといえよう。
当然、物語の底に据えられているのは、佐々木丸美の定番といえるメルヘンチック、そしてプラトニック、さらにシリアスでピュアな男女関係。好意を見せつつも、決して一線を踏み越えることのない男と、そしてそんな男のことが心底から好きで、手練手管を弄しながら一線を越えてくれるのをひたすらに待ち続ける女。  本書における黎と夕香の関係がまたそれ。これはこれで、先の作品から佐々木ワールドに嵌っている読者ならば、このあたりがツボのはず。しかも、本書の場合は余計な要素をできるだけ排したうえ、鶴の恩返しに更に羽衣伝説を加えたかのような哀しい別れが最初の最初から予感されるという悲劇的な物語。(ハッピーエンドとも受け取れるがやはりベースは悲劇だろう)。また、登場人物のリンク等を考えずとも、実際にそんな方は少なかろうが本書を佐々木丸美体験の最初の一冊にしてしまうというのも手ではある。
だが、だからこそ、この物語が極上の恋愛小説として生きるのであろう。特に、ミュージカルに託して主人公の心情を歌いあげる終盤、言葉(詩)の持つ迫力に圧倒されるものを感じた。こういった文章を巧みに操れることもまた、佐々木丸美のカルト人気を掻き立てている一因なのではないかと考える。

佐々木作品は今なお入手困難であり、一説によれば作者は本書を復刊する意図がないとも聞く。益々読まれる方は今後減少傾向に至るのであろうが、それでもなおこの作品に巧みな吸引力があることは事実。古本やオークションで高値を付けるのは仕方のないことかも。


04/05/26
芦辺 拓「紅楼夢の殺人」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'04)

三年目を迎えるこの「本格ミステリマスターズ」は歌野氏の大ヒット作品を輩出するなど本格ミステリ専門の叢書として着実な成果を築きつつある。一般読者も含めた広範な読者にアピールしたのが前述の歌野氏だとすると、この『紅楼夢の殺人』は、本格ミステリの中心的読者層に強いアピールを残す作品ではないかと考える。最近は短編集中心の刊行が多かった芦辺氏による二年半ぶりの書き下ろし長編。そして、ノンシリーズの力作である。

中世中国。朝廷より世々代々、寧国公、栄国公の称号をいただき、公爵の地位を世襲して三代目となる賈敬・賈政の両家。特に賈政は娘である賈元春は宮中に上がり、貴妃の称号を抱くに至り、その栄華を極めんとしていた。両家にはほかにも賈迎春、賈惜春、賈探春らの娘がおり、また賈家の男性に嫁いできた女性や、親戚の娘たち、そして林黛玉、薛宝釵ら、当世を代表する様々な美女がおり、金陵十二釵と呼ばれていた。その賈家の貴公子であり、変わり者で知られるのだ賈宝玉である。さて、ある日、賈元春が、実家に帰宅が許されるにあたり、賈家は屋敷の敷地を大改造して彼女を迎えた。元春はその地を「大観園」と名付け、宝玉や彼女の妹たちにそこで暮らすように命じる。地上の大楽園と化した大観園であったが、一方で不吉な手紙が皇族の北静郡王のもとに届けられ、賈家とも繋がりの深い頼尚栄がその捜査を命ぜられる。大観園で「海棠詩社」なるサークルが結成されることを祝う当日、遂に謎めいた死者が衆人環視のなか、出現する――。

なぜ桃源郷にてこれほど悲惨な不可能犯罪が起きるのか? 舞台の美と探偵小説の謎とのウロボロス
御存知の方も多いと思うが、『紅楼夢』というのは、中国の奇書の一つと呼ばれる長大な物語である。つまり本書には原典となる作品が存在するということ。本書はその中国文学『紅楼夢』の世界を借りつつ、芦辺拓がミステリをその内部に込めたという作品で、本書の成立の経緯については同じく中国古典がベースの山田風太郎『妖異金瓶梅』にどことなく似ているように感じられる。

