MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/07/10
西澤保彦「パズラー 謎と論理のエンタテインメント」(集英社'04)

'95年のデビュー以来、既に三十冊以上の著書を重ねる西澤さんにしては意外なことに、実はノンシリーズの短編集というのは本書が初めてなのだという。先日お亡くなりになられた「都筑道夫先生へ」と冒頭に題された本作品集は、同氏の代表作である「退職刑事」シリーズの贋作を含む、西澤保彦がこれまで種々のアンソロジー等の発表してきた短編を集めたもので、その題名通り「論理のアクロバット」にこだわった、いわゆる「本格パズラー」と呼ぶべき作品群が集められている。単行本ながら貫井徳郎氏による解説が付く。

念願の作家となった日能は、二十年ぶりに高校の同窓会に出席することになった。帰省する彼を悩ますのは梅木万里子という同窓生の消息。彼はどこかで彼女が死んでしまったと思い込んでいたのだが、しっかり生きているのだという。 『蓮華の花』
米国の田舎町で日本人留学生が殺された。金次第の学校に留学に来る外国人への地元民の気持ちは冷たく、事件もスーパーへの帰りに歩いていたところを、地元の悪ガキたちによって殴られたためと思われたが……。 『卵が割れた後で』
高校に入学し、久々に地元書店を訪れた奈々。購入したクリスティの『二人で探偵を』は古いもので、しかも何故か母の筆跡による書き込みが為されていた。その日付は奈々にとっては特別な思い入れのある日だった。 『時計じかけの小鳥』
中野で主婦が殺害された事件。現役刑事である五郎の父は元刑事。事件の話を聞きたがる。現場から逃走するところを目撃された被害者の元亭主が既に捕まっている。その顛末について話す五郎に、父が疑念を差し挟む。 『贋作「退職刑事」』
その街で逆らうことの出来ない暴れん坊・スパイク。彼が女性をレイプしようと連れ込んだ街外れの廃協会で不可能状況で首を切断されて殺された。スパイクの友人・ゲリーは彼が考える容疑者の友人であるトレイシィに近づく。 『チープ・トリック』
刀根館淳子は、自宅にて襲われそうになり同窓の高築敏郎を殺したのだという。しかし、憶頼陽一はその時間帯に淳子を目撃しており、彼女が殺人者足り得ないことを知っていた。陽一は同級の弓納琴美は彼女が誰かを庇っているのではないかと疑い、調査を開始した。 。『アリバイ・ジ・アンビバレンス』 以上六編。

アクロバットの過程を魅せつつ、着地点では意外さよりも演出を重視。西澤本格スピリットの真髄がこれ一冊に
これまでの西澤作品を読んで来られた方であれば、本書にそう違和感を覚えることはないだろう。例えばタック&タカチ、チョーモンインといった主要シリーズでは、本書において題名で謳われている”パズラー”そして”謎と論理のエンタテインメント”というポイントは既に実現されているからだ。事件(そしてそれは少々突飛だったりする)、そして主要メンバーやゲストたちによるディスカス、そしていくつもの可能性が挙げられ否定され、最終的にメンバーが妥当と認める論理的な解決が提示されて終わる。本書においても、さまざまなかたちで事件が提示され、それが登場人物の合議や一人称の主人公の試行錯誤の末に、それらしき解決が提示されるというものである。
ちょいと話が外れるが、西澤作品の場合、解決ではなく”論理的な”という部分に重きが置かれているのもポイントであろう。解決そのものだけが犯人の独白といった”真相”で閉じられるケースがまず無く、主要登場人物たちのディスカスによる話し合いの結論として導かれる答えが”物語上の真相”として用意されているのだ。それが、果たして実際に真相であるかどうか――よりも、その”論理によって導かれた真相”であるところが、一連の西澤作品においては最重要視されているのである。
さて、つまりはその真相に至る合議の過程……を眺めるのが、こういった西澤作品の楽しみ方であるだろう。読者は過去のミステリのパターンを反芻したり、本質的直感に頼って真実を導き出すことに汲々とする必要はない。あくまで登場人物のあくなき議論を眺め、事件の解釈が目まぐるしく入れ替わるのを眺めることになる。被害者が加害者になったり、思わぬ凶器、隠された動機などが次々と明らかにされる展開。少なくとも論理の意味では、結果よりもその過程に驚きが内包されている。都筑道夫の提唱するところの創作論が”論理のアクロバット”で意外な着地を目指すものであるならば、本書(というか西澤作品全般)における”論理のアクロバット”の場合、着地場所よりもそのアクロバット中の個々人のテクニック(空中に浮遊しているあいだのパフォーマンス)を、より楽しむ作品となっているのが特徴なのだ。 どちらかといえば結末の意外性をより重視する都筑氏の作風を踏まえたうえで、別の西澤流ともいえる演出方法を既にして創り上げているというように小生は考える。

しかし、その華麗な過程といえども、そもそもの基本となる”着地の意外性”をないがしろにするものではない――作品を一読すれば判ることだが。ただ、その意外性は、論理の結果得られたものというよりも、人間の悪意や親子間の相剋といった西澤作品に通底するテーマに、平凡な事件が一気に変じてしまう恐ろしさによる。事件そのものに暴行やレイプといった深刻なテーマが取られていることもあるが、事件の結末はおしなべて冷たい(しかも零下の)手触りを残す。悪意を上回る強烈な悪意、憎しみ。狂気を上回る狂気、悪魔の論理。 そういった演出が実に効果的に”論理のアクロバット”を実践した結果として導かれているのだ。特にこの作品集では、シリーズ作品ではないことでその悪意に応じた効果的な設定が創造されていることもあり、その導かれる逆転の悪意に磨きが掛かっている印象さえ受ける。 『チープ・トリック』、『アリバイ・ジ・アンビバレンス』あたりの凍えるような冷たさは、読了後もそう簡単に消えてくれそうにない。

