MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/07/31
森奈津子「かっこ悪くていいじゃない」(祥伝社文庫'01)

一時期に話題を攫った祥伝社400円文庫の第二期に書き下ろし刊行された作品。「10代・20代・30代それぞれの「愛」競作」というかたちで末永直海、横森理香の作品と本書の三冊が揃った。

表向きは銀行に勤務する二十八歳のOL・金子美里。しかし彼女には小説を書きたいという欲求があり、プロ志望が集まるカルチャーセンターに通っていた。さらに彼女はバイセクシャル。講師の新進ミステリ作家・神野英一郎に恋をして彼の仕事場にて関係を結ぶ。身体の相性が抜群な彼との行為に溺れる美里は、これまでの不倫とは異なる程に彼に惚れ込んでしまう。気付くと彼に対し熱烈に迫っている自分がいて、神野が引いているのが判るたびに自己嫌悪。そんな美里の前に、今度は魅力的な女性が現れた。ナナと名乗る彼女は、女性同士の恋愛に興味があるという。かつて傷心と共に別れることになった恋人・萌子に面影が似た彼女と仲良くなることを夢見る美里。しかし、ナナと美里とが決定的行為に至った後、美里は手にした雑誌から衝撃的な事実に気付いた……。

いろいろな愛のかたち、そして森奈津子流恋愛の基本レッスン。いや……、女性は強かなものですね
基本的な流れは中編小説ということもあって、バイセクシャルの恋愛というちょっとした変奏部分を除けば、実に自然な流れに従っている。最初は、ヘテロの恋愛でかつ不倫。独身女性のいわば”不倫の心得”を体得している筈の美里が、その信条を胸に抱きつつも、流されそうになっていく過程が多くの分析と独白を交えて描かれる。女性読者が、この金子美里の感覚に共感するものなのかどうか、無粋な男性である小生には判然としないが、その思考を紙上でトレースするうちに、「むー、なるほどなー」という奇妙な納得を覚えてしまったりした。(ちなみに共感とは少し違う)。
一方、中盤は、かつての恋人に似た女性に惹かれていく美里の心情。百合系の文学にもともと素養がないのでこちらもあまり突っ込んだことはいえないのだけれど、かつて永遠の恋を誓った、美里と萌子のエピソード(萌子は男性と結婚するがために、美里と別れた)を通じての、美里の心情など興味深かった。
最終的にこの中篇は失恋の物語になるのだけれど、本書のポイントはその事態に立ち向かう美里の強さであろう。マイノリティの恋愛を通じて、世間から虐げられてきた者が持つ冷静な思考と強さは、相手をしばし完膚無きまでに叩きのめしてしまうのか。この芯の太さこそが本書がフィクションたる所以なのだろうが……。無神経な相手をやりこめる手順、手口にはつい快哉を叫びたくなるのは毒されすぎだろうか。

恐らく、作者である森奈津子さんの心情であるとか体験とかであるとかが色濃く反映されているだろう点、想像に難くない。だけど中篇なりにきっちりと一個の(ちょっと変わっているけれどそれなりに普通の)恋愛小説にまとめきっているあたり、やはり作家としての幅の広さを感じる。(これまで変梃な作品ばかり手にとってきたこともあるので、余計新鮮なのかも)。


04/07/30
小川勝己「狗」(ハヤカワ・ミステリワールド'04)

小川氏は'00年の第20回横溝正史賞を『葬列』にて獲得してデビュー。以降、特異な鬼畜系ともいえる犯罪小説と、意外な程に古風なこだわりのある本格ミステリを絡めた不思議な作風により、カルトな読者を獲得している。本書は『ミステリ・マガジン』誌に'03年8月号より'04年2月号のあいだに連載された”悪女”がテーマのノン・シリーズの短編が集められた作品集。

身勝手な理由で別れを告げた瞳。二年後、その聖史が結婚すると聞きつけた瞳は策を弄して披露宴に出席し嫌がらせを。そして半年後に瞳の嫌がらせによって別居する羽目に。その瞳が結婚するという。聖史は一計を案ずるが……。 『蝋燭遊戯』(蝋燭は難しい方の漢字)
浪人生だったわたしは東京のベッドタウンでひとり暮らし。しかし徘徊する痴呆老人と知り合ってしまう。どうやら家族はその老人を虐待しているらしい。わたしは老人を救うために一計を案じ、歌舞伎町方面へと向かった……。 『老人と膿』
家のローンを抱え家族との仲がしっくりいかないサラリーマン・佐藤。後輩に連れられキャバクラに出掛け、ゆうりなる女性を成り行きで指名する。小遣いの乏しい佐藤に対し、そのゆうりは強烈な営業攻撃を仕掛けてくる。 『You裡(ゆうり)』
水虫持ちの高校教師・緒方昌彦は同僚の女教師に交際を求め断られた。そんななか貧血で倒れた女生徒を家に送ったところ、女教師の面影をもった母親と出会い、どちらからともなく彼らは背信の関係に陥るが……。 『代償』
職が続かず母親に寄生している祐司は目下バンド活動に夢中。そしてボーカルの正志と同棲している春奈に好意を寄せていた。バンドは徐々に力を付け、全国的に有名なライブハウスへの出演が決まる。しかしその直後、正志が何者かに殺された。 『夢の報酬』以上五作。

新世紀悪女伝説。小川勝己が描く現代は、従来の悪女像を覆し踏み躙る。怖えーー。
裏表紙の紹介文には「クライム・フィクションの鬼才が放つ現代悪女列伝!」とある。確かに、五つの作品全てに悪女が登場する。――ただ、さすが小川勝己だというのは、あくまでその切り口を”現代風”にアレンジしていること。つまり、男を手玉にとってとっかえひっかえして、自らの野望を遂げる……といった自分の魅力を売り物にして男を食い物にするような、これまでの”悪女像”とは異なる女性を描写するのだ。ひとくちでいえば、サイコなんだけれど。

