MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/06/10
加納朋子「ななつのこ」(創元推理文庫'99)

第3回鮎川哲也賞受賞作品にして加納朋子さんのデビュー作品。(『スペース』を読む前に再読)。入江駒子を主人公兼語り手とする連作短編集で、この後『魔法飛行』へと続く駒子シリーズの最初の一冊にあたる。連作短編という形式故に、当時ご存命であった鮎川哲也氏の評価は必ずしも高くなかったというが、受賞に推した他の審査員の方々の慧眼には敬意を表したい。

女子短大に通う十九歳の入江駒子は、読書が好きでちょっとおっとりしている。そんな彼女が表紙絵に惹かれて佐伯綾乃なる作家による『ななつのこ』という本を衝動買いする。『ななつのこ』には”はやて”という名前とは裏腹にこれまた少しのんびりした、だけど純真で優しい少年のエピソードが綴られており、彼が田舎町でであう七つの謎を、彼が密かに「あやめさん」と呼ぶ年上の女性に相談して解き明かしていくという物語であった。駒子はその作品にぞっこんに惚れ込み、生まれて初めてのファンレターなるものを作者に対し送る。内容は、わが町で起きた〈スイカジュース事件〉……朝、町の道路に血痕らしき跡が点々と連なっていたというもの。人はそれが最近売り出し中の”スイカジュース”がこぼれたものだというのだが……。この手紙に対し、作者本人からの返信が駒子のもとに届く。それはその事件を別の角度から読み解き、想像された”解決編”が付け加えられたものだった。駒子は、いつしか町で起きた数々のちょっとした事件を佐伯さんに送るようになり、いつしか文通のようなかたちになっていくのだが……。

数撃たれた謎に自然に吸い込まれることで味わう暖かな雰囲気。やはり名作
いや読み返して良かった。登場する謎の真相は読むうちに段々と思い出してくるし、この作品全体に仕掛けられた大きなポイントについてはさすがに全く忘れていなかった。”愛ちゃん””ふみさん”といった細かな人間関係についてはさすがに全く覚えていなかったのだが……。なんというか、再び暖かな気分に浸ることができた
改めて読み返すことで、いろいろなことに気付いた。特に驚いたのは、書簡形式という謎−解決のほかに『ななつのこ』という作中作を描写することによって、さらに多くの謎−解決のエピソードを読者に提供している点。その謎は初読の時に感じた通り、一つ一つを取り出せば短編を維持するには少々弱いものが多いように見受けられたが、一冊に込められた謎の分量が多い分、作品全体から受けるイメージが豊かになっている。”謎”そのものは、まさに”日常の謎”の王道ともいえる内容であり、殺人がないだけでなく人が直接的に傷を受けるエピソードが(皆無ではないものの)ほとんどない点も特徴であるといえよう。また、この謎−解決が繰りかえされることによる物語への吸引力がさりげなくも強烈なのである。
また「駒子が考える」というあたりもポイントかも。本書に登場する謎は、謎と認識されるまで謎ですらないものが多い。「不思議だねえ」で終わっていたようなエピソードについて、手紙を認めるにあたって駒子はいろいろと考える。この考える過程が描かれることで、物語の最初から終わりに向けて駒子が成長しているという内容に繋がっていく。このあたりの自然さが、ミステリファンだけでなく広いファン層に支持される要因のようにも感じられた。

一つネタバレ。愉快なエピソードとして描かれるデパート屋上からのビニール製ブロントサウルスの失踪事件。この真相は結局、瀬尾さんの悪戯である。たまたま離れた保育園に着陸したから良かったものの、文中にもそれなりに重さがあることが明記されており、例えば上空からいきなり落ちてきて人が怪我をしたり、中身の抜けた人形が運転中の車の視界をふさいで事故を引き起こしたりという展開は、悪戯する本人は想像しなかったのであろうか。人に迷惑をかける可能性の方が大きい、実に危険な悪戯のように思えたのだが……。ここまで。

文庫版より統一されるようになった菊池健氏によるカバーイラストが秀逸。(当然内容を踏まえて描かれたイラストだとはいえ)これほどまでに内容と表紙がマッチして雰囲気が伝わってくるケースは珍しいのではないか。現代のミステリファンにとってはデフォルトといってもいい作品だし、これまで色んな人に自身薦めてきた作品でもある。それだけの味わいが、やはりあったことを再確認できた。満足。


04/06/09
三津田信三「シェルター 終末の殺人」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

三津田氏はもともとホラー関係の編集・企画を仕事としていたが、'01年に『ホラー作家の棲む家』を講談社ノベルスより刊行して作家デビュー。以降、ホラーの要素とミステリの要素を独自に混淆した『作者不詳 ミステリ作家の読む本』等のシリーズを同ノベルスより刊行してきた。本書は講談社以外から刊行される初の単行本で作者の五冊目にあたる。