魅力的なキャラクタを創造したことによる功績をわざわざ打ち消すものではないが、こういったオリジナルな作品集において西澤流パズラーは、特にその立脚点の煌めきを増す。これまで貴方が西澤作品を読んで、何か漠とした思いを抱いているのであれば、本書を読むことでそれをかたちに出来るかもしれない。敢えていうが、万人に楽しめる作品集とはいえない。だが、西澤ファンであれば、これ以上ないほどの西澤保彦を堪能できるといっておきたい。


04/07/09
石田衣良「赤・黒(ルージュ・ノワール) 池袋ウエストゲートパーク外伝」(徳間文庫'04)

石田衣良のデビュー作品は、ドラマ化もされて人気を博した『池袋ウエストゲートパーク』。'98年に刊行された同書の中編『エキサイタブルボーイ』にて印象的な活躍をしていた”サル”こと、斉藤富士男をキーパーソンに、別の主人公が活躍するかたちで本書は「外伝」というかたちで発表された。元版は'01年に徳間書店より刊行されている。

映像ディレクターでカジノマニアの小峰渉は、知り合いの村瀬から持ちかけられたヤクザの経営するカジノバーの売上強奪計画に乗る。カジノバーの雇われ店長の狂言を、彼の身体を密輸銃で撃ち抜くことでサポート、十分間の手伝いで一千万円の分け前にあずかる筈であった。計画は成功、しかし発砲した中年男が、金を分ける際に村瀬を撃ち殺し、全ての現金を奪って逃走する。しかも計画はそのカジノバーを経営する羽沢組に密告されており、小峰はヤクザによって拉致される。機転を効かせた小峰は、その中年男の行方を捜し、現金を取り戻すことを羽沢組幹部の氷高に提案、何とか認めて貰えるが、そのサポートとして羽沢組組員の”サル”こと斉藤冨士男が彼につくことになった。何とか最悪の窮地こそ脱した小峰であったが、関係者に話しを聞いて回ったりするしか方法はない。小峰は、現場の状態を得意の記憶力で覚えており、その中年男の風体もきっちり頭のなかに入っていたのだが……。手を尽くした結果、小峰はその強奪された現金の在処を突き止めることに成功、しかし、その現金をこちらに取り戻すのに、再び大きな関門が立ちはだかっていた……。

現代のアウトローを描き、人間像を描く、しかしそのクライマックスは実に一点、「赤か黒か」に奉仕する
ギャンブルを描いた近年の傑作エンターテインメント小説の収穫に、近未来SF『マルドゥック・スクランブル』がある。どうしても、このIWGPシリーズは、若者の生態や登場する人物のリアルさに幻惑され、その部分が評価されることが多い。それはそれで事実であり、小生もその点について否定的な意見を持つものではない。寧ろ、そういったリアリティを超えたリアリズムが一つ、石田作品の大いなる魅力に繋がっている点は積極的に肯定したいところ。しかし、それでも、小生は本書がIWGPシリーズの外伝という位置づけながら、その青春小説としての文脈とは全く別に、一個の、そして一流のギャンブル小説のように思えてならないのだ。冒頭に挙げた『マルドゥック・スクランブル』とはタイプは異なり、勝負の過程に焦点を置いたのではなく、勝負所一点、ここの一箇所だけに全てのクライマックスがピンポイントで集まってくるという別タイプ。過程に息を詰めるギャンブル小説ではなく、その至高の一点に全てが集約されるギャンブル小説。 それがこの『赤・黒』なのではないかと感じられた。
冒頭が、犯罪計画、そして中盤以降はヤクザに脅された結果としての、自分を嵌めた一連の罠の捜査。これはこれでクライム・サスペンスの文脈として捉えることは可能……というよりも、そう読んで十二分に面白い。主人公の機転、サルの強かさ、彼らを助ける女性達の健気さ。彼らによって紡がれる、一種の追跡行は迫力があり、目を離せない。 だが、そういった一連の行動も素晴らしいとはいいつつも、心に強く残るのは主人公の小峰が、人生最大といっても良い、一連の試練をくぐり抜けた後、ルーレットに”自ら”関わる、表題通りの”赤か、黒か”の一点勝負に尽きる。ここが一点勝負、という半ば虚無的ですらある戦いとなる点に注目したい。これが本書の結論なのだ。石田流のリアリティも、主人公の成長も、周囲の活き活きとした人物たちの動きも、結局のところ最後のこの勝負どころ一点に集約されるための準備に過ぎないのでは……、とさえ思うのだ。この勝負がどうなるのか、それは本書を最後まで読めば判る。だが、あくまでその勝負に入るという行為までを丁寧に描ききり、ひとりの大人を創り上げていく石田さんの深謀に打ちのめされた。  ――このような読み方をするのは小生だけかもしれない。だが、少なくとも小生はそう感じたのだ。

IWGPシリーズを読み込んだ方であれば、そこかしこに登場するマコトの名前やGボーイスといった、外伝らしい繋がりを探す楽しみもあるだろう。しかしあくまで外伝。池袋に居続ける必要のない、オトナの主人公を配したこの作品は独立した一個のエンターテインメント小説として、シリーズとは別に読むだけの価値がある。お勧め。


04/07/08
山田正紀「女囮捜査官〈4〉 嗅覚」(幻冬舎文庫'99)

'96年にトクマノベルスより刊行された「女囮捜査官」シリーズの文庫化作品。文庫化されるにあたり「触姦」等「五感+姦」の副題は全て「感」の文字に改められ、「五感推理シリーズ」となったもの。絶賛再読中3。やっぱり面白い、止められない。