物語はそれぞれタイプの異なる女性が描かれる。『蝋燭遊戯』の瞳は徹底的な自己中心派。自分の満足のためなら手段を選ばぬその姿は、男性ならずとも”理解不能のもの”としての怖さに溢れている。また主人公の空回りが悲劇を予感させるラストも印象に残る。 『老人と膿』は、老人虐待を行う家族ではなく、彼らに対する主人公の怒りがあっけらかんとして一人称で描かれる。 『You裡』は、妻という座にあぐらをかく女性が悪女なのかなと思わせておいて、キャバクラ嬢のストーカーめいた営業が見せ場。ただ、この作品、個人情報の行方を検討するうちに背後の状況が透けてみえるところに二重の怖さが感じられる。またラストに男性が覚える安堵もまた奇妙にして深い。 『代償』はよくある三文ドラマ。生徒の母親と不倫関係にのめり込む教師。社会的立場から決断した時……に訪れる悲劇。ただ、こういったストーリーは昭和期のどろどろしたミステリ短編にもよくある話で、犯人割り出しの原因に皮肉っぽいところがあるのが唯一のポイントか。
さて、これらと別格にしたいのが最終話である『夢の報酬』である。モラトリアムを続ける青年がバンドに生き甲斐を見出す”いい話”として展開していくにも関わらず、主要メンバーが巻き込まれる殺人事件から、隠れていた悪女像がうっすら見えてくるあたりが面白い。ロジックを中心とした”意外な動機”をテーマとする本格ミステリとして読むことも出来、全ての伏線が指しているところが当初の想像を超えたところの結末に奉仕しているあたり、さすがに一筋縄ではいかない作家であることを再認識させられた。
いずれの作品にしても、現代の風俗が赤裸々に描かれており、リアルタイムの度合いというか読者のすぐ側にある危機といったイメージが強烈。決して後味良く読める作品ではないし、果たしてこの作品のニーズがどこにあるのかも見えないのだけれど、怖いもの見たさで物語に引き入れられてしまう自分に気付かされた。うーむ。

これまでの小川勝己作品とは確実に通じている世界。ただ「小川勝己が書くノワール」「小川勝己が書く本格ミステリ」といった主題を求める読者には実は向いていないかも。恐らくもっとも適しているのは「小川勝己が書く現代」に面白さを見出す人、なのだと思う。(小生にもそういった傾向はやっぱりあるので)。
あと、お気づきの方もいるだろうが本書、表面積の半分以上を占めるカバー、捲ると表紙絵が変わる……。本屋でこそっと見てみて下さい。


04/07/29
仁賀克雄「放課後の殺人者」(ソノラマ文庫'76)

仁賀氏は、あのワセダ・ミステリクラブの創始者である。また『地図にない町』(P.K.ディック)等の翻訳者、そして「幻想と怪奇」シリーズのアンソロジスト等、各方面で活躍している。本書は仁賀氏のオリジナル小説で、”青春ミステリ・クラブ”と副題がついているものの、どちらかといえば本格ミステリの趣向の強いジュヴナイル作品。

中津女子高校一年生・神保典子は電車に飛び込んで自殺した。遺書は見あたらなかったが彼女は妊娠四ヶ月だった。この事件はすぐに風化してしまったが、一人の人物が復讐を誓っていた――。それから数ヶ月。同じ市内にある神奈川県立衣笠高校では文化祭が行われていた。衣高一年の矢代寛はミステリ・クラブが主催するお化け屋敷を手伝っていた。クラブの主要メンバーは矢代の他、幹事長の三年生・二階堂達也と〈伯爵〉のあだ名を持つ城所久行、会計係の羽二生みどり。それに二年生の三浦忠志と監物哲夫、そしてベルこと鈴原冴子ら七人。打ち上げにて地下室に集まっていた彼らは、お化け屋敷に使用していたマネキンがペンキで真っ赤に悪戯され、〈ノリコ〉と書かれた白い紙片が残されていたことに気付く。何者かの嫌がらせなのか。メンバーで海に行った翌日、彼らは夜中に集まって犯人当てのイベントを催すことになる。バーのマスターでミステリ・マニアの迫水誠三が加わり、車座になってイベントが行われている最中、急に停電が起き、その直後、三浦が背中を刺されて絶命しているのが発見される。誰も移動した物音はなく、しかも凶器が見あたらなかった……。そして彼らに第二の悲劇が訪れた。

時代を経てしまった雰囲気は少々ベタな印象も、本格ミステリのテイストを持つ青春ミステリ
ちょっと作品自体の評からはいきなり脱線させて頂く。本作にはジュヴナイルらしい良さがある。というのは、登場人物がミステリクラブ員ということも関係しているが、海外ミステリの良作が、物語の流れのなかで数多く紹介されているのだ。それも本格謎解きものから、ハードボイルド、サスペンスといった古典や当時の名作がいろいろな登場人物の口を借りて語られる。小生がいうのもなんなのだが、それが結構、読書欲をそそられる書き方になっているのである。別にベスト本でなくとも、かつてのジュヴナイルには、こういったかたちでの読者層の拡大を無意識のうちに図っていたようなイメージがあったのだが……。

さて、本作。筋立てとしては、奇怪な殺人方法を伴うフーダニット・ミステリ。 動機となる事件も冒頭に描かれており、その容疑者として限定される範囲がミステリクラブのメンバー(とそれに近い人)に限定され、かつそこで連続殺人が発生する――というあたり、王道とも典型とも呼べる展開。伏線となる部分はかなり判りやすく提示されており、ミステリを読み慣れていない読者にとっても謎解きが堪能できるというあたりが嬉しい。(とはいっても一部の伏線は不十分なので想像で補う必要はある)。警察サイドの登場人物をちょっと抜けた人物にしており、ミステリクラブにて推理をする余地をしっかりと残している。偽手紙でおびき出して犯人を罠にかけようとする女子高生あたりの突っ走りはいいとして、物語世界での正確度が不明のまま”こっくりさん”にて犯人当てをしてしまおうというのはスゴイ(スゴイとしかいいようがないです)。
最終的な解決は、ミステリ作家という主人公の親戚が登場して探偵役を務めるまで持ち越される。その推理そのものは証拠や証言をベースに展開されるオーソドックスなもの。このあたりの論理展開に意外性はないものの、その緻密さは美しい。ただ、そのオーソドックスな推理を警察含め誰もが中盤では行っていないのはミステリとしてはどうかとも思うけれど。とはいえ、導き出される真相にはトリックもあり、動機もしっかりしているのでそれなりの満足感は味わえた。