東京創元社より依頼された『シェルター』というミステリ執筆準備のため、風変わりな富豪が造った個人用のシェルターの取材に三津田信三は赴いた。その人物・火照陽之助は実業家ではあったが、自ら執筆した風変わりなミステリを自費出版し、強引なやり方で全国発売する人物で、編集関係の仕事をしている人間に対し、特別にシェルターの見学を許してくれた。三津田ら六人は、火照の案内により生垣の迷路を抜けてシェルターの入り口へと辿り着いた。その時、空に巨大な閃光が発した。慌てて彼らはシェルター内に飛び込むが、三津田はその外扉を閉める際に頭を強く打ってしまう。目が覚めた時、三津田は違和感を覚える。火照陽之助の姿が見あたらない――自分は彼を閉め出してしまったのか。罪悪感に悩む三津田であったが、結局は他の五人とシェルター内部での共同生活に入る。外の世界は滅亡してしまったのか。放射能の影響が無くなるまで二週間、シェルター内の生活を続ける予定であったが、その中の一人が密室内部で仮面を付けた状態で首を吊って死んでいるのが見つかった。そして毎晩、密室連続殺人事件が……。

極限状況下での圧倒的な恐怖の描写が秀逸。ミステリとしてはちょっと「?」も、この表現力は並みではない
シェルターという舞台は、例えば岡嶋二人の某作品でも例がある通り、クローズドサークルの一パターンとして使われる。雪の山荘や絶海の孤島の場合、本来はルートがあるにもかかわらず外的要因によって外界と隔絶する舞台と異なり、本来の機能そのものが外界と隔絶するため、ということもあって徹底している印象がある。本書も迷路の奥にシェルターがあり、その内部に様々な部屋があってそれがいろいろと事件における役割を果たすのだが、設定として凝っていてもあまり違和感はない。
さて、本書である。基本的には『そして誰もいなくなった』形式のサスペンス。その閉じられた空間のなか、互いに利害関係のない同士のなかで発生する無差別殺人。とにかく目的が皆目分からないところなど、ホラー映画の不条理さを思わせる。特に物語におけるホラー系映画に関する蘊蓄は凄まじく、少なくともこれまでの国産ミステリのうち、これほど多くのホラー映画の題名が引かれている作品は存在しないはずだ。また本書の凄さは、単にその展開だけではない。さすがは三津田信三……と唸らされる場面が多数ある点も特徴といえよう。主人公が味わう、外扉から響く強烈なノックの妄想、誰もいない筈の廊下を歩く足音、闇の中で見る悪夢といった場面場面で喚起させられる恐怖感がとにかく抜群なのだ。基本的に物語の体裁が、本格ミステリとして整えられているだけに、不意打ちのように訪れるこういったシーンの効果が実に高い。 一方で、シェルター内部で意味なく行われるようにみえる連続密室殺人事件。個々の密室殺人が、現代では珍しいくらいに機械的なトリックが凝らされている点にまず驚かされた。これらについては舞台と個々のトリックとの整合性は高く、コンセプトは古臭い(?)ところもあれど新しいことを考えようとした意気込みが感じられる。
――ただ、そういったプロットを超えた、果たして誰が犯人で何の目的で……という物語全体通じての大きなトリックは、伏線の回収度合いなどは実は美しいものの、根本的な部分においてちょっと肩透かしである感は否めない。だが、本来”殻”を意味するシェルターという題名に二重の意味合いが込められているのかも……などと思わされる通り、深謀はある。特に締めくくりに感じさせられるリドルストーリーともいえる結末の付け方が良い感じ。

がちがちの本格ミステリを期待されている方にとってはちょっと物足りないかも。どちらかといえばいわゆるホラー・ミステリを好まれる方と、これまでの三津田作品を気に入っているタイプの方に向いているように感じられた。また、ミステリファン以外、特に幻想小説・ホラー小説ファンには一読をオススメしておきたい。


04/06/08
石田衣良「少年計数機 池袋ウエストゲートパークII」(文春文庫'02)

デビュー作品となる第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞した表題作を持つ『池袋ウエストゲートパーク』の続編が集められた”IWGPシリーズ”の第二短編集。引き続き真島誠が主人公兼語り手を務めている。「オール讀物」誌に'99年から'00年に掲載された作品に、書き下ろしとなる「水のなかの目」を加えている。

小学校時代の友人で男勝りの女の子だった人物が、男性としてマコトの前に現れる。彼はインターネットの覗き部屋の仕事をしており、そのアイドル格の女性がストーカーに狙われているので助けて欲しいと頼んで来た。 『妖精の庭』
池袋西口公園で常に全てのものをカウントする少年。マコトは彼のことが気になりいろいろ構うようになる。その彼が誘拐される。彼の父親は池袋でも有数の歓楽産業の社長。ただ芸能人である母親は、彼の兄が犯人であることからマコトに事態の収拾を依頼する。 『少年計数機』
老人二人組にひったくり犯を捕らえて欲しいと依頼されるマコト。彼らのアイドルの老女が襲われたのだという。どうやら犯人は高級ブランドから発売された銀のブレスレットをしているらしい。 『銀十字』
女子高生監禁事件を追っているマコト。一方、池袋ではヤクザが主催する”大人のパーティ”を無差別に襲って売上金を奪う四人組の若者がおり、怒り心頭のヤクザたちが彼らを捕まえようと躍起になっていた。マコトは彼らを捜すことを頼まれて、動き出すのだが……。 『水のなかの目』 以上四編。