物語を端的にいってしまうと、本書は少女と少年のためのユートピア内部で発生する、謎めいた数々の殺人事件の物語。 衆人環視のなかで殺害された女性が水の中から発見されたり、遠く離れたところにいた女性が服を夜空に飛ばし、大観園そばの密室状態の袋小路のなかで殺害されていたり、何もない筈の花畑の中から忽然と死体が現れたり、死者が子供を池に引き入れようとしたり……。 これまでも芦辺氏が精力的に描いてきた、本格ミステリ的不可能事件がこの桃源郷に次々と現出する。不謹慎な言い方ながら、その殺人がどこか中華的な美しさが込められている。もちろん中世の中国という舞台ということもあって、簡単な検屍はあっても科学的捜査はない。推理するのは、頼尚栄という探偵。だが、頼尚栄の相棒(?)にして大観園の中心人物である賈宝玉の態度がなんとも怪しい……。このあたりから読者の最初の推理がはじまり、恐らく頼尚栄の考える事件の構図までは、頭のなかに浮かぶのではないだろうか。ただ、小生の場合、そこに至った後に、きっちりそれが裏切られたわけなのだが。
不可能犯罪+その論理的な解決という点、これは本格ミステリであればデフォルトであるといえる。また、この不可能犯罪が、この大観園という舞台や、背景となっている舞台に実に見事なマッチングがなされている点、これはこれでまず評価すべき点であろう。中国でなければ、大観園でなければ成立し得ない謎。だが、本書の凄さはそれだけではないのだ。
中国文学を苦手とする方には(そうでなくとも)、例えば人名が分かりづらいとか、序盤〜中盤の物語の流れがスローであるとかいった部分で引っ掛かりを覚えるケースもあるかとは考えられる。それでも敢えて、最終的に本書が本格ミステリという形式で書かれた事実に至るまで読んで欲しいのだ。なぜ、この閉じられたユートピア内部で、奇妙奇天烈な事件が続発したのか。個々の謎解きはもちろんのこと、その大きな物語の舞台とその事件の持つ意味とが不可分に浸食しあい、本書が真の意味のメタ・探偵小説であることに必ずショックを受ける筈だから。いわゆる叙述トリックを用いるではないのに、見えていた物語世界が見事に反転させられる強烈なサプライズが物語に存在する。単に作者が好む作品を舞台に借りただけではなく、その借りたなら借りただけの意義があり、その精神が実に斬新な考え方にみえる。本書は本格ミステリという意味合いにおいて、今年度の大収穫であることは間違いない。

場面場面の描写は、中国の宮廷絵巻を見ているかのような美しさに満ちており、それを表現する豊富な語彙や文章も実によく練られていると感じた。ただ印象的な場面が続く一方で、原典を大事にするがゆえのその繋がりといった部分に少々ぎくしゃくしたところがあり、物語全体の流れという意味では部分的にぎこちなく感じられるところもある。ただ――『紅楼夢』が、もともとどちらかといえばのんびりとした宮廷文学であり、賈家の繁栄と没落を描いた作品であることを、いかに物語に活かすかというあたりに腐心した結果だと私には思われるので、この点は読者によりその評価は分かれることになるだろう。原典を読んでいないので、どこまでがオリジナルで、どこからが芦辺氏によるフィクションかが分からないながら――破滅と幻想で幕を閉じるラストは小生好みである。

物語文学のコンバージョンとしてというよりも、恐らくは本格ミステリ読者に高い評価が得られるはず。なぜ『紅楼夢』の世界にて本格ミステリが描かれる必要があったのか――という作者の意図を感じ取り、皆さんにもぜひ驚きを共有して欲しい作品。


04/05/25
天城 一「天城一の密室犯罪学教程」(日本評論社'04)

戦後すぐに旧『宝石』にてデビューを果たし、アンソロジー等に数多く作品が収録されている著者の初の商業出版による作品集。デビュー後、約五十年が経過している状況下でも、独自の本格トリック論を持つ著者によろ作品は異彩を放っており、あまり古びてしまっている印象はない。