真夏の芝公園で、外車ばかりを狙った連続放火事件が発生。警察では都心でのこの事件を重要視し、よう撃捜査舞台を編成した。即ち、警察の秘密裡の監視のもと、わざと狙われやすい標的を設定し、犯人が放火を実行した段階で現行犯逮捕を狙うものである。科捜研特別被害者部の北見志穂は、女性警察官不足からこの捜査に参加、しかし突然の停電と共に周囲は暗転、混乱の極に陥った捜査陣を嘲笑うかのように外車ディーラーの外壁が燃やされた。更に芝公園内部では全裸の女性死体が忽然と現れた。その女性は全身がこれ以上ないくらいに脱毛されており、しかも日焼け止めクリームが全身に塗られており、その様相はあたかも人形のよう。しかも現場の側では、その死体とそっくりの姿勢を取ったユカちゃん人形が遺されていた……。頸部に手の跡が残されていたものの、外傷もなく、事件は殺人と、単なる死体遺棄との両面捜査にかけられることになった。しかしそれは「ユカちゃん人形連続殺人事件」の幕開けであった。志穂は、ユカちゃん人形を手掛かりとした捜査にあたることになり、地道な捜査を開始した。

鮮烈かつサイコな見立て殺人が目立つが、この作品でもまた物語構造が異なる点にも注目
この女囮捜査官シリーズ、もちろん「生まれついての被害者」である北見志穂を中心としたサスペンスであるとか、捜査一課の井原、志穂の同僚である袴田らを中心とした警察小説であるとか、いろいろな側面を持っている。そしてもう一つ、重要なのが本格パズラー的な興趣という部分。そして重要なのは、そういった本格パズラーにおいてこれまで重要なモチーフを果たしてきたいくつかのテーマが必ず各作品に取り入れられていて、更にそれらがそれぞれ異なっているという点にある。第一冊目の「触覚」では”見えない犯人”テーマ、二冊目の「視覚」では”密室”テーマ、三冊目の「聴覚」では”誘拐”テーマ、そして本作である「嗅覚」においては、いわゆる”見立て殺人”というテーマが使われている。もちろん、それぞれにフーダニットやハウダニットの興趣を加えており、正面からの本格パズラーとしても、冒頭に書いた通りにサスペンスや警察小説の一部分としても、どちらからでも楽しめるという濃厚さを実現している。
その見立て殺人の真実――、特に何故、第一被害者がこのような人形めいた状態になっていたのか、何故、よう撃捜査の真っ最中、ビデオの監視をくぐり抜けて死体が出現したのか、等々ももちろん素晴らしい(ミステリの意味で)。ただ小生が感心したのは、一旦登場した事件から、様々な方向にエピソードが散り、それがそれぞれ志穂や袴田によって太いうねりを持たされて盛り上がっていく展開。そして加えて、それぞれが一個の独立したエピソードとなったうえで、当初の事件に戻り、その太くなったケーブルのような物語が縒り合わさり、事件全体の様相が大きく変化するあたりにある。天性の物語巧者である山田正紀ならこれくらい朝飯前なのだろうが、個々のエピソードの完成度が高く、それだけでも長編を維持できそうな内容を、シリーズ作品の中途でこれだけぶち込めるというのは、やはりただ者ではない。

まあ、実際の商品に配慮しての”ユカちゃん人形”というネーミングではあるが、何を指し示すのかは明らか。この人形を通じて昭和史の影を浮かび上がらせようとする意図(それはもしかすると山田正紀は意識していないかもしれない)なども、他の山田ミステリとも共通する。全体のインパクトは五冊全体のレベルが高いなかでは少々シリーズ他作品に譲るところは否めないが、それでも一般的な本格ミステリの水準を遙かに超える内容を誇っているといえる。


04/07/07
山田正紀「女囮捜査官〈3〉 聴覚」(幻冬舎文庫'98)

'96年にトクマノベルスより刊行された「女囮捜査官」シリーズの文庫化作品。文庫化されるにあたり「触姦」等「五感+姦」の副題は全て「感」の文字に改められ、「五感推理シリーズ」となったもの。絶賛再読中2。やっぱり面白い、止められない。

女囮捜査官・北見志穂は凶暴な殺人犯を射殺したことで神経症に陥っていた。その行動自体よりも、みなし公務員という自分が警察組織の枠外にあり、本来所属する筈のその組織から執拗な責めを負ったことが主因であった。ただ、カウンセラーである宮澤佐和子の努力により、ようやく精神が平常状態に戻りつつあった。そんな彼女は、調査会社の社長秘書を務めていた女性の「自殺事件」を調べるよう警務課より命ぜられる。本来は、リハビリ代わりの簡単な事件。ただ、彼女が死の直前まで全くそんな素振りがないことを志穂は疑念として覚えた。更に、東京地検特捜部から志穂の調査についての横槍が入る。単なる女性の自殺事件になぜそんな介入が? 志穂は生まれてくる前に母親の胎内から消えたという”双子の妹”の存在を意識しだし、彼女を診察する徳永教授は袴田に対し、志穂が二重人格を持つ疑いがあると漏らす。その双子の妹に導かれるように訪れた産院で、志穂が気付かないうちに乳児誘拐事件が発生、その身代金の運搬人として「北見志穂」が指名された……。