例えそれが悪い奴でもいい奴でも、どちらかに割り切れない奴でも、キャラクタの魅力を120%引き出されると物語がこれほどに弾む
本書においても前作に引き続いて物語の基本的なパターンは、それほど大きく逸脱するものではない。主人公である真島誠(マコト)が、池袋の若者のなかでも一目置かれる存在であり、また事件解決の能力が高いと本人以上に周囲が考えるようになっている。従って、マコトが池袋という街ならではトラブルを引き受け、それをいかに解決していくか……という物語となる。その意味ではいわゆるトラブルシューターものであり、個人探偵事務所のシリーズ作品などでよくある設定と同じではないか、という考え方もあるだろう。基本は同じという点は否定しない。だが物語が池袋ナイズされることにより、独特の風合いを保ち続けているのが本書の魅力である点は強調しておきたい。
さて、その池袋ナイズ……自体は小生が今思いついた言葉なので深い意味はない。石田衣良作品の特徴ともいえる、エッジの効いた文章、的確な風俗の描写、各世代の表と裏側をきっちり書き切るだけのセンス、街の動きともシンクロするスピード感覚、そして等身大の若者像の数々。こういった池袋の瞬間を切り取ってくるあたりをイメージしている。ただ、これらについては、既にいろいろな人が語っていることであるのでくだくだ繰りかえさない。一ついえるのは、いわゆる世間一般の常識にとらわれず、池袋という街の常識に則った価値観がポイントのようにも思う。例えば世間の良識といわれる基準では、ヤクザや売春は悪だろうし、不登校の児童や、無職でぶらぶらとしている若者なども否定的存在として見なされるだろう。それが、このシリーズのなかでは”フツー”の存在として許容される。積極的な肯定はないが、少なくとも絶対の否定はない。むしろ彼らをエピソードごとのメインの登場人物に据えるあたりに作者の確信を感じる。そしてそのひとりひとりが一読忘れがたいような強烈なキャラクタとして描かれるのである。本書でも孤独な少年であるヒロキや、荒事師のミナガワ、覗き部屋アイドルのアスミ、恋に燃える老人二人組である喜代治と鉄太郎、高級ブランドを取り仕切る長谷部三沙男らはもちろん、悪役に割り振られる人物たちも強烈な人間の匂いを発している。彼らが組み合わされることで強烈なグルーブ感覚が醸し出され、物語は走り出す。読者の価値観は揺るがされ、人間としての尊厳というシンプルな一点に自ずと目が行く。
シンプルなストーリーは魅力的な登場人物と、不思議な街という舞台を経て、強烈な吸引力を持つ物語へと変ずる。石田衣良のこのセンス、そして確かな観察眼。もの凄い。

前作に引き続き、リアルタイムで読んでこなかったことを後悔させられる物語の群。万が一、食わず嫌いで手を出していない、数ヶ月前の小生のような方がここにおられるのであれば、是非手を出して欲しい。ミステリであるとか、エンターテインメントであるとか、そういったジャンル分けなどを軽く超えた、物語の面白さ、そして迫力がここにある。


04/06/07
大下宇陀児「災厄の樹」(東方社'57)

以前に日記で子供に「きたない本ー」と言われたと書いたのが本書。長編で同題の作品がこの東方社版しか見あたらないようなので(といっても真剣に調べていないのだけれど)、この版でしか読めない。(ということにしておく)。

家族の世話のため女子大を中退したものの、就職口のなかった伊東宏子は知人の紹介で高桑家の家庭教師の職を得た。元代議士で実業家の高桑氏、そしてその妻はソプラノ歌手秋山美奈子の名で売り出しているきよ子夫人の夫妻、その子供は二人いたが、二人とも性格が狷介にして勉強が不出来で、これまでの家庭教師は居着かないまま次々と辞めていったのだという。宏子が最初に高桑家を訪れた時、樹齢百年はあろうかという見事なさるすべりの木を眼にするが、どうもその木が禍々しいものに思えてならなかった。事実、その木の下を悪戯していた息子の精一少年は父親から厳しい折檻を受けたりしていた。厳めしい高桑氏、性格にムラのあるきよ子夫人、そしてやはり性格の悪い子供たちに苦しめられる宏子であったが、優しいばあやと昼行灯の書生・沢村の存在によって何とか耐えていた。その宏子の元に差出人不明でオメガの立派な時計が届く。高桑家の誰かが送ってくれたものと思われたが、そんな素振りは家族にはない。続いて五万円の入った貯金通帳と印鑑が届き、宏子は思い悩む。

美貌の家庭教師が巻き込まれる冤罪サスペンス。但し結末は予想できまくり……
――X氏なる親子連れが宏子を厚遇しているのだとそのX氏に避暑地で出会ったという沢村がいう。また彼は某田舎の温泉地に彼らは滞在する筈だから会いに行くといい、と彼女に告げた。矢も楯もたまらず宏子は休暇を取ってその温泉宿に向かうが、そんな人物は来ていないという。後から来るのでは、と滞在する彼女だったが、温泉入浴後に大事なオメガの時計の硝子が割れていることに気付く。そして、温泉宿に隣接するホテルでなぜか高桑きよ子が殺害されているのが発見された。鑑識の調査によって、その首の切り口から硝子の小片が発見された。怯えて名乗り出ることの出来ない宏子のもとに警察がやって来て、彼女は遂に犯人扱いされてしまう。嗚呼、彼女の運命やいかに! 