PART1 密室犯罪学教程 実践編
『星の時間の殺人』 『村のUFO』 『夏炎』 『遠雷』 『火の鳥の花』 『朝凪の悲歌』 『怨みが浦』 『むだ騒ぎ』 『影の影』
PART2 密室犯罪学教程 理論編
「献辞」「序説」「第1講 抜け穴密室」「第2講 機会密室」「第3講 事故/自殺/密室」「第4講 内出血密室」「第5講 時間差密室(+)」「第6講 時間差密室(−)」「第7講 逆密室(+)」「第8講 逆密室(−)」「第9講 超純密室」「むすび」
PART3 毒草/麻耶の場合
死体を見て路地から飛び出してきた男。出入り口は見張られており犯人はいないと思われたが。 『不思議の国の犯罪』
「主人を殺したのは鬼!」鬼が実行したと妻が主張する犯罪の裏には、犯人の驚異の目的があった。 『鬼面の犯罪』
 ほか、『奇蹟の犯罪』 『高天原の犯罪』 『夢の中の犯罪』 『明日のための犯罪』 『盗まれた手紙』 『ポツダム犯罪』 『黒幕・十時に死す』 『冬の時代の犯罪』
「密室作法(改訂)」「自作解説」 「天城ワールドを覗く(山沢晴雄)」「編者解題(日下三蔵)」「あとがき」

物語から本格ミステリを紡ぎ出す人との対極。トリックがまずあって、そこから物語が創られている
本格ミステリのファンの集まりなどでは、偶にカルト的な人気作家の名前が挙がる。これまでも数多くのアンソロジーにて取り上げられている天城一もその一人。何にしろ、五十年前にデビューしているにもかかわらず、その発表された作品数が極めて少ない。長編が二編、短編にしても二十数編を数えるのみである。本書は作者初期のいわゆる「麻耶もの」の全作品と、密室について独自の理論を繰り広げ、実作と評論を一体化させている「密室犯罪学教程」との二つを中心に編まれている。
ただ――氏の理論については、分析としてユニークであり、論理的にも緻密であることは認められるのであるが、個人的にはその贅肉をとことんまで削ぎ落とし、解決にしても超人的な回答があっという間に提出されてしまう天城作品からは、これまでそれほどまで大きな魅力を感じてこなかった。(これはあくまで好みの問題ではあるが)。本格のロジックやトリックの仕組みにこだわり、それを実作で実現しようという意欲は確かに凄いこと。なのだが「ついてこられる読者」以外を置き去りにしてしまうことを厭わないような姿勢があるようにも思われるからだ。そういう理由で『密室犯罪学教程』のトータルとして訴えようとして理論は、実に面白く読むことが出来た一方で、その実例の方はちょっと鼻につくような印象があるのだ。物語としての膨らみや面白みを犠牲にして、理論の実践のみのために創られる作品なので、もともと興奮を得ようとする方にムリがあるのかもしれない。とはいっても、天城氏が「表現しようとしたこと」については確かに伝わってくることもまた事実。 今回通じて読んだ理論の方では、特に序説にある「頭があれば密室殺人を犯すはずはなく、頭を使わなくては密室殺人を犯せません。/要約すると、密室殺人はそれ自身パラドックスです。だからメルヘン、ことばの語源的な意味で、小さな作り話です。」というくだりに強いインパクトを感じた。また、本格ミステリ作家を目指す方にとっては、まとめられたこの教程はかなり役立つのではないだろうか。
――だからこそ、本書では後半部にまとめられている麻耶もので、当時の世相や思想を下敷きにした作品の方に大きな魅力を感じた。こちらは一部再読となるが、改めて並べられることによって、アンソロジーで読了した際とは別の意味合いが見えてくる部分があるように思う。単純にトリックだけでみればバカミスと揶揄されることも多い『高天原の犯罪』。これが執筆された当時の状況や込められた思想や世相に対する皮肉といった意味合いが付加されることで、実はとんでもない傑作であることが改めて感じられた。また『ポツダム犯罪』における、凶器選びとその真実、また『冬の時代の犯罪』の命がけのトリックであるとか、やはりその時代性と結合することで麻耶ものは傑作たりえているのではないかと愚考する次第。とはいっても、これらについてもトリックがまず中心にあって、それから贅肉を削ぎ落としている作品ではあり、冗長な描写に慣れきった現代読者にとってはちょっと戸惑われる可能性は高い。