シリーズ中間作品にして、誘拐ミステリの白眉。更にその裏にも大いなる企みが……
シリーズで読む人は全て読んでいるのだろうけれど、このシリーズを読み始めていない人には普通触れられることのない三冊目。ここに誘拐ミステリの傑作が潜んでいる。誘拐した相手は顔を覚えられることのない新生児、更に、絶対に逆探知ができないという実に巧妙で悪魔じみた犯人から被害者への連絡方法。大量の捜査員が投入されることを見越した、絶妙の身代金詐取……。文句なしに独立した長編・本格・誘拐ミステリを成立させられるに足る内容でありながら、それを物語の半分にしか使用していないという贅沢きわまりない構造を本書は誇る。
では、残りは何なのかというと、これが多重人格をメインとしたサスペンスである。北見志穂が二重人格者? という疑いを作品内に込めることにより、次々発生する不可解事項が説明できてしまう。志穂が捜査する自殺した女性のもとに残されていたコーヒーカップから発見される志穂の指紋、訪れたことのない筈のマンションにて「あなたが来ていたでしょう」と指摘される恐怖。自分に双子の妹がいれば成り立つ論理……だが、そこは山田正紀、実に綺麗で、かつ渋い方法にてこの謎を論理的に解決していく。ここにも細かい伏線が多用されており、その回収も見事。こちら半分でも実に長編を支えられるのに十二分のトリックが用いられている
そして、その二つのメインパートをプロットによって組み合わせることで一つの作品としているのだ。実に豪華、実に贅沢。アイデアの展覧会状態。 この幻冬舎文庫版のシリーズ全五冊の解説陣は、法月綸太郎、我孫子武丸、恩田陸、二階堂黎人、麻耶雄嵩と豪華な作家がずらりと並ぶのがポイントなのだが、その誰もが山田正紀の才能を素直に羨んでいるあたりからも、その凄さが類推されよう。一読者としては、これだけの内容を込めつつ、大長編にならず十分普通の文庫サイズでまとめられているという点も有り難い。まさに凝縮された本格ミステリの結晶だといえる。

あと再読で一番驚いたこと。物語中で散々「存在感が薄く、透明感のある謎の人物」として描かれる徳永教授の正体。このあたりの細かいエピソードを失念していたこともあって、この「理由」というのに驚くとかなり同時に力が抜けた。うーん、これは……アリですか。

たまたまシリーズ再読で本書にあたったが、全部を読み通すのがしんどいという方も、この三冊目だけは(いややっぱり全部)誘拐ミステリの傑作として覚えておいて損はない。正面から本格ミステリに挑戦し始めて以降、少々山田ミステリにも実は長大化の疑いがあるのだけれど、本シリーズについては文章量より、ミステリとしてのネタの量が明らかに勝っている。さて、続き続き。


04/07/06
山田正紀「女囮捜査官〈2〉 視覚」(幻冬舎文庫'98)

'96年にトクマノベルスより刊行された「女囮捜査官」シリーズの文庫化作品。文庫化されるにあたり「触姦」等「五感+姦」の副題は全て「感」の文字に改められ、「五感推理シリーズ」となったもの。絶賛再読中。やっぱり面白い、止められない。

首都高速のパーキングエリアにおいて居眠り運転のトラックがタンクローリーに衝突する大事故が発生した。死傷者を多数出したこの事故に警察や救急が緊急出動し対応に当たった。現場に駆け付けた救急隊員は、女性の右脚と意識を喪って倒れていた白髪の男を発見、男と右脚を救急車で搬送する。――しかし、男は救急隊員の呼びかけに答え、自分の名を「かめ……あつし」と呟いた後、急に覚醒、隊員の首をナイフで掻き切り、続いて運転手を血祭りに上げてそのまま救急車を乗っ取って逃走した。サイレンを消して走行する不審な救急車にパトカーが気付いて追跡する。救急車は間もなく発見されたものの、密室状態の高速道のなかで死体と犯人はどこかへ消え失せてしまっていた。それから数時間後。首都高速各所の待避線から、女性の切断された遺体が次々と発見された。左腕、首、胴体、左足が発見された遺体からは身許の確認が難しいと思われたが、豊胸手術の跡から、それが小室京子、二十三歳だと判明する。捜査一課の係員が自宅に急行、犯人に繋がる手掛かりを探し出したところ、留守電に残された男の声と、一枚の写真が発見される。その写真に写った数人の男女のなかに、科捜研特別被害者部所属の北見志穂の姿があったのだ。京子は志穂と同窓だった。連絡を受けた志穂は、留守電の男が京子と交際していた正岡則男であると指摘するが、その正岡を呼びだし事情を聞き出す役目を仰せつかってしまう。

狂気の犯人の影で、魅力的不可能犯罪をさらりさらりと目立たせずに使い切る……。これが山田正紀の贅沢ミステリ
凝縮という言葉がぴったりと似合う。いきなり首都高パーキングエリアの爆発シーンでスタートする本書、まずはかつて山田正紀が得意としていた、アクション系謀略小説を思わせる派手なスタートから始まる。救急隊員を殺害して救急車を乗っ取る男、追跡するパトカー、そして首都高という密室のなかで消えてしまう車、そして遺体。ここまでまず一気。続けて首都高内に捨てられたバラバラ死体と、ハリウッド製映画ももかくやと思わせる”派手!”な演出が、本作の場合は特に目に付く感。ただ、その派手さに幻惑されそうになるとはいえ、その派手さを演出しているのが、不可能トリックである点、見逃せない。そんな派手な展開のした、物語は北見志穂との関わりを通じて地に足がつくようテンポを若干落としてゆくのだが……。これが単なる転調だけの目的ではなく、そういった演出全てのなかに、不可能犯罪トリックに対する伏線が残されているというのは読み終わった後に気付くこと。特に友人の無実を晴らすためにコンビニや駐車場管理人の周囲を走り回る志穂の姿と、その志穂の姿がラストに何とも皮肉なかたちで裏切られるなど、そこかしこの場面に無駄がない。こういった執拗にして周到なる伏線の回収を、大仰にせず実にさらりと実施してしまうのが山田正紀のミステリの特徴だろう。伏線よりも解決部分の方が流されていて、斜め読みしていたら気付かないくらいにさりげないのだ。この自然体を上回る超自然体はすごく格好いい。
いわゆるSMなど、官能ではなく”エロ”寄り描写が目立つところがあり、気になる方には気になるのだろうが、当初のノベルズ版においての出版社意向と思って我慢したい。そのエロ写真にサインを残す……というくだり、一種めちゃくちゃな気もするものの、山田正紀氏の描くところの後のサイコパス関係の人物とどこか共通するところがあり興味深い。