……といったお話なのだけれど、その書生の沢村、警察の調べに対してX氏など知らぬと言い切ったうえに、彼女と高桑氏は愛人関係にあるようなことを仄めかすのだ。おいおい、そりゃいくらなんでも(読者に対しては)みえみえだろう。さらに高桑氏まで彼女と何かあったようなことを言い出すものだから、警察はますます彼女を疑いますよね、そりゃ。だけど、こいつらが黒幕なのはあからさまにしてまるわかり。……なんなのだ一体。読者の立場は!
結局、物語は名探偵・俵弁護士なる人物が収拾をつけるのだが、事件に関係する青田なる登場人物は、物語全体の五分の四が過ぎるまで名前さえ出てこないし……。というわけで、ミステリとしての興趣はほとんどないに等しい。解決は読者の想像していた通り。明らかに冤罪に巻き込まれた宏子がどのように助かるか、あたりに注目して読むしかない作品。ただ、貸本向けということで、より分かりやすすぎるくらいに分かりやすい探偵小説の方が望まれていたのではないか――というあたりの当時の事情を推し量ることはできるのだけれども……。

題名が仰々しいので探偵小説を期待したけれど、それはこちらの一人合点。まあ、ある意味、一種の明朗小説として読んでもいいのではないか。探偵小説らしいチープな雰囲気はよく出ているので、そういったひねた楽しみ方ができる方向け。間違っても復刊されたりすることはないだろうなあ。


04/06/06
井口泰子「愛と死の航跡――さんふらわあ殺人事件」(サンポウ・ノベルス'74)

井口泰子さんは、ラジオやテレビのライターを経て雑誌「推理界」の編集長に就任。在職当時に第1回サンデー毎日新人賞を'70年に『東名ハイウェイバス・ドリーム号』にて受賞してデビュー。その後「推理界」の廃刊に伴い専業作家となられた。女性作家の少ない時代のミステリ作家として貴重な存在。本書は書き下ろしとなる三冊目の長編。

就航して間もない東京――高知間を結ぶ巨大カーフェリー・さんふらわあ号。両地を二十時間あまりかけて結ぶこの船には、交通事故遺児を励ます会の百数十名をはじめ、多くの人物が乗船していた。看護婦である七保子と、その甥であり両親を交通事故で喪い、虚言癖と窃盗癖のある謙一という少年。七保子の姉の早苗が恋心を抱いていた病院医師・荒砂も妻の哲子と共にこの船に乗っていた。荒砂の前妻は哲子と早苗の親友で、その彼女が遺した子供を哲子は可愛がっていたが、彼女を見掛けた子供が道路を急に横断、トラックに衝突するという痛ましい事故の結果、彼らも子供を喪っていた。また、その事故に疑惑があるという繰り返しの投書を受けて、新聞記者の佐木・秋本の二人も乗り込んでいる――。出航後、大手自動車会社の専務である住吉が部屋に戻ったところ、彼の妻・成子が鍵のかかった部屋の内部で絞殺死体となっているのが発見された。船内は騒ぎになるが、乗組員の一人がその女性が彼の妻ではないのではないかと言いだす。更に住吉の愛人が船内のサウナ室で、全裸死体となって発見されて……。

社会派や本格の様式を借りた、実は複数男女の愛憎劇。この当時の読み物らしさが感じられる
最近の作品ではあまり見掛けなくなったが(いや、知らないところで発表されているのかもしれない)、長距離フェリーという存在は、昭和期のミステリではそれなりに舞台として登場する。船上というクローズドサークルであり、犯人も海に飛び込まない限り逃げ隠れは出来ない。限定された状況下での推理劇が可能となるため着目されることも多かったのだろう。だが、クローズドサークルものにするには、乗船している人数が多く、船自体も巨大であり逃げ隠れできる場所も多いため、本格ミステリとして論理で犯人を追いつめていくには少々不向きであるきらいはありそうだ。
本書もその弱点を抱えているように思われる。かなりの人数が物語に登場し、実際密室殺人が行われているのであるが、結局関係者のなかで推理が行われる点、船という特徴が殺されている。また、密室とはいえひねりがなく、「鍵を持っていた人物が犯人」という究極ともいえる(本格ミステリとしては)陳腐な解決であり、推理の過程ではとにかく、あまりカタルシスが得られたともいえない。またテーマとして交通遺児、交通事故が取り上げられていてこちらは社会派の臭いがぷんぷんと漂うが、その病理に切り込むというよりも、その事実関係が使われているというだけで表層的な気がした。結局、それらを差し引いて何が残るかといえば、動機の方。
……ただ、動機と書いたが、登場する男女に複雑な背景を持ち込んで、いろんな形の愛を描いた、という印象の方が強い。男と女が愛情と憎しみの狭間で揺れ動くというのが本書を通読しての最大の印象となる。描かれているのは結婚した男女や女同士の愛憎など、普遍的なテーマであるため古びない代わりに新鮮味もない。殺人にまで至る感情の揺れといったあたりはそれなりに描かれているとはいえるのであるが。

結局、本格ミステリの様式と、社会派のテーマを被せたメロドラマという印象が正直残った。視点人物がころころ入れ替わり、また時系列が不親切に過去と現在を往復するあたりも読んでいて辛い。作者が映像出身ということもあろうが、文章で表現されるよりも、映像の方が向いている作品のように感じられた。


04/06/05
海渡英祐「ターフの罠」(日文ノベルス'95)