確かに、五十年もの時を経て初短編集が出るという点、異例なことは確か。既にかなり売れており、重版がかかったという話をきいているが、本格ミステリの「核」となる広い世代の読者がこぞって購入した結果ではないかと思う。確かに本格ミステリの核がトリックにあるのであれば、その中心中の中心にある作品集だといえるだろう。だけど、個人的にはそれはそれとして、他にもミステリとしては大切な要素はいくつもあるように思う。その筋肉たるべき諸要素までも、ばっさり削ぎ落としていることの多い氏の作品群全体に対しては、どこか全面的には高評価を与えきれられない気持ちも残る。


04/05/24
松本清張「時間の習俗」(新潮文庫'62)

松本清張の記念碑的作品『点と線』の続編として、雑誌『旅』に'61年から翌年にかけて連載されたもの。シリーズキャラクタをほとんど登場させない清張作品としては珍しく、前作に登場した三原・鳥飼の両刑事が探偵役を務めている。新潮文庫で現役本として入手が可能。

神奈川県の相模湖畔の旅館に二人連れで訪れた人物が絞殺死体となって発見された。被害者は交通関係の業界紙を発行する土肥武夫で、旅館の女中らの証言によれば同行していた女性がいる筈で、その人物が行方不明となっていた。痴情のもつれとして捜査を進める警察陣であったが、綿密な調査にもかかわらず該当する女性が発見できない。土肥の周辺を洗っていた警視庁の三原警部補は、関係者の一人である峰岡周一なる人物に目を付ける。三原は、この事件は衝動的な犯行などではなく、綿密に計画された犯罪だと看破、事件との関連こそ薄いながら、彼の持つその完璧なアリバイがかえって目に付いたのだ。しかし、当日の深夜に行われる門司の和布刈神社の神事を撮影したフィルムや、小倉の旅館での証言、更には交通機関の記録に至るまで彼のアリバイは完全。地道な試行錯誤の結果、三原はあるトリックに気付くのだが、それが判ったにもかかわらず峰岡のアリバイは全く揺るがないのであった。

情景の描写、文学との絡みなど清張らしさは確かにあるが、実はミステリに特化している
少なくとも一般的には、松本清張は推理小説に社会性のある動機や、犯罪者の心理などを取り入れることにより”社会派推理小説”を築いたということになっている。本作は、その名声というか評価を確立した一定の初期作品群の後の発表、さらにはその意味における出世作でもある『点と線』の続編であるにもかかわらず、非常に本格推理小説寄りの特異な位置にあるように感じられた。というのも、本書は珍しく、犯人の殺害動機や犯行に至る経緯といった、松本清張が読者や周囲によって賞賛されてきた部分が非常にあっさりとしか描かれず、あえていえば軽視されているといっていいくらいなのだ。三原警部補が、峰岡に眼を付ける理由が「完全なアリバイに、かえって気持がひっかかるのだ。これがいつまでも峰岡に未練を持たせている」というあたりにある点(つまりは刑事の直感というやつ)など、現実を重視する松本清張らしからぬようにと思われた。
ただ、その結果、特異なアリバイ崩しミステリが出来上がったことは、読者にとっては喜ばしいことといえるだろう。動機や背景などは二の次、三の次。とにかく二人の刑事が狙った獲物のアリバイを崩すことだけに執念を燃やす展開。その犯人の方の持つアリバイも生半可なものではない。その双方の(アリバイは犯罪者の、崩すのは刑事の)執念深い行動や、彼らの思考を追いかけていく過程がなんといっても本作の魅力といっていいだろう。途中に容疑者が取った行動ひとつにしても、刑事たちは何か意味があるのではないかと必死になって考える。そのメインとなる、恐らく本邦初ではないかと思われる、写真を使用したあるトリックにしても、その方法自体が判っても結局、それを実行できるかどうかという点でまた壁に当たる。このように、犯人の叡智は悪魔的ですらあるくらいで、その混迷の度合いが実に深い。また、なぜ犯人が○○○を博多で購入したのかという部分も、現在はあまり通用しないかもしれないが、かつてそういうニュアンスで○○○を使用していたことがあったことを思い出した。なるほどねえ。被害者の同伴者が誰だったのか? という点に関しては、いわゆるミステリや探偵小説というニュアンスのなかではありがちともいえるトリックではあるのだけれど、(偏見かもしれないながら)松本清張がこれを使うという点に、どこか新鮮な驚きを覚えてしまった。