このシリーズで特徴的な、硬質で歯切れの良い文章は本書でも健在、というかこの文章によって、このシリーズのテンポがコントロールされている。特に志穂や袴田の一人称になった時に微妙な第三者視点でコントロールされるあたりが巧い。いや、そんなことを考えず、この全編パズラーにしてジェットコースター的怒濤の展開を誇るこの作品を素直に読めば良いのです。


04/07/05
甲賀三郎「乳のない女」(湊書房'50)

あくまで偶々入手した本書は、湊書房版の「甲賀三郎傑作選集」の三冊目にあたる。巻末の広告によれば、このシリーズは他に『姿なき怪盗』『幽霊犯人』『妖魔の哄笑』『蟇屋敷の殺人』とある模様(とはいえ入手する当てなど全くない)。ただ幸い、現在ならば、'01年に日本図書センターより刊行された甲賀三郎全集の巻の10、『死化粧する女』のなかに収録されているので読むことは可能。あの名探偵・獅子内俊次シリーズの長編である。

昭和三年三月三日。銀座の裏通りを歩いていた昭和日報の記者・獅子内俊次は、物陰からふらふらと出てきた小柄な紳士に寄りかかられた。その人物の顔は蒼白で「乳のない女――神林――高円寺」と漸く呟くとぐったりとしてしまう。慌てた獅子内は介抱しようとしてそれが男装の若い女性であることに気付くが、彼女は既に息絶えていた。そこに別の大柄な紳士が現れ、その人物が自分の連れであると言い出す。強引に連れ帰ろう(死体だが)とする紳士に素性を問いただす獅子内だったが、何者かに後頭部を殴られて気を失ってしまう。しかし獅子内は豪華な部屋のベッドの上にて目を覚ます。彼の前には愛くるしい娘・百合子とその父だという山内なる紳士が現れる。銀座の路上で倒れていた獅子内に気付き、放っておけず連れ帰ったのだという。何か不審を感じた獅子内は、自分の居る場所が高円寺だと訊いて驚き、制止を振り切って駿河台の自宅へと戻るのであった。神林という言葉が人名だと直感した獅子内は電話帳で名前を調べると、目に付いたのは銀座にある神林美容院。早速そこに行ってみるとがらんとして誰も人はいない。そこへ人の帰ってくる気配がする。慌てて隠れた獅子内の前に現れたのはよぼよぼの老人。しかし、ごそごそと手を動かすうちに立派な青年となっていた――。

新聞記者にして名探偵・獅子内俊次、縦横無尽、孤軍奮闘。しかしその背後では関係者が死屍累々……

 「その兇惡、その冷血、その狡獪、正にわが犯罪史上に類例を見ない所で、よくこの惡逆無比、奸惡邪智の殺人鬼と闘つて、遂に最後の勝別をしめた、わが獅子内の勇氣、智謀、根氣、侠氣は絶大なるものである。彼が一度筆を取つて、事件の眞相を明かにするや、五百萬市民が擧つて之を讀んだのは、誠に故ある哉である。」(出来る限り原文ママを狙いましたが、ネットで使用出来ない漢字が幾つか)。

……。確かに獅子内の書く新聞記事は面白かろう。彼の行くところ、ばたばたばたばたと死体が群を成した、というのが本事件なのであるから。獅子内が下手に動かなければ、犠牲者は二分の一くらいで済んだのではないかというこの事件、ツカミはとにかく抜群である。なんせ『高圓寺――神林――乳のない女』のダイイングメッセージなのだ。高圓寺というのは、旧字だけどあの中央線の高円寺。かんばやし。わけ分かりません。ちなみに一応(あくまでも一応)、物語の最後に鍵となる「乳のない女」の意味が明かされるのだが、「へ??」と呆然とすること請け合い。さすがは(多分)何かの連載、場面の盛り上がりが短い感覚にて続々と発生する。獅子内は偶然に怪しい関係者と出くわし、警察に引っ張られそうになり、そのたびに何者かに救われたり、相手が急死してしまったり。ある事件は明確に獅子内が間接的に犯人となってしまっている。基本的なラインは、変人の巨額の遺産相続を巡る事件で、その遺書にあった相続者(とその血縁者)が次々と殺害されるという非常に動機の分かりやすい事件なのだが。彼が絡むことでかえってややこしくなっているという。
確かに、最初のあたりでは、獅子内が連れ込まれた屋敷というのが、実は空き家で、何者かがわざわざ家具を持ち込んで人が住んでいるように偽装した? ……等々いろいろと凝った仕掛けが冒頭から施されている。いわゆる不可解な状況からくる謎。そういった伏線そのものは、何とかラストまでに回収こそしてくれてはいるものの、その無理矢理な理由一つ一つの必然性が軒並み「?」で、謎が解かれるたびに、途轍もない脱力感に見舞われることになる。書いているうちに作者も面倒臭くなったか、忘れてしまっていたのをふと思い出したのか。
ならば、駄作なのか? と正面切って問われると、ちと辛い。ここまでテンポが急だと、独特の面白さというか魅力もまた存在する。読者の思考が停止したまま、ジェットコースター的展開に素直に乗るのも手であろう。

探偵小説というキーワードのなかで、戦前作品ということもあり、乱歩の通俗とも雰囲気そのものはどこか似ているように思う。当時の風俗などもリアルタイムだけに興味深い描かれ方をしているともいえる。ただ決定的には、悪人の側に”華”がなく、獅子内が必死に庇う謎の女性にしても今一つ魅力には欠けている点が惜しい。やはり今となっては、一部マニアが嬉々として手に取るべき作品かもしれない。


04/07/04
綾辻行人「人形館の殺人」(講談社文庫'93)

今年、待望の館シリーズの新刊『暗闇館の殺人』が刊行される(はず)――ことを記念に、現在六冊が刊行されている館シリーズを何か再読しようと考えていたなか、ちょいと理由ありで本書を手にとってみた。なんというか十年ぶりの再読。(そもそもベテランのマニアの皆さん、島田潔ってどんな探偵だったかきっちり覚えてます?)