乱歩賞作家である海渡英祐氏の現段階での最後の単行本は'98年に刊行された『札差弥平治事件帖』であるが、現代を描いた作品でこれも今のところ最後となるのが競馬ミステリである本書となる。

三十歳過ぎの競馬新聞記者の佐伯俊彦は、仲の良い従姉妹である小宮信子から、彼女の友人である北村恵子を紹介された。恵子にどこか見覚えのあった佐伯であったが、それもそのはず彼女は重賞勝ち馬で次回の天皇賞を狙う競走馬ワンダーボーイの馬主の娘であった。彼女は、生産牧場で大して良血でもない当歳のその馬を一目見たとたん父親に無理矢理買わせたという逸話の持ち主で、その馬・ワンダーボーイを恋人のように可愛がっていることで有名である。ただ彼女は、かつて中山大障害の本命馬バスターが、飼い葉に抹茶を混ぜられ出走取り消しに追い込まれた事件に興味を持っており、そのことは佐伯の不審を呼ぶ。ある日、佐伯は先輩格の競馬関係者から、恵子の父がオーナーの銀座のクラブに行き、そこに競馬の関係者が集っているところを眼にする。そこで知り合った弘美というホステスから相談を持ちかけられた佐伯は、指定の時間に彼女のアパートに出向くが、そこにあったのは彼女の死体だった。

競馬は濃いけれど、ミステリー味は薄い。短編を引き延ばしたメロドラマ
海渡英祐は好きな作家なのであまり作品を貶めたくはないのだけれど、この作品の出来には正直感心できない。その理由としては二つ挙げられる。まず、競馬を扱った長編として、競馬そのものに関する面白みが今一つ伝わってこないこと、そしてミステリとしての意外性が、短編を支えるにはとにかくとして長編を維持するだけのトリックではないこと。
競馬ファンには常識であるけれどターフとは芝の意であり、その罠ということ当然、競馬ミステリである。これまで発表された海渡競馬ミステリには『無印の本命』や『パドックの残影』がある。私の評価としては『パドックの残影』は競馬ミステリの傑作だと思うものの『無印の本命』にはミステリとしてはそれほど高い評価を与えていない。だが、そちらは競馬小説としてならばそこそこ読めることも事実であった。本作は残念ながら『無印』よりも数段落ちる印象である。一頭の競走馬を巡っての、中央競馬ならではの駆け引きであるとか、レースの際の興奮といった部分が全く伝わってこないのだ。その代わりに何が描かれているかというと、独身男女のメロドラマ。特に佐伯の一人称の恋煩いの描写がくどく、読んでいて実に辛い。ラストのハッピーエンドにしても予定調和の域を出ず、恋愛小説として読むにも平凡に過ぎる。
一方、殺人事件を一つ含むミステリの方。これには一応あるトリックというか意図が一連の事件の背後にある。だが、これはまあ『パドックの残影』にも似たパターンのエピソードがあったし、意外性には乏しい。それに事件の必然性がそれほどまでに高いかどうかが疑問も残る。短編で巧くまとめれば、それなりに印象的な作品になった可能性は確かにあるが、長編には些か辛いところだと感じる。また、殺人事件もはっきりいって”おまけ”のような扱いで、サスペンスを高めるために配置されたもので、そこに謎を込めていない点は、ミステリを意図した作品である以上、残念を超えて落胆してしまった。

競馬をある程度分かる人々を読者層に想定しているのか、競馬用語に対する解説的文章もあまりなく、何も知らない方が読むと分かりづらい表現が多いようにも思えた。一頭の馬の競走馬としての躍動感も、ミステリを読み解く楽しみも乏しく、少なくとも本書一冊に関しては、誰にもお勧めできない作品だといえる。(念のため書いておくが、海渡英祐という作家及び作品には傑作・名作目白押し。だからこその落胆という意味も多少ある)


04/06/04
皆川博子「二人阿国」(新潮社'88)

皆川博子さんの時代もの長編で刊行時期はあの名作『聖女の島』と前後する。残念ながら文庫化されておらず少々入手し辛いが傑作の部類に入る作品である。本書を原作として、2003年には「ミュージカル阿国OKUNI」という題名にて木の実ナナ主演で劇場公演されたりもしていたようだ。

豊太閤の時代に能と同じく猿楽舞に源流を持つ笠屋舞の一座にいた少女・お丹。河原者ながらその真っ直ぐな気性とひと目を引く美しさより、京でも有数の格式を誇る遊女屋の主人・原三郎左衛門からも一目置かれ、誘われていたが彼女自身は栄耀には興味はなく、幼い頃に観た能楽の凄さに心を奪われている。無理して入手した能面を付けて踊った彼女が原因で、一座の頭領である犬大夫が捕まり、一座は河原を追放される。一方、その河原で人気を博していたのは二十六の女盛りで「やや子踊り」の一座の中心人物であるお国であり、彼ら同士は芸を通じて対立の関係にあった。都落ちした犬大夫の一門は北陸に向かう途中でいくさに巻き込まれてしまう。彼らはまとめて人足狩りに捕まり、大津城にて毎日働かされることになる。時に家康と三成の戦いが激化、大津城はその渦中にあり、遂に落城。お丹らは逃げ出し、民家で一息入れたところ、いくさ見物をしていたというお国の一座とかち合い、結局彼らは合流し、そのまま北陸、更には金山が出来て発達中の佐渡島へと渡っていく。