執筆された年代が年代でもあり、当時の風俗であるとか、流行であるとかが反映されている。その結果、今となってはどこか垢抜けないベタなイメージが作品全体に存在している。現代読者で本書を手に取る方はおそらくそのベタなイメージも引っくるめて楽しまれるだろうから、特に問題があるとはいえない。けれど、やっぱりそのベタなイメージゆえに無条件に人に薦めいにくいこともまた事実ではある。


04/07/28
貫井徳郎「追憶のかけら」(実業之日本社'04)

文庫化されて久しい『慟哭』が、ある書店のPOPからムーヴメントという程の爆発的なベストセラーになり、これまでも本格ミステリ界でも評価の高かった貫井徳郎氏は人気作家の仲間入りを果たした(と思う)。本書は『ジェイ・ノベル』誌に'02年8月号より'04年3月号まで連載されていた作品が単行本化されたもの。

友人と泥酔した際に気まぐれで訪れた風俗店の名刺がもとで喧嘩になり、娘を連れて実家に戻ってしまった妻。中年の大学講師・松嶋が謝って連れ帰る前に、妻は交通事故であっけなく世を去ってしまう。原因が原因だけに、娘の里菜は妻の実家に奪われて(とはいっても松嶋も自分も一人で育てるだけの甲斐性はない)しまう。しかも義父で、明城学園大学の有力教授である麻生によって、あまり取り柄のない研究者である自分の現在の地位があるだけに頭が上がらない。そんな状況下、松嶋は同僚の山崎や副手の青井さんの励ましにもかかわらず沈鬱な気持ちを抱えたままだった。そんなある日、講師として授業を受け持っている短大の生徒の身内なる増谷なる男から、松嶋は、戦後のごく短い期間活躍した佐脇依彦という幻の短編作家の自殺直前の手記なるものを入手する。地味な業績の作家ではあるが、本来は自分レベルの学者では入手できない未発表原稿に松嶋は興奮、早速目を通した。旧字体で執筆されたその文章は、戦後の混乱期に愛人とその子供の心配をしつつ栄養失調で死亡する男に巡り会った佐脇が、死んだ男の遺志をついでその女性を捜し歩く過程が小説風にまとめられた物語。なぜ佐脇が絶望の淵へと落ちていくかが克明に描かれているものだった。この手記を発表したいという松嶋に対し増谷は、佐脇がなぜ自殺するような目にあったのかを探ることを条件に出してきた。それが手記の持ち主の意向なのだという。

前半から中盤のサスペンス、後半の悪意を巡るどんでん返しにつぐどんでん返し。進化を続ける貫井ミステリの新たなる到達点
ここ数年に発表された長編の貫井徳郎作品についてはどちらかというとテーマ性が重視される傾向があり、いわゆるミステリとしての仕掛けそのものは、その主題に奉仕するために存在しているような印象があった。また、その仕掛けの中心を為すのは、どこか肩肘を張ったような――作者にその意図があるかないかはとにかく――叙述を中心とするトリックであることが多く、実際のサプライズの大小、物語の硬軟にかかわらず、どこかその分雰囲気に硬さが感じられた。
さて、本作になるが、もともとの文章の硬さ(これは未熟という意味ではないですよ)は少々残るものの、そういった『慟哭』以来の物語のテーマ性といった部分をうまく消化しつつ、実にバランス良く謎解きが配分されている印象を受けた。特に後半部のどんでん返しにつぐどんでん返しはサプライズを喚起するだけでなく、人間の持つ悪意の底知れなさが、状況が反転すればするだけ深まっていくという恐ろしさが伴うもので侮れない。
ちょっと話が外れるが、(ネタバレ)本作の場合はある程度、犯罪構造に人工性・虚構性といったものが感じられる(というか実際、作られた謎なのだけれど)。読了してから考えてみるに、この作品における事件の人工性は、恩田陸がしばしば用いている「手」に近いテイストがあるように思うのだ。少々強引でも現実性といった事柄に目をつぶり、先に人を引きつける大きな謎を構築してしまうという手法。その結末に多少無理(大いなる無理)があろうとも、ストーリー展開で一気に読ませてしまうというもの。  文章のタイプは全く異なるし、作風も重なるものではないのだが、読んでいるあいだのツカミというか、グルーヴ感覚に近いものがあったように思うのだがどうだろう。

さて最初からみていくと、旧字体で描かれる作中作がまず読者を分けるポイントになってしまうか。小生は日頃から仙花紙本とか手にしているので全く違和感がなかった(というか表意文字などは旧漢字の方が読みやすいくらい)のだが、普段は全く接していない方には少々辛いかも。ただ、この作中作において描かれているのはハードボイルド系統の作品に多い”人捜し”であり、一旦物語に入り込めばするする読める。ちょっとぎくしゃくしているな……と思うには思ったのだが、それにもまた意味があるあたりの配慮は憎い。こういった作中作の形式で陥りがちな物語展開、つまり作中作の矛盾を解き明かし、その真実を自分で探るという御都合主義な展開に持っていかないのが重要。本作のミステリとしての焦点を全く別の部分においている点で独創的なミステリ足り得ているのである。
そして問題は、大学講師・松嶋が巻き込まれる災難の解釈だろう。黒幕は誰なのか、松嶋をこれほどまでに恨む人間とは。最終的に提示される犯人像の意外性はあるが、その犯人の全能の無邪気さ加減には背筋が寒くなる。確かになぜこういった大掛かりな謎を仕掛けたのかというあたりに現実性を求める人もいるだろうが、そういう虚構性こそが物語の読みやすさとツカミを引き上げ、かつ人間の悪意の底知れ無さを深いものにしているのだと小生は解釈する。これまた作者の狙い通り(たぶん)、ラストシーンではちょい泣いてしまった。ここを読むに至ってもしかするとこの作品、『ささらさや』の裏返し(意趣返し?)なのかと思ったりもしたが、それは深読みに過ぎるか。

近年貫井氏が発表している諸作のレベルが低いわけではないのだが、本作はそれらを抜けた次のステージにあるように思われる作品。作家生活の年輪を思わせる渋みと、まだこういうことをやるのかという斬新さとが混じり合い、『慟哭』で獲得した新たな読者を定着させていく以上に、全く新たな読者を獲得していく予感を覚えさせる。この作品もまた本年の収穫だろう。