純粋に”本作だけ”を見据えると、まさに鮎川哲也の鬼貫ものを読んでいるような感覚に近い。 後世、つまり我々の世代の清張観からすると、このように本格ミステリ一本に軸を絞った作品が存在すること自体が新鮮な驚きであるともいえよう。続き物ゆえ、本作は『点と線』を読んでからになるだろうが、松本清張の本格ミステリとして手にとって頂きたい作品。(ただ、捜査本部が解散するような単独捜査で、あれだけ細かな仕事を全国の警察が丁寧に仕事をしてくれたのだろうか、かつての日本は……)。


04/05/23
氷川 透「各務原氏の逆説」(トクマ・ノベルズ'04)

第15回メフィスト賞を『真っ暗な夜明け』にて受賞してデビュー後、講談社ノベルスや原書房を中心に着実に長編を発表してきている氷川氏の七冊目の作品。徳間書店からは初の本書は書き下ろしの学園ものミステリである。

軽音楽部に所属し、ピアノを演奏するリョー。彼の学校には用務員である各務原氏(なぜか皆「用務員さん」「各務原さん」ではなく、「各務原氏」と呼ぶ)がおり、リョーは時々相談に乗ってもらっていた。その日、下校時刻を過ぎる頃まで部室でピアノを弾いていたリョーは各務原氏と話し、下校することにする。帰り道、かねてより仄かな憧れを抱いていた文芸部の一ノ瀬紗希絵に話しかけられる。彼女の友人の来生愛美の親友で軽音に所属する滝祥子を通じて、軽音楽部に興味があるのだという。軽音楽部にはリョーと、ピアニストにしてマルチプレイヤーである祥子のほか、部長のドラマー高杉、三年生の五十嵐と、二年生の沢木というギタリストコンビ、さらに美形で演奏上手の一年生・向井らが所属する。ある日、リョーは高杉より、部長就任の打診を受け困惑し、各務原氏のところに出向く。彼はそこで来生愛美と遭遇、滝祥子が何か悩みを抱えていることを知る。そして翌日、部室で首を吊って死んでいる滝祥子の死体が発見された……。

軽めの正統派学園本格ミステリとして読むべきか、深い意味合いを追求すべきか。悩まされるのが氷川作品の常で
ああ、悩んだ悩んだ。悩みましたとも。薄めのノベルスであり普通に読了するのにそう時間は要しない。だけど、本当に物語に現されている解決だけでこの作品は正しい解釈をしたことになるのかどうか。 読了したのに要した時間以上、この作品の色んな箇所を開いて、メモを取りつつ「あー、うー」とやってしまった。……というのは、氷川氏の作品、これまでもいわゆる普通の本格ミステリ以上の意味合いを作品に込めていることが多いから。ただ、初期作品からの読者に対してそのように”思わせる”ことだけで、まあ大きな意味でのミスリーディングを成しているともいえるので、まんまと罠にかかっているだけなのかもしれない。