病のために社会に出ないまま引きこもりに近い生活を送ってきた画家・飛龍想一、三十四歳。彫刻家の実父が亡くなり、その遺産である京都にある通称「人形館」に養母と共に移り住むことになった。古めかしい館には、父の遺言で移動させることのかなわない身体の欠けたマネキンが随所に残されており、彼らは離れに下宿人を入れることにより日々の収入を得ることになる。しかし住人は自称・小説家、盲目のマッサージ師、そして家で鼠を飼う大学院生と少々怪しげであった。想一がそんな生活に慣れてきた頃、近所で、少年少女を狙った連続通り魔殺人が発生、また想一は幼なじみの架場久茂という大学の助手をやっている男と再会する。この時期から想一とその母の周囲でポストに硝子の破片が入れられたり、猫の死骸が玄関先に放置されたりという嫌がらせが発生、想一の過去に封印された忌まわしい記憶がフラッシュバックされるようになる。母親が不慮の火事にて焼死し、遂に、怪しい殺人者によって想一自身が狙われるようになってしまうのだが……。

館シリーズの内部においての「異形」の作品にして、実は綾辻行人の創作群での「普遍」の作品――。
改めて本書を読み終えて、一連の館シリーズのなかにありながら、本書がいかに浮いた作品なのか、という点、再認識させられた。館シリーズ……を乱暴に括れば、中村青司なる奇想の設計家が建てた、異形の建物を舞台に発生する不可解殺人事件シリーズだといえる(厳密にいえば、もう少しマシな定義もあるだろうけれど)。 本書は四作目にして、その中村青司という存在をメタ的に利用した、別の構造を持った作品となっている。館には不気味な人形が遺されており、それはそれである意味があるのだけれど、館そのものの根元的存在理由というものとはほど遠い。館が主人公に成り得ない館シリーズという意味で、やはり本書はシリーズ内では異形の貌を持つ作品なのだと定義できるだろう。
その分、という訳でもないが、実に内向きの作品である。本編の語り手にして主人公である飛龍想一の性格が内省的で暗く、人間づきあいが下手なこと。それに加え、彼の記憶のフラッシュバックの謎が一つのテーマでもあるために、第三者的に事件がどうなのかという点がなかなか提示されないもどかしさがある。また発生する事件、館の外の通り魔事件にしろ、館周辺での嫌がらせにしろ陰湿なイメージが強く、(そりゃ殺人に爽やかはないけれど)どこか、読者側も、もやもやした気分を共に味わうことになってしまう。ただ、このもやもや感、どこかで味わったことがある――と振り返って考えてみれば、館シリーズ外、綾辻氏による例えば「囁き」シリーズであるとか、ホラー系作品であるとか、そういった作品群に感覚的に近い。本書は館シリーズでは異色でありながら、綾辻作品群のなかでは比較的普遍的な作りとなっている、ということがいえるのではないか。狂気めいた、破滅的な結末にしても、フェア・アンフェアの括りで捉えるのではなく、精神の暗黒面を描く綾辻氏の真骨頂と受け止めると違和感を覚えなくとも済む。名探偵・島田潔の使い方など、この流れでは実に巧みな技巧のもとで用いられていると思うのだ。

館シリーズのなかにありながら、綾辻氏の創作の、もう一つの原点を感じさせてくれる作品である。氏の作品が館シリーズのみ、ということであれば本書は異色作なのであろうけれど、綾辻氏の全体の作品のなかで捉えることで別の側面が見えてくる。驚きという意味では、今となってはちょっと不足かもしれないけれど、読み終わった後に感じる手触りの、極端なまでの冷たさは発表より時が経過しても変わるものではない。登場人物に対する非情な扱いもまた、他の綾辻作品含めれば普遍的な方法だといえることであるし。


04/07/03
山田正紀「女囮捜査官〈1〉 触覚」(幻冬舎文庫'98)

'96年にトクマノベルスより刊行された「女囮捜査官」シリーズの文庫化作品。文庫化されるにあたり「触姦」等「五感+姦」の副題は全て「感」の文字に改められ、「五感推理シリーズ」となったもの。今や、本格ミステリ界においても押しも押されぬ重鎮となっている感のある山田正紀氏が、ミステリの世界に本格的に取り組む契機となった伝説的五部作である。

通勤ラッシュの死角。品川駅の人気のない女子トイレで若い女性がスカートの剥ぎ取られた扼殺死体で発見された。その日に仕事もないのに同駅で目撃されていた清掃アルバイトの青年が被疑者として上がっており、彼の行動を囮捜査するのが、警視庁・科学捜査研究所の特別被害者部の北見志穂である。特別被害者部(通称:特被部)は、異常犯罪の被害者のデータを分析し、その犯罪における「理想的な被害者像」を割り出す「被害者学」の成果として生まれ、志穂はその「生まれついての被害者タイプ」という特徴が買われていた。彼女の上司は、法曹界に影響の大きい遠藤一族の変わり種・天才犯罪心理学者の遠藤慎一郎。彼女とコンビを組むのは万年刑事の袴田。そして井原警部をはじめとする捜査一課の面々は、彼らのことを快く思っていない。そんななか囮捜査が決行されるが、志穂はその挑発的な格好により無関係の浮浪者に襲われ、被疑者の男に助けられる羽目に。そんななか駅の別の場所で前回同様の女性の死体が発見された。