静かな物語の流れのなかに決して消えることのない情熱の炎を。歌舞伎を開闢した阿国を皆川流に描く
ひとことでいってしまえば、出雲阿国と呼ばれた人物の物語である。戦国時代の殺伐とした雰囲気のなか、河原者と呼ばれる人々のあいだで芸を競うなか生まれてきた新しい芸能。その創始者は女性であり、表で芸を裏で色を売って暮らす。ただ、皆川博子さんの視点は、決して現代の価値基準を持ち込んでいない。 むしろこの時代の人々に成りきっている感すらある。色を売ることは彼らの当然の収入であったし、我が身を守るためには都を落ちたり、権力者に媚びたりすることもまた当たり前。その一方で人間の本能については赤裸々なまでに描ききる。惚れた相手と一緒に居たいというような人間の営みはもちろん、芸で人を集め賞賛を得たいというのは当時であっても必然の欲求であり、他者よりも高みを目指そうという心根は恐らく芸を生業とする者にとっては過去より未来永劫に続く気持ちといっていいだろう。
お丹とお国。二人の生き様を淡々とした流れで描く物語は、波瀾万丈であるようにみえても、何か一本筋が通っているようにみえる。 読者が一気に世界に引き込まれるのではなく、どこか静かに浸らされるような感覚。本人が自覚するしないに関わらず、最終的には芸の世界に行き着く流れなのだ。もちろん文章は流麗、芸の描写は野卑にして華麗。主人公たちの心に何らかの”欠落”があるという主題は皆川作品全てを通じての一貫した主題ではあるが、本書のラストシーンにおける「お国姉、おくにが祈っておる」などその物語の一つのラストとして秀逸である。
個人的に感銘したのは、終盤でのお丹とお国との対決場面。例えばど派手なアクションシーン。名探偵と犯人の論理対決。物語におけるライバル対決にはいろいろなかたちがあるけれど、本書におけるライバル対決は、あくまで”芸”にて徹底している。先に人気を博し、その実力と色とでのし上がった年長のお国、芸への情熱は高くも不器用な生き様を見せるお丹。ライバル一座に属し、後に共に生き、その後再び訣別した彼女たち。主人公であるお丹の側が最終的に権力を背景に強烈な芸を見せるのに対し、孤立無援ながら奇策で彼女と対決する年長者のお国。謡いと謡いのぶつかり合い。淡々とした文章で描かれるこの場面の迫力、歌舞伎の語源が傾奇であることを思い知らされる。

思わせぶりに登場しつつ、そのまま姿を消してしまう人物。冒頭で登場し終盤で再び姿を現す人物。”物語”として、構成が完璧ではないようでいて、実人生なんてそんなもの。こういった物語のちょっとした欠落感もまた、かえって皆川作品の魅力に繋がっているように思える。(このあたりはいずれ)。いや、しかし、はずれのない作家である。いずれ復刻されることが望まれる作品。時を容易に乗り越える歴史文学・物語文学の傑作。


04/06/03
森 博嗣「探偵伯爵と僕」(講談社ミステリー・ランド'04)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始されたシリーズの第四回配本分。作者の知名度のせいか、多数存在する固定ファンのおかげなのか『くらのかみ』以来のシリーズにおけるヒット作品となっている模様。ノンシリーズの長編作品で当然書き下ろし。

七月。小学校の隣にある公園で”僕”こと馬場新太ははじめて探偵伯爵と出会った。夏だというのに長袖の背広を着こなしたその人物は、白い服を着た、若く綺麗な女の人に「帰りたまえ」と言っているところだった。彼はアール、つまり伯爵と名乗り、僕の帽子に付けていたバッジの在処をたちどころに見つけてくれる。職業は探偵なのだという。そして伯爵は僕に「友達になろう」といい「また会おう」といって去っていく。次にまた変なところで伯爵と出会った僕は、彼が過去に出会った事件のクイズを宿題とされる。神出鬼没の探偵伯爵は、さまざまなところで僕に声を掛けてくる。祭の日の準備の日もそうだった。ポコペンというかくれんぼの最中に伯爵に僕は声を掛けられて話をする。その後友達のところに僕は戻るが、車に詳しい友人のハリィはベンツの新型のテールライトを見に行くと僕と別れた。そのハリィこと原田君はその晩から行方不明になってしまった。