04/07/27
雫井脩介「犯人に告ぐ」(双葉社'04)

雫井氏は'00年に第4回新潮ミステリー倶楽部賞を『栄光一途』にて受賞してデビュー。これまで『虚貌』『白銀を踏み荒らせ』『火の粉』等の著作がある。本書は『小説推理』誌の'03年2月号より'04年2月号まで連載された作品の単行本化。帯の推薦辞に横山秀夫、福井晴敏、そして伊坂幸太郎が並んでおり、出版社サイドの力の入れ具合が感じられる。

神奈川県警の警視・巻島はかつては〔ヤングマン〕と渾名される刑事に見えない風貌が特徴の刑事だったが、四十半ばを過ぎ組織のために手練手管を使いこなす男となっていた。町田にあるディスカウントショップ・イッパツヤの社長の孫が誘拐される事件が発生、巻島は神奈川県警中心の事件にせよという曾根ら上層部の指示により警視庁との調整を終えた。犯人の指示により新宿、原宿、そして花火客でごった返す横浜へと身代金の受け渡し場所が移動。神奈川県警は状況に対処しきれずに、誘拐犯逮捕に失敗、更に子どもの命が奪われてしまう。マスコミからは警察への非難が集中、その矢面に立たされた巻島は会見中に失言をしてしまい、刑事生命を断たれた――。それから数年。神奈川県で連続児童殺害事件が発生。〔バッドマン〕を名乗る犯人は容易に尻尾をつかませず、捜査は難航、停滞していた。再び県警の指示を執ることになった曾根は、県内の僻地で勤務を続けてきた巻島に白羽の矢を立てる。劇場型犯罪に劇場型捜査を。警察が人気ニュース番組とタイアップするという異例の捜査のために再び巻島を抜擢したのだ。

綿密に計算された映画を観ているが如き体験。ドラマティックな犯人との対決と、警察内部の醜い争いを描き、正義を問う
気宇壮大。いろいろな試みが一つの作品に集中し、かつそれぞれのテーマが頭のなかに直接響いてくる。物語全体はドラマティックでありながら、緻密な裏付けによって構成される警察組織が奇妙にリアル。 しっかりした骨組みを持つうえ、筋肉もまたがっちりと付いており、無駄な贅肉がほとんどない。大きな物語にして読者を引きずり込む力に溢れた作品である。
ストーリーは、はみ出し者の刑事が、ニュース番組(これは誰にもでも元がなんなのか想像つくはず)を利用して、犯人に対して呼びかけを行い、その存在を炙り出し、逮捕に持ち込もうというもの。手掛かりをほとんど残していない犯人の自己顕示欲を刺激するという異例の方法である。その結果、世論が動いていくさまがリアル。改めてマスコミの持つ影響力の大きさについて考えさせられる。また、事件の犯人のほかに警察内部に主人公の足を引っ張る勢力がある点により、物語に厚みを加えている。特に冒頭のエピソード、警視庁と神奈川県警の確執によって誘拐犯逮捕に失敗してしまうあたりの悲惨さ、それを糊塗するために組織ぐるみで必死になる醜さの描写が実に印象に残る。官僚組織としての警察の腐敗を最初から読者の前に突き出し、しかしそんな組織を背後に捜査を行わざるを得ない巻島を含む真面目な捜査員たちの取り組みが深いコントラストを物語に与えている。
いわゆるミステリとしての面白さについては正直なところ少々薄い。連続児童殺人事件そのものの解決については偶然が大きく作用しているし、警察内部の裏切り者探しのエピソードにしても、某ドラマに似たような場面があったことが想起される。当然、真犯人は大衆のなかに埋もれており、事前の伏線として現れるような筋合いではない。そういったもろもろの点を差し引くと、警察小説としての面白さが残ることになる。ただ、その警察小説としての味わいが実に深く、豊饒なのだ。様々な登場人物が厚みをもった描写で描かれており、出し抜きやスクープといった報道小説としてのスリルをもまた併せ持つ。テレビを利用した捜査だから、ということでもないが、素人考えでもこの作品はシナリオにしやすそうだし、恐らく今後何らかのかたちで映像化されることも間違いないのではないか。印象的な場面が多く、読んでいるあいだその映像が頭に浮かんでいるような気がしたし。

横山秀夫などが描く警察とは、また異なる視点で描かれる新しい警察小説。人間の醜さと正義とが混沌として物語内部でのたうっている。最後の最後、作者が狙っていると判っているにもかかわらず、ちょっと泣けてしまうあたりも良い。構成に弱点もあるが、物語の迫力がその弱点を補ってあまりある今年度のエンターテインメント小説の収穫である。


04/07/26
戸松淳矩「名探偵は千秋楽に謎を解く」(創元推理文庫'04)

'79年にソノラマ文庫にて刊行された同題の作品にして、戸松淳矩氏のデビュー作品。個人的なことをいえば、このソノラマ文庫を長い間探していたものの巡り会うこと叶わず、先に『名探偵は九回裏に謎を解く』を入手して読了している。

九重一雄、枝川純平、筒井友彦。両国にある某私立高校の一年生。筒井は転校生なので違うが、九重と枝川の中学時代の同級生でおっとりした性格の花田勝治が入門しているのは、相撲部屋の多い両国でも外れに位置する大波部屋。そこになぜだか大砲の弾が撃ち込まれるという事件が発生した。続いて長屋では石見銀山で有名な砒素が牛乳に混入され、さらに神社から弓が無くなり、血がべっとりとついた状態で発見された。しかも、町内の忘れられかけていた探偵小説作家が、これらの事件を既に小説内で予言していたというおまけ付き。町内ではいったい何が起きているのか? さらに大波部屋の娘の小学生が誘拐され、なんと犯人の要求は、町内から一歩も出ずに身代金八百万円を使い切れ――という奇妙なものであった。果たして犯人の狙いは?