さて、物語は主人公のリョー、そしてアドバイス役の各務原氏の二人三脚で進む。部活仲間の死、そして続いて発生する殺人事件……の近い立場にいるリョーが、事件の真相を解き明かす。なぜ彼がそんな探偵役を引き受けることになったのか……あたりも物語のポイントになるだろう。各務原氏の事件に対するロジカルな説明はなかなか軽快で、脈絡のない話題をスパイスとして取り入れている点も人物像を印象づけるのに役立っている。そして、隘路を通り抜けたような論理の末に指摘される犯人もまた意外であり、真実が明らかにされた後の人々の本質が浮き彫りになることが、学園ミステリならではの冷え冷えとした幕の閉じ方に役立っているように思う。題名ではないが、真相を明らかにするという目的を果たすことで、本来的な主人公の目的が喪失するなど、実に逆説的ではないか。

(ネタバレ)登場人物表に記されている桑折亮が登場人物のリョーではない、ということは確かに驚きだが、作品世界がひっくり返る程の意味合いではない。またリョーが桑折亮の名前を見ていると誰かの生まれ変わりに思えるというのは、もちろん彼の方が将来の氷川透(たぶん、桑折=こおり=氷、亮=とおる=透、そしてジャズ・ピアニスト指向)を暗示しているものと思う。 そちらはいい。むしろこのトリックを読んだ末に悩んだのは、本当に作品上の解決が、真実なのかどうか。 高校生の当事者である主人公が得られる限られた情報から推理は進められる。小生が悩まされたのは「二股」という、作品内にて強調されている言葉が本筋の解決に結び付いていない点。祥子の幽霊の挿話を聞いたなかに殺人犯人がいる……という点、高杉が沢木を部長に選ばなかった点、そして高杉と紗希絵、二人のアリバイは同時に二人が共犯だった時に無意味になる点……あたりから別解釈(紗希絵犯人説)が成り立つようにも思ったのだ。同性愛者と仄めかされている愛美は「紗希絵のために」殺人犯の汚名を引き受けた、とも考えられないこともなく、遺書も作品内には実際に登場していない。問題は高杉=紗希絵のラインに関する伏線は何もなく、また恐らく紗希絵が別の女友達が同行していたという点が検証されると共犯説は成り立たないあたりがこの説の弱点。このへんに「あー、うー」と考え込んでいたという訳。

まあ、小生については結果としてミステリ一冊分の倍くらい内容について楽しめた(悩まされた)ということでもある。恐らく普通に読むなら、ここまで悩む必要など何もなく、ロジックが苦手という方でもすんなりと内容が頭に入るものと思う。一連の探偵役・氷川透シリーズの番外編という位置づけでもあり、これまで講談社ノベルスを読まれている方にはおまけとしての楽しみがある。


04/05/22
麻耶雄嵩「名探偵 木更津悠也」(カッパノベルス'04)

麻耶雄嵩氏のシリーズ探偵では、強烈な個性を持つメルカトル鮎が有名だが、初期作品を彩ってきたのがこちらの名探偵・木更津悠也である。本書は『ジャーロ』誌に掲載されてきた中編三編に、アンソロジー『21世紀本格』に掲載された「交換殺人」を加えた四編からなる中編集。木更津ものでは初の短編集ということになる。

京都にある閑静な住宅街で一人の男が屋敷のなかでカーテンを切り取っている人物を目撃する。その家では資産家が殺害されていた。しがらみがあって関係者より捜査を引き受けた木更津悠也、だが、彼の前には事件関係者の鉄壁ともいえるアリバイが立ちはだかった。 『白幽霊』
噂の「白幽霊」は失踪した友人ではないか――存在を確かめにその場所に出向いた高校生五人は本当に白幽霊に出会ってしまう。そして、そのなかの一人が学校で殺された。身体を石灰で埋もれさせられた死体は何を意味するのか。 『禁区』
妻との諍いから、酔っ払って見知らぬ男と交換殺人することを承諾したという夫。ポケットのなかにあった人物が、自分が手を下さないのに実際に殺されてしまった。相手が自分の妻を殺しにくるのではないかと恐れた彼は、木更津悠也に相談しに出向いた。 『交換殺人』
鉄道展望ビデオに現れる幽霊の噂。その場所を確かめにいったグループが偶然に死体を発見した。一年前に行方不明になった女子大生の死体。その父親から依頼を受けた木更津は、彼女が失踪後にレンタルビデオ屋に返却したテープに血が付着していたと知る。 『時間外返却』 以上四編。