少年の一夏の冒険譚……で読めていた物語の下から、兇悪犯罪を下敷きにした現実が透けて見えてくる……
森博嗣らしさ、という点を先に述べるとするならば、主人公の日本語や日常生活、大人の行動に対する様々な素朴で意味深(のようにみえる)懐疑、探偵男爵やチャフラさんの特異なキャラクタ、そしていろいろ物議を醸しているように見受けられるラスト2ページなどにあるといえるだろう。ただ、それらの点を除けば、実にオーソドックスともいえる少年の巻き込まれ型冒険小説……のように読める。どこにでもある郊外の街、そして普通に暮らす平凡な一少年が体験する探偵との邂逅。その一風変わった探偵との不思議な心の交流。そして少年の友人が巻き込まれ、そして自分自身までもが危地に陥りかけるという、現在進行形かつ一人称視点の事件。少々そのバリエーションに変化はあっても、この大きな筋書きについて「王道」と称しても、それほどには違和感はないはずだ。
だが、しかし。小生が森博嗣が物語を描いた意図を何となく感じたのは、やはり例の「ラスト2ページ」にある。というのは(以下ネタバレ)、もともと少年&探偵vs兇悪なサイコ・キラーという理不尽な戦いを描いていたはずのこの物語が、実は小学生世代の少女が被害者の物語と、叙述トリックを用いることで後から一部登場人物(つまりは被害者)のジェンダーが切り替わる。その結果、急に現実的で生々しい性犯罪の香りが一瞬感じられるように思われたからだ。もちろん、具体的にそんなことは何も書いてはいない。サイコ・キラーといっても現実にあり得ないわけではなく、リアリスティックがないとは言い切れない。だが、少年の冒険という「王道」をただそのままで終わらせず、何か冷たい手触り(これを実際の少年少女の読者が感じ取るかどうかは別にして)をきっちり残すために作者は、不要とも思われるこの仕掛けを付け加えたのではないか。(ここまで) 以前は遠かった”事件”がいつの間にか子供たちのすぐ側に迫ってきているという時代を描いたミステリである。その意味でジュヴナイルの新しい切り口が試みられた作品であるともいえるだろう。

とはいっても単純に普通に読んで、それなりにジュヴナイルとして面白いことも事実。クイズにて出題されている糸による密室のトリックはどうかと思うが、それ以外にもいろいろと犯罪と罰の問題であるとか、被害者の問題であるとか大人が意図せずして子供の世代に隠し、なかなかその真実について考えさせることをしない事柄について、しっかり登場人物のことばを借りて書き込んである点あたりも評価したい。ある意味、森博嗣のシリーズ作品よりも面白いというと語弊があるかな。


04/06/02
柄刀 一「レイニー・レイニー・ブルー」(光文社カッパノベルス'04)

ifの迷宮』に登場していた車椅子の青年「車椅子の熊ん蜂」こと熊谷斗志八を探偵役とする連作集。『小説宝石』に掲載されたもの、『21世紀本格』等のアンソロジーにて発表されたものに二編の書き下ろしを加えている。

病棟から飛び降り自殺があったと大騒ぎになった。人が落下する影が目撃され地面に衝突する音が聞こえたにもかかわらず、車椅子でいち早く現場に駆け付けた熊谷と、真理江は死体を見つけることが出来なかった。 『人の降る確率』
立ち退き問題に揺れる育英センター。その隣地にある家から不審火が発生、大きな火事となる。何とか全員の協力で延焼はくい止められたが、その火事は時限発火装置によるものだったという。 『炎の行方』
北海道の神社の秘事たる神事。見学にきた熊谷と真理江の前で、仙姫役を演ずる巫女が幻覚を観て舞台に崩れ落ちる。人々が動物に見えるという伝説と状況は同じだった。 『仮面人称』
合い鍵を作成するのは不可能という管理厳重なマンションの内部で、ラジオのパーソナリティが死亡していた。しかしその死に腑に落ちないものを感じる人物がいた。 『密室の中のジョゼフィーヌ』
地方にある別荘に招かれた、さまざまな探偵たち。この家では、かつて火事に巻き込まれてトラウマを抱えた主人が硝子に突っ込んで死亡するという痛ましい事件が起きていた。 『百匹めの猿』
海外から日本の友人を訪ねてやって来た車椅子の老人が、滞在先のホテルから行方不明になった。残されたメモから熊谷は彼の行く先を推理するが……。 『レイニー・レイニー・ブルー』
引きこもりの友人を訪ねた熊谷と真理江。その人物は向いのアパートで発生した、ガスによる事故死事件を目撃していた。その事故の元になったおばあさんに本当に過失はあったのか。 『コクピット症候群(シンドローム)』 以上七編。

ベースになるのは本格パズラー。ただ、その底に流れる別の想いが胸を打つ
身体にハンデキャップを持つ人々を当たり前に特別視せず、それでいて少々突き放したように描いている点、前作(という扱いは微妙に違うような気もするけれど)の『ifの迷宮』でも感じた、この絶妙の距離感(と書くと分かりにくいが、登場人物を描く際の作者のスタンスとでもいえば良いか)が相変わらず魅力的。実際に存在する差別を淡々と乗り越えていく熊谷の姿や精神力は頼もしく、どこかカリスマさえ感じられるというのは言い過ぎだろうか。例えば車椅子の名探偵といえば天藤真『遠きに目ありて』だとか、確か歌野晶午の『ブードゥー・チャイルド』あたりなんかを想起したけれど、熊谷斗志八はちょっと彼らとはまたスタンスが異なる印象。一筋縄ではいかないというか、現代という時代をしっかりと自分の眼で見据え、その秘められた闘志を無理に表に出さないというか。すっきりした表現が難しい探偵である。
登場するのは密室やアリバイ、死体消失といった本格パズラーの王道に分類されるミステリ。もちろん、従来の柄刀作品とも同様にその解決に至るロジックが鮮やか――なのはまず当然のこと。しかし本書の場合、単純な謎→解決の裏にどこか一貫した意図があるように思える点を評価したい。特に探偵役熊谷が自殺した人間に対して辛辣な言葉を投げかけるあたりに端的にそれが見えるような気がする。世の中にはハンデキャップを持って、それでも必死に生きていこうとしている人間がいるのに、五体満足を粗末にするな――。扱われる多くの事件が殺人事件であり、それを解決することによって熊谷は関係者の人間関係が壊れることも厭わない。ただ、人が人を殺すという行為を裁きつつに、なぜ五体満足なだけで満足できないのか、という熊谷の思い、そして怒りが微妙にあるように思われるのだ。また、読者は真理江の視点を通じて、身近にこういった方がいないと知ることの出来ない様々な事実が知らしめられる。決して説教臭くはないのだが、悪意と善意とのバランス、与える側と受ける側のギャップなど、エピソードを通じて考えさせられることも多い。