捕物帖でしかみられなかった伝統的な江戸情緒と独特のユーモアを現代に蘇らせる試み――
ソノラマ文庫でしか刊行されていない時代から、知る人ぞ知るという幻の本格ミステリとして評判の高かった作品。ジュヴナイルにて刊行されたこともあり、時を経るにつれてかえって入手が難しくなっていったように思われる。そしてその内容は、ご町内を舞台にした一種の和製コージーにして、現代風捕物帖といった印象。 語り手が高校生ということもあって、その雰囲気は柔らかく、特に町内に住む御隠居から親方、牛乳屋……といったいわゆる住人が好き勝手に憶測を飛ばすあたりが面白い。(憶測とはいいつつ、その内容はワトソン役の推理のようなもので、本筋の補強となっている)。
内容は盛りだくさんで、相撲部屋に弾丸が飛ばされる、毒殺未遂がある、しかもそれが見立てなのか原作あがる、さらに一風変わった誘拐があるなど、わざと数ある事件が凝縮されて一冊に詰めらこまれている印象。次から次へと事件が発生して町が大騒ぎになるあたり、現代ミステリとの微妙な立ち位置(というか世界観?)のずれを感じるのだが、そこが本シリーズ最大のポイントのように思うのだ。
町内で起きた事件は町内のもの――というのがそのずれの最たるものか。つまり個の時代以前、事件は当事者のみならずそのコミュニティ全体で解決すべきものというような意識が全体に「当たり前」としてあるのだ。この雰囲気から、噂好き、プライバシーは少ないが、共同体内部での助け合いが当たり前といった、かつての江戸の風景が頭に思い浮かぶ。なので、事件は現代なのに騒動の風景が捕物帖のそれに近いように感じられる。また、いろいろな人が事件に首を突っ込む結果、個性あふれる人間同士のぶつかりあいに独特のユーモアが生じるというのも自然なところ。ご町内ミステリというのは、そのままどこか懐かしい旧き日本を思い出す行為に繋がっているともいえるのだ(とか書くとさすがに大袈裟な気もするが)。
個人的な感想をいえば、動機(というか真相)についてはちょっと本気の度合いと実際の事件とのバランスあたりにどうかと思われるところもあるが、やはり連発される事件に味がある点、そして相撲部屋という特異な環境を自然な風景に引き込む舞台設定等に面白みを感じた。

実際、折角の復刊にもかかわらずあまり手に取られていないようなのだが、本シリーズは新本格以前に書かれた作品であるにもかかわらず、後の本格ファンたちを唸らせたというエピソードが示す通り、忘れられかけた名作。本作そして『九回裏』とソノラマで刊行されていたのだが、三作目となる新作が本文庫では用意されているという。そちらを読むためには、先の二作、やはり読み直しておくにこしたことはない。


04/07/25
山田風太郎「厨子家の悪霊 山田風太郎奇想コレクション」(ハルキ文庫'97)

今や決定版ともいえる光文社文庫版の全集が出ている風太郎の一連の作品群ではあるが、本書は廣済堂文庫の復刊とともにその一翼を担って日下三蔵セレクトにより刊行された短編シリーズの第一冊目。現在は既に入手できなくなっているが、さすがに光文社文庫版、持ち歩きに不適なために敢えて本書を引っ張り出してみた。'49、第2回日本探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)短編賞を受賞した『眼中の悪魔』『虚像淫楽』を含む短編集。

ある雪の日、厨子家夫人が惨殺された。現場には彼女を背負ってきたと思しき足跡。血染めの短刀を握り立ちつくす厨子家長男にして十年来の狂人・弘吉。現場には右眼から血を滴らせた犬。厨子家を長年苦しめてきた悪霊の所業? 発見者で、治療のために村に逗留する伊集院医学士、そして引きこもりの当主をはじめとする厨子家の面々。果たして真犯人は一体? 『厨子家の悪霊』
人気が絶頂になるに伴い反発も買うようになってきた評論家・戸倉才一郎。その妻が彼のブレインであるとの噂。そんな彼らが心中事件を企てようと、休暇先で知り合った若い夫婦にある依頼を行うのだが……。 『殺人喜劇MW』
冬のあいだ旅芸人として暮らす中国地方の寒村の一行。行き倒れを拾われた、ひょうきん爺いこと桐平老と娘の鞠代。その鞠代を巡っての恋の鞘当てが、やがて悲劇を招くことになる。 『旅の獅子舞』
巨大な睾丸を持つ鐘撞き爺さん。その娘が逃亡中の凶悪犯に人質に取られてしまう。しかしその犯人、豪雨で濁流と化した川の中の小島で不可解な状態で死んでいた。果たして何が起きたのか? 『天誅』
主人公の僕は、学生時代に珠江という女性と恋仲に落ちた。だが出来の悪い兄や借金など種々の理由から、珠江は僕が紹介した片倉という実業家のもとに嫁入りすることになってしまう。珠江の兄は片倉宅に無心に訪れていたが、鷹揚に片倉氏は応じていた。しかし片倉氏は、妻の一連の態度のなかに浮気の疑惑を覚えるようになってしまう……。 『眼中の悪魔』
ある晩、猛毒の昇汞を飲んだといって病院に担ぎ込まれてきた女性は、一年前まで勤務していた森弓子という看護婦だった。彼女は結婚していたが、その身体にはみみず腫れのような傷跡が。担当した千明医師は、彼女を運び込んできた義弟の卯助に事情を訊く。だが、兄のもとに報せるために引き返した卯助は、その兄も死んでいると医師に告げる。 『虚像淫楽』
八興産業という会社の育英会部門に働きにきた蘆川旗江は、その社長に見初められ、プロポーズを受けるに至る。しかし彼女は何者かから封筒を受け取る。中には死者からの手紙をテーマにした探偵小説が。 『死者の呼び声』 以上七編。