一見、実にオーソドックスな名探偵もの。その裏側になんか麻耶流の深謀遠慮が見え隠れ
オーソドックスな名探偵もののミステリと同様、普通に筋を辿り、奇妙な事件に首をひねり、解決に驚く……という読み方をすることができる作品。四つの作品を通じて「白い幽霊」なる存在が描かれ、そのこと自体の謎は解かれないものの、作品内の事件が全てリンクしている点は興味深いし、もちろんそれぞれの事件は本格ミステリとしてのロジックが駆使されており、事件そのものも魅力がある。本作でナビゲーション(?)を務める白幽霊という存在を、”在るもの”としてわざと解き明かさないあたりの配慮も小生好み。
特にちょっと意表をついた事件の依頼から物語が始まる『交換殺人』は、意表を突いた犯人の狙いなど悪魔的な奸智が素晴らしく、その真相には吃驚させられた。というか、ヒネリ方(ひねくれ方?)が実に巧い。また『禁区』における犯人の行動の理由から、その真相を明らかにしていく筋道など、ネタとしては小さいながらその論理の隘路を巧みに通り抜けてしまう木更津の推理に唸らされる。また、『時間外返却』における意外な犯人の登場させ方なども、麻耶雄嵩らしい実に人を食った展開。そういった”素直じゃない”ところは麻耶作品での大いなる魅力だといえるだろう。
。……だが、そういった事件が持つ個々の物語とは別に、麻耶雄嵩らしいなあ……と感心するのは、名探偵という存在を一旦分解して改めて組み直したのではないか、という物語構造という点。木更津悠也自身は、デビュー作から登場する探偵。依頼がなければ働かず、人々から名探偵として認知されていて、語り手でもある香月実朝というワトソン役がいて、実際に対処する事件全てを解決してきている。頭の回転は早く、単なる探偵としてだけでなく、自分が”名探偵”であるという強烈な自覚を持っている。その鋭敏な観察力と洞察力によって他人の運命を弄んだり、包み隠された真実を明かすことでこれまた他人の人生を狂わしたりする”力”があることも自覚している。だが、木更津は名探偵として常にストイックに事件をこなす。理想の名探偵、かくあるべし。 そういった作者の主張の権化が木更津なのだ。
一方、ワトソン役である香月実朝。彼は単なる語り手、単なる道化回しではなく、一歩進んだ”自覚的ワトソン役”として存在するところも興味深い。ワトソン役がいてこその名探偵、ならば、名探偵を引き立てるための役割を自分なりに果たそうときちんと自覚して行動している。この結果、物語がスムースに進行し、木更津は名探偵であり続けることが出来るのだ。いや、実に面白い考え方である。

恐らく、いわゆるミステリファンに対してであれば、そこそこ万人受けしそうな作品集。 物語に対する語り口もこなれてきており、初期作品に目立った大仰な演出が押さえられている分、オーソドックスなミステリとして楽しむことができるのではないかと思う。ただ、マニアを自認する方であれば、一歩進んだ解釈(というか想像)を楽しめるところもまた、麻耶作品の魅力。ストーリー以上の深みが麻耶ファンを増殖させているともいえそうな気がする。


04/05/21
伊坂幸太郎「チルドレン」(講談社'04)

昨年大ブレイクを果たし、『アヒルと鴨のコインロッカー』にて第25回吉川英治文学新人賞を受賞した伊坂幸太郎氏の受賞後第一作。とはいっても書き下ろしではなく、'02年から'04年にかけて『小説現代』に掲載されてきた作品を単行本向けに加筆したものだという。