柄刀一の連作短編集として、あまり予備知識なく本格ミステリを期待して読み始めた作品で、確かにその点は満足のいく出来だったことは間違いない。ただ、それだけに留まらない余分な気持ちをもまた本書から得ることができた。当然、読者ひとりひとりによってその感じ方は異なるだろうが、その”余分”をより多くの人に感じて貰いたいな、と素直に考えたことを付記しておきたい。


04/06/01
都筑道夫「髑髏島殺人事件」(光文社文庫'87)

光文社文庫3周年フェアの目玉として刊行された「鬼才・都筑道夫が、十五年ぶりに書き下ろした本格長編パズル小説」が本書。『全戸冷暖房バス死体つき』に登場した今谷少年探偵団&滝沢紅子が探偵役を務めるシリーズ作品。

メゾン多摩由良の警備主任を務める退職刑事・滝沢警備主任。同じく警備員の息子と、短大卒業後主婦代わりを務める娘・紅子(コーコ)とともにこのマンションにて住み込みで暮らしている。ある日、知り合いの作家・浜荻先生から借りた本を読みながらうつらうつらしていた紅子は、父親が刺し殺される不吉な夢を見て目が覚めて思わず部屋を飛び出して警備室へ向かった。特に何事もなかったので部屋に戻った紅子だったが、自室にて中年男性の刺殺死体を本当に発見してしまう。ドアは確かに開けっ放しでいたが、金目のものは一切盗られておらず、ただ一冊、紅子の読みさしであった『髑髏島殺人事件』という、新進推理作家・風折圭一によるミステリが無くなっていた。警察の捜査のあと、早速紅子はマンション地下の『破羅毒巣』というスナックに集合。翻訳家のタミイこと民雄、浜荻先生、写真家の若主人・周平、文学研究家で紅子の高校時代のクラスメイトの春江らと事件について話し合う。事件は『髑髏島殺人事件』に秘密が隠されているのでは、と一旦解散。翌日、浜荻先生と出会った紅子は、マンションの二号棟に風折圭一が越してきていたことを知る。マンション周辺では第二、第三の事件が勃発。どうやら『髑髏島殺人事件』のエピソードがなぞられているように思われた……。

確かに論理を中心とした都筑流の本格パズラー作品ではあるのだが。一般読者には勧めにくい……
実は都筑道夫氏の凄さを知って嵌る前、人づてに作者の名前のみを紹介されて最初期に読んだのが本書。(今回再読)。読点にてやたら細切れにされた文章と、本筋以外への言及、そしてちょっと癖のある登場人物にあまり波長が合わず、ロジックそのものは納得したとはいえそれほど高い評価をしなかったことを覚えている。
改めて読み直してみて、それもムリもないな……と自分で自分を苦笑。確かに最初期の作品に比べると読みやすさにも欠けるし、都筑作品らしい蘊蓄への言及が唐突だし、アイデアそのものは本来中編ミステリ程度に使用すべきものを長編に焼き直したような印象がある。また、宇能鴻一郎の文体を真似たという若い女性の一人称文体は、その試みを念頭に置いておかないとちょっと癖が強すぎる。ただ――紛れもなく、後期の都筑道夫作品らしさが強調されていることも事実で、ずっと読まれてきている人にとってはそれほどの違和感はなかったのではないかと推測される。
本書から読んだ自分がアンラッキーだったってことなのかもしれない。駆使されるロジックとしてはまぎれもなく都筑道夫のそれなのだけれど、ミステリとしての新味は正直、薄い。 ダイイング・メッセージもどこか年寄りじみた印象で、真相そのものも強烈な飛躍があるとは言い難い。『髑髏島殺人事件』という作品の本歌取りという点にしても、その作品が作中作として登場するでもない。寄り道する蘊蓄に面白みは多いのだけれど、都筑道夫の書いた作品としてはじめから取り組んでいればとにかく、単なるミステリとして読む読者には少々うざったいのではないか。犯人もあまり意外とは言い難いし、一連の都筑作品のなかで本作がそれほど評価されていないのも致し方ないところだろう。ただ、古い探偵小説に関するエピソードなど、マニア向けの蘊蓄は昔読んだ時より今の方が面白く思えた。
あと『退職刑事』の主人公の娘……という設定も、過去の作品とそれほどリンクしているとも思えないのだけれど。何か登場人物の微妙な設定が異なってしまっているような気もするし。

今でも比較的リサイクル系で入手が可能な作品ではあるものの、これから都筑道夫を読まれるという方ならば、ムリして本作などを読まれず、まずは新刊書店で入手できる復刻された名作群から入られた方が無難かと。ある程度、都筑節を理解できるようになってから読む作品だと思われる。