設定が奇想、物語展開が奇想。それでいて文章は隆々。常人と明らかに異なる才能は一作からでも感じられる
ひとくちで言ってしまえば簡単なこと。「山田風太郎の小説はとてつもなく面白い」。ああ、これに何を付け加える必要があるのだろう。小生が駄文を連ねようと連ねまいと、その評価が揺るぐことなど未来永劫あり得ないことだと思うし。本書に収録されているような、その風太郎の代表的な傑作ですら長らく入手困難だったということ自体、日本の出版業界の罪である。(ただ振り返って考えるに、忍法帖・時代小説を除く風太郎作品は、二十世紀のあいだどうも文庫化の流れから取り残されていたのではないかという気がする。大手出版社の文庫で短編集がほとんど刊行されていなかったという点、不思議でならない)。
特に改めて読んだ『眼中の悪魔』『虚像淫楽』はもちろん、実は初めて読んだ『厨子家の悪霊』にしても、短編とは思えない完成度を誇っている。恐らくその理由が、そのトリックや動機といった内容の意外性といったワン・アイデアではなく、それぞれの作品がそれぞれ異なる”テーマ”に従って根本から構築されているということにあるように感じられる。すなわち、ミステリとして、物語が一貫しており揺るぎがないということ。恐らく当時の探偵小説ではこういった思想まで踏み込んで作品が書かれることはなかなか無いこと。更に、小説として、その自分の選んだテーマのなかにパズラーの要素を持ち込み、その技巧以上に物語を読ませるというあたり、非凡(実際は非凡という言葉では足りないので天才という形容詞がしばしば用いられる)な才をうかがうことができるのだ。ベースとなる医学の知識や、社会諷刺、それにナンセンスといった、風太郎作品を捉えようとすると必ず出てくることばにしても、こういった足許が確としているからこそ生きているのだと改めて実感した次第。

日下氏のセレクトが良いことも一助だが、風太郎作品に外れなし。作品の骨格が経年による衰えがない以上、その旧い時代の風俗さえもがどこか新鮮に見えてしまう不思議。私自身、風太郎を分析するには力が足りない以上にもっと読み込んでいかなければいけないことを改めて痛感した次第。


04/07/24
福本和也「北太平洋の壁」(光文社文庫'92)

'89年にカッパ・ノベルスにて書き下ろし刊行されたのが初出。その際の著者の言葉が解説に引用されている。「これまで自分は一本も本物の推理小説を書いたことがなく、今まで書いてきたものは、すべてサスペンスであったとお述べ、「そこで、一本くらい推理小説と呼ばれるものを書いてみたいとかねがね考えていた。それもできれば、壮大なアリバイ崩しの小説を書いてみたい」」。期待したんですけれど。

アメリカのシアトル。中華料理店の地下個室で麻雀に興じていた日本人四人が、乱入してきた男に襲われ大金を強奪されたうえ全員射殺された。被害者は全員、日本で法律破りすれすれの純金取引を大々的に行っていた会社の幹部で、巨額の利益を隠匿するために渡米していたものと思われた。だが、犯人は被害者の顔を念入りに撃ち砕いていたものの、遺族の一部は身体的特徴からその被害者は家族ではないという。彼らは何故殺されたのか。捜査線上に浮かんだ犯人らしき日本人は、事件の前日にヨットでの太平洋横断に出ているという鉄壁のアリバイを持っていた。日米での合同捜査が難航するなか、協力を求められたのは極東航空のパイロットでありながら、酒巻組という暴力団の二代目という酒巻茂樹。彼は日米の独自の切り口から、殺された男達は偽パスポートで入国した別人であることを確認、犯行のアリバイについても自らの知識を総動員して切り崩してゆく。

本格推理を目指しても、やっぱり飛行機とサスペンスのお話になってしまうのが福本和也
米国での殺人の実行犯は前日にヨットで出帆しており、またその犯人と思われる人物が実際に太平洋横断に成功、一躍時の人となった……。確かにアリバイトリックではあるのだけれど。どうだろう、通常なら移動不能のA地点の犯人がB地点にいたとして、AからBへある乗り物を使ったら移動できるんです、というのは推理小説といえるのだろうか。昭和三十年代の松本清張の頃ならいざ知らず、少々特殊な乗り物を作者の知識のなかから引っ張り出されただけ、というのでは「ふーん」という以上の感慨を読者に抱けという方が無理だと思うのだ。また、四人の殺害を犯す程のリスクを負った犯罪者が、さらにヨットでの北太平洋横断(しかも通常と異なる超困難なルートを選んで)なんていう、もっと巨大なリスクを抱え込むという不自然さ。船が難破する確率だって少なくないと思うし、その冒険をギブアップすることになったりしたら何の意味もないし……。推理小説としてはアイデアが先行してしまった印象で、現実との整合性といったあたりにツッコミどころ満載でした。
その一方で、大航空会社の機長にしてヤクザの親分という酒巻という、主人公の人物造型は、これはこれで福本先生にしか創れないよなあ、と微妙な感慨。クールな操縦士にして熱血ヤクザなどという二面性を持つ男前。空港で偶然見掛けた男が、以前の事件に関わりをもったパスポート偽造屋(しかも東南アジアの人)という偶然なんか、普通マネ出来ません。また酒巻さんの前妻が、米国のマフィアの愛人として再登場してくるあたりも凄すぎ。サスペンスというか、大衆小説にのみ許された強烈なノリがどこか残っているように思えるあたりを面白さとして捉えることが出来るかどうか。 強引にいえば本書の意味合いはそのあたりで変わってくるような。

アリバイトリックというあたりに飛びつくのでなければ、(当時の)社会派要素も加えられているし、サスペンス系の大衆小説としてはそれなりの展開となっているのだが……。もともとの漫画原作者という職業病なのか場面転換のめまぐるしさもまた福本作品の一つの特徴である。


04/07/23
京極夏彦「百器徒然袋――風」(講談社ノベルス'04)

いわゆる妖怪シリーズの番外編にして、眉目秀麗の探偵・榎木津礼二郎(とその下僕たち)を中心に描かれる『百器徒然袋――風』に続く第二作品集。本書は「探偵小説」と書かれているが、通常にミステリファンが用いる「探偵小説」とはまた異なった意味の「探偵・小説」だといえるだろう。京極氏によれば、現段階ではこのシリーズは二冊で終了なのだという。