閉店間際の銀行窓口にやって来た鴨居と陣内。彼らは飛び込んできた銀行強盗により行員もろとも人質とされてしまう。縛られ面を被せられた彼ら。陣内は強盗に詰め寄るが、興奮した強盗が発砲。警察に囲まれ事態はややこしくなる。 『バンク』
家庭裁判所に勤務する武藤は、同僚の陣内からかつて担当した少年が誘拐され、保護されたという新聞を見せられる。木原志朗というその少年は無口で威圧感のある父親に連れられて武藤のもとにやってきた。しかし双方の受け答えはちぐはぐ。 『チルドレン』
詰まらない会議で優子は回想する。永瀬と二人、陣内の告白(そして失恋)シーンを野次馬した後、二時間あまりもベンチで陣内の演説を聞かされた時のことを。陣内は周囲の人々に二時間動きがないことを主張。自分のために時が止まったという。 『レトリーバー』
親権を巡る離婚調停を抱えていた武藤は陣内に二日続きで飲みに誘われる。居酒屋にはかつて陣内に世話になったという無愛想な少年・明がバイトしており、陣内はしつこく彼を自分の所属するバンドのライブに誘い出そうとする。 『チルドレンII』
仙台のデパートの屋上ベンチ。陣内がバイトしているという場所にやってきた永瀬と優子。優子が飲み物を買いに行っているあいだに永瀬のもとに女の子がやって来た。そして人々の注目を集める陣内はいったい何を? 『イン』 以上五編による連作集。

思わず居住まいを正したくなる? 伊坂流の懐の深さを感じさせる暖かみある人間模様
よく喋り、理屈っぽく、いうことがころころ変わり、強情。あと、歌だけはめちゃくちゃ巧い。だけど、奇妙な人間的魅力をぷんぷんと発揮する陣内という人物がこの連作集の軸となる。少々『バンク』における彼の扱いが浮いているが、そこは頭脳明晰な盲目青年、永瀬の存在がカバー。全体を通じて読むと、やはり陣内の物語となっているという仕組みである。またその破天荒な行動の目立つ陣内だが、その根本にある単純なまでな”人間に対する意識”の清々しさは本作の眼目であるといえるだろう。ありとあらゆるところに存在する差別を当たり前のように吹き飛ばしていく陣内の言動や行動は、読者の持つ常識をもまた吹き飛ばし、知らず反省したくなるような気持ちにさせてしまう(といっても悪い気分ではないよ、もちろん)という奇蹟を演出する。
これまでの作品で多用されてきた、物語や人を意外なところで繋げる伊坂流の方法論は本作でも健在。 従来、どこかミステリに繋がるトリックの一部として用いられてきたそれが、この作品集においては別の効果をもたらすために使われているように感じられた。即ち人と人との繋がり、そしてそこから発される暖かみの強調である。この意味で、本作で最も感銘を受けたのは、本書の最後の一言として永瀬の独白として「甘いかな。」と呟いたことばが、実は『レトリーバー』へと繋がっている点。作品内部における微妙なリンクによって、作品全体に通じる暖かさが強烈になるという仕掛けである。また当然、その方法論によって他作品への微妙なリンクも張られており、伊坂作品を読み込んでいる人ならば、ところどころでニヤリとすることも間違いない。また、親子のシンプルなテーマや、人間の本質を突いたような警句、それに洒落た言い回しなども健在。深刻な主題を扱いながら、小説としてのお洒落感覚をきっちり維持しているあたりも従来作品同様の高い水準をみることができる。

以下、『バンク』について少々ネタバレなので。犯人が人質及び行員にお面を被せた後、頭の薄い人質に対しいきなり「禿げ支店長」と呼びつける……ってことは、作品では明確にされていないものの永瀬の推理が正しかったってことでいいのではないか。(ここまで)。

ミステリという意味では薄味かもしれないながら、人間観察とキャラクタ造りの妙によって単なるサプライズ以上のものを作品が発している。痛快とまではいかないながら、実に爽快。 つまらない偏見や差別意識を軽妙に吹き飛ばす、これまでの伊坂世界と十二分に繋がるエンターテインメント連作である。伊坂ワールドを全く知らない人にも薦めたいくらい。むろん、他作品を気に入られている方ならば、本書もまた必読である。