やはり傑作。魅惑溢れる設定の凄さに加えての本格サスペンスと本格ミステリの希有なる融合
再読してみて改めて思ったが、何ともうまい設定を考え出したものである。事件の様相や遺留品から犯罪者の姿を想像し捜査に活かすプロファイラーを主題にしたミステリは国内外で多数あるものの、その逆という発想がまず素晴らしい。異常犯罪の被害者に共通する因子を探し出し、犯罪者の前にそれを囮としてぶら下げることで犯罪に駆り立てさせ、摘発しようとする、という考え。しかも、その囮となる人物を主人公に据えることでサスペンスは盛り上げ、異端の組織を官僚組織である警察機構に組み込むことで内部の軋轢が描け、猟奇犯罪に巻き込まれる美人主人公という趣向を自然に体現してしまう。 この設定を創り上げた段階で作者の勝利であり、物語は自ずと出来上がってくる。事実、本書の場合は、特被部と捜査一課との縄張り意識であるとか、犯人を目の前にしてのつまらない組織内部の軋轢であるとか、それでいて最後にはしっかりチームワークが形成されているところとか、警察小説的な面白さがかなり強い。
だが、作者はそこだけに安住せず、豪華ともいえる程の本格ミステリの趣向を作品内に取り込もうとする。その結果として本書が傑作シリーズと成り得ている訳であるのだが。度の過ぎた痴漢の連続犯罪と思われる序盤、様々な手掛かりが出てくる中盤、浮かんでは消える犯人像が目まぐるしく入れ替わる終盤。遺留品を中心とした捜査と、本書の主題である囮捜査がぶつかりあって物語のテンポも早く、北見志穂の心象を作者が代わりに語るような歯切れの良い文体がサスペンスを盛り上げる。そんななか「犯人はどこから来てどこに消えたのか」という都会の死角に潜む犯人の姿が、本気で見えない。そして、さりげなく提示された手掛かりが終盤でひとつひとつ繋がっていく興奮。特に山田正紀版の見えない人というテーマ(これも確かに興味深い)を示して、読者に「こいつが変態だな、これで決まり」と思わせたあと、最後の最後にひっくり返す技は、山田正紀の後の本格ミステリの作風に実に見事に繋がっている。いやはや、プロパーのミステリ作家が本書に瞠目したことも今となっては改めてよく分かる。凄いもん、この作品。

再読してみて思ったのだが、シリーズの導入作品としての過不足ない情報を組み込みながら、不思議なフーダニットを同時に体現しているあたりがさりげなく凄い。後のシリーズ作品に登場する事件に比べると、まだ本書は大人しい方ながら、ミステリとしての面白さという意味では十二分である。そして何よりも「続きが気になる」というシリーズ作品としての要件をも満たす。なんで、このシリーズが今また入手困難になっちゃうかな。勿体ない。


04/07/02
垣根涼介「ヒート アイランド」(文春文庫'04)

午前三時のルースター』にて第17回サントリーミステリー大賞の大賞と読者賞をダブル受賞。三冊目となる『ワイルド・ソウル』が大藪春彦賞、吉川英治新人文学賞、推理作家協会賞のトリプル受賞となったのは記憶に新しいが、そのあいだ、受賞後第一作として'01年に書き下ろされたのが本書である。またこの作品の続編が、四冊目の著書である『ギャングスター・レッスン』となる。

喧嘩において天才的な冴えを見せる渋谷のストリート・ギャング”雅”のヘッドであるアキ。彼は知り合ったカオルという頭脳と弁の切れる若者と組み、渋谷の他の主立ったチームの頭をひとりずつ潰し、仲間に加えていた。彼らは、トーナメント戦の喧嘩を売り物にしたアングラ・パーティを企画、危ない橋を渡りつつ収益を上げていた。一方、非合法のカジノバーの売上を狙う、裏金融専門の強盗集団がいた。元電気技師の折田、腕利きの車メカニックだった桃井、そしてリーダーである柿沢。彼らはまんまと関西系の暴力団『松谷組』がバックについたカジノから一億円以上を強奪することに成功する。しかし年齢による衰えを感じ、今回で足を洗うという折田が若者に絡まれ、怪我を負った挙げ句、分け前の入ったバッグを奪われてしまう。その若者は”雅”の主要構成員。アキとカオルはトラブルの予感を覚え、対応策を練り始めた……。

若者たちの熱さ、暴力団の面子、そしてプロ犯罪者のクールな格好良さ。テンション高いクライム・ストーリー
ストリート・ギャング、アングラの凄腕犯罪チーム、地場の暴力ヤクザ、そして広域暴力団と四巴の争いを実にスリリングに描く。 単に暴力を描き出すだけではなく、特にアキ&カオルの”雅”と、桃井&柿沢の犯罪チームの両方が、互いに知恵を絞り、相手の行動を先へ先へと読んでいくあたりは、これまでの同系統作品にはない面白さの源となっている。社会のはみ出し者たちが、その境遇に屈せず前向きに生きていくあたりの火傷するような熱さが、作品全体を彩っている。
また、垣根作品では特徴的ともいえる車へのこだわり。本作では、車が主人公となる訳ではないながら、作者の思い入れが作品の雰囲気作りにプラスに働いている。
しかし、何よりも面白いのは中盤以降の両チームの動きだろう。準備の場面も周到に描かれているにもかかわらず、何が起きるのか想像するのが難しい。しかもその下敷きになるスピリット、つまり暴力団相手に正々堂々と組み付く彼らの心意気が熱い。暴力団の黒木に脅されたカオルが、言葉の逆襲に出るあたり、その論理の見事さに快哉を叫びたくなった。そして周到な仕掛けを凝らし、あくまで暴力が主体のはずの戦場において、実にみごとな頭脳戦が行われているあたりは、読者の心が熱くなる。ここまで手が込むと、当然ミステリとして読む楽しみも尽きない。また、ラスト近く絶体絶命の柿沢と桃井がある地点から脱出してしまう方法に唖然。考えようによっては本格ミステリのトリックとも見紛う意表を突く方法であり、そしてその突拍子の無さが実に魅力的。とにかく練られまくりの無類のプロット、そして意外性の両方により、緊張感とミステリとしての面白さの両方が、物語の最初から最後までのテンションの持続を可能にしているのだろう。。