「招き猫のどちらの手が上にあるのが正しいか」の末に豪徳寺を訪れた僕こと本島と、その友人で売れない画描きの近藤は、織作家にいた小間使いの奈美木セツと、遊郭を経営する小池という家に住み込みで奉公しているという美津子という女性と出会う。その美津子、子どもの頃に女郎屋に売られていた。その小池からはそれなりに厚く遇されていたが、母親と会うことを禁じられていた。しかし思い募った美津子はこっそり二十年ぶりに母親を訪ねたものの、母親は美津子を知らないという。 『五徳猫 薔薇十字探偵の慨然』
榎木津探偵事務所を出た本島は何ものかに拉致され、廃ビルの一室に縛られて監禁された。駿東と名乗る男が、榎木津のことを聞き出した後、駿東を竹光で刺すという臭い芝居を打って本島を逃がしてくれるという。実際、本島は逃げ出し事態を京極堂に相談。しかし駿東は実際に何者かに刺し殺されたと警察から連絡が入る。一方、榎木津探偵事務所には関西の探偵・神無月なる人物が榎木津と推理勝負をしたいと乗り込んできた。 『雲外鏡 薔薇十字探偵の然疑』
ガラクタを蒐集する近藤。彼の家に泥棒が入り、本島は片づけを手伝う。その際、近藤は幾つか来歴不明の物体が家にあることに気付くがなかでも目を引いたのが「禍」と書かれた箱に入っていた古い面。本島はその面を知り合いの骨董屋・今川のところに持ち込む。その面は時代と様式が食い違うのだと彼は悩む。一方、都内方方で空き巣被害が相次ぎ、探偵事務所に青木が事情聴取に訪れる。現場でたびたび目撃される不審人物がどうやら益田らしいのだ。 『面霊気 薔薇十字探偵の疑惑』 以上三中編。

にゃんこにゃんこー。榎木津礼二郎、高笑いしつつ我が道を突き進み、その背後には悪党共の死屍が累々
……うーむ、よく見りゃ前作の憂鬱、鬱憤、憤慨から今作の慨然、然疑、疑惑と漢字しりとり。無いと思うが次作があるなら「惑乱」という単語を予想(深い意味はない)。
もともと、妖怪シリーズにも傾向はあったが、本作はキャラクタ小説としての味わいが従来よりもさらに強くなっている。つまり、登場人物の個性を徹底して描き出して、彼らを動かすことによってエンタテインメント小説としているように思われるのだ。いわば京極夏彦自身による、自作のセルフ・パロディ。同人誌のノリにも近い(ということは、恐らく作者自身楽しみながら書いているのだろう)。この点、本作も前作に引き続き、いわば「名なしさん」である本島の視点で物語が語られるのだが、その事件にしても出来るだけ角度が変えてあり、三中篇のあいだに必ず全レギュラーが顔見せできるような構成になるよう配慮が為されているように思えた。(あ、関口だけ姿が見えない……)。
一方、物語の中心には謎解きが据えられているのだが、妖怪シリーズに比するとその比重は若干落ちる。まあ、推理抜き、結論だけの探偵・榎木津礼二郎が活躍する以上、どうしてもそうなるのかもしれない。いや本作ではそれ以上に、榎木津礼次郎に戦いを挑むという愚かな人々が登場するのが面白い。一応、主人公視点からみれば「謎」なのだが、その本質は、その愚かな人々による仕掛けにあるのだから。そして、榎木津礼二郎は、その仕掛けをことごとく破壊しつくす。これはもう快感としか呼べない感覚だ。例えば妖怪シリーズにおいてなら、謎を締めくくるのは京極堂で、その最終的な仕事を”憑物落とし”と呼ぶ。この百器徒然袋においては、どうもそのイベントが”お祭り”のようにみえるのがポイントなのかもしれない。恐らく本書に収録されている各事件、京極堂であれば別の解決とすることも可能だろう。しかしあくまで本書は「榎木津・探偵小説」。ここは祭でなければならない。
またその意味では、事件を覆うトリック以上に、その祭が周到に計画されている。例えば『五徳猫』の場合は探偵が準備し、金銭欲丸出しの相手方を過去の因縁と絡めて丸裸にしてしまう。一方『雲外鏡』では、榎木津の能力を研究した相手がその舞台装置を整えて臨むものの、より高次の視点を持つ榎木津に散々にバカにされる。最後『面霊気』になると、その祭の規模は大きくなるのだが、その仕掛けは成就させて貰えない。これは、櫓を組んでいるところに、榎木津が踊り手を連れて先に乗り込んでくるようなもので、どうしようもない。彼らの不幸が、やはり独特の可笑しさを醸し出しているといえる。実にこのあたりのバランスが巧い。妖怪シリーズでは絶対に出来ない展開を、こちらでしっかりとこなしてくれるから。

エンタテインメントとして立派過ぎるほどに水準をクリア。妖怪シリーズの読者であれば必読といえる内容だろう。特に前作以上に榎木津の持つ一種の狂気じみた性格が露骨に描かれており、その”お祭り”の壮絶さが作を追うごとにパワーアップしている印象。天才とか傲岸とか、そういった形容詞さえも突き抜けたところに探偵は居る。にゃんこにゃんこー。


04/07/22
斎藤 栄「黒部ルート殺人旅行」(光文社文庫'97)

斎藤栄の初期作品で当初は'72年に光文社カッパ・ノベルスにて刊行された。本書の前に『香港殺人旅行』という作品と題名では続きを為すが、登場人物は繋がっていない。本書の探偵役を務める香山は『神と悪魔の王手』という作品に、粋なかたちで再登場するのだという。

大手不動産会社の技術部長・西崎良二は娘の真貴子と会社同僚の数人で来ていた黒部アルペンスキーの旅行の最中、不可思議な蒸発を遂げた。突然出掛ける必要ができたという西崎は真貴子に「何も訊くな」といい、宿の前に止められていた外車に乗って出立。真貴子らはその後を別の車で追う。西崎はそのまま黒四ダム行きのトロリー・バスに乗り込んだと思われたが、脱出不可能の筈のバス車内から忽然と消え失せてしまう。真貴子は、知り合いの香山検事に事情を話すが、同時に父母の間に横たわる若き日の過ちを知ってしまう。かつて母を巡って争っていた西崎と本間という若者。真貴子はその本間の子どもだというのだ。しかも父はその本間を殺害していたらしい。そんななか立山連峰の新雪の下で、ダイナマイトで爆裂した西崎の死体が発見され、覚悟の自殺と思われた。一方、香山は西崎の愛人の存在を突き止めるが、現在は所在不明。しかも新潟県の海岸で崖下に墜落、爆発したと思われる車と共に死体となって発見された。不動産会社と大蔵省を巡る汚職が背景にあると考えられたが、その黒幕と思われる人物には鉄壁とも思われるアリバイが存在した……。