ただ、ちょっと辛い点を挙げておく。主人公(誰が主人公なのか最後まで分かりづらい)のアキ、相棒のカオル、桃井や柿沢のサイド、そして複数の暴力団など登場人物が多い。そして困ったことにそれなりにみな背景が書き込まれていて魅力ある人物だったりするのである。人数が多いこと自体は問題がないが、彼らのあいだでやや頻繁に物語視点がやり取りされていて、全体的に落ち着きがないように感じられた点は少々気になった。特に結果的には脇役に過ぎない人物にもそれなりに活動させてしまっているがために、読者として感情移入の落としどころがつかめず、ノリはいいのにノリきれないというじれったいような気分になったことも事実。ただ『ワイルド・ソウル』では、そういった印象はほとんど感じなかったので、作者のこの段階でのスキルの問題だったのではないかと思う。他にもお金の支払い場面が細かすぎるなど、力の入れ方のバランス感覚に関しては、本作からはまだまだ磨く余地あり。

そういう訳で、物語としての完成度は『ワイルド・ソウル』に一歩譲るところがあるが、いくつものエンタメの要素を惜しげもなく注ぎ込んでいる点には好感。実に楽しい時間を過ごさせて頂いた。一歩一歩先を先を読み合う登場人物の考え方は、本格パズラーのそれともどこか似ており、本格サイドの人間が読む冒険小説としても勧められるように思う。


04/07/01
佐々木丸美「ながれ星」(講談社'81)

佐々木丸美さんが活躍された短い期間のなかでも中期にあたる作品で、文庫化されていない。○○シリーズ的要素の強い一連の作品群のなかで、ちょっとした独立性を保っている作品ではあるが、文中さりげなく明かされる固有名詞により、やはり作品世界そのものは佐々木サーガと完全に地続きとなっている。

高校三年の夏休み。農作物をはじめとする植物に詳しい直人、古代文明を取り憑かれたように学ぶ壮、そして天文学にのめりこむ克人。三人はそれぞれガールフレンドである、直満子、弘子、そして”私”こと桐子の六人で、調査用の自然公園となっている無人島にキャンプに来ていた。ほかにもキャンプ客はいたが、船は十日に一度しか来ない。都会を離れた生活を満喫する彼らであったが、異変が起きた。動物の様子がおかしいのだ。私たちはキャンプを高台に移動させたが他の人々はいうことを耳に入れない。そんななかひとりの青年が、自分のキャンプにいる女の子の面倒をみて欲しいと彼らに頼む。そして津波警報が発令された。海辺にいた人々は間一髪訪れた救助船によって脱出したかにみえたのだが……。連絡の途絶えた無人島で、高校生たちと口をほとんど開かない少女、七人の暮らしが始まった。男性陣の奮闘により、島の生活が徐々に軌道に乗りつつあったが、その少女・菫が不思議な能力を発揮するようにもなっていった。そして閉ざされた生活のなかで、三人の女性の性格の違いから亀裂が始まっていく。

理想的ともいえるサバイバル、そして作者の、精神世界への深い傾倒とのミクスチュア
不思議な作品である。無人島に若者ばかり数人というシチュエーション、そしてサバイバル生活が開始される――という展開そのものは、文芸というジャンルのなかでは、ミステリや純文学問わず、いろいろと描かれてきている普遍的なテーマだといえるはず。極限状況に置かれることで、人間の普段は隠されているような、強さや醜さが如実に表面に現れるという面白さ。そして生き残れるのかというサスペンスめいたサバイバル。人間を描くも良いし、生活を描くも良し。どっちに振れても面白い作品へと繋がっていく。
だが、佐々木丸美のアプローチ、何かそのエンタメ系とも文学系とも異なっているのだ。強いていえばファンタジー系という感じか。高校生とは到底思えぬ冷静沈着な落ち着きと、類い希なる自然科学の知識を持つがゆえに、この集団は実にきびきびと、そして淡々と本来サバイバルである筈の生活に入り込んでいく。そう、サバイバルである筈なのに、飢えであるとか絶望とは無縁の、不思議と楽しそうにさえみえる不便生活。更にここに不思議な力を持つ女の子を加えることによって、物語は方向を変えていく。
そのポイントになるのは、佐々木丸美の作品では一貫して普遍的に取り上げられている、精神世界や心理学の問題。特にいわゆる超能力に近いものがある菫の力について、彼らそれほどの問題視無く受け入れていく。なんというか、このあたりへの進め方は佐々木丸美ファンタジーの常道に近いものがあるのだ。こういう超常的諸問題を所与の要件として物語に取り入れてしまうあたり。また、普通の冒険小説と少々異なるのは、主人公たちの成長が遅々としているところか。物語の最初から最後まで、このような究極のシチュエーションにもかかわらず、彼らが所与の役割から逸脱せず、いわゆる成長ストーリー的要素が実に薄い。(作者は取り入れているつもりなのかもしれないが……)。

佐々木丸美一連のファンタジー世界の延長として読むことも出来るし、一風変わったサバイバル小説としても無理すれば読めないことはない。とはいっても、主人公の性格などどこかで見たことのあるタイプでもあり、佐々木丸美ファンなら追って損はないと思う。菫の正体あたりは、他の物語を読んでいる人にとっては結構ショックかもしれないし。