死体移動、アリバイ崩し、常識の裏をかく錯誤。実に贅沢な本格トリックの饗宴
ある方のお勧めがあって手に取ったのだが、なるほど、本書は本格ミステリファンならば読むだけの価値がある。社会派というなかでは典型ともいえる動機や、七十年代の風俗模様を色濃く残すがために、多少の引っかかりを覚える可能性はあるものの、内部にちりばめられた各種トリックの組み合わせが、現代にも通用するだけの骨太の骨格を支えている。
ただ、斎藤作品ではよくみられることながら、細切れのエピソードが多数封入されているところの評価が難しい。いわゆる黒部の山渓での事件、一転して横浜都市部の開発に絡んだ汚職、官僚と業者との癒着が描かれると思えば、学園闘争に幻滅した青年と親との確執が描かれていたりする。それぞれのエピソードを取り上げるに「社会告発」だの「親子の関係」といった主題が透けてみえるのだが、書き込みが中途半端になっているように思われた。
とはいえ、物理的に犯行不能という時間の壁、そして証拠写真が残るという空間の壁を備えた、犯人の二つのアリバイトリックは秀逸。多少、当時ならではの小道具が利用されるものの、両方の謎に思わぬ逆転があるあたりは非凡だといえるだろう。両方のトリックは、近年の作家にも応用例が見受けられるが、本書の知名度を考えると両方とも偶然の一致と考えるべきかと思う。だが、そういった後に本格ミステリ作家が使用するトリックを、量産作家のイメージがある斎藤栄がしっかりと自作に取り込んでいるあたりに新鮮な驚きを覚えた。

序盤に描かれる黒四ダム建設当時に行われる犯罪行為からツカミがうまく、作品世界にはすんなりと溶け込める。ノン・シリーズ作品で、何度も文庫化されているので入手も比較的容易。古本屋で題名を覚えていたら手にとっても損はないように思われる。


04/07/21
辻 真先「盗作・高校殺人事件」(創元推理文庫'04)

当初ソノラマ文庫より刊行された辻真先の薩次・キリコのシリーズであるが、一旦創元社により'90年に『合本・青春殺人事件』というかたちで合本として刊行された後、絶版となっていた。同書が再び三冊に分かれて、再び文庫化されることになったのは喜ばしいこと。ちなみに本書の元版は'76年刊行。薩次とキリコは高校二年生。

新宿駅のホームで小規模な爆発事件が発生。人混みに溢れていたホーム上ではパニックに陥った群衆が階段に殺到、将棋倒しが発生して死者九名を出す大惨事となった。その事件の最中にホームに立っていた牧薩次も被害にあって入院することになる。病院で同室となったのが三原恭助と上野武。二人には恋人がおり、キリコとコンビを組む薩次も意気を投合。事件の際に新宿駅でバイク事故で亡くなったいとこ・三原玲子の幽霊を見たという三原恭助の実家のある鬼鍬温泉に出掛けることになった。恭助は実家の宿を仕切る親戚とは折り合いが悪かったが、寝たきりとなった祖父を大事にしており、祖父も源泉の権利を恭助に渡すと約束している。恭助は恋人のしげみと二人、地元でペンションを開業するのだと張り切っていた。しかし地元に伝わる伝説のなか、宿の内部で再び玲子の幽霊が現れる。しかも、地元に戻った薩次・キリコに、三原恭助が密室となった離れのなかで殺されていたという連絡が。犯人を殺す! と激昂するしげみ。しかも、続いて上京していた恭助の叔父・鉄治がビジネスホテルの密室内で殺害されるという事件が。そして現場にいたしげみが犯人と目されて捕まってしまう……。

辻真先の超絶技巧もスゴイが、青春ミステリとして希有のほろ苦さが実に心に残る……
本来の本書の紹介の仕方としてはこうなのだろう。「作者は被害者です。作者は犯人です。作者は探偵です」 このアクロバットを実現したミステリ作品だと。薩次とキリコの物語を描く作者をメタの存在として登場させ、更にその作者が作品を何故執筆したのか……というあたりに繋げることによって実現しているこの趣向、確かに印象深いものがある。このシリーズ通じてのこういった趣向はそれはそれで評価すべきものなのだろうが、個人的には純粋に作品内作品というか、薩次・キリコの遭遇する哀しい事件の方の印象が遙かに強いのだ。ソノラマ文庫初刊というイメージのせいなのだろうか、薩次とキリコのやり取りを中心とするユーモア・ミステリというすり込みがあるのだが、実際の物語の持つ青春小説としての深み(しかも、通り一遍ではない、真剣な青春小説として)こそに、本書の本来持つ凄みがあるように思われる。
ミステリとしては二つの密室殺人が描かれる。(あと宿屋に出現する幽霊も) 両方に実に冒険的なアイデアが加えてあり、トリック小説として読んでも面白いだろう。特に前半部のトリックは心理的な要素と手掛かりの提示の仕方が秀逸。しかも密室の謎が解けた後にまた別のフーダニットの謎が浮かび上がる展開にも驚く。このフーダニットがまた凝っており、最終的にはこの謎が本書を読み解くための大きな鍵となるところが特徴。また後半部のトリックも遊び心に溢れており、根本的には平凡ながらこの小道具が、現在となってはかえって新鮮に感じられる。
しかし、何よりも事件を通じて描かれる三つのカップルのそれぞれの行動、そして行く末が秀逸なのだ。事件の真相がどうなのか、事件を通じて彼らには何が残ったのか。内容に触れるのでこのあたり詳しくは書けないのだけれど、三組のカップルがそれぞれに作品内で何らかの役割を持っているあたりには驚かれるだろう。その結末にしても真相にしても、実に後味が悪いのだけれど、その苦みこそが青春小説。古い作品だとはいえ、この絶望感は現代にも通じるものがある。特に終盤で男友達と踊り狂うしげみの姿など、実に痛痛しい……。

辻真先作品は数あるが、その数ある作品群においても本シリーズを最高傑作として挙げる人は今なお多い。つまり、創元推理文庫が本書を復刻したのは決して伊達ではないということだ。発表が約三十年前ということもあって、風俗の描写こそさすがに古びつつあることは否めないが、その底に流れる青春小説としての精神は今もなお通用する。当然、本格ミステリとして傑作であるという評価については、恐らく今後も変化はないとは思うが、青春小説として読んで欲しいように個人的には思うのだ。